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中川良延先生に贈る言葉 (中川良延教授神田修教授 退職記念号)

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中川良延先生に贈る言葉 (中川良延教授神田修教授 退職記念号)

著者名(日) 小野寺  規夫

雑誌名 山梨学院大学法学論集

巻 49

ページ 2‑5

発行年 2003‑03‑10

URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000868/

(2)

法学論集 49〔山梨学院大学〕2

中川良延先生に贈る言葉

山梨学院大学法学部法学科長小野寺規夫

 中川良延先生は︑平成一四年三月で︑本学の規定に従って退職されました︒

 中川先生と山梨学院大学とのおつきあいは︑先生が︑平成九年四月に千葉大学を定年退官されてから︑本学に赴

任されたのですから︑私たちは︑本学では満五年のお付き合いとなった︒その問︑先生は︑学生を含め私たち教

員︑事務職員に対して愛情深き教育を身もって示された︒それらを私たちは決して忘れない︒でも︑先生は︑最後

に﹁私は︑大学教授としては︑落第です︒﹂と厳しくご自分を責められていた︒私は︑それに対して﹁そのような

ことは︑決してありません︒先生は︑私たちに教育者としての進む道を示してくださいました︒﹂と答えたが︑こ

れには納得せず︑先生は自分の説を訂正しようとはしなかったのである︒

 先生の教員としての出発点は︑中央大学卒業後︑東北大学の修士課程を修了して︑小樽商科大学での教員生活か

ら始まったと聞いております︒﹁噛んで含めるような教育﹂とは︑中川先生の講義を言うのかも知れない︒私個人

は︑先生の最終講義に出席して聞いただけだが︑学生からの話によると︑﹁大学の講義とは︑このようにあるべき

だ︒﹂との印象を持たされた︒学生に媚びるのではなく︑その日に準備された講義要領に従って︑淡々とお話をさ

れるとのことであった︒

49 

(山梨学院大学〕

中川良延先生に贈る言葉

小野寺

夫 山梨学院大学法学部法学科長

法学論集

中川良延先生は︑平成一四年三月で︑本学の規定に従って退職されました︒

中川先生と山梨学院大学とのおつきあいは︑先生が︑平成九年四月に千葉大学を定年退官されてから︑本学に赴

任されたのですから︑私たちは︑本学では満五年のお付き合いとなった︒その問︑先生は︑学生を含め私たち教

員︑事務職員に対して愛情深き教育を身もって示された︒それらを私たちは決して忘れない︒でも︑先生は︑最後

に﹁私は︑大学教授としては︑落第です︒﹂と厳しくご自分を責められていた︒私は︑それに対して﹁そのような

ことは︑決してありません︒先生は︑私たちに教育者としての進む道を示してくださいました︒﹂と答えたが︑こ

れには納得せず︑先生は自分の説を訂正しようとはしなかったのである

D

先生の教員としての出発点は︑中央大学卒業後︑東北大学の修士課程を修了して︑小樽商科大学での教員生活か

ら始まったと聞いております︒﹁噛んで含めるような教育﹂とは︑中川先生の講義を言うのかも知れない︒私個人

は︑先生の最終講義に出席して問いただけだが︑学生からの話によると︑﹁大学の講義とは︑このようにあるべき

だ︒﹂との印象を持たされた︒学生に娼びるのではなく︑その日に準備された講義要領に従って︑淡々とお話をさ

れるとのことであった︒

49 

(山梨学院大学〕

中川良延先生に贈る言葉

小野寺

夫 山梨学院大学法学部法学科長

法学論集

中川良延先生は︑平成一四年三月で︑本学の規定に従って退職されました︒

中川先生と山梨学院大学とのおつきあいは︑先生が︑平成九年四月に千葉大学を定年退官されてから︑本学に赴

任されたのですから︑私たちは︑本学では満五年のお付き合いとなった︒その問︑先生は︑学生を含め私たち教

員︑事務職員に対して愛情深き教育を身もって示された︒それらを私たちは決して忘れない︒でも︑先生は︑最後

に﹁私は︑大学教授としては︑落第です︒﹂と厳しくご自分を責められていた︒私は︑それに対して﹁そのような

ことは︑決してありません︒先生は︑私たちに教育者としての進む道を示してくださいました︒﹂と答えたが︑こ

れには納得せず︑先生は自分の説を訂正しようとはしなかったのである

D

先生の教員としての出発点は︑中央大学卒業後︑東北大学の修士課程を修了して︑小樽商科大学での教員生活か

ら始まったと聞いております︒﹁噛んで含めるような教育﹂とは︑中川先生の講義を言うのかも知れない︒私個人

は︑先生の最終講義に出席して問いただけだが︑学生からの話によると︑﹁大学の講義とは︑このようにあるべき

だ︒﹂との印象を持たされた︒学生に娼びるのではなく︑その日に準備された講義要領に従って︑淡々とお話をさ

れるとのことであった︒

(3)

3中川良延先生に贈る言葉

 先生は︑財産法を含めた民法全般について︑ご造詣が深かったが︑特に家族法に興味を持たれ︑学者としての生

活を︑家族法の研究に尽くされた︒それは︑単に書斎での研究だけではなく︑実務を通しての研究生活であった︒

それは︑実務としての家事調停には︑一家言をもち︑千葉大学のころに実践された千葉家庭裁判所で︑家事調停委

員としての活躍は︑その後の論文にも結晶されている︒山梨学院大学では︑いつも︑家事事件の処理に関する感想

を聞かされたものだった︒電車でご一緒したとき︑飲み会のとき︑いつも︑話題は︑家族法のあるべき姿の探求に

向かっていったのである︒家事事件の処理には︑その事件の解決が目的ではあるが︑﹁裁判所に来て︑事件の申し

立てをした当事者の話を聞くことから事案の解決は始まるのだよ︒﹂とのお言葉は︑長年に渉って︑訴訟事件にば

かり目を奪われて︑家庭裁判所での家事事件処理についての勤務は︑実質的には︑任官したての判事補のときに︑

東京家庭裁判所家事部での経験しかなく︑単に事件処理にのみ追われて︑家事裁判の本質は何かを研究することな

く家事事件実務に携わってきた私には︑いつも︑痛い警告と助言とに聞こえるのであった︒

 そこでの基本は︑人間を愛し︑事件の当事者の立場で紛争を解決しようとの意欲に満ちた先生の情熱の塊をぶっ

つけられた毎日であった︒それは︑研究生活を共にすごすことができた喜こびにつながるということでありまし

た︒

 先生には︑敵はいない︒誰とでも︑気楽にお話をされ︑先輩︑後輩︑学生の誰からの言葉にも笑みを浮かべなが

らも真剣に聞いてくれた︒でも︑自説を述べるときには︑遠慮がなかった︒﹁私は︑こう思う︒﹂と主張されるので

ある︒それらの意見に反対すると︑ジックリと説明を聞かされるのである︒そこでの︑考えの中心には︑いつも

﹁家族とはなにか︒﹂が主題であったように思われるのである︒特に日本の家族︑それも現在の︑そして将来の家

一3一

先生は︑財産法を含めた民法全般について︑ご造詣が深かったが︑特に家族法に興味を持たれ︑学者としての生

活を︑家族法の研究に尽くされた︒それは︑単に書斎での研究だけではなく︑実務を通しての研究生活であった︒

それは︑実務としての家事調停には︑ 一家言をもち︑千葉大学のころに実践された千葉家庭裁判所で︑家事調停委

員 と し て の 活 躍 は ︑ その後の論文にも結品されている︒山梨学院大学では︑ いつも︑家事事件の処理に関する感想

を聞かされたものだった︒電車でご一緒したとき︑飲み会のとき︑ いつも︑話題は︑家族法のあるべき姿の探求に

向かっていったのである︒家事事件の処理には︑その事件の解決が目的ではあるが︑﹁裁判所に来て︑事件の申し

立てをした当事者の話を聞くことから事案の解決は始まるのだよ︒﹂とのお言葉は︑長年に渉って︑訴訟事件にば

かり目を奪われて︑家庭裁判所での家事事件処理についての勤務は︑実質的には︑任官したての判事補のときに︑

東京家庭裁判所家事部での経験しかなく︑単に事件処理にのみ追われて︑家事裁判の本質は何かを研究することな

‑ 3 ‑

く家事事件実務に携わってきた私には︑ いつも︑痛い警告と助言とに聞こえるのであった︒

そこでの基本は︑人間を愛し︑事件の当事者の立場で紛争を解決しようとの意欲に満ちた先生の情熱の塊をぶつ

中川良延先生に贈る言葉

つけられた毎日であった︒それは︑研究生活を共にすごすことができた喜こびにつながるということでありまし

先生には︑敵はいない︒誰とでも︑気楽にお話をされ︑先輩︑後輩︑学生の誰からの言葉にも笑みを浮かべなが た ︒

らも真剣に聞いてくれた︒でも︑自説を述べるときには︑遠慮がなかった︒﹁私は︑こう思う︒﹂と主張されるので

ある︒それらの意見に反対すると︑ジックリと説明を聞かされるのである︒そこでの︑考えの中心には︑ いつも

﹁家族とはなにか︒﹂が主題であったように思われるのである︒特に日本の家族︑ そして将来の家

そ れ

も 現

在 の

先生は︑財産法を含めた民法全般について︑ご造詣が深かったが︑特に家族法に興味を持たれ︑学者としての生

活を︑家族法の研究に尽くされた︒それは︑単に書斎での研究だけではなく︑実務を通しての研究生活であった︒

それは︑実務としての家事調停には︑ 一家言をもち︑千葉大学のころに実践された千葉家庭裁判所で︑家事調停委

員 と し て の 活 躍 は ︑ その後の論文にも結品されている︒山梨学院大学では︑ いつも︑家事事件の処理に関する感想

を聞かされたものだった︒電車でご一緒したとき︑飲み会のとき︑ いつも︑話題は︑家族法のあるべき姿の探求に

向かっていったのである︒家事事件の処理には︑その事件の解決が目的ではあるが︑﹁裁判所に来て︑事件の申し

立てをした当事者の話を聞くことから事案の解決は始まるのだよ︒﹂とのお言葉は︑長年に渉って︑訴訟事件にば

かり目を奪われて︑家庭裁判所での家事事件処理についての勤務は︑実質的には︑任官したての判事補のときに︑

東京家庭裁判所家事部での経験しかなく︑単に事件処理にのみ追われて︑家事裁判の本質は何かを研究することな

‑ 3 ‑

く家事事件実務に携わってきた私には︑ いつも︑痛い警告と助言とに聞こえるのであった︒

そこでの基本は︑人間を愛し︑事件の当事者の立場で紛争を解決しようとの意欲に満ちた先生の情熱の塊をぶつ

中川良延先生に贈る言葉

つけられた毎日であった︒それは︑研究生活を共にすごすことができた喜こびにつながるということでありまし

先生には︑敵はいない︒誰とでも︑気楽にお話をされ︑先輩︑後輩︑学生の誰からの言葉にも笑みを浮かべなが た ︒

らも真剣に聞いてくれた︒でも︑自説を述べるときには︑遠慮がなかった︒﹁私は︑こう思う︒﹂と主張されるので

ある︒それらの意見に反対すると︑ジックリと説明を聞かされるのである︒そこでの︑考えの中心には︑ いつも

﹁家族とはなにか︒﹂が主題であったように思われるのである︒特に日本の家族︑ そして将来の家

そ れ

も 現

在 の

(4)

法学論集 49〔山梨学院大学〕 4

族はどのようになっていくのか︒それらは︑フランスの家族︑イギリスの家族︑アメリカの家族等々についても懸

命に熟慮を重ねながら︑いつもお考えになっておられように思われるのである︒そして︑その家族の崩壊を防ぐた

めには︑ADRとしての家事調停の制度が必要であるというのである︒

 先生の学者としての原点は︑小樽商科大学にあったように思われる︒学生運動が盛んな時期に︑学生と一緒にな

って︑真剣に﹁大学はどのようにあるべきか﹂の問題を考え抜かれた話は︑未だに若さを喪っていないと感じさせ

るものであった︒そこでは︑中川善之助教授を自らの師として深く尊敬され︑そこでの教えを実践しようとしてい

たのである︒小樽商科大学から︑千葉大学への転任︑そして︑千葉大学で定年を迎えて︑法律学者の生活をまっと

うされたのである︒しかし︑そこから︑さらに本学での教育と学者としての延長があったということができるので

ある︒そこで︑私たちを含め学生は︑ジックリと先生の温顔の接し︑教育の本髄にふれることができたのである︒

それは︑決して︑﹁大学教授として落第生﹂ではありません︒

 ここで思いだすのは︑先生の勉強の仕方です︒﹁薄い本ではなく︑基本書を最初からジックリと最後まで読むこ

とだ︒﹂と教えられました︒それは︑必ずしも法律書には限らない︒学生のころにマルタン・デュ・ガールの﹁チ

ボー家の人々﹂を読んだ感激を︑語られ︑それを学生に伝えようとするのである︒

 ここで私達は︑中川良延先生のご退職に際し︑先生の研究・教育等の実績をたたえるべく︑本学での記念誌を刊

行することとなったのである︒謹んで先生に献呈いたしたいと思います︒

 私は︑中川良延先生の後を引き受けて法学部法学科長を引き受けましたが︑学部・大学院︑それと最近はやりの

法科大学院設置に向けての準備に時間をとられ︑先生への献呈論文のひとつを書くことができなかったことをお詫

族はどのようになっていくのか︒それらは︑ アメリカの家族等々についても懸 フランスの家族︑イギリスの家族︑

49 

(山梨学院大学〕

命に熟慮を重ねながら︑ いつもお考えになっておられように思われるのである︒そして︑その家族の崩壊を防ぐた

め に

は ︑

ADR としての家事調停の制度が必要であるというのである︒

先生の学者としての原点は︑小樽商科大学にあったように思われる︒学生運動が盛んな時期に︑学生と一緒にな

って︑真剣に﹁大学はどのようにあるべきか﹂の問題を考え抜かれた話は︑未だに若さを喪っていないと感じさせ

法学論集

るものであった︒そこでは︑中川善之助教授を自らの師として深く尊敬され︑そこでの教えを実践しようとしてい

たのである︒小樽商科大学から︑千葉大学への転任︑ そして︑千葉大学で定年を迎えて︑法律学者の生活をまっと

うされたのである︒しかし︑そこから︑ さらに本学での教育と学者としての延長があったということができるので

ある︒そこで︑私たちを含め学生は︑ジックリと先生の温顔の接し︑教育の本髄にふれることができたのである︒

それは︑決して︑﹁大学教授として落第生﹂ではありません︒

ここで思いだすのは︑先生の勉強の仕方です︒﹁薄い本ではなく︑基本書を最初からジックリと最後まで読むこ

とだ︒﹂と教えられました︒それは︑必ずしも法律書には限らない︒学生のころにマルクン・デュ・ガ l ルの﹁チ

ボ l 家の人々﹂を読んだ感激を︑語られ︑ それを学生に伝えようとするのである︒

ここで私達は︑中川良延先生のご退職に際し︑先生の研究・教育等の実績をたたえるべく︑本学での記念誌を刊

行することとなったのである︒謹んで先生に献呈いたしたいと思います︒

私は︑中川良延先生の後を引き受けて法学部法学科長を引き受けましたが︑学部・大学院︑ それと最近はやりの

法科大学院設置に向けての準備に時間をとられ︑先生への献呈論文のひとつを書くことができなかったことをお詫

族はどのようになっていくのか︒それらは︑ アメリカの家族等々についても懸 フランスの家族︑イギリスの家族︑

49 

(山梨学院大学〕

命に熟慮を重ねながら︑ いつもお考えになっておられように思われるのである︒そして︑その家族の崩壊を防ぐた

め に

は ︑

ADR としての家事調停の制度が必要であるというのである︒

先生の学者としての原点は︑小樽商科大学にあったように思われる︒学生運動が盛んな時期に︑学生と一緒にな

って︑真剣に﹁大学はどのようにあるべきか﹂の問題を考え抜かれた話は︑未だに若さを喪っていないと感じさせ

法学論集

るものであった︒そこでは︑中川善之助教授を自らの師として深く尊敬され︑そこでの教えを実践しようとしてい

たのである︒小樽商科大学から︑千葉大学への転任︑ そして︑千葉大学で定年を迎えて︑法律学者の生活をまっと

うされたのである︒しかし︑そこから︑ さらに本学での教育と学者としての延長があったということができるので

ある︒そこで︑私たちを含め学生は︑ジックリと先生の温顔の接し︑教育の本髄にふれることができたのである︒

それは︑決して︑﹁大学教授として落第生﹂ではありません︒

ここで思いだすのは︑先生の勉強の仕方です︒﹁薄い本ではなく︑基本書を最初からジックリと最後まで読むこ

とだ︒﹂と教えられました︒それは︑必ずしも法律書には限らない︒学生のころにマルクン・デュ・ガ l ルの﹁チ

ボ l 家の人々﹂を読んだ感激を︑語られ︑ それを学生に伝えようとするのである︒

ここで私達は︑中川良延先生のご退職に際し︑先生の研究・教育等の実績をたたえるべく︑本学での記念誌を刊

行することとなったのである︒謹んで先生に献呈いたしたいと思います︒

私は︑中川良延先生の後を引き受けて法学部法学科長を引き受けましたが︑学部・大学院︑ それと最近はやりの

法科大学院設置に向けての準備に時間をとられ︑先生への献呈論文のひとつを書くことができなかったことをお詫

(5)

5 中川良延先生に贈る言葉

一5一

びしたい︒別の機会にぜひとも先生に献呈したいものと考えていることを︑付け加えておきたい︒ びしたい︒別の機会にぜひとも先生に献呈したいものと考えていることを︑付け加えておきたい︒

‑5‑

中川良延先生に贈る言葉

びしたい︒別の機会にぜひとも先生に献呈したいものと考えていることを︑付け加えておきたい︒

‑5‑

中川良延先生に贈る言葉

参照

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