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テ ィ ル ピ ッ ツ の 建 艦 思 想 に つ い て

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ティルピッツの建艦思想について

 ティルピッッ︵≧冑Φα<o旨↓貯窟嘗HQ︒おード㊤c︒O︶は︑一入六五年プロ

シア海軍に入り︑一入七七年水雷艇兵器の改良を委嘱され︑一八九二年

から九五年にかけて艦隊司令部幕僚長となり︑此の頃既に大艦隊建設の

断乎たる信奉者として知られていた︒其の後一時ドイツ極東艦隊の司令

官となり︑一八九七年六月海軍少将の時海軍大臣︑翌一八九八年三月の

第一次建艦法及び一九〇〇年六月の第二次建艦法に基く大艦隊の建設に

遭逢し︑一九一一年には大提督︵︵Ψ同Oωω鋤α目P一円9一︶即ち海軍大将に進み︑

第一次大戦勃発するや︑ドイツ全艦隊を挙げての戦闘参加と無制限的潜

水艦作戦の為に尽力し︑其の結果帝国宰相ベトマγ.ホルウェーグ︵甲

¢菩日鋤皇国︒ロ≦Φoq︶の政策と衝突して一九一六年三月退任︑この間凡

そ二十年の久しきに亘って海軍最高責任者の立場からドイツ帝国主義政       ①策の遂行に其の天才を発揮した︒ 一九世紀末から大戦勃発に至るまでのドイツ世界政策の中に最も輝か

しい活動を示しているものは︑其の東方政策いわゆる3B政策とティル

ピッツの建艦政策であり︑当時のドイツ人の中には︑此の艦隊思想を以

てビスマルク失脚以来始めての偉大な創造的政治思想と讃える者も多か ②つた︒而も敗戦後に於ては大戦中におけるドイツ艦隊の活動不振の故を

以て︑ティルピッッの政策に対し様々な観点から烈しい非難が加えられている︒マイネッケの如き大浦国家さえ︑彼の親英主義的立場に拘泥す

るあまりに次の如く論評している︒ ﹁⁝⁝そして凡ては入り乱れて相 関連している︒輸出産業と艦隊建設︑ティルピッツの建艦法とミーケル的牧納政策︵ζ5目巴ω︒げ︒ω鋤日日ピロαqωoo葺涛●ミーケルは︑一八九〇一九七プロシア蔵相︑ドイツ財政組織の規範となった諸改革を断行した︒o︷・O・O・しd・︶︒これらは︑都鄙を問わず雇主たる上流社会をプロレタリアートに対抗して団結せしめ︑又艦隊政策の諸目的をも同時に又国家をも此の階級の利益に役立たしめ︑それに依って国民の間における不和を増    ③大せしめた︒L然し乍ら︑唯結果のみを眺めて︑彼の思想や政策を誤謬 のであり失策であるとして無条件的に片付けてよいものであろうか︑多少 αの疑問なきを得ない︒私は薮に︑彼の建艦政策の推進力たる建艦思想の全貌を概観し︑此の思想を綜合的に考察批判することによって多少なりとも此の疑問解決に近づきたいと思う︒ 此の為の文献としては︑ティルピッツの﹁回想録﹂ ︵国同ぢ昌Φヨ昌oqo口●HOH㊤︶や﹁政治的首書﹂ ︵℃o葺δ︒げΦUo屏億日①三〇bo切山Φ・H㊤卜︒幽!boO︶︑

ハッセルの﹁ティルッツの生涯と活動︵d●︿●国⇔ωωo子日・ω①ぎピ︒び①昌

賃口α≦ぐ屏Φ昌・H㊤NO︶︑ツロータの﹁大提督ティルピッツ︑艦隊.建設とドイ

ツ思想﹂ ︵b・<・↓Ho昏讐90ωω巴目一同巴く●臼ご固︒ま①口び潜ロロ高畠幻似︒げω・

σq@飢昌胃9日㊤ωbo︶︑最近のものとCては︑ フバーチュの﹁ティルピッツ

時代﹂ ︵ノ記●切蛋び⇔けωOげH嵩①︾円9﹈ン HOαα︶その他多数が挙げられるが︑

此の中︑ソヴィエート・ロシアのエルサリムスキー教授著﹁十九世紀末       ④ドイツ帝国主義の外交政策及び外交﹂は︑入○○頁に及ぶ詳細を極めた

ティルピッツの建艦思想について

(2)

ティルピッッの建艦思想について

大著述で︑スターリン第二級章を獲て居り︑其の引用せる広汎な丈献目

録からしても優れた労作と判定されるので︑薮では主として本書の随所

に出ているティルピッツについての多面的な論述を中心に︑上に述べた

疑問解決に或程度近づいて見たいと考える︒

 さて一入九五年十二月末南阿トラソスヴァール共和国に侵入したジェ

イムソγQ簿目Φωo昌︶博士の率いるイギリス義勇軍の鎮圧につづき翌一

八九六年一月三日大統領クリューゲル︵図aσqΦ一︶に.対してカイゼルヴィ

ルヘルムニ世の発したる祝電︑いわゆるクリューゲル電報によって彌増

しに反英的興奮に駆られたるドイツ国民の一部には︑艦隊の即時的強化

を要求する声が強く︑ ﹁帝国主義的熱狂者たちによって建艦の為の寄付      ⑤金会さえ生れるに至った﹂が︑ ﹁カイゼルも直ちに此の考えの信奉者た

ることを公言し︑これに消極的なる帝国宰相ホーエγローエ︵口9①巳9

ず①・日Q︒㊤心1μ⑩OO︶を説得して︑帝国議会に於て此の考えを承認せしめん    ⑥と画策した︒﹂以上の如く国民の一部及びカイゼルの熱意が既に︑ ティ

ルピッツの海軍大臣任命に一年数箇月も先立って彼の建艦計画実現の支

えとなっていた︒

 当時ドイツ艦隊は︑いわば艦隊の乳児期にすぎない程の劣勢であったが︑クリューゲル電報事件ーカイゼルはドイツ人権益の保護を名とし

てドイツ軍艦の南阿派遣を企てたが︑外相マルシアル ︵竃薗目ωO一P鋤一一︶の      ⑦勧告で︑祝電を打つに蛍めた︒!1直後︑ティルピッツは始めてカイゼ

ル宛一つの旙大な報告書を提出し︑其の中で︑ ﹁若しドイツが現在の瞬

間に於て其の政策に対して二︑三の分艦隊︵OΦω︒げ≦巴oH・六乃至九隻か  ⑧ら成る︒︶に物を云わせることが出来たと仮定すれば︑最大の海軍国に       ⑨対してさえ譲歩を強制することが出来たであろう﹂と残念がっている︒

次で同年二月十三日ティルピッッは︑元海軍大臣ストーシュ ︵ω8ωoゴ︶

将軍宛書簡の中で︑次の如く彼の思想を表明している︒ ﹁我々が⁝⁝巡 洋艦に添え物をつけた近代的な二乃至三の分艦隊を有するや否や⁝⁝ドイツは忽ち︑テームス河に横はっている都市にとって凡ゆる場合に叉凡       ⑩ゆる問題の為に顧慮せねばならない一国家として現れるであろう︒L以上の言葉の申に︑ティルピッツ建艦思想の診たる傾向がほの見えている︒ 思うに︑彼の思想の申には︑当時のアメリカ帝国主義のイデオロギー      ⑪を形成するのに役立った有名な海軍思想家マハγ︵﹈≦90げ皿ロ︶の影響が認められる︒ マハγは一八九〇年ロγドソで出版された彼の名著﹁歴      ⑫史に対する海上権の影響﹂の中で︑ ﹁自国民の歴皮的並びに国際的優越を主張する資格のある国民は︑海洋に対する自国民の覇権をうち建てることに依ってのみ此の事を為し得る﹂と説いている︒ ﹁ティルピッツは当局に勧めてマハγの署書を出版させ︑その思想の普及に力めていた︒⁝⁝彼にとっては︑海軍力についてのマハγの信条が︑世界の闘技場に足を踏み入れた若いドイツ帝国主義の為に如何にして実施され得るか︑      ⑬又実施されねばならないかを示すことが問題であった︒﹂一入九七年八月二十日カイゼルは親友オイレγブルグ︵国巳︒昌び霞σq︶公三次の如く記している︒ ﹁ティルピッッは初め︑直接︑一部分は中産階級を通じて︑       ⑭千乃至千五百の薪聞雑誌に対し海事を提供する一大官庁を計画した︒﹂要するに彼はマハソの思想を︑大艦隊建設を促す政治的煽動を着飾る為のイデオロギー的衣装として利用したのである︒ 一八九六年三月ティルピッッは︑海軍大臣任命が既に決定的に目論まれているとの仮定の下に彼が帝国議会で行わんと意図していた大演説のテキストを起草したが︑此のテキストは︑ティルピッッ及び彼を支持する階層︵其の指導的勢力は主として大学教授を始めとする知識階級︑大資本的商工業者︶の政治的及び戦略的根本理念を含んで居り︑而も海軍

省事務当局を躊躇せしめた程の率直さを以て公表された︒曰く︑ ﹁ドイ α

(3)

ッが政策に於て二乃至三の優秀な叉高度に訓練された分艦隊に物を云わ

せ︑叉それ故に己むを得ざる場合は衝突に物を云わせることが出来ると

すれば︑欧州最大の海上国家さえもドィッに対して迎合的となるであろ

う︒か&る事惰の下ではイギリスは︑ドィッ艦隊に敵対せんと決心する

に先立って︑其の海上戦闘力を北海に集中すべく強制されるであろう︒

力の此の集中はイギリスにとって極度に危険な事柄である︒ と云うの

は︑それに依ってイギリ入は︑地球の様々の地点に散在せる多くの支点

を喪失する脅威を受けるからである︒加うるにイギリスは依然としてロ

シア及びフラγスの競争国であるからして︑イギリスが此の両競争国と

衝突を余儀なくされることも有り得べからざること玉は思われない︒イ

ギリスは︑露仏海上戦闘力と結付いた場合一層危険な艦隊となるべきド

イツ艦隊を全く格別に考慮せねばならない︒夫故イギリスにとってドイ      ⑮ツとの衝突の齢す危険は一層高度に増大する︒L云々︒

 当時ドイツ人の中には依然として︑ドイツ艦隊をヨーロッパ大陸にお

けるドイツの対露仏戦争の際の補助武器と見倣すものがあったが︑ ティ

ルピッツは此のテキストの中で︑ドイツが艦隊建設において此の両国よ

りも高度のテγポを出さない場合︑露仏の中の何れか一国に対してさえ

何等かの抵抗を為し得る日は遠い︑従って何等かの独自的戦略的補助課      ⑯題さえ果すことは出来ないと主張した︒

 然しティルピッツは当時既に︑両面戦争という旧来の戦略的概念の外

に︑新しい叉最も重要なる概念として世界制.覇の為の対英闘争を課題と

していた︒彼は︑ ﹁イギリスは﹃海外的﹄︵嘗①ロω国二き怠ωoゴ︶で︑其の

﹃産業貿易の競争国﹄たる役割を演じているドイツは唯﹃忍べ﹂︑そして

一方では最早ヨーロッパ大陸における其の勢力の為の闘争に甘んずべさ

ではなくして︑ 世界的規模の為の闘争を行わねばならない︒ 問題は今や︑ドイツが或一定の海上戦闘力を意のま玉にしない場合︑ドイツは永       ⑰久に強国として存在できるや否やという点である︒しと痛論激励してい

ティルピッツの建艦思想について る︒ 回想録によると︑右の点に関連して当時彼は次の如く考えていた︒即ち︑ ﹁ドィッ帝国主義の為の権力への本道はバルヵγにも近東にも存していない︒バルヵソ及び近東への道は云は父︑﹃裏階段﹄︵切字悼臼笥︒℃穿①︶であり︑馬面同盟が︑ドイツの﹃東方への衝動﹂即ち︑イギリスがドイツをロシアとの衝突へと駆り立てんが為に絶えず利用せんと企て玉いる努力を︑促進しているのは残念である︒逆にドイツは︑世界への﹃表階段﹄ ︵<oa衷賃①隠Φ︶即ち大西洋をドイツに解放しておく為に全力を        ⑱結集せねばならない︒L 云々︒ 思うにティルピッッは此の回想録の申で︑自己の失敗の真の責任者を探索して︑彼の主たる要求は絶えず平和確保の政策であったと再三再四くり返しているにも拘らず︑実際には彼は︑一つの有力なる艦隊を世界再分割の闘争に調てドイツ帝国主義の手中に在る有力なる武器となさんと力めて居り︑ 而して此の再分割は殊に︑海洋を支配し地球の四分の一を占有している競争国イギリスを目標      のとしていた︒       α 以上の如きティルピッッの老え方は︑ ﹁彼が海軍大臣の候補者として始めて挙げられた一八九六年初め既に彼の念頭を去来していたものであり︑彼はドイツ極東艦隊司令官を経て一八九七年六月愈々台閣に入ると同時に︑単に軍事的技術的目標設定によってのみならず叉政治的目標設定によって果さるべき諸計画を携えて登場した︒ ﹁このことは正しく彼の前任者たるストーシュやホールマソ︵出︒=ヨ鋤ロロ︶に欠けていた所のものであり︑彼等は︑海岸防衛を強化し叉は海外各地におけるドイツの経済的利益を巡洋艦隊によって﹃保護する﹄為には︑何がより重要であるかについて決して最後の判定を下すことが出来なかった︒ティルピッツこそは︑ドィッに於て生成しつ玉ある独占資本主義発展の主たる傾向を最も明瞭に感知し︑叉或意味では更に此の傾向に先んじた所の最初の    ⑲人であった︒﹂即ち彼によると︑海上における叉植民地における第一の

(4)

ティルピッツの建艦思想について

競争国イギリスに対抗せんとの此の政治的目標を果すことの出来るの

は︑海岸防衛でもなく︑巡洋艦隊でもなく︑ 一つの強力なる戦闘艦隊で

あった︒其の上記︑ヘルツフェルトが名著﹁ドイツの艦隊建設﹂の中で

論じている如く︑ ティルッッは︑ か鼠る強力なる戦闘艦隊というもの

は︑完成の暁には他国に影響を与えてこれを惹きつけることが出来るで

あろうと確信していたのであり︑これは全く新しい同盟政策的思想であ ⑳つた︒−﹁私は勿論この正に建造さるべき戦闘艦隊を他の第二碧海軍

国と同盟しないで用い得る万能薬とは考えなかった︒むしろドイツが同

盟能力︵し︒ロロ創ロ一ωh93ゴ一αq観①凶け︶を得る為の必要なる段階であり︑従って当

時ドイツに於て一致して要求された所の⁝⁝イギリスに対する海上独立      ⑳権を獲得する為の唯一の確実な用意であると考えた︒﹂ ﹁ドイツ海軍最

大の政治的意義は︑それがドイツ帝国に与えた世界政策上の同盟能力で

あった︒ドイツの同盟政策はイギリスの外交によって背景に退けられた      ⑳けれども︑此の情勢はいっかは変化し得るものであった︒﹂i

 然し乍らティルピッッ就任の当初の時期に於ては︑ ﹁彼は︑差追って

いると考えられていた両面戦争に於て重要な役割を演ずることの出来る

二乃至三の分艦隊の創設を実現することを必須的であると信じた︒それ

にも拘らず彼は︑参謀本部及び其の長官シェリーフェγ︵ωOげ一一ΦhhΦ﹈P︶

将軍と異り︑対露仏戦争ではなくして対英戦争を考えて居り︑二乃至三

の分艦隊の創設は︑ 対側戦争の観点からも大きな意義を有するであろ

う︑と云うのは此の場合︑競争している一層大きな国即ちイギリスも︑

そんなにたやすくドイツ艦隊を意のま玉にすることは出来ないと主張し

た︒﹂

 斯くてティルピッツの真に強烈なる政治的目標は対英抗争の一点に集約されるが︑ 彼は此の目標を必須的な政治的用語を以て現す為に︑       ⑭﹃一種の歴史的概念﹄︵¢ぼΦ三ω8ユωoプ︒囚︒昌N①ロ↓δ昌︶ の如きものを創 ず︑ば︑る︒か︒る︒ 棄した︒此の概念の原理は︑英独活における相互関係の最も重要な又最も決定的な要因の対抗として経済的対抗を認めることであった︒そして此の原理は︑既述の如き強力なる艦隊の建設のみが︑経済的に全世界で成功を牧めつ鼠あるドイツを︑イギリスの侵略に対して防衛できるという彼の主張に於て頂点に達した観がある︒ ーティルピッッ曰く︑

﹁ドイツの世界的勢力は︑海軍力なくしては︑甲殼なき軟体動物の如き       ⑳ものである︒﹂と︒一

 当時ドイツの産業界は︑政府が若し本当にティルピッツの建艦計画に

着手するならば︑造船所を拡張改良し︑それに依って艦隊建設の期間を

根本的に短縮するであろうと宣言したが︑然し此の宣言は專ら技術的側

面のみであった︒ティルピッッは他の政治的観点を課題としていたので

あり︑次の如く論じている︒ ﹁イギリス領土外のいつれかの地域に於て

建造される軍艦は︑凡て根本に断てドイツにとっての利益を意味してい

る︒というのは︑夫れによって海上における勢力均衡が強化されるから

である︒ そして此の事は︑ イギリスの或種の精力の浪費を意味してい

る︒﹂ティルピッッは更に進んで次の事即ち︑強力なる艦隊の所有は︑

ドイツの立場をヨーロッパに於ても亦強化し︑ 加うるにドイツをしてーフラγ入及びロシアに対するt両面戦争の必然性から解放するこ

とが出来るであろうという事を論証せんが為に︑次の如き論拠を用いて

いる︒ ﹁ドイツはイギリスとの紛争に当って絶えず同盟国を見出すであ

ろう︑何となれば︑イギリスの利害はドイツの利害と摩擦するのみなら

  他の諸国の利害と遙かに多く摩擦するからであると主張するとすれ

  私は︑ ドイツは此の際容易に一つの誤った算入を為し得ると信ず

  ドイツは︑イギリスとの衝突に際して他の諸国に何を提供できるの

  皆無︒何となれば両国 ︵露仏をさす︒︶ は充分に軍隊を有してい

  ドイツの今日の艦隊は︑イギリスに向ρての対抗勢力に対して何物

をも加えない︒これに反して事態は逆に確かに次の如くである︒即ちド α

(5)

イッが其の軍隊を直接イギリスの為に砲火の申に送ろうと欲しない場

合︑ ︵私も亦ドィッは此の事に殆んど興味を覚えないと信ずるのだが︶

ドイツが中立を守ろうと︑敵国として参加しようと︑夫れはイギリスに

とって全くどうでもよい事である︒加うるに逆にドイツが敵国であった

場合︑イギリスにとって有利である︒露仏を本国及び植民地に於てイギ

リス艦隊によって捕捉することは困難である︒ドイツについては事情は

異っている︒と云うのは︑ドイツはおまけにイギリスの産業貿易上の競

争国であるから︒イギリスは酒代を支払うことの出来る誰か︵イギリス

の利得の犠牲となる国即ちドイツ︶を自国の眼前に有することに満足す

るであろう︒夫故︵戦争の場合の︶ドイツの同盟国︵露仏︶にまさしく       ⑳大きな譲歩を為すことが出来るであろうL 然し乍ら此の艦隊は︑尊敬の念を抱かせる丈の高度にまで育成され得       ⑳るに先立って︑ 差当り﹁一種の危険地域﹂ を走り過ぎねばならなかっ

た︒ ﹁他方︑海軍建造の事実が︑イギリ入から海上権の独占的地位維持

の邪魔者と見徹されて︑此の点で我が外交上の立場を困難ならしめたこ

とは︑勿論である︒そこでドイツ海軍建造の故に︑イギリスがこれを蕾

のうちに摘みとらんとして︑予防戦争 ︵霞9︑︿2福二ユ①σQ︶ を起しはし

ないかという疑問が起った︒⁝⁝これがビュー・−︵切芭︒≦・当時外相︶ や私の意見では︑ 我国が通過しなければならない危険地域であっ⑳      ⑳た︒﹂一二九〇四年の危機以来ティルピッツは︑政治的並びに軍事

的観点を相互に結付け乍ら︑イギリスの政治的に攻撃的な圧迫︵エドワ

ード七世の包囲政策いわゆる国言寄船ω自口σqω℃o犀謡ド︶に対し︑軍事的に      ⑳防禦的な反圧︵OΦσqΦa遷魯︶ を以て答えんと努力した︒L﹁彼は駆り

立てつ玉又激励しつ玉︑ドイツ政策が其の同盟関係に於て蒙っている急

速なる衰微を艦隊建設の為の精力に転換せしめんと試みた︒然し乍ら彼

は︑政治的に出来得る限りの平和なる発展過程はもとノ\︑漸く緒につ

いている艦隊建設の為にのみ存しているという事を︑実に徹底的に洞察

ティルピッツの建艦思想について        ⑫していたのである︒﹂1 斯かる観点から彼は自分の構想を三重の課題として次の如く公式化している︒即ち︑ ﹁第一に︑強力なる艦隊の建設の為の時を稼ぐことが必須的である︒第二に︑夫故に外交政策に於て︑ヨーロッパにおける各競争国との︑ 一層具体的にはフラγスとの戦争の危険を内蔵している一切の摩擦や突発事件を避けることが必須的である︒第三に︑イギリスの力を大西洋から近東︑中東及び極東へそらすことの出来る両強国即ちロシア及び日本への接近に依って︑ ﹃海洋における勢力均衡﹄を求めること      ⑳が必須的である︒﹂ 然し乍らティルピッツの主張の最も重要なる論拠は次の如くである︒即ち︑ドイツ大艦隊の存在は︑此の艦隊がたとえイギリス艦隊と優劣を争うことは出来ないとしても︑イギリスの政治家及び艦隊戦略家を強制して︑平和の間に次々と経済的地位を克ち取っている此の新しいカルタゴを襲撃するに先立って︑ドイツとの衝突の危険を憂慮せしめ︑叉一切の可能事態を用心深く考慮せしめるであろうという事であった︒そこで       ⑭ティルピッツは︑此のいわゆる﹁危険の理念﹂を彼の政治的戦略の中心核として持ち出した︒彼は︑敗北の危険や重大なる損害叉は堪えがたき打撃の危険は︑イギリスを強制して︑競争国ドイツとの衝突を避けしめることが出来ると考えた︒−1﹁一九〇〇年一月私はカイゼルに対し︑ドイツの艦隊計画はイギリスを攻撃的に脅かす為には決して充分ではな     ⑳い旨を述べた︒﹂ ﹁我々が目標としたのは︑イギーース海・軍の優勢を以てしても我が海軍との戦争が冒険︵≦蜂︒ひQ巳ω.盈ω詩︒︶ を意味する程度の強さである︒⁝⁝我々が示唆した空ω詩︒σqΦαβ︒昌屏Φは︑ドイツ艦隊が︑最大の海軍国に対してさえ我国を攻撃することが危険な事業であると思わせるに必要︐な程度で︑それ以上でも以下でもない程度に維持さるべしという形で普及された︒これを補足すれば︑尊敬すべき海軍は我国の同盟

D

α

(6)

ティルピッッの建艦思想について

       ⑳能力叉は同盟価値︵じd口垂雪ω≦①二︶をも高めるという思想になろう︒L

 第一次大戦後新しく生れたドイツ帝国主義の海上戦略家たちは︑ ティ

ルピッツの二十年に亘る努力の不満足な結果を指摘して︑此の﹁危険の

理念﹂に対し︑それと結付いている海上戦略は充分に攻量的でないとい

う仮定の下に鋭い批判を加えている︒然るにむしろ極端すぎると思われ

るこれらの批判に対抗し︑我が日本では昭和十六年︵一九四一︶山脇重

雄教授の誠に卓越せる論策が発表されている︒即ち︑同年冨山房から刊

行された西洋皮論叢﹁政治と思想﹂の末尾を飾る教授の﹁ティルピッツ

の田ω貯︒ひqΦ量賢屏①に寄せてーイギリスの外交とその海軍力との関係に

ついてi﹂なる六十余頁に及ぶ大論文は︑其の峻敏なる洞察と巧緻な

る史料の取扱いに於て︑又其の堂々たる論旨に全て︑凋富貯︒σ甦Φ9昌貯¢の

理論としての正当性を論証しつ玉︑我々に窺うる啓蒙的示唆実に少なか

らざるものがある︒慣れにも拘らず私は尚依然としてほの暗き疑念の脳

裡に停滞するのを払い除けることが出来ない︒

 教授は︑空ω穿︒σq①山鋤艮Φの真意を徹底的に究明することを目標とし︑

先づ︑イギリスが︑制海権を握った十七世紀末以来十九世紀末までの対

外戦争に於て︑海上の強敵に対し如何なる条件の下に如何なる態度をとったか︑という歴史的先例を観察帰納し︑更に第一次大戦後対等の海軍

力を有する米国に対するイギリスの接近政策を論証することに依って︑

此の目標に到達し︑ 結論を下していられる︒ 然るに此の結論の中に於

て︑次の箇所にどうしても若干の矛盾した感銘を受ける︒曰く︑ ﹁ドイ      θツ海軍は現在のB級からD級に進まねばならない︒ ︵教授の定義づけに

依ると︑A級とは︑海軍のない国もしくは極めて劣勢なる海軍国︒B級

とは︑ 特に強大ではないけれども︑ 軽視することも出来ない二流海軍

国︒C級とは︑イギリスの根本的利害であるヨーロッパにおける勢力の

均衡を動揺せしめ︑植民帝国の地位を脅かすのみならず︑海軍力に於て

も遙かに他の列国をひきはなして︑イギリスの王座に迫るおそれのある の海軍さえあれば︑イギリスとの戦争は却って避けられる︒イギリスは海戦の危険を冒すよりも︑ ﹃冷静な実業家の立場から︑我が国を攻撃せ 如き強国︒ D級とは︑ イギリスと殆んど均等乃至それ以上の大海軍国

iこれに該当するのは第一次大戦後の米国のみ︒そして同盟価値を認められるのはD級とB級のみなる旨論証1︶⁝⁝ドイツが世界国家と       ◎しての立遅れを取戻す為には︑相当物の云える海軍が必要である︒海上       ㊤1における労組依存から独立するには︑D級の海軍が絶対に必要だ︒D級      ⑳

んとする凡ての傾向をすて︑我が正当なる海外権益が保持され得る程度       ㊧の海上権を我が国に譲歩﹄ ︵..国ユ自①讐づσqΦξω●ドO刈︶するであろう︒

のみならず此の海軍力はドイツの為に同盟価値を生み出す︒例えばイギ

リ入以外の国はイギリスの海上における横暴行為に対してドイツに同盟

を求めるであろうし︑ドイツとしてもこれらの海軍国と同盟することによって始めて海上における勢の均衡峯現し・貰壁上鍋蓋立のω

地位を獲得することが出来よう︒而も此の目的の為にドイツはかならず      ㊨しもイギリスと均等の海軍力を必要としない︒万一開戦しても︑イギリ

スの海上権独占をうち破って︑9︒一図W団︵9は︑イギリスの現有海軍力︒

図は︑ 戦争の場合この程度は失うであろうと予想されるところの海軍

力︒団は︑戦後の仮想敵たるべき国家群の最大海軍力︒︶を不可能なら      ㊨   ⑰しめる程度の海軍力でよい︒⁝⁝︒L

 以上傍線の箇所の中︑θ︑㊦︑⑳の論旨と㊥︑㊥︑㊨︑㊥の論旨と

が︑いかに熟読しても矛盾するように感ぜられる︒従って盈ω涛︒σQo血学

昌区①の解明についての教授の表現に︑すっきりした理解を得ることが出

来ないように思われる︒尚叉教授が︑ ﹁問題の性質上︑イギリスが未だ      ⑳世界の海上権を握らなかった時代は略してよい︒﹂として︑D級と目さ

れる十六世紀八十年越のスペイン︵無敵艦隊︶︑十七世紀中頃のオラγダを除外し︑而もティルピッッ辞任後数年以上を経ている第一次大戦後

(7)

の米国海軍を﹁歴向上唯一のD級の例﹂としてイギリ入対米接近政策論

証の材料と為し︑これによって直ちにティルピッツの思想従って空ω涛︑

oσqΦ亀9︒艮①に類推的適用を行い︑D強国を以てイギリスの同盟価値を認

むる海軍国なりとティルピッツが確信せしならんと断じていられる点

は︑ 一応首肯されるとしても︑ 多少我田引水的な印象を受けるのであ

る︒ 私はこれまで述べ来ったところがら雨垂判断して︑むしろティルピッ

ツが︑イギリ入を挑発することを絶対に避けんが為︑D級のドィッ艦隊

建設をめざすことを敢えて抑制しつ墨︑而も露仏その他との同盟政策に

よってドイツ海軍力の不利を補い︑イギリスをして戦争に訴えることを

危険として回避せしむる段階にまでドイツ艦隊を強化せしむることが︑

空ω涛︒σq⑦量コ屏①その物の狙いであり︑むしろ真の性格ではなかったか︑

D級をめざす思想は最早霞ω涛︒ひqΦ9昌屏①から飛躍した思想ではないか

と考える︒第一次大戦勃発の前年チャーチル︵Oげ霞︒窪二︶︑ティルピッ

ツ間に英独海軍力一六対一〇の比率を以て妥協が行われ︑ティルピッツ

が︑ ﹁このNき脚伝導巴︵不和の女神国二ωの金のリンゴ︶も人間の考量        ⑳によって除去された﹂ として︑ 一先づ満足の意を表しているのを見て

も︑仮りに彼が此の比率を以て空ω涛︒σqΦα舜︒口幅Φ実現せりとは考えず︑

危険区域を通過するまでの便法となしたにすぎなかったとしても︑イギ

リスが世界に跨る広大な植民地を防衛すべき不利弱点を有しているこ

と鼠考え合せて︑ティルピッッの空︒・涛︒σq⑦α9︒づ屏①その物の中に︑ ﹁ド

イツはD級の海軍が絶対に必要だ﹂との概念がは入っていたとは考えら

れない︒ それは兎に角として教授は︑空ω涛︒αq①α磐屏Φを︑理論的には正しいが

結局実現されなかった真理として︑ティルピッッを擁護する立場をとっ

ていられるが︑教授と極めて異った観点からまさしく対照的な結論を導

き出しているドィッ戦略家の代表的主張として︑ 海軍中将ウェゲナー

ティルピッツの建艦思想について ︵≦①σq①口曾︶の所論を次に掲げること玉する︒ 思うに︑我々の常識でどうしても理論的に判然となしがたきティルピッッ思想の直観性の中に︑控ω涛︒駒①畠ぽ昌Φの一特質が存し︑其の為にこそ︑強いてこれを説明せんとされた山脇教授の結論に矛盾的表現が行われ︑叉其の為にこそウェゲナーの所論に抽象的観念的な論断が生じて来るのであると思われる︒ ウェゲナーは︑一九二九年その著﹁世界大戦の海上戦略﹂ ︵∪δωΦ?ω寓簿︒σqδ鳥︒ω二巴爵ユ①ひQ①ω︶の中で︑次の如く論じている︒ ﹁敵国にとっての危険の理念は︑ その敵国がドイツの利益を躁急せんと企てる時︑咽喉を締めつけられ国魂さるべき危険に陥るということが︑前提と﹁されねばならない︒従って此の理念は︑敵国にとっての危険を創造すべき能力と意志とを拠り所としている︒この理念は︑防禦的な璽百戦とは関連がない︒然るに︵ティルピッッのいわゆる︶ ﹃危険の理念﹄についてのドイツ人の解釈は︑何等攻撃の要素を含んでいない︒我々の﹃危険の理念﹄の中には︑何等の戦略的攻撃意志も︑海上制覇への︑又敵国にとっての実際的﹃危険﹄の創造への何等の努力も存していない︒其の証拠は過ぎ去った大戦である︒ドィッ艦隊はイギリスにとって危険ではなかった︒というのは︑人々はドイツ政府の傍に何等の海上制覇への意志を感知していない︒ むしろ我々は﹃危険の理念﹄の中に︑ 外交的技巧

︵回覧︒日舞一ωoげΦ落剥昌馨︶の頂点を認めている︒此の技巧は︑何等共通

の物を有していない所の︑叉此の創造すべきドイツ艦隊から﹃戦略的攻

撃意志﹄の断念という犠牲を払って其の脅威的性格を見事に奪い去った

所の諸現象を︑一つの政治的目標︵対英抗争をさす︒︶の為に表面的結

論の中で結付けることを心得えていた︒:⁝・﹃危険の理念﹄は︑外交的

09︒暮︵専門の人々にのみ分る通り言葉︶の領域に於て参照さるべきで︑

現実の海上政策の領域に於て参照さるべきではない︒何となれば︑海上       ⑳戦略の観点からは此の理念の各命題は誤謬である︒し

α

(8)

ティルピッツの建艦思想について

 以上の論述の中︑先づ一般的な危険の理念の概念について述べている

箇所は︑勿論ウェゲナーの考えている概念で︑ティルピッツのいわゆる

﹁危険の理念﹂とは無関係である︒従てウェゲナーの抱く概念の立場か

ら云えば︑ティルピッツの﹃危険の理念﹄の申に攻撃的な要素が稀薄に

見えるのは当然である︒然し藪に問題にしているのはティルピッッその

人の﹁危険の理念﹂の本質であるからして︑ウェゲナーの云う所は本題

を逸脱しているように思われる︒唯傍線の部分は極めて抽象的観念的な

ドイツ人的表現ではあるが︑空ω涛︒σq⑦αβ︒艮︒の一面の真相を指摘したも

のとして注目に云いする︒

 私は︑今まで述べ来った論旨を綜合して結局の所︑山脇教授の結論か

らe㊤⑳を抹殺したら︑空ω涛︒σqΦα碧屏①が﹁直観力の所産﹂としての姿

で一層諒解され易くなるのではないかと考える︒要するにティルピッツ

の建艦政策及び其の拠って以て立っている根本思想は︑ドイツ帝国の同

盟政策とドイツを中心とする国際関係の動向との有機的一体化の下に於

てのみ考察さるべきもので︑建艦政策及び其の根本思想を︑結果論的に

憤れ自体として個別的抽象的に観察することは︑ティルピッツの真に意

図した所から全く逸脱したものを追究する結果に終り︑ウェゲナーの如

き誤謬に陥るものと云わねばならない︒

 思うに︑ティルピッツの有する心底の確信は実に︑ ﹁ドイツが世界情勢の強制の下に叉ドイツ貿易関係の発展の下に一度海軍国への道に足を

踏み入れた後に於ては︑差当り極めて切迫せる外交的情勢の圧迫の前に

退却することは︑ 政治的には精々褒面上の苦痛緩和を評すに過ぎない        @という信念であった︒﹂此の信念は︑彼の在任中の度々の政治的諸事件

によって完全に証明されたのであり︑対英建艦交渉に於て︑一方ではカ

イゼルの挑発的言動を叱正しつ玉堅持して譲らざりし強硬態度も︑此の

信念に基くものであった︒ 然るにホールフェルトが其の ﹁ドイツ帝国

史﹂の申で論じている如く・恰も﹁低圧電流機の中における高圧電湘﹂ にも比すべき稀にみる軍事的並びに政治的大才を抱きつつ︑比較的局限されし管轄区域に閉じ込められたま玉︑此の大才に相応しき帝国宰相の地位を与えられていなかったティルピッツを思う時︑海軍大臣就任以来の彼の責任に基かざる︑殊に往々にして彼の献策に背馳せしドイツ外交政策の推移と国際関係の動向とは︑戦敗国の一方の責任者としての彼に対し︑充分なる弁明の余地を与えていると言うことが出来るであろう︒註①9●U曾曾︒ωω①田︒︒溶き︒・匹津曾二二民●ω.罎ト・目円bヰN●註②9・津︒h・胃#N国胃貯mず土器償昌αミ︒匡σqきσq口臼ヨ︒冒⁝ΩΦ︒・︒甑98傷曾   昌①信Φ馨Φ口Noぱ﹈−oo団﹈−iH⑩卜⊃oo●U一ΦΩHq昌自N自αqΦq㊤︾自︒︒ωΦ昌bo=け涛自自   OHOωωヨ似Oゴ叶Φ①屋hO目ロロ畠畠①目昌ΦコΦω什⑦昌   く曾O駿Φ暮一一9コ昌σqΦ戸国①一一9ト露P︵以下国寓貯σq冨信ωと略す︶   帝国主義絶対反対のドイツ社会民主党機関紙﹁前進﹂︵<O困≦似円けQo︶さえも︑   当時︵一八九入海十一月十五日付論説の中で︑︶﹁ドイツの地位を考慮する   ならば︑フランスの遙かに優勢な艦隊によって︑海洋及び︑ 国民と軍隊と   の扶養に欠くべからざる一切の海外からの穀物供給から締め出されねばな   らない﹂ということを認めざるを得.なかったという点は︑ 当時の実情を考   察する上に注目に白いする︒︵国U財同一昌σqげ鋤qの︒ω●卜⊃oD︶註③団ユ巴ユ9ヨ①ぎ①︒屏Φ   Ω①ωo匡︒げ帯幽①ω山①q30げ・①昌ひq=ωo犀Φ昌bσ口昌O艮ωb目︒ぴ一〇日のHoo⑩O甑のH⑩O日●   竃鶴口9Φ口●H⑩卜⊃ドω●900●︶註④胃︒h.︾●ωζΦε︒︒の鋤三日ω吋ごUδ︾話ωΦ唇︒犀涛自昌OUな8日︒江①9ω   畠①藏富︒げΦ昌一日b①ユp︒一一のヨロω国昌住ΦαΦωトO・匂9げ目げ目ロαΦ同↓ω●切①二心●﹈−⑩㎝心●   ︵ドイツ訳︒以下智三ω銘一一日ω圧と略す︶註⑤q︒多目①の§①閃霞ω9℃︒一三ω︒冨OΦω︒ぼ︒三︒9の昌窪自9葺ω鼻魯   国9ωΦ匿︒一〇げω・切像目●U器No一苗=段ミ出ゴ︒一二圏・トoQ⑩Oート⑩﹈︑oo● ◎o●トOO註⑥口︒冨三〇冨U魯犀≦晋象σq犀Φ津︒昌●ド⑩ωH・ω.ト︒︒心註⑦軍艦派遣は戦争を意味するが故に︑ マルシアルはこれを諫止せる旨を彼の   回想録の中に記している︒︵国寓言σqげ鋤ロの・ω・臥⊃蔭︶

註⑥︒剛●U.O・切・

G

(9)

註⑨密三ωω鋤督日ω恩ω・δ①

註⑩恥きω口p︒診ヨ四ぎ⁝国艮σq興・∪①ω冨ω︒9自傷巴g8昌9信ω●㎝O\鐸

註⑭セオドア・ルーズヴェルトにも大影響を与えている︒︵国●国・U9<一ω臼び①

   諺白Φ二8昌ω貯缶δ8N団・qD・①刈O︶

註⑫寓魯碧円﹃Φ冒自gぎ①︒hω鶏ら︒堵2后8田ω8曙・

註⑬蜜ヨω鶏=ヨω匹.ω●爵︒︒

   当時サモア問題に関して︑ 此の島の戦略的意義を重視しているティルピッ

   ツの見解の中に︑彼の遠大な理想の一端を窺うことが出来る︒曰く︑﹁膠州

   湾から南太平洋における我々の領土を経て南アメリカに至る道程上の重要

   なる兵靖基地となっている此の島を手放してはならない︒﹂ ︵○・勺.ゆq.

   ﹈−蔭・2目●鼻H8︶

註⑭切魯︒無二︶①艮書斎買取脚虫蒔︒p干鳥・︸・ω・トω聞

註⑮国表ω国①=心乱嘗国・・U・麟・国ご︾魯碧σq目U︒貯βヨ︒鼻Φωω・日⑩一︒︒日・

註⑯一三畠・

註⑰﹃①三ωω9出ヨωぼ.ω・蕗⑩・

註⑱目6搾N国ユ82§σq①戸ω・ト凸\蕗

註⑲密霊ωω聾§︒︒ヨ・ω・おレ

註⑳缶Φ旨h①冠d2画Φ葺の9Φロロg8暮聾・

   Oh・国頁岩σqげ鋤ロの.ω・ω日

   二九〇八年以来ドイツに事実上この思想実現の途上にあった︒ 即ち一九

   〇五年イギリスに始めて出現せる超弩級戦艦︵一︶目Φ呂昌oq晦葺︶によって促

   進されし両国問建艦競争激化の中にあって︑ ドイツも一九〇八年以来此の

   新な巨艦を建造し始め︑ 其の結果︑ ︵同年ボスニア︑ヘルツェゴビナ両州

   併合事件に際しての独塊側の外交的勝利に見らる玉如く︶ドイツの艦隊武

   装が激化すればする程︑此の武装は︑ドイツ政策が失っていった諸同盟を

   或程度まで償うことが出来たのである︒L︵Oh●国げ削ぎσqゴpロの・ω.①刈︶

註⑳国ユ旨㊤巷σq豊ω・︒︒H

註⑫ま一ω●ト日⑩・ティルピッツは度々︑ フリードリッヒスルーに閑居している

   ビスマルクを訪ねて其の意見をきいている︒︵一ぴ一島・ωmΨ・oooo一⑩蔭︶﹁ティルピツ

   ツの思考過程の理解の為には︑ 彼はドイツがビスマルク的政策への復帰の

ティルピッツの建艦思想について    下に於て︑再びpシアへの依存を獲得するが如き政治的全形勢を欲してい   た︑ということを注目せねばならない︒L︵国寓言σq冨qω・ω・①o︒︶註⑳同Φεωω銭丁目ω圧●ω・おト註⑳ま筍●ω・おO註⑳国げユ昌σq訂自ω.電・註⑳臼︒εωω9凶ヨ︒︒匠・ω●心ω9註⑳国ユ8Φε躍︒戸ω﹄㎝旨①目塁︒︒蟄ヨの恩・ω.おP轟きqびΦ日ゆ篤三月①p   更にティルピッツの眼には︑ドイツ大艦隊の建設は︑内政的にもドイツの   強化に有利なものであった点が注目される︒即ち︑既に一八九五年十二月   の彼の言葉に曰く︑ ﹁海洋に対する一般的関心が推進されねばならない︒   何となれば︑新しい大なる国民的課題の中に︑又これと結付いた経済的利   得の中に︑ 教養ある又教養なき社会民主党に対する︸種の姑息薬が存して   いた︒﹂ ︵国ユ二丁ロ昌σqoギω.紹●︶勿論此の点は改めて論究されねばなら   ない︒註⑳Φ言ΦΩo冨ピ曾N8Φa●OΦ貯ぼNo房・︵切窪︒≦U睾昌昌昏巳αq臣民g﹂wP   閣・9Hト①︶註⑳国ユ昌器鐙昌αq魯・ψH①り一旨O註⑳一九〇四年霊筈曾イギリス海相となり︑翌年からU居09︒O昌︒ロσq夏型を建   造︑同年二月には海軍参議官い①①の︑ ﹁ドイツ艦隊をOobo昌びΩ︒oqΦ昌すべし﹂   なる意気軒昂たる宣言が行われた︒註⑳国訂言晦冨房●ω●①日・

}証

K口Φ嵩ho置U●P国●O鴎・国げユロσq冨ロω・ω・①日●

註⑳冨ヨのω舘一日ω匹.ω・心ωω●海軍問題に関する責任を負うているティルピッツ

   は唯︑ ﹁形式上イギリスに軽率な挑発を与えることなき︑然し乍ら内容上

   譲歩なき︑又本質的緩和なき艦隊建設計画が︑少くともイギリスが実際に

   相互的譲歩に到達するであろう所の時期まで続行さるべきを要求した︒﹂

   ︵口㊤臥①=qU●傷●団●o戸国冨冒αqプOβ◎・・ω●①oo●︶

註⑭UδH自︒Φ儀⑦ω園凶ω涛︒ω・︒畠・幻一︒︒算︒αq︒自︒昌謝Φ︵危険説︑冒険説︶︑国画彫工︒苧

   二日αqΦ口.9HO伊POgH⑩ωなどに見えている︒

註⑳国二昌需毎昌σq①戸ω・HOoo・

D

(10)

ティルピッツの建遡思想について

註⑳一ぴ陣α︒ω・﹈−O①・

註⑳ ﹁政治と思想﹂第六二六一七頁

註⑳同書第五八三頁

註⑳Oh●国ゴユ昌σq冨器ω●oo①・

註⑳︾二涛2ω自︒ヨ目言昌σΩ窪ω9同自︒暮ω魯魯国ユ①鴨自︒暮︒邑津︒冨言︻●ドO凸5

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