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企業の真実価値

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企業の真実価値

山 本 安 次 郎

一 序 口  いつの時代においてもそうであるが、特に今日のような技術革新のはげしい動態経済の時代においては、企業の真実価 値一事業や経営の真実価値  を深く理解することが、経営者は元より投資家や与信者や労働組合の指導者など事業経 営に直接間接に関与するものの職能の遂行にとり、程度の差はあるにしても不可欠の条件になって来た。それはまた経済 政策や国家的経営政策とも関連するものである。この問題は本来経営学が固有の問題として取扱うべきものであるが、今 日までこれを自覚的に本格的な形で取扱ったものはないといってよかろう。この意味にて、ここでは特にヘルゥイソヒの 企業の真実価値の問題についての見解を中心に考察して見たいと思う。  企業の真実価値といえば、恐らく多くの人はそれは会計学、特にそれと密接な関係にある経営分析論や経営比較論の問 題であり、それらがすでにこれに答えているのであって、今さら問題ではないと考えるかも知れない。なるほど、会計学 は広い意味での経営成果一財産や資本の構成さえも経営成果と見られる一の計算的把握とその勘定的表現、つまり財 務諸表一貸借対照表と損益計算書一1作成の基礎理論を問題とするが、その中心は結局企業の真実価値の発見に外なら ないとも解されるからである。また、いわゆる経営分析論や経営比較論は、会計学や統計学を前提あるいは予想し、一定      企業の真実価壇      一

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     企業の真実価値      二 の目的のだめに、会計の提供する財務諸表を分析し比較し、数値をもって経営の諸関係を解明すると共に翌翌を診断し、 かくて企業の真実価値を結論する方法を問題とするとも考えられるからである。事実、経営における計算的思老︵訂貯午 算9ω筈Φ。。∪窪閃窪︶は決定的に重要で、経営学体系においても主としてこれをそれぞれの見方から問題とする会計学や原価 計算論や経営分析論などが企業の真実価値の計算的把握という実践的要求に応えるものとして発達して来たことは否定出 来ない。そしてそれらが今日相当程度の発達を示し、例えば経営計算制度︵財務会計や管理会計、経営統計などを含む︶とし てこの要求に応え得るものとなりつつあることも否定出来ない。しかし、それらは過去の数字を示すに止り、将来の可能         を意味するものではない。この企業の真実価値という問題を動態経済における経営構造の変化との関連において考えると き、この問題に対する会計学や経営分析論などの限界が指摘せらるべく、右のような見解が必ずしもそのまま承認せられ 得ないことも明らかとなる。  改めて説くまでもなく、企業が資本循環ないし価値の流れを根抵とする経済的存在であり、営利原則が支配的であり、 その真実価値が牧益価値であることは資本主義時代を通して変らないにしても、そのもつ意義と重要性は経済の構造従っ て経営の規模や構造の変化につれて変らざるを得ない。例えば、資本主義といっても静態経済においてならば、企業も純 粋に経済的循環の一面において考えられ、その真実価値も牧益価値として財務的側面のみから理解することも許されるで あろうし、その限りにおいて右の見解も認められるであろう。然るに、今日の動態経済における企業は構造変動の結果、         発展を含み単なる経済的存在以上のもの、ドラッカーの言葉を借りれば、﹁経済的、統治的および祉会的な制度﹂︵き①8旨㌣ aP帥碧ぎ讐平庭近き餌⇔。・。欝=霧けぎま誉︶であって、事業面と経営面との主体的統一として具体的に把握せられざるを得な い。そこでは経営成果は、単に過去的なものとしてではなく、未来的なものをも含むものとして非経済的要因  例えば トップ・マネジメントのデシジョン・メーキングーに強く依存すると考えられ、企業の真実価値も計数的に把握し得る

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       ヘ   ヘ   ヘ   へ 過去的な牧益価値以⊥のものと考えられざるを得ない。換言すれば、経済構造の変化、経営構造の変化はいわば価値規準 へ   ヘ   へ の変化を要求することとなる。このようにして、企業の真実価値の問題は本来的に会計学や経営分析論や経営比較論の問 題以上の問題であるが、今や構造変化の結果そのことがいよいよ明白となったといわねばならない。       ヘ  ヘ      ヘ  ヘ      へ  思ヶに、ドイツで生れた経営分析論や経営比較論は、その名称自体を論理的に解するならば、明らかにアメリカ流の信 へ       ヘ   へ 用分析や財務表分析以上のものであり、上述の真実価値に応うべきであるめに、両者は実は内容を等しくただ名称を異に するにすぎないのである。換言すれば、経営分析論は実は財務表分析論の別名にすぎず、言葉の真の意味での経営分析を 問題とするものではなく、ただ経営成果の一面、しかもただ計数化し得る経済的一面のみを問題とするにすぎない。この 意味にて、企業の真実価値は伝統的な経営分析論の課題を越えるものといわねばならない。われわれはこのような会計学 や経営分析論の限界を認識することがその理解にとって特に大切であると思う。そして、その端的な表現は﹁貸借対照表 には人間がのっていない﹂ということである。  ところで、このように、経営分析論を批判してその限界を明らかにすることは、何等かの形においてこれを越えること を意味するが、それは経営分析論を文字通り経営分析論たらしめるだけではなく、更にはこれをいわば経営綜合論へ展開        ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ 診ることに外ならない。換言すれば、会計学的な経営分析論から経営学的な経営分析論への展開を意味し、然るものとし         てそれは正に経営学に属する。従って、企業の真実価値の問題はこの意味で本来的に経営学の課題に属するのである。  とはいうものの、このような課題が容易なものでないことは明らかである。経営分析論が真に経営分析論であるべくし て、しか・もただ財務表分析論に止らざるを得なかった事惰がこれを明らかに示している。それに.も拘らず、経営構造の変 化から、この問題が経営学固有の問題として取上げられざるを得ないところに、その現代的意義が看取されねばならな い。われわれはここではドラソカーの問題提起を顧み、ヘルウィッヒの問題解決への提案を老察して見たいと思う。彼の      企業の真実価値       、      三 、 r

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     企業の真実価値      四 見解はドイツのいわゆる社会的市場経済︵。。o三巴Φζ費ζ≦昌房。訂︷一︶を背景とするものではあるが、それを考慮すればわれわ れにも参考となるであろう。  ①O出ヨ帥poQ許二>8貯Nぎ鵬岡;雪。芭QQβ8ヨ2β一,①≦ω9a.=㊤ω幽”O.㊤  ②∪歪鼻。罫℃・閃、目冨宏ΦミQQoユ簿ざづ■ω。。hh.  ④ 経営分析論︵経営比較論︶が会計学に属するか経営学に属するかは、例えば予算統制論や管理会計論の学的所属の問題と同様に、いろいろ困難な問   題を含んでいる。一般には、経営分析論は会計学の延長であり補完者であると考えられている︵例えば、国弘氏、経営分析︶が、われわれは予算統制   論や管理会計論を経.営学に属すると考えた︵拙著、経営管理論、及び拙稿、管理会計論の新展開のために一会計学的見地から経営学的へ、PR、第七   巻第三号︶ように、経営分析論も会計学的から経営学的へ進出すべく、今日では本質的には経営学に属すると考えねばならないと思う。詳細は別に論   じたい。

二真実価値の構造日

 一 ウォルとギルマン  企業の真実価値が単純なものではなく、諸要素の綜合という構造をもつであろうことは明らか であるが、それではそれは一体どのような要素の、どのような綜合と考えられるであろうか。  この問題も最初は消極的な形から出発し、次第に積極的な形において競えられるに至っている。すなわち、それは先ず 経営分析の限界の問題として考えられた。上述のように、企業の真実価値を問題とする場合、会計学や経営分析論の結論 には明らかに一定の限界があるのであって、それはアメリカ経営分析論の先駆者達によって既に指摘せられている。そし        てこの限界の認識こそ真実価値の構成要素論や構造論への出発点をなすの.である。周知の通り、ウォルとダニングは、企 業の真実価値を一〇〇%とずれば、いわゆる経営分析論の取扱う財務的要素︵夢人。芭︷餌。葺︶はその四〇%にすぎず、そ の外に更に人的要素︵℃臼q・o銘=蝕野良︶が四〇%、景気的要素︵。聴ぎ巴融9電︶が二〇%あることを忘れてはならないと注意         している。また、ギルマンも企業の真実価値を決定するには、研究すべぎ四つのC︵︷o霞O.ω︶、すなわちΩ蜀冨08さO午

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醤。一蔓℃O巷蕾r騨巳Ooロ庇亀8があるとした。前二者は人的要素特に経営者の品性や能力であり、最後は景気的要素で あるから、その意味するところは、ウォルやダニングと同様に、企業の真実価値を単に財務的要素のみから速断してはな        らないことを注意したのである。われわれは彼等の所論の﹁なかに企業の真実価値の要素論や構造論への萌芽を見なければ ならない。  経営分析の限界を明らかにすることは実際的にも重要であって、今日でもとかく分析結果.を盲信するかに見える分析論 者のあることを思えば、既に古くこのことを明確に指摘せる点は高く評価されねばならない。しかし、ただ限界を指摘す るだけで、その限界内に止り、その限界を越えようとしなかったところに、彼等の時代的限界があるといわねばならな い。そして、この限界を越えるには、経営構造の変化によってこの限界を越える必要性が現実に自覚されねばならないの である。  2 ドラッカー  経営構造の変化を自覚し、このような歴史的限界を破って企業の真実価値に迫る新しい見解を樹立す る役割を、われわれはドラッカーに見出すことが出来る。ドラッカーについては、われわれも現代アメリカ経営学の注目         すべぎ代表者として紹介したことがあるし、また詳細な研究も行われ、主著は邦訳もされているので、ここではただ彼の 企業の真実価値に関する見解の考察に止めねばならない。  先ず、彼によれば、シュンペーターと同様に、企業は動態経済現象で、静態経済には存在しない。そして、その企業の 目的は普通にいわれるような﹁利潤の極大化﹂︵費。︷謬ヨ2。臨巳ひ・跳。ロ︶ではなく、むしろ﹁顧客の創造﹂︵葭。器コσq螢窪。。εヨ霞︶ である。ところで、この目的は二つの基本職能たる﹁市場活動﹂︵ヨ帥爵。瓜夷︶と﹁技術革新﹂︵ぎ昌。<蝉二8︶による﹁生産性﹂         ︵博&馨臥ぼ高︶の向上を通してのみ実現される。﹁生産性の測定は経営能力を現実に測定し得る唯一の尺度である。﹂かく て、彼においては企業の真実価値はその生産性に見られることとなる。ところで﹁近年、誰も彼も生産性ということをい      企業の真実価値      五

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     企業の真実価値      六 うようになった。⋮⋮しかし、われわれは実際には生産性について殆んど何も知らないし、実にそれを測定し得ないので ある。L 然らば、その生産性とは何か。彼は考える。 ﹁生産性とは最小の努力に対して最大の成果を与えるような、生産 要素間の釣合を意味する。これは、 一労働者当りの生産性とか一労働時間当りの生産性とは全く異るものである。生産性 はこのような伝統的な標準においては高々微かにまた曖昧にしか反映されないのである。というのは、このような標準は なお、肉体労働を唯一の生産源であると見る十八世紀的迷信に立っているからである。⋮⋮しかし、われわれが一事を知 るとすれば、それは近代経済におげる生産性の向上が決して肉体的努力によっては達成され.なかったということである。  ⋮:それは常に肉体的努力を排して⋮⋮資本的設備すなわち機械力におきかえた結果である。  ところで、肉体労働を教育のある、分析的、理論的な人⋮⋮におぎかえることによる生産性の向上は、少くとも同様に 重要であるが、まだ十分明らかにされていない。しかし、明らかにこのような代位は資本設備が肉体労働におきかわる前 に起らねばならない。設備は誰かが計画し設計せねばならないから。事実、経済学者の重視する﹃資本構成率﹄︵.聾Φ。︷ 。⇔冨巴︷實ヨ⇔凱。コ.︶は第二次的要素で、経済発展における第一次的要素は﹃頭脳構成﹄率︵邑ω9♂邑口♂至醇。昌、︶でなけ ればならない。⋮⋮資本設備の計画、設計、取附は﹃筋肉労働﹄︵.ぴ茜≦コ.︶を﹃頭脳労働﹄︵・ぴ﹁pぎ.︶におぎかえることによ        る生産性向上の一部にすぎない。﹂ 要するに、彼は精神労働たるマネジメントを重視し、その生産性を主張して、生産性 .に関する経済学や経営学や会計学における﹁生産的﹂とか﹁間接費﹂ないし﹁総係費﹂という用語が誤解を招くほど古く さいものになったことを論ずるのである。  、そこで、彼は次めように主張する。 ﹁労働が唯一の生産的努力と仮定する概念よりは、生産物に入り込むあらゆる努力 を一緒に考えてこれをその成果との関連において表現するような生産性の概念を必要とする。しかし、このような概念で さえも一大ぎな前進ではあるけれども一もし、その努力の、定義が目に見え直接に測定し得るコストの形、つまり、努

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力の会計学的定義に表現されるもののみに限定されるならば、なお不適当であろう。目に見える形ではコストの計数には         入れられないところの、決定的ではないにしても、大きな影響を生産性に及ぼす要素があるのである。Lω時間、②﹁生 産物の組合せ﹂︵.鷲。含9昌×.︶、⑧﹁方法の組合せ﹂︵.腰。8ωω日騨.︶、㈲企業や経営者の特殊能力、㈲組織構造がこれであ る。  ﹁それゆえに、われわれは生産性に影響するこれらすべての要素を包含するように生産性概念を定義するだけではなく これらすべての要素を考慮に入れるような目的を定める必要がある。そこで、われわれは労働を資本におきかえ、不生産 的間接費を生産的間接費におきかえることの生産性に及ぼす影響、並びに上述五要素の生産性に及ぼす影響を測定する尺 度ないし規準︵冨国争。犀︶を展開せねばならない。生産性の真実の測定は個々の経営がこれを必要とするだけではなく、 金融家もこれを必要とする。その欠除こそがわれわれの経済統計における最大のギャソプであり、不景気を予測し、予期        し、予防する経済政策上のあらゆる試みを根本的に弱体化するものなのである。﹂  以上の如く、ドラッカーは企業の真実価値を生産性の構造に認め、その測定の尺度の必要を説くのであるが、それにつ        いては積極的な論述を避け、むしろ今後の経営学の発達に挨たんとするのである。そこで、われわれもドラソカーを去っ てヘルウィッヒに向わねばならない。  ① 謹節F>’卿一︶=三士ゆq℃閑.毛こ即馨一〇︾=巴窃尻oh国舜コ。同期ωぶ謬ヨΦ暮望一旨。。”づ.一。。P 西野嘉一郎、経営分析、五八三頁。  ②○ニヨ田pω汁こ︾爵ぞNぎ瞬聞ぎp59巴oD仲呂ΦヨΦ暮ω、一。α仲①ユこおト。90■這.西野氏上掲書、五八四頁。  ③O昌ヨ鋤登QQけこ﹀三9⊃養ぎぴ身悶ぎ国恥9巴uD冨叶①諺①葺ρ同Φ︿δΦ勉①αこお謹宰δは上述の﹁四つのC﹂の代りに次の如く記している。﹁この種の著   書には常に止むを得ない限界ないし制約かある。それを取り払えば、取扱う範囲か広すぎて特別の価値をもち得ない。そこで、われわれは必然的に、   工場立地、鉄道賃率、原料の供給地、陳腐化、各種の新発明などの如き重要事象並びに純利益に影響する要素として第一次的に重要なその他の経営事   象を含めて、多くの経営問題及び事業問題の考察を除外せ.ねどならないのである。﹂    これが典型的な分析論的態度であって、むしろかかる分析を基礎にしながら綜合を問題とせざるを得ないのは経営の溝造変化に基づく時代的要素で      企業の真実価値      七

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   企業の真実価値 あること後に説く通りである。 八 ④ 拙稿、経営学文献の学び方、PR、第九巻第一号、参照。 ⑤藻利重隆、ドラッカー経営学説研究、参照。 ⑥ ∪歪。冨び℃’司こ↓冨勺冨9一80h]≦き轟Φ∋Φ暮黛ΦぎΦ菖営口ご一㊤繍●娼P卜。刈一ω⊆。●     . ⑦U旨。冨さ。で.Ω叶二や①O・ ⑥∪毎。冨さ8■ユ叶こ唱●ωω● ⑨ ∪歪。吋。さ。ウ島けこO娼・ωω1ω餅 ⑩︼︶歪鼻①きε﹁Ω叶こやω卜 ⑪ ∪﹁露。貯①ひoO.a什こやQ。S 同様な見解はじd話。劉図.閃.ピこζ餌コQαqΦヨΦ口fも。乙Φユニお㎝9や置Oにも見られる。 ⑫∪目ロ∩冒①き↓ず。ZΦ≦ωo。す叶団℃サb。刈①でヨ戸口四σ自Φヨ①9磐匹詳の問題を説くが、それはこの問題とも関連するものである。この点については、  なお、い貯Φ答”二二護①霧ロ鼠⇒鵬O三崎巳N簿δ口巴勺O詠O﹃ヨ口口O①、類強く巽創じd¢ωぎΦωω閑Φ<δ∼竃母07︾O﹁罫一掃。。﹂切﹁ρヨー舅二ωO∩同巴︾q象陣  Oh誓Φ国暮①﹁煽﹃δρ出じd押]≦帥﹁Oげ,﹀℃円罫一Φ㎝Q。.高言8昌−﹀¶闇自O≦8︾娼℃居巴。a①国×ΦOロユ<①℃①篤O﹃8四昌6ρ即し⇔押冒守男Φσ●一㊤㊦9が参考となる。

三真実価値の構造口

 3 ヘルウィッヒ  右に述べた如く、企業の真実価値はこれまでも無視されてはいなかったにしても、それは正面から 中心問題として取組まれたというよりは、むしろ個々の経営問題の統一的理解のための理論的要請であったにすぎないと 見なければならない。ドラッカーでさえも、企業の真実価値を真実価値として問題としているのではない。ただ彼が生産        性概念の拡張を論ずるところがら、意味上そう解されるというまでである。これに対してヘルウィッヒはドイツの今日の 経済体制を背景にしながら企業の真実価値︵一目霞①d漢興醒げB琶σqω≦Φ詳︶を然るものとして取上げ、その主要源泉を批判 的に取扱い、動態的な企業価値の近似的規定を可能ならしめる指標︵図①きN窪2︶を展開しようとするのである。先ず、彼 が企業の真実価値の主要源泉︵国。。毛ε器=窪︶とか主要領域︵出。毛お①甑Φ8︶と称する構成要素から老察しよう。彼はドラッ カーの生産性要素を更に発展させて、次の九要素をあげる。ω立地問題、②生産計画、圖投資と償却、㈲財務構造、⑤研

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究及び開発の努力、㈲経営組織、ω経営計算、㈲労働者の成果参加、働人間指導の原則。別に目新らしいことではないが 経営の経済的側面の重視せられるドイツだけに注目してよいと思う。以下、これについて彼の所論の概略を紹介しょう。  ω 立地問題︵Q。富匿。ミ惹αq①コ︶ 立地は、交通経済的或いはエネルギー経済的動機に規定せられようと、原料志向的或 いは労働志向的動機に規定せられようと、その企業の真実価値に及ぼす影響は常に明白である。特に、構造変動の結果、 立地条件も根本的変化を受ける。例えば、自動車交通の発達が従来の鉄道網や水路関係から立地条件を解放した。エネル ギー経済においては、かって木炭から石炭へ移った如く、石炭から石油へ移り、石油も遠からず原子エネルギーによって 解放されよう。また、−労働問題は特に労働や労賃集約的経営において支配的地位を占めている。この意味にて、農業経済 と工業経済との連結が重要となる。動態経済における企業の真実価値に対する立地問題の重要性は明白である。  ② 生産計画︵即。ユ島ま屋胃○嘆口宣ヨ︶ 経営︵田目①昇三。。。訂εと経済︵O①。。四巨鼠冨。訂εとの相互関係から、生産計画 に予定せられる経営任務︵経営の営む事業︶が成立するが、その経営任務は企業の真実価値に対し規準として作用する。生 産方法や生産形態は内外の需要と産業界における地位に依存する。生産計画は大企業と中小企業によって異るが、その目 標は多面的な予想需要を満すに足る生産計画の樹立であり、経営内の開発努力と超経営的な基礎研究によって次第に完全 なものとなりつつある。要するに、こ.のような見地に適応する経営任務の地位と変化する経営内外の諸条件に適応する弾 力性如何から企業の真実価値を結論し得るのである。  ⑧ 投資と償却︵H⇒<Φの下冷。器⇒o巳︾ぴω。訂臨び薯σq窪︶ 投資は企業の実体価値︵ωgぴ。・富葭≦①二︶の定期的或いは継続的増大 をもたらす。投資はその規模と性質によって企業の真実価値に或いは積極的に或いは消極的に影響するものである。かっ て正常信販売高との関係においてドイツ機械工業連合会︵︿9Φぎ∪Φ舜。。。げ巽蜜霧。ぼ昌8ぴ碧﹀霧琶帥Φp︿∪竃﹀︶によって示さ れた規準値は年盛売高の一〇%から一五%まで、時の経過に従って増額することを要求し、経営の給付能力を維持すべき

     企業の真実価値九

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     企業の真実価値      一〇 ものとした。しかしこの規準は化学や電子工学の大企業のみに行われ、中小企業では税法の許し得る範囲の償却が指示せ られていて、取替や新調達も十分ではない。  生産性の改善には、精神的及び心理的前提と並んで投資が必要条件となる。それも限られた目標へのマンモス投資より は中規模の全般向投資  たとえ大投資より労賃費が高くても一が望ましい。逓増するオー・﹁白化と共に逓増する固定 費がしばしぼ有害な価格引下げの動機であって、その価格引下げは僅かの固定費部分を配賦することによって市場占有度 を保持せんとするものである。これに反して、中規模全般的投資を行える経営は恐慌期にもその大ぎな生産弾力性︵聞ΦH辛 帥q 絜テωΦ困節ω奉唱。。聾︶と費用弾力性︵囚。。。器器駐持霞糞︶によって自殺的な価格引下げを必要としない。この要素が企業の真実価 値に重要なことは明らかであろう。  働 財務構造︵明転p自器国詰ぎ二目︶ 企業の真実価値の研究において経営の財務構造の見落され得ないことは、従来の経営 分析の示す通りである。先ず、自己資本と記入資本との割合がどうであるか、他書資本の返済期がどうであるか、将来の 資本構成の可能如何は真実価値の評価にとって重要である。新資本の成長係数︵芝堕。﹃。。εB。・ぎ①康巴の巨︶は一方ではその企 業の市場の地位や生産力、他方では他産業.部門によって与えられる可能性に従うものである。自己資本のうち、積立金は 経営によって異るが、それは経営任務の如何︵業種の如何︶や産業部門の諸事情に依存するからである。何れにせよ、これ を認識することは企業の真実価値に対する不可欠の前提である。  ここで、企業形態︵¢艮興コ筈旨g轟駄。毒①コ︶や所有関係︵じdΦω一↓・<①跨巴臼一。。Q。①︶が重要な役割を演ず.ることを指摘せねばなら ない。例えば、人的会社︵℃①話8巴ぴqΦωΦ=ω。壷井︶で、多数の所有者が高い消費要求をもつ場合、配当金の要求によって新資 本の形成は困難となろう。これに反して、資本会社︵囚集義σqΦω①=G・。﹃聾︶では前者とは異り新資本の形成は比較的容易であ ろう。その他、租税政策上の諸事惰や資本市場の情況を考慮すれば、企業の真実価値に及ぼす財務構造の作用は客観的に

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利用されるのである。  ㈲ 研究と開発の努力︵国。§ゴ農ω己巳朝虹三。犀一§σq。・震σ警魯︶ 経済や経営に対する科学的研究の重要性の認識は次第に 深められつつある。それは特に技術革新の顕著な部門、例えば、化学工業や電子工業や機械工業などに妥当する。これに 反して、古い産業特に経験という伝統的方法による中小経営は停滞的である。ここでは経営者が伝来的方法を﹁経営の秘 法﹂︵しd①三①房σq宰Φぎ⇒邑と見て新認識を阻止するような職長に依存しているのも珍らしいことではない。その結果、停滞 し、後退し、遂には壊滅して生存能力のない経営となるのである。  ドイツの有名なマックス・プランク研究所や同種の研究所で行われる﹁基礎研究﹂︵O毎巳冨σq9♂同ω昂きσq︶は特に限定さ れた用途をもつ素材 ︵芝山ぎゆ〇三Φげω己巳==︷ωω8中Φ︶を他の普通に見られる素材におきかえ、価値の高い財貨の生産に利 用せしめようとするものである。これとの関連において、経営の研究所︵﹃器吾2二Φ三8げ①閏oHけωo与葺貫びΦ騨①口︶は生産力を高 めるために、作業技術の計画的改善に資すべきものである。経営の経済的及び心理的方面もこれから切り離さるべぎでは なく、綜合された諸要素の結果として初めて正しい生産性の成果が示されるのである。  研究や開発の努力が、例えばアメリカ大企業における技術革新の動力であり、発展の基礎をなしているのは周知の事実 である。しかし大研究所さえ作れば、投資の数倍の聖業があり、あらゆる投資や拡張より永続的な経営の競争力を強める というのは誤解である。任意な交際費の一部にすぎないような不十分な研究施設からは決して永続的効果は期待し得な い。とにかく、経営の内的及び外的研究の範囲や方向、特に後述の研究割当︵頃霞。。島自習超ロ2Φ︶ の如何から企業の発展意 欲が結論されるが、それは企業の真実価値に結晶するのである。  ㈲ 経営組織︵bdΦ三Φぴ。。。居σq山留。。慧8︶ 以上に述べたことはその意味上経営組織にも妥当する。有機的に成長し、経営の 任務と特殊性に適応し生命力のある秩序すなわち組織は創造的な企業者活動の成果である。それは﹁事業経営の基本法﹂      企業の真実価値       一一

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     企業の真実価値      一二 ︵9言ユσqΦu。葦牙ωq葺①ヨΦげヨ①霧︶として、生産機関や管理機関の権利と義務、権限の範囲と責任の範囲とを規定する。し かし単なる組織ではなく、正しい組織、よい組織、個性的な組織が問題である。経営全体︵しu㊦民①房αqきN①︶のため諸力の調 和的協働を保証するものは形態ではなく、経営結合や経営共同体の精神 ︵O①醇匙臼ゆ①巳ΦびG。<9げ量山①嘗①群毒塾しuΦ三亀ωαq叩 日Φ募。訂δに外ならない。この精神は生産経営へ悶Φ匪αq§αqのげ①民Φ﹃︶においては損失時間や遊び時間σ排除、労働過程の迅 速化及び単極的生産性の増加のうちに現われる。管理経営︵<①毫葺毒αqωげΦ三①σ︶においては、健全な共同体精神は個々の 機関の摩擦なき協働や経営全体への協力の作用として現われる。比較的少数の部門を作り、これに広い権限と自由を与え ることが大切である。 ﹁必要な限り集権化せよ、可能な限り分権化せよ﹂︵NΦ艮邑霞卑8。。。毛鉱叶三Φきけ蒔q半泣器馨邑一− 絡﹁窪ω。口幅≦δヨ。σq一一。げ︶という原則が注意さるべきである。このような組織の形成という経営固有の組織作用と共に組 織の定期的監査という組織管理作用も重要である。アメリカにおけるこの問題については前に述べた。  以上の意味にて、経営組織の成果は企業の真実価値の測定者であり、信用価値の指標であると考えられる。  ω 経営者のコンパスとしての経営計算︵しU①巳①ぴ質①。ぎ毒αq巴。・自巨㊦B警目9。。筈皇国。日︾⇔ω。・︶ 最も完備せる計算制度︵菊①− 。ぎ薦。・蓄。。窪︶でさえも、ただ経済戦略的及び経済戦術的規準に対する道具にすぎず、決して生ける経営者作用に取り代り 得るものではない。それにもかかわらず、計算制度の構造とその経営活動への影響とから企業の真実価値を結論すること も出来るのである。経営分析の一般的意義と限界については‘既に述べた通りである。  成果分析︵即︷2σq。・き巴毬Φ︶は経営リズムを考慮に入れるとき立証価値をもつものとなる。例えば長期的な生産財経営の 成果計算は短期的な消費財経営とは異った分類と期間とを必要とするが如くである。ヘルウィッヒによれば、企業の動態 にとり企業の真実価値の規準としては次の如き指標︵ζ①。・ωN隊︷Φ同︶が示唆的である。  e 当該産業部門の国内及び国外販売高における市場占有度︵ζ鋤H犀一山昌件Φ一一︶。

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 口 市場適応度︵ζ震匿呂冨。。。。巷αqωαq鑓斜驚け︶すなわち一定期間の最頻費用財価格と給付財価格との関係。  日 技術的生産性︵§げ巳。・警Φ甲。面打二く一箪r型︶すなわち一定期間の消費財と給付財との物量関係。  四 経済的生産性︵急吐ぎ訂h二8口写。費パ黒く罰点℃勺≦︶すなわち一定期聞の消費財と給付財との価格関係。  国 主経営及び分工場の操業度︵bd①。・。訂塗ぴq諺σqQ。σQ同践︶それは予定時間と可能置畳︵ω。亭毒山賎碧昌ωε巳①口︶から計算され   る。  因 設備の利用度︵Z葺N毒σq。・讐鑑︶標準時間と実働時間︵<。茜書①NΦ愚母g軍門︷舞薯Φ薯ぱ冨ε巳曾︶から測られる。  ㈲ 労働能率︵目Φ鼓8αqω人H昌8霧冨$−︶αq轟伍︶一定期間の予定作業時間と実際作業時間から凪ぎ出される。  囚 費用弾力性︵H︵OQoけ①昌①一山ω屋並N一骨聾叶︶一定期間の販売高に対する絶対的固定費と相対的固定費︵接ω9三琶亀目巴践く︷①ω8囚9   。・冨昌︶の割合。  ㈹ 宣伝割当︵≦2ぴ§σQωρぎ§一定期間の市場占有度、市場適応度との関連における、総販売高に対する宣伝費の割合。  局 研究割当︵司。屋。ぎ薦呂自2Φ︶.市場占有度、市場適応度、技術的及び経済的生産性との関連における、総販売高に対   する研究費の割台。  口 要支払経営時間当り費用価値との関係におげる給付価値と牧益価値︵ピΦ茸き賜占巳甲ぎ傷≦Φ同け︶。  白 三ケ月、六ケ月、一年ごとの、経営資本や総資本の回転数︵d日ω。三螢αQN崇巽︶。  伝統的な経営分析つまり財務表分析は貸借対照表の日附が長くおくれることから当然に過去の数字たらざるを得ないの であるが、以上の指標は企業の損失の源泉を直接に発見せしめ、これが効果的克服を可能ならしめるものである。関連経 営の指標と比較することによって、自己経営のプラス点とマイナス点を明瞭に認識することが出来、高価な実験にまつま でもなく、経営の重点が意志決定の地位におかれることとなるのである。特に、費用弾力性は経営の販売政策的にも費用      企業の真実価値       ,       =二

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      企業の真実価値       、       一四  政策的にも重要であって、深い経営研究から従来の  ﹁費用専制﹂︵穴。。。8⇒曙類目︶ ともいうべき  費用理論や価格政  策の反省も必要となる。このようにして、企業経営のコンパスとして作用し証言力をもつ経営計算は企業の真実価値に直  接的な結論を与え得るのみではなぐ、近代化せる経営指導の証明でもある。   ㈹ 労働者の経営成果への参加︵bづ①§一挙ロ夷山卑ζ罫・び・里居。。。話中螢日bd①三①びω韓σqΦぴ巳ω︶ 今日、労働者の経営参加制度は          いろいろに論じられ、種々の形態が区別せられるが、ヘルウィッヒは特に経営成果への参加を問題とし、その中でも集団  的利潤参加︵犀亀①葬ぞ。O①三目び2①≡αq毒σq︶ではなしに、﹁経営の生産性増加への風入的参加﹂︵言象濫費Φ=①ゆ卑①⋮σq話σq鋤ヨ         びΦ民Φ臣警魯甲○皆窪く一室叶の署壽。訂︶を主張する。それは企業利潤が種々の内的及び外的政策要素の結果であり、構造変動  や景気変動に影響せられ、個人や全体の客観的な給付評価の規準とならないからである。生産性への参加によって、休止 ・中の設備をも動かし得、生産費を低下せしめ、経営を恐慌に堪え得るものたらしめ得る。この方法によってのみ、人間労 、働の自発的にして歓喜力行的な遂行が可能となると論ずるのである。このような意味にて、労働者の成果参加は企業の真  実価値の特質的要素と見なされるのである。   働 人間指導の原則︵Oヨ巳ωぎΦ匹臼竃8。・。冨五典爵≡轟︶ 以上の考察は必然的に人間指導の原則の問題へと導いて行く。  近代化せる企業経営における最重要なもの、従って企業の真実価値の源泉における指導的地位がこの原則に帰せらるべき       ヘ  ヘ  へ  は争うべからざるところである。われわれは経営経済学の母国たるドイツにおいて、経営における人間の問題が次第に重  視せられる傾向にあることを特に注意しなければならない。   指導力の経営気風︵じd①民Φぴのパ=ヨ⇔︶に及ぼす決定的影響から、﹁仕事はよくするが、出世は望まず、形式より実質を重ん  ず.る﹂︵≦①=Φ醇ΦP≦①三σq冨暑。=円Φ冨Pヨ①訂。。Φぎ⇔﹃ω。冨一器ロ︶という古いシュリーフェンの原則が再び有効なものとせらる  べきであろう。そこで、今日でも多くの企業者はすべてを自ら行い、その協働者から離れておらねばならないと信じてい 、

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るが、そのような態度によって労働者の本来の能力を害し他律的な補助者に堕落させるのである。人間は大きな任務を負 わされることによってのみ成長して行くものである。責任の移譲が不十分であれば、後継者の養成をも困難とする。働く 意志も能力もある人に働きの可能性が与えられないところでは指導の地位に真空が生ずることとなる。そこで、積極的に 個人的接触の慣習を作って、指導老の候補者につきその性質や能力を知る必要がある。個性の評価は物財価値の管理より も遙かに重要である。例えば﹁人里の評定﹂︵ご勺Φ議。冨〒雪白巨霞・.︶によって、協働者の信頼度や代位能力を定期的に検討 し、隠れた才能を見出すと共に一層有効な配置が可能となる。これによって能率への努力が刺激され、共同体活動が促進 されるのである。このような人間指導と密接に結びついた要素が企業の真実価値に影響することは疑う余地がない。  ① =①=≦置旧﹀こ∪①﹃ぎ昌巽Φq暮臼謬①7ヨ信嵩αqω署Φ二巴Q。O﹃ニコ両日騎①窪興野同①篇什≦広﹁鳥茜犀①置Nhし口”ωO冒げ﹃αq■一㊤①9Z5ω●ω・扇㊤律.  ②例えば、市原季一、ドイツ経営政策、労働省労政局編、経営参加制度、田杉競、人間関係、なと参照。  ③ 国Φコ三堕∪δしご卑①一一お彗鵬p日じご卑置①訂興ケq①げ巳P§Uコロ㊤㎝ρψ卜・㊤hh なお、スキャンロン・プラン、ラッカー・プラン、GM方式などもこ   れと関運する問題であることを附言せねばならない。

四真実価値の決定

 1諸要素綜合の問題  以上われわれは企業の真実価値の構造要素を問題とし、特にヘルウィッヒのそれをやや詳しく 見て来た。その特色は、経営者活動を主要領域に対する作用として分析し、これを経済的及び経営的政策の影響の下に批 判的に研究し、綜合を試みることによって、企業の真実価値にとり重要な、より広汎な企業の道が予断せられると見る点 にある。その場合、その綜合の原理ともなるべぎ経営観はどのようなものであろうか。ドイツにおける経営の価値維持学        説にも名目説と実体説とがあり、後者もいろいろに分れる。この点につぎ彼は端的に次の如く論ずるが、直接関遍しない にしても、われわれはそこにシュ・ミット的有機観を見出し得るであろう。      企業の真実価値      一五

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     企業の真実価値       一六 すべての物財増加︵o。¢塞きN︿①§①耳巷αq2︶は経営的及び経済的要求に応ずるものでさえも、単なる手段として、であって逓 増的成果を保証するものとは見られない。広く普及せる物的価値︵Q。零﹃芝象Φ︶の過大評価の見解は、恒常的なインフレの 恐怖によって強められる、初歩唯物的経済観︵言ヨ莚f空話Φ碁一陣ω蔚鼻Φ芝三。。9聾墨這蔚。。ω§αq︶ に由来する。根本的には、 投資は最有利な費用構成と価格構成とによって最適市場占有度と競争力とを保証せらるべぎものである。投資がこの目的 を忘れ、限界のない拡張に用いられるならば、生産と消費との均衡は永久に概乱される。それによって起る経済恐慌は祉 会的緊張と並んで物財増加の価値低落  それは均衡概乱の共犯者である  をもたらす。従って、経営者の処置は社会 経済的重要性を考慮しなければならない。国民経済の細胞としての経営はその繁栄と破滅を経済と共にするから、経営は 両面から相互作用をうける。例えば、どのような過度の集中も独立経営に脅威をもたらし、あらゆる独立的存在と自由の 否定とならざるを得ないのである。  このような経営と経済との有機的関連という観点から真実価値はどのように決定せられるか。彼はいう。企業の真実価 値の数学的に正確な計算は不可能であるにしても、その近似的調査や上下一定の範囲内での追求は可能である。そのため には、互に補足し合う二方法がある。それはe上述せる経営者活動の主要領域を批判的に研究する方法、つまり評点法と 口上述ωの﹁経営計算﹂にて展開せる指標を基礎とする方法、つまり指標法がこれである。  2 経営主要領域の研究による方法  評点法  先ず、評価規準であるが、関連経営の比較や同一部門の指標から容易に         評価の基礎として適当な規準︵Zo同日︶が見出される。この方法がとり得なければ、産業部門内において経験上これら主要 領域に求められる要求から出発すべぎである。出発規準が一〇〇点であるとすれば、次の如ぎ評価段階が得られる。  一一〇点は一領域が規準より良い、  一二〇点は二、三の領域が規準より良い、

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 二二〇点は多くの領域が規準より良い、これに反し、  九〇点は一領域が規準より悪い、  八○点は二、三の領域が規準より悪い、      魑  七〇点は多くの領域が規準より悪い。  これらの主要領域の点数から、算術平均として当該企業の総点数が得られ、その点数が企業の真実価値決定の基礎とせ られるのである。  しかし、この際、特に注意すべきことは、上述のすべての領域は経営成果に同等の影響をもつと前提せられていること である。ところが、そのような前提はただ例外的としてのみ考えられるにすぎないのである。何となれば、一例をあげれ   ヘ   ヘ   ヘ   へ ば、立地問題は原料志向の経営、労働や労賃集約の経営に対しては機械化経営或いは自動化経営に対するとは異る役割を       ヘ   ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ 演ずるからである。後者においては投資が経営者能力の前面に立っている。研究や開発の努力は一般に重要となるであろ        ヘ   ヘ   ヘ   へ うが、しかし特に化学工業や電子工業に対しては新しい出発点を与える。生産計画の批判的検討は経営の個別的競争状況       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      へ やそこから来る経営危険を示さねばならない。また、経営組織の企業の真実価値に及ぼす影響もさまざまであり得る。経 へ    ヘ    ヘ        ヘ    ヘ    ヘ    ヘ        ヘ    ヘ    ヘ    へ 営計算、成果参加、人間指導はすべての経営に対して死活的重要性をもてっいる。  企業の発展と成果形成に対するこのような主要領域の異る影響力は評価方法︵芝Φ二¢⇒σqω慈冨自︶によって個々の評点       ヘ ヘ ヘ へ         ︵害時暑2貫昌σq魯︶にも現われねばならない。算術平均は、場合によっては、加重平均にかえられ、企業の真実価値決定の 基礎とせられることもある。構造変動や景気変動はもちろん評点の定期的訂正を必要とする。従って、このような企業の 真実価値の評価は、その客観性への要求や指標的意義を高めるためには、企業的動態や経営の内外的関連に特別な理解を もつ有能な経営通や経済通︵ゆ①鼠①げω−口薪能三ω。げ聾玲Φ目興︶ に委ねられねばならない訳である。      企業の真実価値       一七

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     企業の真実価値       一八  3経営指標を基礎とする方法−指標法  企業の真実価値の判定にとり特に重要な指標は、前述のところがら明らかなよ うに、次の如くである。  9 百分率市場占有度、ここから企業の市場戦略が㎡明らかとなる。この指標は次の紀国の指標との閣連にて考察しなけ ればならない。  口 市場適応度︵ζ陣︶、これは費用財価格と給付財価格の曲線からなる。両者が平行のとき正常で、曝け“一﹄である。 給付財の売上が逓増し、費用財の支出が同等或いは逓減する場合、ζ件VH﹄、反対の場合はζけく一●Oである。  ⇔ 以上のことは技術的生産性︵勺ひ︶にも妥当する。消費財と給付財の量関係がオプティマムであれば正常で、国11一﹄ である。量的消費がこの規準より小のときは国V一・Oで、反対の場合は国︿一。Oである。  ㈲ 補足的に経済的生産性︵℃名︶が参考となる。それは消費財と給付財との価値関係である。 団司にとり余り不利に 企図された高さの国は一般に拒否さるべきである。これに反して、勺甫が少くとも一﹄或いはH・一などに・上昇するとき には国﹀一・Oが望ましい。  ㈲ これまで述べた口⇔㈲の指標から、経営の経済性の度合︵ぐく一H汁ωo﹃2Ωh二一〇げ犀①詳。自σqH¢Ω匹  餌Φω ごd①け円一Φげ①砂︶たる全般的計数 ︵駐。ぴ賠竃①。・ωN漆巽︶が形成せられ、それは企業の真実価値と平行して変動する。  因 前節⑭の経営計算の導因㈲で述べた指標即ち操業度、利用度、労働能率はそれらが標準以上或いは以下で、そのた め全般的計数に積極的、一或いは消極的に影響するときにのみ、補足的に考慮せられる。  ㈹ 以上のことは前節⑳の囚から国の指標にも妥当する。費用弾力性は販売高中に占める絶対的及び相対的固定費の割 台で、例えば固定費が年販売高のこ○%を中心に動くとすれば、弾力性は販売減少に大きく対応し、販売増加においては 逓減的となる。そこで、一。ピ一・b。または一.Q。をもって評価せられるときは費用弾力性は良好で、不良のときそれは一●O

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以下で企業の真実価値には負担となる。  囚 広告割当や研究割当は経営の如何によって異り、構造変動や景気変動に依存する。この指標が一﹄或いは同.O以 上であるならば、⊥述の全般的計数を修正する必要はない。これに反して、広告や研究が産業部門の標準に照して十分で ないードO以下である一と見られ、企業の真実価値に不利に作用するならば、そのときは修正を必要とする。  ㈹ 給付価値と逸書価値は要支払経営時間当り費用価値と関連せしめれば、問題の解明のため有意義である。  局 経営資本と総資本の回転数はその期間的経過中に、また関連経営の期間的経過中に、生産に関する規準t特に喪 失時間や遊び時間の消去、運送経路の短縮など  が如何に働いたかを示すものである。  4 両方法かちの結論  企業の真実価値を有効に規定するには、第一の方法による、主要領域の検討から得られた評価 ﹁点数︵一〇〇点以上或いは以下︶か第二の方法による指標かち導かれる評価率︵芝①巨琶びq・・審匹。器コ︶ ︵ごO以下或いは以上︶かを 企業の自己財産すなわち純財産︵正味身代︶と結び合わせるのである。例えば、甲会社が評価点数=二〇点或いは評価率

H●G。の自己財産一〇、CGO、000DMをもっとすれば、それはほぼ一三、○00、○○ODMの真実価値を意味す

る。これに対し、乙会社が評価点八○点或いは評価率PO。の自己財産一〇、○○○、○○ODMをもつとすれば、それ

はほぼ八、000、000DMの真実価値を意味する。

 これによれば、甲会社は信用価値があり、乙会社は信用価値がないと見らるべぎである。もし、特別な社会経済的及び 総体経済的理由があるならば、乙にはその弱点を除くため適切な期間が許されよう。もし、マイナスの成果が慢性病によ り労働や新資本の大量投下の責任を負い得ないならば、社会経済的見地から、静かに解散して誤れる経営指導を終結すべ きである。       −  ① これについては本誌に連載された鈴木.和蔵⋮氏の諸論文が参﹂考になる。

     企業の真実価値      一九

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    企業の真実価値      二〇 ② この点については経営分析論におげる標準比率︵降節5匙四叶ユ機鋤ユ。︶の問題が参考となる。 ③この場合、ウエイトをどこにおぎどのようにつけるか問題である。業種と企業によって経験的に決定する外はない。 五 結 言  以上われわれはヘルウィッヒの企業の真実価値とその規定について老察した。それは動態経済において社会的責任を自 覚せる経営の指針であり、経営が国民経済の細胞である限り、それはまた経済政策特にその一部としての国家的経営政策 の指針でもある訳である。それはいわば経営と経済とをつなぐ紐帯である。そこで、このような企業の真実価値という 問題が、資本主義と社会主義とを統一し、いわゆる社会的市場経済︵。。oN芭①ζ彗葺乏冒叶。。o訂沖︶或いは新しい自由競争経済 ({ g。臣の農警①幻象げ①毛①ぴω≦葺ω。訂εという第三の道の確立を目指すドイツにおいて特に具体的な形で取上げられる意味 も理解出来るであろう。しかし、それはまたわが国にとっても重要な意味をもつことは否定出来ない。それゆえに、この 問題と方法についてヘルウィッヒの説く意味を顧み、われわれの結論としたいと思う。       ヘ  ヘ  へ  彼によれば、このような評価方法は経営の有機的淘汰︵。茜⇔巳ω。冨全島Φω①︶を導入するものである。そこでは決して計 画的な干渉ではなく、いろいろな危険を除くため必然的な高次の規準が大切である。何となれば、 ﹁自然﹂淘汰の過程は 必ずしも生活力旺盛な経済細胞のうち生活力のないものを区別せず、また決して主張せられるような﹁経済の自己純化﹂ に導くものではないからである。経済事象の現実的観察によれば次のことが明らかとなる。価値を壊滅する競争の闘い ︵囚8ざ員①自惹白鼠︶は恐らく能率の悪い、或いは拡張を熱望する経営によって起されるが、その経営にはメスが喉に擬せ られ、或いはそれは過剰投資のために高い市場占有度を急増する固定費をもって闘い取らねばならない。ここにおいては 全く能率を促進し総体経済的に有用な競争についてではなく、人間と価値とをおびやかす全滅闘争についてのみ語り得る

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のである。このような協定のために十分な積立金をもち得ないか、或いは有望な発展の初期の段階にのみ見出される主と して独立の中企業は死滅する。創造的な経済の開拓者による本当の新設の代りに大企業へ依拠する努力が増加し、望まし からざる集中運動が広く促進せられるときに、初めてそのことが理解されるのである。  動揺する物財価値に対して企業の動態から導かれる企業の真実価値の高揚は自由な競争経済︵︷目①湯宿=。冨≦象げ①≦①筈。。− ヨ蔚跨聾︶における経営近接的認識︵ぴ①片同一㊦びQ自噴髄ず① ]凹目閃①⇒P什昌一ω︶ から生れるのである。物財価値の累積も限界のない拡張や 集中も個別経済や総体経済にも役に立たない。真正の成果の源泉は創造的な経営者活動やその発する内的及び外的経営の 光の中に見らるべきである。経営生活における精神化の逓増と経済倫理の貫徹とは密接に関連する。この両者の沈澱が上 述せる企業の真実価値の中に見られるのである。故に、向上する国民経済の中で健全な細胞を作るには、この真実価値を 絶えず協働によって改善することが大切である。その発展において経営者の成績と高い段階の責任意識が正当に評価せら れる。現実に自由な経済秩序や社会秩序は中央から指導される体制よりも遙かに能率的であるとぎにのみ確保せられるの である。その時にのみ、人間は自由を永代的財産として保持し得るのである。  このような見解が果してそのまま承認せられるであろうか。そこにはいろいろ疑問もあり、批判もあるであろう。われ われも企業の真実価値の問題を経営学の根本問題として更に深く考えて見なければならない。特に、いま、貿易為替の自 由化を前にして産業や経営の体質改善が焦眉の急を要するとき、この問題は特別な考慮に価するものといわねばならな い。ここではただ問題を提起し問題の所在を明らかにすることだけで満足せねばならない。 附記 本稿は六月二十八日綜合工業学会関西部会創立大会における講演に加筆せるものである。 企業の真実価値 二一

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