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■ ■ ■ 欄 国 凰 阻 ゴ 中

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(1)

■ ■ ■ 欄 国 凰 阻 ゴ 中

第 1図

 

昭和57年

 

平城宮跡発掘調査地一覧 平城宮内調査地一覧

  調 面積π      担 当 者

第 139次

第 140次

第 143次 143補

第 146次 141

24次 141

30 141 11 141 34 141 38

内裏北外郭東北部

6AAA・B 推定第一次朝堂院地区

6ABH・ I・U

南面大垣 朱雀門西 6ABY

    若犬養門西

6ACU

第一次朝集殿推定地

6ABJ・K・W

第二次 内裏北方官術地区

6AAN

北面大垣  6AAA

佐紀町字水上1193 宮北辺   6AGU

佐紀町3535

    6AGU

佐紀町3046

    6AGU

山陵町古所33

‑8

3800

5600

810

75

3100

7

113 135

5

102

82 3 29‑7 12 82 8 19‑

'83 1 13 82 7 7〜 820 83 2 14‑2 21 82 12 7‐

'33 5 2 82 11 4‐Wl1 8 82 12 14〜

1216

82 7 1

83 3 8

83 3 29

今川徳治 佐紀町水 利 組 合 西 口弘一

城田依則

山本義晴

佐藤  巽淳一郎 岩永省三 今泉隆雄 松井  杉山  清田善樹

金子裕之

千田剛道

 郁夫  郁夫

(2)

内裏 北 外 郭 東 北 部 の調 査 第

139次

調 査 区 は平 城 宮 内 裏 の東 北 部 、 内裏 北 外 郭 の 東 北 隅 をふ くむ地 区 で 、南 は1963 年 の 第 13次 調 査 区 、北 は1981年の第 129次調 査 区 に接 す る。 第13次調 査 で は 内 裏 北 外 郭 東 部 の官衝 建 物 群 とそ の東 を 限 る築 地 を検 出 し

(『

平 城 宮 発 掘 調 査 報 告 』

Ⅷ)、 ま た第 129次調 査 で は宮 北 面 大 垣 の す ぐ南 側 に 整 然 と配 置 され た 官 衡 建 物 群 と内 裏 東 方 を南 流 す る幹 線 排 水 路

SD 2700(東

大 溝

)の

北 端 部 な どを検 出 した (『昭和56年度平城宮跡発掘調査部発掘調査概 報』)。 な お

SD 2700は

古 く

1928032

年 の奈 良 県 技 師 岸 熊 吉 氏 に よ る調 査 (『奈良県史蹟名勝天然記念物調査報告』12・ 13) や 、南 方 の第21次調 査

(1964〜 65年 )(『

奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 年 報 』1965) で も確 認 して い る。 今 回 の 調 査 で は 、 内裏 北 外 郭 東 北 隅 お よ び

SD2700を

確 認 す る と と もに 内 裏 北 外 郭 東 北 部 の 性 格 を 明 らか にす る こ とを 目的 と した 。

な お 、発 掘 面 積 は3,800 Ef、 調 査期 間 は 1982年 3月 29日か ら 7月 12日 までで ある。

  

調 査 地 は 内 裏 の 占地 す る南 へ の び る丘 陵 の東 斜 面 に位 置 し、 宮 造 営 に と もな い 大 規 模 な 整 地 を 行 な って い る。 土 層 は 旧耕 土・ 床 土 (20〜40 cm)の 下 に灰 褐 色 砂 質 土 、 黄 灰 褐 色 粘 質 土 な どが あ り、現 地 表 下 40〜 120 cmで 黄 褐 色 粘 質 土 の地 山 と な る。 傾 斜 す る地 形 に応 じ、 西 方 の地 山 を 削 って 東 方 に盛 土 整 地 して お り、主 な 遺 構 は この 整 地 上 (黄灰 褐 色 粘 質 土

)お

よ び地 山面 で 検 出 した 。 な お調 査 区 西 方 に は前 方 後 円墳 市 庭 古 墳 が あ り、 整 地 上 中 に は 円筒 埴 輪 片 が ふ くま れ て い た 。

今 回検 出 した主 な遺 構 は掘 立 柱建 物

8棟

、 築 地

2条

、 掘 立 柱 塀

3条

、 溝 13条 、

土 娯 10基 な どで あ る。 遺 構 の 重 複 関 係 は あ ま りみ られ な か った の で、 以下 内裏 北 外 郭 部 、 北外 郭 北 部 、南 北 大 溝SD 2700、

SD 2700以

東 に地 区 を 分 けて 各 地 区 ご

との 遺 構 の状 況 をみ る。

内 裏北 外 郭 地 区

 

南 北 築 地

SA 705と

東 西 築 地

SA 10500の

交 わ る内裏 外 郭 東 北 隅 を検 出 した 。

SA 705は

築 地 基 底 部 の 版 築 (最 高20 cm)お よ び西 側 の築 地 寄 柱 柱 穴 列 を検 出 した 。 寄 柱 の 柱 間 は10尺等 間 で あ るが 、 東 側 の 寄 柱 柱 穴 列 は削 平 の

‑1‑

(3)

た め 検 出 で き な か った 。

SA 10500は

基 礎 地 業 の 版 築 を わ ず か に残 す の み で 、 寄 柱 の もの と思 わ れ る柱 穴 が 南 北 1個ず つ み られ た 。 これ らの 築 地 に よ る区 画 の 内 狽1には宮 造 営 後 の 整 地 層 と思 わ れ る炭 混 り茶 褐 色 上 の 層 が あ り、 軒 瓦

(6311‑

6664D・ F、 6313‑6685、 6225‑6663型式 の 組 合 せ が 多 い

)を

五ゝくむ 多数 の瓦 や 凝 灰 岩 切 石 片 が 出 上 した 。

宮 造 営 前 の 遺 構 と して 、 内裏 外 郭 内 か らそ の 北 方 に か けて

8基

の焼土 壊

S K10 504〜

10511を検 出 した。 これ らの 土墳 は平 面 が 長 さ 1.2m、 幅

0.8mほ

どの 隅 丸 長 方 形 で 、 深 さ は15 cm前後 残 る。 粘 上 を貼 った 壁 面 は焼 け 、 壁 面 に沿 って 炭 ・ 灰 が つ ま って い た 。土 壊 周 辺 部 に は土 壊 内 よ りか き 出 した炭・ 灰 の 薄 層 がみ られ、

そ の 上 を 宮 造 営 時 の 整 地 上 が 覆 って い た。 出 土 遺 物 は無 く、 用 途 0性格 は不 明 で あ る。 な お 同 様 の焼 土 墳 を第 13次 ・ 第 129次調 査 で も検 出 して い る。

内裏 北 外 郭 北 方

 

調 査 区 北 端 部 で は 、第 129次調 査 で 検 出 した官 衡 建 物 群 の南 を 限 る施 設 が 明 らか に な った 。 東 西 溝SD 9797と 、 そ の 北 の 掘 立 柱 の 棟 門SB 9810 A・

Bで

あ り、 門

SB 9810A B Bの

棟 通 りの 東 延 長 上 に は後 述 の よ うにSD 2700 に木 樋 暗渠 施 設

SX 10560が

あ る こ とか ら、

SB 9810A D Bを

は さん で 東 西 に走 る築 地 が 存 在 した 可 能 性 が あ る。 築 地 を この 位 置 に想 定 す る と、 南 の 内裏 外 郭 の 北 面 築 地 心 との 距 離 は

54m(180尺 )を

測 る こ とに な る。

この 北 端 の遺 構 と南 の 内裏 北外 郭 との 間 の 遺 構 と して は、 まず 宮 造 営 前 の遺 構 と して

SK 10582・ SX 10575・ SX 10588,SD 10578が

あ る。土 墳SK 10582 は平 面 が 長 さ 1.5m、 幅

0.8mの

隅 丸 長 方 形 で 、 深 さ は25 cmま で 残 る。 底 に

7世

紀後 半 の上 師器 杯 を 埋 置 して お り、 土墳 墓 と考 え られ る。SX 10575・ SX 10588 は宮 造 営 に 際 して 埋 め た て られ た 旧地 形 の地 山 の 凹 み 、

 SD 10578は

東 南 に流 れ

る斜 行 溝 で あ る。 平 城 宮 時 代 の 遺 構 と して は 、SB 10565・ SX 10580 0 SB 10590 が あ る。

SB 10565は

桁 行

5間

以 上・ 果 間 2間以 上 の 南 北 棟 の 掘 立 柱 建 物 で 、 柱 間 は桁 行 が

7尺

(北 端 の み6尺)、 梁 間 が

6尺

を 測 る。

SX 10580は

1本柱 の 掘 立 柱 掘 形 で 径40cmの柱 根 が 遺 存 す るが 、性 格 は不 詳 で あ る。

SB 10590は

桁 行 2 間 D梁 1間 の小 規 模 な東 西 棟 掘 立 柱建 物 で 、柱 間 は桁 行

6尺

・ 梁 間

8尺

。 柱 の

‑2‑

(4)

規 模 か ら、第 129次調 査 で 平 安 時代 初 め 頃 に比 定 した小 規 模 建 物 群 と一 連 の もの と推 定 さ れ る。北 端 の 東 西 溝SD 9797と 内裏 外 郭 北 面 築 地

SA 10500の

間 に は上 記 の 遺 構 の ほ か に は顕 著 な 遺 構 はな く、 広 場 的 な空 間

SH 10570で

あ った と思 わ

れ る。

南 北 大 溝

SD 2700 SD 2700は

上 幅 2.Om・ 底 幅0。

9m.深

1.4mの

規 模 で 、

人 頭 大 の 玉 石 (三 笠 安 山岩

)を 6〜 7段

積 ん で 護 岸 と した 石 組 溝 で あ る

b満

の 築 成 順 序 と して は 、 まず 断 面

V字

形 の 素 掘 りの 溝 (掘

)を

掘 り、 最 下 層 に礫 混 り 灰 色 砂 の堆 積 (約30 cm)を経 た の ち、 粘 質 上 を裏 ごめ と しな が ら人 頭 大 の玉 石 を 積 み 上 げ石 組 溝 と して 完 成 して い る。SD 2700の 堆 積 層 は 石 組 の 底 面 か ら上 が さ らに

5層

に分 け られ 、 そ の最 下層 か ら養 老

7〜

天 平

4(723〜 732)年

、 下 か ら

2層

め に神 亀

3〜

天 平

9(726〜 737)年

4層

め に天 平 宝 字

4〜

6(760〜 762) 年 の 紀 年 木 簡 が 出上 して お り、最上 層 か らは「 天 応 」 (781〜

2年 )の

銘 を もつ 墨 書 土 器 が 出土 した 。SD 2700が奈 良 時 代 を 通 じて 順 次 埋 ま って い った こ とが 知 られ るの で あ る。 このSD 2700の 中 に、 北 か らSX 10560・ Sx 10556 D SX10555

0 SX 10535の諸 施 設 を検 出 した 。

SX lo560は

全 長 5.6m・ 外 径0.5m・ 内 径 0.3

mの

断 面

U字

形 の一 木 の 木 樋 で あ る。 側 部 の上 面 に は雇 い柄 の 柄 穴 が 南 北 3箇所 あ る ので 、 上 に蓋 が か ぶ る暗渠 で あ った こ とが わ か る。木 樋 の東 西 のSD 2700岸

第 2図

 

東大溝SD 2700 南から 3図 大樋S X 10560 北から

‑3‑

(5)

際 に は相 対 す る

4本

の 柱 根 が 残 って お り、 木 樋 暗 渠 の 上 にSD 2700を 横 断 す る何 らか の 構 造 物 が 設 け られ た こ とを 推 測 で き る。 この 木 樋 はSD 27001こ土 層 が

3層

堆 積 した の ち に築 かれ た もの で あ る。

SX 10556は

木 杭 を 打 ち 込 ん で 横 板 (残 存 最 大 長

27m・

02m・

厚 さ

0.15m)を

とめ た護 岸 施 設 で 、SD 2700を わ た る 橋 が あ った可 能 性 もあ る。 た だ し この 遺 構 はSD 2700が ほ とん ど埋 ま った 時 期 の もの で あ る。

SX 10555は

SD 2700の 溝 底 を一 段 低 く下 げて 玉 石 を 敷 き つ め た 石 敷 施 設 。 この 部 分 の み 護 岸 石 組 の 積 み上 げ方 も技 法 が 他 と異 な り、 ま た 底 を下 げ て い る こ とか ら、 すべ て の 石 組 に先 だ って この 石 敷 施 設 が 築 か れ た こ とに な る。

この

SX 10555の

す ぐ北 側 でSD 2700の 護 岸 石 組 は終 わ り、 そ れ 以 北 は北 方 の第 129次調 査 区 を ふ くめ てSD 27001ま素 掘 りの ま ま で あ る。

SX 10535は SD2700

3層

ほ ど埋 ま った 時 点 で 設 け られ た堰 で あ る。 先端 を尖 らせ た径 5 cmの杭 を7 本 東 西 に打 ち込 ん で い た 。 この堰 にせ き とめ られ た よ うに遺 物 が 出 土 してい る。

な お 、 今 回発 掘 したSD 2700の 範 囲 に 、

1928032年

の岸 熊 吉 氏 に よ る ト レ ンチが 3箇所 み られ た 。 調 査 区 南 部 で 護 岸 の玉 石 が 抜 き取 られ て い る部 分 は そ の一つ で あ る。

S D 2700以

 

調 査 区 北 端 でSD 2700の 東 に接 続 す る東 西 溝

SD 10550を

検 出 した 。

SD 10550は

上 幅

2.7mD底

1.0・深 さ1.7mの素 掘 りの 溝 で あ る。堆 積 は

SD

2700と はぼ 同 じで あ り、下 層 の

2層

か ら天 平 元

(729)年

・ 天 平

6(734)年

の紀 年 木 簡 、 最 上 層 か ら「 天 応 元 年 」 (781年

)の

墨書 土 器 が 出 上 した 。

SD 10550の

位 置 は北 の官衛 ブ ロ ックの南 を 限 る東西 溝SD 9797と 軸 を あわせて お り、 またS

D2700に

並 ぶ規 模 で もあ って 、 この地 区 の区 画割 りを決 め る基 本 的 な東 西 溝 と いえ よ う。

東 に一部 拡 張 した調 査 区 にお い て は、掘 立柱 建物

4棟

・ 掘立柱塀

2条

を検 出 し た。

sB 10540は

一 辺

lm強

の方 形柱掘形 を もつ南北棟掘立柱建物 で 、柱 間

9尺

で桁行

3間

以上 。妻 の部分 は検 出で きな か ったが 、柱 間

9尺

とす る と梁 間2間 と な る。 この

SB 10540の

柱掘 形 を切 って掘 立柱建物 SB 10541・

SB 10542が

建 てられている。

 SB 10541は

桁行

2間

以上 (柱 間

9尺

)・ 果 間

2間

(柱間 9.5尺 )

‑4‑

(6)

SK105820

0

9

SH10570

SK10509

SA705

E100

第 4図

 

内裏北外郭東北部発掘遺構図

(7)

の南 北 棟 で 、南 妻 を検 出 した 。 ま た

SB 10542も

南 北 棟 建 物 で 、

 

桁 行

2間

以 上 (柱 間10尺 )・ 果 間2間 (柱 間9尺

)で

ぁ り、 南 妻 を検 出 した 。

 SB 10541・

S

B10542の

新 旧関 係 は 今 回 の 調 査 区 内 で は 判 明 しな い。

 SA 10538は

上 記 の南 北 棟 建 物 の西 を 画 す る掘 立 柱 南 北 塀 で 、柱 間 は

7尺

を 測 る。 小 規 模 な 掘 立 柱 建 物S

B10544と

掘 立 柱 南 北 塀

SA 10539は

奈 良 時 代 以 降 の もの と考 え られ る。 調 査 区 北 部 の

SX 10554は

単 独 の掘 立 柱 掘 形 で 、 西 方 の

SX 10580と

似 て い るが 、 同 じ

Jl■格 不 詳 で あ る。

  

SD 2700・

SD 10550を

中 心 と して 木 簡 。瓦・ 土 器・ 木 製 品・ 金 属 製 品 が 多 数 出土 した。 ま た 内裏 北 外 郭 地 区 か らは大 量 の 瓦・ 土 器 が 出 上 した 。

木 簡

 

計 258点で 、

SD 2700か

ら194点、

SD 10550か

ら63点、

SD 10545か

1点

出上 して い る。SD 2700に

SD 10550が

と りつ く付 近 か ら特 に多 量 の木 簡 が 出土 した。 両 溝 か らは 養 老

7(723)年

か ら天 平 宝 字

6(762)年

ま で の 紀 年 木 簡 が 23点 出上 した。 木 簡 の特 徴 と して は 、(1)紀年 木 簡 が堆 積 の順 に み られ ること、

12)隠伎 国 の荷 札 木 簡 が 集 中 す る (15点

)こ

と、

0新

し く税 目 (正 丁 作 物

)ゃ

簡 製 作 法 が 知 られ る例 が あ る こ と、(4)削 屑 が 少 な い こ とな どが あ げ られ る。 以 下 主 な釈 文 を か か げて お く

(1〜

4は SD 2700、 5は SD 10550出 土)。

入 力〕

歳 後 天 恩 母 倉 □ □ □ □

1.・

・ 「 □ □ □ □

 

次 □ □ □ □ □ 」

20駿

河 國 志 太 郡 正 丁 作 物 布 乃 里 一 籠

D    

天 平 勝賓 六 年 十 月

3  隠伎國海部郡籍磨饗早雲髪砦率□

4・

 

参 河 國 播 豆 郡 大 御 米 五 斗

/トカ〕

。「 □ □ □

 

ロ マ ロ 鳴 □ □ 」(側面、天地逆)

頼 肝 二 具

 

出 上 した 軒 瓦 は軒 丸 瓦

252点

、 軒 平 瓦

214点

の 計

466点

に お よ ぶ 。 そ の う ち255点が 内 裏 北 外 郭 地 区 か ら出 土 して お り、 平 城 宮 軒 瓦 編 年 第 Ⅱ 期 (養老 5年

‑6

333× 18×

10 0H型

(148)×

14×

3 019型

式 156× 32×

7 031型

135× 15×

4 031型

式 65× 21×

5 032型

(8)

〜天 平17年

)の 6311‑6664D・ F型

式 、

6313‑6685型

式 、第 Ⅲ期 (天17

年 〜天 平 勝 宝 年 間

)の 6225‑6663型

式 の セ ッ トが 多 くを 占め る。SD 2700か ら は 179点の 軒 瓦 が 出土 した。 ま た珍 しい鳳 凰 紋 の もの をおゝくめ鬼瓦 が

3点

出土 し て い る。 な お 内裏 北 外 郭 地 区 か らは凝 灰 岩 切 片 も多 数 出上 した。

土 器

 SD 2700 a sD 10550を

中心 に土 師 器・ 須 恵 器 が大 量 に 出上 した 。 ま た 円 面硯・ 転 用 硯・ 土 馬 な ど も出 土 して い る。 上 器 の 中 に は約 130点余 の 墨 書 土 器 が

〔女需力〕

ふ くま れ 、 墨書 銘 と して は「 大 膳 」 「 内 薬 □ 」「 官 」 「 人 給 所 」「 □ □ 厨 」 な ど 官 司 関 係 の もの 、「 天 応 元 年 」 「 天 応 」 とい った 年 紀 、「 烏 膏 」「 酒 」 「 菓 」 な どの物 品 名 の ほ か 、「 供 養 」 「上 番 」「 真 勝 」 な どが 認 め られ る。 な お 内裏 北 外 郭 地 区 か らは 「 中 宮 安

 

中宮 」 とい う墨書 土 器 が 出上 した 。

木 製 品

 

人 形・ 削 り掛 け 。刀 形 な どの祭 祀 具 、 曲物・ 折 敷・ 飾 鋲 付 漆 塗 木櫃 片 な どの 容 器 類 の ほか 、 木 彫 面 (表 紙 参 照

)ゃ

「 ⑮ 」 の 陰 刻 文 を もつ 木 印 、 糸 巻 き・

工 具 柄 D杓子・ 横 櫛・ 木 針・ 桧 扇 な どが 主 と してSD 2700か ら出土 した 。 金 属 製 品

 

和 同 開 弥 16点 ・ 万 年 通 宝

4点

・ 神 功 開 宝 13点 、 寛 永 通 宝

4点

な どの銭 貨 の ほ か 、 金 銅 製 垂 飾・ 金 銅 製 飾 鋲・ 帯 金 具 (丸

3点

。巡方 3点)・ 鉄 釘28点 な どが SD 2700を 中心 に 出土 して い る。

 

 

今 回 の 調 査 に よ り、 内裏 北 外 郭 東 北 部 の様 相 を か な り明確 にす る こ とが で きた。

ま ず 、 築 地 に 囲 ま れ た 内裏 北 外 郭 の東 北 隅 を確 認 した 。 内裏 外 郭 の北 面 築 地 の検 出 は は じめ て で あ り、 これ に よ り内裏 外 郭 の規 模 が 明 らか とな った 。 す なわち、

内 裏 外 郭 の 南 北 距 離 は ほ ぼ

1260尺

とな る こ とが 判 明 した が 、 これ は築 地 回 廊 に 囲 ま れ た 内裏 内 郭 の南 北 距 離

630尺

2倍

に あ た る。 次 に 、 平 城 宮 東 部 の幹 線 排 水 路 で あ る南 北 大 溝SD 2700を

90mに

わ た って検 出 し、 そ の規 模 と構 造 を 明 らか に す る と と も に豊 富 な遺 物 を得 る こ とが で き た。 ま た 、 新 た にSD 2700に つ な が る東 西 溝

SD 10550を

検 出 し、 この 地 区 の 区 画 割 りに 関 して 新 知 見 を得 た 。 そ し て 、 内 裏 北 外 郭 の北 、 第

129次

調 査 で 知 られ た官 衛 建 物 群 との 間 が 、 南 北 180尺

にわ た る広 場 的 空 間

SH 10570で

あ った こ とが 明 らか にな った 。

‑7‑

(9)

南 面 大 垣 一 朱 雀 門 西 ― の調 査

 

143次

調 査 地 は朱 雀 門跡 の 西 方 の 南 面 大 垣 で あ る。 これ まで 南 面 大 垣 につ いて は、 第14

16・ 32・

1220130・ 133次

6次

の発 掘 調 査 を行 な い、 掘 込 地 業 を行 った 基 底 幅

9尺

の築 地 塀 で あ る こ とが 明 らか にな って い る。 今 回 の調 査地 は、 第 16次 調 査 区 と一 部 重 複 して そ の 西 に 当 り、 ま た朱 雀 門 を 中心 と して 第 130次調 査 区 と 東 西 対 称 の 位 置 に あ る。 この 調 査 は、 同地 の南 面 大 垣 復 原整 備 に 先 だ つ もので 、 大 垣 に 関 す る詳 しい 資 料 を得 る こ と、 遺 構 の 残 存 状 況 を確 認 し、 さ らに朱 雀 門 近 辺 の条 坊 遺 構 を確 か め る こ とを 目的 と した。

調 査 区 は、 東 西 用 水 路 を 間 に して 北 区 D南区 の二 区 を設 けた 。 北 区 は南 北

9m

東 西

50mで

、 大 垣 の 検 出 の た め に 設 け た。 南 区 は大 垣 の嬬 地 の状 況 の把 握 の た め に、 南 北

6m、

東 西

52mの

トレ ンチを 設 け 、 さ らに二 条 大 路 北 側 溝 と朱 雀 大 路 西 側 溝 との 交 点 の確 認 の た め に 、

 

ト レンチ東 端 で 南 へ鍵 の 手 に の び る東 西5m、 南 北

9mの

拡 張 区 を 設 定 した 。 発 掘 総 面 積 は約

810だ

で あ る。 な お 両 区 と も新 しい 客 土 に よ って 埋 め た て られ て い るが 、 旧表 土 面 で は、 北 区 が 南 区 よ り50 cm高い。

北 区

 

旧表 上 下 約40 cllが奈 良 時 代 の 遺 構 面 で あ る。 南 面 大 垣 、大垣構築に伴 な う堰 板 を据 え る た め の溝・ 添 柱 列 、 東 西 溝

2条

な どを検 出 した。 南 面 大 垣 SA 12001ま

調 査 区 南 辺 に 東 西

50m分

を 検 出 した。 調 査 区 南 辺 に接 して 走 る用 水 路 に よ って そ の南 辺 が 破 壊 され 、 幅 ■

5〜

2.Om、 高 さ50 cmの基 底 部 が 遺 存 す る。 他 の 調 査 区 の南 面 大 垣 とは異 な って 、 掘 込 地 業 は確 認 で き な か った 。 地 山 の上 に、

3〜

5 層 (厚 さ30〜 50 cm)の 整地 を 行 な い、 そ の 上 に築 地 を築 く。 築 地 は厚 い 層 (15〜

20 cm)と 薄 い層

(2〜

4 cm)と の 互 層 の 版 築 で あ る。 大垣 基 底 部 の 北裾 を東 西 に 走 る溝 状 遺 構 SX 10960、 そ れ に北接 す る東 西 柱 列 SS 10959 0 10961、 さ らに そ の北 側 に東 西 溝

SD 10958を

検 出 した 。 これ らは いず れ も整 地 層 か ら掘 り こま れ 、 築 地 の 構 築 に伴 な う もの と考 え る。

SX 10960は

幅 15〜40 cm、 深 さ20 cmの溝 状 の遺 構 で あ るが 、 水 流 の痕 跡 は な くす ぐに 埋 め も ど され て い る。 西 半

26mの

範 囲 で 検 出 し、 東 半 で は 、 後 述 す る拡 幅 の 築 上 に お おわ れ て い るの で 断 ち割 り調 査

‑8‑

(10)

第 5図

 

南面大垣地区発掘遺構図

(11)

で 確 認 した 。

 SS 10959は Sx 10960に

北 接 す る東 西 柱 列 で 、 調 査 区 西 端 で

4個

東 端 で

4個

の 計

8個

を検 出 した 。 柱 穴 は 直 径40 cmほ どの 円形 の 掘 形 で 、 柱 間 間 隔 は不 揃 い で 、 50〜

150cmo SS 10959は

、第 130次調 査 で も検 出 した 築 地 構 築 時 の堰 板 を押 え る添 柱 列 で 、

 SX 10960は

堰 板 を据 え るた め の 溝 (堰 板 溝 と仮 称 す る

)と

考 え る。 堰 板 満 の検 出 は今 回 が 初 め て で あ る。 築 地 南 辺 は全 体 にわ た って 破 壊 され て い るが 、

 SX 10960が

築 地 基 底 部 の 北 辺 に 当 るか ら、 これ ま で の調 査 に よ る基底 幅

9尺

と して 、 大 垣 築 地 の位 置 を復 原で き る。

東 半

24mの

範 囲で は、 基 底 部 北 裾 に最 大 幅60 cmの暗黄 色 粘 上 の 堅 固 な 築 土 を検 出 した 。 これ は

Sx 10960 D SS 10959を

お お って い るの で 、 後 に築 地 を拡 幅 し た築 土 と考 え る。 この 築 土 の 北 に接 して 東 西 柱 列

SS 10961を

検 出 した が 、 これ は拡 幅 の 際 の堰 板 の 添 柱 柱 列 で あ ろ う。

 SD 10958は

 sx 10960か

ら北

1.8m

(溝心 々 距 離

)に

位 置 す る東 西 溝 で 、 調 査 区 東 端 で6m、 西 端 で

3mの

範 囲 で 検 出 した 。 深 さ50〜60 clllで、 幅 は一 定 せ ず 0.8〜 1.4mで ぁ る。水 流 の痕 跡 は み られ ず 、 築 地 築 上 と同 類 の上 で 埋 め た て られ て お り、 築 地 の雨 落 溝 とは考 え に くい。

そ の機 能 は は っき り しな い が 、 同溝 を境 に して南・ 北 で 整 地 層 に相 違 の み られ る こ とか ら、 築 地 構 築 に伴 な う溝 状 の掘 り こみで は な いか と推定 す る。 な お第 130 次 調 査 で も、 掘 り こみ 面 が 地 山 面 で あ る とい う相 違 は あ るが 、 ほぼ 同 位 置 に東 西 溝

SD 9487を

検 出 した。築 地 の 寄 柱 は、 従 来 の調 査 と同 じ く検 出 で き な か った 。

SD 1889は SX 10960の

3.2mに

位 置 す る東 西 溝 で 、 幅 1.2〜 1.4m、 深 さ40 cmで あ る。 す で に、第 16次 調 査で も検 出 し、 SA 1200の 北 雨 落 溝 で あ る と と もに 北 に あ る宮 内 道 路 SF 1880の 南 側 溝 に当 る溝 で あ る。

南 区

 

旧表 土 下 約80clllが奈 良 時 代 の 遺 構 面 で あ る。 調 査 区 東 端 の 拡 張 区 に、

T字

状 に接 続 す る東 西 溝SD 1250と 南 北 清

SD 10950を

検 出 した。SD 1250は 南 面 大 垣 中心 か ら

12mに

位 置 す る素 掘 りの 清 で 、 二 条 大 路 北 側 溝 で 、 か つ 宮 の 南 面外 濠 に 当 る。 幅3.4m、 深 さ は60cmで

SD 10950よ

り も20 cmほ ど深 い 。 た だ し、

SD

10950よ り東 へ 伸 び て朱 雀 大 路 を横 断 す る部 分 は、 幅 が

1.6mで

狭 く、 深 さ も30 cmと 浅 くな って い る。 この 状 況 は東 側 の第 130次調 査 で もほ ぼ 同 じで あ る。

SD

‑ 10 ‑

(12)

10950は朱 雀 大 路 西 側 溝 に 当 る。 当 初 幅2.5m、 深 さ40cmの素 掘 り溝 で あ るが 、 の ち に東 岸 を 杭 と細 枝 の しが らみで 護 岸 す る。 しが らみ と岸 の 間 に は 裏 込 めの た め に大 量 の瓦 を つ め こん で い た 。SD 1250・

SD 10950の

堆 積 土 は 同 じで

4層

に わ か れ 、 第

2層

以下 は水 流 に よ る堆 積 上 で 、 第 1層は埋 め た て た 上 で あ る。 た だ SD 1250の 朱 雀 大 路 の 部 分 は埋 上 が異 な り、 他 の 部 分 と埋 め戻 しの時期が異な る。

第 130次 と今 回 の 調 査 に よ って 、 平 城 京 条 坊 制 の 基 点 とな る二 条 大 路 北 測 溝 と 朱 雀 大 路 の 東 。西 側 溝 の交 点 を 確 認 し、 朱 雀 大 路 の 幅 員 が

73.80m(側

溝 心 々距

)で

あ る こ とが 明 らか とな った。 この数 値 は 六条 で 確 認 した 同 幅 員

72mょ

り少 し広 い こ と に な る。

南 区 の 東 西 トレ ンチ部 分 は 、 大 垣 の嬬 地 に 当 り、 大 垣 に近 い北 辺 部 に は

3層

の 整 地 層 が あ り、SD 12501こ向 って 緩 く傾 斜 す る。

遺物 は、 瓦 が 主 にSD 1889と

SD 10950の

しが らみ裏 ごめ か ら大量 に出上 した。

軒 瓦 は ほ ぼ

9割

が 藤 原宮 式 で 、 他 の大 垣 地 区 の 調 査 と同一 の 結 果 で あ る。 ほか に SD 1889か ら太 刀 の鞘 尾 金 具 、SD 10950か ら「 阿 波 国 麻 殖 郡 川 嶋 郷 少 猪 里 」 の庸 米 荷 札 な ど木 簡

2点

や 人 形 が 出 土 した。

ま と め

 

北 区 で は、 南 面 大 垣 が 、 南 辺 を 破 壊 され て い た が 、 比 較 的 良 好 な 状 況 で 遺 存 して い た 。 今 回 新 し く築 地 の構 築 に伴 な う堰 板 溝 を検 出 し、 築 地 の北 端 を確 認 した 。 東 半 で は後 に築 地 幅 を拡 幅 して い る こ とが 明 らか に な った 。 さ らに他 の 調 査 区 とは 異 って 、 掘 り こみ地 業 を 行 な わ な い場 合 もあ るこ とが 明 らか にな った。

南 区 で は、 第 130次調 査 とあ わ せ て 、 朱 雀 大 路 の東 。西 側 溝 が 二 条 大 路 を横 断 して 二 条 大 路 北 側 溝 に接 続 し、 さ らに 同 北 側 溝 が 規 模 を小 さ く しな が らも、朱 雀 大 路 を 横 断 して い る こ とが 明 らか に な った。 そ して 何 よ り も、 条 坊 制 の基 点 とな る朱 雀 大 路 東 。西 側 溝 と二 条 大 路 北 側 溝 の 交 点 を 確 認 し、朱 雀 大 路 の 路 肩 が 明 ら か に な った こ とが 、今 回 の 調 査 の大 き な 成 果 で あ る。

補 足 調 査

 

南 面 大 垣 の 整 備 に伴 う事 前 調 査 。調査地 は南面西 門西の約

80mの

大 垣嬬 地 。 第

133次

調 査 検 出 の 園 池

SG 10240の

排 水 路 の 有 無 を探 る た め発 掘 。 顕 著 な 遺 構 は な く、

 SG 10240の

排水路 は南面西 門西12mの

SD 10250が

唯 一 と判 明 。

‑11‑

(13)

推 定 第 一 次朝 堂 院 地 区 の調 査 第140次

調 査 経 過・ 調 査 目 的

推 定 第 一 次 朝 堂 院地 区 (以下 推 定 を略 す

)の

調 査 は、 昭和 42年 度 以 降 継 続 的 に 進 め て い る。 昭 和 42度 の第41次調 査 、 昭 和 47年 度 の第 77次 調 査 で は 北 面 の様 相 を 明 らか に し、 昭和 51年 度 か ら53年度 に か け て の 第97・

1020■

1次の 各 調 査 で は 東 第 一 堂・ 東 第 二 堂 北 半 部 お よ び東 面 を 画 す 施 設 を検 出 、 昭 和 54年 度 の第 119次 調 査 で 南 門 お よ び南 面 を画 す 施 設 を確 認 し、 昭 和 56年 度 の 第 136次調 査 で は、 こ の 地 区 の 東 南 隅 の様相 を 明 らか に した。 これ らの 調 査結 果 か ら、第 一 次朝 堂 院 の 規 模 は東 西 が 約

214m(720尺

)、 南 北 が 約

284m(960尺 )に

復 原で き る。 今 回 の 調 査 は 、第 111・

136次

の 両 調 査 区 に は さまれ る約

5600ド

の 区画で 、東 第 二 堂 の規 模・ 東 第 二 堂 の南 側 の状 況・ 第 一 次朝 堂 院 と第 二 次朝 堂 院 とには さま れ る地 域 の状 況 な どを 明 らか に す る 目的 で 実 施 した。

地 形 お よ び遺 構 の 概 要

本調 査 区 は、 南 北 に の び る奈 良 山 丘 陵 の

1小

支 丘 の東 南 部 に あ た る。 そ の支 谷 か ら下 った 谷 筋 の堆 積 上 の上 面 に古 墳 時 代 の包 含層 が乗 る。 この包 含 層 の上 面 が 宮 造 営 時 の 地 山 面 で 、 東・ 南 に な だ らか に傾 斜 す る。 調 査 区 に お け る高 低 差 は東 西 方 面 向約40 cm、 南 北 方 向 で 約30cmで、 宮 の造 営 に 際 し整 地 して い る。 整地 後 の 傾 斜 は整 地 上 が大 部 分 後 世 の 削 平 を受 け て お り不 明 で あ る。 す で に第 1■ 次 調 査 まで に大 き くみ て

4層

の 整 地 上 が確 認 さ れて お り、本 調 査 区 で も それ らに対応 す る整 地 上 が あ る。 下 か ら順 に第 1次整 地 〜第

4次

整地 とす る。 第

1次

整 地 は灰 色 砂 礫 上 を主 体 と し、 東 第 二 堂SB 8550の東 に広 が りを もつ 。 第

2次

整 地 は黄 白色 粘 土 を 主 体 とす る。 第

2次

整 地 後 に、 第 一 次 朝 堂 院 の 東 を 画す 塀 SA 5550を作る。

SA 5550の西 側 で は、 第

2次

整 地 層 上 に第

3次

整 地 の 暗灰 色 砂 土 を積 み 、 そ の 上 面 か ら東 第 二 堂SB 8550の 掘 込 地 業を お こな う。 第

4次

整 地 は第 一 次 朝 堂 院廃 絶 後 の もので 、SB 8550と SA 5550の 両 基 壇 に は さ ま れ る窪 み を 、 瓦 片 を多 量 に含 む 暗 灰 色 砂 礫 上 で 埋 め る。

‑12‑―

(14)

本 調 査地 区 の うち南 半 部 は後 世 に削 平 を 受 け第

1次

整地 土 が 部 分 的 に残 るの み で あ り、 上 か ら順 に 旧 耕 土・ 床 土・ 瓦 器 片 を包 含 す るバ ラス層 が あ り、 そ の下 の 古 墳 時 代 遺 物 包 含 層 暗 褐 色 土 層 上 面 で 奈 良 時 代 の 遺 構 を検 出 した 。 北 半 部 で も削 平 を受 けSA 5550の 東 側 に は第 1次整 地 層 の み が 残 る。

横 出 した遺 構 は 、 そ の 重 複 や 配 置 関 係 な どか ら以 下 の

9期

に 区分 で き る。

A期  

1次

整 地 以 前 の時 期 。 古 墳 時 代 の 竪 穴 住 居 跡

5棟

・ 土 拡

2基

D自然 流 路

3条

お よ び宮 造 営 直 前 の 道 路 側 溝 1条が あ る。

SB 10762・

10798010799A・ 10799B・

10803は古墳 時代 の竪穴住 居跡で あ る。

SB 10798は

長 辺

6.6m・

短 辺

5.8mの

矩 形 で 、南 辺 中央 に貯 蔵 穴 を有 す 。

5世

紀 前 半 の 上 器・ 滑 石 製 有 孔 円板 が 出 土 した。

SB 10799 Aは

長 辺

5m・

短 辺

3.8m

の 矩 形 で あ る。

 SB 10799 Bは SB 10799 Aを

ほ ぼ 同位 置 で 建 て 替 え た もの 。 長 辺

5m・

短 辺

4mの

矩 形 で 、

 SB 10798と

同 時 期 。

 SB 10762と SB 10803は

模 不 明 で 土 器 も出上 して い な い が 、 他 の 住 居 跡 と近 い 時 期 で あ ろ う。

土 拡

SK 10811か

らは

5世

紀 末 〜

6世

紀 初 頭 の埴 輪 が 多 量 に 出土 した。 古 墳 の 周 溝 の一 部 の 可 能 性 が あ る。 土 拡

SK 10810か

ら も埴 輪 が 出上 した が 量 は少 な い SD 10797・ 10804・

10805は

古 墳 時 代 の 自然 流 路 で 、

 SD 10805か

らは多 量

の 土 師 器 が 出 上 した。SD 1860は大 和 盆 地 を南 北 に貫 く下 ッ道 の東 側 溝 で 、 幅 約

0.6m・

深 さ約 0.lm。

B期  

第 1次整 地 後 か ら第

2次

整 地 以 前 の時 期 。 第 一 次 朝 堂 院 区 画 の 建 設 前 に あ た り、 溝

1条

・ 塀 1条が あ る。

南 北 溝SD 3765は 、 この時 期 に お け る宮 中 央 部 の 基 幹 排水 路 で あ る。 素 掘 りで 幅 約 1.7m・ 深 さ0.7m。

3層

の堆 積 が 認 め られ た が 、 遺 物 は 出上 しな か った。

S A 5550 B柱掘 形

E 中層濤 S A 5550 A柱 抜取穴

S A 5550 A基

1次整 地

地山      s A5S50A柱掘形 6図

 

調査区北部の整地土 と遺構の関係

S A8410柱掘 形

模 式 図 4次整地 3次整地

壺掘 り地業 布掘 り地業

‑13‑

(15)

南 北 塀 SA 8410は 、sD 3765の東約

17.5mに

位 置 す る柱 掘 形 列 で あ る。 掘 形 の 大 き さは一 様 で な く、1辺 1,0〜

1.6mの

矩 形 で 、

 

間 隔 は約 3m。 26間 分 を検 出

した。 柱 掘 形 に は柱痕 跡 が な く、 掘形 を掘 った 直後 に、埋 め もど した と考 え る。

C期  

2次

整地 後 か ら第

3次

整 地 以 前 の 時 期 。第

2次

整 地 に よ ってSD 3765 0 SA 8410を埋 め 、 南 北 塀 SA 5550 Aをつ く り第 一 次 朝 堂 院 を 区画 し、 東 に南 北 溝 SD 3715を 掘 削 す る。

南 北 塀SA 5550 Aは 第 一 次 朝 堂 院 の東 を 画 す 掘 立 柱 塀 で あ る。 今 回 26間 分 を検 出 し、 過 去 の調 査 分 と合 わ せ て 全 体 の規模 が 96間 と判 明 した。掘 形 の 掘削 は第2 次 整 地 層 上 面 のSA 5550建 設 予 定 位 置 に 、 幅 約 2.2m・ 深 さ約 0.2mの浅 い 溝 を南 北 に掘 り、 掘 形 を 揃 え る 日標 と した の ち行 って い る。掘 形 は長 辺 約

1.6m・

短 辺 約

1.4mの

矩 形 で 、 柱 間 は約

2.96m等

間 で あ る。 柱 を建 て た の ち 、 幅約

4.4m

。高 さ約

0.25mの

基 壇 を構 築 す る。

南 北 溝SD 3715は、SA 5550の東 約17.5mに あ る。第 一 次 朝 堂 院 と第 二 次朝 堂 院 の 間 を流 れ る基幹 排水 路 で 、 SD 3765の付 け替 え で あ る。

2回

の 改 修 の 跡 が あ り 上 層・ 中 層・ 下 層 の

3時

期 に分 れ る。 下 層 溝 は、 西 肩 が 中層 溝 で 切 られ 当 初 の溝 幅 は不 明。 深 さ約 0.6m。 出上 した土 器 は平 城 宮 Ⅲを下 限 と し、 奈 良 時 代 中 頃 ま で 存 続 した。 中層 溝 は、下 層 溝 を埋 め た の ち、下 層 溝 よ り約

1.2m西

に偏 して 掘

削 す る。 西 肩 が 上 層 清 で切 られ当 初 の 溝 幅 は不 明。 深 さ約 0.4m。 出土 土 器 は 平 城 宮

Vを

下 限 と し、 奈 良 時 代 末 ま で 存 続 した 。 上 層 溝 は、 中層 溝 を埋 めた後 に掘 削 す る。 調 査 区 北 辺 部 で は 下 層 溝 とほぼ 同 位 置 だ が 、 それ よ り以 南 で は中層 溝 よ り約

lm西

に偏 す 。 幅 約 1.4〜 2.4m。 深 さ約 0.4m。 平 城 宮 Ⅶ の 上 器 を 出土 し 平 安 時 代 初 頭 まで 存 続 す る。

D期  

3次

整 地 以 降 、奈 良 時 代 末 まで の 時 期で あ る。

D期

の 遺 構 はさ らにDl〜

D4の小 期 に区 分 で き る。た だ し この 期 の遺 構 が 集 中す る調 査 区南 半 は後 世 の削 平 を受 け て お り、 整地 層 を基 準 に した区 分 が 不 可 能 な ため 、 遺 構 の 重 複 関 係や 出土 遺物 に基 づ い て 区 分 した 。

Dl期

 

第 一 次 朝 堂 院 内郭 に第

3次

整地 を お こな い 、東 第 二 堂SB 8550を築 く。

‑14‑―

(16)

東 第 二 堂

SB 8550は

、 礎 石 建 ち東 西 廂 付 南 北 棟 建 物 で あ る。 基 壇 を検 出 した。

基 壇 積 上 が 南 北

40m o東

西

14mの

範 囲 に残 って い る。 基 壇 の 南 辺 部 。西 辺部では、

後 世 の削 平 の た め積 土 は残 って いな いが 、 基 壇 の範 囲 に掘 込 地 業 を行 って い るた め 、 基 壇 規模 は判 明す る。 基 壇 積土 上面 で 礎 石据 付 跡 を検 出 した。 建物 規模 は今 回 桁 行 9間分 検 出 し、 第 102・ 111次 調 査検 出分 を合 わ せ て桁 行 21間 ・ 異 間

4間

と判 明 した。

基 壇 の復 原規 模 は南 北 長 約

97m o東

西 幅 約 18m。 残 存 高 は約

0.5mで

ぁ る。 基 壇 外 装 は残 って お らず 、地 覆 石 に接 して 基 壇 の周 囲 にめ ぐら した礫 敷

SX 10795

が一 部 に残 る。 礎 石 はす べ て 抜 き取 られて い た が、 礎 石据 付 跡 が12ケ 所 あ り柱 間 寸 尺 が わ か る。 柱 間寸 法 は、桁 行 約

4.4m(15尺 )等

間 、 梁 間 約

3.2m(110尺

)

等 間 で 、 桁 行 総 長 が

92.4m(315尺

)、 梁 行 総 長 が

12.9m(44尺 )と

な る。 礎 石 据 付 け手 順 は 、 基 壇 築 成 が あ る程 度 まで 進 ん だ段 階 で 皿 状 に掘 り込 み 、川 原石 を 詰 め て 根 固 め し、 その上 に礎 石 を据 え る。

SD 8555は SB 8550建設 の 際 の足 場 穴 で あ る。 柱 位 置 の 四 周・ 棟 通 り・ 軒 先 に 1辺約40 cmの方 形 の 掘 形 が あ る。 抜 取 穴 は み られ な い 。

この 基 壇 の 掘 込 地業 部 分 は東 西 幅 約

19mで

、 第

3次

整地 層 上 面 よ り掘 り込 む 。 非 常 に複 雑 な工 程 を と って お り、 ま ず 基 壇 の 予 定 範 囲 の うち、 そ の南 端 部 を 除 い た 範 囲 の東 西 両 端 に幅 1〜

2m・

深 さ約 0,4〜

0.5mの

南 北 方 向 の布 掘 りを行 う。

この

2本

の 布 掘 りの間 に深 さ約 0.3〜

0.4mの

東 西 方 向 の布 掘 りを 中 間 を とば して悌 子 状 に行 う。 基 壇 南 端 部 に は、長 さ約19m。 幅 約

3m・

深 さ約

0.4mの

東 西 方 向 の布 掘 りを 行 う。 この布 掘 り と北 接 す る布 掘 り との間 には、 半 月 形 に地 山 を掘 り残 した部 分が東西 に 1つ づつ あるが、 これ はち ょうど柱位 置 にあた る。第 102・ 111次調 査 区で は、東西方 向の布 掘 りの幅が約 2.6m、 布 掘 り間 の間隔 が 約

2mで

一 定 して いたが、本調 査 区では布掘 りの配 置間 隔が北 か ら

4本

目よ り乱

れ て い る。布掘 り施工事 の縄 張 りの誤 りで あ った のか、特別 の事情 が あ ったのか 理 由 は明 らかで ない。 さ らに、 その東西方 向の布掘 りの間 に も、 その両脇 に側柱 と入 側柱

2本

分 を カバ ーす る坪掘 りを行 って い る。坪掘 りの東西 長 は4.7〜 5.4

‑15‑

(17)

mあ

り、南 北 幅 は最 小 の もの で 1.8m、 最 大 の もの で3,lm、 深 さ約

0.4mで

ぁ る。 坪 掘 り地 業・ 布 掘 り地 業 の 位 置 と基 壇 上 面 の 柱 位 置 とは一 致 しな い 。

SX 9015は、SB 8550の掘 込 地 業 の 西 肩 か ら西 約

0.2mに

位 置 す る南 北 方 向 の 杭 列 で 、 間 隔 が 大 小 交 互 に反 復 し、 基 壇 版 築 を行 う時 の堰 板 止 め と考 え られ る。

東 西 溝

SD 10790と

斜 行 溝

10800は

、SB 8550の掘 込 地 業 部 分 か ら出 る溝 で 、 掘 込 工 事 に 際 して 排 水 用 に 掘 った溝 で あ る。 いず れ も軒 先 の 足 場 穴 よ り古 く、 掘 込 地 業 完 了 後 す ぐに埋 め も ど した。

 SD lo790は

幅 約

0,9mD深

さ約

0.9mで

、 SA 5550 Aの基 壇 を切 り、SD 3715下層 溝 に 注 ぐ。 清 底 は

SB 8550の

掘込地業 の 底 面 よ り約

0.4m深

い。

SD 10800は

幅 約 0.6m・ 深 さ約

0,2mで

、 掘 込 地 業 の東 南 隅 か らは じま り、

 SA 5550 Aの

西 雨 落 溝SD 8392に お よ ぶ 。

 SD 10790か

ら 平 城 宮 Iな い し この上 器 が 出上 し、

SD 10800か

ら軒 丸 瓦

6303B型

式 が 出上 した。

南 北 溝 SD 8392は SA 5550 Aの 西 側 雨 落 溝 で 、 第

3次

整 地 面 に あ り、 幅 約0.6 m・ 深 さ約 0。

2mで

ぁ る。

東 西 溝

SD 10701は

、SD 3715か ら西 に分 岐 す る。 幅 約

1.2m・

深 さ約

0,4m

掘 削 後 す ぐ埋 め も どす 。 埋 土 よ り平 城 宮 Ⅱを下 限 とす る土 器 が 出 土 した (第 8図

1)SD 10707に

切 られ 西 方 で の 流 路 は 不 明 。

D2期 東 第 二 堂 に変 化 は な い が 、 東 第 二 堂 の 南 に仮 設 建 物 を建 て 朝 堂 院 を画 す る 塀 に 改 修 を 加 え る。 ま た 、 東 外 郭 に官 衡 を 設 け る。

SA 5550を 改 修 す る。 SA 5550 Aの柱 を 基 壇 上 面 よ り抜 き 取 り、 ほ ぼ 同 位 置 に 掘 立 柱 塀 SA 5550 Bを つ くる。SA 5550 Bは

2.96m等

間 で あ るが 、 柱 掘 形 が 1辺 約

0.7m・

深 さ約

0.6mと

小 さ く仮 設 的 な もの と考 え る。SA 5550 Aの 抜 取 穴 よ り平 城 宮 Ⅲ の上 器 が 出 上 した こ とか らみ て 、SA 5550 Aか らSA 5550 Bへ の 改修 は奈 良 時 代 中 頃 で あ る。

SB 10700は

SB 8550の 基 壇 の す ぐ南 に接 して 建 つ 掘 立 柱 の 二 面 廂 付南 北棟 建 物 で あ る。 桁 行16間約

2.2m(7,5尺

)等間 、 梁 間

4間

2.6m(9尺 )等

間 で 、 SB 8550と 東 側 柱 筋 を 揃 え る。 平 面 規 模 に く らべ て 柱掘 形 が 極 端 に小 さい こ とか

‑16‑

(18)

S B 8550基壇断面図

7図

 

推定第 1次朝堂院地区発掘遺構図

螂鵡欝  布鵜地業

lilli  壷 槻 地 業

m

(19)

らみ て 仮 設 建 物 と考 え る。

 SD 10785は SB 10700の

東 雨 落 溝 で 、 幅 約 0.3m、・ 深 さ約0。

l mo SB 10700の

柱 掘 形 か ら平 城 宮 Ⅲ の土 器 が 出上 し、

 SD 10785か

らは平 城 宮 第 Ⅳ 期 の 軒 平 瓦

6801A型

式 が 出上 した。 したが って 、

 SB 10700の

年 代 は、 奈 良 時 代 中 頃 を 上 限 と し後 半 に及 ぶ 時 期 に収 ま る。

SA9016 D 10801・ 10802は

SB 8550 0 SB 10700の

西 側 に あ る、南 北 方 向 の杭 列 で あ る。 約

4.6m間

隔 で

3条

が 平 行 して 並 び 、 柱 筋 を 揃 え る。 柱 間 は約

2.4m(8尺

)。 南 端 は

SB 10700の

南 妻 と ほぼ 揃 い 、 北 端 は未 確 認 だ が 第 102 次 調 査 区 に もの び 、南 北 長 は

170m以

上 とな る。 平 安 時代 の 絵 巻 物 を も とに考 え る と、 宮 中 で の競 馬 や騎 射 の行 事 に用 い た馬 場 の柵 の 可 能 性 が あ る。

SA 10806 0 10807・ 10808。 10809は

SA 10802の

さ らに西 に位 置 す る南 北 方 向 の杭 列 で あ る。 平 行 して 並 び柱 筋 を ほ ぼ 揃 え るが 、杭 列 間 の 間 隔 は不 揃 いで あ る。SA 9016・ 10801・ 10802と ほぼ 同 じ機 能 を は た した と考 え るが 、 同 時 に 用 い た か ど うか は 、一 部 を 検 出 した の みで あ り断 定 で きな い。

第 一 次 朝 堂 院東 外 郭 に は、 掘 立 柱 建 物

1棟

・ 掘 立 柱 塀

2条

を設 け、 SD 3715か ら西 に 屈 曲 した枝 溝 を 掘 削 す る (第 8図 2)。 SD 3715の 東 側 に も掘 立 柱 建 物 を

3棟

つ くる。

SB 10735は

掘 立 柱 の 東 西 棟 建 物 で 、桁 行

4間

、 約

2.95m(lo尺 )等

間・ 梁 間

2間

2.4m(8尺 )等

間 で あ る。 東 妻 の 柱 掘 形 がSD 3715中層 溝 に 切 られ 、

SD 3715下

層 溝 と併 存 す る。 したが って

D期

以 前 に遡 る可 能 性 もあ る。

SA 10728は SB 10735の

西 約

1.2m(4尺 )に

あ る掘 立 柱 の南 北 塀 で

5間

分 検 出 した。 柱 間 は 約

2.2m(7.5尺 )等

間 。

S A 10731は SA 10782の

西 約

2.4m

(8尺 )に

あ る掘 立 柱 の南 北 塀 で2間分検 出 した。柱 間 は

SA 10728と

同 じ。

SD 10705は

SD 3715か ら西 に枝 分 れ す る東 西 溝 で 、 幅 約 2〜

3mD深

さ約0.5 m。 上 下 層 2層に分 れ 、 下 層 溝

SD 10705 Aは

出 土 土 器 が 平 城 宮 Ⅲ を下 限 とす る

こ とか ら本 期 に属 す 。

SD 10706は SD 10705が

南 へ 折 れ 曲 った南 北 溝 で 、 北 半 は 幅 約

1.2m・

深 さ 約0.5m、 南 半 の 幅 約

2.2m・

深 さ約 0。

9m。

溝 の堆 積 は

3層

に分 か れ 平 城 宮 第

‑17‑

(20)

Ⅲ期 を下 限 とす る軒 瓦

(6225C・ 6691A)が

出土 。

SD 10707は SD 10706が

さ らに西 へ 折 れ た東 西 溝 で 、 幅 約

1.8m・

深 さ約 0.5 m。 出 土 土 器 は平 城 宮 Ⅲを 下 限 とす る。

SD 10325 Aは

第 136次調 査 で は じめ て 検 出 した南 北 溝 で 、 幅 約

3〜 4m・

深 さ約0。

7m。

136次

調 査 域 で は平 城 宮 Ⅳ・

Vの

上 器 を 出 上 し、SD 3715中層 溝 を 切 るの で 、 この 溝 の年 代 を 奈 良 時 代 末 と考 え た が 、 上 記 の

3条

の 溝 との関 連 か

ら平 城 宮 Ⅲ の 時 期 に はす で に存 在 して い た と考 え る。

SD 10702は

幅 約

4m・

深 さ約

0.6mの

東 西 溝 で 、 発 掘 区 東 壁 で そ の 存 在 を確 認 した。 遺 物 は 出上 して い な い が 、 埋 上 がSD 3715中 層 溝 に併 存 す る南 北 塀

SA

10726に切 られ 、 溝 底 の 高 さがSD 3715下 層 溝 と等 しい た め 、SD 3715下 層 溝 と 併 存 す る と考 え る。

SX 10714は SD 10707の

北 側 に あ り、 柱 掘 形 が

3基

、 約 ■

8m(6尺 )間

隔 で 並 ぶ 。 位 置 が

SB 10375の

西 か ら2間目の 正 面 に あ た り、

 SD 10707に

か か る 橋 の可 能 性 も あ る が、 南 岸 に は見 合 う柱 穴 が な い。

D期

の 期 間 中 に

SD 10705 Aを

埋 め ゃ ゃ 南 の 位 置 に

SD 10708を

設 け付 け替 え る (第 8図 3)。

 SD 10708は

幅 約

2mD深

さ約

0.3mの

東 西 溝 で 、SD 10705 A の 埋 土 を 切 る。

SD 10704は

SD 3715を は さん で

SD 10708の

対 岸 に あ る東 西 溝 で 幅 約

3m・

深 さ約0.4m。 発 掘 区東 壁 で そ の存 在 を確 認 した 。 遺 物 は 出 上 して い な いが 、 埋 上 がSD 3715中 層 溝 に併 存 す る南 北 塀

SA 10726に

切 られ、 溝 底 の 高 さがSD 3715下層 溝 と等 しい の でSD 3715下 層 溝 に併 存 す る と考 え る。

SD 3715と これ ら

2本

の東 西 溝 との交 点 の や や 南 に は、 溝底 を横 断 して約

lm

の堰

SX 10703を

置 く。 堰 か ら南

6mの

区 間 の 両 岸 に は堰 と同 幅 の 護 岸 用 側 壁 を 設 け る。

SD 3715東 方 の

SB 10761は

掘 立 柱 建物 で 、 総 柱 な い し北 廂 付 に な る。 東 西 方 向3間 、柱間 約

1.9m(65尺 )等

間 。 南 北 方 向 の 柱 間 は約 ■

8m(6尺

)。

SB 10763は

掘 立 柱 の東 西 棟 建物 で 、 桁 行

5間

2,7m(9尺 )等

間 。

SB 10764は

掘 立 柱 建 物 の 北 側 な い し北 妻 で 、 柱 間 は約

1.8m(6尺

)。

‑18‑

(21)

SB 10763・ SB 10764は SB 10735と

柱 筋 を揃 え 同 時 期 で あ ろ う。

SB10761

SB 10763に

切 られ て い る こ とか らみ て 、

D期

以前 とな る。

SD 10759は

素 掘 りの南 北 溝 で 、 幅

3.2m以

上 、 深 さ約 0,3m。

 

西 岸 に は抗 列

SX 10760を

置 く。 第91次調 査 で 検 出 した南 北 道 路

SF 8950(第

二次内裏西外郭の南 門に通ず

)の

西 側 溝

SD 8947は

 

この溝 の 西方 約

4mに

位 置 して お り、

SD10759

がSF 8950の東 側 溝 の 可 能 性 が あ る。

D3期

 

東 第 二 堂 に変 化 は な いが 、 朝 堂 院 を 画 す 塀 を 改修 す る。 東 外 郭 官 衡 の北 を 画 す 塀 を作 り、 官 衡 内 を 改 造 す る (第 8図 4)。

SA 5550を

再 度 改 修 す る。SA 5550 Bの柱 を 抜 き取 り、 築 地 SA 5550 Cを 作 る SA 5550 Cの盛 土 は、 本 調 査 区 で は厚 さ5 cmほ ど残 る にす ぎ な い。

SD 9173は第 119次調 査 で 検 出 した 南 北 溝 で 、 朝 堂 院南 門SB 9200の 基 壇 東 側 に達 す 。 幅

1.5mD深

さ約0。

lm。

SD 10400は

第 136次調 査 で 検 出 した南 北 溝 で 掘 削 年 代 は不 明で あ る。 第 一 次 大 極 殿 院 の東 隣SB 7802の東 妻 と位 置 が ほ ぼ一 致 し、

C期

な い し

D期

に遡 る可 能 性 もあ るが 、 平 城 宮 Ⅳ・

Vの

土 器 を 出土 した こ とか らみて

D期

に 埋 め て い る。

朝 堂 院外 郭 の

SA 10750は

掘 立 柱 の東 西 塀 で

8間

分 検 出 した 。 柱 間 は約

2.2m (75尺 )等

間 。 SB 8550の基 壇 南 縁 と ほ ぼ 同位 置 に あ る。 西 端 はSA 5550に 接 し、 東 端 はSD 3715東 岸 に及 ぶ 。 柱 掘 形 がSD 3715下 層 溝 の埋 上 を 切 り、 上 層 溝 に切 られ て い る の で 、 中層 溝 と併 存 す る。

SX 10733は SA 10750と

SD 3715中 層 溝 との 交 点 のす ぐ南 に接 して 作 られ た

嘘F 1 2 細

=ど

]│卜

4

﹁紡 4 

陣  聰 剛

3  第一次 朝堂院東

‑19‑

(22)

施設 で 、 東 西 両 岸 に 長 さ

1.5mに

わ た り凝 灰 岩 を並 べ る。 石 列 の 間 隔 は0.8m。

暗 渠 の 可 能性 が あ る。

SB 10730は

掘立 柱 の 東 西 棟 建 物 。 桁 行 5間約

2.2m(75尺 )等

間 、梁 間2

1.9m(65尺 )等

間 で 棟 通 りに床 束 が あ って 床 張 り。

 SA 10750と

柱筋 を 揃 え 、 約

15m(50尺 )離

れ る。

SA 10729は

掘 立 柱 の 南 北 塀 で 、

 SA 10750と SA 10730を

つ な ぐ。

5間

あ り

柱 間 は 約

3m(lo尺

)等間。

SA 10715・ SA 10732は

SA 5550の す ぐ東 に あ る掘 立 柱 の 南 北 塀 で 、 と もに3 間 分 あ り中 間

4間

分 が あ く。 柱 間 は 約

3m(lo尺 )等

間 。 SA 5550 Aの柱 抜 取 穴

を切 り、SA 5550 cと 併 存 す る。

SA 10726は

SD 3715中 層 構 の 東 岸 に あ る掘 立 柱 の南 北 塀 で 北 端 は

SA 10750

に接 す 。14間分 検 出 した が 、 南 端 は土 拡

SK 10713に

切 られ 不 明 。 柱 間 は 不 揃 い で 約 1.6〜 2.6m。

SD 10705 Bは SD 10705 Aを

西 方 に延 長 した素 掘 りの 東 西 溝 で 、SD 3715中 層 と一 連 の もの。 幅 約

2.5m・

深 さ約0.4m。 平 城 宮 Ⅳ

DVの

土 器 と平 城 宮 第 Ⅲ 期 の軒 瓦

(6225A・ 6663 C D 6732 C)が

出 土 。

SX 10710は SD 10705 Bに

か か る橋 で 、 桁 行 1間 。異 間 2間・ 柱 間 は桁 行 が 約 2.lm、 梁 間 が 約 1.7m。 橋 の 中心 は

SB 10730の

東 か ら

3本

目 の柱 筋 に揃 え SA 5550と

SA 10726の

中 間 に位 置 す る。 柱 痕 跡 よ り平 城 宮 第 Ⅲ 期 の 軒 瓦(6133

6282 Bb)が

出土 。

SD 10325 Bは SD 10325 Aを

北 に延 長 した 素 掘 りの南 北 溝 で 、 幅 約 2.4〜 5 m・ 深 さ約0.5m。

4層

に 分 れ る。 平 城 宮

Vを

下 限 とす る土 器 が 出土 。

SD 10712は

素 掘 りの 東 西 溝 で 、 東 端 は土 拡

SK 10713に

切 られ 不 明。 幅 約2.4 m・ 深 さ0.4m。 掘 削 後 短 期 間 で 埋 め も ど した 。 埋 土 よ り平 城 宮 Ⅳ・

Vの

上 器 が 出土 した 。

SD 3715中層 溝 は、D3・ D4期 に は

SD 10705と

の 交 点 以南 には及ばずSD10705B

SD 10325 Bへ

の 流 れ が この 期 の 水 路 本 流 に な る。 第 136次調 査 区 で は、

SD

‑20‑

(23)

10325Bが

再 び東 へ 曲 が りSD 3715中層 溝 の 埋 上 を 切 って も とへ も ど る。

D4期

 

朝 堂 院 内郭 に変 化 はな く、 東 外 郭 に大 き な 土 拡 を掘 る (第 8図

5)宮

の廃 絶 に 近 い 時 期 。

SK 10727は

隅 丸 方 形 の 上 拡 で 、 東 西 約

9m、

南 北 約

8m、

深 さ約 0.3m。

 

土 よ り平 城 宮 Ⅳ・

Vの

土 器 が 多 量 に 出 上 した 。

SK 10713は

隅 丸 方 形 の上 拡 で 、 東 西 約 10m、 南 北 約 10m、 深 さ約

0,3 mosD 3715中

層 溝・

SD 10712の

埋 上 を 切 り、SD 3715上 層 溝 に切 られ る。 埋 土 は上 下

2層

あ り、 下 層 出土 土 器 は平 城 宮 Ⅳ を下 限 と し、 上 層 出土 土 器 は平 城 宮

Vを

限 とす る。 これ らの上 拡 は採 上 の た め に掘 った もの で 、

SK 10713の

掘 削 は

D期

に上 る可 能 性 もあ るが 、 と もに 奈 良 時 代 末 に埋 め られ て い る。

E tt SB 8550・ SA 5550の

存 否 は 不 明 で あ るが 、 存 在 しな い可 能 性 が あ る。

SD 9173の 東 約

2.5mに

SD 9183を 掘 削 し、 東 外 郭 に建物

SB 10770を

作 り、

SD

3715上層 清 を掘 削 す る。

SD 9183は等

H9次

調 査 で 検 出 した南 北 溝 で 、 幅 約

1.2m・

深 さ約 0.lm。

SB 10770は

桁 行

5間

・ 果 行

3間

の南 北 棟 建 物 で 、 北・ 東・ 南・ の

3面

の掘 立

柱 の み検 出 した 。 身 舎 の柱 位 置 を 直 接 に示 す 痕 跡 は な いが 、 礎 石 建 ち と考 え る。

身舎 は桁 行 柱 間 約

1.8m(6尺

)、 梁 間 柱 間約

2.2m(7.5尺 )と

考 え られ るの に対 し、 廂 の 出 は大 き く約

2.8m(95尺

)。

F期  

朝 堂 院廃 絶 か ら第

4次

整 地 が な され るま で の 時 期 。

SX 10791は

SB 8550の

掘 込 地 業 の東 肩 上 に 並 ぶ 円 形 な い し隅 丸 長 方 形 の 上 拡 群 で あ る。 埋 土 に炭 化 物 が ま じ り、 第 111次調 査 で 検 出 した鋳 造 工 房 に関 係 す

る遺 構 と考 え る。

SA 10793 D SA 10794は SX 10795の

西 約

0.6mに

あ る掘 立 柱 の南 北 塀 で 、 柱 間寸 法 は不 揃 い で あ る。

 SA 10788・ SA 10789は

SA 10793・

SA 10794の

東 約

3mに

あ る。 柱 立 柱 の 南 北 塀 でSA 10793・

SA 10794 

と柱 筋 を 揃 え る。 と もに第 111次調 査 で は検 出 して い な い。 これ らの 塀 は柱 掘 形 の 埋 土 中 に炭 化 物 が ま じ り

SX 10791と

併 存 す る と考 え られ る。

‑21‑

(24)

G tt SB 8550と

SA 5550間 の窪 み を 、 大 量 の 瓦 片・ 礫 を含 む 暗 灰 砂 質 土 で 埋 む 。 時 期 不 明

 SA 10783・ SA 10786は

SA 5550の 西 約4.2〜

4.5mに

あ る南 北 塀

SA 10786が

3間分 、

SA 10783が

5間分 あ り、 中 間が 約

7m(24尺

)あ く。 と も に約

3m(lo尺 )等

間 。 東 外 郭 の

SA 10715 D SA 10732に

と もな い 中 央 の あ い て い る部 分 が 東 外 郭 か ら内郭 へ の 通 路 と な る可 能 性 が あ る。

 SA 10784は

SA

10783・ SA 10786の 間 に あ り、 目隠 塀 の 可 能 性 が あ る。

SA 10787は

SA 5550の 西 約4.5〜

4.6mあ

る南 北塀 で

7間

分 あ る。 柱 間 は約

3.lm(105尺 )等

間 。SA 8985は SA 5550の西 約

5〜 5,2mに

あ る掘 立 柱 の 南 北 塀 で 、第 111次調 査 の検 出分 と合 わ せ て 10間 分 とな る。 柱 間 は不 揃 い。 これ ら

2条

の塀 はSA 5550と併 存 し

C〜 D期

に属 す 可 能 性 が あ る。

SX 10771は

SA 5550の 東 約

2.3mに

あ る柱 穴 列 で 、SA 5550の 柱 位 置 の 中 間 に柱 掘 形 が あ る。SA 5550建 設 の 際 の 足 場

SS 10771の

可 能 性 が あ る。

 

奈 良 時 代 の 遺物 は木 簡・ 瓦 増 類・ 土 器・ 木 製 品 な どが あ る。 そ の ほ か 古墳 時 代 土 器・ 埴 輪 な ど宮 造 営 前 に 属 す る遺 物 や 、 平 安 時 代 に 降 る遺 物 もあ る。

本 簡

 

総 数 757点出上 した 。 内訳 は

SD 3715下

層 溝 よ り

417点

 SD 10705 A

よ り

1点

SD 10706よ

り39点、

SD 10325 Bよ

300点

で あ る。 以 下 に 主 な 釈 文 を掲 げ る。 2は弾 正 台 関 係 の もので あ る。 第

136次

調 査 で はSD 3715・

SD

10325よ り「 弾 正 」「 刑 省 」 と記 した墨 書 土 器 や 弾 正 台 の官 人 名 と考 え られ る木 簡 が 出上 して お り、 弾 正 台 の位 置 を考 え る資 料 とな る。

1.民

部 省 移

2.(表 )山  

京 橋 造 不 状

□ □

 

少 疏 倉 人

〔巨勢朝力〕

□ □ □ □ 臣 (裏

□ □ □ □

 

□ □ □

(SD 3715)

‑22‑

(25)

又 十 二 日宣受 史生 土 十 九 日弾正台 口宣 □ □

東 宮南道

左 兵 衛 府 奏

 

□ □ 匠

□ □ □ □

(SD 10325)

瓦 博 類

 

内訳 は軒 丸 瓦 (353点)、軒 平 瓦 (194点)、 丸・ 平 瓦 (1500袋)、鬼瓦 (4 点)、 貝 斗 瓦

(2点

)、 面 戸 瓦

(14点

)、

(9点 )で

あ る。軒 瓦 の大 半 は 、 朝 堂 院 内 郭 で はSA 5550と SB 8550の空閑地 を埋め る第4次整地 層 、外郭で はSD 3715

と枝 溝 群 か ら出 上 した 。 時 期 別 の 内 訳 は第

8図

の通 り。

内郭 で は 第 Ⅱ期 の瓦 が 多 いが 、 軒 平 瓦 は少 な く、 軒 丸 瓦

6313型

式 が93点あ る そ の ほ か第

I期

6284(16点 )‑6664(DDF以

外 、 32点)の組 み 合 わ せ 、 第

Ⅲ期 の

6225(33点 )‑6663(10点 )の

組 み合 わ せ が多 い 。 外 郭 で は第 I期

6284(30点 )‑6664(DDF以

外 、 19点)の 組 み 合 わ せ 、 第 Ⅲ期 の

6225(60

‑6663(28点 )の

組 合 わ せ が 多 く、第

I期

の軒 丸瓦

6311(44点

)・

6304(12

)も

多 い 。

土 器・ 土 製 品

 

奈 良 時 代 の上 器 は、 朝 堂 院 内郭 か らほ とん ど 出上 しな い。 これ は この地 区 の性 格 と関 連 しよ う。SD 3715と 枝 溝 群 か らは多 量 に 出土 した。 東 外 郭 官行 か らの廃 棄 物 を 含 む の で あ ろ う。 墨 書 土 器 は SD 10705 A・

SK 10713な

ど か ら計 11点 出土 。 判 読 で き る もの は

5点

。 「 是 」 「 足 」 な ど多 数 の字 を記 した も の 1点、 他 は「 大 」 「 方 」 「 十 」 な ど一 字 を記 す 。 蹄 脚 硯 はSD 3715と枝 溝 群 お よび

SK 10713か

ら計 17点 出土 。

古 墳 時代 の土 器 は、

 SB 10798 D SB 10799・ SD 10805よ

り多 く出 上 し、 多

0706   抑   繭 S 嬢 D ︲ 醗 蜘

翻   正

養 升 供 五

□ 御 油 文 □ 佛   十 月   六 正   百 宮   五 大   貫 西   一

> 府 府 表   一異   衛   門 く く 中 衛

‑23‑―

(26)

少 の 幅 は あ る もの の平 城 宮 第 二 次 朝 堂 院 東 朝 集 殿 下 層 の古 墳 時 代 溝 上 層 出土 土 器 の 時 期 に収 ま る。 須 恵器 は含 ま な い が、 他 地 域 で す で に須 恵 器 の 出現 して い る時 期 に あた る。

木 製 品

 

木 製 品 は

SD 10325 Bよ

り木 箱 の身・ 蓋 各 1、2、 人 形 1が出土 。 ま

 

 

今 回 の 調 査 の 成 果 と問 題 点 は以 下 の 通 り。

 

第 一 次 朝 堂 院東 第 二 堂 の規 模 が 判 明 した。

 

東 第 二 堂 の 南 側 に は基 壇 建 物 が な く、 第 一 次 朝 堂 院 に は長 大 な南 北棟 を東 西 に各

2堂

合 計

4堂

配 置 して い る こ とが 確 定 した。 これ は難 波 宮・ 藤 原宮 。平 城 宮 第 二 次 。長 岡 宮・ 平 安 宮 の 各 朝 堂 院 が 、 朝 堂 を

8堂

な い し12堂 配 置 す るの と異 な る。 平 城 宮 の 第 1次朝 堂 院・ 第 二 次 朝 堂 院 が 併 存 す る とす れ ば 、 東 側 に 12堂 を有 す 1院・ 西 側 に

4堂

を 有 す

1院

が 併 存 す る こ とに な り、 平 安 宮 の 朝 堂 院 。豊 楽 院 の 配 置 と似 る。 した が って 第 一 次 朝 堂 院 の性 格 を 平 安 宮 に お け る豊 楽 院 相 当 の も の とす る見 解 も成 立 し得 る。 しか し この 問題 につ いて は第 二 次 朝 堂 院地 区 が 未 調 査 で 同地 区 の成 立 年 代 が 確 実 で な い た め 、今 後 の 同 地 区 の調 査 成 果 と合 わ せ て 検 討 す る こ とが 必 要 で あ る。

第 9図

 

第一次朝堂院地区の軒瓦

‑24‑

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