社会学論考第34号2013.11
重症心身障害児をもつ母親の自律過程
一一長期的な医師一患者家族関係の変容から−
包 暁 蘭
本研究は、重症心身障害児の母親が、子どもの誕生時から現在にかけて、
子どもの主治医とどのような関係性を構築しようとしてきたかについて、そ の特徴と変容プロセスを考察するものである。重症心身障害児の母親5名を 対象に半構造的インタビュー調査を実施し、得られたデータを修正版グラン デット・セオリー・アプローチ(M‑GTA)を用いて分析した。
子どもの障害を初めて認知した時、母親たちは、想定外の事態に動揺し、
また、医学的知識もほとんどない中で、主治医の存在を心強く思い、子ども の医療ケアの方針についてもかれらの指示に全面的に従う。しかし、子ども の障害やケアに関する経験や知識を獲得するにつれ、そうした主治医への依 存心は次第に薄れ、母親たちは、新たな医師一患者家族関係を築こうとする。
主治医と対等な人間関係を築こうとする場合や、主治医を、医療行為を提供 するだけの存在と見なし割り切った付き合いをしようとする場合、または主 治医の言動にあまりに粗が目立つ際には、子どもを守るためにも医師との関 係を絶っていくケースなど重症児の母親が医師との相互作用の中で、いかに
く自律〉!)していくか、その過程を明らかにする。
キーワード:医師一患者家族関係障害児の母親M‑GTA
1 は じ め に
本稿は、重症心身障害児の母親が、医師との相互作用の中で、いかに親と
してく自律〉した主体性を猿得してきたか、およびその時系列変化について、
母親たちへのインタビューをもとに明らかにするものである。
日本には、2010年の段階で、重症児心身障害児2)(以下、「重症児」とする)
はおよそ40,000人いると推定されている(全国重症心身障害児(者)を守る会,
2010)。そして、そのうち12,000人は施設と病棟に入所しており、3分の2に あたる28,000人は、施設ではなく、在宅で生活を送っている(杉本ほか,2008)。
在宅で生活を送る重症児のケアは、ほとんどの場合母親によって担われて おり、その比率は9割を超えている(杉本ほか,2008)。重症児ケアのための 制度が十分に整っていない国内の現状では、在宅でのケアは、母親の気力・
体力の限界を超える頑張りによって支えられているといっても過言ではない
(石川,2009)。このような、母親を対象にした研究は多く、医学、看護学、人 文科学の領域において、研究者たちは、母親たちが重症児のケアやその責任 の多くを担っているという認識を共有している。母親が子どものケアをおこ なうというとき、単に子どもの身体的介助のみを意味するのではない。そこ には、子どもを取り巻く環境と、子どもとをつなぐマネジメントの役割を担 うことも含まれている。特別支援学校や、通所施設、そして、医療施設との 関係性の調整は、子どもがより豊かな生活を送るためには不可欠なものであ る。その中でも特に、医療者、とりわけ、主治医との関係は、重症児の病状 維持や生存のために、不可避に濃厚な医療的ケアを受け続けなければならな いことを考慮すれば、最も重要なものであるといえる。
障害児の親を対象にした先行研究では、「母親の障害の受容過程」や「母親 の意識変容」といった、母親たちの意識の変化やライフストーリーについて 報告されているものが多い(牛尾ほか,2003,中川,2003.2005など)。つま り、子どもの立場にたつことから障害をもって生きる子どものありのままの 姿を受け止めていく(堀,2007)ことが示唆されている。さらに、親たちは いつまでも「とまどい」の状態にいるのではなく、障害者差別を表す言説に 対し、抵抗しはじめたと指摘(要田,1986)されている。
しかし、重症児を持つ母親たちが子どものケアを担う中で、主治医との関 わりについて、母親の視点を十分に考慮した先行研究は僅かである。重症児 やその家族への医学的関心については、多数の文献に表れていると言えるが、
他方で、子どものケアを担う母親と医師の関係についての母親自身の声は、
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未だ掬いあげられていない。母親が、主治医との関係にどのように向き合い、
葛藤し、試行錯誤してきたのか、その軌跡がほとんど知られていないのであ る。そこで、本稿は、これまでほとんど顧みられることのなかった、重症児 の最も重要な代弁者である母親たちが、医療者とどのような関係性を築こう
とするかを考察する。
考察にあたり、母親と主治医との関係性が、子どもの誕生時から現在にか けて変容してきたことに配慮する必要がある。母親のケア意識が、障害への 認識などと関連して変容していったように(中川2005)、母親の主治医への意 識も、何らかの影響により、時間とともにその形を変えた可能性が高いから である。したがって、本研究では、重症児の母親の主治医との関わりについ ての語りを素材に用いて、医師‑患者家族関係の変容のプロセスを明らかにす ることを試みる。母親は、主治医との長期的な関わりのなかで、かれらとの 関係性を、一体どのように形成し変容させていったのか、そのく自律過程〉
を考察する。
2 研 究 方 法
本研究では質的研究における修正版グランデッド・セオリー・アプローチ (ModifiedGmundedTheolyApproach、以下、「M‑GT八」と記述する)を用いて、
母親が築こうとした主治医との関係性の特徴、およびその変容プロセスを具 体的に記述していく。
2 − 1 対 象 者
対象者は、首都圏在住で、在宅で重症児のケアを担っている母親5名であ る。対象者年齢(調査時)は45‐50歳であり、平均年齢は48.2歳である。重 症児の年齢範囲は16‑21歳、平均年齢は17.6歳である。子どもの障害は全員、
脳性麻痙による四肢体幹障害と知的障害の重度重複障害であり、常時、吸引、
吸入、経管栄養などの医療的ケアを必要とする。対象者の属性を表−1に示
す。以下に、対象者の概要について記述する。
Aさんは、第一子が 重症児であり、生まれ てまもなく、出脳炎後 遺 症 に よ る 四 肢 麻 痩 と い う 診 断 を 受 け て いる。子どものケアは 全 面 的 に A さ ん が 担 っている。日常の医療 的 ケ ア と し て は 、 吸 引・吸入、酸素吸入、
事 例 A
B
C
,
E
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表 − 1 対 象 者 の 概 要
母親年齢 子 の 性 別 子の年齢
48歳 女 17歳
45歳 女 17歳
50歳 男 17歳
49歳 男 21歳
49歳 男 16歳
胃ろうによる経管栄養が必要である。現在、子は特別支援学校に通っている。
Bさんも第一子が重症児であり、子どもは仮死状態で生まれて低酸素倒閣 症と診断され、障害を有するようになる。ケアを担うのは主に母親だが、夫 も協力的である。医療的ケアに関しては、吸引・吸入、経管栄養と、幼少時 には導尿・かん腸が必要であった。現在、特別支援学校に通っている。
Cさんの場合は、重症児は第三子で、二歳まで、健常児として生活を送っ ていた。二歳頃に発症したインフルエンザの影響で、脳に障害が残ったとい う。子どものケアは母親が中心になって行っているが、家族も協力している。
医療的ケアについては、吸引、経管栄養を必要とし、上述の二人同様、現在 は特別支援学校に通っている。
Dさんは、第一子が重症児であり、子どもは生後IOか月で突発性発疹にな り、脱水による父児性けいれんをおこした。さらに、2歳の時にてんかん発作 が起きて、難治性てんかんだと診断されている。現在、子どもは21歳で、健 常児でいうところの、5,6歳程度の知能がある。介護はDさんが中心になり、
夫とともに行っている。必要とされる主な医療的ケアは、喉頭分離・胃ろう による経管栄養、吸引、涜腸である。2箇所の通所施設に通っている。
Eさんの場合、子どもは双子の一人で、1300グラムの未熟児として生まれ
た。それが原因で障害児となったという。現在は家族と力を合わせてケアを
行っている。子どもが要する医療的ケアは、吸引、吸入、酸素、経管栄養で
ある。現在、子は、特別支援学校に通っている。
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2 − 2 方 法
上記の対象者に対し半構造化インタビューを行った。インタビューは1回 もしくは2回、1人に対し2時間から5時間程度行い、「今までの生活の様子」、
「主治医に対しての気持ちやその変化」について自由に語ってもらった。ま た、必要に応じて調査者が質問し、それについても詳しく語ってもらった。
対象者の許可を得られた場合にのみインタビュー内容を録音、逐語録化した。
許可の得られなかった場合は速記録をした後に、名前や場所などの個人情報 を匿名化したものをデータとして使用した。調査期間は2009年ll月から2010 年9月である。
2 − 3 分 析 方 法
先述の通り、本研究は、B.グレイザー、A.ストラウスらによって提唱さ れたグランデッド・セオリー・アプローチ(1967=1996)を、社会学者であ る木下康仁が改良した、修正版グランデッド・セオリー・アプローチ(M‑GTA) に基づく分析手法(木下,2003,2007)を用いた。M‑GTハの分析手順は、ま ず、分析者がデータをもとに「概念」を生成し、次に、複数の概念を包括す る上位概念の「カテゴリー」を生成する。そして、概念やカテゴリー同士の 関係性を図式として提示し明らかにすることで、対象とした現象を説明する ものである。
M ‑ G T 孔 を 採 用 し た 理 由 と し て は 、 第 一 に 、 そ の 技 法 に お い て 厳 密 な grounded‑on‑dataを確保できるよう工夫されているため、よりリアリティのあ る現象把握とその深い解釈を目指す本研究の目的に合致している。第二に、
研究対象者へのフィードバックをし、意見を得るというプロセスを含んでい るため、考察の妥当性を当事者の立場から再考する機会が与えられる。
本研究で得られた分析結果を対象者に郵送し、意見や感想を求めた。対象
者5名中4名から返送があり、分析結果は概ね支持された。
3 結 果 お よ び 考 察
本研究は質的データの解釈が中心となるため、結果と考察をわけて記述す ることは困難である。従って、以下結果と考察をまとめて記述する。
結果および考察の提示の仕方であるが、まず、次節の3‑1で全体的データ分 析の結果を図式あるいは全体プロセスについて提示し、その後、3‑2で、各カ テゴリーの説明を、概念を用いて説明する。すなわち、医師‑患者家族関係の 大まかな時系列変化を示した後、個別のプロセスについて詳細に検討する構 成をとる。
なお、下線部は最小分析単位である「概念」、〈〉は複数の概念を包括す る「カテゴリー」、「」内はインタビューで語られた言葉である。なお、語 りはなるべくそのままの形で挿入したが、わかりにくい箇所は()の中に 言葉を補うようにした。…は中略を意味し、また直接関係ないと思われる箇 所は省いた。()内の事例番号は表lの事例番号と対応している。
3−1医師‑患者家族関係および変容の全体のプロセス
まず、子どもが障害を負った当初3)、子どもの病状は、「いつ何が起こるか わからない」、.「これからどうなるかわからない」という母親たちの言葉通り、
見通しの立ち難いものであった。やがて医療者による治療を行い、症状が改 善するが母親たちは不安な気持ちを抱え続ける。加えて、母親たちは、子ど もが障害を負ったのは自分の責任であり、その原因を突き止め、障害を治そ うと考えるようになる。
そうした不安感や自責感は、母親たちをく医師への依存>へと向かわせる。
これまでの人間関係の中では、障害児についての情報がほとんど得られず、
将来への道筋が見えない中で、医療知識をもつ主治医は、頼もしい存在に感 じられる。また、主治医のもとで懸命に治療を受ければ、障害が軽減、完治 するかもしれないという希望を見出している母親もいた。
しかし、やがて母親たちは、医療技術の限界を認知し、障害の治癒・軽減 を諦めざるを得ないことを悟っていく。それを機に、母親たちは、子どもの 障害を矯正の対象として見なさなくなり、その障害とともに子どもを受け入
ノ
一
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れ始める。また、他の重症児の母親と接点を持つようになり、ケアの経験や 重症児についての様々な情報を共有できるようになる。そうした状況に伴い、
主治医の言動は母親にとって絶対的なものではなくなっていく。むしろ、主 治医の治療方針や言動に問題点が散見されるようになり、それは母親の医師 への依存を希薄化させる。しかし、だからといって主治医との関係を断つこ とはできない。なぜなら、濃厚な医療的ケアは生涯に渡って子どもの生存の ために必要とされ続けるからである。そこで母親たちは、子どもの「代弁者」
として、医療者からく自律〉し、子どものより豊かな生を実現するために最 適な方法で医師との関係性を築こうとする。ある母親は、信頼できる主治医 を、友人のような対等な立場とみなし、子どもの障害や日常生活について相 談するようになった。また、医師に不満を抱きつつも、医療行為を遂行して もらわなければならないと感じる母親は、主治医の頼れるところを見極め、
「道具」すなわち、その部分だけを期待して接するようになっていた。さら に、主治医との関係に気を配りながらも主治医に対する不信感を克服できな い母親の場合には、主治医との関係を断絶する場合もあった。これらのカテ ゴリーの関係性について、下記に図示しておく(図‑1)。
一 変 化 の 方 向
→ 影 響 の 方 向
カテゴリー間の関係図
<OOO>カテゴリー
・OOO概念
図−1
3−2カテゴリーごとの説明
次に、各カテゴリーについて詳述していく。そのカテゴリーとは、〈子ども の将来像の解体>、〈医師への依存>、〈障害の受容>、〈医師への不満>、〈医師 への信頼の希薄化>、〈主体的情報の管理>、〈関係維持の努力>、〈母親の自律〉
の8項目である。
1)子どもの将来像の解体
母親は、子どもが障害を負った当初、かれらがどうして障害を有するよう になったのかその原因を探求し、突き止めようとした。つまり、障害の原因 探しを始めたのである。子どもが「健常児として生まれたにも関わらず、突然 熱を出し、その後障害を有するようになったAさんは「どうしてこうなった のか、原因探し」をした(事例A)と語った。
加えて、母親たち自身の医学知識の無さが、障害の原因を彼女たちに帰属 させ、また、子の将来への不安を増大化させた。客観的に見れば、母親以外 に原因がある場合や、医学的に原因が不明瞭な場合であっても、対象者の多 くは自身を責めていた。Aさん、Bさん、Dさんはともに、こうした.自責感 を覚えていたことをインタビューの中で語っている。
「自分のせいだと思っているの。どっかしらでなんかが起きちゃつたっ ていうのは、母親としては、やっぱ自分のせいだと思っちゃうんだよね」
(事例A)
「もう私がこういうふうに、こんな障害児で生んじやったのは私の責任 だって思って」(事例B)
「『私が、お腹の中でちゃんと彼を育ててあげることができなくて、こう いうことになったんだ』って思ったら、もうすごい力が抜けちゃって、暗 いよね。『この子抱えて私は死ななきゃ』みたいな」(事例D)
さらに、次のBさんの語りからは、医学知識が現在ほどはなかった彼女が、
〃
社会学論考第34号2013.11 子どもの将来について非常に不安な気持ちになっていたことがうかがわれる。
「やっぱり私も怖いんだよ。そういう障害って、どこまでがどういうの が障害っていうことも分からない、育てられるか心配だし」(事例B)
こうして母親たちは、子どもが障害を有していることを知った当初は、子 どもの障害の原因を自分に帰属させたり、障害の回復や障害を抱える子ども の人生を自らが背負っていかなければならないという責任感を覚えていたの である。
2)医師への依存
子どもがまだ幼い時期は、かれらの病状も不安定であり、また、母親たち もケア経験がほとんどないため、「いつ何が起こるかわからない」24時間目を 離せないという不安に苛まれる。そうしたなか、主治医の優しさは彼女たち にとってとても魅力的なものに映ったようだ。Dさんは、自宅の連絡先を教 えてくれた主治医の言動に安心感を覚え、信頼するようになったと当時を振
り返っている。
「PHSかな。自宅の電話番号と、その個人的な連絡先を公開してくれ ている先生だったの。だから私はそこまでする先生って知らないから。で、
「不安な時にいつでも電話かけていいんだよ」って言ってくれたことがす ごい安心感で。だから、先生を信頼してたのね」(事例D)
それと同時に、母親は子どもに障害があることがわかると、その症状を軽 減させ、完治を目指そうとする。そうした医療行為を行なってくれる存在と
して、主治医は母親たちから頼りにされる存在であった。子どもの症状を軽 減、治療するためには、主治医の治療が絶対的に必要だと思っていたBさん は、「この先生についていけば大丈夫。(中略)…『この先生は神様だ』と思 ったんだけど」(事例B)と医師への信頼の気持ちがあったことを語っている。
この時点で、母親たちにとって医者は、障害を「治癒」もしくは「完治」さ
せる力をもつ存在として、あるいは、医療に対する深い専門知識を身につけ た存在として、または、不安な生活のなかでやさしさをもって接してくれる 頼り甲斐のある存在としてイメージされている。そのため、母親たちは、主 治医に全幅の信頼を寄せ、かつ、精神的な支柱にするような状態、すなわち 医師への依存状態となり、主治医を気持ちの拠り所にするようになる。次のA
さんの語りでは、彼女が主治医に対してそうした依存状態になっていたこと が語られている。
「だから本当に、付き合い始めた最初っていうのは、全幅の、依存をし たり。全幅っていうのは、依存しきって、自分たちを100%守ってもらい たいとか、自分たちの言うことを100%聞いてもらいたいとか、自分の甘 えを100%聞いてもらいたいとかっていうふうに、本当にこう頼りっぱな
しっていう感じがあるんだけど」(事例A)
このように、母親たちは、子どもの障害を軽減し、「健常児」に近づけてい くことを目指す一方で、主治医に全幅の信頼を寄せ、中には依存状態であっ た人もいたのである。
3)障害の受容
子どもの障害を知った当初、母親たちは、我が子の障害を軽くするために、
子どもの発達に良いと思われるものを購入したり、リハビリに意欲的に通う など、様々な手を尽くしていた。しかし、こうした作業を繰り返すうちに、
やがて母親は障害軽減を諦めざるを得なくなる。母親は、「健常児」を目指す 未来に期待するのをやめ、ありのままの子どもの状態を受け止めていくよう になった。障害の原因を突き止め、治していこうと一生懸命だったAさんは、
「だんだん自分で分かっていって、この子はもうこのままでいくんだろうな って」(事例A)と、「健常児」へと「回復」する見込みがないことを受け入れ るようになったことを語った。
そして、子どもの障害が治らない、発達の見込みがないと認識した母親は、
徐々に「健常児」に近づけていきたい、障害を治していきたいという願望を
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諦め、体調の良い状態が長く続けばよいと考えるようになる。それについてc さんは、「PT(理学療法)とか、もうすごい、一生懸命通ったりとか・よくな るんだったら、もっと違う道はないのかみたいに思ったけど、ある程度、分 かってくると、体調よく毎日過ごせてればいいかな、が基本で、それ以上の ことはあんまりね。日々の家族との生活、学校での生活が一番大事で。いま、
だから、主治医がもし代わっても、そんなに影響はないかな」(事例C)と語 り、子どもの現状を維持していくように考えるようになっていった。
こうして、母親たちは、当初は子どもの障害の原因を突き止め、治したい と願い、様々な子どもの発達に有効であろう作業を繰り返していた。だが、
時間が経つにつれ、「健常児」になるのは不可能であることを理解し、だんだ んと子どもの日常生活を大事にすることへと視点が移り、障害を受け止めて いった。
4)医師への不満
母親は、入退院の繰り返しや長期間にわたる主治医との付き合いによって、
主治侯に対する気持ちの変化を見せる。その変化としてまず、医師の対応へ の不満があげられる。例えばBさん、Cさんは、医師の対応に不満を感じて
−
いたと次のように語った。
「(主治医が)点滴を家でつないで(大したサポートもせず)帰っちゃっ た。外来行ったとき『はい、じゃ薬はこの間と同じね』って言って、それ で終わり。それにね、『僕ね、よく手書きで間違えるから、お母さん、ちゃ んとチェックしといてね』(と医者が言った)。本当に違うの。けたが1個 違ったりとか」(事例B)
「退院に向けていろいろ、外泊でね、週末に帰っていたりしてたんだけ
ど、そういう練習も別に、看護師さんが何を教えてくれるでもなく、こう
やったほうがいいよ、そのほうがいいよっていう指導が全然なかった」(事
例C)
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こうした主治医や医療者の患者に対しする対応に不満を感じるほか、子ど もが特別支援学校に通っているほうが楽しそうにしていると判断する母親は、
子どもを学校に行かせてあげたいと考える。しかし、医療的治療をしてもら うために週一日でも主治医のディサービスを利用するように言われ、もしし なければ主治医の態度が変わるという医療者本位の治療方針への不信も見受 けられた。母親が医師の指示や要求が必ずしも適切ではないと感じるような ったことを次のように話した。
「言うことを聞いてるときはいいんだけど、聞かないと、本当、すごい 怒っちゃって。180度変わる。なんか、それから不信感っていうのがね。
主治医に対して不信感って初めて、そのときに」(事例B)
また、病院の病床数が少ない時期と、病床数拡大した時の医療者の対応が 違っていた。病床数が少ない時は「子どものために」と退院するように説得し ていたのが、病床数が拡大後、入院するように指示されるなど患者のために 考えているような素振りをしながらも、実は、医療者側の都合によっての言 動があるという母親は次のように語っている。
「だから結局、なんか病院の都合でいろんなことを、なんかそれらしく、
この子のためだよっていうふうに、いろんなことを言われんだけど、実は それは医療側の都合でもっているんなふうに言われてたんだなっていうの をね、感じる。『この子のために』って言うのが、なんていうの、水戸黄門 のこういうあれ(印龍)じゃないけど、あの、もう絶対「この子のために」
っていう言葉を出されたら、言い返せないじゃない。「え−、でも」とかっ ていうふうに言えない」(事例A)
さらに、患者の人格を無視するといった医師の非倫理的行動への怒りもま た、母親たちにさらなる不満を募らせ、主治医との距離感を生み出していた。
子どもの意思疎通能力に配慮せず、一方的に子どもを責める医師について、B
さんは次のように語っていた。
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「『Blちゃん(Bさんの子ども)、何言いたいんだ』って言われちゃう。そ ういう言い方なの。『Blちゃん、何言いたいんだ』って言われちゃって。「あ あ−、また来た−」と思って、『あ、すいません』みたいな、なんかそうい う診察だったの。尊厳もなく、命の尊厳もなく扱ってくれちゃう先生もい れば、いろいろだなって、初めて私も勉強になった」(事例B)
以上のように、母親たちは、当初医療者を信頼していたにも関わらず、そ れを裏切られるようなかれらの対応に接する中で、徐々に不信感を覚えるよ うになっていった。医療者たちの自身の利益を考えての言動、さらに患者の 人格を無視するような態度に気づき、不満を募らせていた。
5)関係維持の努力
たとえ主治医の言動に不信感を覚えても、他方で、母親たちは、かれらと の関わりを簡単に断つことはできない。重症児は、生涯に渡り濃厚な医療ケ アを必要とするため、医療者は必要不可欠な存在だからである。対象者たち は、母親と主治医との関係性が、子どもの体調にどのような影響を与えるか 子の体調への影響に敏感であった。その関係性が良好なものであれば、主治 医の子どもに接する態度も望ましいものになり、子どもの体調に良い作用を 与えるだろうと考えているのである。例えば、Bさんは次のように語り、子
どものために主治医との関係性を良好に保とうと努力していた。
「先生を怒らせようとか、気分を害すようなことだけは言うのをやめよ うと思って。…だからずっとそういう防衛だけは働くようになっちゃった。
必要(言い方)だなって思った。子どものためにもいい治療法を選ばして もらえないと思うし」(事例B)
ただし、繰り返し確認しておくが、この関係性は、母親が主治医を絶対的
な存在として見なさなくなったこと、さらには、しばしば不満感を持ってさ
えいる上で成り立っている。したがって、母親たちは、自分たちの気持ちを
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そのまま主治医に晒すことなく、言葉を選んだり、感情管理4)(Hochschild, 1983)をしながら、主治医との関係をマネジメントしているのである。
加えて、重症児の場合、子どもの体調によっては、病状が急変する可能性 が十分考えられる。その際、随時入院できる病院を、予め確保しておく丞瞳 環境の確怪が必要である。なぜなら、重症児が入院できる設備や環境が整っ た病院の数が極めて少ないという現状があるからだ。そのことも、母親たち が医者と良好な関係性をつくらなければならない理由となる。それについてA
さんとBさんからは、次のような話がなされた。
「(受け入れ先が少ないといった)そういう弱い、(子どもを)人質に取 られている、その人質に取られていて、こどものために、守らなきゃいけ ないから、入院できるところ確保しなきゃいけないから」(事例A)
「いま、だからね、T先生がどうこうではなく、やっぱり入院ができる 環境にどうしてももう魅力を感じるっていうかね」(事例B)
母親たちは、子どもの主治医との関係性を良好なものにしようと努める。
そうすることで、子どもの体調が良好なものとなったり、また子どもの病状 が急変した時や何かあった時受け入れ先の医療施設が一つ確保できると考え ているからである。対象者の言葉を借りれば、重症児の母親は、子どもを「人 質に取られ」ながら、主治医との関係を継続する必要に迫られる。
6)医師への信頼の希薄化
長期的に、子どもの医療的ケアを担う母親たちは、日々の介助を通じて、
次第に医学的知識やケア経験を得るようになっていく。やがてそうした知識 や経験は相当程度豊かになり、特に自身の子どもの状態に関する的確な認 識・理解は、しばしば医師を超えることさえある。こうした医師を超える知 識により、子どもに対する医療行為について、それが妥当なものかどうかが、
ある程度判断できるようになった。ある日、子どもが入院していたとき、CRP
(炎症の発生の有無を示す指標)の数字が上がっているのを見て医師は肺炎
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だと診断し、肺炎の治療をしていたが、AさんはそのCRPの数字が上がった 原因は肺炎ではなく骨折によるものだと発見したという。
「肺炎の治療が始まっちゃってね、CRPって、その炎症反応を表す数字が 上がったっていうの。だから肺炎だっていって、でもどうしても肺炎にはみ えない、何も熱も何もないんだよ。これおかしいって私、全身をもう探した の、そうしたら足のところにふくつと腫れてて、…(省略)レントゲン撮っ てくれって、そうしたら骨折してたの、それで、肺炎だと思って肺炎の治療 していたのそれも取りやめ、骨折で炎症反応が上がってたの。だから私が行 かなかったら、何もわからないで、肺炎の治療やって」(事例A)
そうした母親たちの経験や知識の蓄積は、しばしば、かつて依存状態であ った医師との心理的な距離をさらに広げる。子どもの医療的ケアについて万 事において正しい判断をすると思われていた主治医の医療行為に関して、母 親たちは子どもにとってどのような対応をすべきかを選別できるようになり、
さらにその欠点すら発見できるようになったことが、主治医のその絶対性は 揺らいでしまうからである。そうしたなかで、主治医に対する期待は薄れ、
医師ぺの期待解除へと繋がっていく。それについてAさんは、「私たち患者の ほうも、長い期間こういう患者生活を送っていると、私は患者家族だけどだ んだんもう、医療とか、医療専門職を評価するぐらいの感じになってきて、
もうこっちのほうが上手になってきただから、この人は全面的に信頼するっ ていう存在でもないんだなっていうのは、だんだん付き合いを重ねていくと 分かる」(事例A)と語っている。
7)主体的な情報の活用
医療の専門家ではない母親たちにとって、子どもの症状に合った的確な医 療情報を常時入手することは困難である。この時、同じ重症児を持つ母親同 士のネットワーク(母親集団の存在)は有益な情報源となる。例えば、cさ んは、インフルエンザの予防接種の受付が始まっていることを、他の障害児 を持つ母親から聞いた。このことを、子どもの主治医に確認してみたところ、
その通りだったという。仮に他の母親に教えてもらうことがなければ、Cさ
んの子が予防接種を受けられなかった可能性は高い。
ほかの母親たちから多数の情報を収集できるようになることで、主治医か ら与えられる情報の絶対性は揺らいでいく。さらに、母親たちは憶報の活用 ができるようにもなる。例えば、提供されなかった情報を母親集団から入手
した場合、その情報を活用し、母親から医師に治療を促すことがある。この ことについて、Dさんは次のように述べている。
「親同士の話で、知識もかなり入っているから。(治療について)自分が 分かっているから、言えるわけじゃない。そういうのがあるね。お医者さ んに指令っていうか。こうしてくださいとか。やっぱりほら、お友だちか ら情報を聞けば、こういうこと聞いたんですけど、こうじやないですかっ て言ったりとか、尋ねると、『ああ、そうだね』みたいな」(事例D)
また、母親集団は情報を入手できるばかりでなく、母親たちにとって精神 的な支えとなる。それは、同じような経験を共有しているという連帯感から 生じるものである。Aさんは「そういうお母さん(重症児をもつ母親)と話 しするのが、一番なんか、支えになった」と語り、母親集団の存在を評価し ていることがうかがわれる。それまで、精神的な支えとなっていたのは、主 治医であったが、母親集団との関わりのなかで、母親たちは新たな気持ちの よりどころを見つけることになる。また、Dさんも、不安な気持ちや苦労の 経験を語り合い、共有できる他の母親たちの存在は大きかったと語っている。
「お互いの苦労はわかるわけじゃない。目が離せない子を持っている。手 のかかる子を持っているということではね、「この先どうなのかな」ってい
う不安はお互いには話もできたしね」(事例D)
このように、母親集団から情報と連帯感を得られるようになったことは、
母親たちを自律へと向かわせる。主治医は母親に有益な情報を与える唯一の
存在ではなくなり、また、たった一人の精神的な支柱でもなくなる。母親は
他の母親との連帯感のために孤独な状態から脱することができるようになり、
社会学論考第34号2013.11 また、豊富な情報から、取捨選択が可能になる。
8)母親の自律
主治医は、母親にとって依存の対象から、治療行為を委託する存在へと変 化する。ただし、母親たちの主治医への接し方は一律ではなく、それぞれ違 いが見られた。ここでは、対象者に見られた、異なる3つの関係性について 記述したい。
まず挙げられるのが、主治医を、単なる医療者ではなく、親友のようにみ なしていた対象者の場合である。彼女にとって主治医は、世間話をする、子
どもの今後について相談できる存在であった。2人の関係はすなわち、対等な 人間同士の関係へと変容した。主治医を医療専門家としてではなく友だちと して信頼している、子どもに関することはすべて相談しているというEさん は、子どもの主治医のことを「先生は核になる人」というように語っていた。
ただし、主治医と対等な友人関係を築ける母親は非常に稀である。大抵の場 合は、「障害児の母親」と、「医師」という互いの社会的立場を意識しながら 接し続けることになる。
次に、主治医を変えるという選択をした母親もいた。その理由としては、
その医者の診療を受けた後に子どもの体調が悪化したこと、および、限度を 超えた医師の非倫理的行為が見受けられ、信頼を寄せることが難しくなった ことが挙げられる。Bさんの子は、ある医師のもとに通っていた際、寝たき りの状態が続き、顔が浮腫むなどの症状が出ていた。その原因は、薬剤師で あるBさんの姉が、子どもに必要以上の薬が処方されていることに気づき、
そのことをBさんに告げた。そして主治医を変えて薬の量を調整して子ども の表情がよくなったことを次のように語った。
「それが(大量の薬を飲むこと)一番いい方法で、うちの子はそれが、それがレベ ルなんだってあきらめてるところもあって…(省略)…目も半開きで、本当は二重な んだけど、いま、二重まぶたのおめめなんだけど」(事例B)
こうした医師の非倫理的な態度とも相まって、Bさんは主治医への信頼感を
なくしていった。Bさんは以下のように、関係の断絶に至った心境を振り返
社会学輪考第34号2013.11 る 。
「『ああ、こういう先生だな』と思って、うまく付き合っていけばいいと 思うんだけど、裏が見えちゃって、なんとなく裏切られた気分になってく ると、どんどんね、患者のお母さんっていうのは、やっぱりそこで信頼関 係とかコミュニケーションが取れなくなってくると、ついていけなくなる んだよね。その先生に自分の大事な子どもを託せるかっていうと、ちょっ と違うんじゃないかって思うと、ぽろぽろぽろぽろって、こう崩れていく ような感じがある」(事例B)
重症児が随時入院できる、受入先が限られた現状で、新たな医師を見つけ ることは容易ではなく、また一度は一蓮托生の思いで信頼した人間からの心 ない行為に傷心し、対象者は苦労し悩みながら関係の断絶を決断させられる ことになる。
3つ目の関係性として、相性や信頼できるかどうかなどの問題で、主治医と 親友のように接することは難しいが、かといって関係の断絶はしたくない、
あるいはできないという母親たちが築こうとするものが挙げられる。その関 係性を、医師の道具化と呼ぼう。子どもの症状に関しては主治医よりも自身 のほうが的確な判断ができると感じるようになった母親が、子どものケアに 関して自身が主導する立場となって、必要な医療行為のみを主治医に指示、
依頼するという関係性である。前述の通り、母親たちは、長期間のケア経験 を通じて、あるいは母親同士での情報の活用により子どもに対してより良い 治療を見極められるようになっていった。そこで、仮に主治医が全く言及し なかった治療であっても、母親が必要と感じたものは主治医に依頼し、やっ てもらえるように交渉しようとする。それについて、Dさんは「親が、いろ んなことを、主導で。すごく、入院が必要なときは、もうお任せするしかな いけども、そのほかのことはもう全部親なわけじゃない」(事例D)と語り、
Cさんは「親がやっぱり様子を見てて、これは(医師から処方された薬など)
どうも効果がないみたいだなって思ったら、言って、変えてもらう」(事例C)
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このように、現在の医療者への接し方に関しては母親によって違いが見ら れるが、共通するのは、母親が、主治医との関わりを維持しながらもく自律〉
するようになった点である。ここでいうく自律〉とは、子どもの日常的なケ アに関して、すべて医療者に判断を任せ、精神的に依存するのではなく、母 親たちが子どものケアを主体的に担うことを指す。母親は、子どもにとって より良い生き方を考慮し、子どものニーズと医療者の言動を見極めながら、
最適なケアと、医療者との新たな関係性を構築することになるのである。
4 全 体 の 考 察 と ま と め
本研究は、重症児の母親が、医師との関係を形成し、変容させていくプ ロセスについて考察を行った。その第一段階が主治医への依存である。子ど もの障害に対する自責感、障害が大幅に軽減・完治するという期待感から、
母親たちは、医師への依存を強めていった。しかし、やがて母親たちは、障 害の受容が可能になったことや、母親集団などから知識を得、医学技術の限 界や医師・医療者の言動の問題点を気づくことできるようになると、医師へ の依存心を低下させ、母親自身でく自律〉して子どものケアを行うようにな る。これらの段階を経て、母親は主治医と新たな関係性を築こうとする。こ の関係性は、母親によって異なり、ある母親は、「医師」、「患者家族」という 役割を超えて、主治医と対等な人間関係を築こうとしていた。また、これま でのケア経験や母親集団から知識を得て、主治医よりも適切な判断ができる 場面では、母親たちは、子どもにとって最善の医療的ケアが受けられるよう に、医師を導こうと努力していた。また限度を超えた非倫理的な言動が見ら れる主治医の場合には、母親は、治療を受けられる施設が非常に数少ないと いう現状にもかかわらず、主治医との関係の断絶を決断せざるを得なかった。
こうしたプロセスの中で、特筆すべきものは母親集団の影響である。重症
児の母親と主治医間の関係性を構築し、依存する客体ではなくく自律〉する
主体になっていく上で、同じ障害児を持つ母親集団が深く影響をもたらして
いた。それは、まず「自分だけじゃない」という経験の共有から、個々の母
親を孤独から救い、また同じ経験を共有する仲間意識から、安心感を与える。
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加えて、それぞれの母親が子どものケアをしてきた経験から障害に対する数 多くの情報を得られる重要なチャンネルになっていたと考えられる。こうし て、子どもの現状を把握して重症児の置かれている状況を確認する意味でも また将来に対する備えを作っていくという意味でも、母親集団は重要な情報 源となっていたのである。そのことについては、今後継続して検討していき たい。
重症児をもつ母親は、社会で生きていく上で、様々な困難や葛藤に直面す る。言い換えれば、障害を有した子どもをもつことから生じてくる困難や葛 藤、責任は、まさに母親に担わされるのである。こうした困難の中、主治医 との関係をどのように構築していくのかというプロセスを、母親自身が行な った判断に即して明らかにしたことに、本稿の意義はあると考える。重症児 をもつ母親と子どもの主治医と関係性について実社会においてすぐに解決す ることは難しいが、本稿で明らかになったく自律過程〉のプロセスは、これ まで軽視されてきた母親の視点を盛り込んだ点で、重症児の医師患者関係の 望ましいあり方について、新たな議論の土壌を用意することが出来たと考え る 。
本稿は、重症児の母親と主治医との関係性についてカテゴリーを用いてま とめたが、障害児の母親と主治医との関係性の変化は個々の人々ごとに多様 だろう。なぜそうした多様性が生じるのかについて今後更に研究を積み重ね ていきたい。また今回の調査では、対象地域、対象者やその子どもの年齢に 偏りがある。重症児の母親を取り巻く国内の状況を傭鰍的に記述するため、
今後はより年少の子どもをもつ母親の事例、あるいは母親以外の者が在宅ケ アをしている事例も対象とし、対象地域を広げるなど、介助者を取り巻く様々 な状況を加味したうえで、考察を深めていきたい。
注
l)本稿で用いるく自律〉とは、本文中に示されている通り、母親たちが長期間に
わたる子どものケアを担う中で、子どもの症状を把握し、医療者に医療行為の判
断を任せ、精神的に依存するのではなく、主体的に子どもにとってより良い生き
方を考慮し、ニーズを見極めながら、最適なケアの選択を行っていくことを指す。
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2)1966年、厚生省次官通達で、身体的・精神的障害が重複し、かつ、それぞれの 障害が重度である児童および18歳以上の者を「重症心身障害児(者)」と定義し た。その後都立府中医療センターの大島良一氏が発表した重症児(者)の区分法 は、関係者によって広く用いられるようになり、「大島の分類」として知られ現在 でも用いられている。「大島の分類」による重症児とは、寝たきりあるいは座位が 保てる程度の運動機能を有し、かつ、知的の能力として、IQ35以下という条件を 満たす者である(江草,2004)。
3)子の障害が負う当初とは、子どもが高熱を出したりするなど、身体の状態に異 変が起きてから障害が残ることを告げられるまでの時期を指す。
4)ホックシールドによれば「感情管理」とは、人と接しコミュニケーションする 上で行われるものである。つまり、私的な目的のために感情の領域で意識的かつ 積極的に演じる私たちの生得能力を利用しようとする「道具主義的スタンス」で ある。例えば私たちはプレゼントをもらったとき喜びをあえて大きく表すことが ある。また、憎らしい人の葬式に参加した時は喜びを表出しないようにするだけ でなく、そう思うべきではないのだ、というように喜びの感情を抑制しようとす る。さらに、たとえ怒りを表す時であっても椀曲にそれを表そうとしたりする。
このような一連の行為をホックシールドは「感情管理」と定式化するのである ( H o c h s c h i l d , 1 9 8 3 ) 。
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社会学論考第34号2013.11 付記
本研究は、科学研究費補助金(基盤(B)課題番号21330124研究代表者立教大 学木下康仁)の補助を受けて実施された。
(ほうしようらん、首都大学東京大学院博士後期課程)
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