幼稚園教育における <お話> の位置づけに関する研 究 (その2) : 幼児向け昔話における教育的視点
著者 是澤 優子
雑誌名 東京家政大学研究紀要 1 人文社会科学
巻 40
ページ 93‑102
発行年 2000
出版者 東京家政大学
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009044/
〔東京家政大学研究紀要 第40集 (1),p.93〜102,2000〕
幼稚園教育における
〈お話〉の位置づけに関する研究(その2)
幼児向け昔話における教育的視点
是澤 優子
(平成11年9月27日受理)
AStudy of Storytelling in Japanese Kindergarten(ll)
Yuko KoREsAwA
(Received on September 27,1999)
はじめに
本研究は,〈お話〉に相当する幼稚園の保育項目「談話」
に着目し,明治から大正期にかけて,どのような物語が いかなる意図のもとに導入され,定着し,位置づけられ たのか,その成立と展開過程を検討するとともに,〈お 話〉の導入・方法などに象徴されるわが国の幼児教育観 を考察することを目的としている.本稿では〈お話〉を 伝承物語,創作物語の如何に関わらず,大人が子どもに 話す子どものための物語の総称として定義している.
明治32(1899)年に規定された「幼稚園保育及設備規 程」の保育4項目(遊嬉・唱歌。談話・手技)のひとっ
「談話」は,「徳性ヲ酒養」すること,「観察注意ノカヲ 養」うこと,「発音ヲ正シクシ言語ヲ練習」することを 目的としていた.「談話」には,他人の話を聞くことと,
自分の考えや経験を他人に話すという両面があり,想像 力や発表力,知的,道徳的能力を育てるものとして重視
されていた1).
しかし,子どもたちが日常親しんでいた日本の昔話は 当初保育に導入されなかった.そこで本稿では,明治20 年代にようやく保育に取り入れられた自国の昔話をめぐ る論議を概観しっっ,幼児の「教育」における昔話の教 育的視点を検討する.
児童文化研究室
1.明治期における昔話の評価 1)日本の昔話とイソップ寓話
現在昔話は,小学校の国語教材としても使用され,昔 話教材の教育的価値を疑う者は殆どいないであろう.し かし幼稚園の草創期には,自国の昔話を顧みることはな かった.日本の昔話は,近代化とともにどのように認識 されるようになったのであろうか.
明治5(1872)年,福澤諭吉が『童蒙教草』でイソッ プ10編を紹介し,渡辺温が『通俗伊蘇普物語』(明治6 年1873)全6冊を翻訳出版している.『童蒙教草』は全
5冊29章より成って,各章に標題として実践的徳目。
趣意を記し,それぞれの歴史上の逸話や寓話を入れて具 体的に説いている.その材料としてイソップ寓話が10 編用いられている.例えば,第13章の「倹約の事」の項 目に「蟻といなご(きりぎりす)の事」,第26章「真実 を守る事」の中に「羊飼う子供狼と呼びし事」などがあ げられている2).
イソップ寓話はもともと子ども向きに作られた話では
なかったが,幼稚園教育の開始と共に保育現場に取り入
れられる.ひとっの話が短く,いろいろな動物が人間の
ように口を利き,善玉悪玉がはっきりしていることなど
から,イソップ寓話は幼児に歓迎されたのであろう.小
澤俊夫は,各国で寓話が書かれたのはいずれも啓蒙思想
の盛んな時代で,「非合理的で,教訓性のない昔話は排
斥すべきものと考えられ」ていたという3).例えば福澤
英之助の『訓蒙話草』(明治6年)の序文に,この様な考
え方を見ることができると桑原三郎(1996)は指摘する.
英之助は人間は「習二因テ善二趣キ悪二趨ルモノ」な ので,幼いときから悪いことを耳に入れずに善いことだ けを話して聞かせれば,成長してから必ず「善ヲ尊ミ悪 ヲ賎シムル人トナル」と言い,さらに次のように述べて
いる4).
是迄日本ニモ童蒙児女ヲ慰ムルガ為二昔話ノ類数多 アリト錐モ多クハ惟誕不経ニシテ其知識ヲ助クル益 アルモノ甚少キユへ更二童蒙ノ教トナル事ナカリキ 斯ノ如キ昔話ノミヲ専ラ寝物語等二用ヒテ己ノ子ヲ 慰ムルハ実二親ニシテ子ヲ教ユル道ヲ知ラザル者卜 云テ可ナラン愚ノ甚シキニハアラズヤ願バクバ余ガ 宿志ヲ汲ミ今ヨリ後斯ノ如キ無益ノ昔話ヲ廃シ仮令 其訳シ方拙ナシト錐モ此小冊子ヲ以テ之二代へ童蒙 児女ノ寝物語等二用ヒテ世教ノー助トモナラシメバ 何ノ幸ヒカ之二過ギン
日本の昔話は,怪しくとりとめのない話で教育的でな い.そのような日本の昔話を寝物語に話して聞かせるの は,教えの道を知らない愚かな親がすることである.し たがって教育上為にならない昔話を廃し,その代わりに
『訓蒙話草』を子どもに話すとよいと言うのである.英 之助は,昔話を非教育的で子どもの為にならないものと 見なし,学校教育の場のみならず生活の場からも昔話を 廃除しようと主張する.
一方,福澤諭吉はその著作の中に昔話を利用した.例 えば,『窮理図解』〈巻之一〉(慶応3年1867)の中で,
猿蟹合戦で囲炉裏から栗が破裂して飛び出し,猿の顔に あたった例を挙げ,空気は温まると膨張する性質を説い ている.このように諭吉は,馴染み深い昔話を使い子ど
もにも空気の性質がよくわかるように工夫している5).
昔話を子どもの生活にどのように意味づけるか,英之 助と諭吉は対照的な態度をとっている.しかしながら両 者の言説はその趣旨の違いを越えて,当時日本の子ども たちの一番身近な物語は昔話であったこと,昔話が教育 的役割を間接的に担っていたことを示している.子ども の生活に最もよく浸透していた話が昔話だったからこそ,
英之助は「惟誕不経」な昔話の廃除と教育上為になるイ ソップ寓話の浸透を,強く願ったのだろう.
2)日本昔話の保育への導入
明治前期の幼稚園では,海外から輸入した思想こそ先
進的であるとの見方から,談話材料として自国の伝承文 芸である昔話を省みることがほとんどなかった.例えば 附属幼稚園の保母豊田芙雄は「教師タル者事二当テ意ノ 如ク新小説ヲ仮説シ」6)という『幼稚園記』の理論を実 践したが,豊田が再話した話の原話はグリムやイソップ など外国の話であった.
巌谷小波の著した『こがね丸』(明治24年1891)が,
近代日本児童文学の「夜明けの鐘」にたとえられるよう に,ちょうど明治20年代には,日本でも近代的な教育 制度のもとに伝承説話から児童文学の歴史が始った.自 国の昔話を保育に導入するにあたり,伝承説話を基盤に した児童文学が高評を博したことの影響も少なくないと 推察する.例えば,『少年世界』(「お伽共進会」号明治 40年6月)の付録に載せられている「お伽噺に関する諸 名家の意見」の回答を分析した河原和枝(1998)は,お 伽噺は「教訓に役立っ」,「話し方の練習になる」など
「具体的な道具としての価値」をお伽噺に認める意見も あり,「広い意味での教育に役立っから有益であるとす る立場が大半を占めて」いるという.そして,「教育界 からは長年,寓話以外のお伽噺はその存在を否定されが ちであったが,小波らの尽力によって,明治末期になる とお伽噺に対する肯定的な見解もかなり見られるように なった」7)と分析している.
更に,保育に取り入れられる話材に関しては小学校教 育に導入された話材との関連も考えられる.東基吉は明 治35年,幼稚園の談話材料にっいて次のように記し談 話材料の選択の仕方に不満を述べている.
其材料の選択甚だ当を失せるものありてここ七八年 前の小学校修身書にありける修身談を其儘持ち来り て,談話の材料とせるもの少なからず8).
このように幼稚園で子どもに話す物語は,当初こそ海 外の寓話・偉人伝が多く取り上げられていたが,日本古 来の伝承説話に教育的価値を見いだした幼稚園関係者は それを保育に取り入れるようになった.
2.昔話(童話)教材への疑問
明治30年代には,子どもに対する関心が高まり,児童 研究が盛んになる.スタンレー・ホールの児童研究運動 の影響を受けて日本児童学会が創立され,明治31(1809)
年には高島平三郎,元良勇次郎,松本孝次郎等が中心と
幼稚園教育におけるくお話〉の位置づけに関する研究(その2)
なり,雑誌『児童研究』が創刊された.昔話と児童の関 係にっいても,従来のように徳育の面から捉えるだけで なく,子どもの内面(心理的側面)との関連にも言及す るようになった.この頃,次第に教育に普及してきたお 伽噺などを巡って,儒教的教学派は教育上それを禁ずる 意見を主張したという9).昔話が子どもの「心性」に及 ぼす虚偽,迷信,空想の影響ということがその争点であっ
た.
すなわち,幼少時の脳細胞に,荒唐無稽のことを印象 深く話す「迷信的教材」(例えば,動物が化けるなどの 超自然的魔力)を与えると情緒の根底に浸透し,成長し てからも「心持ちの悪しきもの」である(迷信).また,
幼少時は動物や植物などをに自分と同じものとして考え る時代があるが,尋常1・2年生の修身教授で昔話を教 示した場合子どもがその話について「虚言にあらざるか」
と言う疑問を抱く(虚偽).そして,昔話のような「野 蛮時代的想像材料」は子どもを空想に耽らせることにな る(空想)というような意見が主張されたlo).明治34年 の『婦人と子ども』にも,子どもに聞かす話にっいて
「(たとえ昔話にせよ)お話には無いことをっくって,
いつわり
詐を言ふてもよいかと,思はすようになりはすまいか」
という読者からの疑問が寄せられているll).
当時,東京女子高等師範学校教授兼附属幼稚園批評係 として保育界を指導する立場にいた東基吉は,「寓言や いつわり
童話は子供に偽を教える」と言って,子どもに童話を 聞かせるのに反対を唱える人に対して,「…偽と申すに も種類があります.悪い目的を達成するたあの偽と,高 尚な想像の作用の結果からできる偽とです」と述べ,
「社会的偽り」と「文学的偽り」の性質の違いを強調し,
寓話・童話を擁護している.さらに,ホメロスや日本神 話を例にあげ,「想像的偽或は文学的偽である以上は,
ただ其点だけで排斥し去ることは決してできない.高言 童話は即,児童文学である,幼年文学である.大人に文 学の必要ある如く幼児にも亦必要があるのです」と反論 している】2).また,東はそれから2年後の明治37年に 出版した『幼稚園保育法』の中でも,教育者のなかに童 話を有害として排斥するものがあるということを取り上 げている.そして,これは「唯だ童話の材料の不良」に よるものであるとして,童話の虚偽性は「悪意より出る」
ものでなく,「想像より出る」ものであり罪悪の意味は 少しもないので,教育上害はないのであると繰り返し述
べている13).
統合主義と活動主義による自発活動尊重の教授法を唱 えた樋口勘次郎は,昔話は「児童に理想を与」え,「倫 理的判断を養い」,「道徳的感情を鼓舞」するものであり,
それは「通常の例話に得がたき長所」であるという.そ のような昔話を荒唐無稽の虚偽であり教育に害があると いうのは,詩と理学の区別を知らない者の言うことだと 主張する.そして,桃太郎を例にあげ,
此の如く具体的に明瞭なる幾多の倫理知識を与へ,
高尚なる感情を養ひ,其他博物,地理,歴史,数学 等の有益なる知識を遊戯的に知らしむるなど,昔話 の教育的効果は実に大なりというべし
と,昔話の教育的価値を力説している,4)そして,昔話は 国民の思想に発生し,その精神を代表しているので,
「児童に国民の思想を鼓吹するに適す」ると述べている15).
また,樋口は自分が受け持った尋常一年生に,記憶し ている談話を学年末に書かせたところ,最も多く記憶し ていたのは昔話で,一年間の内に語った昔話で全生徒に 忘れられたものはひとっもなかった.反対に,修身書に あるような「大人めきたる例話」は過半数が忘れられて いることから,昔話は子どもの興味に適しており,注意 をひき,記憶に残ると考えた16).さらに樋口は,教育 に昔話(童話)教材を用いる適齢について,自ら実験し,
「仮作的昔噺は,尋常一年級及び二年級の前半には最も 適すれども,二年の後期頃より漸次に事実談に移るを可
とするが如し」と述べている17).
昔話が幼児に適材であることを認めていた高島平三郎 も,昔話教材の対象年齢にっいては樋口と同じように考 えていた.高島は,子どもは小学校に進むと「偽り」を 疑い始めるという.だからこそ,「人間の自然的想像の 最も盛んなる」幼稚園時代に,「童話を以て諸種の方面 に関係せしめて子供の精神を明にして遺るのは必要なこ と」であると力説する.これは高島の,「人は全体其時 代時代に従って経過すべき生活を経験して置く必要があ
る」という教育観に裏付けられた主張である18).
当時「談話」に関しては,たとえ国が違っても幼児期
は「興味」を基としているので,イソップやグリムの童
話など,外国の教育者が「可とする材料は同じく我国の
幼児に用いても其目的を達する」ことができるが,小学
校の児童を対象にするときは,「国民的教材」に重きを
置くのがふさわしいという考え方が示されていた19).
以上のように,昔話が子どもの教育に適するか否かは,
幼児の教育においても論議された.しかし,当時のこと は高島平三郎によれば,
自然科学を研究して居る方面の人達は主として斯る 考え(教育上童話を用いるべからず)を以て居って.
教育上は実際の事例を用ふべしと主張したものであ るが併し此の議論は童話を幼稚園より排斥する程有 力なものではなかった20).
という.
つまり,昔話は幼児向きの話材として肯定的に捉えら れていた.小学生の教材として昔話の教材化を論争する 必要はあるが,好奇心にあふれ,想像力の盛んな幼児期 の教育にこそ昔話が適材であるという考え方が,当時の 幼稚園関係者に浸透していたといえよう.しかし,民間 伝承の語り口をそのままを保育に導入したわけではなかっ
た.
3.昔話による教育のポイント 1)教育上好ましくない要素をもつ昔話
昔話は,幼児に適した話材であることは認めっっ,そ のままでは好ましくない要素を持っているというのが当 時の教育者たちの一般的見解であった.東基吉は子ども に聞かせたくない話として,「継子いじめの話,動物虐 待の話,非常に残酷な話,動物妖怪等に対して恐怖の情 を起こさせる話,詐欺好計等凡そ不徳義の成功を表明せ 2エ)
.また,明 る話」は教育上有害であると述べている 治42年の『婦人とこども』にも,「殺伐残忍な話,悪漢 の成功した話,復讐怨恨に関した話,悲観的思想を表は したる話,継母の継子いぢめの話,その他人生暗黒の裏 面を表はした話,悪事の実例等非教育的のものを避くべ
く且っ又幼児思想の発達程度に適合せざる六ッ敷き話,
大人に興ありても幼児等に何等愉快を感ぜざる話等」は
「採用」せず,「精選した物を十分了解させる方が却って 有益」22)であると書かれている.質の良い「精選した物」
とは,上記のような好ましくない要素を含まない話をい うのであろう.〈量より質〉という考え方である.
高島平三郎は,昔話を民族童話と呼び,童話の主たる 物であるという.日本の昔話は「主として義侠的思想を 吹き込んで居る」ので,外国の童話(昔話)と比べると
「余程教育的である」と言い,日本の昔話を「我国国民
の思想上適当」と評価している.但し,「かちかち山」
だけは「頗る非教育的」でいかがわしい話であり,「斯 様な嫌ふ可き童話は家庭と幼稚園と協同して成る可く滅 亡さす可きものである」23)と強く主張している.巌谷小 波も,「(かちかち山は)動物虐待の甚だしいものだ」24)
と非難している.
2)「談話」で把握するポイント
では当時の教育者・保育者たちは,昔話の教育的価値 をどのように捉えていたのであろうか.明治38年の附属 幼稚園保育要項に,保育者が把握する「談話」のポイン トが記されている25).それは,1.自己に関係するもの
(自己の所有物,自己の身体,自己の精神),2.家庭に 関係するもの(父母に対する心得,兄弟に対する心得,
埠僕に対する心得,家屋器物に関する知識及びその取り 扱い方),3.社会に関係するもの(長上朋友に対する心 得,日常親近の事物に関する知識),4.自然に関係する もの(動物に関する知識及び動物愛護,植物に関する知 識及び植物愛護,硫物に関する知識及びその取り扱い方,
自然現象に関する知識感情)の4点である.
例えば,桃太郎話の場合,自己に関係するものとして は,団子によって自己の所有物と取り扱い方を知らせ,
鬼ヶ島征伐によって勇気の観念を啓発する.家庭に関係 するものとしては,犬猿錐によって女卑僕に対する道を知 らせ,生い立ちより父母に対する道を知らせる.社会に 関係するものとしては,犬猿雅によって長上朋友間の道 を示し,鬼ケ島への「旅行」によって船舶交通の観念を 与える.自然に関係するものとして,犬猿雅によって動 物に関する知識及び動物愛護の情を啓発し,旅行によっ て海山などの自然現象に関する知識を与える.これは,
大人社会が子どもに期待する知・徳を示したものである.
ポイント把握に重点を置くこの様な物語理解の方法には,
物語を聞く楽しさを子ともが味わうことを配慮する視点 はみられない.
このように物語の内容とポイントを結びっけ,子ども たちに理解させる方法は,保育者にとっては子どもたち に知識を教示するための工夫であったかもしれない.し たがって,それらのポイントを保育者が伝えやすく,ま た,子どもが理解しやすい話が教育的価値の高い話とい う評価を得ていたのであろう.その最たる話が,「談話」
の教育的価値を説明する際に,必ず例に出された「桃太
郎」であった.
幼稚園教育における〈お話〉の位置づけに関する研究(その2)
4.教育的配慮の行方一子ども向け桃太郎話の変容 1)教科書・児童向け読み物に見る桃太郎話
桃太郎の話は,知らない者がいないほど有名で,地方 によって多少の違いはあっても,その大筋は同一である といえよう.野村純一(1998)は,現在私たちが知る桃 太郎話や桃太郎像は人物造形が平板であり,それは文字 の普及と共に急速に受け入れられてきた「優等生である 桃太郎像」に起因するという26).
今日私たちの知る桃太郎話の筋を,『日本昔話事典』
(弘文堂)を参考に確認しておこう28).この話は,①婆 が川で桃を拾う,②桃から男の子が誕生する,③成長
した主人公は鬼ケ島に鬼退治に出かける,④道中であっ た犬・猿・雑を家来にする,⑤鬼ヶ島の鬼を退治して 宝物(姫)を持ち帰る,という筋から成り立っている.
わらべものがたり
ところが,童話としての桃太郎のあらすじが書かれて いる滝沢馬琴の『燕石襟志』27)には,桃太郎の出生にっ いて,桃の中から生まれたという『果生型』と,桃を食 べた老夫婦が若返り妊娠し桃太郎を生んだという『回春 型』が書かれている.江戸期の文献では,『回春型』が 先行している傾向があるが,明治に近づくに従って『果 生型』に移行する.また,『燕石襟志』では桃太郎が鬼 ケ島に行くのは,人々に悪いことをする鬼を征伐するた めではなく,「鬼が島赴きて宝を得ん為」というように 宝物がほしいからと書かれている.『桃太郎像の変容』
(1981)を著した滑川道夫は,『回春型』から『果生型』
への移行は,子どもたちから好かれた桃太郎の話を子ど も向きに語り改めた過程であると分析する.
昔話は,特定の作者がなく,民衆が口伝えに語ってき たものである.子ども向け,殊に幼児や児童の教育のた めに文字化された昔話にはどのような特徴が見られるの だろうか. 、
この桃太郎話が小学校の教科書に載るようになったの は,明治20年に刊行された『尋常小学読本』(巻之一)
が初あてである.ところが国定教科書第3期(大正7年)
と比較してみると,鬼ケ島へ行く動機が『尋常小学読本』
とは異なることに気づく.『尋常小学読本』(明治20年)
では,
桃太郎は,
に っよく に 向うて,
だんだん大きく なりて, まこと なりました.ある 日, ちぢ ばば 「私 は, 鬼がしま へ,たから
物を取り に 行きたい」 と いひま し
た.
となっている30).ところが,国定教科書第3期(大正7 年)では,
モモタラウ ハ ダンダン オホキクナツテ, タ イソウ ツヨク ナリマシタ.
「モモタラウ サン,モモタラウ サン, アナタ
ハドチラヘオイデニナリマスカ.」
「オニガシマ ヘ オニセイバッ ニ」
と,書かれている29).桃太郎が鬼ケ島に行く理由を爺 婆に話す場面はなく,道中であった犬との会話で鬼征伐 の為ということが明らかにされている.これ以降の教科 書には鬼の宝物を取りにいったとは書かれていない.こ れは,伝承説話を子どもの読み物として文字化する過程 で,教育的配慮を行った顕著な例であるといえよう.っ まり,教科書に昔話を載せるようになったのはいえ,口 頭伝承をそのまま文字化して教育に使うことは出来なかっ た.民間で伝承されている昔話は,教育的視点に欠ける 子どもの玩弄物の類であるという見方は依然強かったの である.
では明治20年代半ばから,精力的に昔話の再話を手 掛けた巌谷小波の『日本昔噺 桃太郎』には鬼ケ島行き の動機がどう書かれているのだろう.
『日本昔噺』巌谷小波明治27年博文館30)
仔細を申さねば御不審は御道理.元来此日本の東北 の方,海原遙かに隔てた処に,鬼の住む嶋が御座り ます.其鬼心邪にして,我皇神の皇化には従わず,
あだ
却って此葦原の国に憲を為し,蒼生を取り喰ひ,宝 物を奪ひ取る,世にも憎き奴に御座りますれば,私 只今より出陣し,彼奴を一挫にして取て抑へ貯え 置ける宝の数々,残らず奪取て立ち帰る所存.何卒 此儀御聞届けを,偏へにお願ひ申します.
小波の桃太郎は,神の教えに従わず人々の穀物を荒ら し宝を奪う憎い鬼を退治するために,鬼ケ島に出陣する のである.〈善〉なる桃太郎に対し,〈悪〉としての鬼の 存在がはっきりと描かれている.
樋口勘次郎は伝承説話が教育に使えることは認あっっ
も,そのままでは教育に取り入れられないので,教育的 な立場からの改作・再話を実践し,「修身童話」とよん で学校教育に取り入れようとした.小波の『日本昔噺 桃太郎』が刊行された4年後に,樋口勘次郎が〈修身童 話シリーズ〉の第1巻として『修身童話 桃太郎』(明 治31年1898)を刊行した.樋口は,表音仮名遣いでな ければ,子どもの教材にならないとして,〈修身童話シ リーズ〉を言文一致体,発音通りのひらがな表記,わか ちがきで書いた.そこには,鬼ケ島行きの部分が次のよ うに書かれている31).
『修身童話 桃太郎』 樋口勘次郎 明治31年 開発社 このごろ がッこお の にわ に あそんで い て, せんせい の おはなし を ききましたら,
にほん の にし の ほお に,おに の すむ しま が あッて,そこ の おに が,ときどき うみ を わたッてきて,ひと を くッたり,た からもの を とッたり して,らんぼお を は
し教育することが主であった.鳥越信(1983)がいうよ うに,桃太郎話は「皇国の子」としての理想像であっ
34)
.その理想像の例ともいえる桃太郎話が,日露戦 た 争が起こった明治37(1904)年,「婦人と子ども』の
「子ども」欄に「新鬼が島征伐」として載っている.
桃太郎の末商の老夫婦が拾った桃から「大日本帝国万 歳」と叫びながら桃太郎が跳びだしてくる.手に国旗と 軍艦旗を高くさしあげた桃太郎は,自ら「明治桃太郎」
と名乗り,生まれた晩の夕飯時に,「先祖の桃太郎はお 話の通り,鬼が島を征伐する為に出て来ましたが,実は 僕も,其為に出て来ました」と言う.
桃「……あの時征伐した鬼どもは一旦降参しましたが,
此頃,彼等の子孫の鬼どもが,新鬼が島に居ってま たまた悪戯を始めて,人民を困らせたり,他人の国 を略取って占領しようとして居ります.ですから,
僕は,も一度彼等を征伐しようと思つて出かけて来
たらきます にち も さま も,
から,その へん の もの わ,一 あんしん して わ をられず,てんし ことのほか ごりッぷくで 「だれ か おにがしま せいばっ に ゆく も の わ な い か」.と,おさがし に なッて も, だれ も こわがッて ゆこお と いう もの が あ りません ので,たいそお ごしんぱい なさッて おいでなさる と いう こと です から, わ たし が いちばん せいばっ して,てんしさま
たのです.」
翁「なる程,夫は豪い,然し,そう聞くと,新鬼が島 といふのは,余程大きなもので,又昔話の時と違っ て,世の中も進歩しているから,武器なぞも,大層 文明の利器を応用して居るだらうで,中々ちょいと では,征伐が出来まいの」
桃「ハイ,夫は鬼の方も,中々発達して居まして,先 祖の時は,海軍などはなかったですが,今では,陸 軍と共に海軍もよほど整備して,軍艦にも一万五千 頓といふ戦闘艦や,夫に巡洋艦,駆逐艦水雷艇な に ちうぎ を っくし たい と おもいます.
みおしえ
小波の再話では,天皇の「皇化」に従わず宝物などを 奪い取っていく鬼を退治して,宝を残らず取り返すため に鬼征伐にいく.
樋口の場合,桃太郎が学校へ行っているという設定に,
先ず驚かされる.学校で先生から話を聞いた桃太郎は,
天子様に忠義を尽くそうとして鬼ケ島に行くことを決心 する.ここでは宝物を取ることが目的ではなく,天子様 への忠義が一番の目的になっている.
2)幼児向けの桃太郎話
保育における桃太郎話の目的は,勤勉,父母への恩,
義勇,奉公,自治独立心,忠義,立身出世,忠義等のよ うな,当時の社会における望ましい人間像を子どもに示
ど随分備はって居ます.尚,近頃,又潜航水雷艇と いって,水中を潜って来て敵艦を攻撃するものも出 来たといふ事です.陸軍も,随分鬼数が揃っていて,
其陣屋は,鉄条網だの,地雷火だの錘壕だので,い ろいろ防備をしている相です,併しそんなものは,
何でもなからうと思います,今にすっかり降参させ て御覧にいれます.」32)
この様な豪い話をする赤ん坊は「全く神様が人間の形 になって降来してきたのだ」と思った老夫婦は,大事に 桃太郎を育てる.月日が経ち,鬼たちが桃太郎の住む村 を侵略しようとしていることをを知った桃太郎は,日頃 一緒に「遊んだり,又は戦争の稽古」をしている犬,猿,
維とその春属を引き連れ,鬼が島征伐に出かける.桃太
郎たちに攻め込まれた敵は応戦するが,とうとう降参し,
幼稚園教育における〈お話〉の位置づけに関する研究(その2)
今までの罪を謝罪し,武器弾薬を桃太郎に献上し,賞金 百億円を納めるという条約を結ぶ.凱旋した桃太郎に,
天子様が「金鶏勲章功一級」を下さり,老夫婦に孝行を 尽くした.
このような話の設定は,まさにその時代の社会状況を 映し出している.明治30年代後半の子どもにとって,戦 争に関連する物事は,日常生活の話題に盛り込まれたも のであった.その頃は,日清・日露戦争を経て,「戦ごっ こ」や「征清幻灯双六」など,戦争を題材にしたものが 子どもの遊びに取り込まれていったという33).
次に当時,幼児教育の「談話」テキスト・理論書とし て出版された『幼児教育談話材料』,『お伽噺仕方の理論 と実際』を見てみよう.
『幼児教育談話材料』 明治40年 フレーベル館34)
其辺の大人も子供も桃太郎さんのようなきっい子は 見た事がないと,皆で言って居ります.それで,お ちいさんとおばあさんも珍しいっよい子だと,大喜 で一生懸命,大事に世話をして居ました.
ある日の事,桃太郎はおちいさんとおばあさんの前 に来てチャンとすわりまして申しますには 「おちいさんとおばあさんに御願ひがございます」
「どんな事かね御話してごらん」
「ハイ,外でもございませんが此頃鬼が島に悪い鬼 が沢山住まって居て時々方々へ出かけてはいろいろ の宝物を盗んだり,いろいろいたづらをして人を困 らせたりするそうで,方々の人が一層難儀をして居 るといふ事です.それで私は其鬼が島へ行って鬼共 を責めて叱って殺してしまいたいと思ひますから,
どうかしばらくおひまがいただきたうございます.
骨を上から下す)もって,こつんこっんとぶって居 ます.桃太郎は大層怒って,家に駈けて帰りました.
ママ
桃「お爺さん,鬼がね,赤坊をぢめたり,おばさんを 蹴ったりするから,鬼と戦争をしにゆくの,早くお 弁当をこしらえてくださいな」と云いますと,……
(中略一お爺さんとお婆さんは急いで,黍団子を作
り)。…。。
爺婆「そりゃおいしい黍団子が出来た.日本一の黍団 子だ,さあさあ負っていらっしゃい.」
桃太郎は桃の掲いた旗を首にさし,(身振右手で首 にさす状をする)大砲を引いて喜んで出かけました.
以上のように幼児・児童の教育を意識した昔話は,子 ども向けという配慮ゆえに幼い子どもにも理解できるよ うな言葉と語り口で再話されるようになったことがわか る.岸辺の桃太郎にいたっては,まるで幼児が戦争ごっ こをしているよううである.しかしながら,幼児向けの 物語といえども当時の国策,社会の気運を背景に再話さ れ,その時代の価値観を背負わされる運命を免れなかっ たことが,これらの再話から読み取れる.
ところで,明治6年生まれの父万徳から聞かされた昔 話を継承している語り手である白幡ミヨシ(明治43年農 家に生まれた)の伝える桃太郎は,次のようにして世間 に出ていく.
サア男の童子だからって一生懸命アヅカッタ(育て た)れば大きくなったんだって.したば,その桃太 郎が「オレも一人前になったから,オレも何か稼ぐ から,オレさ黍団子椿えて呉れや」っていうたんだ
って36).