(212) 印度 學 佛 教 學 研 究 第51巻 第1号 平 成14年12月
『禪 門 日誦 』 の諸 本 につ いて
陳
継
東
は じ め に 『禪 門 日誦 』 は19世 紀 以 後,現 在 ま で 中 国 の 禅 宗 寺 院 で広 く使 わ れ て い た 日課 用 の テ キ ス トで あ る.そ の編 纂 者 や具 体 的 な成 立 年代 は明 らか で な い が,現 存 す る も っ と も古 い テ キ ス トは,清 の道 光 十 四年(1834)の もの とされ て い る.そ の 内容 は主 に 「朝 時 課 誦 」 と 「暮 時 課 誦 」,経讃 呪 文 な ど多 様 な 文 録 か ら構 成 され て い る. そ れ は 中 国 仏 教 の 儀 礼 の あ り方 を考 察 す る に 当 た っ て は,重 要 な 文 献 の み な らず, 清 朝 末 期 に い た る まで 仏 教 界 の仏 教 に関 す る総 合 的理 解 や知 的 背 景 を知 る上 で も 見 逃 せ な い書 物 で もあ る. 現 存 して い る 『禪 門 日誦 』 の テ キ ス トは数種 あ り,刊 行 の年 代 や 地 域,内 容 の相 違 も著 しい.こ れ は こ の テ キ ス トが流 布 過 程 の な か で,需 要 に応 じて絶 えず 変 容 し て き た こ とが示 さ れ て い る.し たが っ て,こ の 変 化 の軌 跡 を整 理 す る こ とが 求 め ら れ て い る.ま た,『禅 門 仏 事 全 部 』 とい う書 が 存 し,現 存 の 『禅 門 日誦 』 の 諸 本 と 対 比 して,内 容 か ら 同類 の書 物 と認 め られ る.こ の 書 物 の 刊 行 年 代 は道 光 二 年 に辿 られ,『禅 門 日誦 』 の成 立 と流 布 の 解 明 に関 す る新 た な材 料 とな り,現 存 す る諸 本 と比 較 して 考 察 しな け れ ば な らな い.さ らに 「明 末 四 大 家 」 の 一 人 と して の 雲 棲 株 宏 は 『諸 経 日誦 集 要 』(以 下『集 要』 と略 す)を 編 纂 して い る.こ れ が 『禅 門 仏 事 全 部 』 と 『禅 門 日誦 』 の原 形 と考 え られ,併 せ て考 察 す る必 要 が あ る. 本 稿 で は,『禅 門 日誦 』 の全 体 像 を 究 明 す る一 環 と して,清 末 ま で の諸 本 につ い て 検 討 し,ま た 諸 本 の系 統 とそ の原 形 につ い て考 察 を加 え る こ とに した い. 一 諸 本 の 紹 介 清 代 に 「禪 門 日誦 」 と冠 す る諸 本 に つ い て は、 次 の 四種 の テ キ ス トを確 認 した. 1.大 谷大学 図書館蔵道光十 四年寳 睦堂一巻本 2.駒 澤大学 図書館 蔵光緒十二年湧泉禅寺一巻本 、『禪 門 日誦 』 の諸 本 に っ い て(陳) 3.駒 澤大学 図書館蔵 光緒二十六年天寧寺一巻本 4.駒 澤 大学 図書館蔵 金陵刻経庭二巻本 日本 以 外 に所 在 す る 『禪 門 日誦 』 の 諸 本 につ い て は,後 日の 調 査 を期 した い. 二 諸 本 の 考 察 1.道 光 十 四 年 寳 賢 堂 本一 巻.表 紙 に 「禪 門 日誦 」 と あ り,巻 首 上 横 に 「道 光 拾 蝉 年 重 鏑 」,右側 に 「随 処 翻 刻 功 徳 無 量 」,真 中 に 「増 訂 禪 門 日誦 」,左側 に 「寳 賢 堂 」 とあ る.本 文 「朝 時課 誦 」 の下 に 「奉 佛 弟 子李 文鏑 募 鋳 」 と記 され て い る. 「寳 賢 堂1は この テ キス トを刊 行 した店 で,そ の所 在 地 や 寺 院 関 係 は不 明 で あ る. こ こで注 目 した い の は 「道 光 拾 蝉 年 重鏑 」 と 「増 訂禪 門 日誦1と い う記述 で あ る. これ に よれ ば,「道 光 拾 騨 年 」 即 ち1822年 に,『禪 門 日誦 』 が増 加 訂正 して 重 ね て 翻 刻 され た こ とが わ か る.し た が っ て,道 光 十 四 年 以 前 に,『禪 門 日誦 』 が す で に 存 在 し,す で に成 立 した こ とも 明 らか で あ る. 2.福 建 鼓 山 湧 泉 禪 寺一 巻 本 表 紙 に 「大 乗 法 寳 禪 門 日誦 諸 経 」 とあ り,巻 首 の右 側 に 「大 清 光 緒 丙 戌 十 二 年 春 月 吉旦 板 存 鼓 山 湧泉 寺 」,真中 に 「禪 門 日誦 諸 経 」,左側 に 「福 建 鼓 山湧 泉 禪 寺 繹 子 能 成募 刊 」 とあ る. この テ キ ス トの題 名 は ほ か と異 な る部 分 が あ る が,内 容 と性 質 は 同類 の書 籍 と 見 られ る.刊 行 年 代 と場 所 も明 記 さ れ て い る.す なわ ち光 緒 十 二 年(1886年)の 春, 福 建 鼓 山 湧 泉 禪 寺 の能 成 とい う僧 を始 め と して,募 金 して 『禅 門 日誦 』 を刊 行 し た.し か し,な ぜ 「諸 経 」 を題 名 に 入 れ た の か が不 明 で あ るが,後 述 す る雲 棲 の 『集 要 』 と関連 して 考 えれ ば,雲 棲 の影 響 を 受 けた の で は ない か と推 察 され る. 3.江 蘇 常 州府 天 寧 寺本 一 巻 表 紙 に 「大 乗 法 寳 禪 門 日誦 開本 見 知 」 とあ り, 巻 首 に 「唐 太 宗 文 皇 帝 御 賜 玄奘 三 蔵 聖 教 」 の後 に 「光 緒 二 十 六 年 歳 次 庚 子 季 春 之 月 干区江 徐 文 朝 書 」 とあ る.巻 末 に 「板 存 江 蘇 常 州 府 天 寧 寺 住 持 清 鋳 経刊」 とあ る. 天 寧 寺 本 は巻 首 に 「唐 太 宗 文 皇 帝 御 賜 玄 三 蔵 聖 教 」 が 書 写 さ れ,徐 文 朝 が 光 緒 二 十 六 年(1900年)の 春 に書 写 した と記 され て い る.し か し,こ の書 写 年 代 と刊 行 年 代 との関 連 は確 定 で き な い.両 者 の関 連 につ い て は,二 通 りの ケ ー ス が 考 え ら れ る.一 つ は単 純 に その 書 写 年 代 と刊 行 年 代 が 同 じで あ る とす る こ と,も う一 つ は 刊 行 年 代 が 先 で,そ の後 再 印刷 す る 時 に書 写 が挿 入 され た とす る こ とで あ る. 内容 か らみ る と,諸 本 の な か で 天 寧 寺 本 は も っ とも繁 雑 な もの で あ り,諸 本 に な い も の が 多 く加 え られ て い る.こ こで,一 々 を挙 げ る暇 が な い が,「宗 派 」 の部 分 を例 と して あ げ た い.「宗 派 」 の部 分 に 「佛 祖 心 燈 」(七 佛有 偈 ・五宗 次序譜),「宗 教
(214) 『禪 門 日誦 』 の 諸 本 に つ い て(陳) 律 諸 家 演 派 」 が あ る.こ れ は諸 本 に は な い もの で あ る.「宗 教 律 諸 家 演 派 」 が 清 代 の守一 に よ っ て編 纂 さ れ,そ の成 立 年 代 は清 末(道 光∼光緒)と さ れ て い る. 4.金 陵 刻 経 慮 本 上 下 二 巻 上 ・下巻 の 表 紙 に 「『禅 門 日誦 』 浙 江 天 童 寺 原 本 金 陵 刻 経 庭 重 刊 上 ・下 」 とあ る.巻 末 に刊 行 記 な し.刊 行 年 代 も記 さ れ て い な い. 刊 行 記 の な い 刻 本 は金 陵 刻 経 処 の刊 行 に お い て は珍 しい.天 童 寺 の原 本 に基 づ い て 重 ね て刊 行 した か にっ い て は,天 童 寺 の原 本 と対 照 して 考 察 す る必 要 が あ る. しか し,現 時 点 で は,天 童 寺 の原 本 の所 在 が 不 明 で あ る.金 陵 刻 経 処 本 が 他 のテ キ ス ト と著 し く異 な って い る と ころ は 「願 生 偈 」,「起 佛 偈 」(浄業行人 陳煕願 新訂),「八 識 規 矩 」(唐三蔵法師玄 作),「十 宗 略 説 」 な どの書 物 を新 た に加 え た と ころ で あ る. 「願 生 偈 」 と 「八 識 規 矩 」が 金 陵 刻 経 処 の創 始 者 の楊 文 会 に よっ て校 訂 注釈 を施 さ れ た もの で,「十 宗 略 説 」 そ の もの が楊 文 会 自身 の著 作 で あ る. 「十 宗 略 説 」 の序 文 で,楊 文 会 は あ る人 の書 い た 「八 宗二 行 」 を 『禅 門 日誦 』 の 末 に入 れ よ う と した が,実 現 で き ず,そ の 後,日 本 の 凝 然 の 『八 宗 網 要 』 を み て, 内容 が詳 し く明 瞭 だ が 初 心 者 に とって 難 しい と考 え,「十 宗 略説 」 を著 わ した と述 べ て い る.よ って,『禅 門 日誦 』 の なか に仏 教 各 宗派 に つ い て の書 物 を 付 す る とい う考 え を,楊 文 会 は 抱 き続 けて い た こ とが わ か る. これ らの 楊 文 会 の著 作 年 代 は明確 で は な く,1900年 前 後 に書 か れ た と推 定 され る.よ っ て,こ の 金 陵 刻 経 処 本 もお そ ら く1900年 代 刊 行 され た と推 定 され る.ゆ え に,天 寧 寺 本 とほ ぼ 同 じ時期 に刊 行 され た と思 わ れ る.ま た,天 童寺 の原 本 はそ れ よ り年 代 が もっ と早 い こ とに な る.し か し,天 童 寺 の 原本 に,こ れ らの楊 文 会 の 著 作 が収 め られ て い るか どうか は疑 う余 地 が あ る と思 う. 三 『禪 門 佛 事 全 部 』 と 『禅 門 日 誦 』 現 在 ま で,二 種 の 『禪 門 佛 事 全 部 』 の テ キス トを確 認 した.一 つ は駒 澤 大 学 図書 館 所 蔵 の もの で,一.つ は筆 者 が大 分 妙 正 寺 で発 見 した もの で あ る.刊 行 年 代 と して は後 者 の ほ うが 古 い が,編 者 は明 らか で は ない.両 書 とも 目録 が 付 され て い な い. 1.妙 正 寺 所 蔵 の 『禪 門佛 事 全 部 』 まず,こ の テ キ ス トの 由来 に つ い て見 て み よ う.表 紙 に 「五 臺 山廣 宗 寺 大 沁 師贈 之,同 治 十 二 年 九 月八 日,明 治 六 年 十 月二 十八 日」,巻 末 に 「我 明治 七 年 一 月 三 日至 十 六 日受 漢 音 畢,即 清 国 同治 十 二 年 十 一 月 十 五 日至 二 十八 日也 」 とい う文 が あ る。 これ は か つ て妙 正 寺 の 小 栗 栖 香 頂 が記 した もの で あ る.明 治 六 年(1873)に,小 栗 栖 は北 京 に赴 き,龍 泉 寺 で一 年 間 の 留学 生 活 を送 っ た.彼 の北 京 滞 在 記 に よれ ば,そ こで 同年10月28日 に五 毫 山廣 宗 寺 の大
(215) 沁 とい う禅 僧 か ら この書 物 が贈 られ,翌 年1月3日 か ら16日 まで,北 京 音 で 読 み 終 え,1874年7月 に北 京 を去 り,帰 国 した際 に,日 本 に携 えて き た とい う.現 存 の テ キ ス トに 日本 語 の カ タカ ナで 北 京 音 の読 み 方 が 打 たれ て い る.よ っ て,『禪 門 佛 事 全 部 』 が 当時 の 中国 僧 に実 際 に使 わ れ た こ とが察 知 で き る. つ ぎ に,刊 行 年 代 につ いて 見 て み よ う.本 文 の巻 末 に記 され て い る 「道 光 二 年 十 月 結 日 原 板 存 京 都 徳 勝 門 内 拮 花 寺 」 に注 目 した い.こ れ に よれ ば,『禪 門佛 事 全 部 』 が 道 光 二 年,す な わ ち1822年 に 刊 行 され,そ の 木 版 は北 京 の徳 勝 門 内 に あ る 拮 花 寺 に所 蔵 さ れ て い る こ とが わ か る.ま た,「同 治 七 年 畿 願 重 鐫 印送 」 とい う記 述 は,道 光 二 年 の刊 本 に基 づ い て,同 治 七 年(1868年)に 改 め て翻 刻 した こ とを 示 して い る.そ の刊 行 に 当 た っ て は,ま ず,「同治 戊 辰 孟 夏 」 す なわ ち 同治 七 年(1868 年)の 夏,信 徒 の忻 承 とい う人 物 が 一 族 と と もに,供 養 と冥 祐 の た め,『喩 伽 焔 口』 と 『禅 門 課 誦 』 を 二 百 部 に して 印 刷 した.そ して,信 徒 の 張 蘭 の妻 で あ る陳 氏 が, 同年 道 光 二 年 の 刊 本 を改 めて 翻 刻 した.陳 氏 が 亡 くな った 後,張 蘭 は 家族 供 養 の た め,同 治 十 一 年(1872年)に 同 治 七 年 の版 に基 づ い て再 び 印刷 を した.こ の よ うな 経 綽 で 『禅 門佛 事 全 部 』 が 信徒 に よ って 版 を重 ね て しば しば刊 行 され た の で あ る. 2.駒 澤 大 学 図書 館 所 蔵 本 妙 正 寺 本 と比 較 す る と,奥 記 に は い くつ か の 異 な る と ころ が あ る.第 一.に,同 治 十 一 年 の 張 蘭 の 記述 は 「祈 保 国 泰 民 安,天 下 一切 生 難 並 地 府 血 鬼 孤 魂 減 免 罪 華 」 「祈 保 先祖 考批 先 考 批 先 妻 得 昇 極 樂,閤 族 平 安 」 とあ り, 妙 正 寺 本 と異 な って い る.こ れ は後 に 妙 正 寺 本 の 文 を改 窟 した可 能 性 が 高 い.第 二 に,光 緒 十 九 年 す な わ ち1893年 に張 瀾 が改 め て 印刷 を施 した とい う こ と.第 三 に, 光 緒 七 年(1881年)に 再 印刷 さ れ た こ と.第 四 に,光 緒 丁 酉 す な わ ち 光緒 二 十 三 年 (1897年)に も内務 府 楽 善 堂 の紹 任 卿 が 五 百 部 を印 刷 した こ と.第 五 に,天 津 の 大 悲蕎 成 徳 が募 化 し,青 山 草 堂 の李 とい う人 物 が 印 刷 した こ と.第 六 に,浙 江 紹 興 會 稽 の何 永塊 が 刊 行 を行 な っ た こ とで あ る. 僧 や信 徒 ら は度 々 この 『禅 門佛 事 全 部 』 を刊 行 し,功 徳 を積 む た め に,寺 院 に 捧 げ,仏 の加 護 を願 っ て い る.以 上 の 記述 か ら,『禅 門佛 事 全 部 』 が 僧 俗 に重 視 さ れ, ひ ろ く流 布 され た 様 子 が 生 き生 き と して伝 わ っ て い る. 3.『禅 門 日誦 』 との関 連 『禅 門 佛 事 全 部 』 は書 名 通 り,禅 寺 で行 な わ れ る行 事 を 包 括 す る指 南書 で あ る.そ の檣 成 は 「朝 時課 誦 」,「暮 時 課 誦 」,ま た さ ま ざ まな 場面 で使 わ れ る儀 礼 用 文,経 讃,呪 文,修 行 の肝 要 を説 い た僧 た ち の 文 章 語 録 か ら な っ て い る.こ の構 成 は他 の諸 本 と全 く変 わ ら ない.内 容 にお い て は,若 干 の相 違 が あ るが,所 収 の 文 の題 名 や 順 序 も ほ ば一 致 して い る.
(216) 『禪 門 日誦 』 の諸 本 に つ い て(陳) ま た,『禅 門 佛 事 全 部 』 の な か で,い つ か の経 典 や 呪 文 に対 して 注釈 が 付 され て い る.そ れ が 『禅 門 日誦 』の諸 本 の な か に利 用 され た テ キス トも あ る.例 えば,「朝 時課 誦 」 の 「十 小 呪 」 に あ る 「七佛 滅 罪 真 言 」 の後 に 「蔵 本 源 無,華 梵挟 雑,非 出 金 口,今 並 剛 之.」 とい う説 明文 が あ る.ま た,「暮 時課 誦 」 に あ る 『阿 弥 陀 経 』 の 「一 心 不 乱 」 に対 して,「時 本 有 於 一 心 不 乱 下,増 専 持 名 号,以 称 名 故,諸 罪 消 滅,即 是 多 善 根,福 徳 因縁 二 十 一.字.雲 棲 謂 蔵 本 原 無 故,疏 紗 刷 去.今 於 此 取 捨 随 意.」 と 説 明 して い る.こ れ らが道 光 十 四 年本 と天 寧 寺 本 に引 用 され て い る.さ ら に 「暮 時 課 誦 」 に あ る 「蒙 山施 食 文 」 に対 して,「傳 言 外 国 甘 露 法 師 駐 錫 四 川 蒙 山 集 」 とい う注 釈 が施 さ れ て い る.こ れ も道 光 十 四年 本 と,鼓 山湧 泉 禪 寺 本,常 州 天 寧 寺 本 に 受 け継 が れ て い る. 以 上 の諸 例 か ら,『禅 門 佛 事 全 部 』 は現 存 す る 『禅 門 日誦 』 と同類 の書 物 で あ り, 両 者 の 関連 性 も強 い こ とが判 明 す る.し か し,『禅 門 佛 事 全 部 』 は果 た して 『禅 門 日誦 』 の原 形 とな るの か に 関 して は,早 急 に結 論 を下 す こ とはで き ない.な ぜ な ら ば,第 一 に,な ぜ 書 名 が 異 な った の か とい う解 答 が 得 られ て お らず,第 二,道 光 十 四 年 本 が 再 刊 さ れ た も の で,その元 の テ キ ス トの 刊 行 年 代 につ い て の 情 報 も伝 わ っ て い な い か らで あ る.こ の元 の テ キ ス トと道 光 二 年 の 『禅 門佛 事 全 部 』 との 年 代 前 後 の問 題 が残 っ て い るわ け で あ る。『禅 門 佛 事 全 部 』 の刊 行 状 況 を み る と,光 緒 二 十 三 年(1897年)ま で刊 行 され,『禅 門 日誦 』 と並 行 して使 用 さ れ て い た.よ っ て,当 時 の僧 や信 者 ら は この 二 種 の テ キス トを区 別 せ ず,利 用 す る実 状 が 推 知 され る. 四 諸 本 の 系 譜 今 これ らの諸 本 に つ き,対 校 を施 した結 果 を例 示 し よ う.『禅 門 佛 事 全 部 』 を 含 め た諸 本 は大 き く三 つ の 系 統 に分 か れ て い る.第 一 は 『禅 門佛 事 全 部 』 と道 光 十 四 年 本,第 二 は鼓 山 湧 泉 寺 本 と金 陵 刻 経 処 本,第 三 は天 寧 寺 本 で あ る.第 一 は簡 潔 で あ る点 が 類 似 して お り,第 二 は所 収 の文 が ほ ぼ一 致 して お り,第 三 は内 容 的 に他 の 諸 本 と異 な る部 分 が 多 く,讃 語 や 呪 文 が 多 く取 り入 れ られ,量 的 に もっ とも膨 大 とな って い る.ま た,所 収 の文 の順 序 か らみ る と,第 二 が もっ と もま とま っ て い る. 五 雲 棲 『諸 経 日 誦 集 要 』 と の 関 連 鎌 田茂 雄 は,現 在 中 国系 寺 院 の 朝 晩 課 の儀 礼 は 『禅 門 日誦 』 に よ っ て作 成 され た 『朝 暮 課 誦 』 に よ っ て い るが,そ の原 型 は 雲棲 の 『集 要 』 で あ る と指 摘 さ れ て
(217) い る.し か し,鎌 田 は具 体 的 な考 察 を され なか っ た た め,残 された課題 は多い.そ の 指 摘 の根 拠 は 『集 要 』 の構 成 と雲 棲 の説 明 の 中 に 求 め られ る.ま ず,『集 要 』 で は,総 集 と別 集 を立 て て 上 下 二 巻 に 分 け て い る.上 巻 の総 集 で は 「朝 時 課 誦 」 と 「暮 時 課 誦 」 に分 け,下 巻 の別 集 で は経 類,呪 類,雑 録 の 三 項 目 を設 け て い る.こ の 構 成 は 明 らか に 以 上 の 五種 の テ キス トに継 承 され て い る.と くに,朝 晩 の課 誦 は五 種 の テ キ ス トと若 干 相 違 点 が あ るが,ほ ぼ一一致 す る.別 集 の 内容 も ほ とん ど五 種 の テ キ ス トに見 られ る.ま た,自 ら作 成 した 「新 定 西 方願 文 」 も例 外 な く五 種 の テ キ ス トに採 録 され て い る.よ っ て,五 種 の テ キ ス トは 『集 要 』 を根 幹 と して,時 間 の 経 過 と と もに増 広 され て い っ た もの と考 え られ る. しか しな が ら,雲 棲 が 「重 刻 諸 経 日誦 序 」 の な か で,『集 要 』 を 編 纂 す る際 に別 の 同類 の 『百 八 般 経 』 とい うテ キ ス トが 存 して い た こ とを指 摘 して お り,こ れ は 注 目に値 す る.序 文 に よれ ば,『百 八 般 経 』 とい う書 物 は,当 時 僧 尼 道 俗 が 朝 晩 に 読 誦 して い た こ とが わ か る.『集 要 』 は 『百 八 般 経 』 を べ ー ス に して,そ の 内容 を 選 別 し,目 次 を改 め,新 た な経 律 や古 今 の 人 々の 著 作 を加 えた もの で あ る.し か し, そ の 『百八 般 経 』 が 『集 要 』 の成 立 に よ って,そ の流 布 が 杜 絶 した の か ど うか は 不 明 で あ る.現 時 点 で,『百八 般 経 』の存 否 は全 く知 る こ とが で きな い.よ っ て,『禅 門 佛 事 全 部 』 や 『禅 門 日誦 』 の成 立 に 際 して 『百 八 般 経 』 の影 響 の 有 無 は,依 然 と して解 明 で き な い 問題 点 と して残 され る こ とにな る. 結 論 以 上 の考 察 の結 果,次 の こ とが確 認 さ れ た.第 一に,現 存 す る 『禅 門 日誦 』 の状 況 を調 べ,時 代 の推 移 に伴 っ て,変 化 した軌 跡 を整 理 した と ころ,そ の成 立 年 代 は 道 光 十 四年 よ りさ ら に湖 る こ とが判 明 した.第 二 に,『禅 門佛 事 全 部 』 は 『禅 門 日 誦 』 と同類 の書 物 で あ り,『禅 門 日誦 』 の 成 立 に影 響 を与 えた.第 三 に,『禅 門 佛 事 全 部 』 を含 め た五 つ テ キ ス トは三 つ の 系 統 に区 別 で き る.第 四 に,以 上 の五 つ の テ キ ス トは雲 棲 の 『諸 経 日誦 集 要 』 を原 型 とす る.第 五 に,『百 八 般 経 』 は 『諸 経 日 誦 集 要 』 よ り先 に存 在 し,こ れ が 『禅 門 日誦 』 の成 立 と関 わ っ た か ど うか は未 解 決 の問 題 と して残 さ れ て い る. 〈キーワー ド〉 禅 門 日誦 、禅 門佛 事全部、諸経 日誦集要 (武蔵 野女子大 学講師 ・文博)