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朝鮮人学校存廃問題の歴史過程 1945-1957 ―グローバル・ヒストリーの視点から―

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(1)博士論文. 朝鮮人学校存廃問題の歴史過程. 1945-1957. ―グローバル・ヒストリーの視点から―. 早稲田大学大学院政治学研究科 政治学専攻. 国際関係領域. 崔紗華.

(2) 目次 序章 ............................................................................................................................................ 1 第一節. 問題の所在........................................................................................................... 1. 第二節. 先行研究の検討と本稿の独自性......................................................................... 4. 第三節. 本稿の目的と視座 ............................................................................................... 7. 第四節. 本稿の主要な論点と構成.................................................................................. 12. 第五節. 研究方法 ............................................................................................................ 13. 第六節. 使用した史料と概念の定義 .............................................................................. 16. 第一部 第一章. 占領期日本における朝鮮人学校―閉鎖への抵抗と自律性維持への模索― .......... 18 朝鮮人学校の設立と 1.24 朝鮮人学校閉鎖令........................................................ 20. 第一節. 朝鮮の解放と朝鮮人学校の設立....................................................................... 20. 第二節. 日米両政府の国内管理政策の形成................................................................... 31. 第三節. 1.24 学校閉鎖令、朝鮮人学校の私立化 ........................................................... 41. 第二章. 冷戦の激化と朝鮮人学校....................................................................................... 49. 第一節. 山口県下朝鮮人学校に対する管理政策 ........................................................... 49. 第二節. 私立朝鮮人学校に対する国費援助................................................................... 62. 第三節. 10.19 学校閉鎖令と国内外の反応..................................................................... 67. 第三章. 朝鮮人学校の公立化............................................................................................... 79. 第一節. 山口県 ................................................................................................................ 79. 第二節. 岡山県 ................................................................................................................ 83. 第三節. 神奈川県 ............................................................................................................ 95. 第四節. 兵庫県 ................................................................................................................ 99. 第五節. 東京都 .............................................................................................................. 106 i.

(3) 第六節. 大阪府 .............................................................................................................. 114. 小括 ........................................................................................................................................ 123 第二部 対日講和条約締結後の朝鮮人学校―国際政治との相互作用・北朝鮮との越境的関 係の形成― ............................................................................................................................. 127 第四章. 国際問題から日本の問題へ ................................................................................. 128. 第一節. 対日講和条約の締結と南北朝鮮の参加問題.................................................. 128. 第二節. 日韓予備会談と在日朝鮮人の教育問題 ......................................................... 137. 第五章. 私立各種学校化への道......................................................................................... 152. 第一節. 対日講和条約締結後の朝鮮人学校政策 ......................................................... 153. 第二節. 東京都立朝鮮人学校の実態 ............................................................................ 155. 第三節. 日朝共同闘争の展開........................................................................................ 162. 第四節. 在日朝鮮人の就学義務の停止と公立朝鮮人学校廃止の見送り.................... 175. 第五節. 民戦における闘争方針の見直し..................................................................... 179. 第六節. 北朝鮮政府と総連の越境的関係の形成 ......................................................... 186. 第七節. 都立朝鮮人学校の廃止決定 ............................................................................ 190. 第八節. 私立各種学校という選択................................................................................ 200. 第六章. 北朝鮮の「平和的統一」政策と対日接近........................................................... 207. 第一節. 武力統一から「平和的統一」へ..................................................................... 209. 第二節. 北朝鮮の「平和的統一」政策 ........................................................................ 213. 第三節. 対南革命戦略の転換........................................................................................ 218. 第四節. 北朝鮮政府の対日接近.................................................................................... 221. 第五節. 対日人民外交の展開........................................................................................ 224. 第六節. 在日本朝鮮人総聯合会の結成と朝鮮人学校の再編 ...................................... 231 ii.

(4) 第七章. 北朝鮮からの教育援助費と奨学金...................................................................... 245. 第一節. 北朝鮮政府の送金の意図................................................................................ 248. 第二節. 総連の教育費受け入れ運動と日本政府の黙認.............................................. 256. 第三節. 日本赤十字社と送金の受け入れ..................................................................... 261. 第四節. 教育費の用途................................................................................................... 271. 小括 ........................................................................................................................................ 277 終章 ........................................................................................................................................ 280 第一節. 本稿のまとめ................................................................................................... 280. 第二節. グローバル・ヒストリーとしての朝鮮人学校.............................................. 289. 第三節. 本稿の意義と課題 ........................................................................................... 291. 付録 ........................................................................................................................................ 294 年表 ........................................................................................................................................ 301 参考文献................................................................................................................................. 305. iii.

(5) 序章. 第一節 問題の所在. 2020 年現在、グローバル化が進展する中で、それぞれの国家社会の内側でも多様化が進 み、異文化との共存がますます重要な課題となっている。日本もその例外ではない。多様 化する日本社会では、 多文化共生の実現をはかることが一層重要な課題とされている。 1990 年代、日本の地域レベルで始まった多文化共生は、2006 年には政府の施策として掲げられ るようになった。2006 年 3 月、総務省は「多文化共生の推進に関する研究会報告書―地域 における多文化共生の推進に向けて―」を発表し、多文化共生に関する政府の総合的な方 針を示した。その報告書において、総務省は多文化共生を「国籍や民族などの異なる人び とが互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員 としてともに生きていくこと」1 と定義した。多文化共生を推進しようとするこのような対 応は重要な施策であることは間違いないであろう。 しかし、日本政府の多文化共生政策は重要な問題を顕在化させた。それは、日本の多文 化共生政策が、歴史を無視した上に成り立っているということである。日本政府の多文化 共生政策が、共生の対象として念頭に置いているのは、日本への新規移住者である。それ ゆえに、その施策の多くは新規移住者に対する日本語教育や多言語発信などの言語支援に 偏重しているという問題がある2 。それに対し、戦前から日本の内なる多様性を構成してき た先住民、オールドカマーは、共生の対象から排除されてきた3 。それゆえに、彼らは独自 の文化を保全するために多くの困難に直面してきたのである。つまり、日本の多文化共生 政策は多様な他者との「対等な関係」を築くことを謳いながらも、共生すべき対象と共生 する必要のない対象とを選別してきたといえる。 本稿が着目する朝鮮人学校は、日本の内なる多様性を長期にわたって構成してきた一つ の主体である。朝鮮人学校を含め、日本には多くの外国人学校が存在する。これらの学校 は、言語や文化など民族独自の生活様式を学べる場所である。それゆえに、外国人学校に 1. 総務省「多文化共生の推進に関する研究会報告書―地域における多文化共生の推進に向 けて―」 『総務省』、(2006 年)、2020 年 1 月 5 日閲覧、http://www. soumu. go.jp/kokusai/p df/sonota_b5.pdf 2 竹沢泰子「移民研究から多文化共生を考える」日本移民学会編『移民研究と多文化共生』、 (御茶の水書房、2011 年)、p. 6。 3 同上。 1.

(6) 対する日本政府および日本社会の対応を見ることは、現在の日本の多文化共生の実態を知 るうえで重要な手がかりを与えるといえよう。 近年、外国人学校に対する日本政府の施策は少しずつ変化しつつある。たとえば、従来 日本の公立学校や私立学校などの学校教育法第一条で定められる学校(一条校)4 のみに適 用されてきた「特定公益増進法人制度」は、一条校ではない外国人学校にも適用され始め たのである。2003 年 3 月 31 日、日本政府は私立各種学校であるインターナショナルスク ール 13 校に同制度を適用したのである。 海外からの優秀な人材を呼び込む手段として捉え た日本経済団体連合会(経団連)や日本政府の意図があったものの、同制度を私立各種学 校に適用したことは画期的であった5 。また、2010 年 3 月 31 日に施行された「高等学校等 就学支援金制度」は、日本の国公私立を問わず全ての学校に適用され、順次多くの外国人 学校にも適用された。たとえば、東京韓国学校6 、横浜中華学院7 、コリア国際学園8 にもこ れが適用された9 。 しかし、朝鮮人学校にはいずれの制度も適用されなかった。日本政府の意図に鑑みれば、 朝鮮人学校は海外から優秀な人材を呼び込む機能を果たすわけではない外国人学校には、 4. 学校教育法第一条では、「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育 学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする」と定めら れている。 5 日本経済団体連合会ウェブページ「インターナショナルスクール問題についての提言― グローバル化時代に対応した教育基盤の整備に向けて―」 『日本経済団体連合会』2002 年 6 月 14 日、2020 年 1 月 5 日閲覧、https://www.ke idanren.or.jp/japanese/policy/2002/031/index.h tml; 「衆議院文部科学委員会第 7 号」『国会議事録』2003 年 4 月 2 日 河村建夫文部科学 副大臣『国会議事録検索システム』、2020 年 1 月 5 日閲覧、http://kokkai.ndl.go.jp/ 6 東京韓国学校は、1954 年 4 月に在日本大韓民国居留民団が設立した学校である。 7 横浜中華学院は、1897 年に孫文により設立された学校である。設立当時は、中西学校と いう名称であったが、1898 年に大同学校に校名を改めた(横浜中華学院ホームページ『横 濱中華學院』、2020 年 1 月 5 日閲覧、http://www.yocs. jp/YOCS/japanese.php)。1952 年には、 中華民国と中華人民共和国を支持する者の間で対立が生じ、前者の者が同校に残り後に中 華民国教育部から認定を受ける学校となった。 (裘暁蘭「日本における華僑・華人教育に関 する研究―多文化・多民族社会に向けての教育の再構築と課題―」博士論文、早稲田大学、 (2007 年)、115-116 頁。 ) 8 コリア国際学園は、2008 年大阪府茨木市に設立した学校である。在日リアンへのオルタ ナティブな教育を提供することを目指した学校として設立した。(鄭康烈「第五章平和の 担い手としての越境人を育てる」金敬黙編『越境する平和学―アジアにおける共生と和解 ―』、(2019 年、法律文化社)、119 頁。) 9 文部科学省「高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則第一条第一項第四号 イ及びロの各種学校及び団体を指定する件」 平成 22 年 4 月 30 日文部科学省告示第 82 号『文 部科学省』、2020 年 1 月 5 日閲覧、http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/1320158. htm; 文部科学省「高等学校等就学支援金制度の対象として指定した外国人学校等の一覧」 『文部科学省』、2020 年 1 月 5 日閲覧、http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/130 7345.htm 2.

(7) 「特定公益増進法人制度」を適用できないということである。また、2013 年 2 月 20 日に は「高等学校等就学支援金制度」から朝鮮人学校は適用除外とされることとなった。その 理由として文部科学省(文科省)があげたのは、 「拉致問題の進展がないこと」や朝鮮人学 校と「朝鮮総連との密接な関係」の存在であった10 。要するに、特定の政府や学校を管轄 する組織との関係を理由に、朝鮮人学校は同制度の適用から除外されたのである。 さらに、1970 年代以降各地方自治体が朝鮮人学校に供与してきた補助金は、近年凍結さ れつつある。朝日新聞のアンケートによれば、2006 年から 2007 年に 28 都道府県で交付さ れてきた補助金は、2017 年には 16 都府県で凍結された 11 。16 都府県の地方自治体がいず れも予算を計上しなかったのである。その主な理由としてあげられたのは、北朝鮮の動向 や 2016 年 3 月 29 日に文科省が発した「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点につい て」 12 という通知であった。その通知とは、朝鮮人学校が北朝鮮と密接な関係を有する総 連と密接な関係にあるため、朝鮮人学校に対する補助金の交付について「趣旨、目的に沿 った適正かつ透明性のある執行の確保及び住民への情報提供を」を求めたものである。文 部省は、 「減額を促す意図はない」13 とのことであったが、朝鮮人学校が北朝鮮や総連と密 接な関係を維持していることに日本政府が警鐘を鳴らし、それらの自治体がこれに呼応し たことは確かであろう。 以上のように、朝鮮人学校が私立各種学校であること、そして北朝鮮や総連との密接な 関係を維持していることが、日本政府による適用除外の正当化の論理として利用され機能 している。冒頭で示したように、日本の多文化共生政策は「国籍や民族の異なる人びと」 が「ちがいを認め合い」そして「対等な関係」を築くことだと謳ってきた。しかし、日本 政府の朝鮮人学校の対応に鑑みれば、内なる多様性を構成してきた多くの在日朝鮮人が共 生の対象から排除されているといっても過言ではない。 10. 文部科学省ホームページ「下村博文文部科学省記者会見録」『文部科学省』2020 年 1 月 5 日閲覧、http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1329446.htm; 「高等学校等就学支援金 の支給に関する法律実施施行規則」の一部改正。この改正では第一条第一項第二号のハが 削除 (「ハ.そのほか、文部科学大臣が定めるところにより、高等学校の課程に類する課程 を置くものと認められるものとして、文部科学大臣が指定したもの」 )された。この削除に より、朝鮮人学校は高等学校等就学支援金制度から適用除外となった。 11 「朝鮮学校補助、16 都府県が停止―北朝鮮動向や文科省通知受け 今年度、朝日新聞調 査―」 『朝日新聞デジタル』2017 年 8 月 6 日、2020 年 1 月 5 日閲覧、http://www.a sahi.com/ shimen/20170806/index_tokyo_list.html 12 文部科学省「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について(通知)」 『文部科学省』、 2019 年 1 月 31 日閲覧、http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1369252.htm 13 「朝鮮学校 3 県が補助金不交付 16 年度、文部省通知で」『毎日新聞』、2017 年 4 月 13 日、2020 年 1 月 5 日閲覧、https://mainichi.jp/articles/20170413/k00/00m/040/144000c 3.

(8) 朝鮮人学校が私立各種学校としての法的地位を見直し、また北朝鮮や総連との関係を見 直すことで教育支援制度の適用を目指せばよいと論ずることはできよう。しかし、それ以 前に、朝鮮人学校がなぜ、 そしてどのようにして現在の状況に置かれることになったのか、 その歴史的経緯を明らかにすることが重要であろう。そもそもなぜ朝鮮人学校が私立各種 学校として位置付けられ、北朝鮮政府や総連との関係を築くに至ったのか、そして日本政 府は朝鮮人学校の歴史にいかに関わってきたのだろうか。. 第二節 先行研究の検討と本稿の独自性. 朝鮮人学校を対象とした研究には、数々の貴重な先行研究が蓄積されてきた。本節では、 これらの先行研究の特色について、主にそれらが据えている分析視角に重点を置いて検討 を加えたい。なお、それぞれの章において取り扱われる個別具体的な内容に直接かかわる 先行研究については、各章において紹介し検討を加えることとする。本節では、先行研究 を教育史と教育制度史の研究という二つのカテゴリーに分類して検討する。 第一に、従来の研究の多くは、とりわけ教育史の観点からの著作が多いが、これらの研 究では朝鮮人学校の存続プロセスが描かれる際、主として日本政府からの抑圧に対する朝 鮮人学校側の抵抗や運動にその要因が求められてきた14 。すなわち、朝鮮人学校側が抵抗 を続けた結果、 朝鮮人学校が存続したと説明されてきたのである。 朝鮮人学校側の運動が、 私立各種学校としての存続の一つの重要な要素となったことは否定することはできない。 これらの研究に共通しているのは、日本政府と朝鮮人学校という二つの主体間の対立関 係に主たる関心を振り向けてきた点である。いわば「二項対立」的な図式に依拠している のである。たとえば、小沢有作は、日本政府の政策と在日朝鮮人の教育運動の相互作用に 着目し、政府と運動の対抗という図式に沿って在日朝鮮人の教育の歴史的展開を、通史的 に描いた。小沢は、日本政府による教育政策を「同化教育」15 と特徴づけ、戦前における 14. 小沢有作『在日朝鮮人教育論―歴史編―』 (亜紀書房、1973 年)、[以下、 『在日朝鮮人教 育論』と略記]; 朴慶植『解放後在日朝鮮人運動史』 (三一書房、1989 年);金徳龍『朝鮮学 校の戦後史―1945-1972―』、(社会評論社、2002 年) 、[以下、『朝鮮学校の戦後史』と略 記]; 呉永鎬『朝鮮学校の教育史―脱植民地化への闘争と創造―』(明石書店、2019 年) 。 15 小沢は、「同化教育」を「文化的、精神的な伝統・生活・態度の破壊を企てる」ための 「中心手段」と述べ、その本質は「朝鮮の子どもからことばを奪い、かわりに日本語を強 要し、朝鮮の歴史や文化を奪って日本の天皇制の歴史や文化を注入」し、「朝鮮の子ども を〈天皇の奴隷〉に変えてしまうことにあった」と述べている(小沢有作『在日朝鮮人教 育論―歴史編―』(亜紀書房、1973 年)、6 頁。[以下、 『在日朝鮮人教育論』と略記]) 。 4.

(9) 「同化教育」が戦後においても連続したと主張する。そのうえで、戦後の在日朝鮮人によ る「民族教育」が、 「同化教育」の連続性の下で弾圧を受けてきたと論じた。つまり、小沢 は「同化教育」政策に対抗した在日朝鮮人の「民族教育」を守る闘いが学校の存続に繋が キ ムト クリョン. ったと説明している。さらに金徳 龍 の研究は、朝鮮人学校側の史料を用い、朝鮮人学校側 の様相を詳述した点で重要な実証的研究である。小沢が日本政府の弾圧という局面に分析 と叙述の重点を置いているのに対し、金は朝鮮人学校の抵抗と運動が「存続」を勝ち取っ オ ヨン ホ. た側面に重点を置いている。また、呉永鎬は「かつての植民地被支配者である在日朝鮮人 の視点に立ちながら朝鮮学校の教育史」を描き、それによって「脱植民地化と教育の関係」 を明らかにした16 。呉は、朝鮮人学校の教育は、本国とは異なる独自の脱植民地化を遂げ たと結論づけた。以上のように、この図式に依拠する限り、朝鮮人学校の存続は、日本政 府による抑圧に対する朝鮮人学校側の抵抗という分析に留まってしまうのである。 第二に、近年「二項対立」の分析視角を脱却する試みとして、地方自治体の役割や日韓 関係に光をあてた教育制度史の研究が増えつつある17 。このような研究の中で、最も代表 的なものとして、マキー(藤原)智子の研究があげられる。この研究では、朝鮮人学校側 の要求と地方自治体の対応によって朝鮮人学校が私立各種学校化したと主張されている18 。 マキーは、朝鮮人学校が私立各種学校化した例の一つとして、神奈川県の朝鮮人学校を取 り上げ、分析を試みた。それによれば、民族教育を正式に承認することを求めた朝鮮人学 校と、朝鮮人学校を公立のまま維持することを不適当と判断した神奈川県の判断によって、 朝鮮人学校は私立各種学校として認可された。一方、日韓国交正常化後に抜本的な改革を 行うことを構想した文部省は、 それまで公立朝鮮人学校を廃止せず現状維持を貫こうとし、 神奈川県の対応に反対した。それに対し、そのような文部省の構想に期待し得なかった神 奈川県や県内三市は、独自の判断に基づいて県内の朝鮮人学校を私立各種学校化したと、 マキーは論ずる。マキーの研究は、このような地方自治体の動向を詳細に分析し、また日. 16. 呉永鎬『朝鮮学校の教育史、20 頁。 たとえば、今里幸子「神奈川における在日朝鮮人の民族教育―1945~1949 を中心に―」 『在日朝鮮人史研究』39、(2009 年)、163-191 頁; 松下佳弘「占領期京都市における朝 鮮人学校政策の展開―行政当局と朝鮮人団体との交渉に着目して―」 『日本の教育史学―教 育史学会紀要―』54、(2011 年)、84-96 頁; 松下佳弘「占領期朝鮮人学校の教育費問題 ―『国庫負担請願』の背景とその意味―」 『朝鮮史研究会論文集』50、(2012 年)、177-201 頁; 松下佳弘「朝鮮人学校閉鎖措置以降の私立学校設置認可―京都府の事例から(1949 年 ~53 年)―」『研究紀要』24、(2019 年)、47-77 頁など。 18 マキー(藤原)智子「在日朝鮮人教育の歴史―戦後日本の外国人政策と公教育―」博士 論文、北海道大学、 (2014 年) 、[以下、「在日朝鮮人教育の歴史」と略記]、95 頁。 5 17.

(10) 韓関係という国際的要因についても触れた点において、重要な試みであるといえる。 この研究の特色と、それに関わる問題点は、大きく次の二点にまとめられる。第一に、 教育制度史としての性格上、分析の視野が教育制度形成プロセスに直接かかわった要因 (immediate factor)に収斂している点である。第二に、第一の問題点の一つの帰結として、 日本政府対朝鮮人学校という図式からの離脱を試みつつも、方法論上の前提として国民国 家を基礎的単位として据えている点である。それは、方法論的ナショナリズ ム (methodological nationalism)といわれるものである。方法論的ナショナリズムとは、政治 的または思想的なナショナリズムを指すのではなく、ある現象の考察をする上で国家を基 本的な思考単位とする枠組みである19 。この枠組みに依拠する限り、分析の射程が日本国 内に限定され、自ずと分析対象も日本国内のアクターに限定されてしまう。さらに、日本 という国民国家の領域内におけるプロセスにもっぱら着目した結果、日本という領域を超 えて起こる事象は捨象されてしまうのである。 以上のように、朝鮮人学校の存続プロセスに関する研究は、主に教育史、教育制度史の 分野において進展してきたが、本稿は朝鮮人学校の存廃をめぐる問題を、異なる切り口か ら分析することを試みる。それは、後に詳述するように国際関係史、グローバル・ヒスト リーの視座からの切り口である。これらの視座を据えることによって、朝鮮人学校を私立 各種学校へと導いた複合的な要因を解明することを、本稿は試みる。次節で詳述するよう に、朝鮮人学校の私立各種学校化のプロセスには、日本政府、地方自治体、朝鮮人学校ば かりでなく、北朝鮮政府、韓国政府が直接的ないし間接的に関わっていたのである。さら には、日本赤十字社や赤十字国際委員会も非政府主体としての重要な役割を果たしていた。 また、冷戦の展開という大局的な変化もまた、これらアクターの動向に大きな影響を及ぼ した。すなわち、朝鮮人学校の私立各種学校化には、多様な要素が関わっており、それら の要因が複合的に交錯していたといえる。それゆえ、朝鮮人学校の私立各種学校化のプロ セスを解明するには、より多層的な側面に光をあてる必要がある。本稿は、二項対立的な 図式および方法論的ナショナリズムを脱却し、グローバル・ヒストリーの視点を設定して 要因の交錯状況を明らかにする。 19. Andreas Wimmer, Nina Glick Schiller, “ Methodological nationalism and beyond: nation-s tate building, migration and the social sciences,” Global Networks 2(4), (2002): 302, acces sed November 12 2019, https://onlinelibrary.wiley.com/toc/14710374/2002/2/4; 佐藤成基「第 1 章 国家/社会/ネーション―方法論的ナショナリズムを超えて―」佐藤成基編著『ナショ ナリズムとトランスナショナリズム―変容する公共圏―』、 (法政大学出版局、2009 年)、1 3 頁。 6.

(11) 第三節 本稿の目的と視座. 本稿の目的は、朝鮮人学校が私立各種学校として存続する環境が如何に形成されたのか について歴史的に明らかにすることである。現存する朝鮮人学校の多くは、1960 年代後半 から 70 年代前半における革新自治体の登場によって私立各種学校として認可された。 それ ゆえ、朝鮮人学校の私立各種学校化を分析する際には、その時期における地方自治体の意 図や朝鮮人学校側の運動に焦点が置かれ、私立各種学校化という教育制度形成プロセスに 直接かかわった要因に収斂してきた。 それに対し、本稿の主眼は、私立各種学校としての存続を可能にした初期条件が形成さ れた過程について分析することにある。つまり、1960 年代以前に展開された国際関係、北 朝鮮政府と在日朝鮮人の越境的な関係、在日朝鮮人社会のあり方などを多角的に検討する というものである。いわば、本稿は 1960 年代後半以降、地方自治体が朝鮮人学校を認可す るに至った長期的な条件を模索するものであり、1960 年代以降の一連の私立各種学校化の 「前史」として位置付けられる。 その際、本稿では、朝鮮人学校が日本全国に設立された 1945 年から、私立各種学校化 への初期条件が形成された 1957 年までの期間に焦点をあてる。それは、1957 年までに朝 鮮人学校が自主的な運営費によって自主的な教育を実施する環境を整えたからである。そ のような環境が創出するまでの状況について、朝鮮人学校が設立した 1945 年から検討する というものである。 本稿では、朝鮮人学校が私立各種学校として存続する過程をグローバル・ヒストリーの 視座から検討することによって、日本政府の弾圧や在日朝鮮人の運動の成果、そして地方 自治体の役割といった従来の議論だけでは説明できなかった点を明らかにすることを試み た。その結果、明らかになったのは、対日講和条約の発効に伴う日本の朝鮮半島に対する 主権喪失論、在日朝鮮人運動の転換と北朝鮮政府による在日朝鮮人の在外国民統合といっ た複合的な要因が交錯することによって、朝鮮人学校が私立各種学校として存続する条件 が形成されたのではないかというものである。これらの要因が交錯することによって、在 日朝鮮人は自主的な教育を自主的な資金により実施できる環境が整ったのではないだろう か。 占領期から対日講和条約発効後に至るまで、在日朝鮮人は一貫して自主的な教育の実施 7.

(12) を要求してきたが、学校の位置付けは、その当時の民族団体の運動方針および日本政府の 対在日朝鮮人政策、本国政府の関わり方に大きく左右された。占領期において、在日朝鮮 人は自主的な教育を実施できる環境を十分に確保することができなかった。それは日本政 府および総司令部によって在日朝鮮人は日本国籍保有者と見なされ日本の法律への遵守が 義務付けられたためであった。一時的に朝鮮人学校は私立学校として位置付けられたもの の、自主的な教育は課外に限られ、また学校に対する公費援助はなされなかった。その後、 公立学校として位置付けられた朝鮮人学校には自治体からの公費が賄われたが、朝鮮人学 校の教育は日本政府の厳しい監視のもとに置かれることとなった。 1952 年 4 月の対日講和条約の発効と 1950 年代半ばに形成された北朝鮮政府と在日朝鮮 人の越境的な関係は、 在日朝鮮人による自主的な教育を実施する環境を創出するに至った。 対日講和条約の発効によって、日本政府の朝鮮半島に対する主権喪失論が展開され、それ に伴い日本政府内では公立朝鮮人学校不要論が主張された。対日講和条約の発効によって、 在日朝鮮人が日本国籍を失効するゆえに、朝鮮人学校を日本の公立学校として位置付ける 必要性がなくなったということである。日本政府の公立朝鮮人学校不要論は排他的な政策 であったものの、朝鮮人学校の意向とも合致した。1950 年代半ばに形成された北朝鮮政府 と朝鮮人学校との越境的な関係が、在日朝鮮人の民族意識を高揚させた。その結果、朝鮮 人学校は独自の教育を実施する環境を整えようと試み、公立学校としての廃止を決定し私 立各種学校への道を選択したのであった。 そして、1957 年に北朝鮮政府から送られた教育費は、自主的な運営費によって自主的な 教育を実施する環境を創出するに至った。北朝鮮政府による送金は、対南政策および対日 政策を達成する手段として送られたものの、これは朝鮮人学校が私立各種学校として存続 するための基盤を確保したことにほかならなかった。この送金は、北朝鮮政府の意向だけ で実施することは難しく、日本政府および日本赤十字社による受入れ態勢が整備によって 実現したのであった。以上の曲折を経て、朝鮮人学校が私立各種学校として存続する基盤 が形成されたのであった。 以上を踏まえ、本稿は次のような視座を据え、朝鮮人学校が私立各種学校として存続す る初期条件の形成プロセスについて論じる。第一に、国際関係の視座である。朝鮮人学校 のあり方は、日本と朝鮮半島における過去の植民地支配をめぐる認識と、1940 年代半ばか ら顕著になったグローバルな冷戦の展開に大きく規定された。いうまでもなく、在日朝鮮 人とは、日本の植民地支配の結果として生み出された人々である。朝鮮半島が日本から解 8.

(13) 放されることで、在日朝鮮人は植民地支配の残滓からの解放を実践するために朝鮮人学校 を自主的に設立したのであった。しかし、日本政府、朝鮮本土の間では戦前の日本の統治 に対する異なる認識や、その認識に基づいた異なる清算のあり方が存在した。そのような 認識の違いが、 戦後の在日朝鮮人の法的地位や朝鮮人学校のあり方を規定したのであった。 さらに、朝鮮人学校の存廃に影響を与えたのは、過去の植民地支配をめぐる日本と朝鮮 半島の認識ばかりではなかった。戦後展開された東西冷戦もなお重要な要因であった。日 本を占領した米国政府は、1940 年代後半に始まり深刻化した冷戦により、日本の戦後処理 よりも日本を西側陣営へ引き込む政策を優先した。その結果、戦後処理の一環としての植 民地支配に対する清算は軽視されることとなったのである。朝鮮半島は、冷戦の北東アジ アにおける最前線となった。 アジア太平洋戦争の終戦によって日本が朝鮮半島から引揚げ、 朝鮮半島に生まれた力の真空を埋めようと米ソ超大国は朝鮮半島の南北をそれぞれ占領し た。米ソによる占領は、半島内部に存在した民族解放勢力と結びつき、1948 年に南には自 由主義国家として大韓民国が樹立され、北には共産主義国家として朝鮮民主主義人民共和 国が樹立されることとなった。その結果、韓国も北朝鮮も冷戦という大局的な国際政治状 況の変化からの影響から逃れることは不可能となった。このような冷戦のあり方は、南北 朝鮮のあり方はもとより、日本と南北両朝鮮との国際関係のあり方を強く規定し、在日朝 鮮人の生活基盤にも大きな影響を及ぼした。その生活基盤の一環である教育環境も国際政 治の変化の影響から逃れえなかったのである。 第二に、越境的(transborder)な視座である。本稿では、在日朝鮮人と本国との関係を 「越境的な関係」と呼ぶ。越境的な関係とは、国家と国境外の住民との間の結びつきや連 帯を指すものとする。在日朝鮮人と北朝鮮の関係は、物理的な国境は超えていても、その 関係においては国民国家の延長線上にあると捉えられる20 。このような在日朝鮮人と北朝 鮮との関係は、国家を超える動向を指す「脱国家的(transnational)」な現象とは言いがた いため、本稿では越境と脱国家は異なる事象として区別した。 アジア太平洋戦争における日本の敗戦によって、日本の植民地支配は終焉を迎えた。そ れに伴って、日本に残留した朝鮮人は、在日朝鮮人といういわば国境を越える主体となっ た。越境主体である彼らは、祖国との繋がりをもつがゆえに、北朝鮮または韓国政府の動 向から国境を越えた直接的または間接的な影響を受けた。在日朝鮮人は、日本という国民 20. Rogers Brubaker and Jaeeun Kim, “ T ransborder Membership Politics in Germany and Korea,” European Journal of Sociology 52(1), (2011): 2. 9.

(14) 国家の内部に生活の拠点を置いていたが、その一方で朝鮮半島との繋がりを重視し、それ を維持してきた。在日朝鮮人は日本の情勢ばかりでなく本国の情勢に多大な関心を維持し て来たのである。在日朝鮮人が、日朝関係や日韓関係の展開からも影響を受けざるを得な かったことはいうまでもない。同時に、朝鮮半島の南北両政府も在外同胞に対する関心を 示し、彼らを自国民として包摂しようとする政策を打ち出していたのである。それゆえ、 朝鮮人学校の存続プロセスを描く際、日本国内での事象ばかりでなく本国政府との越境的 な関係も分析の射程に入れる必要がある。 第三に、国家、政府の視座である。在日朝鮮人に対する日本政府の政策がいかなるもの だったのか、そしてその政策が朝鮮人学校のあり方にいかなる影響を及ぼしたのかという 視点である。日本政府が在日朝鮮人に対するどのような認識を抱き、どのような政策を立 案したのか。在日朝鮮人が日本に生活の拠点を置く以上、在日朝鮮人は日本政府の影響か ら逃れることは困難であった。日本政府の対在日朝鮮人政策は、対日講和条約の発効を契 機に、大きく転換する。日本が占領下におかれていた時には、日本政府は在日朝鮮人を日 本国籍保有者であると規定し、在日朝鮮人にも就学義務を課し、朝鮮人学校を一条校とし て位置付けてきた。それに対し、対日講和条約発効後は、在日朝鮮人の日本国籍を失効せ しめ、在日朝鮮人の就学義務を停止し、朝鮮人学校を公教育制度の枠外に置く方向に舵を 切ったのである。このような日本政府の対在日朝鮮人政策は、朝鮮人学校の存廃のあり方 を規定する重要な一要因であったといえる。 第四に、ローカルの視点である。地方自治体の動向について進展している近年の研究も 示しているように重要である。日本の地方自治体は日本政府と必ずしも同一軌道に乗って いたわけではなく、自治体によっては日本政府と一定の緊張関係を持ちつつ、それぞれの 地方に合う対朝鮮人学校政策を見出してきたのである。 第五に、在日朝鮮人コミュニティの視座である。すなわち、植民地支配や国家間関係に 翻弄された移住マイノリティーの視点から、在日朝鮮人の自律性にも焦点を当てるという ことである。朝鮮人学校は、その設立直後から在日朝鮮人組織の管轄下に置かれた。これ らの組織は、当初は在日朝鮮人によって個別的にかつ自主的に設立されたものであったが、 次第に在日朝鮮人社会の中でも左派の団体の傘下に置かれるようになった。その結果、組 織の理念や教育方針に基づいた教育ないし運動が展開されることとなった。当初は、その 組織も自主的に設立されたものの、朝鮮半島に国家が建設されたことによって、左派の団 体は北朝鮮を支持する団体となり、一方右派の団体は韓国を支持する団体となり、在日朝 10.

(15) 鮮人コミュニティには分極化が現れる。当時は、左派の団体が多くの在日朝鮮人からの圧 倒的な支持を得た。組織の政治的な立場は、朝鮮人学校の教育や運動にも多大な影響を及 ぼしたのである。 第六に、非政府主体の視座である。非政府主体とは、国家や政府ではない組織や個人な ど民間の主体を指す。本稿では、赤十字国際委員会(International Committee of the Red Cross, 以下、ICRC)や日本赤十字社(以下、日赤)など、国家組織ではない民間団体の動向にも 着目する。より厳密にいえば、ICRC は非政府間国際機構(International Non-Governmental Organizaion, 以下、INGO)といえる。INGO とは「①国籍とは無関係に協働する人間たち が、②個々人の母国の国益とは別個の価値のために組織を作って動かし、③その活動が国 際社会の動向に有意な影響を与える集団」21 である。 ただし、ICRC の捉え方は一様ではない。ICRC は自己を「国際法人格(International lega l personality) 」と規定しており、NGO(Non-governmental organization, NGO)として位置付 けていない22 。その理由は、ICRC がジュネーブ諸条約などの国際人道法において定立、執 行、監視機能などにおいて、国家と同じような役割が認められ、国家性が高いといえるか らである。さらに、ICRC は約 60 カ国に駐在事務所を設置し、地位協定を締結しており国 家のような条約締結権を各国から認められてきた経緯もある23 。それゆえ、ICRC は自身を NGO として位置付けず国際法人格として自己規定している。 しかし、上述したように、国際関係の観察者は ICRC を INGO と位置付けている。その 理由は、ICRC 規程第二条の解釈に求められる。同上第一項では、ICRC はスイス国内法人 であると規定されている24 。国際法では国内法人に国際法人格性を認めないという一般理 論が存在するため、その理論に従えば NGO に留まるのである。また、ICRC は国際連合な どの政府間国際機構(International governmental organization, IGO)から独立していること からも、INGO として位置付けることができるのである25 。. 21. 最上敏樹『国際機構論講義』 (岩波書店、2016 年)、249 頁。 ICRC, “ Statutes of the International Committee of the Red Cross,” ICRC, 01 January, 2018, accessed 26 December 2019, https://www.icrc.org/en/document/statutes- international-committee-red-cross-0; Gabor, Rona. “ T he ICRC’s status: in a class of its own,” ICRC, 17 February 2004, accessed 23 July 2017, https://www.icrc.org/eng/resource s/documents/misc /5w9fjy.htm 23 赤十字国際委員会「よくある質問集」 『赤十字国際委員会』、2019 年 12 月 26 日閲覧、ht tp://jp.icrc.org/faq/ 24 ICRC, “ Statutes of the International Committee of the Red Cross.” 25 David P. Forsythe, and Barbara Ann J. Rieffer-Flanangan, The International Committee of the Red Cross: A Neutral Humanitarian Actor, (London: Routledge, 2016), 2. 11 22.

(16) 非政府主体である ICRC や日本赤十字社は、政府が扱うことのできない問題について主 導的に対処してきた。たとえば、戦時救護や引揚げ事業などである。在日朝鮮人の問題に おいては、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業や朝鮮人学校への送金事業をこれらの団体が 主導した。ただし、日赤と日本政府は非常に近い関係にあり、日赤が「国家性」が高い主 体であったことも付言しておく。 以上のように、本稿は、東アジアの国際関係、北朝鮮政府と在日朝鮮人社会という越境 的な関係、日本政府の視座、地方自治体の視座、在日朝鮮人コミュニティの視座、非政府 主体の動向などを多角的に検討するグローバル・ヒストリーの視座を取り入れる。. 第四節 本稿の主要な論点と構成. 本稿は、二部構成となっており、時系列に沿って朝鮮人学校が私立各種学校化する初期 条件の形成過程を解き明かしていく。第一部では、米軍占領下日本を対象とし、朝鮮人学 校が私立学校、そして公立学校として存続した経緯を史的に明らかにする。第二部では、 対日講和条約締結後から 1957 年までを対象とし、日本政府による公立学校不要論の出現、 朝鮮人学校と北朝鮮との越境的関係の形成、および朝鮮人学校の存続に対する日本政府や 日本社会の認識について論じる。本稿が、占領期から対日講和条約締結後までを広く対象 としたのは、在日朝鮮人が朝鮮人学校を設置した経緯、そしてそれがいかに変容していっ たのかを分析することができるためである。そして、占領期からの朝鮮人学校の法的地位 の変遷を追うことで、最終的に私立各種学校という選択がいかにして生み出されたのかを 窺い知ることができるためである。 各章において分析する個別の論点は次の通りである。第一章では、解放後も日本に留ま った朝鮮人によって朝鮮人学校が設立される過程を分析する。在日朝鮮人は、何を守るた めに学校を設置したのだろうか。第一章では加えて、朝鮮人学校が私立学校として存続す る過程を分析する。学校設立後に展開する日本政府などからの閉鎖圧力とどのように対抗 し、何を守ろうとしたのだろうか。言い換えれば、閉鎖圧力があったにもかかわらず、朝 鮮人学校はなぜ、どのように存続されたのだろうか。 第二章では、 「逆コース」を背景に展開される朝鮮人学校閉鎖令の経緯、およびその閉 鎖に対する国内外の反応を論じる。なぜ日本政府は朝鮮人学校を閉鎖したのか、また日本 政府の閉鎖に対し、どのような多様な議論が存在したのだろうか。 12.

(17) 第三章では、1949 年から 1950 年までを対象とし、朝鮮人学校が公立化される経緯につ いて論じる。朝鮮人学校を公立化することは経済的な負担があったにもかかわらず、なぜ 複数の地方自治体は朝鮮人学校の公立化を推進したのか。 第四章では、公立朝鮮人学校不要論がどのように登場するようになったのか、対日講和 条約の締結をめぐる国際構造の変動に注目して論じる。とりわけ、公立朝鮮人学校不要論 の背景要因ともいえる在日朝鮮人の日本国籍がいかに失効されたのかに着目する。 さらに、 1950 年 10 月から開催された日韓予備会談における在日朝鮮人の国籍および朝鮮人学校を めぐる両国の取り決めについて論じる。 第五章では、朝鮮人学校が私立各種学校としていかに存続することになったのか、その プロセスについて考察する。特に、1955 年 3 月に私立各種学校化した先駆事例として東京 都に存在した公立朝鮮人学校に着目する。対日講和条約の発効後における日本政府の公立 朝鮮人学校不要論が、どのようにして私立各種学校化という朝鮮人学校側の能動的な選択 と結びついたのだろうか。なお、第五章は『境界研究』第八巻に論文として発表したもの であるが、本稿を執筆するにあたってその内容を加筆修正した。 第六章では、朝鮮戦争休戦以後、北朝鮮政府が提唱した「平和的統一」および対日接近 政策について考察し、それが総連や朝鮮人学校にもたらした影響について論じる。北朝鮮 の対内政策として展開された統一政策と、対外政策として展開された対日政策の変化を分 析し、これらの変化の下で在日朝鮮人組織と朝鮮人学校が再編される過程を論じる。その 考察を通じて、なぜ、どのように、北朝鮮政府が在日朝鮮人組織および朝鮮人学校との越 境的関係を形成したのかについて分析する。 第七章では、1957 年 4 月に北朝鮮から朝鮮人学校に送られた教育費の送金プロセスにつ いて論じる。特に、北朝鮮が朝鮮人学校に送金した意図と、教育費の受け入れに関する在 日朝鮮人の動向および、送金に関わった日本政府と日本赤十字社の役割について論じる。 終章では、本論考の全体を振り返り、グローバル・ヒストリーという手法を用いること によって見えた朝鮮人学校をめぐる問題の多元性を提示する。. 第五節 研究方法. 本稿ではグローバル・ヒストリーの研究手法を用いる。グローバル・ヒストリーは、歴 史研究の新しい手法として歴史家の間で提唱されてきた。従来の歴史研究が、欧米中心主 13.

(18) 義や一国史的な枠組みに偏ってきたことから、それらを相対化する試みが必要とされたの である。そこで欧米以外の地域や一国史の枠組みを超えた繋がりの歴史を描く重要性が指 摘され始めたのである。 しかし、グローバル・ヒストリーの定義については、歴史家の間で定説が存在するわけ ではなく、その捉え方は歴史家の間でも一様ではない。たとえば、歴史的な共通性や連続 性を模索するために、巨視的な視点を取り入れる比較史26 、マクロ史27 などの見方が提唱さ れ、また近年においては同時代的に世界各地で発祥した事例に着目し、広域的な現象の繋 がりを分析する視座として捉えられる見方も提唱されている28 。また別の見方には、歴史 的な事象の要因をひも解く際に、多角的で多元的な要素を分析する手段ないしアプローチ として捉えるグローバリゼーション史29 、グローバル・システム史30 などがある。このよう に、グローバル・ヒストリーは多義的であり、分析対象とする期間、現象、射程をめぐっ て研究者の間で共通見解が成立していない。 本稿では、これまでの歴史家が提唱してきたように、欧米中心主義を乗り越える試みと してグローバル・ヒストリーを位置付けるばかりでなく、さらにこれまでの人文社会科学 が陥ってきた方法論的ナショナリズムを超える試みとしてもグローバル・ヒストリーの重 要性を見出している。方法論的ナショナリズムとは、先述した通り人文社会科学において 国家を基礎単位として据える思考枠組みである。アンドレアス・ウィマーとニーナ・グリ ック・シラーは、方法論的ナショナリズムには三つの特徴があると述べている。①国民国 家という分析枠組みに無自覚であること、②国民国家が社会と一体化された組織として認 26. 比較史は、ある歴史的な事象を比較し、その類似点や相違点を明らかにする見方であ る。比較史の見方をとる論文に次のような論文がある。 27 マクロ史は、人類が歩んできた数十年、数百年、数世紀の歴史を巨視的な視点から変 容や連続性のパターンを明らかにするものである。 28 たとえば、広域的な現象を重視する立場を主張するものとして、水島司『グローバル・ ヒストリー入門』(山川出版社、2010 年); 羽田正『新しい世界史へ―地球市民のための 構想―』、岩波書店、2011 年; 西田慎、梅崎透編著『グローバル・ヒストリーとしての「1 968 年」―世界が揺れた転換点―』(ミネルヴァ書房、2015 年)などがある。 29 グローバリゼーション史は、グローバリゼーションの展開過程やグローバリゼーション を構成している多元的な要素を明らかにしようとする見方である。たとえば、Lynn Hunt, Writing history in the global era, (New York: W.W. Norton, 2014.)、Bruce Mazlish, T he new global history, (New York; London: Routledge, 2006.)、Akira Iriye,Global and transnational history: the past, present, and future, (Palgrave Macmillan UK, 2013)などがある。 30 グローバル・システム史は、国際政治現象をグローバル・システムの一部をなすサブ システムとして捉え、「多角的で多元的な要素が有機的に連動して形成された」国際政治 現象の変化を時系列的に分析する見方である(田中孝彦「グローバル・ヒストリー―その 分析視座と冷戦史研究へのインプリケーション―」 『日本の国際政治学―歴史の中の国際政 治―』4、李鍾元、田中孝彦、細谷雄一責任編修、(有斐閣、2009 年)、49-52 頁。)。 14.

(19) 識されていること、③国民国家の領域内で生じた事象のみ分析対象とし国境を越える動向 を切り捨てることである 31 。彼らは、これらの特徴を乗り越える必要性を主張している。 従来の国際関係史においても主な分析対象とされてきたのは国家、政府であり、国民国 家が無意識の前提として分析の対象とされてきた。本稿も、上述した方法論的ナショナリ ズムの三つの特徴を克服する必要性を主張する。すなわち、それは国家および政府を主な 分析対象とするのではなく、国家や政府以外の主体にも目を向け、国民国家をを超えて生 じた事象に光をあてることである。それらは、個人、非政府主体、越境的な主体、また中 央政府と必ずしも同一主体とは言えない地方自治体などの動向に光を当てることで達成で きると考える。 以上のことから、本稿はグローバル・ヒストリーを、個人、非政府主体、地方自治体、 国家、国家間、越境的次元、地球的ないし地域的次元の「絡み合い」を明らかにするアプ ローチないし研究手法として捉える32 。本稿で提唱するグローバル・ヒストリーは、研究 対象時期の長さや広域的な範囲を対象とする研究を指すのではなく、一つの歴史的な事象 の多元的な側面を明らかにする手法である。個別具体的な事象を対象としていても、その 事象を構成する多角的で多元的な要素を分析する手法としてグローバル・ヒストリーを捉 えるということである。 本稿が提唱するグローバル・ヒストリーは、次の点において他の見方とは異なる。第一 に、分析対象期間の長さや広域的な視座に重点を置いていないという点で、比較史やマク ロ史、広域的な現象の繋がりを分析する見方とは立場を異にする。それは、Journal of Global History の創刊号の編者が示したように、全世界/全地球を直接に対象とした分析枠組みを 立てることは、グローバル・ヒストリーでは必ずしも必要とされていないと考えるからで ある33 。第二に、本稿が対象とする朝鮮人学校の歴史は、グローバリゼーションの歴史で はないということである。本稿が提唱するグローバル・ヒストリーは、多元的な要因を分 析するという点においては、グローバリゼーション史の見方に近い。しかし、本稿が対象 とする在日朝鮮人は、植民地支配によって移住をした/せざるを得なかった/強要された 人々であり、これはグローバリゼーションとは言いがたい。グローバリゼーション以外の. 31. Wimmer and Glick Schiller, “ Methodological nationalism and beyond,” 325. Richard Drayton & David Motadel, “ Discussion: the futures of global history,” Journal of global history13(1), (2018): 3, 13. 33 William G. Clarence-Smith et al. “ Editorial”, Journal of Global History,1(1), (2006): 2; 田中孝彦「グローバル・ヒストリー」、44 頁。 15 32.

(20) 事象においても多角的で多元的な分析が必要である。第三に、巨大なグローバル・システ ムを分析するという視点を本稿は備えていない点において、グローバル・システム史の見 方とも異なる。 本稿は、在日朝鮮人とりわけ朝鮮人学校という個別・具体的な事象を主題としているが、 その問題がどのような多元的な要素によって構成されているかを明らかにしようとするも のである。本稿は、上述した多元的な事象の相互連関性や重層性により強い関心を向け、 朝鮮人学校が私立各種学校化した複合的な要因を分析する。. 第六節 使用した史料と概念の定義. 近年、朝鮮人学校の史的研究のための研究環境は段階的に整備されてきた。1970 年代に は、GHQ/SCAP の史料が解禁され占領期における対在日朝鮮人政策の研究が急速に進展し た。2000 年代に入り、テッサ・モーリス=スズキが ICRC の文書庫において帰国事業関連 の大量の史料を発掘し一石を投じた。さらに、日韓会談の史料も徐々に解禁され、在日朝 鮮人研究における重要な一次史料が公開されるようになった。他方、日本にある朝鮮大学 校においても在日朝鮮人関係資料室が開室され、総連や朝鮮人学校の内部資料が公開され た。また、地方自治体においても情報公開が進み、地方自治体の朝鮮人学校政策に関する 研究も増えつつある。本稿もこれらの史料を使用した。 本稿を執筆するにあたって新たに発見した史料もある。とりわけ、日本外務省外交史料 館において『日朝関係(出入国関連案件)昭和 31 年 2 月 1 日』、 『日朝関係(出入国関連案 件)昭和 34 年 2 月 1 日』、 『北鮮領事関連事務 1958.2.26』、 『在本邦外国人出入国関係雑件 朝鮮人の部 第 1 巻』、『在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題一件 第一巻』が公開され、帰国 事業と送金に関する新たな事実を発見することができた34 。 さらに、ICRC および British Red Cross や Wilson Center が北朝鮮関連の史料を公開 し、 その中で送金にかかわる史料を発見した。ICRC においては、送金計画に関するファイル が保存されていた。それが、「Généralités concernant les secours matériels(General infor mation on material relief)」というファイルである。このファイルは、帰国事業関連文書 が保存されている「Résidents étrangers, éventuellement en résidence forcée; Évacuations(F oreign residents, possibly in forced residence; Evacuations)」とは異なるカテゴリーとして 34. 詳細のファイル番号などは巻末を参照。 16.

(21) 位置付けられている。British Red Cross においては、送金ルートが記載されている史料が 含まれていた。 韓国政府と英国赤十字との会談記録であるため、間接的な証拠ではあるが、 上記の史料と合わせて分析した際に、その信憑性は否定できるものではない。また、Wils on Center においては、金日成と周恩来の会談録が公開され、送金に関する金日成の意図を 分析するのに使用した35 。 重要な概念をここで定義しておく。まず、在日朝鮮人とは、 「20 世紀前半から日本にわ たってきた朝鮮人とその子孫」 36 と定義する。戦前日本に渡ってきた在日朝鮮人に加え、 解放後に渡日した朝鮮人も含む。なぜなら、南朝鮮地域における共産主義者の排斥や朝鮮 戦争の戦乱から逃れた朝鮮人、また家族との再会を求め渡日した朝鮮人が、ほかの在日朝 鮮人と同様の意識や生活形態を持つに至ったためである37 。ただし、史料によっては「在 留朝鮮人」、「在日北鮮人」 、「北鮮系朝鮮人」、「在日韓人」、「朝鮮人」などと表記されるこ ともある。その場合は、適宜史料に即してそれらの表記を用いる。 本稿では、 「朝鮮民主主義人民共和国(Democratic People’s Republic of Korea) 」を便宜 上「北朝鮮」と表記する。日本政府、日本社会において「北朝鮮」が一般的に用いられる 背景には、日本政府が韓国を朝鮮半島における唯一合法政府として認めているためである が、本稿では日本政府の立場を踏襲するのではなく、便宜上「北朝鮮」を用いる。ただし、 史料によっては「共和国」 、「北鮮」、 「北朝鮮」と記されることもある。その場合は、適宜 史料に即してそれらの表記を用いる。 「大韓民国(Republic of Korea)」は、 「韓国」と略称 する。ただし、史料によって「南鮮」、「南朝鮮」、 「南半部」と記されることもある。. 35. 詳細のファイル番号などは巻末を参照。 水野直樹、文京洙『在日朝鮮人―歴史と現在―』 (岩波書店、2015 年)、Ⅳ頁。 37 外村大『在日朝鮮人社会の歴史学的研究―形成・構造・変容―』 (緑蔭書房、2004 年)、 3 頁、[以下、 『在日朝鮮人社会の歴史学的研究』と略記]。 17 36.

(22) 第一部. 占領期日本における朝鮮人学校―閉鎖への抵抗と自律性維持への模索―. 1945 年 8 月 14 日、日本がポツダム宣言を受諾し日本の無条件降伏が決まった。その翌 日には、天皇が玉音放送を通じて降伏の詔書を国民に発表した。8 月 28 日には、日本の非 軍事化と民主化を進めるために、米占領軍が日本に上陸した。占領軍は、日本の軍国主義 体制を解体し、日本が再び侵略や戦争の道へとたどらない体制を築くことを主な指針とし た。第二次世界大戦における日本の敗戦は、日本が植民地を手放すきっかけにもなった。 それにより、朝鮮が解放された。 解放当時、日本には約 200 万人の朝鮮人がいた。それらの者の多くは、祖国の解放を知 り、朝鮮への帰還を急いだ。その一方で、帰還をせず日本に残留する者もいた。残留した 者は、日本において植民地支配の残滓から解放を体現しようと試みた。 占領期日本において、対在日朝鮮人政策は、日米両政府によって措置方針が取り決めら れた。占領軍による日本の戦後改革が、日本政府を媒介としたいわゆる間接統治を通じて 進められたことから、対在日朝鮮人政策においても同様の形が採用された。占領期日本に おいて日米両政府は在日朝鮮人をいかに認識し、いかなる政策を打ち出したのか。 この第一部では、米軍占領下日本を対象とし、朝鮮人学校が私立学校および公立学校と して存続した過程について論じる。まず第一章では、朝鮮の解放後、日本において朝鮮人 学校がどのように設立されたのか、また開設された朝鮮人学校に対し日米両政府はどのよ うに対応したのかについて論じる。第二章では、冷戦が激化する中で、日米両政府の対朝 鮮人学校政策はどのように変化し、朝鮮人学校はどのような状況に置かれたのかについて 論じる。第三章では、占領末期に焦点を置き、地方自治体の朝鮮人学校政策について論じ る。 占領期日本における日本政府および総司令部の対在日朝鮮人政策については、研究の蓄 積が多い。1980 年代以降、日本において GHQ/SCAP 史料が公開され、実証研究が発展し たためである。総司令部や日本政府の対在日朝鮮人政策について論じた研究の多くは、朝 鮮人学校に対する管理政策の形成過程に着目してきた。それらの研究では、その管理政策 は、日本国内における共産主義教育を取り締まるために実施され、主に総司令部がその政 策決定過程において中心的な役割を果たしたと主張されてきた1 。 1. 三橋修、ロバート・リケット、李榮娘、蝦名良亮「占領下における対在日朝鮮人管理政 策形成過程の研究(1)」『青丘学術論集』第 6 集、(1995 年); 金太基『戦後日本政治と在 18.

(23) しかしながら、これらの研究は管理政策に注目するあまり、閉鎖を逃れ存続した学校が あったことについては、充分な説明を加えられていない。学校が存続した点については、 在日朝鮮人側の運動が評価されることが多かった。しかし、日本政府および地方自治体が 存続を容認した側面もあったのである。本稿では、日本政府が存続を容認せざるを得なか ったのかといった点にも光を当て、在日朝鮮人の抵抗と日本政府および地方自治体による 相互作用によって学校が存続する過程を論じる。. 日朝鮮人問題―SCAP の対在日朝鮮人政策 1945-1952―』 (勁草書房、1997 年)、[以下、 『戦後日本政治と在日朝鮮人問題』と略記]。 19.

(24) 第一章. 朝鮮人学校の設立と 1.24 朝鮮人学校閉鎖令. 第一章では、1945 年 8 月に日本の全国各地において朝鮮人学校が設立される過程および 1948 年 5 月に朝鮮人学校が私立学校化する過程を論じる。. 第一節 朝鮮の解放と朝鮮人学校の設立. 第一項 帰還と残留 日本の降伏が発表された当時、推計 220 万 6541 人2 の朝鮮人が日本にいた。それらの者 の多くは、朝鮮解放の知らせを受け、朝鮮への帰還を急いだ。解放直後、山口県長門市の 仙崎、下関、博多などの港町は祖国への帰還を急ぐ朝鮮人であふれた。日本政府によれば、 解放直後から 1950 年 11 月 19 日までに日本政府や占領軍が実施する計画輸送によって帰還 した朝鮮人は、104 万 679 人いたという。そのうち、南朝鮮地域への帰還者は 104 万 328 人であり、北朝鮮地域への帰還者は 351 人3 だった4 。 朝鮮人の帰還は様々な担い手により実施された。それを主に担ったのは、日本政府と占 領軍である。上に示した朝鮮人のほとんどが、日本政府と占領軍が実施した計画輸送によ り帰還した。さらに、解放直後に日本の各地で結成された様々な朝鮮人団体も、帰還を援 助する担い手となった。たとえば、共産主義者から反共主義者、協和会員5 から反日派、左 派から右派の民族主義者、留学生から労務者、無政府主義者など、それぞれが団体を結成. 2. 1945 年 8 月 15 日の時点での推計(田村紀之「内務省警保局による朝鮮人人口―総人口・ 男女別人口―」『経済と経済学』46、 (1981 年) 、57-58 頁。)。 3 「南朝鮮」への帰還者の内訳は、1945 年 8 月から 1946 年 3 月までに 94 万 438 人、1946 年 4 月から同年末までに 8 万 2900 人、1947 年には 8392 人、1948 年には 2822 人、1949 年 には 3482 人、1950 年には 2294 人であったとされている(外村『在日朝鮮人社会の歴史学 的研究』、369 頁。)。 4 法務府の調査では、朝鮮人帰還者は政府発表よりも約 30 万から 40 万人多い可能性もあ ると指摘されている法務府の発表の方が多く、さらに幅があるのは、少なくない帰還者が、 計画輸送ではなく、非公式に自力で帰還していたためである。法務府の統計は、それらの 朝鮮人を含めているために、このような幅が出ている(森田芳夫『在日朝鮮人処遇の推移 と現状』 (湖北社、1975 年) 、67-68 頁; 金太基『戦後日本政治と在日朝鮮人問題』 、185 頁。)。 5 協和会とは、内務省、警察当局を中心とした在日朝鮮人に対する統制機関の中央組織で ある(樋口雄一『協和会―戦時下朝鮮人統制組織の研究―』 (社会評論社、1986 年) 、86-87 頁、[以下、 『協和会』と略記]。) 。1939 年 6 月に結成された。一部の在日朝鮮人が協和会「指 導員・補導員」として協和事業の推進にあたった。協和会の活動の最大の重点は、在日朝 鮮人の強化・同化政策であったという(樋口『協和会』、114-120 頁。 )。 20.

(25) し、多くの団体が共通して掲げた目標の一つが、帰国対策であった6 。これらの朝鮮人団体 も、一日も早く朝鮮人を帰還させられるよう運動を展開したのであった。 解放直後、朝鮮人が結成した様々な団体は、1945 年 10 月中旬には一つの団体の下に統 合された7 。それが、在日本朝鮮人連盟(朝連)である。朝連は、朝鮮人による全国的な組 織の結成を唱えたのである。多くの団体が朝連の下に統合され得た大きな要因は、上述し たように、解放後最初期の朝鮮人諸団体が一様に朝鮮人の帰還の援助や在日朝鮮人の生活 改善などの共通の目標を掲げていたことであった8 。だからこそ、朝連の中央準備委員会は 「群雄割拠するのではなく大同団結して強力な中央集権的大衆団体」9 が必要だと唱えて、 諸団体の統一を求めた。 10 月 15 日から 16 日に開催された朝連結成大会では次のような宣言が採択された。. 人類史上類例のない二次世界大戦もポツダム宣言で終結し、わが朝鮮も同時に自由と 独立の栄光が約束された。/われわれは総力を尽くして新朝鮮建設に努力すべきであ り、関係各当局との緊密な連絡下に、われわれの当面する目標である日本国民との友 誼保全、在留同胞の生活安定、帰国同胞の便宜をはかろうとする。/右宣言する。10. この宣言で示されているように、朝鮮での独立国家の樹立に献身、日本国民との交友と 在日朝鮮人の日本での生活の安定、朝鮮人の帰還支援という活動は、朝連の基本的な目標 として掲げられ、その後の活動においても重要な指針となった。 朝連結成大会で発表された綱領では、上の宣言で掲げられた基本的な目標も次のように 反映されている。. 6. 呉圭祥『ドキュメント在日本朝鮮人連盟―1945-1949―』 (岩波書店、2009 年)、3 頁、[以 下、『ドキュメント在日本朝鮮人連盟』と略記]; 朴慶植『解放後在日朝鮮人運動史』、50 頁。 7 エドワード・W・ワグナー『日本における朝鮮少数民族―1904~1950 年―』(湖北社、1 989 年)、93 頁。 8 ただし、すべての団体が朝連の下でまとまったわけでもなかった。朝連の他にも在日朝 鮮人社会において一定の影響力を保持した組織もあった。それは、1946 年 10 月に結成さ れた「在日本朝鮮居留民団(以下、民団) 」である。朝連に対抗するために在日朝鮮人右派 によって設立された組織である。民団は反共を掲げ、後に韓国を支持する団体となる。当 時、民団は朝連に比べ大衆的な支持は得られなかった。(エドワード・W・ワグナー『日 本における朝鮮少数民族』 、76 頁; 坪井『在日同胞の動き』 、245-246 頁、249-250 頁。) 9 呉圭祥『ドキュメント在日本朝鮮人連盟』 、7-8 頁。 10 呉圭祥『ドキュメント在日本朝鮮人連盟』 、14 頁。 21.

参照

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