島 根 女 子 短 期 大 学 紀 要
第
45
号︵一五〜二五頁︶別刷二〇〇七年
三
月詩的心象とその形象 河 原 修 一
(国文教室)
詩的心象とその形象
河 原 修 一
︵国文教室︶F ormation of P oetical Imagery
Shuichi KAWAHARAキーワード
:心象︑表象︑形象︑状況︑レトリック︑象徴 自分と自分をめぐる環境において現れる様々なものごとやひと︵自分によって見られるものとしての人︑自分と関わる他者︶︑こころのなかの様々な想いなどが︑どのようなかたちで立ち上がってくるのか︒その立ち上がってくる場は︑身体器官︵網膜・内耳・脳など︶とその機能を媒介として様々なレベルの︵無意識を含む︶意識の働くこころと呼ばれている生命的あるいは時間的な領域である︒こころには︑物質としての実体がなく︑ただエネルギーとしての場がある︒
主体とその主体をめぐる環境において現れる様々なものごとやひと︵ものとしての人︑その主体と関わる他者︶︑こころのなかの様々な想いなどを現象と呼ぶことにする︒様々な現象がこころに立ち上がってくることを表象と呼び︑こころに立ち上がってくるかたち︵輝き︑色︑音︑輪郭︑動き︑におい︑味︑痛みなど︶を心象と呼ぶことにする︒心象には︑一定の広がりのあるかたち︵像︶と広がりの定まらないかたちとがある︒
現象とその表象について︑主体の心情や精神も含めて︑図示してみる︒ 外界 気分 直観⁝美意識⁝┘
ものごと・ひと 雰囲気↑直感⁝感情 ↓精神 視・聴覚 嗅・味・触覚 ┘ → 思考 想像力⁝┴
像 感受 ┬↓心↑記憶〜イメージ 意志 ┌イメージ└〜印象 └ 想像〜イメージ ← ↓観念 ↓概念 ← 具体的なものごと・ひと
||
||
||
||
||認知 ← ↓認識 心︵意思︶ある他者との関わり ↓感情↓思考 洞察 どのように平面に図示してみても︑こころの実態には迫れない︒こころにあらわれる心象は時間のなかに存在し︑重複し連続していて︑空間的に区分することは難しい︒感覚的知覚に限界のある人間にとって時間は認識できないから︑この図はいわば比喩であり︑今後の考察の手がかりである︒
精神︵魂︶を仮定する︒精神は︑様々な心的作用︵感情︑思考など︶や心的機能︵記憶など︶などの︵無意識を含む︶意識の働きをもたらす︵生命エネルギーとしての︶心的エネルギーである︒精神の中核に意志があり︑︵比喩的には︶触手として想像力があり︑根底に価値意識︵美意識など︶︵価値観とは異なる︶があり︑心的作用と通じる︵直感と連続する︶直観がある︒精神のレベルは変化する︒たとえば︑胎生期には生命体︵集合的︶無意識的欲求であり︑新生児期には生理的欲求であり︑幼児期には心理的欲求︵願望︶が芽生え︑青年期には精神的欲求︵希望など︶が芽生え︑意志が自覚されるようになる︒老年期には︑進展したり︑衰退したりする︒
主体とその主体をめぐる環境を状況と呼ぶことにする︒状況とは︑自分と外界のものごとや他者との関係の総体である︒状況は︑刻々と変化する︒
具体的な時・所・人・出来事によって截 きり取られた状況の断面を場と呼ぶことにする︒場の構成を日本語の一般的な語順に即して示してみる︒
いつ︵時︶どこで︵所︶誰が︵主体︶誰に︵誰と︶︵他者︶
何を︵対象︶
どうする︵行動︶
︵知覚︶
─ 何が︵作用主︶何を︵何に︶︵何と︶︵作用対象︶
どうする︵作用︶
現場とは︑︿今︑ここで︑自分が︵それが︶どうする︵と実感する︶﹀という場である︒回想される記憶のなかの場もあれば︑将来が構想される想像のなかの場もある︒
人間は時間そのものは認識できないが︑日常生活においては︑空間における現象をものとこと︵動きなど︶に分け︑背景のひろがりのなかでのものの動きの相対的な関係︵順序など︶によって︑時間を仮定している︒
近代英語などでは︑固定した空間の背景︵ひろがり︶に対して︑一方向 に過去から現在︑未来へと流れる時間の軸を設定している︵時制と呼ばれる︶︒
古代日本語や︵北アメリカ先住民語の︶ホーピ語などでは︑過去について回想︵想起︶したり︑将来について推量したり決意したりするから︑回想も推量も決意も現在の意識の働きであり︑心理的時間としてはすべて現在︵心理的現在︶である︵時制はない︶︒未来︵未だ来たらず︶ではなく︑将来︵将に来たらんとす︶として意識される︒ただし︑近代日本語では︑翻訳文体などを通して︑また日本人が近代西洋科学の考え方を次第に受け入れることによって︑近代英語に窺われる時間意識の影響を受けつつある︒
ここでは︑詩的心象がどのように言語に形象されるか︵表現されるか︶について考察しようとする︒心象の表象から形象へという時間的なプロセスのなかのどの時点が詩という表現に示されているかということが問題となる︒また︑外界の現象についてどのような時間意識で表象されているかということも問題となる︒︵表す時間と表される時間とがある︒︶
時間そのものは人間には認識できないから不可知であるが︑時間意識︵ものごとの変化の意識︶については人間の心象として実在するから︑言語表現などを通して探究できるとはいうものの︑前述したように複雑である︒
そこで︑詩に示される時間意識については︑まず表す時間に着目し︑心象の表象の時点︵表象現在︶と言語表現︵表象の言語形象︶の時点︵表現現在︑回想認知︑将来想像など︶という二つの時点の往復として捉える︒︵詩によっては︑表象即表現ということもある︒︶ついで表される時間に着目し︑心象のうちの外界のものごとのどの時点が示されているかについて︑考察する︒
表現者︵形象者︑作者︶の視点に着目すれば︑表現現在の︵眼前の︶ものごとや想いを歌ったり︑表現現在の他所のものごとや他者の心情などを想像して歌ったり︑表現時点から将来のものごとや想いを想像して歌ったり︑表現時点から過去のものごとやその時の想いを回想して歌ったりする︒
ところが︑表現意識が高まると︑将来や過去のものごとや想いであっても︑表象する時点︵表象現在︶でのものごとや想いとして表現されるよう
になる︵過去のものごとや想いについては︑歴史的現在と呼ばれる︶︒ 表現者が文字で表現する直前に︑︵心のなかに︶思い浮かべたイメージ︵心象︶を︵心のなかで︶ことばに置き換えれば︑そのことばは内言︵心のなかのことば︶である︒詩作に慣れた表現者が︑︵心のなかに︶思い浮かべたイメージ︵心象︶をそのまま紙面に文字に置き換えれば︑そのことばは外言︵音声や文字で表されたことば︶である︒ただ︑文字に書き連ねながら︑同時に心のなかで呟いているとすれば︑内言と外言の同時進行ということになる︒
表象する時点︵表象現在︶で内的に︵心のなかで︶歌う︵語る︶形象は︑内言である︒表象者は︑浮かんだイメージ︵心象︶を感性によって心のなかでことば︵内言︶に置き換える︒イメージの群れにつながりがあれば︑メッセージやテーマを伝えることになるし︑つながりがなければ︑ことばのもつ音や意味が全体として交響することになる︒
表象現在における内的な言語形象︵内言︶は︑描写を中心とする︒描写の対象は︑外界のものごと︵自然︑街︑室内など︶や他者︵恋人︑友達など︶であったり︑自分︵語られる自分︶であったりする︒外界の描写には︑表象者の想いが籠められることも多く︑比喩などのレトリックや象徴︵異なる次元のものごとへの転換︶が用いられたりする︒風景には感情が移入され︑情緒が添えられて︑情景となる︒さらに︑日常現実の風景を離れて︑イメージ︵心象︶のなかでつくられた心象風景となることもある︒自分の行動の描写には︑自己客観化の視点が求められることになる︒外界や自分の描写に︑説明︵聞き手としての読者を意識的または無意識的に想定した叙述︶が加わることもある︒
描写的な︵ときには説明的な︶内言とは別に︑︵心のなかで呟く︶独言に近い内言や他者への呼びかけに近い内言もある︒独言的な内言では︑感情や思考などの内面がそのまま︵率直に︶表され︑語る自分の想いが示される︒他者への呼びかけに近い内言では︑特定の︵親しい︶人にそのまま︵率直に︶自分の想いを訴える︒
ただ︑語られる自分の行動の描写と︑独言的な語る自分の想いの表出とは︑しばしば連続したり︑融合したりして︑区別のつきかねる場合もある︒ ここで︑具体的な資料として︑山田かまち︵一九六〇〜一九七七群馬県高崎市生れ︶﹃
けた︒︶ かかる年代︵推定十三歳︶に書かれたと思われる︒︵行の番号は河原がつ れた︶詩︵無題︶を取り上げてみる︒少年期から青年期︵思春期︶にさし 10歳のポケット﹄︵一九九六︶所収の︵ノートに書きつけら
1朝日に輝きながらほほえんでいる︒
2さわやかなあたたかい風にのってあの人が来る︒
3どこからか︑小鳥の声︒
4森にかこまれたこの公園︒
5あの人がかけてくる︒
6あの人を見てるのはぼくだけ︒
7あの人の目は︑美しく輝いている︒
8胸をふるわせながらかけてくる︒
9もうたえられない︒
10 すきとおった朝日︒
11 さわやかなあたたかい風︒
12 森のしずけさ︒
13 小鳥のさえずり︒
14 大地はやわらかな緑でおおわれている︒
15 しあわせの公園︒
16 あの人とぼくだけ︒
17 こんなによい条件がそろってるんだ︒
18 もうたえられない︒
19 ぼくの胸はとびだしそう︒
20 あの人に向かってまっしぐら︒
21 森の木々も︑小鳥たちも︑いっせいにこっちをむく︒
22 ああ!⁝⁝だって︑⁝⁝だって︑
23 君の胸のひびきがきこえる︒
24 だきあった二人だもの︒
25 ぼくは泣いた︒
26 ありがとう︑
27 君に会えてほんとうにうれしい︒
28 ぼくはよろこびに感動しながら︑
29 君の美しい目を見る︒
30 いつまでもいっしょにいようね!
31 太陽が森を︑緑の大地を開く︒
32 木々はざわざわささやき︑
33 小鳥たちはえさをさがしまわる︒
34 ぼくは彼女の目をもう一度見ようとした︒
35 彼女は目をつぶってる︒
36 かわいい口びるをふるわせてる︒
37 森は︑公園は︑一瞬しずまり︑
38 ぼくは彼女に口づけする︒
39 ああ!すばらしい︒
40彼女ははずかしそうにしてぼくの胸からすりぬける︒
ある春︵または初夏︶の日の朝︑森に囲まれた公園で︑ぼく︵主体︶が彼女︵他者︶とデートして︑初めてキスをした︵行動︶場面である︒
ぼくの初めてのキスで彼女と愛を確認し合ったことへの震えるような感動と喜び︵という心情︶があらわれている︒まわりの世界が開いて輝いて見えるような心境の一変が示される︒
詩に示される︵無意識的な︶時間意識については︑表す時間として︑
の番号を示す︑以下同じ︶と 25︵行 内言を経て表象が言語に形象されたとすれば︑ 思われる︒ る︒ノートに書きつけた時はその日の夜か︑翌日または数日後であろうと 史的現在︶である︒表される時間は︑ある春︵または初夏︶の日の朝であ 34が回想認知で︑その他はすべて表象現在︵歴
9︑ 17︑ 18︑ 22︑ 言的な内言︑ 39は独 26︑ 27︑ 描写的な内言であるが︑ 30は相手への呼びかけに近い内言︑その他はすべて 23︑ 24は文脈から
22の延長線上にあって︑独言的 でもある︒
6︑ 16︑ 17︑ 24には説明的な要素も加わり︑
1︑ 2︑ 4︑ 8︑ 10︑ 14︑ 15︑ 19︑ 20︑ 21︑ 31︑ 32︑ 37︑ テゴリー間転換︶が用いられている︒ 40にはレトリック︵比喩またはカ 21︑ 31︑ 32︑ 33︑ 用いられている︒ 37には詩的象徴が
9︑ 直な内面表出を示す︒ 的な切迫感を表し︑﹁たえられない﹂は話し手の主観的な懊悩を表し︑率 18は反復されていて︑﹁もう﹂はここでは談話語的で話し手の主観
で自己確認を表し︑率直な内的思考を示す︒ 17では︑﹁んだ﹂は﹁のだ﹂の談話語的な撥音便形
22︑ る︒ 音としての吐息に由来する感動詞で主観的な感歎︑感動が率直に表出され 39では︑﹁ああ﹂は表情 盾し切迫した感情として懊悩を含む感動を率直に示す︒ 22で反復される﹁だって﹂は談話語的な逆接の接続詞で︑主観的な矛
26︑ 脈で︑相手への呼びかけを示す︒ 27は︑﹁ありがとう﹂という相手に感謝を伝える挨拶語で始まる文
られているから︑相手への呼びかけを示す︒ 誘いかけの言葉があり︑﹁ね﹂という相手への同意を求める終助詞が用い 30では︑﹁いっしょに﹂という相手への
とも考えられる︒ を示す機能もあるから︑表象時点における自分の行動の認知を示している ことで︑自己客観化しているとも考えられる︒ただ︑﹁た﹂には現在認知 表現時点から表象時点を回想していて︑二つの時点の間の時間を意識する 25では︑連として独立させてあり︑回想の﹁た﹂が用いられているから︑
行決意︶の認知を示していると考えられる︒ も考えられるが︑むしろ﹁〜とした﹂という表象時点における近接将来︵実 34では︑同様に表現時点から表象時点を回想していると
17︑ いる︒ き自己確認を示す助動詞が用いられているから︑説明的な要素が加わって 24では︑﹁だ﹂という相手への説明または自分への説明ともいうべ 6︑ が加わっている︒ いるが︑﹁だけだ﹂の省略形あるいははしょり形を思わせ︑説明的な要素 16では︑﹁だけ﹂という談話語的な終止になって限定を表して その他の行では︑いわゆる動詞の現在形の常体の表現や体言止めの表現になっていて︑描写的である︒
描写には︑表象者の想いが籠められ︑その想いを表すために反復法︑倒置法︑比喩法としてのカテゴリー間転換︵広義の比喩法︶・暗喩法・声喩法・
擬人法などのレトリックや脈絡によって解釈される象徴も用いられ︑情景さらには心象風景を表す︒ただ︑レトリックと象徴とは︑連続したり重複したりして︑区別しがたいこともある︒
比喩は︑詩を詩たらしめる本質をなす︒事実描写では︑詩にならない︒
1︑ 2︑ 10︑ 15︑ 40はカテゴリー間転換︑
む︶掛詞︑ 8は︵カテゴリー間転換を含 び提喩︑ 14はカテゴリー間転換または共感覚的比喩︵触覚︑視覚︶およ 4︑ 19︑ 20︑ 21︑ 31︑ 37はカテゴリー間転換または擬人法︑
カテゴリー間転換または共感覚的比喩︵触覚︑聴覚︶または擬物法︑ 23は 声喩および擬人法をそれぞれ含む︒ 32は
象徴も︑詩を詩たらしめる本質をなす︒象徴によって︑異なる次元への転換が可能となる︒
21︑ 31︑ 32︑ 33︑ という異なる次元の状況を示し︑象徴となっている︒ なっている︒違和感のある風景の描写によって︑表象者自身の心境の一変 37は︑日常現実の風景を離れて︑ほとんど心象風景と 次に︑表象者が言語に形象する際に︑素材として︑どのような語︵単語︑連語︶を用いているかという語彙の分布を調べてみる︒概念的意味による範疇︵カテゴリー︶的体系を基準とする語彙を考える︒関係概念を表す助詞︑助動詞︑︵アスペクトを示す︶連語などを省き︑素材概念や副用概念︵派生概念︑修飾概念︶を表す語を取り上げることにする︒用言は︑基本的に終止形で示す︒
これまで述べてきたことと併せて︑行の番号ごとに作業メモふうに示す︒
山田かまち﹃
10 歳のポケット﹄詩︵無題︶︵助詞・助動詞・︵アスペクトを示す︶連語を省く︶
表す時間 形象型 表象対象 表象方法 語彙︵語群︶
1表象現在描写レト自然/他者視覚朝日輝くほほえむ 2 表象現在描写レト自然/他者触・視覚さわやかあたたかい風 のるあの人来る 3表象現在描写自然聴覚どこ小鳥声 4表象現在描写レト自然/人工視覚森 かこむ公園 5表象現在描写他者視覚あの人かける 6 表象現在描写︵説明︶他者/自分自覚あの人見るぼく 7表象現在描写他者視覚あの人目 美しい輝く 8表象現在描写レト他者視覚胸 ふるわせるかける
9表象現在独言的自分感情もうたえる 10 表象現在描写レト自然視覚すきとおる朝日 11 表象現在描写自然触覚さわやかあたたかい風 12 表象現在描写自然聴覚森 しずけさ 13 表象現在描写自然聴覚小鳥さえずり 14 表象現在描写レト自然視覚大地やわらか緑 おおう 15 表象現在描写レト人工価値観しあわせ公園 16 表象現在描写︵説明︶他者/自分自覚あの人ぼく
以上のメモから︑主な語彙の分布について︑まとめてみる︒レトリックや象徴などによって示される意味︵文脈によって解釈される意味︶ではなく︑示す語の意味︵いわゆる辞書的意味︶に基づいて︑語彙を考える︒ここでは︑動植物は自然に︑知覚的感覚︑感覚対象領域は感覚に︑表情︑気 分︑評価は感情に︑それぞれ含めることにする︒ ﹁あの人﹂﹁たえられない﹂﹁かけてくる﹂は︑語︵連語︶として扱う︒﹁かけてくる﹂のうちの﹁てくる﹂はアスペクトを示す連語ではあるが︑この詩では﹁くる﹂の意味も響かせていると考える︒
17 表象現在独言的︵説明︶状況認識こんなによい条件そろう 18 表象現在独言的自分感情もうたえる 19 表象現在描写レト自分感情ぼく胸 とびだす 20 表象現在描写レト自分感情あの人向かうまっしぐら 21 表象現在描写レト象徴自然直感森 木々小鳥たちいっせいにこっちむく 22 表象現在独言的自分感慨ああだってだって 23 表象現在独言的描写レト他者触覚・直感君 胸 ひびききこえる 24 表象現在独言的描写︵説明︶自他認識だきあう二人 状況︵場面︶
25 回想認知描写自分自覚ぼく泣く 26 表象現在呼びかけ的自他対人感情ありがとう 27 表象現在呼びかけ的自他感情君 会うほんとうにうれしい 28 表象現在描写自分感慨自覚ぼくよろこび感動する 29 表象現在描写自分自覚君 美しい目 見る 30 表象現在呼びかけ的自他感情いついっしょにいる 31 表象現在描写レト象徴自然直感太陽森 緑 大地開く 32 表象現在描写レト象徴自然聴覚木々ざわざわささやく 33 表象現在描写象徴自然視覚小鳥たちえささがしまわる 34 回想認知描写自分自覚ぼく彼女目 もう一度見る 35 表象現在描写他者視覚彼女目 つぶる 36 表象現在描写他者視覚かわいい口びるふるわせる 37 表象現在描写レト象徴自然/人工直感森 公園一瞬しずまる 38 表象現在描写自他・出来事自覚ぼく彼女口づけする 39 表象現在独言的状況感慨ああすばらしい 40 表象現在描写レト他者触・視覚・直感彼女はずかしそうぼく胸 すりぬける
自然︵
18︶↓森︵
5︶木々︵
2︶小鳥︵
2︶小鳥たち︵
2︶大地︵
2︶ 風︵
2︶朝日︵
2︶太陽︵
1︶ 色彩︵
2︶↓緑︵
2︶ 人工︵
3︶↓公園︵
3︶ 人称︵
21︶↓ぼく︵
8︶あの人︵
6︶彼女︵
4︶君︵
3︶ 身体︵
9︶↓目︵
4︶胸︵
4︶口びる︵唇︶︵
1︶ 感覚︵
9︶↓見る︵
3︶輝く︵
2︶あたたかい︵
2︶すきとおる︵
1︶ きこえる︵
1︶ひびき︵
1︶声︵
1︶さえずり︵
1︶ しずけさ︵
1︶ざわざわ︵
1︶しずまる︵
1︶ やわらか︵
1︶ 感情︵
19︶↓ああ︵
2︶たえられない︵
2︶ さわやか︵
2︶美しい︵
2︶ うれしい︵
1︶よろこび︵
1︶感動する︵
1︶ ほほえむ︵
1︶泣く︵
1︶はずかしそう︵
1︶ ありがとう︵
1︶すばらしい︵
1︶かわいい︵
1︶ しあわせ︵
1︶よい︵
1︶ 行動︵
20︶↓かけてくる︵
2︶ふるわせる︵
2︶来る︵
1︶のる︵
1︶ かこむ︵
1︶おおう︵
1︶とびだす︵
1︶向かう︵
1︶ むく︵
1︶だきあう︵
1︶会う︵
1︶いる︵
1︶開く︵
1︶ ささやく︵
1︶さがしまわる︵
1︶つぶる︵
1︶ 口づけする︵
1︶すりぬける︵
1︶ この詩では︑﹁緑﹂も﹁公園﹂も︑﹁ぼく﹂を包む自然に準じている︒自然語彙︑色彩語彙︑人工物語彙を併せて︑延べ語数は
の延べ語数は 23となる︒人称語彙 登場する︒身体語彙︑感覚語彙を併せて︑延べ語数は 女﹂と様々に称せられる同一人物の女性との二人だけが︑この詩の世界に 21である︒﹁ぼく﹂と自称される語り手と︑﹁あの人﹂﹁君﹂﹁彼
の延べ語数は 18となる︒感情語彙 19︑行動語彙の延べ語数は
20である︒
表象者が言語に形象する際に︑素材として用いている語彙の分布は︑自然語彙︑人称語彙︑身体・感覚語彙︑感情語彙︑行動語彙の語彙量︵延べ 語数︶が︑ほぼ均等であることがわかる︒つまり︑動植物や公園を含む自然に包まれながら︑﹁ぼく﹂とその女性は二人だけで︑身体感覚的に触れ合い︑お互いの感情︵恋愛感情︶を高めながら︑具体的な行動に表す︒さらに︑その恋愛感情は精神的に高められ︑自然との交歓のなかに二人の魂は一体化する兆しを示す︒風景は﹁ぼく﹂の想い︵情緒︶に染められ︑情景となる︒さらに︑詩的象徴︵精神的象徴︶が用いられ︑日常現実の風景とは次元を異にする心象風景となる︒ 心象があらわれる︵表象される︶に随って︑相手︵その女性︶への呼称は︑﹁あの人﹂↓﹁君﹂↓﹁彼女﹂と変化する︒﹁あの人﹂と呼ぶとき︑﹁ぼく﹂はすでに﹁この公園﹂で待っていて︑﹁来る︵かけてくる︶﹂相手とは︑距離感がある︒心理的にも︑単に親しい友達として︑公園でのデートを約束し︑待っているという関係にある︒﹁君﹂と呼ぶとき︑二人は抱き合い︑見つめ合っている︒心理的にも︑友達から一歩踏み出している︒﹁彼女﹂と呼ぶとき︑キスを交わして︑その人はすでに﹁ぼく﹂にとって特別の人︑愛する人になっている︒ 次に︑レトリック︵修辞法︶について言及する︒
反復法︑倒置法は︑脈絡︵文脈︶に関わる展開のレトリックであるが︑いずれも定義が定まりにくい︒
そもそも反復︵繰り返し︶というとき︑語音のレベルか︑形態素︵語構成要素︶のレベルか︑単語のレベルか︑連語のレベルか︑文のレベルか︑文章︵連続する複数の文︶のレベルか︒一定の文章における語彙量︵延べ語数︶で︑延べ語数が
には違いないが︑煩雑である︒ 末には︑﹁る﹂﹁た﹂﹁う﹂などが頻繁にあらわれ︑確かにリズムを作るの 脚韻などの押韻に準じて︑日本語でも考えるべきか︒しかし︑日本語の文 ルで考えるのも︑同様である︒ただし︑英語などの詩にあらわれる頭韻︑ れでは︑レトリック︵表現上の工夫︶とは言えない︒形態素や語音のレベ 2以上であれば︑すべて語の反復と見做すのか︒そ そこで︑ここでは︑基本的に連語︑文︑文章のレベルでの繰り返しを反復法としての反復︵一部に変異がある場合は変形反復︶と見做し︑例外的に文頭︑文末に連続して複数回あらわれる︵助詞・助動詞を除く︶単語のレベルでの繰り返しも︑頭韻的あるいは脚韻的な反復と見做すことにする︒
また︑単語または連語が直後に連続する場合は︑反復法としての畳語と見做すことにする︒
9と らわれる感情の高まりでもある︒ 18は︑文のレベルでの反復である︒感情の強調であり︑繰り返しあ
2と 分で満たされる︒ てさらに良い方向に変り︑直感によって感受され︑﹁ぼく﹂の心は快い気 ﹁ぼく﹂をめぐる外界のものごと︵環境︶の雰囲気が﹁あの人﹂の出現によっ 11の﹁さわやかなあたたかい風﹂は︑連語のレベルでの反復である︒
2の﹁あの人が来る﹂と
調している︒ 実際に来るということが︑﹁ぼく﹂にとっていかに重要かということを強 語のレベルでの変形反復は︑﹁あの人﹂が﹁ぼく﹂の待つ﹁この公園﹂に 5﹁あの人がかけてくる﹂の連 5︑ 6︑ て﹁あの人﹂の実在がいかに重要かということを強調している︒ 7の文頭の﹁あの人﹂の頭韻的な反復は︑﹁ぼく﹂にとっ
鳥の声﹂と 3の﹁小 聞こえているということを示している︒ く﹂の情緒さらには精神性によって︑ほとんど精神的なメッセージとして にとって﹁あの人﹂といるこの森が特別の風景となり︑小鳥の鳴き声も﹁ぼ 13﹁小鳥のさえずり﹂の連語のレベルでの変形反復は︑﹁ぼく﹂
ちた感情が間歇的に高まることを示している︒ として間︵ポーズ︶があり︑悦びにかすかに懊悩の入り混じった矛盾に満 ま22の﹁⁝⁝だって︑⁝⁝だって︑﹂は畳語であるが︑心のなかでの呟き 倒置法は︑慣用的に定まった文の構成要素の配列順序︵語順︶を換える修辞法とされる︒ところが︑日本語の語順は固定的でなく︑呼びかけは文の前にも後にもくるし︑文を成り立たせる動詞にかかる補充的・修飾的な要素は相互に順不同である︒文を成り立たせる動詞が先にきて︑補充的・修飾的な要素が後にくると︑倒置された印象が強くなる︒
22〜 24では︑
23と 24の語順が入れ替わっているようにみえる︒ただし︑
24の﹁もの﹂は形式名詞に由来する終助詞だから︑
24から 書き手︵表現者︶の表象意識とは関わらない︒ してつながる︒しかし︑この論議は読み手の解釈に関わる問題であって︑ のつながりがよくない︒﹁もの﹂でなく︵接続助詞の︶﹁から﹂なら︑文と 23への文として
書き手︵表現者︶の表象意識としては︑
22︑ 23︑ があらわれるのである︒ 24という順序で︑心象 23と
24は︑倒置的というより付加的である︒むし とめてみる︒ 前掲したメモに﹁レト﹂と示した比喩または比喩的な表現について︑ま つ語︵単語︑連語︶と入れ替わることである︒ をなす構成要素の一部が異なるカテゴリーに属する意味︵概念など︶をも カテゴリー間転換は︑意味連関︵意味的なつながり︶のある脈絡︵文脈︶ ない︒ れない︒いわば無意識的な比喩である︒比喩的と言った方がよいかもしれ 象意識を推測するほかないが︑書き手自身が比喩と意識していないかもし えられるものごとについて︑読み手の解釈によって書き手︵表現者︶の表 とはことばに示されていない場合︵カテゴリー間転換︑声喩など︶は︑喩 さらに︑喩えるものごとだけがことばに示されていて︑喩えられるものご 比喩を含むかどうかについて︑表現者の表象意識を推測することになる︒ があるかないか︑あるとすればどの程度の共通性かということを判断して︑ たは隠喩と呼ばれる︶は脈絡︵文脈︶によって解釈するほかない︒共通性 が比喩でなく状況を表すこともあるが︶︑明示されていない場合︵暗喩ま 比喩とわかりやすいが︵文脈によっては﹁ような﹂﹁みたいな﹂などの語 などの語によって︶明示されている場合︵明喩または直喩と呼ばれる︶は 喩えるものごとと喩えられるものごととの関係が︵﹁ような﹂﹁みたいな﹂ ごとと喩えられるものごととの間に共通性がなければならない︒ 比喩法は︑比べて喩える修辞法︵表現の技法︶であるから︑喩えるもの るのである︒ここでは︑倒置法は用いられていない︒ ろ︑付加的でさえなく︑表象現在として︑次々にその時点であらわれてく
1朝日に輝きながらほほえんでいる 〜︽湖などの物が輝く︾ことと︽人がほほえむ︾こと ↓カテゴリー間転換または擬物法 ︵↓ ﹁あの人﹂の顔が輝くことだけでなく︑﹁あの人﹂の存在自体︵精神︶が輝くこと︑あるいはそのように﹁ぼく﹂が感じること︶
2風にのってあの人が来る 〜︽鳥や天使が風にのって来る︾ことと︽人が歩いて来る︾こと ↓暗喩またはカテゴリー間転換
︵↓ ﹁あの人﹂が風にのって来るように歩いて来ること︑あるいはそのように﹁ぼく﹂が感じること︑あるいは﹁あの人﹂が天使のように感じられること︶
4森にかこまれたこの公園 〜 ︽人々が物をかこむ︾ことと︽大きな物が小さな物をかこむ︾こと ↓カテゴリー間転換または擬人法 ︵↓人々が公園をかこむように森が公園をかこむこと︶
8胸をふるわせながらかけてくる 〜︽胸がふるえる︾ことと︽期待する︾こと ↓暗喩的 ︵↓ 実際に胸をふるわせていること︵の描写︶だけでなく︑胸をふるわせるように期待すること︶
10すきとおった朝日 〜︽水晶などがすきとおる︾ことと︽朝日が射す︾こと ↓カテゴリー間転換 ︵↓ 朝日の光に透明感があること︑あるいはまわりの世界が透明感に満ちているように﹁ぼく﹂が感じること︑精神的に純粋な﹁ぼく﹂の心の状態︶
14大地はやわらかな緑でおおわれている 〜︽やわらかな草︾と︽緑の草︾
↓ カテゴリー間転換または共感覚的比喩︵触覚と色覚︶︑提喩︵草の属性としての緑色︶
︵↓緑色そのもののような春の草︶
15しあわせの公園
〜︽森︑町など︾の具象概念と︽しあわせ︾という抽象概念 ↓カテゴリー間転換 ︵↓ しあわせをもたらす公園︑あの人とぼくだけがこの公園にいるしあわせ︶
19ぼくの胸はとびだしそう
〜︽小動物や人がとびだす︾ことと︽胸が激しく動悸を打つ︾こと ↓カテゴリー間転換または活喩︵擬人法︶
︵↓﹁ぼく﹂が緊張と期待で昂奮していること︶
20あの人に向かってまっしぐら 〜︽動物や人が突進する︾ことと︽胸が激しく動悸を打つ︾こと ↓カテゴリー間転換または活喩︵擬人法︶ ︵↓﹁ぼく﹂が緊張と期待で極度に昂奮していること︶
21森の木々も︑小鳥たちも︑いっせいにこっちを向く 〜 ︽森の木々があり小鳥の群れがいる︾ことと︽森の木々や小鳥の群れが抱き合った二人を見る︾こと ↓カテゴリー間転換または擬人法 ︵↓ 森の木々や小鳥の群れが抱き合った二人を注視するような直感的幻想︶
23君の胸のひびきがきこえる 〜︽鐘などの物の音が響く︾ことと︽胸が動悸を打つ︾こと ︽胸が動悸を打つ︾ことと︽物の音が聞こえる︾こと ↓カテゴリー間転換または擬物法︑共感覚的比喩︵聴覚と触覚︶
︵↓﹁君﹂が感動していると﹁ぼく﹂が直感すること︶
開く︾こと 〜︽太陽が森や大地を輝かせる︾ことと︽人が閉じられていた物を 31 太陽が森を︑緑の大地を開く ↓カテゴリー間転換または擬人法 ︵↓ 太陽が森や大地を開くように急に輝かせること︑あるいはそのように﹁ぼく﹂が感じること︶
32木々はざわざわささやき 〜︽風に木々が鳴る︾ことと︽人々が小声で喋りあう︾こと ↓カテゴリー間転換または擬人法︑声喩︵擬音語︶
︵↓ 木々が抱き合った二人のことについて噂をしているように﹁ぼく﹂が感じること︶
37森は︑公園は︑一瞬しずまり 〜︽森や公園が静かになる︾ことと︽人々が沈黙する︾こと ↓カテゴリー間転換または擬人法
︵↓ 森や公園が二人の口づけに一瞬息を呑んで沈黙したように﹁ぼく﹂が感じること︑あるいは﹁ぼく﹂は感激のあまり外界の物音が一切聞こえなくなっていること︶
40彼女は〜ぼくの胸からすりぬける 〜 ︽﹁彼女﹂が腕をふりほどいて﹁ぼく﹂の傍 そばから離れる︾ことと︽小動物や人が狭い所を通り抜ける︾こと ↓カテゴリー間転換または活喩︵擬人法︶
︵↓ ﹁彼女﹂が緊張した場面から逃れるように﹁ぼく﹂が感じること︑あるいは﹁彼女﹂の羞らいを﹁ぼく﹂が直感すること︶
前掲したメモに象徴と示した詩的象徴︵精神的象徴︶の表現について︑まとめてみる︒
21森の木々も︑小鳥たちも︑いっせいにこっちを向く ︽森の木々があり小鳥の群れがいる︾風景↓︽愛し合う二人の抱擁を森の木々や小鳥の群れに見守られ祝福されている︾心象風景 〜直感的幻想︵自然との交歓︶
しい輝かしい世界が広がる︾心象風景 ︽太陽が森や大地を輝かせる︾風景↓︽太陽が森や大地を開いて新 31 太陽が森を︑緑の大地を開く 〜直感的幻想︵新しい世界の到来︑高次の価値意識への展開︶
32木々はざわざわささやき ︽風に木々が鳴る︾風景↓︽二人の純粋な愛について森の木々が噂して小声で喋りあい︑新しい世界の到来を祝福している︾心象風景 〜直感的幻想︵二人の愛への世界の祝福︑新しい世界の到来︶
33小鳥たちはえさをさがしまわる ︽小鳥の群れがせわしなく飛び回る︾風景↓︽小鳥の群れがせわしなく餌を探し回る︾心象風景 〜直感的幻想︵新しい世界における安心した生命の営みの始まり︶
37森は︑公園は︑一瞬しずまり
︽森や公園が静かになる︾風景↓︽森や公園が二人の口づけに一瞬 息を呑んで沈黙する︾心象風景
〜直感的幻想︵まわりの世界が二人の気持に感応すること︶
いずれも︑﹁ぼく﹂の心情の反映として︑
21︑ 心にいるという自意識過剰︑ 31では︑二人が世界の中 32︑ 33では︑極度の緊張と歓喜による昂奮︑
ると解釈することもできる︒ 37では︑重大な出来事を迎える直前の緊張の一瞬︵の静寂︶が示されてい しかし︑﹁ぼく﹂の精神性の高まりを認めれば︑
21︑ 31︑ 32︑ 33︑ 次元の状況を示していると考えられる︒ 日常とは異なる風景の表象によって︑表象者自身の心境の一変という高い 37は︑
この詩で︑﹁ぼく﹂が生きていることのどんな意味を問いかけているだろうか︒
愛する人がいると︑自分の人生が輝いて見える︒この世界に生まれ︑生きていることによって︑人と出会い︑人を愛し︑人に愛される喜びと感動を得るしあわせ︵幸福︶という意味が示されていると考える︒
以上︑現象とその表象︑主体の心情や精神︑状況︑詩的心象の言語形象︑時間意識︑言語形象者の視点︑形象型︑表象の対象と方法︑素材としての語彙の分布︑レトリック︑詩的象徴︵精神的象徴︶について述べ︑いずれも言語形象者にとって世界と関わる意味につながることを論じた︒
基礎資料 山田かまち﹃
10歳のポケット﹄︵一九九六︶集英社 参考文献1 ユング﹃タイプ論﹄︵一九二一︶林道義訳︵一九八七︶みすず書房2 波多野精一﹃時と永遠﹄︵一九四三︶岩波書店3 ウォーフ﹃言語・思考・現実﹄︵一九五六︶池上嘉彦訳︵一九九三︶講談社4 中村明﹃日本語レトリックの体系﹄︵一九九一︶岩波書店
︵平成十八年十一月三十日受理︶