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小コミュニティの社会位相空間論 ―― マレーシア潮州人漁村にみられるリズム・テンポ・メロディー ―― [A Small Community as a Sociotopological Space: Rhythm, Tempo and Melody of a Teochiu Fishing Village, Malaysia]

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東南 アジア研究 24巻1号 1986年6月

資料 ・研 究 ノ ー ト

小 コ

ュニテ ィの社会位相空 間論

マ レー シア潮 州人 漁 村 にみ られ る

リズ ム ・テ ンポ ・メ ロデ

ィー-川

二*

A

SmallCommunityasaSociotopologiCal Space

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Tempoand MelodyofaTeochiu FishingVilhge

,

MahyS1●

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KAWASAXI●

Malaysian societyisa typicalpluralsociety ofseveralethnicgroups,ofwhich theChinese constitutethesecondlargest.Thesocietyisan aggregation of ethnically homogeneous co m-munities.Chinesecommunitiesinruralareaare oftwotypes:newvillagesandnonnew villages. Thenewvillageswereorgani2;ed undergover n-mentalcontrolin the 1950sand have urban characteristics. The nonnew villages which predate them were fbm ed around Chinese religiousbuildings(miao)andprimaryschools.

TheTeochiufishingvillagewhere1livedfor aboutoneyearand 丘ve monthsfrom October 1980 isofthe nonnew type. In thisvillage communitycanbefoundsociotopologlCalspaces consisting of activities and relationships of villagersdetem ined bysituationsin particular physicalspacesinthevillage. Iwilldemonstrate thatthereare two sortsofchangesin these sociotopologlCalspaces. One involvesthe fu

n-*東京大学東洋文化研究所 ;Institute ofOrie n-talCulture,TheUniversityofTokyo,7-3-1 Hongo,Bunkyo・ku,Tokyo113,Japan 18

damental rhythmswhichareobserved cyclically intheyear,themonthandtheday.Theother ismadeupofnoncyclicalchanges,namely,rites ofpassage,abnom alsituationsandinteⅣention byoutsidersinthevillage.

With respectto fundamentalrhythms,three sociotopologlCalsubspacesareimportant.These are thespacesoffiShing activitiesformedby adultmen,theChinesereligiousspacefam ed by women,and the Chinese prlmary SCI1001, wherechildrenlearnabouttheoutside world. Oftheritesofpassage,thefuneralriteismost important.The villageasa whole transforms intoanabnom alstateduringthisrite.Abnor一 malsituationssuch asshortage ofwaterand 負retendtomakethevillageacorporate body. Whenoutsiders,forexample,Teochiuoutsiders, non-TeochiuChinese,MalaysandIndianscome to thevillage,the village reacts as ifithas biologlCalimmunity. Outsidersare considered asantigens,and villagerswho havewidenet -worksoutside thevillageandrich experiences withsuchoutsidersactasantibodies.Bythese villagers'efforts,theinfluencesofoutsidersin thevillageareminimized.

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川崎 :(トコ ミ1ニテ ィの社会位相空間論 は じ め に 筆者 は1980年10月12日か ら1982年 2月7日 まで ,途 中数 日か ら10日前後 の不在期 間1)香 除いて ,マ レー シア, セ ラ ンゴール (Sel an-gor)州北西部 の潮州人漁村

S

村2)に継 続 し て住 み こんだ。 このおよそ1年 5カ月 の間 , 筆者 は参与観察者 と して村 の社会生活 に参加 した。そ こで筆者が感 じた ものは, この

S

村 を と り巻 く目にみえない社会空間の境界 と, 村 の社会空 間 に時間的位相変化を もた らす村 に固有 の リズムや テ ンポ,そ して メロデ ィー で あ る。 社会 の構成要素 は個 々人で ある。 しか し, 社会空間 は決 して個 々人 のみか らな る もので はない。む しろ社会空 間 とは,個 々人 によ っ て意味づ け られた個 々の識別可能 な物理空間 と個 々人 とが織 りなす ,人 と物理空 間の結合 体で ある。 この社会空間の要素で ある個 々人 と個 々の物理空間 との関係 は多様で あ り,決 して一意的で はな い。 この要素間 の関係 を決 定づ ける もの こそ は,個別の位相を与え る状 況変数で あ る。 この状況変数 は時間で あ るこ とも多いが ,また村 の社会空 間に対 して外在 す る個 々人で あ った り,あるいは予見不可能 な 自然現象や村人 た ちの行為 その もので ある こと もある。同一 の要素か ら複数 の社会位相 空間が形成 され る。社会空間 (以下 ,特 に断 らないか ぎ り,社会位相空間 と同義 の語 と し て使 う) に とって本質 的な ことは,認識 され 1)不在期間は1980.10/29-10/30(10/29に村を出 て10/30に村に帰ってきたことを表わす),12/9 -12/10,1981.1/2ト1/25,3/30-4/2,6/24-6/ 27,7/3-7/5,8/19-8/30,12/14-12/16,1982. 1/16-1/17,1/23-1/24,1/26-1/28,以上31泊 42日間である。村人たちとともに村外での村人 の葬式-の参列,村人の漁船に乗って出漁して 村を離れた場合は,この中に含まれない。 2)S村についての概略は川崎 [1984]参照。 るその実体が観察者 に依存す るとい う,その 性格で ある。本稿 で叙述 ・分析 され る村 の社 会位相空間 とは,村の部外者で あ り村人た ち とは著 しく異 な る文化的背景を もつ筆者 によ る観察 に基づ く実体 にはかな らない。 近代 国家 マ レー シアにお い て は 当 然 な が ら,国家全土 において共有 さ れ る時 の 流 れ が,標準時 (日本 よ りも1時間遅れ) によ っ て定 め られ ,それ は発達 したマス ・メデ ィア によ り全国津 々浦 々にまで伝播 され る.3)国 家規模での暦 の標準 にな って いるのはグ レゴ リオ太 陽暦で あ り,一見 した ところ近代的で 画一的な時 の リズムが打たれて いるよ うにみ え る。 しか しなが ら,マ レー シア国土のあ る 部分的な社会空間 に注 目す ると,その小地域 には固有 の時 の流 れや社会生活 の リズムが現 れ る。 村落 コ ミュニテ ィに現れ るこの時間的 変化 は,年 中行事 や通過儀 礼 に お い て と 同 樵 ,経済活動や社会生活 の中に もある。本稿 は,村空間の もっている固有 の リズム ・テ ン ポ ・メ ロデ ィーが ,村 の社会位相空間の位相 変化 と して ,どの ように現れて いるかを記述 し,分析す る もので ある。 Ⅰ マ レーシア社会 におけ る村空間の 位置づけ マ レー シア社会 の複合性 は,複数民族の共 存 と地理 的および社会 ・経済 的な さまざまな レベル における不均質な 民 族 分 布 に あ る。4) マ レー シア半 島西海岸 の農村部 に位 置す る

S

村 は,マ レー シア社会全休 の中で次 のような 部分空 間 におかれて いる。マ レー シア社会 は マ レー人 ,中国人 ,イ ンド人 ,原住民 などの 3)従来,半島部とサバ ・サラワク地域では棲準時 間が1時間はど違っていたが,1982年1月 1日 以降サバ ・サラワク時間に統一され,シンガポ ールも同時にこれにならった。 4)川崎 [1985C]参照。

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東南 Tさ′ァ研究 24巻11号 民族集団によ り構成 され る。半 島部 において

は原住民 の占め る割合 はわずかであ り,基本 的に他 の

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民族が主な構成員 とな っている。

半 島部東海岸北部 の トレンガヌ(Trenganu), クランタ ン (Kelantan)両州で はマ レー人 の 比率が圧倒的に多 く,西海岸で は中国人 ,イ ンド人 の比率が比較的に高い。半 島部西海岸 地域 において は海峡植民地以外 に もクア ラル ンプール (KualaLumpur),イポー (Ipoh), セ レンバ ン (Seremban) などの都市が 発 達 した。 これ らは皆 スズ鉱山の隆盛 によって発 達 した都市であるが, こう した都市部 には流 入 した中国人や イ ン ド人が商業者化 して民族 ごとに独特 の街区をつ くりあげてい った。一 方,農村部ではマ レー人が稲作 を主 とす る農 村村落を形成 してお り,マ レー的な伝統を保 持 しているとともに,広大 なェステー トが主 に西欧資本 によ ってつ くられ,そ こには多 く のイ ンド人労働者が働 き, コ ミュニティを形 成 していた。また,海岸部では比較的古 くか ら中国人た ちが漁業を営み続 けていた。つま り半 島部西海岸 の農村部 は基本的にマ レー人 の農村地帯ではあるが,多 くの中国人 ,イ ン ド人た ちの住む都市や町を控え,マ レー人 コ ミュニティの周辺 に中国人 ,イ ンド人 コ ミュ ニティが点在す るとい うモザ イク状 の社会空 間をつ くり出 している。 i)新村の社会空間 中国人 の民族的な凝集力 はさまざまな形で 現れ る。 中国人 とい う民族集団の下位集団 は 方言集団である。 この方言集団 ごとの分布 は 各州,各願 において偏 りが大 き く,さまざま な方言集団が雑居 している都市や町 において は,その地域の共通 の言語 と して北京語 ,広 東語 あるいは福建語などが 使 わ れ て い るoS) 方言集団を基礎 と した同郷組織である「会館」 や同姓 の者か らなるクラン ・アソシエー ショ ンは,都市部 において重要 な意味を もつ。 し 20 か し,農村部 において は,これ らの紡織 よ り もむ しろ地縁集田 と しての コ ミュニティの方 が よ り大 きな社会的意味を もつ ことが多 い。 特 に,それが排他的でかつ同質的である場合 には極めて大 きな意味を もつ。都市近郊や農 村部 にみ られ るこうした中国人 コ ミュニティ は,ふたつ に大別す ることがで きる。ひ とつ は 「新村」で あ り,他のひとつ は 「新村」以 外の村落 コ ミュニティである。 新村 は

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年代当時の治安状況 の悪化 に対 応 して政策的 に再編成 された コ ミュニティで あ り,マ レー シア全土で数百 とい う単位でつ くられ,その分布 は東西マ レー シアの極 めて 広 い地域 にまたが っている。居住者 は必 ず し も中国人 ばか りで はなか ったが,大部分を中 国人が占めていた。 しか し,設立当初か ら今 日に至 るまでの間 には多 くの変化を受 けてい る.6) このような新村 の中には社会秩序 の恢 復 とともに住,民が流出 して 自然消滅 した もの もあったが,今 日まで続 い て い る もの が 多 い。 新村の社会空間 は極 めて特殊で ある。 その 理 由は成立過程 にある。 新 村 は 内 (中心 ・ 核)か ら外- と発展 した ものではな く,外か ら内に無理や りに押 しこめ られた ものだか ら である。 この外か ら内に向か う強い力は,例 えば新村 をと り囲む よ うな有刺鉄線 の存在 に よ り物理 的に表現 されて,いまなお一部 に残 されている。また新村 の入 口に掲 げ られ るこ とのある大 きな門 は, ここが明 らかにはか と は違 う,特殊な空間で あることを明示 して い 5)例えば,クアラルンプールやイポーで は広東 語,ペナンや ジ ョホール ・バル (JohorBa -ham)では福建語・が,共通語として広 く使 わ れている。 6)1980年前後の新村の州別人口分布 (Ministryof HousingandVillageDevelopmentの内部資 料により作成 した。正確な資料作成年は不明) と1954年 の州別 の新村 の数 [Nyce 1973: L Table6]は,次ページの表の通 りである。 7 -J IJ t ト 日 ,.LL . -T I J . 7. .. I . i:

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川崎 .・小 コ ミュニテ ィの社会位相空間論 る。新村 の家屋 は密集 して い る。 それ はあた か も兵舎 のよ うにか ざ られた空 間 に最大限 の 人員 を詰 め こむかの よ うに 整 然 と秩 序 正 し く,重苦 しくな るよ うな凡 帳面 さで家が並べ られ る。 都市近郊 で あると農村地域で ある と にかかわ らず ,新村 の家並 み は村 とい う名前 の響 きとは裏腹 に,都市 の雑然 と した街区 を 想起 させ る。 外 か らの力 は人 々を してまた特 異 な性格 を生 じさせ た。 それ は中国人 とい う 枠組 の中で の同質性 の高 さと,方言集 団 の混 在 で ある。 本来 ,民族 と して の凝集 力 は方言 集 団単位で強力 に働 き,職 業集 団,各種 のア ソシエー シ ョンばか りで な くコ ミュニテ ィ形 成 にあ って も重要 な役割 を果 た して き た。7) しか し新村 において は,異 な る方 言 集 団 を 7)川崎 [1978]を参席。 注6)の 表 も外 か らの圧 力 によ り,ひ とつ の場所 に封 じ こめて しま った。 この方言集 団 におけ る雑種 性 は新村 の都 市 的な性格 を よ り強め る。 さ ら に,新村形成後 の人 口の着 実な増加 は,村 内 に押 しこめ られた 人 口密度 を 確 実 に押 しあ げ,ます ます都市街区的な色彩 を強 くす る。 新村 内部 には こう した状況 に対応 して,わず かな隙間か ら都市 的な機能 が噴 き出 して きて い る。 映画館 ,「飯

店」

(レス トラ ン),「旅

」 (ホテル),そ して 方 言 集 団 ご と の 「会 館」 (ア ソシエー シ ョン)が凝集 力 の 核 と し て新 た に形成 され る。 こう した新村 とは対照的 に,政府 の政策 的 な影響 を ほ とん ど受 けず に発展 して きた村落 コ ミュニテ ィ も存在す る。 こう した村落 の人 口は概 ね1,000人前後で ,中 には200-300人程 度 の もの もみ られ る。方言集 団 は比較 的 に同

計 注8)の 表

盲豪-

聖竺I

西 海 岸 内セランゴール可 計 計 49・303 100 7・817 100 I 26・662 100 i 75 ・965 100

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東南 TS77研究 24巻1号 表1 サバ ・ブル ナム麻 の中国人漁村 村 名 I K I R ∫ T I B 1 0 l C I S J G J E Ⅰ■‡ 蘇 陳 育 育 有 育 育 謝 育 育 蘇

+

「馬華公会」 (マ レー シア中国人協会), ++「民政党」,

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I++TとBの共用, +*++基地 はあるが, すでに飽和 している 質 的 で , 自律 性 と と もに 強 い排 他 性 を も って い る。 こ う した 村 落 を 特 徴 づ け る もの は 中 国 伝 統 の 廟 と 中 国 語 小 学 校 で あ る。

S

村 は ま さ に こ う した 村 の典 型 に は か な らな い 。 ii)漁 業 ・漁 村 空 間 の社 会 的 意 味 漁 業 は マ レー シア経 済 の 中 で そ れ ほ ど大 き な位 置 を 占 め て は い な い が ,漁 業 活 動 の 中 で 中 国人 が 優 位 な 地 位 を もっ こ と は特 筆 す べ き で あ る。 数 の上 で は マ レー人 漁 民 に や や 劣 る ちの の,8)近 代 化 の進 ん だ 中 国 人 漁 民 た ち の 22 ひ と りあ た り漁 獲 量 は , マ レー人 漁 民 を 凌 い で い る こ とが 多 い 。 特 に , 西 海 岸 に点 在 す る 漁 村 の 多 くは 中 国 人 , 中 で も潮 州 人 た ちか ら な る もの で あ り, この よ うな 漁 村 の存 在 も不 均 質 な民 族 分 布 の 一 端 を 表 わ す もの で あ る。 漁 業 活 動 に お け る 中 国 人 の優 位 は単 に漁 獲 水 扱 げ 量 な ど の量 的 な もの に か ぎ らな い 。 流 通 経 路 も潮 州 人 を 中心 とす る 中 国 人 た ちが 垣 っ 8)1973年の西 マ レー シア東西海岸の漁民数 (漁船 による) は,前ページの表の通 りである [岩切 1977:290-291,第2表]。

(6)

)tt埼 :小 コミュニチイの社会位相空間漁

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新開地Ⅰ

日 新

開 地 Ⅱ -I l

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港口

」左岸

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図1 村 の 構 図 てお り

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)魚市場で飛 びか う売買の 言葉 は主 に潮州語 なので ある。 セ ランゴール州北西部 に位 置す るサバ ・ブ ル ナ ム 麻 (Sabak Bernam District)には,

S

村 をは じめ九つの中国人漁村が あ り,それ らは皆 ,主 に潮州人た ちか らな って いる (表

1

参照)。出身地 も潮州地方 の澄海 原 と い う 比較的狭 い地域 にか ぎ られ る ことが多い。村 の歴史 は約70-80年 で あることが 多 く, この 地域への中国人移民 の流入 は20世紀初頭で あ った ことが うかがえ る。 漁村 の規模 は数十世 帯か ら数百世帯 まで とやや幅があ るが,その 基本的な存在形態 には類似点が多 く,特有 の 漁村空間を形成 して いる。 漁 村 は 多 くの 場 令 ,小河川 の両岸 に杭上集落 を形成 し,内陸 部

(

「巴内 Walai)

と呼ばれ る) に は マ レ ー人集 落を控 えてい る.漁村同士 のつなが り は,地理 的 に極 めて近 いTとB,それ に一方 が他方 に社会 ・経済 的に従属 的で あるKとR の例 を除 いて ,あま り強 くな く,それぞれの 9) 「永産物流通鎖積については‥‥‥集出荷から 卸売を経て小売りに至るまで華僑魚商の支配がi5Jil 強固であり,小数のインド人系魚商は弱小であ る。産地および消費地の卸売業者とくに後者の 多くは他分野の業務も持っていて資金力や華僑 独自の相互信用力も強 く,集出荷および分荷仲 買商を掌撞 している」 [岩 切 1977:3051。 漁村がかな り大 きな独立性 を もって いる。海岸線 に沿 って漁村 同士を結 ぶ道 は, わずかに車が1台 よ うや く 通 れ るほどの ものが プ ッシ ュの間 につ くられて いるば か りで,幹線道路 はよ り内 陸部 のマ レー人集落 の合 間 を縫 って走 って いる。 漁村 に 特 有 な の は 雑 貨 店 , 「魚行」 (魚商), 廟 , そ して 中 国 語 小 学 校 で あ る。それぞれの村 の大 きな 廟で は

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年 に

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度 「潮州劇」が神 にささげ ら れ る。 また政党の支部 を もつ村 も多 く,政党 のパ イプによ り村外の中国人社会 と密接 に結 びついて い る。また潮州会館 や クラ ン ・ア ソ シエー シ ョンは村人た ちを村外の潮州人社会 に関係づ けて いる。 現在 も使用可能 な墓地 を 村 内に もって いる村 は比較的 に少 な く,墓地 を もたない村で は隣州 ベ ラ (Perak)州 の 町 トゥロ ・ア ン ソ ン (Telok Anson)近 くの 「韓江義塚」 (潮州人 の会館が管理す る墓地) に埋葬す る ことが多い。 これ らの漁村で は潮 州人が数 の上で圧倒 してい るばか りか ,ひ と つ の姓が優位 にたつ ことが多い。漁村 間の世 帯 の移動 は特 に大 きなふたつの漁村へ の移住 を除いて は ごくまれで ,人 的移動 は女性 の婚 入 ・婚 出 にほ とん どか ぎ られ る。

村 空 間 i)社会位相空間 と しての村落 S村 は地理 的な 自然 の境界 によ り区切 られ る (図

1

参照)0「巴内」地区 のよ うにマ レー 人家屋が混在 して いるところ も あ る が

,

「港 口」や新 開地で は後背地 と してのブ ッシュが 「村落」 のま とま りを よ り明確 に して いる。 本章以下で対象 とす る村 の 社 会 位 相 空 間 と

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某甫 アジ ア研尭 24巻1号 .・ は, こう した 「村落」 において村人た ちが村 の中のさまざまな レベルの物理空間の中で, そのおかれた状況 によって規定 され る特有 の 行動様式 ,社会 関係 の全体 をさ して使 う。当 然 ,彼 らの行動範囲は村を越えて,近 くの町 やあるいはクアラル ンプールなどの都会 にま で伸び うる。 しか しなが ら,彼 らの行動様式 と活動密度 は村 内外で は著 しい違 いがあ り, 村 内での彼 らの活動全体か らつ くり出され る ものを,重層化 し絶えず変動す るが認識可能 な特有 のパ ター ンを もった村の社会位相空間 と して と り出す ことが可能である。 S村 においては社会空間を考 えるうえで次 の三つの軸が重要である。第1に,村を支え る経済的基盤 と しての漁業活動,第2に,人 々 を村へ と凝集 させ る伝統的な中心である世帯 内の祭壇や廟 にかかわ るよ うな宗教 ・儀礼生 宿,第

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に,村人 たちを村外の社会 に結 びつ ける近代 的な中心 と しての学校である。 この 三つ の軸 は村人 た ちの三つのカテゴ リーであ る男 ,女 ,子供た ちによってそれぞれ担われ る。つま り,漁業活動 は男 た ち の 仕 事 で あ り,宗教 ・儀礼生活は女 たちによって主 に担 われ,学校 に直接かかわるのは子供 たちであ る。漁業活動が男 たちによって担われ ること は,男女 の社会空間を明確 に隔て る。男 た ち 甲社会空間 は何 よ りも経済活動 の足場 と して の漁船 その もので あ り,男 たちが最 もその活 力を発揮す るの もこの漁船 上 に お い て で あ る。若 い男 た ちにとっては漁船 は単 に経済活 動 の場で あるにとどま らず,家 の前 に碇泊 さ せている漁船 は, 自分専用 の部屋を もたない ことの多い彼 らにとって は,友 と語 らい,休 息の時を得 る場 となること も少 な くない。一 方 ,女 た ちにとっては漁船 に乗 ることはほと ん どタブーとさえいえ る。清掃や補給のため に船上 にたつ ことはあ って も,出漁す ること はまずで きない。女 た ちにとって意味のある 社会空間 とは,家の台所,洗濯場で あ り, こ 24 う した女 の領域 によその世帯の男がた ち入 る ことは,そ こが商売の,あるいは仕事 の場で ある時以外 には,極 めて異常な ことである。 女 た ちの近所づ きあいはこう した台所や家 の 裏庭 をつな ぐ,小 さな集団か らな ってお り, 世帯主である男たちとは違 った種類 の社会 関 係 を もっ こと も少 な くない。女 た ちは世帯 内 外 において もっぱ ら儀礼生 活 の 実 務 に携 わ る。客間の祭壇や台所 の神 ,家 の前庭 の小 さ な岡 は,彼女 たちの世話す るところとな る。 そ して,彼女 たちが世帯外 において,安心 し て くつろげる場所 は村 内の廟なので ある。 こ こで は,各世帯のベ ランダで と同様 に行 き合 った人 々の間 に気楽な会話がかわ され,絶好 の気晴 らしの場 となる。乳幼児 の子供た ちの 活動範囲は世帯周辺にかぎ られ るが,彼 らが 幼稚園 ・小学校 に入園 ・入学す ると,子供世 界 と しての学校空間を新たに遵得す ることに なる。彼 らは毎 日,この世帯 と学校 を往復す る。 この 日々繰 り返 され る異空間の往復運動 が,彼 らの社会化 に多民族社会 の複雑 さの陰 影 を与え る。 村 の社会空間の最 も機能 的な部分空間 は, 各世帯 ごとにつ くられ る世帯空間で ある。 こ の世帯空間が必ず しも家屋 と一 致 しな い の は,世帯単位 を決める要素 の多様性 を考 え る と当然である。10)世帯空間を決め るひ とつの 要素 は共食であるが,例えば共食 とい うひ と つの要素 を もとに して も,さまざまな レベル の共食空間を村の部分空間 と して考 え ること がで きる。 この村 において は共食空間が世帯 空間を越 える場合 は,友人同士 のイ ンフォー マルな場合を除いて,比較的に少 ない。 それ は結婚式 ,葬式

,

「父母会」 の成立 記 念 日, 老人 の誕生祝 い,それ に学校 に関連 した行事 にほ とん どか ぎ られ る。 11) そ して, このよ う 10)川崎 [1985b]参照。 ll)村人たちが,あるいは世帯主が皆一堂に会 して 共食することはない。しかし 「童子爺」廟の生 誕祭や清明節の時には,世帯ごとに同じ額ずつ

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川崎 .・小 コミュニナ jの社会位 相空間論 表2 1982年マレーシア連邦セランゴール州祝日一覧 1月 1日 1月8日 1月25日,26日 2月 7日 3月 8日 5月 1日 5月 8日 6月2日 7月 9日 7月22日,23日 8月31日 9月14日 9月28日 12月25日 12月28日 陽暦新年 (グレゴリオ太陽暦新年) 回教先知穆竿黙徳誕辰 (モ-メット生誕) 農暦新年 (中国太陰太陽暦新年) 大賛森節 (ヒン ドゥー教徒の祝日) 雪蘭裁許丹誕辰 (セランゴール州サルタン生誕) 労働節 (メーデー) 衛塞節 (ヒン ドゥー暦新年) 最高元首誕辰 (国家元首生誕) 可蘭経降世 (コーラン経のための祝日) 閑粛節 (断食月明けの祭日) 国慶節 (独立記念 日) 居妖節 (ヒン ドゥー教徒の祝日) 吟芝節 (メッカに巡礼 したムスリムを祝福する日) 聖誕節 (クリスマス) 回教先知穆苧黙徳誕辰 (モ-メット生誕) な世 帯外で フ ォーマル に共食 空間 が形成 され る時 には,どの部 分空 間 に 構 成 要 素 と して 属す るか ,つ ま りどの テーブルで誰 と一緒 に 「菜

(料理 ) を共有 す るかが問題 と な る。 構 成要素 が多 くなれば な るほ ど,部分空 間 ご との違 いは明瞭 とな り, 自分 にふ さわ しくな いテ ーブル につ いた者 は食事 の間 じゅう気 ま ず い思 いをす る ことにな る。 ま た,村 の社会空 間 は地理 的な村落 に密接 に結 びつ いて い るが ,決 して それ にいつ もと らわれ るわ けで はな い。事実

,

「通 」 の 母 親 の葬儀 が村 外で行 われ た時 には,村 の社会空 間 の主要 な部 分空 間が 「通 」 の兄 の家 に もち こまれ た ので あ る。 ii)村 空 間 の リズ ム ・テ ンポ ・メ ロデ ィー 村 内 に形成 され るさま ざまな社会 位 相空 間 は決 して ,それぞ れ の部分空 間 ごとに固定 さ れた もので はな い。 む しろ,それぞれ の部 分 空 間 ごとに独特 の時間 的変 化 をす るのが常で あ る。 この村空 間 内 の さま ざまな社会空 間 に 出し合 って供物をそなえ,それをのちに等分に 分けることによって共食をしているとみること もできる。 み られ る時 間的位 相変 化 は,あ たか も村人 た ちを個 々の演 奏者 とす るよ うな 一 団 の 交 響 楽 団 にた とえ られ る。演 奏 は時 にバ ラバ ラで ,必 ず しも全 体 がひ と つ のハ ーモニ ーを奏で るとはか ざ らな いが ,個別 の演 奏 には共 通 した様式 がみ られ る。本節で は, この村人 た ちの演 奏 を リズ ム ・テ ンポ ・メ ロデ ィー とい う 三 つ の側面 か ら分析 す る。 < リズム> 多民 族社会 で あ るマ レー シア には複数 の時 の流 れ の リズ ムが 基 本 にあ る。近 代 国家 と して は 西暦 が , ムス リムた ちに と って はイス ラム暦 が ,中国人 た ちには 「農暦 」 と呼 ばれ る伝統 的な 中国暦 が ,そ して ヒン ドゥー教 徒 には ヒ ン ドゥー暦 が あ り, こう した各 種 の リズムが 重 ね合 わ されて マ レー シア独特 の複雑 な リズ ムを打 ち出 して い る。 この多様 さの一 端 は, 例 えばセ ラ ンゴール州 の祝 日の一覧 表 (表 2 参照) をみれ ばす ぐに理 解 す る こ と が で き る。 しか しなが ら村 の中 において は,わずか に学校 が このマ レー シア独特 の複 雑 な リズ ム を一部 に反 映 させ て い るに とどま り,村人 た ちの生 活 リズム に他民 族や 近 代 的 な も の が 及 ぼす影 響 は驚 くほど少 な い。「陽暦」 (グ レ ゴ リオ太 陽暦 )新年 や ク リス マスの もつ意味 はほ とん ど な い に等 しい し, 断 食 月 明 け に あ るムス リムた ちの最大 の 休 日 Ha

r

iRaya Puasaで さえ , ご く一部 の村 人 た ちに影響 を 与 え るにす ぎな い。12) ヒ ン ドゥー教徒 た ちの 12)村人たちの中でこうしたマレー人の祝 日に招か れるのは顔役たちであることが多い。彼 らのマ レー人のもてなしに対する評価はかなり低い。 ひとつには食事のマナーに対す る様 式 の違 い で,手で食べること (客として招かれる村人た ちにはスプーンが出されるにしても,同席のマ レー人たちが)は彼 らにはな じみにくいし,ま

(9)

東南アクア研尭 24巻1号 祝 日に至 っては,道すが らにその一端をかい まみ るとい う程度 であ って,積極的な影響 は 皆無 といってよい。 村空間の リズムを形づ くっているのは,何 とい って も村の生業を支え る漁 民 た ちで あ る。 彼 らの出港 /帰港, トロール漁

/

「黒 昌 魚」,豊漁/不漁 によ ってつ くり出 され る社会 生活の振幅 こそは,村 の基本 リズムを打つ も のである。彼 らの リズムは潮汐,魚 の回遊 , 天候 ・気象 など,自然が穣 し出す もので ある とい ってよい。村 の中の もうひとつの基本 リ ズムは,学校 とい う村人たちにとっては異空 間の中で打たれ る。それは機械 じかけの時計 の リズムであ り,人工 的な規則性 と西欧が生 み出 した近代社会制度 の もつ普遍性を想起 さ せ る。漁民 たちの 自然 の リズムは中国人 の伝 統 的な暦 ,農暦 とうま く調和 してお り,村 の 中の伝統的な中心である廟への参拝 ,世帯の 中心で ある祖先 ・神への 「拝」の リズムと絶 妙 な共鳴を している。学校の人工 的な リズム もまた,さまざまな形で村人 たちの生活の中 にはい っている。 時間 ごとに区切 られたテ レ ビの番組表 ,時間内で しか事務を受 けつけな い役所 など,村人 もまた近代 的な時間か ら切 り離せない存在 とな って いる。実際,時計 は さまざまな形で村人 た ちの生活の中にはいっ てお り,人 々は時間感覚 を少 ない時 は 「何字 分

」(1

字 は

5

分間,恐 らく時計 の文 字 盤 か ら来 た もので あろ う),多 い時 は 「何 時 間

とい う形で表現す る。 < テ ンポ> 村空間にはふたつのテ ンポが交互 に繰 り返 た食事の内容が 「菜」中心の彼 らとは異 な り 「ご飯物」中心で,味つけも彼 らに比べれば単 鞠である点,さらには飲物が瓶入りの清涼飲料 水でなく,どぎつい色のついた甘い水であるこ とや,タバコが振る舞われることが少ないこと などが,マレー人のもてなしに対する不満とし てあげられる。最も大きな相違は経済力の格差 であり,裕福なマレー人の豪華なもてなしに対 しては当允批判は虐められる。 26 され る。それ は,早 く力強 く脈打つ 「熱闘」 (賑やかなようす)のテ ンポと

,

「閑散」 (ひ っそ りかん と しているようす)のテ ンポの対 比である。 「熱闘」の時 には, 村 は熱気で包 まれ,人 々は興奮す る。それは例 えば 「黒 昌 魚」 の漁期 , 「柑」の採取期 , 廟の生誕祭 , 農暦新年 などにみ られ る。村 には村外か らも 人 々が集 ま り,村人た ちの 金 回 り は よ くな り,商店が賑わい,夜遅 くまで人が ごった返 す。逆 に 「閑散」 の時 は, シケが何 日も続 い た り, あるいは 「海警

(漁業局 のパ トロー ル)が出て,漁 に出 られない時で あ り,人 々 は昼間か ら家の中に閉 じこもり,店 に人影 は ない。学校帰 りの子供 たちだけが大人 の出て こない村 の中で歓声をあげ,年寄 りた ちがい つ もと変わ らぬよ うに三 々五 々集 ま って, と りとめ もない話をは じめる。村 は弛緩 してい て,そ こには中心 もみえなければ,外形 も定 かで はない。人 々の生活は世 帯 空 間 内 に繰 りこまれ,緩やかな時の流れが世帯を包む。 男た ちは手 もちぶ さたに, ごろ りと横 にな っ て,怠惰をむ さぼ る。出漁 しない漁民 たちに とって は,特別 な儀礼や催物がないか ぎり1 日のは じま りはな く,休息 とい う名の動 かな い時計が彼 らにはあるだけで ある。 < メロデ ィー> 村人 たちの日常生活 は,その大部分が優雅 な潮州語のメ ロデ ィーで満た され る。 た とえ 村人た ちの話す潮州語 の中にマ レー シア語 , 中国語 の他 の方言 ,英語などの異質の ものが 混 ざ っているとはいえ,13)彼 らの言語 の諏子 その ものを変 え ることはない。 ここで も唯一 13)例えば,元来英語から来たマレーシア語をその まま使う 「摩多 (moto.オー トバイ)」

,

「徳士 (text,タクシー

)

」,bcsion (年金),またマレー シア語を変形させた mata(mat0-mata,警官)

など,さらにはsuka (好む),topi(しか し), tahan (耐えられる),lag'(それから)などの 動詞,接続詞も多用され,若者の中にはマレー シア語起源であることに気がつかない者 も多 い。英語のbecauseも中等教育を受けた者の間 でよく使われる。

(10)

川崎 :小 コ ミュニテ ィの社会位相空間始 の例外 は学校 で , こ こで は北 京 語 の優 越 と, マ レー シア語 ,英 語 との共 存 が顕 著 にみ られ る。村 人 に と って異 質 の空 間 で あ る とい うゆ えん は, こ こに もうか が え る。 この学 校.が与 え る影 響 はかな り大 き く,若 い人 々の間 で は 村 人 同士 で も北 京 語 が話 され る ことが あ る。 それ に は ち ょっ と気 ど った , 自分 の教 育 水 準 を誇示 す るよ うな一面 が あ るO しか し, これ とて も扱著 に現 れ るの は村 外 の者 を交 え る場 合 で あ り,村 の若 い者 だ けで 北 京語 を話 し続 け るの は 「道 化

的で さえ あ る。 村 の 中で の メ ロデ ィー は何 も村 人 た ちの会 話 にか ぎ らな い。 廟 の生誕 祭 や葬儀 で演 じ ら れ る潮 州劇 もまた ,その独 特 の楽 器 と歌 唱 が 醸 し出す 立 派 な漸 州 メ ロデ ィーで あ る。残念 な が ら,現 在 の村 人 の 中 に は楽器 と歌 で この メ ロデ ィーを活性 化 させ る ことがで きる者 は いな い。村 人 た ちは もっぱ らカセ ッ ト ・テー プで この潮 州 メ ロデ ィーを再 生 して い るにす 表3 1 年 の 周 ぎな い。 そ して , こ こに もまた北 京 語 の強 い 影 響 が み られ る。学 校 で の 北 京 語 は 嫌 い で も,流 行 歌 とな る とまた話 は別 で ,若 者 た ち が 口ず さむ メ ロデ ィー はむ しろ 日本 の演 歌 に 似 た北 京 語 の歌詞 の もので あ る ことが 多 い。 さ らにまたデ ィス コ風 のわ けの分 か らぬ英 語 の リズ ムが加 わ る。 マ レー シア語 の哀 調 を帯 び た メ ロデ ィー は ,む しろ民 族 的な反 感 か ら 遠 ざ け られ る。 イス ラムの宗教 的 な合 唱 隊 の 音楽 は ,最 も聞 きた くな い もの と して最 下 位 に位 置づ け られ る。 日常 生 活 にお いて も最 も 下 の社会 階 層 と して み られ る ことの多 い イ ン ド人 た ちの メ ロデ ィーが , テ レビ映画 の 中 に 現 れ る時 には コ ミカル な もの と して歓 迎 され るの ほ ,興 味深 い。村 人 た ち はそ こに 自分 た ち とは異 質 な躍 動 す る生命 の リズ ムを読 み と るのか も しれ な い。

S

村 が 漁民 た ちに よ って支 え られ て い る こ とは, こ こで の潮 州 語 の メ ロデ ィー に大 きな 期 的 位 相 変 化 漁 業 活 動

宗 教 ・儀 礼 生 活 f 学 枚 (1981年度) ト ロ ー ル 漁 5 月 9 月 「柑 苗」採 取 (約2週間) ト ロ ー ル 漁 「黒 昌 魚」 漁 (1カ月-3カ月) ト ロ ー ル 漁 -月初- 「農暦新年」 -月初五 「神回来」 二月初八 「皐督公生 日」 三月初- ごろ 「清明節」 三月十五 「将軍爺生 日」 四月二十八 「童子爺生 日」 五月十五 「端午節」 七月十五 「中元節」 八月十五 「中秋節」 九月初九 「法師公生 日」 九月二十九 「義心社通年」 十一月初九 「互助部通年」 十一月二十七 ごろ 「冬至」 十二月二十四 「神上天」 十二月三十 「除夕」 1月5日 新学年開始 2月19日 合同理事会 教師節 4月10日 1学期終了 4月27日 2学期開始 5月29日 運動会 8月1日 2学期終了 8月17日 3学期開始 9月 8, 9日 5年生統一試験 9月12日 高学年生徒見学旅行 10月9日 児童節 11月9日 合同理事会 11月13日 1学年終了

(11)

東南アジア研究 24巻1号 影響 を与えている。 漁民 たちはほとん ど皆, デ ィーゼル ・エ ンジ ンを装備 した トロール船 に乗 って漁 に出る。海上での意思疎通 は自ず と大声での会話 とな り,また男 だけの激 しい 肉体労働の場で は,自然 に男たちだけの会話 を醸 し出す。村人 たちの会話 には当然それぞ れの個性があるが,彼 らの潮州語 は早 口で, しか も吃音者が多い。彼 らは会話を楽 しむ と い う一面 ,強烈な 自己主張が時には相手への 激 しい罵倒 とな り,それが 日常化 され ると, 一般 的な言語伝達 の様式 の一部 にさえ変容す る。

村空間の周期的位相変化- 基本 リズム

S

村 の社会空間の周期 的な位相変化 は大 き く

1

年 ,ひと月 (と もに陽暦 と農暦 の

2

種が ある。本稿では陽暦 は算用数字,農暦 は漢数 字で表わす),川

)1

日という三つのサイクルに 分 けることがで きる。 この地域では,1年 を 越 えるような長いサイクルで宗教儀礼や行事 または経済活動が行われ ることはほとん どな い。 この三つのサイクルの中で は,1年 とい う周期が最 も大 きな意味を もつ (表

3

参周)0

S

村のおかれている自然環境 は,村人た ち にはっきりと した 自然 の リズムを感 じさせ な い。村 の中央を流れ る川 の水量 に大 きな季節 的変化 はな く,また村 を とり囲むよ うに して 茂 るプ ッシュの林 も年 中緑をつけている。季 節 を告 げる動植物 は,わずかに時節の到来 を 告 げる ドリア ン (durian)などの果物 にか ぎ られ る。赤道 のほとん ど真上,熱帯 に位置す るマ レーシアで は四季 の区別 はな く,また半 島西海岸 においては東海岸でみ られ るよ うな はっきりとした雨期 /乾期 の区別 はない。 日 の出,日の人の時刻で さえ,年間に十数分 と 変 わ らず,ただ潮 の干満 の変化 と月 の満 ち欠 けのみが,村人た ちに

1

日を越えた時の流れ の リズムを知 らせ るのである。 28 i)1年 の位相変化 <凝 済活動> (漁業) 漁業活動 には3種 の ものがあ り, ほぼ暦 に従 って行われ る。基本 にあるのは沿 岸 トロール漁であ り,乗艇員

2

,

3

人で 日帰 14)筆者が村に滞在 している間の陽暦と農暦の対応 は,次の通り。 陽 暦 l 農 暦 1980年10月12日 11月1日 11月8日 12月1日 12月7日 1981年1月 1日 1月6日 2月 1日 2月5日 3月 1日 3月 6日 4月1日 4月5日 5月1日 5月4日 6月 1日 6月2日 7月 1日 7月 2日 7月31日 8月 1日 8月29日 9月 1日 9月28日 10月1日 10月28日 11月1日 11月26日 12月1日 12月26日 1982年1月1日 1月25日 2月 1日 2月 7日 ㈱ 3 3 榔 ㈱ ㈲ 00 ㈱ ㈲ ㈱ ㈲ 00 ㈱ 胤 ㈱ ㈱ 00 00 ㈱ ㈲

3

3

00 ㈲ 00 00 ㈱ ㈲ 00 3 ㈲ ㈲ ㈱ ㈱ 四 佃 一 佃 か 諾 拙 車 f l f l 他 . . . = = 四 . 四 . 五 恥 附 託 . 八 四 初 二 初 二 月 月 月 月 初 二 初 二 初 二 初 二 初 三 初 初 初 初 初 初 初 初 初 月 月 月 月 初 初 十 朋 朋 朋 朋 十 十 七 七 瑚 瑚 胡 胡 胡 胡 朗 那 朗 朗 胡 朋 朋 朋 朋 M M 朋 朋 十 十 七 亡 霊 瑚 朗 鞘 誠 -_ 1 ㌧ .I : . トい _ー 邑

l1

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一 . T 小 雪 .

(12)

川崎 :小 コミュニテ ィの社会位相空間論 り (その日に帰 るとはかざ らないが

2

4

時間以 内に帰港)す る。漁獲物 は大部分がい く種類 かのエビで,魚 は少ない。5月の2週間だけ は 「柑

」 (幼貝)の採取期で ,この村 の 沿 岸部 にのみ繁殖す る 「柑苗」を求 めて,老若 男女 を問わず ,小船 (sampan) に の って 海 に出る。 女 ・子供が海 に出るのはほとんどこ の時 にかぎ られ る。また,ふだんは海に出な いような現役 を引退 した男たちも, この 「柑

」 とりには参加す る

「輯酉」 は近 くの 町 で州の漁業局 により買いとられ,年 によって その値段 は一定 しない ものの,値の高い時に は相当な額の臨時収入15)とな り,村人たちを 潤す。 この時 には小学校の高学年 のクラスに は欠席が 目だ ち,家族総がか りで漁 に出るよ うすがみて とれ る。 この 「柑

」を とるため の金網を売 る店 も出て くる始末で ある。 しか し,村を熱気で包むような 「柑

」 とりも, 2週間 とい う期間が漁業局 により決め られて お り,長引 くことはない。また再び トロール 漁の穏やかな毎 日が しば らく続 くと,今度 は 回遊魚である 「黒 昌魚」 (BauJalHiiam,マ ナガツオ科 に属す る)の漁が は じまる。 この 漁 のは じま りは

,

「柑酉」 とは違 って, どこ か らともな く伝わ って くる噂 にある。 この噂 はどこそ この誰それが 「黒昌魚」を とった と い うことで あ り,9月か ら12月までの平年 の 漁期 にはい く度 もこうした噂が人 々の口にの ぼる。 実際, こうした 噂 に基 づ い て 「黒 昌 魚」漁 に出るか出ないか は, この漁 に出漁で きるだけの大 きさの船

(

3

0

-

4

0

トン) と魚 網 と

1

0

人程度 の人員調達能力を もっている,船 主 の決断 にかか っている。積極的な者 は噂の 早い段階で村一番 に漁 に乗 り出 してい くが, 最 も慎重な者 は村人の 多 くが 実 際 に 「黒 昌 魚」を水揚げす るのを確認 してか ら,おずお ず とこの漁- と乗 り出 してい く。従 って ,漁 15)ひと桶 10M S-22MS,ひとりひと晩で 7-8 桶とることもある。 民たちが一斉 に トロール漁か ら 「黒 昌魚」漁 に切 り華わ ることはな く,最盛期 に向 け て 徐 々に トロール漁か ら 「黒 昌魚」漁へ と漁業 活動の重心が移 ってい く。「黒 昌魚」 漁 の 時 には トロール漁 と違 って,自分で船を もって いて も,それが中型か大型でないかぎり自身 が船主 にな ることはな く,ほかの船主 の網子 とな って働 くわけで,ここにおいて漁民 の再 編成が起 こる。 このように多数の網子を乗せ て出漁 した場合 は,例えば次のように水揚げ が分配 され る。 乗組員が

1

0

人の場合 ,総水援 げ高か ら経費 (燃料,水 ,氷 ,食糧などにか か るもの)を差 し引いた額を

1

0十3(3

は船主 のとり分)で割 った とり分をそれぞれの乗組 員に,その

3

人分を船主 (自身 も乗組員 にな っている場合 がほとんど)の とり分 とす る。 もちろん中には一貫 して トロール漁を続 け, 「黒 昌魚」漁 に参加 しない者 もいるが,最盛 期 にはごく少数 に しかす ぎな い。「黒 昌魚」 漁 はかな り沖合 いに出て行わ れ る。 通 常

5-7日間程度海に出てい る こ とが 多 い。従 っ て,出港 /帰港の リズムは トロール漁 とは大 きく異な り,この漁の期間中には男た ちが出 払 って しまい,女 ・子供 と年寄 りたちばか り のひ っそ りとした 日々が続 くこともまれで は ない. トロール漁 とは違 って 「黒 呂魚」漁で は豊漁 /不漁 の差が大 きく,また同 じ時期 に 出漁 して も漁船 によって水揚げ高 は大 きく異 な る。豊漁が続 く時,村 は漁船が帰 るたびに 「柑苗」 の時のような熱気 に包まれ るが,不 漁で水揚げがほとんどないような時 は暗 く沈 んでいる。漁 は12月 ごろまで続 くことが多い が, これ もまたそれぞれの船主たちの判 断で 決め られ,漁民たちは徐 々にまた トロール漁 へ と戻 ってい く。 かつて は海 に出て勝手放題 に漁を していた 漁民た ち も,いまは海産資源保護 に乗 り出 し ている漁業局の厳 しい監督の もとにある。漁 民で あること,漁船 の所有者であること,さ

(13)

東南 797研究 24巻1号 らには漁網の使用者であることについて も免 許が必要であ り,毎年免許 の更 新 が 行 わ れ る。 このや っかいな免許の更新 には,魚商 た ちがそれ こそ東奔西走 して漁民たちの面倒 を みなければな らない。 (養豚 ・養鶏) 「港 口」が漁業活動のため の空間であるとすれば,新開地 Ⅱは村 の経済 活動 の第2の柱である養豚の空間である。水 路 の右岸 には広 い道路が開かれ, レンガづ く りの家 と豚舎が間隔をおいて並び,その裏手 には排水用 の水路が流れ る。また,家屋の裏 に小規模な豚小屋をつ くっている家 も多い。 頭数100頭以上の大規模な経営を して い る の は7世帯ほどで,数頭 か ら数十頭飼 っている 世帯 は37世帯 ある。18)このような小規模な飼 育では,たいてい世帯主 の妻か娘たちが家事 の片手間 に豚の世話を している。村 内で豚 の 屠殺をす るのは

,

「振」 の祖母 のほか に サ バ ・ブル ナムの町か ら来ている者 もいて,彼 は 新開地Ⅱに豚の処理場 (丸焼 きので きる大 き な炉をそなえている)を も って い る。 しか し,多 くの豚 は村外の仲買人 に売 られ る。豚 の需要が多い農暦 の初-や十五 の前 には,村 の中を生 きたままの豚 を寵 に入れて運搬す る オ ー トバ イが往来す る。 豚の飼料 は箱単位で 村外の業者か ら買われ,飼料を運んで くる大 型 トラックは,そのケタはずれた重量のせ い で , しば しば村 の道路 を台な しに し,時 には 自らつ くった窪みにタイヤを とられて立往生 す ることもある。新開地 Ⅱ地区で は豚の飼育 のために大量の水が使われ,水道管を通 して 村外か ら送 られて くる水 の大半 は新開地 Ⅱで 消費 されて しまい,新開地 Ⅰにはわずかに水 16)概数で 「

」-100

,

「逢」-200

,

」-100, 「

」-100

,

「文」-150

,

「漢」-100

,

「発」 -100頚である。豚の肥育期間は7-8カ月.母 豚に子を産ませて肥育する者もいる。オス豚1 頭の値段は外国産のもので

1

,

0

0

0M

Sという。 飼料はもっぱら村外から大型 トラックで箱単位 で運搬されるキャッサバが使われる。 30 が届 くものの

,

「港 口」 に至 ってはい く ら蛇 口をひね って も,

1

滴の水 も出ない。 この水 の不均衡な使用状況は 「港 口」住民 の常 日ご ろの不 満であ り,新開地 の養豚をす る住民 た ちとの間に対立 した関係を つ く り出 して い る。 養豚の空間が地域的に世帯空間を越えて広 が ることが多いのに対 して,養鶏の空間はそ れぞれの世帯空間に付属 した部 分 空 間 を な している場合がほとん どで ある。鶏を飼 うこ とは, この村では ごくあた り前のことと考え られている。 ほとんどの世帯で鶏を飼 ってお り,ア ヒルやガチ ョウを一緒 に飼 っている世 帯 も多い。その大部分 は自家消費用であ り, 数百か ら数千羽の単位で飼育 しているのは

3

世帯 あるにす ぎない。17) このような家では大 きな鶏小屋がつ くられ,生育を早 めるために ラ ンプあるいは電燈がつけ られ る。鶏 の世話 をす るのは主 に女の仕事である。 これ らの鶏 は村 内で売買 され ること もあるが,多 くは村 外か らや って くる仲買人 に売 られ る。 <宗教 ・儀礼生活> 宗教 ・儀礼生活において村人たちの生活の 節 目となる行事 は2種類 に分 け られ る。 ひと つは,農暦新年 には じま り十 二 月 三 十 日の 「除夕」 におわ る,中国人 な らばどこに住ん でいて も行 うような種類 の年 中行事であ り, もうひ とつ は, この村 に特有であるか,ある いはこの村 にある廟 に特有 な行事である。前 者 においては各世帯を中心 に して行事が行わ れ,村 の統合が現れることは少 ない。一方 , 後者 においては村ない し,村 内のある特定 の 集団の統合が強 く現れ る場合が多い。 この両 17)鶏は自家消費用に飼っている世帯が91世帯,売 買をしている世帯は7世帯,アヒルについては 自家消費用90世帯,売買している世帯は2世帯 のみ,ガチョウは24世帯全てが自家消費用 に 飼っている。大量に飼っているのは 「富」の 2,000羽

,

「艮」の500羽

,

「源」の2,000羽であ る。

(14)

川1晦 :(トコミュニテ ィの社会位相空間漁 者 はいずれ も農暦 の中に行事 の 日づ けが明示 されて あ り,その刻 まれ る リズムは非常 には っき りして い る。 (中国人 の年 中行事) あと1カ月で新年 と い うころか ら,村 は何 とな くざ わ め い て く る。 村 にや って くる衣料品の屋台売 りも頻繁 にな り,家 の修繕や ,家具の修理 な ど,新 し い年 に向けての準備が さまざまな形で行われ る。 ち ょうど この ころは子供た ち も学校 が長 い学年末 の休暇 にはい る時で あ り,結婚式が 頻繁 に行われ る。新年 の間の休み にはまた旅 行や ,いろいろな楽 しい計画 が練 られ る。喫 茶店 の壁 には旅行社 の正月旅行 の案 内が は ら れ,人 々は新年 を心待 ちに しなが ら, うきう きと毎 日をす ごす。 日本 の年 賀状 に似 た 「賀 年片」 は,日本 と違 って正月前 に相手 につか なければな らない。従 って ,相手が返事 を書 くことも計算 に入れ ると,ど う して も新年 の

1

カ月 も前 か ら 「賀年片」 の束を抱 えた郵便 配達夫が毎 日村 を訪 れ る ことに な る。「賀 年 片」 には 「新年進歩」,「商事如意

とい った 言葉が書 かれ ,色 は赤や金な どのあざやかな ものが好 まれ る。「賀年片」を最 も頻 繁 に や りと りす るの は若 い人 ,特 に女 性 た ち で あ る。客間 に この 「賀年片」を きれ いに飾 りつ けて い る家 もある。 日本の大晦 日にあた る 「除夕」 は,家族が ひ とつのテーブルを囲んで ごちそ うを楽 しむ 時で ある。 日ごろは勉学や仕事 のために村外 で暮 らしてい る若 い人 ,出稼 ぎにい っていた 父親 た ち も,必 ず この 「除夕」の晩餐 には村 に帰 って くる.そ して子供た ちの一番 の楽 し みで ある 「紅包」 (お年玉 ) も, この 時 に 父 親か らわた され るので ある。「紅包」 を も ら うの は何 も子供た ちにか ざ らない。すで に職 を もって いるよ うな青年 も,また漁民 た ちで も,それぞれ父親や 「魚行」 の 「老板」 (主 人)か ら 「紅包」を もらうのであ る。新年 は 賑やか に迎え られ る。 村 の中央 にかけ られた 橋 には爆竹 が しかけ られ ,午前 0時 の時計 と ともに派手 に鳴 らされ る。各世帯で は客間が きれいに飾 りつ け られ,お正月 の 「財神到」 (お金 を儲 けさせて くれ る神を呼び こむ)の 賑やかな音楽が カセ ッ ト・レコーダ ーか ら流 され る。 村 のあち こちに人がたま り,興奮が 人 々をわ きたたせ る。新年 につ きものなのは 何 とい って も 「舞獅」 (日本 の獅子 舞 い に似 た ライオ ン ・ダ ンス)で あ る。 こ の 村 に は 「舞獅」 を舞 う者 はいないが,近 くのサバ ・ ブル ナムの町か らは村 の有 力者 の家 に舞 いに くる。有力者 の家の前庭で 揃 い の 服 を 着 た 「舞獅」の一隊 ,3,40人が集 ま り,楽器 に 合 わせて舞 う.18)そ この家 族 た ち は 軒 先 に 「紅包」をつ る して , これを 「舞獅」 に 「食 べ させ」, ご祝儀 とす る。19) 村 の中で はほか に これ と い っ た 行 事 は な く,村人た ちは正月 には 「大食 (ioa chic)」 (ごちそ うを食べ る) とい うばか りで ある。 確 か に,毎 日の食事 はいつ もと比べて豪華 に な り,ふだん とは違 う華 や い だ 雰 囲 気 が 漂 う。近 隣のマ レー人が村 の空家の前 に店 を出 して sateh(マ レー風焼鳥)を焼 く. 仕 事 の ない男 た ちは昼 間か らさまざまな賭 ごとに精 を出 し,女 や子供た ちは家庭 の中でや は り小 金 を賭 けたゲ ームを楽 しむ。正月 にはマ レー 人が村人た ちの賭 ごとに加わ ることもある。 村人 た ちは こう したマ レー人 を 「お金 のあ る やつ」 だ とい う。 テ レビで は正月 に因んだバ ラエティ ・シ ョーが放映 され る。 もっともマ レー人や イ ン ド人 の出演者 た ち が 出 る 時 に は村人た ちは うん ざ り顔 だ。 しか し, こ の ごろで は,若者 にか ぎ らず ,世帯主 た ち も, 少 し余裕がで きれば, クア ラル ンプールな ど の都会 に繰 り出 した り,あるいはマ レー シア 18)この時に来たのはサバ ・ブルナムの「馬華公会」 の支部の一団で

,

「勤」と 「潮」の家を訪れた。 19)この小さな村では子供が 「舞獅」に似せた小さ な布をかぶって近所を回り,結構な小金を稼い でいた。

(15)

東 南 ア ジア研 究 24巻1号 国境 に近 いタイの町に遊 びにい って,20)もっ と派手で賑やかな正月をす ごす ことが多い。 また,この長い休みを利用 して,村外 にある 妻方の実家を子供連れで訪れ る者 も少 な くな い。従 って,バスやタ クシーなどの交通機関 は正月休み じゅう混雑す ることになる。 近隣 に住むマ レー人 の中には この機 会 を 利 用 し て,村 の有力者の家を訪れ, ごちそ うのお こ ぼれに与かろうとす る者 もいるが,村人がマ レー人を正式 に招待す る例 は,州政府の役人 かあるいは 「謝兄弟公 司 (会社)」の雇 人 た ちにか ぎ られ る。 漁民たちが 漁 を 休 む の は 「除夕」か ら正月初三 ぐらいまでで,初四 ご ろか らぼつぼつ と漁 に出る者が出は じめ,初 五 にはほとん ど皆 ,漁 を開始す る。正月 は仕 事 の区切 りであ り, この時を機 に仕事をやめ る者 もあ り,また新 しい仕事をは じめる者 も いる。 十二月二十四 日は神が天 に の ぼ る 日で あ り,-月初五は神が帰 って くる日である。ど ち らの 日に も村 の廟 には供物を もって参拝す る人が多 く,各廟が最 も賑わ う日のひ とつ と なる。 年 に1度 の墓参 の機会である清明節 には, ふだん人影のない村 の共同墓地 もた くさんの 人で賑わ う。それぞれ清明節の数 日前か ら墓 掃除を して, きれいにな った墓 に家族連れで 参 り,その供物 を家 に もち帰 って, ごちそ う と して食べ る。墓地を村外の比較的に遠 い場 所 に もつ家で は,必ず しもこの清明節の時 に は墓参せず,家の中の供物 だけで済ませて, 他 日墓参す る者 もいる。墓地 は現在 と過去 と をつな ぐ空間的接点である。村人たちの高い 流動性 は重層的な過去を広汎な現在の社会空 20)タイに行 くということは女遊びをするという暗 示を含んでおり,タイにばかり行 くというやゆ は女好きを意味する。実際,村の年配の男たち の中にはタイに行って遊んできた者が多い。こ うしたマレーシアの外でのみやげ話は喫茶店で の格好な話題となる。 32 間 に結 びつける。従 って,年に 1度 の墓参で ある清明節 には,墓地 に村を飛び越えた異質 な空間がそれぞれの祖先の墓を拠点 と して分 立す る。 しか し,墓地の空間は祖廟のそれの ような過去-の強い求心力を もたない。墓 は 古 くなるにつれて次第 に忘れ られ,また軟弱 な土壌 に埋 め こまれ,過去 は現在 に呼 び出さ れ ることな く持続的な過去 と して忘却 されて しま う。墓地空間にあ って未婚 の者 の墓が特 異なのは,それが過去か ら現在へで はな く, 近 い過去か ら遠 い過去を (つま り子世代か ら 親世代を)逆 に照 らし出すか らである。 端午節 には各世帯 ごとに思 い思 いに工夫 を こらした

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ちま き)がつ く られ る. もち米 に肉,栗,そ して ア ンコを加えてつ く った ものを竹 の皮で くるんだ食べ物である。 その形 ,大 きさ,そ して材料 にはそれぞれの 家 ごとの伝統があ り,実 に豊 富 な 種 類 が あ る。ひとつの世帯で

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個つ くられ るこの

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は村 の廟にそなえ られ,そ れ は もち 帰 られて皆 に振 る舞われ る。 中元節の前 は雑貨店が繁盛す る。 どの世帯 で も, この時期 に食料品を大量 に買 うか らで ある。中元節の当 日,ち ょうど潮が引き切 っ た時 に,それぞれの家のベ ランダや前庭 に, 食物が川 に向か って供せ られ る。

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1

本の 線香がそれぞれの食物 にさされ,また 「国泰 民安」

,

「風調雨順」21)のような願 い ご と を 書 いた赤 い旗がたて られることもある。 この中 元節 はまた 「拝好兄弟」

,

「拝水鬼」 とも呼ば れ, この農暦七月 は 「鬼」 (子孫 に祖先 と し て祭 られ ることのない死者 の霊)が出て きて 危 ない月 だともいわれ る。 この月 に結婚す る 者 はいない。 中秋節

(

「拝月亮」 ともいわれ る), この時 21)そのはかに 「孟蘭勝

合」

,

「国境昇年

,

「魚利豊 収」

,

「満載 而

,

「漁翁得利

,

「出進平安」, 「海巣興隆」

,

「生意興隆」

,

「合港平安」などが ある。これらの旗は店で売 られている。

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(16)

川崎 :小 コミュニテ ィの社会位相空間論 にはさまざまな形を した ち ょうちんが子供た ちによって もたれ る。「月餅」 を食 べ, そ し て,夜 に月 に向か って供物をささげる。 しか し,今 日で は この供物をささげる家の数 は少 な くな って きてお り,小 さ な 子 供 の い る家 や,若 い女性 のいる家 にかぎ られてい る。 冬至 には

,

「包」 (肉まん,あんまんの類 い の中華まん じゅう) と紅 白のダ ンゴが廟 と世 帯の祭壇 にそなえ られ,自分 の年 だけ, この ダ ンゴを食べ るといわれている。 (村 に特有 の行事) 村 にある 「童子爺」廟 と 「法師公」廟の 「生白」 (生誕条) に は, 潮州劇や人形劇が神 のために奉 じられ る。特 に 「童子爺」廟の ものは規模が大 き く,村一 番の祝 日とな る。村人た ちは数 カ月前か ら, この潮州劇が は じまるのを心待 ちに して期待 感を膨 らませ る。 全て の世帯か ら同額の供物 のための献金 と各世帯の経済力に見合 った潮 州劇-の献金が集 め られ る。「童子爺」 の 生 誕祭 の時 には, この祭 りの期間だけ村 内に日 常的な社会空間 とは異質な空間が

,

「童子爺」 廟 と 「戯台」 の間 の物理空間 に形成 さ れ る (末尾の資料 Ⅰ参照)。 漁民たちは漁 に出 る ことはな く,魚商 も開店休業 の状態 となる。 日ごろ分散 されが ちな村 の部分空間 は,廟 と 潮州劇 によって醸 し出され る空間- と凝縮す る。 村の中心 は明瞭で,村人 たちは自己のア イデ ンティテ ィを再確認す るとともに,村外 の人 々を この空間 において もてなす。村 は生 き生 きと輝 き,再生す る。 「法師公」 は 「童子爺」 よ りやや規模の小 さな生誕祭を催す。 しか しなが ら村人 たちの 祭 りへの参加 は部分的で限定 的 で あ る

「童 子爺」の場合 と違 って ,この祭 りに全 く関与 しない世帯 も多い。 この違 いは村人た ちのふ たつの廟 に対す る認識 の違 いか ら由来す る。 「童子爺」 はまさに村 の廟で あるがゆえに, その中心 に向か って村空間 は凝縮す るが

,1

0

年前 にひ とりの村人 によって開かれた村内よ りもむ しろ村外 に多 くの信者を もつ「法師公」 は,単 に村 の中にある廟であるにとどま って お り

,

「法師公」を中心 とす るよ うな 社 会 空 間の凝縮 は村 とい うよ りむ しろ村を越 えた信 者空間の凝縮 という形でみ られ るばか りであ る。 「童子

命」

と同 じく村 の 廟 で あ る 「将 軍 爺」

,

「事督公」 において は生誕祭 と しての特 別な行事 は行われない。各世帯が輪番で毎 日 供物 をささげ る 「将軍爺」の場合 はその参拝 の性格か らして ,焦点 となるのは日ごとの参 拝 の中心の移動であ り

,

「将軍爺」 廟 へ の村 空間の凝縮 は起 こりえない。 この村 には葬式のための互 助 組 織 で あ る 「父母会」 と して

,

「義心社」 と 「互 助 部」 のふたつの組織がある。会員 は年 に1度集 ま り,供物 を村内の廟 にそなえ,その供物 を共 食す る。 この時 に任期満了 の役員を選出す る こともある。「父母会」 は原則的に は葬 式 の 互助が 目的で あるが,その成員が成立時 に固 定 され ると,以後変 わることがな く,会 の消 滅まで持続す ることによ り深 い結合力を もっ てい る。会 の成員で あることは,成立の時点 で,さまざまな レベルでの社会的特質 (例 え ば経済力,年齢 ,来村 してか らの年数など) を共有 しうる者た ちで, しか も互 いに敵対 関 係 にはない者同士でなければな らない。 この ような互助的な組織 と小 コ ミュニティの関係 は多様で ある (表1参照)0「父母会」 によっ てつ くられ る社会空間が小 コ ミュニティの空 間を越え ることはな く,小 コ ミュニティの空 間 にほぼ一致す るか,またはそれを共有部分 を もちなが ら非排他的に分割す るかで ある。 ひ とつの小 コ ミュニテ ィに複数の 「父母会」 がある時 には

,

「父母会」同士 の問に潜在 的/ 顕在的にある種 の対立を生 み 出 す こ と に な る。 <学校> 学校 は村内にあ って村外で あるような性質

(17)

東南 7577研舞 24巻1号 を もって いる。従 って,その時の流れを刻む リズム も,村 とは違 った独 自な, しか し州 内 のほかの学校 と共有 され るもの とな る。 学校の

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年間のスケ ジュールは第

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学期

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週間が

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月 のは じめには じま り,

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週間の休 みをはさんで第2学期 ,同様 の休みをおいて 第

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学期があ り

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月半ば に

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学 年 を終 了 し,

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週間はどの学年休みにはいる。学校 の

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年 は何 よ りもまず生徒を迎え入れ,卒業生 を送 り出 し,それぞれの学年 の生徒を 1学年 進級 させ ることにある。村 の子供 た ちは この

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年間を

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度繰 り返す ことによ り,村 の学校 空間を通 り抜 ける。 学校 の年 中行事 において,教 師た ちが村人 と接点 を もっ ことはほとん どない。村人た ち で学校 とかかわ り合 うのは合同理事会 の理事 た ちにほとん どか ぎ られ る。彼 らは

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3

カ 月 に 1回開かれ る理事会 に参 集 す る ば か り か,主 だ った理事 たちは学校の さまざまな行 事 に参加す ることもまれで はない。 子供 たちにとっては学校空間か ら解放 され る学期 ごとの休暇,特 に学年末 の長 い休職は 大 きな意味を もっている。 この休暇の間 には しば しば 自分 の両親の家 を 離 れ,近 い親 族 (例えば父親 の兄弟や母 の両親)の家 に 1カ 月近 くもひ とりで寝泊ま りして,同年輩 のイ トコた ちと休暇をす ごす ことも多い。また, 村外の学校 に通 う村 の子供が同級生た ちを連 れて村 にや って きて,町 とは違 う漁村の生活 を味わわせ ることもしば しばある。 こう した 時の世帯での もてな しは丁寧で,開放的で さ えある。

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ひと月 の位相変化 月の うちで村が最 も賑わ うのは農暦 の初-と十五で ある。朝か ら村内の廟 に参拝す る女 性や少女 の姿がそ こか しこにみえる。 各世帯 で も供物 をささげるところがある。 初一 ,十 五 は生活の節 目で あ り,また村人が神や祖先 34 とコ ミュニケ-シ ョンを もつ時で もある. コ ミュニケーシ ョンのための 供 物 は例 え ば 果 物 ,豚肉,鶏 肉,ア ヒルの肉,スルメ,菓子 などであ り,香炉 にさされ る線香や明 りを と もされ るろうそ く,そ して焼 かれて神 や祖先 に送 られ る 「紙銭」で ある。 明 りの乏 しい こ の村では月明 りは大変貴重で ,十五夜前後の 晴れた明 るい晩 には村 の中心部,見晴 らしの よい 「港 口」 の橋 の上や,そのた もとの喫茶 店 ,遊戯場が人で賑わ う。 しか し, こう した 人出はほとん ど男たちにか ざ られ,女が家 の 外 に出ることは近隣の雑貨店や人 の集 ま りや すい家のベ ランダを除 いて は, ごくか ざ られ ている。 <町空間> S村 には雑貨店が 6軒 あ り,たいていの 日 常の用 はそ こで足 りる。 しか し,年寄 りや小 さな子供 を除いて,どの村 人 で も月 に数 度 は近 くの 町, ス ンガ イ ・プ サ ル

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やサバ ・プル ナム,そ して時 に は サ キ ンチ ャン

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の町まで 出かけて い く用事がある。 そ して近 くの町まで出かけ るのに欠 くことので きない乗物がオー トバ イ なのである。22)この村 の世帯の過半数 には

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台か ら数台のオー トバ イが ある。運転免許を もっている者 の数 は意外なほど少 ないが,乗 り回 している者 の数 は台数 に対応す る程度 に 多 い。2わ 自分 の家 にオー トバ イを もたない者 は親族か友人 ・知人を頗 む ことが多い。町に はマ レー人 のオー トバ イ ・タ クシー (オー ト バ イの背 に客を乗せて運ぶ)が客を待 って い て,容易にみつけることがで きるが ,村 の中 22)この村には128台のオー トバイがあり, 67世帯 が所有 している。その内訳は1台-43世帯,2 台-15世帯,3台以上- 9世帯である. 23)男の子にとってオーレヾイに乗れることは一人 前になることの条件でもある。彼 らにとってオ ー トバイは単なる交通手段ではなく,手軽な遊 び道具であり,いかに上手に乗りこなすかは自 慢のたねである。また若い女性の中にも乗る者 が少なくない。

(18)

川崎 :小 コミュニテ ィの社会位相空間論 図 2 町 の 稗 に このオー トバ イ ・タ クシーがや って くるの 紘,客を運んで きた時 にほ とん ど か ぎ られ る。子供た ちや少数 の村人 は 自転車を こいで 町まで行 くこと もあるが

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分 はゆ うにかか るその道程 は決 して楽 で はない。 村 の中で さ え

,

「巴内」や新開地 Ⅲに住 む者 た ちが 「港 口」 の雑貨店や喫茶店 に来 るの は,ひ と仕事 で あ る。 炎天下で は暑す ぎ,夜で は足 もとが 不確 かで危 な っか しい。 オー トバ イな どの交 通手段 に頼れ ない年寄 りたちは, 自然 と 「港 口」 に住む息子た ちと同居す ることが多 くな る。 町の空間 は外 に向か って開いている。村 の 社会空 間が中心 に向か う強い向心力で固 く閉 じているのに対 して,町の社会空間 は周辺部 を巻 きこまないで はい られない。村 の中心 は 人 々を引 きつ けるばか りであるが,町の中心 は人 々を引 き寄せ ,そ してまた もとの場所-とはね返す。村 か ら幹線道路 に出て,南下す ると,右手 に中学校がみえ,やや大 きな川を 横切 る橋 に到着 す ると, この橋 の両岸 に川を はさむ ように して ス ンガイ ・プサルの町並 み 図 (スンガイ ・プサル) がで きて いる。橋 をわた った幹線道路 の左側 には警察学校 ,その南側 にサバ ・ブルナム麻 の役所

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,そ して体育館 ,道 路 の向かいには政府 の 医 療 所 (hlinik)があ る。両岸 の町並みをみてみよ う。 右岸 にはホ テル,映画館 ,理髪店 ,雑貨店 , 自転車屋 , レス トラ ンな どが軒 を連 ね ,それ は町 と 「港 口」を仕切 る準幹線道路まで続 く。 この準幹 線道路沿いには商店街 のち ょうど裏手 に中国 語小学校が ある。 さて,今度 は準幹線道路 の 橋をわた ると左岸 にはや は り雑貨店 , レス ト ラン,本屋 (マ レー シア語 の本を扱 う店 と中 国語 の本を扱 う店が ある), 洋服店 ,カ セ ッ ト・テープを売 る店 が続 き,中ほどにタ クシ ー乗場があ り, ここには数台 のタ ク シーが客 持 ちを して いるO オ ー トバ イ ・タ クシー もこ こを客寄せ の場 に している。少 し先 にはクア ラル ンプールー トゥロ ・ア ンソ ン間のバス乗 場 と切符売場が あ り,その裏手 には野菜,肉, 魚 を売買す る市場が あ って,中国人 ,マ レー 人,イ ン ド人た ちで賑わ う。 その向 こうは」ヽ さな屋台の並ぶ一角で,果物 ,パ ン, 日用雑

参照

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