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日本佛教學協會年報 第13号 011日本佛敎學協會討議會速記録――特に將來發展せしむべき佛敎行事に就いて――

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Academic year: 2021

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特に勝来設展せしむべき悌敢行事仁就て

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ー ー 昭和十五年十月十七日午後二時十分開議。 司舎者︵稲垣異我君︶とれより討議舎に入りたいと恩びますが、討議舎の座長を如何にして持へますか、司舎者 に御一任を願へるでありませうか。︵拍手︶では、本舎の京都帝大理事でありまする羽渓了諦先生を煩はしたい と思ひます、御賛成を願ひます。︵拍手︶ 座長︵初演了諦君︶今朝の糟舎の席上で、佐々木常務理事の曾務報告中に沿述べに怒りましたやうに、本年の七 月六日に、龍谷大壌で此の討議舎に付て協議する矯の理事舎が聞かれ売のであります。所が、私、己むを得た い用務の詩に、其の協議舎に間に舎はや、漸く、晩餐舎に移られも仏時に出席し売のであります。さうして、官 日の決議を承はったのでありますが、其の時に、協議題目としては、﹁将来特に護展せしむべき悌教行事に就 て、﹂とれは一昨年京都で催した大舎の際の討議舎の題目が、﹁現時特に強調すべき伸教思想﹂と一式ふのであった から、本年は行事の方面をやらんかと云ふ御報告に接し、それと同時に、座長もやはり例によって、私を煩は すととにした、と一宮ふ御報告を得たのであります。私は、勿論、此の討議題目に就きましでは、異存はなかっ たのでありまするが、座長を勤めると云ふととに就ては、猛然と反抗し売のであります。と一式ふのは、私、既 に二回積いて座長を勤めて居ります。今回やれば三回目になります。備の顔も三度と一式ふのに、私のやう友凡 I 日本偽教皐協舎討議曾速記録 二四五

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日 本 偽 教 拳 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 一 一 四 六 2 夫の顔を三度もさらしては、舎員諸君に愛想轟かされる。叉、私自身も非常に心纏まないから、どうか、誰 か、代ってやって戴きたい。と去って固く固辞したのでありますが、決議したととであるから、仕方がたいと 云 っ て 、 一向、私の申入れを考慮して貰へ友かった。謂はど、猷席裁判の判決に服従したければたらぬととに 叉、凡夫の顔を此虞へさらすととに・なりました、どうか、皆さんの御協力によりまして、まあ無 難で議事進行の役目が呆されますように、切に沿願ひする衣第であります。協議題目と致しましては、﹁将来特 に護展せしむべき悌教行事に就て﹂と云ふ事にたって居りまするが、此の、悌教行事として既に我が園に行は れて居りまするものは、随分多種多様である様に思はれます。印ち、韓偉を中心としたものでも、働生舎、所謂、 花まつり。成道舎、担操舎と一式つもんやうたものが行はれて居り、叉、孟蘭盆舎、所謂、盆舎、それから、春秋 二季の彼岸舎と一式ふゃう訟ものも飴程大衆化されて居ります。其の他、各宗各抵の租師を中心、とし売年中行事 が髄分津山我が園に行はれて居ります。併し、本日は成べく一般的危悌数行事に就て御討議が願ひも仏いので、 各︷一京各波の特殊行事に付ては、どうか慣れられやに沿いて戴きたいと思ふのであります。それから、叉.既に 行はれて居る行事に限らたいで、将来は此の新東亜の指導者とたる日本として、何か、悌散を中心としたい L た り ま し て 、 行 事 で も あ る と 一 式 ふ 長 考 へ が あ る た ら ば 、 さ う 一 宮 ふ 御 意 見 も 護 表 し て 戴 い 売 ら ば 、 幸 せ だ と 思 ふ の で あ り ま す 。 まあ、例へば、和園の教主である聖徳太子を中心とし犬、何かさう一宮ふ行事でも治考へがたいか、其の他、春 秋二季、必らや今後毎年行はれます靖園紳祉の祭櫨に関聯して、何か、悌教徒として年中行事の一つを定め売 らどうかと云ふゃう怒考へも浮んで来るやうな弐第であります。さう一式ふゃう訟ととを、皆様方に一つ御腹蔵 たき御意見を御披露願って、協議を進めて行きたいと思ふのであります。どうか、御謹言放さる前に、御姓名

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だけ佐一寸御護表願ひたいと思ひます。まあ、時聞が二時間たっぷりありまずから、 五分間以上に沿互り下さ れても差支へたい。まあ、五分間程度で皆様の御意見を承はれば幸せです。では、 き た い と 思 び ま す 。 如 何 で す か 、 誰 方 か 御 謹 一 宮 口 唱 な さ い ま せ ぬ か 。 とれから御討議を始めて戴 恵 谷 隆 戒 君 ︵ 悌 律 ︶ さ う 一 試 ふ 事 に 何 等 考 へ を 及ぼして居らぬのであります。﹁特に将来護展せしむべき悌教行事に付て﹂と一式ふ事に付て、どう一式ふものがよ い か 、 と 一 宮 ふ 事 は 、 と れ か ら 考 へ ・ な が ら 一 ボ チ

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\意見を出して行かうかと思ひます。で、丁度今、皇園の現賓 の猷態と一宮ふものが、新韓制下にある露でありますが、随て、さう云った指導理念と一式ふかさう云ふものに立 脚したものを選んで行き、考へて行くと云ふととが、最もよいぢやたいか。さう一式ふ風友立場から申しますれ ば、所謂哲皐的友語を以て一民へば絶封否定的金盟、或は排詮法的一般者の立場と云ふか、色んた一言葉はありま せうが、さう一民ふ風放問題に立脚した所の悌教行事?と云ふものが、最も将来に於て護展せしむべきものぢや友 い か 、 さ う 一 式 ふ に 事 友 っ て 参 り ま す る と 一 式 ふ と 、 ど う し て も 、 と

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一べん考慮したければたらぬのは、つま り、今日の時局に卸躍しもん所の悌教の本質と云ひますか、最も基本的友要素、さう一式ふととを一ペん考へて見 る必要がある。さう一試ふものから割出されて来た所の悌教行事と去ふものが、将来大いに護展さして行か怠 ければ友らぬものぢやたいか、さう一宮ふ風た面から申しますみ﹂、先づ、今日の場合として、殊に大乗悌教の中 に於て、般若の真昼妙有と申しますか、先程もた話があったやろでありますが、とう一式つ売ゃうたものが、大 乗悌教の最も基本的友、本質的たものとたるのぢやたいか、さう一民ふ風たもの左土台として、それから割出さ れて来るものが、最も望ましいのではたいか。更に、それを、言葉を換へて申しますれば、知思、報思とでも 御指名を受けまし売が、 一向、此の間からゴタ/\やって居って、 3 日本偽致率協曾討議舎速記録 二 四 七

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日 本 品 開 教 挙 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 二四八 4 一式ふべきでありまぜうか、其の知思、報思とでも一式ふべき本質的たものを、具韓的に現はした所の行事と云ふ ものが、最もよいのぢゃないか、さう云ふ立場から申しますれば、色 k そとに考へられて来るのであります。皐 に、それは、日本だけでなくして満洲・支那・印度・南洋方面、所謂、大東亜新秩序建設に伴うもん悌数行事と云 ふものを考慮して行か・なくてはたらぬと云ふととになる語でありませう。さう一式ふ立場から参りますると一宮ふ と 、 か L る本質的なものから考へられて来る所の、悌教行事と云ふものはどう一式ふものが良いのかと一式ふと、 種 K 考へられますが、私の心に率直に浮んだ案と致しまして、阻押傘の成道舎、或は浬繋舎とか、或は降誕舎と か一式ふゃう訟ものを全悌教が統制秩序の下に、とれをやって行くと云ふととは勿論である。其の他の、殊に、 盆の行事友んかと一去ったゃうたものは、何れかと申しますると一式ふと、今日精霊祭りと一去ったゃうた意味のも のが、多分に含まれて居るからして、精霊祭りと云ったゃうたものを、もっと徹底的に全備教が統一ある、組 織の下に一つ大いに盛大に拳行すべきものぢやたいか、と一宮ふととが考へられる。それから、更に彼岸の法要 でありますが、とれも先程座長から沿話があったのでありまするが、とれも金悌教が打って一丸とたって一つ の統一ある韓制の下に彼岸の行事と云ふものを更に瑳展さして行くと、一宮ふととが必要である。それから、更 に 、 色 k の考慮をして参りますると云ふと、悌教徒大舎と申しまするか、さう云つもんやうたものを漏削に聞く とか、或は、支那に開決﹂、印度に聞き、南洋に聞き、更に、其の他の所 k 、各地に於て逐次、年ぺ聞いて、 悌教精神左額揚し、さうして知思報思の精神と申しますか、悌教の本質的たものを中心として、其の精神を大 いに昂揚して行くと云ふととが必要ぢや友いか、斯う一宮ふととも考へられる、それから、更に、此の悌教が従 来各宗祇各 k 謂はど、相到を演じて居ったと申しまするか、互ひに宗祇意識と一宮ふものが飴りに強い震に、そ

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とに封建的た姿と云ったものが見受けられて居って甚だ困って居りましたが、斯う云ふ賠も大いに一新し打っ て一丸とした所の、悌教勤行式と申しまするか、弘樹勤めの仕方と去ったゃう放ものを確立して、さうして何時 どの宗祇の僧侶が、或は在家が、集ったにした所で、同じ勤行式によって︾勤め左して行くととが出来ると云 ったゃうたものを考へ出したらどうであらうか、さうして、それをもっと敷演さして行ったら如何訟ものだら うか、斯う一宮ふ風たととも考へられて来るのであります。たほ、其の他色 k 考へれば、津山の行事が考へられ て来るだらうと思ひますが、今、私の頭の中に率直に浮んだ偉を、と t A に一言た話し先攻第であります。 二 宮 守 人 君 ︵ 正 大 ︶ 恵谷君のやうなはっきりした頭の良い毎年もう少し打込んで云ふ人が、ぜい

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\今位の意見 が闘の山。とれは大韓題が悪い、何遍も一式はぬ事ぢやたい討議題目にたってゐ・ない、討議と一式ふとどう云ふ意 味であるかと去ふと、此の席上で懇 k 言 つ も ん 。 私 は 西 方 組 、 私 は 個 人 組 、 つ ま り 七 難 十 答 で 討 議 が 満 足 に 出 来 る 、 誌に西方繭陀分、個人捕陀分に劃する討議をする、是は座長自身が協議/\/\問ふに落ちゃ語るに落ちる、 協議題目と云ふか、座談合と一宮ふか、なって居らぬ、随て何を云ったらよからうか、公座なりに治茶を濁して コソ/\と云って居るだけ、態 K とれだけの者が寄って、大き友金を使って集って来て居る以上、もちっと、 時局と一式ふ言葉もさっきから出て来るけれども、本営に爆弾が今飛んで来ると云ふ時に議する態度として、飴 りにふざけきった態度に怒ってしまふと云ふととは、本協議舎の明日の矯にも.私、非常に情け友いととでも ちっととれは、今からでもよいから、どうすれば此の午後の三時間を本営に真剣な日本悌教精神に合致した所 の、活きた三時間にするか、と一式ふ一つの緊念動議を私は提出します。其の討議題目を考へて、之を斯う一冨ふ 風に考へれば馬鹿放ととにゑらぬ、本営の話に怒るのです。討議題目と云ふものが大韓怒って居らぬ、と一宮ふ 5 日本倫敦撃協曾討議曾速記録 二四九

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日 本 偽 教 拳 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 二 五 O 6 意 見 で あ り ま す 。 座長︵初渓了諦君︶毎時も、二宮君は電撃的た提案をされるので、|!沿設御克も、同感でありますが、とれは 理事舎で定めたととで、私が此慮で個人でどうするととも出来ませぬ、主︵の賄を御諒承を願ひ売い。討議題固 としてとれを絶封的にふさはしいものと思って居りませぬ。併し、今夏、私個人として、如何に座長を勤めて とれを費更する槽限は持ちませぬ。どうか此の討議題目の範闇に於て、大いに、今のやうに電撃的 居 っ て も 、 た K M 話を願ひたいと思ふ。先程、恵谷氏の沿話は随分贋汎に亙って、色 K の、時局の要求する統制を主とした 悌教行事、今迄やって居る花まつりにしても叉、雨度の彼岸にしても、殊にまあ盆合、精霊まつりにしても、 もっと新しい韓制の下に徹底的に組織的にやる。友段、叉、悌教大舎と一式ふゃうたものを、年に一回聞け、又、 悌教の勤行を一定せよと一冨ふゃう友御意見も出て、非常に問題は多方面に亙りましたが、此の内の一つでもよ ろしい、何か、もっと、突込んだ御意見がありましたらば承り度いと思ひます。大谷大皐の加藤さん、如何で す、何か御意見ありませぬか。 加藤智畢君︵谷大﹀まあ何も考へはありませぬ、あ L して熱心に仰しゃっ売二宮さんは、どう云ふととを議した らよいか、と云った其の御意見を。 座長︵澗漢了諦君︶此の、元来、討議舎と云ふものに、討論舎では・ない、相談し合ふ舎だから、飴り勝ち負けを 定めるやうた題目を蓮ぶまいとして居る、自然、今罵倒されたゃうた傾向を辿るととも巴むを得怒い、兎に角、 各宗各減の者が寄るから、乗るか反るかと一宮ふゃうた一騎討のやうなととに怒らぬやうにしよう、斯う一宮ふゃ うた出瑳貼を持って居るので、自然斯う一試ふゃうゑボツとしたものに放る。

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加 藤 智 畢 君 ︵ 谷 大 ︶ 座 長 ︵ 初 演 了 諦 君 ︶ 加 藤 智 畢 君 ︵ 谷 大 ︶ た ら ど う で す 。 何か、具樫的危案が先生にあるのぢやたいか、それを一買って貰ひたい。 それは承って居る、それは明年、東部でやる時に多分賓現ずるだらう。 併 し 、 それと行事の問題と多少関係がある・ならば、それを出して貰って、 さうして考へて見 座長︵弼漢了諦君︶それは一寸協議曾にたりまして、合会開の問題にたる、此鹿で一寸御相談するに、相臆しく 友いものです。此の研究舎と云ふもの、研究費表舎と云ふものを、どうしてやるかと云ふととは、最前、理事 舎で私自話があって、明年・ならばそれが兵輯化して来るかも知れぬが、今此鹿でさう一式ふ舎の組織とか、やり方 と一式ふものを議するととは、槽限外でご古います。まあ、例へば、討議題自にしても理事舎に出売のは悌教と 紳紙と一式ふゃうた問題はどうだらう、其の方が時局に相醸しはせぬか、と一式ふ話が出たが、斯う一式ふゃうた新 瞳制の出来たのは最近のととです、とれは今年の七月に定めた題目で、私は参加して居らたんだけれども、さ う一宮ふととは或は最近たらば新韓制と悌教と一式ふゃうたととにたるかも知れぬ。兎に角、とれは此の憧で一つ 進んで戴きたいと思ふ。此の題目は費更は今出来たい。 加 藤 智 瞳 君 ︵ 谷 大 ︶ 座 長 ︵ m m 撲 了 諦 君 ︶ 加 藤 智 串 君 ︵ 谷 大 ︶ 座 長 ︵ 調 漢 了 諦 君 ︶ や は り 此 題 目 で 。 何か御意見を願ひ売い。 信仰でやるのですな。 併し、必やしも此の題目のみ怒らや、二宮さんが既に皮切りもされ売のですから、将来はか う云ふ討議題目を探られ売らどうだ、と一汽ふゃうたととは、それは仰しゃっても宜しい、将来の参考に設しま 7 日 本 品 開 数 皐 協 舎 討 議 曾 速 記 録 二 五

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日本偽数準協曾年報︵第十三年︶ 二 五 ニ 8 すから、別に此の題目に就ては御意見ありませぬですか。 決して、私は、折角かうしてた集りをまぜかへすと一式ふ講でも何でもありませぬから、折角 ニ 宮 守 人 君 ︵ 正 大 ︶ た集りですから加藤さんは座長の御指名にたれば加藤さん御意見をどうぞ槙けて戴きたいと思ふ。唯、どうも 如何にも私 1 1 1 座長に理解し放い黙があるので、座長と討議をやる形にたったのであるが、︵笑聾︶唯、﹁討論舎 さう、討論舎であれば喧 で な い 、 ﹂ と 云 ふ 言 葉 で ご ざ い ま す 、 討 論 と 討 議 と ど う 遺 ふ の か 承 り 度 い 、 ︵ 笑 聾 ︶ 何 か 、 嘩でもすると云ふやうに心得て居られるやうであるが、とれは優婆提舎の意味をもう少した考へにたれば、そ の意味はよく沿分りかと思ふ、つまり問ふ者も答へる者も、要するに、もの L 南端を叩いて、並び照し並び察す る者が雨端の虞を叩くと云ふととになり自然と浮び上って来ると一式ふのが是が悌教が討議する所の目的であり ます。決して、唯、反封せんが震に反謝して、向ふの奴を言ひ負かして、勝った負けたと一宮ふのでたい、どっ ちからでも論と云ふものが出来る、もの L 雨端を叩いて翼怒り、と一宮ひ、保たりと云ふ、究寛する所、中道究 寛に入ると云ふのがとれが伸教に於ける討議をすると一宮ふ意味の理解であらうと思ふのであります。けれども 唯、熊公、八公の喧嘩棒千切れをやるのが悌教の討議で友いと云ふととは優婆提舎の語義を少した考へに怒っ た ら 分 る 。 座 長 ︵ 初 演 了 諦 君 ︶ 世間で討論と云へば、何か、勝敗を明瞭にして相手の咽喉首を抑へて勝負を決める、と一式ふ風な考へ方にたっ て居るから、それを避ける震に殊更討議舎として、斯うして居るので、勿論、今、二宮さんの云はれたやろに、 さう云ふ意味の優婆提舎の意味たらよい、併し、世舎通念の討論と一式へば、所謂、喧嘩腰にたって、唯、言論 それはよく分って居ります。唯、討論と云ふものを世舎遇念で解轄して、それを避けて居る。

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に勝たんが震に勝っと云ふゃう訟ととになり易いから討論舎と云はやに討議舎と云つもん、だから問題の選び方 もさう云ふゃうたととに怒らぬやうに、と一式ふととを、!

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東西共にさう友って毎時も私は不満足友ゃう友討 議題目に終って居るのです。東部の方に於き、ましでも、支那問題乞論じて見たり、唯意見の羅列と一式つ売ゃう たととに経る問題が多いのです、二宮君の一試はれる、それは討議題目にたらぬと云はれる鮪も、無論私は十分 理解致します。私も此の討議題目宏承った時には、とれは果して討議題目に怒るか念、ーと思つもん位でした、そ れは個人の意見の羅列に終りはしたいか、と一再ふ心配は十分持って居ったのです。 ニ宮守人君︵正大︶加藤さん、何か御意見伺びます。 座 長 ︵ m m 漢 了 諦 君 ︶ 恵 谷 糧 戒 君 ︵ 悌 専 ︶ 龍 大 の 佐 藤 さ ん 。 どうも、特に将来護展せしむべき悌教行事、と一宮ふ題が甚だよろしくたいので、何と云って よいか語が分らぬですが、それも、まあ、折角斯う一式ふ閣が出て居るのですから、悌敦史の上に色 k 友過去の 行 事 と 一 宮 ふ も の が あ る か ら 、 さ う 一 式 ふ も の か ら 考 へ て 来 て 、 さ う し て 、 将 来 護 展 せ し む べ を 行 事 、 と 一 宮 ふ ゃ う た もの危考へ出して行く、と云ふ風怒ととにしたら如何でごぎいます。 座 長 ︵ 初 漢 了 諦 君 ︶ 稲垣昆我君 さ う 一 試 ふ 風 に 解 緯 し て 進 め て も よ い と 思 ひ ま す 。 ︵ 悌 専 ︶ 討 議 題 目 に 就 て 、 二 宮 さ ん の 銑 鋒 が あ り ま し も ん の で 、 ぐ ら つ き が 来 事 ル 様 で す が 、 之 を 定 め た 時 に出席して居りました理事の一人と致しまして、もう少し諒解を戴きたいと思ふのですが、一昨年、京大で開き ました時に、﹁特に将来護展せしむべき悌教思想、﹂と云ふ題目があっ売ので、それを具韓的訟ものにしもんいと云 ふととで、悌教行事と一式ふ字が分ったのであります、さう一民ふととから出たのであります、若し悌教思想|| 9 日本偽数革協曾討議曾速記録 二五三

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日 本 悌 数 皐 協 合 宵 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 一 五 四 IO 将来特に護展せしむべき悌教思想が論ぜられて、相官討議舎としての成績を見まするたらば、特に将来護展せ しむべき悌数行事と云ふととも、矢張り相官花が咲くので・なからうかと思ふのでありますが、同時に既に御案 内にも、此の題目は明かにされて居りまするし、新聞紙上たどでは、早くから出て居り、まするから、御出席の 各位に於きましては、それ

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\、多少ともゐ考へそ持って弘樹ゐでに怒るととだ、と長察ししまするし、又、伸教 皐舎ではありますけれども、日本の悌教の代表的汝方 k が、此の舎な作って居うて、賓際、悌教が非常た法難 に 遁 ひ っ L ある今日、悌教行事と一式ふものが其の本質を失って、非常友費壇をしつ L ある今日、将来特に護展 せしむべき悌教行事に就て、此慮に論じ A 口ふと云ふととは、悌教徒としてどうしても一度は燭れたければ友ら ぬ討議題目にたるだらうと私は思ふのでありますが、話せば、もの L 考へ方は、色 K 訟考へ方がありまするし、 叉、念だと一試へば念たととも多々ありませろが、今、悌教が亡びるかどうか、と云うたゃうた、さう一式ふ時代 の波を受けて居る日本悌教の震に、悌教皐舎が、斯かる題目を討議題目として、さうして何等かの考へ、指標 を出して行くと云ふととは、私は悌教皐舎の一つの使命であると思ふのであります。さう一宮ふ意味から、翼く は、既に決定され護表され御理解にたって居る筈の此の伸教行事に付て、正月から一宮ふたらば、湿繋合、其の 戎に降誕舎、その次が春の彼岸、それから盆、それから秋の彼岸、成道舎と一式ふゃうた行事は既に持ヲて居り ますけれども、それは皆、殆ど本質を失ひっ L あ る と B r−−は、申す迄もたいと思ひます。それ等の中で、東亜大 陸に通じて、悌教徒だと云ふたらば、それは行事が、日浦支三園の中に将来行はるべきとと L しでは、浬操舎 であるとか、或は降誕舎であるとか、或は成道舎であるとか、と云ふものが、三固たら三固たりに共通する、 或は日本ではどうするとか、叉、其の外の、先刻来ありましもんやうた、塾徳太子祭とか、靖園紳駐臨時大祭の伸

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教関係的なものとか、一式ふゃうたととを考へて行きます・ならば、賓際、日本悌教徒の相営た指標にたると私は 信じて居ります。又、此の位の賓際問題に燭れたいやう敢闘車曾たらば、私は相営それは考へる齢地があるだら う 、 と 思 ふ の で す 。 と 一 式 ふ ゃ う ゑ 風 に 、 色 − R ご宮さんが銑鋒を出され売ので、私、叉、園らやも鋭鋒を出した 課かも知れませぬが、とれは反射したのであって、私の本心ではないかも知れぬが、又、寝いて、

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若しあ れば||討議を益 k やりたいと思ふのですが、満場の各位是非とも此の討議題に付て、理蓄を傾けて将来の日 本悌教の指標注一つ作りあげて戴きたいと思ふのであります。 座長︵初演了諦君︶只今の稲垣さんの御設明で此の題目を謹んだ動機が明瞭に放ったと思びます。稲垣さんは此 の題目を選ぶ理事舎に参加して居られましたので、其の聞の御消息を十分沿呑込みでた述べにたりました。私 も拝麗して始めて題目を蓮ばれた動機稔り意固たりがはっきりしたゃうであります。︵笑聾︶確かに、今、稲垣 さんの鋭鋒と一再びまするか、明断怒る御設明によって、此の題目を避けられると云ふととは、沿互叫に出来危 く怒ったと思ひます。どうか一つ異鯨に御討議を進めて戴きたいと恩びます。 吉 酵 轟 雄 君 ︵ 京 専 ︶ と似寄りのものをやる様にたって居りますので、毎月一日興亜奉公日と一式ふものが、不飲酒戒を持って居るの であります。叉、此の頃、節米と一式ふ事左云ったりして居りますが、丁度、とれも悌教の方から一宮ふと、過中 不食を行ふ事にすれば、主︵の趣旨も叶ふととになります。つまり、六粛日の八粛戒、それを持って行く、毎月 悌 教 徒 で は 戒 律 、 五戒が少くとも中立行はれにくくたって居りました所へ、 丁度世間でそれ 11 六祷日が出来れば結構ですが、六粛日の出来たい人は丁度一日ですから六費目の一つに嘗って居りまずから、 此の興亜奉公日と一式って皆飴程知られて居る、之を悌教の方でも六癌朗自の意味たり八粛戒の意味をつけて、さ 日 本 品 開 数 皐 協 舎 討 議 曾 速 記 録 二五五

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12 日 本 偽 教 拳 協 曾 年 報 ︵ 第 十 コ 一 年 ︶ 一 つ の よ い 行 事 で 二 五 六 うしてよく徹底さすようにして一唐巌諸に行ふと一式ふ風に、もり立て L 行く主式ふととは、 あらうと思ひます。まあ、色々外のととも申さ・怠ければたりませぬが、それで、唯興亜奉公日は都舎の人は遊 んで韓力増進と一式ふ意味でもあるかも知れませぬが、ハイキングをしたり・なんかして、寧ろ意味を取り達へた 弊害を残すと云ふ風友ととがボツふ\現はれかけて居るやうに思ひますので、もう少し、巌粛に悌教上の意味 をつけて、悌教徒が之左定めて行くと云ふととが、 座 長 ︵ 初 漢 了 諦 君 ︶ 一つ大切なととぢやたいかと思びます。 それに付て、何か、霊行的友、兵障的友方法の私有考へがありますか、結構たととに遺ひ友い 加 藤 智 畢 君 ︵ 谷 大 ︶ 吉 詳 轟 雄 君 ︵ 京 専 ︶ が、どうしたらそれが行はれるか。 六 遁 。 座 長 ︵ 調 渓 了 諦 君 ︶ 吉 騨 昆 雄 君 ︵ 京 専 ︶ 加 藤 智 串 君 ︵ 谷 大 ︶ 六ぺんとは申しませぬが、 一日は六粛日の一つですから o それを一般化して行︿賓践的た方法と去ふととに付て、何か具韓案を︾もちでありませぬか。 それは別にたいんですが、た互ひに其の積りでやるより仕方がありませぬ。 今の六粛日のた話が出ましたからそれに一寸ち危んで、之は、まあ、斯う云ふ問題に蝿れて居 りませぬけれども二一月十五日、沿韓迦様の浬提に治怒りにたつ売日だけでありますが、五ロ k 悌教徒は皆沿精進 をしたらどうでせうか。あの日に酒を飲んだり、あの日に牛肉を食ったりして居る坊さんが大部分ではたいか、 生臭坊生の看板の上って居る五口三県宗でも、二月十五日に魚を食って居るものがよろしくたいと云ふととがた ければ怒らぬのである。況んや、持戒の治宗国日に於てをやであらうと思ひます、それで如何にも悌教徒のだら し友さ、ゐ輯迦様の沿日柄である、二月十五日左忘れはせぬだらうけれども、其の日に天ぷらを食ったり、鰻

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井を食ったりして居るものがあると云ふととは、私、不愉快であります。で、とれは悌教徒のたしたみとして 悌教徒全韓が沿互ひに私あたりでも其の日は精進をする、叉、普段だって、十五日の沿精進が出来るもの友ら やりたいと思ふ。私は十五日の日には普段でも沿精進してゐる、特に二月十五日は悌教徒会韓がさうすべきで あらうと思ふのです。とれは、まあ、六祷日の沿話が出ましたから、業の一寸績きを申上げる。それから、其 の題目でありますが、私は此の題目に就て何にも考へて来たかったのです、皆さんの沿設を伺って、と思って 来 も ん 課 で あ り ま し て 、 先 程 か ら 沿 話 を 騒 ぎ ま し て 、 よく分りました。如何にも、まあ、将来に護展せしむべき 悌 教 の 行 事 、 と 一 宮 ふ と と を 、 吾 K 悌教徒が考へると一式ふととは、ょいととであらうと思ふ。それで、今、日本 が東洋の盟主となら・なければならない、叉、世界の日本として、日本の八紘一宇の理想を輝かしく謹んで行か ・なければゑら友いのでありまするから、其の秋に営って我等悌教徒が少くとも其の全世界の悌教徒の者らと共 に、斯くありたい、と云ふゃうた行事を賓行し、賓現し、共に、相携へて行はしむべきゃうたととが出来る−な らば、拘に結構たととであらうと思ふのであります。それで、浬繋舎であるとか、盆舎であるとか云ふゃうた 法舎は、まあ/\悌教徒たるものは、ーーーそれが支那人であらうと、蒙古人であらうと、叉泰園の人であらう と、やって居るだらうと思ふのです。で、それをきっかけに行って行くやうに其の様式までも大いに考へて見 ると云ふととも結構たととでありまするが、我が日本の、日本悌教濁特のものぢゃから、何も支部に持って行 ったって、蒙古へ持って行ったって、た役に立たぬと云ふ筈はたいから、日本が東洋の盟主として、東亜の悌 教を日本悌教徒がひっかついで立っと云ふ所の元気と理想を持って動く怒らば、日本欄持のものでも、それがよ 13 いものである・ならば、東洋、否、全世界に及ぼしたらどうかと思ふのです。其の意味に於て、私は、到彼岸曾 日本偽敬撃協曾討議舎速記録 二 五 七

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日 本 偽 教 拳 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 二五八 14 と云ふものはよいものだと思ふのです。さうして我が日本として、考へる・ならば、 と れ は 皇室から御護舎に たった行事でありまして聖徳太子からと去ふ設もあるし、叉、斯くの如く日本会園津 k 浦 K まで行はれるやう 桓武天皇様の御精神によると一試はれて居る。叉、多少史料の上にもさう一宮ふゃうた形跡が見え になったのは 桓武天皇様によって、斯くの如く盛んにして戴いた彼岸舎なり、とれ、置に皇室の思召しによって弘め られたものである。今、尚段、神悌分離の明治維新以後と睡も、春季皇霊祭、秋季長霊祭、と一式ふな名前があ りまして、彼岸の中日を記念せられて居る。園民全韓が其の一日は業を休んで、さうして修養する形にたって 居るのでありまずから、圏内の伸教徒、否、全日本園の行事として、此の到彼岸舎を意義あらしめば、上朝 廷の大御心を韓して、吾 k 園民金時一が此の到彼岸舎を十分意義あらしめるやう賢践賓行ずる方法を考へる、と れが淘によい行事である。拘に春の時候の好い時、秋の時候の好い時に一週間と一式ふ長からや短か L らざる丁 る 度よい日取りを以て皆が沿寺へ参詣したり、た話を聴いたり修養したりする、さう一試ふ行事が教へられて居る のでありまずから、とれがよい怒らば、之を支那へ持って行って行はせる。蒙古へも、チベットへも、泰園へ も叉、印度へも、何慮へでも持って行って、到彼岸舎を先づ悌教徒から之を行ふ。そして、日本は悌教徒であ 沿線岸/\と一去って居るやうた欣態になってゐまずからして、其の悌教徒以 外の人でも、日本人・ならば、此の到彼岸舎と云ふ一週間は何か善いととを考へて呉れるでもあらうかと思はれ る時期でありまするし、それから全世界の悌教徒に是はまととによい行事であるからして、此の到彼岸舎を大 い に 五 口 K 悌教徒はしたらどうかと一式ふととを、日本悌教徒から世界の伸教徒に提案する、と一式ふゃうたととが、 それに就さましては到彼岸舎の行ひ方に付いて、十分御討議を願って、さうして斯う つでも友くても、殆ど習慣的に、 如 何 ・ な も の で あ ら う か 、

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一式ふゃうたととを、到彼岸舎の時に行ったらよからうではないかと一式ふゃう訟ととを考へて戴い売らどうか、 と思ふのであります。まあ/\斯う云ふ大きた戦争も行はれて居る時であり、まするし、生きてた圏の篤に重し て下さって居る沿方も、叉、命を捨て L 謹閣の紳様となって下さって居る沿方も津山のた方 A が、た園の震に 其の血を流し汗を流して居らつしてやる秋であるからして、少くとも吾 K は感謝感思の心からして、謝思法舎 のやうな策持が行はれる。それが直ぐ其の自行化他、自ら修養すると共に化他利生の行事にも友ると一宮ふゃう たととが、一つ、具韓的に案出せられる訟らば、拘によいととに怒るのでないか知らぬと思ふのです。どうも、 私は、まあ、京都に於て、眺めて居って感じたととでありまするが、京都−なんか一宮ふ所は、各宗の本山のある 所ではあるけれどもが、普段一向檀家の人が寺へ説教を聴く魚に参一自問すると一式ふやうなととが少いのです、設 教はあるけれども、参聴者は極く少い。けれども彼岸にたると、

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の寺も/\満堂であるのです。それで、信 心のある者もない者も、求道心のある者もない者も、 h N 彼岸舎だと、斯う怠ると、 ならぬものと思って居るらしい。とれが飴程長い習慣であると息ふし、私は、偏へにとれは平安一脚宮に在しま 桓武天皇様の思召しが頭に宿うて居る様た集がする。それも日本金園に於きましては色 k 其の土地に 一 度 は た 寺 へ 行 か ・ な け れ ば ナ 所 の よって色 k あらうと思ひますが、此の彼岸舎と一式ふものは、普段、悌縁の薄い者でも悌縁を嬉びます、普段、 た寺へ来たいものがた寺へ来るのです、まあ今年の彼岸の中日には、私は、東京の浅草の本願寺で講演を致し ましたが、あのやっと出来た、まだ天井も敷いてたいあの浅草の本願寺の大きた御堂が満堂であった。私の聾 15 も隅 k に届かたかった、損聾機でやって見・たけれどもが、甚だ不出来でありました。あれ程東京の人もた綾岸 と去へば弘樹寺へ来るのかと思ふと、何やら涙ぐましい感じも設しましたが、彼岸舎と一式ふ斯ろ云ふよい時季に 日本偽敷革協曾討議舎速記録 二 五 九

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日 本 係 致 事 協 曾 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 三 六 O 16 斯 う 一 式 ふ 習 慣 が つ い て 居 る 吾 k 日本人の信心のあるなしに拘はちゃ、彼岸舎になって来ると、詩草の観音様も 御繁昌、本願寺も繁昌、芝の増上寺も御繁昌、東京で一宮ふとさうでありまするが、京都亦然り、斯う一式ふ時期 に 吾 k 悌教徒が、大非常時ではありまするし、ゐ園の震にな蓋し下さって居る諸 k の沿方に封ずる謝思報恩と 一再ふ無持で、又さう一玄ふゃう友名儀で、甚だよい行事を行ふととが出来る、それによって、悌教を宣停すると とも出来る。と一式ふゃうたととも考へて下されば、非常によいととでなからうか、とれは日本悌教濁特のもの で、とれは印度伸教にも支部悌教にもないものだけれども、とれを逆に、印度支那へも轍入し、叉、全世界へ も及ぼして、全世界の悌教徒に、春の一週間、秋の一週間丁度好い時に斯う一式ふ修養の時聞を奥へる、とれは、 拘に私は日本伸教徒としてどちらにしてもよいととで友いかと思はれる。それに就ては、先づ、我等自ら此の 行事に付て一つ立探なものに行び進めて行くべきかと一式ふととは、更に兵韓的な考慮をする必要があるのでな い か 、 と 思 ふ の で あ り ま す 。 佐藤哲英君︵龍大︶今、現在、悌教界は怒濡逆巻く嵐の真中に五口々は立って居るのでたいかと思ふのです、今、 二宮さんのも肩話の様に、爆弾が降って来さうだ、と仰しゃるですが、どん友形の爆弾が吾 K の前に落ちて来るか 分らない。さう一式ふ一つの時期に亘って真面目に考へたら、悠々閑 k として、議論なんかして居られたいと思ふ のですが、併し恐らくさう云ふ爆弾が落ちるぞと云ふゃう放策味があつもん時に、悌教界は内部から何ものかが 我が悌教界の行悩みはとんたものだと一式ふととを掴んで来る、其のものは深い悠遠放哲接的た思想でもたく、 又人心の奥に潜む宗教的友信念と云ふものがどんた形であるか、と一式ふゃう友賭では・なくて、矢張り賓際悌教 徒が現に行ひっ

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ある悌教行事を云ふもので、さうして、何かとんなととをやって居るのか、と一式ふ批判が直

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ぐに振り掛って来るのでないか、と思ふ。とんな賠からして、今度の討議題目が色 k な御意見もありましたけ れ ど も 、 矢 張 り 真 面 目 に 五 口 k 日本悌教の事舎としても、真剣に考へて行かたければたらぬ賠だと思ひます。併 し 、 主 ︵ の 賠 に 就 て 、 私 、 賓 は さ L やかたがら過去数年間悌教青年舎の賓践運動に携って来て居ります。私自身 が皐怒る指導者と云ふ側で・なくて、私自身が菅業的指導もやれば紙芝居もやれば、映重の解説もやる、と云ふ 所迄飛び込んで運動をやって居るのですが、さう一宮ふ時に日本悌載の会開的悌教行事と一宮ふものを、何か一つ 統一をして行かたくちやたらぬのだ、と一式ふ賓際の問題を真面目に考へて行きまして、感じた億の一、二の賠 を申上げて、皆さんのそれに劃する色 A の御高見を承りたいと思ひます。直接輿へられました問題は、とれか ら 先 ど う す る か 、 と一宮ふ先きの問題でなくて、今、現在の悌教行事と云ふもの乞何とかしてやれ、と一式ふ現在 の問題なんであります。今、色 k と座長さん怒り恵谷さん・なりから御意見が出て居りますが、少くとも、東亜 金轄の悌数行事として、矢張り採り上げたくてはたらぬのは、花祭りとか、或は、成道舎とか、浬繋舎と一式ふ ものでありませう。叉、日本伸教徒として、採り上げゑくてはならぬものは、矢張り、聖徳太子奉讃舎と云ふ もので一再刊日現ほされるものでなからうかと思ひます。新しいものを色 K 考へて行くと一式ふ、新しいものを生み 出すと云ふよりは、賓際現在やって居るものをどんたに徹底させて誰でも兎に角行ふ、菅の者が祭持よくカを 合してやって行くと云ふ一つの悌数行事と云ふものを、一つ本蓄に生きたものを金瞳がやって行きたい、斯う 云ふゃう・双葉持を痛切に持って居ります。所が其の賠で差首り引っか L りますのは、京都だけで今悌教青年曾 17 には舎員が一寓五千名程ありますのですが、それだけの各宗のものが集って来て、一緒に讃める治経と一式ふも のは何か、斯う一宮ふやうな時に差営り今現在コ二時依文 L と云ふものが一つしか友い。一盟、とれだけで、何と 日本傍教暴協舎討議曾速記録 一 一 六

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日 本 偽 致 事 協 合 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 一 一 六 18 か矢張りそとに新しいものを一つ作り出したらどうだらうか、と一宮ふゃうゑととも色 K 考へまして、其の賠に 就て、少くとも、伸教行事の全樟的行事、と云ふゃう友ものを考へて行きまして、何か、悌教経典の上から、何 ら ど う か 、 かの経典と云ふものを一つ採り上げて来てそれを護請し得るやうに、誰にでも讃めるやう友ものを一つ作った と 一 式 ふ ゃ う 友 考 へ も 色 k ありまして、﹁初轄法輪経﹂と一式ふゃう友経典はどうだらうか、と云ふやう どうも考へ方として、樟統的た力と云ふものに伸教徒と一式ふものが 訟 と と も 、 賓 は 考 へ て 見 事 ん の で す 。 併 し 、 大韓生きて来て居る関係からして、今迄一般に流布されて居るもの L 経 典 、 と 一 宮 ふ ゃ う た も の を 、 一 つ 略 k 悌教 各宗が一つの経典としてさうして、それ左採り上げて来売らどうか、と一宮ふゃうたととの方が賓は具韓的危運 び方をするのでたいか。斯う一宮ふ鮪に付て一つ皆さん方が、どう一式ふ経典と一式ふものを、短いもので結構です が、どんたもの左採り上げたら、少くとも悌教会阻闘に行き亙るやうた経典であらうか、と云ふゃうたた考へ左、 少しばかり承り度いと思ひます、私の考へて居ります賄は、御意見を承りましてから申さして貰ひたいと思ひ ま す 。 ニ 宮 守 人 君 ︵ 正 大 ︶ 私は稲垣さんの御意見に決して抵燭して居らたいのであります。意見を述べます、行事と云 ふ 一 言 葉 が 、 此 舎 場 を 御 覧 た さ い 、 之 で 吾 k は 行 事 と 一 宮 ふ 言 葉 を 一 式 ふ 資 格 が あ る か ど う か 、 賓 は 愛 想 が 謹 き て 居 る のであります、日本悌教事協舎の大舎であります、市して、本日は畏き謹りに於ける紳嘗祭であります。併し ・ながら一言もとれに及ぶものがない、即ち、行事と云ふととを口では云ふが、置は行事して居ら友い、悌教の 行事と云ふものは、申合せ注して、斯うし売ら旨く行かろと一式ふデモンストレーションと一式ふととをたさる行 は全部鼻持ちの友らぬ臭い行で思はや知ちゃ皆の意見が賦って一致した、斯う云ふ時に出来上るものが、とれ

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が同県の悌教行事、申合せをして旨くやらかさう、何かとれは仕事をやらうと云ふゃう友料簡方の行事が百高陀 羅多過ぎる。寧ろ、私は此の行事を呪ふ、さうした宜惇的友行をすると一式ふととに付て、本営に忽ちに紳嘗祭 をどう園民として、悌教徒として此の行事を奉讃するか、先づ、退いて行事から遠ざかるとと、而して思はや 知らや云はや語らやそとに行事が出来上って来る、先づ養ふべきものは無震の行、菩提心を養ふととによって、 窃にそれは園熟した所の道が行と怒って現れる o とれが悌教徒の行事を用ゐる所の本営の方法である。唯、行 事をせむが矯の行事と云ふものを、殊更に議すると云ふゃうたととは、是は寧ろ恥しい、私は遠慮したければ たらぬ。而してさう云ふ賞際的の行をするには、 それたら全然せぬでもよいかと云ふとん−にたれば、必やしも 私は意見を持たぬ需ではたい。此の行と云ふものは、思ひ、内にあれば、 1 1 忍ぶれど色に出にけり、我が糟 は 1 1 必や色に出でるでせう、行事は色に出て来てよいのであって、其の行事が今時局下と一宮ふととである怒 らば、私は先づ、天長節の行事を鄭重にする臆仁天皇の御代に於て、殺生戒を保つととを以て、天長、地久 を祈る、とれが、日本悌教徒の刻下に最も即臆した、特に、現代に意味を持。所の、ーーとれは併したがら私 が云ふのでたい、外に既に言ひ出し売ものがあります、併したがらあの研究はもう少し足らぬものが、あると 思 ひ ま す 、 さうし売ゃうたものを本営に議する友らば、 そ れ も よ ろ し か ら う 、 と私の意見であります。 石橋誠謹君︵悌専︶色 k たた設が出ましたが、先刻の悪谷さんのた話がありますし、悌教と一式ふものは、矢張り 日本だけでは友い、支都、印度、若しくは南洋にも遇やると一宮ふゃうた蓮大た希望の下に行事をして、護展せしめ る事の必要があらうと思ひます。それに就ては、矢張り降誕舎と一宮ふのが一番よからうと思ひまナ。今、降誕 舎と一宮ふものがあるととはありますけれども、どうかと云へば、もう一つ護展さす齢地が十分あると思ふので l!) 日本偽数挙協曾討議舎速記録 一 一 六

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日 本 品 開 致 事 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 ニ 年 ︶ 二 六 四 20 あ り ま す 。 そ れ は 、 今 、 ど う か 一 式 び ま す と 児 童 協 舎 と か 、 青 年 舎 と 一 式 ふ 方 面 で は 、 さ う 一 宮 ふ 方 面 に 於 て 力 を 入 れて居りますけれども、もう一つ事校とか、或は又各家庭とか、 さう一式ふ方面に於ては、もう一つ十分でない の で あ り ま ず か ら 、 さう云ふ方面は十分一つ護展させる方法を講じて、さうして支那、満州、進んで蒙古迄も、 綿て、悌教を奉やるものには、悉くさう一式ふ思想を益々敷演し護展させるゃうと一式ふ具合にして行くと一式ふと とが、一番よくはないかと信じて居ります。それに付て色々た行事がありまして、浬鶏舎と云ふゃう訟ものも、 成道舎と一宮ふゃうたものもありますが、矢張り斯う一式ふものは時期がよくたいと謹展性が薄いのであります、 さう云ふ意味に於て降誕舎は最も時期がよい。先程加藤先生の沿話もありましたが、あの長彼岸と一式ふものは 拘に時期がよい、時期がよくて事柄がよいから自然に護展ずるのであります。さう去ふ意味に於て、此の降誕 舎と一宮ふものを何らか、もう少し護展さず方法を講やると一式ふととが必要ではないかと思ふ。 鎌 田 韓 商 君 ︵ 臨 専 ︶ 私は臨済事院の鎌田であります、先輩各位の御高見に封して甚だ潜越でありますが、 一 寸 言申上げます。諸先生方の御意見を拝聴致しまして、私の感じまし売事は、本日の御意見は大瞳二つの方向が混 線して行ったのでたいか、斯う云ふ考へであります。それは、部ち、日本的たる行事と、それから、東洋的或は世 界的行事とをごちゃまぜにして居る。とれを先づ以てはっきり分けて、日本的行事ゑら行事に付き、世界的行 事たら世界的行事に分けて御討議怒さいましたら、早いとと決勝鮪に到達するのでたいか、斯う一宮ふととも包先 づ第一に感じます。それに就て、或は浬繋舎であるとか、或は成道舎であるとか、或は彼岸舎であるとか、さ う云ふゃうたととは云ふ迄もたく、東洋的世界的行事たんであります。所が、二宮先生の沿話のやうたもの は、是は本営の日本的念行事友んであります。私の申上げ度いととも、賓は日本的行事である。兎に角、只今

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も龍大のた方のも品話がありまし売が、今や日本の悌教は非常に大切な立場に立って居る、綿て何を云はせるか、 私は園家性との結び付きであると思ふ。或は悌教の行事たるものは国家的な色彩が稀薄過ぎる、何故もっと之 を濃厚た園家色に塗りつぶさたいか、つまり、行事を岡家的色彩に塗りつぶすと云ふととは、それが、イコー ル悌教行事をして園家的に怒るとと・なんで第三者からして、伸教は何をして居るか、と一式ふやうなととの攻撃 の矢が飛んで来友くたる。とれが一番大事なととであると私は恩ふ。先づ以て、悌教行事を、もっと簡単に云 ふ怒らば、悌教そのものの本質と云は−なくてはたらね、日本伸教事舎でありまずからして、日本伸教行事と闇 家的行事と云ふものの緊密たる握手、そとに私は狙ひを公くと一式ふととが、今後の、特に、印刻、現在の時局 に部し党、悌教行事と一宮ふものに劃して時局性を輿へ、或は此の本営の歴史性を殖やし、叉、日本的色彩をそ れに濃くすると云ふゃう友結果にたるのぢやたいかと思ふ。所で、最初に営りまして、座長さんのた話にもあ りましたやうに、聖徳太子讃仰デーと一式ふゃうたものたら私は結構だと思ひます。それを悌教徒が、||悌教 徒と云ふゃうたととは或は寧ろ私は忘れてよいと思ふ。

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|衣を着て居ると云ふゃう訟とと左脱ぎ捨て、裸に たってよいと思ふ、何に蹄るかと一宮ふと、日本園民に錦ればよいと思ふ。そして、吾 k 日本園民が全裸となっ て、然る後に衣を着直してやる行事である・ならば、其の行事が、もっと真剣に園民一般に封して、園民一般の 者の心臓をグザリと刺すととにたるだらうと思ふ。兵韓的なととに闘しては、又、皆さんの沿考へに侠っとし て大韓の狙ひとしては、さう一式ふゃうた所を私は狙ひたいと思ふのであります。絡り。 藤原弘謹君︵悌専︶只今のた話に関聯致しまして、一言申上げます。信仰には自然的友行が最も肝要である事は 今夏云ふ迄もありませぬが、併し、其の行と一宮ふ、其の特定の行事と云ふものは精神の表現である以上、行事 21 日本偽教率協合討議曾速記録 二 六 五

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日 本 品 開 数 準 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 一 一 六 六 22 だけを盛んにすると云ふ事は、果してどれだけの意義があるだらうかさう云ふゃうゑ批評がそとに浮んで来る のであります。世界理想として悌教が我が園に輸入されまして、園民生活と離すととが出来扱いととに放り、 同時に自らそとに色々怒悌教行事が生れました。例へば最勝舎とか、仁王舎とか、或は孟蘭盆舎友ども年中行 事の一っとし、加持祈樽を中心とする仕方と、或は観音信仰とか、地諸問信仰に伴ふ所の誠一躍参詣と云ったゃう たととの行事が盛んに行はれまし売。併し、何時しか形式的に流れて、業の本質を失ハ J たととは歴史が明かに 之を物語って居ります。私は飴り行事に重ぎを置くとします友らば、さう一宮つ党本質を失ふ憂がたいか、先づ 備教徒として自分を省みて見る。とれは或は行事ではないかも知れないけれども、五口々は食事の時に合掌致し まず。或はゐ米は、米粒は菩薩だから大切にせよ、と寺でさう一試ふ教育&受けて今日迄やって来ました。現在、 節米が喧し︿一宮はれ、さう云った悌教徒の日常生活が吟味されます折柄、先づ悌教徒各自の日常生活を刷新し て行く、さう一宮ふととは自然大きた力に怒りはし汝いか、とれは勿論行事でたいかも知れぬが、悌教徒自らの 行ひとして、さう云った方面に進めて行くととも、強ち意義のないととで・ないだらうと思ひさす。叉、往生と か精進とか、さう一式。売言葉が世間で−誤解されて居りますが、さう一冨ふととも、ドシ/\機曾に鯛れて間遣を 正 し て 行 く 、 さ う 去 っ た と と に 、 やがて悌教がやはり出て行くととが必要ではたいかと思ひます。とれは先づ 悌教徒の個人的危行事でありますが、弐に、日本伸教徒としての行事と致しましでも、先程、 h M 話がありまし た塾徳太子思を有意義に悌教徒全躍が行ふ、凡そ圏家統制を最も明かに示され・たものは墓徳太子の憲法十七僚 であります。現在闘家統制が最も喧しく園家の重大問題にたって居るが、園民と致しまして、車徳太子を奉費 すると云ふととに付ては、各宗祇を論ぜや意義のあるもので、大いに有意義なものと存やる次第であります。

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戎 に 、 先 程 、 た話のありました、大きくしてアジアの悌教徒のととでありますが、東亜共柴圏形成の事業が荒 々進められて居る時、悌教としてもどうしてもそれに無関心で居るととは出来友い。殊に現に北支に於ては政 治的友有力者は、或は伸教護持の方は、日本と支那との和解と一宮ふものは、同文同種だからそれで和解しよう、 そん怒ととでは成立するものでは友い、同信同願で友ければたらないと云ふ意味から同願舎と云ふものが作ら れて、月々にその方々が集って念悌を申されて居るさうであります、現に浮土宗に於ても、月に一回、満月の 自に、其の行事を行って居りますが斯う云つ売悌教興隆の思想が穆拝として北支に興りつ L ある。それに封し て日本の悌教徒は、飴りに無関心過ぎはしたいか、それは、日支共に意思の疎通たり連絡がたい矯ではたから うかと思びます。さう一式った意味から、アジアの悌教徒が打って一丸と怒り大同圏結をする所の悌教徒大舎と 申すべきものを行ふ。例へて申しますたらば、日本の悌敢闘牢舎に於ける所の此の年一度の備教大舎を、東西南 都に於て行ふやうに日本、支那、或は印度、さう云つ究所に於て代表者でもよいから集めて、大いに此の悌教 興隆の策運並に、日本全部が、今、主張して居ります所の、アジア共柴圏の大事業を翼賛すると一宮ふ、さう一式 ふととが是非必要であらう。時期は何時が一番よいかと一式ひますと、失張り治韓迦さんの降誕品目、時期はさう 去った気候の好い時期を選んで、是非とれは吾 k 悌教徒として提唱しなければたらたい刻下の重大問題であら う。さう思ひまして、私は先づ悌教徒各自の日常生活を刷新すると一宮ふとと、日本園家の日本の備教徒として 申しまする・ならば、聖徳太子忌を有意義に行ふ、アジアの悌教徒と致しましては、さう一式つもん連絡疎通の機関 を設けるとと、斯う三つを此慮に申越べ党共第であります。 23 安 井 鹿 度 君 ︵ 谷 大 ︶ 討議題目の意味は稲垣さんの説明で極くはヲきりして居ると思ひますが、どうも先程からの 日 本 傍 教 盟 申 協 曾 討 議 曾 速 記 録 二 六 七

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日 本 偽 致 事 協 曾 年 報 ︵ 第 十 = 一 年 ︶ 二六八 24 話を諒きますと、大分に脱線した様友形になりますと、どうも話が長過ぎまずから、

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うか始めのやうに五分間 位に定めて、成べく簡単に自分の考へを護表して貰ひたいと思びます。それから、置は悌教の行事に就ては、従 来飴りに閥心して居りませぬのと、悌教行事に付て飴り知識を持って居りませぬ魚に、どうも齢りよい考へが ありませぬ。先程も、誰方かのた話に一寸出ましもん、仁王舎、最勝合、金光明経とか云ふ護国の三部経と一式ふ ものが讃まれて、何か三大舎と一宮ふものが、平安朝に盛んであったと云ふととを何かで見たととがありますが、 何か非常によい集りであったゃうた風に思はれます。占んも今日再びそれを再興すると一試ふのか、叉、現在行事 が行はれて居るのか、よく知りませぬが再興設すに致しましでも、もっと内面的た意義の深いものにならねば、 昔のま a A では勿論いけませぬけれども、大韓平安朝時代の三大舎と一再ふゃうたものを一つのモデルとして護園 と一式ふ言葉が古いですけれども、護園舎と一宮ふやうな一つの年中行事を始めて見事んらどうだらうか、それに就 ては、具樟的には悌鞍聯合舎の諸君なども御壷カを煩はして、毎年一回護園舎を聞いて、先づ十七保憲法位を、 位と云ふと失躍ですが、十七帳憲法を一ヲ司舎者が戴いて何か一つ具合よく、それ以上、鈴り具韓的た案は持 って居りませぬが何か具合のよい、さう一式ふ護園舎と一宮ふゃうたものを始めて見たらどうだらうか、と云ふの が私の考へであります。それから、一寸、とれは附録的た話に怒りますが、今から三年程前に、私が上海に居 りまし売時分に、維摩悌教と一式ふものを始めました。大陸の日本人のインテリ屠を集めて、月 k 交番で茶飯を 炊いて一緒に食うて、さうして、及ばや友がら私が維摩経の講義をした、其の時分に、交番で茶飯を食って始 終やりまして大賢喜んだと云ふととを、ふと思ひ出し売のですが、何か、さう云ふゃう危護園舎と一宮ふものを 催すととにして、皆さん方の智恵で、具樟的たよい一つの作業がそとへ現はれ L ば 大 費 結 構 だ 、 新 う 一 式 ふ の が

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私 の 考 へ で あ り ま す 。 松浦樺朝君︵高大︶日本悌教の教理は非常に高速でありまして、恐らく金宗教の最高峰を行くものであるが、伸教 倫理の賓践に於きましでは、淘に情たい扶態にあると思ひます。此の悌教倫理を賓践する震に従来行はれて居 る布薩舎を訂正したいのであります。布薩舎は一部の宗祇に於て行はれて居るものではありまするが、其の意 義から申しますたらば、金悌教徒の行ふペを行事であると思ひます、御承知の通りに毎月の十五日と晦目、此の 二回行って居りまするが、之を先程吉群先生の一式はれた興亜奉公日の一日に執り行ふ事に設しまして、前月一 ヶ月に於ける所の自分の行矯を反省修養して行く行事、法要としての行事友行ふ。併し其の法要に従来行はれ て居る党網経を唱へると云ふゃうたととはどうかと思はれますので、新日本の悌教としましては、新しい戒律 を編成致しまして、悌教事舎の由 k しき畢匠たちに新しき戒律の結集をして戴きます。ついでに、先程、龍谷 の方が一去はれた、日本悌教の全醐掘に遁やる経典を結集して戴きまして、さうして此の現在の日本に誼嘗友、日 本伸教濁特の新戒律を此の布薩舎に讃謂して、会園興亜奉公日を日本悌教徒として、全園津 k 浦 K の寺院に於 きまして、悌教徒は全部集ひ寄りまして、前月一ヶ月に於ける所の自分の行矯と、園家に封ずる忠誠に於て誤 なかっ売が、悌教徒としての行矯に於て、伸組の垂訓に違背する所は唱なかったか、と一式ふゃうたととを反省す る法要として、信者、大衆と共に日 k 機悔反省の修養を進めて行く行事として、日本悌教の大きた運動にして 貰ひたいと思びます。 25 飛鳥井聾撞君︵叡専︶只今承って居りますと、悌鞍行事に付きまして、色 K 御名説、或は、具韓的敢行事に亙って御 討議を承った,次第でありますが、私は、悲に伸数行事と一式ふ其の題目に就きまして、悌教徒が催しをするととと 日本係数準協舎討議舎速記録 二 六 九

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日 本 品 開 設 挙 協 舎 年 報 ︵ 第 十 三 年 ︶ 二 七 O 26 一式ふのでたくして、悌教徒が行びをするととに解樺左致しまして、此底にた集り下さって居る皆さん方は恐く 悌教徒であると存じます。今日の沿集りの方 k の聞に於て、兎に角される所の悌教徒としての作法は、果して 如何なる作法乞沿執りになって居るか、持見致して居りますと、我が日本圏民の普通瞳法友行って居るに過ぎ たいものであります。併し・ながら悌前に於ける三蹄依文の奉諦に於ては皆共に合掌瞳拝を行って参ったのであ ります。併し放がら、悌前に於てのみ躍拝をして、悌教徒の信念を現はした、叉悌教徒の統一ある作法として のみ止まる怒らば、是は、極めて小範圏、或は、限られもん位置に於てのみ行はれるととであると存じます。と れを更に将来に護展せしめ、而もゐ互ひに行ふととによりまして、より一居伸教的感化を及ぼし、悌教的た統 一ある開制を整へて行く震に、治互ひの聞に於て行はれる所の、瞳法、作法は今日より以後、口ハ今より具韓的 に A 口掌を以て作法乞た決めあらむととを希望致します。 安西国高承君ハ正大︶悌教徒全瞳として行はれる要素が最も多いものを矢張り考へ友くてはたら−ないと思ひます。 それに就ては、もう今迄に皆さんが御提案になったので色 k と十分奉って居ると思ひますが、其の中に聖徳太子 忌と云ふ事でたくて、嬰徳太子舎と一宮ふ様怒、聖徳太子に関する全悌教徒の行事、それから大陸と日本悌教徒 との交獣的接舎とか、悌教徒大舎とか一式ふ御提案がありましもんが、さう一式つ売性質のものも非常に結構である と思ひます。それから従来の悌教の行事の内容を損充して行くと云ふゃうた意味に於ては、彼岸舎を恒例法舎 にすると云ふととは悌教徒が一番に行ふ、それから、靖園紳枇の戦死者の英霊を祭ると云ふゃうた意味を矢張 りはっきりさして行くと云ふやうなととは、春秋の彼岸舎の内容を損充して行くととにたりはしたいか、と思 ひます。此の新しいものを色 k 作ってやって行かうとした所で、中止困難たととでありますが、色 K た新しい

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ものを作ると云ふととは、先づ、第二の問題と思びます。社合中心のた話がございまして、それに就て、日本 的たもの、世界的、或は、アジア的たものと、直別をつけやうぢや友いか、と一宮ふた話がございましたが、そ れに付て、私、考へて居りますととは、日本の、現在の東亜共柴圏に見られる理想と一式ふものは、まあ、

の大和ーーでありますけれども、是は決して日本が盟主に怒って東亜は旨くやって行かうと云ふゃう友考へで は友い、具瞳的に一式へば、東亜全韓を日本にしよう、日本が盟主になると云ふ様訟ととでは牛分と一式ふゃう友 日本の内地に見られる紳武天皇の大和と一式ふととは、天孫民族を 中 心 と し ま し て 、

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|天孫民族、大和系、出雲系と云ふのがありますが、

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!とれの結合と土着人種、アイヌ、 インド、ネジアン、馬来色 k た種族の合同統一と一宮ふとと、此の種族が本営に揮然としもん大和民族へコンデシ スされて、出来上ります迄に、敷百年を要して居りまして、恐く、奈良朝時代位迄か L っ て 居 た の で 怒 い か 、 と思ひますけれども、綿て、斯う一宮ふ風になるのが本営の大和で、賓際考へて見れば、私達インドネジアンの 子孫にたるか、アイヌの血を齢計受けて居るか、分らぬけれども、大和人種としての自費を持って居る積りで あります。本営に今の日本の大和と云ふ考は皆日本人にしてしまふと一式ふととであります。本営を謂へば、血 統的に行か・なくてはいかたい、東亜共柴園と一式ふととを理想的に達成して行く上の方法としては、勿論文化的 調和的和合的友手段、さう一式ふ方法手段によって設されなければたらたいのでありますけれども、それにはど 感じが残って居る、此の大和の完全怒姿、 うしても日本と云ふとと左矢張り中心観念として持つ方法で・なければ怒らぬ。それが世舎の方が具合が悪いか らと云ふゃう訟ととは、過渡的友方法を考へるとしては或る程度あり得るかとも思ひますけれども、それにして 27 もその枇舎が日本とどれだけの関係があるか、本営にとれと、本嘗の日本精神の顕現が世舎にあるかと云ふと 日本傍教準協曾討議舎速記録 七

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日 本 働 教 準 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 一 一 年 ︶ 七 28 とが問題にたると思ひます。要するに吾々は日本中心のととを考へて行けばよい、それで以て、先づ具合の悪 い場合には色 k 考へて行かたければたらぬ、と一宮ふゃうたやり方を、兎に角現在日本の政治を掌って居られる やう友方 k が執って居られるのでありませうし、又、悌教徒としての私達は、日本伸教徒としての私達は、さ う 一 試 ふ 考 へ で た く て は 取 ら ぬ 。 斯 う 一 宮 ふ 風 に 思 っ て 居 る の で あ り ま す 、 以 上 。 佐藤哲英君︵龍大︶今の御意見も先程から一放って居りますが、色 K 友御意見を色 k 拝聴致しましたが、どうも矢 張り伸教行事と云ふものは、新しいものを作って行くよりは、古いものを矢張り活かして行った方が、全民衆を 引張って行くのには、非常に都合がよいのでたいか、と云ふ事を、私も痛切に感守る語であります。さう一宮ふ意 味に於きまして、党網経とか或は仁王経と云ふゃうたものに基づいた、仁王舎とか党網舎とか云ふゃう・なもの も非常に結構たものでありますが、矢張り簡単友悌教全慣が譲み得るやう友経典と云ふものを治互ひに約束で 一つ定めて行くと一式ふ必要がありはしないか、理窟ではたくて、行事は賓際の問題たんですからさう云ふ難か らして、自分としましては、般若心経を、さうして大無量害経の中の歎悌備、法華経の普門品の世隼偶と一宮ふ 三ヲのものをた互ひに全悌教徒が、読み合ふと云ふ一つの短い経典にしたらどうか、般若心経は各宗殆どが行 はれるのですが、真宗は讃んで居りませね、日蓮宗の方もゐ讃みに怒らたいのぢやたいか、と思ひます。更に 法華経の世隼偏と一式ふゃうたものは、天台と日蓮と更に禅宗の方面もた讃みにゑるやう放経典でありますが、 長互ひに今のやうに宗祇の内に立て龍った時代友らば兎も角も、新睦制の謹動が此鹿迄進んで参りまして各宗 合同の策運と一宮ふものが進んで参つ売以上、今日の問題は、一つに合同をしようと思ふが、悌数行事をどうし と 一 E ふととを各宗の宮路者が日本悌教接舎の諮問を受けて居る一つの問題材 A E r− − 考 へ て 、 何 等 か 一 た ら よ い か 、

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つ見通しを、矢張り賓際に行はれ得る見通しを樹て L 行き売いと思ふのです。さう一式ふ黙は、私共の考へとし ましでは、真宗たんか般若心経だから譲ま友いと一式ふやうなととを去はやに、般若心経も世律備も諌んだらよ いぢやたいか、其の反封に、大無量需経の嘆悌侮も一つ日蓮宗友んかの方の外のゐ宗旨も一つ諌んで戴く、其 の三つは内容的に見ましでも、宗祇に囚はれたととばかり云ふととはありませぬ。さう一式ふ賠で一番普遍的に たり易いものでありますが、而も、現在既に相官多くの宗波で行はれて居るものを一つ賓際にやって行きた い。斯う一式ふ賭も昨年の大騒舎には、大谷大事の朽木先生に色々勝手友ととを沿願ひしまして、大騒舎行事の 中に大谷大串で行はれ売ゃうた意味で、嘆働侮を悌教金韓の行事に採り入れて戴きまし売。さう一式ふ賄からし て賓際賓践的にやり得るものを一つ沿互ひに定めて行︿と云ふ所迄今日の問題を進めて戴きたいものだと思ひ ま す 。 安井鹿度君︵谷大︶今、佐藤さんの沿話に付きましでは、三っとも飴り内容が専門的たものがあって、恐く来舎 者は意味が分ら・ないと思ひます。叉、さう云ふ集りと一式ふものは、本来飴り専門的た性質を持って行くもので はたくて、唯、悌縁を結んで、悌教的気分を持へ上げて行くと云ふゃうた所に狙ひを沿かれたものだと、私は 考へまずから、嘆伸備にしましでも、普門品にしましでも、どうも飴りに専門的であるし、また三うを持って 来ると一式ふととは、如何にも宗祇が三つあると一式ふやうなととで、何やらそとははっきりしたいととがありま ずから、私は矢張り聖徳太子の十七憲法を拝讃ずるのが、最も有難いのでたいかと思ひます。 佐 藤 哲 英 君 ︵ 龍 大 ︶ 聖徳太子の十七憲法を讃むと云ふ事は、もう既に現在行って居ります。之はもう営然よい一 29 つの中心及んでせうが、今申しました三つのものが専門的訟と仰しゃいますけれども、決してた坊さんだけが譲 日本偽致事協合討議舎速記録 七

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