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澤美仁野和夫山友美零‐

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(1)

調査報告五十六二

山岸文庫蔵﹃古今和歌集聞耆﹂翻刻

群 珂

謬錘窪議 一一一一〆宇一﹃

11吋‑1 h '1'P

杉 牧 西

:

,

山友美 野和夫 澤美仁

零︲

− Q q −シ 写

(2)

前号︵実践女子大学文芸資料研究所﹃年報﹄十七号﹁川岸文庫蔵﹃古今和歌集聞書﹄翻刻︵一︶﹂︶に引き続き︑本稿で

は第二冊を翻刻する︒

、 、 、 、

一︑ 一︑ ︻凡例︼︵各冊において朱墨の割合に差があるため︑朱墨表記に関する凡例は各冊ごとに定めることにする︒︶一︑本翻刻は実践女子大学図書館山岸文庫に所蔵される﹃古今和歌集間書﹄︵五冊︶を底本として翻刻を進める︒

︑︑シヲル︑頭書の合点は︑次の箇所︵皿ウ﹁潤﹂︑詔オ﹁井出の山吹﹂︶のみであり︑それらは墨である︒また︑問答の合点はす

べて朱であるため︑翻刻本文上で特別表記上の区別は行っていない︒

声点︑見せ消ち︑訓象仮名の殆どは墨であるが︑以下に挙げる箇所は朱で記されている︒なお︑翻刻本文上では﹁︹︺﹂○0000○○○○○○○○○○0000000000と示す︒︵2ウ﹁春かけて﹂・﹁承えむ﹂︑3ウ﹁このめもはるの﹂︑4ウ﹁たくへ﹂・﹁いだそ﹂・﹁うかりねに﹂︑9オ﹁白00000000○○○○O○○○○○000Oツラユキ妙の袖﹂・﹁白妙の衣﹂︑9ウ﹁そてふりはへて﹂・﹁ぬきを﹂︑皿ウ﹁たつき﹂︑uオ﹁道行﹂︑翅ウ﹁貫之﹂︑過オ﹁かく

力﹂.︑

寺三越

る﹂︑妬ウ﹁上﹂︑オ﹁寺﹂︑豹ウ﹁巻二﹂︑妬オ﹁巣を﹂︶

書名符及び朱引等は煩雑さを避けるため今回は省く︒

傍注は本文より活字のポイントを下げて原本に準じ︑傍記する︒

虫損等による欠字分は□を以て示す︒

一つまたは複数の﹁上﹂をもって記されている見せ消ちは本文左傍に︵上︶と示す︒ 原本の行取り︑改丁に準じ︑墨付丁数及びオ・ウの省略符号を付して︵﹂1オ︶の如く示す︒漢字は原則として通行の字体を用いる︒異体字︵す︶︑フ︶はそれぞれ︵コト︶︑︵シテ︶と示す︒問答の頭左右に朱で合点が記されているが︑︵︑︑/︶と示す︒頭書は未で記されている︒但し︑以下に挙げる箇所は墨で記されており︑その一部に記される合点も墨である︒なお︑

シヲル翻刻本文上ではゴチック体で示す︒︵1オ﹁三吉野﹂・﹁二葉﹂︑2オ﹁まめ男﹂︑2ウ﹁羽林﹂︑虹ウ﹁潤﹂︑詔オ﹁井出 本稿では第二冊を翻刻する︒

の山吹﹂︶

翻 刻

− 9 4 −

(3)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 書 』

三吉野

古今に付て定家家隆の二の読有而二定家ニハ古今と読︑家隆二︿古今と読也付垂古今卜云二一義有一には延喜以前の吾を︑集ルを古と云時/世の人鳧の吾を集るを今と云也二には古とは

神代を差ていひ今とは人代をさして云也和吾とは我朝

毛亀〃〃Wソの御法一切のあらき物こはきものに至るまて詞に和けて

読故に和歌と云此和寄の二字に付て深儀宣壽澪叶集#は

数を尽す儀也巻第一は部類義也故に古今和寄集巻第一卜云也

一ふる年にはる立日!ば仁和二年十二月に春立日仙洞の奇合によ

める在原元方か寄也元方卜は業平の孫左衛門佐棟梁か一男

時に左中弁歌の意は十二月に立春あるか故にとよめる也

春立ける日!は延喜三年正月也是︽延喜の御時八幡宮におさめ︑むか為に七百番奇合有ける時よめる寄也袖ひちての吾に︑三季有序に如跨云春かすゑの吾にた上るやとはたてるか

と云事也みよし野とは三吉野に三の所有上吉野中吉野

下吉野是ノ三処を三吉野と云也此寄は清和の御時春日の宮に

詣たりける時はるかに吉野の方を見やりて読給惟高

親王の御吾也二条の后春始の御吾とは二条の后の春宮

共五

古今和歌集第二

古今和歌集巻第一

○春吾上 圓蔵房兀超蔵

﹂前表紙﹂見返し

﹂1ユーオ

− 9 5 −

(4)

まめ男

羽林 き﹃ぬ↓○ シウタイの女御の后也貞観四年三月に十四にて入内次の年の︒二月に春フユック春の立ける日人々を召て奇よませ給ける御をは冬嗣の御女の読給計也彼をは嵯峨第七の王子者河原の左大臣融卿

ギョシッの御室也二条の后とは大原中納言長良の御娘清和の女御也

此時清和は春宮の太子也雪の中に春はきにけりと云心也万

葉云降続し高根の雪の中に立春の気色は霞なるらし

タツ文選云三冬未埣尽雪ノ中ノ新年四季兼テ先キ立初春ノ影色︑されは此文の意をよめり雪の中に春はきにけりとは

年の中に春はきにけりと云也梅かえにきゐる鶯とは梅かえにきてゐる鶯也此嵜は昌泰二年十二月の立春に読給中山ノ右大臣長年の御吾也忠仁公の一男也是は式部卿の宮とて光孝第四の姫宮也近江国高嶋と云処にましj︑ける所へ忍ひてかよひ給ける時彼御所の梅かえに鶯の鳴を見て読給ける

ピッ函フ寄也長年は彼姫宮の蜜夫也密夫とはまめおとことも読した

実名後見

おとこ共読也政纒一云風妙也方君者霊王之臣下ナリ為天下ノ大見

コウダマメヲトコキヤウ正二贄シ然而依為后宮呂宅姫蜜夫空於夛境知原一一被誹圭成ユ荒

シタヲトコ郷之鬼卜文の意は霊王の臣下に方君と云者有時の羽林也

群鍛彼后は方君かめいなり其をおばして被テ誹↓成し鬼升さとをあら

︑︑○○○○一云 す春かけてとは年の内の立春なれは︒なり雪の木にふ

りか坐るとは素性か宿所の木也素性は遍昭か二男俗名蔵人義方廿一にて出家して清水法師となる後には長谷に住けり権律師に任て是寄は清水にて読る奇と注せり春

︹○○○︺たてはの吾に象えむとはぶゆらんと云事也此奇は延喜二年正月 ﹂○企︑オ ﹂1ゥ

− 9 6 −

(5)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 錐 間 苫 』

あへす 脳不知

おほいまうちきゑ

二二

︑寄也題不知→は皆心有吾に云其事を書入・多キに依て題

不知と云也心さしふかくそめてしおりけれはとは雪の木に

降りか上りたるは花二にたる間はなはと心さし深く思ひて折

てみれは雪きえあへすちりあへすとは消る程もなしと云早

くきゆる義也万葉には不合ト書てあへすよめり家隆に

は居けれはとょめり是は花のさくかとて雪のふりか坐り

たる木のもとに居りけれはと云り此奇は御娘の染殿の后

内裏にましノ︑けるに参りて御まへなる梅木に雪の降

か基りたるを桑てよみ給忠仁公の御寄也忠仁公$は東山/関

白又染殿間白とも白河の関白とも云正一位上大政大臣良サウシ房也此時左大臣也冬嗣の二男兄長良早死たるに依て関白

と成る我朝の関白の始也自是人我朝に正一位絶たりおぼい

まうちきゑとは三公/和名なり三公卜は内大臣右大臣左大臣也

おほいまうちきゑとは太政大臣也まうちき象とは大夫也春宮の

象やす所とは清和春宮の御時事也正月三日とは貞観五年正月

なり雪のかしらに降か皇りけるとは暗たる空より村雲の

雪の降けるを云春の日のひかりにあたるとは春宮の女御︑の御めく象にあたるを云頭の雪とは康秀此時六十也霞︹○○○0000︺立の吾にこのめもはるのとはこのめのはるを春になそらへたる也

春のはしめにょめりとは寛平七年正月也藤原ノ言直時に︑内/蔵頭越後介惟岡か男寄に別無義春のはしめ・吾とは

延喜三年正月内裏の奇合によめる春きいとの奇は文集ノ鶯

チク賦の意をょめり文集云庭竹有し音鶯舌告吻春ヲ莞松二 ﹂2ウ﹂3オ

9 7 −

(6)

朝なノf︑ 物うかるねに たくへて松浦姫い密た手鈩も サヘテ︒カナシム風寒鹿意悲レ冬ヲ此意をよめる寄也寛平の御時きさ

力ケコいの宮とは照宣公御娘陰子是七条の中宮也照宣公卜は長良

の二男堀河関白従一位上大政大臣也寛平卜は宇多天皇御事也嵜合卜は彼七条の中宮は奇を好§給ひて常に御寄合有けれは古今の中に寛平后宮の奇合と云事有シ今此寄合は寛平

マ十︲ス︒q︑六年正月十一日葺合なり源ノ当純と云は是時は常陸守後には

ヨシアリAI右大将なり文徳天皇ノ孫近院ノ右大臣源ノ能有の一男山風にとくる氷の吾山風は当流搾嗣は引ち出る波や春のばつ花とは

文選云天台山の高瀧に万浪成犀花ヲといへり此文の意也花のかほ風のたよりにたくへての吾は莚喜三年内裏の吾合の寄也

此寄は文集賦意也文集云林花色みへ何二由テヵ好キ山水満テ来テ興

サソ正二新ナリ窓ヲ過ァ枕誘う梅風ノ蔦簾ヲ巻テ見月盧峯ノ暁キー

トリサソフ詠一吟吏詠ノ客ノ採レ紙ヲ染し筆ヲ伴う侍人一此賦は春風鶯をさ

︹0○○一マツラヒ亜安

そふと云意を作りたくへとは便りの義也万葉云松浦姫モ唇コシヒトノコトトヒテココロタ︑ルルカセハイタソモ

唐人野事間天心便留風波伊多曽毛されはたくうとは

タガウル便の字也一松浦姫卜は男の唐へ渡りしをまねきけるかまねき︹○O死にしにげるよりして其山を松浦山と云仙多牌毛トはいだ

O︺そはなんと云詞也一大江千里$は其時に承の入か承後には中納

アサッナ言大江の朝綱の五男うぐひすの奇ば寛平九年の内裏の○○かる野に無義春たてはの部は同し寛平九年の奇合の奇也

0○奇合の吾也︒うかりねに鴬のなくとは花のさかぬ程はうぐひす

も物うげになくと云義也野へちかくの牙は染殿の后の嵯

峨のほとりに御所作りて時にか・ひ給ひし時の事也あしたノーと

云事を朝なノJ︑1と云也△糾柿倣仕仙仙物仲肚jノJ1l落丁アリ JjP卜IDIドトー←L卜房心捗牛トキqllllllll房﹄上トル廿分h峠半十丁牛 4哉斗﹂川坐古/ ﹂○J尚ソ

− 9 8 −

(7)

五十六一二山岸文庫蔵『古今和歌集聞言』

若草のつ孝一 ︵州涯唖い︾減俸舞艤二幅冴繧せれはと云事也

い︑︑︑︑!〜

春日野はけふはなやきそ若草のと云此奇に不審有問伊勢物語には武蔵野はといひ髪にはかすかのと云此義如何いせ物語には正しく武蔵の国へ下るとゑえたり此ちかひ如何答云実にはj武蔵野国へ下らす春日の中にむさし塚と云所有其をむさし書り貫之此事を顕さむか為に春日野と書り此寄は長

ホクチヤウ良の中納言大和守にて奈良に住給ひける時二条の后卜唖定のシメサムル心也女御にて内裏へもまいり給はさりける時業平いす象奉りて彼春

コシ日野のむさし塚ノ腰にをしかくしたてまつりたりけるを父の

許より尋て野に火をつけんとしける時后の読給へる吾也〜抑春日野に武蔵塚!みえるは日本記云文武天皇の御時中納言

美作朝臣と云人あり多年武蔵守にて在国したりけるか奈良

の京に上りて病二付テ死なんとしける時子をよひて云我武蔵

国に執心有思の外に此にて死はかばねを彼国におくるへしと云死

て後彼国へ送らん事難レ叶春日のすゑに埋てけり其後此人悪

霊と成て此事をうらゑけれは武蔵国より土を取よせて彼墓

をつゐて武蔵塚と名つく其墓のまはりを時の武蔵野と云今の光台寺の後の岡是也されは春日野中に武蔵野在之

若草のつまもこもれりとは女のつまもこもれりと云事也されば

業平は二条の后の為にはつま也女を若草と云事伊勢物語に

云業平妹の許へやる吾二云うらわかゑねよけにみゆるはっ

草を人のむすばんことをしそ思ふ返事はっ草のなとめつらし○○○きことのばそうらなく物をおもひけるかな文集云女の随庫男一如シ 5オ﹂FD台/

− 9 9

(8)

妻卜云事とふひの野守 ひれふる し嘩苓若草風一一故に男ヲ︿云風斗女ヲ︽為草菫白りされはわか草→︿︑

后也問つまとは妻ノ字也多分女をいふ也髪に男

︑をつまと云事如何答つまと云に三義有一妻ノ字をょ翠︑︑ノーには夫字をよみ三には調字をよむ女をつまと云事は常トヲッヒトマツラサヨヒメの事也男を妻卜云事万葉云遠津人松浦籠姫ツマニイーーヒレフⅢクシ三リヲヘルヤマノナ夫恋示袖振紫余里負留山野名是は男の唐へわたるを恋しかりて其舟のゑゆるをまねきけるかまねき死にしにたり其より彼山を松浦山と云ひれふる︑︑と云に二義有一には袖振義二には舞人のうちかけなむとのひれを云新柵六帖云醍醐の桜会の舞児をみて玉柳ひれふりたてるうなひ子かかなつる袖に︑春風そふく是は舞人うちかけのひれ也三に調の三スッマト字をかける事は論語注云明王ノ代二︿為し調明臣毫是字にては二の物のとLのをるをつまと云︵約七行分余白︶︑されは夫婦共に詞ルヲ妻卜云春日野のとふ火と云に二義有一︿

トプヒ大国二燧→云事有是は都に不思義出くれは諸国にはやくしら︑つかをつきて上に家を作りてそれに人ををく彼のせんか為に都の四方に高く・塚をとふ火野と云京に事出くれ

は火をとほして四方の岡より指上る是をみったヘノ︑とほ

す程に諸国に知事程なくして都へ程なくあつまる是を天

智天皇の御時我朝にうつして春日山に野守を置て京

に事出くれば火をとほさせけりしはしはたえさりけれとも日

本は高下不平にして不叶して絶ぬ是を守をとふ火の野 ﹂八b︲オ﹂R︶ウ

− 1 0 0 −

(9)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 書 』

芸︸えな/︑に

松の雪あつさ弓 守と云此野守は不退に野に居たるものなれは春日野の〜若なは生たるか出てみよと云二︽飛火と云は源氏注云昔山に

アリカノ僧有念比に思ふ児有彼児死て後彼僧あくかれ出て迷ひありく程に奈良の興福寺の烏にて鞠ける児をみれは

わかれし児に少もかはらす取よりてあひなる上程に互の志切な

り是僧白地に京へ出たりけるに元の師み付て山にいて

ヲモイ登りて不出僧深く思入て歎きけり児も此由を問て深

く歎きけり互に死ぬる事同時也又やく事も同時也け

れは彼僧をは坂本にてやきけり児をは春日野のすゑ

にてやきけり僧の火飛てならに来化児の火飛あかりてあふ消二此事正月十五日以前に日を不定して合う事近

き世まてありき此火北南へ別れは世中わろく西東へわか

るれは世中吉シ是を見ゆ為野守とて正月十五日以前には

春日野に人ををく若なをひたるか出てみよと云也此事

は清和御時内裏奇合に読給惟高の親王の御寄也象山には松

の雪たにきえなくにと云は最初降たりし雪たにも消

ぬに都の野へには若なつむとよめり先降りたりし雪の

義也家隆には松の雪たにとかけり松の雪とは松は葉ほそ

く雪たまりかたし是雪にもきえぬにと読り此寄は七条中宮の家の御寄合し給ひける時中宮のあそはせる吾也l︑カンナギあつさ弓と云に三義有一︿巫の口よするとてうへ弓を云︑二︽あつさの木と云木有其木にて作りたる弓也此辺にはち

︑1︑アツサノきの木と云東にはあつさの木と云三︿陸奥国に足熊郡 ﹂7ウ −7オ

− 1 0 1

(10)

白妙の袖 四葉 の給ふ事 さして君ト 帝王遍照を 奉るさて位二付給何て小松の帝と号す仁和元年 かへすへしとて車にて迎ルー松生てとをし りて車をとをし奉らは王とし奉らむと不然は車を 山の小松原の中に御所のあれは彼茂り生たる松さ るへきよしを申給ふさらはとて御車を以向へけるに若シ北 事不可然とて不奉用右大臣長手卿しきりに即奉 即奉らんとす臣下あまた申さく老人位に即給はん す仁明天皇第三御子光孝御年五十に成給ふを位に 即奉らむとしけれは此二人なから病ましノ︑けれは叶給は らせ給けるは彼糸こ元良/親王恒定ノ親王等ヲ位に 事物に多クいれり陽成天皇物狂にましj︑ておりゐ匡な と云に此人は五十まて御子にておはしましき故に御子御時の 云事古今に多ク余の物多シ此人さのゑかくましますは何義そ 義実義也此照宣公御寄也仁和御門みこにおはしますと と云所につくる弓也此弓は公家の年貢にも奉る弓也此

御即位あれは仁和帝と申人に若なたひ奉るとは

僧正遍昭にたひける也此奇は御門にかはり奉りて

ナリ仕り給ヲ七条中宮御嵜中宮は此御門に御ょめ也︑君かためとは遍昭ためと云意也歌奉れと被

仰しとは延喜御時古今を撰し給し時人々に

奇めしける時の事也春日野の吾に

︹0○0O︺白妙の袖トハ国王大臣より外にてよます是はナヲシ︹○00O︺直衣の白妙を云也た上白妙の衣なんと読 ﹂QU︷ソ ﹂8オ

− 1 0 2 −

(11)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 害 』

百千烏 袖ふりはえてぬきをうす魂へらなれ シロカ.不ヲノブ

事は国王より外にそ不可有国王は銀層

金層とて二の衣をめす也銀層!︿白キヲ云金虐とはやまはと色也されは白きに付て白妙之衣と云也︹○○○0000○︺そてふりはへてとは袖うちたれてと云文也在原行平阿保親王の二男時に兵衛佐後には中納言民部卿はなのきるかすゑの衣とはぬきをかす象○・・○とは次第二かすゑの衣ぬいてうすくなれは山風に桑たると云へらなれとはへき也かすみの衣と云坤︒即@事は大方山なむとにたちきなんと可読共まこと

サウには其文の有によりていへり古曽書二云風二散ル

碑手.ン淺花糸#︿結吟一菫三一不し断山二立霞ノ衣︿峻庵枝ヲ熾ル

ム・不ユキレ霞ヲ此文の意をよめる寄也・源姉姓伸江啼卿ムネ︽卒寛平の御時后宮野合とは寛平七年三月の吾合の丹也源ノ宗干時に中宮ノ大

夫後中納言宇多ノ天皇第九ノ御子也ときはなるの計

心は春は猶みとりにまされりと云是は白居易筆

色添所ノ名也

遠霞・鳫峯松楓月光り増ス浜亭沙二此意也恢毒″ハ

アハラヤナリラ屋也奇奉れと云は上に奇めしし時の事也歌に

別義なしわかせこの三の義の事は如前

ニシノヲフテラ

青柳の糸よりかくるの奇は別義なし西大寺

サイじとは奈良の西大寺也吾は序如レ云

もLちとり卜は二義有一︽百千烏とかけり是︽一切ノ鳥をさす云也百千は多数ヲかぬる義也春閑に来

ナク也ぬれは一切の烏の鳴共二には鶯の名也も上さへすりの

﹂qYワ ﹂9オ|皿オ

− 1 0 3 −

(12)

寺娼つ当ご

ぶち行ふりに 五葉 よふこ烏

こモ︑サヘスリノ

烏と云かしよて也政纒云上陽人ノ深宮/春怨シ只百噛鴬スニヤスムヒヒ息し思是意なるなし此吾は春日宮二百首奉り給時

ヨ由&

読給延喜の御計也をちこちとは遠近とかけり万

ナ・マ︑ノ葉云か/蜂屍野波野澤逓琴年酢娠続瀧避砕奉漉鰄

︹○00︺斑毛此計は吉伽大臣入唐の時道にてよめる研也たつき

カンサウとは便也後漢書云漢皇城閉シテ軍兵難吟通シ孝曹

力ウナリトタッキ難し行其道無便一といへりさればをちこちのたつきもしらぬとはとをひちかひのたよりもしらぬなり

よふ一﹂烏とは或は猿を云といへり実にははことり

クワンとて三月なむとに山にある烏也はこl︑と鳴也喚

カケ子烏ト書り是は伯撰卜云文二委クいへり昔高麗一一

一言イラン永藺山と云山を女の子をいたきて通りけるか白地に

さしすへたりけるを鷲にとらてはやこ/く〜となき

ありきけるかなき死に・たりこの烏となれり生をか

へて烏卜なてもはこノ︑となく也価喚子烏卜名付

此奇は但馬守に成て下りける時中山と云所二と

まりたりけるにかの烏の鴫を間てよめりけり

猿丸大夫か吾也こしへまかりける人とは藤原

惟岡越前守にて延喜三年三月二下りける時の

︹○O︺事也躬恒かともたちなり道行ふりとは道行触とかけりそなたへ雪触れはと云意也かへ

るかりをよめりとは宇多院御時内裏の奇合

に読る寄也計に別無義おりつれはの奇は寛平 ﹂n才 一mウ

− 1 0 4 −

(13)

五十六一二山岸文庫蔵「古今和歌集聞耆」

oネイ御時内裏の常寧殿の前の梅を立寄て折給ひけ︒四るに鶯の鳴けれはょ桑給七条中宮の御寄也

弓二無義色よりも香こそ哀の弓は同御時吾

合に宇多院読給御吾也是吾は史記文意を読り

トプメウッ︑二

梅香衣二章シテ旧人之跡卜問非髻電非睦覚恋慕ノ

イカーーシテカハスレテカセン涙ヲ告し神︑︑ヲ先帝ノ紅顔何忘安レ年ヲ此文意は禺ノ

の御門の王子に照鋤太子卜云人ましノーけり女を心さ

し深くおもひ給へり彼女本国へ帰りける時彼太子

ノキ軒端なりける梅のうつくしかりけるを袖にて

こき入てつ上ゑてかへりぬ程なく死ぬ太子此事をき上給て

歎無限しとて彼の女の国に尋行給て其家二行給い主はなくして空に衣の有けるを取て見給ひ

たりけれはこき入て包たりし花もとのま些也

シイ太子是をゑて深く歎き給て遂二本国へ還給

はすして出家遁世し給ふ彼女と云はた坐人に

あらす彼国の王の姫宮母帝御門也照林太子の

色の深きを間て彼にあはんか為にた上人の体に成て太子の国に行てあひ奉れりといへり是よりして梅か香を袖にくむすと

云り必す哀傷に読也やとちかくの奇は

.袖口さきの梅の香袖に菫すと云意を以てまつ○○人の袖の香によそへてよめる也是は延喜第一ノ皇

シケアキラヲト︑子重明ノ王子北野ノ乙人ノむすめに通ひ給ひし ﹂uウ﹂胆寸

105−

(14)

闇はあやなし 老かくるやとくらふ山六葉

時久しく絶て後よみて遣す寄也梅のは

なたちよるはかり有しよりの吾も同意をよめる也二条の后の御計也東三条左のおほいまうちきみとは嵯峨天皇第九の御子源の常の卿

︹ツヲニキ︺なり是は梅花を折て貫之にたふとて

読給牙也鴬のかさにいふてふ梅の花!︽

さいはらの奇に青柳の糸うちはへ

てうぐひすのいふてふかさは梅の花笠此寄

の意をよめるなり老かくるやとは梅の花

笠此吾の意をよめるなり老かくるやとは梅の花は

年若き時也花也是をかさしむ我身の老かかく

る皇とよめりよその柔の吾は寛平御時内裏

の梅をよそにの孟見てすきけるかめされて

かへりける時一枝折てょめり御門聞召て御感

あて禄たひけりと云り梅の花折て人に

︹お︺かくるとは貫之か許へおくるなり吾に別義なし

くらふ山にてよみけるとは大和のくらふ山にて︑︑︑よめる也嵜に義なし月夜に梅の花をおり

てと人のいひけれは!︿素性かもとより

こうなり吾に別義なし闇はあやなし

とはえきなしと云事也かやはかくる皇とは色こそみえすとも香はよめかくれしとの事也はつせ

もうてのとは貫之常に長谷にまいりける也 ﹂昭オ ﹂吃ウ

− 1 0 6 −

(15)

山岸文庫蔵『古今和歌集間書』

語 十 六 一 二

さたか

故郷

くるとあくと

めかれぬ

人まに

芋化のら/つろふ 是は貫之は長谷の利生にまうけたりける子也

ヲチキヤウ上二如レ云ヵ房主トハ忠峯か舅栄仙法橋也さた

かに卜は定まて云事也故郷とは貫之か常にくる

処なれは云されとも実事ニハ彼所の名にふる

﹃︑︑ハツ︑︑︑さと上云名有其意をよめり万葉云御長七ノブルサトプクカセノ谷野布流里サヘテ吹風野せとにそひLくかねのありとも是ふるさと上は所の名也水の

ほとりに梅花さけるとは伊勢西河のはた宴に家を作りて住ける時宇多院花の妻の為に

御幸なりたりし時読ル寄也伊勢は伊勢守継陰か

むすめ藤原家宗三位子也寄義なし年をへて下上

の弓は同時よめる同人家に有ける梅花上

スミ貫之近江粟津二御家造ァ棲ける時の事なり

くるとあくとは朝夕也是はあけぬくれぬなり11︑︑1ハカレヌめかくれぬトハ目別義也巍海喰スいつのひとまに

とはいつの人のみいまにうつるひぬらんとよめり

又ひとまとは一間の義の意なりいつのひとときスカルナクイナノシハヤマアサ

のまにと云心也万葉云鹿鳴猪無野芝山朝

アクトキリタテワタリ・●︑ヘヌこハナヲユクスエヒコ︑ロッキテタ登霧立渡里不見日波猶行末毛心尽天

ヤエ﹄ハヲモプラン︑野物思覧さればくるとあくとは朝夕の義也問花

のうつるふとは色のかわるを云ふ梅の花のうつ

ろふと云は色のかはるを云也如何答やまふきなんノトハ色のかはるをうつるふといひ梅の花なんとは ﹂咽ウ﹂皿オ

− 1 0 7 −

(16)

ならはさらなん

すさめぬ 畠ノーr仁一﹂〃く︑ 七葉 ウッコフ散を云長能か和名序云散し風花︿帰し根二不犀待残ノ春↓帰恥谷二鶯︿残噂音ヲ入ユ首夏一又万葉

シスラヲカシルノカキヲノウノハナノウッセテカコスエ

云賤男賀柴野垣面野卯花野散賀木末

ノアヲクナリユクウツロフ︒

野青成行此寄は家持か吾也されはうつ

るふ1ハちるを云也寛平御時后宮の吾合

の吾とは寛平七年春の吾合也此寄は七条・宮

︵に力︶

御寄也計口義なしちるとみての吾はちるとゑて

さて有へき・匂ひの袖にまて花のわすれかたし

とよめりうたてとはうたてしうト云事也是ハ白楽

サソフ天ノ春賦中ノ花部詩の意也林風誘花↓窓ノ

︷ソープ白︑よ〃園ク・﹄︑

シO

前怨梅香残酔袖二増ユ方見思与此詩の意也

ちりぬともの吾は業平忍ひてかょひ奉

りける時貞観十三年二月に備前にし

るよし有て下りけるに二条后の読て造

す歌也是風の吾也義なしならはさらな

む→くちるといふ事をはならふへからすと云也

人の家にうへ殉たる桜とは在時従時春

か東山に住ける家に植たる花のさきはし

めたるを云在侍従は業平の孫滋春か一男奇に

無義山たかみの吾に人もすさめぬ卜は人も

︑︑︑アイ

あひせぬとの義也問常には愛せぬをすさむと

云人をすさむると云も人をざひしむるを云也猩なんそ此寄に愛するをすさむると云哉 ﹂喝オ ﹂Mウ

− 1 0 8 −

(17)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 聞 耆 』

ゑはや

壁ご〃加 答云今髪にあひする・をすさむと云事はいさノノ″コノアキハキミニッカマッルイトマ

むる意也万葉云此野秋波君永仕留暇

ナ..︑ツキモスサメテヨヤJく︑ソフル

無身月毛不愛天夜々曽布留文集云

○唖

トッキ鍔一スサムルヲ好女︿不し飽レ嫁喜ゞフ人愛一公主︿不し飽レ賢二悦フ

人ノ善といへり又漢書日漢氏恋ル忘婦亨

涙身︿如二在海巾二小嶋三振波常二懸テ沈テ難

浮圭悔哉愛君日怨哉共契時是李夫人に別也漢ノ武帝ノ

歎キ給し涙床に積て如叶海害る也されは康秀李

斗ごウミ夫人と云題にて恋になく涙の波の深に海にいさわ︐〜上︑そ

れらさらはみるめかつかむいたくなわひて我我桑

はやさむ#︿我象てさかやかさむとよめりはやす︲一ヶ巻書アリとはさかふる義也太平御覧云君子得暁賢其

タカラフヘ家貧シテ其心楽シ少人ノ得恥愚ヲ其家宝一栄テ其心ナヤ二脳陸物ヲされは象はやさむとはさかやかさむと云

古向事也是寄は惟・親王遁世ノ後握小野ノ山寺に宮造り

スミて棲給ける所へましノ︑てさひしげに御座シ

けるをみ奉りて庭なる桜に結ひ給へる御妹生

子内親王の御計也是風の寄也山桜の吾は北山の桜を

みにおはすとて忠仁公の読給ふ御嵜也嵜に義なし

染殿の后とは忠仁公の御むすめ也さきのをほきおほいまうちき象とは大政大臣忠仁公也此寄は忠仁公六

十にあまり給ひて後御娘の后のはなやかにまし

主す事を悦ひてよみ給也年ふれはの吾の

﹂妬ウ﹂蝿オ

− 1 0 9 −

(18)

山の桜ひ

家つと

こ蛍一まぜて

/、

毎号

一オ竜

へ山也 心は我み年よりたれとも后を象たてまつれは物おもひもなしとよゑ給へる也なきさの院ゞ︿摂津国の水無瀬に有是は惟高親王のかよひ給ひし所也此寄は業平馬頭なしり時惟高親王に仕りて御供にまいりたりし時よみ給ける寄也意は世中に断て桜のなかりせは中ノーさくらを待思ひ散をおしむ歎きもなくて春のタヘテ心はのとけからましと読り家隆には不断桜のなかりせはとよめり此義は桜の咲たればこそ心くるしくもあれ不断にあらは春の心︿のとけからましと也いしはしるの奇は朱雀院春宮/御時二摂津国布曳の瀧にまいりたりける時タキ瀧のほとりの桜の水に枝のせかれて花の桑へ

けるを御読してあそばせる朱雀院の御

吾也山の桜とは比叡山の桜也家つとは土産の

義也花盛に京をゑやりてとは東山に住ける

時京を見遣りてよめりこぎませてとは深くまし

ウスクコクイロソマシハルアサ

ヘてとの義也万葉云薄濃色曽交留朝

モ︾﹃︑ジノカケハテリマスルルラシ日山紅葉野景波照増留良紫とょめり朝テリマサル日山−ハ竜田山のうちこし河内にあり桑やこそ

春のにしき成けるとは花洛と云意をよめる

コヲハトナセリ也文記禄云栄帝ノ都以花与隙順公ノ家︿

ヨテ因月二不豚葺レ文意︿栄帝−いひし御門愛花↓九重二 |RuサL11r

17

4 −

110−

(19)

五十六一二山岸文庫蔵『古今和歌集聞書』

足引の山 多ク植テ入門ことに花有何春都を花洛卜名く

是よりして一切ノ都を花洛ト名くされはみやこ

をは春のにしきと云も花の多故にいへり是も

フカ花洛の意也順公は月を面白かて家を不し葺

桜のもとにて年のおひぬる事をなけくとは友則

ニシ

か家西山すゑける時の事也色もかもの吾は桜 をかくし題にて読る寄也たれしかもとめて

とはもとめての義也寄奉れと被し仰しトハ延喜御時嵜めし上時の事也けらしはけり也︑山をあしひきと云に三の義有一一︿大友里子蔦木山を猟し給ける時白キ鹿を射給ひたりけれは足にあたりて足を引てにけい何

珊︑︑コレエタノて山をあしひき卜云二二︿光仁御子惟條王子

ヲホサキ廃帝王子と軍を遣し時筑前国大崎云山にて彼廃帝王子足を射れてはひノーにげ給ひたりしょりあしひきの山と云皆是実をを

也き上

かくせるか為に実には日本記云いさなをいさな象

の尊此国を造りて給けるに葦のしけりたり

︑山上

けり何て日本を葦原中津国ゞ云如レ此ならむ

にはいつくにか神達もすまむと云てこ神あし

をひきすて給ひひきたるあとはいま河谷となり引あつめてつもれる所は山となる故に山〜一フターーをあしひきの山ト云問其義なしは谷河なん

﹂Wウ﹂鴫オ

− 1 1 1 −

(20)

山のかひきえすは有とも花

咲 桜 散′、

物 は 也 る

1

二篭

ニオご

とをも足引とよむへきか答云彼谷河は引

jたるあと也山はあしのつもる形也されは

あしの有に付て山をあし引と云山のかひト︿

山のあひ也五韻にて知へし雲を花に似りと云事

本文有文選云白雲峯二立テ遠花添レ色春水

満谷松影深シ又長房記云雲︿似し花雪︿如レ鶴

春色蒸々トシテ不し尽とかげり万葉云山桜

一︑テイロノヲモケレハタニ一モヲ一二﹂力︑ルクモ

飽ク魔天色野重波谷示毛尾永毛懸白雲

されは花は雲に似りと云寛平の御時とは

寛平七年寄合也糸よしのL山へにとは山の

辺にと云義也やよひに閏月のあまりけるとは

貞観十四年のやよひ也寄無義桜の花

さかりにひさしくとはさりけるとは業平

有常か娘と夫婦なりし時京へ象や仕しに

行たりしか二条后ををかし奉りて忠仁公に

三月かほとあっけをかれたりける時の事也

桜の花さかりにきたりけるとは貞観十三年

三年に勅勘ゆりてきたる也あたなりて

なにこそたてれトハ桜は七日に咲散物也

然に此花ちらぬ業平か来しるニハ花も年に

稀なる人を待けりと読ル也此奇は有常か

娘の嵜也きえすは有とも花卜朶ましやと

はちりしきたらん花は雪とのみ見へて花

L一

18

|nソ米L﹃Iユ貢

− 1 1 2 −

(21)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 雪 』

初葉 桜色に衣 と見ましや

*句① *11 トハみえしとよめる也散ぬれはの吾は南殿桜のちりかたなるを御覧してよませ給ふ七条中宮の御牙也寄二義なしおりとトモ︿らはの吾も同人の御吾也紀の有朋上長セヲノ

谷雄卿子友則か父也さくら色にとは桜の

色に衣をふかく染て春卜云桜の花見に来りける人とは貫之か来ける也嵜無別

義亭子院とは宇多院御事也是は御所

の名也七条坊門南小池の御所是也計に春霞の奇は南殿の桜のちりかたなるを御覧して延喜御寄也牙に無義まてと云にちらてもの牙は二条ノ后の嵜也内裏の奇合吾也ならひ次三首同人御寄也寄無義

後人難云何ソ桜に思ひまさましと云は桜より面白物/有かと云り

答云大方花は一旦の興也月ハかはらぬなかめなるに依て

月︿花に増れりと見たり証寄俊本卿の奇に云

春の花秋の紅葉もしはしまて月そかはらぬともと成ける

されは月は花よりも興有と見たり

残りなくの吾にありて世の中ばてのうければとはたとひ花は ︵三行分創オを重複書写︶*2︵十一行分刻オを重複書写︶古今和歌集巻第二 義なし

○春下 ﹂岨ウ﹂別オ﹂鋤ウ

﹂皿オ

− 1 1 q

上 ユ ピ

(22)

きえかてに

ひとさかり

心ちそこなひて

たれこめて

三葉 山の桜ひへ山

ちるまを

たにと 二葉 いつまてちらすとも我身のとまるましければばてうしと云也この里にの奇は二条の后大原に住給ける時読給ひける吾也︑︑うつせみと云に三の義有一︿空蝉とかけり二には小蝉とかき

い〜︑︲ヤマカセ︿イ︽カハラヌヲ隼ヵ︿ノ 三には遷蝉と書り万葉云山風波色不改雄萩賀葉野

ウシ鹿ウイロニヴッセ・雪︑ノ︿カナキカラモナワノコルカモ宇津呂宇色永空蝉野無墓賀良毛猫残留賀毛万葉打聞也ウッセ§ノコ一キクトキソ且ヒヲクコノシタ

古撰云坂上老女奇に小蝉野音聞時曽露毛置木下

カケモウチシホレケル︑︑影毛打潤建留三二遷蝉!︿日本記二有是は夏より秋へ遷る義也空文字をうつと読事は文選云盗舜︿魯州ノ空人也文うつせ桑の世とははかなき世也此寄は染殿の内侍の司也染殿后のいとこ西三條左大臣良相の娘也桜花ちらはちらなむの奇は惟高親王御出家の後小野宮二寵リ

函ソウクヲイ給ひし時読給奇也寄二無義承均法師#は世之か猶子紀

文定か子也桜ちるの吾にきえかてにとは消かたくすと云義也

花ちらす計に無義いさ桜の弓にひとさかりとは花とひとつ

さかりに我もちらむ世になからへは人にうきめゑえなむと読也

あひしれりける人とは躬恒也吾にひとめぶしとは人を一目見鵬

には非す花を一目みて行し人を云也古今庭山の桜トハ比叡山

の桜を云と可得意也清原深養父卜は干時肥後守但馬守通雄ヵ

孫又肥後守房則か次男春霞の吾に散まをたにとは散隙を

ヨルたにと云心也心ちそこなひてとは心ちのわつらふと云藤原ノ因

香ノ朝臣とは是は干時内侍頭也右大将藤原経行ノ嬢副にたれ籠てとはをろし籠てと云義也東宮の雅院とば内裏の待賢

門院の内北の門也是は光孝天皇ノ御時保明ノ親王莞シ給ひて ﹂別ウ﹂躯オ

− 1 1 4 −

(23)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 害 』

︑﹈罐奉 しつ心なしよきて ことならは 後悪霊と成給たりけるを祓ひ奉る所也御河水とは内裏ノ朝きよめのちりはき入る河也常寧殿下より堀リ流セル河也菅野高世とは干時式部日本武尊の孫藤原ノ古人ノ末忠輔か子也寄無義ことならはとは如此ならは元よりさかてこそ有らめやかてちれはと云也家隆には朝とならはと読り是はちるへき朝ならは元よりさかてこそあらめと云也しつ心なしとはしつかなる心なしと云心也桜のことく散物はなしと云人とは貫之粟津に住ける時橘の為幹客人にて来りける時花をゑてとく散物なしと云聞て読也奇に人の心そ風も吹あへぬとは人の心そ風の如くさわかしきと云是は文記録の文の心を読也文云香慎峯ノ月清明ニシ|ァ影不ス替一三詠人厭圭毫厭応雨ヲ心︒早クシテ似/駿風一此文の心を読ル也久かたのひかりのとけき春の日にとは延喜︿ヤ?手カセの御時天下の長閑テルを云也東宮の帯刀の陣とは内裏の東宮の座す方に有藤原ノ良風は千時帯刀の先生興風か孫忠継か子也奇によきてとはのそきてと云義也心つからやとは心とちるをみんと云也桜のちるを読りとは内裏の南殿の桜をゑて読ル也奇二

・無義山たかみぶつ上我こしの奇は奇に無義春雨の奇は

大伴ノ黒主清和の御時備前国へ吉備津宮の長官に成て下り

たりし時彼宮のさくらをみて読る也此奇に春雨のふるは涙

かとは白楽天賦の詞を題にて読る也其詞云仁風普ク潤う花

美ノ中此心也仁風とは春ノ風也普ク潤とは春の風の花を散すを

借く泣ク人の涙のうるほふ事を作り給賦也桜花ちりぬ

ランクワるの吾は本文の心を読也文集云乱花似即浪二碧罹天旅雁︒○卸 ﹂認オ ﹂理ウ

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(24)

花の木 故郷の事 たりける時泉峯ニテ作りて王に奉る詩也雁を舟を読本文も 浮痙船ヲ白雲ノ上此詞の心也此詩は白楽天泉峯ノ桜を桑せに王の造し ウヘ

此詩也ならの象かと具は平城天皇也吾にふる郷となりにし

ならの都にもとは桓武ノ御時延暦十年歌に奈良の京を長岡のヲクロヲサ京へうつす此時の御使は大納言藤原小黒丸左大弁同小佐

イ︲︒︑﹃美九二人也此時平城は春宮ノ大子にて長岡に住給ひけるか

ならに行給ひてやえ桜をみて読給也故郷とはふるの京

なれは云ふるの京をふるさと上云事は内裏にては九重の

内をは皆さと呉云又郷と云字をはみやこと云よみ有さと

象やこ同し字なるか故にみやこをさと奥云政纒云風ノ姓方

レイ室ウノ︒シン﹁一ウアラスゞ﹃︑ヤゴヲ一一死霊公後臣依吟犯云一二后宮ヲ被噂詳七来ル荒郷ノ鬼菫冒りされは桑やこと︑さと上は同し義也又ならの京を古郷と云に二の義有一︿ふるき

t︑︑フル都なる故に云二︿湊のかみの郡布留さとなるか故にふるさと些云

故にた上古郷と云は奈良の京と心得私の古郷詞をいひあらは

すへき也たとへはわか古郷共出しふるさと坐もいひあらはす

へき也されは古郷は吉野山のちかけれはと云歌は奈良の京の

事也平城御即位の後長岡の京は十年有て平ノ京へうつす

此時の御使も小黒丸淳和ノ御時より平ノ京は定りぬ良峯の

宗貞は遍昭か俗名也干時右近衛ノ少将也嵜二花の色は霞にこ

めてみせす共の吾は無義寛平御時きさいの宮!︿七条の

中宮又は高藤ノ大臣の御娘胤子の女御と云義も有此牙合は

寛平九年の春の吾合也嵜に花の木とは桜を云也春たて

ハルタテはとは春断ハト書りされは春のたゆるを云此弓の心は桜はいまは ﹂配ウ|型オ

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(25)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 害 』

ご︲とあつらへつくる ありなめと くれなはなけの ジ乃恥﹃もし力も力くす力五葉 うへし春くるれはうつるふ色に人の習にと云春の色の

︑︑︑︑

テイシン牙は重明親王春日に参給ける時御供にて読給貞信公ノ御寄也︒函⑤貞信公とは昭宣公ノ第四ノ子小一条ノ関白従一位上大政大臣忠平也

重明は延喜第一の王子也寄に春の色とは春を云也さけるさかさる

花の桑ゆ覧とはさかぬ所へは散て行と云みわ山とは大和の三輪/

山也しかもかくすかとは普通/さしもかくすかと云義也雲林院の

ゑことは嵯峨天皇ノ王子常虎ノ親王也いさけふはの弓に春

の山へにまとひなんとは春の山に童とひありきて花を見と云義也

家隆一一くまとゐなむと云是はあつまり居ル義也なけの花のかけかはとはマカネフクキヒノ日くれなは無なる花のかけかはと云義也万葉云真金吹吉備野ナカヤマユクッキノナケノヒカリニアトテラセカケ中山行月野無気野光永跡照影といへりされはなけのかけ

とはなきかけかはといふ義なり

いつまてかの吾に花しちらすはのし文字はやそめ字也吾二無義

春毎の吾にありなめととはあるらめと云義也此奇は貫之か家

フルに嵜合しける時古き文の心を吾て人々によませける時文集

の文心ヲ読ル貫之か娘助か寄也此助は延喜第七の宮友明の親王ノ

ナイUシタトヒアブ卜思ひ人也後には助内侍と云是也文に云縦雌嘩徳二万春一一見ンゞトハ花ヲ待人ノ命ノ

ナカキ

長?といへり此文の心也耐縫全聖瀧罐錫埋蕊篭蕊兼〃ラン←ナー

七条中宮の御寄也牙に無義吹風の吾にあつらへつくる

とは常にあつらへつくると云心也此ひともととは木の下也此吾は清和の御時志賀の花見の御幸御供にてよみ給也国経ノ大納言の寄也待人もこぬものゆへにの奇はかゑの本文を題にてよみし時の同し時の奇合の寄也文集云三春惜花↓鶯ノー声卜云 ﹂型ウ﹂妬オ

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(26)

ならなくに

こまなめて

ちくさ

こ工台つ 心也されは花を鶯も借む意をよむ也

寛平の御時后の宮の奇合の吾とは上に同し藤原ノ興風→は干時

セウハマナリ︒因幡ノ大抵藤原ノ浜成か孫治部ノ大輔道成か子とす

チツナ咲花はちくさなからにとは千品也花ことにと云義也源氏二云チクサ吉野山ちくさの花をかそへてやこすゑことにはうくひすのなく

クナ此寄も木すゑことにといへは木あまたの花を千品とさす也

春霞の寄無義霞立の奇無義一花みれはの寄無義一鶯のなく野へことの吾は散たに有に風たに吹を惜て鴬の鳴

力︑︑︑と読り本文上の三春の文のことし此吾は延喜三年に醍醐

寺を作り給ひて後に参り給ひける時道なる花に鶯の

鳴けるをみてよませ給延喜の御嵜也次の吾同し時ょませ

ナインアマネイコノツ・不シ給御嵜也此寄無別儀典侍洽子朝臣−は左大臣源ノ常の娘

キウシ﹄鋲︑.嵯峨御孫也治子と書ァ三の読有一︿治子二︽あまねきこ第

三の義は家の口知事也寄に無義仁和の中将→はその親雅と

ヨシカタ不住或本には良方ノ中将を云と見たりみやす所の家の吾合と

は二条の后元慶ノ時の奇合彼中将を和吾所として奇を取

さはくらせ給ひし時の事也故に仁和中将の糸やす所の家の

ノチカケ奇合にと云也藤原ノ後蔭子時左少将中納言・定か孫中納言有穗か子也嵜二無義嵜にたったと可読一こつたへはの吾にI〜帆マキノモクアナシノヤマこ入らとはおほき事多数ト書り万葉云槇木穴芝野山ノサネカッラコ︑ラノトシモクルシキモノヲ野真葛多数野年毛苦気物於此寄は大和の乙丸か恋をして読る吾也しるしなきの寄無義但シならなくにと云事

は無にと云事也こまなめてはこまならへてと云義也

L一一

26

﹂おウ

− 1 1 8 −

(27)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 「 古 今 和 歌 集 聞 書 」

山寺 花つゑちりかふ 七葉 此吾は忠仁公の読て惟高ノ御子に奉ル是は志賀ノ花見にましませとさそひ奉る吾也ヒメミヤヨウシ散花をの吾は延喜第八の姫宮用子内親王の御寄也別無義花の色はの吾に我三世にふるとは我身世の中をふるいとまなきに花をも桑て散ぬと云是は業平と夫婦にて常磐の里に住し時の事也仁和の中将同上一一一みやす処も同上一此時の弓合髻元慶ノ時也歌におしと思心はいとによられなんとは花の散ををしむ心の乱れて花によると云をいとさくらになそらへて読るなり散花山とにいきてと里めむとはいとさくらと云に付て読る也志賀の山こえに女のおほくあへるとは延喜三年三月晦日廷志賀の花摘に行を云也此花つゑと云は三月のみそか匡必す内裏の女房たち散残る花を尋て合する事あり其を云也此女ともとは在原滋春か娘源ノ当純か娘弁内侍源ノ彼の娘正此人々也あつさ弓の奇の道もさりあへす花そ散けるとは女を花にたとへて云也寛平の御時の奇合上一一

︹寺︺同シ春の野の吾に散かふとはちりまかふ也山寺にまふて上

とは近江の石山寺也やとりしての奇に夢のうちにも花そ︑︑︑︑︑ハヤトキ散けるとは延喜伝ノ中ノ詩の意也此詩台中納言橘ノ逸勢か詩と云

人有委く尋れは逸勢は古今已後の人也此詩実には橘の

ユ向ソサラムカ始祖か詩と見たり其詩云春ル去り夏シ来レーモ夢中ノ花ナ未嘩去迎吟月ヲ

ヒトツ迎庵時ヲ其思﹂一ナリといへり此詩のこ上ろ也

寛平の御時后の宮の奇合とは上におなし吾無義

志賀よりかへる女とは是も花つゑよりかへる人也業平のいもうと

L一‐

27

1

﹂妬ウ

可1人

﹃1入

(28)

あかなくに

こなくに あやなく

井出の山吹

九葉 八葉

いまも力も 兼見ノ女王遍昭いもうと在常か娘等也花山は東山に有司無義家に藤の花さけるとは躬価堀河にすみける時西三条の中

ヨシスケ納言藤原の知行かたちとまりてふ為を云也足は良相の子也

奇二無義いまもかもと云は今も香はと云義也家隆には

今も昔しと云義也といへり橘の小鵬は宇治河の中に有

こしまのくまとは隅と云義也かくれの義也是は宇多天皇の

宇治に住給ひける時かしこへ読て奉る昭宣公の御吾也

あめふりける日山吹をおりて人のかりやるとは藤原の長平

の大臣の許へやるとて読給二条の后の御寄也

春雨の牙あかなくにはあかぬと云義也山吹はの吾にあやなは無益

義也こなくはこぬにと云義也此計は日本記に有是左大臣橘の

諸兄山城の国井出寺を作りて廻廊に山吹を植たりけり内

タカ.大臣高向の迦留卜彼の寺をうつして光明山を立山吹を移し

て彼寺の廻廊にうへて彼迦留諸兄のへ使を以て云やる君の

うへける山吹をうつしうへたるきて象給へと云けれはこむといひ

てこさりける日読て造ス迦留の大臣の奇也彼井出寺後津国に

移して作れり吉野河の吾別無義かはつなくの奇は嵯峨/

天皇おりゐの御時承和二年の三月に井出ノ山吹ゑに座したり

キヨトモけるに花散たりけるによませ給吾也此牙は共奉の臣下清友ノ叩酌卿の吾と注セリ是は王の御吾也と云事をかくす故也

春のとくすぐるを読るとは昌泰二年三月也牙に無義

やよひに鶯の声の久くきこえさりけるとは延喜元年三月也

寄無義やよひの晦日に山をこえけるとは昌泰元年に貫之 ﹂詔オ ﹂ウ

− 1 2 0 −

(29)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 間 害 』

弗卜つこ︲とやすき まにノ11*1孟

我宿の吾は聖武天皇の御時人丸大和国十市郡に家作りて

住ける時我家の藤の花をみて読ル也寄二無義

卯月匡さける桜とは延喜元年卯月におそ桜の咲を云也 ︹一二︺古今和歌集巻第二 肥前守に成て下りける時備前の中山をこゆるとて読也︑花ちらすの吾にまにjI︑と云に二の義有一︽まLにと云義也是は.︑︑︑︑︑花の散くるま坐にたつねゆけはと云義二︿ひま︐J1にと云義也シラヤマノユキノマニノf︑ニモエイッルクサノチクナニハルソ・マ︑エケル万葉云白山野雪野間々永萌出留草野千品永春曽見建留留といへり此牙のまにj︑とはま上の義也春を惜てとは元慶七年三月也おしめともの牙に春霞かへる逆にし立とは春のかへる道に霞の立と云意也寛平の御時に→は同上一

牙に声たえすとは声不断の義也やょひの脈日と

は延喜二年三月也花つみより帰る女とは大江盛章か

モリアキラ娘滋春か娘等也志賀より帰る也とLむへきものとはなしにの

吾に散花ことにたくふ心かとは帰る女ことに心のたくう

ナキといへりたくうと云事同上一なしとは無にと云事也

やよひの晦日とは貞観十四年三月有常か許より藤の花をこひけれは折てやるとて読ル嵜也ぬれつ上の奇に春はいくかもあらしと思へはとは春の残りはいくかもあらしと

云心也亭子院の春のばての弓合とは宇多院の御

時寛平六年三月晦日の吾合也丹に無別儀似シ奇に

たつことやすきとは花のかけをたちさりかたしと云心也

︵約三行分余白︶

○夏嵜 ﹂認ウ﹂鯛オ

|調ウ

− 1 2 1 −

(30)

二葉またしき

五月まつ花橘

尾花まねく うちはふき トシサタ紀利貞トば千時侍従紀ノ有常か二男哀てふの吾は花のはかなく散と云事をあまたになさしとて春より後まてさくかと読りひとりさぐらんと云処に桜をかくして読り五月まつの吾にうちはふきとは烏の羽をうちはふぐを云也此吾は貞観十七年四月晦日にいまた郭公のなかさりけれは郭公を待て相坂山に行たりけるに読給人康の親王の吾也仁明天皇の御子也さ月こはの計にまたしき時の声とはいまたさかりにならぬ声也五月待花橘とは大国には五月五日必す橘を酒に入て︑のむ也されは五月を待と云は花橘の袖のかと云に二義有一一一は日本記云天武天皇の御時か百済国より橘を日本へわたす王めておほしめして是を御袖につL桑給ふ崩御の後彼御衣を取出したりけれは橘の香か袖に匂ふ其時参議岡丸と云人御衣の御袖をかほに押当てなくj︑読る吾有其寄に云なき跡の形見とてにや大君の衣の袖にたちばなのにほひ

セキルイウウルホフコウハウ︒︒はかりをのこしをきけん又漢書二云涙雨漸ク潤興芳七尺之

シウトウスイスチセキチヤウハヤクマトハス︒盧橘繕ヵ|一伝う古紬頭髄貫疹脈ヲ苑雀二丈之薄花速迷後心一

口四四

テンうといへり文の心は漢の武帝の御時田夫興芳トテ夫婦アリ妻ノ興芳死テニ@

画︒︒︒

後男七日を経て彼墓を見ルー墓より橘をひたりなかさ七尺也

其香別れし妻の有香に似り袖に其葉をこき入て家に帰りぬ此香うせすして後迄有此二意を以テ花橘の袖の香

セキロウシ司一を昔の人によせて読也又莞雀婁州とて夫婦有妻の苑雀

物をねたゑて野に行て死ぬ男尋てありくに二丈はかりなる尾花我をまねく行てみれは彼妻のかはねより生出たる ﹂鋤オ|鋤ウ

− 1 1 1

(31)

五 十 六 一 二 山 岸 文 庫 蔵 『 古 今 和 歌 集 聞 耆 』

宇佐ノ勅使

なくなる

郭公夏出ル

郭公二十種名アリ ノ 歩

I,

動︑ノ由︑イカ︽と汽勺人 ス︑キマネク薄也是よりして尾花の人を招と云事を読り此五月まつの吾は貞観十三年四月に清和の御時業平宇佐ノ勅使に下りたりける時小野小町業平の妻にて有しにはなれて後宇

﹁一レアキラヲンナ佐ノ使承官人大江惟章ヵ妻二成てかしこに有と問て業平女あ訓るしに見参せんと云けれは小野小町か読て出す吾也いつのまに1の奇は四条の后の御吾也嵜に無義但シなくなると可読今朝

きなくの丹は延喜の御時内裏ノ奇合に読給河原院ノ左大臣

トプル融卿ノ娘御寄也此寄の心は郭公は昔を恋ル烏なれは橘も昔の

香に匂ふ物なれは橘に宿をかると読ル也文集云郭公去テ南

シニヲブタ︑ヒヲモ︒スムキツ寿ヲ再不帰一常思テ旧里↓栖橘樹一といへり文の意は郭公は霊州の

民なりしか舟に乗て海を渡る程に南風にはなたれて北国一来

る寒にたへすして死にぬ生をかへて烏となりたれともあた些

かなる時を待て夏里に出るといへりされば古郷を恋しかり

て木の南の枝にすをくひ橘をなつかしかりてすむと云り

音羽山とは近江に有嵜に無儀郭公初音きけはの牙に

ぬしさたまらぬ恋せらるかたとは郭公とはつまを恋る烏

なるか故に其声を間は誰をともなき恋かせらる上と云也はた

イニシヘノッマヤコイシキホト︑キスナッノョスカラ

とは将にと云義也万葉云古野妻野恋気郭公夏野終夜

ナキアカスランヤマワカレナクタヘ鳴明覧又文選云思上未睦休恋烏ノ別恋ァ旧キ妻ヲ鴫−不し断文ス︒︒文意は郭公は大唐の人成けるか最愛の妻夛国王にとられて

恋死にして後烏となりぬ必すとられたりし時を思出て鳴と

1︐︑︑︒︑︑︑︑云されば恋する烏と云也郭公に十種の名有一︿郭公二︿時烏

︑︑︑クギラ︑︑︑﹃︑︑ツコスコトリ︑︑︑︑︑︑︑︑〜三︿苦帰楽四︿三月過烏五︿してのたおさ六︿くってとり七︿うないこ

い︑︑11︑︑︑い

﹂訓十

31

− 1 ワ ミ

ー ー リ

(32)

*一h︑I︑レンテウ︑︑︑ヘッ四トン卜キス八二過時不燃烏九︿恋烏十︿別遁度幾寿此外二二種の名有︑︑︑クワッソコウエイ一一|︿ラムル鳥二︿イモセトリ也一︿郭公者文選云ク郭州ノ蘇公︿人二被略リ知ラ栄oセイ

ネン

タクコウイクサウレヘ

世長茂クシ|ァ不し知吟貧手︲亨鏡ケニ年ノ終︐||託公発噂軍ヲ蘇公入恥海二二世愁深クシテ常一一○○

﹁一ウルイ流カス紅涙↓文の意は郭公昔郭国の王なりしか余︐二さかへて民の愁を不し知並ノ国に託公と云人軍を発してとらへて海に入てころしぬ生を替て郭公になれりされとも昔の思ひ不忘一して今も鳴といへり余鳴時には紅涙をこほすと云故に此集にもから紅にふり出て鳴とは紅涙のふり出てと云也︑郭国の君なるか故に郭公と云二二時鳥とは時を定て鳴故に〜云也三二苦帰楽とは此烏は地獄にかよふ烏也地獄に有時は苦也娑婆に帰ては楽也苦帰楽と云万葉云アラキヤマコエ﹁一ク﹁一シノウネノハラヲクモクルシトクキラナクナリキウ嶮路山越行北野采野原己毛苦登帰楽鳴也又家持か窮

投イキクカラニコエソカナシキシテノヤマコエテヤハクルクキラ題集二云聞賀羅示音曽悲幾死路山越天夜波来苦帰楽

的︒

/四手イ本テウトリ︑︑スコ天宇烏四二三月過烏←ハ夏三月鳴キ過す故に云也源氏云

コニ鳴ふるす音そひさしき我宿のまかきにつたふ承つこすこ烏万葉云オホサトノト﹄︑︑ノサラカワミワタセハコタカ﹃︑︑キナクミッコスコトリ大里野富野更河見渡波己高峯来鳴三月過烏

大里富野更河己高峯ゑな近江に有又同集云

ウノハナノカケニカクレテコエハシテスカタハミヘスミッコスコトリ︑︑

卯花野影永陰天音波之天体波不見三月過烏五ニしての

︑I︑シテノヤマコエテヤたをさに二義有一︿四手山を越ルと云義万葉云死路山越哉キッルホト︑キスコヒシキヒトノウヘカタ|プナムウロチヨリム来留郭公恋敷人野上語良南無又云有漏路余里無娑婆ロチニカョフホト︑キスヒトカタナラスネヲヤナクランケサコソハシテノ

漏路示通郭公不一方音於野鳴覧又云晨朝古曽波死路

冥途テヲサモコエスナレワカレシヒトノコトヤトハマン手長毛音寸南礼別之人野事哉問波摩紫此等皆よゑ

︑I︑ムヘシコソシちより通う烏と云義也二一一︽田作義を云︐万葉云宜紫古曽士 ﹂犯ウ

L 一

32

j

− 1 フ イ ー

ユ ー ュ 士

(33)

五十六一二山岸文庫蔵『古今和歌集聞書』

っなひこ タノタヲサトナッケケソホ卜︑キストソナキワタルナル田野田長登名付気礼柄田早来子登曽鳴渡留南留又古今集云幾クの田をつくれはか郭公してのたをさを朝なj〜よふ此等は皆田を催す烏と見えたり万葉注云郭公は昔シ田を作る人成けるか死後此烏となれり田作る比になれは田作に早来ル子と人催す烏也と云也二義有といへ共しての〜田長の義は多分田夫の義を旨とす六二くって烏と云に二︑義有一くくってとは堀田と害り田をほれと催ス義也同上一一︑二一一ハ大和物語ノ注にくつぬひの義を明セリ郭公昔人にて早里と云

文〃可処にてくつを縫てうりける程に穗斗渡幾寿と云人踏をそスをきのりて債をなさす共に死て烏となる郭公は今の百舌

鳥と云烏也其あたひをはたらんか為に郭公と人の名を

ミッカうよふ程に自か名二いひなされたり故に此時は郭公に百舌烏\かくる些也七二うなひこ卜は此郭公は死路山を越ル程はおさなき

童にて越えつれは烏となると云万葉云

ヤーマミチヤッ二ケキウナヒコカウチタレカ︑一︑ノサミタレノソラ︑︑シテノ山路哉露気幾童子賀打垂髪野五月野空八二過時︑不燃烏とは人を催す烏也九二恋烏とは恋をする烏也︑上に如云一十二別遁度幾寿とは地蔵十輪経説也此ほと上きすは

地蔵の化身にて人を勧久て幾ノ寿チをわたるそわかれのかれよと

鳴といへり此意を保胤かいもうとの孝養の願文に書り世尊︽

昭テ世ヲ大悲月普ク朗琴リ四海一一薩唾︿勧レ人ヲ誓願ノ鳥広ク勧稜士臺弓

今此誓願の烏と云事は此別遁度幾寿をさす言葉也又

宇治殿の記二云日蔵上人地獄へ行給たりけるに延喜ノ御門

ノ玉ハク御座けるを象付奉て恐レ給ひけれは御門ノ言地獄には無し罪為 ﹂認オ﹂詔ウ

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参照

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