セ
イ
ロ
ン
王
統
年
譜
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金
剛
智
・
不
室
時
代
の
セ
イ
ロ
ン
王
干 潟 龍 祥 序 密 教 柑 承 の 阿 閣 梨 金 剛 智 に し て も 不 室 に し て も、 執 れ も 嘗 て セ イ 質 ン に 詣 り セ イ 属 ン 國 王 の 優 遇 の 下 に 修 學 し た も (1) の で、 特 に 不 室 ニ 藏 の 如 き は、 そ の 密 教 秘 奥 の 大 牛 は 此 國 で 受 け て 來 た の で あ る。 そ れ だ け に 眞 言 密 教 に と つ て は、 セ イ 瓢 ン は、 傳 燈 史 上 忘 れ る こ と の 出 來 な い 大 切 な 地 で あ り、 此 等 傅 燈 大 阿 閣 梨 を 敷 待 し た 當 時 の セ イ ロ ン 王 を 追 懐 す る こ と も 徒 事 で は あ る ま い。 然 る に そ の セ ィ 質 ン 王 の 名 す ら も 今 は 殆 ど 知 ら れ て 居 な い 歌 態 に あ る。 予 は 嘗 て こ れ に 關 読 し た こ と は あ る が ( 現 代 佛 教 昭 和 六 年 四 月 號 及 七 月 號 所 載、 ﹁ 入 天 竺 記 ﹂ 中 )、 然 し そ れ は 誠 に 杜 撰 な も の で、 殆 ど 全 部 訂 正 せ ね ば な ら ぬ も の で あ る。、 予 の 今 回 こ ゝ に 筆 を 執 る に 至 つ た の も、 牟 ば そ の 責 任 を 感 じ た か ら で あ る。 さ て そ の 爾 三 藏 時 代 の 王 に つ い て 論 す る に 當 つ て は、 輩 猫 に 當 時 の 王 の み を 取 扱 は ん と し て も そ れ ほ 不 可 能 で あ る。 何 と な れ ば、 當 時 の 王 の 名 す ら も 定 か な ら す、 且 セ イ 仁 ン に は 同 名 若 し く は 相 似 た 王 名 が 頗 る 多 い の で あ る か ら、 當 時 の 王 が ど の 王 で あ つ た か を 定 め る に つ い て も、 全 盟 の 王 統 譜 を 見 で、 そ の 中 の 何 れ に 當 る か を 見 定 め て か ゝ ら ね ば な ら ぬ。 然 る に そ の セ そ 賞 ン の 全 罷 の 王 統 譜 な る も の が 頗 る 曖 昧 な も の で、 到 底 日 本 や 支 那 の 如 く 整 然 た る 歴 史 の あ る 國 に 於 け る が 如 く に は な つ て 居 な い。 尤 も 英 領 に な る 迄 二 千 数 百 年 の 間 の 王 名 も 夫 汝 の 在 位 年 藪 事 蹟 等 も 或 程 度 は 傳 セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 へ ら れ て 居 る。 而 し て そ の 傳 の 多 分 は 大 髄 史 實 と し て 信 じ ら れ る が、 然 し な が ら 叉 甚 だ 不 確 で、 ト學 問 的 に は 信 用 の 出 來 ぬ 部 分 も 少 か ら す あ る。 そ こ で セ イ 恒 ン 王 統 年 譜 を 學 問 的 に も 信 用 し 得 る 程 度 に 整 理 す る こ と が セ イ ロ ン 佛 教 史 を 見 る 上 に 於 け る 先 決 問 題 で あ る。 然 る に こ れ が 容 易 な ら ぬ 難 事 業 で あ り、 恐 ら く 現 在 の 資 料 で は 何 人 も 満 足 し 得 べ き 結 論 に 達 す る こ と は 不 可 能 で あ ら う。 ヴ ィ ク レ マ シ ン グ 氏 は エ ピ グ ラ フ ィ ヤ ツ ェ イ に 二 ヵ 第 三 に 於 て、 か な り に 克 明 な 研 究 結 果 を 獲 表 し て 居 る。 從 來 の 學 者 の 成 績 と し て は ま つ こ れ が 最 公 正 な も の と 思 は れ る が、 然 し 吾 入 が こ れ を 見 る 時 必 す し も そ の 全 部 を 肯 定 す る わ け に は い か ぬ、 そ こ で 予 は 止 む を 得 す 予 の 現 在 手 に し 得 た 資 料 に 依 つ て、 一 鷹 予 の 観 た 王 統 年 譜 を 作 つ て 見 た。 而 し て そ の 王 統 年 譜 の 上 に 於 て、 金 剛 智、 不 室 時 代 の 王 は ど れ に 當 る か を 見 定 め る こ と に し た。 た ゞ そ の 王 統 年 譜 も 決 し て 完 全 な も の で な い こ と を こ と は つ て お く。 セ イ ロ ン 佛 教 史 上 め 結 節 鮎 セ イ ロ ン の 歴 史 は そ の 佛 教 史 を 除 い て は 殆 ど 何 も な い と い つ て い ゝ 位 で あ る。 歴 奥 印 佛 教 史 で あ る。 そ れ は 佛 教 が 傳 は つ て 始 め て セ イ 質 ン の 丈 化 が 起 り、 佛 教 に よ つ て 史 傳 が あ る か ら で あ る。 そ こ で セ イ ロ ン の 歴 皮 は 佛 教 傳 來 を 以 て 始 ま る の で あ り、 佛 教 の 大 事 件 に よ つ て 綴 ら れ て 行 く の で あ る。 而 し て 西 暦 一 八 一 五 年 セ イ 質 ン 王 國 は 英 國 に 亡 ぽ さ れ た の で あ る が、 し か し 其 後 も 佛 教 は 綾 い て セ イ に ン 入 の 宗 教 で あ り、 現 在 で も 総 入 口、 六 百 萬 鹸 中、 セ イ ロ ン 入 約 四 百 萬 の 殆 ど 九 割 印 三 百 五 十 萬 位 は 佛 教 徒 で あ る。 ( タ ミ ル 人 を 主 と す る 印 度 入 が 約 百 五 十 萬 程 居 り、 そ れ は 大 髄 印 度 教 徒 で、 幾 分 回 教 徒 も 居 る、 其 他 欧 洲 入 や 混 血 入 が 少 し 居 り、 キ リ ス 教 回 教 等 を 奉 じ て 居 る )。 兎 も 角 一 民 族 で こ れ だ け 永 く 機 綾 し て 佛 教 を 奉 じ て 居 る 慮 は 他 に な い と い つ て い ゝ。
セ イ ロ ン 王 國 の 歴 史 は 前 述 の 如 く 佛 教 の 傳 來 を 起 黙 と し、 英 領 に な つ た 0 を 絡 黙 と し て、 其 間 重 大 事 件 を 以 て 綴 ら れ て 行 く の で あ る。 而 し て セ イ ロ ン に 於 て は 印 度 な ど ゝ 異 り、 兎 も 角 も そ れ ら 重 大 結 節 黙 を 繋 い だ 史 傳 な る も の が 古 (2) 來 存 す る。 固 よ り 何 れ も 傳 読 に 擦 つ て 居 る の で あ つ て、 嚴 密 な 歴 史 書 と い ふ わ け に は い か ぬ が、 然 し 何 し ろ 彼 等 セ イ 貿 ン 人 に と つ て は、 信 仰 に 繋 が つ た 重 大 事 件 で あ る か ら 全 く の で た ら め で も な い。 又 一 方 セ 上 惇 ン は 印 度 に 近 く、 且 東 西 海 上 交 通 の 要 塵 で も あ る か ら、 ア ラ ビ ヤ、 印 度、 ビ ル マ、 シ ヤ ム、 ス マ ト ラ、 ジ ヤ ヅ、 支 那 方 面 と の 交 渉 も あ り、 そ れ ら の 黙 か ら も セ イ 官 ン の 歴 史 を 傍 讃 し 得 る こ と も あ つ て、 南 方 ア ジ ヤ 諸 邦 の も の と し て は 比 較 的 信 用 し 得 べ き 史 傳 を 持 つ て 居 る の で あ る。 今 そ れ ら 史 傳 と 傍 謹 と に 依 つ て、 セ イ 耳 ン の 歴 皮 ( 從 つ て 佛 教 史 ) の 重 大 結 節 黙 の 年 代 を 先 づ 定 め て、 而 し て 其 間 に 挾 ま れ る 諸 事 件 と 諸 王 の 年 代 と を 見 る こ と に よ つ て、 セ イ ロ ン 王 統 年 譜 を 作 る こ と に す る。 ( 一 ) 佛 教 傅 來 の 年 代、 セ イ ロ ン に 佛 教 の 傳 來 し た こ と は セ イ 質 ン に と つ て は 最 重 大 事 で あ る か ら、 そ の 傳 は 最 忠 實 に 傳 へ ら れ た に 相 違 な い。 從 つ て 諸 傳 に よ つ て 多 少 廣 略 の 差 は あ る が 結 局 同 一 で あ る。 島 史 第 十 二 章 四 二 一 四 四 に、 ﹁ 阿 育 王 灌 頂 印 位 第 十 八 年、 テ ィ ッ サ ( セ イ ロ ン 王 デ ー ゾ ー ナ ム ピ ヤ ・ テ ィ ッ サ ) の 灌 頂 帥 位 後、 満 七 ヶ 月 に し て、 マ ヒ (3) ン ダ が ︹ 法 臓 ︺ 十 二 年 の 時、 閻 淳 洲 よ り 此 塵 に 來 り ぬ。 夏 季 最 後 の 月 な る ジ ェ ー ッ タ 月 の 布 薩 日 の ア ヌ ラ ー ダ と が エ ー ッ タ と の 星 宿 の 下 に、 團 長 マ ヒ ン ダ は ミ ッ サ カ 山 に 來 り ぬ。 ﹂ と。 叉、 同 第 十 七 章、 八 八 に は ﹁ テ ィ ッ サ の 第 二 の 灌 頂 帥 位 よ り 措 夜 を 維 て、 團 長 マ ヒ ン ダ は 閻 浮 洲 よ り 此 虞 に 來 り ぬ。 ﹂ と あ る。 前 者 と 後 者 と は 全 く 同 じ で、 後 者 の テ ィ ッ サ の 第 二 の 灌 頂 帥 位 と は、 島 史 第 十 一 章、 一 四 以 下 に よ れ ば、 ﹁ 阿 育 王 の 十 七 年 と 次 年 の 六 ヶ 月 を 経 た る 時、 冬 季 の 第 二 月 ( マ ッ ガ シ ラ 月 の こ と ) デ ー ゾ ー ナ ム ピ ヤ ・ テ ィ ッ サ は 即 位 す。 ⋮⋮ 其 後 正 は 阿 育 王 に 使 を 逡 る。 ⋮⋮ 阿 育 王 は そ の 使 の 齢 る に 托 し て、 王 傘 等 灌 頂 式 に 必 要 な る も の を テ ィ ッ サ 王 に 賜 ふ。 使 者 等 は 五 ヶ 月 聞 ( パ ー タ リ プ ッ タ に ) 留 セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 三
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 四 り て 後 蹄 途 に つ き、 ゴ ー サ ヵ 月 の 盈 分 十 二 日 に 島 に 瞬 着 し、 灌 頂 式 其 を 王 に 呈 す。 か く て 第 二 の 灌 頂 即 位 式 は、 ゴ ー サ ヵ 月 満 月 の 日 に 行 は れ た り。 ﹂ と。 印、 テ ィ ッ サ 王 は 阿 育 王 の 第 十 八 年 の 冬 マ ッ ガ シ ラ 月 に 帥 位 し た が、 そ の 翌 年 の ゴ ー サ ヵ 月 に 再 師 位 式 を 墨 げ た の で あ り、 而 し て マ ヒ ン ダ 來 島 は そ れ よ り 更 に 光 日 を 経 て ジ ェ 一 ッ タ 月、 満 月 の 日 で あ り、 印、 テ 曳 サ 王 最 初 の 即 位 よ り 満 七 ヶ 月 で あ り、 そ れ は 阿 育 王 師 位 よ り 満 十 八 年 二 ヶ 月 を 維 て 居 る の で あ る。 こ れ だ け の こ と は 傳 で は あ る が、 し か し セ イ 捻 ン 人 に と つ て は 最 重 大 事 で あ る か ら、 當 初 よ り 固 く 言 糠 ぎ 語 縫 が れ て 來 た も の で あ り、 叉 今 日 よ り 之 を 見 て も 別 に 否 と す べ き 材 料 も 無 い の で あ る か ら、 こ の ま ゝ 事 實 と 見 て お く よ り 外 に 致 方 あ る ま い。 そ こ で 問 題 は 阿 育 王 印 位 が 何 時 で あ る か に よ つ て セ イ 滋 ン 王 デ ー ヅ ー ナ ム ピ ヤ ・ テ ィ ッ サ の 年 代 も き ま り、 佛 教 入 島 の 時 も き ま る わ け で あ る。 そ の 阿 育 王 即 位 年 代 に つ い て は 學 者 の 間 に 今 猶 意 見 の 相 違 が あ る が、 予 は 西 暦 紀 (4) 元 前 二 六 四 年 ( 皇 紀 三 九 七 ) 帥 位 と い ふ こ と に 一 鷹 定 め て お く。 か く す れ ば テ ィ ッ サ の 印 位 は 西 紀 前 二 四 七 年 の 参 で あ り、 マ ヒ ン ダ の 來 島 從 つ て 佛 教 の 入 島 は そ の 翌 年 帥、 西 紀 前 二 四 六 年 夏 ジ ェ ー ッ ダ 月 満 月 の 日 で あ る。 こ れ か ら セ イ 拡 ン の 佛 教 史 從 つ て セ イ 恒 ン の 歴 史 は 始 ま る と い ふ べ き で あ る。 然 し な が ら セ イ 獄 ン 王 國 は 此 時 初 め て 出 來 た わ け で な い こ と は、 テ そ ッ サ 王 を 何 れ の 傳 で も 決 し て セ イ 惇 ン 初 代 の 王 と は し て 居 な い こ と に ょ つ て も 飢 か る し、 叉 セ イ ロ ン と 印 度 と の 交 渉 が こ れ 以 前 か ら あ つ た こ と は 阿 育 王 の 磨 崖 法 勅 第 二 章 に 南 印 諸 王 國 名 と 共 に、 タ ン バ パ ン ニ 王 ( 即 セ イ に ン 王 ) が 墨 げ ら れ、 其 震 に は 阿 育 王 の 二 蓮 の 療 院 が 建 て ら れ た こ と が 記 さ れ、 叉 同 第 十 三 章 中 に も ﹁ タ ン バ パ ン ニ 主 に 至 る ま で ﹂ 法 の 勝 利 が 得 ら れ た と し て あ る こ と に よ つ て も、 既 に 少 く と も 阿 育 王 第 十 四 年 以 前 に 阿 育 王 の 佛 法 に 依 る 治 績 が こ の セ イ 耳 ン 王 國 に 迄 及 ん で 居 た こ と に よ つ て も 知 ら れ る。 從 つ て 佛 教 が 阿 育 王 の 子 な る マ ヒ ン グ と い ふ 有 力 な る 傳 導 師 に よ つ と 正 式 に 傳 は つ た の は 阿 育 王 即 位 第
十 九 年、 セ イ 謀 ン で は テ ィ ッ サ 王 印 位 の 翌 年 で あ る が、 然 し 右 磨 崖 法 勅 に 櫨 れ ば 恐 ら く そ れ 迄 に も セ イ 質 ン に 佛 教 は 傳 は つ て 居 た ど 考 へ ら れ る。 さ て 然 し 阿 育 王 以 前 の こ と は 全 く セ イ ロ ン の 傳 読 以 外 に は 知 る 由 も な い。 こ の セ イ ・ ン の 傳 中、 薪 し い も の に は 多 少 異 読 は あ る が、 古 傳 な る 島 史、 大 史 間 で は 次 の こ 黙 に つ い て 大 膿 一 致 し て 居 る。 即、 テ ィ ッ サ 王 以 前 に 猶 五 人 の 王 が あ つ た こ と ( 並 に そ の 王 名、 在 位 年 藪 ) と、 騨 阿 育 王 の 即 位 は 佛 滅 後 二 百 十 八 年 を 過 ぎ た 時 ( 印 第 二 百 十 九 年 ) で あ り、 從 つ て テ ィ ッ サ 王 即 位 は 佛 滅 後 第 二 百 計 六 年 佛 教 入 島 は 佛 滅 後 二 百 三 十 六 年 を 経 た 時 で あ る と い ふ こ と ゝ で あ る。 こ の 古 傳 は 全 く 傳 読 で あ り、, し か も セ イ 謀 ン 上 座 部 大 寺 派 に 傳 へ ら れ た 傳 読 で あ る が、 然 し セ イ ロ ン で は 後 世 こ の 大 寺 派 の み と な つ た か ら、 こ の 傳 読 が 最 も 重 ん ぜ ら れ て 居 る の で あ る。 而 し て こ れ に よ つ て 佛 滅 は セ イ ロ ン 最 初 の 王 ヴ ィ ヂ ャ ヤ が 即 位 の 年 で あ る と せ ら れ、 セ イ 質 ン の 歴 史 は こ の ヴ ィ ヂ ャ ヤ 王 の 即 位、 師、 佛 滅 の 年 よ り 始 ま る こ と に し て、 其 後 の 年 代 を 算 へ る 時 に も、 佛 滅 何 年 を 維 て 居 る か、 叉 は 佛 教 入 島 後 何 年 か と い ふ こ と に す る の で あ る。 さ て こ の 々 イ ガ ン 上 座 部 次 寺 派 の 古 博 で い ふ 佛 滅 年 代 を 阿 育 王 帥 位 年 か ら 逆 算 す れ ば 西 暦 紀 元 前 四 八 二 年 に な る。 予 は 勿 論 セ イ ロ ン 傳 の 阿 育 王 帥 位 を 佛 滅 後 二 百 十 八 年 過 ぎ た る 時 と す る 説 を 信 す る も の で な い か ら、 こ の 佛 滅 年 代 を, 肯 定 す る も の で は な い が、 た ゞ セ イ ロ ン 傅 に よ れ ば か く な る と い ふ の み で あ る。 さ て セ イ ロ ン 上 座 部 の 古 傳 で は 兎 も 角 テ ィ ッ サ 王 と 初 代 ヴ ィ ヂ ャ ヤ 王 と の 間 に 約 二 百 量 六 年 あ り と し て 湘 其 間 の 王 の 在 位 年 籔 を 聰 梅 し て 居 る。 從 つ て 第 四 代 第 五 代 の 如 き は こ の 二 入 で 百 滑 年 も 在 位 し て 居 る こ と に な つ て 居 る、 こ ゝ ら に も 随 分 無 理 が 見 ら れ る。 猶 後 に 読 く 如 く 恐 ら く 西 紀 七 世 紀 頃 か ら 佛 滅 年 代 を 更 に 約 六 十 年 飴 古 く 見 る 傳 が 用 ひ ら れ (5) る に 至 つ て か ら は、 更 に 此 間 に 古 傳 に は な い 王 名 を 墨 け な ど し て、 一 暦 年 歎 を 多 く し て 居 る も の も あ る。 兎 に 角 テ ィ セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 窒 時 代 の セ イ ロ ン 王 五
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 六 ツ ザ 王 以 前 の 年 代 に つ い て は あ ま り 信 用 が 出 來 な い。 ( 二 ) ヅ ッ タ ガ ー マ ニ ・ ア バ ヤ 王 時 代 ー 佛 典 書 爲 の 噛 矢 と セ イ 資 ン 佛 教 分 裂 の 端 初 ー 1 印 度 で 聖 典 を 書 鳥 し 傳 へ る こ と に し た 最 初 は 佛 教 で あ り、 そ の 佛 教 で 佛 典 を 書 爲 し た 最 初 は セ イ 耳 ン の ブ ッ タ ガ ー マ ニ ・ ア バ ヤ 王 の 時 代 で あ る (6) と せ ら れ て 居 る。 こ れ は 大 膿 認 め ら れ る こ と と 思 ふ が、 そ れ だ け に こ の 佛 典 書 爲 と い ふ こ と は 印 度 一 般 か ら い つ て も 佛 教 皮 か ら 見 て も 薩 古 の 重 大 事 件 で あ る。 叉、 セ イ 質 ン の 佛 教 は 同 じ く こ の 王 の 建 て た 無 畏 山 寺 ( Abayair-vihar ) に 撒 つ て 居 た 徒 が、 大 寺 (Mahaviara ) よ り 分 れ て 二 派 を 立 て た。 之 を ダ ル マ ル チ ( Dharmsruci ) 派 と い ふ。 こ ゝ (7) に 初 め て マ ヒ ン ダ 以 來 の セ イ ロ ン 上 座 部 が 大 寺 派 と ダ ル マ ル チ 派 と の 二 派 に 分 裂 し た の で あ る が、 こ れ も セ イ ロ ン 上 座 部 と し て は 重 大 事 件 に 相 違 な い。 こ の 二 重 大 事 件 共 に ヅ ッ タ ガ ー マ 均 王 の 時 に 超 つ た と せ ら れ て 居 る。 然 ら ば こ れ は 何 時 頃 で あ り、 此 王 は 何 時 頃 で あ ら う か。 部 集 論 で は 王 の 最 初 の 帥 位 を 佛 滅 後 四 三 九 年 九 ヶ 月 十 日 を 経 た る 時 と す る。 大 史 の こ ゝ 迄 の 諸 王 の 在 位 年 籔 を 計 算 し て も 大 膿 こ れ に 近 く な つ て 居 る。 恐 ら く 相 當 古 く か 略 此 王 の 卸 位 を 佛 滅 後 四 三 九 年 を 維 た る 時 と 傳 へ て 來 た も の で あ ら う し、 我 々 と し て は 叉 之 を 否 定 す べ き 他 に 何 等 の 材 料 は な い 以 上 一 慮 か く 認 め て お か ね ば な ら ぬ。 而 し て 此 傳 は 勿 論 阿 育 王 帥 位 を 佛 滅 二 一 八 年 を 経 た 時 と す る 読 に 從 つ て 居 る の で あ つ て 予 の 阿 育 王 年 代 假 定 か ら す れ ば 佛 滅 を 西 紀 前 四 八 二 年 と す る 論 に 從 つ て 居 る の で あ る か ら 此 王 の 即 位 は 西 紀 前 四 三 年 と い ふ こ と に な る。 而 し て 此 王 は 初 め 五 ヶ 月 治 世 の 後 タ ミ ル 入 に 追 は れ 山 聞 地 方 に 遁 れ て 居 た が、 十 四 年 七 ク 月 を 経 (8) て 後 復 位 し 更 に 十 二 年 在 位 し た と い ふ か ら 前 後 通 じ て 廿 七 年 間 に な る、 即、 此 王 は 西 紀 前 四 三 ー 一 六 年 迄 と い ふ こ と に な る。 而 し て 佛 典 書 爲 は 此 王 の 何 時 頃 に な る か は 何 れ の 傳 に も 明 記 し て な い が、 部 集 論 に は 此 王 山 間 に 遁 れ た 記 喜 の 直 後 に 記 さ れ て 居 る 黙 か ら 見 れ ば、 最 初 即 位 の 翌 年 位 か ら 始 め ら れ た こ と に な る か ら、 西 紀 前 四 二 年 頃 か ら に な
る。 叉 上 座 部 の 分 裂 は 部 集 論 に は 王 即 位 第 十 五 年、 佛 滅 後 四 五 四 年 を 維 た る 時 と す る か ら、 帥、 西 紀 前 二 八 年 に 當 る。 ( 三 ) デ ー ハ ー ラ カ ・ テ ィ ッ サ 王 時 代 -大 乗 佛 教 排 斥 -前 の 王 か ら 以 後 廿 九 代 程 の 間 は 大 し た 事 件 も な か つ た が、 第 翫 代 目 (初 代 か ら 第 五 十 ) の デ ー ハ ー ラ ヵ ・ テ ィ ッ サ 王 の 時、 カ ピ ラ 大 臣 を し て ヴ ェ ー ト ゥ ル ヤ カ 派 を 破 膵 せ し め た (9) と い ふ こ と が あ る。 是 亦 セ イ 眞 ン 佛 教 史 と し て は 一 大 事 件 で あ る。 勿 論 印 度 に 起 つ た 佛 教 諸 派 は 大 て い こ の セ イ ロ ン に も 傳 は つ た の で あ の、 從 つ て 大 乗 佛 教 が 印 度 に 起 れ ば、 こ れ も 此 島 に 來 た こ と は 自 然 で あ る。 ヴ ェ ー ト ゥ ル ヤ ヵ と は 云 ふ ま で も な く 大 乗 佛 教 の こ と で あ る が、 こ れ は 西 紀 二 世 紀 後 牛 か ら 三 世 紀 初 へ か け て 印 度 で 活 躍 し た 龍 樹 に ょ つ て 大 に 弘 傳 せ ら れ た か ち、 三 世 紀 初 頃 に は セ イ ロ ン へ も 傳 ば つ て 居 た に 相 違 な い。 然 し こ れ は セ イ 質 ン 上 座 部 に と つ て ば 大 敵 で あ る。 そ こ で ヂ ハ ー ラ カ ・ テ ィ ッ サ 王 は 大 臣 カ ピ ラ を し て 之 を 排 斥 せ し め た の で あ る。 故 に 此 事 件 は 少 く と も 西 紀 三 世 紀 初 以 後 で な け ね ば な ら ぬ が、 セ イ ロ ン の 皮 傳 家 は 此 王 の 印 位 を 大 禮 佛 滅 後 七 五 二 年 を 過 ぎ た 時 と し (10) て 居 る。 こ れ は 前 例 に 從 つ て 西 紀 二 七 一 年 に な る。 こ れ は 先 に い へ る、 佛 教 皮 上 起 り 得 べ き 時 期 に 當 つ て 居 る か ら 大 禮 認 め て 然 る べ き で あ る。 ( 四 ) マ ハ ー 七 ー ナ 王 時 代 ー 大 寺 未 曾 有 の 迫 害 を 蒙 る 一 大 炭 第 滑 七 章 に よ れ ば 前 の 王 よ め 八 代 目 ( 第 五 十 八 代 ) マ ハ ー セ ー ナ 王 は 好 智 に た け た サ ン ガ ミ ッ タ 長 老 を 信 用 し、 爲 に 上 座 部 の 根 本 道 場 大 寺 (Mahaviara ) は 塵 棄 せ ら れ る こ と 九 年 に 及 ん だ と い ふ こ と で あ る。 こ れ は セ イ 唄 ン 上 座 部 に と つ て は 忘 れ 難 き 大 苦 難 の 時 期 で あ る か ら 悲 嘆 の 裡 に 記 憶 せ あ れ て 來 た に 相 違 な い。 從 つ て こ の 王 の 帥 位 年 時 に つ い て の 記 憶 も 大 盟 信 じ 得 ゐ も の で あ ら う。 部 集 論 は 佛 滅 後 八 二 八 年 を 経 て こ の 王 印 位 と い ひ、 大 史 の 之 れ 以 前 の 諸 王 在 位 年 撒 よ り 計 算 す れ ば こ れ よ り 幾 分 前 に 見 ち れ、 ラ ー セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 七
セ イ 旨 ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 八 ヂ ヤ ー ヴ リ ヤ は こ の 王 の 終 り を 佛 滅 後 八 四 四 年 九 グ 月 廿 五 日 と し、 而 し て 此 王 は 大 皮 等 に は 廿 七 年 在 位 と せ ら れ る か (11) ら、 そ れ ら 諸 傳 を 総 合 剣 噺 し て 見 る に、 大 騰 佛 滅 後 八 一 七 ー 八 四 四 位 の 在 位 と 見 る の が 大 過 な き も の で あ ら う。 然 れ ば 前 例 に よ り、 此 王 は 西 紀 三 三 六 ー 三 六 三 年 の 在 位 と な る。 こ の 年 代 は 叉 次 の 王 メ ー ガ ヅ ン ナ が 印 度 の 王 サ ム ゥ (12) ド ラ グ プ タ ( 四 世 紀 中 頃 を 中 心 に 約 五 十 年 間 在 位 ) に 使 を 遣 は し て 居 る こ と と も 符 合 す る。 ( 五 ) マ ハ ー ナ ー マ 王 時 代 -畳 音 入 島、 パ ー リ 語 三 藏 註 繹 を 著 す セ イ 質 ン の 諸 傳 に よ れ ば 畳 音 (Budhaghosa ) な る 學 僧 が セ イ ロ ン に 來 て、 三 藏 の 大 部 分 に パ ー リ 語 の 註 繹 を 書 い た。 こ れ は 今 も 残 つ て 居 り、 セ イ ロ ン 佛 教 研 究 に (13) は 歓 く べ か ら ざ る 至 寳 で あ る。 從 つ て こ れ は 南 傳 佛 教 史 上 特 筆 せ ら る べ き 大 事 件 で あ る。 然 る に 此 時 の 王 名 を 大 史、 部 集 論、 ラ ー ヂ ヤ ー ヅ リ ヤ 等 は 何 れ も マ ハ ー ナ ー マ ( Mahanama ) 王 の 時 と す る。 畳 音 自 身 の 書 い た も の な る サ マ ン タ パ ー サ ー デ ィ カ ー 蹟 文 に は そ の 王 名 を シ リ ニ ヴ ー サ ( Sirinivasa ) と し、 法 句 維 註 の 蹟 文 ( こ れ も 畳 音 作 と 傳 へ る が (14) 實 際 は さ う で は な い ) に は シ リ ク ー タ (
Sirikuta, Sirigutta, Sirikuda
) と す る。 大 切 な こ の 事 件 當 時 の 王 名 が か く 傳 (15) に よ つ て 異 る こ と は 我 々 を 頗 る 困 惑 さ す の で あ る が、 目 下 の 所、 予 は 同 一 入 の 異 稻 と 考 へ て 居 る。 も し 別 入 で あ つ た と し て も、 少 く も マ ハ ー ナ ー マ の 時 に 覧 音 が 來 て パ ー リ 語 の 註 繹 を 書 い た ( 大 史 で は 著 は し た と せ す、 セ イ 質 ン 語 で あ つ た も の を パ ー り 語 に 繹 し た と す る が ) と い ふ 大 史 の 読 を 否 定 す べ き 材 料 は な い か ら、 こ れ だ け は 認 め ね ば な る ま い。 然 ら ば そ の マ ハ ー ナ ー マ 王 は 何 時 頃 の 人 か。 大 史 の 諸 王 在 位 年 数 よ り 計 れ ば、 前 の マ ハ ー セ 1 ナ 王 よ り 此 王 に 至 (16) る 間 に 約 百 七 年 の 年 激 が あ る か ら、 此 王 は 西 紀 四 六 九 年 頃 の 師 位 と な る。 そ こ で 問 題 が 起 る。 支 那 の 方 の 傳 を 見 る に、 宋 書 九 七、 南 史 七 八、 佛 組 統 紀 三 六 等 に よ る に、 宋 文 帝 元 嘉 五 年 (西 紀 四 二 八 )、 師 子 國 王 刹 利 摩 詞 南 ( 南 史 で は 南 の 字 を 脱 す ) 邉 使 入 貢 の こ と が 見 え て 居 る。 宋 書 同 盧 に は 更 に 十 二 年 復 遣 使 奉 獄 と あ る。 梁 書 列 傳 四 八、 南 史 七 八 に
は、 宋 元 嘉 六 年 ( 西 紀 四 二 九 )、 十 二 年 ( 西 紀 四 三 五 )、 其 王 刹 利 摩 詞 遣 使 貢 獄 と あ る か ら、 十 二 年 に も 使 を 遣 は し た こ と が あ る と 思 は れ る。 こ の 摩 詞 南 ( 南 史 及 梁 書 で は 南 の 宇 を 脱 す ) は マ ハ ー ナ ー マ ( Mahanama) に 相 違 な い が、 そ の 使 が 元 嘉 五 年 と 十 二 年 と に 來 た と い ふ か ら 少 く も 此 王 は 西 紀 四 二 八 -四 三 五 を 挾 ん で 前 後 に 在 位 し た と 見 な け れ ば な ら ぬ。 さ す れ ば 大 皮 の 傳 と 少 く と も 即 位 の 年 に 於 て 約 四 十 年 程 差 を 生 す る。 然 し 支 那 の 傳 は 宗 教 信 仰 上 の 為 の で は な く 純 然 た る 歴 史 的 記 載 で あ る か ら、 支 那 の 傳 の 方 を 信 じ な け れ ば な ら ぬ。 然 ら ば 七 イ ロ ン の 傳 は 誤 り で あ ら う (17) か、 或 學 者 は こ れ は 王 が ま だ そ の 前 の ウ パ テ ィ ッ サ 王 時 代 に、 檜 侶 支 配 構
者(a. priet wielding power)
で あ つ た 時 の こ と で あ ら う ど い ふ が、 そ れ は 何 を 意 味 す る か 予 に は よ く わ か ら ぬ が、 恐 ら く 此 王 は 王 と な る ま で は 出 家 比 丘 で あ つ た と い ふ 大 史 の 侮 に よ つ て、 王 弟 で し か も 出 家 で あ る か ら、 僧 侶 支 配 梅 位 は 持 つ て 居 た で あ ち う と 想 像 し て の こ と で あ ら う が、 し か し 出 家 者 が 王 名 を 用 ひ る と は 一 寸 考 へ ら れ な い。 後 世 に な れ ば、 撮 政 が 王 と 同 様 に 振 舞 ふ こ と は あ る が、 此 頃 も そ の 制 度 が あ つ た か 否 か も わ か ら ぬ し、 叉、 出 家 者 が 掃 政 を す る と い ふ こ と も 疑 問 で あ る。 予 は 目 下 の 塵 こ れ は 七 イ ロ ン 傳 の 誤 で あ つ て、 支 那 傳 に 從 つ て 此 遽 の 王 の 在 位 年 撒 を 攣 更 せ ね ば な ら ぬ も の と 思 ふ。 師、 マ ハ ー ナ ー マ は 西 紀 四 二 八 ー 四 三 五 を 挾 ん だ 在 位 で、 而 し て 支 那 へ 初 使 の 到 着 し た の は 四 二 八 年 で あ る か ら 少 く と も 王 の 帥 位 は そ の 前 年 印 四 二 七 位 と 見 ね ば な ら ぬ。 而 し て 此 王 は 前 王 ウ パ テ ィ ッ サ の 弟 で あ む、 兄 王 の 妃 を し て 兄 王 を 殺 さ し め て 王 位 に つ き、 兄 の 妃 を 自 ら の 妃 と し た と 大 史 に あ る か ら、 も し 然 り と せ ば、 兄 王 が 大 皮 の 読 の 如 く 四 十 二 年 も 在 し て 居 た の で は そ の 妃 が 弟 の 妃 と な る に は あ ま り に 老 婦 過 ぎ お 筈 で あ る。 か た く 前 王 ウ パ テ ィ ッ サ 及 そ の 前 あ た り の 王 の 在 位 年 数 を 四 十 年 籐 縮 め な け れ ば な ら な く な る。 然 し、 ど の 王 で ど れ だ け 縮 め る べ き か に つ い て は 他 に 手 が ゝ り に す べ き も の が な い。 た ゞ、 法 顯 三 藏 は 法 顯 傳 に よ る と 西 紀 四 一〇 ー 四 一 二 七 イ ロ ン に 居 た の で あ る が、 其 時 の セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 九
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 〇 王 名 を 記 し て 居 な い が、 在 島 中 に 王 が 攣 つ た ら し く は な い か ら、 ど の 王 で あ る に し て も 法 顯 在 島 中 に は 王 は 攣 ら 癒 か つ た と い ふ こ と は 出 來 る。 又 入 島 直 前 に 王 が 攣 は つ た 様 に も 記 し て な い か ら、 何 れ か と い へ ば ブ ッ ダ ダ ー サ 王 の 時 と 見 る 方 が よ か ら う と 思 ふ。 而 し て 大 史 で は 此 王 は 廿 九 年 に し て 昇 天 し た と あ る (
Evam katv hita dipsina
ti-d
ivam gato vasse ekunatimsamhi Buddhadaso naradhipo
) が、 或 は 十 九 年 (ekunatimsamhi ) の 誤 傳 叉 は 誤 篇 で は な か ら う か と 思 ふ。 さ す れ ば こ れ 以 前 の 王 の 年 代 は そ の ま ゝ と す れ ば、 こ の 王 は 西 紀 三 九 九 ー 四 一 八 位、 ウ パ テ ィ ッ サ は 四 一 八 ー 四 二 七 の 在 位 と い ふ こ と に せ ね ば な ら ぬ。 予 は 一 鷹 か く 假 定 し て お く。 さ て か く す る と 叉 そ の 後 が 問 題 に な る。 マ ハ ー ナ ー マ か ら 十 一 代 目 の カ ッ サ パ 陶 世 の 時 に 支 那 へ 使 を 遣 は し て 居 る (18) が、 そ れ は 梁 大 通 元 年 ( 西 紀 五 二 七 ) で あ る。 故 に こ の 王 は 此 頃 前 後 の 在 位 で あ る。 セ イ ロ ン の 大 史 の 傳 を 先 の マ ハ ー ナ ー マ 及 そ の 前 の 庭 で 訂 正 せ す に 年 代 を 計 算 し て 行 け ば、 カ ツ サ ッ パ ニ 世 の 帥 位 は 大 禮 五 百 二 十 六 七 年 位 に な る。 故 に こ の 庭 で は 大 史 の 傳 は 支 那 の 方 の 記 述 と 合 す る こ と に な つ て 居 る。 さ す れ ば 誤 差 は マ ハ ー ナ ー マ か ら カ ッ サ ッ パ 一 世 の 前 ま で ゞ あ る。 そ の 中、 カ ツ サ ッ パ の 前 の ダ ー ト ゥ セ ー ナ 王 は 此 時 代 前 後 を 通 じ て の 英 主 で、 幼 時 出 家 し て 居 た の で あ る が、 タ ミ ル 人 が セ イ ロ ン 王 位 を 纂 奪 し て 居 た の で、 之 を 追 梯 ふ べ き 義 務 を 感 じ、 パ ン ド ゥ 王 以 下 六 入 の タ ミ (19) ル 人 の 王 を 次 々 に 破 つ て、 途 に 自 ら 王 位 に つ い た の で あ る が、 其 タ ミ ル 入 六 人 の 間 は 何 れ の 傳 も 二 十 七 年 間 と な つ て (20) (21) 居 り、 そ れ は 認 め ね ば な る ま い。 而 し て グ ー ト ゥ セ ー ナ は 在 位 十 八 年 と い ふ が、 こ れ も 大 禮 信 じ 得 ら れ る。 然 れ ば タ ミ ル の 纂 奪 者 以 後 に 於 て も 誤 差 は な い わ け で あ る。 さ す れ ば た ゞ マ ハ ー ナ ー マ 王 の 在 位 年 数 と、 及 そ の 後 タ ミ ル の パ ン ド ゥ 王 迄 の 間 に 大 史 な ど の 傳 で は 合 は な い 虞 が 出 來 る わ け で あ る。 第 一 マ ハ ー ナ ー マ の 在 位 年 籔 は 大 史 で は 廿 二 年 ラ ー ヂ ャ ー ヴ リ ヤ で は 廿 年 と す る が、 或 は こ れ が 今 少 し 長 か つ た の で は な か ら う か。 も し 假 り に 光 二 年 在 位 と し て ( 其
程 度 な ら ば 有 り 得 る こ と だ か ら ) も、 西 紀 四 二 七 -四 五 九 年 の 在 位 と な る。 そ れ で も 猶 タ ミ ル の パ ン ド ゥ 王 纂 奪 迄 に 約 三 十 年 程 間 隔 が あ る が、 大 史 で は 二 年 足 ら す で あ り、 ラ ー ヂ ャ ー ヴ リ ヤ で は 七 年 位 で あ る。 部 集 論 で 献 年 撒 は 明 示 し て な い。 他 の 傳 で も 別 に 此 間 他 の 王 が 居 た や う に は 見 へ ぬ。 然 し 予 思 ふ に、 此 頃 は 二 時 曝 黒 時 代 で あ つ た の だ か、 ら、 大 史 な ど セ イ ロ ン の 正 史 が 報 じ て 居 な い 年 籔 が あ る の で は な か ら う か と 思 ふ。 而 し て こ の 歓 を 補 ふ 爲 に 先 に ウ パ テ ィ ッ サ な ど の 在 位 年 数 葱 こ と さ ら に 延 ば し た の で は な か ら う か。 兎 に 角 マ ハ ー セ ー ナ や、 從 つ て メ ー ガ ヅ ン ナ や、 又、 マ ハ ー ナ ー マ、 及 後 の カ ッ サ パ 一 世 の 年 代 は 動 か し 得 な い ど す れ ば、 こ の あ た り を か く 考 へ な け れ ば 計 激 が 合 は (22) な い こ と に な る。 予 は 一 慮 か く 假 定 し て お く。 そ こ で カ ッ サ パ 一 世 は 十 八 年 に し て 弟 モ ッ ガ ラ ーー ナ に 破 れ 自 刎 し た と い ふ か ら 西 紀 五 二 六 -五 四 四 年 在 位 で あ る。 ( 六 ) セ ー ナ 一 世 時 代 ー パ ン ド ウ (Pandu ) 王 軍 の ア ヌ ラ ダ プ ラ 占 領 と、 金 剛 部 (Vajryavd, Vajrpartaiay ) の 傳 播 ー 其 の 後 の セ 才 ロ ン 佛 教 史 そ れ 自 身 と し て の 大 事 件 は こ の セ ー ナ (Sena ) 一 世 の 時 の 二 事 件 で あ ら う。 樹 岸 の (23) パ ン ド ウ 國 王 軍 の セ イ 只 ン 北 部 占 領 は 首 都 の 佛 塔 伽 藍 の 破 壊 掠 奪 等 佛 教 國 セ イ ロ ン に と つ て の 一 大 屈 辱 事 件 で あ り、 叉、 大 史 に は 記 載 な き も、 部 集 論 の 傳 ふ る 所 に よ れ ば 金 剛 部 ( 密 教 の 一 派 ) の 一 行 者 が 王 を 惑 は し、 正 法 を 捨 て さ し た と い ふ 事 件 は、 た と ひ 部 集 論 の 報 す る 程 で は 濠 く 乏 も、 上 座 部 に と つ て は 由 々 し き 事 件 で あ つ た に 相 違 な い。 そ こ で 部 集 論 で は こ の 王 の 帥 位 を 佛 教 入 島 後 二 六 年、 佛 滅 後 一 三 六 二 年 と し て 居 る。 而 し て 大 皮 に は こ の 王 の 在 位 年 数 を 二 十 年 と し て 居 る か ら、 前 例 に よ れ ば 西 暦 八 八 二 ー 九 〇 一 年 在 位 と い ふ こ と に な る の で あ る が、 し か し も し さ う だ と す れ ば、 此 頃 は 印 度 の 方 で は パ ン ド ウ 王 國 の 勢 力 は や ゝ 衰 へ、 む し ろ チ ヨ ー ラ (Cola ) 國 に 墜 倒 さ れ ん と し て 居 た 時 で、 セ イ ロ ン に 征 め 入 る な ど の 時 で な い。 セ イ ロ ン に 征 め 入 つ た の は 少 く も 九 世 紀 前 牛 で な け ね ば な ら な い。 さ セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 一
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 二 す れ ば こ れ で は 印 度 の 歴 史 と 合 は な い。 こ れ は 何 故 で あ ら う か。 こ れ は 此 頃 よ り や ゝ 前 か ら セ イ 滋 ン 上 座 部 で は 佛 滅 を 初 期 の 傳 よ り 更 に 六 十 二 年 古 く、 即、 西 紀 前 五 四 四 年 と す る 傳 が 行 は れ て 居 た か ら で あ る。 從 つ て そ れ に ょ れ ば セ ー ナ 一 世 の 在 位 は 西 紀 八 一 九 ー 八 三 九 年 と な り、 印 度 の 方 の 歴 史 と 合 す る。 さ て 然 ら ば 何 時 頃 か ら こ の 佛 滅 年 代 を 更 に 六 十 二 年 古 く 見 る 読 ( こ れ は 恐 ら く 阿 育 王 の 印 位 を ﹁ 佛 滅 二 一 八 年 ( d v e satani attharasavassni ) を 過 ぎ た る 時 ﹂ と い ふ の を ﹁ 二 八。 年 ( dve satani asitvassani ) を 過 ぎ た る 時 ﹂ と 誤 つ て 計 算 し た に 端 を 獲 し た の で あ ら テ か と 思 は れ る が ) が 起 つ た の で あ ら う か と い ふ に、 こ れ は ヴ ィ ク レ マ シ ン ダ 氏 が エ ピ グ ラ フ ィ ヤ ツ ェ イ は ニ カ 第 三 の セ イ 恒 ン 王 の 年 表 で 言 ふ 如 く、 七 世 紀 に は 行 は れ て 居 た と 見 ね ば な ら ぬ。 帥、 第 九 十 五 代 の 王 ダ ー ト ー パ テ ィ サ ツ ( Dathopatissa ) 二 世 ( バ ッ タ ダ ー タ 一 世 ) は 前 か ら の 諸 王 の 在 位 年 藪 を 計 算 し て 行 け ば、 大 凡 佛 滅 一 一 八 九 -一 一 九 八 年 在 位 と な り、 も し 西 紀 前 四 八 二 年 を 佛 滅 と す れ ば、 こ の 王 は 西 紀 七。 八 -七 一 七 年 在 位 と な る。 然 る に 此 王 の 時 に、 マ ー ナ ヴ ン マ ( Manavamma ) は 封 岸 の パ ッ ラ ヅ (Pallava ) 王 ナ ラ シ ン ハ ヅ ル マ ン (24) ( Narasinhavarman ) 一 世 の 援 助 を 得 て セ イ ロ ン に 征 め て 來 る の で あ る が、 そ の パ ッ ラ ヅ 王 ナ ラ シ ン ハ ヅ ル マ ン は 印 (25) 度 の 方 の 歴 皮 か ら 見 て、 大 凡 西 紀 六 三 〇 頃 か ら 六 六 八 年 頃 迄 在 位 し た も の で、 到 底 七 百 年 代 と は 見 ら れ な い。 マ ー ナ (26) ゾ ン マ は 後 に も こ の 王 の 援 を 得 て、 途 に セ イ に ン 王 位 に 印 く が、 こ の 時 は 大 史 の 記 事 か ら 察 す る に ナ ラ シ ン ハ 王 の 晩 年 恐 ら く 獲 す る 時 位 か と 思 は れ る。 そ こ で マ ー ナ ヴ ン マ の 即 位 は 西 紀 六 六 八 頃 で あ り、 此 王 の 在 位 は 二 十 五 年 と す る 読 に 從 へ ば 七 〇 三 年 迄 在 位 と な る。 而 し て ダ ー ト ー パ テ ィ ッ サ 二 世 と マ ー ナ ヅ ン マ 王 と の 間 に は 大 皮 の 傳 に ょ れ ば 少 く も 三 代 十 七 年 牛 あ る か ら ダ ー ト ー パ テ ィ ツ サ 二 世 は 西 紀 六 五 一 初 迄 の 在 位 と な ら ざ る を 得 な い。 而 し て、 大 史 ( 第 四 十 五 章、 三 五 ) に ょ れ ば、 帥 位 第 九 年 に 残 し た と い へ ば、 六 四 三 -六 五 一 在 位 と な る。 然 れ ば 大 燈 印 度 の ナ ラ シ ン ハ ヴ
ル マ ン 王 在 位 中 で、 印 度 の 方 と も 合 す る。 も か も そ れ が 佛 滅 後 干 百 九 十 年 代 だ と す れ ば、 此 頃 の 傳 で は 佛 滅 を 西 紀 五 四 四 年 頃 と す る 論 が 行 は れ て 居 た の で な け れ ね ば な ら な い。 然 し こ れ よ 噸 前 の 何 時 頃 か ら か と い ふ こ と は わ か ら ぬ。 但、 玄 焚 三 藏 の 印 度 族 行 の 頃 に は 恐 ら く 印 度 本 土 に 於 て も か、 る 読 が 行 は れ て 居 た に 相 違 な い と 思 は れ る こ と は 馬 西 域 記 雀 六 に よ る に、 彼 拘 戸 那 蜴 羅 佛 浬 繋 虚 に 詣 で た 所 ( 貞 観 七 年 頃 )、 佛 入 滅 よ む 其 頃 迄 の 年 藪 に つ い て の 異 読 を 學 け 居 る 中、 最 初 に 千 二 百 年 読 を 出 し て 居 る。 こ れ は 西 紀 前 五 六 七 年 入 滅 と い ふ こ と に な る が、 勿 論、 大 藪 を 墨 け た の で あ ら う か ら、 さ す れ ば こ れ は 西 紀 前 五 四 四 年 入 滅 論 に 近 い わ け で あ る。 當 時 印 度 本 土 に 於 て も か ゝ る 読 が 行 は れ て 居 た と す れ ば、 セ イ ロ ン に 於 て も 行 は れ て 居 て も 何 等 異 と す ゐ に 足 ら ぬ。 而 し て 玄 弊 は 西 紀 六 三 八 年 頃 南 印 度 を 巡 歴 し、 セ イ ロ ン に 就 て も 南 印 で 聞 い た 所 を 記 し て 居 る が、 大 慈 恩 寺 三 藏 法 師 傳 巷 四 ( 大 正 藏 五。、 頁 二 四 二 ー 二 ) に、 ﹁ 國 王 死、 人 庶 飢 荒、 無 可 依 侯 ﹂、 と い ひ、 西 域 記 雀 十 一 ( 大 正 藏、 五 一、 頁 九 三 四 ) に、 ﹁ 王 宮 側 建 大 厨、 日 螢 萬 八 千 僧 食、 ⋮⋮⋮ 十 藪 年 來 國 中 政 臨、 未 有 定 主、 乃 塵 斯 業、 ﹂ と あ る は、 大 史 四 十 四 章、 一 二 五 ー 一 五 三 の 記 事 内 容 に 符 合 し、 恐 ら く 玄 焚 が 南 印 に 在 つ た 頃 は ア ッ ガ ボ ー デ ィ ( Aggabodhi ) 三 世 が 死 し、 ダ ー ト ー パ テ ィ ツ サ は 叉 カ ツ サ パ に 遣 は れ、 關 し か も カ ッ サ パ 自 ら は 王 冠 を 戴 か す に 居 た 頃 で あ ら う。 こ の カ ッ サ パ は 王 冠 は 戴 か な か つ た が、 し か し 兎 も 角 も 九 年 程 王 と し て の 政 を 行 つ て 居 た の で あ り、 そ れ は 先 の ダ ー ト ー パ テ イ ツ サ ニ 世 か ら 蓮 つ て 計 算 す れ ば、 西 紀 六 三 四 ー 六 四 三 頃 の 在 位 に 當 る が、 先 に い へ る 如 ぐ こ の 王 の 時 代 が 玄 舞 の 記 事 と 合 す る か ら、 玄 弊 が 南 印 に 居 た 六 三 八 年 頃 が 此 王 在 位 中 に 當 る や う に な つ た 予 の こ の 推 定 年 歎 ば 大 過 な き も の と 思 ふ。 然 れ ば 恐 ら く 此 頃 に も 既 に 佛 滅 が 西 紀 五 四 四 頃 に 相 當 す る 読 が セ イ 質 ン で も 行 は れ て 居 た も の と 思 は れ る。 さ て 前 の カ ツ サ パ 一 世 頃 の 時 代 は 未 だ 佛 滅 を 西 紀 四 八 二 年 頃 と す る 読 で 差 支 な か つ た の で あ り、 王 は 西 紀 五 四 四 迄 セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 三
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 四 在 位 し た と す る ど、 董 れ か ら カ ッ サ パ 二 世 帥 位 ( 六 三 四 ) 迄 十 八 代 程 の 間 の 王 の 在 位 年 藪 が 九 十 年 で あ る。 も し 佛 滅 を 西 紀 四 八 二 年 頃 と す る 読 で 押 通 せ ば、 此 間 の 在 位 年 歎 が 百 五 十 蝕 年 に な る。 ラ ー ヂ ヤ ー ヅ リ ヤ 等 で は 更 に 多 く し て 居 る。 十 八 代 九 十 年 で は や ゝ 短 か き に 過 ぎ る 如 く 見 え る が、 然 し 大 史 の 記 述 を 見 て も、 此 間 の 王 で、 王 ら し く 暮 し 得 た の は モ ツ ガ ラ ー ナ 一 世、 同 二 世 と ア ッ ガ ボ ー デ ィ 一 世 と 同 二 世 位 で、 他 は 大 し た こ と も な さ す、 或 は 殆 ど 纂 奪 職 争 で 終 つ て 居 る か ら、 亭 均 五 年 位 で も 當 然 で あ る。 後 世 の 史 家 が 此 間 に 佛 滅 年 代 の 傳 の 差 よ り 生 す る 六 十 絵 年 を 入 れ る 必 要 上 数 名 の 王 に つ い て 強 い て 年 敬 を 延 ば し た の で は な か ら う か、 今 は か く 解 繹 し て お く。 ( 七 ) ヴ ィ ヂ ャ ヤ バ ー フ 一 世 時 代 ー セ イ 惇 ン 中 興 の 組-そ れ 以 前 約 百 年 問 セ イ 質 ン は 封 岸 の チ ョ ー ラ 入 の 躁 踊 す る 所 と な り、 蕾 都 ア ヌ ラ ダ プ ラ は 魔 嘘 と 化 し、 當 時 の 首 都 プ ラ ッ テ ィ (Pulatti 帥、Polonnaruva ) も 彼 等 の 占 撫 す る 所 と な り、 代 々 の セ イ μ ン 王 は 辛 う じ て 南 方 諸 方 に 韓 女 と そ の 居 庭 を 求 め て 居 た 程 で あ る が、 ヴ ィ ヂ ャ ヤ バ ー フ ( Vijaya-bahu) 一 世 出 で ゝ 悪 職 苦 闘 の 後、 途 に 首 都 に 線 れ る チ ョ ー ラ 人 を 繊 滅 し、 セ イ ロ ン 王 位 を 藤 に 復 し、 首 都 及 蕾 都 を も (27) 復 興 し、 頽 塵 の 極 に 達 せ る 佛 教 々 團 を ビ ル マ の ア ノ ー ラ タ 王 の 下 よ り 迎 へ た 高 曾 に よ つ て 再 建 し、 上 座 部 系 佛 教 を 復 興 し た。 こ れ は ア ノ ー ラ タ 王 の 晩 年 で あ る が 死 残 ( 一 〇 七 七 ) 以 前 で あ ち う か ら、 こ の 王 は 大 燈 そ の 頃 前 後 在 位 で あ (28) る が、 大 史 に ょ れ ば 此 王 は 即 位 式 を 學 げ る 迄 に 少 く も 十 七 年 を 要 し て 居 り、 し か も ビ ル マ へ 使 を 遣 は し た の は 印 位 式 後 で あ ら う と 思 は れ、 そ れ が ビ ル マ の ア ノ ー ラ タ 王 殿 年 前 で な け ね ば な ら ぬ か ら 馬 帥 位 式 は 大 髄 一。 七 六 年 頃 以 前 で な け ね ば な ら ぬ が、 後 に 読 く パ ラ ッ カ マ バ ー フ (Parakkaamabahu ) 二 世 の 年 代 よ り の 蓮 算 等 よ り し て、 此 王 の 印 位 式 (29) を 墨 け た の を 西 暦 一。 七 六 年 と し て 適 當 で あ る。 而 し て 此 王 は 全 膿 五 十 五 年 在 位 と い ふ か ら、 即 位 式 後 三 十 八 年 間、 帥、 一 一 一 四 年 迄 在 位、 帥 位 式 前 に 王 構 を 執 つ て 居 た の が 十 七 年 あ る か ら、 王 構 を 執 る に 至 つ た の は 少 ぐ も 一 〇 五 九
年 以 前 で な け ね ば な ら ぬ。 即、 こ の セ イ ロ ン 中 興 の 王 は 西 紀 一。 五 九 -一 二 一 四 年 在 位 と い ふ こ と に な る。 ( 八 ) 双 ラ ッ カ マ バ ー フ 一 世 時 代 ー 前 後 を 通 じ て の 英 主 ー 内 剣 を 李 定 す る と 共 に 國 威 を 海 外 に 輝 か し た ( ビ ル マ を 征 伐 し て 和 を 購 ぜ し ぬ、 叉 封 岸 パ ン ド ゥ 國 の 内 臨 を 平 定 し て や つ た )、 更 に 國 内 で は 大 に 佛 教 を 復 興 し た。 大 奥 は 此 王 の 爲 に 第 六 十 二 章 よ り 七 十 九 章 迄 實 に 十 八 章 を 割 い て, 居 る 程 で あ る。 此 王 の 年 代 を 部 集 論 で は 佛 滅 後 一 六 九 六 年 を 経 た る 時 師 位 と す る が 大 史 の 諸 王 在 位 年 藪 よ り 計 算 し て も 大 髄 そ の 位 に な る。 こ れ を 佛 滅 を 西 紀 前 五 四 四 年 と す る 傳 に 當 て れ ぜ、 王 の 帥 位 は 西 紀 一 一 五 三 年 と な る。 而 し て 大 史 に よ れ ば 三 十 三 年 ( ラ ー ヂ ヤ ー ヅ リ ヤ で は 三 十 二 年 だ が ) 在 位 と い ふ か ら、 邸、 一 一 八 六 年 迄 の 在 位 で あ る。 ( 九 ) パ ラ ッ カ マ バ ー フ 二 世 時 代 ー 再 々 興 の 主、 ヂ ヤ ヅ 國 軍 を 撃 退 し、 首 都 を 復 興 し、 學 問 を 興 す ー 前 の パ ラ ッ カ マ 一 世 の 後 は 再 び 國 内 餓 船 國 力 弱 り、 途 に は 封 岸 の パ ン ド ゥ 國 王 族 の も の が セ イ 隷 ン 王 と な む、 更 に カ リ ン ガ 國 王 家 の も の が セ イ ロ ン 王 と な る 等、 セ イ は ン は 滅 亡 せ ん ば か り で あ つ た が、 こ れ を 薦 に 復 す べ く そ の 緒 に つ い た の は ヴ ィ ヂ ャ ヤ バ ー フ 三 世 で あ る が、 之 を 大 成 し 得 た の は そ の 子 パ ラ ッ カ マ バ 玉 フ ニ 世 で あ る。 父 王 死 残 の 時 に は 未 だ カ リ ン ガ 家 の マ ー ガ が 居 た か ら、 こ れ と 職 ひ 亡 儘 し、 漸 く 國 内 干 定 し て 即 位 し た の で あ る か ら 隔 帥 位 迄 に 爾 三 年 は か ゝ つ た で あ ら う。 此 王 の 即 位 を ア ッ タ ナ ガ ル ヴ ン サ ( Attanagaluvamsa ) で は 佛 滅 後 一 七 七 八 年 と い ふ か ら 西 紀 一 二 三 六 年 で 必 る。 大 史 に よ れ ば 此 王 の 印 位 第 十 一 年 と、 及 更 に 後 に と、 二 回 ヂ ャ ゾ 國 王 チ ャ ン ダ バ ﹂ ヌ (Chandabhanu ) が 來 憲 し て 居 る が、 其 都 度 之 を 撃 退 し て 國 威 を 輝 か し た。 王 は 叉 自 ら 學 者 で あ り 詩 人 で あ づ た が、 叉 封 岸 チ ョ ト ラ 國 よ り 票 僧 を 招 き、 叉 印 度 の タ ン バ 地 方 よ り 高 僧 グ ン マ キ ッ テ ィ ( Dhammakitti, Dharmakirti ) を 迎 へ た。 こ の 人 は 鄙、 大 史 の 績 編 な る 小 史 の 第 七 十 九 章 迄 を 書 い た 入 で あ る。 叉、 此 頃 の マ ユ ー ラ パ ー ダ ( Mayurapada ) 長 老 は 後 に プ ー ヂ ヤ 一 ヴ セ イ ロ ン 王 貌 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 五
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 六 リ ヤ (Pujavaliya ) と い ふ 歴 史 書 を 著 し た。 王 は 叉 王 子 ヴ 花 ヂ ォ ヤ バ ー フ ( 後 に 四 世 ) を し て 首 都 プ ラ ッ テ ィ 城 を 復 興 さ し、 そ こ に 第 二 回 目 の 帥 位 式 を 墨 け た と い は れ る。 而 し て 部 集 論 で は 彼 の 種 々 の 業 績 を 讃 へ た 後 ﹁ 此 時 佛 滅 後 一 八 〇 九 年 を 経 た り ﹂ と し て 居 る が、 こ れ は 彼 が 尉 退 し た 時 か、 或 は 死 農 し た 時 か わ か ら ぬ が、 此 王 の 在 位 年 数 に つ い て 諸 傳 癌 汝 で、 大 史 は 三 十 五 年、 プ ー ヂ ャ ー ゾ リ ヤ は 三 十 三 年、 ラ ー ヂ ャ ゾ リ ヤ は 三 十 二 年 と す る が、 先 に 言 へ る 如 く、 プ ー ヂ ャ ー ゾ リ ヤ は 此 王 當 時 の 入 の 作 で あ る か ら 最 信 用 す べ く、 從 つ て 三 十 三 年 読 に 從 つ て お く、 而 し て 一 二 三 六 年 即 位 と し 三 十 三 年 在 位 な ら ば 二 二 六 九 年 ( 佛 滅 一 八 一 一 年 を 維 た る 年 ) 迄 在 位 と い ふ べ く。 引 退 は そ れ よ り 少 し 前 で あ ら う か ら、 部 集 論 の 佛 滅 一 八 〇 九 年 を 維 た る 年 を 墨 げ て 居 る の は 恐 ら く 引 退 し た 年 で あ ら う。 大 皮 が 三 十 五 年 と す る の は、 或 は 即 位 前 マ ー ガ 王 征 伐 等 に 費 さ れ た 時 代 を も 計 算 し た の で は な か ら う か、 ラ ー ヂ ヤ ー ゾ リ ヤ が 三 十 二 年 と す る は や は り 帥 位 前 二 年 程 を 加 へ、 引 退 後 の 三 年 程 を 見 積 ら な い か ら で は な か ら う か。 予 は 此 王 を 西 紀 一 二 三 六 -一 二 六 九 年 在 位 と 見 て お く。 ( 十 ) ア ラ ガ ッ コ ー ナ ラ 王 ( Vira-Alakesvara ) 時 代 ー 明 使 鄭 和 に 捕 へ ら れ 支 那 に 蓮 れ 行 か る 一 こ の 王 の 事 は 大 史 に は 全 く 記 載 せ ら れ て 居 な い が、 ラ ー ヂ ャ ー ゾ リ ヤ ( 頁、 六 六 ) に ﹁ 佛 滅 後 一 九 五 八 年 ヴ ィ ヂ ャ ヤ バ ー フ 王 を 支 那 の 王 ド ー ス ラ ジ ャ ( D osraja) が 捕 へ て 瞬 つ た、 以 來 セ イ 様 ン に 王 な し 云 々 ﹂ と あ る、 そ の ヴ ィ ヂ ャ ヤ バ ー フ 王 と は 即、 こ の ア ラ ズ ッ コ ー ナ ラ 王 に 相 當 す る の で あ ら う。 西 域 記 の 附 録 に ( 大 正 藏、 五 十 一 巻、 頁、 九 三 八 ー 九 ) ﹁ 大 明 永 樂 三 年 ( 西 紀 一 四 〇 五 ) 明 國 皇 帝 は 郵 和 を 此 國 に 遣 は し た、 鄭 和 は 此 國 王 阿 烈 苦 奈 見 ( Alagakkonara) に 佛 教 を 奉 ぜ よ と 観 め た が、 王 は 怒 つ て 彼 を 害 せ ん と し た の で、 一 且 鄭 和 は 此 國 を 去 り、 再 度 行 つ た。 此 時 國 王 は 鄭 和 の 舟 を 奪 掠 せ ん と し た の で、 鄭 和 は 之 を 伐 ち、 國 王 を 捕 へ、 佛 牙 を 持 蹄 り 永 樂 九 年 ( 一 四 一 一 ) 蹄 朝 し た ﹂ と あ る。 明 史 巷 三 二 六 に も ほ ゞ
こ れ と 相 似 た 記 事 の 後、 更 に 曰 く ﹁ 明 廷 臣 等 は 國 王 妻 子 頭 目 等 を 鐵 せ ん と し た が、 明 帝 は 彼 等 を 関 み 赦 し、 且、 彼 等 に 國 王 に 適 す る 者 を 選 ば し た 所、 邪 把 乃 那 な る 者 を 選 ん だ。 そ こ で 使 を 遣 は し て 此 者 を セ イ ロ ン 王 に さ し た。 其 後 宣 徳 八 年 ( 二 四 三 六 ) 王 不 刺 葛 麻 巴 忽 刺 ( Parakkama-bahu ) 遣 使 入 貢 云 女 ﹂ と あ る。 こ の 支 那 の 方 で い ふ 阿 烈 苦 奈 見 は 即、 ヴ イ ー ラ ・ ア ラ ケ ー シ ュ ワ ラ 王 で、 大 史 に は 此 王 名 無 き も、 年 代 及 事 件 か ら い つ て、 ラ ー ヂ ャ ー ゾ リ ヤ の ヴ ィ ヂ ャ ヤ バ ー フ ( 六 世 ) に 相 違 な く、 た ゞ 同 書 が 此 王 の 捕 へ ら れ た 年 代 を 佛 滅 後 一 九 五 八 と す る は 恐 ら く 誤 爲 で あ ら う。 支 那 の 傅 で 永 樂 九 年 ( 西 紀 一 四 一 一 ) 支 那 へ 蹄 つ た の で あ る か ち、 捕 へ ら た の は そ の 前 年 又 は 前 々 年 位 に 相 違 な い。 此 王 は 支 那 の 記 事 か ら 見 る と 佛 教 を 奉 じ な か つ た 如 く、 而 し て 相 當 齪 暴 な 王 で あ つ た ら し い が、 そ れ だ け で も セ イ 篇 ン の 歴 史 を 辱 か し め る も の だ が、 更 に 捕 へ ら れ て 支 那 へ 蓮 わ 行 か れ、 爲 に セ イ ロ ン に は 一 時 王 な き に 至 つ た と し て は、 セ イ ロ ン 皮 上 一 大 汚 辱 で あ る。 そ れ だ け に 大 事 件 で あ る の だ が、 大 史 が 此 王 の 名 も 叉 か ゝ る 事 件 も 一 切 記 し て 居 な い の は、 恐 ら く か ゝ る 恥 辱 的 事 件 だ か ら 特 に 匿 し た の で は な か ら う か。 而 し て サ ッ グ ル マ ラ ト ナ ー カ ラ ( Saddhar-(30) maratnakara ) に は 此 王 は 前 王 ヴ ィ ー ラ バ ー フ 二 世 を 慶 し て 自 ら 王 位 に 帥 き 十 二 年 間 在 位 し た と あ る と い ふ か ら、 鄭 和 に 捕 へ ら れ た 年 を 一 四。 九 年 と す れ ば 此 王 は 一 三 九 七 年 即 位 と な る。 猶、 支 那 の 方 で い ふ 邪 把 乃 那 と は 恐 ら く 国 冨 冨 で、 帥、 サ ッ グ ル マ ラ ト ナ ー カ ラ の パ ラ ッ カ マ バ ー フ ・ ア ー パ ( Parakamabahu-Apa ) で、 恐 ら く 捕 へ ら れ た 王 ヴ ィ ー ラ・ ア ラ ガ コ ー ナ ラ の 子 か、 又 は ヴ ィ ー ラ バ ー フ 王 の 子 か で あ ら う つ 而 し て こ れ は 次 に 位 に 帥 く パ ラ ッ カ マ・ バ ー フ 六 世 と は 別 で、 む し ろ そ の 敵 に な つ た 入 で あ ら う。 從 つ て ヴ ィ ー ラ ・ ア ラ ケ ー シ 導 ワ ラ が 捕 へ ら れ て 以 來、 パ ラ ッ か マ バ ー フ 六 世 が 卿 位 す る 迄 三、 四 年 間 は セ イ 越 ン で は 正 式 の 王 な く、 パ ラ ッ カ マ パ ー フ ・ ア 一 パ ( 支 那 で い ふ 邪 把 乃 那 ) が 事 (31) 實 上 政 権 を 執 つ て 居 た の で あ ら う。 此 闇 の 事 は 大 史 で は 何 も い つ て 居 な い。 而 し て ヴ ィ ー ラ バ 一 フ 二 世 死 殴 後、 佛 滅 セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 七
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 八、 一 九 五 三 年 を 経 て (印 西 紀 一 四 一 ) パ ラ ッ カ マ バ ー フ 六 世 帥 位 と す る が、 恐 ら く 右 の 汚 辱 事 件 を 蔽 は ん が 爲 で あ ら 、 フ。 ( 十 陶 ) グ ル マ パ ー ラ 王 時 代 ー ポ ル ト ガ ル の 勢 力 下 に 即 位 し、 且 王 妃 と 共 に 洗 禮 を 受 け、 Dom Juao Dharmapala と 構 す ー 佛 教 國 セ イ ロ ジ の 王 に キ リ ス ト 教 奮 教 の 洗 禮 を 受 け た 王 が 居 る と い ふ こ と、 し か も そ れ は 全 く ポ ル ト ガ ル の 勢 力 下 に 即 位 し た の で あ る と い ふ こ と は、 叉 セ イ ロ ン 皮 上 の 一 大 汚 辱 事 件 で あ る。 し か も こ れ は 時 勢 の 然 ら し む る 所 で あ つ た の で あ り、 セ イ 耳 ン は こ の 少 し 前 よ り 漸 く 欧 洲 人 の 墜 迫 下 に 嚢 滅 の 運 命 を た ど る べ き 一 歩 を 踏 み 出 し て 居 た の で あ つ て、 こ の 事 件 は そ れ が 國 王 の 洗 禮 と い ふ あ ま り に も 派 出 な 貌 を と つ て 現 は れ た に 過 ぎ な い の で あ る。 西 紀 一 五 〇 六 年 以 來 ポ ル ト ガ ル は コ 貿 ン ボ に 擦 つ て 居 た が、 ダ ル マ パ ー ラ の 養 組 父 な る セ イ ロ ン 王 ブ ヴ 琳 ー カ バ ー フ ( Bhuva -n ekabahu ) 七 世 は そ の 弟 等 の 聯 合 軍 の 力 に 抗 し 験 ね、 ポ ル ト ガ ル の 援 を 得 ん と、 多 く の 寳 物 と 共 に 養 孫 の 黄 金 像 を ポ ル ト ガ ル 王 に 贈 り、 自 分 の 死 後 は こ の 孫 が 王 位 に 帥 く べ き を 謎 認 せ し め、 事 あ る 時 は ポ ル ト ガ ル 軍 の 力 を 借 ら ん と し た の で あ る。 其 後 一 五 五 〇 年 十 二 月 ブ バ ネ ー カ バ ー フ は 不 慮 の 災 に よ り 死 ん だ か ら、 早 速 一 五 五 一 年 初 に ポ ル ト ガ ル の 力 に 依 つ て ダ ル マ パ ー ラ は セ イ 導 ン 王 位 に 鄙 い た の で あ る。 而 し て 途 に 一 五 五 六 年 其 妃 及 其 他 こ の 宮 廷 入 等 と 共 に 洗 禮 を 受 け さ せ ら れ た の で あ る。 然 し 王 と い ふ も コ 質 ン ボ 及 附 近 海 岸 地 帯 に 政 令 の 及 ぶ の み で、 他 の 地 方 一 帯 は 養 組 父 の 弟 達 及 そ の 後 糧 者 が 王 を 構 し、 從 つ て 彼 の 在 位 中 は せ イ ロ ン は 一 統 さ れ た こ と は な か つ た の で あ る。 か く. て 次 の 時 代 に は ポ ル ト ガ ル に 代 つ て オ ラ ン グ が、 更 に そ の 次 に は 英 國 が セ イ 減 ン の 海 岸 一 帯 を 領 し、 途 に 一 八 一 五 年 二 月 ヴ ィ ク ラ マ ラ ー ヂ ヤ シ ン ハ 王 は 捕 へ ら れ て 醤 岸 に 追 放 さ れ 爾 來 全 く 英 領 と な つ て 今 日 に 至 つ た の で あ る。 以 上 の 十 一 の 王 の 時 代 は セ イ 採 ン 王 國 の 歴 史 に と つ て も セ イ ロ ン 佛 教 史 に と つ て も 重 大 事 件 の 起 つ た 結 節 黙 で、 こ
れ ら 諸 黙 を つ な ぎ 合 せ れ ば 大 髄 セ イ ロ ン 全 艦 の 歴 史 年 譜 が 出 來 る の で あ る。 別 表 は か く し て 得 た セ イ 獄 ン 王 統 年 譜 で あ る。 金 剛 智 ・ 不 室 時 代 の セ イ ロ ン 王 貞 元 薪 定 繹 維 目 録 雀 十 四 の 金 剛 智 繹 経 の 條 下 に、 ﹁ 金 剛 智 は 南 印 に あ つ て 某 國 王 の 爲 に 請 雨 所 を し た。 そ の 時 観 自 往 菩 薩 の 鰻 感 に よ り、 師 子 國 及 中 國 (支 那 ) に 赴 か ん と の 願 を 獲 し た。 先 づ 師 子 國 榜 伽 城 に 往 き、 王 臣 四 衆 の 迎 禮 を 受 け、 無 畏 山 寺 に 佛 牙 を 禮 し、 東 南 楊 伽 城 山 に 往 か ん と し て、 蓬 に 喚 呵 那 (Rohana ) 國 七 寳 山 城 に 至 る。 そ の 國 王 先 に 小 乗 を 信 じ て 居 た が、 和 上 の 至 る を 聞 き、 出 で 迎 へ 供 養 し た。 そ れ よ り 楊 伽 妓 山 に 昇 り 佛 足 石 を 拝 し た。 か く て 一 年 を 維 て 南 印 に 蹄 り、 再 び 支 那 に 向 は ん と て 出 航、 師 子 國 に 立 寄 る。 國 王 室 哩 室 羅 は 和 上 の 再 至 を 聞 き、 宮 中 に (32) 迎 へ て 一 ケ 月 供 養 し た。 後 航 海 一 ケ 月 に し て 佛 逝 國 に 達 し、 こ ゝ に 五 ケ 月 留 り、 風 定 ま つ て 進 獲、 途 中 悪 風 に 逢 つ た が 和 上 の 船 の み 無 事 に し て、 か く て 約 三 年 異 國 を 縁 歴 し 途 に 廣 府 に 達 し、 開 元 八 年 (七 二 〇 ) 東 都 に 到 お。 十 一 年 以 後 資 聖 寺 に 於 て 翻 課 に 從 事、 二 十 四 年 ( 七 三 六 ) 西 京 に 行 く。 二 十 九 年 ( 七 四 一 ) 本 國 に 蹄 る こ と を 許 さ れ、 東 都 に 行 至 つ て 疾 を 以 て 終 る。 天 寳 二 年 (七 四 三 ) 二 月 龍 門 に 起 塔 す。 ﹂ と あ つ て、 次 に 塔 銘 及 序 が あ る。 そ の 序 丈 で は、 和 上 の 廣 州 に 達 し た の は 開 元 七 年 (七 一 九 ) の 如 く 見 ゆ。 不 室 三 藏 に つ い て は そ の 弟 子 分 な る 趙 遽 の 撰 に な る ﹁ 行 歌 ﹂ に よ る に、 ﹁ 十 三 歳 よ む 師 金 剛 智 に 就 き、 後 に 師 の 本 國 に 還 ら ん と す る に 從 ひ 往 く 筈 の 虚、 師 は 開 元 二 十 九 年 秋 他 界 せ る に よ り、 葬 逸 起 塔 を も 了 し て 天 寳 初 南 海 郡 に 到 り 後 出 帆、 師 子 國 に 到 り、 王 の 敷 待 を 受 け、 普 賢 阿 閣 梨 等 に 會 ひ、 十 八 會 金 剛 頂 喩 伽 法 門、 毘 盧 遮 那 大 悲 胎 藏 建 立 壇 法 等 を 受 け、 更 に 五 天 に 巡 遊、 天 實 五 年 ( 七 四 六 ) 還 蹄 上 京、 師 子 國 王 戸 羅 迷 伽 セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 一 九
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 〇 の 表 及 金 理 略 其 他 の も の を 奉 鰍 し た ﹂ と。 以 上 に よ つ て 見 る に、 金 剛 智 が 支 那 廣 州 に 達 し た の は 開 元 七 年 (七 一 九 ) の 如 く、 而 し て そ の 前 に 約 三 年 異 國 を 縁 歴 す る と あ る が、 三 年 と は 恐 ら く 満 三 年 の 意 味 で は、 な く、 足 が け 三 年 で あ ら う し、 し か も そ れ は セ イ ロ ン を 出 獲 し て か ら を 意 味 す る も の で あ ら う か ら、 さ す れ ば セ イ ロ ン を 出 帆 し た の は 西 紀 七 一 七 年 位 と 推 定 せ ら れ る。 そ の 前 年 に も 三 藏 は 師 子 國 に 往 つ て 居 る の で あ る が、 そ の 時 の 王 の 名 は 出 て 居 な い が、 出 獲 す る 時 の 王 の 名 は 室 哩 室 羅 と あ り、 更 に 不 室 三 藏 が 天 寳 五 年 ( 七 四 六 ) 瞬 國 し て、 セ イ ロ ン 王 の 表 を 奉 じ た が、 そ の 王 名 は 羅 迷 伽 と あ る。 羅 迷 伽 は 明 に Silamegha ぎ で あ る が、 室 哩 室 羅 は Siri-sila で、 フ れ は そ の 後 を 略 し た も の と し か 思 は れ な い。 Siri は 敬 構 語 で 附 加 し た も の で あ ら う か ら、 名 は Sila の 後 に 何 か あ つ た 筈 で あ る が、 入 名 と し て は-m egha, -megha, dath, -kal, 等 が あ る が、 就 中、 最 初 の も の が 最 多 く 用 ひ ら れ、 否s ilamegha は 後 に は 王 の 特 定 稻 號 と も な つ て 居 る か ら、 此 場 合 の も 恐 ら く Sila-megha で 診 ら う と 思 ふ。 さ て 然 ら ば 西 紀 七 一 七 年 頃 か ら 七 四 六 年 頃 迄 の セ イ ロ ン 王 で Silamegha の 名 叉 は 構 號 を 有 す る 王 が あ る か を 見 る に、 七。 三 年 迄 在 位 の マ ー ナ ヅ ン マ よ り 八 二 九 年 即 位 の セ ー ナ ニ 世 迄 の 間 に、 ア ツ ガ ボ ー デ ィ 六 世 と マ ヒ ン ダ 二 世 と が 何 れ も シ ラ ー メ ー ガ な る 構 號 を 有 す る。 然 ら ば そ の 何 れ か と い ふ に、 大 皮 其 他 の 諸 王 在 位 年 数 よ り 見 れ ば、 マ ヒ ン ダ ニ 世 の 方 は 七 七 〇 年 近 く に 帥 位 の 如 く で あ る か ら、 こ れ で は な い と す る と、 ア ッ ガ ボ ー デ ィ 六 世 と い ふ こ ど に な る。 而 し て 此 王 を セ ー ナ 一 世 か ら 逆 つ て 計 算 す れ ば、 西 紀 七 一 七 一 七 五 六 年 在 位 と (33) い ふ こ と に な る。 ( 別 表 王 統 年 譜 参 照 ) 大 膿 こ れ で 過 誤 な き も の と 思 ふ。 然 れ ば 金 剛 智 三 藏 が セ イ ロ ン を 出 獲 す る 時 の 王 も、 叉、 不 室 三 藏 が 敷 待 を 受 け 且 蹄 國 に 際 し 唐 皇 帝 へ の 上 表 を 托 し た 王 も 同 一 入 で、 シ ラ ー メ ガ の 構 號 を 有 す る ア ッ ガ ボ ー デ ィ 六 世 で あ こ と が 知 れ る。 然 ら ば 金 剛 智 が 最 初 渡 島 し た 時 の 王 は 誰 で あ つ た か、 何 れ の 傳 に も そ の 王 名
が 墾 け て な い が、 予 の 年 代 計 算 か ら い へ ば、 ア ッ ガ ボ ー デ ィ 六 世 が 即 位 直 前 で あ る か ら、 恐 ら く 撮 政 マ ヒ ン ダ 一 世 の 時 代 で あ 略 う ゆ 此 入 は 自 ら は 王 と は 構 し な か つ た が、 然 し 王 事 を 司 つ て 居 た の で あ る か ら、 他 國 入 か ら 見 れ ば 勿 論 國 王 と 見 ら れ た に 相 違 な い。 又、 金 剛 智 が 南 都 喚 呵 那 國 へ 佛 足 石 参 拝 に 行 つ た 時 敷 待 し た そ の 地 の 王 と は、 印、 大 皮 に 見 ゆ る マ ヒ ン ダ 一 世 の 子 で 當 時 南 部 地 方 に 封 ぜ ら れ て 居 た 入 で、 ア ッ ガ ボ レ デ ィ 六 世 が 師 位 蜜 る や 迎 へ ら れ て 副 王 の 位 に 即 き、 そ の 死 後 ア ッ ガ ボ ー デ ィ 七 世 と し て セ イ ロ ン 王 に な つ な 人 で あ る。 以 上 に よ つ て、 金 剛 智、 不 室 爾 三 藏 蒔 代 に 爾 三 藏 を 敷 待 し、 そ の 求 法 傳 法 を 援 助 し た セ イ に ン 王 及 そ の 時 代 の こ と は 大 凡 わ か つ た わ け で あ る が、 た ゞ 大 史 其 他 セ イ ロ ン の 傳 を 見 る も、 別 に 此 等 王 叉 は 其 關 係 者 が 密 教 興 隆 に 力 を 誰 し た や う に は 言 つ て 居 な い。 た ゞ 普 通 の セ イ ロ ン 王 又 ば 王 室 關 係 者 の 如 く、 佛 教 を 保 護 し て 居 た と 傳 へ る に 過 ぎ ぬ。 然 し こ れ は 當 然 の ご と で、 當 時 は 印 度 に 於 て も セ イ ロ ン に 於 て も 密 教 興 隆 の 時 代 で、 そ の 大 勢 が 肚 會 を 風 廃 し て 居 た で あ ら う か ら、 上 座 部 系 の 史 侮 家 と し て は 特 に 攻 撃 す べ き 歓 鮎 の 見 ら れ ざ る 限 り、 む し ろ 強 い て 鰍 殺 の 態 度 を と つ た も の と 思 は れ る。 セ イ ロ ン 王 統 年 激 順 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 一
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 二
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 三
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 四
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 窒 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 五
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 六
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 窒 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 七
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 八
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 二 九
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 三 〇
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 三 二
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 三 二
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 三 三
セ イ ロ ン 王 統 年 譜 と 金 剛 智 ・ 不 空 時 代 の セ イ ロ ン 王 三 四 註(1) 金 剛 智 三 藏 の 傳 に つ い て は、 貞 元 新 定 繹 教 目 録 巻 十 四 の 金 剛 智 課 輕 の 條 下 及 そ こ に あ る 塔 銘 及 序 (大 正 藏、 五 五 巻、 頁 八 七 五 ー 八 七 七 ) に 依 る を 可 と す る。 同 目 録 巻 十 五 の 不 空 課 経 の 條 下 に も 金 剛 智 に 關 説 し て あ る が、 年 代 の 記 述 等 に 過 誤 あ る 庵 の の 如 く 充 分 の 信 用 は お き 難 い。 不 空 三 藏 の 傳 に つ い て は、 不 空 三 藏 行 欺 (大 正 藏、 五。 巻、 頁、 二 九 二 ー 二 九 四 ) 及 不 空 三 藏 表 制 集 八大 正 藏、 五 二 巻、 頁 八 二 六 以 下 ) を 根 本 費 料 と す べ く 宋 高 僧 傳 巻 二 の 唐 京 兆 大 廣 善 寺 不 空 傳 (大 正 藏、 五 〇 巻、 頁、 七 一 二 一 七 一 四 )、 貞 尤 新 定 繹 教 目 録 巻 十 五 の 不 空 課 纒 條 下 の 記 等 も 之 を 参 考 に す る は 可 な ら ん。 (2) セ 牟 ロ ン 佛 教 史 乃 至 王 統 史 で 古 來 ま と ま つ た も の は 左 の 諸 書 で あ る。 ( 一 ) 島 史 (Dipa-vamsa
ed. and tr. by H. Olaenberg,
London, 1879. 和 課、 平 松 友 嗣、 南 傳 大 藏、 第 六 十 )、 こ れ は 佛 教 の 傳 來 か ら 第 五 十 八 代 マ ハ ー セ ー 十 王 迄 を 記 傳 し た も の で、 セ イ ロ ン 最 古 の 史 傾 即書 で あ る。 五 世 紀 前 孚 頃 セ イ ロ ン に 來 て 諸 註 繹 書 を 著 し た 畳 音 (Buddhaghosa ) は こ の 書 を 知 つ て 居 た と 思 は れ る か ら (豊 音 作 の Samanta-pasadika 中 に Vuttam pi cetam Dipavamse と し て 二 箇 虚 程 島 史 申 か ら 引 用 し て あ る )、 何 人 の 作 か わ か ら な い が 五 世 紀 初 に は 出 來 て 居 た も の で、 し か も そ れ は そ れ 以 六剛 か ら セ イ ロ ン 上 座 部 の 大 寺 派 謄に 傳 へ ら れ て 居 た 古 傳 を 基 礎 と し た も の で あ る か ら、 か な り 信 用 し 得 る も の で あ る。 ( 二 ) 大 史
(Mavs ed by Geier 1908, Lon Pa
T
ex-sety tr by Geir 1912, Lon, P T
S, 和 鐸、 立 花 俊 道、 南 傳 大 藏 第 六 十 )、 こ れ は 島 史 の 補 訂 の 意 味 で 出 來 た も の で、 や は り 大 寺 派 に 傳 は つ て 居 た 傳 に 基 い た も の で、 從 つ て 根 本 資 料 は 同 種 の も の で あ り、 や は り 佛 教 傳 來 よ リ マ、 ハ ー セ ー、 ナ 王 迄 の こ と を 記 傳 し た も の で あ る。 マ ハ ー ナ ー マ (Mahavamsa ) と い ふ 比 丘 の 作 つ た も の で あ る が、 こ の 人 の こ と は よ く は わ か ら ぬ。 タ ー ナ ー (Turnour ) 氏 は そ の 澤 (C olombo, 1837 ) に 於 て