(東女医大誌 第39巻 第10号頁810−814 昭和44年10月)
コレラ様症状を呈したネズミチフス菌感染 による激性急性胃腸炎の1剖検例
話京女子医科大学三神内科教室(主任 三神美和教授)
教授 三神 美和・教授 小山 千代
ミカミ ミワ コヤマ チヨ木村 寿子・桑原
キムラ トシコ クワバラ
東京女子医科大学第一病理学教室(主任 助教授 武
タケ
明子・水島ふさ子
アキ コ ミズシマ
今井三喜教授)
石 i洵
イシ マコト
(受付 昭和44年7月25日)
緒 言
日常の診療において,下痢を主徴として来院す る者は多いが,これら腸炎起因菌としては赤痢 菌,ブドウ球菌,病原性大腸菌,腸炎ビブリオ,
サルモネラなどが挙げられる.これらのうち,最 近では赤痢にかわりむしろサルモネラ感染症が四 季を通じ最も重視されている.サルモネラは,
1888年Gartnerにより初めて集団食中毒として 発表されて以来,本菌は食中毒原因菌の1つとし て注目されるようになった.近年,食:肉・下水・河 川におけるサルモネラ汚染は予想外に高く,人の サルモネラ保菌率が赤痢菌保菌者を上まわってい ることが明らかにされている1). しかし臨床的に は比較的軽度の下痢症としてみられることが多い ため,単なる食あたりと軽視されてきた傾向が強 い.一方,不幸な転機をとる患者の中に,かなり
のサルモネラ患者が含まれている.私どもはここ に激烈な下痢・嘔吐を主訴とし,コレラ様症状を 呈したサルモネラ食中毒の1例を報告する.
症 例 患者:44才,男.
主訴:激烈な下痢,全身の発汗,手足のシビレ感.
既往歴:生来胃腸は弱い.8才,虫垂切除.41才,健 康診断で高血圧(BD 200〜IOOmmH9)を指摘され,以 後治療をつづけている.
家族歴:父はワイル氏病にて死亡.母は分裂病の既往 あり.妹は喘息体質。
現病歴:昭和43年8月13日朝,自宅にて仕事中に38.5
℃の発熱があり,全身倦怠感強く,近医に感冒として治 療をうけた.夕食に出前のチャーハンとハンバーグ1/2コ を食べたが,約2時間後,下痢・ロ区吐があり,以後40〜
50回の下痢(水様便)のため睡眠できず,体温も39.2℃
に上昇した.14日:午前は体温38.5QC.悪心・P区吐つづ き,全身倦怠感強く,約50回の下痢があり,近医にて注 射をしてもらったが,午後になっても頻回の下痢はおさ まらず,全身発汗著明で,体温は36.5℃にさがったが,
夕方には腰がふらつき,自力で立つことができなくなり,
15日午前3時頃) 救急車にて来院した.この場合,裏急 後重・腹痛はみられなかった.
現症および経過:体格小,栄養状態やや不良.
四肢は冷たく,チアノーゼを認め,手の皮膚には 搬が多く,いわゆる 洗濯婦の手 を呈し,全身 特に手首から先の発汗著明.顔面蒼白,体温35.5 Miwa MIKAMI, Chiyo KOYAMA, Toshiko KIMURA, Akiko KUWABARA, Fusako muZUSHIMA
(Mikami Clinic, Department of lnternal Medicine, Toky o Women s Medical College), Makoto TAKEISHI
(Department of Pathology, Tokyo Women s Medical College) : An autopsy case Qf acute severe gastroenteritis by salmonella typhi murium with Cholera−like symptom.
一810一
表1.臨床検査成績
検 査 項 目 15/VPI
ll
項 目 15バ亜 1・8/皿
血
液
血 液 像
血 色 素
赤 血 雪
白 血 球 網 状 球 血 小 板 出 血 時 間
隔離{
開完
好 中 球
好 酸 好 塩 基 単
… 副
1
蓋
副
葉
小
ls .8 g /d1
596×104 9300 25 900 53,640
7分30秒 4分30秒 23分00秒 32 28 660/0
6
Oo/.
o/!
0、グ
14 34 /i 20
血 清 理 化 学 検 査
色 調1 混 濁1
尿 反 応 1
比 重:
ク ソ パ クi
黄 酸
測定不能
正常
総タンパク Alb ai−G
cr,一G
,(11−G
7−G
AIG 尿素N
Na
K
CaCl P
GOT GPT
アルカリホスファターゼ 総コレステロール Lipoid P.
11 .0 B fdl 560/e 10 11 14 11 11、ク 9,グ 1.3 30皿9/d1 135 mEq/L
3.7 !1
93 mEq/L mg/dl 96 unit 58 .ク
8 KAunit
loOO t mgldl 30.3mg/d1
132 10.0 9.2
82 14.4
BSG
lo20 85 mm90 lmil糖
ウロビリノーゲソ
梅毒反応 陰. 四
日/月 便 細 菌 検 査
「扁平上皮
淘白血 球
:赤 血 球 渣 硝 子 円 柱
1結 晶
ト
1〜2/視 3〜4/視 2〜3/視 2〜3/数日 無晶性尿酸塩
15/VII
16/VllI 17!VII
サルモネラ菌陽性 S.typhi murium 赤痢菌 陰 性
病原大腸菌 陰 性 S.typhi muriurn 陽 性 ■! 陽 性
℃.脈拍100/min整,微弱.一血圧80〜SOmmH9.呼吸 は浅在性で36〆min.眼険・眼球結膜,咽頭部には 異常なく,舌には褐色苔を認めた.頚部リンパ節 は触れない.胸部:肺肝境界第6肋間,心,肺と
もに異常所見なし.腹部:平坦で肝脾を触れず,
圧痛もない.膝蓋腱反射やや充進,左バビンスキ ー現象陽性.その他に病的所見を認めなかった。
入院時の検査成績は表1のごとくであり,便培養 の結果Salmonella typhi murium陽性であった.
入院当初より口渇を訴え,病室に入るやいなや コップ1/2杯の水をのみ,直ちに洗面器に約2/3ぐら いの唯吐があった.吐物は茶褐色(これは自宅で
来院前に大量の麦茶をのんでいたためと思われ る)で,上層に粉末薬剤様の物が浮いていた.大 量の輸液,強心剤,抗生物質の投与,酸素吸入な どを行ない,午前7時半頃には血圧も110−80mm H9に上昇し,体温も36.6℃に上昇,発汗も減少し 駆吐も消失,やや元気が出てきたようにみえた が,手足は相変らず冷たく,チアノーゼがあり,
洗濯婦の手 を呈していた.下痢は25回で茶褐 色,水様で,血液や粘液の混入はなかった.
16日:体温37.8℃.血圧110〜80mmHg、脈拍 120/min・意識明瞭で,発汗は前日より減少.顔 面紅潮したが,なお手足のチアノーゼがあり,倦
BD P K丁
mmHg/徳n℃ 補液強心剤抗生剤
180
140
100
60 120
100
80
60 38
37
36
.35 o
...一R,
,〆 N八
r /y x
>i細 工
仙, L
槻
㎞覗:
点・
0 12 i5日 募華}㈲
便 25回
0 16
愈 昌
g・
12
17回 図1.経 過 怠感を訴えていた.下痢は17回.
17日:手足のシビレ感つづぎ,血圧は上昇し 146〜88mm}ig.脈拍112/min,緊張良 胸腹部と もに事変を認めず.食事もほぼ1/3量ぐらい摂取し た.しかし午後7時頃より胸部重圧感を訴え,.血 圧162〜98imiiH9,次第に呼吸困難を訴えるように なり,一般状態悪化し,胸部にラ音を聴取,午後
9時下顎呼吸となり,この間強心剤その他の対症 的治療を行なったが効果なく,18日午前2時54分
死亡した。
臨床診断:SalmoneHa typhi murium tlこよる 激性急性胃腸炎.
剖検診断:
1.急性サルモネラ胃腸炎
(a)胃体部に著しい急性ビマン性ビラン〜潰 瘍と広汎な粘膜萎縮とうっ血.
(b)特に回腸に著明な粘膜下浮腫を主所見と
する小腸炎.
2.高度の全身脱水状態と屍血の濃縮,ならび に著しく不均一な臓器湿潤度.
3.組織学的にみられた膵全体の異常に高度な 外分泌の充進と中等度変性傾向.
4.肝・腎の中等度脂肪化.
5、末期の急性心不全状態。
10 V 盆 辱
12
@畠 12
憲 尭 喜 亡 鐘
(a)組織学的にみられた心筋間質の中等度浮 腫と初期心筋変性.
(b)両側広汎な中等耳うつ血性肺水腫.
(c)肝・脾・腎の急性らつ血 6.比較的良好なる全身栄養状態.
総括ならびに考案
本症例は臨床経過およびその検査成績からも明 らかなように,S. typhi muriumによる激烈な食:
中毒症であり,病理学的には激性急性胃腸炎であ る.サルモネラの菌型は多種であり,Kauffman
(1966)2)によれぽ962菌型が収録されており,現在 ではさらに増加し約エ,200菌型となっている.こ のうちわが国で最も多いのはS.enteritidisによ るものであったが,近年はS.typhi muriumに よるものが多くなっている.サルモネラの感染症 は,抗生物質の出現により多少の変貌を示したと いわれながらも,その根源を絶つことは現段階で は不可能に近く,抗生物質の開発進歩に逆行し,
患者数は年とともに増加し,それに伴って死亡者 数まで増加してきている現状である.散発患者例 も伝染病院などで多数報告されている3).最近5 年間,日本においてもサルモネラ症が増加してぎ ている主要な原因の1つは,諸外国からの輸入食 料や飼料の増加と,それらのサルモネラ汚染にあ
るといえる.これら食肉の汚染は,ハエその他虫 類,ネズミ等を媒介とし,国内産食肉の汚染をお
こす,現在市販されている店頭食肉の汚染率は20
%内外といわれている4).
サルモネラの病型は食中毒症の場合,胃腸炎,
腸炎,赤痢様のものが大多数を占め,この他疫痢 様,コレラ様,チフス様,単純下痢様のものがあ るが,コレラ様,チフス様のものは少なく,これ らは斉藤の報告(1968)5)によれぽ,報告例97例 中おのおの1例にすぎない.著老らの経験した本 症例は44才男性で,腹痛・裏急後重を欠き,1日 40〜50回に及ぶ激烈な下痢と嘔吐を主訴とし,
洗濯婦の手,四肢冷厭等脱水症状強く,コレラ様 症状を呈したサルモネラ食中毒であった.入院後 僅か4日間で死亡したが,その死因は脱水による 急性心不全であり,剖検所見では,胃の変化は広 汎なビマン性潰瘍像(写真1)が中心で,しかも かなり離れた非潰瘍部にも筋層内への炎性細胞浸
鰐∵.1@ ∴;窪
翰
写真1.×4
写真2.×10
潤が著しい(写真2).腸の変化は肉眼的所見より もはるかに高度で,粘膜下層にも強い循環障害性 変化,すなわち強い血行静止状態と間質浮腫がみ
られ,またそれぞれ若干の炎性細胞浸潤が認めら れるが,最も著しいのは粘膜上皮部であり,絨毛 は全体に著しく萎縮し,これを被覆する細胞も変 性に陥り,丈が低く,隣接絨毛間の部分的癒着が いたるところにみられる(写真3,4).このよう な組織像より,
1)吸収面積の著明な減少,2)細胞体の変性 による細胞自体の吸収能力の減退,3)絨毛の運 動不全による吸収能力の低下および血流のうつ 滞,がおこり,このような強い腸粘膜の変化によ り水分の吸収が阻害され,大量の水分が下痢とな
盤L
σ「A悔職奪
写真3.×2
早鈴鰍野搬確
写真4.×10
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くゆ 1:審
薦嘱覇
写真5.×40
に分泌されねぽならぬとされ,コレラの下痢液中 に大量のアミラーゼが含有されているところが ら,膵臓からの外分泌昂進ということが充分に考 えられるとされている.またW.B. Greenough
(1965)もコレラの場合の異常な下痢が,単に小腸 からの吸収不全のみならず膵の外分泌門札が大き な意味を有するといっている.本症例はコレラで はな意いが,激烈な下痢を主徴とし,コレラの場合
と基本的に非常に類似しており,このような例で 膵において著明な外分泌充進所見を認め得たこと は,前記Greenough,渡辺の提唱したHypothese
と考え合わせると興味ある事実である.サルモネ ラ食中毒における単発剖検例の報告は余り多くな いので,興味ある剖検所見と併せここに報告した。
結 び
44才男性で,発熱および頻回の下痢を主訴とし て来院し,コレラ様症状を呈したが,検査成績 から糞便中にSalmonella typhi mur二umを検出
し,剖検上興味ある所見を得た激性急性胃腸炎の 1例を報告した.
写真6.×40
り体外に失なわれていったといえる.しかしこの 剖検所見で今一つ注目すべきは,膵における外分 秘の異常に強い充進を示す組織像を認めたことで ある(写真5,6).渡辺の最近の報告(1968)6)に よれぽ,消化管内容を腎における尿生成に当てて 一考えてみると,消化液は原尿に当り,小腸は再吸 取という点から尿細管に該当し,大腸は膀胱に比 することができ,したがって次のごとき公式が成
.立するという.すなわち
下痢の強さ=下痢液の量=(消化液の量十摂取 一水分量)一再吸収せられた水分量.
またコレラの場合セこは1日15〜20 しの下痢はま れではないといわれ,成人1日の消化液分泌量は
.平均8しといわれるので,仮に小腸からの再吸収 が全くなくなったとしても,7しの消化液が過剰
(本稿の大要は,昭和44年1月東京女子医科大学 学会,第153回例会において発表した.)
文 献
1)斎藤 誠;最近のサルモネラ症.Medicina 4 (11) 127 (1967)
2) Kadiman, F.: The Bacteriology of Ente−
robacteriaceae.149(1966). Munksgaard−Co−
penhagen
3)丹治 圧・他=サルモネラ菌による急性下痢 症の散発発生例について.日伝染会誌42161 (1968)
4)菩養寺 浩:サルモネラ症の臨床,病理と疫 学.The Clinical Report基礎と臨床2(10)
731 (1968)
5)斎藤誠:大人の食中毒.医人口人7{7}4 (1968)
6)渡辺豊輔=下痢の病理解剖.日伝染会誌39(3}
91 (1965)