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都市空間におけるサードプレイスの推移

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Academic year: 2021

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都市空間におけるサードプレイスの推移

著者 木村 俊太郎

出版者 法政大学大学院デザイン工学研究科

雑誌名 法政大学大学院紀要. デザイン工学研究科編

巻 7

ページ 1‑3

発行年 2018‑03‑24

URL http://doi.org/10.15002/00014723

(2)

法政大学大学院デザイン工学研究科紀要 Vol.7(2018年3月) 法政大学

都市空間におけるサードプレイスの推移

TRANSITION OF THIRD PLACE IN URBAN SPACE

木村俊太郎 Shuntaro KIMURA

主査 陣内秀信 副査 高村雅彦・北山恒

法政大学大学院デザイン工学研究科建築学専攻修士課程

"Third place" is the concept that American sociologist Ray Oldenburg proposed in his book "Third Place". Also, in Japan, sociologist Eiichi Isomura discusses the "third space" in his book "Urban Sociology Studies" Both of them discuss the space different from home and home as well as work and school. Therefore, we will consider transition of the third place in urban space.

Key Words : Third Place, The Place, Urban psychology

0.はじめに

「サードプレイス」とは、アメリカの社会学者、レイ・

オルデンバーグがその著書「サードプレイス」で提唱し た概念である。

また、日本では、社会学者磯村英一がその著書「都市社 会学研究」において「第三空間」について論じており、

家庭・自宅とも職場・学校とも異なる空間を両者は同様 に論じている。

そこで、都市空間におけるサードプレイスの推移を、考 察していく。

1. 1960年代 新宿

(1)形成史

(2)盛り場としての性格

新宿が、左翼の学生や演劇青年、音楽家、フーテン等を 集め、いわゆるアングラ文化の拠点としての性格を持ち 始めるのは1960年代以降であり、それが頂点に達するの は、68年である。

政治的であれ、文化的であれ、風俗的であれ、あらゆる 尖鋭的なものが呑み込まれ、閃光を放ち、渦巻いている。

60年代の新宿はそんな盛り場だった。

(3)サードプレイス的なるもの

様々な種類の人びとの欲望を受け入れる器であった新宿 には多数の「たまり場」があった。それはゴールデン街 であり、名曲喫茶であり、劇場であり、花園神社等であ る。何気なく、あるいはある種の思想を持ち、この街に 訪れた人びとは、数多くある「たまり場」で欲望を満た してくれる1960年代の新宿に「たまる」ことで、他の「自 宅・家庭」、「職場・学校」では起こすことの出来ない

「盛り」を達成することができるのである。

(4)「サードプレイス的なるもの」の変容 a)メディアによって

b)環境浄化

c)秩序化された繁華街

(5)小結

戦後の闇市から始まり、1960年代末までアンダーグラウ ンド文化を形成し、あらゆる人びとの欲望を満たしてき た「盛り場」新宿において、「サードプレイス的なるも の」とはそういった人びとが「たまる場」であることが 明らかになった。

また、「盛り場」自体が、メディア・行政の圧力よって 衰えていく一方で、「サードプレイス的なるもの」は変 容し、その都市にあり続けることも明らかとなった。

2. 1970-80年代 渋谷

(1)形成史

(2)繁華街化

a)パルコ進出以後の渋谷・公園通りの発展を施設面から 三つの時期に分けている。

第一期:パルコが区役所通り(公園通り)中腹にオープ ンした昭和48年から51年までの「線開発」

第二期:昭和52年から55年までの「面開発」

第三期:昭和56年以降の「広域・重層開発」

b)「渋谷的なるもの」

第一に、そこで若者が「ブラつく」ようになっていった ことである。

第二に、彼らがペアないしグループで行動することが多 い点である。

c)「盛り場」の変容

「闇」の性格を持たない1970-80年代の渋谷を「盛り場」

論文題名

(3)

と表現することはできないと考えられる。

(3)サードプレイス的なるもの a)パルコの戦略

「街のセグメント化」と「街のステージ化」

b)「街そのもの」として

1970-80年代渋谷における「サードプレイス的なるもの」

とは、「街そのもの」であると考えることが出来る。

(4)小結

戦後、民間資本である私鉄西武系パルコの空間戦略によ って、渋谷はセグメント化し、同時にステージ化してい った。そこにある出来事はセグメント化された若者たち の「見る・見られる」の関係であり、これによって1970

〜80年代の渋谷は感性の街となった。

渋谷における「サードプレイ的なるもの」とは「街その もの」であり、来街者は街を歩くこと自体に意味を持っ ていたことが明らかになった。

このことは、1960年代の新宿において、ある意味で街の 中の「点」として「たまり場」としての「サードプレイ ス的なるもの」が形成されていたのに対して、1970〜80 年代の渋谷においては「面」であったことが明らかにな った。

3. 1990年代 秋葉原

(1)形成史 a)電気街「秋葉原」

秋葉原地区に電気関係の専門店街が形成されたのは戦後 間もない時期である。

1980年代までは、秋葉原は家電が中心の街だった。

ところが80年代末頃から、その後のバブル崩壊とともに 台頭してくるコジマなどの郊外型の量販店、さらにはビ ックカメラなどのカメラ系量販店に、秋葉原は家電市場 を徐々に奪われていく。

秋葉原を訪れる客層も、家電を買いに来る「家族連れ」

から「若い男性」へと、絞られていった。

b)人格の集中 c)二つの形成要因

秋葉原電気街の形成には、二つの大きな要因があった。

一つは終戦直後、近くに位置する電気工業専門学校(現 東京電機大学)の学生がラジオの組み立て販売のアルバ イトを大ヒットさせ、部品を供給する電器関係の露天商 がそこに集中したことである。

もう一つの要因は、戦前から店を構えていた鷹瀬商会が 地方にネットワークを持っており、遠方から仕入れに来 る小売業者や二次卸し店が多く訪れたことである。

結果、秋葉原は安いという評判が広まり、交通の結節点 だったということもあって、一般客も集まるようになっ ていた。

(2)「趣都」秋葉原 a)中心的客層の変化

1990年代末頃から、秋葉原電気街が急変する。

1997年からわずか3年ほどの間に、急激に「おたく」の 聖地へと変貌した。

昔からの家電店が、次々と漫画やフィギュアの専門店に 取って代わられたのである。

特定商業が集中して専門店街を形成すること自体は、

特に珍しい現象ではない。

秋葉原の近辺を見ても、神保町には古本街があり、合羽 橋には道具街がある。

そして秋葉原自体が、電気街だった。

97年以降の秋葉原の変化が都市の変容の有り様として新 しいのは、それが「おたく」という人格的傾向がそこに 集中し、その結果として街が変わったという、そのプロ セスにある。

b)ラジオ会館

c)官から民 民から個へ

97 年以降の変化には、流通や行政的要因は不在である。

また、不動産経営者や大企業資本によるような組織的な 開発も介在してない。

渋谷における西武の展開のように、電鉄系資本によって 若者の流行が様々に開発され、それを牽引力に街のデヴ ェロッピングが行われた 80 年代的都市形成のされ方と も、この秋葉原の変化は決定的に異なる。

おたくの街として商業開発をしようという主体的な力が 働いたのではなく、むしろ家電需要の拡散とういう喪失 の結果として、個人レベルの趣味嗜好のパターンが、歴 史や地理、行政、資本といった、旧来的な構造に代わる 新しい街の形成構造として働いた。

おたくたちの人格的な傾向が、秋葉原という街を大きく 塗り替えたのである。

(3)サードプレイス的なるもの a)都市への表層化

オタクにとって自らの趣味である漫画やアニメ、フィギ ュアは本来、自宅の部屋にのみ空間化できるものであり、

自分の趣味で覆われているファーストプレイスこそが

「サードプレイス」であった。

しかし、1997年以降、「趣都」として誕生した秋葉原は そういったオタクにとって聖地であり、都市が「サード プレイス的なるもの」に変容したのではないだろうか。

(4)小結

1990年代秋葉原は、行政による西新宿の高層オフィスビ ル街、私鉄資本による民間の渋谷の開発にも当てはまら ない、オタクという個人の趣味を契機として都市形成が なされたことが明らかになった。また、秋葉原における

「サードプレイス的なるもの」とは、本来自らの部屋(フ ァーストプレイス)に「サードプレイス」が存在してい たオタクにとって、「趣都 秋葉原」が「サードプレイ ス」と変容したということが明らかになった。

4. 現代

(4)

5. 結論

本研究では、都市空間における「サードプレイス」が、

時代・地域の中で、どのようなものだったのかを、考察 した。

1章では、1960年代の新宿を対象地とし、近世盛り場を ルーツに持つ「盛り場」における「サードプレイス的な るもの」を考察した。

その結果、あらゆる属性の人びとが集まる新宿における

「たまり場」としての「サードプレイス」があることがわ かった。

また、社会構造が変化し、都市が姿を変える際、同様に

「サードプレイス」も姿を変えることがわかった。

2章では、1970〜80年代の渋谷を対象地とし、同様に考 察を行った。

その結果、私鉄西武系パルコの渋谷における空間戦略に より、当時の渋谷の来街客にとって、「街そのもの」が サードプレイスであるということがわかり、1章での新 宿における「点」としてのサードプレイスに対して、

「面」としてのサードプレイスのあり方があったことがわ かった。

3章では、1990年代の秋葉原を対象地とし、同様に考察 を行った。

その結果、官・民の両者とも異なる「個人の趣味」を契 機とした都市形成を遂げた「趣都 秋葉原」においては、

オタクにおいて、本来サードプレイスがファーストプレ イスに内包されている、という構造を持っていたのに対 して、秋葉原が「趣都」として「サードプレイス」の役 割を果たしていることがわかった。

また、そこでは趣味を媒介とした「つながり」というキ ーワードを得て、4章に続けた。

4章では、現代のサードプレイスについて考察した。

以上より、都市空間における「サードプレイス」は人 びとのライフスタイルや、ジェンダー・ジェネレーショ ンと深く結びついているだけではなく、都市と密接に結 びつき、「点」から「都市」までの形態を持つことが明 らかになった。

謝辞:今回の研究に際して、研究の蓄積を残してくださ った研究室の先輩方、その他多くの関係者の方々や研究 室で共に研究に励んでくれた友人へ感謝申し上げます。

そして何より、研究のテーマに対して熱心にご指導して くださった主査の陳内教授や副査である高村教授、北山 教授には特別な感謝を申し上げます。

参考文献

1)レイ・オルデンバーグ(著),忠平美幸(訳):サー ドプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心 地のよい場所」

2)陳内秀信:東京の空間人類学,ちくま学芸文庫,1992 3)磯村英一:都市社会学研究, 有斐閣,1959

4)松澤光雄:繁華街を歩く 東京編 繁華街の構造分析 と特性研究, 綜合ユニコム,1986

5)吉見俊哉:都市のドラマトゥルギー 東京の盛り場の 社会史,弘文堂,1987

6)森川嘉一郎:趣都の誕生 萌える都市アキハバラ,幻冬 舎.2003

7)日本建築学会編:まちの居場所 まちの居場所をみつけ る/つくる,東洋書店,2010

参照

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