National Institute of Japanese Literature
中国・朝鮮から漢字が伝わって以後︑漢字を使って言葉を記すことが始まります︒ 漢字から万葉仮名が︑万葉仮名から片仮名・平仮名が生まれ︑特に平仮名は︑平安時代における和歌や物語の発達を支えました︒その後江戸時代にかけて︑日本の古
典文学
は︑
口承をも
媒介
にし
つつ
︑和
歌・
連歌
・俳
諧・
歌謡
・説
話・
物
語・
小
説・
日記
・
随筆・演劇・漢詩文など︑さまざまな形式で展開してゆきます︒ 国文学研究資料館では︑上代から近代︵明治時代初期︶までの文学を書物︵古典籍︶によってたどる︑通常展示﹁書物で見る 日本古典文学史﹂を毎年開催していま
す︒
本冊子
はそ
の展
示の
概要を収録
した
もので︑教科書でなじみの深い作品を中心に据えて︑文学史の流れを示しました︒ささやかながら︑日本古典文学の豊かな世界への手引きとなることを願っています︒
日本 古典
文学 史
書物 で 見
る
History of classical Japanese literature seen from old rare boo ks
日本史では﹁古 こ代 だい﹂という言葉が多く用いられますが︑文学史では︑平安時 代より前を﹁上 じょう代 だい
﹂と呼ぶのが一般的です︒その始まりは定かではありませんが︑
終わりの線は八世紀末に引かれます︒政治的には国家が統一と制度の完成に向
かった時代であり︑文学との関わりで言えば︑文字を持たなかった日本人が漢
字という文字と出会い︑漢字を使って表現する行為を︑さまざまな形で試みて
いった時代です︒
奈良時代以前の文学
延 えん暦 りゃく十三年︵七九四︶︑都が平
へい
安 あん京 きょうに遷るまでの︑
主に大
やまと
和に都があった時代の文学
︒神
しん
話 わ
・伝
でん
説 せつ
・
歌 か謡 よう
・和
わ歌 か
・漢
かん
詩 し文 ぶん
・伝
でん
記 き
・歴
れき
史 し
・地
ち誌 し
などにわ
たりますが︑全体の著作数は多くありません︒また︑
内容は古い時代のものを含んでいても
︑現存する もののうち
︑著作としてまとめられたのは
︑いず れも奈良時代
︵七一〇〜七九四︶で
︑国家の体制
の整備を背景に成立したものが目に付きます︒ 上代
日本文学史年表
豊 ぶん後 ごの国 くに風 ふ土 ど記 き ﹃風土記﹄は和銅六年︵七一三︶に元 げん明 めい天皇が諸国に撰進を命じた地誌で︑常 ひたち陸・播 はり磨 ま・出 いず雲 も・豊 ぶん
後 ご・肥 ひ前 ぜんの五箇国のものが現存︒地理や物産のほか︑地名起源伝承を記録する︒ 万 まん葉 よう集 しゅう 作品の年代は舒 じょ明 めい朝︵六二九〜六四二︶から天平宝字三年︵七五九︶にわたり︑約四五〇〇首を収める︒何次かの編集段階を経て︑奈良時代の末頃に成立したと考えられている︒
古 こ事 じ記 き 和銅五年︵七一二︶成立︒稗 ひえ田 だの阿 あ礼 れが伝承していた古代の歴史を︑太 おおのやす安万 ま侶 ろが筆録編集したもので︑神代から推 すい古 こ天皇︵在位五九三〜六二九︶までを収めている︒
江戸時代後期写 鎌倉時代写 柘つみのえ枝切ぎれ
寛永21年(1644)刊
上
代
奈良時代
七一二古 こ事 じ記 き︵太 おおのやす安万 まろ侶︶
七一五*播
はり
磨 まの
国 くに
風 ふどき土記
七二〇日 に本 ほん
書 しょ
紀 き︵舎
とね
人 り親 しんのう
王ら︶
七二一*常
ひたちのくに
陸国風 ふどき土記
七三三出 いずものくに
雲国風 ふどき土記
*豊 ぶん
後 ごの
国 くに
風 ふどき土記
七五一懐 かいふうそう
風藻
七五九*万
まんよう
葉集 しゅう
七七二歌 か経 きょう標 ひょう式 しき
︵藤 ふじわらのはまなり原浜成︶ 西暦事 項*印は推定︑︵ ︶内は作者・撰者 ◆
原則として
︑年紀は成立年を示したが︑近世の一部の書目は刊年を示したものもある︒◆太字の書目は︑図版掲載書目を示す︒ ※本冊子の掲載資料はすべて国文学研究資料館所蔵です︒※
掲載される資料が実際に展示されているとは限りません︒
文学史では︑平安時代を﹁中 ちゅう古 こ﹂と呼びます︒都が平安京に遷ってから︑鎌 倉幕府が成立するまでの約四〇〇年間で
︑ほぼ一〇〇年ごとに
︑初期
・中期
・
後期・末期︵院
いん
政 せい
期 き︶に分けるのが一般的です︒この時代は︑天皇を中心とす
る貴族階級の人々が文学の主要な担い手でした︒政治のおおよその形
けい
態 たいにより︑
天皇親
しんせい
政の初期︑摂
せっ
関 かん
政 せい
治 じの中期から後期︑院政期に区分して︑文学の変遷を
見てゆきます︒
平安時代初期の文学
桓 かん武 む
天皇の延
えん
暦 りゃく
十三年
︵ 七九四︶の平安京遷都 から
︑宇
う多 だ
天皇の寛
かん
平 ぴょう
年間
︵八八九〜八九八︶頃 までの
︑約一〇〇年間の文学
︒公的な文学として 漢詩文が重んじられ
︑和歌はその陰に隠れた形に なりましたが
︑日常的には和歌が変わらず詠まれ ていました
︒なお
︑新しいジャンルとして
︑物語
と説
せつ
話 わ集 しゅうが現れたことは特筆されます︒ 中古
日 に本 ほん霊 りょう異 い記 き 薬 やく師 し寺 じの僧景 きょう戒 かいによって弘仁十三年︵八二二︶頃編まれた説話集︒雄 ゆう略 りゃく天皇から嵯 さ峨 が天皇︵在位八〇九〜八二三︶の時代までの因 いん果 が応 おうほう
報説話と霊
れいげん
験説話一一六話を︑ほぼ年代順に収める︒ 竹 たけとり取物 もの語 がたり 竹取の翁が竹の中から見つけて育てたかぐや姫が︑美しく成長した後︑貴公子たちの求婚を難題によって退け︑八月十五日に月の世界に帰って行くという伝奇的な物語︒
文 ぶん華 か秀 しゅう麗 れい集 しゅう 漢詩文の重視を背景に︑八一〇〜二〇年代に﹃凌 りょう雲 うん集 しゅう﹄﹃文華秀麗集﹄﹃経 けい国 こく集 しゅう﹄のいわゆる勅撰三集が相次いで成立した︒﹃文華秀麗集﹄は藤 ふじ原 わらの冬 ふゆ嗣 つぐほか撰︑一四八首所収︒
寛政10年(1798)写 江戸時代初期刊 古こ活かつ字じ本ぼん 江戸時代末期刊 群ぐん書しょ類るい従じゅう
中
古
平安時代初期
七九七続 しょく日 に本 ほん
紀 き
八〇七古 こご語拾 しゅう遺 い︵斎
いんべのひろなり
部広成︶
八一四凌 りょう雲 うん
集 しゅう︵小 お野 ののみね岑守
もり
ら︶
八一八文 ぶん
華 か秀 しゅう麗 れい
集 しゅう︵藤 ふじわらのふゆつぐ原冬嗣ら︶
八一九*文
ぶん
鏡 きょう秘 ひ府 ふ論 ろん︵空
くうかい
海︶
八二二*日 に本 ほん
霊 りょう異 いき
記 ︵ 景 きょう
戒 かい
︶
八二七経 けいこく
国集 しゅう ︵良
よし
岑 みねのやす安世 よら︶
八九三新 しん
撰 せん
万 まん
葉 よう
集 しゅう
八九四句 く題 だい
和 わか
歌 ︵
大 おお
江 えのち千里
さと
︶
平安時代中期〜後期の文学
醍 だい
醐 ご天皇の昌 しょう泰 たい年間︵八九八〜九〇一︶頃から︑
十一世紀の末頃までの︑約二〇〇年間の文学︒﹃古 こ
今 きん和 わか
歌集
しゅう
﹄の撰
せん
集 しゅう
を機に和歌が公的な位置を確立
し︑物語文学の代表作﹃源
げん
氏 じ物 もの語 がたり﹄が書かれるなど︑
王 おう朝 ちょう文 ぶんがく
学の最
さいせい
盛期 きといえる時代です︒日記や随
ずいひつ
筆︑
軍 ぐん記 き
といった新たなジャンルも登場しました
︒ 和 歌
・物語
・日記が盛んになった背景に
︑平
ひら
仮 がな
名の
普及があったことも忘れることはできません︒
枕 まくらのそうし草子 清 せい少 しょう納 な言 ごん作︒一 いち条 じょう天皇の中宮定 てい子 しに仕える女房としての生活を背景に︑さまざまな事物についての思念や日記的記事を筆録し︑随筆という文学形式を確立した︒ 蜻 か
げ ろ
蛉 う
日記藤 にっきふじわらの
原
道 みちつなのはは
綱 母 の 仮 名 文 の 日 記
で︑
天 暦 八 年
︵九五四︶〜天延二年︵九七四︶にわたる︒藤 ふじわらの原兼 かねいえ家との結婚生活に伴う日々の想念が描かれている︒
古 こ今 きん和 わか歌集 しゅう 醍 だい醐 ご天皇の命によって紀 きのとものり友則らが撰した︑最初の勅撰和歌集︒延喜五年︵九〇五︶頃成立︒一一〇〇首あまりを収める︒和歌の規範とされ︑後代への影響も大きい︒
江戸時代前期写 江戸時代前期写
永正16年(1519)写
九〇〇菅 かん
家 け文 ぶんそう
草 ︵
菅 すがわらのみちざね
原道真︶
*竹
たけとりもの
取物語 がたり
九〇五*古 こ今 きん
和 わか歌集 しゅう︵紀
きのとものり
友則ら︶
九三五*土 とさ佐日
にっ
記 き︵紀
きのつらゆき
貫之︶
九四〇*将 しょう門 もん
記 き
九五一後 ご撰 せん
和 わか歌集 しゅう︵源 みなもとのしたごう順ら︶
*大 やまと和物
もの
語 がたり
*平
へい
中 ちゅう物 もの
語 がたり
九七四*蜻
かげろう
蛉日
にっ
記 き︵藤 ふじわらのみちつなのはは原道綱母︶
*伊 いせ勢物
もの
語 がたり
*宇 うつほ津保物
もの
語 がたり
九八四三 さんぼう
宝絵 え︵源 みなもと為 のため憲 のり
︶
九八五往 おう
生 じょう要 よう
集 しゅう︵源
げんしん
信︶
*日 に本 ほん
往 おう
生 じょう極 ごくらく楽記 き︵慶 よししげのやすたね滋保胤︶
*落
おちくぼ
窪物
もの
語 がたり 西暦事 項*印は推定︑︵ ︶内は作者・撰者
平安時代中期
本 ほん朝 ちょう文 もんずい粋 文人貴族の間で漢詩文が盛んに作られたこと を背景に
︑ いくつかの撰集が編まれた
︒﹃
本朝文粋﹄は
藤 ふじわらの原明
あきひら
衡撰︑賦 ふ・序 じょなど各種の文体の作品四二七編を収める︒十一世紀中頃の成立︒ 将 しょう門 もん記 き
関 東 の
平 たいらのまさかど
将 門 の 承 平
・ 天 慶 の 乱
︵ 九 三 五
〜
九四〇︶を題材に︑合戦とそれが起こるに至った経緯を叙 じょ述 じゅつする︒変体漢文で書かれ︑乱後まもなくの成立と考えられている︒ 伊 いせ勢物 もの語 がたり 全一二〇あまりの章段から成る歌 うた物 もの語 がたり︒在 ありわらの原業 なりひら平と思しき主人公の恋愛・交友などを描く︒複数の段階を経て︑十世紀後半に成立か︒
源 げん氏 じ物 もの語 がたり 紫 むらさきしきぶ式部作の長編物語︒全五四巻︒三部に分けて考えられ︑第一部と第二部は美貌の貴公子光 ひかる源 げん氏 じ︑第三部は光源氏の子薫 かおるを中心人物とする︒十一世紀初頭の成立︒
寛永6年(1629)刊 古活字本 江戸時代後期刊
鎌倉時代写 鎌倉時代写
一〇〇一
*
枕 まくらの
草 そう
子 し︵清
せい
少 しょう納 な言 ごん
︶
一〇〇七*和 いずみ泉式
しき
部 ぶ日 にっ記 き
一〇〇八*源
げん
氏 じ物 もの
語 がたり︵紫 むらさき式 しき
部 ぶ︶
*拾 しゅう遺 い和 わか歌集 しゅう︵花 か山 ざんいん
院か︶
一〇一〇
*
紫 むらさき
式 しき
部 ぶ日 にっ
記 き
一〇一三*和 わ漢 かんろうえい
朗詠集 しゅう︵藤 ふじわらのきんとう原公任︶
一〇二七*和 いずみ泉式
しき
部 ぶ集 しゅう
一〇三〇*栄
えい
花 が物 もの
語 がたり 正編
一〇五五堤 つつみ中 ちゅう納 な言 ごん
物 もの
語 がたり︿一部成立﹀
一〇五八*本
ほん
朝 ちょう文 もんずい
粋 ︵ 藤 ふじわらのあきひら
原明衡︶
一〇六〇*更
さらしな
級日
にっ
記 き︵菅 すがわらのたかすえのむすめ原孝標女︶
*夜
よる
の寝 ね覚 ざめ
︵菅原孝標女か︶
*狭 さ衣 ごろも物 もの
語 がたり
一〇六二*陸 むつわき奥話記
一〇七三成 じょう尋 じん
阿 あ闍 じゃ
梨 りの
母 ははのしゅう集
平安時代後期
院政期 一〇八六後拾遺和歌集︵藤原通俊︶ ごしゅういわかしゅうふじわらのみちとし
*とりかへばや物
もの
語 がたり
一一〇八*讃
さぬ
岐 きの
典 すけ侍日
にっ
記 き
*江
ごう
談 だん
抄 しょう︵大
おおえのまさふさ
江匡房︶
一一一四*俊
としよりずいのう
頼髄脳︵源 みなもと俊 のとし頼 より
︶
一一一九*新
しんせんろうえい
撰朗詠集 しゅう︵藤 ふじわらのもととし原基俊︶
一一二〇*今
こん
昔 じゃく物 もの
語 がたり集 しゅう
*大
おお
鏡 かがみ
一一二七金 きんよう
葉和 わか歌集 しゅう︵源俊頼︶
一一三四*古 こ本 ほん
説 せつ
話 わ集 しゅう
一一五一*詞 しか花和 わか歌集 しゅう︵藤 ふじわらのあきすけ原顕輔︶
一一五八*袋 ふくろ草 ぞう
紙 し︵藤 ふじわらのきよすけ原清輔︶
一一七〇今 いま
鏡 かがみ
一一七八*長 ちょう秋 しゅう詠 えいそう
藻 ︵ 藤 ふじわらのとしなり
原俊成︶
一一七九*梁 りょう塵 じん
秘 ひ抄 しょう︵後 ご白 しらかわほうおう
河法皇︶
*宝
ほうぶつ
物集 しゅう ︵平 たいら康 のやす頼 より
︶ 西暦事 項*印は推定︑︵ ︶内は作者・撰者院政期の文学
十一世紀の末から十二世紀の末までの
︑ ほぼ 一〇〇年間の文学
︒白
しらかわ
河院の院
いんせい
政が始まった応
おうとく
徳
三年
︵一〇八六︶と
︑鎌倉幕府が開かれた文
ぶん
治 じ元
年
︵一一八五︶が
︑それぞれ始期と終期の目安に なります
︒平安時代と鎌倉時代の橋渡しをした時 期に当たり
︑中
ちゅう世 せい文 ぶんがく
学の胎
たい
動 どう期 き
と位置付けること
ができます︒
今 こん昔 じゃく物 もの語 がたり集 しゅう 天 てんじく竺︵インド︶・震 しん旦 だん︵中国︶・本 ほん朝 ちょう︵日本︶にわたり︑一〇〇〇余話の説話を全三一巻に収める︒説話集として最大の規模を持つ︒一一二〇〜四〇年頃の成立と推定される︒ 大 おお鏡 かがみ 古老の昔語りの形式で嘉祥三年︵八五〇︶から万寿二年︵一〇二五︶までを載せる歴史物語で︑独自の批判的視点に特色がある︒白 しらかわ河院政期頃の成立と考える説が多い︒
俊 としより頼髄 ずいのう脳 院政期には歌学書・歌論書が多数著作された︒源 みなもとのとしより俊頼の﹃俊頼髄脳﹄は天永二年︵一一一一︶〜永久三年︵一一一五︶頃の成立︑歌体・題詠・秀歌などの論や和歌説話を記載する︒
嘉永4年(1851)刊 丹たん鶴かく叢そう書しょ 江戸時代前期写 江戸時代前期写
中世鎌倉・南北朝時代
一一八八千 せんざい
載和 わか歌集 しゅう︵藤原俊成︶
*山
さん
家 か集 しゅう︵西
さい
行 ぎょう︶
一一九三六 ろっ
百 ぴゃく番 ばん
歌 うた
合 あわせ
*水
みず
鏡 かがみ
一一九七古 こ来 らい
風 ふうてい
体抄 しょう︵藤原俊成︶
一二〇一*無 む名 みょう草 ぞう
子 し
一二〇三千 せん
五 ご百 ひゃく番 ばん
歌 うた
合 あわせ
一二〇五新 しん
古 こ今 きん
和 わか歌集 しゅう︵藤 ふじわらのさだいえ原定家ら︶
一二〇九近 きんだい
代秀 しゅう歌 か︵藤原定家︶
一二一一*無 む名 みょう抄 しょう ︵鴨 かもの長 ちょう明 めい
︶
一二一二方 ほう
丈 じょう記 き︵鴨長明︶
一二一三金 きんかい
槐和 わか歌集 しゅう︵源 みなもと実 のさね朝 とも
︶
一二一五*古 こ事 じ談 だん
︵源 みなもと顕 のあき兼 かね
︶
*発
ほっしん
心集 しゅう︵鴨長明︶
一二二〇愚 ぐ管 かん
抄 しょう︵慈 じ円 えん︶ 中世
中世は︑十二世紀末から十六世紀までの約四百年間を指します︒それまで権 力を握っていた貴族や寺
じ社 しゃ勢 せい
力 りょく
に加え
︑新たに武士が力を伸ばした時代です
︒
政治の実権が武士へ移行した鎌倉時代に始まり︑天皇が巻き返しを図り混迷し
た南北朝時代︑再び武家の政権となった室町時代を経て︑下 げ克 こく
上 じょうの安土桃山時 代に至るまで︑不安定な政局と度重なる戦 いくさは文学にも多大な影響を与えました︒
鎌倉・南北朝時代の文学
文治元年︵一一八五︶︑鎌倉に幕府が開かれると︑
東 とうごく国は存在感を増し︑文学にも影響を及ぼします︒
地方や民衆を描いた説話文学が発展し
︑旅を素材 とした紀
き行 こう
文学も生まれました
︒戦乱は
︑京の文 化を地方に広げるとともに
︑現実社会への批判や 歴史への関心を高め
︑軍
ぐん
記 き
や史
し論 ろん
が盛んに作られ ます
︒不安な日常から人々は救いを求め
︑仏
ほとけ
の教 えを説
といた法
ほう
語 ご
や無
む常 じょう観 かん
を根
こん
底 てい
とした隠
いんとん
遁者
しゃ
の文
学が誕生します︒
十 いざよい六夜日 にっ記 き
鎌倉時代中期の紀 行文
︒藤原為
た め い
家の え
後妻阿
あ仏 ぶつ尼 にが︑実
子為
た め す
相と先妻の子 け
為 ため氏 うじ
の間で生じた
所 しょ領 りょう
争 い の た
め︑
京から鎌倉に下
げ向 こう
する様子を綴 つづる︒ 平 へい家 け物 もの語 がたり 平氏の勃 ぼっこう興から滅亡までを描いた軍 ぐん記 き物 もの語 がたりの一大巨編︒十三世紀初めには原形が成立︑語り書写されるうちに増補や改訂がなされ︑種々の本文をもつ異 い本 ほんが現れた︒
新 しん古 こ今 きん和 わ歌 か集 しゅう 後 ご鳥 とば羽院の命による勅 ちょく撰 せん和歌集︒藤原俊 とし
成 なりの幽
ゆうげん
玄とその子定
さだいえ
家の有 う心 しんという美的理念に裏付けられた歌 か風 ふうは︑新 しん古 こ今 こん調 ちょうとして和 わか歌史 しに一時代を画した︒
江戸時代初期写 淡彩絵入り 寛永元年(1624)刊 古活字本
鎌倉時代写 伝藤原為ためいえ家筆
鎌倉・南北朝時代
一二二〇*宇 うじ治拾 しゅう遺 い物 もの語 がたり
一二二三*海
かいどう
道記 き
一二三五新 しん
勅 ちょく撰 せん
和 わ歌 か集 しゅう︵藤原定家︶
*小 お倉 ぐら
百 ひゃく人 にんいっしゅ
一首︵藤原定家︶
一二四〇*保
ほうげん
元物
もの
語 がたり
*平
へい
治 じ物 もの
語 がたり
*平
へい
家 け物 もの
語 がたり
一二四二*東
とうかん
関紀 き行 こう
一二五二十 じっきん
訓抄 しょう
一二五四古 こ今 こんちょもん
著聞集 じゅう︵橘 たちばな成 のなり季 すえ
︶
一二六〇立 りっ
正 しょう安 あんこくろん
国論︵日
にちれん
蓮︶
一二六五続 しょく古 こ今 きん
和 わ歌 か集 しゅう︵藤 ふじわらのためいえ原為家︶
一二八〇*十 いざよい六夜日
にっ
記 き︵ あ阿仏
ぶつ
尼 に︶
一二八三沙 しゃせき
石集 しゅう︵無 む住 じゅう︶
一二九六*宴
えん
曲 きょく集 しゅう︵明 みょう空 くう
︶
一三一三*とはずがたり︵後 ご深 ふかくさいん
草院二 に条 じょう︶
一三三一*徒
つれづれぐさ
然草︵兼
けんこう
好︶ 西暦事 項*印は推定︑︵ ︶内は作者・撰者
貞 じょう和 わ類 るい聚 じゅう祖 そ苑 おん聯 れん芳 ぽう集 しゅう 南北朝時代の臨済僧義 ぎ堂 どう周 しゅう信 しんが諸祖師の偈 げ頌 じゅを集め分類したもの︒周信は夢 む窓 そう疎 そ石 せきに師事︑足 あしかが利義 よし満 みつの参 さんぜん禅を指導し︑五 ご山 ざんの正統的な学風を伝えた︒ 沙 しゃ石 せき集 しゅう 鎌倉時代の仏 ぶっ教 きょう説 せつ話 わ集 しゅう︒無 む住 じゅうの編著︒通俗的な例 れい話 わをもとに仏法の趣旨を巧みに説いたもので︑和歌説話や笑話︑動物説話など多彩な内容に特色がある︒
徒 つれづれぐさ然草 鎌倉時代末期の随筆︒兼 けんこう好著︒題名は序段冒頭の語による︒無常観に基づく人生観や世 せ相 そう観 かん︑美意識を特長とし︑長明の﹃方丈記﹄とともに隠 いん者 じゃ文学の双璧とされる︒ 方 ほう丈 じょう記 き 鎌倉時代初期の随筆︒鴨 かもの長 ちょう明 めい著︒仏教の無 む常 じょう観 かん
を基調に︑天変地異の続く平安時代末期の混乱した世相や︑日 ひの野山 ざんに閑 かんきょ居した方丈の庵 いおりでの生活を描く︒
江戸時代初期刊 大永3年(1523)写
江戸時代初期写 江戸時代初期刊 古活字本(嵯さ が峨本)
一三三九神 じんのう
皇正 しょう統 とう
記 き︵北
きた
畠 ばたけ親 ちかふさ
房︶
*貞 じょう和 わ類 るい
聚 じゅう祖 そ苑 おん
聯 れん
芳 ぽう
集 しゅう︵義 ぎ堂 どう
一三五七菟 つくば玖波集 しゅう︵二 に条 じょう良 よしもと
基︶
一三六四*筑
つく
波 ば問 もんどう
答︵二条良基︶
一三七二連 れん
歌 が新 しんしき
式︵二条良基︶
一三七六*増
ます
鏡 かがみ
*太
たい
平 へい
記 き
*曽 そ我 が物 もの
語 がたり
*義 ぎ経 けい
記 き
*空
くう
華 げ集 しゅう︵義堂周信︶
*この頃以降︑お伽
とぎ
草 ぞう
子 し
一四〇八*風
ふう
姿 し花 か伝 でん
︵世 ぜあみ阿弥︶
*蕉 しょう堅 けん
藁 こう
︵絶
ぜっかい
海中 ちゅう津 しん
︶
一四二四花 か鏡 きょう︵世阿弥︶
一四三〇申 さる
楽 がく
談 だん
義 ぎ︵世阿弥︶
*班
はん
女 じょ
︵世阿弥︶
一四三九新 しん
続 しょく古 こ今 きん
和 わ歌 か集 しゅう︵飛
あす
鳥 かい井雅
まさ
世 よ
*三
さん
国 ごく
伝 でん
記 き
一四五〇*正 しょう徹 てつ
物 もの
語 がたり
一四六三ささめごと︵心
しんけい
敬︶ 室町・安土桃山時代の文学
長く続いた内乱も
︑三代将軍足
あしかが
利義
よしみつ
満の頃には
次第に収まり︑明
めいとく
徳三年︵一三九二︶︑南北朝の合
一が実現します
︒文学は芸
げいのう
能と融
ゆうごう
合し
︑享
きょう受 じゅ
層 そうを
拡大します
︒和歌の余
よぎ
技として始まった連
れん
歌 が
は庶 民にも広まり
︑民
みん
衆 しゅう
の芸能であった能
のう
・狂
きょう言 げん
は貴 族や武士にも愛好されました
︒ 民衆や異
い類 るい
などを 積極的に取り込んだお伽
とぎ
草 ぞう子 し
が作られ
︑町衆の思 いをうたった小
こ歌 うた
も流行します
︒文学
・芸能の成 立や受容の場で
︑庶民が大きな影響力を持つに至
ります︒
宗 そうあん安小 こ歌 うた集 しゅう 閑 かんぎん
吟集 しゅうにつぐ中世小 こ歌 うたの集成で︑安土桃山
時代の成立︒沙 しゃ弥 み宗 そうあん
安編︑久 こが我有 ゆう庵 あんの清書︒全二二〇首のうち恋の歌が大部分を占める︒他に伝本を聞かず︑貴重︒ 新 し
ん せ
撰菟 ん
つくば
玖波集
しゅう
室町時代中期の連
れん歌 が撰 せん集 しゅう
︒宗
そう祇 ぎ
らの撰
︒
心 しん敬 けいや宗 そう砌 ぜいなどの発 ほっ句 くや付 つけ句 く︑約二〇〇〇句を集め︑連歌がもっとも洗練された時期の撰集とされる︒
正 しょう徹 てつ物 もの語 がたり 室町時代前期の歌僧正 しょう徹 てつの歌論書︒歌人の逸 いつ
話 わや歌 か学 がく知 ち識 しき︑歌 か作 さくの心得などを随筆風に記す︒新古今調への復帰を主張し︑藤原定家への尊崇がうかがえる︒
安土桃山時代写 江戸時代前期刊 古活字覆ふっこく刻整せいはん版本ぼん
江戸時代前期写
南北朝・室町時代