皇 室 典 範 の 草 案 審 議 と 改 正 試 案
︱ ︱ 象 徴 天 皇
〝 高 齢 譲 位 〟 問 題 を 中 心 に
︱ ︱
所
功
はじ めに
︱︱ 問題 の所 在︱
︱ 現行
の皇 室典 範は
︑昭 和二 十二 年 (一 九四 七) 一月 十六 日に 公布 され た︒ その 付則 に﹁ この 法﹅ 律﹅ は︑ 日本 国憲 法施 行 の日 (五 月三 日) から
︑こ れを 施行 する
﹂と あり
︑以 来七 十年
︑一 度も 改正 され るこ とな く現 在に 至っ てい る︒ これ は確 かに 法律 であ る︒ ただ
︑日 本国 憲法 の第 一章
﹁天 皇﹂ 第二 条に
﹁皇 位は
︑世 襲の もの であ って
︑国﹅ 会﹅ の﹅ 議﹅ 決﹅ し﹅ た﹅ 皇﹅ 室﹅ 典﹅ 範﹅ の定 める とこ ろに より
︑こ れを 継承 する
﹂と 特記 され る︒ また 名称 も明 治二 十二 年 (一 八八 九) 制定 のそ れ (帝 国憲 法と 並ぶ 根本 規範 )を 受け 継い だ格 別な 法律 とみ なさ れて いる
︒ その 草案 は︑ 前年 (昭 和二 十一 年) 八月 中に 纏め られ
︑十 二月 まで に審 議を 終え てい るの で︑ 十分 検討 でき ない まま
23 (428)
結論 を急 いだ 感を 否め ない
︒ま して 当時 ほと んど 予測 でき なか った 変化 が︑ 皇室 にお いて も一 般社 会で も生 じて いる 七 十年 後の 今日
︑主 要な 規定 が現 実と 齟齬 をき たし
︑将 来ま すま す維 持困 難な 状況 にあ る︒ そこ で︑ 十余 年前 (平 成十 七年 を中 心に 一年 半近 く)
︑内 閣に
﹁皇 室典 範改 正準 備室
﹂が 設け られ
︑多 様な 資料 を収 集し て検 討を 加え
︑有 識者 会議 で専 門家 など から 広く 意見 を聴 き︑
﹁報 告書()1
﹂を 纏め たこ とが ある
︒ それ は当 時︑ 典範 第一 条の 定め る﹁ 皇統 に属 する 男系 の男 子﹂ とし て︑ 四十 五歳 の皇 太子 殿下 と四 十歳 にな る秋 篠宮 殿下 より も若 い該 当者 が皆 無で あっ た︒ だか ら︑ それ を改 正し て︑ 皇族 女子 の皇 位継 承 (女 性天 皇) もそ の子 孫男 女に よる 皇位 継承 (女 系天 皇) も︑
﹁長 系長 子優 先﹂ で公 認す る方 針が 打ち 出さ れた
︒し かし なが ら︑ その 法案 は︑ 提出 す る直 前︑ 秋篠 宮妃 殿下 の懐 妊が 判明 した ので 凍結 され
︑悠 仁親 王の 誕生 によ り廃 棄さ れて しま った
︒ けれ ども
︑そ れで 問題 が解 決さ れた わけ では ない
︒順 調に 推移 すれ ば︑ 三代 先ま で男 系男 子に よる 皇位 継承 は可 能と なろ う︒ しか し︑ その 先に 万一 男子 が得 られ なけ れば
︑皇 位継 承者 は不 在と なり
︑憲 法上 の象 徴世 襲天 皇制 度は
︑有 名 無実 とな らざ るを えな い︒ また
︑現 在七 名お られ る皇 族女 子は
︑一 般男 子と 結婚 して 皇籍 を離 れた ら︑ その 宮家 すら 継 げる 者が なく なり
︑消 滅し てし まう ほか ない
︒従 って
︑当 面こ の点 だけ でも 早急 に改 正す る必 要が あろ う()2
︒ とこ ろが
︑そ れ以 上に 重大 な喫 緊の 課題 を︑ 他な らぬ 今上 陛下 みず から 提起 され た︒ 今夏 平成 二十 八年 (二
〇一 六) 七月 十三 日︑ NH のK 第一 報に より 知ら され た﹁ 生前 退位 のご 意向
﹂で あり
︑八 月八 日︑ それ を裏 付け るた めに 公表 さ れた
﹁お 言葉
﹂で ある()3
︒ いわ ゆる 生前 退位 (譲 位) は︑ 現行 憲法 が禁 止し てい るわ けで はな い︒ しか し︑ 皇室 典範 には 終身 在位 の規 定し かな いか ら︑ 直ち に実 行す るこ とが 難し い︒ では
︑ど うす れば よい のか
︒ま た︑ それ に続 いて どん なこ とを する 必要 があ る のか
︒こ の問 題を 考え るた めに
︑ま ず現 行典 範の 草案 審議 から 再検 討し たい
︒
(1 注 ) 平成 十七 年 (二
〇〇 五) 十一 月答 申﹁ 皇室 典範 に関 する 有識 者会 議の 報告 書﹂ (本 文二
〇頁
︑参 考資 料六
〇頁 )︒ その 本文 は拙 著﹃ 皇位 継承 のあ り方
︱︱
「女 性・ 母系 天皇
﹂は 可能 か︱
︱﹄ (平 成十 八年 一月
︑P HP 新書 )に 付載 した
︒ (2 ) 拙稿
﹁﹃ 皇室 典範
﹄の 問題 点と 改正 への 議論
﹂(
﹃産 大法 学﹄ 第四 五巻 三・ 四合 併号
︑平 成二 十四 年一 月) は︑ 前年 七月 の本 学会 法学 研究 会で 発表 した 要旨
︒拙 著﹃ 皇室 典範 と女 性宮 家
︱︱ なぜ 皇族 女子 の宮 家が 必要 か︱
︱﹄ (平 成二 十四 年六 月︑ 勉誠 出版 )な ど参 照︒ (3 ) 前者 につ いて は︑
①拙 稿﹁ 天皇 陛下
〝生 前退 位〟 のご 意向 と実 現へ の展 望﹂ (
﹁n pi po n. co
﹂m 八月 五日 掲載 )︑ ま た後 者に つい ては
︑② 拙稿
﹁〝 象徴 とし ての お務 めに つい ての お言 葉〟 を読 み解 く﹂ (n pi po n. co m 九月 一日 掲載 ) に解 説を 加え た︒
第一 節 皇室 典範 の立 案と 起草 戦後
の皇 室典 範に つい ては
︑制 定過 程に 関す る詳 細な 資料 集成 が刊 行さ れて おり
︑ま た精 緻な 研究 も少 なか らず 発表 され てい る()4
︒本 稿で は︑ それ らを 参考 にし なが ら︑ まず 典範 草案 が作 られ るま での 経緯 を概 観し
︑つ いで 草案 を審 議し た帝 国議 会に おけ る主 要な 論点 のう ち︑ 特に
〝退 位〟 問題 の論 議を 検討 する
︒ 前述 のご とく
︑明 治以 来の (旧 )皇 室典 範は
︑帝 国憲 法と 対等 の〝 皇室 の家 法〟 とし て制 定さ れた
︒し かし
︑戦 後の (新 )皇 室典 範は
︑昭 和二 十一 年二 月︑ マッ カー サー 原則 に基 づく 英文 の憲 法草 案を 日本 政府 に提 示し たG HQ から
︑民 政局 長ホ イッ トニ ーに より
﹁皇 室典 範は 国民 の代 表者 によ って 承認 され なけ れば 効力 を生 じな いも の (法 律) とす る﹂ よう 命じ られ
︑結 局四 月六 日︑ 憲法 草案 の第 二条 に﹁ 国会 の制 定す る皇 室典 範﹂ と明 示せ ざる をえ なく なっ たの であ る()5
︒
25 (426)
そこ で︑ 法律 とし ての 新皇 室典 範は
︑同 年六 月か ら﹁ 臨時 法制 調査 会﹂ (会 長吉 田茂 総理 大臣 )の 第一 部会 (部 会長 金森 徳次 郎国 務大 臣) にお いて 立案 され た︒ その 際︑
㋐﹁ 女帝 を認 める かど うか
﹂︑ また
㋺﹁ 退位 に関 する 規定 を置 く かど うか
︑な どが 主な 問題 にな って いる
︒ この うち
︑㋐ に関 して は︑ 憲法 案の 第二 条で
﹁皇 位は 世襲
﹂と する こと を︑ 第十 四条 で定 める
〝法 の下 の平 等〟 に対 する 例外 をな すも のと みな した 上で
︑﹁ 歴史 的に 女帝 の例 はあ るが
⁝⁝
⁝一 時の 摂位 に過 ぎな い﹂ こと
︑皇 位継 承資 格 を有 する 者は
﹁国 民の 一部
﹂と みら れる から
﹁長 幼・ 男女 の区 別を 設け ても 不合 理で はな い﹂ こと
︑﹁ 女系 女子 の天 皇 は現 在 (昭 和二 十一 年当 時) の国 民感 情に 必ず しも 適合 しな い﹂ こと
︑﹁ 日本 に皇 配 (プ リン ス・ コン ソー ト) 族と 呼 び得 るよ うな 特殊 な家 柄 (華 族制 度)
⁝⁝ を存 在せ しめ るこ とは 不適 当で ある
﹂こ とな どを 主な 理由 にし て︑
﹁女 帝を 認め ない
﹂と いう 結論 に達 して いる (注 4e 一一
~一 二頁 )︒ しか し︑ 委員 の中 には 異る 意見 の人 も少 くな かっ た︒ たと えば
︑杉 村章 三郎 氏 (東 大教 授・ 行政 法) は﹁ 皇位 継承 は 現行 法 (旧 典範 )の 如く 直系
・男 系・ 長子
・嫡 出子 主義 に従 ふ﹂ とし ても
︑﹁ 配偶 者な き内 親王 及び 女王 にも 継承 資格 を認 め︑ 内親 王の 順位 は皇 男孫 の後 とし
︑女 王の 順位 も亦 それ に準 ずる こと
﹂に した らど うか とい う︒ また 宮沢 俊義 氏 (東 大教 授・ 憲法 学) は﹁ 皇位 継承 の資 格﹂ を﹁ 親王 及び 内親 王に 限る
﹂こ とで
﹁女 帝を 認め
﹂﹁ 一般 男子 が皇 族女 子と 婚姻 し︑ その 家に 入る
﹂こ とも
﹁皇 族が 養子 を為 すこ と﹂ も認 めて よい とい う (注 4a 七二
~三
・七 六頁 ) 一方
︑㋺ に関 して は︑
﹁退 位を 認め ると
︑そ れに 対応 して
〝不 就任 の自 由ま で認 めな けれ ばな らな くな り⁝
⁝天 皇制 の存 立基 盤が 揺ら ぐこ とに なる
﹂か ら︑
﹁皇 位継 承の 原因 は天 皇の 崩御 のみ に限 るこ とに 相成 った
﹂と 説明 して いる (注
4e 一五 五・ 九a 一頁 )︒ しか し︑ これ に対 して も︑ 委員 の中 から 異る 意見 が出 てい た︒ たと えば
︑杉 村章 三郎 委員 は﹁ 天皇 発意 に因 る退 位を
認め るこ と︒ 但し この 場合 には
︑国 務大 臣 (内 閣) の助 言或 は承 認を 要す る﹂
﹁退 位後 の天 皇の 身分 は上 皇 (仮 称) と し︑ 皇族 の一 員と なる が︑ 摂政 の資 格な きも のと する
﹂案 を示 して いる
︒ま た宮 沢俊 義委 員も
﹁天 皇は その 志望 によ り 国会 の承 認を 経て 退位 する を認 める
﹂案 を出 して いる (注 4a 七三
・七 六~ 七七 頁)
︒さ らに
﹁法 制局 事務 官A
﹂も
︑
﹁皇 室会 議の 同意
﹂を 条件 とし て﹁ 皇位 を去 るこ とを 認め る﹂ 案を 述べ てい る (注 4e 一四 頁)
︒ こう して 八月 中に 纏め られ た﹁ 皇室 典範 要領 (試 案)
﹂を みる と︑
㋐﹁ 皇位 は︑ 皇統 に属 する 男系 の嫡 出男 子が 継承 する こと とし
︑女 帝・ 女系 及び 庶出 は︑ これ を認 めな いこ と﹂
︑ま た㋺
﹁皇 位継 承の 原因 は崩 御に 限る こと
﹂と なっ た (注
4a 八一
~八 三頁 )︒ これ でG HQ と交 渉し て承 認を とり つけ()6
︑十 月二 十六 日︑ 吉田 首相 (臨 時法 制調 査会 長) に答 申さ れた
︒そ れに 基づ いて 次の よう な﹁ 皇室 典範 試案
﹂が 仕上 げら れた ので ある()7 (注
4a 一二 三・ 一五
〇頁 )︒ 第一 章 皇位 (の ち﹁ 皇位 継承
﹂) 第一 条 皇位 は︑ 皇統 に属 する 男系 の嫡 出男 子 (の ち﹁ 嫡出
﹂の 二字 省略 )が
︑こ れを 継承 する
︒ 第四 条 天皇 が崩 ずる とき は︑ 皇嗣 が直 ちに 皇位 を継 承す る︒ (4 注
) おも な資 料集 成と 参考 文献 を抄 出す れば
︑左 の通 りで ある
︒ a 芦部 信喜
・高 見勝 利両 氏編
﹃皇 室典 範﹇ 昭和 二十 二年
﹈﹄ (平 成二 年九 月︑ 信山 社﹃ 日本 立法 資料 全集
﹄1 )︑ その 第一 部 は高 見氏 の詳 細な 解説 (a
①) b 里見 岸雄 氏﹃ 憲法
・典 範改 正案
﹄( 昭和 三十 三年 五月
︑錦 正社 ) c 同﹃ 天皇 法の 研究
﹄( 同四 十七 年五 月︑ 錦正 社) d 佐藤 功氏
﹁皇 室制 度の はな し (1
~8
・完 )﹂ (昭 和三 十四 年﹃ 時の 法令
﹄三
〇一
~三
〇九 号)
27 (424)