〈論文〉グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略
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(2) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. 論ずる場合には、企業等の組織が必然的に出てくることになる。また、ビジネス パーソンという場合、企業のトップ(狭義の経営者)と言われる層と、それ以外の 層を分けて論ずる場合があることにも留意したい。 第四に「戦略」という点である。謝罪に「戦略」という言葉を付すと、日常的な 感覚としては違和感があるであろう。後述するように、心からの反省や誠意は謝罪 が有効に機能し、受け入れられるための重要な要件であるのだが、「戦略」という 言葉は、そうした反省や誠意とは距離を置いて、自らの利得のために取るべき行動 を冷静に考えるという含意がある。筆者はその点を踏まえつつ、一般に参考となる ような解決へのヒントとなるものを提示したいと考えた。その意味で、本稿にとっ て冷静な対応策の提起は重要な目的であり、「戦略」という言葉(これは「ビジネ ス」との相性がよいことは言うまでもない)を使うこととした。. Ⅰ.グローバルビジネスパーソンにとっての謝罪の意義 ⑴ 日本マクドナルド社のカサノバ社長の失敗 本稿のタイトル「グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略」に最も関係の深い直 近1の重要事件は、日本マクドナルド社による一連の謝罪対応である。簡単に事実 関係を以下に記す。 この事件は、2014 年 7 月、米国の食料品流通大手の OSI グループ傘下にある中 国上海の「上海福喜食品」の製造卸した食肉が消費期限切れであったことが発覚し たことに端を発する。この中国企業と取引のあった会社には、日本マクドナルド社 だけではなく、マクドナルドの米国本社や日本の大手コンビニであるファミリー マート社も含まれていたが、日本での存在の大きさゆえであろうが、その対応をめ ぐって、とりわけ日本マクドナルド社が注目を浴びることになった。さらに日本マ クドナルド社を追い込んだのは、2015 年に入って立て続けに発生した異物の混入 の問題である。つまり、日本マクドナルド社は、2014 年 7 月から 2015 年 2 月まで の間に、大きく2つの謝罪すべき事案を抱えたことになるのだが、このあたりの事 情を、フリージャーナリストの佐藤(2015:2)が「お粗末な対応」として、以下の とおり分析している。. ( 116 ). −43−.
(3) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. 「ここまで傷口を大きくしたカサノバ社長と広報スタッフは、何を間違えたの か。発端となったのは、期限切れ鶏肉問題で開いた昨年(2014 年)7 月の会見だ。 問題発覚後、カサノバ社長が約 10 日間も謝罪会見を開かず、決算会見にタイミン グを合わせて陳謝したことは、マクドナルドが『商品の安全性を軽んじている』と の印象を世間に与えた。この対応の遅さは致命的であり、悪夢の始まりだったと言 える。当時の会見でカサノバ社長は『マックはだまされた』と訴え、被害者を装っ たが、消費者からは責任転嫁と受け取られ、「申し訳ないことをした」という気持 ちが全く伝わらなかった。カサノバ社長の強気の姿勢は、報道関係者や消費者に、 一番嫌悪される内容で、2000 年に発覚した雪印乳業の大量食中毒事件における、 「私は寝ていないんだよ」という石川哲郎社長の失言を彷彿させるものであった。」 このマクドナルドの一連の対応を巡っては、それが失敗であることは、多くの人 の認識が一致するところとなったのであるが、一般人から本音ベースで多くあった 見方は、日本と外国(この場合は米国)との文化の違いを指摘するものであった。 以下にそのいくつかをブログやネットへの書き込みから見てみたい。 「そのマックの社長がやっと謝罪した。アメリカと日本の文化の違いなのだろう が、カサノバ社長は中々謝罪しなかった。」(川島信也前長浜市長の個人ブログ) 「カサノバは日本人の特性を知ろうともしなかったんだろうな。」(2ちゃんねる への匿名書込み)。 「外人のオーナーなんてあんなもんですよ!リーマンだって、謝罪無しだったで すよね。母国では、あれで通っても日本じゃ受け入れられない!」(Yahoo. Japan. Kenpoko 39 さん) 興味深いのは、こうした書き込みが、カサノバ社長が外国人である、と言う点を 重視し、「文化が違う」「日本の流儀ではない」という点を強調していることだ。筆 者自身、当該の記者会見を録画されたビデオで見たが、こうしたコメントは少なく とも日本人の感覚としてはもっともと言わざるを得ない。全体に、「自分は悪くな い」の強気モードや責任回避が感じられるもので、口では、「お客様第一」「申し訳 ない」などの言葉が何度も繰り返されるが、それが空虚で白々しいものとして感じ られるのである。尻尾を掴まれないようにという配慮からか、言葉の面でも、オリ ジナルの英語も通訳された日本語も、洗練され過ぎていることが、かえって悪印象. −42−. ( 117 ).
(4) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. を生み出しているようだ。 こうした「異文化」を失敗の原因とする見方もある一方で、この事件の謝罪対応 を「組織」に起因する問題点として指摘する以下のような声もある。「現在のマク ドナルドは、社長が決断したことが組織としてきちんと実行できていないと感じて います。サラ・カサノバ社長は、就任以来いろんな経営施策を打ち出しました。施 策の是非はともかく、本社の社員はもちろんのこと、店頭スタッフに至るまで組織 としての実行力が欠けています。」(株式会社決断力の HP) また佐藤(2015 前掲:3)は以下の指摘もしている。「1 月 7 日、とうとう日本マ クドナルドは謝罪会見を開くことになるのだが、ここで犯した決定的なミスは『出 張中』との理由で、カサノバ社長が姿を現さなかったことだ。マスコミ関係者にも 消費者にも『責任を部下に押しつけて、トップが逃げた』という印象を強く残すこ とになった。謝罪会見は、トップが臨まねばならないというのは、広報戦略の基本 中の基本である。」「菱沼氏2が女性記者の追及にしどろもどろになり、救いの手を 求めるかのように青木氏3や他のスタッフに視線を投げかける場面があったが、全 員が目を合わせないようにと下を向いたり、宙を仰いだりしていた。多数のスタッ フが、のこのことカメラの前に出てきて、仲間を切り捨てる様が、映像や写真で全 国に流布されたわけだ。」これらのコメントには、異文化の要素は特段に触れられ ておらず、日本マクドナルド社の組織としての問題を批判したものと言えよう。. ⑵ 「文化」と「組織」の2大要因と謝罪の普遍性 上記の日本マクドナルド社の謝罪の失敗を、要約すれば、この状況での謝罪にあ たっては、「文化」と「組織」という2つの要因が重要であることを示唆してい る。ネットへの責任のない匿名の書き込みも含めて、ともかくも世間の目がこのマ クドナルド事件を分析的に注視した切り口はこの2要因であったのだ。逆に、深い レベルで謝罪の普遍性を論じたものは見当たらない点にも注目したい。ここで普遍 性とは、文化や組織を想定するまでもなく、謝罪という行為に内在されている性質 のことである。現代社会に生活するものならば誰もが一定のレベルの経験を共有し ているから、個別事件発生時には本質論の議論に及ばないということを意味するの であろうか。. ( 118 ). −41−.
(5) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. 本稿では、こうした点について問題意識をもち、主題である「グローバルビジネ スパーソンの謝罪戦略」の考察のため、謝罪の普遍性と2つの要因(文化と組織) について、様々な知見を概観していく。. Ⅱ.多様な学問分野による知見 以下には、謝罪に関する様々な学問分野による知見を紹介したい。. ⑴ 心理学的な分析 社会心理学者である大渕(2010)は、「謝罪とは何か」という基本的な問いを、 主として外国、特に米国の学者による文献を豊富に引用して、考察している。大渕 (2010 前掲)に沿って、謝罪に関して心理学の分析する基本的な概念を確認してお こう。 まず大渕は、謝罪の中核的要素として、責任受容と悔悛表明をあげる。つまり、 それは「自分のせいです」と認め、「申し訳なく思っている」と表明することで あって、この2つが欠けるものは謝罪ではない。 大渕によれば、謝罪とはそもそも「人に被害を与えるとか迷惑をかけることがあ ると、行為者は自分の行為について何らかの説明を試みます」と定義される釈明 (account)の一種であって、釈明は謝罪の他に、弁解、正当化、否認がある。この 4種は、①行為への関与、②行為の不当性、③結果の責任の3要素によって分類さ れる(図1)。前述の責任受容と悔悛表明は、他の3種にはない要素であり、謝罪 が他の3種の釈明と明確に区分される所以でもある。. −40−. ( 119 ).
(6) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. 【図1】釈明タイプとその理論的要素(大渕 2010 前掲:23). 被害の発生. 被害に関連した行為をしたことを認めるか?. 1.行為への関与. 肯定. 2.行為の不当性. 否定. その行為が不当なものであったことを認めるか?. 肯定. 3.結果の責任. 否定. 自分に責任があることを 認めるか?. 否定. 肯定. 弁解. 謝罪. 正当化. 否認. 次に大渕(2010 前掲:37)は、「謝罪宥和理論」(apology mitigation theory)を 紹介するが、これは謝罪の効果として、以下の3つを想定するものである。 ① 謝罪は、被害者の苦痛、怒りなどの不快感情を軽減する(感情宥和効果)。 ② 謝罪は、加害者の人物印象を改善する(印象改善効果)。 ③ その結果、謝罪は加害者に対する被害者の罰反応を軽減する(罰軽減効果) 。 大渕(2010 前掲:89)の示す考察の中で、謝罪の効果の本質を説明するものとし てとりわけ説得性があるのは、「責任受容と罪のパラドックス」である。それは、. ( 120 ). −39−.
(7) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. 「合理性に従って行動する人間なら、まず、責任否定を目指した行動を取るであろ うと予測する」のが日本でも欧米でも研究者の指摘するところでありながら、「日 本人に限らず、欧米人でも、被害事態への関与が疑われた行為者は、合理的予想に 反して、責任否定ではなく責任受容的釈明(謝罪)を行おうとする」という点であ る。大渕(2010 前掲 91)は、「謝罪こそが避難や罰を避ける最も有効な方法である と人々が信じている」からだと説明する。後述する日本で支持されることの多い 「まず謝る方が得だ」という考え方に通ずるものである。 大渕(2010 前掲:93)は続いて、謝罪も前述の弁解や正当化も、「罰や不利益の 回避を目指したものであるという点では共通」だが「そのために用いられる方略が 異なる」とし、謝罪か弁解か正当化か、いずれかの選択を取るかは、「各釈明に関 する成功見通し」によるものだとする。つまり、それは「当事者が自己利益の最大 化を目指して行う戦略的意思決定の産物である」ということになる。 さて、大渕(2010 前掲:94-95)は謝罪における戦略について、もう一つのパラ ドックスを指摘している。それは、謝罪というものは、それが戦略的なものとして 相手から知覚されれば受け入れられず、非戦略的なもの、つまり「真実で純粋なも の」であると知覚されたときに受け入れられるというものだ。それによれば、優れ た釈明者は、「受け手が釈明を戦略的ではなく、真正のものであると知覚されるよ う、戦略的に釈明を構成しようとする」。この知見に関する応用例は、本稿で追っ て詳しく見ることとする。 大渕の知見を全体としてみた時に興味深いのは、最終的には、異文化の要素も重 大なものとして扱う一方で、大きな前提としては、謝罪を心理学からとらまえた場 合には、人類の間に普遍性があることを前提に議論していることである。事実、上 記に記したほとんどの理論は、大渕(2010 前掲)では、外国、特に米国の文献を 引用4しながら、紹介されているのである。大渕の心理学的分析に従えば、謝罪を めぐる原則理論は、心理学の基本的な普遍性と同様に、人類に共通なものであっ て、しばしば問題となり、本稿でも多く扱う異文化による問題は、そのベースの上 に個別要因がのった事象の発現であると言えよう。. 謝罪を広い意味でのモラルの一形態であると捉えれば、クリストファー・ボーム5. −38−. ( 121 ).
(8) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. による『モラルの起源』(ボーム 2014)に示された知見も興味深く参考となる。そ れによれば、道徳という人間が他の生物に比べて際立っている性質の本質は、一 見、利己的な遺伝子の原則に反する利他性であり、それは進化の過程で身に着けた ものであるという。そして、チャールズ・ダーウィンの以下の実験を紹介してい る。 「ダーウィンは、実に驚くべきことを行った。世界中の植民地の行政官や宣教師 に手紙を出して、アジアやアフリカなどの原住民が恥ずかしさで顔を赤らめるかど うかを尋ね、史上初の組織的な比較文化の研究を手がけたのだ。社会的な理由で顔 を「赤らめる」のは人間だけであり、ダーウィンは、道徳的な理由による羞恥の赤 面が、一部のグループでそのローカルな文化によって導かれた反応にすぎないの か、それとも彼が感じたとおり、強い遺伝的要素をもつのか、知ろうとしたの だ。」(ボーム 2014 前掲:20-21) この実験の結果は、どの原住民も恥ずかしさで顔を赤らめる性向があるというこ とであり、ここにダーウィンは良心、道徳という心理的な事象は、文化を超越して その基礎に人類としての生得的な要素があることを見出している。 以上の大渕やダーウィンの知見からは、謝罪の本質は人類に普遍的に共有される 性質のものであることを示唆するように思える。. ⑵ 言語学からのアプローチ 謝罪についての理論的な考察を深く進めるもう一つの学問分野は、言語学であ る。但し、言語学による謝罪に関する考察は、心理学が普遍性を基礎として分析を 進めた後、文化による違いを指摘するのに対して、言語学では、当初から、違いを 大きく意識した分析が多いようである。 熊谷(2011:34-35)は、Brown & Levinson(1987)に示されたポライトネス理 論を示しながら、その上位の枠組みであるフェースワークを使い謝罪について分析 し、「ネガティブポライトネス指向と言われている日本語コミュニケーションにお いて、実はポジティブ・フェイスに関わる交渉が重要な位置を占めている」ことを 指摘している。これは要すれば、日本語話者においては、「相互扶助的なパターン (reciprocal face-support)」が存在し、「自分のフェイスはあくまで相手に守っても. ( 122 ). −37−.
(9) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. らい、自分では保護しない」というルールがあるということである。その意味する ところは、日本語の謝罪においては、説明や自己の正当化は、良いものとされず、 むしろ、相手方の許しや受容によって救済されることが標準化される傾向にあるこ とを示す。 この知見は、後述する日本の実務家系の謝罪についての有力なアドバイスである 「まずは謝れ」「謝られたら謝り返す」の基礎をなすものと言えよう。熊谷(2011) では、言語毎の多様性を大いに認めつつも、謝罪に関する一定の普遍性の存在につ いては、疑問を挟んでいないようにみえる。 この謝罪についての普遍性と文化・言語毎の個別性というテーマは、本稿の 「グローバルビジネスパーソンにとって」という視点の核心に迫るものである。大 谷(2008)においては、謝罪に関する様々な角度の研究を総括しつつ、自身の専門 である日本語と英語の対照研究から、この問題について考察している。大谷 (2008 前掲:38-40)は、発話行為論の観点からは、「Austin6、Searle7らの発話行為 論によって謝罪という行為が一般化されて示されたものの、その後の研究の動向は むしろ一般化とは逆に言語ごとの謝罪の多様性、個別性の解明へと向かってきた」 と指摘する。そして、大きく「『普遍性』を支持する立場」と「『個別性』を支持す る立場」があることを述べたうえで、前者の研究者は「発話行為は普遍的なもので あるが、ただその表出の仕方が言語文化ごとに異なるという考え方をとる」、後者 の研究者は「言語はその文化や価値観と密接に結びついたもので、発話行為に必ず しも普遍性は認められない」と総括して説明している。 ここで誤解のないように説明すれば、後者の立場も、謝罪という行為に全くの普 遍性を認めないということではなく、言語として発生する段階(発話行為以降)の 普遍性の有無を論じているのである。その意味では、先述の心理学的なアプローチ はその前の段階(あるいは深層というべきか)での普遍性を前提にしていると言え よう。. ⑶ 法律学的な考察 前項までは、心理学や言語学の切り口で、文化や言語という要因を普遍性に対比 するものと考えてきた。次に法律を切り口にして考えた場合、どのような考察が可. −36−. ( 123 ).
(10) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. 能だろうか。法律の立場は、言語、文化とは微妙に異なる。法律はあくまで文化や 価値観を根底とする社会の規範を具現化したものであり、また言語によって表現さ れたものであるのだから、文化、言語から完全に独立することはできないものの、 一方で、客観的に国家が強制力をもってその実効性を担保するという点で、文化、 言語とは異なる面もあると考えてよいだろう。 謝罪に法律が関わる重要な局面に関して、賠償請求等の訴訟において、謝罪が有 利あるいは不利に働くのではないか、という議論がある。これについて、山崎 (2007)は、米国の場合との差を意識しつつ、日本の裁判所の判例を調査し、興味 深い考察を行っている。山崎は、「米国では Sorry Law8 が多くの州で制定されて いる。これは裏を返せば、謝罪によって訴訟上医療関係者が不利になっていた歴史 を示す」として、米国での状況を述べた上で、日本の医療事故をめぐって「謝罪す ること=すなわち訴訟上医療関係者にとって不利益になると一概にいえるだろう か」と問う。 山崎(2007 前掲:106-107)の結論は複雑で、「日本においては、謝罪をすること で即訴訟上不利な立場に立たせるとはいえず、事案によっては逆に謝罪しないこと で不利な立場になる。」としつつも、謝罪を全面的に推奨するものではない。特に 多くの判例を実際に検証した上で「共感表明は過失の証拠とならないが、責任承認 は過失の証拠となりうる」と結論づけていることは注目される。先に挙げた言語学 者が日本語話者に存在するとする「自分のフェイスは相手に守ってもらう」という よう相互扶助的な互いに許しあうという原則は、金銭による賠償額が厳しく争われ る訴訟ともなれば有効に機能しえないということであろうか。 この問題において重要なのは、和田(2007)に示された「共感表明」謝罪と 「責任承認」謝罪の区分である。それによれば、前者は「不利益を被った人への自 然な共感的感情からくる済まなさ」の感覚表明であるのに対し、後者は「自己の責 任を認める」という意味があるとされる。先の大渕(2010 前掲)では、謝罪の本 質的構成要素の一つは、自分に責任があることを認めることであるが、この基準を 上記の2種に当てはめた場合、「共感表明」謝罪には責任の承認がなく、それは謝 罪でないという考え方も成り立ちそうである。 一方、ここで「共感表明」謝罪にも広い意味での責任の要素があると考えること. ( 124 ). −35−.
(11) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. もできる。その責任の要素とは、賠償義務につながることのない内面の心理的な責 任ということだ。医師である以上、どんな場合でも患者を救う義務があると考え、 たとえ自分が遥かにコントロールが及ばない事象であっても、それが可能でな かったとき、「責任を果たせなかった」という気持ちが医師の内面に芽生えること はありうるであろう。そうした意味では、しばしば日常的にも「道義的責任」と 「法律的責任」という言葉が峻別して使われるのであり、「共感表明」謝罪には、賠 償義務の発生を必然としない「道義的責任」(例え「道義的」と限定しても医師に 酷な印象は免れないが)が内在すると考えることは可能だろう。このように責任を 「道義的責任」と「法律的責任」に区分することで、「共感表明」謝罪は、賠償義務 を惹起しないものと整理することが可能になると思われる。 いずれにせよ、ここで観察できることは、金銭の賠償問題を伴うようなシビアな 法律事案においては、謝罪⇒「責任」の認定⇒賠償義務の発生という流れは厳とし て存在し、言語学者が語用論の多くの事例で想定するような日常的世界における謝 罪(例えば熊谷(2011 前掲)の指摘する日本語話者における「相互扶助的なパ ターン(reciprocal. face-support)」)とは違った基準が支配するということではな. いだろうか。. Ⅲ.実務系の識者等が示す知見 以上に各学問分野の学者による謝罪に関する考察を俯瞰してきた。一方で謝罪と いうテーマに関しては、学者ではない実務家やコンサルタントによる多数の出版 物、さらには謝罪をパロディー的にテーマとする映画までがあり、本章ではそれら が示すことの意義を、学者の見解と併せて考えていく。 初めに実務家等による知見の全般的な特徴について述べておきたい。言うまでも なく、実務家等の著述の目的は、読者に実践的なアドバイスを与えることが主目的 であって、学問的な考察ではない。従い、その内容は、「なぜか」の分析ではな く、「どうすればよいか」という具体的行動論となる。また、こうしたアドバイス が想定する場としては、ビジネス場面であることが圧倒的に多い。さらにそのビジ ネス場面では、個人が謝罪の主体者である場合も多いが、組織である場合も相当に. −34−. ( 125 ).
(12) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. ある。なお、これらの点から、筆者は謝罪における場の類型化を想定したが、それ は後章(Ⅵ.)にて述べる。. ⑴ ビジネス誌『プレジデント』における「『謝り方』のお手本」 ビジネスパーソンが謝罪について関心をもっていることを示すように、雑誌を含 めた多くのビジネス関連の著作が謝罪についてのアドバイスを行っている。中でも 近年で大きく扱った媒体は、プレジデント誌(2013/11/18 号:22-30)である。本 号では、「 『謝り方』のお手本」という特集として組まれているが、そのメーン記事 においては、「どんな怒りもスーッと消える 相手のタイプ別『切り返し』の魔 法」と題して、4人の専門家のアドバイスを掲載している。この記事では、謝罪の 主体者も個人のビジネスパーソン、相手方も個人という設定で、相手の性格を分析 し熟知するところから始めている。例として、謝罪の相手方が「弱い者イジメタイ プ」と「理詰めタイプ」である場合のアドバイスを見てみよう。 「弱い者イジメタイプ」においては、上司から依頼された仕事を放置し、上司を 怒らせてしまったという例で、失敗の理由(言い訳)をしないこと、また単に 「申し訳ありません」ではなく、正面から自分の誤りを具体的に認めるというアプ ローチを推奨している。相手の名前を連呼することも有効としている。 興味深いのは次の「理詰めタイプ」である。納入したシステムに欠陥があったと いう設定で、相手は論理的にミスを攻めてくるという設定である。相手が理詰めな のであるから、謝罪者側も論理的に説明をするのが効果的かとも思えるが、お勧め のアドバイスはそうではない。あくまで下手に出る方法が正解であって、中身の議 論を戒める形となっている。こうしたアドバイスは、すべて経験に裏付けされたも のであって、相手方の感情コントロールを含めた問題解決の為の最適戦略であると 考えられ、そうした方が問題解決の可能性が上がることが示されている。. ⑵ 米国のビジネス雑誌にみるアドバイス 米国系のビジネス雑誌では、Harvard Business Review 誌9が、ケラーマン(2006) を取り上げている。「CEO の公式謝罪はいかにあるべきか」と題するこの小論文 は、幾多の謝罪の実例を挙げつつ、謝罪の本質にも触れ、その上で具体的なアドバ. ( 126 ). −33−.
(13) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. イスをするという構成をとり、説得力ある論点が凝縮されている。その主な論点を あげよう。 まずいくつもの成功例、失敗例を示した後に、「望ましい謝罪」の要素として次 の5つを上げている。 ・過失や不正を素直に認めること ・しかるべき責任を果たすこと ・謝罪の言葉を述べること ・過ちを繰り返さないと誓うこと ・タイミングを逸しないこと これらは、特段の理論を引用することによるものではないが、納得性の高い一般 論であり、大渕(2010 前掲)が披露する主として米国発の原則論ともよく調和す るものである。また、国や文化によって違うことを、「『郷に入れば郷に従え』とい われるが、当然、謝罪も例外ではない。」とし、「日本では、トップ・マネジメント の謝罪はけっして珍しいことではなく、そのため『第一級の謝罪社会』と評された りする。」としている。一方で、同小論文の核心的テーマである「CEO の公式謝 罪」については、以下の見解を述べている。 「トップ・マネジメントが公に謝罪するとなると、少々事情が異なる。まず、己 の言動について謝罪する場合のみならず、同僚や社員の不手際について謝罪しなけ ればならない場合がある。」 「トップ・マネジメントは、謝罪した場合としなかった 場合の損失を比較し、謝罪した方が損失を低く抑えられると判断される時、謝罪す る。」要するに、個人の感情のことは置いて、組織全体のことを考えた戦略的な得 失で冷静に判断せよ、と言っているのである。. ⑶ 外資系の実態を垣間見る 本稿でもこれまでに例示したように、日本では、一般に外国人は謝罪しないとい うイメージが定着しており、それが具体的に感じられるビジネスの場として、外資 系企業が例示されることがあるようだ。以下に2つの例を挙げる。. 「外資では謝ったら罪を認めたことになる。外資系企業では『誰の責任か』とい. −32−. ( 127 ).
(14) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. う責任追及が厳しいです。お給料も成績や能力をもとにしっかり判断されるため 『失敗』はしたくないという人ばかり。そして自分は正しい、間違っていないとい う主張が飛び交います。謙虚な人は『しまった、やってしまった』と反省の念が生 じ一言お詫びをしておこう、という気持ちになります。しかし謙虚な人は外資系企 業では気を付けなければいけません。あなたに全部責任をふりかける人もいま す。弱肉強食な世界なのです。」 (サイト『外資の実態』). 「日本社会と欧米社会との大きな違いは、よく言われるように、謝り方にありま す。例えば、日本では何か問題が発生するとすぐに謝り、謝られる方もそれで一件 落着したような感じになり、追求の矛先が鈍ってしまいます。 一方、例えば、製品に問題があったりすると、日本では、直ちに記者会見を開い て謝れ、と強く迫ります。でも、外資系企業は、あ∼だ、こ∼だと言い訳ばかり で、なかなか謝りません。そうすると、日本のマスコミなどはますます強く追求し ていきます。 日本人社員は、とにかく早く謝り、その後のことはそれからと考えますが、外国 人幹部はそうは考えません。極端に言うと、問題の原因、責任がどこにあるか裁判 で決着しない限り、簡単に謝ったりしないのが欧米企業です。このようなとき、外 資系の日本人広報担当社員は板ばさみにあいます。」 (サイト: 『外資系転職で幸せになる方法』). 注目したいのは、上記2例の後者の最後にある「外資系の日本人広報担当社員」 のことである。「板ばさみにあいます。」というのは、日本人社員と外国人幹部の間 のことであろう。本稿冒頭で挙げた日本マクドナルド社にも、組織に関わる問題と として、こうした実態があったとは考えられないであろうか。. ⑷ 苦情処理対応に関わるマニュアル本 日本で出版されている数多い謝罪のマニュアル本でもっとも多いジャンルは、苦 情処理対応に関わるものである。苦情となれば、圧倒的に適切な謝罪をしなければ. ( 128 ). −31−.
(15) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. ならず、そのための優れた方法論がビジネス界、特にそうした苦情に接する個人か ら求められているのであろう。こうしたマニュアル本の著者に共通するのは、長い 年月の間に膨大な苦情に接し、謝罪を技術として体得し成功してきたという人たち であるという点である。 それだけに、内容は説得力があるが、優れた謝罪術としての条件は、一般化が可 能であるように思われる。こうしたマニュアル本の 1 つである関根(2007:186)に 示された謝罪時のすべからず集を以下に挙げる。 ① 非を認めない ② 言い訳をする ③ 責任を転嫁する ④ 苦情を聞く態度でない(言葉、眼つき、しぐさ) ⑤ 反省の色がない ⑥ 対応が遅い、または不充分 これらの点は、先述の心理学者大渕(2010 前掲)が示した謝罪の本質論と非常 に整合性がとれていると言えよう。. ⑸ 広報対応に関わるマニュアル 苦情処理対応に関わるマニュアルに次いで、謝罪関連の指南本として多いのは、 広報対応に関わるものである。前項の苦情対応の場合と異なるのは、苦情対応は、 基本的には(あるいは問題が大きくならない間は)個人対個人のコミュニケー ションの中で行われるのに対して、広報対応の多くは組織としての企業が前面で出 てくることである。また危機管理の一環としてのアドバイスも多く、さらにマスコ ミの扱い方とも関連させて、謝罪の方法論が説かれるものもある。 田中(2011)では、2010 年に発生したガス湯沸かし器メーカーのパロマ社 10 の 中毒事故の際の対応が、謝罪が迅速・誠実になされなかった悪例として掲載されて いる。この事件では、最初に行った記者会見において、製品に問題はないと終始責 任を否定したことがマスコミの厳しい批判を招いてしまったと分析される。ここで 田中(2011 前掲:160)は、この種の事案においては、「『お詫び』のことばは、ど んな場合でも、まず最初に述べるべきであって、途中や最後にお詫びのことばを述. −30−. ( 129 ).
(16) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. べても相手に伝わるインパクトはまるで違います。」とし、また「記者会見の席で 安易にお詫びしたりすると、後で訴訟になった時に不利になる」という考えを否定 し、まずは謝ることの戦略的重要性を説いている。. ⑹ 映画『謝罪の王様』の示すこと 2013 年にヒットした映画『謝罪の王様』はパロディーの形を取りながら、謝罪 の本質を突きながら、実際の方法、戦略を描いている。キャッチフレーズの 1 つ は、「謝って済むから警察はいりません」で、これは俗に言われる謝罪だけでは許 さず金銭等の補償を求める決まり文句である「ごめんで済むなら警察はいらない」 を逆手にとって、やり方次第で謝罪は大きな力をもたらすことを言っているの だ。「謝らなくていい時の謝罪ほど効果的」「謝れと言われる前に謝るべし」などス ピードの他に、十分に行うことの効果を強調しているように思える。これらのアド バイスも、前述の学者の分析する謝罪の本質の琴線にせまるものであると言えよ う。. Ⅳ.組織をめぐる問題 次に組織の切り口から謝罪を考察したい。. ⑴ 組織による影響 謝罪が組織という枠組みで行われる時、個人間の場合と比べて、どのような特徴 が見られるのだろうか。例えば、個人ならば謝罪する / すべきであるところでも、 組織になるとしない / すべきでないという状況は存在するのだろうか。あるいは組 織に所属していることにより、個人はどのような形で謝罪行動を変化させるのであ ろうか。. ⑵ 組織人の行動パターン 組織内では、一般に部下は上司に気を遣うし、また上司も部下に気を遣うであろ う。そこで特に不祥事件を初めとする組織が謝罪しなければならない状況において. ( 130 ). −29−.
(17) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. も、そうした傾向があるであろうことは、理解され易いと言えよう。尾関(2007: 129)はこうした点に関連して、謝罪が必要となる場面での企業のトップと広報部 員との関係を例に以下のように述べている。 「こうした企業が一度、不祥事や経営不振に見舞われると惨めである。トップは 逃げ回り、広報対応が最悪の事態となる。 『日常は夜回り 11 を受けないが、いざと なれば、最前線に立つ』というトップの言葉を信用してはならない。会社が大事 か、社長が大事か、勇気ある広報は「会社をとる」というが、なかなかサラリーマ ンの広報が言える言葉ではない。」 上記のことは、広報部のサラリーマンだけが抱える問題ではない。筆者がある上 場会社の2名の役職者 12 に、インタビューを行い、①自分が部下として上司に対 外的な謝罪をしてもらうよう依頼する場合、②自分が上司として部下から対外的な 謝罪をするよう依頼された場合、に留意する点や気になる点を挙げてもらったとこ ろ、以下のような回答があった。 ・部下として:とても気を遣う。上司に「問題解決能力が低い」と思われる可能 性も含めて、自分の評価にも大いに関わることなので、よほどのことでない限り、 上司に謝罪を依頼するようなことはしたくない。 ・上司として:個別の事案の場合には、できるだけ自分を巻き込まないように指 導している。何故ならば、その種の謝罪の場合には、自分が出てしまえば、さらに 自分の上司が出なければならない事態になりかねず、問題が解決するどころか、エ スカレートする可能性がある。一方、広く世間一般に謝罪しなければならない状況 の時は、全く異なったスタンス、つまり上席者である自分が積極的に出ていく必要 があると考える。 このように組織には個人の行動を一定の方向に導く力学が存在することは、中身 や程度の差はありこそすれ、どこの国にもあり得ると考えてよいだろう。以下のと おり、米国の謝罪の指南本『一分間謝罪法』(ブランチャード(他)2003:30)には、 謝罪を頑なに拒否するボスのことをぼやく若者が登場する。 「最近では、誰かがほんとうのことをいおうとすると、その相手をどなりつけか ねないんです。そのせいで僕も、悪い情報やそれを持ってくる人を上司から遠ざけ るようにしていました。」. −28−. ( 131 ).
(18) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. 合目的な人間の集まりである組織は、程度の差こそあれ、個人の場合と違った行 動を人々にとらせることがあり、結果、謝罪に大きな影響を与え、最適な戦略のあ り方も違ってくるという点は間違いないところであろう。. ⑶ 集団謝罪の心理 「組織」とは、「集団」の一形態であると規定できるだろうが 13、集団における謝 罪の心理について、大渕(2010 前掲)に示された日本人という集団に関わる知見 を紹介しておきたい。これは、日本人が国家レベルの戦争責任問題については、必 ずしも謝罪に積極的ではないという一般に流布する感覚(「日本人の間で謝罪傾向 が強いというと、多くの人が奇異な思いを抱くのは日本の戦争責任問題ではないで しょうか。」(大渕 2010 前掲:133)が代表例)に関して論議されている問題であ る。 これに関して、大渕(2010 前掲:138)は、日本人に比較的多いと考えられる 「水平的集団主義者」は、「仲間を擁護し、それによって自集団の連帯を維持しよう とする気持ちが強い」ことを指摘し、このことが日本人が国家全体として、戦争責 任に関わる謝罪に積極的でないことを説明できるものとしている。このことも、個 人と組織あるいは集団では、謝罪のあり方が変わってくることを示すものと言えよ う。. Ⅴ.新たな事象 ⑴ 新しいメディアの登場 グローバルビジネスパーソンにとっての謝罪戦略を考えるにあたり、特に近時の 問題として勘案しなければならないのは、インターネットや SNS の発達であろ う。特に企業にとっては誤った謝罪行動を取ることによるリスクやコストは大きく 増大していると考えられる。増沢(2014:4-5)は以下のように述べる。 「またインターネットの登場により、情報の伝達力と記録・保存性は劇的に強化 されてきました。事件やスキャンダルを起こしてしまった以上、謝罪は必要となり ます。しかし取り扱いを間違えた謝罪は、かえって事態を悪化させ、インター. ( 132 ). −27−.
(19) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. ネットを介在してその悪化の速度と規模は飛躍的に増大することになったので す。『好ましくない謝罪のシーン』が、ネット上で繰り返し流され拡散し、『本来、 謝罪するべき相手』以外の、まったく関係のない不特定多数の人たちが怒りだし、 それがまた拡散し・・・・という悪循環に陥ります。」 このことは、現代における企業にとっての謝罪戦略の重要性を一層高めていると 言えるだろう。そして、このことはまた、企業にとっては謝罪活動が広報活動や危 機管理と連動して捉えられなければならないことを示唆するものである。. ⑵ 中国人との接触の増加 言語学者による謝罪研究では、異文化という時、かつてそれは欧米、特に米国を 想定し、また日本語との対象言語としては、英語が主たる地位を占めてきた。しか し、ここ 10 年程度の間に中国語 / 中国人を比較対象とする研究や論議が盛んと なってきた。この背景には、日中間の経済的人的な交流が飛躍的に増大し、今や日 米間のそれを凌駕するまでになり、それに伴い、日中間の謝罪の文化差を感じる人 が増えていることを示すものだろう。吉村(2010:2)は、このあたりの事情を以下 のように表現している。 「多くの企業やビジネスマンは、中国人とのつきあい方で悩んでいるのが現実で す。同じアジアの一員とはいえ、日本とは大きく異なる風土・文化や慣習、価値観 の中で育ってきた中国人の考え方や行動様式に頭を抱えているのです。」そして、 吉村(2010 前掲 216-227)は、そうした文化の差がもっとも大きな分野を4つで挙 げているが 14、その一つが謝罪なのである。それによれば「基本的によほどのこと がないと自ら『謝る』という行為をしないのが中国人です。」「つまり、『謝る』と いう罪を認める行為に対して、中国人は日本人ほど寛容ではないのです」と明確な 日本人との違いが存在する。 米国人との比較において、どちらが謝らないかは議論のあるところであろうが、 日本に来る人の数を取って見ても、近年は米国人を圧倒する中国人であるだけに 15、 その違いは中国人の場合の方が大きく感じられ、従い、謝罪をめぐる日中間のカル チャーショックも増えているのであろう。. −26−. ( 133 ).
(20) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. Ⅵ.考察 以上のような様々な知見を俯瞰した結果を踏まえ、本章では本稿の主題である 「グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略」に向けての考察を試みたい。. ⑴ 文化の影響 筆者が考える戦略上の第一の問題は、言語を含む文化の影響の問題である。これ までに接した見解を総合すると、謝罪には、人類普遍の要素とそうではない要素が あり、筆者が冒頭に日本マクドナルド社の事例で想定したように、後者の代表的な ものは文化と組織であると言えよう。以下には、文化と謝罪の関係について一般則 としてまとめたものを紹介したい。 米国の心理学者 Lazare(2004:33-34)は、日本人を異文化の謝罪の代表事例と して挙げた上で、謝罪が高度に文化と言語に関わる事象であることを簡潔に述べて いる。 「こうした観察 16 は正しいのだが、それらは日本人が集団の調和と社会的な繋が りを維持するために惜しみなくかつ頻繁に謝罪するのだという私の主張を否定する ものではない。(中略)以上の短い分析は、日本人の謝罪について完全な分析を行 うものではなく、異なった文化と言語の人々との謝罪のやり取りは、文化への理解 と正確な言語の使用を要求する複雑で難しいプロセスであることを示すものであ る。」(筆者抄訳) また大谷(2008 前掲:26)では、以下のように異言語・異文化が謝罪において大 きな要因であると述べる。 「謝罪とは、共通の言語をもつ話者同士の間でも円滑に遂行するのは難しい発話 行為と言える。ましてや、異なる言語文化を持つ者の間ではなおさらである。異言 語・異文化をもつ話者の間では、謝罪をめぐり誤解や問題が生じることはしばしば である」 以上の方向性は、本稿冒頭の日本マクドナルド社事件に対する一般人の反応を裏 付ける一般論であると言ってよいであろう。. ( 134 ). −25−.
(21) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. ⑵ 組織の謝罪における「場」の問題 次の問題は、ビジネス場面において必然的に派生する組織の問題をどのように整 理し、考えていくかという点である。ビジネスは私的な行為ではないから、ビジネ スにおける謝罪の戦略は、公的な場が前提となり、私的な人間関係における場合と は別の枠組みやルールが期待値として織り込まれねばならない。それではこの場と はどのようなものだろうか。 筆者は、これまでみた知見を総合して、謝罪の公的な場について、謝罪の主体者 と謝罪の相手方との組み合わせによって、表1のマトリックスが成り立つものと考 えた。まず謝罪の主体者であるが、これは大きく謝罪の主体者が個人の場合と、組 織(特にトップ)の場合とがある。特に C と D の区分は、謝罪者自身が加害行為 の直接の行為者そのものであるかどうかの区分とかなり重なるものである。営業を 始めビジネスパーソンとして社外との接点をもてば、謝罪しなければならない状況 は誰にでもある程度発生する。そうした時、その直接の行為者自身が謝罪をし、そ れで完結する場合もあるが、そこで完結しない場合には、上司が出てくることにな る。この上司も責任者であることには代わりがないが、直接の加害行為をした人間 ではないのだから、まさに組織の問題となったと言えるだろう。 もうひとつの謝罪の相手方による区分は、幅広い範囲の顧客あるいは不特定多数 ともいうべき世間一般か、特定の個人か法人かによるものである。前者は、特定の 被害者というよりも、世間全般に損害を与えたり、倫理や信義に反するような行動 があった場合に、広く社会全体に謝罪するもので、後者は特定者に対してのみ謝罪 するというものである。 以上の結果、表1のような4つの領域ができることになり、これはグローバルビ ジネスパーソンが謝罪をする時、自分の立ち位置を確認する指針ともなろう。. −24−. ( 135 ).
(22) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. 【表1】謝罪がなされる公的な場の分類 謝罪の主体者. 世間一般 謝罪の相手方. 組織. 個人. A 企業が起こした不祥事件が典型。 日本では、「世間をお騒がせして 申し訳ありません」などの謝罪記 者会見が行われる。. B ビジネス上はあまり存在しない領 域。個人本人に帰責される世間一 般への謝罪が必要な事案が多いの は、芸能人や政治家を含む有名人. 直接の謝罪主体者は、直接の加害 行為者でない場合が多い(=組織 内の下位者が実際の加害行為者で ある場合が多い). である。自身や家族が起こした不 祥事についての場合が多い。. 特定の相手. C D 企業が起こす場合も多くあるが、 通常のビジネス活動で、頻度とし 多くの場合、公開されずに処理 ては一番多い類型である。 する。個人が主体者の事案(D) が、手に負えなくなって、上司が 出ていくというパターンが典型的 と言えよう。. ⑶ 文化と組織と普遍性の関係 上記に文化と組織について述べたが、謝罪におけるこの両者と普遍性との関係に ついても、ここで整理してみたい。これまで考察したように、文化と組織の両者 は、謝罪の普遍性に一定の要因として働きかけを行い、変質させる力があるが、ビ ジネスの場に限定した場合には、文化に比して組織はより後発的あるいは最終的と も呼ぶべき場所に位置しているように考えられる。 冒頭の日本マクドナルド社の記者会見を例にとれば、そこに登場した個々の人物 は、間違いなくまず個人として何らかの文化の要因に支配されていた。その上で、 そうした個人がビジネスのために集合して合目的な組織に属したとき、さらに組織 としての要因に影響されたのではないだろうか。これを図示すれば、図2のように なり、もっとも外側に来るのが組織の要因であると考えたい。そして、現実の場面 では、これに前述の「場」が関わり、さらに複雑な場合分けが発生するものと考え られる。. ( 136 ). −23−.
(23) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. 【図2】. 組織. 文化. 普遍性. ⑷ 何が「グローバルビジネスパーソンの謝罪」を難しくしているか ① 基礎的な知見の不足 本稿でみたように、謝罪という行為は、人類普遍の現象として説明できる部分が 相当に多い。前述の心理学者や言語学者の学問的アプローチは、そのことを明らか にしている。問題は、こうした知見が一般にあまり知られていないことにあるので はないだろうか。現場からのアプローチ中心のノウハウ本は多いのだが、根底を支 える基礎知識はビジネスパーソンを含めて世間に普及していないのである。これは 言わば基礎医学や解剖論を学ばずに、臨床医学を学ぶ医学生に似たことになり、僅 かの感情的なブレに弱く、あるいは応用が利かないという事態になるのではないだ ろうか。 ② 謝ることの難しさ 個別の要因として、特に多く見られる謝罪の失敗事例の根底にあるものが、謝る ことの難しさに関わる問題である。 ブランチャード(他)(2003 前掲:27)では、以下のような場面が描かれてい る。. −22−. ( 137 ).
(24) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. 「きみの社長の問題もそこにあるのかもしれないね。多くのリーダーの失敗は、 彼らも間違いを犯すということを、なかなか自分に対して認められないところから 始まる。自分の行動の責任を取ることも、リーダーの仕事なんだ。」「人にあやまる うえで最もむずかしいのは自分の過ちをさとり認めることである。」 ケラーマン(2006 前掲:33)も言う。 「企業経営者は、大きな問題やスキャンダルがあると、本能的に否定を繰り返す 傾向がある。」 このような一般則とも言うべき要諦をビジネスパーソンは日頃からよく肝に銘じ ておくことが重要と言えるであろう。 ③ 各学問と実務家知見の意義 序に述べたように、本稿は、謝罪について、グローバルなビジネスパーソンのた めに有用な知見を提供することを目的とする。そのために以上のように、心理学 者、言語学者、社会学者、法律学者、ビジネスマンなど様々な立場と考え方をみて きた。 謝罪の原点が、人間の心の中にあるとすれば、その本質を理解するには、心理学 の知見を正確に理解する必要があると筆者は考える。これまで見たように、実際、 心理学者は、今日までに謝罪についての分析を相当に蓄積しており、示された理論 は非常に納得性が高い。そして、謝罪現象を言語、文化、社会、法律やビジネスと は無関係に分析している点は、ともすれば表面に発現した事象に大きく囚われてし まう誰もがもつ傾向を考えた時、非常に魅力的と言えよう。この心理学者のアプ ローチは、文化や人種、民族の差は存在することはするものの、決定的な要因とは ならない医学者の人体に対するアプローチ、特に基礎医学のそれに例えられよう。 そうした基礎医学的なアプローチとは逆に、言語学者は実際に表明された言葉と いう外的な特徴を捨象して謝罪の現象を分析する。ある形で表現された謝罪に、あ る含意を見てとり、それは言語、文化毎に違うのだというのが典型的な展開であ る。 仮定の話となるが、こうした心理学者や言語学者のアプローチをもってすれば、 長い人類の歴史の中で、現代の資本主義社会(それは高度に整備された市場と法 律、さらには近年ではインターネットなどの高度な通信技術によって支えられてい. ( 138 ). −21−.
(25) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. る)が登場する以前にあっては、それらだけで、謝罪の本質と応用を理解し、戦略 を策定することが十分可能であったものと推定される。 ところが、そうした高度の市場、法律、技術が支配する現代社会にあっては、彼 らに加えて、法律学者やビジネスコンサルタントの人たちの知見が、謝罪を理解し 戦略を立てる上で必要となってきている。法律学者やビジネスコンサルタントの知 見は、現実の場面で、個人が、企業が、上手く謝罪を行う上で必要不可欠なもので あり、彼らの提示する戦略やアドバイスは概ね納得性のあるものと言えよう。医学 に例えれば、まさに臨床医であって、外部環境や立場、状況といった要因で、最適 の治療法は変わってくる。先に述べたように、「まず謝ることが最適である」とは 決して絶対的に普遍的な戦略ではないのだ。. ⑸ 改善への処方箋 以上からグローバルビジネスパーソン、あるいはその組織体であるグローバル企 業に提示するアドバイスの方向性は明らかであろう。最初に指摘しなければならな いことは、謝罪とは非常に複雑で高度な心理上かつコミュニケーション上の問題で あるという点である。 これまでに本稿で示した知見は様々なアドバイスに昇華するが、こうした多岐に わたる見方を吸収することが、実際に発生した事態の中で適切な戦略を立てる上で 極めて有効であることは言うまでもない。それは、巷にあふれるノウハウ本の底の 浅さからだけでは解決できないものだが、そうした基礎の上に立てば、これらノウ ハウ本に示された実務家系の識者の具体的なアドバイスや戦略が非常に生きてく る。つまり、医療に例えれば、基礎系と臨床系の双方があいまって、高いレベルの 謝罪に関わる学習が可能となると言えよう。まさに吉村(2010 前掲:1)が「知っ てさえいれば犯さなくてすむミスがたくさんあります。」と言う通りなのである。. Ⅵ.まとめ 本稿では、謝罪について、グローバルビジネスパーソンにとっての戦略という観 点から考察を行った。その考察に際し、参考としたものには、大きく①学者による. −20−. ( 139 ).
(26) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. 研究 17、②実務者による著作、の2つに分かれるが、前者には、謝罪そのものの本 質的な普遍性を問うもの、あるいは異文化コミュニケーションや言語学 / 外国語学 の知見に基づくものが多いのに対して、後者では、対症療法的なアドバイスが中心 となり、また、個人に対してのものと同様、企業(=組織)としての対応について のアドバイスも多いことがわかった。 これらを分析して見えてきたことは、「謝罪」という人類に普遍的に存在する行 為が、言語を含めた文化という相対的に後発的な要因によって発現の態様が異 なってくるという実態である。それは例えば、「人に不愉快な思いをさせてはなら ない」という普遍の規範が、文化という要因によって、マナーという文化毎に異な るものに進化する過程と似ている。さらに、これに、ビジネスという場が加わり、 現代という時代にあって、組織と言う枠組みにはまった時、謝罪行動はさらに複雑 化し、そのための最適戦略は、古い時代の個人の行動とは違ってくる。 その最適戦略をアドバイスする実務上のノウハウ論的な著作は今日数多くある が、本稿では「グローバルビジネスパーソン」は、それに満足せずに謝罪の本質を 理解することが必要であると指摘した。そうすることによって、実務家系の識者の アドバイスの本質を正しく深く理解できるようになると考えるからだ。グローバル 企業 / グローバルパーソンにとっては、このような謝罪をめぐる複雑な状況を大局 的に捉えた上で、自社・自分自身の実情にあった研鑽を重ねていく必要があると指 摘して本稿を閉じたい。. ( 140 ). −19−.
(27) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. 引用・参考文献 相原茂(2007)『感謝と謝罪』講談社 太田正孝(2008)『多国籍企業と異文化マネジメント』同文館出版 大谷麻美(2008)「謝罪研究の概観と今後の課題 - 日本語と英語の対照研究を中心とした考 察」『言語文化と日本語教育 2008 年 11 月増刊特集号』お茶の水女子大学日本言語文化 学研究会 大渕憲一(2010)『謝罪の研究:釈明の心理とはたらき』東北大学出版会 『外資系転職で幸せになる方法』 (2015/3/31 取得) http://www.mu-kara-yumei.com/ibunka //www.mu-kara-yumei.com/ibunka/ 『外資の実態』(2015/3/31 取得) http://careerthink.info/category5/entry16.html 株式会社決断力 HP:http://www.decision2007.com/theme.php?id=136 ケラーマン、バーバラ(松本直子訳)(2006/8)「CEO の公式謝罪はいかにあるべきか」 『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』ダイヤモンド社 尾関謙一郎(2007)『メディアと広報』宣伝会議 小坂貴志(2007)『異文化コミュニケーションの AtoZ』研究社 佐藤修(2015/2/11)「マクドナルドの『謝罪』は、何を間違えたのか」『東洋経済オンライ ン』東洋経済新報社 (2015/3/9 取得) http://toyokeizai.net/articles/-/60414 須藤美紀;上田智子;上野智恵;熊谷真由子;永野寿彦;森祐美子;横森文(2013)『土下 座の彼方まで』東京ニュース通信社 関根眞一(2007)『となりのクレーマー』中央公論新社 田中正博(2011)『会社を守るクライシス・コミュニケーション』産業編集センター 中島茂(2007)『その「記者会見」間違っています』日本経済新聞出版社 中島茂(2013/11/18 号)「不祥事にカンペキ対応。謝罪会見の教科書」『PRESIDENT』プ レジデント社 則定隆男;椿弘次;亀田尚巳編(2010)『国際ビジネスコミュニケーション 国際ビジネス 分析の新しい視点』丸善株式会社 ケン・ブランチャード、マーグレット・マクブライト(松本剛訳)(2003)『一分間謝罪法』 扶桑社 ク リ ス ト フ ァ ー・ ボ ー ム( 斉 藤 隆 央 訳 )(2014)『 モ ラ ル の 起 源 』 白 揚 社(Christopher Bohem, 2012, Moral Origins: The Evolution of Virtue, Altruism, and Shame). −18−. ( 141 ).
(28) グローバルビジネスパーソンの謝罪戦略 小林. 本名信行;秋山高二;竹下裕子;ベイツ・ホッファ;ブルックス・ヒル(2005)『異文化理 解とコミュニケーション2』三修社 増沢隆太(2014)『謝罪の作法』ディスカヴァー・トゥエンティワン 山崎祥光(2007)「謝罪が訴訟に及ぼす影響」『医療安全』(2007/9 号)学習研究社 吉村章(2010)『すぐに役立つ中国人とうまくつきあうテクニック』総合法令出版 和田仁孝(2007)「謝罪とはなにか?」『医療安全』(2007/3 号)学習研究社. Brown,P.&Levinson,S.C.(1987).. :. Cambridge:. Cambridge University Press Lazare, Aaron (2004).. , Oxford University Press. Pavlick, Donna(2003).. :. , Ohio State Journal on Dispute Resolution Rachlinski, Jeffrey J.; Guthrie, Chris;(2013).. :. , Cornell Law Faculty Publications Tavuchis, Nicholas (1991).. , Stanford University Press. 注 1.本稿の作成は 2015 年 2 月∼ 4 月である。 2.は菱沼秀仁、3.は青木岳彦。ともに日本マクドナルド社の役員で、この記者会見の矢 面にたった。 4.大渕(2010)に示された引用文献 96 のうち、大渕自身が著者であるもの(共著を含む) 11 を除いた 85 のうち、69 が外国人の著者によるものである。 5.Christopher Boehm;南カリフォルニア大学人類学・生物科学教授 6.Austin, J.L. 英国の言語学者;主な著作に How to do things with words, Oxford University Press(1962) 7.Searle, J.R. 英国の言語学者;主な著作に Speech act:An essay in the philosopy of language, Cambridge University Press(1969) 8.山崎(2007)における Sorry Law に関する脚注を引用する。「Sorry Law の内容は、 『共感表明』にあたる謝罪を訴訟における証拠として用いてはならないというものであ. ( 142 ). −17−.
(29) 文学・芸術・文化/第 27 巻第 1 号/ 2015.9. る。米国では、謝罪の文化的位置づけの違いや陪審員制度とあいまって、共感表明です ら訴訟上重要な意味をもっていたと解釈できる。」 9.本稿ではダイヤモンド社が出版する日本語版である DIAMOND ハーバード・ビジネ ス・レビュー誌による。 10.田中(2011)では P 社と表記されている。 11.夜回り:記者が夜に被取材者(この場合は企業のトップなど)の自宅に取材攻勢をかけ ることを言う。 12.被面談者にとって非常に繊細な内容となるので匿名としたい。 13.広辞苑(第六版)では、両語は以下のとおり記載されている。 集団:多くの人や物の集まり。 組織:ある目的を達成するために、分化した役割を持つ個人や下位集団から構成される 集団。 14.具体的には中国人に対して「絶対にやってはならない禁止項目」として、「人前で叱る」 「謝らせる」「一方的な指示」「反論に反論する」の4つを挙げている。 15.日本政府観光局のデータによれば、2014 年に日本を訪れた中華圏(中国本土、台湾、 香港)からの外国人数(6,164,955)は、米国からのそれ(891,668)の7倍弱である。 16.日本人は容易に謝るという印象もある一方で、第二次世界大戦中のアジア諸国への行為 については謝罪に積極的でないという指摘のこと。本引用部分の直前にこの旨の記載が ある。 17.本稿で参照した3つの学問分野(心理学、言語学、法律学)のうち、法律学について は、その視点や手法は、実務家系識者のそれに相当に近い部分がある。. −16−. ( 143 ).
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本論文での分析は、叙述関係の Subject であれば、 Predicate に対して分配される ことが可能というものである。そして o
とディグナーガが考えていると Pind は言うのである(このような見解はダルマキールティなら十分に 可能である). Pind [1999:327]: “The underlying argument seems to be
以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒
けることには問題はないであろう︒
自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から
では恥ずかしいよね ︒﹂と伝えました ︒そうする と彼も ﹁恥ずかしいです ︒﹂と言うのです
これも、行政にしかできないようなことではあるかと思うのですが、公共インフラに