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金 解 禁 前 後 の 日 本 資 本 主 義 の 展 開 と 外 国 技 術 の 導 入

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金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

−・

−各 社﹃ 社史

﹄に  み  る

山     本     義     彦

l 問題の所在

Ⅱ 外資導入と外国技術

困 外資導入の概況

㈱ 産業別直接投資と外国技術

Ⅱ 外国技術導入の実態1各社﹃社史﹄にみるttー

側 板ガラス・ソーダ灰工業

Ⅳ むすび

−一九三〇年代﹁高度成長﹂と技術導入1

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

(2)

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

Ⅰ 問題 の所在

一九二〇年代後半の資本主義世界は︑アメリカの〃永遠の繁栄〃を基軸として︑好景気・相対的安定を迎えることがで

きたものの︑二九年にはじまる未曽有の世界経済恐慌を契機に︑これまた当のアメリカを先頭として︑三〇年代末の段階

までついには景気回復をかちとることができぬままに経過した︒この間︑アメリカの今世紀初頭以来の発展とは対照的に

停滞・衰退の色を濃くしつつあったイギリスが世界的な大英帝国ブロックを結成することにより︑その内部的紐帯の強化

につとめ︑これをもって﹁発展﹂の条件を再確保しょうとした︒また︑アメリカは国内的不況を克服する一つの方向とし てラテン・アメリカ諸国との絆をつよめていった︒こうした状況の中で︑ク持たざる国〃ドイツは政治的にナチズム化を

達成し︑東南欧支配の志向を強化することにより︑自国の重化学工業製品のこれら地域への強制的な販売と同地域からの農

産物の収奪強行をすすめ︑他方︑ア︑ジアでは日本が一九三一年九月一八日の満州侵略を始点とする中国大陸奪取の念願を

公然と実現することにつとめたのである︒以上のような事態は諸国の工業生産の変化にもよくあらわれているところであ

る︵図−1参照︶︒.日本資本主義のはあい︑二〇年代の相対的安定を迎えなかったとされるが︑図−1に示されるごとく︑

二〇年代であっても︑他の諸国に比して大きな︵卸売価格指数を考慮にいれても︶発展速度を維持していたことがうかが

われる︒この二〇年代の発展の性格と意義についてはべつの機会に分析することとし︑いま前稿とのかんれんにおいて︑

三〇年代日本資本主義の発展の諸要因分析の作業の一環として︑金解禁前後の外国技術導入の実態をあきらかにしたい︒

というのは前稿で︑わたくしは三〇年代に特有の﹁為替ダンピング﹂と﹁経済の軍事化・インフレーション﹂に発展要因

をもとめようとする従来の通説的見解については︑なお再検討する余地があり︑むしろ︑三〇年代の前提をなす二〇年代

︵後半︶ の大企業を中心とする新鋭機械設備導入を含む産業合理化の過程に注目すべきこと︑この合理化における技術革

(3)

新の︑つの大きな要素として︑外国技術の導入があるこ

とを指摘したからである︒

さて︑わが国への技術導入について︑あらかじめつぎ

の点は確認しておかねばならない︒それは︑第一に︑わ

が国は︑後進資本主義国でありながら︑イギリス︑アメ

リカなど一級帝国主義諸国と対抗する一勢力にまで経済

的・政治的発展を達成した︑という点ではドイツとも共

通してはいるものの︑技術発展への貢献︵機械・化学工

業︶とか︑国際カルテル結成の一要素となるほど強力な

大企業を成立させていたこととかでは︑ドイツにおよぶ 力をもっていたわけではないことである︒第二に︑一面

ではすでに開発された技術を導入すればよいという点か

ら︑一産業部門が一挙に新鋭技術・設備を導入して利用

することにより先進国をうわまる生産の発展を達成しえ

たのであるが︑他面︑このことは絶えず先進技術をいく

らかのタイム・ラグをもって導入することに追われ︑基本

技術の開発という点ではついに本格的にとりくまれえな

1 1

1 2

かったことである︒この点は︑重工業原料資源の欠乏︑

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

輌糖u鍔ば競n亨謎競漕り競需葺精Sら当1929年=100に換算

(4)

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

実現さるべき市場の狭随性とならんで︑戦前期日本資本主義の一大障害としての意味をもつ問題である︒イギリス︑アメ

リカとの直接対決を可能な限りおくらせながら︑原料資源の獲得をめざして中国北部の支配を中心に侵略を展開していっ

た日本支配層のビヘイビアとこれに対するアメリカ側の姿勢︵日米戦争接近感の欠如︶とは︑以上の日本経済の障害に照

らせば︑理解しうるところであろう︒

このような理解を前提として︑本稿では︑まず外資導入︵その一部が技術導入の基礎をなす︶の一般的状況をあきらか

にし︑その中における一九二〇年代の地位を検出する︒ついで外国技術がどのような姿をとって個別企業に導入されてい

ったか︑その実態をあきらかにして︑さいごに外国技術導入が一九三〇年代の日本資本主義の不均等な高度﹁成長﹂にど

のような意義をもつものであったかについて考察する︒

︵1︶ この相対的安定の金融的支柱はアメリカの借款であった︒﹁米国資本がかくも多量にヨーロッパへ投下されたのは︑単に関係借入

国のみならず︑全世界にとって︑それが大なる利益をもたらすだろうという︑一般的な意見の一致の結果であった︒ドーズ案公債そ

のものも︑ドイツ政府のアメリカ金融業者への懇請だけでなく︑連合各国政府首脳の通牒があって後行われたのである﹂︵TheROya−

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︵2︶ 大英帝国ブロックは︑オックワ会議にもとづく特恵関税制度︵一九三二年︶をもって成立したが︑これは﹁市場独占によって国内

生産力を一時発展せしむるに成功した﹂ ︵昭利研究会﹃ブロック経済に関する研究﹄一九三九年︑一〇三ページ︶とはいえ︑世界貿

易におけるイギリスの地位の向上をともなうほど積極的意味をもちうるものではなかったと考えられる︒もちろん︑ブロック経済化

とは本来︑既得録域内の経済的﹁自給自足﹂関係維持策であるから︑こうした事態もそのかぎりでは必然的であったといえよう︒こ

れに対して︑日本などのように既得鶴城をこえて先発帝国主義諸国の既得権益にたいする攻撃的なブロックを形成してゆこうとする

国にとってブロック化は︑積極的な経済拡大の役割を果たしたのである︒

3

(5)

へ4︶ この期の政治過程の分析については︑さしあたり歴史学研究会編﹃太平洋戦争史﹄第二巻︑一九七二年参照︒

︵5︶ 拙稿﹁金解禁前後における日本資本主義の展開 − 為替相場低落と産業合理化の意義−−﹂ ︵大阪市立大学︑経済学雑誌︑第六八

︵6︶ 前掲拙稿の公表いこ︑一九三〇年代に日本の貿易が伸張した要因は為替ダンピング政策にあるという通説的見解に対して︑そのよ

うな事態の実在は疑がわしいとする見解があらわれている︵林健久・山崎広明・柴垣和夫﹃日本資本主義﹄︹宇野私蔵監修︑講座﹃帝 国主義の研究﹄第六巻︺一九七三年︑三一六ページ以下︶︒政策としての為替ダンピングの存否︵林氏たち三氏︶とか︑またあたかも

日本資本主義にのみ固有であったかの位置づげを与えられてきた為替ダンピング︵通説︶︑というよりむしろ︑一九三〇年代の諸列

強の為替切り下げ競争下における日本経済の展開という位置づけが重要であろう︒この視点こそ︑三〇年代の諸列強のブロック化と

角逐=抗争の関連が正しく把握されるように思われる︒問題はまた︑為替ダンピング競争を一支柱としつつ発展した前提条件をなに

に求むべきか︑として提示されねばならない︒

なお林氏たちの前掲書が︑通説を批判されるのはつぎのような意図に根ざしているものと思われる︒すなわち︑氏たちによれば︑

二〇年代日本資本主義の停滞︵不況︶の様相の条件は︑当年代における賃金上昇であり︑三〇年代﹁成長﹂の条件は︑世界恐慌と人

絹製造の発展による日本宿業の不振が農村における相対的過剰人口を創出し︑それによって賃金が低下したことである︒この点︑み

られるように賃金上昇を恐慌の根拠とする宇野私蔵氏の﹃恐慌論﹄ ︵一九五三年︶にもとづいて考えられたものであろう︒わたくし

は︑低賃金構造を日本資本主義の発展にとっての基板的意義にとらえる通説が妥当性をもつものと考えるが︑その点ばかりではなく︑二〇年代の﹁停滞﹂的様相の原因を賃金上昇にもとめることは︑行論︵Ⅳ参照︶で明らかにするように︑一九二〇年代の日本経済の

歴史的位置を消極的に評価したものと考える︒︵フ︶ 日本資本主義における外国技術導入の意義については︑野呂栄太郎によって﹁一方における巨大な労働力と他方における集中され

た資本とを︑先進資本主義国の高度に発達せる生産手段の輸入によるその技術的基礎のうえに結合することによって︑急速にして著

大なる発達をとげえた﹂として把握されていたところである︵野呂﹁日本資本主義現段階の諸矛盾﹂一九三〇年︹﹃野呂栄太郎全集﹄

︵8︶ ドイツ産業が役割を果した国際カルテルは︑レール・スチール︑亜鉛︑人柄︑カリ︑染料などをあげることができる︒

︵9︶  ﹁独占利潤の獲得よりも︑技術的金融的目的に基いて設立﹂されたといわれる︵有沢広巳﹃カルテル・トラスト・コンツェルン﹄

上︑一九三一年︑二六一ページ︶︑Ⅰ・G・ファルベン ︵一九二五年二一月︶は︑イギリス化学工業界の集中をひきおこした︵一九

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

(6)

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入六

二六年︑ICIの成立︶︒なおこのドイツの国際的役割はその地理上の位置︵=中部ヨーロッパ︶によっても条件づけられた︒

︵10︶前掲拙稿︑Ⅱ章恩首︵3︶︑︵前掲誌︑二九ページ︶参照︒

︵11︶基本技術開発のおくれをもっとも端的に示すものは︑工作機械工業にみいだされる︒その輸入依存度は︑大正八年六二%強︑昭和

三年三七・八%であり︑満州侵略開始の階和六年でさえ四五・一%にも及んだ︵森喜一﹃日本労働者階級状態史﹄一九六一年︑三二

六ページ︶︒日本独自の混紡技術が紡績業の発展をもたらしたといわれるが︑その技術なるものもじつは基本技術の開発とはほど遠く︑

不衛生きわまりないものであった点については︑中村静治﹃戦後日本経済と技術発展﹄一九六八年︑二三六ページ参照︒

︵崇この点こそは﹁日本工業の構成的欠陥の原因の一つ﹂︵慶応義塾大学日本経済事情研究会編﹃日本戦時経済論﹄一九三四年︑ハ

四ページ︶と叫ばれたものであるが︑ここに重要原料品の輸入依存度︵国内生産額と輸入額の和に対する輸入額の割合︶をみておく

と︑昭和九年段階で︑原油及重油︑リン鉱石︑実根及練柏︑羊毛︑ゴム及樹脂がほぼ一〇〇%︑パルプ七二六%︑銑鉄五八・二%︑

その他金属四五・八%︑石炭一六・二%︑というありさまであった︵高橋亀吉﹃日本工業発展諭﹄一九三六年︑三〇四ページの表︶︒

︵崇当時︑一中国人はつぎのようにのべている︒﹁日本の比の如く不足せる鉄︑石炭其の他の諸原料品の補充は折も如何なる地方より

供給せらるるのであるか?勿論その大部分は東三省からである︒東三省こそは実に日本の原料場であり︑従って日本資本主義存在

の根幹を為しているところの所謂生命線である︒一方我が中国本土は日本の市場であるが︑東三省は実に市場にして又原料場を兼ね

ている︒我が満蒙が日本帝国主義者にとって特別重大意義を有している所以も亦実に此の点に存するのである﹂︵許興凱﹃満州経済

と日本帝国主義﹄松浦珪三訳︑一九三五年︑四三三ページ︶︒

︵崇三〇年代のローズグェルト大統領は対日戦争の意図をもっていず︑かれが圧倒的な国民の支持をとりつけた理由の第一は︑その恐

慌脱出=lニーディール政策であり︑じじつかれは二選目の選挙演説でも︑国民に戦争の心配はないと訴えている︒またアメリカ外

交政策の基本は︑日本が満州を支配したとしても︑米・英の権益の多い支那本部への日本の浸透がないことをねがうところにあった

といわれる︵N・A・グレイブナー﹁大統領と対日政策﹂︹細谷・斉藤・今井・蝋山編﹃日米関係史−開戦に至る一〇年二九三一

−四一年︶﹄第一巻︑一九七一年所収︺︶︒むろん︑日本支配層は英・米との対決を一切回避しっづけることを使命としたわけでは

ない︒一九三四年のワシントン条約靡粟に至るロンドン条約批准直後以来の海軍戦備補充計画の実施により︑三三年末には日本の総

合兵力比は対米八割に近づきつつあった︵麻田貞雄﹁日本海軍と対米政策および戦略﹂︹前掲﹃日米関係史﹄第二巻︑一九七一年︑

所収︺︶という事実に知られるように︑英・米との対決に備える行動は休みなく続けていたのである︒

(7)

Ⅱ 外資導入と外国技術

この章では︑わたくしは︑まず外資導入の概況をあきらかにする︒その中で︑外資導入の年次統計とその推移およびわ

が国への直接投資の伸張度合を示し︑とくにその一九二〇年代末の飛躍性を確認する︒ついで︑産業分野別直接投資の実数

と外国技術の導入とのかんれんを示す︒またそのさい国別にみた直接投資の実情を調べることによって︑日本資本主義発

展の対外依存性の実態の技術面における反映をみることとする︒わたくしが︑本章で︑外国資本の直接投資を︑技術導入

と結びつけて考察するのは前掲拙稿ですでに示しておいたように︑日本に投下された外資の九九%が技術導入にからんだ

︵ 1

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日本興業銀行外事部﹃外国会社の本邦投資﹄︵一九四八年︶を参考とした︒また日本資本主義の外資導入問題というかたちでは︑こ

れまでも葦の研究で扱われているが︑それらの多くの警は外債導入の問題に焦点があてられてきた︒民間企業における技術導入

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︺︶︑内田実﹁大正・昭和期の化学工業における技術導入と自主開発−由際技術移転過程としてみた企業行動−﹂︵経営史学︑第

七巻第一号︹一九七二年五月︺︶などがある︒このうち︑石崎論文および藤原論文の資料典拠は多くさきに示した諸文献に負ってい

る︒また三氏の問題意識と本稿とは必らずしも一致してはいない︒

A 外資導入の概況

まず外資輸入現在高を奪図12をみょう︒この図によって外資輸入現在高の合計︵㊥︶についてみると︑金解禁が実施

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

(8)

図2 外資輸入現在高

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凡例①海外募集国債

②海外流出内国債(見込)

(卦海外募集地方債

④海外募集社債

⑤外人の内地銀行会社放 資(見込)

⑥合 計

出所 日本貿易精覧 百万円

10

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

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された昭和五年にピークをむかえており︵二四億六六百万円︶︑これはその前のピーク時︵大正三年=一五億五千万円︶に比

べて約九億二千万円うわまっている︒この変化に対して︑海外募集国債︵①︶の現在高は一三億円から一六億円を占め︑全

体の七割に達している︒これは︑国家財源の恒常的な海外依存性を示したものとして︑従来注目されてきたところである︒一

金解禁政策実施の要因として︑一方では金融恐慌により金融資本の手もとに集積された遊資処分の要求とならんで︑他方で

はより深刻な課題として当時外債借替問題が存在した︵金解禁実施時期に外債契約期限が切れるものがあるので︑その借

入条件を変更して外債を継続するには︑外国から金解禁実施が要求された︶ところに︑もとめられてきたのも︑まさにこ

の性格を反映してのことである︒この海外募集国債に︑変化の著しい海外流出内国債︵見込︶︵㊥︶を加えるなら︑後者は

少額とはいえ︑この依存性が強く刻印されることとなる︒またきわだった変化を示しているのが海外募集社債︵④︶であり︑

大正九・一〇・二年に大きくおちこんだのち︑上昇を記録した︒それは︑大正二−八年が一・七億円台の停滞状態であっ

たのに対して︑昭和三年には四・八億円にも達しょうとしている︒海外募集社債の大半は電燈・電力・ガス事業によるも

のであるが︑とくに大正末期に電力五社の競争が激化する過程で︑この社債が急増したのである︒

これらの動きに対して︑地方債の海外募集︵④︶と︑外人の内地銀行会社放資︵見込︶︵㊥︶とは︑ともに大正一四年を転期と

して大幅な増加を遂げている︒地方債の急増の意味は関東大震災による東京・横浜の経済的打撃のカバーにあてられた点

にある︒外人の内地銀行会社放資︵見込︶の増加ぶりは目覚ましく︑大正一四年までの大正年間は一貫して二千万円台で

あった︵九年に三千万円を記録したものの︶が︑昭和一︵一九二六︶年には一挙に七千万円増︑四・五倍の上昇を示し︑いご

三年の一億一四百万円まで上昇をつづけたのであり︑さらにそのごは増減なしに推移したことからみて︑技術導入をとも

ないうる外資導入は基本的に昭和初頭までに完了したとみられる︒

つぎに逐年の導入の状況を示す表1をみることにしよう︒この裏では︑大正元−二年は省いてある︒それは︑この時

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

(10)

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

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期では外資導入がほとんど皆無に近く︑あってもごくまれでしかも少額にとどまっているからである︒この裏によっても 外債︑社債比重の大いさと直接投資︵株式売渡等︶ の比重の低さが明瞭に見て取られる︒とはいっても︑直接投資は昭和

四年に二一・二%とか九年には五一・〇%というふうに高位に達している︒また株式売渡等は四年の場合︑総計では前年

(11)

の五八・二%に減少しているにもかかわらず︑二・八倍に増加しており︑九年の場合︑総計では前年の七八・一%に減少

しながらも三・一倍に増大している︒このうち︑四年については︑金解禁前の技術導入とのかかわりを指摘しうるだろう︒

このように直接投資はがいして相対的に低い地位を示したが︑これを他の諸項目とあわせて指数変化において比較すると︑

図−3のようになる︒この図によると︑直接投資=株式売渡等が銀行会社借入金や社債募集とは明白に異なった動きを示

図−3 外国人本邦放資の変化(大正i2年=100)

凡 例

(9外国人本邦放資計

(参本邦社債募集

(卦本邦銀行会社 借入金(好誓言)

(彰本邦株式売渡等

出所 金融事項参考書 により計算

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金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

(12)

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入      二一

していることがわかる︒すなわち︑直接投資は︑全体として︑他の増加傾向︵ときには大幅な減少傾向も含むが︶をうわ

まわっているのであり︑ことに大正一三年︑昭和四年はこれをきわだたせているのである︒

以上︑外資導入の概況から︑昭和初頭までの直接投資の変化があきらかとなり︑ことに大正末期から昭和三︑四年の時

期に直接投資が急増していることから︑この期の技術導入問題を注目すべき目やすとなっている︒

なおさいごに︑直接︑間接投資の合計について︑外国から輸入されたものと︑外国へ輸出されたものとの金額の変化に

ふれておこう︒大正一年には外国人本邦放資が九七︑五九〇千円で本邦人海外放資の三四︑四四二千円に対して約二・八

表2 日本の資本輸出と外国の対日資本輸出 の利益比較

対外人受取利子及 配当

99.6 1 4

3 5

9   2

19.4

対外人支払利子及 配当

102.7

108.0

108.3

143.7

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2   3  3

1.単位100万円

2・出所 前掲王立国際問題研究所『国際投資の 諸問題』邦訳,395ページ。

三倍の開きをもって優越していたが昭和六年で前者一五二︑六二四千円に後

者三〇三︑一五四千円と︑地位を運転させ︑八年で前者二九︑五五六千円︑

後者二一五︑七七五千円となっている︒これは︑周知のように︑諸国の対支

投資のうち三五・一%を占めた ︵一九三一年現在︶ といわれる日本の中国︑

とくに満州への投資の急増によって生じた事態である︒こうした対外投資の

急増は︑この時期ではレーニンが﹃帝国主義論﹄ ︵第四章︶ に示したような

多額の利潤追求に貢献したか︑という点になると日本の資本主義全体として

はそうではないことが表2に示されている︒この裏によれば︑年を経るにつ

れて︑資本輸出の収益は︑外人の対日投資により持ち去られた収益をはるか

に下回ることとなっている︒しかも満州事変︵三一年︶以来︑対満投資が急

増したことからみて︑この点︑注意さるべきであろう︒

(13)

︵1︶ 国家財源の恒苗的な海外依存性についていうと︑金本位制の維持を目的として︑貿易赤字の継続にともなう正貨の減少を防衛する外資導入の面と︑束アジアにおける帝国主義的角逐に対応して︑資本輸出をせざるをえない状況の中で︑その資金を海外にもとめた 面とに示される︵日本興業銀行設立の意味︶︒以上の点について︑井上晴丸・宇佐美誠次郎﹃危機における日本資本主義の構造﹄二

︵2︶ 具体的には︑日本の新規外債発行にさいして︑アメリカ国務省などが金本位制︵正しくは金見換制︶回復を条件としたところに示

される︒拙稿﹁金解禁の政策史的意義−当時の論説の分析を通じて1﹂ ︵経済学雑誌︑第六三巻第二号二九七〇年八月号︺︶五九

ページ参照︒なお本稿校正中に公刊された長 幸男﹃昭和恐慌i日本ファシズム前夜1﹄Ⅶ章をあわせて参照のこと︒

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︵6︶ このことは︑中国侵略にともなう資本輸出の一切が経済効果を発揮しえぬものだったということを意味するものではない︒上述の

統計が︑侵略開始当初のものであるところからみて︑いわば将来の利益を﹁開発﹂する準備にあたるものであったと考えられる

B 産業別直接投資と外国技術

前節でみたように︑わが国の外国資本輸入では︑直接投資の比重は︑国債︑社債などの間接投資のそれにくらべて︑

なり低い水準にあったのであるが︑そのことはまたわが国における会社資本のなかでの外国資本の比重も低かったであろ

うことを推測させるに十分である︒こうした事実がそのまま日本資本主義発展における外資導入の意義を示していると断

定することはなお危険である︒まず少なくとも大正末−昭和初頭に直接投資が急増している︑という量的側面での意義を

確認するにとどまるのみならず︑いかなる産業分野で導入が進行したかという質的側面での把握をまたねは︑さきの論点

に直接こたえたことにならないであろう︒そこで産業別︑国別の外国資本分布表︵表3︶をみると︑その点にいくらかの

こたえとなる︒この表によれは︑外資は電気機械と一般機械にきょくどに集中して投下されており︵全体の四五%︶︑そ

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入二二

(14)

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金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入

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(15)

のほか︑綿糸・メリヤス・レコード部門がやや多いものの︑多くの分野に分散して投下されていることが明きらかとな′′

ている︵そうした事実を一根拠として前掲藤原論文では電機産業に対する直接投資の分析が試みられているわけである︒

しかし︑本稿では︑日本資本主義発展における外国技術導入の役割が課題であるので︑そのような方法はとっていない︶︒

前の節ですでに問題としたような外資比重の低さそのものは︑統計時期がやや後年にぞくするが︑表4によっても具体的

に分野別の点までくわしくみることができる︒またさきの表3によって︑国別の外資導入状況をみると︑アメリカが断然

トップで四五%︑ついでイギリス ︵二四%︶

表4 公称資本金にたいする外国総資本の比率(%)

0.003 0.02 0.10 0.04 0.05 0.007 0.04 5.82 0.06

貿   易 取 引 所 倉   庫 金   融 保   険

物品賃貸

周 旋 業

0.27

5 0 0 6

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0.35 0.04 0.04 0.28

食   品

ダス・水道

電   気 そ の 他

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昭和16年末日本興業銀行調べ

日本興業銀行外事部『外国会社の本邦投資』昭 和23年,39−42ページ

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よび機械器具の比重が高いことは︑全般的傾向を反映するものである︒みら

れるように︑対日直接投資は︑金額でみてきわめて微量だったといわざるを

えないが︑他面その微量であったことの意味を考えれば︑まず第一に日本の

産業企業は︑多量の外国資金を利用することによって発展を遂げたのではな

かったということがわかる︒むろん︑一九二〇年代といえば︑アメリカをはじ めとする諸国の資本が︑アジア︑とくに日本に向けられたのではなく︑ヨー

ロッパ︑とくにドイツの復興援助に向けられていたという情勢を無視できな

いところである︒また電力などでは︑この点︑外国資金を社債として利用し

たのであるから︑他の産業分野とはことなっていることも見逃がすことはで

きないであろう︒第二に︑直接投資が微量であったにもかかわらず︑重要な

産業分野のすべてにほぼゆきわたっていた︑というところにその特徴がみと

められるのであって︑技術導入の対価として株式が譲渡されたであろうこと︑

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入一五

(16)

金解禁前後の日本資本主義の展開と外国技術の導入       一六

しかもそれがほほあらゆる重要な分野にわたっているところから︑その深刻さを推測することができるのである︒

Ⅱ 外国技術導入の実態

1各社﹃社史﹄ に み る1

前の章でわたくしは︑わが国への外資の直接投資が微量ではあるが︑ほぼすべての重要な産業分野に広がっていたこと︑

また一九二〇年代末期にその一つのピークを記録していることを示した︒外務省の前掲資料﹃日本に於ける外国資本﹄が

明きらかにしたように︑わが国への外資の直接投資のほとんどすべてが技術導入にからむものであったことから︑以上の事

実は日本のほとんどすべての重要な産業分野に外国技術が導入されていたことを裏書きするものとなる︒さらにまた直接

投資の一つのピークが二〇年代末期であったという事実にかんして︑つぎのような点が留意されるべきであろう︒すなわ

ち︑日本の重化学工業化の端緒は第一次大戦期︑欧米諸国からの重化学工業製品の輸入の途絶による国内需要と︑これら

諸国からのわが国への軍需調達要請によってもたらされたものであった︒ところがこの端緒的重化学工業は︑大戦後のヨ

ーロッパ諸国の復興と国際的な諸カルテルやトラストの再編・形成による日本国内への再進出をつうじて︑そのごの発展

の条件を獲得するに必らずしも容易ではなかった︒二〇年代の重化学工業の不振および大戦後の急没落とはそれを重要な

要因の一つとしていたのである︒こうした諸条件のもとでの日本重化学工業の対応策はなにであったか︒第一に︑欧米諸

国の製品の輸入を防ぐための関税政策︒これにより国内市場における欧米資本の圧迫を排除しようとした︒第二に︑個別

産業に対する重点的な補助金政策−たとえば染料︑造船︑自動車など軍事的必要に対応する補助金政策があげられよう︒

第三に︑積極的に国際的エフストと結合して︑その技術を導入することによって︑発展基盤を琴得する方策︒このはあい

は︑一面で国際的トラスト相互の対立関係を国内にもちこんだり︑ぎゃくに国際カルテルの網の目をくぐり抜けて︵たと

参照

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