フランス資本主義の停滞性について : 土地変革と 資本主義の構造(1)
その他のタイトル The Retardation of French Capitalist Development
著者 吉田 静一
雑誌名 關西大學經済論集
巻 13
号 4‑6
ページ 533‑563
発行年 1963‑12‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15415
533
フランス資本主義の停滞性について︵吉田︶
ー 土 地 変 革 と 資 本 主 義 の 構 造
H I
市民革命における土地変革の形態は︑資本主義の構造もしくは型を規定する要因として︑どれほどの比重をしめ
るものであったか︒
もとより︑それぞれの国に特殊な資本主義の構造ないし型を規定した要因としては︑おそらく多くの事実を指摘
することが可能であろう︒だいいち︑基本的一般的にいって︑各国資本主義は︑その形成と発展にあたって︑国内
的諸条件の十分な整備いかんにかかわらず︑世界資本主義の一環に編入され︑世界市場における対立・競争をまぬ
かれることができなかったのであるけれども︑そのことが各国資本主義の型と構造を形成するうえに有力にはたら
( 1 )
いたことは︑およそ疑いをいれないところである︒われわれが︑さしあたっていま︑資本主義発展の抽象的一般的
法則ではなく︑具体的に一国資本主義の形成と発展とを研究対象とするかぎり︑もはや以上のことを捨象しえない
ことは言うまでもあるまい︒このことはイギリスのみならず︑イギリスに後れて資本主義の体制を整えなければな 吉
フランス資本主義の停滞性について
田
一 静
五五
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ろく知られているところといっていいであろう︒ 一般に伝統的な法 つぎのような一節をかかげておくだけで十分であろう︒
﹁合
理的
地変革にあったことは︑すでに十分に知られているところである︒
かく
して
︑
市民革命における土地変革の形態 開西大學『穂済論集』第十一_一巻第四•五・六合併号
( 2 )
らなかった国については︑とくに言えることであろう︒
しかし他方︑各国資本主義の型と構造を規定するものとして︑国内の諸条件が︑国際的諸条件にもまして重視さ
れなければならないことは︑ことにわが国ではひろく認められているところであるといっていい︒いまこの稿では
主題の性質上︑われわれは︑産業資本の確立過程を問題にすることになるのであるけれども︑
に先行する社会的変革こそが︑ そのばあいこの過程
ここで無視しえぬものとして浮かび上ってくることになろう︒そうしてもとより︑
ここで社会的変革といったばあい︑それは市民革命を抜きにして考えることはできず︑しかも市民革命の基軸が土
が︑その後に展開する資本主義の型と構造を規定する要因として重視されることとなった︒このことを知るために
は︑たとえば︑経済成長論の視点から書かれた︑
な法秩序の創出と密接に関連して︑土地変革
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がそれに劣らず重要であった︒
制と結びついた︑封建的もしくは半封建的な土地保有は︑
た︒⁝⁝変革が有効におこなわれたところではどこでも︑
地生産力を増大させることによってであり︑ それが残存したところではどこでも︑︹経済︺発展を妨げそれは︑二つの点で︹経済︺発展に寄与した︒第一は土
マンバウアー
( 3 )
そうして第二は︑人間力を他の職業に解放することによってである︒﹂
では︑徹底した土地変革がおこなわれた国は︑必ずそれだけ急速な資本主義の発展をみたといえるか︒だが︑それ
( 4 )
について一見したところ﹁ひとつの巨大な︒ハラドックス﹂ともみえる例が︑史上フランスに見出されたことは︑ひ
フランスの資本主義が停滞的であったことは︑経済史上︑今日ではおよそひとつの常識となっているといってい
一五
六
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535
フラ
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資本
主義
の停
滞性
につ
いて
︵吉
田︶
発展に理想的に適した諸制度をもった︒⁝⁝しかし実際には︑その根底におけるフランスの経済的発展は︑他の諸
国のそれよりも明らかに緩慢であった︒⁝⁝このパラドックスの説明は︑
立憲議会の手であたえたものの多くを︑
有益であろう︒ ロベスビエールの手で取り去ったのである︒フランス経済の資本主義的な
部分は︑農民層および小プルジョア層の不動の基礎のうえに立てられた上部構造であった︒土地を失った自由な労
( 7 )
働者は︑ごく僅か都市に流出するにすぎなかった︒﹂そうしてまた︑つぎの断言も︑ここでかえりみておくことが
﹁フランスにおいては︑土地変革は︑もっとも有効な諸技術を利用しえない︑そうして土地所有者
としての彼らの社会的地位をすすんで棄てようとしない小土地所有者の階級を創出することによって︑現実に︹経 題のありかを鮮かにえがき出したつぎのような指摘をみよ︒ い︒フランス資本主義のこの停滞性が︑フランス産業資本の確立過程における国際的諸条件に制約されて生じたものであることは︑のちにもみるところであるけれども︑それにもましてこの停滞性がフランス資本主義の特殊な構造に
( 5 )
もとづくものであることは︑最近のさまざまな視角からの諸研究がひとしく認めるところである︒それについての
フランスでは工業生産の絶対額が農業生産の絶対額とほぼ肩詳細は後述にゆずることとし︑さしあたっていまは︑
彩を
こえ
︑
を並べるにいたるのが漸く二0世紀初頭のことであり、•その二0世紀初頭においてすら農業人口は有業人口の四〇
( 6 )
しかもこの農村においては小土地所有
1 1小経営が優越していたことを指摘するだけで足りるであろう︒
かかる特異なフランスの社会経済構造は︑
焦点
が︑
い︑関心はおのずから︑
では
︑
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︑
一五 七
︹フランス革命によって︺資本主義的 いかなる諸条件のもとでの所産であったか
°│I
最近の諸研究の
ここに向けられつつあることは︑十分な根拠があってのことと言わなければならない︒そうしてそのばあ
フランス革命とそのもとでの土地変革に︑おもむかざるをえないのである︒たとえば︑問
フランス革命そのものにある︒革命は︑
隣西大學『編済論集』第十三巻第四•五・六合併号
( 8 )
済︺発展の過程を妨げたのであった︒﹂
問題
の状
況は
︑
ほぼ以上のとおりであるといっていいであろう︒右の問題状況を見すえなが
ら︑フランス資本主義の停滞性をもたらした構造的要因を追究していくこととなろうが︑そのためには︑まずフラ
︑︑
︑
ンス資本主義の停滞的発展という事実そのものを確かめておくことが必要である︒
︵1︶イギリスに遅れて資本主義への道を歩まねばならなかった国々は︑世界市場における競争・対立のなかにあるかぎり︑も
はや先進資本主義の航跡をそのままくり返すことはゆるされず︑むしろ国内的諸条件の未成熟なまま︑先進資本主義の生
産力的達成を取り込まざるをえない︒このため︑これら後進資本主義の国々における資本主義化の過程は︑先進国イギリ
スとは本来異なった過程をたどることになるであろうし︑後進資本主義の構造的特質もそこから生まれてくることとなろ
う︒こうした後進国における資本主義発展のタイプを︑先進国とは異なったものとしてえがき出そうとする問題意識は︑
さほど古いものではなく︑後進国開発論に触発されたところ大きいように思われる︒たとえば︑ガーシェンクロンの立論
を基礎とされた中川敬一郎﹁後進国の工業化過程における企業者活動﹂︵﹃経済学論集﹄第二八巻第三号︶︒なお淡路憲
治﹁後進国の不均等発展の論理﹂︵﹃世界経済評論﹄第六巻第二号︶は︑以上の点に関してきわめて有益である︒この論
文は︑先進国と後進国との﹁世界史的な複合モデル﹂を設定されつつ︑先進資本主義における生産力的達成の後進国への
移入が資本主義の不均等発展をもたらすとともに︑そのために生じた矛盾を後進国に集中せしめ︑この矛盾の集中が︑先
進国の矛盾の転嫁とあいまって︑後進国をつぎの新しい社会構成へ転化せしめる︑という大胆な試論を提示したものであ
って︑示唆するところ大きい︒
(2 )
イギリス資本主義が︑資本主義の発展過程を比較的純粋にしめすものとして︑一般法則の例証に引かれることは周知のと
ころであるけれども︑しかしそのことは︑イギリス資本主義のみが︑典型で︑他はすぺて特殊ということを意味するわけ︑︑︑︑︑︑ではない︒のみならず︑イギリス資本主義も︑世界資本主義の成立以降は︑むしろその一環として︑特殊な発展形態をし
めすものとなるといっていいであろう︒以上の点について︑長洲︱二﹁二重構造分析の方法的問題﹂︵﹃経済研究﹄第一
三巻第三号︶は︑すこぷる興味深い指摘をふくむ︒そこでは︑つぎの一連の連鎖が︑世界資本主義の一般法則として提示 以下この稿では︑
一五
八
537
フランス資本主義の.停滞性について︵吉田︶ 的にとらえうる面にのみ限られる︑
一五 九
資本
1 1賃労働関係という質的な 資本主義の諸要因の特殊性と諸発展段階の時間的ずれ←資本主義の型の相違と不均等発展︒﹂ されている︒﹁資本主義の発展←世界市湯の必然性←世界賓本主義体制の必然性←諸国資本主義の相互規定と適応←各国
(3 )
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(5)第三節で利用する諸文献を参照。•
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一九世紀フランス資本主義についての最近の研究のなかで興味あるひとつの傾向は︑
ンス経済の発展過程を︑そのさまざまな側面について数量的に確認していこうとする態度である︒もとよりこうし
た態度にたいしては︑容易にいくつかの批判を加えることが可能であろう︒だいいち︑研究者自身が認めているよ
( 1 )
うに︑完全な統計資料が整備されていないこの時代については︑資料的制約はいかんともし難いところといわなけ
ればならない︒のみならず︑利用しうる資料についてさえ︑それぞれの間の分類方法と指標のとり方との違いは︑
( 2 )
. 予想以上の困難を研究者に生ぜしめることとなろう︒しかし︑こうした資料ならびにその操作上の困難に加えて︑
以上のような研究方法は︑容易に推察しうるように︑その研究対象と︑したがってその結果とが︑はじめから数量
というところに大きな制約をもつ︒このため︑
側面︑あるいはひろく一般的にいって生産関係ならびにそれを基礎とする社会構成の変革といった重要な問題が見 一九世紀におけるフラ
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めたうえでのことであるC の限界と有用性とを十分に認 を利用しようとするのも︑そ a n a l y s e
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の成果
第1表
第1図
われが︑主として数量的分析 かぎり︑むしろ少なからず有
( 3 )
用である︒以下の被述でわれ国
国民生産
民 生
こ と の み に と ど ま ろ う と す る 産
あるどころか︑少なくともわ
ランス資本主義の趨勢を知る れわれが一九世紀におけるフ
1789ー1910年
果 を 利 用 す る こ と は
、 無 用 で 1789年 6,100 1872年 22,173 1815 8,290 1882 26,422 1825 9,100 1892 26,129 1835 10,270 1898 30,181 1847 13,586 190‑10 8 38,170
1859 19,400 (単位 100万フラン)
1789ー1910(単位10億フラン)
かかわらず︑上述の研究の成
しか
し︑
これらの難点にも
過ご
され
︑
もっぱら量的な発展のみがえがかれるにすぎなくなる︒ 隔西大學『網済論集』第十三巻第四•五・六合併号
40
20
ようとする一九世紀フランスを対象にすえるとき︑およそ無視しえないところであろう︒
10
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一六
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1800 1850 1900
このことは︑資本
賃労働関係がまさに確立し1 1
539
ある
︒
びに第一図は︑
( 4 ) ( 5 )
ある︒この表ならびに図から︑
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︵吉
田︶
この期間における国民生産の成長は︑ 代にかけてと︑ 紀におけるフランス経済の成長を︑
一 六
一九彩にたいして一四七 .七八九年以降︱九︱一年にいたる人口構 の伸びからみていくことにしよう︒第一表なら
一七八九年から一九一0年にいたるフランスの国民生産を︑その年の価格水準であらわしたもので
フランスにおける国民生産の急速な成長がみられたのは︑
一八
九0年代以降とであることがよみとれるが︑その間の成長率ならびにその変動など詳細につい
てはのちにゆずるとして︑
ここ
では
︑
摘しておくにとどめたい︒ところで︑ フランスの国民生産が︑
急激な増加によって支えられたものでもなかった︒この期間︑ 国民生産
一八
三0年代から五0年
このほぼ一世紀間に︑四倍以上に増大したことを指
この国民生産の成長は︑領土の著しい拡張によるものでもなければ︑人口の
フランスの領土の大きさはほとんど変化がなく︑他
( 6 )
方人
口は
一︑
000
万の増加をみているけれども︑それが国民生産の成長にあたえた影響は僅かといっていい︒し
産業構造の変化︵高度化︶によるものと考えることができるので
いわゆる﹁産業構造の高度化﹂ということばが︑産業構造における農業︵第一次産業︶の比重の低下︑それにかわ
って工業︵第二次産業︶の比重の増大という事実をあらわすものとして用いられていることは︑おそらく周知のこと
であろうけれども︑ところで産業革命をふくむ一九世紀のフランスが︑この間に﹁産業構造の高度化﹂をみたこと
は︑あらためて言うまでもあるまい︒その事実を確かめるために︑いまここでは︑人口構成の変化および農業所得
・工業所得の変化をみておくことにしたい︒第二表ならびに第二図は︑
( 7 )
成を右の目的にそってごく大まかにしめしたものである︒これによって知れるように︑この期間における工業人口
の増加率は︑総人口ならびに農業人口の増加率をはるかにこえ︑後者のそれぞれ五三光︑
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第2表 人 口 構 成 (単位 1,000人)
農業人口 惰商連諭人口 , 1 工業人口 I1 軍自由業隊
1789・・・........................ 14,400 6,600 3,800 1,000 1800‑‑‑‑‑‑‑‑‑・・‑‑・・・‑‑‑・‑‑‑‑‑・・ 15,600 6,800 4,400 1,000 1815・.......................... 17,000 7,000 5,400 1,000 1835・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18,200 10,000 8,000 1,000 1845•··· 20,000 11,000 8,800 1,200 1856000"'"'""'"'"'""'" 19,000 12,200 9,400 1,400 1861‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ 19,800 12,800 9,800 1,600 1866・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19,600 13,800 10,400 1,600 1872・・・........................ 18,400 12,600 8,400 1,800 1876•··· 19,000 13,100 9,200 1,900 1881・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18,200 14,000 9,400 2,000 1886・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17,600 14,400 9,200 2,200 1899・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17,400 14,600 9,400 2,400 1911・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17,200 14,900 9,400 2,400
増 加 率 (%) 19 127 147 140
第2図 人 口 変 動
開西大學﹃網済論集﹄第十三巻第四・五
50,000,00
I 総人口
六合併号
ー
20,000、00
I I
10,00Q、000
皿
5,00QOOO 2,000,000
六
1,000、000
1780 1800 1820 1840 1860 18B0 1900 1913
541
第4表 工 業 所 得
1789ー1910年
(単位 100万フラン)
フ ラ ン ス 資 本 主 義 の 停 滞 性 に つ い て
( 吉 田
)
1789年 1,120 1815 1,840 1835 3,786 1850 4,980 1859 5,800 1872 6,750 1882 8,000 1898 10,124 1910 13,900
以上の瞥見によってうかがわれるように︑
第 3表 農 業 所 得 1789‑1908年
(単位 100万フラン)
1789年 1817 1835 1847 1859 1872 1892 1908
3,068 3,952 4,742 6,050 8,730 8,880 9,978 13,410
一六
一八
年代を境にして減少におもむくが︑その減少率はきわめて緩慢である四0
( 9 )
他方︑農業所得・工業所得の変化は︑第三表および第四表によって知ることができる︒
あらわしたのが︑第三図である︒︶ここにしめされているように︑
年に農業所得の三分の一近くにすぎなかった工業所得は︑
( 1 0 )
は農業所得とほぼ同額に達しており︑したがってこの表から算出されるそれぞれの年成長率も、工業所得ニ・九%、農業所得一•四%と、前者
( 1 1 )
は後者を上回っている︒
一九世紀フランスにおける
﹁産業構造の高度化﹂は︑およそ疑いをいれぬ事実である︒だが︑この
事実にさらに立ち入って︑
われわれは︑第二部門に比して第一部門が︑
い成長率をしめしたことを認めるであろう︒第五表は︑
たがって︑繊維工業︑衣服工業︑食料品工業を第二部門︑鉱業︑金属工業︑化学工業を第一部門として選び︑それぞ
( 1 2 )
れの所得を選ばれた年についてしめしたものである︒これによって︑第一部門に属する諸工業の平均年成長率がい
ずれも︑第二部門のそれを上回っていることが知れるであろう︒したがって︑
う事実は︑第一部門の発展を推力としていたといえるのである︒ ことにも︑前もってここで注意しておきたい︒
( 8 )
彩であった︒もっとも農業人口は︑
工業の内部構成の変化をみるならば︑そこに
ことに一九世紀後半に著し
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いわゆる﹁産業構造の高度化﹂とい 一九世紀末に
一七
八九
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表を
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第3図 農業所得と工業所得の変動 (単位 100万フラン)
I 00000000農業所得
20,000~ II++++++++工業所得 / 開
I 西
大 學
10.000‑l L ~ 繹‑弓9 演 論 集
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1,000 併号
1780 1800 1820 1840 1860 1880 1900 1913
第5表 各 部 門 別 所 得 ( 単 位100万フラン)
I
j 1788年 I 1835年 I 1882年 I 年成平長均率
繊 維 工 業 630 1,354 2,150 1.4%
衣 服 工 業 130 950 1,680 2.7
食 料 品 工 業 187 366 1,989 2.4
1845年
鉱 業 4 190 1,195 6.1
冶 平属 業 37 284 1.::
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2.9金 113 209
化 学 工 業 42 180 1,920 4.0
六四
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