熊本大学学術リポジトリ
田中雄次教授を送る
著者 田口 宏昭
雑誌名 文学部論叢
巻 96
ページ 1‑2
発行年 2008‑03‑07
URL http://hdl.handle.net/2298/7981
田中雄次教授を送る
田 口 宏 昭
田中雄次教授は、 2008年 (平成20年) 3月末日をもって、 定年退職される。
同教授は1997年、 それまで教育面でも管理運営面でも多大な貢献をなされた 旧教養部から社会学講座の教授として文学部に配置換えとなり、 以後、 引き 続き教養教育において、 新たに文学部、 大学院文学研究科、 同じく大学院社 会文化科学研究科における教育研究ならびに管理運営の多方面にわたり職務 に専念された。
東京生まれの教授は同地で幼少年期を過ごし、 1968年3月、 東京教育大学 (現筑波大学) 大学院文学研究科を修了され、 同年4月に熊本大学教養部助手 として熊本大学に赴任され、 1986年に教授に昇任された。 教授はその間、 教 養部の組織やカリキュラムの改革期に教務委員長をはじめとする要職に就か れ、 また、 大学祭の名称が 「黒髪祭」 から 「熊粋祭」 に変更される時期に学 生部委員として大学祭のあり方の検討に関与された。 旧教養部の教育面にお いては、 ドイツ語のクラスを担当するとともに全学の学生が受講に殺到する 映画文化論のクラスを運営し、 映画を通した人間、 文化、 社会への関心を学 生の間にかき立てられた。 この間の教育研究の成果は教授が編者となられた
映画この百年―地方からの視点― に結実している。
文学部に移られてからも、 教育研究に専念される一方、 地域科学科の学科 長を二期務められるなど、 管理運営面においてもその実務能力を遺憾なく発 揮された。 教育面では、 社会学を学ぼうとする学生たちのために、 引き続き 文化社会学の視点から映画を中心素材とした映画文化論を展開され、 教授の 永い映画研究歴、 教育歴に裏打ちされた演習、 講義、 卒業論文指導等々は学 生たちの強い関心を自ずとひきつけずにはおかなかった。
同教授の研究人生はドイツの詩人であり、 思想家でもあるヘルダーリン (1770−1843) の研究にはじまり、 その後ドイツの徹底自然主義の作家、 ア ルノー・ホルツ (1862−1929) への研究関心がそれに加わり、 さらに後に熊 1
本の地と縁の深いラフカディオ・ハーン研究が加わった。 その都度これら作 家たちについての優れた研究成果が味わいのある文体で生み出された。 他方 この間一貫して、 ワイマール映画を中心に精力的に研究を進められ、 近年に おいては例えば 「ハリウッドの野望とドイツ国民映画の変容」 (2005)、 「フ リッツ・ラング 死滅の谷 (1921) の構造分析―ドイツ国民映画の展開―」
(2007) などが発表された。
さらに、 教授はアニミズムにも大きな関心を寄せられ、 地球上の万物の共 生、 生きとし生けるものすべての救済に向けて持ちえる新たな意義を再評価 するという姿勢から、 アニミズムの研究をすすめてこられた。 教授のラフカ ディオ・ハーン研究がその成果の一部であるし、 また石牟礼道子研究もまた 然りである。
このように、 長期にわたる映画研究を含む多岐にわたる永年の田中教授の 旺盛な知的関心をささえてきた原理は、 一言で言えば、 異質なものへの寛容、
洞察、 共生の姿勢・思想であったと思う。 この寛容や共生の思想はしなやか な強さとある深い信念を欠いてはまたありえないであろう。 教授の庶民的な 振る舞いや言葉の紡ぎだしのなかに、 学生をはじめ教授と親しく接したこと があるすべての人びとが心和む安心を感じるのは、 この故であるにちがいな い。
文法学部東棟の3階に位置する田中研究室の外の廊下に掲げられた田中教 授の専用掲示板に、 西に傾いてゆく太陽の金色の光を浴びる映画鑑賞の案内 ポスターが月々に、 あるいは季節ごとに貼り出されていたのが懐かしい。 こ の情景を多くの人々はいつでも思い出すにちがいない。 知る人みな惜別の念 を禁じがたいが、 熊本大学を去られるにあたり、 教授の本学に対する功績は もとより、 よき同僚として、 またよき先達としての足跡に感謝と敬意を表す とともに、 今後益々のご健康とご発展をお祈り申し上げて筆をおく。
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