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日本の現状分析と「多元主義」

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日本の現状分析と「多元主義」

岡 本 仁 宏 〔本稿は,1986年9月3日に全国政治研究会でなされた報告をもとにして執 筆されたものである。司会の高橋彦博先生をはじめ,報告の機会を与え,討 議していただいた会員の方々に,感謝したい。なお,以下の文章の責任が一 切岡本にあることは,言うまでもない。〕 1 は じ め に 1………質的な変化  近年の日本政治の現状分析の業績の叢生には,目覚ましいものがある。これ らの業績の多くは,刺激的である。しかし,その「目覚ましさ」に対する評価 は多様である。  一方で,これらの業績を生み出した論者の中の代表的入物の一人である大獄 秀夫は,この状況を評して,「40年以降生まれの目覚ましい業績」(p.14)が既 存の「日本の社会科学の一部」の「動脈硬化と教:条主義への傾向」にもかかわ らず,「学問的世界の革新」(P.16)をなしつつあるとする(大嶽,1986)。他 方で,阿部斉は,最近の論橋の中で「政治の保守化」とともに「政治学の変 質」について言及し,「政治学の保守化」,「政治学の現実批判性の後退」に注 目する(阿部斉,1986)。この一見対立する両者に共通するのは,近年の日本 政治分析の業績の叢生が,単に量的な増大ではなく,学問的方法あるいは政治 的指向や関心の所在などのうえで,質的な変化をもたらしているという認識で ある。現在進行中のこの「革新」あるいは「変質」を対象化し,自覚的に政治 分析の理論枠組みを形成することは,われわれには,焦眉の課題であるように 思われる。

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 124  彦根論叢 第242号 2………〈遅咲きの「行動論革命」〉と批判軸の:不鮮明化  この政治学の質的な変化を全体としてどのように特徴づけるか,どのように 把握するのかが,当然に問題となる。この問いに対しては,評者の価値関心の 所在の明確化や政治学に対する知識社会学的な対象化(例えば,アメリカ政治 学については,Ricci,1985を参照)を含めて戦後日本政治学史に対する独自 の検討を要するであろう。その作業をここで行なう余裕はない。ここでは,暫 定的に,“日本政治学におけるく遅咲きの「行動論革命」〉の展關と先進資本主 義国としての日本に対する批判軸の不鮮明化”として特徴づけておきたい。        1)  いわゆる「行動論:革命」には,多くの要件あるいは特徴がある(例えば,D. イーストン,1983,P.104∼107)が,ここでは,その科学方法論におけるポパー 主義とその一つの具体化としての量的データと数量分析に基づく仮説定立の排 他的な正当性の主張,として特徴づけておこう(Ricci,ゆ. sit.)。この意味で の「行動論革命」は,我が国の学界においては,アメリカの議論の理論レベル での紹介が数多く行なわれ,また若干の日本政治への応用も為されたといえよ       2) うが,ウェーバー的な了解(Verstehen)の方法とマルクス的な政治経済学の 影響力が強り状況のもとで,近年に至るまで実際の日本政治分析への広範な適 用には至らなかったと言えるのではないか。理論レベルにおいては最近はいわ ゆる「ポスト行動論」(あるいはそれ以降?)の諸理論が華々しく紹介され, 注目されているが,現状分析には,一部を除いて導入されていない。しかし,        3) 高度経済成長の「成果」としてのデータ収集コストの負担能力の向上とコンビ 1) イーストンの場合は,よくしられているように六点の特徴把握(例えば,1983)を  展開している。また,リッチの場合は,行動論的信条(behavioral persuasjon)とし  て,ポッパー主義との強い類似性を指摘し,事実と価値との峻別と規範研究の排除,  検証・反証可能性などの特徴をあげ,さらに,科学の「煉瓦積み」的見方=知識の直  線的進歩観によって,古典的な政治理論の排除と新しい非政治的政治理論を追及した  としている(1983)。 2) 例えば,日本における行動論的実証研究の先駆者の一人であった京極純一が後年に  はウェーバー的な方法論に基づく優れた業績を生み出していることは,周知のところ  であろう。(京極純一,1983,1986) 3)1986年度政治学会においてデータベースに関する分科会がもたれたことは,一つの  象徴的意義があろう。なお,そこにおいて,日本の行政の情報公開の遅れ,あるいは

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ユ一档宴Cゼイションの展開による分析能力の向上,諸外国との研究者交流の 増大,自由民主党の長期政権の存続と国民の九割近い「中流意識」による疑似 的な「イデオロギーの終焉」状況などの条件は,我が国における〈遅咲きの 「行動論革命」〉の展開を可能にしたと思われる。  他方,この方法における変容が,先進資本主義国としての日本に対する批判 軸の不鮮明化を伴なっていることも否めない。この点に関連して,大嶽は,特 に「政治学の分野では,学問的世界の革新が,『革新的』学者によってではな く,むしろ『保守派』あるいは政治的無関心派によって導入,推進されるとい う皮肉な事態を生んでいる」としているが,もちろん受け止められるべき問題 は,論者の保守一革新の軸に沿った政治的傾向にあるよりもむしろ,既存の我 が国の保守一革新の軸に中心的位置を占めていた前近代一一近代の軸のもつ現実 把握(批判)力そのものに対する疑問に今日的な批判軸の再設定の作業が少な くとも具体的な現状分析のレベルで答えていないことからくる「政治学の現実 批判性の後退」なのであろう。しかも,政治学における現実批判性の後退は, 問題設定を軸として成り立つ学の固有の性格から,一種のアイデンティティク ライシスをもたらす可能性をはらむ。この空隙を先の方法的変容のインパクト が埋めることになるか,あるいは新しい批判軸が有効性を獲得しその中で方法 的変容が消化されるのかは,未だ答えが出ていないように思われる。 3………本稿の目的  本稿は,以上のような変容に対する把握を前提として,近年の日本の現状分 析の業績の中で理論的に一つの中心をなすと考えられる「多元主義」という規       の 定を軸にして,いわゆる「日本型デモクラシー」論を批判的に検討し,あわせ て現状分析の理論枠組みを構想する際の手掛かりを得ることを目的としている。  情報秘匿の問題が,まさに日本的特殊性,あるいは特に日本の後進性として指摘され  たことは,本稿の文脈とのかかわりで興味深いのみならず,政府・行政についての  「行動論的」な研究の進展に大きな制約を課することによって,日本的「行動論」政  治学に特有の“歪み”を与える可能性を照らしたとも言えよう。 4) この言葉は,馬場康雄,1986による。

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126 彦根論叢 ee 242号 この意味で本稿は,当然ながらリサーチに対するところのコメンタリーの領域 に属する研究論文ということになる。ただし,本来,このようなコメンタリー は,日本政治についての豊かなリサーチ経験を持つ研究者によって行なわれる ことが望ましいと思われる。しかし,日本政治について筆者は,地方政治に関 する若干の調査経験を持つに過ぎない。この意味で,本稿は,近年の日本政治 研究についての,筆者の研究ノートの性格を持っている。 ∬ 「多元主義」の多次元性 1………はじめに  われわれが「多元主義」という規定を初発における考察の軸に据えるのは, 近年の現状分析に基づく日本の政治構造の総括的な規定としてかなりの流通性 を持っていると考えられるにもかかわらずこの「多元主義」という規定の多義 性が混乱をもたらしているというおそらくは周知の事実によるのみならず,む しろ逆にこの多義性を多次元(レベル)性として整理することによって現状分 析の理論枠組みを考える際に役立つと考えるからである。 2………諸論者の議論から  以下に列挙するのは,特に日本の現状分析の議論で類型化されている四人の 議論とR.ダールの議論である。当然ながら,「多元主義」規定を使っている議 論を包括的に検討しているのではない。なお,各類型の後の○×は,それぞれ の論者がその型の「多元主義」が日本に妥i当すると考えているか否かを表わす。 また,①から⑤まではすべて諸論者の言葉で構成しており,岡本の評は,() でかこんであるところのみである。  ①山口定(山口・大嶽,1985)   i)基底社会の多元主義………・・…・………・・……・………×   ii)支配体制の中の多元主義一ポリクラシー 一リベラル………○        権威主義的       一全体主義的

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②大嶽秀夫(同)  i)思想の次元あるいは価値感のレベルの多元主義…………・……・・…○?  ii)権力構造の多元主義      a.エリート内部での多元性…………・・…・………O      b.政治と経済・社会の分離一政府と企業との関係において権力      関係がすでに分散しているということ………・…・・…………○ ③佐藤誠三郎・松崎哲久(1986)     多元主義ないし多元的民主主義(下線は岡本,以下同様)  i)ゆるい定義の多元主義      多様な社会集団が存在し,その主要なものが政府から比較的自律      的であるような自由主義的民主主義体制=集団化の段階の自由主      義的民主主義………・………・__.____.._.O  ii)きつい定義の多元主義      たとえば猪口孝のそれ一「固定的なすみわけであるよりは,イシ      ューごとに形成される部分連合の集まり,固定的な階層的な秩序      であるよりは,水平的な流動性が相当に強い社会関係の集まり」      (ちなみに,猪口の多元主義に対する対概念は権威主義である)      一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一t一一一一一一一一一}一一一一一一一一一一一一一tt−t一一一一一一}一t一一一一一一一一一一一一一一一一一一×      (彼らによればこれは,「ネオ・コーポラティズムとの対比でと      らえる場合の標準的定義」であるという。) ④阿部斉(1986)      特定の集団による権力の独占を拒否し,権力の諸集団間での多元      的分散を重視すること

 i)広義

     現代の複雑な社会では多かれ少なかれ政治は多元主義的………O  ii)狭義      価値や信条における多元性を不可欠の前提条件として成り立つ…      ・一・一一・・一一・一・・一・…一一・・一一・一一一・一・一・一一・一一・一・一・・一一一一・一一・・一一・×

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128  彦根論叢 第242号 ⑤R.ダール(1971,1982)………(網羅的ではないが)   i)多元的社会秩序      暴力および社会経済的制裁手段への接近が,分散あるいは中立化      している状態………・・’………’………●……’…………’”…O  ii)下位文化的多元性      種族的,宗教的,地域的下位文化…………・・……・………×  iii)組織的多元主義      ある国家の領域内での相対的に自律的(独立)な組織(サブ・シ      ステム)の多元性の存在………O  iv)多元的民主主義      ポリアーキーかつ重要な組織の相対的自律……・…………・・……○   (ダールの議論で特に注意するべきなのは,彼の「組織的多元主義」が  <politiacl autonomy−control>の水準の議論であり,<social autonomy−  social regulation>一social structureの水準の議論ではないということで  ある。すなわち,彼の「組織的多元主義」の基礎にある諸組織の「自律」  <autonomy>概念とは,「統制」<contro1>の相補概念であるが,この統  制とは「他の諸アクターの選好があるアクターの行為を引き起こすような  因果関係」として定義される。しかし,「憲法構造,経済秩序,教育制度,  地位体系,制裁体系」のような「社会構造」については,アクターとしての  比ゆは可能であってもその「選好」を語ることはできないとして,これら  の「社会構造」による行為への影響を「社会的規制」〈social regulation>  として概念化するのである。そして,この「社会的規制」の相補概念が,  「社会的自律」〈social autonomy>であり,この「社会構造」の水準の  議論は「組織的多元主義」の水準では語りえない領域としてもともと議論  から排除されているのである。) 3………議論の整理 以上の簡単な整理からも一見してわかることは,単純な一と多という対比は

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多くの次元(レベル)で成立するということである。これを参考にしてこのよ うな多次元性をざっと整理してみれば,例えば,以下のような表を得る。  政治  1 政策決定過程の「多元主義」  1−1 制度的エリート内部での権力の多元性  1−1−1 支配集団内部の割拠性  1−1−2 複数政党綱,権力の分立,半制度的な圧力集団などの存在  1−2 非制度的なイシューごとのアクターの影響力の多元性

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政治と経済・社会の一定の分離 多元的社会秩序(抑圧手段;暴力的・非暴力的制裁手段の分散・中立 化) 「組織的多元主義」 下位文化的多元性 思想,信条,価値の多元性  社会  この表の順序は,必ずしも論理的なものではなく(従って固定的なものでな く),大まかに政治領域から社会領域への層を表わしている。また,これ以外 にも当然異なったレベルやレベル配置が考えられうる。例えば,マルクス主義 における上部構造,下部構造といった枠組みからすれば,ここに挙げられてい るレベル内においては3のレベル,すなわち制裁手段の社会的存在状況が,最 も基底にあるものとして位置付けられることになるであろう。5や6のレベル は,当然より「上部」に置かれるであろう。ここでは,「多元主義理論」で通 常議論されているレベルの暫定的整理として上表をあげておきたい。そのうえ で,若干の論点について,触れておこう。  まず第一に,いわゆる多元主義の多義性,多次元性が全く明らかであること である。このことについては,多言を要さない。  第二に,コーポラティズム対「多元主義」という軸は,上の若干のレベル (特に1,2,4)にかかわりながら,主に諸集団(もちろん,とりわけ労働

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 130 彦根論叢 第242号 団体)の政治権力への組織化の程度を指標にしていると考えられる。例えば, 辻中豊の3次元モデルでは(1983),「(・各セクター)利益団体ネットワークの 「組織独占化』『階統制化』,(セクター間)利益団体間の「協調化』『スミワケ 化』,政策形成執行過程への『参加』『組み込み化』」の各次元での国家権力へ の社会領域の組織化・官僚制化の程度を指標にして,「コーポラティズム化」・ 「多元主義化」のレベルを測っているといえよう。  また第三に,多元性と多元主義とが,十分に区別されることなく使われてい るようであるが,単なる多元性の存在と多元主義とは,概念的に区別するべき であると思われる。われわれとしては,多元主義という場合には,①多元性の 存在がレジティマシーを確立している場合の分析概念,または②多元性の存在 にレジティマシーを与えるべきであるとする政治思想の名称,として使いたい。 このような多元性と多元主義との区別は,英訳すれば,pluralityとpluralism として表現できょうが,これらのアメリカにおける使用法とは同じではなく, 既に長い歴史を持っている「多元主義」の言葉にあえて異なった語義をあてる のは望ましくないということもできよう。しかし,「多元主義」という言葉の 持つ多義性を整理し無用の混乱を避けるためにこの区別は意義を持つと思われ るがゆえに,あえて,提出しておきたい。  第四に注意するべきなのは,いかなる意味でも多元性や多元主義は,民主主 義と深い関係を持つが,少なくとも民主主義の十分条件ではないということ である(ダール,1982)。多元性・多元主義と「多元的民主主義」(puluraiist derllocracy=多元主義的民主主義)とは混同されるべきではない。 4………以下の構成と限定  さて,上表と以上のような論点に注意を払いながら,これらの整理を初発の 手掛かりとして,「『多元主義』は日本に存在するか」という問いを,以下i) 「多元主義」と先進資本主義,ii)「多元主義」と日本的特殊性(前近代性), のそれぞれの領域で,検討しよう。このことは,①「日本型デモクラシー」論 の中に「多元主義」概念が中核的位置を占めているがゆえに,その批判的検討

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に役立つとともに,②日本における多元主義概念の射程の確定に貢献し,さら に③上表を手掛かりにして,これらの「多元主義」論で論じられている諸レベ ルを組み込んだ現状分析の理論枠組みを構想する際に役立つ,と思われる。た だし,以下の議論では,主に論点の提示を目的とし,その論点に対する解答を 得ることを目的としてはいない。そのためには,もちろん,具体的な実証分析 や,独自の分析枠組みからの体系的な理論作業が必要であろう。 皿 「多元主義」と先進資本主義 1………はじめに  現代資本主義の政治の分析用語としての「多元主義」に対する批判は既に多 様な方法,レベルにおいて行なわれている。本稿でこれらを包括的全面的に紹 介し整理することは,到底できない。ここでは,第一に現代資本主義国家論と の関連で,第二にアメリカ政治学における「多元主義」批判との関連で,日本 の現状分析に使われている「多元主義」概念について,ごく簡単にその問題点 を検討してみたい。 2………現代資本主義国家論との関連で  マルクス主義的な方法による「多元主義」的現状:分析への批判の論理は,様 々であろう。政治分析一般に関して少なくとも,i)経済による政治に対する 決定・規定の内容・程度,ii)客観的決定(必然性)と主体的決定の理論的関 係,についてどのような見解を取るかという基本的な問題に対して,少なくと も「決着済みの問題」と言える程度には,明快な理論的整理が共有されていな い。N.プーランザスやB.ジェソップらの業績があるとは言え,特に具体的な 現状分析レベルにまで至る分析用語の整備などの形でこれらの基本的問題が解 明されているとは到底言えないであろう。このことを前提として,ここでは, 我が国の諸論者の議論を素材として「多元主義」的現状分析に対する二つの方 向からの批判を取り上げたい。  ①利益概念や権力概念に対する批判的検討から(中心的には,階級社会にお

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 132 彦根論叢第242号  ける・資本主義社会における・その特定の段階類型における)「構造的制約」  の問題を提起し,いわゆる「多元主義的政治過程」領域を限定づけること。  ②いわゆる「政治過程」領域の現実の運動が,その「多元主義的」理論化様  式とは異なっており,この理論化様式がバイアスを持っていることを論証す  ること。  「多元主義的」政治過程領域を比喩的に政治的市場として見るならば,上記 の①②は,この市場の主に存立領域,存立用件の問題としてそこにおける諸主 体聞の競争関係のアリーナの意味を限定し,市場と支配関係の両立・補完関係 を指摘する(………①)か,この市場の内部での諸主体間の競争構造・競争条 件の不平等性や競争の帰結としての外部不経済などの社会的負効果の存在から 市場と支配関係との両立・補完関係を指摘する(………②)かの,方法として 位置付けることができよう。もちろん,この両方向からのアプローチが,同一 の問題を異なった側面から把握する場合もある。しかし,①の方向からのアプ ローチによれば次の②の点が論証されなくても,いわゆる「多元主義的」現状 分析は,虚偽イデオロギーとして否定されるか,ごく限られた領域内での現象 の分析にしかすぎないとされることになる可能性もある。しかし,①のアプロ ーチは,「構造的制約」による主観的・主体的レベルの運動(過程)に対する規 定・決定の内容や程度をどのように理論化するかという基本的な論点によって, 様々なヴァリエーションを持ち得,②との理論的な相互関係もそれに応じて変 化するであろう。例えば,ジェソップのように,「構造的諸制約は,所与の時 間圏における(諸)行為主体によっては変えられない一つの情況における諸要 素から構成され,構成体の全マトリックスに占める行為諸主体の戦略的位置に 従って変化する性格のものである」(P.317)とし,「階級闘争,国家装置の統 一性,国家権力,階級的諸利益のような概念は,問題をはらまない説明原理と いうよりは,むしろ被説明項とみなされるべきこと」(PP.318∼9),とする場 5) 合には,①の内容の重層的な豊富化のみならず②の方法にも理論的重要性が与 5) ちなみに,ジェソップの権力の定義は「異なった行為諸主体が直面している『構造  的諸制約』によって設定された限界内部での諸効果の生産」であり,多元主義の定義

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えられ,この両アプローチ相互の関係こそが理論的焦点の一つにならざるを得 ないであろう。  また,①の「構造的制約」の内容として,中心的には経済体制上の諸構造に よる制約を想定することはマルクス主義的分析にとっては当然としても,それ らといわゆる「官民関係」や性関係における構造的要素との関係をどのように 考えるかについても広範な相異があるのは,周知のところであろう。  このような基本的理論的な諸論点に関する不一致にもかかわらず,特に①の 方法からの批判が「多元主義」理論の検討にとっては不可欠であることは,明 らかであろう。先にダールの「多元主義」概念を整理した際(ll・一2一⑤)に, われわれは,特に彼のいう「社会構造」の水準における「社会的規制」の聞題に 特に注目しておいたが,この議論は,①の方法からの議論と共通の問題を含む といってよい。  なお,①の方法からの議論においても,抽象的な概念的理論構成のみならず, 例えば,「多元主義」的政治領域の権力理論としての意味の限定について「社会 的支配構造」を指摘する場合には,企業内秩序や地域社会構造を分析したり(渡 部治,1985),また,世界資本主義的連環の中での構造的制約については,国家 の取りうる政策上の選択肢に存在する明確な限定の分析を試みたりすることに よって,非常に具体性を持った分析が可能であることを,特に記しておきたい。  ②の方法では,非マルクス主義者による業績にも多くの貢献がある。次の3 で紹介されるダールの議論も,この文脈の中に位置付けることも可能であろう。 またこの文脈で,従来,「多元主義」(この場合,権力主体の多元性)が,権力 構造の中レベルでのみ成立するとして,トップエリートの間の利害の一致,凝 集性に見られるトップレベルでの権力(あるいは影響力)構造の一元性を実証 することが,有名である。この点については,アメリカではミルズ,ドムホフ の,イギリスではミリバンドの仕事が著名だが,我が国の中央レベルの具体的 としては「(分業における機能に対比されるものとしての)市民社会に根ざした諸利 益と/または主張を代表する政治諸力のための国家装置への制度化された接近水路を 基礎とし,国家の関連諸部門によって正当と認知された代表の形態」である。

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134 彦根論叢 第242号 分析としては,田口富久治(1969)矢沢修次郎(1980)やジャーナリスティッ クではあるが有働正治(1983−4)など数少ない重要な仕事もあるが,近年の 「日本型多元主義」論の提出以降にこれらとかみ合った形での権力構造論の展 開は管見の限りではほとんど現われていない。なお,最近の日本に関する分析 として,他に,的場敏博(1986)が自民党の「政策過程」論として「多元的・ 非イデオロギー的枠組みで説明し切れるものではない」領域を摘出し,特に財 界,官僚実力者などの影響力に言及しているのも注目されよう。        6)  以上,二つの方向からの批判を指摘したが,私見では,いわゆるマルクス主 義における「国家論ルネッサンス」以降のヨーロッパにおける理論展開がごく 少数の例外を除いて未だほとんど日本の現状分析には生かされていないように  7) 思う。おそらくは,この展開をベースにした現状分析の作業が,かつての革新 自治体を生み出した我が国における地方自治・地方財政論などの理論的蓄積・ 展開と結び付いた時に,「日本型多元主義」批判もより具体化されることにな るであろう。 3………「多元的民主主義の諸欠陥」(R.ダール)について  アメリカ政治学における「多元主義」批判の議論は,周知のように多くの論 6) これらの方法,業績のうち何処までが「マルクス主義的」で何処までが「マルクス  主義的」でないかを論じることは,当然可能であるし,文脈によっては必要でもある  であろう。しかし,われわれとしては,そのような議論をここで展開するつもりはな  い。むしろ,この文脈では,この節の始めに述べたようなマルクス主義政治学におけ  る基本的な問題の未解決性を前提として,国家の階級性や政治の経済による規定,階  級闘争などの問題を問題として提示し深化していくことに役立つ方法,業績を幅広く  検討して吸収して行くことを考えたい。 7) また,「多元主義」的政策形成メカニズムに対して,これを「選択メカニズム」(C.  オッフェ)として把握し,①の方法からの議論との接合をはかることも行なわれてい  る。彼は,このメカニズムを,「抑圧的ないし消極的選択メカニズム」「調整的ないし  積極的選択メカニズム」「隠蔽的ないし偽装的選択メカニズム」としてその機能を検  討しているが,このような整理は,具体的な「政治過程」分析にも応用されよう。例  えば,臨調分析に関して,「初期の段階を除けば,臨調は一つの政治アクターではな  く,ある特定のアリーナであった。特定という意味は野党がほとんど直接的には参加  できないアリーナであったということである」早川純貴(土井他,1985)というよう  な言及は,「政治過程」における様々なアリーナの特性を諸選択メカニズムとの関係  で分析する可能性を示している。

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者によって多岐にわたって展開されている。ここでは,これらの批判に関する R.ダールの整理に基づいて,まとめることにしよう。石田徹(1985,1986) らが指摘するところでは,我が国の「多元主義者」の議論のかなりの部分(た だし,大嶽秀夫を「多元主義者」とするならば,彼は,この顕著な例外である) は,アメリカ政治学からの「多元主義」理論の導入の際に70年代80年代に華々 しく展開した「多元主義」批判の議論をあまり十分に摂取していないとされ る。ダールの参照も初期のWho Goび8γηS∼などは多いが,ここで取り上げる 近年のDilemmαs of Puluralist I)emocrαcy(1982)などは,多くの場合実質 的には無視されているようである。以下,彼が挙げる「多元的民主主義」にお いて想定される四つの「欠陥」について,簡単に箇条書き的に紹介しよう。 (なお,彼の「多元主義」「多元的民主主義」の定義については,■一2一⑤ での紹介を参照のこと)  ①政治的不平等の安定化    多元主義は広範な不平等と完全に両立する。しかも,単に現存不平等を   登録するのみならず,組織という資源を媒介にして:不平等を強化する。ま   た,均衡,相互協調,平和共存が存在するときには,組織的多元主義は,   革新的構造変化の要求に対して高度に保守的で現状維持強化的な力を働か   せる可能性がある。  ②市民意識の解体    利益の多元性と組織的多元主義とは,相互に強化しあうのであって,後   者は前者の単なる表現ではない。組織的多元主義は,集団や個人の利己的   な側面を強調することによって,共通の,公的な,広範に共有された利益   の不在という主張を自己実現的な予言とするような認知,信条,政治文化   を強化する。諸組織が,その利益媒介の過程で,広範かつ長期的な列三関   心を弱め,部分的かつ短期的な利害関心を強化するように行動する傾向を   持つ。  ③公的アジェンダの歪曲    もし考慮されれば,決定をかえるであろうような重大な選択肢が存在す

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 136 彦根論叢 第242号   る可能性がある。特に不平等な資源は,選択肢の考慮に対して不平等な影   響力を及ぼす。また多くの未組織の市民の長期的全体的便益よりも,相対   的に少数の組織された市民の可視的な短期的部分的便益を,アジェンダに   のせ重視させる。  ④最終的統制の疎外    私的組織による公的機能の悪しきappropriationがあるかもしれない。   本来公的にコントロールされるべき社会的機能が,私的組織(とりわけ,   経済的組織)によって適切な統制を加えられることなく行なわれている可   能性がある。   彼は,これらの「欠陥」の原因を主にまた総て「多元的民主主義」=「民 主的多元主義」に帰しているわけではない。対立や亀裂の形態,具体的な政治 制度,組織の包括性と集中の程度,などの国によって大いに異なる要因の影響 や,また,民主化の不十分さ,資本主義という経済構造,利己的な市民意識な どにもとつく要因の影響を,これらの「欠陥」の要因として一層重視すべきか も知れないとする。しかし,重要なことは,これらの現実的な「困難jや「欠 陥」に少なくとも「多元的民主主義」が「巻き込まれ」,それらの出現に「あ ずかる」可能性を持つということである。  このようなダールの見解は,「諸欠陥」のアメリカ的な現われに対するダー ル自身の提起する「対策」(Remidies)〈=「経済民主主義」(自主管理企業+ 市場+スウェーデン的協調制度)と統合力を持つ(アメリカ的fragmentation を克服する)政治制度〉の内容とも合わせ,非常に興味深い。しかし,本稿の 文脈の上では,「多元主義理論」の典型的論者とされるダールがこのような形で 「諸欠陥」をまとめ分析していることに注目しておくにとどめることにしょ9’。 3………iJN†舌 以上の簡単な検討と紹介から,少なくとも次のように言うことができよう。 8) リンドブロムの展開(転回?)も有名である。例えば,政治学会会長演説(Lind−  blom,1982)やMan‘ey 1983の批判に対する応答を参照。

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いわゆる「多元主義的」政治領域の存在を認めたとしても,資本主義という構 造的制約(「社会的規制」)やその他の構造的制約の中で,特に非暴力的な制裁 手段の不平等な分散状況下においては,「社会的支配構造」が存在し得,思想, 信条,価値の多元性をインフォーマルなかたちで抑圧し,政治と経済・社会の 一定の分離にもかかわらず,「組織的多元主義」を媒介として,不平等を安定 化させ,市民意識を解体させ,公的アジェンダを歪め,こうして不平等の温床 である経済構造等に対する民主的コントロールを疎外する,可能性がある,と。 このような規定は,多くのレベルの「多元主義」規定と両立する。我が国の        ラ 「多元主義者」の多くは,この可能性を理論的に軽視しているのではないか。 たとえば政策決定過程の多元性においてさえも,影響力の不平等の程度の測定 の試みは十分ではない。例えば,「経済界が他の政治参加者と比べて決定権者 に対して格段の優越したアクセスを持っていることは疑いない」 (村松岐夫, 1985)し,「自由主義体制における顕在的リソースへの接近の不平等性」があ り「影響力の寡占状態」がある(大嶽秀夫,1979)ことが認められているが, そうであるとするならば,そこでの「多元主義のバイアス」(Connoly, ed,, 1969)に応分の注意が払われて始めて,政治過程や権力構造に対する全体的特 徴付けとして他ならぬ‘‘多元主義”規定を使うことが妥当か否か,が検討され なければならないのではないか。実際,上のような可能性(さらに,かなりの 現実性)をもつ政治システム(体制)を,「多元的民主主義」とか,それとし ばしば区別の曖昧な「多元主義」であるとか言うのは,かなりの勇気を要する ように思われる。  ところで,現状分析の際には,このような「バイアス」に注意する一方で, 他方,上述のダールのまとめた「諸欠陥」に対する体制的革新に特に注目する 必要があるであろう。というのは,例えば,「多元的停滞」に基づく革新的な 社会対応の遅れや「予算ぶんどり」,「むしり・たかり」構造などと言われるよ 9)ただし,この可能性を克服した「多元的民主主義」システムは,現存しないのであ  って,その意味で批判に使える出来合いのモデルは存在しないことに注意すべきであ  る。

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138 彦根論叢 ee 242号 うな様々な問題に対する上からの体制的な対応として,臨調行革における一連 の施策を位置付け,その対応の帰趨や「バイアス」を見ていくことは重要であ ると思われるからである。その対応における①の前段,③の前段に対する施策 の欠如,競争原理の強化と②に対する国家意識の強調との関係,④に対する逆 説的な対応内容は,体制的革新を必要とした産業構造の変化などに伴なう社会 変容の内容とともに,近年の動向の分析について多くの論点を提出すると思わ れる。 W 多元主義と日本的特殊性(前近代性) 1………日本的特殊性と比較  近年の現状分析の業績においては,日本の政治現象を諸外国と比較可能な枠 組みでとらえることに第一義的な重点が置かれることから,日本的特殊性をと らえる場合にも,普遍的な用語で位置付けようとする傾向が強い。このことを できる限り追及することは,次のような限定をふせば当然ながら妥当であると 思われる。すなわち,①日本政治の個性的なあり方をそこで使われている言葉 による理念型的な概念構成によって描き出す方法を排除しないこと(この概念 の普遍化への努力が必要であるとしても),②いわゆる「近代主義者」やマル クス主義者の業績が,まさに普遍的な用語で日本的特殊性を指摘していたこと を無視,ないし軽視しないこと,③普遍的な用語で各国と共通の要素を摘出す ることは,個性的な要素を量的なレベルの特性に還元することにつながるが, そのことのもつマイナス面に自覚的であること,また④普遍的な要素の摘出が, 全体の個性的な構成を無視,ないし軽視することにつながりやすいことに留意 すること,である。 2………日本的特殊性(前近代性)と諸レベル  これらの点を踏まえたうえで,先の9の3で挙げた表のレベルのどの部分が どのように日本的特殊性あるいは前近代性の問題との関連で議論になるであろ うか。この点で参考になるのが,山口定の指摘である。まず,①「『政治体制』

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に残る官僚優位の伝統と『政治的共同体」の側に残る国家依存の意識と構造と いう「国家コーポラティズム』(ペンペル・恒川,1984,参照)の残津のなか にこそ,『戦後改革』にもかかわらず存続する政治的連続性の核心があるので あり,それは,この『戦後改革』自体が「上からの近代化』の破滅ののちに外 から持ちこまれた「民主化』であって,下からのエネルギーに支えられた改革 としての性格が弱かったことの証左にほかならない」(三宅他,1985),次に, ②「現在の日本で見られるのはリベラルなポリクラシーだけれども,それはト ータルに見て,基底社会まで含めて多元的になったということでは必ずしもな い」(山口・大嶽,1985)という指摘である。これを参考にしつつ,以下に若 干のレベルに注目して見よう。 ①「基底社会」について見れば,まず5(下位文化的多元性)のレベルが諸外 国に比して少ないことについては,議論はなかろう。数少ない下位文化的多元 性レベルでの顕著な事例の一つは,最近首相発言をきっかけとしてマスコミを 賑わしているアイヌ民族の問題である。(ただし,近年円高に伴なって急速に 増えている外国入労働者の問題は,今後の労働市場の国際化をめぐる議論およ び事態の推移一門主体がどのように対応するか一についても,またこれまで何 故流入を阻止できたかということについても,重要な論点をはらんでいる。) ②次に,6のレベルが争点となっているのが注目される。例えば阿部斉は,こ の価値や信条の多元性について,「画一化と多元化という明らかに矛盾しあう 傾向が同時に共存していることが,現代の日本社会の特徴であるということも できよう」(1986)として,山口定とともに,このレベルでの「多元主義」の 存在に否定的である。他方,大嶽秀夫のように,「イデオロギーの幅」,「社会 全体としての思想のヴァラエティ」といった点で(西ドイツや)アメリカが日 本に比して多元的であるという主張に対しては否定的な見解もある。  おそらく問題は,信条や価値一丁目はないであろう。どの価値領域でどの範 囲において多元化しており画一化しているかが,問われるべきである。しかも, 少なくとも例えばアメリカ的なコンフォーミティとどのように質的に異なるか にも答えられなければならない。われわれの視点から現時点において十分な答

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 140 彦根論叢第242号 えを出す準備はないが,少なくとも学歴社会や出世競争などに見られるような 人生目標における一元的な価値付けが,全社会的に(労働者層に至るまで)強 い吸引力を持っていること,労働市場における価格が,職能的な労働能力の評 価でなく,トータルな人間評価として広範に受け入れられていること,すなわ ち,労働力の価値以外の人格の価値をはかる価値規範が非常に弱いということ に,一定の画一化の現象を見ることができるのではないか。なお,このことは 超資本主義的であって,決して「前近代性」や「後進性」の現われではないと いわれるかもしれないが,もともと急速で践行的な資本主義の発展が前近代性 の存在によってこそ逆説的に達成されたことの(そしてその帰結としての破滅 の)構造の解明こそがいわゆる近代主義者や講座派マルクス主義者の関心であ ったのであり,「前期的」資本主義の異常肥大は何等「後進性論」を否定しな いことに注意すべきである。 ③また,この点と関連して,政治文化の組織的実態的基盤である部落会町内会 や末端の経営組織などの「基礎的組織」(岡本仁宏,1986)レベルでの多元的 ・多元主義的状況の有無も注目されるべきであろう。このレベルの集団は,通 常の政治アリーナに圧力集団として登場することが稀であることから,いわゆ るイッシュー・アプローチを得意とする「多元主義的」政治分析においては看 過されやすい。圧力活動をしない,いわば「非政治的」な集団の政治的意義は 「多元主義」政治理論においては,この他にも,例えば政治のゲームのルール を支え統合に重要な役割をなす「潜在的利益集団」の問題としても,また,強 い影響力を持つがゆえに顕在的圧力活動をしない経済的支配集団の問題として も,常に理論的にマージナルな問題であり続けてきた。しかし,多元性,多元 主義の問題のふくらみと日本的特殊性とのかかわりを考える場合,共同事務の 決定・処理の末端における「基礎的組織」のレベルの問題は欠かせない。松下 圭一のいう「ムラ文化」と世界に名だたる「日本的経営」の内部におけるコン フォーミティの激しさとは,しばしば指摘されているところである(熊沢誠, 1983)。なお,この点に関する比較の例として,例えばダールが注目するように, 「民主的規範が,ノルウェーにおいては,家族,学校,経済,友人,圧力団体,

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政党,地方自治,中央政府など生活全般に行きわたっているので,ノルウェー 入が,それを,単に国の統治に有効な一形式としてではなく,自然かつ道徳的 な,一般的〈生活様式〉とみなしていることは,驚くにあたらない」(H.エク スタインーダール,1971から再引用)といった指摘は参考になる(この点,共 同体論争の段階か類型かという議論の現代版にかかわる1 また,馬場康雄, 1984の北欧のコーポラティズムについての指摘「ノルウェーに見られるような 北欧的民主政は,古い『共同体」的なものがその本質を維持しながら高度に機 能的なものに変貌していった,そのような社会における政治のあり方を示して いると言えよう」も参照)ように思われる。 ④「基底社会」と「政治体制」をつなぐレベルの問題として,先に指摘した多 元性,多元主義の区別が取りあげられる必要があろう。これは,大嶽秀夫が山 口定との対談で指摘している「多元主義のレジティマシー」についての問題で ある。すなわち,様々なレベルでの多元性の存在とそれがレジティマシーを与 えられているかは,全く別のことである。外国支配によって制度を扶植された 我が国で,i)支配エリートのなかで, ii)政治活動家(保守派はもちろん革新 派や野党を含めて)のなかで,iii)市民の意識や基礎的組織のなかで,多元主 義はレジティマシーを与えられているかが,問われなければならない。例えば, 馬場康雄(1986)が,「日本型デモクラシー」への危倶として述べた,日教組 大会を自民党が「悪い連中の大会だからやらせない」として妨害したという話 は,この論点の具体的評価の必要を示しているといえよう。 ⑤次に,「政治体制」レベルにおける「官僚主導」「官僚優位の伝統」の評価に ついては,「∼∼∼型多元主義」の意味内容の検討が重要である。「官僚的大衆 包括型」(猪口孝,1983)「自民・=官庁混合体によって枠づけられ,仕切られ た」(佐藤誠三郎・松崎哲久,1986)「定型化された」(村松岐夫,1986)など の場合,それぞれの表現によって,諸先進資本主義国の「政治システム」,「政 策過程」に比して我が国の官僚,官庁の影響力が「政治システム」,「政策過 程」に対する有意な特徴付けに利用されるほど特筆されることに,まず注目す べきであろう。彼等の多元主義の意味内容は論者によって異なり(例えば,猪

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142 彦根論叢 第242号 口孝の「多元主義」の対概念は「権威主義」である),かつ不明確な場合もあ るが,例えば最も明確な佐藤・松崎の場合をとっても,ダール的な「多元的民 主主義」において容認されている影響力の不平等構造に対してこの修飾旬がど の程度の比重を持つのか,明らかでない。その意味で通俗的な「多元主義」の イメージとしての分散的で平等度の高い民主主義像を,修飾句がどの程度否定 しているのかが,日本的特殊性としての「官僚主導」性の評価として重要であ ろう。 ⑥なお,多元性の存在する様々なレベルのアリーナの特徴と組織化の様式をめ ぐる日本的特殊性については,この間の業績で目についたものから拾っても少 なくとも,次のような点を挙げることができよう。  i)   まず,定数是正,田中辞職問題などに見られる国会の対応の特徴は,京極  純一によれぽ「政治業界の自治能力」の問題として,「文明史」レベルの水  準の問題として把握される。国民代表の基本的な問題である定数問題に対し  て,5倍以上の格差に至るまで放置されざるを得なかったということの理由  は,検討されてしかるべきであろう。  ii)   「二重のフライエンテリズム」として山口定がまとめている派閥と後援会  とについての組織化様式の問題(三宅他,同)も,「民主主義的」な「多元  主義」モデルの観点からのみの評価では汲み尽くせない問題を把握しようと  する。例えば,後援会に対する「民意応答性」のみの視点からの評価は,こ  の面での評価が従来の分析において不十分であった点を指摘する意味で有意  義だとしても,到底バランスのとれた評価とは言えない。なお,モデルとし  て「多元主義」とクライエンテリズムとが二者択一の関係に立つのか両立す  るのかという問題は,もちろんそれぞれの分析用語としての定義によるが,  それぞれの言葉が特有の文化的な(従って価値的な)内包をイメージさせる  あるいはひきずっていることに対する感受性なくしては,社会科学的に有意  味(レリバント)な定義付けはなされえない。例えば,ラテン的な内包を持

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つクライエンテリズムの重みがアングロサクソン的な内包を持つ「多元主 義」のニュアンスを押し潰している時,それでも幾つかの形式用件で「多元 主義」規定を分析用語として使う場合に生ずる違和感に堪えるだけの厳密で 意識的なターミノロジーが必要であろう。 iii)  また,田中政治に典型的ないわゆる利益誘導政治,「金権政治」(毎日新聞 政治部,1985など)について,これが,一種の「合理的」投票行動(大嶽) に基づいておりかつ後進地域への政治的利益再分配(高畠通敏,1986)とい う一種の「潜在的機能」を持つという的確な指摘からすれば,その「社会的 応答性」の点からして「民主主義的」で,圧力政治の正統的機能が発揮され ているといういわゆる「多元主義」理論に適合的なイメージとして描くこと が可能であろう。この側面の把握の重要性は,明らかである。しかし,しば しばウェーバーの評価に基づくマシーン政治と利益誘導政治との類比が行な われ(永井陽之助,1984),これらがいわゆる「合理主義的政治理論」の立場 から「合理的」な投票行動として見なされるのであるが(大嶽),このことを, 「近代性」の評価に結び付けるには少なくともつぎのような点についての留 意が必要であろう。すなわち,第一に,周知のようにウェーバーが見た時代 のマシーンは,典型的にはアイリッシュをボスとする東南欧系移民の組織で 前近代的性格を強く持っていたということ。また,政治における資本主義企 業としてのボスマシーンの評価は,近代化と資本主義化とが同義でないとす るならば,マシーン政治の近代性を保証して決着ずみの問題にしたわけでは ないこと。さらに,第二に,「合理主義的政治理論」では周知のように,完 全ないわゆる「合理的」な投票行動のみは,民主主義システムを破壊すると いうこと。この意味で近代の理念と現実において,広義における一定の「教 化」の必要は不可欠で内在的な部分をなす(市民意識,公衆)。したがって, いわゆる「合理的」投票行動は,必ずしも近代的ではないこと,である。 3。・一・一・・ノJ’・手舌

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144 彦根論叢第242号  以上,①から⑥まで若干の論点を列挙したが,日本の政治システムは「多元 主義」的か否かといった問題に答えるために,i)「多元主義」概念の意味内容 の整理と限定,ii)その限定された意味内容と日本的特殊性(前近代性)との かかわりの整理,が必要であるとするならば,少なくとも以上のような論点を 注意深く処理するべきであろう。  ところで,特殊性と後進性(前近代性)という言葉のうち日本政治の特質を 主にどちらの言葉でとらえるかは,i)類型と段階という社会科学の基本的範 疇にかかわる問題である(言うまでもなく狭い意味での「近代化論」を承認す るか否かのレベルを越えた問題である)と同時に,ii)日本の戦後社会科学の パラダイムのキータームであった「近代」という言葉の社会科学概念としての 有効性に対する判断にかかわる問題である。本稿は,後進性(前近代性)とい う把握の有効性を認める立場からの論評としての性格を持つが,この点につい てもちろん十分には展開しているとは言えない。今後の検討のために付言すれ ば,特に特殊性でとらえる場合は,i)内在的あるいは外材的な変化の論理, ii)特殊性に対する有意味な批判軸,に,また,後進性(前近代性)でとらえ る場合には, i)超資本主義的な側面を含む有機的な構造,ii)近代の理念型 からする欧米諸国の現実への現代的批判の論理,iii)現代的な資本主義批判と の接合,に,注意を払う必要があると思われる。  我が国は,「民主主義的政治形態」(田口富久治)をとっており,ダールのい うポリアーキーの要件に合致している。また,この点とは明らかに論理的に別 のことであるが,レベルユー1,4などで多元性がかなり認められる。われわ れは,これらの多元性を,以上①∼⑥及び先に]Eで触れたの点にもかかわらず 多元主義として規定する意味を認める。それは,特にレベル1−1−2と4で あり,i)比較政治体制論において,公式な「結社の自由」の容認とそれらの団 体の政治活動の自由の容認,制度的な権力の分立といった事実を範疇化する意 味を認めるからであると同時に,ii)我が国においてこの制度の基盤の脆弱さ ゆえにそのレジティマシイを強化する必要に注意を促すために有用であると考 えるからである。しかし,このことは,政治システム,政治体制の全体的な特

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徴付けとして「多元主義」概念を用いるのではなく,むしろ,より限定された用 語法でありながら,現代の様々な政治体制を分析・評価するさいに有意義なレ ベルの用語法として考えたい。なお,先に皿で触れたような可能性とこの多元 主義とは完全に両立すると同時に,ダールの主張によれば(!971),ポリアーキ ーと「膨大な不平等」もまた両立するということには,再度注意しておきたい。 V むすびにかえて  以上のようなわれわれの検討は,日本における、「多元主義」概念の現状分析 への適用に関する諸論点を提出し,その多義性に一定の考察を加えるとともに, 他方で,この多義性を多次元(レベル)性として整理することで,現状分析の 理論枠組みを考える際の手がかりを得ようとするためであった。この目的にと っては,未だ本稿の作業は,若千の論点の提示にとどまっており,不十分なも のであろう。しかし,少なくとも既にこれまでのII−3,M−3,IV 2で論 じられたように,「多元主義」概念の日本の現状分析への適用には幾つかの前 提的手続きとそれに伴なう限定が必要であることは明らかであろう。  本来,社会科学者がある規定を使う場合,その定義を明確にすることは当然 の要請であろう。「多元主義」の場合,第一に,英米におけるpluralismの意 味の膨らみの問題が,もちろん検討されるべきである。例えば,我が国の「日 本的多元主義」の諸論者の多くには,ダール,それも彼の初期の業績のみに依 存する傾向があるように思われるが,そもそも彼の「多元主義」概念自体につ いても多元性を語ることができること(例えば,1[ 2一⑤)からすれば,こ の依存傾向の是非も議論されるべきであろう。また第二に,pluralismに「多 元主義」の訳語を充てるのが妥当かという問題もある。例えば,“複数説”と いう訳語を当てると我が国における訳語のイデrt nギー的側面がかなり削減さ れる可能性がある。「主義」という言葉は,周知のように,principleの福地 源一郎による訳語から来ており,ギリシャ語における動作名詞を作る接尾語か ら来ているismとは,大いにそのニュアンスを異にしている。われわれが, 先にあえて多元性,多元主義,多元的民主主義の区別の必要を説いたのも,こ

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146 彦根論叢 eg 242号 のような問題を踏まえたうえで,特に,事実的な複数性の存在と,その複数性 の存在に対するレジティマシーの付与・確立,さらに,これと民主主義の問題 とを切り分けることで,分析用語の豊富化をはかるためであった。  本稿におけるターミノロジーは,基本的にはこの三つの用語とH−3で示し たレベルとのマトリックスとして考えることができる。ただし,H−3の表は, 暫定的な整理にしか過ぎず,決して結論的なものではない。このレベル整理を 理論的に整理し直すためには,当然,政治の現状分析の理論枠組みの全体像と のリンクが必要である。本稿の立場から言えば,先の表やその後の諸論点を組 み込める理論枠組みが求められると言えよう。(この点について,稿末の〈補 論〉参照。)  なお,日本の現状分析に使われている様々な「多元主義」規定についてわれ われが先に行なったようにレベル整理することで問題にアプローチすることは, これらの規定のレベルやバイアス,制約に注意しながら時間軸によって幾つか の「多元主義」規定・特徴付けを整理し,特に戦後の政治過程(その中でいわ ゆる「圧力政治」や「政策過程」)の変化を把握する際に利用することを排除 するものでないことは言うまでもない。この方向での現状分析の深化は,重要 である。この深化は,また具体的分析に有意な概念の意味の整理・確定をもた らすであろう。この点については,他日を期したい。 〈丁丁〉現状分析の理論枠組みについての覚書 1 はじめに  多元主義概念に政治分析の中で適切な地位を与えるためには,当然政治全体 についての構造的理解の中にこそ位置付けられなければならない。この全体に ついての見通しなく「多元主義」概念を無限定的に提出し,結果としてその内 包を安易に拡張することは,イデオロギー的な主張を生のまま提出することと 大差のないことになろう。この政治全体についての構造的理解から,現状分析 の理論枠組みが構成されよう。  ここでは,このようなラグンドセオリーを論ずることは到底できないが,こ

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の構想の為に,覚書的に二つの点について触れておきたい。 2 我が国の理論史における構想の諸方法について  ①これまでわれわれが検討の素材に挙げたような近年の諸業績の,前提ある いは展開として,容易に考えられるのは,「多元主義」的とされる「政治過程」 を類型化し,更にそれを構造化する方法によって「政治過程」領域の構造的理 解を得ようとするものである。これらの業績として,篠原一(1962),升味準 之助(1983),村松岐夫(1981),山ロニ郎(198),山口定(三宅他,1985), 真淵勝(1981),辻中豊(1986)などがある。これらは大いに啓発的であるが, 可視的な圧力政治の領域から離れれば離れるほど,また,日常的な利益政治過 程から離れれば離れるほど,類型の内容が空疎になる傾向がある。これはこの 方法が持っている内在的な限界といって良いだろう。  ②また,最近,主にD.イーストンの政治システム論,特にそのシステム内 部に関する論理構造を精緻化して,分析枠組みを構想しようとする方法が注目 される。これらの業績として,山口定(同),篠原一(篠原他,1984)がある。 この方法は,「政治過程」類型化の方法よりもはるかに包括的な政治像を描くこ とができる。筆者も,本稿の元となった報告では山日定の政治システム論のそ れぞれの層(レベル)における変数の拡大を(篠原一とR。ダールを参考にし ながら)はかった。しかし,この方法は,もともと機能概念を軸にして形成さ れたシステム理論的概念の中に,実体的な概念を導入することにつながりやす く(周知のように,イーストン自身についてもこの傾向が指摘されているとこ ろである),論理的に性格が曖昧で,未だ便E的な変数チェックリストとして役 立つ以上のことを期待できない。この欠点にもかかわらず,チェックリスト自 体の整備が重要な意味を持つ理論段階にある我が国の政治分析枠組みとしては 重要な意味を持つであろう。なお,以上①②の二つの方法については,藪野佑 三の方法論的な批判が参照される必要がある。  ③マルクス主義的な,特に国家論を基盤にした構想としては,藤田勇(1974) や田口富久治(1984)などの論理・概念構成が我が国における到達として重要

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148 彦根論叢 第242号 であるのは言うまでもないが,特に国家分析への概念装置の拡張のためにも, 例えば,加藤哲郎が,R.ステイーヴンの階級分析によせて書いた論文の末尾に 触れた「現代日本国家分析の方法」(1984)のアウトラインの内容的・理論的 展開が望まれるところである。  ④その他にも,接近方法はある。例えば,丸山真、男の「政治の世界』(1952) で示されたような政治権力の循環モデルもその構造化によって,分析方法とし て再構成されうるのではないか,等々。 3 構想の7つの要件  まず,現在の時点でわれわれが現状分析の理論枠組みを構想する際には,私 見によれば少なくとも次のような7つの要件を満たさなければならないであろ う。  ①市民社会の権力構造の把握  ②国際的関連一多国籍企業・帝国主義二品関係一の把握  ③先進資本主義社会への批判性、  ④日本政治の特殊性・前近代性の把握  ⑤比較可能な分析枠組み一先進諸国と特に東南アジア  ⑥戦後政治過程の変化(とりわけ高度成長期と大平・中曽根以降)をとらえ   うるレベルの具体性  ⑦情報化・ソフト化といわれるような産業・社会における技術的変化のもた   らすインパクトの把握       以上,1986年12月1日脱稿       〈文献リスト〉ただし網羅的でない 阿部 斉「政治の保守化と政治学の変質」『世界』岩波書店,1986.10 石田  徹「『多元主義以後』の理論的地平」e『竜谷法学』18−2,1985      「『日本的多元主義』の政治認識」『新しい社会学のために』37,1986.7,同     補遺私信 猪口  孝『現代日本政治経済の構図』東洋経済新報社,1983

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内田 健三『派閥』講談社,1983 大嶽 秀夫『現代日本の政治権力経済権力』三一書房,1979      「中曽根政治解釈と政治学の客観性・自律性」『書斎の窓』353号,1986.4 岡本 仁宏『〈基礎的組織〉と政治統合」滋賀大学経済学部研究叢書,1986 加藤哲郎「現代日本国家論の方法一R.ステイーヴンの階級分析によせて」『一橋論叢』     92−6, 1984. 12      r国家論のルネッサンス』青木書店,1986      「〈戦後吏〉への複眼的視角」1986年歴史学研究会現代史部会報告レジ』メ 神島二郎編『現代日本の政治構造』法律文化社,1985 神原  勝『転換期の政治過程一臨調の奇跡とその機能』総合労働研究所,1986 京極 純一『日本の政治』東京大学出版会,1983      『日本人と政治』東京大学出版会,1986 熊沢  誠『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』田畑書店,1983 佐藤誠三郎・松崎哲久「自民党政権』中央公論社,1986 篠原 一「政治過程の類型化」上・下,『思想』1962.3.5      『ポス1 ee業社会の政治』東京大学出版会,1982 篠原一・永井陽之助編『現代政治学入門』第2版,有斐閣,!584 高畠 通敏『地方の王国』潮出版社,1986 田口富久治『社会集団の政治機能』未来社,1969      『現代資本主義国家』御茶の水書房,1982      『現代政治』東出出版,1985 辻中  豊「利益媒介構造の析枠組とデータ・ソース」北九大『法政論集』11−1,1983      「利益団体の視角からみた戦前・戦後・現在」同14一 3,1986      「現代日本のコーポラティズム化一労働と保守二つの『戦略』の交錯」『講座・      政治学』第三巻『過程』,三振書房,1986.9 土井充夫・早川純貴・山口祐司「現代日本における政治過程へのアプローチ」『阪大法学』     13−6, 1985. 9 永井陽之助「日本政治の特異性と普遍性」『思想』1984.2 中野実編著『日本型政策決定の変容」東洋経済新報社,1986 馬場 康雄i「政治体制の諸類型」篠原一・永井陽之助編『現代政治学入門』有斐閣,1984      「政治学者の危機意識」『書斎の窓』357号,1986.9 広瀬道貞『補助金と政権党』朝日新聞社,1981 藤田  勇「国家論の基礎的カテゴリーについて」『現代と思想』18,1974.12 毎日新聞政治部『自民党金権の構図』角川書店,1985      『自民党転換期の権力』角川書店,1986 升味準之助『戦後政治1945∼1955』上・下,東京大学出版会,1983

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150 彦根論叢 第242号      『現代政治1955以降』上・下,東京大学出版会,1985 的場 敏博「自民党の政策決定過程」中野実編著『日本型政策決定の変容』東洋経済新報      社,1986 真淵  勝「再分配の政治過程」高坂正発編『高度産業国家の利益政治過程と政策」(ト      ヨタ財団報告書)1981 丸山真男『政治の世界」お茶の水書房,1952 三宅一郎・山口定・村松岐夫・進藤栄一『日本政治の座標」有斐閣,1985 村上 泰亮『新中間大衆の時代』中央公論社,1984 村松 岐夫『戦後日本の官僚制』東洋経済新報社,1981 山口引・大嶽秀夫「戦後日本の保守政治」『書斎の窓』350号,1985.12 山川洲巳「日本政治の現在を考える」『書斎の窓』356号,1986.7/8 山口 二郎『政策の転換と官僚制の対応」←一,二,三)『国家学会雑誌』98−1.2,3,4 矢沢修次郎「現代日本の政策決定機構」『講座現代資本主義国家,2』大月書店,1980 藪野 佑三「先進社会=日本の政治一その分析枠組一」北九大『法政論集』14−3,1986 有働 正治「財界による政党支配の仕組みと実態」(上,下)「前衛』83,12. 84,1 渡部  治「保守政治と革新自治体」「講座日本歴史12現代2』東京大学出版会,1985 Connoly, W.E., ed., The Bias of Pluralism, Atherton, 1969 ダール,R.,高畠通敏・前田修訳『ポリアーキー」三一書房,1981,原著1971      Dilemmas of Pluralist Democracy, Yale U. P, 1982      A Preface of Economic Democracy, U. of California Press, 1985 イーストン,D・,山川雄国訳「アメリカ合衆国における政治学」『思想』729,1985.3,原      論文1983 ジェソップ,B.,「資本主義国家』お茶の水書房,1983,原著ユ982 Lindblom, Charles E., “Another State of Mind” in APSR Vol. 76(1982) Ricci, David M., The Trage dy of Political Science: Politics, ScholarshJp, and Democ.      racy, Yale University Press, 1984

参照

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