現代言葉遣い小考(四) : 国語を教える者の自戒のために
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(2) 現代 言 葉 遣 い 小 考 ︵ 四 ︶ −国語を教える者の自戒のために−. ﹁孫子?﹂一.などと疑問符をつければ良いというものではな. い。出典は、三一国志﹄呉志、呂蒙伝の装松之注に引く﹃江. 第三号に続いて駄文を載せてもらうことにした。身辺雑記・ 読書記録めいた内容が多くなって恐縮だが、御寛恕を願う。. ︵世界古典文学全集、筑摩書房、一九. 表伝﹄中の呂蒙の言葉。しかもこの引用は誤りで、﹁士 別 さんじっ れて三日なれば即ち更に剖目して相い待つ。﹂が正しい。ち Ⅲ﹄. は、﹁士たるもの、三日会わずにおれば、︹その間に. ●一四七頁﹁斬くして⋮⋮﹂. ②小梯精以知﹁﹃鳳難﹄をめぐつて﹂︵同前所収︶. とは何のことだ。. どんな成長をするやも知れず︺、まったく新しい目でもって 彼を迎えねばなりません。﹂と訳している。そもそも﹁剋目﹂. 八九︶. なみに﹃三国志. ①野鴫正彦﹁越中埋木日記﹂︵高橋輝次編﹃古本屋の自画像− 店主たちの喜怒哀楽−﹄燃焼社、⊥九九六二二所収︶. の発声がマイクから流れる。﹂. ●一〇六頁﹁﹃江戸時代立山登山記、書簡一巻、越中書林が盲 00捨万○千 円 ﹄. ﹁00﹂と﹁O﹂の部分は原文の通り。○千円はよいとし ても、はて、前者の00にはどういう数字を入れれば良いの だろう?それに﹁捨万﹂は↓拾万だろう。. ●二二貢﹁惟然と電話を切られたN氏の落胆を思って終日暗. ﹁暫ちくして﹂だろうね。この﹃古本屋の自画像−店主た 然。﹂ ﹁惟然﹂は、情然の誤り。同様に、一一三貢の﹁蟻地獄にちの喜怒哀楽﹂﹄は、書評で見てなんとか入手したいと思っ 伸吟していると⋮﹂ ⋮の、﹁伸吟﹂は、坤吟の誤り。. ていた。ほぼ同時に刊行された﹃古本屋の落書﹄も楽しめる。 古本屋がぐつと身近になること請け合い。札幌と小棒の古書. 現代では女子も一年見ないと剋目して見ないといけない。﹂ 店主のエッセーも掲載されている。. ●一一大頁﹁孫子?日く﹃男子三日見ずは剋目して見るべししと。. −75−.
(3) ●一ひ五貫﹁榊はへたな冗談を青い、一人で笑いのめした。﹂. ③逢坂剛﹃空白の研究﹄︵集英社文庫、一九九七・四︶. 語大詞典bにも﹁削下的木片。﹂として載っている。迂閥だっ. という論文があるのを寓目した。この﹁柿札﹂という言葉、﹃漢 た。. ⑤中村真一郎﹁解説﹂︵森銑三・柴田宵曲1書物﹄岩波文庫、. ﹁のめす﹂は、﹁徹底的に⋮⋮するの意を表す。﹂︵﹃辞林21﹄︶. これは刑事の榊が娘と自分の部下でもある若者と三人で会食. ●三三五貫﹁柴田宵曲氏の分は、小澤書店から平成六年に、﹃柴. 同じ後輩の一読者家である解説者は、喜びに耐えない。﹂. られた全ての文章を復元して、刊行することとなったのは、. ●三三大貫﹁改めて岩波文庫に、⋮⋮それも初版、再版に載せ. たる語がない。. ﹁小澤書店から﹂に対応する﹁出版︵刊行︶された﹂にあ. 田宵曲文集一入巻中に収められた。﹂. 一九九七・一〇︶. している場面。会話が弾まないので他の二人には何も面白く ない冗談を言って一人で笑っているのである。自分を﹁笑い のめす﹂とは言わないだろ、丁。逢坂剛は気に入りの作家なの で、この駄文には登場させたくなかったのだ。 見出 し ︶. ④﹁夢の現場で﹂︵毎日新聞、一九九七・一〇・二〇付け朝刊 一一面. ●﹁新国立劇場の柿落しに森光子﹂. ワープロで﹁こけらおとし﹂と入力すると、この見出しと. ⋮⋮、⋮⋮、 と重なって目障り。後者はせめて﹁解説 者として﹂とするべし。中村真一郎といえば、すごい文学者. 同じ漢字︵寿がユと巾になっている︶が出てくる。本文中に. も親切に﹁こけら﹂とルビが振ってある。確かに、ワープロ. ︵﹃古本屋の来客簿﹄燃焼社. だと無条件に膚じていたのにがっくり。. なるだろうと思っている。﹂. ●〓ハ貢﹁地方新聞の記者は昔からの古書店はすべからく無く. 一九九七・一〇所収︶. ⑥中川英治﹁店主ほいつも留守﹂. では﹁柿﹂の字が出てきてし㌢つ︵小生の機種だけ?︶のだ. が、この漢字は﹁こけら﹂とは全く別の字。柿︵かき。これ も俗字らしいが︶は穿の部分が五画だが、﹁こけら﹂はこの. 部分が四画で、縦棒が一直線になっている。音はハイ。ただ し、さらに言えばその字も俗字で、木偏に﹁求﹂字の右肩の. あり、題目書﹄主溶伝などを出典として挙げている。歴とし. には、﹁1こけら。こつば。けづりくづ。. 落し穴がありました。﹂とある。これも同様。﹁すべ﹂が共. ラEにも﹁良書すべからく古書価の高い本ではないという. の二九頁、伊藤俊一﹁﹃東洋史ゼミナール﹄と﹃アサヒカメ. この﹁すべからく﹂は﹁すべて﹂と代替できそう。. た藻字で満って﹂国字ではなかったのだ。その後、劉曾遂虐. 通しているので誤解が生ずるらしい。さらに一一一貫、八鍬. 点を除いた部分を勇にした字が正字であるそうな。﹃大湊和一. 詩論満﹄︵杭州大学出版社、一九九二︶の冒頭に﹁唐詩柿札﹂. −76−.
(4) 本屋の本棚し︵燃焼社。一〇月二六日に購入したのに、﹁一. なるほど、宋は、さいころの日だったのか。つまり、さいこ. こで﹃漢語大詞典﹄を見ると、﹁乗、敬子上的榛志。﹂とある。. 光晴﹁若い研究者からの礼状﹂の、﹁冷めたコーヒーのまず 席記﹂などの用例を引いている。﹁喝彩﹂の項も解説はほぼ さだけが口に答えた。﹂は、どうしても湊字で書くのなら、 同様である。﹁喝﹂は、どなる、大声を出す、ゐ意であるこ ﹁応えた﹂だろう。この古本屋シリーズの姉妹書である﹃古とは分かるが、では、﹁乗﹂または﹁彩﹂とは何なのか。そ 一月一五日第一版第一刷発行Lとなっている︶にも、﹁輿謝. 裕. 野寛﹂などとある。いつまで続くシリーズか不明だが、この ろ賭博でさいころを振って、例えば.﹁黒の目、出ろ出ろ〓︰﹂ などと叫ぶことだったのだ。同じく﹃漢語大詞典﹄の﹁喝﹂ 手の誤植があるのはいただけない。 ところで、﹁答える﹂と﹁応える﹂の違いだが、会話で相 の項には、用例として、﹃晋書﹄巻八五、劉毅伝の、﹁既にし 手の質問にこたえる時は、通常﹁答える﹂が用いられるとば て四子供に黒く、其の一子 転躍して未だ定まらず。︷劉︺ かり思っていたところ、高︵字体が異なるが、小生のワープ. 引いている。底は、五つのさいころを投げて、黒い目が出揃. 声を席まして之に喝ぶ、即ち慮を成す。﹂という文章を. ロにはない︶村薫﹃李欧﹄ ︵講談社文庫、一九九九・二︶で. その裏に牛を刻む。﹂. を黒く下を白くし、そのうち二個の白い片側に.は鳥を刻み、. 五個の敬子は、初め木で作りしが、後には牙や角で造り、上. 庫一五一︶ に引く﹁五木経﹄を孫引きしておこう。﹁樗蒲の. は、会話に用いられる部分も気づいた範囲ではすべて﹁応え うこと。これが出ると最高得点となる。もっとも、当時のさ る﹂になっていて、﹁答える﹂を用いていない。なにかこだ いころは今とは異なる。﹃中国社会風俗史﹄ ︵平凡社、東洋文 わり︵錯覚?︶があるのだろうか。. ⑦井波律子↓執念の蔵書家﹂︵r中国文学−読書の快楽﹄角川 書店、一九九七・九所載︶. ●四人頁﹁執念の蔵書家苑欽と、その遺志を守り通した賢明な. 一〇︶. ⑧荒俣宏ブックー㌢イフ自由自在L︵集英社文庫、一九九七・ すこ. 類似から混同したのであろうか。. なにやら、話がずれてきたが、やはり、﹁喝来する﹂とし 彼の子孫たちは、⋮喝 ⋮采を叫んでいることだろう。﹂ ﹁拍手喝来する﹂とは言うが、﹁喝乗を叫ぶ﹂という言いた方がよろしいようだ。あるいは﹁快哉を叫ぶ﹂との、音の 方はあるのだろうかと、ふと疑問に思った。1辞林㌘には、﹁ス. ル 手をたたいたり、大声をあげたりして、ほめそや と。﹂とあって、どうやらサ変の動詞らしい。r大湊和しを引. ●六二貫﹁最近の仕事の性質がデスクワークよりもフィールド くと、﹁博実の時、掛け声をかけて敬子を撮る。転じて、や ワ﹁ ーク んやとほめはやす。又、其のこと。喝彩を見よ。﹂とあって、 西に傾向してきたことだ。﹂. −77−.
(5) たのか。﹃大湊和﹄には、﹁事の進行するなりゆき。かたむき。﹂. うーむ、﹁傾斜する﹂ならばわかるが、﹁傾向﹂も動詞になっ. には見えない。やはり﹁旗色鮮明﹂は誤解から生じた熟語と. ﹁戦いの形勢。はた色。﹂とある。︶のに対して虞語大詞典﹄. ﹃大湊和﹄は﹃甲陽軍鑑﹄を出典として引く︵﹃辞林㌘には、. 断定してよい。. ⑲美保裕一﹃朽ちた樹々の枝の下で﹄ 八︶. ⑪星野龍夫﹁読み返されていない漢籍﹂︵﹁しにか﹂大修館書店、. ら﹁ついてを﹂が誤植とは考えられない。. 一度、真実についてを考えてみよう、と思った。﹂とあるか. 不要で、﹁素性を﹂とするべきだろう。三六大貢にも﹁もう. ンスを堪能した。しかし、これはおかしい。﹁について﹂は. 長と思える描写が続くこともあるが、十分にスリルとサスペ. り、﹃取引﹄ ﹃震源﹄ ﹃ホワイトアウト﹄などなど.。.やや冗. このところ美保裕一の本を読んでいた。﹃連鎖﹄から始ま. かった、⋮⋮ ﹂. ●二〇〇頁﹁あの毛利という男が、私の素性についてを知らな. ︵角川書店、一九九七・. とあって、出典は示さない。ところが、さすがに﹃漢語大詞典㌔ ﹁①傾心向往︵心から願う、熱望する︶。﹂として、蘇戟﹁大. 覚禅師に与うる書﹂などを出典として引き、さらに﹁④猶趨 勢。﹂とある。こちらは新しい語のようだが、これは明らか に名詞。この用例も﹁傾斜﹂とでもしたほうが良かろう。六 八頁では﹁自宅療養が最も心安まる﹂などという言い方もし. ている。 ⑨﹁分党回避は困難か﹂︵毎日新開、一九九七・一二・一九付 け朝刊 二面︶ ●﹁どちらの候補に投票したかを旗色鮮明にした議員がいる一. 方、⋮⋮﹂ ﹁旗色鮮明﹂はなんと読むのか。ワープロに﹁キショクセ ンメイ﹂と入力しても変換できない。もちろん、﹁キシセン メイ﹂とすれば、﹁旗職鮮明﹂と出てくる。﹁職﹂は、のほり。. 一九九人二︶. ●三頁﹁彼ら︹ペリオの次の世代の古代史学者たち=引用者注. 日印のはた。﹃大湊和﹄には、﹁旗色が明かなことで、己が主 義を明かならしめること。﹂と出てはいるが、出典は載せない。. ︺はマレルが発見したものを現場へ行って見て、とっぷりと. 扶南とその関係地域に関する六朝・隋・唐代の漢文資料と比. ﹃漢語大詞典﹄は、﹁政治的な傾向がはっきりしていること、 態度が明確なこと。﹂として、董必武の﹁広州起義三十周年. 較してみただろうか?﹂. ⑫帝木蓮生﹃白い夏の墓標﹄︵新潮文庫、.一九八三・一︶. ﹁とっくり﹂︵念を入れて。とくと。﹃辞林㌘︶の誤り。. ﹁とっぷり﹂は、日が暮れる様子に言うのだから、これは. 紀念﹂詩などを引いている。したがって比較的新しい言葉ら しい。この﹁職﹂を﹁職﹂との誤った連想から﹁ショク﹂と 読んでしまう人が多いことは知っていた。そこからさらに音 の同じ﹁色﹂と結びつけたのだろう。ただし、﹁旗色﹂の語は、. −78−.
(6) ●三〇六頁﹁クログを殺し、その恋人を絶望におとし入れるの. のごろよく見かけるようになった。出久根氏ばかりでなく、. その時代﹄︵大修館書店、一九九一・二︶の﹁訳者序﹂に、﹁︹倉. 林望﹃書鼓巡歴﹄︵後出︶の一人頁にも、﹁﹃中野君は、あれァ だという、⋮⋮﹂ よくやる誤り。﹁陥れる﹂が正解。本筋には関係ないと思 美丈夫だなぁ﹄と感に堪えたように幾度も言われた⋮⋮﹂と われる細部の描写が続くとイライラすることもあるが、教養 ある。このような言い方も定着してしまうのだろうか。 小説として読んでもなかなかに面白かった。ただし、同じ著 その後、注意していたら﹃中国の文人−﹁竹林の七賢﹂と. 者の﹃賞の柩L︵新潮文庫、一九九七ニー︶の一九四頁、﹁. 一将成って万骨括る﹂は、﹁一将 功成って万骨括る﹂だろ石武四郎︺先生が感に堪えたように、ごういう学問は、と ても及ぶものではありません﹄と言われた。﹂とあり、さら 、つ。語は晩唐の詩人曹於︵八lニ○?−九〇一︶の七絶・﹁己亥 にを は、 一春彦右が青春の記﹄ ︵東京新開出版局、一九 の歳﹂の転・結句﹁君に撃っ詰る莫かれ封侯の事 、金 一田将. ねがかた. 九四・一二︶わ七七頁にも、﹁︵父は︶今の電熱器を初めて見 功成って万骨枯る﹂が出典になっている。 たのであろうか。いかにも感に堪えたような表情で話した。﹂ ⑬帝木蓮生方シスの舞い﹄︵新潮文庫、一九八大・一こ とあるのに気づいた。これらはいずれも﹁⋮⋮ように﹂﹁⋮⋮ ●一二四貢﹁井戸端にある猿すべりに似た木に、⋮⋮。﹂ 猿には、誤読される可能性はないのに、わざわざ﹁さる﹂ ような﹂と続くことが共通しているが、﹁国語学者﹂や斯界 とルビがふってある。しかし、ダメなものはダメ。さるすべ の碩学でさえもこのように亭っのだから、すっかり自信を喪 失してしまった。. りは﹁百日紅﹂と書くのだから。こう書くと、樹皮のない?. している。﹂. り、あるものはくびすを上げてあぐらを組んだような恰好を. ●一一一貫﹁︵陵墓の前の石獣の姿勢は︶あるものはうづくま. ⑮羅哲文書・杉山市平訳﹃中国歴代の皇帝陵﹄︵徳間書店、一 すべすべとした木肌と紅い可憐な花が咲いている様子が目に 九八九・七︶ 浮かぶ。 ⑯出久根達郎癌で野暮天−︵リブリオ出版、一▼九九八・一︶. ●三一貫﹁私はKさんのカードを、しばらく感にたえたよう. に見つめていた。﹂. くびす︵きびす︶は、かかとのこと。かかとを上げてあぐ. おもてに表さないではいられない。﹂とある。自分の行為に らを組むという動作ができるのだろうか。くびすを首と勘違 ついて、﹁ように﹂と亭っのもおかしいが、果たして、﹁感 いしているのではないのかしらん。 ⑲﹁享年00歳﹂ にたえる﹂という表現は成り立つの怒ろうか。この表現はこ. ﹁感に堪えない﹂ならば¶辞林㌘に、﹁深く感動して、. −79・−.
(7) ︵上. 兵士と発砲︵発泡︶. の取り合せは、′たくまざるユーモアと. ようだ。周囲の兵士たちには発砲スチロールの容器に入った 弁当が配られる。﹂. 高島俊男﹃お言葉ですが−﹁それはさておき﹂の巻﹄の﹁ 裁は、断つ、切るの意だから﹁裁断﹂などと使う。似た言葉 ﹃還暦﹄と﹃享年Eの章に、以下のような指摘がある。 に﹁直裁﹂があるが、これは、﹁その場ですぐに決める。責 人が死ぬと、﹁享年七十歳﹂というふうに育っ。ある任い 者がじきじきに決める。﹂の意で、和製漢語。.﹃新字源﹄には、 は書く。これはいろいろおかしいところがあります。ま︵ず 参考︶として﹁サイと読むのは誤用による慣用。﹂とあり、F辞 ﹁年﹂と﹁歳﹂とは同じことだから重複である。﹁享年 七 林㌘ にも、﹁︵チョクサイは︶ちょくせつ︵直裁︶の慣用読み。﹂ 十﹂でよい。この重複は江戸時代からすでにあり、いま とで あるから、この読み誤りも定着していくのであろうか。 はほとんどあやまりとも言えぬが、・しかし重複であ⑲る は宏﹃夢街道アジア﹄︵講談社文庫、一九九人二二︶ 日に 比野 ちがいな い 。 ●四九頁﹁戦闘もランチタイムになると、いっとき休憩に入る この文章を読んだあと、周紹良主編﹃唐代墓誌彙篇﹄. 海古籍出版社、一九九二︶をめくつていたら、﹁権氏容子墓 誌銘﹂に、元和十二年︵八一七︶に亡くなった権奉常の年齢. を、﹁享年九歳﹂と記しているのに気づいた。他の墓誌のい年 うものか。この本、﹁文庫オリジナル作品!﹂と帯にはあ. 齢の記載は、﹁春秋十有五﹂﹁春秋六十六﹂﹁春秋若干L﹁年五 り、最終頁にも﹁講談社文庫のための書き下ろし作品です。 十有九﹂﹁年十二﹂などというのが圧倒的に多く、﹁享年 と﹂ 断と ってあるのに、﹁文庫版のためのあとがき﹂がついて いうのは少ない。﹁行年﹂﹁享寿﹂などというのはさらに でいずれ特装限定版?でも出すつもりなのだろうか。 い稀 る。 ある。精査したわけではないが、﹁権氏頼子墓誌銘﹂の⑲撰 者﹃は 林望 書、 薮巡歴﹄︵新潮社、一九九五・・一〇︶ 相当な粗忽者だったのだろうか。 ●二一貫﹁森武之助先生も、書誌学受業の師阿部隆一先生も、 ⑫﹁ヘンゲンソウク﹂﹁チョクサイ﹂ さながら今は亡い。﹂ さる懇親会でたて続けに耳にした言葉。漢字では、前者は この﹁さながら﹂は、どういう意味だろうか・.。盛林㌘ ﹁片言隻句﹂、後者は﹁直裁﹂と書くのであろう。ただに しは 、、﹁さながら︻宛ら︼︵副︶①ちょうど。まるで。②⋮. 虞語大詞典﹄には、﹁片言隻字﹂と﹁片言隻語﹂しか載⋮ せそのまま。⋮⋮そっくり。③まったく。ひたすら。﹂とあ ない。確かに、﹁隻﹂︵セキ︶は﹁隻︵双︶﹂・︵ソウ︶と、﹁栽﹂︵セ って、このうちのどれにも該当しそうにないのだが。と、こ ッ︶は﹁載﹂︵サイ︶と字形が似ている。しかし、﹁隻﹂は、 こまで書いて角川の軽便な古語辞典をひいたら、﹁②すべて ひとつ、﹁隻﹂は、ふたつ、つがいで、意味は完全に異な 全る 部。 。﹂とあって﹁字津保物語﹂の﹁はらからの君たち、. −80−.
(8) さながら参り給へり﹂という用例を引いてあった。これなら. の部分に注目したい。この文章のどこに句点があるというの. か。書誌学着たるもの、厳密に表記してもらいたい。. から、この借覧転写の日はそのほぼちょうど十二年以前に当. ●五四貢﹁︹阿部︺先生の逝去は昭和五十八年一月二十二日だ. 古語を交えるという、凡人には思いもつかないひねった言い. ば合いそうだ。引用した﹁さながら﹂は、二人ともの意だろ うが、さすがに碩学ともなると、現代語の文脈にさりげなく 回 し を す るものだ。. る。﹂ ﹁借覧転写の日﹂というのは、前項の﹁昭和四十大年一月. ●三七貫﹁︵阿部隆一︶先生が比較的若い噴、⋮⋮撰述された. 廿日夜﹂がそれである。﹁ほぼ十二年前﹂と言うのなら分か. るが、﹁ちょうど﹂というのがどういう意味なのか全く不明. ﹃慶應義塾図書館和漢善書本解窺﹄という名著がある。⋮⋮ 分りやすい書誌学的解題を附し、その多くについて図版を掲. だ。この著者の、﹁べし﹂が行方不明になっている﹁すべか あるのでもう触れない。. ⑳唐沢俊一﹃古本マニア雑学ノート 社、一九九人・一︶. ︵ダイヤモン下. 晋・宗時代の俗語で金のこと。﹂ 大正一一年に出た﹃心霊の正体と死後の世界﹄という書物. リ。即チ書ヲ買ハント欲シテ⋮⋮﹄とある。阿堵とは中国、. ●七九頁﹁買った人の書き込みがあって、﹃嚢中若干ノ阿堵ア. うーむ、不善だ。. ●二九貫﹁いずれも発行年月日不祥だが、⋮⋮﹂. 二冊目﹄. らぐ﹂の用例がこの本にも登場するが、前にも書いたことが. げ る と い ったていの著作である。 ﹂ この﹁ていの﹂がどうにも気になる。﹁てい﹂は、﹃辞林21﹄ には、﹁てい︻体・態︼①有り様。様子。﹁困惑の−﹂②みせ かけの様子。体裁。﹁−のよい逃げ口上﹂③・﹂⋮・のようなもの、. ⋮⋮ふぜいなどの意を表す。﹁職人−の男﹂﹂とある。たぶん. 筆者は、①の意味で用いているのであろうが、小生だったら 尊敬する恩師の著作に、﹁といったてい﹂などとは決して言 わ な い だ ろう。 ●三七貢﹁余計な蛇足である﹂. ﹁余計である﹂か、﹁蛇足である﹂のどちらかだろう。余 計 で な い 蛇足など考えられない。. は本来、これ、このものの意。阿勝. とも書く。それが銭︵ぜに︶の意となったのは、r世説新語﹄. の説明。阿堵︵阿堵物︶. 書入六合徐氏鉛印本﹃軽薄訪古志﹄合四冊︵中略︶以右楊健. 規歳篇、還日書﹄王紆伝の故事に基づく。ただし、この語. ●五三貫﹁橋川酔軒翁旧蔵、長沢規矩也先生現蔵、楊守敬白筆 吾手批本移写了/昭和四十大年一月廿日夜﹂一︵今私に句読点. には、いくらでも用例が載っている1. は晋・宋︵宗ではありません︶時代にのみ用いられたのでは ない。﹃漢語大詞典﹄. を加う︶. 長い引用になってtまったが、末尾の︵ ︶内の﹁句読点﹂. −81−.
(9) いるようにも見える。しかし、②の出典は﹃後漢書﹄張輔伝︵﹃漢. 語大詞典Lもこの例のみ挙げる︶にあり、そこでは、張噺が﹁開. 聞側側﹂として誠心誠意、帝を諌めたというのであり、かな. しかし、大正時代にはこういう言葉を平気で使える人がたく さ ん い た のだ。長るべし。 ㊧林望﹃ホルムヘッドの謎﹄ ︵文春文庫、一九九六・五︶. りニュアンスが違う。林望先生がこのような用例の少ない言. 朝刊九面. 書評欄︶. ︵毎日新聞、一九九人・五二二. も中国で過ごし、科挙の試験に合格した。﹂ 張競という人は、東大への留学経験があり、﹃恋の中国文. ●﹁長安では晃卿の名で知られた阿部伸磨呂は都合五十年以上. 付け. ⑳張競評﹃唐から見た遣唐便﹄. 葉を知っているのはさすがだが、単に﹁ひつそりと﹂くらい の意味で勝手に使っているのではないかと、小生はにらんで いる。. ●一〇八貫﹁︵父が︶ ﹃ここの便所には紙があるぞ﹄と感に堪. え た よ う に言ったので、⋮⋮﹂ ⑲にも書いた。林望先生もこのような表現を容認なさって いるのだ。 ●一二七頁﹁ゾーキンのぶる下げ方なんかが、﹃地元おバアち. ゃ ん ﹄ 的 である。﹂ ︹ロシアの. 林望先生ともなると﹁ぶら下げ方﹂などという陳腐な言い 回しはしないのだ。一三九貢﹁天使よりも美しい. =引用者注︺娘たちも、中年以後はダルマの如く太っていて、. ヒ ゲ を 生 やかしたのも多く、⋮⋮ ﹂. 旧唐音﹄では、はじめは伸満、のちに朝衡と表記される︶が. の著書もある日中比較文化史の研究者。阿部伸磨呂︵﹃新・. 明史﹄. などの日本語. という手垢のついた陳腐な表現を避けたのだ。一七七貫﹁︵ロ. いつ科挙に合格したかははっきりしない. ︵ちくまライブラリー九〇、九三・五︶. シアに︶憂鬱の雲が晴れわたる期があったち、⋮⋮ ﹂。こ の﹁期﹂には、﹁ご﹂というルビが振ってある。これも、時. 見えない︶。彼の生涯は、﹃旧唐音﹄巻一九九上、東夷伝、. の例も、﹁生やした﹂. 期とか時︵とき︶とかいう平々凡々たる表現を避けたものに. 日本国の粂によれば次のように記される。﹁其の偏使朝臣仲. ︵﹃豊科記考﹄にも. 違いない。﹁雲が晴れわたる﹂も変だなあ。凡人にはうかが. 満、中国の風を慕い、困りて留まりて去らず、姓名を改めて のようなものを、その死後に. い 知 れ な い文章表現の極意なのだ 、 き っ と 。 〇 一 九 五 頁 ﹁ある﹃こころざし﹄. ず。⋮⋮上元中︵七六〇−七大二︶、衡を擢んでて左散騎常. 朝衡と為し、仕えて左補開・儀王の友を歴たり。衡 京師に す 留まること五十年、書籍を好み、帰郷を放て、逗留して去ら. 至るまで側々として語りかけてくるのである。﹂ ﹁側側﹂は、﹁かわいそうに思うさま。あわれみ悲しむさ. は、最晩年に科挙に登第したように読めないか。. 侍・鏡︹安︺南都護と為す。﹂それにしても張競氏の記述で の②に近い意味で用いて. ま。﹂︵﹃辞林㌘︶。﹁①悲しみいたむさま。②ねんごろ。懇切。﹂ ︵﹃新字源﹄ ︶ 。 こ こ で は 、 ﹃ 新 字 源 ﹄. ー82−.
(10) ﹁贋﹂は、同じく諌韻で、押韻していない。一海知義氏がか. ていたことがあったが、これなどは一庶民の作だから、罪は. ●﹁官位は安南節度使に至り、いまでいうと広州部隊総司令官. に 相 当 す るだろう。﹂ これは、﹁至った。﹂でいったん切って、﹁この地位は﹂. はるかに軽いと言えよう。. って、わが国の某首相が公開した漢詩もどきを痛烈に皮肉っ. とでも補わないと舌足らずな印象を与える。日本語の文献を. ⑳﹁流れ棒﹂︵教育出版﹃中学国語2﹄︶. 橋の長さを言ったもの。五一貫にも同じ表記がある。とこ. 駆使できる中国人研究者が増えることは大変に喜ばしいこと ことなのだが、彼らが必死で日本語を学ぼうとしているとき. ろが五四貢には﹁四十メートルから五十メートル﹂、﹁昭和. ●五一貫﹁三五六メートル﹂. に、おかしな日本語があればあいまいにせず、きちんと指摘. だ。それにしても、留学生の話し相手をしていていつも思う. してやることが必要だし、それが真の友好につながるのでは. 楽努力其物 敢えて成敗を問わず. 努力其物を楽しむ. ︵青弓社、一九九〇︶. ●一七七貢﹁ネロとか楊帝とかゞ⋮⋮﹂. ⑳山下武.﹃古書のある風景﹄. なぜ黙っているのか。これも思考停止で困ったものだ。. は不問に付しています、とのことだった。知っていたのなら. 育実習生の研究授業でこれを目にし、国語科の卒業生でもあ る実習生の先輩教員にどう思うかと尋ねたら、教科書の誤り. 科書にも起因することに迂閥なことだが初めて気づいた。教. 二十六年﹂とあるし、五人頁には﹁七十四個﹂とある。数字 の表記については以前にも書いたが、このような不統一が教. な い だ ろ うか。 ⑳福隠聡﹁やわらぎ書房と父﹂︵池澤夏樹編﹃本屋﹄日本の名 随筆50、作品社、一九九五・四所収︶. 敢不問成敗 眼中に褒庇無し. ●一九六頁. 眼中無褒舵 唯真. 贋を識るを 欣 ぶ. 唯欣識真贋. いたもの。父と書店の客とのやりとりは素晴らしい。引用は すべて凰文のまま。狂歌は省略した。さて、これが漢詩と言. しても﹁読尽する﹂だろうし、普通は﹁読み尽くす﹂だろう。. ﹁読尽﹂という熟語があるかどうかわからないが、あると. これは﹁■帝﹂だね。本名が楊広だから、それに引きずら れたか。. えるか。五言詩の場合、通常は二字、三字で区切れる。まず. 同じ著者の ﹃古書縦横﹄一九二貫には、﹁天下の図書を読. 父 の 遺 し た漢詩と狂歌であ㌃。 筆者が神戸市垂水区で書店を経営していた父の思い出を書. これに合わない。平灰も不適切。そしてちょっと音読みして. み尽くし能わざるを恨む﹂とあって、これもおかしい。この. ●一九〇頁﹁天下の図書を読尽し能わざるを恨む﹂. みただけでも了解されることだが、﹁敗﹂は、去声の卦韻、. −83−.
(11) 噴この著者︵旧いと言われそうだが、柳家金語楼の息子さん. のついた商店街の通りの名前は、﹁餅飯殿︵もちいどの︶通. う。. ︵﹁志津香﹂だったか?︶. や、東京か. ﹁漠好裁判﹂ですね。これでは意味が反対?になってしま. ●一大九貫﹁漠好裁判に泣いた周作人﹂. 生時代のあれこれとともに思い出される。. てくれた路地奥の小さなお好み焼き屋さんのことなどが、学. ら来た客の手もとのおぼつかなさに同情して、代わって焼い. 感じの好い釜飯屋さん. の通りの名を見ると、ここにつながる小路の一角にあった、. 誌コーナーで、奈良市街図を立ち読みして確認してきた。こ. り﹂と言う。この漢字がなかなか思い出せず、本屋の旅行雑. ︵新潮. だそうだ︶ の古書を扱った著書が面白くて読み耽っている。. ⑳内田春菊画・山村基毅原作rクマグスのミナカテラL 文庫、一九九人・六︶. ●一九三貫﹁筆の寿は日を以て数え/墨は月を以て数えるとい う⋮/そして/硯の寿は/年を以て数える﹂. 尾崎紅葉が友人に硯友社という結社名を提案する場面︵/ は改行︶。﹁寿﹂には、それぞれ﹁ことぶき﹂とルビがふっ てある。この漢文もどきの文章の出典を知りたいものだが、 ﹃大湊和﹄﹃漢語大詞典﹄には見えない。それにしても、﹁寿﹂ は、長命の祝いといった意味ではなく、いのち、寿命の意で. ⑳山下武﹃古書縦横﹄. ︵青弓社、一九八九・七︶. あろうから、ことぶきとは読まずに、よわいとでも読むのだ. ●一四〇頁﹁今回は夢寝の間に垣間見た架空の珍本の話で恐縮. 以外の音はない。 ⑳出久根達郎¶粋で野暮天﹄. ﹃初夏の風﹄は棟方志功をして、油絵から. ︵リブリオ出版、一九九人・一︶. の誤り。﹁寝﹂も﹁森﹂も、ねる、の意だが、﹁寝﹂に、シン. ﹁夢寝﹂には﹁むび﹂とルビがふってある。これは﹁夢来﹂. ながら、⋮⋮ ﹂. ろう。この漫画、未完に終わっているのが残念。 ⑳山下武﹃古書発掘﹄ ︵青弓社、﹁九九二・一︶. ●一七一貫﹁ラスプーチンをツアールスコエ・セローから遠去. け ね ば な らぬ﹂ 山下氏の古書に関する著作の在庫の有無を版元に確認し、 郵便振替で送金して、すべて揃えた。ここは﹁遠ざけ﹂だろ. ●二二九貫﹁この. 木版画にのりかえる転機になっ・た作品で、志功は大いに感動. う。﹁去ける﹂という言葉は聞いたことがないから。 ⑳山下武﹃古書の誘惑﹄ ︵青弓社、一九九一・六︶. したらしい。﹂. ︵﹁のりかえ. ことに目くじらをたてるのは、しがない漢文教師だけか。. させる﹂だろう︶と出てくるのかと思ったが、ない。こんな. ﹁をして﹂とあるから、どこかに﹁させる﹂. ●一一一・貫﹁〝奈良もいちどのセンター街″ の茶房に小憩後、. ■. ==∴﹁∴. これはうっかりすると読み過ごしそう。近鉄奈良駅から猿 沢の池・興福寺方面に進むと右手に見えてくる、アーケード. 一84−.
(12) ●二四一貫﹁この時の直訴状を起草したのが、秋水であった。. ちらの誤りかと驚いた。﹁流れに樺さす﹂を﹃辞林㌘で引. ⋮⋮直訴状とはどのようなものか、一斑が知れよ・†。﹂ いてみると、﹁棒を繰って流れに乗って舟を進める。機会を つかんで時流に乗る。﹂などとある。夏目漱石の﹁草枕﹂だ ﹁一斑﹂は﹁一斑﹂の誤り。豹の毛皮のまだら模様の一つ、 転じて物事の一部分。と、ここまで書いて、﹃大湊和﹄を ったか、﹁情に樟させば流される﹂とあるのを、無理に川の 亦. 管中より豹を窺い、睦に一斑を見. なかったと見える。. その後、佐々木芳人言ンピッ・洒・古道具少し﹄. ︵希書. 見ると、還日章﹄巻八〇、王献之伝の﹁此郎亦管中窺豹、時 流れに逆らって上流へ向かおうとする、というふうに誤解し ている人が多いという話は何かで読んだが、森本氏も例外で 見一斑。﹂︵此の郎. る。︶を出典として引いている。ところが標点本題目専一︵ 中華書局、一九七四・一一、第一版︶で確認すると、この部. 聞記者の分野にも進出して、男性に伍して、流れにサオさす. 分が﹁一斑﹂になっているではないか。そこでさらに四部備 房、一九六七・六︶を読んでいたら、﹁流れに禅さす﹂とい 要本で確認すると、確かに﹁一斑﹂となっていて、ほっとし う一文があり、﹁女流というからには、男流という青葉があ た。この標点本には時に誤植があることは知っていたが、こ っていいはずだが、そうはいわない。やはり男性は、流れに の語はこれほどに誤りやすいという逆の証明になるだろう。 抗してサオさすからであろうか。しかし、戦後は、女性も新 ⑳森本哲郎毒物巡礼記L︵文化出版局、一九七五・〓︶. 人が多くなった。﹂と言う。筆者は、毎日新聞記者を長いこ. ●三九貢﹁書評とはすべからく主観的なものだ。﹂. 勘違いしているらしい。. とつとめ、本書刊行時には出版局顧問だった人物。この人も. ●〓ハ貫﹁額にはこうある。﹃人牛見えず香として粧なく、明. 月寒うして万象空なり。ヒ ﹁産山の煙雨﹂と鳥する一.華中の一文。この額は、柴山全. 慶﹃十牛図Lという禅の書物に載せられているそうで、一五. りの、明治期の都会の街頭風景を措いた美しい多色刷りの蔵. 貢には写真版がある。ところがその第一〇図を見ると、額の 森本氏のような練達の士でも、このような﹁すべからく﹂ 本文は﹁人牛不見有無粧、明月光合方象空﹂となっている。 の誤用をするのだ。これについてはもう繰り返さない。それ はともあれ、この本の見返しには、﹁及川文庫﹂という名入 勝手に文字を変えては困るなあ。 ●三〇貢﹁蕪村に出会った人は、イメージの流れに博さして、. 書票︵エクスリブリス︶が貼ってある。古書の余禄。 辞の川をどこまでもさかのぼって行くことになる。﹂ ●五三貫﹁八 漁村夕照﹂ ﹁流れに樺さして﹂とあるから、﹁川を下っていく﹂とあ るのかと思ったら、﹁さかのほって行く﹂とあったので、こ この表藩に﹁ぎょそんゆうしょう﹂とルビが撮ってある。. ー85−.
(13) 五二貢の﹁朝曙夕陰﹂には、﹁チョウキセキイン﹂と振って あるにもかかわらずである。音訓まぜこぜでは、蒲湘八景の イ メ ー ジ も台無しだ。 ㊨﹁﹃国史大系﹄が30年ぶりに完全復刻L︵毎日新聞夕刊﹁文化欄﹂ 一九九人・ 九 ・ 一 〇 ︶. ●﹁同大系は、⋮⋮広く学会の支持を受けてきた。﹂. 思わず、どの学会?と、問い直したくなってしまうが、学. 界の誤り。 ⑳﹁知ってるつもりけ︰﹃山村美紗﹄﹂︵STVテレビ、一九九人・ 九・二〇︶. ●﹁︹山村美紗の家族が西村京太郎に対して︺なにくれと身の. 回 り の 世 話をやいた。﹂ ナレーターの言葉。﹁なにくれとなく﹂というところだろ う。﹁なにげなく﹂を﹁なにげに﹂と言う若者が増えていて 耳にもしたが、これも同類か。そのうち、﹁さりげなく﹂な どという言葉も﹁さりげに﹂になってしまうのだろうか。 ⑳津島佑子ヨ山梨県名木誌﹄と膚詩遺臣︵岩波﹁図書﹂ 一九九人・九︶. ●﹁︹父親の著作を︺母は古本屋で探し出しては買い求め、い. ないわけだ。 見出し︶. ⑬﹁祝勝気分でもすきま風﹂︵毎日新聞、一九九人・九∴二八 付け朝刊二二面. ●﹁︹貴乃花は︺先に部屋へ戻っていた若乃花とは二言もなく、. ︵平凡社ライブラリト一. 目線も合わせなかった。﹂ ﹁目線﹂という言葉が使われるようになったのは、いつご ろからだろうか。当初は﹁視線﹂の語が、支線、私撰などと 紛らわしいので、言い換えているのだと思っていた。﹃辞林㌘ には、﹁めせん首線︼映画・演劇二アレビなどで、視線。﹂ とある。そういえば、芸無し芸能人が連発し、政治家も﹁国 民と同じ目線﹂﹁市民の目線﹂などと言っていたが、もはや﹁視 線﹂との区別意識が失われつつあるのだろう。. ⑳反町茂雄﹃一古書坪の思い出2﹄ 九九八・七︶. ●三六四頁﹁村口・井上体制の大団円は、思いがけなく早く来. しまうからだ。しかし、﹁いとも﹂が、﹁大変。非常に。﹂︵﹃辞. この﹁いとも﹂にひつかかった。﹁いとも﹂とあると、す ぐに﹁簡単に﹂とか﹁やすやすと﹂などと結びつけて考えて. エンドでなくても良かったのだ。どうやら、﹁団欒﹂と混同. などの︶最後の場面。﹂︵﹃辞林㌘︶という意味。別にハッピー. これはこちらの大きな勘違いで、大団円は、﹁︵小説・芝居. と も 大 切 に保管していた。﹂. 林㌘︶ の意味である以上、﹁大切に﹂にかかっても不思議は. ました。﹂ 今まで仲違いしていたのが、幸せな結末を迎えたのだ、と 思った。ところが、この﹁大団円﹂には、﹁カタストロフィ ー﹂とルビが振ってある。カタストロフィーは、﹁①突然の 大災害。大惨事。②悲劇的な破局。破滅。﹂の意味だから、 不思議なルビを振るものだと考え込んでしまった。しかし、. −86−.
(14) し て い た らしい。 ㊨﹁珍本漁り五十年﹂︵庄司浅水r奇本・珍本・本の虫﹄学風 書院、一九五四・一二︶. ●〓ニ貢﹁欧米愛書家の垂えんの的である、ウィリアム・シュ. 性が中国を舞台にした小説を書いてくれるのはうれしいこと だ。また、書き下ろしが三篇収録されているのもうれしい。. ﹁著者略歴﹂に、﹁﹃蕎薇の妙薬﹄で第二回講談社ホワイトハー. ト大賞エンタテインメント部門優秀賞を受賞。﹂とあったの. で、この本も読みたいと思い、紀伊国屋書店でコンピューター. ﹁垂えん﹂は、漢字では﹁垂港﹂だろう。延は、よだれと か、ねばりけのある液という意味のときはセン、澄渡という. た?ものの、一瞬絶句したことだった。その後、ブック・オ. ですが、いかがしますか。﹂とのこと。品切れだったから良かっ. ク ス ピ ア の初版のフィリオ、⋮⋮ 。 ﹂. ときにはエンエンと読む ︵﹃新字源﹄︶。だから、どうして. フで百円で入手。. 検索してもらったところ、﹁高校生の女の子が読むような本. も落という漢字を使いたくないのならば、﹁垂ぜん﹂と書く. ⑳﹁余録﹂︵毎日新聞朝刊、一九九八・一〇・二六︶. の察云さん︵望は、中国からの留学生。﹂. べきだった。と、ここまで書いて﹃辞林21﹄を見たら、ちゃ. 読み。﹂とあった。そういえば、小生のワープロでも、﹁す. 中国語をかじったことのない人だったら︵漢文をかじった. ●﹁︵全国盲学校弁論大会に出場した︶石川県立盲学校理療科. いえん﹂﹁すいぜん﹂のどちらで入力しても、重液と出てく る。でも、庄司浅水ほどの書物に詳しい人物に、﹁垂えん﹂. ことのある人ならば余計に?︶、不思議な名前だと思うので. んと﹁すいえん﹂の見出しがあって、ヨすいぜん﹄の慣用. などとしてほしくなかった。﹃春本・珍本・本の虫﹄は、関. はないだろうか。﹁云﹂は、﹁雲﹂の簡体字でもある。ここは、. カン。がけの意。﹁雁﹂の略字としても用いる。︶をそのまま. ば、﹁﹁﹂という字︵これは小生のワープロにもあり、音は、. ﹁草書﹂とするべきだろう。日本の新聞に中国の簡体字をそ のまま用いても、意味が通じないことがしばしばある﹂例え. この﹁琴戸という氏名、特に﹁云﹂という名前について、. 連する色々な書物のネタ本にもなっている。某古書店で見つ け、ペン書きの識語と毛筆の署名があるのに惹かれて購入し たもの。 ⑳森福都﹃長安牡丹花異聞L︵文芸春秋、一九九七・四︶. ●九七貫﹁若干二十で挙子の資格は得たものの、最初の郷試受. 験 で 私 は とことん打ちのめされま し た 。 ﹂. 国の簡体字はそのままの字体を用いることに決定したという. 用いたとして、これが﹁廠﹂または﹁廠﹂の簡体字だという ことを、どれほどの人が理解するだろう。毎日新聞社が、中. 聞﹄で、第三回松本清張賞を受賞したのだそうだ。なるほど. なら話は別だが。. ﹁弱冠二十︵歳︶﹂であろう。著者はこの﹁長安牡丹花異. おもしろい。いわば畑違いの、医学部総合製薬学科を出た女. −87−.
(15) ⑳﹁ラジオ深夜便﹂︵NHKラジオ、一九九人ニー・一、午 前一二時二〇 分 頃 ︶. 群ようこという人は、自身の言葉遣いには謙虚な一面があ. って、次のように書いている。﹁F名誉挽回︼を﹃汚名挽回㌔﹃肉. このように率直に書けるから、ほのぼのとした人. ⑬井狩春男﹃本屋さんまで50歩﹄︵ブロンズ新社、一九九三・. 柄がうかがえて売れるのだろう。. 九六・七︶. た。﹂︵井上ひさしごホン語日記﹄文春文庫﹁解説﹂、一九. ●﹁アメリカの上・下両院では、女性議貞がジュンプウマンポ 棉祥﹄を﹃肉布団﹄と書いてしまって、読者に指摘され、赤 で増えてきている。﹂ 面したのも一度や二度ではなかった。初版本を持っている人 ﹁ワ﹂ルドネットワークニューヨークから﹂という報告 は捨ててほしいとすら思った。なかには、﹁あなた程度の人が、 で、山崎コウセイ︵字は未詳︶という常連のレポーターが言 よく本を出してもらえますね﹄などと書いてくる人がいて、 っていた。公共の電波でも堂々とやっているのだ。﹁順風満私は手紙を持ったまま、その場に固まってしまうのであっ 帆﹂︵ジュンプウマンパン︶です。. ⑪﹁11月11日︵水︶はチーズの日﹂︵スーパーDのチラシ、一 九九人・一一 ・ 五 ︶. ●﹁日本でチーズが食べられたのは、平安時代に﹃蘇﹄という. K博士は、文章はすべて筆で善かれたそうで、中国に御一緒. 一〇︶. 食べ物があり、それがチーズで、一一月に食べられたという 辛から一九九二年に制定されました。﹂ ●四人頁﹁ベルトルト・ラウファーという東洋学・人類学の世 一文中に、﹁食べられた﹂が二度も登場し、主語に対応す 界的な硯学が書いたギリン伝来考:⋮︰﹂ る述語が行方不明。どのように手直ししましょうか。 これは、ついやってしまいそう。書誌学の権威であった故 ㊨群ようこ雀の猫まくら﹄︵新潮文庫、一九九八二〇︶. ●二一九貫﹁東京近郊に住む小生の自宅には、本がずいぶんた. い、すぐれているの意。. ておられた。だから、すずり?ちなみに、碩学の碩は、大き. したときには小筆の良いものを小脇に抱えるほど大量に買っ. 言っているのだから、明らかに誤用。. 役に満足しないこと。②能力に比して役目が軽すぎること。﹂ まっている。不用になり持っていなくともいいと思った本た ︵盛林㌘︶の意。ここは、能力の劣る︵あまりエルヴイス ちは、⋮⋮近くの古本屋にタグで引きとってもらっている。﹂ に似ていない︶人物が、エルヴイスの物真似をしている と さあ迷ってしまう。﹁不用﹂か﹁不要﹂か。もちろんどち らも辞書にはあり、盛林㌘には、前者は、﹁①使わない. ョー︶を見た感想。役不足は、﹁①俳優などが、与えられた. ハワイで、レジェンドインコンサート︵そっくりさんのシ. 貫禄がなくちゃあねえ。あの人は役不足﹂. ●八九貫﹁むちむちしているんだったら、往年のエルヴイスの. −88−.
(16) 迷わずに﹁不要﹂を用.いるだろうが、どのように使い分け. 用になるという言い方もありそうだ。小生ならこういう場合、. 典なら、新版が出て用いなくなることもあるから、旧版が不. ないこと。必要がないこと。不必要。﹂とある。辞書とか辞. こと。②役に立た・ないこと。むだなこと。﹂後者は、﹁いら. た。﹂と言うのは、何を根拠にして育ったのだろうか。以下. とすると、伴野朗が、﹁﹃唐宋数千言﹄から文学の理念を待. てあったから書名と誤解したが、書物ではなかったのだ。だ. 書を読んでもらうことにして、唐乗数千言は、﹃. な気にな﹂. どんな種類の漢文でも、﹁粛然とエリを正さねばならんよう. ら無批判に引いたのに違いない。 ※蛇足︵其の二︶. 出久板達郎﹃いつのまにやら本の虫﹄. ︵講談社一九九人・. もに受け取った漱石研究の杜撰な解説書でもあって、そこか. は臆断だが、多分この滑稽文である﹃木屑録﹄の文章をまと. ﹄でくくつ. ってしまうことを指摘しているのだが、それは本. る も の だ ろう。 ※蛇足人其の一︶と言い訳。. 本誌前号で、伴野朗﹃霧の密約﹄を取り上げた。その中の ﹁夏目金之介は、⋮⋮十五歳で湊学塾二松学舎に入学した。 ⋮⋮特に陶淵明を好み、﹃唐宋数千青﹄から文学の理念を得. が付いていたので、以下のような﹁出久根達郎さんに寄せる. た。﹂という一文について、﹁﹃唐乗数千言﹄とはなんだろう。 一〇︶ に、文芸図書第二出版部あての﹁料金受取人払﹂葉書 唐宋とつく書物は多いが、この書物は寡聞にして知らな. ︵同じ話が多少変形して数箇所に出てく. ご感想﹂を書いて投函した。 ﹃恋文の香り﹄. い。﹂と書いた。その後、高島俊男﹃ほめそやしたりクサし たり﹄ ︵大和書房、一九九人・七︶ を読んでいたら、﹁r木. る=本誌前号参照︶. 斎﹂に、﹁余児時諦唐宋数千青﹂とあるそうである。これに. 漢文紀行文﹁木屑録﹄に触れていた。この﹃木犀録L. るだけに、このようなことが続くのはまことに残念。. ことになり損をした気分だ。﹁古本綺帝﹄以来愛読してい. 録したのは、如何なものか。同じものを二度も読まされた. ほどではないが、本書所収の﹁マンガ. 屑録L. 少年﹂も再登場のもの。別の自著の﹁あとがき﹂を数篇収. ついて高島氏は、﹁自分は子供のころ、唐宋両朝の詩人文人. ような批判的な指摘は、作者に伝わらないのでしょうか。作. のこと﹂というエッセイ︵初出はr図書﹄一九九大・. 三︶ のなかで、二十三歳の漱石が子規に送った、房総旅行の. の作無慮数千音をよみならった。⋮⋮とこうわかりよく解き ひらけば、これが大ボラを吹いているのであることは誰にも. 者の見解をお開きtたい虻のです。﹂と書き、黄色い蛍光ペ. の﹁開. わかろう。大言壮語は滑稽文の一手法である。﹂と述べてい. ンで囲んでやったのだが⋮⋮。これも、・梨のつぶてか。r面. そして、嫌味だとは思ったが念を入れるつもりで、﹁この. る。氏は漠文︵氏打青葉では支那文︶の訓読というものは、. −89−.
(17) 一本﹄があっという間に文庫本になってしまったのと合わせ 六再版﹁解説﹂︶. 万人の書﹂﹃第一ぶらりひようたん﹄角川文庫、一九五六・. 御心にもとづく聖戦。それだからこそ、われわれ日本人は勇. とまで絶賛される高田保に、﹁大仁慈の大. て 悔 し い ので、ここに記録してお く 。 ※蛇足︵其の三︶. フ ︵英語︶﹂と書いたプレートをつけているアルバイトの少. けてみた。すると、年配の男性︵店長?︶ が、胸に﹁スタッ. いる。︶ ができたので、多少期待して開店当日の午後に出か. 正面の壁面の最も日立つ書棚にはハウツーものばかり並んで. 陛下を戴く大幸福を弥漫せしめる事。これである。﹂. 人的幸福せ与へてやることつまりをいへば地球の全面に天皇. ⋮⋮全世界に日本のありがたさを訓へ、もつて全人類に日本. 莞爾として死んで行く。これだ。これが日本の強さなのだ。. ずんばの純粋意志で突撃する。生きるといふのはこの事だと. 躍して生死を打超える。光栄ある任務に雀躍して、成し遂げ. 女に指図し、棚にある文庫本を引き出して帯を片端から破り. 本の強さ﹂﹃其日以後﹄汎洋社、一九四三・五所収︶といっ. 拙宅から自転車で七・八分の所に新刊書店︵といっても、. とって投ポール箱に放りこませていた。単行本は無事のよう. た観念臭の強い文章があることに言及したものを寡聞にして. の最終二九二頁には、﹁この. ︵実業. ︵﹁日. だったが、帯を捨てるかどうか決めるのは購入者の権利だし、. 知らない。もっとも当時の文学者・作家にあってはさほど騒. 之日本社、一九四二・五初版︶. ぐことではないらしく、例えば室生犀星¶泥雀の歌﹄. なによりも本がいじめに遭っているようで胸が痛む。 ※蛇足︵其の四︶. 高田保︵一人九大−一九五二︶といえばエッセーの名手と. そしてまたたく間に勝利は相ついで凍った。南方へ、シン. 稿を終えた時、昭和十六年十二月八日大東亜戦争が開かれた。. 号で取り上げる予定︶. ガポールヘ、怒涛は艦列をつくり迫りに迫った。﹂と興奮気. ︵次. た﹃我輩も猫である﹄ ︵帯に﹁鬼才高田保の温い庶民的風貌. 味の付記?がなされている。しかしながら内容はともかく、. して知られ、その著書﹃第一∼第三ぶらりひようたん﹄. を努贅としてうかがわしむる皮肉でユーモラスな猫の眼に映. 戦後のものを取り上げるならば、戦前のものも取り上げてく. ﹃河童ひようろん㌔死後に刊行され. じた現代世相の悲喜劇図﹂とある︶などは、古書に関する書. れなくてはいささか平衡感覚に欠けるように思うのだが。. ︵一九九九二二・八︶. 物にもしばしば取り上げられる。しかし、﹁実際世界中の人 間が高田保の心を持っていたら、戦争などは絶対に起る事は あるまい。﹃ぶらりひようたん﹄ の視野の広さ、その筆力の 縦横無尽さ、考察の深さ、⋮⋮そして行間に溢れるヒューマ ニズムと人間生活を愛する底抜けの善意七−﹂︵広津和郎﹁. −90−.
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