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日本古典文学史

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Academic year: 2021

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(1)

National Institute of Japanese Literature

鮮か字が︑漢字を使葉を記す始まります漢字万葉仮名万葉仮名仮名平仮名︑特平仮名︑平時代和歌発達を︒その後︑日本の

典文学

口承をも

媒介

随筆詩文な︑さ形式きます︒国文学研究資料館︵明治時代初期︶学を書物︵古典︶によたどる︑  日本古典文学史﹂を毎年開催

す︒

本冊子

概要を収録

なじみの深据え︑文学史を示︒さ︑日本古典文学手引きを願す︒

日本 古典

文学 史

書物 見  

History of classical Japanese literature seen from old rare boo ks

(2)

日本史では﹁古 だい﹂という言葉が多く用いられますが︑文学史では︑平安時 代より前を﹁上 じょう だい

と呼ぶのが一般的です︒その始まりは定かではありませんが︑

終わりの線は八世紀末に引かれます︒政治的には国家が統一と制度の完成に向

かった時代であり︑文学との関わりで言えば︑文字を持たなかった日本人が漢

字という文字と出会い︑漢字を使って表現する行為を︑さまざまな形で試みて

いった時代です︒

奈良時代以前の文学

えん りゃく十三年︵七九四︶都が平

へい

あん きょうに遷るまでの︑

主に大

和に都があった時代の文学

︒神

しん

・伝

でん

せつ

よう

・和

・漢

かん

ぶん

・伝

でん

・歴

れき

・地

などにわ

たりますが︑全体の著作数は多くありません︒また︑

内容は古い時代のものを含んでいても

︑現存する もののうち

︑著作としてまとめられたのは

︑いず れも奈良時代

︵七一〇〜七九四︶で

︑国家の体制

の整備を背景に成立したものが目に付きます︒

日本文学史年表

ぶん ごの くに ﹃風土記﹄は和銅六年︵七一三︶に元 げん めい皇が諸国に撰進を命じた地誌で 陸・ はり ・出 いず ・豊 ぶん

・肥 ぜんの五箇国のものが現存︒地理や物産のほか︑地名起源伝承を記録する︒ まん よう しゅう 作品の年代は舒 じょ めい︵六二九〜六四二︶から天平宝字三年︵七五九︶にわたり︑約四五〇〇首を収める何次かの編集段階を経て︑奈良時代の末頃に成立したと考えられている︒

和銅五年︵七一二︶成立︒稗 ひえ だの が伝承していた古代の歴史を︑太 おおのやす安万 が筆録編集したもので︑神代から推 すい 天皇︵在位五九三〜六二九︶までを収めている︒

江戸時代後期写 鎌倉時代写 柘つみのえ枝切ぎれ

寛永21年(1644)刊

 

 

奈良時代    

七一二 ︵太 おおのやす安万 侶︶ 

七一五*播

はり

まの

くに

土記 

七二〇 ほん

しょ

︵舎

とね

しんのう

王ら︶ 

七二一*常

ひたちのくに

陸国風 土記 

七三三 いずものくに

雲国風 土記 

ぶん

ごの

くに

土記

七五一 かいふうそう

風藻 

七五九*万

まんよう

葉集 しゅう 

七七二 きょう ひょう しき

︵藤 ふじわらのはまなり原浜成︶  西暦事 *印は推定︑︵ ︶内は作者

  原則として

︑年紀は成立年を示したが︑近世の一部の書目は刊年を示したものもある︒太字の書目は︑図版掲載書目を示す︒ ※本冊子の掲載資料はすべて国文学研究資料館所蔵です︒

  掲載される資料が実際に展示されているとは限りません︒

(3)

文学史では︑平安時代を﹁中 ちゅう ﹂と呼びます︒都が平安京に遷ってから︑鎌 倉幕府が成立するまでの約四〇〇年間で

︑ほぼ一〇〇年ごとに

︑初期

・中期

後期・末期︵院

いん

せい

︶に分けるのが一般的です︒この時代は︑天皇を中心とす

る貴族階級の人々が文学の主要な担い手でした︒政治のおおよその形

けい

たいにより

天皇親

しんせい

政の初期︑摂

せっ

かん

せい

の中期から後期︑院政期に区分して︑文学の変遷を

見てゆきます︒

平安時代初期の文学

かん

天皇の延

えん

りゃく

十三年

七九四︶の平安京遷都 から

︑宇

天皇の寛

かん

ぴょう

年間

︵八八九〜八九八︶頃 までの

︑約一〇〇年間の文学

︒公的な文学として 漢詩文が重んじられ

︑和歌はその陰に隠れた形に なりましたが

︑日常的には和歌が変わらず詠まれ ていました

︒なお

︑新しいジャンルとして

︑物語

と説

せつ

しゅうが現れたことは特筆されます︒

ほん りょう やく の僧景 きょう かいによって弘仁十三年︵八二二︶頃編まれた説話集︒雄 ゆう りゃく天皇から嵯 天皇︵在位八〇九〜八二三︶の時代までの因 いん おうほう

報説話と霊

れいげん

験説話一一六話を︑ほぼ年代順に収める︒ たけとり取物 もの がたり 竹取の翁が竹の中から見つけて育てたかぐや姫が︑美しく成長した後︑貴公子たちの求婚を難題によって退け︑八月十五日に月の世界に帰って行くという伝奇的な物語︒

ぶん しゅう れい しゅう 漢詩文の重視を背景に︑八一〇〜二〇年代に﹃ りょう うん しゅう﹄﹃文華秀麗集﹄﹃経 けい こく しゅう﹄のいわゆる勅撰三集が相次いで成立した︒﹃文華秀麗集﹄は藤 ふじ わらの ふゆ つぐほか撰︑一四八首所収︒

寛政10年(1798)写 江戸時代初期刊 古かつぼん 江戸時代末期刊 群ぐんしょるいじゅう

 

平安時代初期

七九七 しょく ほん

八〇七 語拾 しゅう ︵斎

いんべのひろなり

部広成︶

八一四 りょう うん

しゅう︵小 ののみね岑守

もり

ら︶

八一八 ぶん

しゅう れい

しゅう︵藤 ふじわらのふゆつぐ原冬嗣ら︶

八一九*文

ぶん

きょう ろん︵空

くうかい

海︶

八二二*日 ほん

りょう

記 ︵ きょう

かい

八二七 けいこく

国集 しゅう ︵良

よし

みねのやす安世 ら︶

八九三 しん

せん

まん

よう

しゅう

八九四 だい

歌 ︵

おお

千里

さと

(4)

平安時代中期〜後期の文学

だい

天皇の昌 しょう たい年間︵八九八〜九〇一︶頃から

十一世紀の末頃までの︑約二〇〇年間の文学︒﹃

きん

歌集

しゅう

﹄の撰

せん

しゅう

を機に和歌が公的な位置を確立

し︑物語文学の代表作﹃源

げん

もの がたりが書かれるなど︑

おう ちょう ぶんがく

学の最

さいせい

盛期 といえる時代です︒日記や随

ずいひつ

筆︑

ぐん

といった新たなジャンルも登場しました

・物語

・日記が盛んになった背景に

︑平

ひら

名の

普及があったことも忘れることはできません︒ 

まくらのそうし草子 せい しょう ごん作︒ いち じょう天皇の中宮定 てい に仕える女房としての生活を背景に︑さまざまな事物についての思念や日記的記事を筆録し︑随筆という文学形式を確立した︒

にっふじわらの

みちつなのはは

︵九五四︶〜天延二年︵九七四︶にわたる︒藤 ふじわらの原兼 かねいえ家との結婚生活に伴う日々の想念が描かれている︒

きん 歌集 しゅう だい 天皇の命によって紀 きのとものり友則らが撰した︑初の勅撰和歌集︒延喜五年︵九〇五︶頃成立︒一一〇〇首あまりを収める︒和歌の規範とされ︑後代への影響も大きい︒

江戸時代前期写 江戸時代前期写

永正16年(1519)写

九〇〇 かん

ぶんそう

草 ︵

すがわらのみちざね

原道真︶

*竹

たけとりもの

取物語 がたり 

九〇五*古 きん

歌集 しゅう︵紀

きのとものり

友則ら︶ 

九三五*土 佐日

にっ

︵紀

きのつらゆき

貫之︶ 

九四〇*将 しょう もん

 

九五一 せん

歌集 しゅう︵源 みなもとのしたごう順ら︶ 

*大 和物

もの

がたり

*平

へい

ちゅう もの

がたり 

九七四*蜻

かげろう

蛉日

にっ

︵藤 ふじわらのみちつなのはは原道綱母︶ 

*伊 勢物

もの

がたり

*宇 津保物

もの

がたり 

九八四 さんぼう

宝絵 ︵源 みなもと のため のり

 

九八五 おう

じょう よう

しゅう︵源

げんしん

信︶ 

*日 ほん

おう

じょう ごくらく楽記 ︵慶 よししげのやすたね滋保胤︶ 

*落

おちくぼ

窪物

もの

がたり  西暦事 *印は推定︑︵ ︶内は作者

平安時代中期

(5)

ほん ちょう もんずい 文人貴族の間で漢詩文が盛んに作られたこと を背景に

いくつかの撰集が編まれた

︒﹃

本朝文粋﹄は

ふじわらの原明

あきひら

衡撰︑賦 ・序 じょなど各種の文体の作品四二七編を収める︒十一世紀中頃の成立︒ しょう もん

たいらのまさかど

九四〇︶を題材に︑合戦とそれが起こるに至った経緯を じょ じゅつする︒変体漢文で書かれ︑乱後まもなくの成立と考えられている︒ 勢物 もの がたり 全一二〇あまりの章段から成る歌 うた もの がたり︒在 ありわらの なりひら平と思しき主人公の恋愛・交友などを描く︒複数の段階を経て︑十世紀後半に成立か︒

げん もの がたり むらさきしきぶ式部作の長編物語︒全五四巻︒三部に分けて考えられ︑第一部と第二部は美貌の貴公子光 ひかる げん ︑第三部は光源氏の子薫 かおるを中心人物とする︒十一世紀初頭の成立︒

寛永6年(1629)刊 古活字本 江戸時代後期刊

鎌倉時代写 鎌倉時代写

一〇〇一

まくらの

そう

︵清

せい

しょう ごん

 

一〇〇七*和 泉式

しき

にっ  

一〇〇八*源

げん

もの

がたり︵紫 むらさき しき

 

*拾 しゅう 歌集 しゅう︵花 ざんいん

院か︶ 

一〇一〇

むらさき

しき

にっ

 

一〇一三*和 かんろうえい

朗詠集 しゅう︵藤 ふじわらのきんとう原公任︶ 

一〇二七*和 泉式

しき

しゅう 

一〇三〇*栄

えい

もの

がたり 正編 

一〇五五 つつみ ちゅう ごん

もの

がたり︿一部成立﹀ 

一〇五八*本

ほん

ちょう もんずい

粋 ︵ ふじわらのあきひら

原明衡︶ 

一〇六〇*更

さらしな

級日

にっ

︵菅 すがわらのたかすえのむすめ原孝標女︶ 

*夜

よる

の寝 ざめ

︵菅原孝標女か︶

*狭 ごろも もの

がたり 

一〇六二*陸 奥話記 

一〇七三 じょう じん

じゃ

りの

ははのしゅう 

平安時代後期

(6)

院政期  一〇八六和歌集︵藤原通俊︶ しゅうしゅうふじわらのみちとし

*とりかへばや物

もの

がたり 

一一〇八*讃

さぬ

きの

侍日

にっ

*江

ごう

だん

しょう︵大

おおえのまさふさ

江匡房︶ 

一一一四*俊

としよりずいのう

頼髄脳︵源 みなもと のとし より

 

一一一九*新

しんせんろうえい

撰朗詠集 しゅう︵藤 ふじわらのもととし原基俊︶ 

一一二〇*今

こん

じゃく もの

がたり しゅう 

*大

おお

かがみ 

一一二七 きんよう

葉和 歌集 しゅう︵源俊頼︶ 

一一三四*古 ほん

せつ

しゅう 

一一五一*詞 花和 歌集 しゅう︵藤 ふじわらのあきすけ原顕輔︶ 

一一五八*袋 ふくろ ぞう

︵藤 ふじわらのきよすけ原清輔︶ 

一一七〇 いま

かがみ 

一一七八*長 ちょう しゅう えいそう

藻 ︵ ふじわらのとしなり

原俊成︶ 

一一七九*梁 りょう じん

しょう︵後 しらかわほうおう

河法皇︶ 

*宝

ほうぶつ

物集 しゅう ︵平 たいら のやす より

西暦事 *印は推定︑︵ ︶内は作者院政期の文学

十一世紀の末から十二世紀の末までの

ほぼ 一〇〇年間の文学

︒白

しらかわ

河院の院

いんせい

政が始まった応

おうとく

三年

︵一〇八六︶と

︑鎌倉幕府が開かれた文

ぶん

︵一一八五︶が

︑それぞれ始期と終期の目安に なります

︒平安時代と鎌倉時代の橋渡しをした時 期に当たり

︑中

ちゅう せい ぶんがく

学の胎

たい

どう

と位置付けること

ができます︒

こん じゃく もの がたり しゅう てんじくインド︶・震 しん だん︵中国︶・本 ほん ちょう︵日本︶にわたり︑一〇〇〇余話の説話を全三一巻に収める話集として最大の規模を持つ︒一一二〇〜四〇年頃の成立と推定される︒ おお かがみ 古老の昔語りの形式で嘉祥三年︵八五〇︶から万寿二年︵一〇二五︶までを載せる歴史物語で︑独自の批判的視点に特色がある しらかわ河院政期頃の成立と考える説が多い︒

としより頼髄 ずいのう 院政期には歌学書・歌論書が多数著作された みなもとのとしより俊頼の﹃俊頼髄脳﹄は天永二年︵一一一一︶〜永久三︵一一一五︶頃の成立︑歌体・題詠・秀歌などの論や和歌説話を記載する︒

嘉永4年(1851)刊 丹たんかくそうしょ 江戸時代前期写 江戸時代前期写

(7)

中世鎌倉・南北朝時代

一一八八 せんざい

載和 歌集 しゅう︵藤原俊成︶ 

*山

さん

しゅう︵西

さい

ぎょう 

一一九三 ろっ

ぴゃく ばん

うた

あわせ

*水

みず

かがみ 

一一九七 らい

ふうてい

体抄 しょう︵藤原俊成︶ 

一二〇一*無 みょう ぞう

 

一二〇三 せん

ひゃく ばん

うた

あわせ 

一二〇五 しん

きん

歌集 しゅう︵藤 ふじわらのさだいえ原定家ら︶

一二〇九 きんだい

代秀 しゅう ︵藤原定家︶ 

一二一一*無 みょう しょう  ︵鴨 かもの ちょう めい

 

一二一二 ほう

じょう ︵鴨長明︶ 

一二一三 きんかい

槐和 歌集 しゅう︵源 みなもと のさね とも

 

一二一五*古 だん

︵源 みなもと のあき かね

 

*発

ほっしん

心集 しゅう︵鴨長明︶ 

一二二〇 かん

しょう︵慈 えん 

中世は︑十二世紀末から十六世紀までの約四百年間を指します︒それまで権 力を握っていた貴族や寺

しゃ せい

りょく

に加え

︑新たに武士が力を伸ばした時代です

政治の実権が武士へ移行した鎌倉時代に始まり︑天皇が巻き返しを図り混迷し

た南北朝時代︑再び武家の政権となった室町時代を経て︑下 こく

じょうの安土桃山時 代に至るまで︑不安定な政局と度重なる戦 いくさは文学にも多大な影響を与えました︒

鎌倉・南北朝時代の文学

文治元年︵一一八五︶鎌倉に幕府が開かれると︑

とうごく国は存在感を増し︑文学にも影響を及ぼします

地方や民衆を描いた説話文学が発展し

︑旅を素材 とした紀

こう

文学も生まれました

︒戦乱は

︑京の文 化を地方に広げるとともに

︑現実社会への批判や 歴史への関心を高め

︑軍

ぐん

や史

ろん

が盛んに作られ ます

︒不安な日常から人々は救いを求め

︑仏

ほとけ

の教 えを説

いた法

ほう

や無

じょう かん

を根

こん

てい

とした隠

いんとん

遁者

しゃ

の文

学が誕生します︒

六夜日 にっ

鎌倉時代中期の紀 行文

︒藤原為

家の

後妻阿

ぶつ が︑

子為

相と先妻の子

ため うじ

の間で生じた

しょ りょう

京から鎌倉に下

こう

する様子を綴 つづる︒ へい もの がたり 平氏の勃 ぼっこう興から滅亡までを描いた軍 ぐん もの がたりの一大巨編︒十三世紀初めには原形が成立︑語り書写されるうちに増補や改訂がなされ︑種々の本文をもつ異 ほんが現れた︒

しん きん しゅう 羽院の命による勅 ちょく せん和歌集︒藤原俊 とし

なりの幽

ゆうげん

玄とその子定

さだいえ

家の有 しんという美的理念に裏付けられた歌 ふうは︑新 しん こん調 ちょうとして和 歌史 に一時代を画した︒

江戸時代初期写 淡彩絵入り 寛永元年(1624)刊 古活字本

鎌倉時代写 伝藤原為ためいえ家筆

(8)

鎌倉・南北朝時代

一二二〇*宇 治拾 しゅう もの がたり

一二二三*海

かいどう

道記  

一二三五 しん

ちょく せん

しゅう︵藤原定家︶ 

*小 ぐら

ひゃく にんいっしゅ

一首︵藤原定家︶ 

一二四〇*保

ほうげん

元物

もの

がたり 

*平

へい

もの

がたり 

*平

へい

もの

がたり 

一二四二*東

とうかん

関紀 こう

 

一二五二 じっきん

訓抄 しょう 

一二五四 こんちょもん

著聞集 じゅう︵橘 たちばな のなり すえ

 

一二六〇 りっ

しょう あんこくろん

国論︵日

にちれん

蓮︶

一二六五 しょく きん

しゅう︵藤 ふじわらのためいえ原為家︶

一二八〇*十 六夜日

にっ

阿仏

ぶつ

 

一二八三 しゃせき

石集 しゅう︵無 じゅう 

一二九六*宴

えん

きょく しゅう︵明 みょう くう

 

一三一三*とはずがたり︵後 ふかくさいん

草院二 じょう

一三三一*徒

つれづれぐさ

然草︵兼

けんこう

好︶  西暦事 *印は推定︑︵ ︶内は作者

じょう るい じゅう おん れん ぽう しゅう 南北朝時代の臨済僧義 どう しゅう しんが諸祖師の偈 じゅを集め分類したもの︒周信は夢 そう せきに師事 あしかが利義 よし みつの参 さんぜん禅を指導し︑五 ざんの正統的な学風を伝えた︒ しゃ せき しゅう 鎌倉時代の仏 ぶっ きょう せつ しゅう︒無 じゅうの編著︒通俗的な れい をもとに仏法の趣旨を巧みに説いたもので︑和歌説話や笑話︑動物説話など多彩な内容に特色がある︒

つれづれぐさ然草 鎌倉時代末期の随筆︒兼 けんこう好著︒題名は序段冒頭の語による︒無常観に基づく人生観や世 そう かん︑美意識を特長とし︑長明の﹃方丈記﹄とともに隠 いん じゃ文学の双璧とされる︒ ほう じょう 鎌倉時代初期の随筆︒鴨 かもの ちょう めい︒仏教の無 じょう かん

を基調に︑天変地異の続く平安時代末期の混乱した世相や︑日 野山 ざんに閑 かんきょ居した方丈の庵 いおりでの生活を描く︒

江戸時代初期刊 大永3年(1523)写

江戸時代初期写 江戸時代初期刊 古活字本(嵯さ が峨本)

(9)

一三三九 じんのう

皇正 しょう とう

︵北

きた

ばたけ ちかふさ

房︶ 

*貞 じょう るい

じゅう おん

れん

ぽう

しゅう︵義 どう

一三五七 玖波集 しゅう︵二 じょう よしもと

基︶ 

一三六四*筑

つく

もんどう

答︵二条良基︶

一三七二 れん

しんしき

式︵二条良基︶

一三七六*増

ます

かがみ

*太

たい

へい

*曽 もの

がたり

*義 けい

*空

くう

しゅう︵義堂周信︶

*この頃以降︑お伽

とぎ

ぞう

一四〇八*風

ふう

姿 でん

︵世 阿弥︶

*蕉 しょう けん

こう

︵絶

ぜっかい

海中 ちゅう しん

一四二四 きょう︵世阿弥︶ 

一四三〇 さる

がく

だん

︵世阿弥︶ 

*班

はん

じょ

︵世阿弥︶

一四三九 しん

しょく きん

しゅう︵飛

あす

井雅

まさ

*三

さん

ごく

でん

一四五〇*正 しょう てつ

もの

がたり 

一四六三ささめごと︵心

しんけい

敬︶ 室町・安土桃山時代の文学

長く続いた内乱も

︑三代将軍足

あしかが

利義

よしみつ

満の頃には

次第に収まり︑明

めいとく

徳三年︵一三九二︶︑南北朝の合

一が実現します

︒文学は芸

げいのう

能と融

ゆうごう

合し

︑享

きょう じゅ

そう

拡大します

︒和歌の余

技として始まった連

れん

は庶 民にも広まり

︑民

みん

しゅう

の芸能であった能

のう

・狂

きょう げん

は貴 族や武士にも愛好されました

民衆や異

るい

などを 積極的に取り込んだお伽

とぎ

ぞう

が作られ

︑町衆の思 いをうたった小

うた

も流行します

︒文学

・芸能の成 立や受容の場で

︑庶民が大きな影響力を持つに至

ります︒

そうあん安小 うた しゅう かんぎん

吟集 しゅうにつぐ中世小 うたの集成で︑安土桃山

時代の成立︒沙 しゃ そうあん

安編︑久 我有 ゆう あんの清書︒全二二〇首のうち恋の歌が大部分を占める︒他に伝本を聞かず︑貴重︒

撰菟

玖波集

しゅう

室町時代中期の連

れん せん しゅう

︒宗

そう

らの撰

しん けいや宗 そう ぜいなどの発 ほっ や付 つけ ︑約二〇〇〇句を集め︑連歌がもっとも洗練された時期の撰集とされる︒

しょう てつ もの がたり 室町時代前期の歌僧正 しょう てつの歌論書︒歌人の逸 いつ

や歌 がく しき︑歌 さくの心得などを随筆風に記す︒新古今調への復帰を主張し︑藤原定家への尊崇がうかがえる︒

安土桃山時代写 江戸時代前期刊 古活字覆ふっこく刻整せいはん版本ぼん

江戸時代前期写

南北朝・室町時代

参照

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