• 検索結果がありません。

雑誌名 東京家政大学研究紀要 1 人文社会科学

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "雑誌名 東京家政大学研究紀要 1 人文社会科学"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

教科書分析による職業教育としての高等学校家庭科 の系譜 (第2報) : 教科課程の変遷と教科に対する 意識の変化

著者 青木 幸子

雑誌名 東京家政大学研究紀要 1 人文社会科学

巻 44

ページ 51‑62

発行年 2004

出版者 東京家政大学

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009136/

(2)

教科書分析による職業教育としての高等学校家庭科の系譜(第2報)

      一教科課程の変遷と教科に対する意識の変化一   青木 幸子

(平成15年10月2日受理)

      The Historical Course of Home Economics

in Senior High School as Vocational Education analyzed

      in terms of Textbooks(II)

  −The Process of Curriculum and the change

      of the Consciousness towards Home Economics一

  AoKI, Sachiko

(Received on October 2,2003)

キーワード:職業教育,教科課程,学習指導要領,家庭科の特質,性役割分業

Key words:vocational education, curriculum, course of study, characteristics of Home Economics,

      role division based on sex bias

はじめに

 本シリーズは,高等学校家庭科の教科書を分析するこ とにより,その時代と社会の家庭像と女性像の描写を追 いながら職業教科としての家庭科の歩みを検証する一方,

女性と職業「観」にっいて家庭科教科書の果たしてきた 役割を再評価し,男女共同参画社会の実現に向けた家庭 科教育の依拠すべき理論とそれに見合う教科書内容を探

る視座を得ることを目的としている.

 すでに第1報において,「戦後初期の教科課程と教科 書事情」のサブタイトルの下,新教育制度における産業 教育の位置づけ,教科書検定制度と学習指導要領,教科 書と検定制度,新教科課程と移行期の家庭科教科書内容,

新制度による専門教育始動の流れのなかで,新たな出発 を誓う制度の理念と意気込みを再確認した.しかし,戦 災とその後の窮乏財政下にあって,理念は現実生活の前 に埋没してしまいそうな,そして旧制度への郷愁を呼び 起こしそうな状況が準備されていた.最も強力な力は,

改革の立案・推進者と教育関係者,国民の「意識」の温

度差とその変化である.

 第2報の本稿では,教科課程の変遷を縦軸に,国民・

教育関係者と生徒・行政官の意識を横軸に据え,三者の 意識の温度差と変化に照準を当てながら,教科書の発行 状況や家庭科に期待される職業と女性の生き方にっいて ベクトルの方向を分析する.

教職教養科 家庭科教育研究室

1.新制高等学校教科課程の特色

(1)新制度下における旧制中等学校生への対応カリキュ    ラム

 新制度下の教科課程は,1947(昭和22)年3月20日に 発行された『学習指導要領一般編(試案)』によって知 ることができる.教育の現場おける「研究への手引き」

として編まれた本書は,「序論」に始まり「教育の一般 目標」「児童の生活」「教科課程」「学習指導法の一般」

「学習結果の考査」から成り,小・中学校の教科課程表 が載せられている.新制高等学校は昭和23年度から実施 されることになっているので,高等学校の教科課程にっ いては別途「文部省から発表されるものによって承知さ れたい」との断り書きがある.

 断り書きを受けて発表されたのが同年4月7日の「新

制高等学校教科課程」(発学156号)である.これは昭和

22年度から課せられる旧制中等学校生を対象とした教科

課程表である.そこでは「高等普通教育を主とする高等

学校の教科課程」として大学進学の準備課程と職業人の

(3)

準備課程の2課程が示され,「実業を主とする高等学校 の教科課程」とあわせて3教科課程が例示された.「高 等普通教育を主とする」教科課程においては,実業教科 の一科目として農業・工業・商業・水産とともに家庭が 選択科目としておかれ,3学年で1400時間配当されてい る1).一方,「実業を主とする」教科課程には,農業9 学科,工業15学科,商業科,水産3学科,被服科の課程

表が示された2).

(2) 新制高等学校職業教科の教科課程

 「新制高等学校教科課程」はその後二度にわたり改正 が行われ(「新制高等学校教科課程の改正にっいて」1948 年10月11日,発学448号,「新制高等学校教科課程中職業 教科の改正について」1949年1月10日,発学10号),昭和

24年度より実施の運びとなった.これらの一連の改訂に より,普通教科の家庭科は「一般家庭」を含め6科目か ら成り3),職業教科の「家庭技芸に関する教科」には 17科目設置された4).同年4月30日に発行された「新 制高等学校教科課程の解説」には,「家庭技芸に関する 課程」(「家庭に関する課程」とも表記されている)の例

として,保育課程・食物課程・被服課程の3教科課程が 例示されている5).(表1)「家庭技芸に関する課程」で は,家庭技芸に関する教科30単位以上を必修とし,実習 はそれらの教科の総時間数の4割以上に相当する時間を 充てなければならない.したがって,職業課程の在籍者

は,普通教科38単位,職業教科30単位以上の計68単位以 上を必修として学習する.卒業要件の85単位を満たすた

(1)保育課程

表1 家庭に関する課程の教科か課程表

 (2)食物課程 (3)被服課程

教  科 総時数 単位数 教  科 総時数 単位数 教科 総時数 単位数

共通必修

1,330 38

共通必修

1,330 38

共通必修

1,330 38

一般家庭

245

7 一般家庭

245

7 一般家庭

245

7

保  育

280

8 栄  養

140

4 被服材料

105

3

保育実習

280

8

食  品

140

4

被服整理

70

2

小児保健

140

4 献  立

105

3 色  彩

70 2

小児栄養

105

3 調  理

175

5 図  案

70

2

家庭必修

1,050 30

大量炊事

140

4 仕  立 490

14

小  計

食物経理

105

3

家庭必修

1,050

30

必修合計

2,380

68 家庭必修 小  計

小  計

1,050 30

必修合計

2,380

68

家  族 必修合計

2,380 68

被服材料 調  理 食  物

被服経理

商  品 保  育

調  理

」  立 蝸ハ炊事

595

17

農産加工 {  産

£ハ教科

595

17

被服史

閨@ 芸 F  彩

595

17

普通教科 合計

2,975 85

仕  立

合計

2,975 85

175〜 色  染

単位外活動

175〜

単位外活動

1,015

普通教科

1,015

3,150〜

総時限数 3,150〜

総時限数

3,990

合計

2,975 85

3,990

単位外活動

175〜

1,015

総時限数 3,150〜

@3,990

(4)

表2 家庭科に関する科目・単位数(昭和31年改訂版)

科  目 単位数 科  目 単位数 科  目 単位数 科  目 単位数 科  目  単位数

家庭一般  4 被服材料 2〜6

被 服 史 2〜4 献立・調理 6〜18 児童問題  2〜6 被   服 2〜10 被服経理 2〜10 栄   養 3〜8

大量炊事 3〜6

保育原理  2〜6 食   物 2〜10 意   匠 2〜10 食   品 3〜8

小児保健 2〜6 保育技術 4〜14

保育・家族 2〜5 仕   立 6〜18

食品衛生 2〜6 小児栄養 3〜6 保育実習 6〜18 家庭経営 2〜5

手芸・染色 2〜14

食物経理 2〜6 児童心理 2〜6

家庭に関するその他の科目 めに,17単位以上を普通教科や職業教科から選択して学

習することが基準として示されている.こうした教科課 程編成基準のバックグラウンドとなっているのが,職業 教育の主要目標である.そこには次のように記されてい

る6).

①民主社会の有能な成員としての一般教養の上に,農  業・工業・商業・水産・家庭その他の職業に従事する  ために必要な実際的能力を身にっけさせること.

②実力ある職業人としての生活を営むことができるよ  うに青年を援助すること.

③社会に貢献することを義務と感ずる態度と,そのよ  うな貢献をなすに必要な能力を養うこと,

 高等学校の職業教育で大切なのは,「生徒に各種の専 門的な学問的知識を知識として詰め込むことではなくて,

職業生活に必要な問題を賢明に効果的に解決することの できる能力を養うことなのである.職業生活に必要な問 題は,本来総合的な問題である」7)とする考え方にある.

そのため,「社会の必要と個人の必要に基づき,すべて の生徒に対して必要とされる教科を必修とし,全体的に できるだけ多くの教科を個々の生徒の興味と必要と素質 とに応ずる選択教科とする」8)ことで,「公民的社会的 資質の向上」「個人的資質の最大限の発達」「職業的資質 の練磨」の三大基礎目標を達成しようとするのが,新制 高等学校の教科課程の特色である9).

 上述した発学448号,同10号の内容は,『学習指導要領  一般編(試案)昭和26年改訂版』(昭和26年7月10日発 行)に受け継がれ,職業教科としての位置づけが明確に なった.『学校基本調査報告書 昭和26年度』の高等学 校学科課程別生徒数欄には,保育・食物・被服の3課程 の他に,すでに「家庭」「技芸」「生活」「家庭技芸」の 名称をもっ学科があったことが判る.地域社会の必要に 応ずる学科設置が推奨されていた(1947(昭和22)年12 月「新制高等学校実施の手引」)ことを顧みれば,多様 な学科設置は国民や地域の実情を反映したものであると 理解できる.しかもこれら「家庭技芸に関する課程」の

学科のうち被服課程に次いで在籍者の多かったのが家庭 課程である.施設・学資の不足や家庭事情などさまざま な要因を抱える学校状況の中で,婦人の家庭生活教育の 充実を願う強い要望は,昭和28年,新たに「家庭課程」

の加設を導いたのであった.

 また,教育課程における科目選択制が実情にそぐわな くなっている調査結果をふまえ,昭和27年の教育課程審 議会への諮問以来,科目選択制への反省にたったコース 制の導入を勧奨する3次のわたる答申(昭和29年10月14 日,昭和30年2月1日,昭和30年6月27日)に対しても,

賛否両論の議論が噴出した.そうして出された『高等学 校学習指導要領一般編昭和31年改訂版』(昭和30年12 月5日発行)において,家庭科は教科名を「家庭」に統 一し,「家庭に関する課程」として保育・食物・被服・

家庭の4課程が明記された.ここに示された「家庭課程」

の教育課程表の「備考」には「この教育課程は主婦とし て,家庭経営者としての資質を養うことを主とする場合 の例である」10)と明記され,家庭課程の性格を特徴づけ ている.また,全日制の普通課程においては芸術科・家 庭科および職業に関する教科のうちから6単位以上を履 修させる(芸術科はすべての生徒に2単位,家庭科は女 子に4単位履修させることが望ましい,職業教科は共通 教養として意味づける)ことになった,家庭科には「家 庭一般」ほか23科目(表2)が設置され11),「家庭一般」

はあらゆる科目の基礎として位置づけられた.また,家 庭科・農業科では家庭実習(ホームプロジェクト)を含 めた単位認定が保証されることになった.

(3) 家庭科履修者数減少への危機感

 この改訂に先立つ1952(昭和27)年3月19日,家庭科 目の選択履修率には地域差と学校差が大きく関係し,履 修者が女子に偏っている実情(第1報参照)を打開する ために,東京都高等学校家庭科教育協会と全国家庭科教 育協会は合議の上,高等学校家庭科(一般家庭5単位)

の女子必修の請願書を国会に提出していた.さらに,

1953(昭和28)年4月の教育課程審議会「第1次中間報告」

(5)

と11月12日の「第2次中間報告」で,男女平等,機会均 等の原則を保持しながら,「高等学校の教育が知的な教 養に偏しないように,具体的な仕事(実習)を主体とし て,勤労を重んじ,生活を科学的に処理していく能力を 養うための新教科(家庭科の内容を含む)を,必修とし

て課する必要を認める」12)という措置が報告されていた.

翌年1月,日本教育学会は「高等学校教育課程改訂にっ いての意見」を公表したが,必修課程の「総合技術」に はやや男子向きとやや女子向きのコースが用意されてい た.この措置は,高等学校の教育課程は単一のものとし て示すこと,男女とも普通課程も職業課程も共通必修の 教育課程は同一であるべきこと,という二つの原則に基 づき,同一科目における内容と程度に幅とゆとりを持た せ,教育機会の均等を保障しようとする苦心の提案となっ

ている13).

 請願書と学会意見の両者に共通した認識は,「新制高 等学校教科課程の解説」に謳われた「幸福な家庭生活を 招来するような経験」は人間として均衡のとれた発達に 必要であり,それはまた「公民的社会的資質」や「職業 的資質」の向上と不可分であるが,性により担うべき内 容が異なることを暗黙の前提としていたことである.

 一方,高等学校教育課程の二原則を破るような見解が 全国高等学校長協会家庭部会より出された.それは家庭 科の男女必修を当然のこととしながらも,「男女の特性 を考慮」し「少なくとも家庭一般4単位女子必修」とす ることを「社会情勢」から判断したのであった.当時の 社会情勢を家庭科男女共修の先導的役割を果たしていた 大和マサノの苦悩の中から知ることができる.「男女共 学下における家庭科問題は,……他教科では想像もっか ない難関にぶつかっています.……大学入試の現実問題 それに関連する女生徒の心理的影響,根強い封建性と観 念的な男女平等論の渦中にあって,これらを切り抜ける ことは容易なことではなく,私たちの責任の重いことを 痛感いたします.大きな時の流れには,余りにも無力な 私たちですが,絶えざる努力精進によって,次の時代の 人たちにバトンを渡すまでは,過渡期の混乱を最小限に

くいとめて,更に理想に向かってまい進してゆきたいと

存じます.」14)

 大和は,男女の特質を生かしながら,「家庭生活を中 心とした不変の重要な問題」に男子生徒の目を向け,同 一賃金・同一労働であるべき職場において女性が家庭と 職業を両立していくことができるようにとの願いの下で,

「現実を自由な角度から批判検討し,現実と理想とのギャッ

プを素直に認識させ」,社会的問題として発展させてい くことの必要性とそれができる「時代」であることを痛 感しながら,男子の家庭科必修に大きな期待をかけてい た15).大和の時代認識と社会情勢はカリキュラムにも 反映され,第1学年2単位の男女共修のカリキュラムは 2学期のみ男女別に編成されていた.男子は日常生活に 直接必要な簡単な修理・手入れ等を主とした家庭工作,

女子は被服の計画と製作であった16).

 戦後十年余の間に,民主的な家庭建設に必要な教科と して新設された家庭科のめざすところは,家庭秩序を重 んじる生活倫理をべ一スとして家族,友人,隣人との関 係調整能力を育むことや,家庭生活の科学的合理的運営 による生活の向上をめざす生活運営能力を育成すること から,経済成長政策と歩調を合わせた消費機能としての 家庭生活の拡大・強化とそれにみあう消費者の育成へと

シフトしかけている.

 しかし,どんなに民主的な家庭建設を声高に叫んでも,

家庭生活運営の役割責任は女性にありとする意識は不変 であった.そうであればこそ,家庭科の履修者数の減少 は,大きな危機感をもってとらえられたのである.それ は二っの事態を含意していた.一っは,従来どおり家庭 生活を女性の役割として限定的・固定的に考えるなら,

女子の履修者数の減少は将来の家庭生活運営に由々しき 事態をもたらすことになり,そうした事態を食い止あな ければならない.楽しく明るい家庭は,女子の献身的な 責任ある運営があってはじめて得られるのである.学習 指導要領の記述の中に,女子が家庭科を選択し学習する のを当然視する記述が頻繁に見られるのは,その証左で ある.二っは,家庭科の履修をもって男女生徒の覚醒を 図り,婦人解放を実現しようと願う人々にとって,男女 生徒の履修は当然のことであり,女子の履修者数の減少 は開放されるべき当事者の蒙を啓く機会の減少に繋がる.

中学校・高等学校において選択教科・科目として位置づ けられた家庭科履修者数の減少は,二重の危機感を煽る

ことになったのである.

 どのように理想を高く掲げようとも,履修者数の減少 は家庭科教員に「背に腹はかえられぬ」の思いを強めさ せ,一方で,性役割を受容しやすい国民意識を経済成長 政策の軌道へと乗せる「社会情勢」が整いっっあり,家 庭科の復活・再生は,女子教科としての使命を強調する

ことで図られることになった.

(6)

2.家庭科の性格と「職業」指導教育  新教科としての家庭科のねらいやめざす姿を辿ってき た.しかし,当初の家庭科の理念は教育課程の改訂を経 るたびにそのとらえ直しを迫られていた.その典型が産 業教育振興法の適用を受けた家庭科の職業教育としての あり方である.法的規制を受けることで,義務教育にお ける普通教科としての家庭科の性格までをも変えてしま う様相を呈してきた.また,高等学校職業課程に設置さ れた「家庭課程」の存在は,職業教育としての性格や役 割,その水準を曖昧にし,適職分野の開拓や資格取得に 繋がる職業教育の拡充には結びっかなかった.

 こうした教育課程の再編による家庭科の変転にっいて,

国民や教育関係者と生徒,文部行政官はどのような見解 を示していたのであろうか.

(1) 国民から見た家庭科

 朝日新聞紙上に掲載された高等学校家庭科女子必修化 を巡る反対意見の論調は,次の投書に代表される17).

 「まず,必修論の根拠である『女子は家庭生活を営む ものであるから,家庭科は必修にすべきだ』という根本 思想は誤りである.過去の日本においては,女性は家事 担当者としてのみその存在理由が認められてきたが,こ れはその思想の復古にほかならない.……現実の問題と して,戦争による男女の数のアンバランス(不つり合い)

は女性の結婚難となっており,また,女性の経済的独立 が女性解放の必要条件であることは,なんぴとも認める ところである.このような時代に,女性をすべて家事担 当者として規定するところに重大な誤りがあり,自由な 選択を『強制』に切り替えることは,時代に逆行するも のである.

 次に,家庭科の内容は,他の教科に比較して,家庭に おいてもある程度会得できるものである.……男女は平 等な教育を受ける可能性を与えられるべきである.女子 に家庭科を強制しようとすることは,戦後打ち立てられ た男女教育の機会均等の大原則を破ることであって,そ の意味で非常に重大な問題であり,逆コースといわれる のは当然である.なおまた,高校校長協会案によれば,

男子には芸能科と職業科のうちから選択させ,男女とも 6単位必修とすることによって負担の平等を期している,

という.しかし,芸能科は女子が特に選択したがるもの であり,これを学習しようとすれば,他の選択教科を犠 牲にするか,または男子より負担加重となって,教育の

平等ということにはならない.

 以上が私の反対論の論拠であるが,最後に審議会の構 成にっいてもお願いがある.この問題は男子ばかりが集 まって論議決定されてはならない.審議会には家庭科担 当の女性の方はおられるかも知れないが,その方々は自 分たちのクビの問題がからまっているために,必ずしも 公平な発言をされるとは限らない.そこで,公平な立場 から判断できる女性の学識経験者の意見をも広くきくた め,少なくとも半数以上の女性を交えた審議会で審議決 定していただきたいのである.男子にいかにかしずくか を教えた,昔の女子教育に未練をもっておられるご年配 の紳士諸君によって,この問題が決められては若い女性

は納得しないであろう.(東京・勤労者)」

(2) 教育関係者のみる家庭科

 家庭科の履修に関する家庭科関係の学会や協会,教員,

関係者の意見の要旨は,次のとおりである18).

 まず,1954(昭和29年2月),日本家政学会関東支部 総会において,家庭科の履修をめぐる活発な意見交換が あった.4人の論者(石三次郎く教育課程審議会中等分 科会会長・東京教育大学教授〉,仙波千代く都立南多摩 高校教諭〉,坂西志保く評論家〉,山本松代く農林省生 活改善課長〉)は,それぞれの立場から家庭科の重要性 とその認識を深めさせるための問題点,大学入試を巡る カリキュラム編成と家庭科軽視の現状,女子のみ必修は 女性解放の「挽回策」ではなく拘束策となること,広い 見地からとらえ直した魅力ある教科への脱皮の必要性等

について報告した.

 また,家庭科必修に強力な力を発揮した全国家庭科教 育協会は,入試教科との関連や4単位履修が「望ましい」

との文部省通達を隠れ蓑に2単位に削減しようとする動 向を憂い,普通課程のみならず職業課程の女子への4単 位必修の明記と家庭科教員の身分の安定を要望している.

 さらに,当事者である高等学校家庭科教員の男女共修 論者の代表は,大和マサノである.大和は,男女の平等・

機会均等に対する解釈や考え方の相違,男女共学の推進 を妨げない教科編成の考え方,大学入試教科の特定化,

人間形成より大学入試の実績による学校評価のあり方等,

そのすべてのしわ寄せを家庭科が蒙っているとし,「家

庭が社会改造の基盤であり,社会の民主化も国家経済の

再建も家庭生活の如何にかかっている.家庭科問題は国

民生活の発展にかかわるキイポイントであることを再認

識し,謙虚な気持で世論の支持を得て教育効果を挙げる

(7)

べく適進したい」との考えを表明している.

 それに対して,女子必修に反対の論者として匿名教員 と柏節子の見解を取り上げる.前者は,今日の家庭科の 危機的状況の原因を,家庭科自体が内包する問題と大学 進学問題から論じている.家庭科が「皮相的雑学」に甘 んじている限り,たとえ必修となっても,女生徒は「家 庭科を安易な逃避場」とする.その結果,女生徒を論理 的なものの見方・考え方から遠ざけ,大学進学を困難に

し,職場を狭くすることになる.近視眼的な解決策より,

家庭科自体の根本的な問題解決に目を向けるべきである と説く.後者は,やっと勝ち得た両性の平等原則から家 庭科を論じている.家庭科必修は家庭科教員の生活権の 問題が絡み,しかも家務担当者を女性とする社会の一般 通念と合致している.しかし,女子必修が,女性の社会 進出を阻むという結果をもたらすのであるならば,「女 子を家族制度の栓楷へ送りこむ」ような手段は避けなけ

ればならないとする.

 女子必修に賛成であると反対であるとを問わず,教育・

家庭科関係者の見解は,新設以来繰り返し議論される家 庭科の存在価値と,社会情勢により大きく変わる位置づ けをめぐり,家庭科問題は婦人解放や日本社会の民主化 に繋がる重大問題であるとの共通認識をもっていること が分かる.

 しかし,共通認識に立ちながら,このように家庭科に 対する見解に違いがあることが家庭科問題のむずかしさ であり,複雑さである.見解の相違は,性差によるもの であろうか,立場の違いによるものであろうか,広く国 民の意識や生活実態の代弁として語られたことによるも のであろうか.性差に基づく役割分業観とそれを支えて きた教科内容への批判が,その根底にあることを知るこ とができる.

(3)生徒からみる家庭科

 教育関係者は,学校教育として果すべき家庭科の価値 や役割にっいて総合的に論じているが,生徒は家庭科に 対してどのような意識をもって取り組んでいたのであろ うか.とりわけ,職業科「家庭」を選択し,男女共学で 学習した中学校男子生徒の学習体験は,婦人解放の一方 の担い手である男子の蒙を啓く貴重な契機となる.男子

生徒は,次のような感想を記している19).

①新制中学へ入学して,男子に家庭科と言う科目があっ   たのには驚いた.どう言うことを教えるのかなあ一   母に尋ねてみたら,料理と裁縫を合わせたもので,

女子の科目だそうだ.っまらないなあ.幾日か立っ て授業が始まった.最初は学校生活に於ける礼法,

次は家庭科の目標続いて,健康なる家庭生活.なる 程,男も学ばなければならない科目だとわかった.

(1C・S)

僕は中学校に家庭科が設けられると聞いて,家庭科 なんていらないとばかにしていた.一時間目は非常 にいやだった.二,三時間たっうちにだんだん興味 が湧いて,男も習わなくてはならないまことによい 学科であるとわかると同時に,今までの自分の生活 を反省してみた.衣服はぬぎぱなし,御飯は食べぱ なし,何から何まで母にして頂いた.お母さん有難 う.之から僕もお手伝いいたしますよ.(3A・S)

自分は今中学三年になって,初めて家庭科を習った.

最初は女のやることだと思っていた.自分の家では,

母達が田舎に疎開しているので,父と兄と自分の男 ばかりである.炊事も失敗した.父は,こんな年を して,ほころびを縫ったり,っぎをあてたりしよう とは思っていなかった,と言っている.自分はやっ ぱり男も家庭の事などを知っていなければならない のだとっくつく感じた.(3A・W)

僕は家庭科は大嫌いだ.昨年6月頃ボタンやスナッ プの附け方を習った時,家へ帰って練習していた.

父が「何をしているのか」と尋ねられたので,「ボ タンを附けているのです」と答えると「それは姉さ んにしてもらいなさい.男の子は数学,理科,英語 を熱心にすればよいのだ」とおっしゃった.翌日の 家庭科の時間に話し合いが行われた.僕は家庭科の 授業絶対反対をとなえた.その理由として,父の意 見を出した.級友は,それは昔の考え方で,文化日 本を建設するには,男女相互に理解し合って,健全 なる家庭生活が営まれ,やがては住みよい社会にな るのだ.君の言うこともわかるが,考え直してほし い,と.(1B・0)

男女共学の家庭科の時間は,だん然女子がおしゃべ りになるので,僕はしゃくにさわった.時間が重な るにっれて,男子もどしどし意見を出すようになっ たのでうれしい.家庭工作の時間を一二時間入れ てもらいたい.しばらくして女子だけに教科書がく ばられた.僕は不満でならない.本屋さんに伺った ら,用紙不足のたあ女子だけの数しかないとのこと.

男女共学を取り入れた文部省のお役人さんの意見を

(8)

  伺いたい.(1B・H)

⑥新制中学は男女共学だそうだねと,人から問はれる   とあまり好い感じではありませんでした.だけど,

  学科の中で一番面白いと思ったのは家庭科です.今   まで一度も教わったことのない学科をするのです.

  私は此の一年という短い月日を,クラスー同で朗ら   かに過ごすことを希望する.(3A・1)

⑦家庭科の授業が進むにっれて,僕はこんなことを考   えるようになった.家庭科は総合科目であると,そ   して中々むつかしい.ある時は理科と関係し,又社   会科,理数科とも関係が深い.先生に伺ったら,あ   なたの意見の通りですよとおっしゃった.こう考え   ると,男子も真剣に研究しなければならない科目で   あると思う.(1B・K)

⑧複雑なお裁縫とお料理の実習は女子だけにという先   生のお考えで,授業が進められていた.女子の箱に   は赤青紫の小布が美しく入っている.女はうれしそ   うに紙上に布を置いて図案を考えていた.これがアッ   プリケとかだそうだ.僕も急にやりたくなった.男   子全部の意見が一致して,先生に御願いしてやらせ   て頂いた.とてもお上手ですね,と言はれた時はう   れしかった.お料理も女子と区別せずに実習して下   さい.(3A・Y)

 親の考え方に従順な態度をとる者,新しい国家の担い 手として理想を語る者,自らの生活態度を見直す者,家 庭科の本質を認識している者,文部行政への不満を述べ る者,授業の感想を記す者と実にさまざまである.当時 の学校生活や家庭生活の描写を通して,親の家庭科観や 行政官の考え方,政策方針等を垣間見ることができる.

親や行政官など大人は本音を吐露し,子どもは新しく掲 げられた民主主義を積極的に吸収していこうとする姿勢 が伝わってくる.こうした意識の格差は,そのまま家庭 科の教科としての価値や役割にっいての認識の度合いを 増幅させていく.それを変えていくためには,先の教育 関係者の論説にみられるさまざまな課題を解決していか

なければならない.

 そもそも中・高等学校の教科構成における家庭科の位 置づけの不安定さは,職業教科目としてスタートした時 から抱えていた問題である.中学校「職業科」成立のい きさっの概要を把握しながら,政策立案担当者の家庭科 に込めた願いや価値・役割にっいての見解をみることに

しよう.

(4) 文部行政官のみる家庭科

 学制改革も教科書発行も流動的であった頃,職業科の 話合いが進められていた.新制中学校の教科の話し合い でアメリカ側は実業科を必修とする案を提示してきたが,

内部構造はまだ十分に考えられていなかった.文部省案 では農・工・商・水産で考えられていた.その後教科名 が検討され,「家庭」が含まれること,職業一般を教え るということから「職業科」となった.内部構造にっい ては,社会科同様新しい体系づくりも考慮されたが,学 制改革に伴う教科課程の追求の結果誕生した職業科は,

根本的な検討をする時間的余裕がなかった.そこで,こ の教科の内容は具体的であること,男女で異なること,

都市・農村で大きな開きがあることを念頭に,旧制国民 学校高等科や旧制中学校でとられてきた一科目または数

科目を選択する方法が採用された20).

 当時の文部省担当官重松伊八郎は職業科とのいきさっ を次のように回想している.職業科担当官曰く,「『名前 はとにかく,家庭をも含めて,われわれの教科は実に行 き方が似ているではないか.家庭も仕事をすることによっ て知識技能を身にっけて行くんだろう.仕事の内容は家 事であり,農耕であり,漁獲でありいろいろ違うだろう が,まあいずれにも社会有用の業務ではないか,その点 いっしょなんだから一本に組織した方がいいと思うがど うだ.』筆者は言う『行き方が同じ趣であるから一っの 教科にするというのはおかしいそ.目標が一っであると か,生活領域が一っだとかいうのでなければ無理ではな いか.その目標を社会有用の業務というが,そこに直接 間接の差がありはしないか.家庭的な労務と社会的な業 務とを一っにしてはいけないと,ぼくは言っている.終 極には社会的,公的なものに帰するのだが,それをいき なり一つにして家国一体などとやるとうそになる.

 君のいう技術を通してというところはぼくもふだん言っ ていることであるが,なお民法もやらなければならぬし,

経済もやらなければならぬし,児童心理もやらなければ ならぬし,ホームレクリェーションまである,それらは みんな家庭科の重要な部分であって,むしろ今は技術一 偏ではいけませんよということを強調すべき段階でさえ あるのだ.

 家庭科がすでに一っの総合教科で,独特の地位を主張

しなければならぬとぼくはいいたい.』」21)

 「職業教育は米国ではボケーショナルエデュケーショ

(9)

ンであろうが,アメリカでボケーションというとき,家 庭婦人が家事にいそしむことを彼女のボケーションといっ て少しも矛盾を感じないから,ホームメーキングが職業 科の一部であって少しも差支えない.ところが日本で職 業というとき,当然ホームメーキングを除外するのだか ら,『職業科家庭』の呼称はまことにうれしくないので

ある.

 それだのに,どうして新学制の初めに職業科(農・工・

商・水産・家庭)という形を甘受したか.これにっいて は筆者が自らの不明をわびなければならない.それは内 外折衝の経過の中に,そうしなければどうしても家庭科 の時間が許されないというせっぱっまった情勢になった ので,屋根などどうでもよい,実体さえ確保すればいい と考えてこの案を呑んだのが,今にして思えば間違い のもとだったのである.その後『ボケーション』と『職 業』とのくい違いが,執念深く筆者を追っかけて悩まし

た.」22)

 「アメリカの家庭科にもやはり職業教育と一般教育と があるらしい.ボケーショナルホームメーキングとノン ボケーショナル即ちゼネラルホームメーキングとである.

ところが,ボケーショナルホームメーキングは,職業教 育国庫補助法(1917)によって国庫及び州の補助金が交 付されることになり,それを受けるためには設備や教程 がある基準に達しなければならず,その教程というのは一 これが重要だと思うのであるが一単に裁縫とか料理とか ばかりでなく,経済も,保育も,家庭看護も,家族関係 も含むところの,周到円満に計画されたものでなければ ならない.いわばわが国の実業科的ではなく,まして職 業指導のための実習課程ではなくて,一般家庭のようで なければ補助が得られない.そのために家庭科教育が長 足の進歩を遂げた,っまり往年の家事,裁縫ではなくなっ

た.

 けれども,それならそれとゼネラルホームメーキング との相違はというと,単に補助を受けるものと受けない もの,したがってよく計画されたものと初期的なものと いう点以外に大したことはなさそうである.それを職業 科だから特に専門的で,一般家庭だからすべての分野に 亘って手落ちなく指導するというふうに想像したら,と んでもない勘違いである.『職業』と『ボケーション』

とのこうしたズレは,十分心得ているつもりでも,折衝 の間についくい違って来て,堂々toぐりに陥るのが常で あった.単なる名目だけの問題とはいえないのである.

アメリカにおいては,職業教育としての家庭科が進歩す ればするほど十全円満なものになって行く.日本では職 業教育に接収されるがためますます半端なものになって 行く一もしそのようなことにでもなったら,大変な誤訳

である.警戒しなければならない.」23)

 職業科との縁を結婚生活における戸籍と実態に準えて 家庭科の独自性を強調し,ボケーションと職業との解釈 の相違からくるその後の家庭科の変転を前に,後悔の念 を抱いていることを率直に語っている.

 また,重松の後任の山本キクは,農・工・商・水産・

家庭が応用教科として似た性格をもっという「一脈の共 通点」をもって,しかもボケーションに天職の意味があ るということで職業科に括られたが,家庭科にとって仕 事は家庭生活の一部であり,すべてではない,そこが職 業科と本質的に違うところである.「職業・家庭」にな ることで独立した教科としての地位を得ることは家庭科 関係者の意に適うものであるが,家庭科はDomestic Vocation として民主家庭,民主社会の建設に果たす

べき役割が大きいことを力説している24).

 その役割は,昭和26年6月11日制定の産業教育振興法

(Vocational Education Promotion Law)の適用を受 けた後も変わることなく,「戦後の家庭科教育はまず家 庭生活がいかにあるべきかのPhilosophy(理念)を育て,

次にその地域の家庭生活の実態を把握させ,理念と実態 とのギャップを知らせて,そのギャップの中に課題を発 見させ,その課題を実践と技術とによって解決する経験 をさせる努力をっづけて来たのである.それがすなわち ホームプロジェクトであり,家庭クラブ活動である.そ してこのような理念と意欲をもっことは男子にも必要な ことであって,過去八十年の家事・裁縫が女子にのみ課 せられたところに,日本の家庭生活を後進性にした禍根 がある.」25)したがって,家庭生活の後進性を打破する ためには「知らせる教育」から「行わせる教育」への転 換が必要である.知ることと行うことの教育を直結し,

男女とも実践の教育を重視する.しかし,「料理を作る ことは主として分業で,女子が受け持つのが自然であろ う.そこに実践をねらう教育と技術をねらう教育に一線 が引かれるわけである.」26)

 一方,職業教育課事務官であった長谷川淳は,職業科

と家庭科の一本化を支持して次のような見解を述べてい

る.「新制中学校を卒業した女子はそのまま家庭に残っ

て家事労働に従事するとは限らない.正確な統計は手も

(10)

とにないが大多数のものが職業にっくものと思われる.

従来はただ嫁入前の腰かけのっもりの職業が最近では永 続的なものとなり結婚後もそのまま仕事をつづける人が 多くなって来ている.日本の経済復興に役立とうという 意欲と,働かなくては食うことができないという経済事 情によるものであろう,ところが,日本の生活状態では,

結婚して家庭をもつと外で働くことが殆ど不可能である.

しかしこの困難を突破し,女子が経済的に独立できるよ うにならなければ真の男女同権も婦人の解放もない.

 戦後教育制度の改革が行われ,男女の教育の差別は撤 廃され,均等な教育の機会が与えられた筈にもかかわら ず,現在までその差別が行われていたのは職業科と家庭 科である.戦後現在までの職業科が望ましいものであっ たとは私は思っていない.しかし家庭科が,『家族関係』

を重要視するのあまり,社会科と別個の任務をもって,

家族制度の維持のために『修身』を説いているようなき らいがないでもない.社会や家族制度の民主化のために は,そのための目的をもった社会科があるのである.家 庭科の目的は,現在の日本の婦人に負わされている過重 な家事労働をどのように合理化するかということにある.

それは従来家庭で行われている家事労働のそのままの復 習ではない.金あみで魚をやくことなどは,学校で教わ るまでもなく,あきるほど家庭で行っている.裁縫の基 本なども家庭で十分できることである.新しい生地を学 校と家庭の間を半年も持ちあるき,ついにはお母さんに ぬってもらい,手あかでよごれてしまい,裁縫と洗濯を 同時に学習するなどもあまり望ましくもない.

 家事労働を分析し,その合理化の計画を立て,それを 実践し,その合理化をさまたげているいろいろな原因を 調査研究し,更に発展して職業生活を調査研究し,職業 的な仕事の内容を理解し,実践し,その仕事の能力を得 る.そしてこれらの仕事を男子と協力して行い,男子と 相たつさえて,いわゆる『民主的な明るい家庭』の建設 に努力したり,婦人の地位の向上をはかったりするのが 家庭科の目的ではなかろうか.このように考えてみると 職業科と家庭科は一っのものでなければならない.もち ろんこの場合には社会科をはじめ他の教科と密接な連け いをとることが必要であり,特に社会科に多くのものを 期待しなければならない.

 これが私の『家庭科』に対する『理解』である.全くの 素人の考えである.しかし家事労働の合理化のための情 熱は大いにあるつもりである.一っの教科であるとか,

一つにはなりえないとか,職業・家庭科にするとか議論 はどうでもよい.教育の現場にある教師,生徒,それを

とりまく社会が現実に問題を解決してくれるであろう.」27)

 同様に島田喜知治は,「家庭生活の中には各種の職業 が未分化の素朴な状態ではいっている.」しかし,「学校 で行う仕事は学校の生活としての意義をもっよう進めら れる場合が少なくない.」普段の家庭生活や学校生活か ら職業生活への理解を深めることこそこの教科の目的で あるとする28).

 行政官の家庭科観は,「職業科」から「職業・家庭」

科への変更において,職業指導教育のあり方と家庭科の 性格を巡り論議を呼び起こすことになった.

 海後宗臣は旧来の技術学習と決別するうえからも生活 技術学習としての家庭科のあり方を提案した.家庭科で 学習する技術を生活技術と称し,それは生活から要請さ れる技術であり,単なる伝承技術ではない.「実は我々 の現実の家の生活が,かくの如き技術を身にっけて欲し いということを求めているのであった.それを根拠とし なかったならば,学習材料の決定もできなければ,これ を企画することも不可能となる.家庭の学習は生活にそ れが成立する根拠があって,そこで求められている技術 をとりあげて学習に展開するものである.この場合の生 活における技術というのは,空なる観念でっくり上げら れているものではなく,現に生徒をとり巻いている,そ の地域の家の生活の現実を問題としているのである.家 庭の生活の実体を究めると,そこには様々な生活技術が 現に多くの課題をもって存立しているのを認めないわけ にはいかない.……問題としての技術をわれわれの家庭 生活の中から発見して,それを問題学習にして展開する.

これは家庭学習の要諦であるといわねばならない.この 態度はそれらの生徒を育てて,将来わが国の家庭生活を 新しく進展させる根源力をっくるものとなる.……家庭 生活を改進できるような技術は,理知によって組み立て られた技術である.……よく『なす』ことによって学ぶ という原理がとられているが,この場合の「なす』こと には知識が当然織りこまれているので,そのような高い

矢[職を捨てた技術は,学習の世界では意味をもたない.……

学校の中で学習としてとりあげられている技術は,……

それにっいて考え,その原理をたずね,新しく改善の方

式を工夫して努力するところに,世間の技術実践と区別

されるものがある.技術によって学習するとは,本来か

くの如きものなのである.家庭技術学習の真義は,この

(11)

ような高い知識を織りこんだ技術を学習するよう指導す ることにある.」29)

 家庭科成立の基盤を技術学習に求めようとする意見に は批判が出された.先の山本キクは,教科としての家庭 科の独立を念頭に職業科と家庭科の本質的な相違を強調

し,「本質的に異なるものはどこまでも平行線であって,

一っの線の上に重なることはない」30)と断言している.

 さらに,職業科と家庭科の総合に反対する安藤尭雄

(東京教育大学助教授)は,体系的・組織的な職業指導 教育を行うための教科の特設を主張し,職業学習と家庭 学習との区別を明確にすべきことを主張している31).

っまり,「職業・家庭」科への教科構成上の変化は,家 庭科の存立基盤を技術学習に求めた結果であり,海後の

「家庭技術学習の真義」論に同調しているとする.職業 科と家庭科は,実生活に役立っ仕事を学習するところに 教科としての共通性があるが,一方は職場における職業 人の育成を,他方は家庭における家庭人の育成を目的と

しており異なる.女子の家庭労働からの解放と職業的教 養の酒養とを併せ持っ教科としての「職業・家庭科」の

目的を認めながら,その教育意図による違いを論じてい

る.

 以上のように,中等教育における家庭科の位置づけは,

日米間の「ボケーション」と「職業」概念の違いに悩ま され,産業教育振興法はジェネラル・ホームメーキング とボケーショナル・ホームメーキングの混乱を加速させ,

家庭科のねらいや性格教科構成上の課題が噴出するな かで,職業生活・家庭生活における平等を実現すること はむずかしく,むしろその教育実績は,男女の教育機会 の均等をも崩壊させる萌芽であったことを見逃すことは できない.

3.職業教育としての家庭科の軌道修正  高等学校の女子生徒に対する職業教育の奨励は,新制 高等学校設立の段階から配慮されていた.しかし「新制 高等学校教科課程の解説」には,「女生徒に対する職業 教育」の項に次のような記述がみられる.「新制高等学 校では,家庭は職業と同様に考えられ,家庭科は家庭人 となるための準備とみなされる.どの地方でも,大多数 の女生徒はおそらく家庭の主婦となるであろうし,した がって家庭の主婦となるたあの教育を必要とするだろう から,女生徒を収容している新制高等学校では家庭科の 教育をしなければならない,男女共学の学校では『家族』

のような家庭科の教科は,男生徒にも女生徒にも開放す ることが必要である.」32)また,職業課程の「家庭技芸 教育」では「生徒をして家庭技芸に関する職業に従事す るのに必要な実際的知識技能を身にっけさせること」を 目標とし,その範囲を「保育・栄養・食品・被服・手芸 その他の活動」を含むとしている33).ここから,女子 の職業教育はまず第一義的に家庭内にある.主婦として 女子の領分としての家庭内の仕事を行うことができるよ うに教育するのが家庭科の役割である.社会的労働は第 二義的なものである.家事労働以外の家族の学習は民主 的家庭の建設者として男子にも必要であるという認識が みられる.っまり,「新制高等学校の教科課程はすべて 同一の根底に立っものでなければならない」34)という基        ゆ 本原則は,性差による男女の役割分担の見直しにまで迫

るものではなかった.

 先述したように,個人として均衡のとれた成長発達を 導く経験のうち,個人的資質を最大限に発達させる経験 の一っとして「幸福な家庭生活を招来するような経験」

を男女生徒に与えることが企図されていたが,重松の回 想に見られたように,政策立案の段階では,家庭科をア メリカ的にボケーショナル・ホームメーキングと解釈す る思想が底流にあり,それはわが国の家庭科の第一義的 使命と合致するものであった.しかし,個人的資質の発 達を優先的使命とする家庭科は,中等教育段階において,

普通教科「家庭科」が第二義的使命を優先する教科枠内 に設置されたことで,その後の混迷に拍車をかけること になった.しかも,第一義的使命を全うする独立教科と なるべく,他の農・商・工・水産科と協調するよりもそ の差異を強調し,結果として職業教育の低迷を招くこと になった.っまり,第一義的使命を強調すればするほど,

教育の機会均等とのジレンマに陥り,普通課程の家庭科 不振は,女子教科としての再生への道を開くとともに,

職業課程にその使命の実現を要請するようになった.

「家庭課程」の設置は,まさに職業課程としての位置づ けの下に,アメリカ流のボケーショナル・ホームメーキ ングのごとく内容の充実を図り,家庭科を磐石な教科と する手段でもあった.この措置はまた,普通課程志向の 強い情況における地方の要求,社会の要求に適うもので あった.しかし,わが国で期待する職業課程は社会的労 働における「職業的資質の錬磨」を意味するのであり,

家庭課程はその第二義的な使命さえも空洞化しかねず,

よりいっそう女子コース・女子教科としての印象を広く

(12)

濃く社会に刷り込むことになった.高等学校職業課程に 学ぶ女生徒は,普通科の壁と性差の壁,さらに教育内容 の水準という三重の壁と戦わなければならなかった.

 どこまでもアメリカ的な考え方に立脚して政策の立案・

試行を展開した行政官,新家庭科に新しいイメージを持 てない親と積極的に受容しようと意気込む子ども,そし てこの理念と現実の板ばさみの中で理念の定着に拘泥す る教員と教科の復活を期する教員.図式的に見れば,そ れぞれの立場が家庭科に対する温度差となって形成され ていく.その温度差は,「社会」の要求・情勢に柔軟に 対応しながら,女子教科への転換で一応の決着をみる.

しかし,国民,教育関係者,行政官に共通するのは,女 性役割に対する認識である.つまり,一部の人を除き家 庭の役割責任を女性に期待する固定的分業観に軸足を定 めた政策や躍解や実践であったことは共通している.ジェ ンダー・ロールが家庭科に求めたものは,果たして「個 人的資質の最大限の発達」であったのだろうか.

       註

*文部省通達および学習指導要領の発行年,学校基本調  査報告書の参考年度は,本文中に明記した.

1)朴木佳緒留・鈴木敏子共編:資料からみる戦後家庭   科のあゆみ,学術図書出版社(東京),1990,

  pp.29−30

2)青木幸子二教科書分析による職業教育としての高等   学校家庭科の系譜(第1報),東京家政大学博物館   紀要 第7集,2001,p.9

3)普通教科「家庭科」には,一般家庭,家族,保育,

  家庭経理,食物,被服の6科目がおかれた.

4)青木幸子:教科書分析による職業教育としての高等   学校家庭科の系譜(第1報),東京家政大学博物館   紀要,第7集,2001,p.9.「表4 家庭技芸に関す   る教科表」中,「服飾史2−15」を「服飾史2−5」に   訂正

5)文部省:新制高等学校教科課程の解説,教育問題調

  査所(東京),1949,pp.95−96

6)文部省:新制高等学校教科課程の解説,教育問題調

  査所(東京),1949,p.78

7)文部省:新制高等学校教科課程の解説,教育問題調

  査所(東京),1949,p,79

8)文部省:新制高等学校教科課程の解説,教育問題調

  査所(東京),1949,p.46

9)文部省:新制高等学校教科課程の解説,教育問題調

  査所(東京),1949,pp.40−43

10)文部省:改訂高等学校の教育課程(中等教育資料

  特別号),明治図書(東京),1955,p.22

11)日本家庭科教育学会編:家庭科教育50年一新たなる   軌跡に向けて一,建吊社(東京),2000,p.272 12)朴木佳緒留・鈴木敏子共編:資料からみる戦後家庭   科のあゆみ,学術図書出版社(東京),1990,p.61 13)朴木佳緒留・鈴木敏子共編:資料からみる戦後家庭   科のあゆみ,学術図書出版社(東京),1990,

  pp.62−67

14)大和マサノ:新しい家庭科のあゆみ,家政教育社

  (東京),1955,p.60

15)大和マサノ:新しい家庭科のあゆみ,家政教育社   (東京),1955,pp.59−60

16)大和マサノ:新しい家庭科のあゆみ,家政教育社   (東京),1955,pp,61−62

17)常見育男:家庭科教育史 増補版,光生館(東京),

  1972, pp.405−406

18)常見育男:家庭科教育史 増補版,光生館(東京),

  1972,pp.393−404参照

19)常見育男:家庭科教育史 増補版,光生館(東京),

  1972, pp.355−356

   東京都濱町中学校調査: 中学の男子生徒は家庭   科をどう見る?.家庭科教育22−2,家政教育社,

  1948, pp.16−17

20)文部省:産業教育70年史,雇用問題研究会(東京),

  1956, pp.522−525

   朴木佳緒留:アメリカ側資料より見た家庭科の成

  立過程(3),日本家庭科教育学会誌31。1,1988,

  PP.1−6

21)重松伊八郎:職業科と家庭科とのいきさっ,家庭科   教育23−11,家政教育社,1949,p,42

22)重松伊八郎:職業科と家庭科とのいきさっ,家庭科

  教育23−11,家政教育社,1949,pp.43−44

23)重松伊八郎:職業科と家庭科とのいきさっ,家庭科

  教育23−11,家政教育社,1949,pp.45−46

24)山本キク:家庭科と職業科,家庭科教育23−11,家

  政教育社,1949,pp.2−4

25)山本キク:職業・家庭科における「家庭」,職業指   導28−5,日本職業指導協会,1955,p.6

26)山本キク:職業・家庭科における「家庭」,職業指

(13)

  導28−5,日本職業指導協会,1955,pp.7。8 27)長谷川淳:家庭科に何をのぞむか,家庭科教育23−12,

  家政教育社,1949,pp.14−15

28)島田喜知治:家庭科と職業科,家庭科教育23−12,

  家政教育社,1949,pp.8−11

29)海後宗臣:家庭学習における新しい技術観,家庭科

  教育25−6,家政教育社,1949,pp.3−4

30)山本キク:家庭科と職業科,家庭科教育23−11,家   政教育社,1949,p.4

31)安藤発雄:新教育と家庭科,教育大学講座26 家庭

  科教育,金子書房(東京),1953,pp.380−385

32)文部省:新制高等学校の教科課程の解説,教育問題

  調査所(東京),1949,p.29

33)文部省:新制高等学校の教科課程の解説,教育問題

  調査所(東京),1949,p.140

34)文部省:新制高等学校の教科課程の解説,教育問題

  調査所(東京),1949,p.49

Abstract

Around ten years since the educational reform after the World War ll, Home Economics, too,

came to face the tuming point, along with the gradual change of the idea of education.

The reforrnative idea of common curriculum in senior high schools has made the character of Home Economics as vocational education ambiguous, as a result that the course−Family Life Course−whose aim is general education, was unjustly included in vocational education.

 Another idea of co−education also came to collapse because of the decrease of the stUdents who choose Home Economics as a subject,and the restoration of the curriculum only fbr girls.

 And it was fbund that the factor which divided the pros and cons of these changes was closely

comected with the concept of role division based on sex bias.

参照

関連したドキュメント

大阪府枚方市には,地域の共同施設として単独に設け

教育実習を通しての感想や思いを分析してきたD.そ

訴訟手続きの代理,適切なしっけなどが定められ,義務

 しかし,このような中でも援助例にみられるように発

 表1の結果から,学生の教科教育法に対するイメージ

 我々はこれまでストレスと栄養の関係を詳しく知るた

福島県中通り地方における A 園、B 園、C 園、D 園、E 園、F 園の 6 つ公立保育園を対象とし、2011 年3 月11

Using Workshop-type Training in University Partnerships Mitsuru H anawa ,Naoki Y amamoto ,Kana K amoshida ,Sayaka K awai.. * 児童学科  **