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の文化的多元化

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(1)

の文化的多元化

Cultural Pluralizations of the llPono川:

the ITraditionall Islamic Boarding School of Southern Thailand

尾 中 文 哉

0.はじめに      ているように,近代学校方式を採用し,「宗 東南アジアのイスラムにおいて,「ボン   教学校」に変身してきている,ということで

ドック」(マレーシア)「プサントレン」(イ   ある。タイでも,かなり違った文脈の中でで ンドネシア)「ポノ」(タイ)などと呼ばれる   はあるが同様の「学校」化が起こってきてお イスラム寄宿塾が過去から現在に至るまで重   り,そのことについては数多くの研究が行わ

要な役割を果たしてきたことは,東南アジア  れてきた。しかし依然として「伝統的」スタ

研究者の間では常識である。しかし,これま   イルを維持している「ポノ」がどのような変

で注目され論じられてきた事象は,西野   化を遂げつつあるのかについては,殆ど論じ

(1990)がインドネシアについて詳細に論じ   られてこなかった。本稿では,このことにつ

v       いて,実態調査にもとづき,記述を試みた

       い。

Dio:     1.「ポノ」とは何か?

「ポノ」とは,学生が教師の家の周りに小       、

^イ       屋(やはり「ポノ」と呼ぶ)を立てて共同生

活をすることにより継続的かつ実体験的にイ

:::・ Oバンコク

E:

スラムの知識を学ぶ,という方式である。こ

黷ヘ14〜17世紀に東南アジア地域がイスラム

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        化して以降,若い世代に知識を与え,イスラ

@       ム教師をつくりだす機関として広く普及して

@       きた。

C・

:・:・:蹴三:;:ili:ili:i:i:i  除き,学級と翻試験という方式をとらないサトゥン、   ∵.∴∴・∵・・     こと,(2)自由選択を基本とし,すべての授業 ㌧」・    ナラティワート

図1 タイ南部国境四県の位置         近代学校方式を採用しない点に特徴がある。

(パタニ、ヤラー、ナラティワート、   修学の継続,中止,再開や「ポノ」からの出

サトゥン)      入りは,本人の自由意思に任されている。テ

(2)

キストとしてはパタニ・ウラマーの書いた   究が行われてきた。

ジャーウィ(アラビア文字表記のマレー   Kaeodaeng(1968)の修士論文は,統合政策

語)・テキスト(注1)とアラビア語のテキスト  の転換が起こった60年代の雰囲気をよく表わ

を用いる。      している。それは,分離運動に対抗するため それに対して,60−70年代にタイ政府の   にはまず教育が重要であること,特にイスラ

「ポノ」改編政策の結果生まれてきた宗教   ム寄宿塾「ポノ」が戦略的な重要性をもつこ

科・普通科共修型の「私立イスラム教学校」  とを見定めている。しかもその態度は決して

(「スコラ」)は,タイ語による普通科目を導   「ポノ」敵視ではなく,政策の遂行にあたっ 入したが,それだけではなく,「学級」「進級   てはト・クルー(後出の「バボ」と同じ。

試験」「机と椅子」という近代学校方式をも   「ポノ」の主宰者)との合意を形成しながら 導入した。当然,修学の継続や中止にも教師   行うべしとする融和的方針を主張している。

の許可が必要である。テキストとしては,タ   「ポノ改編政策」に対してト・クルーたちも イ語,ルミ(ローマ字表記のマレー語),ア   賛成していると主張する調査結果自体は,タ

ラビア語のテキストを用い,ジャーウィ・テ   イ語の調査票を用いたりサンプルがかなり

キストは教えない。       偏ったりしているので一般性は高くないが,

ここ30年程の間,「スコラ」の学生数は順   当時のタイ知識人の考え方やポノの実態をよ 調に伸びてきたが,だからといって「ポノ」   く伝えている。

の学生数が急速に落ちるわけではない(図    同じ頃にSuun Phatthanaa Kaan Suksaa 2

2)。(注2)どうしてこの「伝統的」な「ポノ」   (文部省第二管区開発センター)(1969)も

はこれだけの勢力を維持することができてい   ポノに関する詳細な調査報告書をまとめてお

るのだろうか。      り,政府全体として「ポノ」に焦点を定めて

まず,これらについての研究史を振り返っ   いることがよくわかる。

てみよう。       「ポノ改編政策」が進行した80年代になる

と再びポノについての研究が現われ始める。

2.「ポノ」の研究史       Soemsak(1983)は,やはり統合政策の立場

「ポノ」については,これまで数多くの研 に立つものだが,先のKaeodaengよりも広く

60000

一一一一@「私立イスラ

50000

ム教学校」生徒

40000

総数

30000 一ロー一一 @教科目のみ

20000 覆修(「ポノ」)

10000 一一一汕鼈鼈齒 @教科目と普

0 通科目両方覆

一   「寸   卜噛   0   6う   ㊤   ①   Cq   L⇔

修(「スコラ」)

ト   ト   ト   ◎◎   QO   QO   ◎○   ①   ① σ》   σ》   σ〉   ①   ①   σ}   σ》   ①   ①

肖    「【咽    マ■→    ▽一弓    一    「【司    マー剣    F岡    「一

図2 「私立イスラム教学校」の学生数と履修変化

(3)

対象をとり,ジャーウィで調査票を作成して   を行っている。それによると,パタニ・マ

調査を行った。その結果,ト・クルーは改変   レーはモロに比べ宗教的指導者が強く,東南 政策に概ね賛成でありながらも,女生徒に歌   アジア・イスラムの中心であったが,タイ政 わせたり運動させたりすることへの疑問,政   府の「ポノ改編政策」が効を奏して大して政 府の援助金が十分とはいえないなどの若干の   治的成果を挙げられなかった,というのであ 不満もあることを明らかにした。       る(Che Man 1990)。これは比較としては興

ムスリムでありながら普通中学校を経て   味深いが,パタニ・マレーの記述としては若

ハーバード大学に留学したPitsuwan(1985)   干単純化し過ぎている。

は,「ポノ」を「マレー・ナショナリズム」    最近の研究としては,奥川(1998)が,経 という枠組みでとらえ,ポノ改編政策につい   済開発との関わりで教育の変化を描いた。つ

ても「マレー人をタイ化させ」ようとする   まり,80〜90年代に入っての普通中学校への

「民族同化政策」として記述した。       進学者の増大などに着目し,それは経済的豊 日本人研究者による捉え方もほぼ同様であ   かさがムスリムにも行き渡るようになった結

る。この「ポノ改編政策」について橋本   果だとみるのである。こうした視角は,分離

(1987)は「宗教教育への介入」として,小   運動の衰退を経済発展とマスメディアの普及 野沢(1987)は「文化的同化政策」として描   と関連させた橋本(1991−92)の視角とも通 いている。すなわち,「宗教(イスラム教)」   じるものである。

と「民族(マレー族)」という二つの文化要   以上見られるように,これまでの研究は,

素についての同化政策と捉えるのである。   もっぱら統合政策との関係や,普通科・宗教 それらに対してMadmam(1990)は,「ポ  科共修の「私立イスラム教学校」への改編に ノ改編政策」には,ムスリムの側からの主体  ついて記述することに主眼がおかれ,「伝統

的対応という側面もある,ということを明ら   的」な「ポノ」自身がとげてきた独自な変容

かにした。たしかに,政策の開始はタイ政府   については,ほとんど検討がなされてこな

の民族的同化政策にあったが,それに危機感   かった。

を覚えた一部のト・クルーたちがその政策に

のるかわりに同時に近代的なイスラム教育施   3.調査対象・調査方法

設をタイにも導入することでイスラムの存続    本研究で調査対象となったのは,南タイ・

をはかった,というのである。「ポノ改編政   パタニ県のB郡A村にある「ポノA」であ 策」の結果つくられた「私立イスラム教学   る。A村はパタニ市(人口約4.0万人)中心 校」では,タイ語の普通教育同時に学ぶが,   部からおよそ27km離れている。バンコクか 宗教教育についても近代学校方式を取り入れ   らはおよそ1100km離れている。 A村の人口

た。それがト・クルー側の働きかけによるも   は671人,130世帯である(1990年)。村人の のだと指摘したのである。近代学校方式導入   宗教は全てイスラムである。

の結果,サウジアラビアやエジプトなどイス    「ポノA」に関する調査は,六箇月間の定

ラム近代諸国の大学への留学も格段に容易に   着調査として行われた。その方法は,参与観 なった。そこには,単に「文化的同化政策」   察とポノに関する現地(ジャーウィ)文献の とだけ見るわけにはいかない面もあるのであ   収集である。前に若干述べたように,この地

る。       域が現在でも政治的緊張度の高い地域である

チェ・マンはフィリピンのモロとタイのパ   ために,調査票を用いることは不可能であっ

タニ・マレーの分離運動について,比較考察   た。報告者はイスラムに関心をもつ学生とし

(4)

て「ポノA」に寝留まりし,学びながらその   南部県(パンガー,クラビー,プーケット,

生活を観察する,という方法をとった。     ナコンシータマラート,ラノーン等)出身者 である。このグループは南部タイ語を日常語

4.調査結果       としている。遠くバンコク近県(ナコンナー

以上の調査の中で,次のような事実が浮か   ヨック,チャンタブリ,プラチンブリ,アユ

び上がってきた。見かけ上の変化として   タヤ,バトゥムターニーなど)からも多くて

は,60−70年代のポノ登録制・ポノ改編策の   やはり二割ほどいる。このグループは中部タ 中で「ポノA」にもタイ語の名称がつき,そ   イ語を母語とする(注4)。残りの一割はマレー の看板が入り口には立てられたということが   シア各地域(ペラク,ムラカ,ケダ,クラン ある。しかし,その名称はあまり使われてい   タン,トレンガヌなど)出身者である。この

ないし,看板も汚れたままである。それより   うちクランタン,トレンガヌ出身者はパタ も重要なのは以下の変化である。       二・マレー語を話すが,他の地域の場合は標

準マレー語を話していることが多い。

4−1.パタニ・マレー語以外を日常語とす    つまり,A村の土着語であるパタニ・マ る学生の増加      レー語を日常的に話しているのは,五割ほど 1930年代に設立された「ポノA」は当初,   (パタニ,ヤラー,ナラティワート県出身者 A村や周辺村の子どもを受け入れる機関で   とクランタン,トレンガヌ出身者)に過ぎな

あったが,初代「バボ」(ト・クルーに対す   い。一割ほど(マレーシア他地域とサトゥー

るマレー人の呼び方)の名声が高まるにつ   ン県出身者)は他のマレー語,残りの四割は

れ,他県出身者が増大するようになる。「ポ   南部タイ語または中部タイ語を日常語として

ノA」が拡張を行うのは,1945年,1948  話している。全員が共通して上手に話せる言 年,1967年,1980年,1993年である(「ポノ  葉は存在しないので,話し相手によって言語

A」の歴史を書いたパンフによる)。これら   を変えることになる。

はそれぞれ,Dusun Nyiur事件(1948),分    言語にともなって,他の文化も入り込んで

離運動活発化(1960年代),国王襲撃事件   来ることになる。本当はいけないことなのだ

(1980),学校放火事件(1994)などが示す   が,タイ字の新聞を持ってきて読んだり,

ように,いずれもタイ政府と南部国境ムスリ   こっそりタイの歌謡曲のテープをかけて楽し ムとの緊張関係が高まった時期に対応してい   んでいる学生がでてきている。逆にルミで書

ることに注意が必要である。         かれた「低俗」な本を回し読みすることもあ

いずれにせよ,「ポノA」には全国からム   る。

スリムが学びに来るようになった。そこで起    さらに問題なのが教授用語である。

こってくるのが,タイ語を日常語とする学生

の増加である。      4−2.タイ語による教授・説教

現在は,学生の内訳は次のようである。A   そうした変化に対応してか数年前から導入

村を含むパタニ県他村出身者は二割ほどであ   されるようになったのがタイ語による講義で

る。三割ほどが南部国境他県(ソンクラー,  ある。「ポノA」での正規の講義は,「バボ」

ヤラー,サトゥーン,ナラティワート)から   の数人の娘婿(menantu)たちによっておこ きている。以上の地域出身者はパタニ・マ   なわれているが,その際の教授用語はずっと

レー語ないし地方マレー語(サトゥーン)を   パタニ語のみであった。しかしそれでは,タ

日常語として育ってきた(注3)。二割程は他の   イ語圏出身者は殆ど理解できず,学習に非常

(5)

に長い年月を要してしまうことになる。そこ   での講義・朗読が始まった。パタニ以外のマ

で,「バボ」はバンコク出身のウスタズKを   レー文化も入っている。それとともにイスラ

娘婿とし,タイ語で授業をさせるようになっ   ム復興運動と接する中で東南アジアや南アジ た。タイ語圏の多くの学生はそれに出席して   アなど海外のムスリムとの接触が盛んになっ いる。しかしテキストはやはりジャーウィで   てきている。

書かれたパタニ・ウラマーたちのものを使用    もちろん,以上の中で,ジャーウィとアラ

している。      ビア語に基づくパタニ・イスラムの伝承とい

また,毎日アサルの礼拝(午後四時頃)の   う営みは維持しようとしている。宗教科普通

後には学生代表が説教書の一節を朗読するこ   科共修の「私立イスラム教学校」のように近

とになっているが,週に二日はタイ語で書か   代イスラム的色彩の濃いタイ語やルミのテキ

れた説教書を読み上げるようになった。    ストを導入することは頑強に拒否している。

しかし後者への通学者が増大する中で,「ポ

4−3.「ダワda wah(布教活動)」を通し   ノ」は,ジャーウィ・テキストとアラビア語 た異文化接触      テキストを教えるという以外の点では多様な 十年ほど前から「ポノA」は布教活動に熱   文化を受容することによって初めて,以前と 心になった。学生たちのリーダーは毎週のよ   同様の勢力を保つことができているのであ

うにグループを組織して泊りがけで周囲の村   る(注6)。

に説教に出かけている。これはインドを中心

とする(注5)国際的な「イスラム復興運動」の       《注》

一端で,ヤラーに本部がある。学生たちはし   (注1)ジャーウィ・テキストについて詳しくは,

ばしばその本部を訪れるが,そこで出会うの   Matheson et al(1988),尾中(1997)を参照。

は海外のムスリムである。例えばベトナムや   (注2)教育省第二管区資料などより作成。なお奥川 カンボジァやアチェからコーランを習いに来    (1998)を参考にした。

た学生であったり,わざわざエジプトやパキ   (注3)パタニ・マレー語と地方マレー語は,互い

スタンから説教に来たウラマーであったりす    に理解できないほどではないが,若干異なってい る。お金のある学生は,四十日間の海外(イ    る。例えば,「食事二をする」は前者ではrmakae ンド,パキスタン,バングラデシュ,インド   nasi」だが後者では「makan nasi」である。そし ネシアなど)での「ダワ」に参加することも   て,これはタイ語とは全く異なった言語であり,

できる。ここでは,4−1,4−2とは違っ    相互に理解ができない。

た意味で,パタニとは異なる言語や文化に支   (注4)南部タイ語と中部タイ語は,同系統の言葉 えられたイスラムに学生たちは接することに   であるが,声調と基本単語が異なるので,早口だ なる。ここでも様々な言語で会話が飛び交う   と相互に理解ができない。

が,本部付設の学校はアラビア語のテキスト   (注5)デリーのニザムッディーン廟に本部がある

を用いている。       という。

(注6)こうした事態は,同じムスリム・マイノリ

5.結び      ティであるフィリピンの「モロ」でも見られるか

「伝統的」な「ポノ」において,ここ三十   どうかはわからない。歴史的背景が異なる(Che

年ほどの間に起こってきたのは,それを支え   Man 1990)上,「モロ」のマドラサは中東諸国と

る文化の多元化である。非国境南部県やバン   の関係で60−70年代に設立されたもの(川島

コク近郊からタイ語常用者が流入し,タイ語   1999)でr伝統的」なものではないため,単純に

(6)

比較ができないのである。      Islamic Tradition「Journal of the Malaysia Branch

of the Royal Asiatic SocietX Vbl.61, Part 1. No.254

《参 考 文 献》        :1−86.

Che Man, W K,1990 Muslim Separatism:The    西野節男 1990『インドネシアのイスラム教育』勤 Moros of Southern Philippines and the Malays of   草書房。

Southern Thailand, London:Oxfbrd Ulliversity    奥川由紀子 1998『タイ国南部国境県におけるマ Press.       レー・ムスリム統合政策一開発と教育の視点から

橋本卓 1991−92「南タイ国境県におけるムスリ   ー』,神戸大学大学院国際協力研究科修士論文。

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Kaeodang, Rung,1968, Tassanakhati khong tol   小野沢正喜 1987「タイのイスラム教徒における khruu toa kaan ra rung pono en rongrian raat   文化と教育」権藤與志夫・弘中和彦編「アジアの文 soan saasanaa issalaam,[ポノの私立イスラム教学校改   化と教育』所収,九州大学出版会,182−204頁。

編についてのト・クルーの態度],M. A, Dissertation,   Pitsuwan, Surin 19821slam and Malay Nationalism:

Thammasat Universityl       ACase Study of the Malay−Muslims of Southern 川島緑 1999「フィリピンにおけるイスラーム運   Thailand, Ph, D Dissertation, Harvard Universitメ

動と国家統合一南ラナオ州におけるウラマーの社会    Soemsak Wisalaphon 1981 Panhaa lae naeokhit 改革運動をめぐって一」栗原浩英編『東南アジアに   khong phuu borihaan rongrian raat soan saasanaa おける「共存」・「共生」の諸相』東京外国語大学ア   issalaam(pono1)nai changwat chaaidaen phak tai,

ジア・アフリカ言語文化研究所。      [南部国境県における私立イスラム教学校(ポノ)の Madmarn, H,1990 Tradi七ional Muslim Ins七itu一   経営者の直面する問題と考え方],Mahawitthayalai tion in Southern Thailand;aCase Study of Islamic   Srinakarinwirot.

Studies and Arabic Influence in七he Pondok and     Suun Phatthanaa Kaan Suksaa 2 1969 Raai Madrasah System of Pattani, Ph. D. Dissertation,   ngaan wichai ruang kaan chat kaan suksaa khong

Utah Universitγ       pono nai changwat chaaidaen hak tai,[研究報告:

Matheson, V, and Hooke蔦M. B.,19881Jawi   南部国境県におけるポノの教育施策]Suun Phatthanaa Literature in Pattani:The Maintainance of An   Kaan Suksaa 2.

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