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人生の創造 : 心の豊かさを求めて

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人 生 の 創 造

心 の 豊 か さ を 求 め て -清 水 宏 子 1. は じ め に 今か ら約

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年前の国際青年年のある一 日

,NHK

の企画に よって国際的な 「若者 の集 い」 がス タジオで催 され,TVを通 して 日本中に放映 された。 日本に滞在中の世界数十 カ国か ら の若者が参集 しての話 し合 いの場 には,政治家 とはまた異 なる,小 さな慎 ましい平和を望ん でいる一般民衆の声があ った。諸外国の若者が発言 して 「我 らはみんな同 じ地球人,世界中 の人が皆ひ とつになれ るように国境のない世界が生 まれた らよいのに--・」 としんみ りと話 し合い満場 の拍手を浴 びていた時,ひ と りの 日本人代表 の若者が手を挙げた。そ の 発 言 は 「自分 はバイクで世界旅行を した ことがあ るが,国境 にぶつか る度 にそ こに とまらなければ な らず非常 に不便 した。国境はないほ うが よい。」 とい うのであ った。 この放送を聞いてい た私 は この言葉 に少なか らず失望 したのを覚 えている。勿論満場 の拍手は立ち消 え に な っ た。 これ はある有名大学の学生の発言 であったのであるが,その専門の学力においては優秀 な学生か もしれないが何か人 として大切 な ものに欠けている。 これが 日本人代表 として一般 の聴取者 に与 えた印象 ではないであろ うか。 ひ とつの国の代表の発言 としてはあま りに も思想 も内容 もない浅薄 さであ った。 しか し正 直 に振 り返 ってみ るとき, この浅薄 さは 日本人の若者ばか りか,大人を も含めてその大半 に 見 られ る傾向ではないか と考 えさせ られたのである。何か 日本人 の現代的社会的生活環境 の 中に,思想 のない考 えない人間を作 りあげ てしま う要素があるのではないであろ うか。教育 制度にして も社会組織 に して も, もし日本の今の時代の波 にのって生 きてゆ こ うとした ら, 現実に見 られ るように,人 々はただ しゃにむに勉 強するか働 くかするよ り道 はない。周囲を 見回す間 もな く,考える間 もな く,結局, 自分の人生を 自ら歩むのではな く社会の成 り行 き に押 されて止むを得ず歩か されている, これが 日本 の社会人の大勢 であるの感がせ ざるを得 ない。 日課 として,定刻の込み合 う通勤電車にのるために朝早 く起床 し朝食をか き込み,た まに乗 り遅れ てはそれに よってい ら立たされ周 囲に八つ当た りせ ざるを得 ない人 もある。将 来有名 な会社に入 るためにあ らゆ る若い時代の趣味興味を犠牲 に して,ひたす らあま り自分 の好 きで もない知識の蓄積 に努 めざるを得 ない少年 もある。マス コ ミその他に よる情報 の注 入が多 く考えるゆ と りのない今の 日本では,大人 も子供 も含めて, よく考 えない人間が増 え ているのではないであろ うか。そ して これは世界の未来を背負 う筈 の若者 に とっては重大 な 問題 である。

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研究紀要(第6号) 今 日本人 は, これか らの国際社会に,国際人 として世界中の人 々と肩を並べ手を取 り合 っ て新 しい世界を築 いてゆ くために貢献 してゆかねばな らない時 に至 っている。 その時 に最 も 必 要 なのは,深 い思想 に支 えられた豊か な温かい個性 とた くましい創造 力である。知 らない 間 に狭 い自分 の中に閉 じこも り自己中心 にな ることな く, また単 に周 囲の成 り行 きに振 り回 され て受け身 でだけ人生を歩むのではな く, 自分を含めた世界 の為 に よ りよい ものを生み 出 してゆ こ うとす る豊か な創造性, これ こそ今 の 日本人 に必要 とされ てい ることではないであ ろ うか。豊 かな世界は,豊 かなひ と りひ と りの努 力に よって もた らされ るか らであ る。

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人 間 と創 造 創造 とは ごく一般的 にいえば,いか なる ものであれ, あ るものを造 り出す ことであるが, 狭 い意味では, 自身では存在す るに不充分 な ものが完全 な存在を与 え られ る場合, もしくは しい 虚無か ら物質が造 り出 された場合をい う。後者 は第- の創造 とも言 われ,勿論神 にのみ帰す る ことので きる業であ るが,前者 は第二 の創造 と言われ この世 の継続的創造 を さす。人間に は人間 としての創造 力が あるが,それ はあ くまで も第二 の創造 であ ることは言 う ま で も な い。 しか しそ の人間の創造 力が現代 の高度科学技術社会を築 きあげ た。絶 えざる進歩発展を 遂げ る人間社会の奥 に垣間見 られ る, まだ限 りを知 らない人間の豊か な創造性 である。 しか し現代 の 日本人 は他 の物 の作成 に力を入れ過 ぎてきた結果,肝心 の人間 自身 の人生 の 創造 にその能 力を費やす ことを怠 ってきた といえるのでほないであろ うか。 その 一 例 と し て,現在 日本 には世界で一番 自殺が多 い ことがあげ られ る。特 に心 にかか るのは,子供 の 日 (2) 殺が増 えていることであ る。 自然的 には子供 は最 も生命 力のある時代 にいる等 であ るのに, 何故その力を失 ったのであろ うか。物質的 に豊かな 日本人 にお こるこの悲劇 は,人を生かす のは物質 ではない とい うことをあか らさまに示 している と言 えるのではないであろ うか。 犬養道子女史は 『人間 の大地 』の中で,一人 の難民少年 とアメ リカ青年 ピー ターの話を綴 (3) られ た。すべ ての家族 とも生 き別 れ て零線上 を さ迷 った難民少年が,そ の経験 した衝撃 に よ って生 きる希望を全 く失 い どんな医者 か らもさ じを投げ られ た時, ピーター青年 の数 日にわ た る寝ず の温かい抱擁 に よって生命 力を取 りもどした,とい う話 であ る。 この少年 は,肉体的 消耗 に も増 して精神的絶望状態か ら生命 力を失 った。そ して不可抗的 にあ らゆ る身体的な生 きる手だてを拒 否 した. しか しそ の一度拒 否 した人生 を再受容 させたのは,青年 ピー ターの 愛情 に よって少年 自身 の心 の中 に生 きよ うとす る創造的生命 力が湧 いて きた ときであ った。 今 の 日本の社会生活 の中に見 られ る登校拒否や 自殺等 は, これ と同 じよ うな人生 の創造 力 の喪失 と言 えるのではないであろ うか。そ して豊かな物質的創造 と生産 の陰 に苦 しむ これ ら の現実的状況 に対 して,我 々は どれだけ根本的な対策を施 した と言 えるであろ うか。人生 の 創造 力を 目覚め させ促す努 力 こそ,今 の 日本人 の為 に緊 急に必要 な ことと思われ る。技術が 高度化 し物が豊か に生産 された現在,這 うロボ ッ トもで きた。 しか し這 うロボ ッ トと這 う人 間 の根本的 な違 いは,這 っている幼児 はいつか 自分 で自分 の内側か らの力に よって立ち上が

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清水 ;人生の創造 るが, ロボ ッ トは誰かが動か さない限 りいつ まで も這 っている。 すなわち人間には自ら歩む力があるか ら,人生は人 に押 され て歩むべ きものではな く自分 で築 き上げてゆ くものであ り,人間はそ こに こそ人間 としての創造 力をいか さなければな ら ないのではないであろ うか。 自分で自由に考 えて実行す る,そ して繰 り返 し努 力す るところ に創造性を生かす場がある。幼児は立ち上が るまで苦労する。立ち上が ってほ尻餅をつ くこ とを繰 り返 し,そ して遂 に立ち上が る。(この繰 り返 しの中で幼児は 幼児な りに 多 くの こと をまなんでいる。) この 「立ち上が る」 こと, これは内か ら湧 き 出る力に よって 実現す る。 ロボ ッ トにはない生 きる力が人生 の歩みを創造す る。「ここまでおいで・.・-」 とい う母の 手 の中 に飛 び込みたい一心 で歩む幼児は, こうしてみず か らの力で人生の歩みをた ど りは じめ る。 人生は切 り開いてゆ くもので 「人の前 に道 はない, 人の後に道ができるのだ。」 歩 いた こ とのない子が初めて歩 く。 こうして道を作 りなが ら生 きてゆ く為 には創造 力が必 要 と さ れ る。難 しさのない人生はない。その難 しさを乗 り越 え豊かな人生を築 いて行 く為 には豊かな た くましい創造力が必要 とされ る。創造す るとは人間の全能 力を尽 くす ことである。創造的 に生 きるとは人か ら押 され るまえに自らの力に よって自ら歩む ことである。全能 力を駆使 し て創造的に生 きて行 く時,そ こに人生の充実がある。マルセル も言 った とお り創造 のあると (4) ころに自由があ り希望がある。そ こには振 り回 されて歩む人間ではな く, 自ら歩む人の姿が 有 るのである。

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創造 と秩序 自らの道を 自ら歩む ところに人間の素晴 らしさがある。 自ら自覚 し,決断 し,選択 し, 目 標 に向か って生 きて行 く姿には人間の尊厳が現われている。そ うして人間の創造 力は現代 の 高度 な科学技術社会を築 きあげた。 しか し今や この高度な科学技術は,人間の能 力の支配か (5) ら離れてそれを コン トロールす る老 な くひ と り歩 き始 め ようとしているO思想 も思考力 もな い人間の手に この高度な科学技術が渡 され る時,そ こには技術を支配す る人間ではな く技術 に支配 され る人間があるのみである。 ある学者は この世界 の状況を, コンピューターの故障 で方向付けを見失 った超高速棟にた (6) とえた。世界 とい う高速機は非常な高度を ものす ごいス ピー ドで走 っている。 しか しそれを 支配する等 の人間はそれを正 し く操 ることを知 らない。世界は,ひ とつ下手をすればすべ て は終わ るとい うに等 しい非常な危険にさらされ てい る。世界戦争 どころか宇宙戦争 さえ も引 き起 こし兼ねない危険をは らんでいる現代, どの方向に向か って人類 は超 ス ピー ドで走 って 行 こ うとしているのか,再度その方向付けを見つめて舵の手を しっか りと握 り直す必要があ るのではないであろ うか。戦争の ことに限 らず,生命科学の ことに して もコンピュータの こ とに して も,人類 にはその幸せのために解決 しなければな らない多 くの課題が残 さ れ て い る。個 々の歩みが世界の人類 の歩みを決め るとすれば,社会の中の小 さな出来 ごとで も見逃

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研究紀要 (第6号) Lにはできない大切 な意味を持 っているのである。 日常卑近 の社会状況 に 目を向けてみ るとき,残念なが ら人生の歩みの方向付けの喪失の実 例を探すのに事 欠かない

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月のあ る日,横浜市の中学生 のグループが 町中の公園 に (7) 野宿す る浮浪者を襲撃 し殺害す るとい う事件を引 き起 こした。 これは彼等に言わせれば,汚 れた町をきれいにす る為に一掃するのだ と言 う。 しか しその善 い 目標 ち,実現す る為には人 として踏むべ き秩序 と方 向付けがあることに気付かなか った。 また別 の例 として,ひ と りの 小学生が校庭 の隅 に植樹 されたばか りの一本の木を力試 しに引 き抜 いた。思い っ切 り力を出 して木がすぽ っと抜けた時,丁度顔見知 りの近所 のおば さんが通 りかか り,それをた しなめ るどころか 「力があるわねえ」 とはめてい った。子供の思考 と行動の方向付けを迷わせると い う面 において, この大人の一言が この子供の生涯 に及ぼす影響 と責任の重大性 を 思 う と き,肌寒 さを感 じさせ られ る事柄である。 上記の ようなケースは創造性 とは程遠 く,む しろ人生 と人間社会の破壊的歩み と言える。 す なわち人間社会にあるべ き秩序 と方 向性 の喪失は創造性の喪失につなが るものであ り,真 の創造性は秩序の中に実現 され なければな らない。その秩序 とは万物 の創造主なる神 の創造 の意図に従 うことである。何故 なら人間の創造 は第二 の創造,す なわち神 の創造 の業への参 与 に過 ぎないか らである。その秩序は人間の存在その ものの中に記 された,言わば人間にと っての実存的秩序 である。そ して人間の諸能力は,創造 力 も含めて, この実存的秩序に沿 っ て用い られなければな らないのである。 実存的秩序 とは存在その ものが示す もの,即ち被造性 の現実か らくるものである。人間が 正 しく真に人間 らし く生 きて行 きたい と思 うなら, この被造性 の現実を受け入れ ることが肝 (8) 要 である。例 えば魚は水の中で泳 ぐもので陸に上が ることは魚に とっては破滅 となる。 もし 魚 らし く生 きてゆ きたいな ら水の中に住む こと, これが造 られた もの としての魚の,望む望 まぬに拘 らず受け入れなければならない秩序 である。造 られた ものの実存の内に刻印されて いる創造主の意図の中に こそあ らゆる秩序 の原理がある。 天地万物は造 られた。そ こには創造主による神秘的な秩序がある。それが人間の浅はかな 知恵になる現代の高度科学技術に よって乱 され るとき,人間は破滅-の危険 な道を 自ら歩む (9) ことになる。例えば樹木の伐採に よる地球上 の自然破壊,核実験 に よる自然現象-の影響, 生命科学の遺伝子操作などに よる自然 の摂理への介入などほ,人類 自らの手 で人類の継続的 生存を危 くしているのではないであろ うか。人間は,創造主が人間の為に意図 された物質的 精神的秩序を,その実存的在 り方の内に じっ くりと見つめ直す必要がある。それが しっか り と出来た時に,あの浮浪者を襲撃 した中学生 の善意の方向付けが, またはあの大人の子供に 対す る一言が,如何 に人間の実存的秩序か ら外れ ているかが明 らかになって くるであろ う。 『日本国勢図絵』の統計に よると,社会の変化に伴 って犯罪 の質 も変わ ってきている と い (10) う。犯罪 の悪質化 ・巧妙化 (例 ・森永 グリコ事件)がそれ であ る。人間に付与 された優れた 能 力が,実存的秩序か らはずれ て生か され る時,それは人間を またその社会を破壊 に導 く悪 質 な犯罪 となるのである。

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清水 :人生の創造

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人 生 と創 造 的 歩 み 毎 日の人生の歩みは,被造性の現実か ら くる実存的秩序に沿 って実現 され なければな らな いのであるが,人間みな同 じに生 きていて も,創造的にいきる人 とそ うでない人 とがある。 た とえば川の流れにただ流 され る人 と川 の流れの上 を泳 ぐ人 との違いがそれである。 流 され る人には 自由 も主体性 もな く只流 され るままだが,水の上を泳 ぐ人間には 自由や主 体性を含む創造性がある。 目的,方向付けがあ り,そ してただ流 され るのではな く,流れ の 上 にあって時 には流れを利用 し流れに乗 り,時には流れに逆 らって進む。人生を創造的に歩 む とは単に受身で生 きることではな く,人生 の川 の流れに,乗 るに して も逆 らうに して も能 動的で,常 に何か新 しい物事を物質的 または精神的に生み出しなが ら歩む ことこれである。 その ように創造的に生 きる とき,その人の歩む ところそ こには常に豊かな実 りと 収 穫 が あ る。 唯人生の波に振 り回 され るのではな く創造的な生 きかたをす ること, こ うした生 き方は人 間にしかできない ことで, ここに人格の尊厳がある。そ して 日本人は これ まで多 くの場合, 物質的 な面 での創造には力を入れ て釆たが,精神的な面 での創造的 な生 き方については殆 ど 忘れていたか または気がついていなかった。 ここに現代の,物質的には豊かで科学技術的に は高度 な 日本社会にア ンバ ランスな精神的貧 困を もた らした大 きな原因がある。人生 の方 向 付けを,すなわち人格の尊厳を見失った超高速機が出現 したのである。 度 々人生の難 しさに出会 うとそれか ら逃避 しよ うとす る人がある。それは人格 の尊厳 の放 棄であ り,そ こには創造性はない。内に こもって ノイ ローゼ気味になる人,お酒を飲んで忘 れ ようとす る人,遊 びに気を紛 らせてしまお うとす る人などである。 しか しそ こには創造 も なければ当然生 き甲斐 もない。辛 さ難 しさに向か って立ち上が るところ,そ こに人生の創造 がある。幼児で も立ち上が って歩む為には何回 も転ぶ。そ して遂に新 しい一歩を創造す る。 ましてや人生の道を切 り開いてゆ くには失敗 の繰 り返 しは当然 で,立ち上が る為にはかな り の決断力 と勇気を要す る。 以上 のよ うな ことを念頭において聖書を よんでゆ くと,キ リス トの教 えが如何 に私達 に, 日常生活の中 での創造的な生 き方を示酸 しているかがわか るo 「わた しの後に従いたい者は, 自分を捨 て, 自分の十字架をにな って, 私に従いなさい。 自分 の命を救 お うと望む者は,それを失い,わた しのために命を失 う者は,それを得 る。」 (マ タイ16,24) 「わた し」 とは最高の王であ り,救い主 ・慰め主であるイェス ・キ リス トであるが,同時に 十字架に向か って歩 まれ るイエスでもある。 このイエスに従 う道はただ一つで,それはやは り十字架を負 った歩みである。 この個所 は,イエスが繰 り返 し強調 した,弟子達への中心的 教訓 であ りチ ャレンジであ り, また後に続 く人 々-の招 きで もある。「自分を捨 て」は 自 己 中心をやめて神中心に生 きることであ り, 自分の心の王座にあるべ き方は神のみ で あ る こ

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研究紀要 (第6号) と,すなわち創造 の秩序が示 され ている。「十字架をになって」 は自我への死を 意味 してい る。秩序に沿 った人生 の創造的実現の為には小 さな自我に よる我が侭 は妨げ となる。「捨て」 「担 って」は不定過去形 で,ある時点 における明確 な決断 に よる体験 を表わす もので,単 な る受身ではあ りえない相当の能動的歩みの一歩 を表現 している。そ して 「従 え」 は 現 在 形 (ll) で,それが一生の継続的な営みであることを言 っている。 「あなたがたは,人か らして もらいたい ことを,人に もしなさい。」 (ル カ6,31) 「あなたがたの敵を愛 しなさい。人に善を行 ないなさい。 また, 何 も当てに しないで 貸 し てや りなさい。」 (ル カ6,35) 「あなたがたの父が慈悲深い ように, あなたがた も慈悲深い者 とな りなさい。」 (ル カ

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, 36) その他 キ リス トの多 くの教訓 は実存的秩序 に基づいた創造的人生 の歩衣-の招 きであ り,辛 リス ト者 に とっての毎 日は絶 えざるキ リス トとの応答の生活であって,具体的な生活の中の ひ とつひとつについてその都度 キ リス トは この言葉でひ と りひ と りを招いているのである。 それ にど う応 えるかは各人の自由であるか ら,人はかな りの創造的選択を絶 えず迫 られてい るといえる。 時 には人は選択 と決断を誤 ることもある。 しか しこの人生 の失敗を受け入れ る と こ ろ に も,新 しい人生の再 出発 と言 う大切 な創造的意味があることを忘れてはならない。何故か と い うと,人生 の失敗 には或 る意味でや りなお しが きく。 このや り直 しこそ実存的秩序 の再確 (12) 認 であ り,神 の意図す るところに立ち戻 る回心を意味 してお り, ここに も素晴 らしい人生の 創造があるか らである。「大悪人か ら大聖人が生 まれ る」 ともい うとお り, そ して歴史がそ れを証明するとお り,失敗は人生の終わ りではな く,真の人生の始 ま りともい うべ き創造的 跳躍台 とな りうるのである。 人生は築 き上げてゆ くもの,世界の平和 も人間が造 り上げ て行 くもので,戦争や犯罪 の失 敗 を乗 り越 えて,世界の未来は人間の 自由 と創造性に委ね られているのである。 ここで一つ忘れ てはな らない ことは,神 の創造 と歩みは冷たい機械的な業ではな く,憐れ み と慈 しみに満ちた業であるとい うことである。そ して人間の創造的歩みは, この神 の業に 参与す るものでなければな らない。「迷える羊」の誓え話 (マタイ18,10-14)の個所 でキ リ ス トが 「この ように これ らの小 さな者が一人で も滅 びることは, 天にお られ るあなたたちの 父の み 旨ではない。」 と語 っているように, どの よ うに小 さな存在を も切 り捨てる ことのない共存共栄 の世界を築 き上げてゆ くことこそ,我 々人類の創造性に委ね られている事業 なのである.

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創 造 的歩 み を促 す もの一美 と感 動一 人生の道程は長 く険 しい。その中で絶 えず創造主の意図 と招 きに完壁に応えて ゆ く こ と

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清水 :人生の創造 は,弱い被造物に とってほ殆 ど不可能な ことである。時 には よろめ き疲れ果て,立ち上が る 勇気 もない。 その よ うな中で我 々に神 の創造の意図に沿 って歩む よう力づけて くれ るもの,それは感動 であ り感嘆 である。 ガブ リエル ・マルセルは次の ように言 った。 「私には感嘆す る力を欠 くことは最大の不幸に思 えるのです。私はつねに 感嘆 は 創造 に接 す るものであ り,あたか もあ りがたい恵みの ような もので,それに よって何か眼に見える 創作を行 な う天分に恵 まれていない もので も,何 とか して創造的 な精神の次元 に達す るこ とができるのであ ります。 -・・・あ らゆる創造は実際には受けた呼びかけにたいす る応答 で (13) あるとい うことです。」 現代人に欠けているもの,それは, この感嘆に 目覚 まされた創造へ と躍動す る自由な力強 さ ではないであろ うか。純粋で高尚な精神的感動は,深ければ深 いほど日常生活の中で我 々の 心を汚れか ら洗い清め,揺 り動か し, さらには新 しい人生へ の一歩を踏み出させ る原動 力 と さえなってゆ く。そ してその為に果たす美 の役割は大 きい。何故 な ら,美は本性的に人 々の 中に眠 ってい る創造力をか きたて る力を持 ってい るか らである。 現代の物質文明の繁栄 の蔭に何か荒んだ印象を受ける 日本人 の心 に ち,美を望む想いは尽 きてはいない。美 しきのあるところに人は群が り感嘆 の声があが る。それはあたか も,息が 詰 まった感 じのす る現代社会の一隅 に清風を見出した喜 びに似 ている。 自然美 ・芸術美 ・技 術美 ・人格美などのいずれに して もそ うである。 かつて新聞に載 った出来 ごとであるが,一人の非番 の消防士が,め まいを起 こしてホ-ム か ら線路上 に転落 した一女性を,間一髪 の差 で危 く滑 り込んで来た電車の車輪 の災難か ら救 出 した。 自分 の命の危険をかけての この快挙は,勇気 ある美 しい一幕 としてマス コ ミを通 じ て伝 えられ,多 くの人 々の心 にさわやかな感動 と喜びを もた らした。 これは行為美のほんの一例であるが,我 々人間は,特に 日本人は,歴史的に振 り返 ってみ て も美を愛 し,人生 のあ らゆる場面 あらゆ る物事や行為の中に美を追求 して きた といえるの ではないであろ うか。人 の見事 な死を散 り際 の美 しい桜 にた とえ (花 と散 る), お茶の一服 に もその心 の美を求め (わび ・さび),死 に際 に も美 し く形整 った切腹 の作法を 尊 んだ 日本 人,生死をかけた戦いの最中に も武士の心を重ん じ, 日頃 の立居振舞にも形 の美 しい礼儀作 法 を大切 にした 日本人。 これ らをみて も, 日本人が如何 に人 の心 の美 しきと形 の美 しきとの かかわ りを重ん じ, また心の美 しきか らに じみ出る行為 の美 しきを大切に して きたかが察せ られ る。 最近,か しこまった形 の美は若者等 の問にあま り通用 しない とはいえ,やは り何 らか別 の かつこう 形 で美が追求 されているよ うである。た とえば,いわゆ る "恰好 よS"などは,彼等に とっ ての美 の追求であ り,彼等はそ こに何か しら彼等 の心 にふれ る美 しきを感 じて感動 してい る のである。弱者をかば うために勇気ある態度を示 した男の子を見て 「か っこいい」 と言い, またある変わ った服装 の人を見て 「か っこいい」 と言 う。一昔 も前 の我 々に とっては変わ っ た服装であって も,現代 の若者に とってほ何か心に触れ るものがあるのである。

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研究紀要 (第6号) しか し美は, 目を驚かせ耳を楽 しませ るよ うな感覚的分野に拘泥すればす るほ ど,次第に その本質が見失われてゆ くよ うだ。近代における美の喪失の道程 について,利光教授は 『美 (14) 学講座』の中で次の よ うに記 してい る。

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世紀後半か ら芸術活動の 目覚 ましい進展によってあ らゆ る芸術形式が作 り出されてき たが, これは私たちの観点か らすれば美の細分化, 差異化が際限 もな く進行 し, そ の 結 果,美が見失われてしま う道程 と捉え られ る。おそ らく現代におけ るほ ど人 々が多種多様 は ん らん の芸術品に取 り囲 まれてい る時代はないのであって,いわば この美 の氾濫のなかでかえ っ て私たちほ美が何 なのか分 らな くなってしまったのである。現代人は美を感 じているのか も知れないが,それが観念 として不分明なため美について語 らな くなったのである。」 結局,何か しら美の求め方がその本道か らはずれてゆ くとき人は美について語 る 言 葉 を 失 ら,それが現代 日本社会の中に起 こっている現象 のよ うである。 しか しむ しろ美の本質は, 感覚的なものを媒介 としなが らも,人の感動を誘 って,人を よ り高度な創造的歩みへ と導 く ところにあるのではないであろ うか。かの有名な話であるが,宇宙飛行士達が初めて宇宙空 (15) 間か ら地球を眺めた時,如何に地球が美 しかったかを,深い感動を もって語 っている。そ し てその美の体験は,彼等の多 くを神 の存在の認識 と関わ る神秘的体験へ と導いた。利光教授 は これについて 「すでに私たちは神を信 じな くなった時に,美 の喪失が始 まった ことをみて きた。 してみれば美の体験は超越者へ向か うェクスタシス として, プラ トンのい う秘儀的体 (16) 験 であ り続けているのではないだろ うか。」 と述べ てい る。 言い換えてみ るならば,美は我 々に とって超越への招 きであ り,そ こに揺 り起 こされ る感 動が よ り深ければ深いほど,我 々を よ り高い超越へ と導いて くれ る。我 々の 日常生活におけ るこの美 よ りの感動は,心 の汚れか らの清めであ り,感覚界か ら精神界への飛躍であ り,ひ いては,神 との出会い と一致へ と導 く力を さえ持つ もので もある。 感動,それは人があま りに も美 しい ものまたは素晴 らしい ものの前 にでる時,心を奪われ ることによって体験す る。素晴 らしい景色,美 しい人 と出会 った時,- ッとした驚 きで じっ と立ち止まる人,優れた絵画の前 にいつまで もじっと仔み身動 きもせず に絵をみつめてい る こうとつ 人 など,そ こに見 られ るのは感嘆 のあま りに心を奪われで比惚 とした人の姿 である。心 を奪 われ るとき人は時間の経過を忘れ る。 (17) 今道教授が 『美について』の中で 「美を意識す るとい うことは,それが大 きければ大 きい ほ ど, 日常的な意識構造 の中断であ り, 日常 の歩みを止めることである」 といわれたのが こ れで, この状態の中にある人はその意識か ら "時"を喪失す る。美 の意識があま りにも強い のでその感動が人 の心 を占め,時 の意識を追い遣 って しまった状態である。その よ うな時, 人は時 の経過 に も周囲の状況の変化に も気がつかない。ただ己が相対 しているその対象の美 しきに心を奪われ満たされて,全心身 の注意をそのものに集中 している。 これが人が感動の 極地 に逢 した時 の状態である.そ して このよ うな深い感動は,人間が さらに純粋な美に触れ れば触れ る程高まってゆ く。霊的生活において人が祈 りの中に神 の真理 の深奥に触れた とき に体験す るのがそれである。その時にその人は,内的に触れた真理 の素晴 らしさに感動のあ

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清水 :人生の創造 ま り心を打たれ,奪われ, 自己忘却 の境地 に至 る。何故 な ら最 高の真理 は最 高の美 につ なが るか らであ る。 6. 終 わ りに 感 動 か ら創 造 へ -(18) 『新約聖書』の中に,使徒聖 パ ウロに よる彼 自身 の一つの神秘的体験が記述 され てい るO そ こにはあ る崇高なるものに心を奪われた彼 の姿を垣間見 ることが で きる。 「わた しは,キ リス トと一致 していた人 の ことを知 っています。 この人は,十 四年前-体 ごとであったか,四年前-体 を離れての ことであ ったかわか りませ ん。神 が ご存 じです- 『第 三の天』まで連れ て行かれ ま した。そ して, この人が- 体 ごとであ ったか,体 を離れ て の ことであ ったかわか りませ ん。神が ご存 じです- 楽園にまで連れ て行かれ, ロにす る *t の も畏れおおい言葉,人間には語 ることが許 され ていない言葉 を聞いたのを,わた しは知 っています。」 (19) ここに, ある 「途方 もな くす ば らしい」偉大 な真理 にふれた時 の彼 の感動 と,それ に よる地 上 的な一切 の事柄 についての意識 の喪失の状況が伺われ る。 しか も大切 な ことは,感動が単 に感動 に留 ま らなか った ことである。感動 に揺 り動か された心 は,それを原動 力 として新 し い人生- の一歩 を踏み出 して行 く。彼のキ リス トへ の信頼 と霊的 な一致 のきず なほ よ り深 く 堅 い もの とな り,それは彼を して更 に苦難 の道へ と献 身 させ るのであ る。 「ですか ら,キ リス トの力がわた しの内に宿 るよ うに,む しろ大 いに富 んでわた しは 自分 の弱 きを誇 ることに します。それ で,弱 きが あ って も,虐待 されて も,災難 に遭 って も, 迫害や行 きづ ま りに出会 って も,わた しはキ リス トのためな らそれ でいい と思 っ て い ま (20) す。わた しは,弱 ってい る ときこそ,強いか らです。」 彼が味わ った霊的 な深 い感動は弱い彼を変革 させ,今後押 し寄せ る筈 の数 々の新 しい苦難 に 立 ち向かい得 る強い彼を創 り上げ ていたのであ る。 その時 の彼 には もはや, 自分 の人間 とし ての弱 きを充分 に 自覚 しなが らも, 同時に, キ リス トにおいて 自分の中に働 く神 の力の充 満 の意識 に欠け る ところが なか ったのである。 「実 に,わた したちはキ リス トに一致 した者 として無 力ですが,あなたがたに対 してほ神 (21) の力に よってキ リス トとともに生 きるのです。」 「生 きているのは, もはやわた しではな く,キ リス トこそわた しの うちに生 きてお られ る (22) のです 。」 我 々の 日常生活 に立 ち戻 って考 えてみ るとき, ご くささやかな体験 ではあ るが,困 ってい るときに救われた感激 と感謝 は 自分 も他人にそ うしてあげ たい と自分を捉す。 または他 の人 の立派 な行 為を見た時,そ の感動 は 自分を同 じよ うな行為へ と内的に励 ます。前 に述べ た ピ ーク-青年 に救われた難民少年 は,その後多 くの難民 の為に奉仕す る立派 な司祭 に成長 した とい うことである。結局,感動 は人生 の創造 を生むが,そ の創造 は単 に受け身で押 し流 され る生 き方を してい る者 の姿勢 ではあ り得 ない。む しろ人を内部か ら動 かす もの,それが感動

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10 研究紀要 (第6号) で あ り, そ の感動 は表 面 的 な感性 の ものでは な く,悟 性 に よる物事 の深 み に あ る意味 に対す る感動 であ る。 そ して これ こそ人 を真 の人生 の創造 へ と促 す もの なので あ る。 人 が キ リス トの十 字 架 像 に感 動す るのはそれ が見 てい て感 覚的 に快 いか らでは な く, そ の 聖 な る意味 に心 の眼 が 開 いた時 の感動 で, そ の悟 りは, 同時 にそ の人 に対 す る聖 な る人生 -の招 きで もあ る。 こ うして人 は意味 の深 さを悟 れ ば 陰 るほ ど深 い感動 を受 け, そ の感動 が深 けれ ば深 い程 よ り高 い人 生 - と揺 り動 か され てゆ くの で あ る。 現 代 の 日本人 に欠 け てい る もの, そ して今人 間社会 を精 神 的 に よ り豊 か にす る力 とな り得 る もの, それ は豊 か な創造 力を もた らし得 る聖 な る感動 で あ り, そ の聖 な る感 動 の中に じっ く りと身 と心 をひた らせ るゆ と りであ る。現 代 の 日本 社 会 におけ る人 間性 の回復 と向上 は, そ して心 の豊 か さ- の努 力 は, そ こか らは じめ られ て よい ので は ないで あ ろ うか。 〔注〕 (1) 下中邦彦編 『哲学事典』(平凡社,1982)p.859-p.860参照。 (2) 文部省 「昭和61年度の児童生徒の問題行動の実態調査」(1987.9.ll)参照。 ゲオルグ ・ズイークムソ ト (中村友太郎訳)『生か死か ・自殺の問題』 (ェンデル レ, 昭50)の 「15 世界的問題 としての自殺」(p.215-p.226)参照。 (3)犬飼道子 『人間の大地』(中央公論,昭59)の 「ゼ ロと

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」(p.83-p.99)参照。 (4) 『マルセル著作集 8,人間の尊厳』(春秋社,1973)の p.204に 「どんなつまらない水準において で も,創造があるか ぎ り,何 らかの自由があるとい うことであ ります。」,また p.191に 「もっと も自由な人間 とは,希望するところのもっとも多い人である-」と述べている。 (5) 第二パテ ィカン公会議 『現代世界憲章』(中央出版社,昭42)の 4参照。 「今 日,人類史の新 しい 時代が始まってお り,深刻急激な変草が しだいに全世界に広 ま りつつあるO人間の知識 と創造的努 力の挑発によって生 じたこれ らの変革は,人間自身の上に, また個人および団体の判断 と欲望の上 に,人 と物についての考え方 と態度の上にはね返 ってくる。-・-あらゆる発展の危機に際 して生 じ るように, この変質には重大な困難が伴 う。た とえば,人間はその力を大きく広げてゆ くが,それ を人間の役にたたせるようにすることがいつでもで きるわけではない。人間精神の深層にまで深 く はいっていくように努力するが,自分自身については, しば しばい っそ う確信を持てな くなってい るように見える。社会生活の法則を じょじょにもっと明確に発見 してい くが,社会生活の方向づけ について迷 っている。」 (6) ∫.マシア 『いのち と家庭』(上智大学,昭61)の 「生命操作時代の 家庭 の 使 命」のp.91).lo奉 照 。 (7) 『日本国勢図会』(国勢社,1987)p.517参照。 (8) カール ・ラーナ- (百瀬文晃訳)『キ リス ト教 とは何か ・現代カ トリック神学基礎論』 (エソデル レ,昭56)p.105参照。「被造性 とは,つねに恵みであると同時に命令で もある。すなわちわれわれ は,有限的主体のあ り方そのものである類比による不安定なあ り方を真筆にとらえ,受諾するよう に命ぜ られているのである。 自分が真実に実在的存在であ り,責任を課 された存在であ る と同 時 に,まさにそのようなものとしてこそ,端的に絶対的神秘に由来 し,また絶対的神秘を未来 として 志向する存在であると考え,そのように 自分を理解 し,受け取めるよう命ぜ られているのである。」 清水宏子 「遺徳教育 と人格の尊厳」(『人間学紀要第14号』上智大学人間学会,1984)の "Ⅱ「人」 と「道徳」"(p.881).90)参照。

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清水 :人生 の創造 ll 清水宏子 「道徳教育 と人格 の尊厳」(『清泉女学院短期大学研究紀要 第4号』1986)の "Ⅳキ リ ス ト教的道徳 と自由なる応答性 として責任"(p.14-p.17)参照。 (9)犬飼道子 『人間の大地』(中央公論,昭59)の 「大地,逝 くか」(p.189-p.205)参照。 (10)『日本国勢図会』(国勢社,1987)p.548参照。 (ll) 『新聖書注解 ・新 約1』(いのちの ことは社,1979)のp.143参照。 (12)回心 (ギ :metanoia:悔 い改め) とは単なる外面的 な生活の改善ではな く, 精神の根本的変化 を 意味 し,人 間の弱 さか ら悪におちい った者が神の恩恵 の助けに よって,真心か ら真実に神に立ち帰 る ことを意味 している。 (13)『マ ル セ ル 著 作 集8,人間の尊厳』(春秋社,1973)の 「第七講 人 間の尊厳 」中のp.170-p.171参 照 。 (14) 今道友信編 『美学講座 2 -美学 の主題-』(東京大学 出版会 1984)中の「2 美 」のp.76l p.77参照。 (15) 同上p.78参照。 (16) 同上p.78参照。 (17)今道友信 『美について』(講談社,1973)のp.191参照。 (18)『新約聖書

Ⅰコ リン ト,12,2-4参照。 (19) 同上 Ⅰコ リン ト,12,7参照。 (20) 同上 nコ リン ト,12,9-10参照. (21) 同上 Ⅱコ リン ト,13,4参照。 (22) 同上 ガラテ7,2,20参照。

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