ドイツ語の名詞述語文で分類文・同定文以外のもの
名詞述語文の日独対照研究(1)
城 岡 啓 二
名詞述語文とは、AistB.や「AはBだ」の構文で主語と述語の両方が名 詞や代名詞のものを指している。もちろん、日本語の場合、文末表現は「だ」
でなくても、「です」でも「だよ」でも「さ」でもよいし、「AはB」という ように省略されていても構わない。
名詞述語文の日独共通の基本用法ははっきりしている。分類文と同定文の ふたつである6)下の分類では分類文をさらにふたつに分けている。分類が 類・集合どうしで成立している場合(b)と、分類が個体(要素)と類(集 合)のあいだの場合(c)である。
(a) Schwertwale sind die gr6Bte Delphinart.
「シャチは最大のイルカです」
(同定文、主語と述語が同一関係、いわゆるイコールの関係にある)
(b) Der Delphin ist ein Saugetier.
「イルカは哺乳動物です」
(分類文、主語と述語が下位集合と上位集合の関係にある)
(c)Das Madchen ist Verk盗uferin in eine1n Kaufhaus.
「その女性はデパートの店員です」
(分類文、主語と述語が要素と集合の関係にある〉
ドイツ語の名詞述語文を上のように三つに分けているのは、Helmut Gip−
per(19692)2)やHerbert E. Brekle(19742)3)である。論理学の伝統では要素 と集合を区劉して考え、区別して表記することが多いため、分類文が二分さ れているのだと思うが、少なくとも本稿で扱うことがらについてはその区別 は必要なさそうなので、本稿では、(b)と(c)の用法を一括して分類文とし て扱うことにするき)
ドイツ語の名詞述語文の、日本語との違いで顕著な点は、基本用法が同定
文と分類文のふたつだけであり、同定文・分類文に分類できる名詞述語文を 他の観点から違う分類にすることはあっても、同定文・分類文に分類できな いような用法が指摘されることはまずないしミ)そういう用法はそれほど多く ないということである。一方、日本語の名詞述語文については、おそらく西 洋語の研究の影響だと思われるが、同定文と分類文にしか着目していない研 究者もいるようであり、分類文を、上で述べた(b)や(c>のような区分では なく、主語と述語が包含関係にあり、内包というより外延強調のもの(「ねこ は哺乳動物だ」)と、属性をあらわし、外延というより内包強調のもの(「大 山さんは善人だ」)のふたつに多少あいまいであるが日本語の分析で割とよく 見られる区分6)を立てたうえで、日本語の名詞述語文は岡定文かこの二つの 分類文のいずれかであるなどとする研究者もいる∂また、それほどではない にしても、同定文、分類文以外の用法が注目されるとしても、せいぜい日本 語独特の構文としてのウナギ文8)ぐらいであることが多いようだ。しかし、同 定文、分類文、ウナギ文という分け方は日本語の名詞述語文の実際の使用例 を集めれば明らかに不十分な分類で、高橋太郎(1984)9)は同定文や分類文以 外の用法としてr状態づけ」、「動作づけ」、「性質づけ」などを豊富な実例を
もとに指摘している。このあたりの日本語についての地道な研究があまり進 んでいないことは、日本語専門の研究者ではない私の目から見てもあきらか である。いわゆる「ウナギ文」については多くの研究者の目を引き、比較的 多くの論文が書かれ、多くの研究書で触れられているにもかかわらず、高橋 はそれらに一切触れずに、「名詞述語文における主語と述語の意味的な関係」
という論文を書きながら、「この問題については、いままで、実際の使用例を つかった、この程度にくわしい報告が、筆者のものをのぞけば、ほかにない」
とこの分野の研究を振り返っているが、おそらくかれの言う通りなのだろう。
使用範囲がドイツ語に比べてはるかに広い日本語の名詞述語文は、分類文 や同定文といった日独共通の用法以外はだいたいにおいてドイツ語には対応 がなく、名詞述語文のままでは直訳できない。日本語の名詞述語文でドイツ 語にならないものについては、ドイツ語との対比で浮かびあがる「場所」や
「時」の名詞述語文も含めて、研究成果を別の論文で発表するつもりである
から、本稿では、日本語から見たドイツ語の名詞述語文の特殊性にむしろ焦
点をあてることにする。分類文、同定文以外のドイツ語の名詞述語文につい
ては、基本動詞のseinが関係しているにもかかわらず、一般に情報が不足気
味である。ドイツ語の名詞述語文の典型的用法である分類文や同定文ではな い用法について、いったいどんな用法があり、どんな語学的な問題があるの か、数年間にわたり収集した例文とともにやや詳しく述べておきたい。内容 にあいまいなところもあるが、資料を他の研究者が利用できるかたちにして おくというのも意味があることと思い、資料の整理が十分ではないが、発表 することにした。
分類文でも同定文でもない用法はドイツ語ではそれほど頻繁には出てこな い。しかし、探せば見つからないわけではない。ただ、個々の語彙に独特の 用法だったり、特殊なパターンに含致しなければ可能にならない用法だった り、一一me性がなく単発的で再現性のない用法であるようだということは書え る。用法の再現性ということでひとつ具体例を考えておこう。日本語の名詞 述語文には述語が主語のr長所・本質」をあらわすものがある。この用法は 再現性があって、「あの女優はくちびるだね」とも言えるし、「静岡はわさび 潰けです」とか「ラーメンはスープでしょ」と言うこともできる。「民車主義 は数だよ」と言うことも可能だ。かなり自由に例文をつくっていくことがで きるわけだ。つまり、日本語の「長所・本質」をあらわす名詞述語文は再現 性がある用法ということになる。一方、ドイツ語であるが、集めた例文のな かには、これと似た使い方ではないかと思わせる名詞述語文があった。
1.Zypern ist Wasserski in der Steppe. (STERN Nr,10/1987)
2。Hongkong ist Eating and Shopping, Essen und Einkaufen。
(Hongkong。 Merian/Besser reisen. H amburg 1989)
(1)は「キプロス島は水上スキーだね」と言っているようだし、(2)では「香 港はなんと言っても食事と買い物さ」と言っているようだから、日本語と同
じような「畏所・本質」の名詞述語文がドイツ語でもつくれるのではないか、
と思ってしまう。しかし、それでは、同じような文をさらにつくっていける かといえぼ、そうではなさそうだ。つまり、用法に再現性がないのだ。ネイ ティブスピーカの判断によると、同じような文をつくっても、正しいドイツ 文とは認めないひとの方がはるかに多い。
3.*Deutschland ist B ier und Wurst.
4.*Spaghetti sind die SoBe.(1/1/4)
(0/2/5)lo>
(3)と(4)は、それぞれ、「ドイツはビールとソーセージです」と「スパゲッ ティはソースだよね」に対応しているわけだが、ドイツ語を母語とするひと の判断では、全員一致でというわけではないが、まあ、両方とも非文法的な 文であると判断されていると言ってよいだろう。このようなわけだから、以 下で分類文でも同定文でもないドイツ語の名詞述語文について述べるわけだ が、上で見たような再現性のない用法が混じっている可能性が十分ある。
それでは、前置きはこれぐらいにして、まず、基本用法以外のドイツ語の 名詞述語文を私なりの考え方で整理したものを目次のかたちでお見せしてお
こう。
1.ある種のパターンが特殊な意味関係を保証しているもの 1a.主語がwlrの名詞述語文
1b.特定のパターンの名詞述語文 2.述語位置の抽象名詞の問題 2a.評価・等級付けの述語名詞
2b.無冠詞。無修飾の述語名詞による慣用表現 3.許容される特殊な主語・述語関係
3a.分類関係に基礎をおかない所属関係 3b.人と星座占いの星座
3c。個々の語彙に限定される用法として 4。省略表現
5. 上コヒロ愈表i現
1.ある種のパターンが特殊な意味関係を保証しているもの 1a.主語がwirの名詞述語文
wirが主語になると、使用できる述語名詞の意味範囲に広がりがでてく
る5i)「店」や「会社」や「学校」や「国」12)が述語名詞として使えるようにな
る。日本語では、せいぜい、特殊なニュアンスを伴って、「店」や「会社」が
まれに使われるぐらいではないだろうか。「私どもは(手前ども)は小さな会
社(店)でして…」というのはありえても、「私たちは資源の乏しい国です」
や「私たちは観光地にある学校です」のような文は日本語ならまず使われな い名詞述語文であろう。ドイツ語の例文をご覧にいれよう。
5.Wir sind ein Spezialgeschaft.(Deutsch hier. Lange嶽scheidt 1982)
6.Wir sind Ihre Versicherung.
(STERN Nr.40/1986、保険会社の広告から>
7.Wir si記schlieBlich ein Restaurant−Bus. (STERN Nr,32/1991)
8.Wir siad hier kein Dolmetscher・・Sαvice.
(E,O Sullivan/D、 R6sler:11ike you・und(lu ?rororo)
9.Wir sind hier eine Hauptschule, die in einem bedeutenden Frem−
denverkehrsgebiet liegt. (H6ren Sie zu!Klett 1976)
1⑪.SchlieBlich sind wir eine demokratische Anstalt.
(Dagmar Kekul6:Ich bin eine Wolke.)
11.Ohne das Schach wnren wir jetzt ein Dorf wie jedes andere im Osten.
(STERN Nr.17/1992)
12。Wir sind, vielleicht nach der Schweiz, das Land mit dem h6chsten Lebensstandard. (STERN Nr.8/1989)
13.Wir sind das einzige Land in Europa ohne Geschwindigkeitsbegren−
zung.(W. Krause/A・C。 Bayard:Gesch銭ftskontakte。 Langenscheidt 1991)
14.Wir sind Europa. (STERN Nr.23/1989、 SPDの広告から)
すべて「私たち」についてなのだが、(5)では「私たち」が博門店jだ
し、(6)では「私たち」が「あなたの保険会社」だ。(7)になると、「私たち」
が「レストランの付いたバス」であるし、(8)では「私たち」は「通訳サー ビスの会社」ではない、と断りのことばである。これが(9)になると、「私た ち」は「学校」だし、(10)では、「私たち」は「民主的な公共機関」だとの主 張だ。(11)では、「私たち」とは「村」のことであるが、(12)と(13)では、「私 たち」は「国」になってしまう。そして、〈14)では、ついに、「私たち」は「ヨー ロッパjだという内容である。一人称・複数の主語をもつこの種の名詞述語 文13)の述語名詞について特徴をまとめるなら、「店」や「会社」にしても「学 校」や「村」や「国」にしても、規模に違いはあるものの、人間が構成員と
して関わっている様々な「居場所」であるという点では共通している。
この種の名詞述語文の主語と述語のあいだの意味的な関係が分類文や同定 文とは明確に異なることを(11)の例ですこし詳しく説明しておこう。この文 は村中でチェスをやり、学校でもチェスが必修科目になっている旧東ドイツ の村についての記事からである。「私たち」とは当然「人間」のはずで、その 人間がどう転んでも「村」にはなりっこないから、この言い方は名詞述語文 の基本用法の分類文と同定文ではないことははっきりしている。同定文なら
「私たち」と「村」の意味的な関係はイコールの関係14)でなければならないが、
それはありえない。また、分類文なら「私たち」は「村」のなかにその一一一一一・一一つ
として含まれる関係になっていなければならない。たとえば「その女性はデ パートの店員です」という分類文では「その女性」は「デパートの店員」の ひとりであり、主語(の外延)が述語(の外延)に包含される関係になって いる。「私たち」と「村」の場合はそのような包含関係はありえない。「私た ちjと「村」は種類のまったく異なる語だからである。包含関係が成立する ためには、意味の共通性が必要であり、「その女性」と「デパートの店員」の 場合には両者は「人問」という共通性がある。
名詞述語文だけでなく、名詞述語文と平行的な意味関係にある他の構文に おいても、wirが使われることで主語e述語関係に同様の拡大がおきる。たと えぼ、雷いかえの表現である同格関係や「〜として」の意味のalsを使った雷 い方は名詞述語文に平行的な表現であるが、次の例のように、普通使えそう にない言い方がwirを使うことで可能になっている。(15)では、「資源の無い 国として私たちは〜」という言い方になっているし、(16)の場合は、「私たち 先進国は〜」という言い方がなされている。(15)なら、Wir sind ein Land ohne Rohst◎ffe.という名詞述語文が、(16)なら、 Wir sind hoche批wickelte Lander.という名詞述語文が対応している。
15.Als ein Land ohne Rohstoffe mttssen. wir uns(_)wohl oder資bel der Technik bedienen. (STERN Nr.8/1989)
16.Seit der Kolonialzeit werden die meisten auBereuropaischen V61ker von uns hochentwickelten Landern wirtschaftlich ausgebeutet.
〈STERN Nr.40/1986)
実のところ、これらの問題は名詞述語文や名詞述語文と平行的な関係にあ
る構文だけの問題でもない。ドイツ語のwir,つまり一人称・複数の特殊性が
関係していそうである。名詞述語文ではなくても、wirが主語になることで特 殊な内容が表現可能になる現象がある。たとえば、レストランの閉店や満員 を表現する文だ。レストランで働いているひとがwirを使えぼ、レストラン の代用として使えるのに、ichを使っても、レストランのことにはならない。
(17a)と(18 a)はBBC German Phrase book(BBC Books 1991)にあった 文例であるが主語をichに代えると、やはり、使えなくなる。(17>は副詞のzu が述語になった文であるし、(18)は形容詞のvo11が述語になった文であるか
ら、いずれも名詞述語文ではない。
17.a. Es tut mir leid, wir sind letzt zu.
b.*Es tut mir leid, ich bin letzt zu.
18.a. Es tut mir leid, wir sind vol1.
b.*Es tut mir leid, ich bin vo11.
象た、seinではなく、habenの場合でも主語がwirになることで「社会全 体」のことまで射程にはいるようで、日本語の「私たち」ではおよそ不可能
な内容が表現できるようになることを私は以前habenと「もつ」についての 論文で述べたことがあるムs)これもwirの特殊性で説明できる事柄である。い
くつか、そういう例をあげておこう。上で述べた名詞述語文の場合と同様、
いずれも「私たち」と言っても、広い意味での「私たちの居場所」をさして 使われていると考えられる。(19)は「私たちの居場所(町や市や国)に30パー セントの失業者がいる」ということであるし、(20)は「私たちの居場所(ヨー ロッパ、あるいは世界全体)で新しい民族移動がおきている」ということで あり、(21)は「私たちの居場所(世界)で世界経済が景気後退している」と いうことになろう。
19.Wir haben 30 Prozent Arbeitslose. (STERN Nr.4/1991)
20.Wir haben eine neue Vδ1kerwanderung. (STERN Nr。28/1992)
21.Jetzt haben wir eine Rezession der Weltwirtschaft,...
(STERN Nr.26/1992)
次の例は、これまで見てきた例とはちょっと違う系統かもしれないが、や
はり1人称・複数の主語が関係していて、主語がichではおそらく不可能な名
詞述語文だ。ウェイトレスがバーデンワインのことで客にお国自慢している
ところである。直訳すれば、「私たちは火山性の土地です」となってしまう。
wirが「私たちの居場所」をあらわしていると考えれば、「バーデンは火山性 の土地です」となって、理解は難しくない。しかし、どのような場合にこの
ような文が可能になるかは、今のところ、よく分からない。
22. Wir sind vulkanischer Boden! protzte die pferdhohe Kellnerin,_
(Rolf H ochhuth:Atlantik−Novelle. Rowohlt 1985)
1b.特定のパタm…M・一ンの名詞述語文
上で見たのはwirの語彙的特殊性が絡んだ名詞述語文であったが、本来不 可能な主語・述語関係を可能にする一定のパターンもあるようだ。語彙レヴェ ルではなく、構文レヴェルの問題であると言えよう。一定のパターンの名詞 述語文で、特殊な主語・述語関係のものとしては、たとえぼ、Er ist die Ruhe selbst.(郁文堂独和辞,典)やEr ist die Geduld in Person.(三省堂クラウン 独和辞典)などが辞書に出ている。「彼は冷静そのものだ」とか「彼はまさに 忍耐そのものような人だ」のような訳語が付けてある。日本語の場合を考え ると、いわゆる形容動詞を始め、名詞述語文で主語の性質をあらわす抽象名 詞が多くあり、こういう書い方の特殊性が気付きにくい。日本語では、「かれ」
は「冷静」だ、という文はそもそも可能であるし、「かれ」は「病気」だとい う言い方もある。また、「かれ」は「175 cm」であってもよいわけだし、「か れ」は「うすら禿の赤ら顔」であっても、「神妙な顔」であっても、「白髪」
であってもよいのである。ドイツ語では本来なら「〔彼]ist[冷訓」のよう な、分類文でも同定文でもない名詞述語文がない。だから、Er ist Ruhe l6)な
どというドイツ語はない。パターンどおりに、Er ist die Ruhe selbst.とす るか、Er ist die Ruhe in Person.としなければならない。
(a) [人間]ist[定冠詞付き述語名詞]selbst.
(b) [人間コist[定冠詞付き述語名詞]i薮Person.
23.DrauBen, hinterm Fleischtresen, ist sie die H 6flichkeit$elbst.
(Gun Jacobson:Peters Baby)
24.Er ist immer die Ruhe selbst und kann und weiB sehr viel.
(Gun Jacobson:Peters Baby)
25。Du. bist auch nicht gara(le die Sanftmut selbst.
(Angelika Kutsch:Man kriegt nichts geschenkt.)
26.Sie war ji nger als je, die Gesundheit in Person.
(Max Frisch:Rip van Winkle)
(c)強意の形容詞を付加語とする述語名詞というパターン
こういう一一定のパターンのもとで可能になる名詞述語文には、定冠詞の付 いた抽象名詞がselbstやin Personによる修飾を受けているものの他にも、
定冠詞のついた抽象名詞にreinが付加語として使われていたものや、不定冠 詞のついた抽象名詞にeinzigが付加語として使われているものが集めた例 文の中にあった。はっきりした内容がなく意味を強めるだけの働きの形容詞 reinやvo11が述語名詞を修飾している名詞述語文である。形の上から普通の 主語e述語関係の名詞述語文ではない可能性を示すかたちになっている点が 重要であると思われる。die reine Wahrheitとか、 volle Realitatとかdie absolute Sch6nheitとかであるが、強意の形容詞があってもなくてもいい名 詞述語文もあるが、なかには、強意の形容詞があることではじめて可能にな
る名詞述語文というのもあるようだ。
27、a. Seine Kunst ist die reine Oberflnche. (STERN Nr.22/1992)
(27a)の言い方がパターンを逸脱すると言えなくなることは、強意の形容詞 reinをとってみれば分かる。
27.b.*Seine Kunst ist die Oberflljche.(0/0/3)
また、einzigも意味を強める働きの付加語であると思われるが、これを付加語 とする不定冠詞付きの述語名詞の例が(28)である。
28.Hiei−und N ordberg waren ein einziges Dunkelblau, wie erdr菰ckt v◎n
der Fla1Pmenfarbe. (川端康成:『古都』 訳:Walter Donat)
日本語なら色彩名詞が述語名詞になるのは、色彩形容詞が少ないことも
あって、「髪は茶色です」のように普通のことである。ドイツ語ではこういう
場合、本来なら、形容詞が使われ、Die Haare sind brau難.となる。Die Haare
sind Braun.もDie Haare sind ei蕊e braune Farbe.も使われない。色彩名詞
はドイツ語にもあるにはあるが、日本語のような性質文の使い方は一般にな
いわけである。しかし、(28)の例ではei捻einziges Dunkelblauとなることで、
形容詞のような使い方が生じていると考えられる。einzigがなければ非文法 的な文で、??Der Berg war ein Dunkelblau.とはまず言えない。この言い 方は[einzigを付加語とする不定冠詞付き述語名詞]というようなパターンが あるようで、ein einziges Chaosなども述語名詞として使えるらしい。ただ
し、この場合はeinzigは必要不可欠ではない。なくても正しいドイツ語であ
る。
29.Die Wohnung ist ein einziges Chaos.
(d) Auch[地域名(小)]ist[地域名(大)〕.
このパターンの表現も可能になることがあるようだ。ドイツ語では、日本 語と違い、「場所」の名詞述語文は一般に不可能である。「彼女はいまハンブ ルクです」というのを名詞述語文として直訳して、*Sie ist zur Zeit Ham・
burg.(0/0/7)とするのはドイツ語としてはまったく認められない文であるか ら、この種の表現はドイツ語としては当たり前の表現ではない。
30.Auch Braunau ist◎sterreich、 (STERN Nr.2/1987)
31.Auch Spanien ist Europa.
(Rowohlt VerlagのLiteraturmagazin 23の題名)
(30)「ブラウナォもオーストリアだ」にしても、(31)「スペインもヨーロッ パだ」にしても、述語名詞の地域のほうが広く、主語名詞の地域が述語名詞 の地域に含まれる関係になっている。
2.述語位置の抽象名詞の問題
抽象名詞が述語名詞になった名詞述語文はやっかいである。ここでは、抽 象名詞が絡んだ問題を、まず、一一ma的なかたちで考えておきたい。
ドイツ語の抽象名詞には抽象的意味の他に具体的意味をもつものが多い。
分類文や同定文以外のドイツ語の名詞述語文を考えるうえで避けて通れない のが、この抽象名詞の多義牲が絡んだ問題である。たとえばSch6nheitであ るが、「美」という抽象的意味の他に「美人」という具体的な意味がある。Sie ist eine Sch6nheit.という名詞述語文を考えてみよう。もし、 Schδnheitに
「美」という抽象的意味しかないなら、この文は分類文でも同定文でもない
ことになる。主語の性質をあらわす性質文ということになるだろう。現実に は、Schδnheitの場合はどの辞書にも「美人」の意味がでている多義語で、こ の文は単なる分類文ということになる。しかし、名詞によっては、辞書に具 体的な意味が記載されていないのに、具体的な実体物が主語でその述語名詞
として名詞述語文で使われる抽象名詞があって、やっかいである。しかも、
日本語との対応関係は、さらに込み入っていて、複雑だ。具体的意味ももつ 抽象名詞は日本語にもある。たとえばr収穫」は「収穫という行為」の抽象 的意味の他に「収穫物」という具体的な意味ももっている。「靴磨き」は「靴 磨きという行為や仕事」の他に「靴磨きのひと」という具体的な意味ももっ ている。しかし、このタイプの抽象・具象の両方を備えた名詞の頻度や分布 はドイツ語と一致しない。しかも、日本語にはドイツ語には無いタイプの名 詞述語文が性質文を始めかなりあるから、抽象名詞が述語名詞になっている 場合は、日本語をもとにドイツ語の名詞述語文を考えるのはかなり困難であ
る。
実際の例で説明しよう。Kostbarkeitは、「貴重(Wert;Erlesenheit)」と いう抽象的な意味の他に「貴重品(sher wertvoller Gegenstand)」という具 体的な意味が辞書には出ている。したがって、(32)の文は、日本語をもとに 考えると、「砂糖は貴重だ」と言っているのか、「砂糖は貴重品だ」と言って いるのか、決められない。日本語ならどちらでもいい。しかし、ドイツ語の 名詞述語文には一般に性質文と言えるような用法がないことを考えれば、「砂 糖は貴重品だ」という分類文と考えるのが妥当だろう。
32.Im 16、 Jahrhundert war Zucker in Eumpa eine seltene K◎stbarkeit,_
(Guten Tag, wie geht s?Goethe・lnstitut M伽chen l977)
ところが、AnschaffungやDiktaturやTemperamentになると、事情は 違ってくる。Anschaffungには「購入」という抽象的意味は辞書にでている が、「購入したもの」という具体的な意味はでていない。Diktaturには「独裁
(制〉」という抽象的な意味はでているが、「独裁国家」という具体的な意味 はでていない。Temperamentには「情熱」という抽象的意味はでているが、
「情熱的なひと」という具体的な意味はでていない。ということは、次の(33)
や(34)や(35>は本来ドイツ語ではありえないはずの文ということになってし
まう。なぜなら、「オートプロセッサ35という機械」は「一回限りの購入」
のことではないし、「チリという国」は「軍部の独裁」のことではないし、「ア ナトール・ヴァーデルという人物」は「情熱」のことであるはずないからだ。
33.Der Autoprocessor 35 ist eine einmalige Anschaffung.
(Meiers Fotoheft Nr。6/1986)
34.In der Tat ist Chile,(_),seit der Ermordung Salvador AIIendes 1973 eine blutige Milittirdiktatur. (STERN Nr.28/1987)
35.Anatol Wadel ist nun einmal ein Temperament, das weiB man la, so eine Kttnstlernatur. (Max Frisch:Rip van Winkle)
抽象名詞を述語名詞とする名詞述語文で、辞書をもとに判断する限り、分 類文とも同定文とも言えないはずの例文をさらにあげておこう。
36. Salameh war unser wichtigster Kontakt , berichtet der US・
Diplomat Talcott See夏ye, den Prasident Ford 1976 als Emissar nach Beirut schickte. (STERN Nr.19/1992)
37.Schreiben ist Konzentration、 (Fritz J. Radda之z:Zeit−Gesprache)
38.Unser betriebswissen.schaftlicher Leiter ist ein Fehlbegrif五
(G銭nther Eich:Festianus, Martyrer)
39、Sie(=meine Frau)war mein erster Mord.
(Max Frisch:Rip van Winkle)
これはどういうことなのか。考え方としては、まず、ドイツ語のネイティ ブスピーカによる間違ったドイツ語、あるいは個人的な色彩の強い言い方と いう可能性がある。しかし、この種のドイツ語の例文が結構見つかることを 考えれば、なんらかの文法規則があるに違いない。
もちろん、辞書の記述が不十分で、多義語なのに多義語として記載されて いないという可能性もある。事実、Legendeの場合、辞書の記述が不十分と 考えたほうが現時点で判断するなら正しいと思われる。この語は「伝説的な 人物」という意味でかなりよく使われている。
40.Er ist eine Legende. (STERN Nre 17/1991)
41.Die Legende lebt weiter. (STERN Nr. 33/1992)
42.Wie war es, das Kind einer Le墓ende zu sein.
(STERN Nr.26/1992)
上の三つの例文が示すように、名詞述語文でだけ「伝説的な人物」という意 味がでるのではなく、普通の動詞の主語としても使われ、二格でも使われ、
多義語の資格を十分に備えていると言える。
Legendeの場合は、辞書に記載されていないけれども、多義語の場合と断 定できるが、名詞述語文の述語位置での抽象名詞の特殊性で説明できる場合 もかなりありそうだ。ドイツ語の名詞述語文に性質文のようなものを想定し てみるのである。そうすれば、述語名詞を無理に多義語としないでも説明す ることができるし、しかも、そのほうが合理的なこともある。たとえば、
Kulturにしても、複合語の一kulturにしても、「文化」という抽象的意味は辞 書にあっても、「〜という文化のところ(国)」あるいは「〜という文化をもっ たひとびと」などという具体的な意味は採られていない。しかし、私はネイ ティブスピーカの口から次の文を聞いたことがある。,
43.Neuseeland ist eine b銭uerliche Kultur.
また、次の例文もあった。
44.Getrunken hat er dort Bier, aber er hat die Bayern immer damit geargert, daB sie eben nur eine Bierkultur seien.
(Martin Walser:Jagd. Frankfurt 1988)
Kulturにしても、・kulturにしても、つねに名詞述語文の述語名詞として使 用可能かというと、どうもそうではないらしい。次の名詞述語文はつくれな いらしい。この場合は所有文にするしかない。
45.a. Neuseeland ist eine dynamische Jugendku1tur.
b.Neuseeland hat eine dynamische Jugendkultur.
こうなると、Kulturや一kulturが辞書には書いてないが多義語で、具体的な 意味もある語だとするのは無理だ。その場合は、なぜeine dynamische ju・
gendkulturの場合が名詞述語文にならないか説明できない。この現象は、多
義語を想定せずに、性質文を想定すれば説明可能だ。ドイツ語には主語の性
質を述語名詞とする性質文があると考えるのだ。ただし、この性質文は、自
由につくれるわけではなく、条件がある。性質といっても全体的性質と部分
的性質に分けて考え、全体的性質だけがドイツ語で名詞述語文で表現可能に
なるとすればよい。「農民文化」やrビール文化」は、それぞれ、主語の全体
的性質として把握が可能だ。fニュージーランド」は全体としてr農民文化」
という性質だと考えることができるし、rバイエルンの人々」は全体として
「ピー一ル文化」という性質だと考えることが可能だ。一一方、「ダイナミックな 若者文化」では「ニュージーランド」の全体的性質ではありえず、部分的性 質でしかありえない。したがって、名詞述語文はつくれず、所有文で部分的 性質を表現するしかない。このように・考えるのである。
全体的な性質ならば性質文が使える、ということで説明できる事例をもう ひとつあげたい。CharakterやPersδnlichkeitやEigenschaftは、いずれも、
こまかい違いは無視すれば、「性格」という意味をもっている。ところが、「か れの妻は自己主張の強い個性的な性格です」17)とでも言いたい場合、Cha rakterやPers6nlichkeitは名詞述語文になるが、 Eigenschaftはならない。
46.a. Seine Frau ist ein eigenwilliger Charakter.
b. Seine Frau ist eine eigenwillige Persδ1ichkeit.
c.*Seine Frau ist eine eigenwillige Eigenschaft.
これはなぜか。CharakterやPers6nlichkeitには「〜という性格のひと」の 意味があるが、Eigenschaftにはないから、というのが辞書の解釈だ。私はこ の説明には疑問をもっている。なぜなら、CharaketerやPersδnlichkeitに
「〜という性格のひと」という具体的な意味があるといっても、述語位置以 外でそういう意味になる例がないからである。辞書にでていないのは無論の こと、集めた例文にもなかった。ein eigenwilliger Charakterやeine eigenwiUige Pres6niichkeitがたとえば主語として使われているような例が 見あたらない。多義語なら、Legendeで述べたように、主語にもなるはずだ し、二格にもなるはずだ。動詞の目的語にもなるはずであろう。もし名詞述 語文の述語位置だけで「〜という性格のひと」という解釈が可能なら、ドイ
ツ語の名詞述語文に性質文の用法を認めてしまったほうが合理的で、すっき
りする。それでは、なぜEigenschaftが名詞述語文にならないかと言うと、そ
れはCharakterやPersδnlichkeitとの意味の違いである。 Charakterや
Pers6nlichkeitは全体的性質を意味する(ことが可能な)語であるのに対し
て、Eigenschaftは部分的性質しか意味しない語だからである。Charakterや
Persδ1ichkeitが「全体的な性格」を意味する語だということは辞書の記述か
らもあきらかである。Charakterは、 Gesamtheit der geistig−seelischen
Eigenschaften eines Menschenとあるし、 Persδnlichkeitは、 Gesamtheit der persδnlichen(charakteristischen, indivi(iuellen>Eigenschaften eines Menschenとある(Das groBe Wδrterbuch der deutschen Sprache呈n 6 Banden. Duden 1976−1981)。Charakterにしても、Persδnlichkeitにしても、
「性格」という意味だが、語義の定義にGesamtheitが使われていることから 明かなように、人間の全体的性格を意味するのが基本の語である。これに対 して、Eigenschaftの場合は、 CharakterやPes6nlichkeitの語義の定義の中 での使われ方から分かるように、部分としての性格をあらわし、複数あつまっ て全体をつくるような「部分的性格」をあらわす語ということになる。した がって、名詞述語文ではなく、所有文であらわすような性格ということにな
る。