茨城大学教育学部教育研究所紀要20号(1988)139−147 139
学校保健教育とAIDSに関する教育
内 山 源
℃ エイズと健康教育に関する「逆流」現象の問題性
健康問題としてのエイズは,これまで専門関係誌やマスコミ等でもしばしば取り上げられてきた。し かし我が国の場合, 85年や 86年の前半期までは海外でのそのような事実・情報が入っているにも拘ら ず,これを健康教育の内容として,積極的な対応を計ったりすることはなかった。まして,学校保健教 育の方となると,さらにずれていたといってよい。そして, 86年の12月頃から,その発生事態が社会的 問題としてマスコミを賑わすと学校保健教育の方も騒然となり,明けて 87年に入ると,いくつかの指導 内容とか実践事例が,一般誌にみられるようにな毫た響
エイズの場合も性教育とかタバコ・ドラッグ等の保健教育と似て,学校教育よりも社会での動きの方 が早かったのである。これが「逆流」する形で学校保健教育の中に流れ込み,現在に至っているとみる ことが出来る。本来の健康教育の姿からすれば,これらは学校保健教育が「先行・先導」するか,同時 的でなくてはならなかったのである。何故このような「逆流」がいつものことのように起るのであろう か,学校保健や保健教育の専門家を自負する者は,このような事態をどのように考えているのであろう か,この種の「逆流現象」があってはならないことを,タバコ題材の教育内容構成に関して,筆者は繰 3) 4)
り返し主張し,最近では日本健康科学学会のシンポジウムの際にも提言しておいた。だが,これらにっ ての反応は皆無の状況である。
「H本の学校保健は世界一である」とか「保健教育は決して劣っていない」「アメリカの授業研究はプ リテストとポストテストで単に量的に測定するだけで弱い」等といったことを日にする専門家は少なく ない。だが,健康教育のカリキュラム論とか構成原理三等についての比較,検討等で,わが国のそれら の問題点について述べる者は殆んどいない。在外研究員等としてアメリカやイギリスでの学校保健教育関 係の研究体験をもった者はいるが,彼らが健康教育のカリキュラムの大きなずれを「先導的」に指摘主 張したものはいなかったようである。(表1参照)
20年以上も前に理論面,実践面でも優れた成果を築いたアメリカのタバコに関する健康教育とのずれ を指摘,主張した者もいないし,アルコール・ドラッグ,チャイルドアビユース,性等についても同様 である。タバコやアルコールに関する健康教育については,始原的にはエ00年ほどもずれていたのであ る。それが,わが国の場合,「逆流」的な現象として学校保健教育の中に動きをみたのは,やっと 85年 前後といってよい。むろん,わが国でも,健康教育カリキュラム論的視点からみると未熟な「タバコと 衛生」「個人養生法」「衛生講話」的内容は戦前からもみられた。多くが非行・風紀取締りと結合して
いたのである。
だから,戦後の学校保健研究者の提示したいくつかの「私案」の中には,どれ一つをとってみてもこ れらの「生活行動と健康」に関わる領域の題材は,構成されていなかったのである。これらの「私案」
は 87年に入っても,そのまま検討,補足,追加,修正されることもなく提示され,「タバコ」や「エイ
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ズ」等の領域題材が欠落したまま「逆流」現象をまともにかぶっている。
表1 この「逆流」の意味は,学校保健の専門家e研究 者としてあるなら,常に教育界や社会に対して,理
CONTENT EMPHASIS 呈N S五XTEEN ELEMENTARY SCHOOL
PHYSIOLOGY AN欄隔野T蹴BOOKS 論的,実践的先行性,先導性を心がけるべきであり,研
Topics 18g。一lg。。 Ig。。一1g.1、 1,20一、g2, 、如㍑、鷺L究成果から教育現場や地域社会へ流れていく「方向」
Ph・・i・9y and anat・m・ 65・8 36・3 22・5 5・・ が常態であるべきなのである。先導性がなくとも,
新選1慰 }il摺 蟹 li{最低剛寺門でありたい。
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艦ll濃謬 ,g:1 晶 ll:1 ,認 ところが,現実は「逆流」なのである。少なくとも健 (M・ansから再彌) 康教育のカリキュラムや実践に関する限り,アメリ カのそれらが先行し,先導してきたのである。これ も繰り返しになるが,「多くが引用され,紹介はされたが,検討,研究されることは殆んどなかった」
のである。
近年は健康教育に関する国際学会は少なくない。だが,発表者は無論のこと参加者すら殆んどいない。
だから海外との交流は殆んどない。アメリカでエイズに関する教育がどのように行なわれているのか,
イギリスでは,どうかが専門研究誌からの情報を除くといってつかめていない。また,日本学校保健学 会では,先述の「生活行動と保健」に関する領域題材のテーマで,たとえば,「タバコ」や「アルコー ル」でさえシンポジウムが開催されたことがない。何年も提言しているが賛同が得られないのである。
この点も海外における健康教育のシンポジウムのテーマと全くずれているといってよい。先述した通 り,海外での研究生活経験者が少ないわけではない。優れた健康教育の大学院プログラムで著名な大学 で学位を得た者もいる。驚くべき語学力を示す者もいる。だが,「内容」がないのである。SHESの
リーダーの1人である高名なクレズウェル教授やヘルスモデルで著名なIeading B:eal th Educatorとア メリカで称されホイマン教授に学び乍ら,その研究成果や思想を伝えることができなかったり,まして 批判,発展させること等なされなかったのである。
友人のクレズウェル教授が「ジェン,毎年のようにウイスキよ瓶を下げてやってくるよ,何のためか ね」と話してくれた。最近は,日本的な「権威者」は少なくない。「箱庭的」研究結果に固執すること なく,知的,研究的閉鎖性の中で温存することなく,海外との交流で評価を求められることを期待した い。このことは,タバコやエイズ題材に関するものだけではない。安全・交通安全教育にしても,性教 育にしても考えられないほどの「ずれ」と「遅れ」をみることができる。
殊に理論面のそれらは大きい。例えば,交通安全教育についてみると,テキスト・「安全運転の基礎知識」の中 では運転者の行動として「認知一判断一操作」の3つの要素の正確な構成をモデルとして説明してい
る。きわめて単純化した運転行動の概念モデルであるが,これと並んで多用される「潜在危険論」と似て問 題点は少なくない。「予測」「評価」やその「関係構造」が欠落しているのである。
性教育のカリキュラムにしても「生物的側面」のみが強張されて人間的側面,例えば「性の自己概念」
「性の自認」「性欲」「性交」「性差別」「性役害1月等,社会的文化的側面がずれおちたま、に放置さ れている。従って,エイズと関係する「ホモ・ゲイ」についての認識や理解が困難となっている。
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2 エイズの健康教育でも人間,患者の人権だけでなく総合的な慧識、行動、生活、社会、文化の内容 化を
図1は 72年の学会シンポジウム報告以来,繰り返し述べてきたものである。健康教育内容を選択構成 する際の基本的原理としてモデルを示したものである。これについては何回となく述べたので詳細はふ
れない。しかし,エイズ予防教育の活発な動きがある現在,少しばかりこの原理から保健教育内容・教 材のあり方についてふれてみよう。図1のC一①に示すように,保健安全に関する科学技術の知識は凡 そ「記述部」と「説明部」から構成されることを示してきた。これはBレベルにおける疫学理論や生理 学,解剖学,先化学等の知識体系の特徴や論理学や認識論,科学方法論等の観点から共通項として抽出
5) 6) 7)
したものである。例えば,疫学ではDescriptive Epidemi ologyとExperimental Epidemiologyである。
むろん,認識論的には両者の区別は厳密にみると存在しない。しかし,教材とかカリキュラム構成の際 には有用な枠組を考えることができる。
保健教育の特徴として,従前のものは「記述部」が主点となり「科学的説明部」はうすく,また,その 関係が曖昧であったことが少なくなかった。しかし乍ら,さらに大きな問題点は,上記のような基礎医 学的専門分野の知識の中には「人間の存在様態」が全くといってよいほど欠落していたのである。教員 養成課程で,保健科,保健体育科,養護教諭免許取得に必修とされる生理学とか解剖学,病理学,衛生 学等には「人間」が存在しない,生物学的事実,物質的様態の事実と関係が詳細に様成されてはいるが そこに「人間」をみることは殆んどできない。細胞や組織や肉片・器官の事実であって,生体の人間,
病態時に状態における悩みや苦しみ,怖れ,不安,希望,悲しみ,諦めなどをもった病者の意識や心を みることはできない。
病者,患者がどのような生活観,人生観,世界観,健康・医療観をもち,どんな対象に,どのような 行動を選択,決定していくのか,そのうえで当人は無論のこと他者・個人や集団・社会・家族等がどの ような生活を維持し,変容していくのか等といった,まさに「保健的事象」を認識し理解することはで きないものとなっている6
病者が患者となって院内生活を過す場合,医師,看護婦等の信頼関係,人間関係,それに近隣同室の 患者間の人間関係,家族等との人間関係は,保健や医療にとって重要な因子である。人間はネコやイヌ ではない。人間として意識を尊厳等をもった態度や行動,生活が患者としても存在するのである。
わが国の場合,低弱な保健教育よりもさらに遅れて,未発達な「患者教育」がある。この2者は同時 的で共同的でなければならなかったのである。しかし乍A,上述したように保健教育内容・教材をみれ ばわかるように「人間不在」が意識されず,無自覚的に研究がす、められてきた状況では,そこに「患 者教育研究」の芽を求めることは無理なことだったのかもしれない。
この患者教育についても,先行的なアメリカのPatient Educationから学ぶことは少なくなかった筈である のに, 87年の現在でも保健教育界では,そのずれや遅れを指摘する者はいない。エイズに関する教育は 単に予防的健康教育を学校で実施すればよいというものではない。患者に対しても地域社会,家族に対
しても予防以外の健康教育も不可欠なものなのである。
エイズが社会問題としてマスコミが騒ぐと,急にエイズ教育の専門家が誕生して新聞・講演等で忙し 顔である。一体,これらの基礎的分野は,どのように考究され,理論化されたというのであろうか,そ こには理論などみることはできない,調査データをかき集めて,「データによってモノを言っている」
だけである。「理論」でデータ・事実をどうみるか,とか,データの「意味」も関連理論で「理解」することなど全く
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といってよいほど無いのである。だから,健康教育のカリキュラム論とか性教育のカリキュラム論,患 者教育論.地域保健教育論等とは全く無縁なものとなっている。
恣意的なエイズ予防教育内容構成の場合,その内容として「人権問題」が要素となることが多い,だ が,カリキュラム論として考究されることはない,といってよい。人権問題をエイズ教育の内容として提
Aレベル
図1 保健教育内容の選択・構成の原理
Bレベル
〔黒眼議醐一一{翻講か…
一( 現体化の方向教育内容の落差うめ)《葉鑑化構造化)
時
(保健教育内容のTime lag)
Cレベル
①保健・安全に関する科学知識と その原理
H
a)記述。説明部・要困構造 b)保健問題解決過程部 C)行動要因の構造
②学習者の条件・心身発達段階へ の四脚Il
a)保健認識・学:カ,興味 態 度等
b)主体以外の学習条件
③教育理論
ll譲響議習翫論
④濁艮的,人類的課題からのニード
膿翻識照}警灘
間 的 縦 軸
Dレベル
一一o萬野生
奏することは必要である。だが その根拠を理論的,論理的に提 示すべきなのである。理論的に は,健康教育のカリキュラム論 や保健教材論から最低アプロー チが求められる。
一体,どんな根拠で健康教育 ないし性教育としてのエイズ教 育の内容に「人権教材」を,ど のように構成するのであろうか,
その際の教材構造,系統性,発 達段階等との関連はどのように なっているのであろうか,人権教材のみを強調するだけではエイズと人間生活との関係はみえてこない。
「権利の問題」だけではないのである。先述したように健康教育内容の人間化・行動面の充足化ですtSめる としたら,エイズ教育での人権の強調は論理的に浮いたものとなる。まして,現行の学校保健教育内容 や性教育のカリキュラムの実践面や理論面をみる限り,「突出的」で,関連性を理論的にみることは難し い。恣意的であり,「願いごと」的でもある。
図1での人間行動面の構成は,本来的には「記述部」や「説明部」に含まれるものである。これはA レベルの認識,理解の対象として存在しているものであるからである。だが,どれほどこれらを強調し ても,現行教材では大きくずれ,保健教育カリキュラム研究面でもこの点を問題視されることはないの 8)
で,強調の意味で構成した。また,クラークらのモデルは人間行動面等が欠落していること,さらにSH ES謬も。nceptual M。d,1では人間のDeci、i。n M。kingが強調されていること等蠣成の理由とした。
これも繰り返し述べてきたところであるが,クラークらの疫学的モデルでAgentがHostに作用・影 響を与えるとHostの内の生理学・生化学・病理学的等の変化は,自然科学的生物学的事実として自然 科学的閉鎖系の中におさまっているものではない。病原体が原因として主体・人間に結果としての多く 健康・病理的状態をもたらすと,その状態は多くの人間的変化をもたらし,関係を構成する。つまり,
当人の意識・行動・生活等の変化であり,関係する他者・個人,集団社会の変化である。
「病気が文明をかえる」とか「文明が病気を作る」等といった両方向の関係である。これらが健康教育 内容の特質・性格である。これらを欠けたものであれば,従前の「衛生学・個人衛生jとか生物学的衛 生法で足りることになる。「家庭医学事典的」内容は「保健」ではない。社会科学と人文科学との関連 結合である。健康教育内容としての,これらの理論的連関は最低,「因果的連関」で結合させ得るものであ る。むろん,人間の自由意思による選択,決定は機械論的な因果認識を越えるものであるから,これだ けで単純にとらえることはできない。「目的論的説明」も含めて構成をしなくてはならない。
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3.学校保健教育としてのエイズ教育・教材の検討及び時間配当,担当者,指導機会等の問題 では,これまで興研提示されたエイズ教材の特徴についてふれてみよう。むろん,よい教育課程・教材ができた
からといって十分な教育ができるわけではない。「誰が」「どの領域・指導機会で」どれ位の時間配当 で」「何を」「どこまで」等教えることが可能か,といった実際的教育活動上の問題があるからである。
このことは従前の性教育,タバコ,アルコール・ドラッグ,公害教育等についても同様である。
熱心な教師が「突出的」に行なう指導は,その人個人の指導の枠の内で終始し,長続きしなかったの である。エイズだけが「生活活動と健康」に関する「柔構造」の教材ではないのである。まして,カリ キュラム理論に「硬構造部」と「柔構造部」及び「層化構造j等の基礎的理論がないところに,一体ど のようにして「エイズの教育内容jを組み入れていくのであろうか。少なくとも,この種の観点も含めて 提示された実践例は今のとこ.うないようである。殆んどが「突出的」実践,ブーム・先駆的実践となっ ている。実践であるなら,85年あたりから始めたものは,「つみ重ね」「批判,検討」の上で提示され ることが望ましい。だが,学校保健教育の低調性をみるとき,その事は難しい。
さて,若干の検討にふれてみよう。対象は高校生,教材内容は①エイズのウイルス学的知識,病理学 的,免疫学的知識,②感染源・感染経路,③予防法,④公衛生的発生状況・死亡率,感染者数等,⑤エ イズの社会的問題が凡そ共通の要素項目となっている。①,②は生物学的事実であり,③は①,②に基 づく主として衛生学的予防法となっている。多くが①,②,③型で,これに④や⑤が附加されたものと なっている。
1の 11)
因みに厚生省のパンフレットは凡そ①,②,③,④型である。また,東京都教育委員会の指導の手引 きでも①,②,③型となっている。確かにエイズ予防教育の基本的事項としては,これだけですむのかも しれない。だが科学的保健認識と保健の問題解決の方法,技術等の修得を目的の1つとする健康教育の 内容としては足らないし,構造も不明である。保健,学校保健関係誌に記載されているもの多くが,こ れらの型になっている。これを教科保健で指導するとしたら内容として重大な問題が残されているとい わねばなるまい。
というのは,地域保健教育と共通するエイズ予防教育と学校での健康教育としてのエイズに関する指 導は目標が異るからである。エイズの現実的予防の達成を目標とするものとそれだけではない健康教育 との差異である。目標が異なればそれに従う内容も当然異ってくる。図ユに示したように健康教育の内 容としては「科学的説明部」が不可欠であるし,しかも記述部との「連関」が構造的に構成されていな くてはならない。また,「人間の行動部」つまり,保健事象に関わる「人間の意識」「行動」「生活」「社会」等 の要素を欠いてはならないことである。病気の生物学事実,AIDSの症状とか特徴だけでは足らず,
これだけでは保健の学習にはならない。
人間が,患者,病者の行動や生活が保健事象の要素である限り,自然科学的認識対象の他に社会科学 的,人文科学的認識の対象を必要とする。そしてこれらは保健の観点から統合され,これらが健康教育 の内容となってくる。だから単なる「自然科学的認識と社会科学的認識の統一を」等といったスv一ガ
ンではすまないものである。スm一ガンを具体的に理論化し,それを現実的に教材化するものでなくて はならない。教材化については別に述べたのでここではふれない。
このようにみてくると,厚生省的,保健所的エイズ予防教育と,学校で行う予防教育を含めた健康教 育は異るものでなくてはならないことが理解できよう。従って「人権」を扱うにしても健康教育の理論 の上で,論理的連関を明示しておかない限り,分離突出したものとなりかねない。確かに⑤に示したよ
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うな観点での構造的連関をみると,無自覚で曖昧なものが多く,分離型が一般のようである。教材展開における 前後の論理的関係や発達段階との関係,既習事項との構造的関連等全く考究されていないものばかりで ある。そうであるなら「社会科教材」とされても仕方のないものである。保健教材としての関連や位置 である。筆者の場合,実践的検証を経たものとして提示しているのは,この関連の基本的論理は「因果 的連関」を最低の要件としている。
内容についてはこれくらいにして,次に時間配当,学習機会,担当者等の問題にふれてみたい。これらの 報告事例の中に高校で指導計画4,5時間とっている者がいる。まさに突出的,一時的保健授業といっ てよい。現実的には正規の学習指導を進めている限り,他の教材領域を無視,放棄しない限りこのよう な教科指導は可能ではない。既に述べたように「生活行動と保健」に関する題材領域はこの他にいくら
・でもあるのである。これを「柔構造的」構成で4〜5時間ずっとったら,高校の保健科の授業はどうな るのであろうか,このような「柔構造的教材」を無視して,学習指導要領通りの内容を一時間も欠ける 12)13)
ことなく実施してみても,教科書教材の終了は困難である。その事は多くρ調査研究が示している。
タバコも飲酒,性,交通安全等も教えなくてはならないのである。定期的に長続きのでき指導をす )・
めるには「ドッキング」方式のの採用であり,これに集約・まとめの「20分間1時間」の時間設定が最 大限と考える。筆者の実践的研究ではこれが有効である。
次に学習機会であるが,大別して教科活動と教科外の2領域になり,後者は学級指導と学校行事との 関連で主な機会をみることができる。学級指導の担当は主として学級担任である。内容は生活直結的実 践的内容であるから,先ずエイズ予防教育である。これに健康教育的内容が附加されることでよいであ ろう。学校行事の方は外部者,例えば校医,保健所等の地域資源の活用である。予防教育であるから①
②③型である。問題は発達段階との対応が少ないこと,発問や説明,モデルやメタファー等が児童生徒 の生活的概念や既習概念と分離していること等である。
これらの点は保健科の授業においても重なる問題となっている。指導案を提示はするが,これを動か すに足る資料がないこと,資料はあっても「教材化」「第n次教材化」されていないこと,発問との関 連が不明,曖昧であること,例えば,中学,高校の指導の中には「エイズ新聞記事」を資料として提示
したものがみられるが,指導や学習活動での利用の手続や方法,過程がないもの,どのような説明や発 問過程で,これらの資料をどのように「学習化」していくかが明確でないこと等である。単に「読んでまと め,発表させる」だけでは指導ではない。そして「アテヅッポウ質問」を設定したり「感想文」をかか せたりしている。
感想文を書かせることは意味がなくはない。感想文構成の観点が何であるのかわからぬような情緒的 感想文は,評価に結びつけることは難しい。認知的側面から情感,行動,生活的側面まで分析的な評価 ができるようにしたいものである。わが国の保健教育学ではこの種の「感想文」と「アテヅッポウ質問」がここ 2,3年流行となっているが,もっと基本的な理論との関連づけをした上で考えてみる必要がある。
4 海外におけるエイズに関する教育内容・教材及び学習機会等の検討
海外といっても筆者が入手している資料はイギリスとアメリカのものである。ここでは主としてアメ リカのエイズに関する教育内容等についてみていくことにしよう。紙巾の関係で詳細を述べるわけには いかないが,地域保健関係のエイズ予防教育用の資料・パンフレット,フィルム,ヴィデオ等の内容は イギリスとアメリカとの差異はなく,我が国のそれと同様①②③型となっている。また,大学保健セン
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ター一からの学生向けのエイズ教育の内容は全くといってよいほど類似し,①②③型である。エイズ予防を目 的とした内容としては,国を通じて大差はみられない。わが国の最近の大学保健センター等からの内容 もほぼ同様なものとなっている。
では,学校教育の方は,どうであろうか,アメリカの学校保健教育はわが国のようように教科として 国家的・画一的な規定がなされていないので,州によって異なり,学校によっても異るので必ずしも保 健体育科として合一教科の枠の中で指導しているわけではない。理科や保健の中で指導しているところ も少なくないのである。むしろ,理科の中で取扱っているといってよい州もあって,エイズに関する教 育といっても様々である。宗教的背景から,学校教育としては一切,性教育を実施していない学校もあ
るので,これらのところではエイズに関する教育も全く行なわれていない。
だから,アメリカといってもこれらが全体を代表しているものではない。ロスアンゼルスの中学校で
・85年に実施された腰内容の概齢示すと次のようになる調標はrAIDSとSTDに謝る事実と意
見との間の識別すること」となっていて,内容は主としてBi ological factが細かく構成されている。
Basic Skillsとしては「因果関係の理解」や「事象生成の連続性の認識」等があげられている。
内容は生物学的事実が主であるが,学習過程や学習機会となると,これはアメリカの健康教育の共通 事項となるもので実に豊富な内容となっている。生徒が自主的によく活動するからであり,学習参加の 機会を巧みに構成するからである。わが国の学校保健教育の場合,このLeaming opportunityの発想 は理論的にも実践的に皆無といってよい。カリフォルニアのフォダー教授が来日して筑波大でファカル ティミーティングの際にも強調したのであるが,筆者の他に,これを強調する者は,その後にも存在しな
い。
さて,基本的概念のいくつかをあげると「a,エイズウイルスは感染者との性的接触やドラッグユー ザーの汚染された注射針からの血液接触によって伝染する」ここではホモセクシュアルやバイセクシュ アルも含まれている。「b,エイズウィルスは非常に弱く,体外では数分程度しか生存できない」「c 日常的接触でエイズウイルスがうつるという証拠は知られていない」などといった内容が学習されるご とになっている。
学習活動が活発だからホモやバイセクシュアルは当然,質問・指導の対象となっている。そうなると 性教育や健康教育での性の「自己概念・性の自認」等の概念が関連事項となってくる。わが国の場合,この 種の発想すら少ないから難しい内容となっている。
これを高校生対象の教材についてみると,免疫機能とエイズウイルスとの関係が詳細に構成されてい る。ここでも学習機会の内容は豊富であり,理科生物の中の保健題材であって「関連教科」としての機 能を十分に保っている。わが国ではこのことは困難であり,高校生物に期待するのは,必修でない条件も含 めて難しい。高校保健担当の教員が,生物で指導するエイズの内容を理解できなかったり,できていな い状況が生じているので,生物で学習した生徒達の保健学習に対する態度等は複雑である。しかも最近 は修士学位を持つ理科教員はふえているので,その「深み」は比較にならないことが多い。
合一教科の体制の枠であっても「保健3の教員研修の強化が望まれるところである。
次は 87年のアメリカのエイズ教育1〜毫いてふれてみよう。
目標は自分自身と他者を感染から守ることであり,責任ある行動と意思決定が強調されている。知識 については,「生物学的側面が強調されてはいるが個人の行動面には注意が向けられることが少ないこ と」が指摘されている。健康増進に結びつく態度の強調,「他者の健康をも守る責任ある態度」の育成。
スキルは「予防的行動が実践できるよう何回ものリハーサルが必要であること」が特徴とされる。
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カリキュラムの柱は,①エイズとは何か,②エイズはどのようにしてうつるか,③どのようにして防 ぐことができるか,④その他学ぶべき事項,となっている。③地域保健や地域資源との関連や⑤STD 教育,◎教師による学習環境作りが強調されている。最大の特徴は,多様な「学習機会・方法」の構成 である。しかし乍ら,先述の健康教育の観点からすると社会,文化等の側面はやや欠けたものとなって
いる。
5 要約と提言
1)「エイズ病的カリキュラム」教材を超えること。健康教育としてのエイズ教育を考えるとすれば,エ イズの生物学的,医学的事実が大半を占める内容は,「エイズと健康」との関連を総合的全体的に反
映,把握したことにはならない。社会科学的側面,人文科学的側面が欠けているか希薄なものとなっ ている。エイズが人間の意識,行動,生活,社会等を変えた事実と,逆に,これらがエイズの状態・
生起等に関連し,変えた事実の全体的構造の認識と理解から,カリキュラム構成は考えられなくては ならない。
2)これまで,学校保健教育の内容は「人間不在」がその特徴であった。 87年の時点でもその点は変ら ずエイズ教育のカリキュラム,教材でも人間・病者・患者の意識,行動,生活等の様態やその変化が 反映されていない。だから,現実的問題として起っても教材等では「人権」とか「差別」の観点・題 材が「構造的」に構成されていない。健康教育のカリキュラムとして全体構造の中で位置づけられないと
エイズ教育だけで,「突出」しても理論的,実践的にも発展は望めない。
3)健康教育としてのエイズ教育を考える場合,タバコやアルコール教育の遅れで示されたように,マ クロな観点でのカリキュラム研究が,ミクロなそれらと併行してなされなければならない。海外との
差を自覚しないまま,慌てふためいて,取ってつけたように行った 80年代におけるこれらの研究はそ の証の一つであり,研究,実践史上の転換点でなくてはならない。
4) 「人間不在」は「タバコと健康」の教育を,「タバコ病的教材・カリキュラム」に結びつけた。同 じように「アルコール病的教材」「ドラッグ病的教材」を作成し実践してきている。性教育でさえ類
似する側面が残されている。だから,エイズ教育でも「人間の性」としてのホモ・ゲイの人間的側面 性の自認,「性の自己概念」とか「自己同一性」等の内容を欠いたまま,性病的事実を分離した形の ものが作成されている。ホモ・ゲイの「下半身」「動物的性行動」の側面のみが焦点化される傾向が
みられている。本来的な性教育との関連をその論理が不明・曖昧なまま「肛門性交j等に結びつけて いる点等は,十分に検討されなくてはならない。人間の性に対する認識,誤解,偏見等をうむことに もなりかねないからである。
健康教育の特性である「社会科学面」「人文科学面」を統合したカリキュラムの構造を踏まえて,
エイズ教育のカリキュラムは構成されなくてはならない。
5)そのためには基本的には,健康教育のカリキュラムはいうまでもなく,カリキュラムは画一的で硬 直的状況を脱するため,「硬構造」と「柔構造」の構成でなされなければならない。「柔構造jを概 略すると,教育・学習的自由選択の可能な「領域・構造」を指すものである。その条件は①社会的,
地域的条件,②学習者の発達的条件,③教育内容・教材の構造やその展開的条件,④実践・学習上の 効率的条件,⑤現代的・日常的問題事象の条件等を主なものとしている。柔構造は細部の教材につい ても考えらなければならない。
内山:学校保健教育とAIDSに関する教育 147
6)しかし乍ら,現行の学習指導要領の枠組では,大枠は基準性と拘束性をもって規定されているので 全体的カリキュラムを改造するわけにはいかない。そこで用いられる「柔構造」の方式は「ドッキン グ教材」と呼ばれるものである。教科書教材には記載されていない教材を上述した条件の中からH常
的問題事象や最近の科学的成果の情報・知識的と結びつけて作成するものである。NIEはその一つ のアプローチである。もっとも臨教審の第二次答申にみられるように「多様な創意工夫ができるよう より大綱化を図る……」という提言が「画一性,硬直性」等を解くとすれば,枝葉のドッキングは不 要となるかもしれない。しかし,基本的には「柔構造」の理論でなされなくてはならない。・
参考・引用文献
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5)土屋健三郎:疫学入門 医学書院,1968
6) Mac Mahon & Pugh :Epidemiology. Principles and Metho ds, Little, Brown and Co,1970 7) Le R iche & Milner :Epidemiology as Medical Ecology, Chuvchil Livingstone,1971 8) Leavell &Clark:Preventive Medicine, Mc Graw 一一 Hill Book Co,1958
9) SHES:Health Education , 3 M Education Pres, 1967 10)厚生省:エイズ予防「エイズってなあに?」,1987
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