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画田鹿 7 山間集落の社会と生活

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(1)

地 域 研 究 第 2 8 集

山 間 集 落 の 社 会 と生 活

一 阿哲郡哲多町 旧寓歳村域 を中心 に ‑

7 0 q O D

O58

7

囲L L J 大学

鹿 茸

画 田 鹿

岡山大学教育学部社会科教室内地域研究会

(2)
(3)

(rUIZTVZ寸CI‑マーDCiC)慧fr#迷討岩TEg)凶ヨ米榊・Idポ

(4)

(rUこTVNOg卜IUUU凄貸越耐暑丁国)凶

一 一 」

(5)

旧 蔵 歳 村 役 場 (現 哲多 町 寓歳 支所 )

寓 歳 地 区 の コ ミュニテ ィハ ウス

(6)

蔑 歳 郵 便 局

(7)

商 歳 小 学 校

コ ミ ュ ニ テ ィハ ウ ス の 展 に あ る旧 寓 歳 橋 の 欄 干

(8)

矢 戸 の 通 り

矢 戸 の 通 り

(9)

本 郷 川 と 矢 戸 の 律 落

失 声 よ り老 栄 の 非 常 を の ぞ む

(10)

荻 尾 の 集 落

荻 尾 の 班 落

(11)

無 明 谷

解明谷 一石灰岩の狭谷 ,特殊な植物群が群生 していることで知 られ る。

道路は失声か ら井倉へ通 じる。 (山陽新聞社提供 )

≧一七= I

ヽ ■ I 1 ′ ■■

無 明 谷 入 口 の 碑

(12)

は し が き

岡山大学教育学部社会科地域研究会で は,昭和

58

7

月に,教官

5

名 と

3

年 次学生

32

名で も って,阿哲郡哲多町の荻尾 ・失声 ・老栄 (追 )の旧荷歳村域を中心に調査 を行 なった0本報告軌 よ その成果 をまとめたものである。

調査対象 となった3字については,古 くは荻屈が石牽 (い Lが )郷,失声 ・老栄が大飯郷のなか に含まれていたことは知 られるものの (

r

和名

妙J)

,古代 ・中世の これ らの地 に関す る記録は残 念なが らいまの ところRL、だし得ていない. したが って,近世以降の変遷にか ぎって,以下簡単に ふれておこう。戦国期 ,上野 ,圧,三村各氏の支配 を鮭て, 1575(天正3)年以降毛利氏の代 官天野氏の支配下にあった この地域は, 1600(慶長5)年 の関ケ原の合戦後 は,徳川氏よ り松 山へ派過 された小堀新助‑政の治 卜に入 った0 16 15(元和1)年 ,小堀が伏見奉行 に転 じT:の らは,池田氏 (島牧よ り入封 1615‑ 39),水谷氏 (備中成羽よ り入封 1639‑ 1693) 妥慮氏 (上野 高崎 よ り入封 1695‑ 1711)と次々と領主 が交替 し, さらに安藤氏 の美濃加 納への転封に際 しては,老栄が天領 とな って倉敷代官支配 とな り,失声 ・荻尾が新 らT=に山城 淀よ り入部 した石川船燈 (6万石 )の松山領 に とどまったO松山領では,その後1744(延草 1)年 に石川氏が伊勢亀 山へ転 じ,かわって同地 より板倉氏が入 って明治 にいたるのである

以上が大まかな敬呈支配の推移であるが,ちなみに,近世期の3村の石高 を F天保郷帳」によっ て′Jけ と次のよ うになっている。

(略 )

一 高369石9斗4升4合7タ 妄 者藁 迫詣 (中略 )

一 高743石2斗3升7合5タ 矢 戸 村 (中略 )

一 高 329石7斗2合7タ 荻 尾 村

3村の たたず まいは,だいたい この村商のなか にうかがい知れ るが,現存する元禄の検地 によれ ば,荻尾 ・老栄は田地

に. ・

よまれない山間殿村 として ,宍戸が田畑はば同比率の, 3村の うちで はや やjB菜生韓の うえで有位 を保つ村としてあ らわれている。矢戸村が村t.ll‑ぉよび田畑比率の点で他の 2村にぬきんでていたのは,同村が,貰流する本郷川の河谷低地 に立地 したためであろ う. こうして 明治

22

年,行政村落茄蔵村が成立するにあたっても,宍戸が その安0)役割 を果 してい くことにな るのである.昭和30(1955)年 ,本郷,新政 と合併 して哲多町 とな るまで,商議村の役場 も

(13)

失声に存在 していた。

本報告執 ま,こうした変遷を もつ地域の調査結果 をまとめT=もので あるが,これまで私達の地域 研究は一つの町村単位で行なわれてきた。 しか し, ここで特に‑町内の特定の字に対象地を限定す ることになったのは,元町長小河正吉氏の依輔があったか らである。すなわち,現在小河民 らは旧 濁歳村の村史の編某に鋭.=th芸取 り組んでお られるところで,私達はその調査の一端 を担 う形になった のである。3月査対象地の選定に苦慮 していた私達にとって ,小河氏の申 し出はあ りがたいところで もあっT=が,ただこの未熟な学生た ちの手になる小報告幹が,どれほど町史編幕のお役に立ちうるか と思 うと,内心伍惟T:る ものがある。蔚歳村史の編各委員の方々におかれては,その玉稿において, 遠慮な く私達のおかした誤 りを正 し,かつ調査のゆきとどかなか った点 を補 って,いい村史をつくっ ていただきたい.末尾になったが,小河氏 をはじめとする商議村史の編為委員の方々には,色々お世 話 をいただいたOまT=哲多町の逸見草町長以下職員の皆様 ,町民の万々にも謂充の便宜をはかって いただいた。 こ こに記 して厚 く謝意 を表 したい。

昭和

61

3

岡 山大 学 教 育学 部社 会科教室 内

地 域 研 究 会

(14)

序 文

夫れ古 えよ りの村柄 を知 りたいとす る,山 ま今 に生 きる者のみの望 みではな く,過去娩変遷 世の移 り替 るにつれて,吾人共 に感 じ乍 らも,手 も着 ける人 も妙な く荏再弦 に至 りしか と案ず る も,遇々 昭和30年4月 を目度 に,新砥 ・本郷 ・黄歳 の三村合 併の領 漸 く醜厚 とな りし折柄 ,せ めて寓Fl,坂村 時代 に村誌 を作 り磁 く必要性の論議が飴蕩 して きたO萌歳村議 会 は,これに対す る予罪 と術宗委員 の選任 を行い,実地調査 も進めて若干活動 は見 たものの ,合併の期 日 (昭和30年4月 )迄 には目 弟 もつけ えなか った。 その後新町 に持越 して,樹纂委員の督励 に力 めしも,稿 を脱 す るに至 らず , 自然立消 えの躍 日時 を経過す る円,昭和58年3月 に至 り,旧菌歳の地区民よ り再 び村誌 の喝望蘇 り

,29

名の

出 を以 て布歳村誌窮策委員会 を結成 し,哲多町 に対 して必要経矧 こ対す る補助金交 付の陳情があ り,町 は之 に対 し予罪措道を訴ずる一 方 ,編第委員 は夫々調査項 目を分担 して調査 に 取 り懸 ったO しか し,前回の失敗に鑑 みて,歴史 には専門的知識の導入 を必要 とす る意向 を纏 め , 山陽新聞社解説委員吉沢利之氏の紹介 にて,岡山大学 教育学部社会科研究室 に依頼 した。同研究室 では地域研究の名において,高橋達郎教授外5名,学生32名 によ り,昭和58年7月盛 夏の候現 地に滞在 して実地につ き調査 を進める一方 ,古文軒文献 の探索 を行い,滞在6日間の 日程 によ り一 応の調査 を逐け られ,其後 も部分 的に調査に釆 られる等 ,苦心 を重 ねて漸 く稿 を脱 して印刷 の段階 に立 ち至 った。 しか し,大学側の指執 ま飽迄 も地域研究 で あ り,村誌 としての形態 を整 えるには尚 不足す る部分 も多分 にあ るので,是は地元委員会で補完 す る必要が あ るとの事 で,地元編第委員会 は謝査 し,なお進 めてはいるところである。大学側 の調 査 と重複 を避 ける為 には,大学側 の完成 し た ものを見た上で取捨す る必要があ り,従 って委員会側担 当部分 が後 れ る琴 は止 むを得な いとす る ち,大学側 の完了 を見た執 ま非常に軌 ましい琴 ,で滋 に大学側諸先生餅 に関係 学生諸君の ご労苦 に 対 し深甚 な る敬意 を表 し,労を多 と致 します。

尚,地元編第委員の御労苦 もさる零乍 ら,大学側 の完成 を期 に一層 拍車をか けて担当部分 を完了 し,拡 いて以て名村誌 た らん車 を熱望 して序 とする。

昭和60年12月

哲 多 町 長

逸 見 章

(15)

調 査 参 加 者

指 屯 教 官

高 橋 達 郎

荷 重 進

学 生

植 田 隆 之 小 薬 孝 男 河 内 潔 竹 内 浩 二 藤 岡 秀 子

山 本 誠

岡 久 敏

平 松 真由美 横 山 敬 子

山 口 宗 光 田 中 史 郎 描 山 芳 治 上 原 兼 善

可 児 巧 尾

晃 宜 竹 内 由 明 佐 藤 正 子 松 井 高 志 中 村 竜 也

藤 本 睦 三 宅 政 道

森 田 噸 子 弟 和 久

花 谷 威 治 永 島 和 弘 国 光 康 弘 長谷川 晶 子 大 村 俊 幸 浜 辺 繁 行 石 原 典 幸 松 本

林 達 也 吉 久 季 義

徳 田 育 子 (大学院 )

海 田 樹

( ′′ )

(16)

第 1草 自 然 環 境 1 地形 ・地質の概観

(1)商蔵相への道

(2) 地形の概略

(3) 地質の概略

2 河 谷 の 地 形 ‑‑‑・・‑‑‑ I (日 断胴線 に沿って発達す る河谷

( 2 )

矢戸川河谷の地形分類

(3)地 質 ‑‑‑‑‑‑一一一一一一・・・一一・・・‑‑・・‑一日・

(4) 調査地域の渚地形の特徴 3 カ ル ス ト地 形

(1)旧寓歳村のカルス ト地形の概観

(2) 谷 と泉 ‑‑I‑‑‑‑

(3) カルス ト地形 と生活

4 気 候

( 2 )

旧筒歳村の気候 とくらし 一一一‑一一・‑

1 1 1

2 5 9 9 9

ll ll

15 15

16 22 34 34

35

(3) 参考資料‑岡山 ・高梁 ・新見 ・矢神 ・千屋の気温 と降水立 一一一日‑一一日一一一一日=‑ 38

2 串

人口と過疎化袋落 1 人 ロ

(1) 世帯数および人口の推移

(2)産業別就業人口構成 ‑

( 3 )

年齢別 ・男女別人口構成 2 人 口 動 態

(1) 自然 動 態

(2)社 会 動 3 過 疎 化 雄 藩

(1) 調査集落の概況

( 2 )

過疎化雄藩の現状

第 3草 近世の旧講歳村 日日一一一日‑‑ 1 元禄検地 と旧商議村の状況 2 年 貢 と村 入 用

3 備中帝領の廻米輸送について

一・‑

I ‑ 53 53 53

58

60

66 66

67

74 74

75

9901771211

(17)

4 幕藩制後期 における農民階層構成 ‑・

5 哲多郡幕街における甫末期軍事夫役負担

第 4草 経 済 構 造 1 農 業 一一一

(1) 土地利用の変遷 =一一一一一一

( 2 )

農業経営規模 の推移 (3)畜 産 と 機 械 化

(1)明治〜昭和

30

年 までの'畜産 の動向 ・・

(ロ)昭和30年以降の畜産 再 農 業 の 機 械 化

(4)特 殊 作 物 ・養 蚕 ・・‑・

( i)

た ば こ (ロ)こ ん に ゃ く (→ 葦 蚕 巨) トマ ト

(5)農 薬労働力の変化 と兼業化 レ) 農 業 就 業 人 口 (ロ) 兼 業 化 h)老 齢 化 巨) お わ りに

2 林 業

(1) 林 業 の 概 況 (2)林家および森林面積 (3)森 林 組 合

(4)林産物の生産状況 (1) 生産状況の推移 (ロ) 林 産 物

(a)木 炭 (b) しいた け (C)松 茸 ‑ (5)林業構造改善事業

入会林野の変遷 とその利用 (イ) 入 会 林 野 一一一

(ロ) 入会林野の変遷 と利用

‑‑‑ 132

1l1466(HUI2279011245777922333445555555555666667777777777888888888811111111111111111111111111111111

(18)

h) 寓歳財産区について ..

(a)管 理

(b) 財 産 (収益の処分)

3 商 工 業

(1)商 業

( 1)

哲多町の商薬 の推移 と現況 概 況

卸売 ・小売菓

(ロ)買物圏アンケー ト調査結果

・ アンケ‑一卜方法および対象

・ 哲 多 町 全 域

・ 本 郷 地 区

・ 宮河内地区

・ 商 歳 地 区

・ 大 田 地 区

・ 蚊 屋 地 区

( 2 )

工 業

(1) 就業状態か らみた哲多町の工業 (ロ) 工 業 の 特 色 と推 移 一一・

第 5亭 交 通 ・通 信 一 概 況

1 交 通 路

(1) 明冶以前の交通路 (4) 吹 屋 往 来 (。) 伯者吹態往来 そう その他の往来

(a)JII之 頼 往 来 (b)松 山 往 来

(2)明治 ・大正親の交通箱 一・

(1) 成 羽 新 見 線 (ロ) 吹 屋 東 城 線 h) 矢 上 吹 屋 線

(3)昭和時代の交通路 (県道 ) (1)新 見 川 上 線

187 187 187 187 189 189 189 191 193

196 197

‑' 198

198 200

203 203 203 203 203 204 204 204 206 20・6 206 207 207 209 209

(19)

(ロ) 寓歳井倉停車場線 .‑..‑..‑一一一. ぐう 北房井倉哲西線 (華南線 )‑

〔村道

〕一・

〔町道 (合併当時) 〕 2 交 通 機 関 の 変 遷

〔乗 合 自動 車 〕 (1)新見自道草会社

〔運 行 回 数 〕

( 2 )

備 北 バ ス ‑ (3)町 営 バ ス

3 通 信 ・

(1) 郵 便 局 の 沿 革 ・

(2)荷 歳 郵 便 局 の 沿 革 ‑‑‑‑

(3) fEE信 ・電話 ・有線放送 ・無線放送

第 6孝 地 域 閃 確

1 哲多町 にお ける過疎 の実態 2 哲多町 にお ける地域開発

3 哲多町過疎地域振興計画の基本方針 4 哲多町過疎地域振興計画 の実績 と特色

(1) 交通通信 体系の整 備 (2) 教育文化施設 の並 備

(3) 生活環境施設等厚生施設 の整備 (4)農林水産 その他産業の板 取 ‑ (5) 集 落 の 整 備

第 7章 集 落 の 集 団 生 活 1 家 族 ‑1・...I

(1)家 族 構 成 (2) 生 活 状 況 ・一一

2 親 族

(1) 親 族 の 分 布

( 2 )

通 婚 圏 3 寄 り合 い ‑一一

(1) 町上の寄 り合い (2) 町 下の寄 り合い

902223333455680111111111111122222222222222

221 221 221 224 225 233 233 234 234 23∠】

(20)

4 伝統 的機能集団 (1) 感 家 集 団 (2)庚 申 講 (3) 大 師 講 一・

(4)山 上 講 一・‑・‑ (5) 日 掛 屑 ‑‑・

5 近 代 的 機 能 集 団 (1) 希歳泉 スポーツ少竿LD

( 2 )

宵 年 団

(3) 前 額 婦 人会 ・‑ (4)菌 歳 農 協 婦 人 部 ‑ (5)哲多町青雲会

第 8章 教 育 ・・・

1

近 世 の 教 育 ‑‑.

寺 子 屋 一一一一‑ 2 近 ・現 代 の 教 育

(1) 就学前教育一茶歳保育園 ‑ (2)小学校教育一 再歳小学校‑

(j)啓 襲 所 ・ (ロ) 小学校の別鹿 一. 卜) 尋常 ・高等小学校 巨) 国 民 学 校 一 国 荻 毎 分 板 目・

(3)暫 膚 中 学 校 一一日 (i) 哲向巾学校のrLt革 (ロ) 生徒数の推移 ‑ 卜) 進学率の推移 巨) 研究授業 ・研究会 (4)阿 哲 高 等 学 校

(1) 戦前の実羊補習 致斉

(ロ) 阿哲高等学校の沿革および概要 再 生徒敬の推移

巨) 卒業生の進路状況 ‑

3 哲多町の児寮 ・生徒の郷土意隷および空間食談 に関す る 調査報告

33333455803d︼555555555666222222222222

(21)

< 付 録>

哲多町関係史料 目録

(22)

第 1 章 自 然 環 境

1.地 形 ・地 質 の概観 (1) 菰歳村への道

第歳村は,吉備高原のなかの小 さな村である。行政区画か らい えば,関山,LEriの西部に位IB L,昭 和30年に本郷村および新砥村と合併 して,いまは阿哲郡哲多町の一部をな している。

爵歳へ 往 く道は幾筋かある.主要地方道新見一成羽線がその本街道 とすれば,非分‑哲西線が脇往 還 といえようoまた,前者を縦の線 とすれば,後者は鱗の綿で,両者は前歳村の中心で交差してい

る。

新見一成羽糠は,谷間をたどる道であるo高梁川に沿って,国道180rF3‑線を北上す る。石灰岩の 見事な絶壁が相迫 る井愈峡を抜けると,蛇行の挟部には交互に谷底平野が広が るようになる.新見 に近い正田橋のf:もとで,国道 と別れて西川の掛こ人ろ。 ここから新見一成羽線 となる。間 もな く 大 きなダムが迫 ってくる 河本ダムである。西川は両岸が切 り立った深い峡谷であるが,高いダムに

さえぎられて見通すことができない。ダムを右手に見なが ら,道は本郷川の谷に沿 って南 下す る。

やがて谷底平野が開けは じめ,間 もなく本郷の町並みが見えて くる。哲多町の中心集落であ る。哲 多町役場はここにある。

本郷川の谷底平野は南へ連なっている。上成松 を過 ぎると,川 は大 きくカーブして山峡に入る.

選科もそれに沿っていく。 このあた りから,旧鹿蔵相 の村域である。両岸相迫る山峡は短い。再 び 大 きくカープすると,谷底平野が開け,失声町の集落 に入る。 このあた りの海抜高度 は255.‑ 260

・nである。失声町は旧寓歳村役場のあったところで,村の中心集落であった。失声町の北方 には, なだらかな丘陵があ り,その斜面に老栄の家々が点在 している。

失声町上 の万歳 コミュニテ ィハウス前にある梢の前日こ一対の道標がある

。一

基 には 「商歳橋」l「距 新見三里六町

大正十二年三月架換」 と刻まれ,他の一基 には 「まんざいはし

「距成羽七里二

十町」 とある。以前は町下の桁の欄干の両側に使用 されていたものである。その桁 は木橋で,昭和 9年の水害以後摘みがひどくなり,コンク リー ト椿に掛け替えられ,不rT]にな ったので ここに建て られたという。

本郷川に沿って西に向 うと蚊家 (旧新砥村 )に至るが,再 び新旭‑成羽線にF戻 り,本郷川 にかか る酋歳橋を渡って,支流の失声川沿いの狭い谷底平野を軒 Fする。只野 ,中井芥 を過 ぎると,左手 に撫明谷の石碑が見 られ る。井戸 ・井原 ・相帯 ・放尾を経て井創 こ至 る道の人口である。

解明谷の入口を左 にみて,家実,商議の泉.内井谷 をす ぎると,額道は傾斜 を増 し,峠に登 る.

新見 ・本郷 からを衷rjtすれば,こが簡裁の頚木声 といえよう。峠を越 えると,そこは成羽町で あ り,坂本の袋商があるoここか ら坂本川の谷に沿 って

F

り,田原で成羽川掛 こ合 して,成

こ至 ることができろ。

両夜への脇往記ともいえる井倉‑哲西線 をたどってみよう。井倉の繭で,深 く穿入蛇行している 菌梁川の岸か ら.石灰岩台地の切 り立 った斜面 引 よすかいに登 るO急坂 を‑罷 り切 ると,視 界が開け, 緩やかな起伏の市原が目の前に展開するO殴符 400m前後の台地で,繭は大抄利谷,北は白谷で

(23)

深 く切 り込 まれている。阿哲台 と総称 され る石灰岩台地の一 つで,中野 呂台 と称 ばれ ることもある。

石灰岩台地特有 の凹地 である ド7)‑ネが い くつ も分布 し,波浪状の起伏をつ くる。野 呂は この緩 や かな起伏 に由来す る地名であろ うQ浅 い ドリ‑ネは,ほとん ど畑地化 されてお り,ところどころ, 白 く小 さな石灰岩塔が諜出 している。 この台地の大部分 は新見市 に属 してい るが,台地 に上 って約 1.5kJIはど西へ 進む と,荻尼で あるOこか ら商歳村 (現在 は哲多町 )となる。荻尾 に も ドリ‑ネ があ り,石灰岩 台地特有 の榎起伏地 をな している。

荻尾の西 にあ る株高550,,L前後の山地 をま くよ うにして過 ぎると,再 び石灰岩台地 に出 る。井 戸台 と草月台である。井倉一哲西線 は,この石灰岩台地 を深 く刻 んで流れ る井原川 に沿 ってい る。

この谷は,犀風 を立 てたよ うな絶壁が相迫 り,夏で も昼 なおひんや りと暗 く,鬼気 こもる感 じが あ る。無明谷 と弥 ばれて い る。谷 は極めて狭 い欠床谷で ,河道の一部 をさいて道路がつ くられているC かつては,洪水 のたびに道 が河原 とな り,交通 は途絶 した。川 と兼用の道路で あったO昭和53年 , 改良工事が行 われ,川 と道 とは分離 され,交通途絶 をまぬがれるよ うにな ったo まT=,北の石快岩 台地上 を通 る草月線がバ イパ スとしてつ くられた。

無 明谷を通 り抜けると,井宙一 哲西線は ,家実で新見一成羽線 に合 してい る。

(2)地形の概略

薦歳村 の地形 は,山地 とその山地 をW.り込んで流れ る中小の河川がつ くった狭小 な谷底q'‑・野か ら な る。

900 800 70O i,00500 500 40CI

単位巾 500 600 500 500 0 2 4km

図1‑1‑1 新 見図帽の切券面図 (方眼法 による )

図郭 は5万分 の 1地形 図 「新

札J

と同 じD破線内が旧武蔵村

(24)

山地は

,

猿神山(707m )を最高 とし,大坊山 (622,0,A),茅帽子山 (620.0,n)をはじめ とし,標高600mか ら500m程度の峰が多 い。 これ らの山地の間に,標拓 400m前後の石灰 岩台地があるo また,本郷川一矢戸川のつ くった谷間 には捷高300m前後の稜を もつ丘陵状山地 がみられ る。

これ らの山地は,山頂高度か ら,次の四つに分 けることがで きる

① 700Tn以上 の山地 成羽町 との境にそびえる掠神山 (707m)この南 (成羽町

・備中町境 )の小吹山 (

77

2,8,a),天神山(777.6Tn)とともに,吉備高原上に抜 き出た残丘的 性格 をもった山地である。

② 650‑ 500mの山地群 菌蔵相 の山地の大部分が これに含まれる。本郷川一矢戸川

の谷よ り西の山地 (哲西山地 )は,哲多町 から暫西町 .術中町にかけての広 い範囲に

,650

m‑

500mの山稜がつ らなっているOその山地の東

にあた るC また,本郷川‑矢戸川 の谷 よ り東の 山地は,南の吹屋 山

につ らなる ものである。

400

miI]EJ後の山地群 荻尾 (申野 呂台のつづ き ),井戸責,草月台な どの石灰岩台 地 と吉宿の集落のある台地 石灰岩台地 は,阿哲合 と蛤杯 される石灰岩台地群の一部 で,台地上に は,大小の ド')‑ネや ,小規模なが らカレン フル トがみ られ,ところ どころ石灰洞 も開 口してい る。

④ 300m前後の丘陵群 本郷川一矢戸川 の谷 を埋めた第三紀砂牒層が開折 されてで き た丘陵o老栄,中井谷 ,宗本,大 峠,奥地な ど.雄藩が立地 する丘陵であるO

吉備同原中部 における山地 については,三野与古 く1935), 藤原健蔵 ・長松睦子 (1966), 岡EEl鴨正(1967), 阿子島功 (1980), 藤原他店 (1980)な どによ って,地形区分が行われ, 地形形成過程が論 じられて きた。 それ らの区分を対比 した ものが,表1‑ 1‑1である。

表1ll‑1 吉備市原 岬 地域における従来の地形面鑑分 層序関係 (阿子島1980による) 藤原

.長

(1966)

三 野

(1935a.b) 岡 田 (1967MS.,73)

>6001n < 中断統堆胡

>

天神 山面< 山砂利規 丘状I屑堆椴>750‑ 650m 豊松面 620‑ 560m 高山市平坦面 600士 Tn

基盤岩を切る 高山平坦面 50申新 鈍を切 る0上,a 吉

市原面700‑ 500m

<玄武岩買入>

油木面 500士m,盛盤岩 . <回 春> く山砂利 Ⅱ層‑高頼申新跳 .山砂利 Ⅰ屑 を切る面

中断銃を切る山頂 .山 <砂傑胸椎班>中新統基低

の剥

離面 ? 層な ど, 谷埋 め型 ‑の 唯

腹緩斜面

胡>

<谷埋め型 山砂利層の <玄武岩質入>< 中新銃 .山 唯枕,層犀 80十 m> 砂利 Ⅱ屑 ー玄武岩の削平>

(25)

高位日蝕谷 HvA >180,a HvB460‑ 420 中位侵蝕谷 MvA380‑ 340 MvB370′‑300

低位61蝕谷 Lv 270‑ 140

八 日市平坦面 400士Tn 基 盤岩 と砂 梗Irjを切 る 浪形 'li・坦面 300‑ 200

I l l

同 上

西江原平坦面 200‑ 150

m

同 上

★三者 の面区分の相互の対比 は一致 しない部分が ある。

頼Jj内 Ⅰ面 450‑ 3CK)Tn

<回春>< 山砂 利 Ⅲ屑 の 堆 鮎‑>

瀬戸内

Ⅱ面

300‑ 140

T T Z

八 日市南西の単 量 ・峠の侵 蝕面

き 蜘

j

円m

< 1 0 0m

ペディメン ト状地形 ・切断 曲流跡河止血 ・段丘面 ・沖 も3面

前述の窮境村の山地区分 と岡田寓正の地形面区分 と対応 されるな らば,①700,n以上の山地 は 天神 山面であ り,②

650m‑ 500m

の山地群 の吉鵬高原面に相 当 し,③400

m

前後 の石灰岩 台地 面 は轍戸 内 Ⅰ面に含まれ,④300m前後 の丘 陵鼎 ま瀬戸内 Ⅱ面 と対比 させことが出来 よう。

占'備砧原 面 とは,岡山Ltiミ西部よ り広 島bLl・.東部にか けて広 く逆児している山原面で あ り,板戸円 Ⅰ 面は 岡山県中央部の 吉備高原 を広 く占め る地形 前であるO吉備高原面 と瀬戸 内面の分布は,一 般に 吉備高嶋 と斬中内とい う範閏 とは食い違 う。 したが って,吉備高原 面 ・瀬戸 内両の名称 は必ず しも 適1ではないが,代 るべ き名称がいまの ところないので,そのまま踏典す るO

吉備詰原面 ・瀬戸 内I面 ・板戸円∬面な どの地形面は,それぞれの様子 か ら,62蝕によって平坦 化 された面 (侵 蝕小起伏面 )と判断 され ,それぞれの融 に対応 す る侵蝕遁準面が想定 され る。 侵蝕 鵜準面が相対 的に下が ること (相対的 に陸地が隆起す ること )によ って,順 次,若齢高原面,瀬戸 内 Ⅰ面 ,瀬戸内 Ⅱ面 と階段状 に地形面が形成 されて きた。

吉備

原の形 成過程 については,いろいろな論があ り, まだ解 決 をみない問題 が あるが,おおま か にいえば,上 のよ うな過程 をへて段化 して きた ものであろ う。

吉備高原面は ,第三紀 中新世 の砂 棟層 を切 ってい るので ,その形成 は中新世以降 とみ ることがで きる。

次に,谷について見よ うこの地域で特徴的な ことは,南北方向 および北栄一南西方向の谷が多 い こ とである。

矢jjJHの掛 ま円井1'iか ら1滑 にかけて ,南か ら北へのびてい る。 この谷の東樽の山楚線 は,見守 に直線状 をな してい る。 その延長 は峠 を越 して,坂本川の谷 に延長す ることがで きる。本郷か ら上 成松 にかけての本郷川 の'ITも南北方向で あるQ この廟へ の延長は,新 第三紀の砂 鎌周 よ りな る丘酸 を老栄 ,中井谷 ,宗本 とた どることがで きるこの新第三紀の砂瞭個 は,かつ ての谷 を埋 めた もの であろ う。

このよ うな南北方向の谷は,岡山県北部 を千准断層 ,田原 断層,坂本断屑 と雁行状 につ らなる南 北件の断層 に合致 してい る。

南北方向の本郷JJI‑矢戸川の谷に斜交 して,北領一南西 方向の谷が ある.大谷川の谷,猿神 LL伸 か ら矢JJ町に向 う谷,矢J珊 ‑か ら苦情へ伺 う谷 ,井原川の谷などであるOこれ らも断層線谷であ る。

(26)

矢戸町よ り上流の本郷川 ・矢戸川の谷底平野はいずれ も狭 く,せいぜい幅200‑ 300mに過 ぎないO本郷

J

Hと矢戸川の合流点付近がやや広 くなるが,それで も幅数百mである。それ らの谷底 平野は,新 しい下刻によって,わずかながら段丘 化している。

(3)地質の概略

商歳村 に分布する地質の主な ものを紹介しようく図 1‑ 1‑2参照 )o 十十 十十十十十十十 +

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1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13

図1‑ 1‑ 2 旧第歳村域の地質図

(光野千春 ・杉田宗満偏 :岡山県地質図によるO‑部改変 )

Y :矢戸町

U:

内井谷 Ⅰ:井戸 0 :荻尾

1. 沖街層 (錬 ・砂 ・シル ト・粘土 ) 2.捷岩 ・砂岩 ・泥岩 (中新世 ) 3.砂岩 (中生代 ) 4.花E由岩 (中斐代 ) 5.流紋岩 (中生代 ) 6.泥質岩〜泥男片岩 (古生代 ) 7.秒質岩‑砂質片岩 (古生代 ) 8.秒質宕 ・泥質岩互層〜砂田片岩 ・泥男片岩互層 (古生代 )

9.チ ャー ト‑珪貿片岩 (古生代 ) 10.石灰岩 (古生代 ) ll.塩毒性火山岩類〜塩基性片岩 (古生代 ) 12.ホルンフェルス化 13.断層線 14, 旧黄歳村域

(27)

(》 古生代の岩石

a.塩基性凝灰岩 (嘩緑凝灰岩 )〜塩益性片石 (緑色片岩 ) 海底火山活動 によって海 底に堆積 した塩基性火山噴出物が圃結 した もので ある。三郎変成作用によって低変成度の緑色片岩 となっている部分がある。嘩緑凝灰岩は老栄の乗か ら吉満 にかけて分布 している.村域南東部の大 抄利 谷か ら吹屋 にかけて帯状の地域 をなして,緑色片岩が存在する。

b.泥質者〜泥質 片岩 ,砂質岩〜砂質片岩,珪質片岩 石炭紀か ら二畳紀 にかけて海底 に唯桜 した ものであるo火成活動 や地燕変跡 こよって変成作用 を受 け,片岩状 になった部分 もある。

村域の南東部 では泥貿岩 を主 とし,北東部 は妙案岩が分布す る。大坊山付近では珪質片岩化 してい る。首 府一只野一円井谷の断層以西では帯状に砂質岩の地域がある。

C.石灰岩 石炭系 ・二畳系の石灰岩で ,ボウスイチ ュウ,ウ ミュ リ,サンゴな どの化 石がみ られ る。荻尾 (中野呂台 ),家実か ら井戸にかけて (草月台 ・井戸台 )および矢戸町の南西 の火沿 いに分布す る. ドリ‑ネ,カレンフェル ト,純乳洞 ・石灰洞な どのカルス ト地形がみ られ る。

② 中生代の岩石

a.bl叔 岩〜石英斑岩 白亜紀 に噴出した流紋岩質火砕岩 類で,古生界の諸岩石 を不整 合におおっている。本郷川一矢戸川 よ り西側の古生界の西方に分布す る。その酉の花樹岩頬に接触 す る部分では,ホルンフェルス化 している。村域の南西端 にも流紋岩が分布 している。

b.花樹岩〜花的閃経告 流紋岩帯の地域の西 に分布す る.角閃石 ・黒雲母を含む中粒 ないし粗粒の花摘岩〜花偽的線岩である。白亜紀の火成情動 で生 じT=深成岩 である.接触部では数 百メー トルの範既の岩石 をホルンフェルス化 している.

(勤 新生代の地層

a.新第三紀層 (砂岩 ・泥岩 ・館岩 ) 矢戸川の谷を,奥地 ・大峠 ・宗本 ・中井谷 ・宮 峠 と分布 し,失声町 を越 して老栄に も見 られ る。それぞれ丘陵をな している。 末固結 ないし半圏結 の僚層 ・砂屑 ・泥屈の互層であるが ,基底部は疎層で ,上部では泥周 が多 くな る。中新世の植物化 石 ・動物化石を含む。

b.

沖積屑 本郷川 .矢戸川の川沿いに小規模な沖GllJ民地 をつ くってい ろ。砂および陳 を主体 とす る。

(高橋達郎 ・山本 誠 ) (引用 ・参考文献 )

阿子昆 功(1980):吉臓 山地の準平原問題 ‑ 吉備高原面 と瀬戸 内面のL<:分の再検討 ‑ 西村崩 助先生退官記念地理学論文集

15‑2 0

光野千春 ・杉田宗満編 :岡山県地質図 内外地図 付 新生代の化石

化石については,哲多町教育委 員会発行の 「哲多の̲地毘」 (文化財専門葺員 平松英志著 )よ り 失声地区の分 を抜 き宙 きする。 ただし,下線の部分 についてはt7き換 えてある。

(28)

老栄 ・中井谷 ・宗本 ・大峠にかけて南北に範三紀中新世の堆層が分布 し,この中に多 くの化石 を 含む地層がみ られるOこれ らの地層は,中井谷 ・宗本 ・大峠付近でI堤 些 生野妙岩層 を不整合に被 い,老栄では中生代白亜紀の流紋岩 (石英斑岩 )を不整合状態に被っているO また,老栄では化石 を含む屑の上部にアツガキが多く,矢戸地区では糾乙は見 られない。

ア 中井谷周辺

① 双子弟植物

Fagus protojapouica Suzuki (ムカシイヌブナ ) Fagus palaeocrenata Okutsu (ムカンプナ )

② 軟休動物

○ 斧足類

SpISula(Mactromeris) Onnechuria(Otuka)(テ シオウバガ イ ) CHnocardiuTn ShinjlenSe Yokoyama(シン ジザル ガイ )

Anadara (Scapharea) daltOkudoensis Makiyama(ダイトク ドゥアカガイ) Hiatella sachal主nensis Takeda (ムカシキヌフ トイガイ )

Phaxas izumoeusis Yokoyama (イズモノアシタ )

Trachycardlum Shiobaren8e Yokoyama (シオペ ラザルガ イ ) Chlamys (S.S.) cosibensis Yokoyama (コシバこ シキ ) SoleteLlina mlnOenSis Yokoyarna (ミノイソシ ジ ミ)

Trachycardium shiobaraense Yokoyama (シオバラザル ガイ ) Mya (Arenomya) joponica Jay (オオノガイ )

○ 腹足類

Nucella freyclnCti (DeShayeS) (エゾチヂ ミボ ラ ) Terebra eminula Yokoyama (チチブギ リ)

EuSPira iSenSiS Araki (イセ タマ ガイ )

〇 十脚類

Cancer sanbonsugi lmal2umi (サ ンポンスギ イチ ョウガニ ) ほかに植物の小弟が多数に見 えるが,不完全で鑑定困難であるO

イ 老栄西口 (小林氏宅上 ) (∋ 軟体動物

O 等足頬

Ostea grauitesta Yokoyama (アツガキ ) cycllna japonlCa Kamada (ムカシオキシジ ミ)

LimopsIS tOkaiensis Yokoyarna (トウカイシラスナガイ ) Felanlella usta Gould (イソシジ ミ)

MiyaglPeCten matSumOriensiS Masuda (マツモ リツキ ヒ)

(29)

Tapes higuchil Kanno (ヒグチス リガハマ ) Macoma optiua Yokoyama (ダイ オ ウシ ラ トリ )

○ 腹足 類

Vicarye日 a notoensis Masuda (ビカ リエラ ) Phos IWakianus Yokoyama(イ ワキ トクサバ イ ) Cerithldea sirakil Makiyama

BerlnglnS hobetsuensis Matsul (ホベ ツ ネジボ ラ ) Borsonclla SP. (ザ トマ ンジ )

〇 十御株

Callianassa shlkamal lma12:uml (シカマスナ モグ リ ) (かにのつめ )

鈴虫痕と物

Bryozoaとい う辞虫動物の化石 ではないか と思 われるものが見 られる。 この層の中には (石炭の挟層 )木の炭化部分があちこちに見 られる。

り 吉耶八幡神社付近

① 軟休動物 0 斧足 類

Ostia graulteSta Yokoyama (アツガ キ ) FalanleHa usta Gould (イ ソ シジ ミ )

Soletelllna minaensis Yokoyama (オキ シジ ミ )

(30)

2.

河 谷 の 地 形 一 矢 戸 川 の 谷 ‑ (1) 断層線 に沿 って発達す る河谷

矢戸川の河谷は,ほぼ南か ら北へ直線状 にのびている。河谷 の東側 の山地 斜面は急 で,河谷低地 との間 には明瞭 な傾斜の変換が認 め られ る。 この傾斜変換は内井谷か ら只野 にかけて.一面線 に連 なる。 その方向は南徴西 ‑北徹束 であるO この延長 を南にた どると,町境 の峠 を越 えて,坂本川の 河谷 につなが るこの よ うに盾 線状 に長 く連 なる谷 は,断層線 に沿い差別侵食に よって形成 きれた もの と考 え られる。断層緑谷 とい って よい。府中町田席上か ら坂本にか けての断層 は,坂本断層 と 称 ばれてい る。

矢戸川の河谷 の 西側 では,山地 との間に解三紀屑 よ りなる丘陵が介在 している。山地 斜面 と丘陵 との傾斜変換線は,宗本 の西 一中井谷の西 一宮の峠 の西 と,南微束一北徹西にた どることがで きる。

その延長は,老栄の北の小谷 か ら本郷川の西 の谷壁斜面 につないで考 える ことが で きよ う。 これ ら 線状 につ らなる地形 も,断同線に支配 きれた もの とみて よか ろ う。

矢戸川の河谷 は,基本的 には,両側 を断層線 によって規制 きれた谷 であ る。 その河谷内に ,第三 紀層 よ りなる丘陵 があ り,それを下刻 して河谷 低地 が形成 されてい る.

ただし,大峠 か ら奥地 にかけての部分は,南西 一北東方 向の構造 に支配 きれた地形 である. この 方向は,南西の土光谷 と同方向 であ り,また,北奴にあ る無 明谷の方向 も南西 一北 軒方向 である。

( 2 )

失声JH河谷の地形分類

矢戸川の東側 では,一般 に急 な斜面が直接沖敢低地 に接 している. それに対 して.西側 では,山 地斜面 と沖田低地 との闇に,比較的緩 やかな斜面 を もつ丘陵状の地形が見 られ る。

この河谷内 の地形 を,沖胡低地 ・段丘 ・丘陵 ・扇状地に分類 した。 図

112‑

1は,宗本 一中井 谷付近の地形分矧 頭であるo

a.沖群低地

沖朝低地 は矢戸IHに沿 って連続 的に見 られる。段丘化 してお り現河床 との比高 が1‑ 3mくら いで,上流ほ ど比高 は小 さくな る。

b.

段丘化 した沖積低地 j:り一段高 い段丘状 の もの。矢戸川の西伽 にわずかに見 られ る程度 で,あ ま り発達 していない。沖徴低地 との比苗は5mくらい。上部は丘政 に連続 してお り,丘陵 とは明瞭 な段差 を持たない。

C.扇 状 地

山地か ら流れ出 る小谷は,丘陵 ・段丘 を閑析 し,沖笥 低地 の上に堆供物 を扇状地状 に堆積 させ ている。

d.丘 陵

丘陵 は矢戸川の西側にのみ見 られる。馬の背 の ような形状 で,第三妃砂 鞭層 よ りな り,その上 限 は340‑ 350mまで もとめ られ る。

(31)

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図1‑ 2‑ 1 地 形 分 類 図

0 200仇

(32)

(3)地 質

矢戸川をは さんで,東側の山地 は古生層 (砂岩 ・泥岩 )よ りな り,西側の山地 では古生層 (砂岩 )

・石灰岩 ・流紋岩がみ られる。丘湊は,新生代第三鑑の もの と考 え られる襟層 ・砂層 ・泥層 よ りな るOただし, ここでは化石 は兄いだされなかった。

(4)調査地域の諸地形の特徴

現地 での庶頭調査及び′、ン ドレベル ・クリノメーターによる測虫 を もとに,地形分類上に示 した A‑A′・B‑B'.C‑C′の3つの断面lこついて,模式的な地質断面図 (図1‑2‑ 2,ll

213・1 2‑ 4)を作成 し

T = o

露頭調査地点は,地形分類図上 に数字 で表 したo

席高 (m)

500 400 300 2uU 100 O 水 平距離 (叫

図1‑2‑2 模式的地質断面図A‑A′

(33)

煩慮冊400

4 0 0 3 00 2 00 1 0 0 0

1‑2‑3

模 式 的 地 質 断 面 図

B‑ B

(34)

400 300 200 100 0 100 水平距 離(m) 図1‑ 2‑4 模 式 的 地 質 断 面 図

C‑

C /

(35)

これ ら3つの断面図は,すべて丘陵の尾根 を切 る もの であ り,それ ぞれに近 い定額 で観察 された 丘陵構成層 を投影 した。

傑層 はほ とん どが亜円〜亜角裸 で,傑層 の見 られ る各雷頭 の間には,傑種 ・傑径 において大 きな 違 いは見 られなかった この ように円形度 も高 くな く,裸種 も付近の山地 を構成す る基盤の岩石 と 同 じ石灰岩 ・砂岩 ・流紋 岩質岩 で あることか ら,亜 円〜亜角喋 よ りな る疎層 については その起源 を 付近の山地 に持 ち,運搬 された距離の短い堆積物 と患われ るC

1‑2‑2

では砂層 が

300m,309m,317m

付近 に見 られ

,317m

付近 では上部 に 泥層 も見 られ る。図

1‑2‑3

では

294m,299m

で砂層が見 られ

,319m

付近 で泥層 が見 られ る。図

112‑4

では

300‑ 305 m

に砂層が見 られ ,闇に泥僧が含まれてい る。 また地形 分類図上に示 した塔頭① では泥層 (

330

m付近 ),措頭㊥ では砂層 ・泥層 の互層

(315‑ 320

m)が見 られ るQ

基盤の高度 は図1

‑212

においては,罷頭㊧ の亜円〜亜角帯層 の不整合面 よ り判断 して

,290 m

くらい と考 え られる。図

2‑2‑3

び 1‑2‑4

ではは っ きりとはわか らないが ,上部 の亜円

〜亜角傑層及 び長頭⑧ で見 られる基盤 よ り半噺 して ,おそ らく

280m

前後 と考 え られる。ただ7'し, この基盤高度 は丘陵の先端部 にお けるもの である。 また .馬 頭⑩ ,⑯ .⑲ ,⑳ では基盤 の砂岩が見 られるQ図

1‑2‑2

及び図

1‑2‑3

320m

より上部に見 られ るように ,この あた りでは裸 層 ・砂層 ・泥層 の堆萌層が薄 く表 面を啓 っているために,所 々に こうした基盤の蛋 出が見 られ る も

の と思 われる。

泥層 は一般 に湖沼性の堆積物 と考 え られ,このあた りでは

300m,320m,330m

に見 ら れ る。 したが って,湖沼化 した時鵜が何度かあったのであろ う.

この ように基盤の砂岩の上に並 円〜亜角環層 を堆構 LTこり,湖沼化 した時期 に砂層 ・泥層 を堆群 す ることを繰 り返 して ,丘陳楕成層 が形成 された と考 え られ る。

また ,図

1‑2‑2

及 び1

‑2‑3

では

310‑ 320m

付近に傾斜の変換点が見 られるo中井 谷周辺 では一般

に310‑ 320m

付近に傾斜の変換 する所 が連続 してお り,このあた りに道が通 ってい るQ この ことか ら考 えると,中井谷周辺 では丘陵構成層の堆前後 ,河川の下刻 が進む際一時 的に下刻が弱 ま り,例刻 に よって河道 を広 げる時期 があ り,その時に この ような傾斜の変換点 を生

じた と思われ る。

なお段丘について考禁 を加 えてお くと,外見上は沖税低地 と殴差 を持 つが,段丘面の上限 は

31

0

‑ 320m

付近 にまでみ とめ られ ,緩やかな傾斜を持 ってい て丘陵 と明瞭 な段差 を持たない。段丘 堆墳物 の観察が できなか ったためはっきりと判断 で きないが ,丘陵 面が形成 された後に上部 の丘陵

・山地 か らの崩現物 に よって丘陵 との段差 が埋 め られて,この ような緩やかな傾斜を持つに至 った の ではなか ろ うか。

(植田隆 之 ・小葉孝男 )

(36)

3.

カルス ト地 形

(1)旧苗 歳村 のカルス ト地形の概観

石灰岩地域は ,旧商議村 の東南部 に位霞 している。この地域は阿哲台 と総称 さ れる石 灰岩台地の 一部であ る。東 を高梁川 ,西を本

H,北 を自谷 ,南は大砂利谷 に潤まれた標高400‑ 500m の台地 をな しているO 2倍〜 3倍年 軌 石炭紀か ら二塁紀に かけて の時代 ,ここに石灰質 が沈積 し, のちの造山連曲で陸化 して台地に な ったものとされ ているo炭 酸 ガスを含 んだ水 に宿けやすい こと か ら,石 灰岩台地は他 の岩石か らな る地域 とは異な 9̲た景観 を形成 しているO 旧講読村内の石灰岩 地 域特有の地形は ,両側 を30mもの断Li!にはさまれた幅狭 い峡谷 の無 明谷 ,湧水の蔑鼠の泉 ,潔 さが80mもあ る縦 穴の位乳洞のお とす の穴 ,昭和

54

年に単月林道 の工 事中に発見 された横 穴の

洞の草 月洞 ,荻尾 の台地上で水が 不足 しても符に水が硬 さ出てい る風 はな の湧水 ,す り鉢状窪 地の ドリーネ,カレンと呼ばれ る岩塔群 な どである。これ らの特異 な地形が形成 されるのは ,水に よって石灰岩が潜食 されるか らであるC石灰岩台地上lこ降 った雨水が ,地 表を流 れた り,石 灰岩 の 割 れ目から地下 に浸遷 した りしなが ら,石灰岩 を啓会 し,その結果 ,地 表には ドリーネと呼ばれる す り鉢状 の窪地 ができるO この ドリーネの庇 の吸い込み穴 に よって ,雨水 は地 下 iこ浸 透 してい く.

浸 透 してい く際に紐乳洞な どの地下水系が発遷 して い く。石灰岩 欄 Jれ 目な どか ら,地 下水 系内の 水 が地表にでて くる と痢水になるo甫歳の泉は石灰岩 の割 れ 目か ら地下 水が演出 して

,

常 にこんこ ん と水 をたた えてい るのであ る。一方 ,石次岩台地 上では, l肢 に降 った雨水 はす ぐに浸還 して し ま うので,水 の確保が困#である.石灰岩台 地に住む 人々は,かつて水 の確 保のために家 の屋根 に降 った雨水 を集 めてタ '/クに貯蔵す る天水井戸の 施設 を利 用 してきたo天水井戸は今で も,胤的 歳村に残 っている。 また .たごをかついで谷 まで水を汲みにい った とい う土地 の古老に よる水汲み の重労 働の点 も聞かれ,水の健保のための大変な苦労が しのばれ るo カルス ト台地上(こ点在 してい て ,まるで羊 の群れの i:うに見える石 灰 岩 塔 群 も,石 灰岩台地 上に住む人 々に とっては節音 で3,

り,畑 を耕作す る時に,鍬の刃が石灰掛 こあT=って くだけた り,一触の中か ら石灰岩 を掘 りお こして 耕作の妨 げにな らない ように移動 させ fIりと,散 々の嘗労請 も憎 くことが でき,石 灰岩台地 上に任

む人 々の確活 の桜 しきを垣間見た よ うな 気 がす る。 カレンとは,石灰崇の剤 れ目 や節理 ぞいに帝 食がすすみ,掛 こなる所 と稜 になる所が できた もので,きちに溶 食が進 む と,石灰岩の岩塔が残 r),その閥 は土壌 で埋 め られ るO 旧Pi磯 村 内 でも, 石 灰岩地域の至 る所 でカレンが見 られ るO カ レンの発達す る地域は ,カL'ノフェル

トと呼ばれ る。 ドリー ネやカ L,I/,また 親乳洞のある石灰岩の地 形をカルス ト地 形 とい う。 カルス ト地形の広がる石 灰岩 の台地は カルス ト台 地 と呼ばれる。 カル

写白 11 3‑1 畑 の中lこと り残 された 石灰岩の岩塔

(37)

ス トとい う吉敷 ま,ユ ‑ゴスラ ビ7で岩 を意味す る語に語源 をもつ 地方名で あるo カル ス ト地 方は . ジナ ルアル プ ス北 部の石 灰岩台地 で石灰岩が錯 出 し,カ L,ソフ ェル トや ドリーネ, ウ/く‑L'な ど独 特 の地 形が広 がっている。

〔参考文献 〕

岡 山の 地学 光野 ・洞野 .高橋 昭和57年 山脇新Ui]社 岡 山県史第 ‑替 自然風土 昭和58年 岡 山 脱

( 2 )

谷 と 泉 A 無 明 谷

1)概 観

図 1‑ 3‑ 1 無明谷 は家実 よ り,北棄方 向にのぴる谷 で ある。

阿哲郡哲多 町実家 か ら井原 にか けて 岩がを食 されて で きT=峡 'diがあるo撫 明谷 と呼 ばれてい る0両岸 を高 さ 30〝1もの断掛 こは さまれ た幅狭 い峡谷 でその名 の示 す通 り昼 なお暗い。無 明谷 に 紘 ,井原 の北 部に軒 を発す る井原 川が流 れてお り,両品の少 ない時掛 こは ,ほ とん ど水 の流 れは な いが,梅雨期や台風期 な ど雨 鉦 の多い時 掛 こは,渦流 となって水 が流 れ る。谷は 上流 で高度360m,

(38)

写兵 1‑ 3‑ 2 無 明谷 の断崖

出 口で280mで,北東一南西方向 にのぴてお り,全長約

2 ・ 2

血 ,谷底 の平均幅 は約 5mである。谷壁には,川の浸 食に よって形成 されたノッチや,雨水に よって浸食 された 石灰洞が多数存在 してい る.無明谷 は,石灰岩台地 を浸 食す る幼年助の谷 であ り,両側 が界凪 を立てた ように切 り立つ絶壁 で,その岩肌 には石灰岩地 特の特殊植物 であ るキ ビノクロウメモ ドキ,ケ グワ,ヤマ トレンギ ョウ, イワシデな どが繁 り,独得 のBl観 を しめ してい る.

もともとは人もめったには近づ か ない峡谷だ ったが, 周辺の 山に成 る松 を軍馬 材 と して搬出す るために,昭和 16年lこ車馬の通 れ る道路 にす る計画がおこ り,昭和18 年

5

月に完成 した。峡谷内 で川 と薬用 とな る道路が

3 00

・nもあ り全国 でも珍 しい道路 であ った。 そして洪水のた びに道 が河原とな り,道 路の改修 を繰 り返 し行 わねは な らなか った。 唱和

23

年 に地元 民念願 の県道 にな ったが, 昭 和47年7月大洪水が発生 し,復 旧に2ケ月 を塵 した。 この洪水 によ り無 明谷幅 をひろげて道路 を必備す ることとな り,国兜 の支出も決ま り,攻渉 のた め谷壁の石 灰岩 を大幅に切 りお とそうとし た。 ところ が岡山県 自然保曹 課が 昭和

48

年に実施 した ̀̀緑 の国勢調査"で ,無 明谷は岡山県 内は もちろん全国でも トップクラスの食重 な他生 のある壕 の宝FEEで ある こ とがわか り,ここを自然環境 保全地域に指定 しよ うとい うことにな ったo それ をめ ぐって地元 と県の間 で生活 か自然保護 かの対 立が あ ったが, 「川 と道 を分離 し,道 を大幅 にかさ上 げ して,拡張 した道路 のほ と りに川 を流すo」

こ とに し,大規模な 自然破壊は避 けられ る ことにな ったO改捗工 軒は,昭和

53

年 に完成 したo それと同時 に,只野 か ら無明谷 の上の台地 をぬ けて井原 ‑行 く林道兼用 の2,6kRrの,(イ/ミス建設が 若手 され た。 この よ うな経 過を経 て,軸在の無 明谷には失声 一井 倉間 の主要道 として車や町営/;ス が通 り,荻尾方 面か ら本郷 の中学掛 こ通 う生徒の巌 も見 られ るよ うにな った。 無明谷の なかほ どに は ,宿水が流れ出て いるところがあ り,

谷 を登 ってきた人た ちがの どをうるおす ために コップがおかれている.無 明谷 の 入 口に は記念碑 が煙 っているO伸面に ,

「道 もなく昼 なお暗 き無 明 谷 開 きし人 の藤 をしの びて」 と刻まれ,無明谷 の道 路 を確保 す るために努 力 を続 けた地元 の 人の気持 ちが しのばれる (写兵 1‑3‑3)O

また,石碑には 「坂道 で遠 回 りの小道 串月線の外 こ通れ なか ったので ,こ こ無

明谷の天 然を生か し,岩の 切れ 目と千 の

写兵 1‑3‑3

無 明谷の入 口にある石碑

(39)

川 を利 用 して 自動 車 も通 れる世 に も珍 ら しい川 と道 米 用 の近道 を開 くこ とに 昭和1

6

4

月着 工 , 同18年5月 井原八 幡 宮 前 の道 ‑倭 統 させ たo この煙 =・・iを果 した 先 人 の僚 某 は ,再び 地 元大 字 荻 島 民 の熱 意 を呼び井倉 駅 を 日ざ して ,熊野 に 呼び か けiB路愛 盤会 を緯 成 ,全 線 を改良 し昭和

23

年 10月県道 に 昇格 させ同37年3月熊野 車庫 ま で′ミス 開通 に至 らせ 産業 文 化 を蒔 く基 を成 した。 昭 和4 7年3月 主要地 方 道に昇 格 北房 井倉 哲 西線 として幹 線 に属 し以来 改良 が 進め られたO 中 で も昭 和

53

3

月川 と道 の兼用 部分 は分 離 され岩壁 は 天然 の環 境 を保 ち洪 水の 時 の川 止 め を解 消 した O 昭 和53年12月哲 多 町 営 バ ス は井 倉駅 に 延長 され沿 線 の福 利 増進 に 寄与 して長 年 にわ た る願 い は 達 成 された 。 しか る に年 とともに右 事 情 を忘 れ感 謝 の念 も次 第 に蒲 らぐ を憂 え当時 よ りその

f

riに当 った者 の一人 と して放 圧 し建 く建 碑 を大 字荻尾 部 落 に 諮 り同志 を得 て浄財 を受 け町議 会 の領 を経 て 敷 地の東 認 と補 助 を得 た 。 よ って ここに町 長 自 ら文 を作 し且つ ‑lurtして 部落 と共 に先人 の功 を顕 杉 し 碑 を建 て記念 とす る。 昭和

54

4

月 大 字荻尾部 港 建之」 と道路建 設 の経過 が背 かれ てい る o

〔参考文献 〕

昭 和57年3月 27日発行 山陽 新聞夕 flJ 吉 沢利 忠著 岡 山県 史第 一巻 自然風土 岡 山 県 昭和58年

ノノチ ①

図1‑ 3‑ 2 触 明 谷 の 概 略 凶

チ ◎ 北 針 粕 ・哲 西線

ノ ッチ

(丑 穴小出

② 飛神穴

③ 浸食穴

④ 横穴

荻尾 第 ‑洞

⑦ 荻尾 第二 洞

⑧ 荻尾第三 洞

(40)

2)ノ ッ チ

谷壁 に,河床面 と平行な くぼ みが連続 して見 られ,時には数段に及ぶ こともある。これがノ ッチ であ り,石灰岩 の谷 では特に明瞭 に認め られる。

無 明谷 においては

,2

カ所 で明瞭 なノ ッチ を見ることができるQ

西側の ノ ッチは ,上下2段 に分 かれているo上の ノ ッチは高 さ約 4m50cn,奥行き は約2mあ るC下の ッチは高 さ約1,n35C7R,奥行 きは約50珊である。

東側の ノ ッチにつ いては ,未到盃 (写夷 113‑ 4)

O

ノ ッチの柘さの違いは ,水流 の高 さが時 代 によ って異 な っていた ことを示 し,浸食 の過程 を解 明す る上 でひとつの手 がか りと なる。

〔参考文献 〕

岡 山の地学 昭和57年

光野 ・相野 ・高橋 山陽新聞社

写頁 11 3‑ 4 東 側 の ノ プ チ 3)石 灰 洞

無 明谷には ,多 くの洞穴 があるOまず ,鍵乳 疎 石苛 な どの未発連な石灰 洞の うち,おもなもの について説 明す る ことにす るO紐乳洞 については

,( 3 )

で記述す る。

○穴小屋 (① )

天狗岩 か ら少 し井宙よ り(こ行 ったとこ ろにある横穴。石灰岩 の ,三角 形 を した凪裂 が入 口とな っ ていて ,その慮 さは47花はあると思わ れる。

○荒神穴 (② )

荻尾第‑洞 の対掛 こあるO石灰岩 の谷

に穴 があい てお り,水が 常に した たり落 ちている。

③ の浸食穴

石炊岩の凪裂 を浸食 して , 3つの穴 が縦 に並んで いるO全体 の高 さは 4mく らい。対岸に前述 の 西側 ノ ッチ ,また井倉 よ りに少 し行 くと荻島第二 両が ある。

○④ の横 穴

幅50C7n,高 さ30cnくらいの半 円形の依穴 である.

o(亘の縦 穴

石灰岩岩壁に,左 下方‑向か って斜めの穴 があい てい る。

(41)

4) 天 狗 岩

石灰岩の露頭が天狗の封のよ うにそそ り立 っているところか ら名 付け られ た。昔 はその形もよく わか ったが ,現在では樹木に さえぎ られては っきりとはわか らない。近 くに ,滝壷の深 さが2mも ある天狗 滝があ った とい うことだが,埋 もれて しまって

位 隆はわか ら ないO この天狗滝 では,水 乞いの行事が行 われ ていた とい うことであ るO

天狗岩の基 部で,家東側に谷 の水 が流れて くる石灰岩 岩壁が あ り

,

「水台石」 が見 られ るC水含石 とは ,水 に 溶か され た石灰 分が土や植物な どと共 (こ沈澱時の痢模様 を含むこ ともある。石 灰華 .木 の薬石 と呼ばれることも ある。対岸には ,石灰岩の戚頭 の一部 が常食されてでき た小 さな アーチがあ り,まるで橋 のよ うである。

73 番 歳 の 魚

この泉は ,無明谷入 E)よ りわずか南,主要地 方道 新見

〜成羽繰沿 い にあるC石灰岩台地 上 に降 った繭や 湧 き水 な どが,台地 の中 をくぐって石灰岩絶壁 の基部の水平 な

凪裂 か らこん こん と沸 き出してい る (写真1‑ 3‑6)。 写出 1‑ 3‑ 5 天狗岩付近 の浴食 宇 多天 皇(887‑ 897)が ,かつて

この地 に巡幸され た時に この泉が桔涼であ るの を耳焚 して 「西脇の泉」 と命 名 した , と言 い伝 え られている。

泉には,地元 で 「ウダゼ u」 と呼ぶ有昂 の沈水場物 が光茂 している.

こ こは

,

昔か ら旅人た ちが休む ところで あ り,以 前は茶牢があ って.麺類 を泉の水 で冷 や し供 して いたとい うことで ある。

〔参考 文献 〕

昭和57年3月27日発 行 山陽新聞夕刊

写由 1‑ 3‑ 6 鬼 歳 の 泉

(42)

かぎ はfL

C 風 花 (または ,かぎあな )の湧水

荻尾 の,小河正吉氏宅蓑 の畑 の上 の西向き斜面 lこ.ぽ っか りと口を開けて いる縦穴である。入口には,しめ袖 が張 られ水神様 をまつ っている。 (写

英 1‑3‑7)

入口の大 きさはおよそ 17nほ ど,穴 の深 さは4,,L近 く あるとい うC底 は石灰岩が戚 出 して いて,石 灰岩台地の 中 を くぐ.'た水が集 ま ってこ の底の石 灰岩の割 れ口か ら 白み出 して い る。

啓段 は演出する水 丑も少 ないが,まとま った雨が肺 っ てい ったん水が沸き出す と,30日くらいは柄れな いと い うことで ある。

湧き出す水 は ,今 は農薬に利用 され ている。

〔参考文献 〕 写

央 1‑3‑7

風花 の湧水

岡山県史第一巻 自然風土 岡山県

岡山県史坊名勝 天然記念物調査報告,13第8冊 岡山県史酔名勝天 然記念物調査会 名著出版 D 無 明谷の特殊植物 と昆虫

主要地方道新見 一成羽線 か ら分かれて無 明谷 へ入 ってい くと,それ まで の田 と広葉樹 の景観か ら 一転 して,厨 鼠 をたてた よ うに 切 り立つ絶壁 の白きと琶木 や鑑木 の緑 とが ひときわ目だ った景観に かわる。無 明谷 の谷 崎は数mlこす ぎな いが比3LT70‑ 80mの絶壁 が直江す るので名 前の示す とお

写真

1‑3‑8

無 明谷 の特殊植物群

り息 なお暗 く,央EZでも暑さを感 じる ことは少 ない。 この よ うな高湿冷涼の特異 な環境 条件をもっている上 に ,自然 破壊 を免がれたため .自然が よ く残 されてお り,無 明谷は 特殊艇物群落を有 してい る。石灰岩地執 ま,山 口県秋 吉台 , 福陶県の平尾台,変成県 の火野ケ原 など全国 に約20ヶ所

あるが,無明谷のよ うに ,絶壁が倭近 Lて いるため に日照 兄が少 な く,がJ屈 であ る地域 では,その植物群落 は特 異性

をま してくる。

環境庁が全国一 斉に実 施 した昭和

48

年度の 自然環境保 全調香においでも,岡 JLl県 下の 「食菰 な植物群落」 と して 位 慌づけ ちれ てい る。 この地 域で ,rjtlられ る主な植物は次 の

と浴 t)であるC

ナ カ′ミヤ ク ツ ゾ ウ ,チ トセ カ ズ ラ , ク モ ノス シ ダ,ケ キ ノモ ウ ワラ ビ , ク pタ キ カ ズ ラ,オ オ バ イ カ イ カ .) ソ ウ , キ ビノ ク f7ウ メモ ドキ ,タ イ シャ ク ク p ウ メIt ドキ , ツル

(43)

デ ./ダ,キ ビ シモツケ ,アル/ミサ ソキライ ,チ ョウジガマズ ミ,コタ 二 ワク リ,キ ビナ ワ シpイチ ゴ,イ ワッ ク,(ネ ウツギ ,パ イカ ウ ツギ ,チ ョウジザ タラ, ヤマ トレソギ ョウ ,イ ブキス ミt/,午 クガ ラクサ , ピッチ ュウアザ ミ,カタ ク リ,アオイ カ ズラ,イ ワシデ ,ケ グ ワo

植生の特殊 性か ら,昆虫類 に も特殊 な ものが見 られ る。キ ビノタロ ウメモ ドキ やタイ シャクタロ ウメモ ドキを食樹 に して いるベ ニモ '/カ ラス シジ ミ(シ ジ ミチ ョウ科 )な どの産地 としても著名な 地 域で ある。ベ ニモ ソカラス シジ ミは本州では岡山県を中心 とす る中国 地方 と兵庫 県 の一 部 ,静 岡 県下 に分布 して いるの がわか ってきたが ,特異 な環境 に生息 する少な い鑑 だ けに絶 滅 が心配 されるo

この蝶 の分 布の中心で ある無 明谷の生息環境の 保 全に志 をつ くす ことは大 きな忠義 のある ことであ る。 また付近の ナラガ シワ林か らは . ヒロオ t='ミドリシジ ミ,ウラtjP ミド')シ・) i, ウスイ ロオ オ ガシジ ミが発生 していて ,ここの蝶柏に色 どりをそ えている. 甲虫類 では ,アキク クpナ ガオサ ム・/,フ トワ ビナ ガゴ ミムツ,へ リアカデオキ ノコム ツなどが咋息す る。八子や アブ頑 に も注 目す べ き機 があ るが ,不 明 な点が多 い。

〔参考文献 〕

岡 山県庁 自然保 健課の 「無 明谷 の特殊植 物群落 につ いて」

(3)カルス ト地形 と生活 A ドリーネ

荻尾 の集落 をのせ る石灰岩 台 地 上 には, 2ヶ所の凹地 がある (図 1‑ 3‑ 3)。そ れ らは ど ち らも皿状 を示 している。 これ らの凹地 形は,その地形 的特 徴 か ら ドリーネと推 察 される。

荻尾 の台地 上 の東側 に ある ド リーネは中央の低み に吸 い込み 穴 がある (写頁 1‑ 3‑ 9)0 吸 い込み穴 の まわ りは石 で闘 わ れ ,畑 の まわ りの水 が吸い込み 穴 か ら地下 に浸透 していないよ うにコ ソク リー トの溝 が ,吸 い 込 み穴 の上 に と りつけ られて , 畑 か ら畑 ‑ と水が流れ てい くよ うに してある。お そ らくこの石 で囲ま れた中の どこかに吸い込 み穴 がある と患わ れるが土で埋 め られて ,現 在では吸 い込み穴

・ 二 d

I

)

ド リー 不 。窪 地

彊) 1ル ト E:l田

0 50m loom

△ 舶 穴 ● T=め池 図1‑ 3‑ 3

荻島 のカル ス ト地形分布

(44)

写fl1‑ 3‑9

成鳥 の東側 の ド')‑ ネ内 の吸 い込み穴

写諜 11 3‑ 10

コソ クL)‑ トの溝によ って吸 い込み穴 か ら水 が吸 い こまれ な いよ うに してあ

は 確認で きなか った。 まわ りは畑 で ある のにこの石 で囲われた所 だけ に,好水性 の植 物 と値われるものが茂 り, ドL)‑ネ 上に降 った水 がこ こに史 って くるも のと 思 われる。ただ しこの ドリーネは完 全な 皿状では な く,一 方 が谷に伺 って開 いて い る。

荻尾の西側 にある ドリ‑ネは,東側 に ある ドリーネより小さいが深 くな ってい るO ドリーネの斜面では りん ごを栽培 し てお り,そ の内側 は仙 こな っているが中 央の低み の部 分だけ田 として利用されて いる。 ドリ ーネ上に降 った雨水 が,中央 の低みに般 まって くるので田 として利用

しやす いのであろ う。 (写招 1‑3‑ll) 井戸にも ドリーネが ある (図1‑3‑4)o ここの ドリーネは,中央 の低 みが大 きな 窪地にな っている (写弟 1‑ 3‑ 12)0 窪 地の庇 の土 は,水 を含んで湿 ってお り, まわ りは くず れないよ うに石 で築 かれて いる。窪地 の大きさは,直径が 157花で 深 さが5mである。 ここの ドリ‑ ネは一 番深 く漏斗状 の ドリーネである。 窪地か らは 吸い込み穴が 見つ か らなか ったが, 地元 の人 の話に よる と水 がたま っても抜

写鶏 1‑ 3‑ 11 中央の低み に田 のある荻尾の西側 の ドリーネ

(45)

隠 1‑314

草 月林道 ぞい ・井戸付近 の ドリーネ

(

d

)

お よび カ レ ン フ ェル ト(kJの分布

写共 1‑ 3‑ 12 井 戸 の ド リ ー ネ

表 3 ‑ 5 ‑ 1 長 州 出兵 の概要 概 要 文久 3 (1863) 元治 1 (1864) 慶応 1 ( 1865) 慶応 2 (1866) 慶応 3 (1867) 8 .18 八月十八 日の政変 ( 長州漕 .京都 での地位失墜)池田塵砺件 (長州簿士殺脇さる)始御門の変 ( 長州軍 ,皇居へ発砲。長州出兵の発端)長州追討 の朝命 (‑第 1次長 州出兵 )長州藩 .尊府恭噸表意撤兵 令 (‑休職)〜 長州僧の打席論強 ま る〜新 碇簡 捷制にO将軍家茂江戸出発 (‑第2次長州出兵) 備中 有償
表 41 1‑ 8 主 な営凸類型 地帯 区分 営凸類型 平均経営規模 作 目 構 成 平均 ( 虚業所得 千円) 農 家 数割合 ( 潔 ) 北部水 水稲 単作 水田 水稲 110a 932 25肉用牛肉用牛 (生産)1頭152 畑 計 飼料作物 20a 100田地帯大豆 .小豆 .野 菜10と11,22440 中 水稲 勘合 水田 8O a 水稲 6 O a 508 15肉用 牛1頭肉用牛 (生 産)】頭152 節 畑 計 30 a 飼料作物 20 a 100田価大豆麦小豆 ,野 菜1010 8lOaa

参照

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