Ⅱ
遺 跡
1.遺
跡 の 概 観今回 の調査地 は、平城 京廃絶 以降 田地 となった と考 えられ る地 区で、地形 はほば平坦 で ある。
遺構 は、主 に地 表下約20〜30cmの ところに堆積 す る地 山面(Q085付近 は暗灰 褐砂 質土 、他 は黄灰 粘 土)と奈 良時代 中期 以降 と考 えられ る整地土 (暗黄褐粘 質土
)で
検 出 した。検 出 した遺構 の大 半 は奈 良時代 と思 われ、柱掘形 の深 さや溝等 の遺存状況 か らみて、全体的 に後 世 の削平 を うけたと判 断 され る。
しか し、遺構 の保 存状態 は良好 で、多数 の柱 掘形 、土壊、井戸等 が検 出 され、 これ らを検討 し た結 果 、平城 京左京四条二坊 一坪 は奈 良時代初頭 か ら奈良時代後半期 にかけて宅地 として利用 さ れた ことが明 らか となった。
この坪 は、奈 良時代の前期 。中期 ・後期 の少 な くとも3期に宅地割 や住 い方 が変 わってい る。
奈 良時代前半期 は、この坪 は塀 SA2590な どか ら考 えてす くな くとも南北 に四分 されて いて、各 敷地 には、小 さい柱掘形 をもつ建物 があった。奈 良時代中頃 には、 この坪 は一坪 を占め る宅地 と
な り、相 当身分 の高 い人物 の邸宅 と考 えられ る。奈 良時代後半 には、一坪 の宅地 は踏襲 された も のの大 きい建物 はな く、八角形井戸 が築 かれ る。
出土遺物 は、土器・瓦・婢 の出土 が多 く、軒 瓦 では平城 京内の邸宅 で使 用 された軒 丸瓦・軒平 瓦 の組 み合 わせ の一つ を確定 で きた。嬉 の出土 は、京内では類例 が少 な く、八角井戸SE2600や土 残SK2591、 SK2597に集 中 して出上 し、他 にも柱掘形 か ら出土 したが、 いず れ も違構 に直接関係 す る とは思 われ ない。
2.遺
構発掘 区の遺構 は大別 して、古墳 時代・奈 良時代・奈 良時代以降 に分 かれ る。古墳 時代 の遺構 に は溝 ・土壊 が あ る。奈 良時代 の遺構 には、掘立柱建物5棟や掘 立柱 の東西塀2条・南北塀 が4条 あ り、2〜 3個の掘立柱穴 が並ぶ塀 も多い。 この他 に入角井 戸、土壊 がある。奈良時代以後の遺 構 には、中世以降 の土取穴 と思 われ る円形 の穴 や、近世 か ら近 代 にかけての井戸 や性格 不明の土 壊 が あ る。
奈 良時代 の遺構
発掘 区で検 出 した遺構 は、 ほ とん どが奈 良時代 の遺構 で ある。奈 良時代 の遺構 は重複 関係 か ら、
す くな くとも二時期 に分 けて考 えることがで きるが、時期 不明 の遺構 もある。三時期 を、
A期
・ B期 。C期
と して各時期 の遺構 を述べ る。A期の遺構
坪 の南北 を四分す る塀 、小 さい掘立柱建物2棟があ る。
SA2590
発掘 区中央部 の東西塀 で、9間分 を検 出 した。東西 に さらに伸 び ると思 われ る。柱掘 形 は一辺lmほ
どと大 きく、検 出 した柱穴10ケ所 の うち4ケ 所 には柱根 がの こっていた。柱 は径‑3‑
SA2590 sA25
Y‑18000│
9 11.I♀
図
4
遺構変遷図(左:A期、右:B期)24〜30cmで あ る。柱 間寸法 にはば らつ きがあ るが、平均 す ると、
2.65m(9尺
:天 平尺以下同 じ
)で
ある。 この塀 は坪 を南北 に4等分す る南 か ら1番目の位 置 にあ り、地害Jの塀 と考 えられよ う。時期 を決 め る手掛 りは乏 しいが、B期の建 物 群 との共存 や、 また八角形井戸SE2600との共 存 は考 えに くく、A期
と した。SB2605
発掘 区北 方 の小規模建物 で、桁行4間・梁行2間の南北 棟建物 で ある。柱掘形 は一辺 40cmほ どの方形 で小 さ く、柱痕跡 は直径21cmで あ る。東西塀SA2608の柱掘形 との前後 関係 か ら、SB2605が古 い。建物 は、耳ヒで東 にす こ し振 れ る。
SB2582 SB2585の
南端部 で、SB2585に重複 す る東西棟 の掘立柱建物 を検 出 した。西妻 を検 出 してい ないので、 この建物 は西の未発掘区 に伸 びていると考 えられ、桁行4間以上 ・梁行2間の 建物 で ある。柱 穴 は削平 されてい るが、7ケ所 を検 出 し、一辺40cmほ どの隅 丸方形 で ある。柱痕 跡 が 1ケ 所 の こ り、 その直径 は21cmで ある。柱 穴 の重複関係 は な く、時期 を決 め るてがか りは乏しいが、SB2605に共通 して柱 穴 や柱 径 が小 さ く、
A期
と した。SA2609
発掘 区 の】ヒ西 にある掘立柱穴2つで、南北 に並 ぶ。遺構 の時期 や性格 は不明で ある。南柱穴 が
B期
の塀SA2608に壊 されてい るので、A期
と した。SK2613
井戸SE2600の西方 にある土装 で、埋 土 か ら出上 した遺物 か らA期
と推定 され る。B期
の遺構柱掘形 が
lmほ
どの掘立柱建物3棟 。東西塀1条が あ り、 この時期 の建物 や塀は計画的 に、整然 と配置 した と考 えることがで きる。
SB2610
発掘 区の北東隅 にある掘立柱 建物 で、建物 の西南隅 を検 出 した。柱 間寸法 は桁行 ・梁 行 ともに3.27m(11尺
)と大 きく、桁行 は5間か7間 と考 え られ、後 に述 べ るよ うに、左京四条 二坊一坪 の中軸線 を考慮 す ると、 この建物 は桁行7間 と推定 され、梁行 は平城 京 で検 出 されてい る諸例 か ら南北2面庇付 の4間と考 えられ る。柱掘形 は一辺lmほ
どの方形 で、柱根 が 3ケ 所 に の こ り、径 は28cmで ある。SA2608 SB2610の
南恨1柱に取 り付 き、同柱 筋 の西延 長上 にのび る掘立柱 東西塀 で、6間分 を 検 出 した。発掘 区の西壁 に柱穴 がかかって い るので、 この塀 は さらに西 にの び る。柱 掘形 はlm
ほ どで あ る。柱 間寸法 は
2.65m(9尺 )で
ある。SB2580
桁行5間・梁行2間の身舎 に南北2面庇 のつ く東西棟建物 で ある。柱掘形 は一辺80cm ほ どの方形 で、身舎 にあた る柱 筋 で 9ケ 所 、庇 にあた る柱筋 で 5ケ 所 を検 出 した。柱 穴 の うち12 ケ所 に柱痕跡 がの こ り、直径 は27〜30cmで あ る。柱掘形 の深 さは遺構検 出面 か ら身舎40cm、 庇10 cmほ どで庇 の柱 筋 にあた るところは浅 い。身舎 の西辺部 は土竣 SK2591な どで破壊 されていて柱穴 はの こって いない。柱 間寸法 は桁行2.65m(9尺
)、 梁行2.85m(9.5尺)で
ある。SB2585
庇 がつ かない建物 と考 えられ、桁行5間・梁 行2間の南北棟建物 で ある。SB2580の 北狽1柱とこの建物 の北 妻柱 筋 は揃 ってい る。西狽1柱は5間分 すべ て を検 出 したが、柱 穴 の西半分 は発掘 区外 にある。建物 の北 東部 分 は土装SK2615や整 地 層 で破壊 されてい るが、柱 穴 は かろ うじて検 出で きた。柱掘形 は一辺 80cmほ どで、建物SB2580の柱掘形 とほぼ同 じ大 きさで あ る。柱 掘形 の深 さは西槻」が80cmほ ど、東側 が20cmほ どで西側 が深 い。柱 間寸法 は桁行南 2間 が2.6m、 】ヒ
3間 が2.8mと 耳ヒ3間 がやや広 く、梁行 は2.8mであ る。
C期
の遺構この時期 の追構 は、
B期
の遺構 湖亮絶 した後 に発掘区の南中央 で、 土壊群SK
2591・ SK2595,SK2597を 掘削 して土 器片・瓦片 を投 棄 し、埋 めて整地 して い る。整地層 は二棟 の建物 SB2580・ SB2585の間 あた りか ら南東へ と広 が り、発掘 区外 に さらに続 いてい る。 この大 規模 な整地 とほぼ同時期 に八角形井戸SE2600が発掘 区中央 に掘 削 され る。
SK2591,SK2595。 SK2597・ SK2596。
SK2615
掘 立柱建物SB2580,SB2585の 廃絶後 に掘削 された土羨群 で あ る。これ らの上獲 の埋 土 には奈 良時代 中頃 の違物 を多 く含 んで いた。とくにSK
灰 責灰 細砂 土
一貢色微砂 暗灰粘土 青灰粘質上 灰 色粗 砂 青色粘土 (網:埠
,S:石
)暗 褐上 茶 褐土
青灰色粘土 ましり 責色粘土塊 まじり
黄灰砂質土 ´イ 青灰色粘上 まじり
灰色粘上
1//青
色砂灰色粘土製 身竃
図
5
井戸SE2600断面図(左 :剪し、右 :南)‑6‑
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■││ │ ― ― 1 警F=■― 1欝
写 真6 SE2600の上 層 の状 況
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写真
8
井戸枠取 り上げ作業 写真9
井戸枠下の埠♀
10 1!OCm
図10 井 戸 枠 実測 図 (多角形 井 戸 の出土例 〉
六角形井戸・『橿原
奈良県史跡 名】券天然記念物調査報告
第17冊』 昭和36 奈良県教育委員会
多角形井戸・草戸千軒町違跡
『草戸千軒町遺跡の井戸 I、 こ、皿y 月`都
隆「車戸千軒 N043、 N049、 叱54J 平城京左京二条七坊三坪
『奈良女子大学構内違跡
発掘調査概報 ⅡJ 昭和58 奈良女子大学
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一 一
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︐ 一陶 一一一一
図11 井戸枠組み上 げ模式図
‑7‑
写真12 井戸枠墨書
2591,SK2597は大量 の遺物 を含 んで いた。遺物 につ いては Ⅲ章 で述 べ る。
SE2600(表
紙 、口絵 、写真7〜15、挿 図5〜11)直径1.5m、一辺59.5〜64.5cm、深 さlmほ
どの平面 八角形 の井戸 であ る。嬉 を八角形 に一段 並 べ 、ナ専の上 に八角形 に木枠 を組 み上 げ て い る。木 枠 は下 三 段 目 までほぼの こ り、四 段 目 が三 辺 に一 部 の こっていた。一段 目は高 さ25.5cmと 揃 っ て い るが、二段 目か ら高 さは不揃 いで あ る。板 の厚 さは6 cmほどで あ る。各辺 の組 み合 わせ は東 西 南北 の4辺は両端 を凸形 と し、斜 辺 は両端 を凹形 と して、 凸部 を挿 入 し八角形 に組 む。上 下 の木枠 は4辺ずつ交互 に太柄 で固定 し、 ず れ を防 いで い る。太柄 の位 置 は一段 日 と二段 目の間 で は東西南北 の四辺 、二段 目と三段 目の間 で は斜辺 に置 いている。す なわち、段 ご とに互 い違 い に な る。太布内は枠板 の上面 ほぼ中央 にあ り、6× 6 cm、 厚 さ2.5cmで あ る。井戸底 にはナ車が隠 れ る高 さまで小砂不Jが敷 きつ めて あ る。ナ専の下 には一部 に瓦 をかませ ている。嬉 の上端 面 を水平 に揃 え るためで あろ う。
この井戸 の掘形 は枠板 か ら80〜 90cm外 にある。井戸枠 か ら1.5〜1.7m離れて、掘形 の外 で落 ち が あ る。 この落 ちは、高低差 約10cmで 井戸 を囲 うよ うに1辺約4.5mの方形 になって い る。井戸 の 周辺 がチ専敷 きになって いた痕 跡 と考 え られ る。
この井戸 の掘 削時期 は、掘形埋 土 か ら出上 した遺物 か ら天平末年 と考 えられ、 また廃絶 の時期 は井 戸底 の埋 上 の出土遺物 や上層 の出土追物 か ら、奈 良時代末期 には埋 め られ、平安 時代 にはい って完 全 に廃絶 した と考 えられ る。
(呪待・祭祀の参考文献〉
水野正好
「竹筒をのこした一井とその秘呪J『草戸千軒N036切 1976 水野正好
「三宝荒神符と天中の呪行」『草戸千軒配47』 1977
水野正好
「金貴大徳の呪句と埋井の呪儀」『草戸千軒N050』 1978 F古代研究18』 「鎮壇・呪待の特集」1978
兼康保明
資料紹介
「井戸における斎串使用の一例―滋賀県高島郡高島町鴨遺跡の井戸―」『古代研究19』 1980
水野正好
「鎮井祭の周辺」『奈良大学紀要第十号』1981
林
博通・栗本政志
「近江国府関連官衡遺跡の調査一大津市瀬田野畑遺跡の調査概要―」『古代文化』 19831
‑8‑
井戸掘形 の中で、本枠 に接 して棒 片 が各辺 で発 見 された。棒 片 は垂 直 に近 い状況 や横 になった 状況 で木粋 にへ ば りつ くもの、やや は なれ るもの な ど厳 密 には状況 は一様 で は ないが、 これ らの 棒 片 は井戸 開撃 時 の祭祀 に関連 した もの と考 え られ る。
なる、井戸枠 の東1段目の外 面 に右 記 の墨書 が
「
可
あった。祭所Eに係わる字か、習書であるのかはき
宗
□
□
め が た い。 (顕ヵ)地地池池□□人
EEEl
」SD2598。
SD2599
人角形井戸 か ら東 と北 それ ぞれ に1.5mほど離 れて南北溝 SD2598。 東西溝 SD2599があ る。溝 の幅30cm、 深 さ10cmと小 さ く浅 い。井戸 を囲 うよ うにあ り、SE2600の排 水処 理 に関連 す るか も しれ ない。SA2588,SA2606
南北塀SA2588は SE2600の南 にあ り、4間分 を検 出 した。 この掘 立柱 塀 の 柱 掘形 は南北 に長 い長方形 で あ る。5つの柱 穴 の うち4つに柱根 がの こって いた。柱 間寸法 は2.8m(9尺
)で あ る。SA2588の北延 長上 に南北塀SA2606があ る。一 間分 しか検 出 して い ないが、柱 間 は2.8m(9尺
)で あ る。南 の柱 穴 には柱根 がの こっていた。 このふ たつ の塀 は井戸SE2600をは さんで同一線 上 に あ り、同 じ塀 の南北 とも考 え られ るが、SA2606の柱 穴 は正方形 に近 く、SA2588 とは異 な り同一 の塀 か ど うかは決 めがたい。SA2579,SA2587
掘 立柱 の南北塀SA2579は発掘 区の東南 にあ り、2間分 を検 出 した。柱掘形 は一辺60cmの 方形 で、柱 間寸法 は2.3mであ る。SA2587は
SA2579の】ヒ延 長 にある掘 立柱 の南北 塀 で4間分 を検 出 した。柱 掘形 は一辺60cmほ どの方形 で柱 間寸法 は2.8mであ る。この2つの塀 は 同一線 上 にあ り、柱 間寸法 も揃 い、柱 穴 が未検 出 の所 で も2.8mの 柱 間寸法 で割 り付 けることができるので、同一 の塀 か も しれ ない。
その他 の奈良時代 の遺構
SA2581
発 掘 区南端 中央 にある小 さい掘 立柱穴 の南北塀 で、2間分 を検 出 した。SA2584 SB2580の
東 にある折 れ曲 った掘立柱 の塀 で あ る。SA2612 SB2580の
東 にある掘 立柱 の南北塀1間分 で あ る。SA2604 SB2605の
東 にある掘 立柱 の南北塀 で、4問分 を検 出 した。A期
の可能性 が あ る。SD2614
発 掘 区南端 にある東西溝 で ある。SD2601 SA2590の
北lmほ
どの発掘 区 の西寄 りにあ る。溝 幅約80cm、 深 さ10cmほ どで あ る。古 墳 時代 の遺構
SD2593・
SD2594
発掘 区の西南 で検 出 した斜 行 す る溝 で ある。溝 幅 は約80cmあ り、黒褐色土 の埋 上 で よ くしま り、古墳 時代 の上師器・埴輪片 を含 む。この濤 と同 じ埋上 の南北溝 がSB2580 の東北 隅 付 近 に重複 して あ り、7世紀 代 の須恵器 が出上 して ぃ る。
奈良 時代以 降 の遺構
SD2602,SD2603
発掘 区の西寄 りにあ る南耳ヒ溝 で、SD2602か
ら奈 良時代 の遺物 が出土 して い る。‑9‑
土取穴群
発掘 区 の北 半部 の西寄 りで円形 の穴 を多 く検 出 した。粘 土 を取 るための上取床 で、
中世 以降 の穴 で ある。
近 世 ・近代 の井戸 ・土壊
発掘 区 の北端 中央部 で近世〜近代 の井戸 や性 格 不明の上壊 を検 出 し た。耕土 直下 の上層 か ら掘 削 されていて、 いず れ も新 しい。
3.占
地 と建 物 配 置検 出 した遺構 を手懸 りに して この坪 の建物 配置 を考察 す る。
今 回調査 した地 区 は、平城 京左京 四条二坊一坪 の中央西寄 りにあた る。検 出 した遺構 は回土調 査 法 によ る国上方眼第六座 標 系 で実測 して い るので、建物群 が坪 内の ど うい う位 置 にあた るか を 考察 す るため に、 まず この坪 の位 置 を同 じ座 標系上 で復原 してみた い。平城 宮周辺 や平城 京 の発 掘 調査 で え られた既 知 の成 果 を利 用 して求 め る。平城宮跡 第39次発掘調査 で検 出 した二条条 間路 と東一坊 大路 の中心線 の交点 を起 点 と して、朱雀大路発掘調査 で明 らかになった朱雀大路 の振 れ (NO° 15'41″
W)を
東一坊 大路 の振 れ に適 用 す る。1尺=0。296mと想定 し、一坪 の一辺 は450 尺 で あ るか ら、左京四条二坊 一坪 を四周す る道路 の中心線 の交点の座 標値 は表 2の よ うにな る。この座 標値 か ら、坪 の 中軸線 や四分割線 を得 ることもで きる。
SB2610は発掘 区 では建物 の一部 を検 出 した にす ぎないが、 この建物 の柱 間寸法 は桁行・梁行 と も11尺 で、平城 京 の宅地 の建 物 の うち大型 の建物 に見 られ る10尺 間 よ りも さ らに大 きい。 これほ どの柱 間 をもつ 建物 は坪 の うちで も中心的 な建物 であろ う。
しか も、
この建 物 は坪 のほぼ中心
X Y
A ‑146,551 169 ‑18.050 442 B ‑146,684 367 ‑18,049,834 C ‑146,684.367 ―‑17,916 634 D ‑146.551.169 ―‑17.917.242 表
2
坪四隅の座標値坦
キ 料
壁 ≡ 三
■
≡ ≡ ≡
半 剛
3坪
と建物 配置坪 中 軸 線
‑10‑
‐
│■
■ │図14 坪中心部 の 推定建物配置
にあ り、坪 内 の位 置や柱 間の大 きさか らSB2610を主屋 とみ なす こ とがで きる。
坪 の中心 にあ る
主 屋 は南 面 する東 西 棟 の事 例 が 多 く、 SB2610も 東西棟 と考 える。東西棟 と考 え、坪 の中軸線
・柱 間寸法 を勘 案 し、桁行7間 と考 えると建物 の中軸線 と坪 の中軸線 が一致 す る。 また梁行 は平 城 京 で検 出 して い る主屋 と考 え られ る建物 には2面庇 の事例 が多 いので、 この建物 も南北2面庇 付 の梁 行4間の建物 と推定 す る と、
SB2610は
桁行7間・梁行4間とな り、柱 間寸法 にふ さわ し い大型 の掘 立柱建物 となる。SB2610は坪 の中心 に位 置 す るので、SB2610が存在 す る期 間 は、 こ の坪 は分害」されず宅地 は1坪を占めた こ とにな る。SB2580の東 妻 は坪 の中軸線 か ら15尺隔 た り、桁行9尺なので西妻 は60尺 隔 た ることにな り、こ の建 物 を中軸線 か ら計画的 に酉己置 していることがわか る。SB2585は】ヒ妻柱 の柱 筋 をSB2580の】ヒ 狽1柱筋 に揃 えて いて、 この2棟は計画的 な配置 で同時 に存 在 して いた と考 え られよ う。
SB2610
も坪 の中軸線 上 にあ り、 SB2610・ SB2580。 SB2585の 3棟は坪 の中心区画 に計画的 に配置 して い るので あろ う。門の位置 につ いては推定す るほかは ない。 この坪 は左京 四条二坊の西北隅で、
耳とは三 条 大路 に、西 は東一坊 大路 に面す る位 置 にあた る。京 内の大路 に面す る宅地 で は一般 に大 路 に家 門 を開 くことは禁 じられて お り、 この坪 の検 出遺構 を勘案 す ると、家 門 は南 に開 くと考 え るの が妥 当で あ る。坪 の中軸線 に対称 に建物 を配置 して い る と考 え、家門 を南 とす れば、 この坪 の建 物酉己置 は図14のよ うにな り、
SB2610を
主屋 、 SB25801よ 西前殿 、SB2585は西脇殿 とで も呼 べ よ う。 なる、 もしS B 2610が 南北棟建物 で あれば、家 門 を東 に開 く建物配置 となろ う。宅 地 が一坪 全体 を占め ることや、建物 配置、主屋 の規模 な どか ら、 この坪 は身分 力>目当高 い人 物 の邸 宅跡 と考 え られ よ う。 この邸宅 の建物 配置 は コの字型建物 配置の変形 で ある。平城 京内 で これ まで検 出 された邸宅 の建物配置は、主屋 と脇殿 を計画的 に組 み合 わせたコの字型 の事例 が多 い。一方 、平城京左京五条二坊十四坪 で検 出 した邸宅 の よ うに、 コの字型建物配置の変形 の事例 もあ る。平城 京 の邸宅 の建物 配置 には厳 密 なコの字型建物 配 置 ば か りで な く、前述 の事例 や本調 査 の よ うな変形 の コの字型建物 配置 があった と考 えて もよいで あろ う。
藤原京・難波京の宅地班絵例 藤原京の宅地 (持統5年12月)
右大臣 (従二位)
直広弐 (従四位下)以上 大参 (正五位上)以上 勒 (正六位上)以下
町 町 町 町 町 町 4 2 1 1
%
/ 声一 一 声 月一 上 中 下
難波京の宅地 (天平6年9月)
三位以上
1町
以下 五位以上%町
以下六位以上
%町
以下‑11‑