一 論 文 ‑ B高u岡 短ll. T期ak大 学a ok紀a N要ational C第oll1 1eg巻e, Vol.l l平,M成a r1 0dh年13998月
使 用者の技術
′ト 松 研 治 ・ 小 郷 直 言*
( 平成9 年10月31 日受理)
要 旨
熟練 を積ん だ人の技 能は 一 般に言葉では説 明でき ない知 識である といわ れ る。 しか し, 頭の中にあ る知識だけが その人の技能を造り出して いる わけではない。 使 用者が配 慮の行 き 届いた道 具 を使 用 す ると き, さ らに, 使 用者が配 慮の行 き 届いた作 業 環 境にいる ときに は, 使 用者は明 らか に外 界にある 知 識のお陰でうまく 作 業が行 えるの である。 こうした外界にある知 識の活 用は, 技 能というよ り はむ
し ろ技術と呼べるもの である。 本 研 究ではこうし た技術 を 「使 用 者の技 術」 と解して, それにつ い て
具 体例 を基に考 察 を行った。
キ ー ワ ー ド
技 術, 技能, 道具, 作 業 環境, 使 用者
1 は じめに
質 問者はあ る高名な工芸家にお そ る お そ る 尋 ねてみ た。
「工芸 を やってお も しろいですか?」
「当 た り前短。」
「どういう ところ が? 」
「作っ ている と き に は苦しい こともあ る が, 完成した と きの達成 感は や った もの し かわ か ら んよ。 」
「そ れはど ういう 壮快感ですか? 」
「 ‑ ‑ ‑
」
「そうした幸 福感を私 が得られ る ようにな る た めに はどのよ うにすれ ば よいか説明し て
いた だ け ませ ん か? 」
「ごた ご た質問 ばかりせずにやってみ な さい, そ うすれ ば 私の言 っている意味がわかるよ
うに な る よ。」
質 問者は揚 げ足 を取るかのように
「先生 はいま『私 の言っ て いる』 と おっ し や いますが, な に を言 わ れ たこと に な るので
しょうか?」
すこしむっとした表 情で,
「言葉では説明でき んから,やっ てみ ればわ
かる と 言っている ん だ。」
質問者はこ の後さ らに食 付いてな お も質 問 を続け ようとする が ‑ ・t・。
状況 を 察して, そ ばにいた先生の弟子が,
か って, 先生 に 言 わ れ た ように実 際にやって みて, や っと先生の言っ て いる意味 が わか っ
た ということ を盛ん に力 説 し, 質問者を納 得 させよ う とした。
し か し質問者はさ らに,
「で は, あ な たのわか っ た ということ を私に 産 業工芸学科 *大 阪 大 学経 済 学部
5 2 小 松 研 治 =J、 郷 直 言
説 明し ていた だ け ませ ん か? 」
「だから, 先に先生 が おっ し や った ように,
やっ てみ れ ば わかる というこ とですよ。」
「わ たしは, さきから, わかる というのな ら 言葉で説明してく だ さいと お 願い し ている
のですが? 」
「 ‑ ‑ ‑
」
この作り話では, かくし て, 先生 そっく り
の弟子 ができ あ が る。 すな わ ち, 無言で こつ こつ仕 事を続け る わかりのよい弟子 た ち が 生 み出さ れて いく。 弟子 は先生の技に 一 歩でも 近づき, そし て できれば越え たいと 願い 一 生 懸命励 む に ち がいない。 そういう意 味でわ れ わ れ が考えている 以 上に非 情な競争 社 会と も
いえ る。 この世界は 必然とし て,
一 つ の共 同
体, 徒 弟関係として技能や造る精神 が 秘伝化 さ れや すく な る。 そ れ が, 伝来 という形で受 け継が れていく。 学 校のように言葉に よって で はな く。 こ の世界で は, 言葉は かえっ て じ や まなものとし て忌 み嫌わ れ ることにな りや す
い。
こうし た 一 見変 哲も な く よ く奉る と 思 え る 問答が 延々 と続く が, わ れ わ れ はこれ を けっ
してく だ ら ないと は思わ ない。
「語 らずともわ
かる」 ということ は確か にある だ ろう。 先の 質 問者 もそ れに つ いて は百も衆知し ている。
し か し質 問者や, 工芸 を は じ め ようとする初 心者はいつまでたっても, 彼らの いう工芸の 世界に入 れても ら え ないで門から 閉 め 出 さ れ ている状況が今日も続くことにな る。
* 1両者の 意見の相違が起こ ってく る 原 因に は, 技能と
か技術に関する考え方の相 違が あ る と 思 わ れ る。
田中 美 知 太 郎が技術と技能との違いにつ い て明 確に述べ ている 文章があるので多少 長 い が 引 用 し てみ よう。 『‑ ‑ ‑ 世 間で は, 技術とい う ものを, 熟練 というよう な ものと 同じ だと 考え る 習慣がないでは あ り ませ ん。 わ た した ちが職 人 と 呼 ば れる人 た ちにつ い て, 技術と
いう考え を使 う 時 な どに は, こ の意味にな り
ま す。 これは し か し区 別 しな け れ ば な ら ない 点が あ る と 思います。 というのは, 熟練とい うものは, 言葉で説 明でき ないものなのです。 実地にぶつ かっ て, いつ か自分で悟ること が
でき る だ けです。 そ れは目 分 量や, 手にとっ てみ る触 覚だ けで, すぐ わか っ てし まうとい うような, 何か磨かれ た感 覚のようなもので
す. 名人 芸 と 呼ばれ る ものも, こ の 一 種です。 だから, そのま までは, ひと に教え ら れ ませ ん。 目 分 量 は自分に しか わから ない こ とで,
ひとのは ま た違 うで しょう。 こういう ものは, 知識と は な り ません。 科 学 や学 問の求め る よ うな 知識と は な り ません。 学問 的知 識という ものは, ひとに教え られ, わ たした ち が学ぶ
ことのでき る ものでな け ればな り ま せ ん。 そ
の教える とか, 学ぶ とかいうこ とは, 青葉で 説明し て分かること を前 提とします。 わ たし た ち が学 校や 書物で学ぶのは, こうした知 識 なのです。 ところ が熟練は, た と えば名人 芸
で見 ら れ る ように, こん なことで は学 ばれ ま せ ん。 そ れは書物に書いて説明する とか, 誰
に でも分かる ように話し てきか せる というこ とのでき る ものでは あ り ま せ ん。
ところ が, 科 学 技術と か, 工業 技術とか い う 場合の技 術は, 誰でも学ぶことのでき る学 問的知 識が, 製 作とか, 動 作とか に結びつ け ら れ た もの に ほか な ら ない のです。 だから, 技 術の進歩というようなこと も 言 わ れ る わ け で, そういうこと が 言 わ れ る 場合には, そ れ が学問 と 同じように, 他か ら学ばれ, 受けつ がれて, 改 良さ れ, 進歩するものであ ること を 認 めている わ けです。 し か し名人 芸 は, 個 人 と 共に滅 びて しまいます。』1)個人 と共に滅 び
て しま うのだから, 言葉に して説 明する 必 要 が ないと あ き らめ て しまうか, あ るいは高を 括って しまうことは容易いかもしれ ない。 し か し, 名 人 芸, 匠の技 な ど と 呼 ば れる技能の 中にも 知 識 とし て伝え, 教え ることが可能な 技術的 側 面は, はたし てまっ た く含ま れてい
ない のかと 問 うてみることは無 駄 なことでは
使 用者の技 術
ないように思わ れ る。 これ に向けての 一 つ の アプロ ー チ は, あえて技術と技 能と を明確に 区別 し て, まず, 技術の方から 見ていくこと であ ろう。 これに対する わ れ わ れの取 り組み
を 示 そうとすること が本稿の目的であ る。
2 外界にある知 識に目を 向ける
わ れ わ れ は技 術の主 た る役割と してまずは
「作 業を単 純に し てく れ るもの」 と考え るこ と に し よう。D .A .ノ ー マ ンに よ れば, 『技 術を 利 用 すること に よっ て作 業を組み直すこと が
でき るし, 技術が ユ ー ザの精神 的な負荷を‑ らす手助け をし てく れ る 可能 性も あ る。 技 術 を使った 手助け は, あ る行 為に は他のやり方 も あ るのだ ということ を示 し てく れ た り, 作 業が ど ん な意味をもっているのか を わかりや すく した りする。 ま た, ど ん な結果にな るの か を もっ と完全 に, ま た 理解しやすいように 示してく れ た りもする。』2 )この作業というのは 確か に製 作や 製造の過程 を第 一 次的に イメ ー ジ さ せ る が, し かし, よ り 広 く わ れ わ れ が様々 な道 具を使 用 する際に出く わすこと まで をも 含め た 広義に解釈できるのである。 こ こ では 作 業をする 主体を 広い意 味で使用 者と考え る こと にする。* 2技 術が作 業を単純にするという
こと は, 何か定理や必然性か らく る と 主張し ようとする ものでは な く, む し ろ 人間の人為 に よ る工夫によって生 み出さ れてく るもので あ る と考え る 必 要 が あ る。 た だ し, 人為によっ て常に よい工夫が な さ れ る と は 限 ら ない。 実 社 会で見 ら れ るのは技 術が機械の多機能化 を 押し進めて しまい, 反対に使用に際し て複雑 さ を体験 する という場面 が多く な りつ つ あ る
ことであ る。 多機能な 電 話 やビデオな どの使
いにく さ を想 像し てみ れ ばい い。
人為によ る工夫と先に言っ た が, これは使 用者のた めにモノを デザインす る, と一 般的 に称し てもよいだ ろ う。 わ れ わ れはこれ まで にも 「モノ のデザイン」 ということ をより拡 大し て解 釈し, そ れに 「作業のた めの環境」
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をも 含めて考え る ように してきた。 よって作 業環境 自 体にも作 業 を簡 単にする技 術が多数 あ らか じめ設け ら れて いる と考え る。 こ のよ うな 立 場に立つ とすれ ば, 使 用 者はうま くデ ザインされ たモノの形 とし ての技術と, そ れ ら が作 業環境の中に適切 にレイアウト さ れ た 形での技術という二 つ の 「技 術」 に囲ま れて
作 業をし ている といえ る。 この両方の技 術に よって作業が単純に な る ような状況をこ こ で は考え ようとし ている ( 第4 章を参 照)。
この 二 つ の形の技術の特 徴は, ど ち らも単 体でた と えば物理的なものと して表 現さ れ た 技 術の特徴としてよ りも, 使 用者に使用さ れ る という過 程で こそ本 来の機 能を発 拝する た め, 人 とモノと環境という形で の技 術と を 一 体とし て考え たシ ス テムを分 析の単位とし て 取り扱わ な けれ ば な ら ないという特性を持っ
ている ( 第3 章を参 照)。
そのた め に使 用者である 人間の特性を も 同 時に考慮 する 必 要 が あ る。 こ こ で考慮しよう とするのは, 人 が作 業を行って いる とき, ど
のような知 識( 技 術とほぼ 同義に解 釈できる) に基づいて いるのか ということであ る。 その 際ノ ー マ ンがいうように 「頭の中の知 識」 と
「外 界にある知 識」 という二 つ の道標と な る 知 識を 区 別すること が参考と な る。
普 段, 日常的な場面でのわ れ わ れの行 動や 作 業は, 頭の中の知 識と外界に あ る知 識と を 組み合わせ て使って いる。 た だ し, あ る 課 題 な り作 業を行 うと き に 必 要 と な る二 つ の知 識
の間には ちょうど トレ ー ドオフ の関係が あ る というのがノ ー マ ン の主張であ る。
外界にあ る 知識を利 用した作 業の場合, そ れ を わ ざ わ ざ苦労して学ぶ 必 要はない。 その た めに初めて の道具 や 環境でも容 易く, 間違
いも 少 な く, 作 業がス ム ー ズ に行え る という 特 徴が あ る。 外 界にあ る 知 識の 一 例 とし て,
タ イプラ イ タ ー のキ ー には 文字が印 字さ れて
いるのでキ ー の配 置 を憶えて いな くても 誰で も が使え る。 し か し, 外 界にあ る 知 識 だ けに