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江戸時代後期の掛香に関する一考察

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(1)

江戸時代後期の掛香に関する一考察

福 田 博 美 *

A S t u d y  on t h e  Kakego i n  t h e  l a t t e r  Edo e r a  

H i r o m i  Fukuda 

要 旨 本稿は,江戸時代後期,町人社会に流行した掛香について,その形態,材質,用途の特色 を,関連の浮世絵 4 2 点の分類および文献資料と照合考察することによって,世相・服装との関連性を明 確にするものである。

慶長~寛永期 (1596~ 1 6 4 4 ) ,掛香は球形の匂袋の左右に紐を付け,首から胸元に掛けて携行する形 態で遊女らにみられた。小袖服飾との関係では,帯幅が広くなると,次第に懐中物が発達し,貞享期 (l 684~88) には懐に納める匂袋へ変わる。天明期(1 781 ~89) に入ると,掛香は紐の両端に匂袋を付 け,首に掛けて袋を両袖に落とす形態で普及し,その様子は寛政~文政期(1 789~ 1 8 3 0 ) の浮世絵に描 写される。また,当時の衣料を代表する緋縮緬の裁端裂を材料とした掛香は,それらを使った服飾と共 に発達し,絞りの生地でも作られた。さらに,抜き衣紋により胸元から背中まで広く抜かれた肌には,

白(襟白粉)と赤(掛香)の対照美が表現され,町人の粋をも表わすものである。そして,男女を問わず身 だしなみとして掛香は携行され,その流行から,町人の生活文化の向上をとらえることができる。

Z

匂袋は,香料の伝来を契機に形成され,正倉 院宝物に遺存される。わが国に香が定着した結 果,平安時代の公家装束に薫物をする習慣が生 じた。一方,薬玉も端午の節句に邪気を払い,

長命を願って掛けた匂袋に始まるのである。

江戸時代に入り,特に後期には,町人の聞に 掛香が流行した。掛香の実物資料が未見のため に,本稿は,その形態,材質,用途の特色につ い て , 関 連 の 浮 世 絵 を 分 類 し 文 献 資 料 と 照 合 考察することによって,世相・服装との関連性 を明確にすることを試みるものである。

第 1 章 江 戸 時 代 前 期 の 掛 香

慶長八年(1 6 0 3 ) 刊行の『日葡辞書』には,

iCaqeg る,カケガゥ(懸香)ある人々がふとこ

*本学講師 日本服装史

(  1 3   ) 

ろに入れて携行する,色々な香料を入れた小さ な 袋 J l 1 と 記 さ れ , 掛 香 の 描 写 は , 慶 長 寛 永 期(1 596~ 1 6 4 4 ) の風俗画にみることができる。

すなわち, ~阿国歌舞伎草紙j]21 の念仏踊をする 女性, ~歌舞伎図巻j] 31 で舞台中央に立つ采女,

そして『桜下弾弦図j] 4 1 の 煙 管 を 手 に す る 遊 女 らの首に下げられた球形の匂袋である。貞享三 年(1 6 8 6 ) ,黒川道佑の著書『潅州府志』巻六 土産門薬品部(香具)には,

又一種有二香嚢ー或謂ニ匂袋一於ニ其方一也有二

花世界兵部卿等之名ー是亦危末香斉j 各有二軽

重多少之差別ー各量レ之市波二合之ー共盛一絹

嚢一雨嚢左右著レ緒繋レ頂懐二其袋一故元稽二掛

香ー今無二其儀ー徒納二之緒懐ー是謂匂袋包

とある。掛香は絹袋の左右に緒を付け, うなじ

につなぎ,その袋を懐にするものであるが,そ

れは貞享以前の形態であり,当時は匂袋といわ

れて懐に納めたものに変っていた。その特徴を

示したものに,貞享二年(1 6 8 5 ) 刊行『女用訓

蒙図嚢』の匂袋が挙げられる 6 1 。そこに記され

た球形・方形の二形状の袋には,首に掛けるた

(2)

文 化 女 子 大 学 研 究 紀 要 第 2 1 集 めの紐はみられない。そして,元禄三年(1 6 9 0 )

松尾芭蕉の連歌には「掛香を小袖のふりに縫ふ くみ J 7 l とあり,小袖の袖丈がしだいに長大化 する頃,掛香は挟に縫い付けられたようであ る。さらに,元禄五年(1 6 9 2 ) 刊行の『女重宝 記』には「かけ香は小そで、のた

L

みたるあはひ に入おき,衣桁など、にかけたるはよし。夏のあ っきころ,かけ香の匂ひはなはだしきは, しょ しんなるものなり。

J8)

と記されることから,汗 を多くかき体臭が気になる夏の対処法として,

薫衣香に替わる簡便な掛香が好まれたので、はな いだろうか。つまり,江戸時代前期の掛香は,

町人の小袖服飾の発達に伴い形成された。初期 の小袖は,身幅が広く,打合せは深いが,帯が 帝国し、ため,懐に物を納めるには不安定で,首に 掛ける必要があったが,その後しだいに帯幅が 広くなり,懐がしっかりしてくると,懐中物へ 変化したのである。

第 2 章 江 戸 時 代 後 期 の 掛 香

かけ香や唖の娘のひと与なり かけ香や何にと三まるせみ衣

9)

と,与謝蕪村の句にあるように,江戸時代も後 期に入ると,掛香は町人に身近なものとなり日 常使用された。それを描いた浮世絵が,現況で は 4 2 点見出され,時代による相違をみるために 年代順に配列したものが表 1 である。当時の文 献資料として,酒落本を主材料に照合考察し,

形態,材質,用途の特色を明らかにしたい。ま た,安永三年(1 7 7 4 ) 刊行の『婦美車紫府』に,

女郎買道具として「肌着は紅類をいむ匂ひ袋は ごめん J

10)

と記されることから,天明期(1 7 8 1

~89) 以前の浮世絵に掛香は見られないようで

ある。

第 1 節 掛 香 の 形 態

江戸時代後期の掛香は,紐の両端に匂袋を付 け,首に掛けて袋を両袖に落としたもので,前 期の形態とは異なる。寛政三年(1 7 9 1)山東京 惇著『仕懸文庫』には「かけ香のひもをむねの

J

所で十文字にとり J l l l とあり,寛政年間(1 7 8 9

~1801) 刊行かとされる関東米著『玉之帳』に

も「ゑりあしの所からゆきのよふなむねへかけ てかけ香の糸ひも十もんじにかけちがひ

J12)

と 記され,胸元で、十文字に交差された着装がみら

れる。このことは,寛政~文政期(1 789~ 1 8 3 0 )   の浮世絵(表 1:  *で表記)に明確であり,袋 を挟に入れて安定させる工夫ともみられる。次 に,匂袋自体をみると No. ①,②は球形で,前 期のものに類似するが, No. ③,⑬,⑬,@は 方形である。それ以外のものは紐の部分でしか 判断できず,後者に属するものと推察される が,紐を次の三点と解釈することも可能であろ う。まず棒の紐,これは No. ⑫で、給仕・料理す る女性にみられ,掛香との二形態が描かれてい る。棒と胸紐を同時に描写した例もみられ,棒 を掛けない場合に肩へ紐を輸にして掛けたこと から掛香と区別されるものと考えられる。次に 扱き帯とも推定されるが,それは前で結び提 げ,首に掛けた記述はみられず,表 1 の小袖帯 では,帯幅が広く,扱き帯は描写されない。そ して,胸守の紐との関連では,図 3 で明らかな ように,その形態は異なり,紐の多くは組組 で,寛政期~文政期 (1789~ 1 8 3 0 ) の掛香とは 二分されるものである。

第 2 節 掛 香 の 材 質

掛香の材質は,天明期の No. ① ③ と 寛 政 文政期の No. ④ ⑫に大別され,前者は細 L 、 組 紐に絹製(錦か)の匂袋(図 1 ) ,後者は共通し て赤い布製の匂袋に共裂の紐が付けられ,中に は絞りの生地でも仕立てられたようである(表 1 :   0 で表記)。それらを明記した文献資料は未 見であるが,当時の衣料との関連から,その材 質は緋縮緬と推察される。それを裏付ける資料 として,緋縮緬の記述を挙げると,明和五年 ( 1 7 6 8 ) 酔郷散人著『吉原大全』に「汗染たれ ど緋ぢりめんの嬬祥j1 3 l と記され,すでに報告 の通り当代を代表する地質の一つに縮緬があ り,緋色は祷祥に多かったのである

14)

。また,

緋縮緬は湯具,ゆもじ,ふんどし,下帯に,幅

広く用いられ,それらの裁ち端の余り裂から掛

香を作ったと考えられる。さらに,三宅也来著

(3)

No  成 年

①  天明 2 ( 1 7 8 2 )  

②  天明 6 ( 1 7 8 6 )  

③  寛政 7 ( 1 7 9 5 )  

④  寛政 7.  8  ( 1 795.6) 

⑤  同

⑥  寛政年間 (1789‑180 1 )

⑦  同

③  向

①  同

⑬  同

⑪  寛政末 享和年間(1 8 0 0 頃)

⑫  享和 2 ( 1 8 0 2 )  

⑬  享和 3 ( 1 8 0 3 )  

⑪  享和年間(1 801‑4)

⑬  同

⑬  同

⑫  同

⑬  同

⑬  同

@  同

@  同

@  同

@  同

@  同

@  同

@  享和 文化 3 ( 1 801‑6) 

⑫  文化 4 ( 1 8 0 7 )  

@  同

@  文化(1 804‑18) 初期

@  同

@  同

@  文化(1 804‑18) 中期

@  同

@  文化年間(1 804‑18)

@  同

@  同

⑨  同

⑬  同

⑮  文化 文政年間 (1804‑3 日 )

@  同

江戸時代後期の掛香に関する一考察 表 1 掛香を描いた浮世絵

浮 世

北 尾 政 演 画 当 世 美 人 色 競 山 下 花

同 遊女はた巻 ( W 吾妻曲狂歌文庫j ) 鳥 文 斎 栄 之 画 若 那 初 衣 裳 兵 庫 や 三 つ 浜 さ 与 の う ら の

⑧ 歌 川 豊 国 画 階 段 を 下 り る 女

O 吉 川 手 輿 函 略 六 玉 川 千 鳥 玉 川

O 歌川 1 豊 春 画 提 灯 も つ 女 鳥高斎栄昌国 めんないちどり

*  喜 多 川 歌 麿 画 更 衣 美 人 図

母 と 娘

⑧  同 江 戸 風 美 人 揃 髪 結 い

四つ手網

教 訓 親 の 目 鑑 浮 気 者

美 人 合 花 角 力 茶 托

三美人図

近 代 七 才 女 詩 歌 井 上 通

酪町の七変人

O 歌 川 豊 国 画 夏 の 富 士 美 人 合

O  同 ー風目場(入浴風景)

O  同 風呂場美人

⑧  同 査

⑧  同 紅

O  同 風 流 七 小 町 略 姿 絵 通 小 町

⑧歌川豊広画 三味線を持つ美人図

両国橋畔の美人

*  喜 多 川 月 麿 画 辰 巳 の 名 取

*  喜 多 川 歌 麿 画 二 葉 草 七 小 町 お き な 小 町

勝川春亭画 江戸前大蒲焼大和田

*  菊 川 英 山 商 両 国 橋 花 火 船

青 楼 名 花 合 せ 鶴 屋 内 篠 原

風 流 名 所 雪 月 花 雪 同 風 流 浮 世 姿 小 野 小 町

同 夕涼み沢辺蛍

⑧  同 新形婦賀川染

同 仇 競 浮 世 絵 姿 比 翼 紋 ニ 蝶 蝶

⑧ 歌 川 豊 国 画 時 世 粧 百 姿 図

O 鳥 居 清 峯 画 東 錦 美 人 合 口紅さ L

O  同 風流五葉松

O 鳥 羽 贋 丸 画 文 書 き 美 人 園

O 歌 ] 1 1 国 安 画 花

六 蛾 撰 大 伴 黒 主 蝉 な く や

(  1 5   ) 

(4)

文化女子大学研究紀要第2 1

No.  成 年 浮 世 絵

@  文化~文政年間 (1804~30) 歌川国政画:隅田川三閉あたり花見船図

⑫  同 ⑧ 北 橋 山 人 画 名妓夏姿と子供花火遊び図

*:掛香の紐が胸元で交差されるもの

0: 掛香に絞りの文様がみられるもの

『 高 金 産 業 袋 』 に 「 縮 緬 ー ・ 切 付 に し て 裁 て 責 J 15 l とあることから,商品化された裁ち端裂 が使われたとも考えられる。寛政年間(1 789~

1 8 0 1)刊行の山旭亭主人著『孔雀そめき』に「二 十両たりねへで嬬半ーツの吾妻おくりて」聞と 記されることから祷祥は町人の衣料として高価 であり,その裁ち端裂は貴重であったと推察さ れ る 。 そ し て , 縮 緬 の 流 行 は 衣 料 ば か り で な く,髪飾りにも普及し,享和二年(1 8 0 2 ) の町 触 に は 「 近 頃 女 子 之 髪 之 飾 に 縮 緬 之 色 切 を 裁 切,又は絞杯致し(戻切を,髪之飾ニ用候様ニ捺 責 出 候 J 1 7 l とある。掛香は髪飾りのように表に 露われることが少ないので禁令にまで至らなか ったのであろうが,縮緬は材料として手に入れ やすかったと思われる。一方,絞りの生地につ いては,天明二年(1 7 8 2 ) 豊川里舟著『登美賀 遠佳』に「しほりちりめんのしゅばんj1 8 l ,寛 政十二年(1 8 0 0 ) 愛干おきなさい著『囲多好髭』

に「下着はひがのこちりめん J 1 9 l とあり,その 技法について同年刊行の『風俗通~ (松風亭如 琴著)では「じゅばんはちりめんのらせんしぼ

り J

20

l と記される。鹿子絞りの一種である羅仙 絞や阿蒲陀絞の記述もみられ,表 l との照合で は,生地の部分が小さいこともあってその判明 は難しいが,鹿子絞りと解るものや花形を文様 と し た も の も み ら れ る 。 そ し て , 寛 政 十 年 ( 1 7 9 8 ) 酒屋橘子著『十界和尚話』に「紅しぼ りのさらしのじゅばんj2 1 l と記され,同十一年 ( 1 7 9 9 ) 若 井 時成著『 粋学問 』に「緋鹿 子の手 拭が五筋ほどたまったばかり J 2 2 l とあることか ら,材質としては縮緬ばかりでなく木綿も使用 されたと考えられる。文政十三年(1 8 3 0 ) 大 蔵 永常著『農稼業事』後編巻之こには,紅染の事 として「晒木綿を色こく染れば緋縮緬に見まが ふごとく見事なるものなり。 J 2 3 l と 記 さ れ , 掛 香の材質に木綿を取り入れることでその普及は 進んだのであろう。

第 3 節 掛 香 の 用 途

明和七年(1 7 7 0 ) 夢中散人寝言先生著『辰巳 之園』には「匂ひ袋のやうなものはな,室町の 桐山三了が所からとりねヱ。 J 2 4 l とあり,天明 八年(1 7 8 8 ) 甘露庵山跡蜂満著『替理善運』に

図 1 天明期の掛香〈表卜①) 襟元には紐が途中まで描かれ,

袖口から出された掛香は,細い 組紐と球形の匂袋から成る。

図 2 享和期の掛香(表ト⑫) 胸元で交差された紐には桜の文 様がみられ,夏の衣であろう薄 地の袖には袋が透けてみえる。

図 3 掛香と胸守(表 1 ‑ ⑩)

風目場の竿に掛けた掛香(右)と

胸守(左)。掛香の形態が明確で

文様は花形である。

(5)

江戸時代後期の掛香に関する一考察 も「ときくやすり屋の徳さんにもらったにほひ

J25)

と,匂袋は薬屋で扱ったようであり,中 に 入 れ た 香 料 と の 関 わ り に よ る も の と 思 わ れ る。掛香の入手も同様であったで、あろう。

明和八年(1 7 7 1)刊行の『ものはくさ』には

「夏の衣には男さへいき

L

かのかけ香ありゃな しににほえるはおくゆかしくもありなん

J26)

と 記され,享和二年(1 8 0 2 ) 森山孝盛著『賎のを だ巻』にも男性の風俗を描写した記述に「夏匂 袋をたしなむ人さへ絶てなし。・・・略・・・夏冬とも に , うすく能程に掛香を曙みたり。

J27)

とあり,

No. ⑬ は 男 性 の 着 装 を 表 わ し て い る 。 す な わ ち,掛香は町人の女性ばかりでなく,男性にも 用いられ,その目的は身だしなみにあったので、

ある

o

天明六年(1 7 8 6 ) 山東京停著『客衆肝照 子」に「どふかわきがが有るさふで。わるくさ ひにほひふくろをかけている。

J28)

とあり,文 化二年(1 8 0 5 ) 陳文閑人著『仇名草青楼日記』

わ き が

には「匂ひ袋に狐臭の悪魔を払ひ

J29)

と記され るように,掛香は肢臭の対処法に用いられると ころから,両方の挟に入れられたことが納得で きる。その詳細は,文化十年(1 8 1 3 ) 刊行の『女 子愛敬都風俗化粧侍』に

O 蔽臭を治す伝一肢臭は...略‑暑気の比おい は,その臭気はなはだしく,これを覆さん と,多くの金銭を費やし,掛香を帯ぶる…

(巻弐・手足之部)

30) 

O 掛 香 の 法 掛 香 は 夏 月 , 汗 臭 き を 去 り , 衣 類の匂いを香しく,なお風情ある曙みのその 一つ也。或は小袖箪笥に入れ置きて,小袖に 香をとむる也。(巻七・身曙之部)

31) 

とあり,当時の町人が自分の身だしなみに関心 を持ち得たところに生活観の変化と生活文化の 向上を知るものである。そして,化粧との関連 では,寛政二年(1 7 9 0 ) 山東京停著『傾城買四 十八手』に「ゑりへばかり白粉をすりこみ,か l まはまだをしろいなし。

J32)

とあり,抜き衣紋 の流行は襟足の美しさを強調するために襟白粉 を普及させ,胸元から背中まで広く抜かれた肌 には,白(白粉)と赤(掛香)の対照美が表現され た。寛政六年(1 7 9 4 ) 確音成著『遊里不調法記』

(  1 7   ) 

に「かけ香は在所の粋と見ゆる也

J33)

と記され るように,町人の粋を表わしたようである。

しかし掛香の流行も文政頃よりしだし、に衰 退し,文政四年(1 8 2 1)翠原子著『楼上三之友』

には「掛香を禁じて歯麿をゆるしたは。

J34)

と 記される。その後,天保八年(1 8 3 7 ) ~春抄据 景英封暖語』に「挟おとしの匂ひ袋j3

5)

とあり,

同十二年(1 8 4 1 ) ~用捨箱』に「誰袖は匂ひ袋 なり。紐をつけて二ツ連ね,今挟落しといふ物 の如くして持し

J36)

と記されることから,校お としの匂袋は首に掛けず紐を背中又は懐中に渡 して,袋を両袖に落したのである。すなわち,

江戸時代末期に流行した挟落しは,掛香の形態 を伝承したものと考えられ,袋物の多様化をと

らえることヵ:で、きる。

結 昌

弘化三年(1 8 4 6 ) 山本京山著『蜘の糸巻』に 鼻紙袋の始として「絹にもあれ木綿にもあれ四 角にぬひく与るべき紐をつけ内には途中用の物 を入れしを鼻紙袋とて妻などに細工させ今の如 く(天明をさしていふ〉鼻紙袋屋といふものな かりし

J37)

と記され,掛香に直接関わる記述で はないが,四角に縫って紐を付ける形態は基本 的に類似しており,細工物が商品化された過程 も 掛 香 と 関 連 し 合 う よ う で あ る 。 寛 政 六 年 ( 1 7 9 4 )   ,大阪の遊里風俗を描いた『虚賓柳巷方 言』には当時の流行として「汐せの袋物

J38)

を 挙げ,京都‑大阪から江戸へ袋物の流通が発達 し,袋物商,小間物商が確立した。掛香もそう した背景から薬種商との関わりをもって普及し たのであろう。

本論を要約すると,江戸時代後期の小袖服飾 との関連では,袖丈・帯幅の長大から,掛香 は,首に掛けて両袖に納められ,当時の衣料を 代表する緋縮緬の裁端裂を用いたことで,その 普及は促進された。そして,掛香を身だしなみ として携帯した背景から,町人の生活文化の向 上をとらえることができる。

終りに御懇篤なる御指導を賜った本学名誉教

(6)

文 化 女 子 大 学 研 究 紀 要 第 集 授,遠藤武先生,本学助教授,佐藤泰子先生に p .  2 7 9   1 9 8 1  

深く感謝の意を表します。 1 9 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 1 8 巻

1)土井忠生・森田武長南実編訳邦訳日葡辞書 p.94  岩波書庖 1 9 8 0  

2 ) 大和文華館蔵 3 ) 徳川察明会蔵 4 ) 出光美術館蔵

5 ) 国 書 刊 行 舎 編 纂 績 々 群 書 類 従 第 八 地 理 部 p .  1 6 6   続群書類従完成会 1 9 7 8  

6 ) 田中ちた子 田中初夫共編 家政学文献集成く続 編〉第九冊江戸期四所収 p.41 渡辺書庖 1 9 7 0   7 ) 宮 本 三 郎 校 注 校 本 芭 蕪 全 集 第 4 巻 連 句 編

3 1   角川書庖 1 9 6 4  

8 ) 田 中 ち た 子 ・ 田 中 初 夫 共 編 家 政 学 文 献 集 成 第三冊江戸期 E 所収 p.217 , 8  渡辺書庖 1 9 7 1   9 ) 日本古典文学大系 58 蕪村集一茶集 p .105 

岩波書庖 1 9 6 5  

1 0 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 6 巻 p .   1 4 9   中央公論社 1 9 7 9  

1 1 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 1 6 巻 p.24  1 9 8 2  

1 2 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 1 9 巻 p .  2 2 9   J983 

1 3 ) 蘇 武 緑 郎 編 輯 花 街 風 俗 叢 書 第 1 巻 江 戸 遊 里風俗篇 p .  1 3 7   大鳳関書房 1 9 3 1  

1 4 ) 服 装 文 化 協 会 編 服 装 文 化 No.163 佐藤泰 子「江戸時代後期の染織 J p .   41~47 文化出版 局 1 9 7 9

1 5 ) 日 本 経 済 叢 書 刊 行 曾 編 纂 通 俗 経 済 文 庫 第 十 二巻 p .  1 4 8   日本経済叢書刊行曾 1 9 1 7   1 6 ) 前掲書 1 2 ) p .  2 4 6  

1 7 ) 高 柳 員 三 ・ 石 井 良 助 編 御 鰯 書 天 保 集 成 下 p.441  岩波書庖 1 9 5 8  

1 8 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 1 1 巻

p .  3 0 7   1 9 8 3   2 0 ) 前掲書 1 2 ) p .  2 9  

2 1)酒落本大成編集委員会編酒落本大成第 1 7 巻 p .   1 8 8   1 9 8 2  

2 2 ) 同書 p.312 

23) 後 藤 捷 一 山 川 隆 平 共 編 染 料 植 物 譜 p . 8 3 4   民芸織物図鑑刊行会はくおう社 1 9 7 2   24) 日 本 古 典 文 学 大 系 59 黄 表 紙 酒 落 本 集 p .

3 0 8   岩波書庖 1 9 7 4  

2 5 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 1 4 巻 p .   1 0 2   1 9 8 1  

2 6 ) 酒 溶 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 補 巻 p .  4 0   1 9 8 8  

2 7 ) 日本随筆大成編輯部編 日 本 随 筆 大 成 第 三 期 4 p .  2 3 6   古川弘文館 1 9 7 7  

2 8 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 1 3 巻 p .  2 1 2   1 9 8 1  

2 9 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 2 3 巻 p .  2 4 5   1 9 8 5  

3 0 ) 東洋文庫 4 1 4 p .   1 1 4   平凡社 1 9 8 2   3 1)同書 p .  2 4 7  

3 2 ) 前掲書 2 4 ) p.409  3 3 ) 前掲書 1 1 ) p .  1 5 4  

3 4 ) 酒 落 本 大 成 編 集 委 員 会 編 酒 落 本 大 成 第 2 6 巻 p .   3 4 0   1 9 8 6  

3 5 ) 日本名著全集刊行舎編輯発行 日本名著全集 第 一 期 出 版 江 戸 文 義 之 部 第 十 五 巻 人 情 本 集 p .  4 9 8   1 9 2 8  

3 6 ) 日本随筆大成編輯部編 日 本 随 筆 大 成 第 一 期 1 3   p .  1 7 2   1 9 7 5  

3 7 ) 蘇 武 緑 郎 編 輯 花 街 風 俗 叢 書 第 2 巻 江 戸 岡 場風俗篇 p.274 

3 8 ) 蘇 武 緑 郎 編 輯 花 街 風 俗 叢 書 第 3 巻 浪 花 遊

里風俗篇 p .  2 2 6  

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