仏教における平和思想の原型の研究
―梵天勧請を中心に―
保 坂 俊 司
*Study on the Prototype of Peace Thought in Buddhism:
Focusing on Bhrhumo Ajjhesana¯
(梵天勧請)
HOSAKA Shunji In this paper, I explore the relationship with Bhrhumo ajjhesana¯ myth as a father of Buddhism peace thought, and its relationship with peace thought that has not been regarded as much in conventional interpretation.
In particular, the Bhrhumo ajjhesana¯ myth is a famous myth in the Buddhism area, and its story is strongly shared among people. I assume that the reason why Buddhism has long been able to coexist with Hindu in Indian society is in the thought structure of Bhrhumo ajjhesana¯ and prove it. The ideological structure has affect.
Japan as a religious coexistence thought called Sinbutushuugou (神仏習合).
キーワード:平和思想,仏教,梵天勧請,平和思想の原型,神仏習合 Key Words: Bhrhumo ajjhesana¯,peace thought,sinbutushuugou,
prototype of peace thought in Buddhism
は じ め に
前回の拙論で,筆者はそれぞれの宗教は殆どが自らを「平和と幸福をもたらす教えであ る」という立場に立っているが,「その平和思想はそれぞれに異なる状態を想定している」
と指摘した.つまり,それぞれの宗教には独自の「平和」概念があり,またその理想が投 影された文化,社会があるわけである.
いずれにしても,現代社会においてすら多発する紛争の背後に,宗教の存在が深く関わ っている.いわんや世界史上において,熾烈な宗教対立を契機として,暴力の応酬,虐殺,
* 中央大学政策文化総合研究所研究員,中央大学総合政策学部教授
Research Fellow, The Institute of Policy and Cultural Studies, Chuo University; Professor, Faculty of Policy Studies, Chuo University
「アジア的文明の特性に関する基礎研究」プロジェクト
紛争,さらには本格的戦争が繰り返されてきたことは,周知の事実である.しかし,この ような熾烈な宗教紛争を殆ど経験してこなかった仏教,そして,その仏教によって文化・
社会,総じて文明の根本が形成されてきた日本では,他地域に見られるような宗教対立も 紛争も,それがもとで引き起こされる悲惨な殺戮も殆ど見ることがなかった.すなわち宗 教的には,極めて平和状態にあったのである1 ).
日本の歴史を紐解くとき,仏教思想の衰退時には,大陸侵出(秀吉の朝鮮征伐・近代の 大陸侵略)など,他国を巻き込んだ戦争を行っている.また,国内の戦乱も決してなかっ たとは言えない.しかし,それは仏教の教理から生み出された宗教戦争ではなかった.唯 一宗教戦争と呼べるできごとは島原の乱と呼ばれるものである.しかしこれも,キリスト 教という宗教の弾圧というよりも,キリスト教徒とそれに呼応した農民や浪人たちの政治 的な反乱という側面が強かった.少なくとも仏教の教理を守るために,戦ったのではない.
仏教は,自らの宗教を守るために,武力や軍事力を行使することは,歴史的に殆どない宗 教である2 ).
一体それはなぜか,という疑問に答えるためにも,また本シリーズのテーマである日本 人が抱く「平和」概念の探求に関しても,仏教本来の平和思想,あるいは平和の構造を知 ることが必要である.
以上のことから,本小論では,仏教の平和思想を,従来の研究とは異なる視点から検討 する.
本シリーズでは,仏教が平和宗教であると主張する根拠として,以前から考察されてき た,無我(絶対神の否定など),非我(ドグマ的な判断基準の否定,あるいは回避),非暴 力(精神的,肉体的,社会的なレヴェルを含む),縁起(合理的思考),輪廻(相互連関の 循環思想),慈悲(自他同置:自利利他思想),自己犠牲(欲望の抑制),平等(独占・選民 思想の排除)思想等々の個別思想のテーマへのアプローチではなく,さらに根本的で,し かも宗教心に直接訴えかける基本構造,具体的には「梵天勧請」の神話に着目し検討する.
なぜなら,平和思想研究の基礎となる日本仏教の平和論の基礎研究として,仏教の平和 思想の祖型としての梵天勧請の神話は,すべての仏教に共有されてきた思想でありながら,
その神話の構造が仏教と他の宗教の平和的共存共栄関係樹立の基礎概念,つまり思想の祖 型をなしていたことを,従来の研究は見過ごしてきたからである3 ).
もちろん,最終的にはこれらの条件を含めて,改めて再検討することになるが,しかし,
今回の議論のテーマは,このような思想的個別テーマではなく,仏教という宗教の思想構 造の基本的な思考の構造レヴェルにおける異宗教との共存・共栄関係構築を可能とした思 考そのもの,あるいはそれを象徴する事例を検討する.つまり,前述の諸要素の原型ある いは,象徴ともいえる「梵天勧請」という神話(教説)の意義を考察することを通じ仏教
という宗教が持つ平和思想の構造を分析する.
Ⅰ 梵天勧請という神話の構造
仏教徒にとって経典に書かれたことは,宗教的には真実として受け止められてきた.特 に,開祖ブッダの人生,就中悟り体験から臨終(涅槃)に至る人生を伝える原始経典は,
ことさら重要であることは論を待たない.その中でも,ブッダの生誕,悟り体験,そして それを言語化し開竅を決意する契機となった梵天勧請,さらに最初の他者への説法である 初転法輪,最後にクシナガラにおける臨終である.
その中で,ブッダの生誕と初転法輪,そして臨終(涅槃)に関しては,現在でも折に触 れて言及される.もちろん,ゴータマ・シッダルタが,ブッダ(覚者)となり,さらに,
仏教を開く決意をした契機を作った,とされる「梵天勧請」の神話に関しては,『阿含経』
を通じて広く知られている.日本でもこの神話のモチーフは『今昔物語』などの物語文学 でも親しまれてきた.又,文献的には,上座部仏教において特に重視されている.また,
それが中央アジアなどを経て漢訳されいわゆる『阿含経』と呼ばれる経典群に収められて いる.
しかし,東アジアのいわゆる大乗仏教圏においては,『阿含経』は,その位置づけが低か ったことも事実である.とはいえ,「梵天勧請」の神話(エピソード)は,ブッダの悟りに 直接するエピソードとして,物語的に受容されてきたことも又事実である.
いずれにしても,本小論では仏教研究の基本であるパーリ語の校訂本を用い,少なくと も二千年以上に亘りこの神話が仏教徒の信仰の根本として語り継がれ,受け入れられ,仏 教の思想,宗教構造に大きな影響を持ち続けてきた,という点に着目する.というのもこ の神話こそが,仏教の対異宗教・異思想との共存関係を形成する祖型として共有され,実 際に機能してきた,と筆者は考えるからである.
以下においては,仏教における他者との共存関係を構築した祖型としての「梵天勧請」
の神話を考察する.なお本論では,いわゆるPTS(パーリ・テキスト・ソサエティー)か ら出版されている定本を用いる.
Ⅰ・1 『梵天の勧請(懇請:Brahmãyãcanasuttṃ )経』とは
本小論では,「梵天勧請」神話に関して,新しい解釈を試みるために,その原典の解釈を 示しつつ,仏教における平和共生理論が,この神話を通じてどのように構築されているか を検証する4 ).
この経典の本文は,散文形式部分と詩形式(詩頌)と二つに分かれており,詩の部分は,
古い成立であり当然簡潔であるが,分かり難い.一方散文部分は新しいが,詩頌の分かり 難さを補う構造となっている.そのために両文章には多少の齟齬があるが,両者を合わせ ることで意味が理解できるようになっている.
以下で検討する経典は,小編ながらもゴータマ・シッダルタが,悟りという宗教体験を 得た直後の心の動きを表しており,仏教徒にとっては極めて重要な経典である.というの もこの短い経典には,ブッダの悟り体験の段階的な変化が明確に表れていると筆者には思 われるのである.それは,いわゆるインド宗教に伝統的な苦行や瞑想修行を通じての宗教 的理想の獲得者から,真の仏教という宗教の確立者として自立する,つまり仏教の開祖と なる段階を表している,という精神的な変化,仏教的に言えば真の悟りの完成がここに表 されている,と筆者は考える.つまり,古代インドの伝統的な宗教者のレヴェルに留まろ うとする出家修行としてのブッダ(仏教的な悟りを完成させる前の伝統的な覚者となった ゴータマ)と,そこから離脱し独自の宗教世界の構築に踏み出し真の仏教の完成者となっ たゴータマ・ブッダへの成長がこの経典には表れているからである.
というのもこの小編の示す精神的変化には大きな思想的な飛躍があると筆者は考えるが,
従来の解釈ではこの思想的な断絶と超越に関しては,あまり強調されなかった.
この神話の構造に仏教の仏教たるゆえん,思想構造が見事に凝縮していることを前提と し,その平和思想構造の原点を以下で明らかにする.
Ⅰ・2 悟り体験の獲得(伝統的出家修行者の段階)
以下は,典型的な梵天勧請の神話が記されている『サンユッタ・ニカーヤ』(漢訳経典で は,『増一阿含経』にあたる)『梵天の勧請(懇請:Brahmãyãcanasuttṃ)経』最初のフ レーズである.ここでは伝統的な宗教者の境地に留まるブッダの状況が,前半を構成して いる.
その始まりは,以下のようである.
私はこのように(以下のように)聞きました.ある時世尊は,ウルヴェラーにおいて ニランジャーヤ河の岸部のアジャパーラという名のバニヤ樹の根もとに止まっておられ た.その時尊師(Bhagavato)は,独り静かに座り黙考(rahogatassa patisallinassa)
され,心のうち(seta)にこのような思いが起こった(parivitaka)ことを知った.
私 の 悟 っ た(adhigaccati)こ の 真 理(dhanma)は 深 く,見 る こ と が 難 し く
(uddaso),(理解するのが)難解(duranubodho)で,心が鎮まり(santo),微妙
であり,(推論の範囲を超えて)奥深く(atakka¯vacaro),賢者のみ感受(感得,直 観:paṇḍitavedanìyo)するものである.
ここで,注目されることは,ブッダが悟り体験,つまり伝統的な修行法によって到達し た宗教(的悟り)体験の後,しばらく自ら感得した,つまり悟ったダルマ(真理,仏教に おける法)に関して,独りで沈思黙考し達成感に浸るとともに,自らの宗教体験の意味に 関して深く省察,検証していたという設定にある.
ブッダや,さらにはやや形態は異なるがシク教の開祖ナーナク( 1469 〜 1539 )のよう に伝統的な修行に依るにしろ,またはキリスト教の開祖イエス・キリストにしろ,イスラ ムの開祖ムハンマドのように神からの預言という形をとるにしろ(勿論,これも伝統的で はあるが),新しい教団を開いた創始者たちは,皆自らの宗教体験の意味に,戸惑い,困惑 し,そして検証し,徐々に宗教体験の意味に確信を強く意識し,納得し,立教という実際 の行動に踏み出してゆくのである5 ).
いずれにしても,ブッダのように,伝統的な宗教の範疇を大きく逸脱した独自の価値体 系を感得した修行者は,その妥当性の証明,つまり宗教的な確信を堅固なものとするまで に,ある程度の時間,もしくは理由付けを必要とすることになる.特に,悟りという宗教 体験を得た当初は,かなりの動揺,不安定さ,自己満足,そして不安などの心の揺れが決 して小さくなかったのである.
そのような心の動きが,以下ではさらに語られることとなる.
と こ ろ が こ の 世 の 人 々 は,執 着(a¯layarata¯)し,執 着 す る こ と を 喜 び
(a¯layasammudita¯)執着にふけっている.そのような人にはこの縁起(idappaccayata¯) の道理の法(paṭiccasamuppa¯da)を見ることは難しい.
ブッダは,悟り体験を得て,自らの体験を客観化し,言語化することの難しさに関して,
実に否定的な見解を並べてゆく.
特に,宗教体験を語る際の難しさと,それを説く相手の資質に対して,一種の絶望にも 似た見解を示す.この感覚は,インドの宗教家,特にサンニャーシン(森林修行者,出家 者)には,顕著である.それも当然である.彼らは世俗の世界を嫌い,これを捨てて宗教 界に身を置き,過酷な苦行を行っているのである.そしてその結果,悟りという宗教的な 目的を果たしたのであるから,それを世俗の人々に説く,成果を分け与える,つまり説い て聞かせるということには,当然消極的である.
だから,以下のような発言が出るのである.
「私が苦労してやっと到達(adhigataṃ)した(悟りを) 今や説く必要がない.
むさぼりに取りつかれた人々(ra¯gadosaparetehi)に,この法を悟ることは難しい.
これは(世間の常識とは)逆行するもので(paṭisotaga¯miṃ),微妙で,深遠で見る(理 解する)こと(duddasaṃ)が難しく,貪りに耽り(ra¯garata¯),闇(tamokkhandhena)
に覆われた人々には,見ることができない.」
尊師はこのように深く考えて,(説法することに)無関心(appossukkata¯ya)へ心 が傾き説法を行おうとは思わなかった.( 299 頁)
この文章は,実に面白い文章である.この詩形の文の前に,散文で「素晴らしい(sudhha) 詩句が尊師の心に浮かんだ」がある.
もちろん,この部分は散文形式であるので,中村博士が指摘するように,後世の挿入で ある.それにしても,詩形の部分の言葉が,「素晴らしい」内容であるとはとても思えない のであるが,そこには逆に,この言葉が,ゴータマ・ブッダ本人の体験を伝えた言葉であ ると,散文作者(決して一人ではなく,僧団全体の総意による創作である)が感じていた,
というより,この文章を伝えていた仏教教団員が,少なくとも最初期からそう考えていた がゆえに,このような誠に利己的な内容であっても「浄い,清浄な,素晴らしい」と表現 したのであろうと,推測される.
あるいは,インドの出家修行者の立場に立てば,このような発想こそが,素晴らしいも のであると評価されるのであろう.いずれにせよこの時ゴータマは,伝統的な修行法によ り 6 年間の命がけの苦行を経て,ようやく獲得した悟りの境地,つまり宗教的な境地を得 たばかりの,伝統的な出家修行者であった.故に,ゴータマは,悟り体験に満足し,それ 以上のことを望まなかった.つまりヒンドゥー教(この場合は,バラモン教となるが)の 苦行者としての初期の目的の成就により,それ以上のこと,つまり他者への働きかけ,布 教ということに,気持ちが向かなかったのである.
この点を経典は,「無関心」,あるいは「心が動かない」(appossukka)という言葉で表 現している.この言葉は,appa-ussukaの合成語で,appaは,少ない,僅少の,など否 定的な意味を持ち,ussukaは熱心,努力という意味である.つまり,自らの宗教的な到 達点を積極的に言語化する,他者に広めるというような気持ちには,なれなかったという ことである.さらに言えば,この思想構造は,インド哲学のサーンキヤ哲学の思想と類似 している.この点は後に考察する6 ).
いずれにしても,この状態は,インドのヨーガの思想や後代の経典に言う自受容三昧で あった.瞑想体験を経て自己完結していたということである.そのために説法するという,
新たな動きにでることに躊躇した,あるいは必要を感じなかったのである.
いずれにしてもこの段階では,自らの境地を客観的に表現することへの無関心,躊躇,
あるいはそれを放棄する段階である.その理由付けがここでは述べられるのであるが,そ れがまさに伝統的な出家修行者の立場である.
恐らくそれは,この時点での伝統的な修行者であったゴータマの本心であったであろう.
インド思想,宗教の行者の多くは,高度な宗教体験を得ると,当初の目的の達成という充 実感,満足感に浸り,自ら到達した境地に満足し,自らの宗教体験に浸りきって,そこか ら,さらに抜け出すこと,特に世俗世界に戻ることを拒否,あるいは否定する宗教家とな ることが一般的なようである7 ).次の文章は,こういう自己満足的な宗教家の境地(いわ ゆる独覚者)を表している文章である.それが,詩文の「貪りに耽り(ra¯garata¯),闇
(tamokkhandhena)に覆われた人々には,見ることができない」という,否定的な民衆
認識の部分である.
ゴータマは,ここでは他者への説法という自己から他者への関心のベクトルを全く持た ず,むしろ冷たく突き放すのである.これをさらに具体的に解説した文章が,散文の「(欲 にまみれて,闇の世界でうごめく庶民への説法は)私には疲労(kilamatha)が残るだけ だ.悩害(vihesa¯)があるだけだ.」( 299 頁)という極めて自己本位ともとれる境地から の理由付けの部分である.
この時点では,自らの境地を言語化し,他者への説法,つまり伝道を行うという視点は生 じていない.つまり,伝統的な出家修行完成者の状態にとどまるのである. その後原典で は,同様な意味の韻文が続くが,この状態を破るために,登場するのが,伝統的な宗教界 の主である梵天である.梵天の登場により,ブッダの思いは大きく動き出す.
Ⅰ・3 他者への視点の発生(仏教思想の発現)
インドの伝統的なレヴェルでのブッダとなったゴータマは,前述のように出家修行者の 伝統に則り,世俗世界との結びつきに関して,無関心であった.当然世俗者への言語によ る自己の体験の開陳,つまり説教,即ち自己の宗教的体験の言語化,客観的な認識とその 言語化に対して,関心もなかったであろうし,そのように行動を開始することに意欲を持 っていなかったであろう.その理由は,従来のインド苦行の伝統からの離脱への躊躇であ ろう.それはインドの伝統的な宗教者の超越的な視点,つまり世俗者への無関心,少なく とも世俗と決別した宗教者の視点では,当然である8 ).しかし,ここからブッダは,イン ドの苦行者の伝統から離脱をすることになる.つまり,苦行者として捨てた世俗社会へ積 極的に関わってゆこうとする方向への転換である.いわば第二の悟り,あるいは真の仏教 的悟り体験ともいえる大きな飛躍体験である.この意識の大転換故に,一転して世俗の者
たちを救っていこうと決心することになる.繰り返すが,ここには思想的なベクトルの大 転換があり,また仏教の宗教としての始まりがある.
因みに,ゴータマはブッダとなる前に,実は伝統的な修行者集団から離脱しており,そ の後,悟り体験を得ているので,前述のような,他者への関わりという視点が生まれてい た,とも考えられる.だからこそ,一般の出家修行者には,考え付かない他者への説法と いう視点が生じ,それへの逡巡が問題となった,とも考えられる.
いずれにしても,ブッダとしての真の精神的な転換,つまり伝統的な修行とその完成に 酔いしれるブッダの心の変化を表したのが,この梵天勧請の神話の核心であるが,その契 機を作るのが,外ならぬ伝統的な宗教であるバラモン教(現在のヒンドゥー教の前身)の 主宰神である梵天神である,という点に極めて重要な宗教的なメッセージがある,という のが筆者の考えである.
つまり,自己の精神的な満足に耽溺し,自らの体験を言語化し,伝道することを放捨し ようとするブッダに対して,バラモン教の主宰神,つまり世俗世界の主である梵天が,ブ ッダに反意するように懇願(ajja)する,という形での表現である.つまり,梵天が出現 し,ブッダの決意を翻させようと働きかける,というストーリーの意味することは,どう いうことであるか,ということである.まず,その部分を検討しよう.
原典では,
その時,世界の主・梵天(brahmuno sahampatissa)は,世尊の心(の中)にお ける逡巡(cetoparivitakkam)を知って,次のように考えた.実にこの世は滅亡する
(nassati).実にこの世は滅ぶ(vinassati).実に修行完成者(tathagata),(未来に 修行完成者として)尊敬されるべき人(arahato),完全に正しく悟った人(samma¯ sambuddha)の心が何もしたくない(他者への無関心:appossukkata¯ya)ために,
説法(dhammadesana¯ya¯)をしないのだ.( 300 頁)
この場面は,ブッダが自らの悟りに関して,あれこれ考えたり,迷ったりしている姿を 見て,梵天が登場する所である.ここで,逡巡と訳した(cetoparivitakkam)という言葉 は,仏教の伝統では「心の所念」ということで,「心の中に湧き起こるいろいろな思い」と いうほどの意味となる,つまり,伝統的な出家修行者の立場から,世俗社会へ目が向こう とする最初の状態がここに表れている.それが悟り体験を言語化する,説法することをた めらっているブッダの姿である.
経典では,ブッダのこの気持ちに危機意識を持ったのが,梵天である.先にも言ったよ うに,彼は純粋な出家修行者集団から離脱し,自ら生きる世界を模索しなければならない
立場にあったので,この変化はある意味で自然な成り行きともいえる.ただし,それに加 えて,この梵天の出現には,二つのメッセージがあると筆者は考えている.その一つは,
梵天神が,ブッダの説得に出向くという設定である.この梵天勧請のワキ役である梵天の 出現の意味である.
ここで注目すべきことは,この時点でブッダの心を察して,わざわざわざ世俗世界の主 である梵天(brahmuno sahampatissa)という表記で現れることである.一般には,梵 天は唯一最高の主宰神であり,わざわざ「世俗世界の主」という表記はしない.ところが ここでは,あえて「世俗世界の主」と銘打って,仏教の優位性を示しつつ,なおかつブッ ダとの繫がりを強調している.ここに,ブッダの心の,あるいは関心の変化が表れている と思われる.
つまり,先にも言及したが,ここで世界の主とわざわざ梵天を登場させていることの意 味である.しかもわざわざ世界,というよりここでは宗教的な完成者のブッダの下,世俗 世界の主という設定で,梵天を位置付けているのである.筆者はこの思想構造には,様々 な可能性があると考えているが,今回は仏教の平和思想構造に焦点を当てて,検討する.
詳しくは後に検討するが,ここには真理を悟り,如何なる神をも超越する存在となった ブッダと,インドの地域世界の主神である梵天との対比を表そうとする明確な宗教的な意 識が表れている.つまり,ブッダはもはや梵天の主宰するヒンドゥー教の宗教世界から離 脱し,独自の存在となった,ということである.
しかし,その一方でブッダの世界は,決して梵天の主宰する世界と無縁ではない,むし ろ梵天が主宰する世界の危機を救うという位置付けをとっている.この思想構造こそ,梵 天勧請神話の神髄であり,世界宗教として仏教が世界各地に伝播し,平和的に当該地域の 神々と共存共栄関係を樹立できた神髄がある,と筆者は考えている.
勿論,この時点で仏教は世界展開を考えているわけではなく,あくまでも伝統宗教であ る前期ヒンドゥー(いわゆるバラモン)教とは異なる,あるいはそれを超越した存在とな ったブッダを象徴的に表そうとしたのかもしれないが,しかし,伝統宗教を排除するどこ ろか,その最高の神の働きかけを受け入れる形で,ブッダの活動が,伝統的な宗教世界の 救済を目指して始まったという設定にこそ,平和宗教と呼ばれるに至る仏教の最大の特徴 が認められるのである.ここには,他者の排除も,選民思想も全く見られない.
この点を強調すると,この神話の構造の今一つのメッセージが明らかとなる.つまり,
第二のメッセージは,最初のブッダの悟りは,伝統的な修行者としてのブッダ個人の行の 帰結であり,自己完結の世界に留まっていたということである.しかし,それだけでは仏 教は成立しなかった.つまり,仏教の成立には,伝統的修行者のゴータマが,他者に伝え ることを決意する思想の転換が伴わなければならなかったというメッセージである.そし
て,そのいわば覚者ゴータマの大転換を促した,あるいはその切っ掛けを作ったのが,外 ならぬバラモン教の主宰神梵天であったのである.つまり,ゴータマ・ブッダが,仏教の 開祖として,説法という他者のへ働きかけをするという転換を実現するためには,梵天の 協力が不可欠であった,という宗教構造をとっているのである.これは,仏教が最初の段 階から他者の協力を必要とする宗教である,というメッセージである.
Ⅰ・4 他者の助けを必要とする構造
いずれにしても,インドの伝統宗教の主宰神であるブラフマン神が,わざわざ出現し,そ の神に「実にこの世は滅亡する(nassati).実にこの世は滅ぶ(vinassati).」と嘆かせる という設定は,伝統宗教であるバラモン教側からすれば,受け入れがたい設定でもある.し かし,一方では,仏教はこれら既存の宗教と敵対しない,という宣言でもある.
さらにこの神話の面白いところは,世界の終わりの理由が,ブッダが他者への無関心(何 もしたくないという気持ち)になり,その悟りの真実を他者に説法しようとしないことへ の危機感から,梵天自らが,危機意識を持ちブッダに直接働きかけるという設定である.
この梵天の登場という設定は,中村博士の指摘するように,ブッダの悟り直後のことでは ないであろう.
恐らく仏教が教団として大きくなり,バラモン教との軋轢が生じたか,あるいはその存 在との共生を図らねばならない状況となり,ある意味でその対応策として考え出されたも のである,ということは恐らく事実であろう9 ).
しかし,重要なことは恐らくこの神話の構造は,教団成立後何世紀も経てできたのでは なく,比較的早い時期に定着したということである.しかも,以来仏教徒は,この神話を 仏教成立時の重要な出来事として,受け入れてきた,ということである.つまり,それは 仏教文明の形成要因の中核として,仏教文明,つまり世界各地に広まった仏教社会,文化,
そして仏教徒の思想構造を根底から形成する型となったということである.
いずれにしても,仏教の存在には,他者の協力が不可欠であるという仏教の宗教構造が 示されている.この点が実に重要である.例えば,インドでの梵天が,他地域に行けば,
当該地域の神となるのである.つまり,仏教が他地域に伝播した時に,既存の宗教形態と 対立するのではなく,その協力を得て仏教は,共存のみならず共栄関係を,既存の神々や 宗教と構築する,という仏教の基本構造が,ここに表れている.
例えば,宇佐八幡の東大寺大仏建立への支援の申し出,気多神の帰依など日本の神仏習 合などがその例であるが,この点は他のところで詳しく検討する.
原典では仏教の宗教との関係を象徴的に表すバラモン教の梵天の登場は以下のように語
られている.
時に,世界の主・梵天はあたかも人が曲げた腕を伸ばし,伸ばした腕を曲げるよう に,まさにそのように梵天界(brahmaloka)から姿を消して,世尊の前に姿を現した.
その時(世界の主・梵天)は,上衣を一つ肩にかけ,右の膝を地に付けて,尊師に 向かって合掌・礼拝して,世尊にこのように言った.
「尊い方よ.尊師は教え(dhamma)をお説(deseti)きください,幸ある方
(sugata)よ教えをお説きください.この世には生まれの良く(apparakkhaja¯tika),
汚れの少ない(assavanta)人々が居ります.彼らは教えを聞かなければ退歩(pariha¯ ya)しますが,法を聞けば真理を理解する(aṇṇatar)ものとなるでしょう」.
梵天はこのように述べ,このように言い終わってから,次のことを説いた(300 頁).
(以上散文)
ここで,梵天は自らの意志で,ブッダの前に現れる.それは決してブッダ側からの要請 ではない,ということである.つまり,ブッダ,さらに仏教は,他の世界宗教のように,
布教を自らの使命,つまり相手の都合を考えずに,一方的に押し付けるような方法をとら ない,ということである.この点は,後代の仏教の他者尊重型伝播形式の原型が見て取れ るのである.
しかも梵天はブッダの前に現れ,あたかも神に対するように合掌・敬礼して,教えを説 くことを懇願する.つまり勧請するわけである.その説得の理由が,人間にもブッダの深 遠な思想を理解できるものがいる,というものである.
次に詩頌では,この点は
(梵天は言う)穢れ(asuddha)ある者どもの不浄な教え(samalehi cintio)が,
かつてマガダ国に出現した.
願わくば,この不死の門(amatassa dva¯raṃ)を開け,(人々は)無辜なる悟った 者(vimalenanubuddham)の法を聞け.(中略)
起きて,戦勝者(viiravijitasangama)よ,商隊の主(satthavaha)よ,負債無き 者(anana)よ,世界を歩め.
世尊よ,真理を説きたまえ.真理を知る者(annatara)もいるでしょう.
( 300 〜 301 頁)
先の理由では,この世が亡ぶというような憂いが問題となっていたが,ここでは梵天が
ブッダの前に現れ,当時の社会にはびこる不浄な教え(samalehi cintio)つまり,誤った 教えを正すために,ブッダに法を説くようにと,願うという風に説明されている.そして,
梵天つまり世界の主宰神自らが,ブッダの教えを民衆に説くように命ずるのである.しか もその対象が,非常に象徴的である.つまり,戦勝者これは恐らくブッダがクシャトリア であるから軍人や政治家など支配者を意識しているのであろう.さらに注目されるところ は,商隊の主(satthavaha)たちがあえて強調されている点である.これは,ブッダがベ ナレスへ布教に出発した時に,最初に彼の信者となり布施した 2 人の商人のモチーフと重 なり,仏教の強力な支援者の存在を意識したものであろう.つまり仏教の最大の協力者で ある商人階層が強調されているのである.だから「負債無き者(anana)よ」となるわけ である.ここにも,この神話に関して,中村博士が文献学の立場から強調する後代の創作 という説明は妥当性を持つ.しかし,それは文章としての成立のことであり,神話の構成 や,そのもととなった宗教体験そのものが,後世の創作であったということを必ずしも意 味しない.
いずれにしても,このような設定を経て,いよいよ仏教の開祖となるブッダが動き出す のである.つまり,ブッダは梵天の勧請,つまり伝統宗教であるバラモン教の主宰神の懇 願,働きかけに応じる形で,自己展開を始めるのである.「その時世尊師は梵天の要請,勧 請(ajjhesana¯)を知り,衆生への憐みの心(ka¯runana)により悟った人の目で世間
(loka)を見た.」という表現で,その経緯を権威づけるとともに,あくまでも他者からの 要請により,動き出すというサンキーヤ哲学に共通する,他動的な側面を強調する.この ことは,仏教を必要とする宗教,あるいは人々があれば,仏教はいつでもその人々,宗教 の要請により,それらに歩み寄り共存共栄関係を構築できるという根本構造の存在を示し ている.
その理由は,かつて捨て去った世俗の世界の民衆の中にも,宗教的に優れた人々がいる,
救える人間がいるという他者を受け入れる認識である.経典の散文の部分では,説明的に
尊師は悟った人の目によって世の中には,汚れの少ない者ども,汚れの多い者ども,
精神的資質の鋭利な者ども,精神的な資質の弱くて鈍い者ども,美しい姿の者ども,
醜い姿の者ども,教え易い者ども,教えにくい者どもがいた,ある人々は来世と罪過 への恐れを知って暮らしていることを見られた.
その時世尊師は,梵天の要請(ajjhesana¯)を知り,衆生への憐れみの心(ka¯runana)
により悟った人の目で(buddhacakkhuna¯)世間(loka)を見た.( 302 頁)
となっている.
この文章では,ブッダが完全に世俗世界への接近を決意した思想的な立場の転換,つま り世俗世界への関わりという積極的な心の動きを表している.つまり,梵天というインド 固有の宗教の主宰神,というより当時の感覚でいえば世界の主宰者である梵天の懇請によ って,その働きかけによって,ブッダの心に民衆へのベクトルが生じたのである.それで
「衆生への憐れみの心(ka¯runana)が,現れた」のである.この表現は実に重要である.
この民衆への憐れみ,つまり働きかけという視点が仏教の基本であり,後に慈悲という言 葉で表現される形態であることは,説明の余地はない.しかもその働きは,悟った人の目,
完全な知恵を獲得した人の目によって,明らかとなったのである.この短い文章にこそ,
仏教の神髄が見事に表されているのである.
以上のように,この文章には後の仏教の宗教の形である,慈悲,つまり相手を思いやる 思想を中心とする宗教構造が,明確に現れている.しかも,他の宗教と異なり,一緒くた にすべての人間を網羅的に救うというような発想ではなく,いわゆる機根の優れた人間か ら悟りが開かれる,救済があるという発想である.ここには,自らの努力により宗教的な 救済に至るという自助努力の宗教としての仏教の立場が表れている.勿論,それは自力の 救済という後代の自力と他力の議論に見られるような二律背反的なものではないが,仏教 の自助努力の思想が明確化されている.
さらにここで,インド思想的に重要な言葉に「悟った人の目で(buddhacakkhuna¯)世 間(loka)を見た.」というものがある.インドで見るという表現は,正しく知るvipasa¯ na(正観,正しい知識)等に見えるように独自の表現でもある.
つまり,この意味は,インドの宗教の伝統を脱して,ブッダに世俗の人々への関心が起 き,まったく異なる新たな境地(真の仏教の原点たる悟り)が開けた,その心の働きが実 際の動作として具体化した,ということである.
勿論,これは瞑想体験を表す表現でもある.インド思想では,瞑想が重視される.つま り,瞑想は普通目を閉じるか半眼にしておくのである.その時点では瞑想に沈潜しており,
具体的な動きは精神世界の領域に止まる.しかし,目を開けるということは,精神的な領 域から転換し,意識が外に向かねばならない.その意味で,180 度の転換がなされたこと がわかる.日本語の日常会話でも「何々に目が開かれる」などと用いるのと共通している.
ではブッダの目は何に開かれたのであろうか? ここにこそ,最大の問題がある.つま り,ブッダは,バラモン教の主宰神の梵天に懇願され,あるいは勧められて,自らの立場 を大転換したのである.それまで自己に向かっていた関心が,逆転して外に向かう,つま り衆生に向かったのである.それまで伝統的な出家修行者としての覚者であったゴータマ・
シッダルタは,ここで真にブッダと呼ばれる聖者となり,新しい宗教世界を自覚するので
ある.これによって,仏教の開祖としてのゴータマ・シッダルタ・ブッダの存在がここに 始まったということである.ここに第二の悟り・真の悟りが始まったのである.
Ⅰ・5 共存・共栄型宗教としての仏教の発生
先ず第二の悟りともいえる民衆への働きかけは,以下のように表現された.
この文章には,前述の大きな思想的転換が,見事に表されている.
(ブッダは)見終わってから,世界の主・梵天に,詩句でもって語った.「耳ある者
(sata)どもに甘露の法門は開かれた.(邪)信をすてよ(pamuncantu saddham).
梵天よ.人々を害する(vihim sasanni)であろうとおもって,私はいみじくも優れ
た真理(dhammam panetam)を人々に説かなかったのだ」.そこで,梵天は,「私
は尊師が教えを説かれるための機会を作ることができた」と尊師に敬礼して,右回り して,その場で姿を消した.
先にも触れたが,ブッダの第二の悟り,あるいは仏教的な悟りの完成ともいえる場面が,
梵天がブッダに懇願したことで生まれた,という設定を我々はどのように考えたら良いの であろうか?
この点が,筆者が着目する仏教独自の思想構造である.つまり,宗教的にも,歴史的に も圧倒的優位にあるバラモン教の主宰神が,ブッダに懇願するという設定の意味である.
ここには,仏教のインドにおける,つまりバラモン教世界におけるぎりぎりの自己主張,
つまり,バラモン教を否定せず,しかも仏教の独自性を確保しようとする仏教の戦略,対 他者との関係を如何にとるかという基本構造が見て取れる.
さてここで,自らの悟りを,言語化したブッダの最初の言葉の中に「(邪)信を捨てよ
(pamuncantu saddham).」と い う 言 葉 が あ る.こ の 言 葉 は,「( 梵 天 は 言 う )穢 れ
(asuddha)ある者どもの不浄な教え(samalehi cintio)が,かつてマガダ国に出現し た.」に対応する言葉であり,新たな仏教という教えの開教において,当然発せられるべき 言葉である.誤った考えを捨てて,私の言葉に耳を貸しなさい.私の教えを聞きなさい,
ということである.因みに(pamun·cati)という言葉は,「捨てる」「放つ」「自由にする」
という意味である.辞書的には「(邪)信をすてよ」と訳すことになっているが,誤った教 えからの解放を促した言葉であろう.そこにはバラモン教の教えが想定されているのか,
あるいはブッダ時代の多くの思想家が意味されているのかは不明である.なぜならバラモ ン教を意味しているのであれば,バラモンを目の前にして,そのような宣言をすることは,
ストーリー的に大きな問題だからである.もっとも,この文章は,早々に「聞くものは篤 信を得る」と書き改められているようである.
いずれにしてもブッダが,梵天の勧め,懇願という働きかけにより,反意し説法を行う,
つまり開教を決するという設定は,仏教には常に,他者の働きかけ,助けが不可欠である,
という構造を明確に打ち出している.筆者は特にこの点こそ,平和の宗教としての仏教の 基本構造が,明確に表れているし,またそれを世界各地で再生・展開させた思想の原型で あると考えている.
先ず,以下でこの点を検討し,さらに憐みによって説法を始めた,という点をその後に 検討する.
ここで注目される点は,かつて民衆の視点が欠如して,「私が苦労(kiccha)してやっ
と到達(adigata)した(悟りを) 今や説く必要が無い.」といっていたブッダが,「人々
を害する(vihim sasanni)であろうとおもって,私はいみじくも優れた真理(dhammam panetam)を人々に説かなかった(na bha¯siṃ)のだ」と,その態度への説明,さらには 反省の弁を述べる(いいわけであるが).その説明は,はじめブッダが説法を躊躇したの は,民衆を無視し,自己の悟りに満足したというような自己本位の,つまり,伝統的な出 家修行者の立場からではなく,むしろ民衆が誤解することを恐れてのことだと説明する.
つまり民衆のことを思ってのことであると,その立場を 180 度転換する.ここに民衆など,
他者の存在を重視する仏教の根本思想が,明確化されている.
つまりそれまでの出家修行者の視点から,この時点でブッダの悟りが,あるいは意識が,
民衆への直接的な働きかけ,民衆救済の宗教,いわゆる慈悲の宗教となったのである.つ まり,ゴータマ・ブッダの個人的な悟りからブッダの悟りを不特定多数の民衆に共有させ たいという仏教の開教へと,ブッダ自体が大きく思想転換,あるいは飛躍を遂げたのであ る.ここに,仏教の根本思想の確立が見て取れるのである.
以上のように筆者は,梵天勧請の神話の意義について考える.
いずれにしても,仏教の基礎であるブッダの悟りの確立が,梵天の懇請,働きかけによ って実現した,というこの宗教思想の構造の設定こそ,仏教が他の地域において現地宗教 と共存且つ共栄してゆけた基本構造である,といえるのではないだろうか.
つまり,ブッダ自身が梵天の要請により,自己の考えを変えて,その要請に応えたとい うこの画期的な思想の構造変化である.しかもそれが,民衆のための行為であるという点 である.これは仏教思想の根本理念である.それは思想のドグマ化の否定,しかもその目 的は民衆救済にあるという根本理念である.それが故に,仏教は伝播したそれぞれの地域 で,他の宗教の存在を受け入れ,自己の思想さえも柔軟に修正し,なおかつ独自性を失わ ないという柔軟さと強靭さ(これを多径構造と呼ぶ)を持つ宗教となってゆくのである.
こうなれば,他宗教との紛争の源となる教義の解釈や儀礼の相違は,回避できることにな り,結果として争いのない宗教伝播・定着が可能となる.
言葉を換えれば,他宗教との習合が,容易にできる構造を持ったということができる.
1・6 梵天に代わる地域神との共生の構図
勿論,仏教における他宗教との習合行動は,当然ながら仏教の根本的な思想構造にも変 化を生ずることになるであろう.その変貌の程度は多様であろうが,今回は,紙幅の都合 もありその事例を簡単に指摘するにとどめ,次回以降で詳細に検討することになる.
その第一は,仏教の根本的な変革ともいえる大乗仏教の出現,発展である.一般に大乗 仏教は,いわゆる小乗仏教(公正な表現では,上座部仏教,あるいは保守的仏教)が,ブ ッダの精神から逸脱し,煩瑣な教義研究や,自己の悟りを重視し,民衆の救済を省みない 方向に偏ったために,ブッダ本来の思想への回帰,つまりブッダの原点に返ることを主張 した,ということになっている.この主張を筆者も肯定するが,しかし大乗仏教の宗教形 態は,現実には根本的な民衆救済という大枠は踏襲しているにしても,その主張するとこ ろ,展開するものは,ブッダその人の宗教形態とは必ずしも同一方向を向いていない.そ れはつまり,仏教の構造の一部に変動があったということである.しかし,その一方で,
仏教の根源的な構造,仏教が目指す民衆救済の目的は維持されるということである.特に,
思想構造や言葉などは変化しても,その根源的な精神性,つまり「衆生への憐みの心(ka¯ runana)により悟った人の目(buddhacakkhuna¯)で世間(loka)を見た.」こと,そし て,「耳ある者(sata)どもに,甘露の訪問(amatassa dva¯ra¯)は開かれた.」という言 葉に表されている精神である.
このことは,仏教がその教えを説く相手が,如何なる人々であるかによって,その宗教 としての思想構造,もちろん教団の在り方も,変えることに躊躇はない,ということであ る.いわゆる対機説法といわれる形式である.仏教が,いわば表面的な形式(言葉や文字 や教団の在り方)を,絶対視せず臨機応変に対応できたこと,つまり大きな自己変革をし つつ,なおかつ仏教であることを強く自覚できる宗教的な柔軟性を持っていたことを,表 している.そして,その基本形が梵天勧請神話によって形成されている,と筆者は考える.
大乗仏教の中心的な信仰対象にはブッダ以外に多様な「○○仏」,あるいは「○○如来」
等多数の仏菩薩等が存在するが,これらの多くは,ヒンドゥー教の神あるいは中央アジアの 地域神との関係が深いと指摘されている.仏教は,これ等の神々と梵天勧請関係,つまり神 仏習合関係を結び,共存共栄の豊かな関係を築いていったのである.
その典型が西北インドから中央アジアにおける阿弥陀仏等大乗仏教の諸仏の出現とその
信仰の隆盛である.同様のことは中国でも,そして日本でもおこった.例えば,日本の神 仏習合が本格化する象徴的な事例は,宇佐八幡の東大寺大仏建立への協力と,その開眼供 養への大神宇佐からの直接の参列である.詳しくは,次回以降に検討するが,仏教の平和 的伝播の構造の日本的な展開において,神仏習合の思想的な源は,梵天勧請の神話に見出 すことができるのであり,日本における神仏共存・共栄関係が,政治的には明治維新の廃 仏毀釈まで,そして文化的には現在においても無意識化,つまり基層文化の領域で続いて いるその根本に,梵天勧請の神話に象徴される精神がある.
Ⅰ・7 梵天勧請と仏教の平和思想の伝播
以上のように,仏教の創始者ゴータマ・ブッダの思想形成は,仏典によって語られ,ま た伝えられてきた.この神話がいつ頃作られたかは,不明であるが,中村元博士は,紀元 前 1 世紀以降の早い時期には,パーリ語の聖典に明記されたのではないか,と指摘される.
しかし,経典になったということは,それ以前にすでにこの神話が形成されていたという ことである.
筆者は,宗教社会学的にみて,この梵天勧請神話の素朴な基本的な思想は,ブッダその 人あるいは極近い人々によって説かれ,仏教の基本構造として,発展してきた,と考えて いる.というのも,仏教のようないわば新興宗教が,インドの伝統宗教,民族宗教である ヒンドゥー教(当時の形態は,学問的にはバラモン教,あるいは前期ヒンドゥー教)とい う圧倒的な存在の中にあって,これと争わず,勢力を拡大できた背景には,彼らと対立す ることなく,むしろその存在の協力を引き出すことが重要であった,ということは否定で きないことであろう.
つまり,仏教という小集団の宗教は,ヒンドゥー教との対決ではなく,協力を不可欠と したのである.少なくとも,仏教教団を支える社会との共存を必要としたのである.その 意味で,仏教は他の普遍宗教のような,革命的な変化を他者に求めなかった,という意味 で暴力的な対立を他者との間にひきおこさなかった.ここに,仏教が平和的宗教と呼ばれ る基本形態を見出すことができるのであり,その仏教の平和思想の原型,祖形が梵天勧請 だと考えている.
筆者はこの現象を日本的に言えば「神仏習合」つまり,仏教と他宗教との平和的共存.
共栄関係構造と呼ぶことができるであろうと,考える.
さて,以下で検討するように,仏教と他宗教との共存共栄構造の構築を,梵天勧請の基 本パターンの発展的な展開と考えるなら,仏教がインド以外の,つまりヒンドゥー教以外 の宗教が優勢な地域に,外来宗教として伝播し,そこに定着し,平和的,つまり既存の宗
教や社会と暴力的な対立なく,共存共栄しつつ発展してゆくことができた理由の一端を説 明することが可能となる,と筆者は考える.
次回以降,仏教が如何に,インド以外の地域で,それぞれの地域神と融合し,平和関係 を樹立し,発展していったかの具体例を検討する.なお,この梵天勧請神話の他の意味に 関しては,キリスト教,イスラム教などの天啓(啓示)宗教における自らの宗教的正当性 確立の論理との比較研究を通じて,一層その独創性が明らかとなるが,この点に関しては,
他の機会に言及する.
※ 本論は,pali text society. 1998 版のSAṂYUTTANIKĀYA, Pali Text Society. oxford版を用いた.
注
1)このように書くと,多くの人々は近代以降第二次大戦の敗戦までに国外に出て戦った幾多の戦 争のことを以て,疑問を抱くであろう.しかし,近代以降の日本は,文明の底流に仏教の伝統を 残してはいたが,決して仏教を国是としてはいなかった.なぜなら,日本の近代は周知のように 仏教の伝統を外来文化として破棄し,神道原理主義的な発想から廃仏毀釈を行い,日本の一千年 の伝統を否定し,西欧化つまり,近代キリスト教化にまい進したのであるからである.
2)この点はわざわざ言及することもないが,中村元の一連の著作に詳しいものの,浩瀚な著作が 多いので,平川彰『仏教通史』(春秋社).ヨハン・ガルトゥング(高村忠成訳)『仏教―調和と 平和を求めて』(東洋哲学研究所 1990 年)などを参照.
3)梵天勧請の神話に関する言及は,実はあまり多くない.鈴木大拙(「仏教における浄土教理の 発達」).中村元『ゴータマ・ブッダ』(中村元選集),あるいは平川彰『インド仏教史』(春秋社),
山口益『仏教思想』などが代表的である.しかし,近年佐々木閑・宮崎哲弥『ごまかさない仏 教』(新潮社 2017 年)において,その重要性を強調している.また橋爪大三郎・大沢真幸『続・
愉快な仏教』(サンガ,2017 年)に,大いに示唆的な議論がある.
4)『サンユッタ・ニカーヤ』の本引用文は,『増一阿含』(大正大蔵経 19 巻)とほぼ同じ内容であ る.この阿含経典群に表れる梵天勧請の神話の文献に関しての詳しい研究は中央学術研究所紀 要」モノグラフ篇 No.3【資料集 3 】仏伝諸経典および仏伝関係諸資料のエピソード別出典要 覧で森章司・本澤綱夫・岩井昌悟氏が綿密に検討されているので,それらを参考にされたい.
5)それができなかった宗教者は,歴史の中に消えていった.いずれにしろイエスの荒野の 40 日 間の彷徨や,山上の垂訓.ムハンマドの初期の当惑,そして,シク教の開祖ナーナクの 15 年に 及ぶ巡礼の旅などは,皆自らの宗教体験への検証行為を経て立教した,といえよう.同様な事例 は,幕末から明治にかけて多数出現した天理教などの新宗教の教祖にもみられる現象である.
6)仏教思想とサーンキヤ哲学との思想構造の類似性は,議論されている.サーンキヤ哲学に関し ては,中村元『ヨーガとサーンキヤの思想』(中村元選集第 26 巻参照.).
7)例えば十牛図では,悟りののち現世に帰ることで,真の悟りが完成するとする.また浄土教な どでも往相・還相という概念でもって,悟りの境地に留まらず,現世に戻ることを重視する.
8)インドの世捨て人である出家修行者は,今でも世俗社会との接触を極力持たない集団が少なく ない.筆者も,全身に灰を塗った,全裸の修行者(ナーガ・ババ)など多数の出家集団と遭遇し た).
9)中村元『ゴータマ・ブッダ』(中村元選集第 11 巻関連事項参照).
なお,本論においては,恩師中村元先生の名訳である『仏陀悪魔との対話―サンユッタ・ニカ ーヤⅡ』(岩波文庫青 329 2)を,PTS同様に拠り所とした.