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佐 藤 和 夫

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Academic year: 2021

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「執筆禁止時代のケストナー(H)」

佐 藤 和 夫

1.はじめに

本稿に先立つ「執筆禁止時代のケストナー(1)」では1933年から1945年の エーリヒ・ケストナーの活動の概略を述べた。以下においては1933年にドイッ で印刷されながら,スイスで発行せざるをえなかった子どもの本《Das flie一 gende Klassenzimmer》を取り上げ,検討を加える。

《Das fliegende Klassenzimmer》に対する評価としては次のようなもの が代表的であると言ってよいであろう。

「…r飛ぶ教室』…は学校物語と呼ばれるジャンルが存在するかぎり,最も 中枢にすえられるべき真髄を極めた作品であろう。最も古く,また最も新し

い問題である教師と生徒の関係・友情などが,上下の構造関係でない人間関      1

Wのなかで,骨太にスピーディに描かれる…」

全12章のうち第11章までがその舞台を学校内もしくはその隣接地域としており,

その学校のある町を離れることがないのだから,まさしくこの子どもの小説は

「学校物語」そのものである。しかし本論では別の見方をしてみたい。

2.キーワードとしての「クリスマス物語」

       2

sKein Buch ohne Vorwort》を信条とするケストナーは序文で常に重要な 指摘を行なっている。例えば彼の子どもの本の処女作《Emil und die Detek一

tive》ではごく日常的なことを題材として物語が組み立てられることが作者とカ      3フェーのボーイ長との対話を通して明らかにされ,これが結果として新しいタ

イブの子どもの小説を切り開くことにつながった。また次作の《P廿nktchen

und Anton》では創作における文学的真実を取り上げ,読者に事実と真実の違        4いを教えてくれる。

それでは《Das fliegende Klassenzimmer》においては何を重要な指摘と

(2)

してくみとるべきだろうか。この作品には序文が二つあり,その第一部では母 にせきたてられて物語の執筆にとりかかるケストナーの姿が,第二部では物語 の登場人物の一人ヨーナタン・トロッツ(愛称ジョニー)の人となりが語られ る。これからも重要な問題を抜き出すことはできようが,ここでは第一の序文

の書き出し,

       5 u今度は正真正明のクリスマス物語ができあがります」

と第二の序文の末尾近くにある文,

      6 u明日は早起きしてクリスマス物語を今度こそ語り始めます」

に出てくる「クリスマス物語」という言葉をキーワードとして注目してみたい。

これは言葉として序文の枠を形成しているばかりでなく,当然ながら内容的に も物語全体の枠となり,作品解明の大きな手がかりとなるように思われるから

である。

3. 「子どもには悩みがある」

ケストナーはその子ども時代の自伝《Als ich ein kleiner Junge war》

の第11章で《Ein Kind hat Kummer》(子どもには悩みがある)を標題と        7

ト少年ケストナーの苦悩を描いている。息子の将来にすべてを賭け,そのため に自分を犠牲にするばかりか,周囲の者と摩擦を起こしてはばからない母。時 にその目標に向ける猪突猛進からくる反動で絶望に陥る母。母を愛し,その願 望を実現するべく努力しながらも,そうした母の姿にとまどい,悩む息子。こ の母と親身な家庭医とのただならぬ関係をもし息子が知っていたら,あるいは       8 サれ以上に自分がその男の子どもであることまでも知っていたならば,息子は いかほど人の生の不可解さに悩んだことだろうか。

子どものもつ苦悩の深さを知るが故にケストナーはそれを《Das fliegende Klassenzimmer》のライトモチーフにした。

「どうして大人は自分の子ども時代をすっかり忘れてしまうことができるの でしょうか。…子どもの涙は大人の涙よりも軽いなんてことは絶対ありませ んし,ずっと重いことだってしょっちゅうあります…つらいときでも正直で あってほしい,真底正直であってほしいと私は言っているんです。!

ではケストナーは各登場人物たちにどのような悩みを配分しているのか,そ

れをみていこう。まず主人公のマルチン・ターラー,彼は《Das fliegende

(3)

佐 藤:「執筆禁止時代のケストナー(皿)」      81

Klassenzimmer》の前作の主人公たち,エーミールやアントンと同じタイプに 属しており,彼らの場合学業成績は(アントンに関しては必ずしも分明でない

が)優秀で行動力があるが,しかし家庭が貧しいという点で共通している。し       ユoたがってマルチンの場合は貧困から生まれる悩みである。

劇中劇《Das fliegende Klassenzimmer》を創作した文才のある少年ジョ ニー・トロッツの苦悩は両親に捨てられたことからきている。

無二の親友同士である対照的なコンビ,マチアス・ゼルプマンとウーリ・フォ ン・ジンメルンにも悩みがある。マチアスは腕力も勇気もあるが学業が不振で ある。ウーリは貴族の出で物質的には何の不足もないが,ただ勇気が足りない のを苦にしている。これらの少年たちのグループの一人,ゼバスチアン・フラ ンクは熱心な勉強家で難解な本を好んで読み,常に人を椰愉する言動をして孤 高を保っている。しかしこの孤高には他人とうまく触れ合えないという孤独感 が内包されている。

さてクリスマス劇であるからにはこれらの少年たちの苦悩はめでたさのうち に解消されなければならない。しかし少年たちの属する寄宿学校のある小さな 町キルヒベルクに登場人物たちの活動を限定し,しかも外部から訪れる人間は けがをしたウーリを見舞う彼の両親のみという設定の中ではジョニーの苦悩だ けはどうしても救済できない。救済できない理由は彼の人となりがクリスマス 物語の本文の枠をはずれて第二の序文の中で叙述されていることに求めること ができよう。ジョニーの苦悩の例はクリスマス物語とは別の,ある子どもの本 の作者の見解に反論するために引き合いに出された。

「私がジョニーの身上話をしたのはr子どもはいつも元気で,うれしくてう

れしくてどうしようもない』と私が昨晩部屋で読んだ子どもの本で不正直な       11

?メが言っていたからです。」

ジョニーはクリスマス劇の枠を越えた特別の人間であるから「あとがき」の中 で物語の完結後二年を経て作者ケストナーとベルリンで再開し,後日談を語る。

単に物語中の人物としてだけでなく,現実の作者ケストナーに最も身近に配さ れた彼は,それだけ現実の姿に近い解決しがたい苦悩を背負わされた人間とい

えよう。

マルチンの家庭の貧困とゼバスチアンの孤独感も質的な違いはあるにせよ容

易には解決しがたい問題である。       12

@「授業料半額免除の特待生」マルチンは常に金の不足に苦しめられ,クリス

(4)

マス休暇の帰省費用にも事欠いている。しかしこの悩みにジョニーのように帰 るべき両親の家庭をもたない生徒もいるので誰にも相談できない。休暇中も寄 宿舎に居残ることを決意し,両親に会えない寂しさに耐え抜こうとするが,舎 監のべク先生に様子の変調を見抜かれ,先生から旅費をプレゼントされ,無事 父母のもとへ帰ることができる。

こうした解決のしかたをマンクはマルチンの貧しさの根本的原因である父親

の失業について読者が考える機会を奪い,過剰な感傷におぼれさすものと批判     13しているが,もしベク先生が生徒の態度の変化に気づかず金銭的援助をしなけ

れば,彼は生徒の苦悩に何の手も打たない「ぼんくら」教師となり,だれもが 幸福感につつまれるべきクリスマス物語にはふさわしくなくなってしまう。こ の場面は読者の社会を見る目を養う役割に重きを置くよりは,河合隼雄氏が述 べているように教師と生徒の間に適切な距離を保ちながら張りつめた表現力の       14

キ起する感動の方に重点を置いて読んだ方がよいように思われる。

ゼバスチアンの孤独感は一方で彼が自分の心をみせず孤立を愛する性向から きているので,これは彼に一生つきまとう問題であろう。ゼバスチアンに対す る処方箋としてはケストナー自身が悩める人のために「類似療法」を用意した 詩集《Doktor Erich Kastners Lyrische Hausapotheke》をすすめるのが一 番よいのかもしれない。しかしクリスマスというめでたい折には,一時的とは いえゼバスチアンの心もただ一人の高みから校友たちと同じ地平へと降りてく る。後述のウーリの「飛び降り事件」をめぐる自習室での議論の中で日頃の彼 の嘲笑的言動はウーリの大胆な行動に対する感動の前に陰をひそめ,自分の気 持を正直に打ちあける。

「…ぼくを臆病だなんて思ったことが一度だってあるかい。誰も気がっきは しなかったね。だから打ち明けるんだけど,ぼくはとても臆病なんだ。ぼく        15

ヘ利口な人間だからそれを表に出したりしないんだ…」

こうゼバスチアンは校友たちに告白して初めて彼らと同じ立場に立ち一体感を 味わうことができるのである。ただ彼は一瞬後には

       16 uところでぼくに勇気が足りないのを茶化したりするのは許さないよ…」

と言って通常の立場にもどってしまうのではあるが。

マチアスの学業不振は最も軽い悩みの部類に属するだろう。何しろ本人が

「ぼくの馬鹿さかげんは救いがたいよ…ぼくは将来ボクシングチャンピオン

になるんだから,正書法なんてどうでもいいんだ」7

(5)

佐 藤:「執筆禁止時代のケストナー(∬)」       83

と達観している。本人がその度しがたさを自覚し,学業成績とは無関係な道を 歩もうとしているのだから,ここには何の救済も必要としない。学校を舞台と する物語の中で学業の悩みが一番小さいのもクリスマス物語にはふさわしいと

言えよう。

クリスマス物語で救済されるのに最もうってつけの題材は心の悩み,それも 対人的なものではなく,自分自身の覚悟あるいは努力で克服できるものであろ う。その点で自分の小心さ,臆病さに悩むウーリ少年と彼の悩みを克服するた めの道筋こそこの《Das fliegende Kassenzimmer》の中の中心的部分と考 えてよいのではなかろうか。

4.ウーリの悩みとサスペンス構造

ボイトラーは《Das fliegende Klassenzimmer》の作品構造を分析して この作品のサスペンスを構成するものはギムナジウムの生徒と実業学校の生徒 との対立抗争であるとした。この観点に立って彼は《Das fliegende Klas一 senzimmer》のサスペンスは第4章を頂点とする最初の5章にあり,第6章以 降は

①ギムナジウムの舎監ベク先生とそのかつての友人で払い下げの「禁煙車」

に住むウトホフトの再会

② 自分の小心さを直そうとするウーリ少年のはしごからの飛びおり

③ マルチンの旅費不足による苦悩

といった二次的な筋が語られると分析し,これらの話はそれぞれに緊張感に富 んだものではあるが,むしろ読者の関心は最初の4章で強く引き起こされた5        ●

lのギムナジウムの生徒たちとの一体感によってもっと幅の広いできごと,ク       18 潟Xマス前の寄宿舎の生徒たちの生活へ向けられていくのだと評価した。

しかしクリスマス物語を中心に見すえた観点に立てば,上記の①と③はボイ トラーの言う通りであるとしても,②こそこの物語の主たるサスペンスを構成 するものと考えるべきであり,けっして全12章の作品の第4章で物語のクライ マックスは終わっていないのである。

 ボイトラーがサスペンスを構成すると考えた最初の5章は次のように組み立     19てられている。

第1章:実業学校の生徒がギムナジウムの生徒を襲い,書き取りノートを奪

(6)

う。

第2,3章:その生徒とノートを奪い返すための計画が立てられる。

第4章:ギムナジウム生が実業学校生と交渉し問題の解決を図る。その結果,

双方代表を立てての一騎討ちにギムナジウム側が勝てば生徒とノー トが引き渡されることになるが,実業学校生側が違約し,乱闘とな る。この間マルチンの機転で連れ去られた生徒は奪還される。

第5章:この事件のためにマルチンら少年グループが無断で寄宿舎を出たこ とで舎監のべク先生から呼び出される。

この乱闘も含まれる5章の中で徹底して語られるのはウーリ少年の特徴と彼 の弱さである。

第1章:背の低い金髪の少年ウーリ・フォン・ジンメルンは何かあればその 親友で腕力のあるマチアスの庇護にすがろうとし,劇中劇では女役 が実によく似合う。

第2章:戸外に出れば,すぐこごえてしまう。

第3章:友人の姿が一人でもみえなくなれば不安がり,また対立抗争の発覚

を怖れる。

第4章:己れの弱さを友人の一人にからかわれて涙を浮かべ,乱闘の場面で はいち早く逃げてしまう。

第5章:無断で寄宿舎を出たことで他の4人の少年とともに舎監に呼び出さ れ,彼の質問におびえながら答える。

このようにウーリーは同一グループを構成している他の4人,抗争全体の指 揮をとるマルチン,彼を巧みに補佐するジョニー,全体の流れを冷静に把握す るゼバスチアン,腕力を振う好機到来と張りきるマチアスらとは著しく際立っ た対照的人物として描かれる。

しかしながらその一方でウーリの大胆な行動に向けての伏線が用意されてゆ く。まず,帰宅途中のギムナジウム生を襲って書き取り帳を奪った実業学校生 への対処のしかたを世捨て人の「禁煙さん」に相談する第2章でウーリはマチ アスにこう語りかける。

「r君にはわからないだろうな』とウーリはうなだれて言った…r臆病を脱

け出すためにあらゆることをやってみたよ。効果はなかったけどね。いつだっ

て逃げ出さないそ,ひるまないそって決心するんだ…でもそう決心したとた

んにもう逃げ出してるんだ。他の人たちに信頼されてないかと思うとへどが

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佐 藤:「執筆禁止時代のケストナー(皿)」      85

    20 ナるよ。』」

このウーリの告白に対するマチアスの返答が後のウーリの行為を呼ぶ引き金と

なる。

「『まあ一度みんなに尊敬の気持を起こさせるようなことをやってみるんだ

ね…全く途方もないことをね。いやびっくりした,ウーリってのはすごいやつ      21だなって思われるようなことをさ…』」

マチアスの,彼自身からすれば何気ない返答はウーリに真剣に受けとめられ,

またしても臆病さのために実業学校生との戦いに加われなかった彼を慰めよう

とするマチアスにウーリはひそかな決意をもらす。      22

@「『けれどもこのままではいないよ。近いうちに必ず何とかするよ。』」

何をするのか具体的には述べないながら,ともかく行動を起こす決意を固め たウーリ少年には以前とは異なった心境が生まれる。深夜の宿舎でお化けの粉 装をした上級生におびえる最下級生を自分の体験を語りながら慰さめる心の広

さが生まれていたのである(第6章)。

第7章でウーリはまたしても自分の無力さ,級友たちの自分に対する軽視を 思い知らされる。ウーリは数人の通いの生徒に紙くずかごに入れられ,地図用 の掛けくぎにつるされてしまうのである。

ついにウーリはその後の休憩時間中に自分の臆病さを克服するための行動を 実行に移すことを決意し,何をするのかは伏せたまま,彼の話しかけを無視しよ

うとする級友たちを押し切って放課後校庭に集まってくれるように宣言する。

「ウーリはハンカチのように真っ白でした。彼は小さな声で言いました。

rお知らせしたいことがあります。ぼくはもうこれ以上耐えられません。今 に完全に病気になってしまいます。君たちはぼくが臆病者だと思っています。

でも今にわかります。今日の3時に運動場へきてください。3時ですよ。忘      23れないで。』」

具体的計画が明かされないまま物語は第8章へと推移する。ウーリは体育館 で劇のけいこをしている仲間たちに何も告げずにその場を離れ,傘を手にして 運動場へと向かう。彼は体操用のはしごに昇り,何事かと見上げる生徒たちに 雨傘を用いて降下をする旨を初めて明らかにする。ウーリの不在に気づいた体 育館の級友たちが校庭に駆けつけて,ウーリに実行を思いとどまるよう説得す るが,その静止をふりきってウーリは降下を敢行する。傘は何の役にもたたず,

反れ返ってウーリは足に重傷を負ってしまうのである。

(8)

第8章のこの場面こそが上述の伏線を用意しながら積み上げられてきたサス ペンスの頂点なのであり,これ以降はこの緊張の高まりが解除されると同時に 二次的な筋が語られていくのである。したがって第9章以降はウーリの行為を めぐる解釈とかつての親友たち,「正義さん」ことべク先生と「禁煙さん」こ とウトホフト氏の交流の再開,そして帰省の費用を送ってもらえなかったマル チンの悩みをめぐって展開する。

ウーリの飛び降りは校友たちに先にマチアスがウーリに示唆した効果をもた らし,「チビのジンメルはどえらいやつだ。いつかあんな大胆なことをするな        24 て思いもよらなかった」という意見が大部分を占めた。それに対してゼバス チアンは一人冷静に分析しているようにみえる。ゼバスチアンによればウーリ は飛び降り以前も以後も臆病なことに変わりはなく,ただ他の臆病者と違うの は彼が臆病を恥じている点にあるというのである。しかしゼバスチアン自身も ウーリの行為には感動を抑えきれず,先にも述べたように彼には珍しく自分の 真情をもらしてしまうξ5

一方大人はウーリの飛び降りの効果は認めながらも,背景を無視した単なる 胆試し的飛び降りを懸念する。ベク先生は

「r小さいウーリが必要不可欠と思った実験が事故にとどまり,不幸になら なかったことを感謝したいと思う。もっと悪い事態になる可能性もあったの だ。この種の勇気が流行にならないよう厳格に留意することをここにいる者 たちに念のためにお願いする。勇気もその不足もできるだけ目立たないよう 実行に移してもらいたい。自分の名誉を守るのと同じように学校の名誉にも       26

Cを配ってほしい…』」

といささか分別くさく述べなくてはならない。人に小心さを気づかれないよう にするのが賢明なのだとする先のゼバスチアンの考え方と軌を一にして,ケス トナーの読者への配慮がうかがえる。これを《PUnktchen und Anton》とは 異なってケストナー自身が語る形式ではなくて登場人物,しかも生徒たちの尊 敬を一身に集めている教師に言わせているところが効果的である。

飛び降り実行後のウーリの心境は著しく変化する。それまでのマチアスに庇 護を求めようとする態度から自分の意志の実行をマチアスに迫る姿勢へと大転 換を遂げるのである。面会禁止のウーリの病室を無断で訪問したマチアスと病 床に横たわるウーリは次のような話を交わす。

「一瞬後には彼はウーリのベッドのそばにいました…そのときウーリが目を

(9)

佐 藤:「執筆禁止時代のケストナー(H)」       87

あけました…『他の連中は何て言ってるの。』」

『ただもうあっけにとられてるよ』とマチアスは伝えました。『それにすご く君を尊敬するようになったよ。』

『そらごらんよ』とウーリはささやきました。『ほんとうに君の言うとおり だった。不安は治るんだよ。』…

ウーリは自分にも他の人たちにも満足していいました…

『ベッドサイドテーブルの上にチョコレートがある…食べたまえ。』

『いいや,いらないよ』…

rいいからマッツ。ぼくは君がチョコレートを食べるよう命令する。そうで

ないとぼくは興奮する。禁煙さんはどんな興奮もしてはいけないって言って     27

スんだよ。』」

       28

Eーリは全く堂々たる物言いをする少年に変貌を遂げている。臆病だと自ら思 い込み,それを恥じて苦しんでいた少年の魂はこうして自らの努力によってク

リスマスを迎える準備のさ中に救われたのである。

5. 「幸福山積」

ウーリが大きな心の平安を得る一方,ケストナーが幸福な結末を迎えるべく筆 をすすめるクリスマス物語はさらにいくつかの小さな幸福を付け加える。それ にはもちろん先に述べたウーリの仲間の少年たちの問題も含まれるが,それだ けでなく大人たちの間にも心の幸福がもたらされる。その一つは何度か触れた ベクとウトホフトの友情の復活ともう一つはギムナジウム校長グリュンケルン の生徒との距離の接近である。

ウトホフトはかつてのケストナーの師範学校における経験,軍隊式教育と規 則違反に対する厳罰を刻印された教師で,自分の生徒時代を反省して生徒との

自由な交流と規則の弾力的運用を旨とする理想的教育を目ざしている。生徒時

代規則に苦しめられたべクを側面から支えたのがウトホフトであった。ウトホ

フトはその後医師になり,結婚するが,自分の妻子の病を医師として救えなかっ

たことからその職業を放棄し,母校のある町にもどって国鉄の払い下げ車輌を

郊外の家庭菜園に置いて住み,町の三流酒場でピアノ弾きをして暮らしを立て

ている。とはいえ彼は相変わらず困っている生徒たちの味方で,いつしかマル

チンを初めとする少年グループの頼もしい相談相手となっている。けれどもウ

(10)

トホフトがキルベルクにおり,一方ベクが母校の教師となってもどっているこ とを彼らは互いに知らない。両者につながりを持つ少年たちの中でマルチンと ジョニーとゼバスチアンは二人の言葉の端々からかつての親友同士だったこと を見抜き,引き合わせるのに成功する。ベクのあっせんでウトホフトは母校の ギムナジウムの校医に任命されることになり,二人の友情の復活とその持続が めでたく保証される。

グリュンケルン老校長は生徒を愛していることでは誰にも負けないが,年と ともに生徒たちとの距離が増大している。ある日彼が放ったしゃれはその古さ,

陳腐さを7年級の生徒から厳しく批判される。生徒たちの批判は的を射たもの であったが,そのために用いた,校長がしゃれを発したときに各列の生徒が時 間をずらして笑う手段は気づかせるためとはいえ,当の相手を傷つけるもので あった。校長はこの打撃に耐えられず授業を途中で打ち切って退出してしまう。

このようにして生じた教師と生徒の間のわだかまりは生徒をこよなく愛する 校長のクリスマス会でのあいさつを通して解消していく。

「…それから校長のグリュンケルン先生が短いあいさつをしました。そのあ いさつは彼が一生の間行なってきたすべてのクリスマスのあいさつと同じも のでしたが,最後に新しい,少年たちを感動させた文をいくつか述べました。

彼はこう言ったのです。r私はときどきサンタクロースその人みたいに姿を あらわします。私の着ているのは黒いフロックコートで口のまわりに白いヒ ゲを生やしてはいませんけれど。私はサンタクロースと同じくらい年寄りで す。私は毎年姿をあらわします。私はムチで脅しても笑われてしまうたぐい の人間です。要するにサンタクロースと同じで子どもが好きなんです。どう かこのことは忘れないでください。それがわかってもらえればたいていのこ とは許されるでしょうから。』

彼は腰を下ろし,メガネをハンカチでぬぐいました。一方7年級の生徒たち は頭をうなだれました。彼らは恥ずかしかったのです。この老人を列ごとに        29

?エ笑ったのですから。」

校長は生徒を反省させるために話をしたのではない。子どもを愛している自分 に免じて古い退屈な文句を使用したことを許してほしいと謝罪をしたのである。

しかし結果として人を傷つける行動をとった生徒たちをも反省させることとなっ

た。こうしてクリスマス・イブを前にした12月23日のにぎやかな中にも厳粛な

会で老校長と生徒たちの和解が実現し,学園の一体感が盛り上げられていく。

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佐 藤:「執筆禁止時代のケストナー(H)」       89

最後の第12章だけがこの4日間の物語で舞台が学校のあるキルヒベルクから 列車の運賃にして8マルクのマルチン少年の故郷ヘルムスドルフへ移動する。

マルチンの両親,ターラー夫妻は息子が帰ってくるとも知らず,さみしく息子 の送ってきてくれたクリスマスプレゼントのターラー家の10年後の夢あふれる 将来像を描いた絵を見入っている。そこへ本物のプレゼント,息子の帰宅が実 現する。全ヨーロッパはこの日等しく白い雪に,しかも近来まれな大雪におお われる。ベク先生への礼状を駅の夜間ポストに投函して,家のドアをくぐる前 にマルチンは流れ星を目撃してたくさんの願いごとをする。

「お母さんとお父さんに,正義さんと禁煙さんに,ジョニーとマッツとウー リとゼバスチアンにも,一生のあいだたくさんたくさん幸せがありますよう に。そしてぼく自身にもありますように。」0

このようにケストナーは終局に向かって次々と登場人物にとって幸せな状況 を積み上げていく。結末で過剰なほどの幸福をもたらす解決法は《Emil und die Detektiv〔》や《P髄nktchen und Anton》にも共通して用いられている。お 金を列車の中で盗まれたエーミールは新たにできたベルリンの友人たちの協力 でお金をとりもどしたばかりでなく,その泥棒にかかっていた懸賞金も手に入 れ,新聞でもほめたたえられる。《飾nktchen und Anton》でも泥棒が逮捕 されたばかりでなく,アントンの母は良い働き場所を得,アントンに対する先 生の誤解は解け,ピュンクトヒェンの母はそれまでの生活を反省するといった具 合で,こうした組み立て方をボイトラーは「幸福山積の構造(Konstruktion        31

р?刀@gehauften Gl恥ks)」と呼んだが,この命名こそ《Das fliegende Klassenzimmer》にふさわしいように思える。

6 終わりに

《Das fliegende Klassenzimmer》はおそらく1933年のクリスマスを意識 して発売されたのだろうから,ケストナーがその構想を練り,原稿を作成した のは1932年中のことだったと思われる。この1932年は彼の最後の詩集《Gesang zwischen den StUhlen》の出た年であり,彼の詩の内容とスタイルが「非常に 高度に完成」2された年でもあった。またボイトラーによればこの《Das flie一 gende Klssenzimmer》は先に出版された《Emil und die Detektive》や

《P廿nktchen und Anton》と同じく日常的な世界の現実的テーマを取り扱っ

(12)

た〈Umweltroman>のジャンルに属している13さらに上記三作品の主人公の類       34

^性は各研究者の一致して認める特色であり,主人公たちのステレオタイプ化 は自分の説くモラルを具現する上で最もふさわしいタイプを各主人公の上に見 出していたケストナーにとって必然的なものだった35

したがって《Das fliegende Klassenzimmer》には,執筆禁止後とはいえ,

成立の時期そしてその内容からみて作者の創作の姿勢に1933年以前と比べて何 の変化も認められないと言ってよい。しいて言えば,前二作では主人公が圧倒 的優位に立っているのに対して,《Das fliegende Klassenzimmer》ではさ まざまな特徴をもつ少年たちが並立していることが際立った特色であろう。

序文で読者に十分意を尽くしたはずのケストナーは最後に「あとがき」とし て二年後の後日談をサービスして読む者の幸福感を積み上げている。5人の少 年たちは順調に成長してそれぞれの才能を伸ばしている。ウーリとマチアスの 関係は逆転してウーリが主導権を握っている。親子のつながりの上では幸せの うすいジョニーは彼を引きとって養育してくれた親切な定期航路の船長と実の 親子以上の信頼関係で結ばれている。その上ジョニーは他の少年たちとは異なっ てベルリンの町中でケストナーと親しく話を交わして経過報告する栄誉をにな わされ,クリスマス物語での幸福の少なさを補われている。

この物語の形式上の主人公は先にも述べたようにエーミールやアントンと同 じ性格をもっ少年グループのリーダー,マルチンである。そしてこの種の主人 公が登場する理由についても触れた。しかし実際上の主人公は彼ではなく,ウー リ少年である。なぜなら本論で展開したように,《Das fliegende Klas一 senzimmer》は心の平安と幸福をもたらす「クリスマス物語」であり,その中 心にウーリがいるからである。

こよなく幸せな気持ちにさせる物語を送り出したケストナーではあったが,

しかし現実にもどれば1933年は彼にとって平穏で幸福な年ではなかった。事態 の重大さをケストナーは第二の序文の中にさりげなくさしはさんで,しかし断 固とした調子で読者の覚悟を促している。

「…できるだけ幸せになってください…ただしだましてはいけませんし,だ まされてもいけません…ボクサーの使う言葉で言うならパンチに対してタフ になるべきです…パンチを受けたら励みに変える訓練をすべきです。さもな

いと人生がくり出す最初の一発でグロッキーです。人生のグローブはとてつ      36

烽ネく大きなサイズなのですから…」

(13)

佐 藤:「執筆禁止時代のケストナー(皿)」       91

ケストナー自身も以後打たれ強く生きていくことになる。

1 三宅,島,畠山,『児童文学はじめの一歩』(1983)S.38

2 K益stner, Erich:Gesammelte Schriften 7 Bde.(1959)Bd.6S.9(以下

この全集によるときは巻数をローマ数字で,ページ数をアラビア数字で示す)

3 VI−162ff.

4 VI−415f.

5 VI−9

6 V旺一17 7 VI−96ff.

8 Schneyder, Werner:Erich Kastner Ein brauchbarer Autor(1982),a19

9 V旺一13f.

10 「彼はニューヨークで生まれました。彼の父はドイッ人でした。母はアメリカ人で した。そしてこの父と母はひどく仲が悪かったのでした。とうとう母は逃げてしま いました。それからジョニーが八才になると父は彼をドイッ行きの汽船に乗せるた めにニューヨークの港につれていきました…それから彼らは船長のところへいきま した。『どうか私の息子を乗せていってください。祖父と祖母がハンブルクでこの 子を汽船まで迎えにきます。』…けれども祖父母は迎えにきませんでした。来られ るわけがなかったのです。二人ともとっくに死んでいたのですから。父は子どもを さっさと片づけたくて,将来どうなるかなどということを考えもしないでドイツへ 送ってしまったのです。」皿一14

llV皿一15

12 V旺一28

13Mank, Dieter:Erich Kastner im nationalsozialistischen Deutschland

(1981)S.97(以下本書をMankと略記する)

14河合隼雄,『子どもの本を読む』(1985)S.37 15 W−82

16 V旺一83

17 W−31

18 Beutler, Kurt: Erich Kastner Eine literaturpadagogische Untersu一

(14)

chungen(1967)S.168(以下本書をBeutlerと略記する)

19 佐藤和夫,「写実的児童文学作家としてのケストナー」千葉工業大学研究報告

(人文編)第22号(1985)S.79 20 V旺一31

21 V旺一31 22 V紐一49 23 Vlト72 24 V旺一82 25 Vトー82f.

26 VI−87 27 V睡一一86

28 「ベッドの中の少年は彼らがずっと知っているのともはや同じちびのウーリではあ

りませんでした。」W−96

29 V紅一96f.

30 V置一115 31 Beutler, S.169

32Bemmann, Helga:Humor auf Taille Erich Katner−Leben und Werk

(1983)S.254

33 Beutler, S.164ff., Lexikon der Kinder−und Jugendliteratur(1979) Bd.

3S.613

34Benson, Renate:Erich Kastner Studien zu seinem Werk(1973)a

74ff., Beutler, S.188, Mank, S.93f.

35Mank, S.93

36 V瞳一15f.

〔付 記〕

本稿は昭和62年度科学研究補助金奨励研究(A)「エーリヒ・ケストナーの執筆禁

止期間に関する研究」の研究成果の一部である。

参照

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