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宮本義久

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長崎大学教養部紀要(人文科学編) 第32巻 第1号 15‑31 (1991年7月)

ウェセックス物語試論 宮本義久

An Essay on Wessex Tales

Yoshihisa MIYAMOTO

第一章

トマス・ハーディは50近い短編を書いた。それらは,質という点から見ると,長編 小説及び詩の場合と同様に,玉石混交の観を呈する,というのが,大方の評である。

ある批評家は, ‑ーディの短編は金目当ての作品であり,長時間をかけて考えても益 がない,と評価し,I)又別の批評家は, ‑‑ディの短編が殆んど読まれないのは残念な ことだが,非常に優れたものは10指に満たず,大部分はサルベージにかける価値はな い,とする.2)ノーマン・ページのように, ‑ーディの短編は数に比例した注目を批評 家達から受けていないと嘆きながら,自らも少しのスペースしか割かない3)のが,一 般的な傾向のようである。

編集者や読者からの圧力で, ‑ーディがテスやジューFの内容の改訂・削除を余儀 なくされたことは周知のことであるが,事情は短編の場合も同じである。小説の半数 以上,短編はすべて,まず雑誌に掲載されたが,改訂・削除の個所は,単行本として 出版される際に元に戻された,というのが決まったパタンである。

バーディは合計35編からなる自選短編集を四冊出版した。ウェセックス物欝(1888), 凄好人の群れ(1891), A登の//、さな皮肉(1894)と変わりばてた男(1913)である。

‑ーディの優れた短編のうち多くは,節‑及び第三の短編集に集中しているというの が定説と言ってよいであろう。本試論で扱うのは,第‑短編集であるが, ‑ーディは その中に既刊の短編から5編を収録し,三人の見知らぬ男(1883),萎えた虜(1887), 何だ町の住人(1880),丘の家の郵貯者(1884),孜節のta'み(1879)の順に並べた。

1896年にはn哲を遣ふ女(1894)が加えられたが, 1912年の決定版において,この追 加作品は人生の,J、さな皮肉に移され(第三短編集の序文によれば,この作品は,いわ ば自然のいたずらに依存しているので,この集の方が入れるにはふさわしい場所,と なっている),代わりに同短編集から,ナポレオン戦争時代と関係のある二つの口碑, 1804年の伝説(1882)と憂うつな摩録兵(1890)がクェセックス物語に移された。 (上

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述の序文によると,こちらに移した方がもっと自然であるから,と記されている。) この二つの作品はアイロニーを表現するよりむしろウェセックス的特色を持つ作品と 考えたのであろう。上述の漠然とした配置換えの理由,つまりそう変えた方がそれぞ れの短編集の性質からして一層ふさわしく,自然であるという説明を素直に受け取れ ば,バーディは,少なくともクエセックス物語の同質化又は統一化の意図をもってい たと判断される。

上述のノーマン・ページは, ‑ーディのこの意図を指摘しながらも,クェセックス 物語中の各物語の異質性を述べ,この物語集を結びっける共通点はウェセックスとい う背景だけであるとする3)マイケル・ミルゲートも同じ意見である.5)クリスティン・

プレイディは‑‑ディの各短編集のそれぞれに特徴を見出して,例えばクェセックス 物欝を「牧歌的歴史もの」と命名する.6)しかしながら,そういうプレイディ自身が,

この短編集の物語間の非連続性と非適格性,つまりその様々な背景,年代順でない順 序,文体と題材の雑多さ,配置の一見無計画なところ,を指摘している。尤もプレイ ディは,正にこのつながりのなさそのもののためにこのクェセックス物語は,一つの 単位として見た場合,一冊の小説がなり得る以上に,完全なウェセックス生活の描写 になっており,モザイク様の統一性をもっていると,逆説的な言い方でこの短編集を 評価している07)

付言すれば,バーディにはチョ‑サーのカン夕べリ物諦ゴりの,いわゆる「枠組物 語」が二つある。第二短編集鰍の群れがその一つであり,もう一つは第三短編集 人生の//、さな皮肉の中の甜な人たちである。枠組物語と言っても,当然のことなが ら,内容はさまざまである。バーディの意図したと思われる統一性ということを一応 念頭におきながら,ウェセックス物語わ各物語について考察を試みたい。

第二章

クェセックス物語の巻頭を飾るのは三人の月知らぬ男である。ブイレディはこの短 編集を「牧歌的歴史もの」と命名したが,自然の背景,主題,語りの視点という点か らも牧歌的であるこの作品の分析に当たって,プレイディはジョン・F・リネンのパ ストラルについての説明を引用する:「パストラルは常にドラマティックになる可能 性がある。というのは,パストラルは鋭いコントラストという視点に頼っているから だ。それは田舎の見地から町を,貧者の見地から富者を,単純さの見地から複雑さを 描く。かくしてパストラルは,対立感,対立する視点,人々及び階級間のアイロニカ ルな違いを経てゆく。パストラルの主題そのものが,ドラマにぴったりの緊張を生み 出すのだ。」8)そして彼女は,この作品のプロットは,この説明にある通りに,完全に

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クェセックス物語試論 17

劇的対立という見地から練り上げられている,と説く:「人間と自然の問の対立を背 に,羊飼いのフェネルの気前の良さとその妻の倹約さ,更に根本的には,田園人の正 邪感と都会人の法意識,が対置される。こういったいろいろななレベルでの対立を語

るのは,読者自身の田園生活についての誤まった先入観の可能性を,終始‑貿意識し ている語り手の声である。特に物語の開巻の数章は,牧歌的情景についてのバランス のとれた見方を読者にさせようとする努力である。」プレイディはこの様に述べて, パストラルの劇的プロットと語りの視点のこのような結合が,バーディの牧歌を描く 技術の本質面の一つである,と言う。

‑‑ディは背景となる丘陵地,ポッンと立っ羊飼の家,そのそばで交叉する道,の ほとんど永遠とも言える不変性を強調する。勿論それは,変化をする外部世界,都会 の存在を前提としている。事情を知らぬ他所者は,こんな場所での生活に御門違いの 同情をするが,他所には無い長所も結構あるのだ,と語り手の読者教育は始まる。

この永遠的持続性を示す背景の中に,人間の永遠の基本的営為の姿が示される。太 古から続く羊鋼の仕事。それは,暖炉の上の飾りとしてぶら下げてある,大昔の古風 な型から,最もハイカラで人気のある型に至るまでの,ピカピカに磨かれている牧杖 によって表わされる。生まれたばかりの赤ん坊の洗礼の祝い,その祝いに集まった恋 仲の若い男女,婚約中のカップル,羊飼夫婦とその岳父。この世界は自足した世界で あり,自然に対する人間の関係,又,人間同志の関係においても,バランスの取れた 世界である。バランスは,人間関係の面から言えば,気前の良い夫と倹約な妻との相 互補完的生活態度だけではない。

Enjoyment was pretty general, and so much the more prevailed in being unhampered by conventional restrictions. Absolute confidence in each other s good opinion begat perfect ease, while the finishing stroke of manner, amounting to a truly princely serenity, was lent to the majority by the absence of any expression or trait denoting that they wished to get on in the world, enlarge their minds, or do any eclipsing thing whatever which nowadays so generally nips the bloom and bonhomie of all except the two extremes of the social scale. ( p. 5 )

相互信頼の存在,出世や知力の拡大や他人の凌駕などの願望の欠如,といった田園 人の特質を語り手は賞揚する。余談ながらこれと反対のものが,約10年後のジュード の中で,̀themodernviceofunrest'9とか̀thespiritofmentalandsocialrest‑

i)10)

lessnessと称されて,主人公を駆り立てて,その犠牲にするものである。又,4

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年後の森林留の^々や数多くの短編の中で,悲劇的要因の一つとなるものである。

三人の見知らぬ男のプロットは,この自足的田園世界を表わす羊餌の家のドアに, 三度繰り返されるノックによって,ドラマティ・.ツクに進められて行く。ウェセックス 世界への異質の外部者の突然の侵入と,それによって引き起こされる混乱や分裂は,

‑‑ディ世界では頻繁に現われるテーマである。外の夜と嵐は羊飼の暖かい家の中の, 楽しくにぎやかな祝貫と対比される。そしてこの祝宴の席へ,得体の知れぬ三人の他 所者が,犯罪と死の影を引きずりながら入り込む。カスクブリッジの方からやって来 た第‑の男の言動は,読者にとっては最後まで謎であるが,集まっている人々には安 心感を与える。第二の男は,第‑の男と反対方向から来るのだが,色々な意味で対照 的である。その人を食った言動で怪しまれ,利口ぶって謎謎と即興の謎歌で絞首刑執 行吏の身分を明かし,全員のおびえを買う。第三の男の,入るなりガタガタ怯えて逃 げ出す謎。正しく謎とサスペンスの連続であり,これは一面,ミステリー物語であるO 脱獄囚と思われた第三の男は,実は無実で,脱獄囚の兄弟にすぎず,一番怪しまれな かった第‑の男が実は脱獄囚。脱獄囚を絞首刑にLに行く途中だったお役人たる第二 の男は胡散臭がられ,恐れられる。集まっている人々を̀simple‑minded'(p.23)と 見下した彼が,実は一番単純で,ずるい人間である。マクベスの魔女たちの言に倣え ば,きれいはきたない,きたないはきれいよl)

この物語の中では二人のコミカルな人物が出てくる。一人は祝宴での飲食物の消費 にたえずやきもきする締まり屋の女主人であり,もう一人は,脱獄囚逮捕に向かう警 吏である。第三の男を脱獄囚と思って,責任の重さに上って,強盗の文句である̀Your moneyoryourlife !'(p.24)と叫ぶのは良いとして, ̀Prisoner at the bar, sur‑

render, inthenameof theFather ‑ the Crown, I mane !'(p. 25)と逮捕の 権威の拠り所として,神と国王を混同する。しかしこれは,羊盗みの罪に対する神又 は良心の裁きと,国法の裁きのギャップの意識‑語り手又は田園人のもつ‑を反 映するものとも解されよう。

従って,脱獄囚はまんまと逃げおおせた。羊一頭を盗んだだけで死刑ということに 同情して,又,自分を死刑にするはずの役人と酒くみ交わしたこの男の冷静・大胆さ に感心して,捜索人たちは真面目に捜さなかったからだ。

物語の末尾に, ‑ーディは50年苦のあの祝宴の客の大半は墓に入ってしまったが, あの三人の他所者の来訪は,あのあたりでは相も変わらずよく知られている,と結ん で,この不変の丘陵,十字路,羊飼の家と同様に,この口碑の永続性を強調する。

ハ‑ディはこのクェセックス脚序文の中で,この短編集に三つもの処刑の話を 入れていることの言い訳として,州都近辺では絞首に関わる事柄が,土地の伝説の大 部分を成していた,と述べると共に,幼時に,絞首刑執行吏の職に応募したが不採用

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ク1セックス勧醇試論 19

になって,がっかりしている男と言葉を交わす間柄であった,と付け加えている。又, 少年の頃,絞首刑を二度目撃したことが,伝記に記されている32)尚,この劇的物語 は三人の尿八と題して実際にバーディ自身の手で劇化され,好評であったという63)

第2話の1804年の伝顔は^登の,!、きな皮肉から移されたことは前述した。 「少年の 頃の‑ーディにとって, ̀歴史'であるのは明らかにナポレオンであり,その伝説で あった。」‑4)という事実に,反論の余地はない。ナポレオン戦争と関わるものとして は, 40年近い準備を重ねて書いた大叙事詩劇虜王たち(1904‑1908)が直ちに思い起 こされる。 1903年9月に書かれた,この詩劇につけたかなり長文の序において,バー ディはこの壮大なる作品の発想を次の様に説明している。まず第‑に,作者がナポレ オン戦争中,ジョージ三世の避暑地の海浜近くの地域をよく知っていたこと,第二に, ナポレオンが上陸する見込みが最大と噂される海岸に近かったので,その地域はそれ に対する必死の軍事的準備に関わりある数々の記憶や伝説が,昔は一杯あったこと, 第3は,この地域にはトラファルガーでのネルソンの旗艦の艦長の生誕の村があった こと,である。 (蛇足を加えれば,この‑‑ディ艦長は作者の祖先であるとされてい る。)序文は続いて言う。長編ラッノ、輝長(1880)によってこの戦争についての‑挿 話を作品化してみたが,それは逆にこの詩劇の創作へと作者の心を駆り立てることに なった,とよ5)又,バーディの第‑詩集ウ1セックス′詳兵(1898)の中にも,ナポレ オン戦争のエピソードを主題とする詩がいくつか見られる。

1804年の伝讃楓J作に関わる諸事情について,伝記は次のように記している。 「炉辺 話的な物語を是非作ってくれと頼まれて,ナポレオン戦争中の1804年,英国侵攻の適 地偵察のため,ナポレオンが隠密に夜間訪英を行ったという真に迫った物語を担ち上 げた。かかる物語が極度にありそうもない話であるのに思いあたって,このたぶらか

しを読者に見えなくさせるため, ‑ーディはその物語を古くからの土地の伝説だとす る付随的枠組を加えた。」Hi)この記述は疑う理由は無い。これは又,この短編の構成 を的確に説明している。

The widely discussed possibility of an invasion of England through a Channel tunnel has more than once recalled old Solomon Selby s story to mymind. (p.33)

ある雨の夜,ソロモン・セルビイ老人が,居酒屋の台所の大きな口を開いている炉 すみに坐って,口からパイプを取って,例のあのお話し用スマイルを浮かべると,

「私を含めて幾人かの同席者は老人の話を聞く姿勢をとる。文字通りの「炉辺話」が

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始まる。話の背景の場はナポレオンの上陸の可能性が高いと噂される入江のあたりで ある。セルビイ老人は子供の頃に,ナポレオンと一人のフランス将校が, 1804年か1805 年のある夜,淡い月光の下で,英仏海峡の地図を見ながら入江近くの丘で上陸場所を 物色しているのに遭遇したという話をするのであるが,これは一人称で語られる。老 人の話が終わると,語り手は「私」に戻り,老人の死後10年になるが,ナポレオンの

この偵察を直接自分の目で見なかった人に,その事を納得させるものがあったとすれ ば,それはセルビイ老人の語り方だったろう,と締め括る。老人の一人称の話を前後 から挟む「私」の言葉が保証することは,この老人が実在の人物だった。そして実際 にこの話を聞き手たちが信じるほどに巧みに語った,ということだけである。しかし

「私」の保証と老人の巧みな語り口が重なると,実在の伝説という様相を帯びてくる。

読者はたぶらかされてしまう。上述の伝記は次の様に続けている。 「この物語が出版 された時, ‑ーディは人々にこう言われて大いに驚いた‑ ̀あなたはあの有名なナ ポレオン上陸の伝説を利用なきったのですね'‑と。そして,あんな話は自分は知 らなかったけれど,実在していたのに違いない,多分,あの出来事は起こったのだ, と推測した。」‑7)バーディのいささか得意げな表情が想像できないでもない。問題と なるのはセルビイ老人の語る話の中味である。プレイディは,上の伝記の記述にも拘 らず,これはかつぎ話ではなく,バーディはこの記述の1919年には,執筆当時の事情 を忘れていたのだろう,としている。少年セルビイはまだ夢を見ているのか,他の人 をナポレオンと見間違えたのだ,としている68)このセルビイ老人の話が作者のでっ ち上げ話にせよ,セルビイ少年の思い違いの体験談にせよ,この老人の話の中に出て くるこの地方での密輸のことと,近辺に当時英国軍隊が駐留していたこととは,クェ セックス物語わ中の他の話と関連があることだけを指摘しておきたい。

第三番目の憂うつな摩符兵も第2話同様に人生の小さな皮肉から移されたものであ る。この作品は1801年のヨーク軽騎兵隊の脱走ドイツ兵二人の銃殺に基づくものであ ることを, ‑‑ディの覚え書きは示している69)又,この物語の終わりには,村の過 去帳に銃殺になった二人の記録があると記されている。

ジョージ三世が避暑地バドマス逗留中,それに随行して有閑階級の人々やドイツ近 衛軍団が移って来て,あたりは時ならぬ娠わいを見せたのであるが,この物語は,こ の華やかな時期に端を発する数々の物語‑今はほとんど断片的に残るだけだが‑

の一つであるとされる。ここでは,語り手による読者教育は,当時と現在の対比とい う形でなされる。従って, 「当時」という語が頻出する。

女主人公フィリスの置かれた生活環境,それは卿ユーステイシアのに近似する。

バドマスの町を引払って, 5マイル離れた辺都な丘陵地の村はずれに,世間付き合い

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ク1セックス勅許試論 21

を全く断ち,又娘への愛情を示さぬ父との二人暮らしである。寂しさ,人恋しさに押 しつぶされそうな暮らしは,次の様な描写で見事に表現される:

Before that day scarcely a soul had been seen near her father's house for weeks. When a noise like the brushing skirt of a visitor was heard on

the doorstep, it proved to be a scudding leaf ; when a carriage seemed to be nearing the door, it was her father grinding his sickle on the stone in the garden for his favourite relaxation of trimming the box‑tree borders to the plots. A sound like luggage thrown down from the coach was a gun far away at sea ; and what looked like a tall man by the gate at dusk was a yew bush cut into a quaint and attenuated shape. ( p. 46)

かかる社会的及び情緒的疎外の状況の中でフイリスは別に何という特徴のない,地 方の旧家出身の‑ンフリー・グールドに求婚され,社会的見地から良い縁組との判断 で婚約する。身分の不釣合いな結婚は,近頃では単に社会の慣習に反することとなっ ているだけだが,当時は自然の按を犯すものと考えられていたのであり,フィリスは 身分の高い相手に選ばれて,天国に連れてゆかれる思いであった。 (p.48)が,男は 国王が避暑地を去るのに随って去り,婚約はそのままにして帰って来ない。やがて黄 金色の輝き(p.49)をきらめかせて,ヨーク軽騎兵連隊のドイツ兵達が,近くに駐 屯する。 ̀their brilliant uniform, their splendid horses, and above all, their for‑

eign airandmustachios'(p.49)と華やかに描かれるドイツ軽騎兵の一人マテウ ス・ティーナとフィリスは恋におちいる。しかし彼女にとってティーナは全く現実性 のない,夢のように実体のない存在である:

She no longer checked her fancy for the Hussar, though she was far from regarding him as her lover in the serious sense in which an English‑

man might have been regarded as such. The young foreign soldier was almost an ideal being to her, with none of the appurtenances of an ordi‑

nary house‑dweller ; one who had descended she knew not whence, and would disappear she knew not whither ; the subject of a fascinating dream

nomore. (p.54)

二人の会うのは大抵たそがれ時であり,二人の関係は意識の白日のもとにはさらさ れない。だから,結婚などという現実的なことを言い出されてもピンと来ない。ホ〜

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ムシックのひどいティーナが脱走して,故国に帰るのに同行を求められた時,全く無 謀の企てと知りながら,彼女が同意する気になったのは,彼女の生活がデラシネの生 活になっていたからである。父の娘への愛は枯渇しているのに加えて,彼女がこの村 生まれでなかったからである。ティーナの,故国,母,家への強烈な憧れにかぶれて

しまったからである。

この作品の中心的イメージは,父娘の住む家の庭にある頑丈な石塀である。二人は いつもこの石塀をはさんで会う。フィリスは舘の鳥である。これは膚郷のエグドン・

ヒースのミニ版である。彼女はそこから脱出することは遂に出来ない。フイリスがこ の石塀を越えるのは,ティーナとの駆け落ちに踏み切る時である。そして,ここで, この作品中唯一の偶然の一致が起こる。プロットの曲り目に現われるバーディ特有の あの運命的偶然が。村からの小道と本街道との接合点で身をかくしてティーナを待つ フィリスは,婚約者のグールドが友人と乗合馬車から降りるのを見,二人の会話から, 婚約者が自分へのひどい仕打ちを後悔して,和解の贈り物を持参したと解して感激す

ると共に,愛より約束を重視して,結局ティーナを裏切ることになる。本当は,皮肉 なことに,グールドは他の女と結婚していて,婚約の解消のために来訪したのだった。

フイリスはあの石塀の上から,ティーナとその友人の脱走罪による銃殺刑を目にする のである。

二人の埋められている塚をフイリスはいっもきれいにしていたのだが,今はもうそ の塚も分からなくなっているが,親からこのエピソードを聞き知っている村の年輩の 人達はまだその塚の場所を覚えて居り,フィリスもその近くに眠っている,と話は結 ばれる。ティーナの思い出のからまるあの石塀あたりとその塚は,フィリスにとって 懐しい場所となったのであり,彼女は遂に土地との結びっきを獲得して,この地に根 付いた,と言い得る。

第四話は萎えた虜であるが,これも又伝承である。この短篇集の序文で‑ーディは, この作品に述べられている様な方法で‑囚人の死体にさわって,血の質を変える方 法で‑ある病気を治しに,連れて行ってもらった経験を若い頃にしたことのある老 婦人がまだいた,と言っている。.又,当時ローダ・ブルックを知っていた老齢の友人 から,ローダは真夜中ではなく,暑い午後に寝ていて,あの夢魔を見たのだと指摘さ れた,とも述べて,この話の実話性を強調している。

萎えた虜は超自然を扱った作品である。この中では極めてありそうもないことが, 三人の人物をめぐって三つも起こる。一つはローダ・ブルックの見る夢である。農場 主の若妻ガ‑トルード・ロッジを嫉妬する彼女は夢に現われた憎い女の腕をっかんで 床に投げっけるが,同時刻に現実のガートルードの腕に痛みが走り,その後腕にはロー

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クェセックス勧欝試論 23

ダの指の跡が残って,次第に腕が萎えてゆくという現象である。もう一つは,エグド ンの魔法使いトレンドルが,ガ‑トルードに,この萎えは敵の呪いのせいであると説 明し,その敵の顔をグラスの中に見せることである。最後は,トレンドルの教えた腕 の萎えの治療法‑絞首刑になったばかりの人の首に患部を当てて血の質を変えるこ と‑が効を奏して,ガ‑トルードに血の変質が実際に起こるが,体の弱っていた彼 女には,度がすぎて,死ぬことになる。ところが,その死刑囚が実はローダの息子で

あったというのは,バーディ世界では特に異とするに足らない。

ローダの夢に現われるガ‑トルードの幻は,言うまでもなく,自分の後釜に坐った, 自分事り美しい女に対するゆがんだイメージに基づく,ローダの嫉妬L、の反映であり, その実体化である。

… the young wife, in the pale silk dress and white bonnet, but with fea‑

tures shockingly distorted, and wrinkled as by age, was sitting upon her

chest as she lay. The pressure of Mrs. Lodge's person grew heavier ; the

blue eyes peered cruelly into her face ; and then the figure thrust forward its left hand mockingly, so as to make the wedding‑ring it wore glitter in

Rhoda's eyes. ( p.77)

ローダの嫉妬心は遂にその相手を葬り去った訳である。

‑ーディは,自分は頭の固い合理主義者ではない,と前置きして, 「私は時間の半 分は,特に詩を書いている時は,幽霊,神秘的声,直観,前兆,夢,幽霊の出る場所, 等々を(現代的意味で) ̀信じる'が,昔の意味ではそんなものはもう信じない。」2(り

と述べ,又, 1886年の覚え書きには, 「私の技術は,クリヴェルリ,ベリーニ,等が しているように,事物の表現を強めることである。その核心と内的意味がはっきりと 日に見えるようにするために。」21)と言っている。このような記述から判断されるこ とは, ‑‑ディにとって超自然的なもの,オカルト的なものは,事物の核心と内的意 味の芸術的表現であったのであり,自然の理法という観点からの説明を求めても無駄 である,ということである。問題は如何にしてコールリッジの所謂「不信の停止」を 読者に生ぜしめるか,であろう。プレイディも述べている様に22)‑ーディは,この 物語は信じられている伝承であると明言し,内容は迷信的でも描き方は極めてリアリ

スティックに行うのである。語り手の読者教育は,憂うつな屠醇兵の場合同様に,過 去と現在をひんばんに対比し,物語にリアリスティックな枠組を設ける。魔術師トレ ンドルや絞首刑執行吏デイヴィーズに,囚人の死体に触れる治療法は,以前,頻繁に 行なわれたと語らせ,また,村でもてんかんの子に効果があったという話を加えて,

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この迷信的療法‑の不信を弱めようとする。

若い妻の死に加えて,ローダとの問に生まれた息子の死の因を作った無情の地主ロッ ジは,大いなる試練に会い,全財産を少年院に寄附し,自らの行為の記憶から逃れる べく,故郷を捨て,ポート・ブレディへ去り,寂しい下宿住まいのうちに死ぬ。生き 残るのはローダだけである。一時行方知れずだった彼女が,故郷の昔なじみの搾乳場 に再び現われ,無感動な表情で働きつつ,老いて行く姿を描くことで,恐るべき嫉妬 の破壊力を語るこの話の環は閉じられる。

第五話のノ苛だ町の住人の背景は,第四話の地主ロッジの行き先であるポート・ブレ ディである。この舞台は田園でなく,小さいながらも町であることに注目したい。こ の物語は正しく「人生の皮肉」そのものであり,第三短編集に入れ替えられなかった のが不思議なほどである。主人公バーネットは運命のいたずらに翻弄され,長年の唯 一の夢も叶わず,最後にはロッジ同様,全財産を処分して町を永久に去る。

̀aman witharichcapacityformisery'(p.157)とされる主人公はクサンチッ ペ的悪妻を改善の見込みのない運命と諦め,忍耐の生活を送っている。二人の結婚は 身分違いの結娘であった。彼は野心,考え違いのため,単なる軍人の娘にすぎなかっ たルーシーをすてて,年長ながら,身分の上の女に走ったのである。かくてバーネッ

トはルーシーと結婚しなかったことを悔い,自由に結婚出来た頃よりもっと深い興味 を抱いて,しきりに彼女に思いを馳せる。彼が自分の幸福の可能性の象徴と見るルー

シーと結ばれる可能性のあるチャンスは三度訪れる。まず初回は,彼の友人の妻ダウ ン夫人と自分の妻がボート転覆事故に遭った時である。医師が絶望と宣言して帰った 後,バーネットは,もし手を尽くせば妻が蘇生するかも知れぬ兆しを見る。放置すれ ばル‑シーとの結婚が可能になる。しかし心の揺れは一時である。良心が勝っのであ

る。

二度目は,折角ルーシーを諦めて蘇生させたのに,回復後家出をしていた妻の急死 の時である。しかし希望も束の間,ルーシーとダウン氏の結婚式への招待状が届く。

バーディはここで,彼の短編の中ではめずらしいことに, ̀thewhimsicalgod...

known as blind Circumstance'( p. 157)の残酷という,彼の運命論哲学を持ち出 すのであるが,バーネットはこの残酷な運命のいたずらに耐えて,結婚式に出る。そ

して全財産を処分して町を去る。バーネットの財産・地位は自分で築き上げたもので はなかったし,先代までのまだあくせく働く遺伝本能が残っている彼としては,無為 徒食のうちに田舎町に住まねばならないという立場は不幸なものであったのであり, 新屋敷の建築現場を見に行くことが唯一の楽しみであったのである。彼は後になって, 長年故郷に帰らなかった理由として,帰ろうという気を起こさせるものが何もないと

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ウ1セックス物欝試論 25

分かった,とルーシーに言う。 (p.169)職業を通して生じる他者や土地との結びつ きはなく,家族もなく,ルーシーだけが彼を町に繋ぎ止めていたのであり,彼は折角 完成した家を家庭とすること叶わず,傷心を抱いて町を去り,外国を放浪する。

三度目のチャンスは, 21年半振りに町に帰って,ルーシーが一人暮らしの未亡人と 分かった時である。しかしルーシ‑に再婚の意志がないと,はっきり断られると,̀If youreallywon'tacceptme, Imustputup with it, I suppose.'(p. 171)と「不 幸に耐える豊かな能力」を,又々示して去って行く。しかし後になってルーシーは彼 の態度の立派だったことを思い,若かった昔のバーネットへの関心に似たものが心に 畦り,彼の来訪を待つのだが,彼は町を去っていた。

She did wait years and years but Barnet never reappeared.

(p.173)

彼の不幸は彼の能力不足のせいではない。彼の臨機応変の能力は,ボート転覆事故 の際の諸々の処置に遺憾なく示されている。それはダウン氏の対応の仕方とは対照的 である。又,彼はルーシーの為とは言え,ダウン家のためにルーシーを世話する。し かし,それらはすべて,彼の不幸に連なる。プレイディは,終始一貫,バーネットは 自分のために行動する能力を欠如しており,自己破壊的傾向があると指摘するが23)

もしそのように受け取られるところがあるとすれば,それは彼の神経質なはどの良心 のためであり, ̀a well‑educated, liberaLminded young man'( p. 112)の運命な のかも知れない。

第6話は丘の家の都度者である。主人公の大農場主は,前話の主人公同様に,その 財産・地位は自分で築き上げたものではない。彼は野望も策略もない,そして乳礫を 避け成行きを待つ人間で,この点でもバーネットとの類似性がある。これは,この32 才の男の妻選びの物語である。彼は今,婚約者サリーの家を花婿付添人の男を同道し て訪問しようとしている。彼は, ̀Hangingandwivinggo bydestiny.'(p. 179) と言って,成行き任せの性格を見せるのである。彼には以前へレナと.いう自分より身 分の高い女に振られた苦い経験があり,今度は自分より身分の低い女を,という訳で ある。相手の家に着いてみると,結婚の贈物のガウンを当のサリーではなく,昔の恋 人のヘレナが着ているのを見て,彼はそこに運命の導きを見るのである。

He seemed to feel that fate had impishly changed his vis‑a‑vis in the lover's jig he was about to foot ; that while the gown had been expected to enclose a Sally, a Helenas face looked out from the bodice ; that some

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long‑lost hand met his own from the sleeves. ( p. 195)

すぐ後にへレナの夫が死に,ダートンは,この運命と思うものへ服従して,昔の二 人の事情を知ったサリーの操るままに,二人の連れ子のあるへレナと結婚する。しか

し彼の幸福は永続きしない。この点も前話と同じである。結婚とは忽ち耐え忍ぶべき 運命に転化するのであり,夫婦間の内面的畢離・対立はバーディのいわば公理とも言 うべき固定観念である。ヘレナは昔の身分の高かった頃のことを思って嘆く言葉を口 にし,農家の家庭生活を情けながる。そしてダートンはサリーと暮らすべきだった, 流れのままに行くべきだった,と後悔するが,これも前話と変わらない。やがてへレ ナが赤ん坊を残して死ぬと,農場は増々面白くない場所となる。・その後ダートンは愛 する子供たちのためという御都合主義から,懲りることなく何度か求婚するが,失敗 する。

̀No,'she slowly answered. ̀Idon't altogether despise you. ̀I don't thinkyou quitesuchaheroas I once did ‑‑ thats all. The truth is, I

am llappy enough asI am ; and I don't mean to marry atall‥‥'( p.213)

彼女は非結婚独立を宣言するのである。その後,幾人かが求婚したが,彼女は断り, 母親と二人で,独立生活を送るという目的を貫いた。この物語はサリーを中心に考え

ることも可能である。

最後の物語は教師のta'みである。本短編集の序文は,この物語に描かれている酒の 密輸について,かなり詳しく触れている。密輸品をを洞穴や地中の穴に隠す色々な方 法があり,本作品中に出てくる隠し方はユニークなものであり,酒樽の運搬人の一人

‑後に30年間,作者の父親に雇われた人‑の語ったままのものである‥‥この物 語の筋は1825年‑1830年の間に起こった密輸事件に基づいている….として,この物 語中の事件の実話性を強調する。 ‑ロルド・オーレルは,バーディの親戚の幾人かが 密輸に関わっていて,彼はしばしば密輸酒の運搬のテクニックについて聞いたことが あった,と記している34)酒の密輸については, 1804年の伝題の中でも触れられてい ることは,前述した。

この物語では,第一話同様に,外部者が舞台となる村に侵入して来る。それはメソ ジスト派の牧師のストックデールである。この̀innocentignorance'(p.223)を特 徴とする若い牧師の性格のために,この物語は軽い,ユーモラスなものとなっている。

彼は新任地のネザ‑ ・モイントンという海辺の村の,彼の下宿先の女主人の若い未亡

(13)

ウェセックス物曹試論 27

人リジィ・ニューベリーに恋をする。この女主人公は,バーディの描いた女性の中で も最も独立心に富む,且つ行動力のある女性の一人である。

ストックデールの来村は,リジィとの恋の他に,一つの対立を引き起こす。それは, 第‑話の場合,羊盗みの罰に関する内部世界と外部世界の,国法,正義,モラルに関 する慣習的考え方の対立であったように,この物語の場合は,密輸に関する対立的考 え方である。

In Nether‑Moynton and its vicinity at this date people always smiled at

the sort of sin called in the outside world illicit trading ; and these little kegs of gin and brandy were as well known to the inhabitants as turnips.

(p.223)

密輸を不正と考える牧師が,密輸酒を目の前にして驚き,リジイの次のような説明 に納得しないのは当然のことである:

̀Smuggling is carried on here by some of the people,'she said in a gentle, apologetic voice. ̀It has been their practice for generations, and

they think itno harm‥‥ (p.224)

リジイの手管に翻弄されながら,恋と良心の蔦藤に悩む牧師の描き方には,軽い抑 輪さえ感じ取られる。ハロルド・オーレルは,バーディがこの部外者の牧師を視点と して選んだことは,この物語の出来事を,謎めいて,エキゾティックで,言うに言わ れぬほどロマンティックなものにしている,と述べているが25)物語はリジイの行動 の謎が徐々に解けて,彼女が密輸の加担者どころか,その事業主であるという発見へ と進む。謎の解明という点も第1話と共通していることに注目したい。

'My father did it, and so did my grandfather, and almost everybody in Nether‑Moynton lives by it, and life would be so dull if it wasn't for that,

that I should not care to live at all.'( p. 251)

̀No, ImustgoonasIhavebegun. Iwas born toit. Itisinmy blood,

and I can'tbecured….'( p.282)

密輸は先祖代々からの村あげての生活の手段となっているだけではない。それは生 活を刺激的で生き甲斐のあるものにしているものであり,血の中の強迫的要求となっ

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ている。密輸こそこの村の生活様式そのものだ,という訳である。

国法上からも,カエザルの物はカエザルにという聖書の精神からも,密輸の不正を 説く言葉とは裏腹に,しかしながら,彼は行動面では密輸に結果的には協力する形と なる。密輸がわくわくする面白さがあるからでもあり,又,リジイを危険から守ると いう口実にかこつけて,リジイのそばにいたいために,密輸活動に同行する結果である。

Lizzy was unmistakably a fascinating young woman, but as a minister's wife she was hardly to be contemplated. ̀If I had only stuck to father's little grocery business, instead of going in for the ministry, she would have suited me beautifully !'he said sadly,... ( p. 251)

いっそのこと牧師を断念し,父の後を継いで食料品雑貨店をとも考えるが,それが 出来るストックデールではないし,雑貨店のお上さんに納まっておられるようなリジ

イでもない。どちらも自分の属する社会の永年の生活様式,慣習的考え方を背にして 居り,この対立は解決されない。

この物語の面白さは,むしろ,密輸活動そのもの,密輸手口,税関役人たちを相手 にしての密輸参加者たちの巧妙な駆け引き,出し抜きなどにある。そしてそこには,

この共同体の構成員たちの見事な一致団結が見られる。ここでは疎外は無縁である。

しかし,やがては密輸人達は捕えられて,軽いながらも罰せられることになるが,そ れは牧師が村を去った後の後日譜である。

バーディはこの物語の終わりで,改心したリジイを牧師と結婚させ,彼女は牧師の 良き妻としての務めを果たした,としている。そして1912年にはこの物語の末尾に注 を付して,この結末は執筆当時の英国雑誌では儀礼上必要であった,としている。リ

ジイが従兄で且つ密輸仲間のジムと結婚してウィスコンシン州で相前後して死んだ, とした方が,実際の事実にぴったりでもあり,その方が良い結末だとしている。上述 のことから,それは明らかであろう。ここで卿後日譜でのヴェンとトマシンの結 婚と,それに対する作者の後日の注が思い起こされる。卿エグドン・ヒースの持 つ象徴的意味を考える時,幸福な結婚が入り込むことは,媚郷の芸術的一貫性を損う ことになるが,牧師とリジイの結婚は,リジイの全パーソナリティの否定につながる ことになるだろう。

(15)

クェセックス勧欝試論 29

第三章

‑‑ディのクェセックス物語わ統一化の意図について本試編の第一章で触れたが, 今その間題に立ち返りたい。ノーマン・ページなどは,各物語に共通するのは,背景 がウェセックス‑更に範囲を狭めれば,南ウェセックスと言い得よう‑であると いうことだけである,と言っていることは前述した。

伝説という形式面から見れば,絞首刑に関わるもの二つ,ナポレオン戦争関係二つ, 密輸関係一つという具合に,バーディ自身の体験,伝聞,関心との強烈な関わりを持 つものが五編あり,それらは時代背景も1800年代初頭から1830年代まで,と巾はかな り限られている。しかし第五話と第六話は,これを伝説とする内的・外的証拠は無い。

特に後者は̀Somefewyearsago'(p.177)の話である。

統一という問題を内容面から検討を加えるために,各物語の中味を再整理してみた い。

第二章での各物語の概説から共通要素として浮かび上がって来るもの,それは,悲 愛,結婚,家庭,共同体という人間生活の基本面での疎外というテーマである。具体 的には,第一話は,田園世界への外部世界の侵入というパストラルの基本パタン,諺 解き的要素,都会人の法意識と田園人の正邪感の対立を描きながら,中心に据えられ ているのは,理想化された,調和ある田園世界‑家庭と共同体‑である。第二話 では,一人称の語り手が淡い月光の下で見た,夢か境か幻か,正体の定かでない話の 内容よりも,雨の夜,居酒屋の台所の,大きなロを開いている隅に集まった語り手と 聞き手達の,阿口云の呼吸に,共同体のえも言われぬ一体的調和の姿を見る.第三話は,

同じナポレオン戦争時代に関する伝説という形で第二話と繋がりながら,環境との疎 外という問題が初めて出て来る。他所生まれの女主人公は,悲痛な体験を通して得た 思い出により,土地と結びっくことになり,その土地の人間となる。 (歴史,思い出 とつながる土地,風景という連想の問題は,バーディ文学にとって最大の問題と言っ ても過言ではなく, ̀ウェセックス'という古王国名の文学的復活と直接繋がるもの であるが,本試論ではこれ以上触れない。)尚,第三話を含めて,以後の総ての話に

は,顕在的又は潜在的に,男女の三角関係が見られるが,これは疎外と関わるもので あることは言を侯たない。第四話は,子まである仲であった農場主に非情にも捨てら れ,魔女として疎外される女の嫉妬心の破壊力を語るが,彼女は結局,又,村に舞い 戻り,元の仕事をつづける。しかし農場主は前非を悔いる余り農場と故郷を捨て,や がて死ぬ。そして彼の死ぬ場所が第五話の舞台となるポート・プレディの町である。

教育のある裕福な町人である主人公は,野心的動機から結婚したばかりに,その人生

に敵酷を来たすこととなる。無為徒食の生活のため環境との結びっきを失い,永遠の

(16)

恋人への求婚も実らず,故郷の町を捨て,根なし草として流浪する。この町はパスト ラルの世界からは逆方向へ少々移動した世界と言えよう。主人公の階級意識の強い妻 が,ロンドン(例えば,虚子の反対という短編では,ロンドンは死の世界を象徴する) 近くで死ぬのも,これと無縁ではあるまい。第六話の主人公は,州都近くの,仕事へ の意欲もなく,成り行き任せの大農場主であるが,成り行き任せの結婚は不幸な結果

となり,僻村に住む,結婚前の婚約者に新たに求婚するが拒否される。しかし彼には 愛の対象となる子供が居り,女主人公の側からすれば,意思の疎通し合う母親が存在

し,独立の生活を送りながら, 「丘の家」を守りつづける。最後の話は,第一話の構 造を繰り返す。即ち,海辺の村への他所者の侵入というパストラルの基本パタン,諺 解き的な物語の進展,密輸をめぐる国法と,それに対する村の先祖代々からの生活様 式‑生活手段,冒険による生活の刺激,連帯‑の防衛のための,個人及び集団レ

ベルでの戦いが見られる。このような生活様式の世界では第‑話の世界同様に,疎外 の入り込む余地はない。侵入者側は引き揚げる。村側の敗退は後日譜で語られるに過 ぎない。このように,クェセックス物欝は,理想的な,調和のある田園から始まって, 疎外とそれからの回復,故郷を捨て流浪するに至る強度の疎外,家族という拠り所, 反骨と冒険の精神に団結するパストラル的共同体への回帰という円型の軌跡を描く。

バーディの,この短編集統一化の意図は,この様に読み取れよう。そしてバーディは, これによって人間の幸福の所在を示している。

1893年, ‑ーディは物語を作るに当たっての基本的な考え方を,次の様に述べてい る。 「物語は語る正当な理由となりうるだけの異例なものでなければならない。我々 物語の語り手は皆, ̀老水夫'であって,普通の男女だれでもの,通常の体験よりもっ と異常なことを語るのでなければ,婚礼の客(換言すれば,急ぎ足の大衆)の足を止 める正当な理由はないのだ。」2G)又, 1913年には,人生の一断片を描くことを主張す る当時の作家達を評して, 「物語は語るに価するものでなければならない…読者が, 周囲のどこででも,直ぐに手に入れられるような話で,読者の時間を敬ってはならな

い。」27)と,上の物語作法を繰り返す。従って,チェホフの物語は,特別異常なこと について語っている訳ではないので,首肯Lがたい,ということになる㌘)又, 1921 年には, 「今は滅多に小説を読まないが,今日の小説にはプロットがない。」と語った

と伝えられる29)このような物語観は,彼が故郷ド‑セットの老人達の語る伝説に耳 を傾けた経験の所産であることは,推定に難くない。

「バーディのことを真剣に考慮しないで,現代小説又は現代詩の歴史を書くことは 考えられないだろう。現代短編小説の研究から彼の名を省くことは,尤ものことと言 えるだろう。」:")というア‑ビング・ハウの判断は,現代の短編の動向からすれば,

(17)

ク1セックス勃爵試論 31

認めざるを得ないであろう。 ‑‑ディの短編には,長編短縮版の様な味気ない作品も 多いのは事実であるが, ̀物語'の醍醐味を味あわせてくれるものも結構多いのも, 事実である。

〔テキストはMacmillanのThe Greenwood Editionを使用〕

1 ) J. I. M. Stewart : Thomas Hardy : A Critical Biography, p. 147 ( Longman, 1971) 2 ) Irving Howe : Thomas Hardy, p. 75 ( Weidenfeld & Nicolson, 1970)

3 ) Norman Page : Thomas Hardy, p. 121 ( Routledge & Kegan Paul, 1977) 4) Ibid., p.123.

5 ) Michael Milgate : Thomas Hardy : His Career as a Novelist, p. 363 (The Bodley Head, 1871) 6 ) Kristin Brady : The Short Stories of Thomas Hardy, vii (Macmillan, 1982)

7) Ibid.,p.4.

8 ) John F. Lynen : The PastoralArt ofRobertFrost, p. 126 (Yale University Press, 1960) 9 ) Jude the Obscure, p. 96.

10) Ibid., p. 387.

ll) Noorul Hasan : Thomas Hardy : The Sociological Imagination, p. 112 (Macmillan, 1982) 12) Florence Emily Hardy : The Life of Thomas Hardy, pp. 28‑29.

13) Ibid., p. 256.

14) J. I. M. Stewart, Thomas Hardy, p. 155.

15) Harold Orel (ed.) : Thomas Hardy's Personal Writings, pp. 39‑40 (Macmillan, 1967) 16) F. E. Hardy : TheLife ofThomasHardy, p. 391.

17) Ibid., p.391.

18) K. Brady : The ShortStories of Thomas Hardy, pp. 14‑16.

19) F. E. Hardy : TheLife of Thomas Hardy, p. 116.

20) Ibid., p. 370.

21) Ibid., p. 177.

22) K. Brady : The Short Stories of Thomas Hardy, pp. 23‑24.

23) Ibid., pp. 31‑32.

24) Harold Orel : The Victorian Short Story, p. 107 (Cambridge University Press, 1986) 25) Ibid., p. 107.

26) F. E. Hardy : The Life of Thomas Hardy, p. 252.

27) Ibid., p. 362.

28) Selected Stories of Thomas Harめ!, chosen and introduced by John Wain, " Introduction", xii (Macmillan, 1966)

29) V. H. Collins : Talks with ThomasHardy atMax Gate, p. 8. (Toucan Press, 1971) 30) Irving Howe : Thomas Hardy, p. 76.

(1991年4月30日受理)

参照

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