母語でない言語で書くということ
グカ, ハン
作家
辻野,裕紀
九州大学大学院言語文化研究院 : 准教授
http://hdl.handle.net/2324/4486294
出版情報:「東アジアにおける人の国際的移動:日韓の交流と共生、および多様性の追求」報告書, pp.42-51, 2021-08. 九州大学韓国研究センター
バージョン:
権利関係:
グカ・ハン氏 講演会
第Ⅰ部 グカ・ハン氏講演
「母語でない言語で書くということ:言語の重さと速度、そして距離」
辻野:
みなさん、こんばんは。本日は、グカ・ハン 氏講演会「母語でない言語で書くということ」
にご参加くださいまして、ありがとうございま す。九州大学の辻野裕紀(つじの・ゆうき)と 申します。
グカ・ハンさんはみなさまもご存じの通り、
韓国語を母語とする新進気鋭のフランス語表現 作家で、今年1月に、Le jour où le désert est en-
tré dans la villeという短編集でデビューされま
した。8月には、リトルモアさんからその日本 語訳『砂漠が街に入りこんだ日』(原正人訳)が 刊行され、日本の読書人の間でも注目されてい ます。今日は、グカ・ハンさんがご出演される 日本で初めてのイベントで、また、作家として 母語の韓国語で公に話されるのも今日が初めて だと伺っています。ということで、私たちはい まとてもわくわくするような記念碑的な出来事 に立ち会っています。どうか最後までお付き合 いいただければと存じます。構成としましては、
まず、グカ・ハンさんにご講演をしていただき、
その後、私との対談という形で進めてまいりま す。
それでは、さっそく講演のほう、よろしくお 願いします。
ハン:
こんばんは。本日はみなさまにお会いできて 嬉しいです。
まず、講演に先立ち、私の名前について申し 上げたく存じます。私の名前はハン・グカ(한 국화)です。大半の韓国人の姓名と同じく、姓 は父のそれを受け継ぎ、下の名前は2音節から 成っています。グカという音1)は韓国語で「菊 の花」を意味します。葬儀場で弔問の際によく 用いられる、死と関連する花でもあり、秋を代 表する花でもあります。しかし、私の名前の漢 字は、「菊花」ではなく、「国花」であり2)、「国
の花」というやや「野心」に満ちた意味の名前 です。平凡な名前の両親が、子どもには特別な 名前をつけてあげたいと悩んだ末、選んだもの だそうです。しかし、私は、幼い頃からあまり にも女性的に響くこの名前が好きではありませ んでした。新学期になると、先生たちは名簿に 記された私の名前を呼び、名前について何か一 言付け加えました。その多くは、「きれいな名前」
などといった褒めことばであるにもかかわらず、
私は自分の名前に付されるその「注釈」が嫌で した。珍しい名前で覚えやすいということもあ り、授業中よく先生に当てられたりもしました。
渡仏後、私と私の名前の関係は大きく変わり ました。フランスには、私の名前に意味がある ということ、そしてその意味が花に関連する女 性的なものであるということを知る人はいませ ん。私の名前はただ発音しにくいだけの、いか なるイメージも呼び起こさない外国の名前にす ぎません。フランスに渡るや、名前の意味は消え、
その「殻」だけが残ったのです。私が自分の名 前を軽やかに感じるようになったのは、そのと きからだったかもしれません。韓国において私 の名前は、私自身のほか、花や女性、あるいは 各々の音節が含まれる他の語のイメージを喚起 し、さらには、親の趣向までをも推し量ること が可能です。しかし、フランスにおいて私の名 前は、私以外のいかなるものにも繋がっていな いように感じられました。名前が有するイメー ジとその連鎖から逃れ、「私」という存在の本質 により近づいたように感じたのです。
名前に関するこのエピソードは、今日私がお 話をしようとしている「母語でない言語で書く ということ」についての完璧な比喩にはなって いないと思います。しかし、名前もアイデンティ ティも変わっていないのに、ただ国と言語が変 わっただけで「軽くなったような感じ」を得た ことは私にとって不思議な経験でした。
1) 韓国語での正確な発音では [kukkhwa] である。フランスではGukaと自称し、日本語でも様々な媒体で「グカ」と表記さ れている。(辻野註)
2) 朝鮮漢字音では「菊」も「国」も同音。いずれも [kuk] である。(辻野註)
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2013 年の春、フランスへと渡りました。それ まで私は、フランスという国に足を踏み入れた ことは一度もありませんでした。フランス語に ついても、渡仏前に慌ててアリアンスフランセー ズの基礎クラスを2か月間受講しただけでした。
では、なぜ私はフランスに行くことにしたので しょうか。正直に申し上げますと、フランスに 行きたいというよりも、むしろ韓国を離れるこ とがよりはっきりとした目的でした。当時、私 は大学を卒業したばかりの 20 代の女性で、就 職をするか、学業を続けるか、それとも結婚を するか、などの選択肢から何かを選ばなければ ならない時期に突き当たっていました。しかし、
私の眼前に提示された選択肢の中に、私が「呼吸」
できるような場所はひとつもないように感じら れました。
私は、韓国で戦争を経験したことも、政治的 な脅威に晒されたこともなく、経済的にも困難 な状況ではありませんでした。しかし、韓国で 私が過ごした時間を振り返ってみると、「生(き る)」という語ではなく、「生存」という語が思 い浮かびます。戦争や貧困で苦しんでいる人々 がこの世界にはいるので、私がこのように言う のは申し訳ない気もしますが、人間を苦しめる ものは戦争や貧困だけではないように思います。
韓国は、全世界の中でも自殺率の高い国で、こ こ数年間の 10 代、20 代、30 代の死因第一位も やはり自殺です。私は社会学者ではないので、
こうした現象についての正確な診断や解釈をす ることはできませんが、韓国で過ごした 20 余年 の間、「ここに私の居場所はない」と感じたこと は数知れません。そのせいか、私の作品に登場 する人物たちも、生存という語と無関係ではあ りません。明確に説明されてはいないのですが、
彼らはなぜか自らに対して敵対的な世界に生き ています。その世界では、見えない砂漠からの 砂嵐に吹かれたり、暑さで息苦しくなったり、
また、四方八方が雪に覆われていて自分がいっ たいどこにいるのか分からなくなったりもしま す。そこは「ルオエス」の「高層ビルの厚い窓 ガラス」のように固く閉ざされ、それ自体が堅 固に見えるので、主人公たちはそこに居場所を 見出せず、ひたすらその周辺や外部を彷徨うこ としかできません。
私は、この本をパリ第8大学修士課程文芸創 作学科の在学中に書きました。それ以前も、私 にとって文章を書くという行為はかけがえのな いものでした。私は同年代の子どもたちよりも
早く文字を覚え、5~6歳の頃(日本の年齢で は4~5歳の頃)から毎日日記や手紙を書いて いました。しかし、こうしたプライベートな文 章ではなく、文学としての文章―もちろん日 記や書信も文学になり得ますが―を書くこと になるとは、かつては思ってもみませんでした。
いまその理由を考えてみると、それは韓国語の
「重さ」が原因だったように思います。韓国語の 重さとは、言語の重さのみならず、韓国社会と 関わっていることで双肩にのしかかる重圧です。
それはおそらく、韓国で過ごしていた頃の人生 が、自らの「選択」ではなく、「義務」に傾いて いたからだと思います。学校生活、すなわち集 団生活。早起きして一日中机の前に座っていな ければならない生活。未来のために今を犠牲に しなければならない生活。他人と競わなければ ならない生活。そして、終わりの見えない重い 生活。そのせいか、私にとっての韓国語は、記憶、
自己検閲、劣等感、あるいは知人たちに与えて しまうかもしれない傷などへと繋がり、たとえ それがフィクションであっても、私の物語を書 くには不自由な空間となってしまいました。い つか韓国語を、私の物語を語る言語として、抱 きしめられる日が来るのでしょうか。
小説はフランス語で書きはしましたが、登場 人物とその背景はどこかフランスよりも韓国に 似ています。妙なことではありますが、当然の ことのようにも感じられます。これは考えてみ るに、比較的不慣れな言語であるフランス語で、
自分が生活し、そして離れた場所を再度、ある いは異なる視点で眺めてみたかったからなのか もしれません。この物語を韓国語で書くには、
「私」という存在がその物語世界にあまりにも密 接にきつく結びつきすぎていたのです。韓国語 よりも「私」という存在が希薄な、中立的な言 語であるフランス語でそれらと向き合いたいと 思いました。私にとってフランス語は、韓国語 ほど経験も知識も十分ではない言語であり、そ のぶん遠くに感じられました。そして、まさに その距離が私には必要でした。
今回の小説は一編の短編を除けば、すべて一 人称の話者で叙述されています。しかし、「私」
という存在は不在です。形式的には存在します が、この「私」というのが誰なのかが一向に不 明だとでもいいましょうか。
韓国語とフランス語では、一人称の使用法が 大きく異なります。ご存じの方もいらっしゃると 思いますが、韓国語においては、主語がよく省略
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されます。特に一人称の主語は他の主語よりも頻 繁に省略されるのですが、「私」という人称代名 詞が濫用されると、どこか利己的で重苦しく聞こ えてしまいます。私が今でもはっきりと覚えてい るエピソードがあります。韓国では小学校低学年 の児童に日記の宿題が出されるのですが、私が初 めて書いた日記に当時の先生がコメントを返し てくださいました。私の書いた日記の冒頭は「今 日私は」でしたが、日記をその日に書くことと、
主体が「私」であることは当たり前なのだから、
「今日」と「私は」ということばはわざわざ書く 必要がないという内容でした。それは私にとって 非常に衝撃的でした。日記帳に綴られた他のどの 内容よりも「真理」のように感じられるこの「今 日」と「私」という2つの要素を省略しなけれ ばならないとおっしゃるのです。そのときから、
私は不在の単語から存在を想像するようになり ました。一方で、フランス語は韓国語と異なり、
文を構成する際に、主語を省略することがほとん どできません。話者が誰なのか明らかな状況にお いても、主語は必ずその存在を顕にし、反復され、
強調されます。
前述の通り、今回の小説は一編を除き、すべ てが一人称の話者で書かれていますが、je「私」
という人称代名詞が重要な役割を担っています。
しかし、どういうわけか、このjeのアイデンティ ティは非常に希薄です。自分の身体を十全に認 識できないように、登場人物の性別も、年齢も、
身体的な特徴も分かりません。jeという主語が ほとんど濫発的に「存在」するのに、しかし「不 在」であるという、逆説的な関係が作品の中に 存在します。これは、ふたつの言語のあいだに 生きる者として私が持つ特異な関係でもあるの ではないかと思います。
本を出版した後、最も多く受けた質問は、私 とフランス語との関係についてでした。この質 問を受けるたびに、その返答に窮していました が、それは私とフランス語との関係が常に変化 しているからです。私が渡仏した 2013 年、この 小説の草案を書いていた 2015 年から 2017 年、
それが出版された 2020 年初め、そして 2020 年 末の現在、さらには今日の午前と午後とでも、
その関係は常時変わってきているように思いま す。例えば、先ほど申し上げたフランス語と私 のあいだの遠い距離は、私がフランス語を使う 期間が長くなれば長くなるほど縮まっていくは ずです。私にとって「経験」と「記憶」が不在
の、より抽象的な言語だったフランス語は不可 避的な形で、次第に「経験」と「記憶」とで満 たされていくのでしょう。不慣れだったからこ そ見えていたものが、慣れていくことで見えな くなることもあろうと思います。ぎこちなさ故 に、躊躇い、調べ、反芻していた「遅かった言語」
が徐々に速度を帯びるようになっていく、そう した変化の中で、今後どのような文章が書ける のか、私自身もたいへん気になるところです。
そして、こうした変化はフランス語のみならず、
母語たる韓国語、また、フランス語を学ぶ前に 学んだ外国語の中では最も得意だった英語にも 現れるのでしょう。
これまで私にとって韓国語は最も実用的な言 語でした。母語であるが故に、特段疑念を抱く こともなく、私の意識が形作られていく中で受 け入れた言語であり、語源や正確な意味が分か らずとも使える言語でした。思考の速度につい ていける、時には思考の速度を追い越すことも ある韓国語は、私にとって「速い言語」でした。
しかしながら、フランス語を習得し、それを用 いる過程で浮かんできた疑問などを明らかにす るために、比較群としての韓国語に回帰し、韓 国語の単語の語源や正確な意味、そして、なぜ これこれの表現が生じたのか、などについて、
立ち止まって自問する頻度が増えました。とり わけ、翻訳をする際には、フランス語の辞書と 同じぐらい、韓国語の辞書もよく引くのですが、
母語であるにもかかわらず、韓国語がなじみの ない難しい言語のように感じてしまうことさえ あります。かかる経験を通して、私と母語との 関係が変わっていったのです。
考えてみると、私はフランス語と韓国語のあ いだで様々な経験をしてきました。韓国語を聞 き、読み、話しながら育ち、フランス語で初め て本を出し、フランス文学を韓国語に翻訳し、
また韓国文学をフランス語に翻訳したりもしま した。これらの経験はおのおの大きく異なりつ つも、私のアイデンティティを形成していく過 程としてとても大切なものだったように感じて います。そして、こうした経験をすればするほど、
言語とは「手段」ではなく、それ自体であると 深く考えるようになりました。「文学」がそうで あるように。
ご清聴ありがとうございました。
(辻野裕紀・金兌妍 訳)
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辻野:
それでは、第Ⅱ部を始めたいと思います。第
Ⅱ部は、グカ・ハンさんと私との対談です。
まず、グカ・ハンさんの来歴について、視聴 者のみなさんを代表して伺いたいと思います。
インターネットで日本語や韓国語のサイトを検 索してみますと、グカ・ハンさんの情報は、本 の書評や感想などはヒットしても、グカ・ハン さんご自身に関する内容はほとんど見当たりま せん。その意味でグカ・ハンさんは「ヴェール に包まれた作家」と言ってもいいのではないか と思います。フランス語でのインタビューを聴 きますと、グカ・ハンさんは、もともとは韓国 の南原(ナムウォン)という地域のご出身だそ うですね。南原は『春香伝』という、朝鮮時代 の説話の舞台としても有名な田舎町で、ソウル のような大都会に比べると、静かな場所だとも 思いますが、そこでどのような幼少時代を過ご されたのでしょうか。また、子どもの頃の記憶 として印象に残っていることがあれば教えてく ださい。
ハン:
幼い頃を振り返ってみると、私は非常に早熟 な子どもだったように思います。両親が共働き だったため、祖母に育てられたんですが、ひと りで過ごす時間が多かったです。両親は、芸術 とか文学関連の仕事をしていたわけではありま せんが、共働きであまりかまってやれていない という思いがあったのでしょうか、幼い頃から 私に本をたくさん買ってくれました。ですので、
家にはいつも本が溢れていて、同年代の子ども たちよりも早く文字を覚えることができました。
言ってみれば、「本に囲まれた環境で育てられた 子ども」でした。
辻野:
グカ・ハンさんは、フランスに行かれる前 は、ソウルの大学院で造形芸術を勉強していらっ しゃったと伺いました。現在は、造形芸術と対 立するミューズ的芸術の文学の世界に深く身を 浸しておられるわけですが、造形芸術を専攻し たことが、今の執筆活動にどのように影響して いますでしょうか。
ハン:
私は造形芸術を学びながら、小学校や中学校、
高校の勉強では味わえなかった快感を覚えまし た。韓国の教育システムの中で―現在はずい ぶん変わったかもしれませんが―暗記中心の 詰め込み教育を受けたので、国語や英語といっ た言語科目であっても必ず答えがあり、その答 えを見つけ出さねばならないような勉強をして きました。ですので、造形芸術科に入ってからは、
そうした学びへの考え方そのものを根本から変 えなければならず、そのことが私にとっては大 きな衝撃でもあり、また、わくわくする経験と しても思い出されます。
造形芸術と文学は、共通点よりも相違点のほ うが多いと思います。なぜならば、文学には、
言語という媒体が確たるものとして存在してい るわけですけれども、造形芸術は、「境界」が より自由とでも言えばいいのでしょうか。この 点において、造形芸術と文学には、共通点より も差異のほうが多いように感じられます。影響 を受けた部分については、やはり、境界なしに 物を考えるという、造形芸術の思考方法ではな いかと思います。現代美術の世界では、絶えず 何がしかの境界を広げ、境界を壊し、また時に 作家自身が消えたりもしてきたわけですが、そ うした現代美術の歴史のありようを見ることで、
私の思考のスペクトラムが広がったような気が しています。
辻野:
「母語でない言語で書くということ」という のが今日のトークのタイトルですが、グカ・ハ ンさんも好きな作家として挙げておられる多和 田葉子さんが『エクソフォニー』(岩波書店)と いう本の中で、「外国語で創作するうえで難しい のは、言葉そのものよりも、偏見と戦うことだ ろう」「日本語で芸術表現している人間に対して、
「日本語がとてもお上手ですね」などと言うのは、
ゴッホに向かって「ひまわりの描き方がとても お上手ですね」と言うようなものでとても変な のだが、まじめな顔をしてそういうことを言う 人が結構いる。創作者が外国人だと、急に、「上手」
「下手」という基準で見てしまうらしい」と書か れています。リービ英雄さんは「日本語の所有
第Ⅱ部 対談:グカ・ハン×辻野裕紀
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権」という用語を使ったりもしておられますが、
私は、こうした偏見を〈母語話者信仰〉と呼ん で、論文などでも批判してきました。グカ・ハ ンさんも、フランス語で小説を書くときに、非 母語話者であるが故の偏見や疎外感を感じたり、
不快な思いをしたりしたこともきっとおありな のではないかと想像します。
ハン:
先生のおっしゃる通りです。フランス語で本 を出したとき、周囲の最初の反応としては「フ ランス語がお上手ですね」というのがやはり多 かったです。ただ、書評を読んでみたり、イン タビューなどでいろいろな方々にお会いしてみ たりしたときに私が感じ取ったのは、疎外感よ りはむしろ、他の言語を母語とする者が大人に なって学んだフランス語で小説を書いたという ことに対する彼らの興味や好奇心だったように 思います。しかし、おっしゃる通り、本を構成 するものは、言語がすべてではありません。作 品に現れる世界観や登場人物の認識世界など、
あらゆるものが現出するのが文学というものな のですが、私の本を批評する方々は、やはり言 語的な側面に重点を置いて質問やコメントをな さることが多かったのは事実です。
ところで、私が感じたより大きな偏見は、私 が外国語で小説を書いたということに対してと いうよりも、短編小説を書いたということに対 してでした。フランスでは短編はあまり読まれ ていないので、きちんとした文学として扱って もらえていないという印象を受けました。『砂漠 が街に入りこんだ日』は、私が修士課程在学中 に書いたもので、教授たちも関心を示してはく れたものの、フランスの出版社の編集者から言 われたのが、「あなたの作品は非常に興味深いけ れども、短編を初めての本として出すのは、作 家としての人生にとって、障害になるかもしれ ない」ということだったんですね。フランスで は 9 月に小説が多く刊行され―これをrentrée
littéraireと呼びますが―そこで新しく出た作
品が注目されたりするのですが、そういう場で も短編は排除されてしまうことがあるようです。
辻野:
私の恩師で、フランス語で小説を書いておら れる、水林章という作家がいます。水林先生は、
Une langue venue d’ailleurs(他処から来た言語)
というフランス語で書かれた著作の中で、言語 とはune question d’amour(愛の問題)とおっ しゃっていて、また、passion(情熱)という語
も頻見されます。母語でないイタリア語で執筆 をしているジュンパ・ラヒリも、イタリア語へ の感情を恋愛のアナロジーで語っています。こ のように、いわゆる越境作家たちは自身が選び 取った言語に対して、「愛」ということばを使っ たりすることもありますが、グカ・ハンさんの フランス語への態度は、どことなくクールな印 象があって、愛や情熱といった語で語り得るも のとは径庭を感じます。私は言語の習得には、
母語であれ非母語であれ、ある種の愛が必要だ と考えているのですが、グカ・ハンさんはフラ ンス語に対してどのような感情を抱いているの でしょうか。
ハン:
先生のおっしゃる通り、私がフランス語に対 して抱いている感情は、やはり愛ではないと思 います。もしも愛であれば、「愛憎」ということ ばがあるように、そのすぐそばに「憎悪」とい うものが対になって存在すべきなのですが、そ れがないので、愛ではないような気がします。
確かにフランス語が美しいと言う人は多いです が、私はそういったフランス語の美という言語 的幻想からフランス語を学んだわけではありま せん。私にとって、フランス語は生存のための 言語、つまり新たなる土地で生き抜くために早 く習得しなければならない言語でした。ジュン パ・ラヒリなどの言語への愛もきっとそれほど 単純なものではないでしょうが、正直に言って、
私はフランス語に恋をしたり、フランス語が美 しく聞こえたり、といったことはあまりなかっ たように思います。私がフランス語を選んだ理 由は、実は、私がフランスに一度も来たことが なかったのに来ることができた理由ともどこか 相通するところがあるような気がします。つま り、フランスが韓国を植民地化したなどといっ た過去はありませんが、文化的な面で私はフラ ンスに多く触れてきました。韓国の大学に通っ ていたときに、私は一時期、映画のサークルに 入っていたことがあるのですが、そのときに友 人たちと一緒に、ゴダール、トリュフォー、ヴァ ルダなどのヌーヴェルヴァーグ時代のフランス の監督たちの映画を印象深く見て、また五月革 命にも感銘を受けました。ですので、私にとっ てフランスは進歩的な国で、その文化的な影響 を強く受けてきたように思います。お答えになっ ているでしょうか。フランス語という言語に対 しては、やや両価的な感情を抱いています。
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辻野:
ありがとうございます。次に、第Ⅰ部でされ た講演についてのコメントも私のほうからしな ければなりません。
まず、名前のお話、興味深く伺いました。私は、
韓国の大学で教えていたことがあって、私の下 の名前が「ゆうき」なんですが、韓国語の外来 語表記法では、長母音を表記しないので、ハン グルで書くと「유키(ゆき)」になってしまいます。
日本語で「ゆき」は普通、女性の名前として使 われます。そして、韓国の方々に日本語の語感 があるのか分からないのですが、韓国の人たち も「ゆき」というとなぜか女性的なイメージが あるらしく、女性の先生だと思ったとよく言わ れました。それだけ、日本語と韓国語は距離が 近くて、もしかすると漠然と音象徴、音に対す るイメージを共有しているのかもしれません。
一方、フランスまで行くと、국화[kukkhwa] とい う音が蔵する、女性的で美しい、きれい、とい う語感が喪失するというのは興味深い事実です。
言ってみれば、국화という名前が有する音のイ メージがフランスでは共有されないというのは、
意味が後景化して、音のみが前景化するという ことです。母語でない言語を習得するというこ とは、反対に音が持つ純粋な審美性が喪失して、
意味が前景化するプロセスなのですが、グカ・
ハンさんの名前の話は、そうした言語習得のプ ロセスとも重なるところがあって、面白いと思 いました。
こうしたグカ・ハンさんのフランスでの経験 と、私の韓国での経験は、韓国語とフランス語、
韓国語と日本語のそれぞれの距離の遠邇を表す 象徴的なエピソードのように思います。『砂漠が 街に入りこんだ日』の日本語訳には、そのまま 韓国語に直訳してもよさそうな部分がたくさん あるのですが、それだけ日本語と韓国語が近い ということです。グカ・ハンさんが私に送って くださったフランス語の原書と、原さんの日本 語訳を部分的に比べてみたりもしましたが、韓 国語が透けて見えるようなところもあって、日 本語、フランス語、潜在する韓国語の三重奏を 味わうという、非常に貴重な読書体験をしまし た。そして、ルオエスというソウルの変奏曲を、
韓国語ではなく、フランス語で書くことによっ て、描かれる世界と、語られる言語の乖離を意 図的に作り出し、舞台をより韓国から遠ざける 効果を齎しているように思います。そのことが、
どこにもないトポスを誕生させ、同時に幻想性
や、現実と非現実のあわいをたゆたう夢のよう な世界観―私はこれを〈いつか見た夢〉と表 現したいと思いますが―そうした独特な佇ま いを醸し出しています。ところが、それが日本 語に移植されるや、微妙ではあるのですが、ル オエスがどことなく韓国社会の姿に似てくる感 じがするのです。例えば、日本でも日曜日のお 昼にのど自慢の番組があるのですが、「家出」
という作品に出てくるl’heure de diffusion d’un concours de chant hebdomadaireが「 週 に 一 度 放送されるのど自慢コンテストの時間」と翻訳 されると、どうしても韓国のKBSの番組が脳裏 に泛びます。つまり、フランス語で読むか、日 本語で読むか、また、韓国のことをよく知って いるか、知らないかによって、作品の印象も変 容すると思うのですが、フランスに住む韓国の 方々や、韓国のことを知らないフランス人の読 後感、反応の違いなどがあれば、教えていただ きたいと思います。
ハン:
まず、私の作品を読んだ韓国人がどれほどい るのか正直わかりません。フランス語が読める 韓国人の友人たちに本を送ったりもしましたが、
多くはありません。また、そういった友人たち からの真面目な反応はありませんでした。です ので、韓国人がどのようにこの本を読んだのか 気にはなるんですけれども、今のところ、今の 問いに対する答えになるような適当なフィード バックは受けていません。
フランスの一般的な読者は、ルオエスや本書 に描かれている世界を、実在するものではなく、
SF的な世界、仮想現実のような世界、夢に出て きそうな世界などといった、やや幻想的なもの として捉えているようでした。一方で、韓国の ことをよく知るフランスの読者の中には、現実 的な世界、例えば、ソウルや東京、香港など、
アジアの主要都市を連想させる、実在しうる世 界の作品として読んだという人もいました。
そして、先ほど、辻野先生が例として挙げて くださった日曜日ののど自慢大会などの場面は、
私の幼い頃のことを思い出しながら書いたシー ンです。のど自慢以外にも、「家出」の中に出て くるアニメは「날아라 슈퍼보드(飛べ スーパー ボード)」という漫画、そして、お父さんが見な がらうたた寝をするのは「진품명품(珍品名品)」
という番組で、そうしたテレビ番組のことを考 えながら書きました。フランスの読者のことを 特に強く念頭に置いて書いたわけではないので
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すが、韓国の平凡な日曜日の場面をフランスの 読者がどのように受け取るんだろうということ は想像しながら執筆しました。
辻野:
なるほど、面白いですね。それから、一人称 代名詞のお話も興味深く拝聴しました。私は作 品を読みながら、全体的にポエジー=詩を感じ ました。詩というジャンルの特徴のひとつは、
一般抽象性や不確定性の高さにあると思うので すが、この作品は、背景や登場人物の属性が非 常に曖昧模糊としていて、不確定性が高いよう に感じられます。ある書評には、行き交う人々 の顔がマスクで覆われた 2020 年の東京にも似て いる、といったような記述があったように記憶 していますが、比喩的に言えば、レヴィナスで はありませんが、「顔」がないんですね。欠性的 であるが故に、そのぶん読者の想像力に委ねる 部分が多いのですが、そうした作品の特徴と、
人称代名詞の問題、そして、私が感取した「詩 的言語」という要素が繋がっているような気が します。
ところで、このje「私」が同じ人物なのか、
違う人物なのか、という問題があります。常識 的に考えれば、違う人間だと思いますが、著者 であるグカ・ハンさんご自身もそうですし、そ れから、登場人物もすべてが〈移動する〉人た ちで、全体を貫くキーワードのひとつが〈移動〉
であるということを考慮すれば、別人物のよう でいて、実は様々なレイヤーを自由自在に移動 する、同じ人物のアロモルフ(異形態)のよう にも見えます。また、なぜ「真珠」という作品 だけが、二人称代名詞を主語として進行するの かというのは、この小説のひとつの謎なのです が、こうした問題について、グカ・ハンさんの コメントを簡単にいただければと思います。
ハン:
まず、ひとつの作品を除いて、主語がすべ て一人称なのは、内部から外部に向かって派生 する視線で書こうとしたからです。先生がおっ しゃったように、人々は存在するのに、顔がな いように感じられる。人間は、鏡やカメラのセ ルフィーモードがないと自分の顔を見ることが できないですよね。そうした事実に忠実であろ うとしたために、顔がないように感じられるの だと思います。「ルオエス」で建物のガラスに自 身が映る場面もそうですし、「一度」でもそうで すが、ガラスに映る自分の姿というのは不透明 で、どんよりとくすんで見えるんですね。鮮明
な自己像ではない、そうした不透明さが、話者 とこの世界との関係を説明する場面になってい るのではないかと思います。そして、私がこの jeという一人称を使うことができなかった「真 珠」という唯一の短編は、他の短編と異なり、
出発点が私の内部ではなく、外部から入ってき たからです。他のインタビューでも述べたよう に、この短編はセウォル号事件の影響を強く受 けており、犠牲者の中に知り合いがいたわけで はないにもかかわらず、その惨事は私にとって 大きなトラウマになりました。ですので、特に 義務というわけではないのですが、この惨事を 書かなければならないという、内から湧き上が るある種の義務感を覚えました。それで、書こ うとしたのですが、jeという一人称で書くには 苦しいと言いますか、犠牲者のお母さんが主人 公なのですが、それを私がとてもjeで書くこと はできませんでした。そういうわけで、この短 編だけはvousという二人称話者にしたわけです が、書きながら非常につらかった記憶がありま す。
辻野:
最後に、フランス語とグカ・ハンさんの関係 について触れたいと思います。講演の中での、
フランス語には「記憶が不在」であるというお 話が興味深かったです。私の授業でよくする話 ですが、言語とは個人史の刻印であって、言語 には個々人の歴史が刻まれています。例えば、
なぜ私が日本語を話せるようになったのかとい う問題があります。それは、幼いころに、両親 や周りの人たちがたくさん日本語で話しかけて くれたからなんですね。そうした存在を、社会 学では〈重要なる他者=significant others〉と 言いますが、ことばというのは、そういう母性 的な愛を想起させるもので、かけがえのない朧 気な記憶と、愛されてきた証左が、鮮明に刻ま れています。また、私たちは、無意識のうちに 出てくる「訛り」によって、その人がどこで生 まれ育ったのかが分かりますし、良いことも悪 いことも含めて、思い出の集積がことばという ものなんですね。そうした個人史から解放され る、というのが、グカ・ハンさんのおっしゃる
「軽さ」ではないかともふと思います。言語と 個人史は相即不離の関係にあるという言語観を 持っている私にとって、「自分の人生や感情と結 び付かない、中立地帯の言語で書く」というのは、
私の言語観を根柢からゆるがす衝撃的なもので した。果たして、個人史を伴わない言語実践が 講 演 会母語でない言語で書くということ
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可能なのか、個人的体験を完全に切り離した創 作が可能なのかという疑念も生じました。勿論、
先にも触れておられたように、これから、グカ・
ハンさんとフランス語との関係、韓国語との関 係も新たなるフェーズへと漸次的に移変してい くだろうと想像します。フランス語に深く肉迫 すればするほど、フランス語も質量が増し、「重 い」言語に変質してしまうというジレンマも生 じるでしょう。非母語を学ぶという営為は、自 身と母語との関係を結び直し、母語を改鋳する ということでもある。端的に言えば、母語が異 化されるということです。母語の自明性が喪失 し、未視感(jamais-vu)が出来(しゅったい)
するエキサイティングな体験です。また、母語 と非母語を同時に螺旋的、円環的に研く営みで もあります。
そして、何よりも講演の最後の「言語とは「手 段」ではなく、それ自体である」というおことば、
非常に感銘深く拝聴しました。なぜなら、まさ にこれは私がいろいろなところで主張している 命題そのものでもあるからです。言語学でも言 語教育でも、ことばはコミュニケーションの道 具であるという思想が跋扈していますが、言語 はただの道具ではなく、人間の実存の根幹です。
グカ・ハンさんのお話を聞き、こうした考えを ともにできる心強い味方を新たに得たような気 がして、とても嬉しく思いました。
ハン:
先ほどフランス語が私の過去が存在しない中 立的な領土であるというようなことを申し上げ はしたのですけれども、だからといって韓国語 で暮らしていた私の過去が消えるわけではあり ません。存在する過去を、経験していない言語 で再び見てみようとすること。それを私は文章 を綴ることでしてみたかったのであり、それは 実際に楽しい作業でした。そして、「言語とは「手 段」ではなく、それ自体である」ということは、
作品を書きながらも感じましたが、実はこれは 翻訳の仕事をしながら非常に強く実感したこと です。翻訳をすればするほど、ある言語を別の 言語へと移すことは喪失の過程であるというこ とを感じるんですね。いくら意味や脈略を百パー セント伝達することができても、そのこととは 無関係に、翻訳とは、言語から言語への喪失を 往来、反復する過程だということを強く感じま した。そして、韓国語としては存在せず、フラ ンス語と日本語としてのみ存在するこの本につ いて韓国語で語ったのは実は今日が初めてです。
そういったこともありまして、非常に感慨深く、
私自身、考えの整理ができたような気もしてい て、こうした機会を作ってくださったことに感 謝申し上げたいと思います。また、こうして日 本のみなさまが関心を持ってくださったことを ありがたく思います。ご清聴ありがとうござい ました。
辻野:
ありがとうございます。それでは、グカ・ハ ンさんと私の対談はここまでにしたいと思いま す。が、講演会自体はこれで終わりではなくて、
実はサプライズゲストを2名お呼びしておりま す。『砂漠が街に入りこんだ日』の翻訳者である 原正人(はら・まさと)さんと、日本語訳の編 集を担当されたリトルモアの當眞文(とうま・
ふみ)さんです。
原さんのことはご存じの方も多いと思います が、日頃は主にバンドデシネ、すなわちフラン ス語圏のマンガの翻訳をされている方です。今 回はマンガではなくて、小説の翻訳をされたわ けですけれども、日本語が非常に端正で読みや すいんですね。この本が日本で多くの読者を獲 得したのは実は原さんの功績も大きいのではな いかと思っています。それから、編集者の當眞 さんですが、何とこの作品をフランスから見つ けてこられたのは當眞さんでして、編集者とし ての見識の高さにただただ敬意を表したいと思 います。ぜひおふたりにも、グカ・ハンさんと 少し対話をしていただければと思いますが、ま ず、翻訳者の原さんからいかがでしょうか。
原:
まずはご視聴いただいているみなさん、あり がとうございます。原正人と申します。フラン ス語の翻訳をしております。グカさんと顔を合 わせるのは実は初めてなので、ついにお会いで きて嬉しいです。
ハン:
私も原さんにお会いできてとても嬉しいで す。
原:
さっき辻野さんからちょっと過分なお褒めの ことばをいただきまして、本当に上手く訳せて いるかどうか分かりませんが、もともとグカ・
ハンさんの文章が非常に端正で、フランス語と して美しいので、美しい翻訳になったというこ とだと思います。グカさんには、日本の読者の 方々の反応をお伝えします、という話をしてい て、いくつか既にお伝えしてはいるんですけれ
講 演 会母語でない言語で書くということ
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ども、まだお伝えできていないものもたくさん あります。例えば、Twitterとかで、感想を書い てくださっている方もすごくいて、非常にポジ ティブに捉えられていると思いますが、それは これから年末年始にやりますので、ちょっと待っ てください。
ハン:
ありがとうございます。
原:
今日の講演と対談、非常に興味深くお聞きし ました。もし翻訳する前に、この講演と対談を 聞けていたらなあ、と強く思いました。特に興 味深かったのが、jeということばですね。フラ ンス語では主語は頑然と存在しているわけです が、にもかかわらず、グカさんの物語の登場人 物たちの私―「私」ということばを使ってい ますが―それは存在が希薄である、不在であ るという話がありました。この緊張関係は非常 に面白いところで、文学的にも面白いと思った んですけれども、僕はやっぱりそこのところを、
何となく考えてはいましたけれども、そこまで 自覚的にはっきりとした緊張関係があるという ところまで考えて翻訳できていなかった。その ことをもうちょっと考えていたら、例えば場合 によっては、「私」ということばをもっと抜いて いくとかして、日本語としてより最適な形に落 とし込むこともできたかもしれません。
當眞:
リトルモアの當眞と申します。グカ・ハンさ んの素晴らしいデビュー作を日本語に紹介させ ていただきまして、本当に光栄に思っています。
ありがとうございます。
ハン:
こちらこそありがとうございます。
當眞:
小説を読んで印象的だったのは、先ほどから お話が出てきている距離感ですね。「私」という 人物との距離感がすごく心地いいものだな、と 感じられまして、講演を聴いていても一人称の 話、そして、ことばについての「重い」「軽い」「速 い」「遅い」という感じ方をお聞きして、腑に落 ちるところが多くありました。
それから、ひとつ質問がありまして、この本 の帯に斎藤真理子さんという韓国語の翻訳家の 方からコメントをいただいたんですが、斎藤さ んもグカ・ハンさんの小説には独特な遠近感が あるとおっしゃっていました。私もそう思って いて、その「私」という一人称との距離が近づ
いたり離れたりするところが面白かったんです ね。そこについて意識されたことはあるかとい うところをお聞きしたいです。
ハン:
まず、興味を持って読んでいただいて感謝し ます。今まではずっとメールでやりとりをして きて、それ以外にはこれといった連絡をしなかっ たんですけれども、こうやって、翻訳者や編集 者の方々とZoomではありますが、顔を見なが らお話ができて、非常に嬉しく思います。そして、
先ほど當眞さんが、独特な遠近感という話をさ れたんですけれども、何を意味するのか、分か るような気がします。正確さ、そして、鮮明さ の問題ですね。なぜかというと、我々が一般的 に情報と認識するもの、例えば、人間であれば、
外見、身長、性別などといったものが不在であ る代わりに、別の部分については執拗なほど描 写されていたり、思考が尾に噛みつきながらど んどん遠くまで進んでいくとでも言えばいいで しょうか。そうした部分の重なりから、独特な 遠近感という表現をされたのではないかと思い ます。それは、私が意識して書いたというよりは、
世界を見る私のそういった眼差しが自然と文体 に投影されて、現れたものではないでしょうか。
當眞:
ご説明、よく分かりました。ありがとうござ います。
辻野:
では、最後にグカさん、締めのコメントをお 願いしてもよろしいでしょうか。
ハン:
はい。実は、今年のはじめにこの本が出版さ れて、フランスで様々なイベントが予定されて いたのですが、その多くはコロナのせいでキャ ンセルになってしまいました。インタビューは 受けたりもしましたが、直接読者の方とお会い する機会は少なかったんですね。それから、日 本で翻訳が出たときも、翻訳書を送ってくださっ たりはしたのですが、実際に日本の書店に行く ことは叶わず、実感が湧きませんでした。そう した中で、今日は辻野先生や翻訳者、編集者の 方にお会いして、対話することができ、ほんと うにほんとうに嬉しかったですし、また通訳を してくださった通訳者の方にも感謝いたします。
分かりにくいところもあったかと思いますが、
上手にまとめてくださったものと信じ、御礼申 し上げます。コロナで大変な時期だと思います が、みなさまどうかあたたかい年末をお過ごし 講 演 会母語でない言語で書くということ
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ください。
辻野:
ありがとうございました。もし時間に余裕が あれば、視聴者のみなさんからも質問をお受け しようと思っていたのですが、既に終了予定時 刻を過ぎていますので、今日はこのへんで終わ りにしようと思います。事前にいくつかご質問 もいただいていたのですが、その大半は、リト ルモアさんのnoteのグカ・ハンさんのインタ ビューと重なっていますので、ご関心のある方 はそちらものぞいていただければと存じます。
それでは、みなさま、本日は遅い時間まで本当 にありがとうございました。これで終了します。
(辻野裕紀 訳)
*本講演会は、2020 年 12 月 15 日(火)にオンラインで開 催された。講演、対談ともにすべて韓国語で行なわれ、
韓日逐次通訳は金智淑氏(韓国語講師・ラジオDJ)が ご担当くださった。
*本稿は、講演、対談の発話全文を文字起こしし、整理し たものを日本語に翻訳したものである。その過程で加筆 修正を施した部分も含まれる。文字起こし作業は金兌妍 氏(九州大学大学院博士課程)が、韓日翻訳は金兌妍氏(第
Ⅰ部)と辻野裕紀(第Ⅰ部、第Ⅱ部)が行なった。また、
校正にあたっては、原正人氏、當眞文氏のご協力も得た。
ここに感謝申し上げたい。(辻野裕紀記)
講 演 会母語でない言語で書くということ