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仮 名 遣 書 の 系 譜

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(1)

はじめに   まず﹁仮名遣書﹂を定義する︒本稿においては︑﹁日本語を仮

名のみで書くにあたって︑どのように仮名を使うかということを

一義的にテキスト作成の目的としている︵と思われる︶書物=テ

キスト﹂を﹁仮名遣書﹂と定義したい︒﹁一義的に﹂ということ

が当該テキストの言説として序文や跋文に謳われている場合は︑

そのことについて改めて判断する必要はないが︑そうした言説が

当該テキストに謳われていない場合は︑﹁一義的に﹂目的として

いるかどうかを判断することになり︑その判断が判断者によって

揺れる可能性はある︒

  本稿では︑これまでに国語学︵日本語学︶において仮名遣書と

して扱われてきた書物=テキストを広義の仮名遣書とみなし︑そ

れが右に定義した仮名遣書といえるかどうかについて検証すると

いうかたちで論を進めていくことにする︒

  山田孝雄﹃仮名遣の歴史﹄︵宝文館︑一九二九年︶は﹁仮名遣書 の歴史﹂ではなく︑﹁仮名遣の歴史﹂を書名とするが︑第二章は

﹁定家仮名遣﹂︑第三章は﹁復古仮名遣﹂と題し︑第二章において

﹃下官集﹄︑行阿の﹃仮名文字遣﹄を採りあげ︑第三章において︑

契沖﹃和字正濫抄﹄︑楫取魚彦﹃古言梯﹄等の仮名遣書を採りあ

げている︒

  また︑木枝増一﹃仮名遣研究史﹄︵賛精社︑一九三三年︶は︑そ

の﹁序﹂において﹁従来世に行はれてゐる国語学史中国語仮名遣

に関する諸説を一々原書に就いて検討考査した結果を新に整理し

て︑世に問はんとする著述﹂と述べており︑仮名遣書の史的研究

をその目的としていることが明らかである︒この﹃仮名遣研究史﹄

においては︑第二章﹁定家仮名遣﹂︑第三章﹁定家仮名遣の伝流﹂︑

第四章﹁契沖の歴史的仮名遣﹂︑第五章﹁歴史的仮名遣の伝流﹂

と章立てがされ︑第二章の二において﹃下官集﹄について述べる︒

  右の二書においては︑﹃下官集﹄︑行阿﹃仮名文字遣﹄︑契沖﹃和

字正濫抄﹄︑楫取魚彦﹃古言梯﹄を一つの﹁流れ﹂としてとらえ

ていると思われる︒こうしたみかたは︑右の二書に限ったもので  

仮名遣書の系譜

(2)

はない︒  例えば古田東朔・築島裕著﹃国語学史﹄︵東京大学出版会︑一九

七二年︶においては︑第二章﹁中世﹂の第五節﹁仮名遣の起源と

発達﹂中において藤原定家が﹁自ら一連の仮名遣を定め︑それを

自ら書写の際に実行し︑さらにその規則を記した﹁下官集﹂一巻

を著した︒この仮名遣の流を︑後に﹁定家仮名遣﹂と称し︑中世

以降︑和歌を宗とする人々の間で行われた︒この仮名遣は︑もと

藤原定家が定めた規則であったようだが︑やがてその末流の行阿

によって増補されて中世に及んだ﹂︵一五七頁︶と述べ︑第三章﹁近

世﹂においては﹃和字正濫抄﹄の﹁巻一では︑行阿の仮名遣に誤

りのあることを述べ﹂︵一九三頁︶ていることにふれ︑さらに﹁江

戸期では︑こののちも︑契沖の説は理解されず︑後に見るように︑

主として定家仮名遣によった書が出されるが︑春満や真淵らの国

学者たちによってようやく認められ︑次第に広まっていくように

なった︒ついで︑楫 とりひこの﹁古言梯﹂などで︑さらにこの補訂

がなされ︑いわゆる歴史的仮名遣は︑明らかにされていくのであ

る﹂︵一九七頁︶と述べる︒

  あるいは﹃国語学大辞典﹄︵東京堂出版︑一九八〇年︶の﹁定家仮

名遣﹂の項目︵大野晋執筆︶においては︑﹃僻案﹄︵下官集︶を﹁定

家の仮名遣﹂の﹁実例を示し﹂たものとみた上で︑﹃仮名文字遣﹄

を﹁定家の流儀の仮名遣﹂と位置づけている︒また同辞典は﹁古

言梯﹂の項目︵井上誠之助執筆︶においては︑﹁契沖の主義を奉じ

た五十音順︵ただしオ・ヲの位置を誤るが増補標註本では訂す︶の仮名

遣辞書で︑あげた約千七百語にはすべて古書から典拠を示した︒ 約三分の一はその出所を求め得なかった契沖の仮名遣を補強した功は大きく︑いわゆる歴史的仮名遣を確立したものである﹂︵四

二二頁下段︶と述べられている︒つまり︑従来の言説においては︑

﹃下官集﹄︑行阿﹃仮名文字遣﹄︑契沖﹃和字正濫抄﹄︑楫取魚彦﹃古

言梯﹄は一つの﹁流れ﹂の中のもの︑連続相としてとらえられて

いると思われる︒

  浅田徹は﹃下官集﹄について﹁下官集の持つ特質のある部分は

三代集の伝授に根差している﹂︵﹁﹃下官集﹄の定家│差異と自己│﹂

﹃国文学研究資料館紀要﹄第二十七号︑二〇〇一年︶と述べ︑さらに定

家は﹁勅撰集の写本作成を︑歌道家の人間の聖なる務めの一つと

意識するようになった﹂︵同前︶と述べる︒高橋宏幸は﹁﹁下官集﹂

用例語句出典考﹂︵都留文科大学国語国文学会﹃国文学論考﹄第二十号︑

一九八四年︶において﹃下官集﹄に掲げられている語を検証し︑

72語中 45語が三代集に認められ︑しかもそれらは各項目の最初

の方に掲げられている︒この事は︑先ず三代集から用例を採り︑

その後︑﹃近代秀歌﹄﹃百人秀歌﹄﹃源氏物語﹄等から用例を追加

したものと考えられる﹂と指摘する︒浅田徹︵二〇〇一︶は﹃下

官集﹄が掲げている語句がほぼ﹃詞花和歌集﹄までの勅撰集にあ

る語句とみなし得ることを指摘し︑﹃源氏物語﹄などを想定しな

くてもよいと述べる︒そうであれば︑﹃下官集﹄は﹁三代集を中

心とした勅撰集書写のためのマニュアル﹂︵拙書﹃かなづかいの歴

史﹄中公新書︑二〇一四年︑四十六頁︶ということになる︒﹁勅撰集

書写のためのマニュアル﹂は﹁日本語を仮名のみで書くにあたっ

て︑どのように仮名を使うかということを一義的にテキスト作成

(3)

の目的としていると思われる書物=テキスト﹂ではないと考える

ので︑本稿では﹃下官集﹄を﹁仮名遣書﹂とはみなさない︒した

がって︑行阿﹃仮名文字遣﹄︑契沖﹃和字正濫抄﹄︑楫取魚彦﹃古

言梯﹄を考察の対象とする︒

  ﹃仮名文字遣﹄﹃和字正濫抄﹄﹃古言梯﹄という三つの︵異なる︶

テキストを同じ枠組みにおいてとらえるために︑以下の行論では

次のような﹁みかた﹂を採ることにする︒﹃仮名文字遣﹄であれば︑

﹁ゆふはえ  夕栄  夕光﹂︵文明十一年本・へ部︶というかたちを採 る︒この﹁ゆふはえ  夕栄  夕光﹂全体を︑﹃仮名文字遣﹄が採

りあげた一つの﹁項目﹂ととらえ︑一つ一つの項目は﹁見出し項

目+漢字列﹂というかたちを採るととらえることにする︒一方︑

﹃和字正濫抄﹄は﹁魂  たましひ﹇万葉十五たまし/ゐとは書へ

からす﹈﹂︵巻二ひ部︶というかたちを採る

︵ ﹇ 

内は細字双行︑﹁/﹂

は改行箇所︶︒したがって︑﹃和字正濫抄﹄の一つ一つの項目は﹁漢

字列+見出し項目+注﹂というかたちを採るととらえることにす

る︒﹃古言梯﹄は﹁しひ﹇木也古志/比紀万同﹈椎﹂︵志部二言︶

というかたちを採る︒﹁木也﹂は漢文注で︑古は﹃古事記﹄に﹁志

比﹂とあるということ︑そして﹃日本書紀﹄﹃万葉集﹄にも同様

の記事があることを示していると思われる︒したがって︑﹃古言

梯﹄の一つ一つの項目は﹁見出し項目+漢文注+出典+漢字列﹂

というかたちを採るととらえることにする︒右を整理すれば次の

ようになり︑それぞれのテキストの項目の基本形式=デフォルト

が異なることがわかる︒

﹃仮名文字遣﹄⁝⁝見出し項目+漢字列︵+注︶ ﹃和字正濫抄﹄⁝⁝漢字列+見出し項目+注﹃古言梯﹄⁝⁝⁝⁝見出し項目+漢文注+出典+漢字列

  以下では︑一つ一つのテキストについて検討を加える︒

一 ﹃仮名文字遣﹄

  ﹃仮名文字遣﹄の具体的なテキストとしては︑東京大学国語研

究室蔵で﹁文明十一年本﹂と呼ばれているテキストを主に使用

し 1︑必要に応じて他のテキストを使用し︑その場合は︑いかなる

テキストであるかがわかるように表示することとする︒

  本稿が﹃仮名文字遣﹄の具体的なテキストとして﹁文明十一年

本﹂を選んだのは︑見出し項目数が多くないテキストであること

を理由としている︒駒沢大学国語研究資料第二﹃假名文字遣﹄に

は大友信一による﹁解題﹂が附されているが︑そこには﹁文安四

年本﹂︵故山田孝雄蔵本︶﹁文明十年本 2﹂︵所在不明︶﹁文明十一年本﹂

﹁文明十二年本﹂︵京都大学国語研究室蔵本︶﹁永禄九年本﹂︵東京大学

国語研究室蔵本︶﹁文禄四年本﹂︵陽明文庫蔵本︶﹁慶長版本﹂︵国立国

会図書館蔵本︶合計七本の﹁所収用例数﹂が示されている︒それ

によると︑︵現状の︶﹁文明十一年本﹂の総﹁所収用例数﹂は一〇

八〇で︑﹁文明十二年本﹂の一〇五〇に次いで少ない 3︒   大野晋は﹁假名遣の起源について﹂︵﹃国語と国文学﹄第二十七巻

十二号︑一九五〇年︶において︑﹁この仮名文字遣の如く︑国語表

記の規範を示す役目を帯びた著作は︑行はれるにつれて語彙の増

大が要求され︑次第に辞書化する傾向にあるものであり︑あまり

膨大に至らない限りは︑簡約本を作る試みが為されることは少

(4)

い﹂︵十四頁上段︶と述べ︑総﹁所収用例数﹂が多くない﹁文明十

二年本﹂を﹁現に知りうる最も原型に近い仮名文字遣と仮定﹂し

て論を展開する︒前引﹁解題﹂によれば﹁文禄四年本﹂﹁慶長版本﹂

の総﹁所収用例数﹂はそれぞれ︑一九四四︑一八八一で﹁永禄九

年本﹂の一一三六と比してもかなり多くみえる︒これらの﹃仮名

文字遣﹄テキストを﹁語彙の増大﹂を実現させたテキストと位置

づけることはできよう︒

  ﹃仮名文字遣﹄には﹁をにのしこくさ  鬼志許草  万葉﹂︵を部︶

のように︑漢字列の下に︑その漢字列の出所を示すかのような注

︵以下これを便宜的に﹁出典注記﹂と呼ぶ︶がなされている項目が

ある︒﹁文明十一年﹂のこの項目では︑﹁鬼志許草﹂と﹁万葉﹂と

はほぼ同じ大きさの文字で書かれているが︑同じ﹁文明十一年本﹂

であっても︑﹁をはつせの山  万葉﹂︵を部︶の﹁万葉﹂は小ぶり

の文字でやや右寄せに書かれている︒現存している﹃仮名文字遣﹄

諸テキストの状態から︑原﹃仮名文字遣﹄のすがたを窺うことは

︵課題ではあっても︶相当に難しいと考える︒右のことがらについ

ても︑﹁見出し項目+漢字列﹂をデフォルトとみる稿者のみかた

からすれば︑﹁出典注記﹂そのものが︵仮に原﹃仮名文字遣﹄にすで

にそれがあったとしても︶﹁余剰﹂ということになる︒したがって︑

﹁出典注記﹂は︵そもそも︶必須のものではなく︑書写に際して︑

書き加えられることもあった 4︑とひとまずは考えておきたい︒

  ﹃万葉集﹄巻四︵七二七番歌︶には﹁萱草  吾下紐尓  著有跡 鬼乃志許草  事二思安利家理﹂とあり︑現在は﹁忘れ草我が下 したびも

に付けたれど醜 しこの醜 しこぐさ言にしありけり﹂とよまれている︒﹃仮名 文字遣﹄の漢字列﹁鬼志許草﹂は﹃万葉集﹄の﹁鬼乃志許草﹂に完全には一致しないけれども︑︵この項目の場合は︶ほぼ一致して

いるといってよい︒しかしその一方で︑﹁山鳥のをろはつお﹇山

鳥雄呂初尾一説云はつ/おは是も雄の字と云ろは息字也﹈﹂︵を部︶

は︑﹃万葉集﹄巻十四︵三四六八番歌︶と対応していると思われる

が︑そこには﹁夜麻杼里乃  乎呂能波都乎尓  可賀美可家﹂︵山

鳥の尾ろのはつをに鏡掛け︶とあって︑﹁漢字列﹂が一致しない︒ま

た︑﹁とるてのつえのうつたへに  杖打度  万葉在﹂︵え部︶の場

合のように︑﹃万葉集﹄に該当歌がない場合もある︒

  こうしたことについて︑長谷川千秋は﹁﹃仮名文字遣﹄におけ

る﹁万葉﹂の引用﹂︵﹃国語文字史の研究﹄六︑和泉書院︑二〇〇一年︑

所収︶において︑﹁﹃仮名文字遣﹄が原典︵引用者補ここでは﹃万葉

集﹄を指す︶に直接していない可能性の高いことを示して﹂︵八十

五頁︶いると指摘する︒また先の﹁山鳥のをろのはつお﹂に関し

て︑﹁この﹁をろのはつお﹂は︑﹃綺語抄﹄や﹃俊頼髄脳﹄以来﹃和

歌童蒙抄﹄﹃奥義抄﹄などで取り沙汰されてきた難語である﹂︵八

十九頁︶ことを指摘する︒そして﹃仮名文字遣﹄の﹁編纂にあたっ

て︑歌学書の中でも特に﹃袖中抄﹄がよく利用されていた﹂︵九

十二頁︶ことを指摘する 5︒つまり︑﹃仮名文字遣﹄の示す漢字列と

ほぼ一致する漢字列が﹃万葉集﹄にみられる場合をも含めて︑﹃袖

中抄﹄を初めとする歌学書から見出し項目とする語句そのもの︑

あるいは見出し項目に添えられている漢字列が持ち込まれた可能

性があることになる︒

  ﹃仮名文字遣﹄には﹁をのつから  自 源氏在﹂︵を部︶や﹁わ

(5)

かむとほり  王家無等倫  源氏在﹂︵ほ部︶のように︑﹃源氏物語﹄

を﹁出典注記﹂する見出し項目がある︒﹁オノヅカラ﹂という語は︑

改めていうまでもなく︑﹃源氏物語﹄において数多く使われてい

る︒その限りにおいては︑﹃源氏物語﹄で使われている語である︒

しかし︑この語を﹃源氏物語﹄という特定の文学作品と結びつけ

る必要があるかどうか 6︒一方︑﹁ワカンドオリ﹂は︿皇室の血統︑

皇族﹀を語義とする語と思われ︑﹁末摘花﹂には﹁左衛門の乳母

とて大弐のさしつぎにおぼいたるがむすめ︑大輔の命婦とて内に

さぶらふ︑わかむどほりの兵部の大輔なるむすめなりけり﹂と︑

﹁澪標﹂には﹁女別当︑内侍などいふ人々︑あるは離れたてまつ

らぬわかむどをりなどにて︑心ばせある人々多かるべし﹂と使わ

れている︒前者について︑﹃河海抄﹄には﹁わかむとをりの兵部

大輔  王家無等倫/うつほの物語云あて宮の御めのとこ一人はわ かんとをり一人は/大弐子  王孫をいふ也王の字をかくへし経に

も/世雄無等倫妙智無等倫なといふかことし弘安の源氏/論義に

も親行説とて今の義を證義にさためられ/つ一説我無等倫又云和

漢通﹇才学通和漢/より云々﹈﹂︵巻第三︑天理図書館蔵本十四丁表〜

裏︶とあって︑ここに漢字列﹁王家無等倫﹂がみられる︒

  長谷川千秋は﹁﹃仮名文字遣﹄所引漢籍と歌学書﹂︵奈良女子大

﹃叙説﹄第二十八号︑二〇〇〇年︶において︑﹃仮名文字遣﹄が﹁出

典注記﹂として﹃史記﹄や﹃日本紀﹄などの﹁漢字文献﹂を示す

場合の大半

28例中 18例︶が﹁﹃紫明抄﹄﹃原中最秘抄﹄や﹃河海抄﹄

など源氏注釈書所引漢籍を引用した形跡がある﹂と述べる︒

  高瀬正一は﹁﹃仮名文字遣﹄と﹃源氏物語﹄語彙﹂︵愛知教育大 学国語国文学研究室編﹃国語国文学報﹄第六十号︑二〇〇二年︶におい

て﹁慶長版本﹂を調査対象として︑その見出し項目一八八一を整

理し︑総見出し項目数を一六九五とみなした上で︑﹁﹃仮名文字遣﹄

の語彙︑一六九五例の内で︑六八七例︑すなわち約

40%﹃源氏物

語﹄と一致しており︑重要な出典であったことが数量的な面から

も改めて裏付けられる﹂︵八十九頁上段︶と述べる︒また高瀬正一

は﹁﹃仮名文字遣﹄の語彙│文明十一年本と中古文学語彙との関

連│﹂︵﹃愛知教育大学大学院国語研究﹄第二十一号︑二〇一三年︶にお

いて︑﹁文明十一年本﹂を調査対象として︑﹁﹃源氏物語﹄出自語

彙は︑四三三例と全体の四割をしめている︒これは慶長版本の比

率と変わらない︒﹃源氏物語﹄は文明十一年本でも︑主要な出典

である︒他の文学作品や古辞書との重複を除いた︑﹃源氏物語﹄

特有語彙は七十九例あり︑その中の二十三例が﹃河海抄﹄との関

連性がうかがえるものである﹂﹁﹃古今和歌集﹄出自語彙は二十四

例あり︑和歌だけではなく詞書や長歌なども含み多岐に渡ってお

り︑出典注記が誤っているものもある﹂と述べている︒

  これまでに指摘されていることがらを整理しながらここまで述

べてきた︒結局︑﹃仮名文字遣﹄は︑多くの場合︑注釈書類を介

在させながら︑﹃万葉集﹄や﹃源氏物語﹄﹃古今和歌集﹄などにみ

られる語句を見出し項目として取り込んでいると思われ︑漢字列

もその折にともに持ち込まれた可能性がたかい︒その一方で︑﹁を

んな  女﹂﹁をこなふ  行﹂︵を部︶﹁おち葉  落葉﹂︵お部︶のよ

うに︑漢字列を添えるのに特別な出典を必要としないと思われる

場合も少なからずあり︑﹃仮名文字遣﹄が見出し項目の後ろに置

(6)

いている漢字列に︵仮に﹁機能﹂を認めるとしても︶一律には何らか

の﹁機能﹂を認めにくいと考える︒

  現代において︑仮名書き語形だけでは︑その語がいかなる語で

あるかわかりにくい場合に︑その語にごく一般的にあてられる漢

字列を丸括弧に入れて添えることによって︑語の同定を助けよう

とすることがある︒この場合︑漢字字義によって︑仮名書き語形

がいかなる語であるかを特定していることになる︒これは結局︑

﹃河海抄﹄などの注釈書が採る方法と通うのであって︑そのよう

な意味合いで︑﹃仮名文字遣﹄が漢字列を添えている場合もある

と考える︒そしてそれは︑改めていうまでもないが︑現代と同じ

﹁感覚﹂であるのではなく︑中世における注釈書類のあり方と同

じ﹁感覚﹂であると考える︒

  ﹃仮名文字遣﹄が注釈書類を取り込み︑﹃仮名文字遣﹄が中世辞

書である﹃運歩色葉集﹄や﹃節用集﹄に取り込まれるということ

は︑中世の注釈書類と﹃仮名文字遣﹄と﹃運歩色葉集﹄や﹃節用

集﹄の間に﹁行き来できる回路﹂が形成されていたということと

みえるし︑別のみかたをすれば︑これらのテキストを必要として

いた﹁文字社会﹂が共通していたということであろう︒それはこ

れらのテキストを書写し︑継承していた人々に共通性があるとい

うことともいえよう︒そして︑その﹁文字社会﹂は︑といえば︑

やはり﹁和歌・連歌世界﹂︑古典文学の世界であると考えるのが

もっとも自然であろう︒

  ﹃仮名文字遣﹄を﹁古典文学世界のもの﹂と述べるだけではい

かにも粗いが︑それでもそうとらえた時︑それは﹃下官集﹄と重 なるのであり︑﹁下官集の延長線上に﹃仮名文字遣﹄がある﹂と

いうみかたは︵テキストがどのような目的をもって編まれたかというこ

とではなく︶︑右のような限定的な意味合いにおいては成りたつと

考える︒  先にも述べたように︑稿者は﹃仮名文字遣﹄の少なくない漢字

列は語の同定のために添えられていると推測するが︑結局は見出

し項目の後ろに漢字列を置いていたことが︑見出し項目の﹁増大﹂

ということや﹃仮名文字遣﹄が﹁辞書化する﹂ということとかか

わり︑そうした﹁動き﹂の契機となったといえよう︒しかしなが

ら︑﹃仮名文字遣﹄は﹁見出し項目+漢字列﹂という︑まず仮名

書きした見出し項目を置くという体例をもっているのであって︑

﹃仮名文字遣﹄の最大の関心事は仮名書きされた﹁見出し項目﹂

であると考えるのは自然である︒

二 ﹃和字正濫抄﹄

  山田孝雄﹃假名遣の歴史﹄は﹁和字正濫鈔は従来の假名の遣い

方の濫りなるを正すを目的として著したるものにして︑元禄六年

二月廿一日の序あり﹂︵五十七頁︶と述べる︒﹁正濫﹂は﹁濫りな

るを正す﹂であろうが︑﹁和字﹂はまずは﹁和=日本の文字=仮名﹂

と考えるのが自然で︑﹁和字﹂を﹁従来の假名の遣い方﹂といわ

ば﹁パラフレーズ﹂することにはいささかの﹁飛躍﹂を含むよう

に思われる︒右と同様のみかたは築島裕にもみられる︒築島裕は

﹃歴史的仮名遣い│その成立と特徴│﹄︵中公新書︑一九八六年︶

おいて︑﹁﹁和字﹂はいうまでもなく﹁仮名﹂のことであり︑ここ

(7)

ではその用法の規準︑すなわち﹁仮名遣い﹂のことを指している が︑﹁正濫﹂とは︑﹁濫 みだれたるを正す﹂という意味で︑著者契沖は︑

本来古く﹁正しい仮名の用法﹂があったのに︑それが︑後世になっ

てから﹁濫れ﹂てしまったから︑それを本来の正しい形に戻す︑

という︑一種の復古主義の理念が働いていたのである﹂︵七十一頁

〜七十二頁︶と述べる︒﹁和字﹂をめぐるさまざまな事象を﹁和字﹂

という表現によってとらえることはできるだろうから︑﹁和字﹂

に﹁かなづかい﹂という事象が含まれることはあろうが︑﹁和字

=かなづかい﹂ではないとみておく必要はあろう︒

  また︑﹁正す﹂にも注目しておきたい︒﹁正しいすがた﹂が︵た

とえ自分なりにということであっても︶捕捉できているからこそ﹁正

す﹂といえるのであって︑その点において︑﹃仮名文字遣﹄のあ

りかたとは︵原則的に︶まったく異なる 7︒   ﹃和字正濫抄﹄は﹁肆  いちぐら﹇市倉なり/和名﹈﹂︵い部︶

のように﹁漢字列+見出し項目+注﹂という体例をもつ︒﹃和名

類聚抄﹄には﹁肆  唐令云諸市毎肆立標題﹇四反和名伊知久良﹈﹂

︵二十巻本巻十・七丁裏︶とあるので︑項目の先頭に掲げられた漢

字列﹁肆﹂は﹃和名類聚抄﹄が掲げているものであることが確認

できる︒注において改めて﹁市倉なり﹂と述べていることをどの

ように考えればよいのだろうか︒この﹁イチグラ﹂という見出し

項目は﹃和名類聚抄﹄にいわば﹁由来﹂しているので︑﹃和名類

聚抄﹄が掲げている漢字列を示しているというみかたがまずは考

えられる︒稿者は︑契沖は﹁肆﹂字は︑﹃和名類聚抄﹄によって

確認できている︑﹁イチグラ﹂という語のそもそもの﹁姿﹂とと らえていたのではないかと推測する︒仮名がうまれるまでは︑日本語を書いていた文字は漢字であった︒だから語の﹁姿﹂をずっと遡っていくと︑︵古代から存在していた語は︑という限定があるが︶

﹁仮名書き語形﹂を超えて﹁漢字書き語形﹂にたどりつく︒そう

した﹁漢字書き語形﹂をつきとめることができる語にとっては︑

その﹁漢字書き語形﹂が﹁由緒正しい姿﹂であるということでは

ないか︒そのために︑﹁漢字列+見出し項目+注﹂というかたち

になっていると考える︒この体例については︑これまで言及され

たことがないように思われる︒

  ﹃和字正濫抄﹄を検すれば︑多くの地名が見出し項目として採

りあげられていることに気づく︒稿者は拙書﹃かなづかいの歴史﹄

︵中公新書︑二〇一四年︶において︑﹃和字正濫抄﹄が採りあげてい

る地名について︑﹃和名類聚抄﹄にでているものばかりであるこ

とを指摘した上で︑﹁こうした地名も﹃和名類聚抄﹄から採取さ

れたと考えるのが自然である︒つまり︑契沖は︑﹃和名類聚抄﹄

等の文献から︑﹁かなづかい﹂がはっきりとわかっている語を採

取し︑それを中心にして﹃和字正濫抄﹄を編んだと考えられる︒

そうであれば︑﹃和字正濫抄﹄に示された語が実際に仮名で書か

れるかどうか︑仮名で書かれたことがあったかどうかは︑あまり

問題ではないことになる﹂︵一五六〜一五七頁︶と述べた︒﹁﹁かな

づかい﹂がはっきりとわかっている語﹂はより正確には﹁由緒正

しい文献によって漢字表記が確認できる語﹂であった︒現代日本

語を母語とする者の﹁心性﹂としては︑﹁イチグラ﹂という語の

書き方が﹃和名類聚抄﹄によって確認できた場合︑﹁伊知久良﹂

(8)

をどこかに示したくなるのではないだろうか︒しかし︑﹁かなづ

かい﹂の根拠となる﹁伊知久良﹂は示されることなく︑﹁肆﹂字

が示されている︒﹁肆﹂字は︑﹁イチグラ﹂の﹁イ﹂がア行のイで

あることの根拠にはならない︒それは﹃和名類聚抄﹄で確認でき

ているから示す必要がないのだという反論があるいはあるかもし

れない︒しかしそうではなくて︑ある語をずっと遡って追いかけ

ていった時にたどりついた﹁かたち﹂を示すということに契沖の

目的︵の一つ︶があり︑そうすることによって﹁和字=仮名にお

いて濫れてしまっている語のかたちを正す﹂ということと推測す

る︒漢字﹁肆﹂をあてるような語が日本語の﹁イチグラ﹂なのだ

という示し方にみえる︒地名を採りあげているのも︑地名の﹁か

なづかい﹂が問題になることがあるということではなく︑地名の

﹁本源﹂を︵漢字列によって︶示すためだと考えれば理解できる︒

  契沖にとって︑つまり﹃和字正濫抄﹄にとって漢字列が重要で

あったことは︑次のような項目が存在することによってもわか

る︒例えば︑﹃万葉集﹄巻七︵一三五五番歌︶には﹁真木柱  作蘇 麻人  伊左佐目丹﹂︵真木柱作るそま人いささめに︶とある︒出典注

記には﹁万葉﹂とあるので︑契沖はこの歌に﹁伊左佐目︵丹︶

とあることは承知していたはずで︑にもかかわらず﹁真名未考﹂

とあるのは︑いわゆる﹁万葉仮名﹂表記ではなく︑﹁正訓字表記﹂

が﹁未考﹂ということと推測する︒実は﹃仮名文字遣﹄の時点で︑

﹁いさゝめ  暫 カリソメ也﹂︵文明十一年本︶﹁いさゝめに  只暫

﹇古今并六帖哥/等ニ在之﹈﹂︵慶長版本︶とあって︑﹁暫﹂字を置

くこともできなくはなかったはずであるが︑﹁由緒﹂がつきとめ られていない漢字列は契沖の採るところとはならなかった︒あるいは﹁几  おしまつき﹇和名日/本紀に﹈/﹇は夾/膝﹈﹂︵お部︶

とあるのは︑﹃和名類聚抄﹄には見出し項目﹁几﹂に﹁和名於之

萬都岐﹂︵巻十四・十六丁裏︶とある一方で︑斉明紀四年十一月の

条に﹁有間皇子︑向赤兄家︑登楼而謀︒夾膝自断︒﹂︵有間皇子

赤兄が家に向 きて︑楼 たかどのに登りて謀る︒夾膝自 おのづからに断 れぬ︶とある︑

その漢字列﹁夾膝﹂が﹁オシマヅキ﹂という語を書いたものであ

るとみなし︑﹃和名類聚抄﹄とは異なる正訓字としてこの﹁夾膝﹂

をも示したと思われる︒この﹁オシマヅキ﹂に関しては︑﹁几﹂

と﹁夾膝﹂とのどちらが本源的な漢字列であるかを︵この時点では︶

判断しかねた︑ということであろう︒由緒ある文献に裏付けられ

た︑漢字による語の同定︑﹁漢字によって和字の濫れを正す﹂こ

とが﹃和字正濫抄﹄の目指すところであったのではないか︒

○﹇真名/未考﹈いはけなし

○﹇真名/未考﹈いとこ﹇日本紀の哥にうま人はうま人とちや

いとこはもいとこどち/とよめり上のいところに准らふれは

同輩をいへるかと見えたり﹈

○﹇真名/未考﹈いらなし﹇日本/紀﹈

○﹇真名/未考﹈いさゝめ﹇万葉/古今﹈

○﹇真名/未考﹈いすろこふ﹇延喜/式﹈

  右には﹁い部﹂の例を掲げたが︑﹁い部﹂以外にも右のように

﹁真名未考﹂と記されている項目が存在していることはいうまで

(9)

もない︒  ﹃和字正濫抄﹄が﹁使用すべき仮名表記と︑その出典とを示し

ている﹂︵築島裕一九八六︑八十一頁︶ことを﹁﹃正濫抄﹄の長所﹂

︵同前︑八十三頁︶とし︑楫取魚彦﹃古言梯﹄が﹁出典を一々明示

したこと﹂︵同前︑一〇〇頁︶を評価することが一般的である︒し

かし︑﹃和字正濫抄﹄にとって︑出典を明示することが重要であっ

たならば︑﹁出典未考﹂のような記事があってもよいだろうが︑

それはなく︑右に示したように︑漢字列を示すことができなかっ

たことについて﹁真名未考﹂と記述している︒このことは︑﹃和

字正濫抄﹄にとっては︑項目冒頭に漢字列を示すことが重要で

あったことを示唆していると考える︒

  語の形は語の発音でもある︒﹃和字正濫抄﹄は﹁母屋  おもや

﹇もやとも/いふは思﹈/﹇を万葉にもふとよめ/ることく上略

なり﹈﹂のように︑語の発音について﹁注﹂でふれることが少な

くない︒そして発音に小異がある語も﹁同  おなし﹇日本紀并/

万葉にお﹈/﹇やじともいへり同韵にて/通する歟別に古語歟﹈﹂

の﹁オナシ﹂﹁オヤジ﹂︑あるいは﹁發  おこる﹇おこす同し/お

こすと﹈/﹇いふ時は令發/の意あり﹈﹂の︑﹁オコル﹂﹁オコス﹂

のように︑注においてふれていることが多い︒そうした派生形等

を視野に入れることによって︑語の形や語のなりたちを理解する

ということも契沖の考えであろう︒語源的なことにかかわる記事

も︑結局は当該語はどのような語であるかということにかかわっ

て記されていると考える︒

  長谷川千秋は﹁﹃和字正濫要略﹄のめざしたもの│書くことへ の指向│﹂︵﹃山梨大学教育人間科学部紀要﹄第十五巻︑二〇一三年︶

おいて︑﹁﹃和字正濫抄﹄﹃通妨抄﹄﹃要略﹄において︑﹃通妨抄﹄

以降﹁仮名遣﹂の概念に変化が見られ︑﹃和字正濫抄﹄は﹁仮名遣﹂

の理念のみを実例をもって示すに止まり︑実際にその仮名遣を用

いて語を書くことを考慮していない側面があると捉えている﹂

︵一頁上段︶と述べ︑さらに﹁﹃和字正濫抄﹄は︑仮名遣を明らか

にすることだけでなく︑その語の本来的な意義︑相当する漢字表

記︑清濁を中心とする音を明らかにすることを指向する﹂︵五頁

上段︶と述べる︒稿者は︑右で述べてきたように︑﹃和字正濫抄﹄

は結果として﹁かなづかい﹂を示す記述形式を採るが︑その目指

すところは︑﹁由緒ある文献に裏付けられた︑漢字列による語の

同定﹂﹁漢字列を示すことによって語の正しい本源的な姿を示す

こと﹂にある︑と考える︒したがって︑﹁﹁仮名遣﹂の概念﹂が変

化したというよりは︑﹃和字正濫抄﹄は現代人が考えるような﹁仮

名遣書﹂ではない︑とみるのがよいと考える︒

  先に﹁語の発音について﹁注﹂でふれることが少なくない﹂と

述べたが︑語の発音は語の形を決める上では重要な要素になる︒

稿者は﹁﹁が﹂という仮名﹂︵清泉女子大学﹃言語教育研究﹄第三号

二〇一一年︶において︑﹃和字正濫抄﹄は見出し項目に濁点を使う

ことが少なからずあることに注目し︑﹁﹃和字正濫抄﹄は︑濁音を

表示しないという従来の形式に連なっているが︑その﹁内容﹂が

濁音表示にいささか影響を与えたとみるのが妥当ではないか﹂

︵三十九頁︶と述べたが︑考察が充分ではなかったので︑本稿にお

いて言説を修正しておきたい︒すなわち︑見出し項目に濁点をか

(10)

なりな程度施している﹃和字正濫抄﹄は︵その点においても︶﹃仮

名文字遣﹄のような仮名遣書には連なっていない

0 0 0 0 0 0

︒﹃和字正濫抄﹄ 0

が見出し項目の位置において示そうとしていたのは︑語を仮名で

書く場合の形ではなく

0 0 0

︑本源的な語の形を和字=仮名で書いたも 0

の︑であったと考える︒

  ﹃和字正濫要略﹄の﹁序﹂に﹁かなつかひは俗にもわたる事な からまさしくは和哥をもてあそふ人のことなり﹂︵引用は架蔵本

よる︶とあることはよく知られている︒長谷川千秋︵二〇一三︶

﹃和字正濫抄﹄と﹃和字正濫要略﹄とを詳細に対照し︑﹃和字正濫

要略﹄の﹁書く対象︑仮名遣を適用する場とは︑仮名遣書と同様

に︑和歌であっただろう﹂と述べる︒首肯できるみかたである︒

﹃和字正濫要略﹄は︑橘成員の﹃倭字古今通例全書﹄を初めとす

る﹁俗書﹂を向こう側に置いたために︑それらと﹁同じ土俵﹂に

上がることになった︒契沖にとって︑それが本意であったか否か

は不分明であるが︑いずれにしても結果的には︑﹃和字正濫要略﹄

は仮名遣書として存在しているといえよう︒ただし︑同書は﹃和

字正濫抄﹄と同じ﹁漢字列+見出し項目+注﹂という体例をもっ

ているが︑それは﹃和字正濫抄﹄を体例としては承けているため

と考える︒つまり︑﹃和字正濫抄﹄は仮名遣書とみなし得る﹃和

字正濫要略﹄に移行できる﹁芽﹂をもっていた︒それは見出し項

目の排列において顕著であると考える︒﹃和字正濫抄﹄は﹁い/

中下のい﹂﹁ゐ/中下のゐ﹂﹁を/中下のを﹂のように見出し項目

をまとめる︒これは﹁かなづかいが問題になる箇所﹂ごとにまと

めているのであって︑まさしく仮名遣書的な見出し項目の排列で あるといえる︒ちなみにいえば︑﹃倭字古今通例全書﹄は﹁見出

し項目+漢字列+注﹂という﹃仮名文字遣﹄と同じ体例をもつが︑

見出し項目は﹁いろは順+意義分類﹂によって排列している︒

三 ﹃古言梯﹄

  明和五︵一七六八︶年頃に刊行されたと目されている﹃古言梯﹄

については︑﹁契沖の﹃和字正濫抄﹄を承けて︑その証例の不備

を補うことを主眼として編まれた歴史的仮名づかい辞書﹂︵﹃日本

語学研究事典﹄明治書院︑二〇〇七年︑九〇六頁中段︑林義雄執筆︶

どと説明されることが多い︒﹁証例の不備を補うことを主眼とし

て﹂は︑﹁主眼として﹂と表現されている以上︑編者である楫取

魚彦がそれを目的として︑と理解すべきであろうが︑楫取魚彦は

それを目的として﹃古言梯﹄を編んだとみることができるかどう

か︑以下において検討を試みるが︑紙幅の都合もあり︑序文を軸

にして検討する︒

1 いにしへにいへらく︑ことだまの幸 さきはふ国 くに︑ことだまのた すくる国と︒是はしもこと挙 あげすめれば︑皇 すめがみのさきはへまし て通 とほりたらはざる事なきをいふ也︒故 かれ世の中の常 つねの言 ことばしも︑

神の代の上 かみが上 かみなる言 ことを人の代の末 すゑとも末々まで伝 つたへいふ に︑ちゞのものもわかれ萬 よろづのことわりもたらひて︑あやしく たへなるはこの言 ことだまの幸 さちになも有ける︒

2 しかあれば末の代の人といへども︑ふるきことばをよくし

りそのもとをふかくわきまへ得 る時は︑目 に見 さけねどこし方

(11)

行末の事をしり︑あしはゆかねどあめつちの道になもとほれ

りける︒3 そも〳〵此ことばのおやちふものをたつぬれば︑あいうゑ

をの五 のこゑになも有︒これぞこの天 あめつちのひらけはじま りにける時︑たまちはふ皇 すめがみのみことの御 くちよりのたまひは

じめしを︑あめのます人高山のたか〳〵に伝へ︑わたの浪の

しき〳〵にとなへ来れるもの也ける︒此五 のこゑをいに しへのふみにむかへ考るに︑たてぬきにことの通ひ︑本 もとすゑ

こゑのひゞくものは更にもいはず︒いゐえゑをおのたぐひ︑

そのこゑ相 あひて意 こゝろの異 ことなるわかちかりにもたがふことあらざ

りき︒4 

さるを世のくだち行まに〳

︑人の心さかしらになり行 て︑他 ひとの国なる文 ちふものをかりたり︒しかはあれどこゝ にしてはたゞにことばを伝ふるかりの目 じるしとのみしたり しを︑かくてゆ後 のちの世人はかの文字につき︑その意によるを わざのごとおぼえて︑いにしへの言 ことだまたとき事をばやゝ〳〵わ すれ行︒ふるの中道ふるきことばはおほどなるものにかくさ ママ

へつゝ︑其もとはしもとめわきまへがたくなもなりにたり︒

  ﹁ことだまの幸 さきはふ国 くに﹂の﹁ふるきことばをよくしりそのもと

をふかくわきまへ﹂ることによって︑﹁こし方行末の事﹂を知る

ことができる︒そして﹁ふるきことば﹂は﹁あいうゑをの五

のこゑ﹂によって成り立っている︒しかるに﹁他 ひとの国なる文

=漢字によって日本語を書くようになった︒それは当初は﹁こと ばを伝ふるかりの目 じるし﹂であったが︑次第に﹁かの文字につ

き︑その意によるをわざのごとおぼえ﹂るようになった︒

  この認識は正しいと考える︒現代において﹁漢字の使い分け﹂

と呼ばれるような漢字の使い方には︑﹁漢字字義による日本語の

再編成﹂といえるような場合が少なからず含まれており︑そうし

たことに対する批判的言説とみることができる︒それゆえ︑漢字

を離れて日本語をとらえる︑つまり仮名で書かれているというレ

ベルで日本語をとらえるということが重要になる︒

  先に述べたように楫取魚彦は︑﹁ふるきことば﹂が五十音によっ

て成り立っているという認識をもつ︒したがって︑漢字ではなく︑

五十音によって︑すなわち﹁漢字を離れて﹂仮名によって﹁ふる

きことば﹂を考えるということを重視する︒﹃和字正濫抄﹄があ

る語の﹁淵源﹂を﹁正訓字表記されたすがた=漢字列﹂に求めた

のとは異なり︑楫取魚彦の認識は︑ある語はそもそも仮名でどの

ように書かれていたか︑ということを正確に知ることが︑その﹁語

を知る﹂ということであるという認識であったと思われる︒﹃古

言梯﹄においては︑見出し項目は﹁仮名書き語形+出典等注記+

漢字列﹂という形式を採っており︑﹃和字正濫抄﹄が﹁漢字列+

仮名書き語形+出典等注記﹂という形式を採っていることと異な

る︒前述したように︑﹃和字正濫抄﹄においては︑ある語がどの

ように漢字表記されるかということをも含めて﹁語を知る﹂とい

うことと捉えていたと覚しい︒それゆえ︑﹁真名未考﹂と書かれ

た見出し項目が存在した︒

  そう考えると︑結果として﹁かなづかい﹂を示したテキストで

(12)

あっても︑﹃和字正濫抄﹄と﹃古言梯﹄とは︑編まれた目的がまっ

たく異なるといってよい︒したがって︑﹃古言梯﹄が﹃和字正濫抄﹄

を承けて成ったというみかたは︑現象的にはそうであっても︑正

確な認識とはいえないと考える︒﹁精神﹂という表現を使うとす

れば︑﹃和字正濫抄﹄を支えている精神と﹃古言梯﹄を支えてい

る精神とはまったく異なる︒

  ﹁以部﹂四言に﹁いさゝめ﹇万伊左/佐米﹈卒爾﹂とある︒﹃古

言梯﹄において︑﹃和名類聚抄﹄﹃万葉集﹄の引用は﹁万葉仮名﹂

のまま行なわれており︑この点が﹃和字正濫抄﹄とは異なる︒﹃和

字正濫抄﹄は﹁漢字書きされた語﹂あるいは﹁日本語に対応する

漢字﹂に﹁淵源﹂を求めていたので︑その﹁漢字書き﹂は正訓字

表記でなければ意味がない︒しかし︑﹃古言梯﹄の場合は︑﹁︵平︶

仮名書き語形﹂に﹁淵源﹂を求めており︑その﹁︵平︶仮名書き

語形﹂の正当性を支えるのが︑﹁万葉仮名表記﹂であるので︑こ

れが重要であることになる︒

  また﹃和字正濫抄﹄には﹁窮鬼  いきすたま﹇遊仙/窟﹈﹂︵い

部︶とあるが︑﹃古言梯﹄には﹁いきすだま﹇和伊岐/須太万﹈

窮鬼﹂︵以部五言六言七言︶とあり︑濁点の使用は﹃和字正濫抄﹄

に比して︑一層徹底していると思われる︒このことについては従

来指摘されていないが︑い部でいえば︑﹃和字正濫抄﹄が濁点を

附さずに掲げている﹁いはつゝし﹂﹁いはくみ﹂﹁いはくすり﹂﹁い

はゆ﹂﹁いほむしり﹂﹁いかるか﹂﹁いかた﹂﹁いかつち﹂﹁いたとり﹂

﹁いたちはしかみ﹂﹁いたゝき︵頂︶﹂﹁いたゝき︵巓︶﹂﹁いたつら﹂

﹁いたやかひ﹂﹁いそく﹂他多くの語に﹃古言梯﹄は濁点を附して 掲げている︒それは︑﹃古言梯﹄の見出し項目は︑その語の﹁か

なづかい﹂を示そうとしているのではなく︑その語の︵発音を含

めた︶﹁平仮名で書いた︵本源的な︶かたち﹂を示そうとしてい

るためであると考える︒

おわりに

  本稿はまず﹁日本語を仮名のみで書くにあたって︑どのように

仮名を使うかということを一義的にテキスト作成の目的としてい

ると思われる書物=テキスト﹂を﹁仮名遣書﹂と定義した︒この

定義に従って︑まず﹃下官集﹄を仮名遣書とはみないこととした︒

  これまでは︑行阿﹃仮名文字遣﹄を批判して編まれたものが契

沖﹃和字正濫抄﹄で︑その﹃和字正濫抄﹄の﹁不備﹂を整備した

ものが楫取魚彦﹃古言梯﹄であるというみかたが一般的であった︒

つまり﹃仮名文字遣﹄﹃和字正濫抄﹄﹃古言梯﹄は仮名遣書の﹁流

れ﹂を形成しているというみかたが主流であった︒

  本稿は︑それぞれのテキストの体例に注目し︑そこから次のよ

うな指摘を行なった︒

1 ﹃仮名文字遣﹄は古典文学世界と繋がりをもった仮名遣書

である︒2 ﹃和字正濫抄﹄は部分的には仮名遣書のような体例をもつ

が︑漢字によって正訓字表記されたかたちを語の本来的なか

たちとみて︑それによって和字による濫れを正そうとしてい

る︒

(13)

3 ﹃古言梯﹄は仮名によって日本語がどう書かれたかという

ことを注視することによって古言のありかたをとらえること

を目的としている︒4 ﹃和字正濫抄﹄と﹃古言梯﹄とは﹁日本語を仮名のみで書

くにあたって︑どのように仮名を使うかということを一義的

にテキスト作成の目的としていると思われる書物=テキス

ト﹂すなわち仮名遣書とはいえない面をもつ︒5 ﹃仮名文字遣﹄﹃和字正濫抄﹄﹃古言梯﹄はそれぞれ異なる

目的のために編まれており︑そうした意味合いにおいて連続

しない︒

︵1駒沢大学国語研究資料第二﹃假名文字遣﹄︵一九八〇年︑汲古書院︶を使用した︒︵2赤堀又次郎校訂﹃語学叢書第一編﹄︵東洋社︑一九〇一年︶において﹁文明本﹂と呼ばれている本で︑同書が底本とした﹁古板本﹂︵引用者補慶長版本のこと︶の校合に使われているので︑その校合結果から算出したものと思われる︒︵3︶ ただし駒沢大学国語研究資料第二﹃假名文字遣﹄の﹁解題﹂にお

いて大友信一は﹁﹁う﹂の終り﹁ふ﹂の初めにかけて二丁の落丁がある﹂︵四四二頁︶こと︑さらに﹁は﹂にも﹁一丁落丁がある﹂︵四四五頁︶ことを指摘している︒大友信一は﹁文明十一年本﹂と﹁永禄九年本﹂との﹁内容︑つまり収録されている用例・配列順序が酷似している﹂︵四四二頁︶と述べ︑﹁永禄九年本﹂を使って︑﹁う﹂に十六︑﹁ふ﹂に五十八︑﹁は﹂に四十の用例があったと推定してい︒そうであれば︑﹁文明十一年本﹂の総﹁所収用例数﹂はこれらを加えた一一六四ということになる︒こうした推定について︑岡田薫は﹁﹃仮名文字遣﹄の諸本の系統について﹂︵立教大学日本学研究 所年報第八号︑二〇一一年︶において︑﹁文明十一年本と永禄九年には八十数年の間が開いており︑系統としては︑文明十一年と永禄九年の関係は深いと考えられるが︑当時において落丁があったかどうかについては︑永禄九年本が他の﹃假名文字遣﹄を参考にしたことも考えられなくもないため︑落丁の部分を補足する行為はあくまでも推測の域をでないと思われる﹂︵九十八頁︶と述べる︒右の引用においては︑﹁文明十一年﹂とあるべきと思われる箇所が﹁文明十一年本﹂となっていたり︑逆に﹁文明十一年本﹂﹁永禄九年本﹂とあるべきと思われる箇所に﹁本﹂が抜けていたりと表現が不整にみえるがそれはそれとする︒︵4︶ 原﹃仮名文字遣﹄において︑﹁出典注記﹂﹁万葉﹂が書かれていた

項目があったとして︑ある時点の書写者が︑﹁万葉﹂と書かれていない項目について︑自らの﹁知識/判断﹂によって﹁万葉﹂と書くことはあり得るとみておくしかない︒となれば︑原﹃仮名文字遣﹄の﹁原﹂をどこまでの厳密さで考えるかということになるが︑各項目がどうであったかというような具体的なレベルで原仮名文字遣﹄を考えることは難しいと言わざるをえない︒︵5︶ ﹃袖中抄﹄は見出し項目﹁わ人 我人 袖中抄也﹂︵わ部︶にみられる︒︵6︶ ﹁をのつから 自 源氏在﹂﹁慶長版本﹂には﹁をのつから 自﹂

とあって︑こちらには﹁出典注記﹂がみられない︒﹁わかむとほり王家無等倫源氏在﹂は︑この見出し項目そのものが﹁慶長版本﹂にみられない︒前者に関していえば︑いずれかの時点での書写者が︑﹁をのつから﹂という語を﹃源氏物語﹄と結びつける﹁必要性﹂を認めなかったために︑﹁出典注記﹂が削られたということも考えられる︒逆に︑いずれかの時点での書写者が︑﹁出典注記﹂を加えるということも考えられる︒﹁文明十一年本﹂には﹁出典注記﹂がみられず︑﹁慶長版本﹂にはそれがみられるという見出し項目は︑﹁あなうめ 穴倦目﹇古今/在之﹈︵う部︶﹁ゐなみの 印南野﹇万葉/

﹈ ﹂

︶ ﹁

り 

﹇伊勢物語ニ/アリ﹈﹂︵い部︶など

(14)

少なくない︒︵7︶ ﹁かなづかい﹂に関して︑﹁正しいかなづかい﹂があるとすれば︑

それは︵通常は︶一つであるはずだが︑﹃仮名文字遣﹄は複数の﹁かなづかい﹂を示すことがある︒それは﹁文明十一年本﹂のように︑﹁所収用例数﹂が比較的少ないテキストにもみられる︒例えばに 鬼 をに共﹂︵お部︶﹁をもの飯 おもの共﹂︵を部︶﹁をよそ凡 おほよそ共﹂︵を部︶などとある︒一つ一つの見出し項目について︑書写の過程などをも考え併せた場合に︑複数の﹁かなづかい﹂を示していることの﹁意味合い﹂は異なる可能性があろうが︑それでも複数の﹁かなづかい﹂を示していることはたしかである︒﹁長版本﹂のように︑総﹁所収用例数﹂が多いテキストになると︑複

数の﹁かなづかい﹂を示す場合はより多くなる︒そこには﹁こえた﹇こゑたり/とも﹈肥満﹂︵え部︶とある一方で︑ゑ部に﹁こゑたり肥﹂とあるような場合も含まれる︒したがって︑﹃仮名文字遣﹄はそもそも﹁正しい唯一のかなづかい﹂を示そうとはしていな いと推測する︒︵8︶ 架蔵本は上中下三冊に仕立てられており︑各冊の初丁上部に﹁保田文庫﹂の朱印がおされ︑表紙見返しには﹁保田文庫﹂と記された図書整理票のようなものが貼られている︒下巻末尾に﹁元禄十一年五月初八日契沖述作/和字正濫要略下巻終﹂とあり︑次の丁から次次丁にかけて﹁此書は密乗の沙門契沖述作する所也むかし/和字正濫抄五巻をあらはすいはゆる古書を引證して/歌道のたよりとすしかるに武江の橘成員︵ナリカズ︶といへる人/和字通例書八巻をあらはして新古の仮名をまじへ/正濫を誹謗する事はなはだしさるによりて師/古書により書べきむねを此書につぶさにのべ/たまひ正濫にもそへ書したまへりきすべて古人のさ/だめおきけるかなをたがへてみだりに俗にしたがふべから/ざる事此書に見えたるがごとし于時寶永己丑/正月於六波羅蜜寺邊校畢契沖門人/洛東隠士似閑﹂とある︒

新 刊 紹 介

岩山泰三著

﹃一休詩の周辺

 

││漢文世界と中世禅林

  本書は中世禅林の僧︑一休宗純の漢詩集

﹃狂雲詩集﹄に収録された詩を中心に︑一

休詩をその周辺たる五山詩との比較文学的

な視座から論考したものである︒

  構成は附章を含む全五章となっており︑

第一章では一休と五山僧の八景詩を比較す ることで︑﹁断絶された現実﹂としての一

休独自の八景の捉え方を明らかにしてい

る︒第二章では詩人賛を通して︑杜牧・林

和靖・杜甫といった中国の詩人が一休には

五山詩における一般的な評価とは異なる

﹁統一的に疎外された批判的存在﹂として︑

自身の生き方を重ねるかのように詠まれて

いたことを指摘している︒そして第三章︑

第四章では︑楊貴妃に代表される中国古典

文学における女性が︑五山僧と一休の詩の

中ではそれぞれどのような素材として詠み

込まれていたのかを考察している︒これに よって︑それぞれが望んだ現実社会との関わり方のはっきりと異なることが示される︒  本書は一休詩の特殊性を明らかにしているだけでなく︑結果としてその比較対象たる五山詩の特徴をも強く浮かび上がらせるものとなっている︒五山文学の研究としてもたいへん示唆的なものであると言えるであろう︒︵二〇一五年十一月  勉誠出版  A5判 

四六九頁  本体一二〇〇〇円︶

 ︹松葉友惟︺

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