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序 章
第1節 問題の所在と研究の目的
本研究では、幼児の造形活動における「保育者と子どもの意識のずれ」に着目しながら 実践事例の分析を行うとともに、明治期よりの幼児教育の変遷をたどり、ずれの起こる原 因やずれの類型、またずれをどのように捉え修正しようとしてきたのか、などについて考 察する。そして、ずれを生じさせないための有効な手立てを「動機づけ」に求め、子ども の実態や活動の展開過程に応じた効果的な「動機づけ」のあり方について検討する。
言うまでもなく保育者は、子どもが主体的に取り組む活動を目指して日々の実践を展開 しているはずである。しかし実際の保育の現場では、むしろ教師主導で活動が進んでいる ことが多く、画一的な指導のもとに作られた作品をしばしば目にする。子どもの主体的な 取り組みを願っている保育者が、ともすると教師主導の活動に陥ってしまうのは、保育者 と子どもとの間に意識のずれが生じているからであると考えられる。
子どもの造形の現状を概観すると、教師主導の指導によって子どもたちが自ら学ぶ楽し さを得る機会を失ってしまっているのではないかと思われる事象が散見される。なかでも 幼児教育雑誌などによる指導のマニュアル化は深刻である。目の前の子どもを捉えること から始まり、その状態を見ながら教材を考えたり活動の組み立てを考えたりするのではな く、保育者が雑誌を見て題材を選び、そこに書かれている指導法に従って造形活動を進め ていくといった形の指導が広く行われている。子ども雑誌の販売部数や、展覧会に並ぶ作 品の傾向から見ても、明らかである。
多くの保育者は、目の前の子どもとの関わり合いの中で作品を生み出していくことより
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も、雑誌に掲載された作品をつくらせるためのハウ・ツーを優先させ、結果として、掲載 作品と同じような作品をつくらせることができたという保育者自身の自己満足で終わって しまっているのではないだろうか。こういった指導では、保育者がつくらせたい作品イメ ージと、子どものつくりたい作品イメージとの間には明らかなずれが生じることとなる。
それは、製作過程における保育者と子どものやり取りの中にも現れ、子どもの主体的な造 形活動を阻害していくのである。
しかし、このような保育者と子どもの意識のずれは、マニュアル書(雑誌)に従った指導に 限らず、日々の実践においても広範にわたって見られるものである。
以下に2つの事例を挙げる。この事例は筆者の実践活動の一場面である。
授業の前に、絵の具の準備をしていたところ、クラスの子どもたちが近寄ってきて「先 生、何してるの?」と尋ねてきたので、「準備をしているんだよ」と答えると、その子は「ふ ーん」と言って、準備の様子をまじまじと見ていた。しばらくすると、二人の女児がやっ てきて「先生、何やってるの?」と問い、溶いてある絵具を見て「うわぁ、綺麗な色、私 この色好きなんだ、○○ちゃんは?」、「私はこの色が好き」などというので、「そうなの、
○○ちゃんは黄色が好きなんだ」といったやりとりをしているうちに、周りにはクラスの 子どもたちでいっぱいになった。そこでは、「あっ、私この色お母さんと買い物行ったとき、
こんな色の服見つけてかわいいなって思ったの」や、「この色は昨日のごはんに出てきた色 と一緒」などと様々な会話が飛び交った。このような会話を交わしているうちに、子ども たちの方から「先生、手伝ってあげようか?」と言ってきた。思わず「いいよ、ありがと う、でもこれは先生がするわ」と答えた。子どもたちは「えー」と言いながらとても残念 そうであった。しばらく様子を見ていた子どもたちだったが、とうとう「やりたいな」と つぶやき始めた。子どもたちの意欲が高まっているのが感じられ、これならば今日の絵を 描く活動も喜んで取り組んでくれるに違いないと期待していた。しかし、活動の導入が始 まって遠足の話をした後、絵の具の説明をし、描くように促すと子どもたちからは「えー、
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前描いたやん」(遠足の絵は描いていないが、絵具を使った活動をしたという意味)や、「え ー描きたくない」といった反応が返ってきた。この時の子どもたちのモチベーションは活 動前のモチベーションとは明らかに違っていたのである。
なぜ、活動前は「おもしろそう、やりたい」と思っていた教材が、やりたくないものに 変わってしまったのだろうか。そもそも「やりたいな」という子どもたちのつぶやきは何 を意味していたのだろうか。この時、筆者は早く絵を描きたいという意味での「やりたい」
と解釈したが、子どもの「やりたい」には絵の具で色遊びをしたいという願いが込められ ていたのではなかっただろうか。そうだとすると、この時点で筆者と子どもとの間にはず れが生じていたことになる。その後、遠足でどこへ行ったか、どんな動物がいたかという 話の後に「今日は遠足の絵を描きたいと思います」と絵を描く説明をしたが、もちろんこ の時の指示、説明も子どもの思いからはずれていることになる。
二つ目の事例である。造形活動を行う時、保育者が見本を見せることはしばしばある。
保育者自身は良い見本を見せることで子どもの意欲を喚起しようと思い、出来栄えの良い 作品を作って「今日はこんなものを作るよ」と子どもたちに見せる。しかし、子どもたち からは「難しい」、「無理だ」といった反応が返ってくることがしばしばある。保育者は良 い作品を見せることで、子どもたちがそれを見本に良い作品を生み出すと期待しているが、
子どもたちの多くは出来栄えの良い作品を見ると、「自分はそんな上手く作れない」と、む しろ距離感や困難性を感じることにもなる。或いは、保育者は一つの事例として示したつ もりであり、多様な展開を期待していたにもかかわらず、大方の子どもが見本どおりに真 似た作品を作ってしまうといった経験も多くの保育者が持っていると思われる。このよう なずれは、活動の至るところで起こっていると考えられる。保育者には「こうにちがいな い」という思い込みがあるが、その思いと子どもの反応(姿)とが乖離しているため、保 育者が自分の想定した枠組みに子どもを引き戻そうとするところに教師主導の指導が生ま れ、結果として子どもたちにとっては主体性を欠いた活動となり、画一的な作品が生み出
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このことは、造形活動に向かう子どもの「動機づけ」をめぐる、子どもの意識と保育者 の働きかけとのずれ、と捉えることもできる。保育者の働きかけが、子どものつくりたい 意欲を引き出せなかったり、子どもの思いとは異なる方向に誘導していくことになってし まい、子どもの意欲的・目的的な制作活動を保障していないということが言える。
本研究では、まず、こうした子どもと保育者の意識のずれについて、実践事例を基に分 析し、構造的に捉えるとともに、ずれのパターンを分類する。続いて、『幼児の教育』誌か ら、幼稚園が創設された明治期から平成までの造形活動を通覧し、そこに描かれた教育理 念や実践方法から、子どもと保育者の意識のずれがどのように生成変化してきたかを整理 する。
それは、ずれをどのように捉え修正しようとしてきたのかという指導法の改善や指導観 の変化過程として見ることができるだろう。以上を踏まえ、意識のずれを解消し、子ども の主体的な活動を保障するための有効な手立てとして「動機づけ」に着目し、子どもたち の意欲を高め、連続的に活動を深めていけるような効果的な「動機づけ」の理念、方法、
効果について、実践事例に基づき検討する。
第2節 研究の内容と方法
1、第1章では、保育者と子どもとの間に生じるずれについて3つの実践事例をもとに考察 する。まず、①保育者の願いはどのようなものであったか、②ずれの生じた場面、ずれの 様相、ずれの類型、そして③保育者はずれに対してどう対応しているか、また④保育者の ずれへの意識はどうか、といった点からずれの原因やずれへのかかわり方を見ていく。
実践事例は下の3例である。
①兵庫県保育所 Y先生の実践 「かなへびくんのあかいながぐつ」の絵をかこう
②筆者が行った私立幼稚園での実践 「フライパンで何つくる?」
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③保育者養成校において実習生が行った実践 「かたつむりをつくろう」
これらの3つの実践を逐語録や作品、インタビューなどから分析・考察を行う。
2、第 2 章では、幼児教育が行われ始めた明治期から大正期、昭和期(戦前・戦後)、平成 期に区分し、保育者と子どもの意識のずれに着目しながらこれまでの幼児の造形活動を概 観することにする。
明治34年に創刊された『幼児の教育』誌に掲載された造形活動の記事を研究対象として 取り上げる。この雑誌は、明治期から大正、昭和、平成と継続的に発刊されてきており、
我が国の幼児教育に大きな影響を与えたとされる研究者の論文や実践報告が掲載されてい る。この記事から、それぞれの時代に行われていた造形活動の実践を抽出することによっ て造形活動における保育者と子どもの意識のずれの様相がどのように変化していったのか について検討する。教師主導の保育から子どもを主体とした保育への転換には、「動機づけ」
への着目が一役を担っていることを示す。
3、第3章では、保育者の指導言とほめ言葉に着目し、動機づけの現状と課題を探る。ずれ を生み出す保育者の指導言と、ずれを修正するための有効な指導言とを見出すこと、また、
ずれを修正する指導言が子どもの動機付けとして機能することなどを確認する。
私立幼稚園での 4 人の保育士の造形活動をビデオ撮影し、逐語録を作成のうえ、逐語録 と出来上がった作品をもとに、考察する。
4人の教諭の実践は以下の通りである。
① 2歳児 O保育士「貝殻をつくろう」
② 3歳児 K保育士「お花をつくろう」
③ 4歳児 T保育士「鳥をつくろう」
④ 4歳児 M保育士「看板づくりをしよう」
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4、4 章では、まず、内発的動機付けについて述べたうえで、内発的動機付けを促すための 指導言を用いた授業実践例の考察を行う。続いて導入段階から終末段階にかけて活動全体 を通した連続的な動機づけのあり方について実践事例をもとに検討する。
実践事例は以下の3例である。
①「一年生になったらどんな友達つくりたい?」
②「お好み焼きをつくろう」
③「 新幹線をつくろう」
5 終章では、これまでの考察をまとめ結論づける。
第3節 本論で用いる用語について
本論では、保育者と子どもの意識の「ずれ」に着目し、考察を行う。一般に保育の現場 では思い通りに活動が進まなかったり、保育者の思いと子どもの反応が食い違ったときに、
ずれているという感覚を持つことがある。ずれているという言葉で、保育者間で意味が通 じ合うことも多い。おそらくは「保育者―子ども関係」において不具合が生じている状況 を示す体験的に裏付けられた用語といえるのだろうが、幼児教育の分野で保育者と子ども の意識のずれに着目した研究はほとんどなされていないといってよい。
「ずれ」を対象とした研究では上田薫の『ずれによる創造性』がある。ずれというと、
否定的な印象で捉えられることが多いが、人と人との関わり合いにおいてずれの生成は避 けがたく、むしろ「ずれをなくすことではなく、発展させること」という立場に立ち、生 じたずれを追及し、次の活動へと生かしていこうとする姿勢が重要であるとしている。
このことは、一保育者が日々の実践の中で、「ずれの意識化→ずれの修正」というサイク ルを繰り返しながら成長するという反省的実践家としての保育者イメージに通じるととも
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に、ずれの修正過程として、明治期より現代にいたる幼児教育の変遷をとらえることも可 能であると考えた。恩物中心の画一的・注入主義的な教育ではずれが意識されずむしろ正 当化されていたと考えられるが、その後の恩物解体は当時の保母たちが保育者と子どもと の意識のずれに気づき、指導法の修正改善を務めていたことの証左であるとみることがで きるのではないだろうか。
ずれを基軸に実践の考察や歴史の概観を試みることで、保育者の意図と子どもの活動意 欲を統合させた、子ども主体の造形指導の様態が浮き彫りにされるのではないかと考えた。
また、本論ではずれの修正を図るための方法的な拠り所として「動機づけ」に着目し、
特に指導言やほめ言葉、活動の導入から終末まで連続的に機能する動機づけの在り方など の検討を行う。心理学や青少年期の学習理論においては重要な研究領域であるが、幼児教 育の分野では「動機づけ」の視点から捉えた研究は希少である。幼児の造形教育において は、子どもの生活から自発的に活動が始まることが重視され、指導的なかかわりが避けら れる傾向が強いため、動機づけを意識して活動を構想することは少なく、結果、放任に近 い形やマニュアル通りに作品を作らせるといった指導が横行することになっているのでは ないかと思われる。動機づけに着目することで、今日の幼児造形教育の在り方を再考する 手掛かりを得ることができるのではないかと考える。
8 第4節 論文の構成
第 1 章 幼児の造形活動における保育者と子どもの意識のずれについて
4 章 活動の連続性をもたせるための動機づけを意図した実践 第 2 章 幼児造形におけるずれの修正過程としての歴史的変遷
~明治期から平成期まで~
第 3 章 幼児の造形活動における動機づけの現状と課題
終 章 ●研究のまとめ ●今後の課題 序章 ●問題の所在 ● 研究の内容と方法
●用語(「ずれ」「動機づけ」)について
●ずれの原因・類型・ずれへの意識の考察
【考察対象】
①兵庫県保育所 Y 先生の実践「かなへびくんのあかいながぐつ」の絵をかこう
②筆者が行った兵庫県私立幼稚園での実践「フライパンで何つくる?」
③保育者養成校において実習生が行った実践「かたつむりをつくろう」
●『幼児の教育』の掲載記事から造形活動に関するものを抽出し、ずれの修正過程として幼児の造 形教育の歴史的変遷を考察
・明治初期→教師主導・画一的・注入主義的
・明治後期→ずれの意識化
・大正期→ずれの追及と修正のための方法の模索
・昭和期(戦前)→動機づけへの着目
・昭和期(戦後)~平成期→マニュアル化の拡大によるずれの拡大と無自覚化
動機づけの現状と課題の検討へ ずれの歴史的変遷と修正過程の考察へ
●倉橋惣三の動機づけについて
●現在の動機づけの現状と課題の検討
【考察対象】
①2 歳児 O 先生「貝殻をつくろう」
②3 歳児 K 先生「お花をつくろう」
③4 歳児 T 先生「鳥をつくろう」
④4 歳児 M 先生「看板づくりをしよう」
有効な動機付けの検討へ
●幼児の造形活動における動機付けについて
●活動全体を通した連続的な動機づけの あり方についての考察
【考察対象】
「新幹線をつくろう」
●内発的動機付けに着目した授業実践例の考察
【考察対象】
①「一年生になったらどんな友達つくりたい?」
②「お好み焼きをつくろう」
ずれの現状と課題の考察へ
●ほめ言葉の検討
●指導言の検討