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著者名(日) 山口 直也

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(1)

少年司法運営に関する国連最低基準規則(北京ルー ルズ)の意義 (小山博也教授河中二講教授立田清士 教授退職記念号)

著者名(日) 山口 直也

雑誌名 山梨学院大学法学論集

巻 38

ページ 239‑271

発行年 1997‑07‑25

URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000788/

(2)

少年司法運営に関する国連最低基準規則︵北京ルールズ︶の意義 説

二 一

五 四

目   次

はじめに 法的拘束力の有無と遵守義務の有無

本規則の基本的性格

本規則の中核原理

むすびにかえて

はじめに 山 口 直 也

 一九八五年に開催された第七回﹁犯罪防止及び犯罪者処遇に関する国連会議﹂︵以下︑単に犯罪防止会議または

コングレスとする︶において採択され後︑同年の国連総会において採択された﹁少年司法運営に関する国連最低基 三必恥

E

少年司法運営に関する国連最低基準規則

( 北 京 ル

l

ル ズ ) の 音 主 我 山

直 也

四 五

目 次

はじめに

法的拘束力の有無と遵守義務の有無

本規則の基本的性格

本規則の中核原理

むすびにかえて

一九八五年に開催された第七回﹁犯罪防止及び犯罪者処遇に関する国連会議﹂(以下︑単に犯罪防止会議または はじめに

コングレスとする)において採択され後︑同年の国連総会において採択された﹁少年司法運営に関する国連最低基

(3)

論  説  240

準規則︵北京ルールズ︶﹂︵以下︑単に北京ルールズまたは本規則とする︶は︑少年司法に関する国際文書の嗜矢と

して極めて重要な意味をもっている︒内容的には︑狭義の少年司法運営のみならず︑少年非行の防止及び少年の処

遇の問題にも広範に触れており︑一九八九年の﹁国連子どもの権利条約﹂︵以下︑権利条約とする︶︑一九九〇年の

﹁少年非行の防止に関する国連指針︵リヤドガイドラインズ︶﹂︵以下︑リヤドガイドラインズとする︶及び﹁自由

を奪われた少年の保護に関する国連規則﹂︵以下︑少年保護規則とする︶の内容も先取りしている︒本規則は︑少

年司法に関する一連の文書の土台となるもので︑これについての検討なしには少年司法に関する国際人権基準の考

      パ レ 察は為し得ない︒        ︵2︶  本稿では︑本規則の成立過程に関する先の研究を踏まえた上で︑その意義について検討する︒なお︑本規則の意

義を考察する上では︑本規則の各国での実施状況を知ることも必須の条件とされるが︑これについては︑既存の

 ︵3︶         ︵4︶

研究及び筆者の別稿での成果を踏まえていることをお断りしておきたい︒

 考察の対象となる本規則の意義としては大きく二つ指摘できるように思われる︒

 一つは︑﹁法としての条約﹂とは異なる﹁国連決議としての規則﹂が︑その法的拘束力という観点からどのよう

な意義を有するかである︒ある論者は︑条約とは異なり︑単なる国連規則に過ぎない本規則は︑﹁法的拘束力がな

いので単なる参照基準としての意味しかなく︑遵守する義務はない﹂とする意見を述べているし︑また別の論者

は︑国際人権基準を法的拘束力によって法と非法に区別する実質的意義は薄いとする︒結論を先取りして言えば︑

筆者は本規則を国際人権基準の一つとして条約と同レベルで論じるが︑このことを確認しておくことは︑﹁北京ル

ールズ﹂︑﹁リヤドガイドラインズ﹂及び﹁少年保護規則﹂を少年司法に関する国際人権基準として論じる上で極め

240 

準規則(北京ル l

ル ズ

) ﹂

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下 ︑

単 に

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l ルズまたは本規則とする) は︑少年司法に関する国際文書の晴矢と

して極めて重要な意味をもっている︒内容的には︑狭義の少年司法運営のみならず︑少年非行の防止及び少年の処

遇の問題にも広範に触れており︑ 一九八九年の﹁国連子どもの権利条約﹂(以下︑権利条約とする)︑

一 九

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﹁少年非行の防止に関する国連指針(リヤドガイドラインズ)﹂(以下︑リヤドガイドラインズとする)及び﹁自由

を奪われた少年の保護に関する国連規則﹂(以下︑少年保護規則とする) の内容も先取りしている︒本規則は︑少

年司法に関する一連の文書の土台となるもので︑これについての検討なしには少年司法に関する国際人権基準の考

察は為し得ない︒

本稿では︑本規則の成立過程に関する先の研究を踏まえた上で︑ その意義について検討する︒なお︑本規則の意

義を考察する上では︑本規則の各国での実施状況を知ることも必須の条件とされるが︑これについては︑既存の

研究及び筆者の別稿での成果を踏まえていることをお断りしておきたい︒

考察の対象となる本規則の意義としては大きく二つ指摘できるように思われる︒

一つは︑﹁法としての条約﹂とは異なる﹁国連決議としての規則﹂が︑ その法的拘束力という観点からどのよう

な意義を有するかである︒ある論者は︑条約とは異なり︑単なる国連規則に過ぎない本規則は︑﹁法的拘束力がな

いので単なる参照基準としての意味しかなく︑遵守する義務はない﹂とする意見を述べているし︑ また別の論者

は︑国際人権基準を法的拘束力によって法と非法に区別する実質的意義は薄いとする︒結論を先取りして言えば︑

筆者は本規則を国際人権基準の一つとして条約と同レベルで論じるが︑このことを確認しておくことは︑﹁北京ル

ールズ﹂︑﹁リヤドガイドラインズ﹂及び﹁少年保護規則﹂を少年司法に関する国際人権基準として論じる上で極め

(4)

少年司法運営に関する国連最低基準規則(北京ルールズ)の意義

て重要な意味を持っているように思われる︒

 もう一つは︑言うまでもなくその内容自体に関するものである︒特に現在︑わが国の少年法改正を睨んでいると

思われる議論の中で︑国際人権法の観点から︑それがあたかもデュー・プロセスの保障と共に審判構造そのものの

変革をもせまっているかのような一足飛びの議論もなされているので︑そのような主張が本来国際人権法が指向す

る原則に合致しているのか否かを点検する意味も含めて︑﹁権利条約﹂を中心とした少年司法に関する諸準則の基

礎となる本規則の中心的原則について検討する︒

 なお︑これらのことを明らかにすることによって︑現在のわが国における少年法の問題状況をめぐっての改革論

議に︑国際人権法の観点からの﹁もう一つ﹂のアプロウチヘとつなげたい︒もっとも︑本稿は北京ルールズの意義

を探ることを直接的に目的としているので︑上記の問題についての言及は必要最小限に止め︑本格的検討は他の準

則の内容にも触れつつ別の機会に行いたいと考えている︒

二 法的拘束力の有無と遵守義務の有無

 北京ルールズは﹁最低基準規則﹂という形態をとるものの︑形式的には国連総会で採択された単なる決議に過ぎ

ない︒その意昧で法的拘束力を有する条約などの﹁法﹂とは決定的に違う︒それ故にこの点を捉えてわが国の法務

省関係者は︑北京ルールズなどは条約とは異なり法的拘束力を持たないのだから単なる努力目標あるいは参考資料        ゑ としての意味しか持たないとその重要性を軽視する傾向にある︒しかしながら︑長い年月をかけ多くの頭脳によっ て重要な意味を持っているように思われる︒

もう一つは︑言うまでもなくその内容自体に関するものである︒特に現在︑ わが国の少年法改正を脱んでいると

思われる議論の中で︑国際人権法の観点から︑ それがあたかもデュ l ・プロセスの保障と共に審判構造そのものの

変革をもせまっているかのような一足飛びの議論もなされているので︑ そのような主張が本来国際人権法が指向す

る原則に合致しているのか否かを点検する意味も含めて︑﹁権利条約﹂を中心とした少年司法に関する諸準則の基

礎となる本規則の中心的原則について検討する︒

なお︑これらのことを明らかにすることによって︑現在のわが国における少年法の問題状況をめぐっての改革論

議に︑国際人権法の観点からの﹁もう一つ﹂のアプロウチへとつなげたい︒もっとも︑本稿は北京ル l ルズの意義

を探ることを直接的に目的としているので︑上記の問題についての言及は必要最小限に止め︑本格的検討は他の準

則の内容にも触れつつ別の機会に行いたいと考えている︒

法的拘束力の有無と遵守義務の有無

北京ル 1 ルズは﹁最低基準規則﹂という形態をとるものの︑形式的には国連総会で採択された単なる決議に過ぎ

ない︒その意味で法的拘束力を有する条約などの﹁法﹂とは決定的に違う︒それ故にこの点を捉えてわが国の法務

省関係者は︑北京ル l ルズなどは条約とは異なり法的拘束力を持たないのだから単なる努力目標あるいは参考資料

としての意味しか持たないとその重要性を軽視する傾向にある︒しかしながら︑長い年月をかけ多くの頭脳によっ

(5)

論  説  242

て作り上げられた北京ルールズはそれだけの意味しか持たないのであろうか︒この問いに関する回答はどうしても

与えておかねばならない︒

 以下では︑法的拘束力という形式的側面と遵守義務という実質的側面からそれぞれ検討してみよう︒

ω 法的拘束力

       ︵6︶  一般に︑国際法の法源は条約および慣習法であって︑広く含めるとしても国際司法裁判所規程三八条一項にいう

﹁法の一般原則﹂までであり︑国連総会の決議などは国際法の法源とはならないとされている︒そして法的拘束力

を有するのはこれら﹁法﹂とされるものだけであるとされている︒

 しかしながら︑これについては伝統的法源論に依拠しながらも法的拘束力を認めようとする見解もある︒まず第       ハクロ 一に︑国連総会の決議を一種の慣習法とみなす﹁即席慣習法の理論︵↓箒↓箒o曼o口冨$暮O器8日餌q9巧︶﹂

がその一つである︒通説的理解によれば︑慣習法の構成要素は﹁規則の継続履行﹂という客観的要素と﹁法的確

信﹂という主観的要素から成り︑反復される慣行が一般化する過程でそれに従うべきだという法的確信が形成さ

れ︑慣行が慣習法化すると説明されている︒これに対して即席慣習法の理論は︑法的確信のみを構成要素とするの

である︒国連総会などの場で参加国のコンセンサスまたはそれに近い状態で当該規則が採択される場合には︑そこ

には新しい法的信念が即座に創設され︑その意図が明確に表明されるからであるというのである︒しかしながら︑        パ ロ これに対しては多くの論者から︑そもそも慣行なき慣習が論理的に存在し得るのかという疑問が呈されており︑こ

れについて即席慣習法理論は十分に応えきれていないのが現状である︒通説が指摘するとおり︑即座に慣習法化さ て作り上げられた北京ル i ルズはそれだけの意味しか持たないのであろうか︒この間いに関する回答はどうしても

242 

与えておかねばならない︒

以下では︑法的拘束力という形式的側面と遵守義務という実質的側面からそれぞれ検討してみよう︒

三ム 日間

( 1 )  

法的拘束力

一般に︑国際法の法源は条約および慣習法であって︑広く含めるとしても国際司法裁判所規程三八条一項にいう

﹁法の一般原則﹂までであり︑国連総会の決議などは国際法の法源とはならないとされている︒そして法的拘束力

を有するのはこれら﹁法﹂とされるものだけであるとされている︒

しかしながら︑これについては伝統的法源論に依拠しながらも法的拘束力を認めようとする見解もある︒まず第

一に︑国連総会の決議を一種の慣習法とみなす﹁即席慣習法の理論(吋

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がその一つである︒通説的理解によれば︑慣習法の構成要素は﹁規則の継続履行﹂という客観的要素と﹁法的確

信﹂という主観的要素から成り︑反復される慣行が一般化する過程でそれに従うべきだという法的確信が形成さ

れ︑慣行が慣習法化すると説明されている︒これに対して即席慣習法の理論は︑法的確信のみを構成要素とするの

である︒国連総会などの場で参加国のコンセンサスまたはそれに近い状態で当該規則が採択される場合には︑

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には新しい法的信念が即座に創設され︑その意図が明確に表明されるからであるというのである︒しかしながら︑

これに対しては多くの論者から︑そもそも慣行なき慣習が論理的に存在し得るのかという疑問が呈されており︑こ

れについて即席慣習法理論は十分に応えきれていないのが現状である︒通説が指摘するとおり︑即座に慣習法化さ

(6)

れるという論理的矛盾を抱えるこの考え方には根本的問題があり︑本稿もこの理論にはにわかに賛同できない︒        ロ  第二に︑これとは別に︑﹁ソフトロー︵ωoヰ一餌毛︶﹂の議論がある︒すなわち︑当該決議の表決のプロセスと︑

その結果︑決議に与えられる名称および決議本文で用いられる文言︑決議に対する﹁留保﹂の有無︑そしてフォロ

ーアップの制度の有無などを勘案してその法的拘束力を認めようとする理論である︒例えば︑コンセンサスによる

表決であったり︑権利義務規定が内包されていたり︑わが国が第七回コングレスで北京ルールズに対して行ったよ

うにある国が一定の留保をつけるという事実が存在したり︑あるいは決議の中に実施のためのフォローアップ措置

が用意されている場合などに法的な拘束力を認めようとする考え方である︒この考え方からすれば︑北京ルールズ

などはまさにソフトローとして法的拘束力ある決議とされるのかもしれない︒しかしながら︑伝統的法源論から        ︵10︶ は︑ソフトローの概念自体が不明確で﹁法﹂と﹁非法﹂を峻別してきた意味がなくなるとの根強い反論が繰り返さ

れているのもまた周知である︒本稿もまた︑ソフトな法とハードな法の区別の実質的意義を見いだせないと考える

ので通説に従うものである︒

 このようにいくつかの学説によって法的拘束力が与えられようとしているにもかかわらず︑これらはまだ有力な

支持を得ていない︒したがって国連総会決議の法的拘束力も通説的には否定されている︒しかしながら︑このよう

な通説的理解を前提にしても︑われわれは以下のようなことは言えるのである︒

②遵守義務

そもそも少年をとりまく苛酷な人権侵害状況があったからこそ︑国連を中心として少年司法運営に関する規則の れるという論理的矛盾を抱えるこの考え方には根本的問題があり︑本稿もこの理論にはにわかに賛同できない︒

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その結果︑決議に与えられる名称および決議本文で用いられる文言︑決議に対する﹁留保﹂の有無︑そしてブォロ

ーアップの制度の有無などを勘案してその法的拘束力を認めようとする理論である︒例えば︑ コンセンサスによる

表決であったり︑権利義務規定が内包されていたり︑わが国が第七回コングレスで北京ル 1 ルズに対して行ったよ

うにある国が二疋の留保をつけるという事実が存在したり︑あるいは決議の中に実施のためのフォローアップ措置

が用意されている場合などに法的な拘束力を認めようとする考え方である︒この考え方からすれば︑北京ル 1

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などはまさにソフトロ!として法的拘束力ある決議とされるのかもしれない︒しかしながら︑伝統的法源論から

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は︑ソフトロ l の概念自体が不明確で﹁法﹂と﹁非法﹂を峻別してきた意味がなくなるとの根強い反論が繰り返さ

れているのもまた周知である︒本稿もまた︑ ソフトな法とハードな法の区別の実質的意義を見いだせないと考える

ので通説に従うものである︒

このようにいくつかの学説によって法的拘束力が与えられようとしているにもかかわらず︑これらはまだ有力な

支持を得ていない︒したがって国連総会決議の法的拘束力も通説的には否定されている︒しかしながら︑このよう

な通説的理解を前提にしても︑われわれは以下のようなことは言えるのである︒

( 2 )  

遵守義務

そもそも少年をとりまく苛酷な人権侵害状況があったからこそ︑国連を中心として少年司法運営に関する規則の

(7)

論  説  244

       ︵11︶ 作成作業に着手したのであり︑そこには準則作成にむけての各国の必要信念とでもいうべきものが内在していたの

である︒北京ルールズの場合︑それは具体的には第六回コングレスでの﹁少年司法運営についての最低基準規則作       ︵12︶ 成﹂についての決議という形であらわれていた︒そしてその後︑各国が全世界的な規模で準備作業に着手して︑

﹁最低﹂でかつ﹁標準的﹂な規則を作成したのである︒それは数種類のドラフト︵草案︶が存在することからもわ

かる︒さらには︑各種会議において︑建設的な議論と中には妥協を重ねてのコンセンサス採択とを目指してきたこ

      ︵13︶

とも重要である︒そして最終的に五年の歳月をかけてコングレスという国際政治の場で︑さらには国連総会におい

て︑全会一致で採択され︑晴れて﹁少年司法運営に関する国連最低基準規則﹂が誕生することになったのである︒

ここには︑前述した﹁即席慣習法理論﹂あるいは﹁ソフトロー理論﹂に頼るまでもなく︑われわれが当然遵守すべ

き信念が反映されていることは明らかなのである︒コンセンサスをもって採択した国連総会決議を遵守すべきこと       ハロレ は道義的かつ政治的責任であり︑法的拘束力を問題にするまでもなく当然に要求されている︒

 また加盟各国が遵守義務を有するということは︑国連の各種の会議︑委員会などで頻繁に指摘されている︒例え

ば︑国連によって採択された国際人権基準には︑﹁条約﹂︑﹁最低基準規則﹂︑﹁規則﹂︑﹁指針﹂など様々なものがあ

るが︑それぞれの文書の前文あるいは留保規定などにおいて︑関連文書との整合性︑統一性を明示するのが常であ       ︵15︶ り︑これらの関係を法的拘束力の有無で区別する実質的意義は少ないとされている︒そしてまた︑関連ある諸文書

の相互関係がお互いを強化︑補完する内容である場合には︑法的拘束力を有する文書の拘束力がそれを有しない他       ︵16︶ の文書にも拡大される場合があるする意見さえある︒この場合︑内容的相互緊密性によって外形的法的拘束力の垣

根は取り払われることになると言うのである︒﹁権利条約﹂と﹁北京ルールズ﹂をはじめとする三つの少年司法に

244 

作成作業に着手したのであり︑ そこには準則作成にむけての各国の必要信念とでもいうべきものが内在していたの

それは具体的には第六回コングレスでの﹁少年司法運営についての最低基準規則作

成﹂についての決議という形であらわれていた︒そしてその後︑各国が全世界的な規模で準備作業に着手して︑ である︒北京ル 1

ル ズ

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合 ︑

A

日間

﹁最低﹂でかつ﹁標準的﹂な規則を作成したのである︒それは数種類のドラフト (草案)が存在することからもわ

かる︒さらには︑各種会議において︑建設的な議論と中には妥協を重ねてのコンセンサス採択とを目指してきたこ

とも重要である︒そして最終的に五年の歳月をかけてコングレスという国際政治の場で︑さらには国連総会におい

て︑全会一致で採択され︑晴れて﹁少年司法運営に関する国連最低基準規則﹂が誕生することになったのである︒

ここには︑前述した﹁即席慣習法理論﹂あるいは﹁ソフトロ l 理論﹂に頼るまでもなく︑ われわれが当然遵守すべ

コンセンサスをもって採択した国連総会決議を道守すべきこと

は道義的かつ政治的責任であり︑法的拘束力を問題にするまでもなく当然に要求されている︒ き信念が反映されていることは明らかなのである︒

また加盟各国が遵守義務を有するということは︑国連の各種の会議︑委員会などで頻繁に指摘されている︒例え

ば︑国連によって採択された国際人権基準には︑﹁条約﹂︑﹁最低基準規則﹂︑﹁規則﹂︑﹁指針﹂など様々なものがあ

それぞれの文書の前文あるいは留保規定などにおいて︑関連文書との整合性︑統一性を明示するのが常であ

り︑これらの関係を法的拘束力の有無で区別する実質的意義は少ないとされている︒そしてまた︑関連ある諸文書 る

が ︑

の相互関係がお互いを強化︑補完する内容である場合には︑法的拘束力を有する文書の拘束力がそれを有しない他

の文書にも拡大される場合があるする意見さえある︒この場合︑内容的相互緊密性によって外形的法的拘束力の垣

根は取り払われることになると言うのである︒﹁権利条約﹂と﹁北京ル l ルズ﹂をはじめとする三つの少年司法に

(8)

関する準則との関係がまさにこれにあたることになる︒これらのことからも︑遵守義務は最低限のこととして要求

されていることは明らかであろう︒

 われわれが今後なすべきことは︑﹁これらの要求を単なる外圧として受けとめるだけでなく︑各規則が憲塗三

条のデュー・プロセス条項が保障する﹃正当な︵身o︶﹄人権内容として憲法上要請されているものとして実施し

      ︵17︶ ていく努力をする﹂ことだけのはずなのである︒法務省関係者が単なる努力目標あるいは参考資料としての意味し

かないとして国際準則を軽視するのは︑まさに自らが行ってきた国際的協力を否定することにほかならない︒特に

わが国のアジア極東犯罪防止研修所が重要な国際的役割を果たしてきた北京ルールズについてはなおさらのことで

あろう︒  以上の検討から︑北京ルールズは単なる努力目標あるいは参考資料という意味を越えて︑実質的な拘束力︵遵守

義務︶を有する国連基準であるということが明らかになった︒もっとも︑このことは北京ルールズのみにあてはま

るわけではなく︑リヤドガイドラインズ︑少年保護規則は勿論のこと︑他の多くの国連準則についても言えるとい

うことは説明するまでもない︒

三 本規則の基本的性格

条約は一定の署名のもとに発効し︑批准によって法的拘束力をもたらすという意味において排他的な規範であ

る︒しかしながら︑﹁規則︵霊琶﹂あるいは﹁指針︵讐こ9器︶﹂といった国連総会の決議となって承認される文 関する準則との関係がまさにこれにあたることになる︒これらのことからも︑遵守義務は最低限のこととして要求 されていることは明らかであろう︒

われわれが今後なすべきことは︑﹁これらの要求を単なる外圧として受けとめるだけでなく︑各規則が憲法三一

条のデュ 1 ・プロセス条項が保障する﹁正当な

ていく努力をする﹂ことだけのはずなのである︒法務省関係者が単なる努力目標あるいは参考資料としての意味し (合︒)﹄人権内容として憲法上要請されているものとして実施し

かないとして国際準則を軽視するのは︑ まさに自らが行ってきた国際的協力を否定することにほかならない︒特に

わが国のアジア極東犯罪防止研修所が重要な国際的役割を果たしてきた北京ル l ルズについてはなおさらのことで

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以上の検討から︑北京ル l ルズは単なる努力目標あるいは参考資料という意味を越えて︑実質的な拘束力(遵守

義務)を有する国連基準であるということが明らかになった︒もっとも︑このことは北京ル l ルズのみにあてはま

る わ け で は な く ︑ リヤドガイドラインズ︑少年保護規則は勿論のこと︑他の多くの国連準則についても言えるとい

うことは説明するまでもない︒

本規則の基本的性格

条約は一定の署名のもとに発効し︑批准によって法的拘束力をもたらすという意味において排他的な規範であ

る︒しかしながら︑﹁規則(吋

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) ﹂あるいは﹁指針

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﹂といった国連総会の決議となって承認される文

(9)

論  説  246

書は︑一般に法的拘束力が認められていない︒それゆえにこれらの文書ではコンセンサス採択に向けて精力が注が

れる︒加盟各国のコンセンサスによって国連文書としての実質的意味をもたせるためである︒北京ルールズもまた

国連総会において加盟各国のコンセンサスで承認された国連規則であるが︑本規則は単なる規則ではなく﹁最低基

準﹂規則であり︑そのためにさらに重要な意味をもっている︒ここに言う﹁最低︵巨巳B仁巨︶﹂とは︑ある一定の

生活水準を人権理念に反映させ︑それを全世界に広めなければならないということを意味しており︑また﹁基準

︵ω$巳貰α︶﹂とは︑それぞれに異なった背景をもつ国及び地域に本規則が適用可能でなければならないという意

味である︒したがって︑このことは極めて多くの議論と︑場合によっては妥協を重ねなければ達成し得ない︒ゆえ

に本規則は︑使用される文言の曖昧性はもちろんいくつかの妥協的規定内容を有している︒さらには世界各国の異

なった少年法制に適応可能であるように︑ある程度普遍的な少年司法観を提示している︒

 以下では︑これらについて若干詳しく見てみよう︒

ω 文言の曖昧性

 先ず文言の曖昧性という点について言えば︑シュプリンゴルム教授が以下のように記述していることが参考に

 ︵18︶

なる︒

 第一に︑北京ルールズにおいてはできるだけ一貫した術語を用いようと努力しているということである︒注意深

く読むと︑いたるところで︑多少違ったニュアンスを含んでいるとしても︑︑.蝕巷○ω庄9︑︑であるとか︑.︑同80−

鼠9.︑であるとか︑︑.8日冨8導き些oユ蔓︑.であるとか︑..ぎω葺旨一9巴一鋸広自︑.であるとかの術語が用いられてい 書

は ︑

一般に法的拘束力が認められていない︒それゆえにこれらの文書ではコンセンサス採択に向けて精力が注が

246 

れる︒加盟各国のコンセンサスによって国連文書としての実質的意味をもたせるためである︒北京ル l ルズもまた

国連総会において加盟各国のコンセンサスで承認された国連規則であるが︑本規則は単なる規則ではなく﹁最低基

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準﹂規則であり︑そのためにさらに重要な意味をもっている︒ここに言う﹁最低

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生活水準を人権理念に反映させ︑ それを全世界に広めなければならないということを意味しており︑ また﹁基準

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それぞれに異なった背景をもっ国及び地域に本規則が適用可能でなければならないという意

味である︒したがって︑このことは極めて多くの議論と︑場合によっては妥協を重ねなければ達成し得ない︒ゆえ

に本規則は︑使用される文言の暖昧性はもちろんいくつかの妥協的規定内容を有している︒さらには世界各国の異

なった少年法制に適応可能であるように︑ある程度普遍的な少年司法観を提示している︒

以下では︑これらについて若干詳しく見てみよう︒

( 1 )  

文言の暖昧性

先ず文言の暖昧性という点について言えば︑

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シュプリンゴルム教授が以下のように一記述していることが参考に

第一に︑北京ル!ルズにおいてはできるだけ一貫した術語を用いようと努力しているということである︒注意深

く 読

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いたるところで︑多少違ったニュアンスを含んでいるとしても︑ E

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術 語

が 用

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(10)

る︒さらにまた規則二八・一を例にとると︑条件付きの釈放は﹁権限ある機関︵8B冨滞薄蝉昌8葺く︶﹂によるば

かりではなく﹁適切な機関︵8肩8鼠簿Φ翌甚○葺図︶﹂によってもなされ得るとされている︒このことから判断す

ると︑規則一四・一に規定された﹁権限ある機関﹂より広い範囲で条件付き釈放を決定できる﹁機関︵窪99−

凶身︶﹂が想定されていることがわかる︒これらはまったく同じ機関というわけではないのである︒あるいはまた︑

﹁施設収容︵富蜂急o轟巨呂o昌︶﹂については多くの様々な形態をとっていて︑それぞれの国の状況を考えれば︑

本規則の術語を適用するのはかなり困難であるかもしれない︒例えば︑矯正施設であるとか︑訓練学校であると

か︑教護院であるとか︑少年刑務所であるとか様々である︒これらの諸施設が北京ルールズでの文言の意味におけ

る施設収容の範疇に入るのかどうか︑このことも必ずしも明瞭であるというわけではない︒

 第二に︑堅固で厳格な術語を使うかわりに柔らかい術語を用いるよう努力しているということである︒非常に控

えめな表現で︑﹁適当な︵8虞o冨讐Φとであるとか︑﹁可能な︵零隆醒①︶﹂であるとか︑﹁できる限り︵器富轟ω

零ωω巨①︶﹂であるとかの表現が多く用いられている︒これらを注意深く観察してみると︑例えば規則一九・一

は︑﹁少年を施設に収容することは︑常に最終手段として必要最小限の期間の措置でなければならない﹂と規定し

ているが︑ここで言う﹁必要最小限﹂の期間とは︑常に﹁必要な︵器8ω鋸昌︶﹂期間でなければならないというニ

ュアンスも含んでおり︑施設に収容する期間を延長することにも用いられかねないのである︒さらに︑規則二〇・

一は﹁各事案は︑最初から︑不必要な遅滞なく迅速に扱われなければならない﹂と規定しているが︑手続には常に

実に多くの遅滞がつきものであり︑ワープロが故障した場合や休日である場合でさえ︑﹁必要な﹂遅滞として説明

されてしまうのが常である︒この他にもいかようにもとれるような様々な表現があり︑北京ルールズの内容は曖昧 る︒さらにまた規則二八・一を例にとると︑条件付きの釈放は﹁権限ある機関

( g B H } 2 0 2 2 E 2 5 1 )

﹂ によるば

かりではなく﹁適切な機関

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︒ 匂

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3 1 )

﹂によってもなされ得るとされている︒このことから判断す

ると︑規則一四・一に規定された﹁権限ある機関﹂より広い範囲で条件付き釈放を決定できる﹁機関

( 2 5 2

・ 日3

1 ) ﹂が想定されていることがわかる︒これらはまったく同じ機関というわけではないのである︒あるいはまた︑

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それぞれの国の状況を考えれば︑

本規則の術語を適用するのはかなり困難であるかもしれない︒例えば︑矯正施設であるとか︑訓練学校であると

か︑教護院であるとか︑少年刑務所であるとか様々である︒これらの諸施設が北京ル l ルズでの文言の意味におけ

る施設収容の範鴎に入るのかどうか︑このことも必ずしも明瞭であるというわけではない︒

第二に︑堅固で厳格な術語を使うかわりに柔らかい術語を用いるよう努力しているということである︒非常に控

えめな表現で︑﹁適当な

( 告 七 円

︒ 日 ) ユ

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は︑﹁少年を施設に収容することは︑常に最終手段として必要最小限の期間の措置でなければならない﹂と規定し

ているが︑ここで言う﹁必要最小限﹂の期間とは︑常に﹁必要な

( ロ

2 2

g 弓)﹂期間でなければならないという

ュアンスも含んでおり︑施設に収容する期間を延長することにも用いられかねないのである︒さらに︑規則二 0 ・

一は﹁各事案は︑最初から︑不必要な遅滞なく迅速に扱われなければならない﹂と規定しているが︑手続には常に

実に多くの遅滞がつきものであり︑ ワープロが故障した場合や休日である場合でさえ︑﹁必要な﹂遅滞として説明

されてしまうのが常である︒この他にもいかようにもとれるような様々な表現があり︑北京ル l ルズの内容は暖昧

(11)

論  説  248

性を残したままの規定内容となっていることがわかる︒

②妥協的修正

 次に妥協的規則の制定および修正についてである︒もちろんこれについては妥協的規則ということが明示されて

いるわけではなく︑おそらく妥協的産物であろうと筆者が推測する部分である︒これらはいずれも︑地域間準備会       ︵19︶ 議の後かコングレスの席でなされているようである︒なおこれらの内容については各規則毎に検討を行った別稿に

おいて可能なかぎり明らかにするので︑ここでは重要なもののみについて触れておくことにする︒        ︵20︶  先ず第一に︑コングレスの席において規則一・五が追加されて︑加盟各国の経済的︑社会的︑文化的状況の相違

を考慮すべきことが規則全体に反映されるようになったことが大きい︒これによって北京ルールズの絶対的遵守が

各国に要請されるわけではなく︑各国の状況に応じた方法での実施が可能になったのである︒この追加規定はコン

グレスのラポラトゥール︵報告官︶を務めたハーディング︵=巽9轟︶氏等のワーキンググループの提案によって

    ︵21︶

なされたが︑これは︑西洋先進諸国の価値観︑発展途上国の価値観及び社会主義諸国の価値観等の調整といった国

際政治問題がからむ政府間会議としてのコングレスならではの問題であり︑ここにおいて急遽提案され︑修正可決        ぬレ されたものの一つと考えてよいであろう︒

 第二に︑上記との関連で﹁社会の二ーズ﹂が規則の根幹に関わる問題において考慮されるべきことが示されるよ

      ︵23︶         ︵24︶      ︵25︶ うになったということである︒これは具体的には︑規則一・四︑規則二・三㈲および規則一七・一@において見受

けられる︒規則一・四は︑わが国でも法務省関係者によってしきりにとりあげられ︑﹁社会の利益と少年の利益の

248 

性を残したままの規定内容となっていることがわかる︒

( 2 )  

妥協的修正

三 ム

両冊

次に妥協的規則の制定および修正についてである︒もちろんこれについては妥協的規則ということが明示されて

いるわけではなく︑ おそらく妥協的産物であろうと筆者が推測する部分である︒これらはいずれも︑地域間準備会

議の後かコングレスの席でなされているようである︒なおこれらの内容については各規則毎に検討を行った別稿に

おいて可能なかぎり明らかにするので︑ここでは重要なもののみについて触れておくことにする︒

コングレスの席において規則一・五が追加されて︑加盟各国の経済的︑社会的︑文化的状況の相違

先 ず

第 一

に ︑

を考慮すべきことが規則全体に反映されるようになったことが大きい︒これによって北京ル l ルズの絶対的遵守が

各国に要請されるわけではなく︑各国の状況に応じた方法での実施が可能になったのである︒この追加規定はコン

(報告官)を務めたハーディング(出向門出口問)氏等のワーキンググループの提案によって グレスのラポラトゥ 1 ル

なされたが︑これは︑西洋先進諸国の価値観︑発展途上国の価値観及び社会主義諸国の価値観等の調整といった国

際政治問題がからむ政府開会議としてのコングレスならではの問題であり︑ここにおいて急速提案され︑修正可決

されたものの一つと考えてよいであろう︒

第二に︑上記との関連で﹁社会のニ l ズ﹂が規則の根幹に関わる問題において考慮されるべきことが示されるよ

うになったということである︒これは具体的には︑規則一・四︑規則二・三 ω および規則一七・一一切において見受

けられる︒規則一・四は︑わが国でも法務省関係者によってしきりにとりあげられ︑﹁社会の利益と少年の利益の

(12)

      パぞ 調和﹂こそ北京ルールズの眼目であると強調された部分である︒また規則二・三は︑北京ルールズ実施のための国

内法の設置にあたっては︑少年の二ーズばかりでなく社会の二ーズも同等に考慮にいれなければならないと規定す

るものであり︑規則一七・一@は︑審判および処遇決定の指導原理として少年の二ーズと社会の二ーズに比例した

処分を選択しなければならないと規定するのである︒これらは一見したところ法務省関係者が言うように︑少年の

保護と社会防衛の調和を図ったようにとれないわけではない︒しかし︑いずれの規則本文中にも︑﹁社会正義

︵ω8巨冒答8︶﹂︑﹁社会の平和的秩序︵四需8R色o鼠震冒ω8一Φ昌︶﹂︑﹁社会の二ーズ︵島Φ冨8ωo房88蔓︶﹂

などの微妙かつ多義的な文言が用いられており︑規則全体との関係で考えると上記のような対立関係に限定して考

えることは難しい︒例えば︑規則一・四の成立過程を見てみると︑ここで言う﹁少年のための社会正義﹂とは︑ホ

ームレスやストリートチルドレンとして苛酷な状況にさらされること︑薬物の被害を受けること︑売春などにより

虐待︑搾取されたりすることなどの様々な害悪から少年を保護して健全な成長を手助けすることであり︑社会政策

一般を指している︒そしてその包括的枠組みの中で少年司法が行われ︑社会の平和的秩序︑社会の二ーズが同時に

満たされなければならないと言っているのであり︑法務省関係者が言うように少年の保護と社会防衛が対置されて

いるわけでは決してない︒むしろ︑少年の保護︵成長発達の援助︶を達成することで社会の平和的秩序及び二ーズ       ハリレ が満たされると言っているのである︒

 そして第三に︑同じくコングレスの席において﹁審判の非公開原則﹂が削除されたことである︒これによって少

年審判の構造自体が必ずしも伝統的なものに則るばかりでなく︑陪審制度や対審構造にも対応できる内容となった

のであるが︑もちろんそれを推進しているわけではないことは少年の福祉を至上価値としプライバシーの保護に心 調和﹂こそ北京ル i ルズの眼目であると強調された部分である︒また規則二・三は︑北京ル l ルズ実施のための国

内法の設置にあたっては︑少年のニ 1 ズばかりでなく社会のニ l ズも同等に考慮にいれなければならないと規定す

るものであり︑規則一七・一例は︑審判および処遇決定の指導原理として少年のニ l ズと社会のニ l ズに比例した

処分を選択しなげればならないと規定するのである︒これらは一見したところ法務省関係者が言うように︑少年の

保護と社会防衛の調和を図ったようにとれないわけではない︒しかし︑

いずれの規則本文中にも︑﹁社会正義

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などの微妙かつ多義的な文言が用いられており︑規則全体との関係で考えると上記のような対立関係に限定して考

‑四の成立過程を見てみると︑ここで言う﹁少年のための社会正義﹂とは︑ えることは難しい︒例えば︑規則一

ームレスやストリートチルドレンとして苛酷な状況にさらされること︑薬物の被害を受けること︑売春などにより

虐待︑搾取されたりすることなどの様々な害悪から少年を保護して健全な成長を手助けすることであり︑社会政策

一般を指している︒そしてその包括的枠組みの中で少年司法が行われ︑社会の平和的秩序︑社会のニ l ズが同時に

満たされなければならないと言っているのであり︑法務省関係者が言うように少年の保護と社会防衛が対置されて

むしろ︑少年の保護(成長発達の援助)を達成することで社会の平和的秩序及びニ 1 ズ

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いるわけでは決してない︒

そして第三に︑同じくコングレスの席において﹁審判の非公開原則﹂が削除されたことである︒これによって少

年審判の構造自体が必ずしも伝統的なものに則るばかりでなく︑陪審制度や対審構造にも対応できる内容となった

の で

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が ︑

もちろんそれを推進しているわけではないことは少年の福祉を至上価値としプライバシーの保護に心

(13)

論  説  250

を砕いている本規則の姿勢からすれば明らかである︒いずれにしてもここでも妥協的な調和が図られた可能性は強        ︵28︶ い︒なお本削除も前記ワーキンググループによるものである︒

(3)

国連少年司法の普遍性

 ところで︑北京ルールズは従来の少年司法の指導理念についてどのような態度を示しているのかについて検討し

ておかなければならない︒すなわち︑﹁パレンス・パトリエモデル︵夢ΦBお房冨鼠器B&Φ一︶﹂および﹁デュ

ー・プロセスモデル︵跨Φ身①虞08霧日○号一︶﹂についてである︒パレンス・パトリエの思想は言うまでもなく︑

一八九九年以来の少年裁判所を支配する伝統的な理念であり︑保護的教育的な思想のもと︑国が親代りに子どもを       ︵29︶ 保護するというものである︒一方︑デュー・プロセスモデルについては︑一九六七年のゴールト判決以来のパレン

ス・パトリエの行き過ぎに対する歯止めとしての少年の権利保障と考えるのが一般的であると思うのだが︑成人同

様のデュー・プロセスの保障をすることに意味を見いだす向きもある︒北京ルールズはこれらについてどのように

考えているのか︑その調和を図っているのか︑少年の権利を認めることでデュー・プロセスモデルに比重がおかれ

ることになったのか︑このことについては︑どうしても回答を与えておかなければならない︒これについては︑少

年司法におけるコミュニティーの関わりを重視した﹁コミュニティi参加モデル︵跨︒8日B琶一蔓冨岳含冨8蔓

 ︵30︶       ︵31︶

B&9﹂との三者との関係で以下のような叙述がなされていることが注目に値する︒

 すなわち︑﹁デュー・プロセスモデル︵跨Φ 身① 震08ωω B&9﹂︑﹁社会福祉モデル︵誓Φ ω9巨 名巴鼠お

BO8一︶﹂︵これは必ずしもパレンス・パトリエモデルと同義ではない︶および﹁参加過程モデル︵3① 冨撃 を砕いている本規則の姿勢からすれば明らかである︒

250 

いずれにしてもここでも妥協的な調和が図られた可能性は強

( お

)

い︒なお本削除も前記ワーキンググループによるものである︒

( 3 )  

国連少年司法の普遍性

三ム H 冊

ところで︑北京ル l ルズは従来の少年司法の指導理念についてどのような態度を示しているのかについて検討し

ておかなければならない︒すなわち︑﹁パレンス・パトリエモデル

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一八九九年以来の少年裁判所を支配する伝統的な理念であり︑保護的教育的な思想のもと︑国が親代りに子どもを

保護するというものである︒

一 方

︑ デ

l ・プロセスモデルについては 一九六七年のゴ 1 ルト判決以来のパレン

ス・パトリエの行き過ぎに対する歯止めとしての少年の権利保障と考えるのが一般的であると思うのだが︑成人同

様のデュ 1 ・プロセスの保障をすることに意味を見いだす向きもある︒北京ル 1 ルズはこれらについてどのように

考えているのか︑ その調和を図っているのか︑少年の権利を認めることでデュ 1 ・プロセスモデルに比重がおかれ

ることになったのか︑このことについては︑ どうしても回答を与えておかなければならない︒これについては︑少

年司法におけるコミュニティーの関わりを重視した﹁コミュニティー参加モデル

5 0

号己﹂との三者との関係で以下のような叙述がなされていることが注目に値する︒

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同 ) 山 門

(14)

膏む象○曼虞08霧ヨ&Φ一︶﹂︵コミュニティー参加モデルと同義に考えてよいであろう︶の定義について次のよう

に捉えているということである︒先ず第一に︑デュー・プロセスモデルは︑言うまでもなく︑適法性︑法の支配︑

デュー・プロセスといったものを基盤にするもので︑専門的法律家による司法判断を主たるものとするモデルであ

るという認識を示している︒第二に︑社会福祉モデルは︑国の政策や福祉を通じて経済的社会的正義を達成しよう

とするもので︑福祉局等の専門家の行政的判断が主たるものとなるモデルであるということであるので︑司法判断

が主体となるパレンス・パトリエモデルとは異なるものである︒そして第三の参加過程モデルは︑現代国家の中央

権力の介入をできる限り抑えて︑市民の参加を得ながら地域レベルでの解決を目指そうとするもので︑特に未開発       ︵3

2︶

諸国︑低開発諸国で少年非行問題についてなお適用されているモデルである︒本規則ではこれらの三つのモデルを

対置して考えている︒そしてこのようなモデルの存在を確認し︑本規則作成のための地域間準備会議の参加各国が

さらに合意したことは︑いずれの国においてもこれらの諸モデルの一つだけによって自国の少年司法制度を成り立

たせている国はなく︑多くの国がそれぞれのモデルの諸要素をある程度取り入れているということであった︒した

がって問題はこれらの三つのモデルのバランスをどの程度保たなければならないかということに集中して以下のよ

うな合意がなされたのである︒すなわち︑各モデル問のバランスは各国の文化や発展によって異なることを踏まえ

ながら︑低開発諸国に固有のものと考えられがちな﹁参加の過程﹂が先進諸国においても取り入れられ促進される

べきであるということである︒ディヴァージョンプログラムを中心にコミュニティー参加が促進されるべきことに

合意がなされたのである︒そしてそれとともに︑法律に抵触する行為をした少年に対する法的手続の保障も重視さ

れ︑さらに少年の福祉という観点が強調されることになったのである︒

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に捉えているということである︒先ず第一に︑デュ l ・プロセスモデルは︑言うまでもなく︑適法性︑法の支配︑

デュ!・プロセスといったものを基盤にするもので︑専門的法律家による司法判断を主たるものとするモデルであ

るという認識を示している︒第二に︑社会福祉モデルは︑国の政策や福祉を通じて経済的社会的正義を達成しよう

とするもので︑福祉局等の専門家の行政的判断が主たるものとなるモデルであるということであるので︑司法判断

が主体となるパレンス・パトリエモデルとは異なるものである︒そして第三の参加過程モデルは︑現代国家の中央

権力の介入をできる限り抑えて︑市民の参加を得ながら地域レベルでの解決を目指そうとするもので︑特に未開発

諸国︑低開発諸国で少年非行問題についてなお適用されているモデルである︒本規則ではこれらの三つのモデルを

対置して考えている︒そしてこのようなモデルの存在を確認し︑本規則作成のための地域間準備会議の参加各国が

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いずれの国においてもこれらの諸モデルの一つだけによって自国の少年司法制度を成り立

たせている国はなく︑多くの国がそれぞれのモデルの諸要素をある程度取り入れているということであった︒した

がって問題はこれらの三つのモデルのバランスをどの程度保たなければならないかということに集中して以下のよ

うな合意がなされたのである︒すなわち︑各モデル聞のバランスは各国の文化や発展によって異なることを踏まえ

ながら︑低開発諸国に固有のものと考えられがちな﹁参加の過程﹂が先進諸国においても取り入れられ促進される

べきであるということである︒ディヴァ 1 ジョンプログラムを中心にコミュニティー参加が促進されるべきことに

251 

合意がなされたのである︒そしてそれとともに︑法律に抵触する行為をした少年に対する法的手続の保障も重視さ

れ︑さらに少年の福祉という観点が強調されることになったのである︒

(15)

論  説  252

 すなわちここでは従来言うようなパレンス・パトリエとデュー・プロセスの対立は︑少年司法制度の枠組みの中

で少年の権利を保障するという意味での﹁デュー・プロセスモデル﹂として止揚されているようであり︑伝統的な

保護主義がそれによって崩されるということについては一切言及していない︒ここでの趣旨は︑伝統的なパレン

ス・パトリエの思想を支柱にした保護主義を崩すことなく少年の権利を保障し︑司法制度の中で扱おうということ       パおレ を言っていると受け取ることができる︒そしてさらにこれのみに終わらず︑少年非行の問題を純粋に福祉領域で扱

うこととの調和をも求めているし︑少年司法におけるコミュニティーの関わりの増大を強調しているのである︒こ

のような特徴は︑少年﹁司法﹂運営に関する最低基準規則である北京ルールズが後述した諸原理を示していること

から具体的に窺い知ることができる︒

 以上のように︑文言の曖昧性を内包し︑妥協的規則を残し︑さらには多種多様な少年司法制度に適応可能な数種

のモデルを調和的に採用することによって︑北京ルールズは初めてコンセンサスを得て採択されたのである︒これ

らは必要的かつ政策的な妥協であったのか︑それとも規則全体の趣旨を歪めてしまう後退であったのか︑これにつ

いて判断を下すことは極めて難しい問題である︒しかしながら︑これらのことをぬきにしても︑本規則は以下に示

すような明瞭な原則を示しているのであり︑それらが上記のことを理由に意味を失うということはまったくない︒

北京ルールズが突きつけている少年司法観は﹁不介入主義﹂を中心とする以下の諸原則にこそ脈打っている︒ すなわちここでは従来言うようなパレンス・パトリエとデュ 1 ・プロセスの対立は︑少年司法制度の枠組みの中

252 

で少年の権利を保障するという意味での﹁デュ 1 ・プロセスモデル﹂として止揚されているようであり︑伝統的な

保護主義がそれによって崩されるということについては一切言及していない︒ここでの趣旨は︑伝統的なパレン

三ゐ、

日冊

ス・パトリエの思想を支柱にした保護主義を崩すことなく少年の権利を保障し︑司法制度の中で扱おうということ

を言っていると受け取ることができる︒そしてさらにこれのみに終わらず︑少年非行の問題を純粋に福祉領域で扱

うこととの調和をも求めているし︑少年司法におけるコミュニティーの関わりの増大を強調しているのである︒こ

のような特徴は︑少年﹁司法﹂運営に関する最低基準規則である北京ル l ルズが後述した諸原理を示していること

から具体的に窺い知ることができる︒

以上のように︑文言の暖昧性を内包し︑妥協的規則を残し︑ さらには多種多様な少年司法制度に適応可能な数種

のモデルを調和的に採用することによって︑北京ル!ルズは初めてコンセンサスを得て採択されたのである︒これ

らは必要的かつ政策的な妥協であったのか︑それとも規則全体の趣旨を歪めてしまう後退であったのか︑これにつ

いて判断を下すことは極めて難しい問題である︒しかしながら︑これらのことをぬきにしても︑本規則は以下に示

すような明瞭な原則を示しているのであり︑ それらが上記のことを理由に意味を失うということはまったくない︒

北京ル l ルズが突きつけている少年司法観は﹁不介入主義﹂を中心とする以下の諸原則にこそ脈打っている︒

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