は じ め に
国際法の規律分野の細分化とその規則の精緻化は,科学技術の発展に伴 う事項的および空間的な規律対象の拡大に伴い進行してきた現象だといえ る。そうした中,特に近年では共有天然資源の管理や越境環境損害の防止 をめぐる環境紛争が国際裁判所に提起される例が増加している。 一般にこうした環境紛争は科学的知見の認定を伴う訴訟,あるいは将来 起こりうる損害のリスクをめぐる訴訟であることが多く,この種の訴訟の 増加は証拠と立証に関する困難な問題を提起することになる。こうした訴 訟類型の特徴は,原告が過去の損害や違法性の認定と賠償を求めるという よりも,特定の活動により将来発生しうる人間や環境に対する損害や悪影 響についてのリスクをめぐる争いとなる点である。事実認定や科学的な側 面の強い訴訟の場合には特に,科学的な証拠による立証のために専門家の 助けが必要となる。 そこでは原告によって特定の活動の停止や変更が要 ─ ─161国際裁判における科学的事実認定
―科学的知見の可変性と予防原則の関係を中心に―
西
谷
斉
はじめに 1 科学的事実認定をめぐる諸問題 2 国際裁判における科学的事実認定 3 科学の客観性に対する「幻想」 4 科学的事実認定と予防原則 5 科学的事実認定に対する視座 おわりに求され,専門家によって提供される証拠に基づいて裁判所が科学的事実認 定 についての判断を迫られる場面が生じることになる。 将来発生しうる損害リスクや悪影響の可能性をめぐる裁判は不可避的に 未来指向的な側面を抱えることになり,それは予防原則 との接点を何ら かの形で伴うことを意味する。予防原則の中心的な意義はリスクの科学的 な不明確性という状況下においても何らかの対応や行動を求めることであ るため,それは法廷における科学的な事実認定を相対化させる機能を果た し,従来の科学的立証のあり方に一定の修正を迫ることにもなりうる。つ まり,ここには裁判過程における科学的事実認定の確実性と客観性の問題 に加え,予防原則が主張される場合のそうした事実認定における立証の敷 居への影響という,二層の問題が伏在しているといえる。 本稿ではこのような問題の二層性を念頭に置きつつ,国際裁判における 科学的事実認定の問題について,主に国際司法裁判所(以下「ICJ」)の態 ─ ─162 事実認定は法的な判断を行うための具体的な事実の蓋然性についての判断と いえるが, こうした事実認定に対して確実性と客観性を付与するためにしばし ば自然科学の知見が活用されることがあり,その際に重要となるのが専門家に よって提供される自然科学の知見に基づいた「科学的証拠」である。本稿にお ける考察は, 以上のような事実認定における自然科学の意義と役割についての 一般的な理解に基づいて進められる。 科学的事実認定についての明確な定義は存在しないが,本稿では「一定の科 学的な知見に基づいてもたらされた証拠や資料による事実認定」という意味で この用語を用いることにしたい。 予防原則(precautionary principle)または予防的アプローチ(precautionary approach)と呼ばれる考え方は国際環境法の基本原則あるいは重要な政策指針 として,数多くの条約や国際文書の中で言及されてきた。両者の間には法原則 性の観点に基づくニュアンスの違いが存在するともいわれるが,ひとまず本稿 では一括して「予防原則」と称しておきたい。予防原則は特に1990年代以降, その意義および規範性,政策への影響を含む多様な観点から研究がおこなわれ てきた。予防原則の概要とその意義については,その代表的な定式化であるリ オ宣言原則15のコメンタリーに詳しい。See, Jorge E. Vi uales ed., The Rio
Declara-tion on Environment and Development: A Commentary(Oxford Univ. Press, 2015),
度を中心に考察する。ICJ における事実認定の問題についてはすでにいく つかの先行研究が存在するため, 本稿では特に事実認定における科学と 予防原則の接点に着目する形で検討をおこないたい。まず,内外の司法 過程における科学的事実認定の意義を確認した上で,ICJ を中心に国際裁 判所の態度を検討する。次に,科学的知見の客観性の限界を指摘し,科学 的事実認定と予防原則の関係について考察する。最後に,予防原則が果た しうる独自の役割に着目しつつ,国内裁判と国際裁判における科学的事実 認定についての共通の視座を与えることを試みたい。 ─ ─163 例えば,中島啓『国際裁判の証拠法論』(信山社,2016年)。同書は,実際の 国際裁判における証拠調べを背後から規定している事実認定の性格理解そのも のの再考という観点から理論分析をおこなっている。 同書の著者の表現を使え ば,事実認定の「正しさ」を問い直し,証拠法論を再構成することの試みであ る。これは具体的には国際裁判における事実認定を客観的な真実の発見として ではなく,裁判の目的実現の手段としてある意味で相対化させる視点であると 思われる。また,The Law and Practice of the International Court の著者として有 名なロゼンヌの晩年の著作集にも ICJ における事実認定に関する論稿が含まれ ている。Shabtai Rosenne,‘Fact-Finding before the International Court of Justice’ in S. Rosenne, Essays on International Law and Practice(Martinus Nijhoff, 2007), 235250. さらに次の文献も参照。James Gerard Devaney, Fact-Finding
before the International Court of Justice(Cambridge Univ. Press, 2016). 同書で
は ICJ が示してきた事実認定に対する「消極的アプローチ(reactive approach)」 の問題性を指摘したうえで,「積極的アプローチ(proactive approach)」へ転 換することが提起されている。ただし,著者のデヴァネイは本稿が対象とする 科学的事実認定が裁判過程に与える影響の問題性について一定の理解は共有す るものの,そうした問題は投資紛争や WTO における紛争が取り扱う複雑な問 題についても同様であるとして,科学的事実認定の問題を単独では取り上げず に考察する立場をとっている。Ibid. at 7678. しかし,科学的事実認定の問題は 単なる「複雑な事実認定」の問題ではなく,自然科学の知見そのものに内在す る相対性および本稿でも触れる予防原則が裁判所による科学的事実認定に与え うる影響の観点からやはり独自の問題性を孕んでいるように思われる。従って 本稿では科学的事実認定の問題を独立して取り上げて検討する。
この点については次の文献が参考になる。Caroline E. Foster, Science and the
Precautionary Principle in International Courts and Tribunals(Cambridge Univ. Press,
1 科学的事実認定をめぐる諸問題
科学的事実認定の意義 具体的事実の蓋然性を基礎づける事実認定は,裁判において法的な判断 をおこなうために必要不可欠な作業である。その意味で自然科学の知見に 支えられた科学的証拠は,事実認定の客観性と確実性を向上させるために は有益である。そこには,自然科学が提供する客観性と確実性が法廷にお ける中立性を事実認定にもたらすという,法律家および紛争当事者の側に みられる,ある種の信頼が存在する。それと同時に,裁判所における司法 手続に対してもまた,政治的な利害関係から超越した,公平かつ客観的な プロセスの下で紛争が解決されるという社会一般からの期待と信頼が存在 している。 科学技術の進展に伴い,現在の国際法は多様な分野を規律するように なっている。国際法の適用範囲の空間的な拡大―例えば南極,宇宙,深 海底など―は科学技術の発展過程とともに推移してきたと言え,また, オゾン層保護や地球温暖化防止のように新たな科学的知見の登場が国際立 法を刺激した例も認められる。いずれにせよ,国際法の規律が多岐にわた るにつれ,科学的・技術的な問題を含む紛争が多く国際裁判に付託される ようになり,結果として科学的事実認定の問題に裁判官―ここには当然 ICJ の裁判官も含まれる―が直面することが多くなっていることは否定 することのできない事実であろう。 現代のような相互依存的なグローバル社会においては,原因物質による 影響や潜在的なリスクそのものが国境を越えて拡散する現象が広くみられ る。例えば国内における産業活動や開発行為によって住民が受けた物理的 ないし精神的な苦痛といった有形無形の損害については,事前または事後 ─ ─164の調整や救済をどのように確保するのかが問われることになる一方,リス クの国境を越えた拡大や越境汚染損害が発生したような場合には適当な国 際機関を通じた国家間の協力や関係国自らによる事前または事後の対処が 求められることになる。これらのうち,国際裁判の提起による汚染原因国 に対する責任追及は事後的な対処・救済手段の一つということになる。こ うした場合の国際裁判における科学的事実認定は,原因行為の違法性の認 定,損害の発生,そして原因行為と損害の因果関係の認定という3つの段 階において問題となりうる。 このような事後的な損害賠償を求める環境 紛争において,科学的証拠は原因と結果を結び付ける因果関係を構築する 上でとりわけ重要な役割を果たしうる。 国際法の規律分野の細分化と規範の精緻化の一方で,共有天然資源の管 理や越境環境損害防止に関する既存の国際法規範は偶然かつ可変的な事実 の存在を前提とした規定ぶりであることも多く,合理的な利用,相当の注 意,重大な損害などの概念に代表されるようにその規範的内実は不明確で あることが多い。そうした抽象的な規定を解釈適用するのは裁判官である。 かくして,国内裁判と同様に,国際裁判においても健全かつ有権的な法と 事実の同定が司法手続的には不可欠となる。付託された紛争が含む諸事実 の全体から関連する諸事実を取捨選択した上で,適用されるべき法を同定 し適用するのは裁判所の役割である―jura novit curia(“裁判所は法を知 る”)。 その際,裁判官は紛争当事国の双方が提出し, 立証しようとする
─ ─165
Jean D’Aspremont, Makane Mo se Mbengue,‘Strategies of Engagement with Scientific Fact-finding in International Adjudication (2014)5 Journal
of International Dispute Settlement, 24950. なお,この点は国内裁判においても同
様であると思われる。
この原則が持つ法的基盤を確認したうえで ICJ におけるその適用実態につい て批判的に考察するものとして次の論稿がある。杉原高嶺「国際司法裁判所に おける jura novit curia 原則―近年の裁判例を顧みて」『国際法外交雑誌』第109 巻3号(2010年)128頁。
事実に基本的には依拠するのであり,裁判官が自ら事実を作り上げること はない。事実の問題については基本的に紛争当事国がその証明責任を負う ことを前提に,裁判官は,事実認定の過程において紛争当事国双方の主張 を照らし合わせながら提起された事実を一定の裁量の範囲内で取捨選択し ていくのである。 仮に裁判を「相対立する当事者の主張を素材にして,法律の専門家であ る裁判官が,通常人の経験則に照らして事実を認定し,法を尺度として当 事者の主張の当否を判定する手続」 とするならば,裁判における事実認定 は, 裁判官の重要な仕事として位置づけられることになる。 例えば民事 裁判における事実認定は,当事者が提出した証拠などに基づき,推理・推 論によって,主要事実の存否を判断していく作業であり,そこにおいては 人間の行動パターンに関する「経験則」がとりわけ重要な役割を担うこと になるといわれる。その意味で,裁判における事実認定は最終的には「裁 判官の自由心証による総合的な判断」に委ねられているといえるだろう。 だが,こうした裁判所による事実認定は,科学的な事実認定の場合には困 難な問題を提起することがある。というのも,裁判官は法の専門家であっ て科学の専門家ではないからである。科学的な事実認定は科学的な方法論 の世界に位置するため,法律論を駆使するだけでは科学的な知見は得られ ないのである。 ─ ─166 原田尚彦「科学裁判と裁判官」『ジュリスト』No.700(1979年)233頁。 渡辺千原「裁判と科学-フォーラムとしての裁判とその手続のあり方につい ての一考察」『法と社会研究』第1号(2015年)122頁。 手嶋あさみ「民事裁判における事実認定の構造」『法哲学年報2013』(2014年) 110頁。同論稿において手嶋は「暗黙知」としての事実認定の構造を経験的に整 理・分析している。 「上掲論文」107頁。
「ハイブリットな問題」としての科学的事実認定と法的判断 科学的事実認定は従来型の事実認定の側面,つまり経験の蓄積による事 実の確定という側面を有すると同時に,別の側面,すなわち,依然として 知見が必ずしも明確化していない段階における事実の確定性について判断 をおこなう―見方を変えれば事実の不明確性を暴露する―という側面 も有している。このように科学的事実認定は「ハイブリットな性質」を持 ち合わせており,その意味では,従来型の事実認定が真実性ないし正確性 (veracities)の確認であるのに対し,科学的な事実認定の場合には蓋然性 (probabilities)の宣明という側面が大きくクローズアップされることにな る。科学的な側面の強い訴訟について判断を求められた裁判所は, こう したハイブリットな問題に対処しなければならないことになる。 もっとも,裁判における事実認定は基本的に歴史的事実の推理であり, 自然科学におけるような絶対的な真実を探求することが求められるわけで はない。そこでは自然科学的な証明は必要ではなく,真実についての「高 度な蓋然性」があれば足りる。 自然科学における因果関係とは異なり, 法的因果関係においては,例えば科学的知見に争いがある場合には,「社 会的経験と共通する間接事実をできる限り認定することにより,その特定 の事件に限ったストーリーを構築して,原因や因果関係を認定しようとす る」ことになる。だが, こうした「ストーリーの構築」は科学の専門家 ではない裁判官にとってはしばしば困難を伴うことが予想される。 かつ ─ ─167
Jean D’Aspremont, Makane Mo se Mbengue, supra note 6, at 246. 手嶋「前掲論文」(注)109頁。 最判昭50年10月24日民集29巻9号1417頁。 中村多美子「不確実な科学的状況下での裁判」『現代法の動態法と科学の交 錯』(岩波書店,2014年)44頁。 「科学の判定は,裁判官の専門的能力の外にあり,この点について誤った判断 を下す危険は,法的判断の場合よりも,はるかに大きい。ここに,科学的争点 をめぐる裁判運営上の問題の深刻さがある。」小島武司「科学と裁判」『判例時
て最高裁が述べたように,裁判所が扱いうる対象はあくまでも「法律上の 争訟」であり,「法令の適用によって解決するに適さない単なる政治的ま たは経済的問題や技術上または学術上に関する争いは,裁判所の裁判を受 けうべき事項ではない」 とすれば,科学的争点を伴う裁判については,裁 判所はもっぱら手続的な側面に着目をするべきで,それが望ましい司法権 による関与の仕方なのか,あるいは裁判所は専門的・技術的な裁量事項に ついても積極的に実体審査を行うべきなのか,という実際的な疑問が生じ ることになる。 ICJ については,今後ますます科学的な事実認定が争われるような類型 の訴訟が増加していくことが予想される中,やはりこうした専門的あるい は技術的な問題についての判断を回避することは困難になっていくように 思われる。それは ICJ における実際の事実認定をどのような方法論の下で 実施するべきかが不断に問われ続けることを意味する。すなわち,もっぱ ら法認定の専門家である裁判官の判断に任せるべきか,あるいは伝統的な 事実認定の方法論を重視する形で紛争当事者の証明責任として捉えるのか, あるいは外部の専門家に委託するという独立した裁判手続の問題として位 置づけるべきか,である。もっとも, 実際には付託された紛争の背景や 争われている科学的な知見の性質等に鑑みてこれら3つの立場を使い分け ていくことになると思われる。裁判官はその任務の一環として事実を確定 し,その真実性ないし正確性を認定しなければならないが,先に述べたよ うに科学的な事実認定は蓋然性の問題を伴うことが多い。そうした中,と ─ ─168 報』950号(1980年)89頁。 最判昭和41年2月8日民集20巻2号196頁。 小島「前掲論文」(注)10頁。
Jean D’Aspremont, Makane Mo se Mbengue, supra note 6, at 247. ダスプ ルモンらは科学的事実認定において裁判官がとりうる4つの態度を紹介してい る。Ibid. at 251262.
にかく ICJ の裁判官たちは不明確性をできるだけ排除したうえで何らかの 形で事実として確立させることを試みてきた。 だがいずれにせよ, 裁判 所による判断はたとえ科学上の判断を基礎にしているとしてもそれは独自 の法的判断なのであり,それによって科学上の争点に決着を付けるわけで はないことには留意しなければならない。 この点については後にあらた めて触れる。
2 国際裁判における科学的事実認定
専門知の ICJ への導入手段 以上のように科学的事実認定を特徴づけた場合,専門家が有する科学的 な知見をどのように裁判過程へ取り込むのかが次に問われなければなけれ ばならない。ICJ の裁判において専門家の知見を取り入れる方法には,大 別すれば,紛争当事国による提供,弁護人からの科学的知見の提供,行政 機関により作成された証拠の提供, 紛争当事国が任命した独立鑑定人 ( experts ) による知見の提供,国際機関による情報提供,現地視察, 裁判所が任命した鑑定人による知見の提供, 専門法廷の設置 などを挙 ─ ─169 James Gerard Devaney, supra note 4, at 75. 小島「前掲論文」(注)9頁。 以上の紛争当事国,弁護人,行政機関などによる情報の提供は ICJ が命じる ことも可能である(ICJ 規程48条,49条,ICJ 規則62条1項を参照)。 「鑑定人」は experts の公定訳である。以下,本稿においては便宜上「鑑定 人」と「専門家」という用語を互換的に用いる。 ICJ 規程34条2項は国際機関に対する情報の請求権限と情報の受領について 規定しているが,これまでこの制度が積極的に活用されてきたとは言い難い状 況である。 ICJ 規程44条2項が定めており,ガブチコヴォ事件において実地査察が行わ れたのがこれまで適用された唯一の例となっている。 規程50条および規則62条2項が調査と鑑定の嘱託について規定している。調げることができる。この点,ICJ の実行は職権主義的な運用に基づく鑑 定人の選任と利用については積極的ではなく,むしろ,紛争当事国間に存 在する協力的態度に依拠した当事者主義的な運用,つまり紛争当事国に対 して自らが鑑定人を選任することを促すことが多いようである。そして, このように紛争当事国のそれぞれが自然科学に基づく知見を資料として提 供する場合,裁判所は紛争当事国双方が提出する科学的証拠に関する資料 について評価するという困難な任務に直面することになる。 科学的事実認定に対する ICJ の消極的態度 そうした事情も影響しているのか,概して ICJ は科学的事実認定へ踏み 込むことに消極的である。ICJ の消極的な態度は例えば核兵器勧告的意 見,ガブチコヴォ事件,パルプ工場事件 などで顕著である。このよう ─ ─170 査についてはメイン湾境界事件,鑑定についてはコルフ海峡事件においてそれ ぞれ実施された。 1993年に設けられた ICJ の環境専門法廷(環境問題裁判部)が知られるが, 同法廷はこれまで一度も利用されていない。なお,ICJ の機関ではないが海洋 法条約附属書Ⅷ法廷もここにいう専門法廷に含めてよいだろう。
以上の諸形態についての考察については次を参照。Caroline E. Foster, supra note 5, at 77131.
中島『前掲書』(注)196201頁。日本の訴訟手続における専門家の関与の 方法としては鑑定人による鑑定書の作成(および鑑定人による法廷での証言) が代表的であるが,一般的には紛争当事者が選任する専門家による専門家証人 が広く利用されているようである。渡辺「前掲論文」(注)119頁。 Caroline E. Foster, supra note 5, at 84.
Legality of the Threat or Use of Nuclear Weapons, ICJ Reports 1996, p.226, at para.15.
Gab kovo-Nagymaros Project(Hungary v. Slovakia), Judgment, ICJ Reports 1997, p.7, at para.54.
Pulp Mills on the River Uruguay(Argentina v. Uruguay), Judgment, ICJ Reports 2010, p.14, at para.168. もっとも,同事件において ICJ は提出さ れた資料や研究を一顧だにしないと述べているわけでなく,あくまでも自らの 決定により事実認定し,法を適用するとしている。Ibid.
な ICJ の態度に対しては,パルプ工場事件がそうだったように,判決の反 対意見等において外部の専門家への委託を通した ICJ による科学的事実認 定に対する積極的な関与を主張する反対意見が示されることもある。こ うした裁判所の消極性の原因は必ずしも制度面での不備に帰することはで きない。なぜなら上でみたように ICJ 規程50条は裁判所に鑑定人の意見を 求める権限を与えつつ,その具体的な手続を規程51条および ICJ 規則67条 で定めることにより,調査や鑑定の外部委託の可能性を認めているからで ある。 もちろん,こうした権限に基づいて外部の専門家に委託した例は存在す る(これまでコルフ海峡事件,メイン湾境界事件の2例のみが知られる)。 しかし,紛争当事国が専門家の知見を獲得するよう求めた場合であっても ICJ はその多くを拒絶してきた。例えば陸・島及び海洋境界紛争(エルサ ルバトル/ホンジュラス)事件で裁判所はエルサルバトルによる現地での 証拠収集や専門家の鑑定意見についての要請を退けている。また, ガブ チコヴォ事件において裁判所は紛争当事国による様々な科学的な証拠の提 出にも関わらず,付託協定で求められた事項に回答するうえでは必要でな いという理由により調査や鑑定人の嘱託をすることもなく科学的な問題に ─ ─171 アルカサネとジンマはその共同反対意見においてこうした裁判所の態度を厳し く批判している。Pulp Mills case, Joint Dissenting Opinion by Judges Al-Khasawneh and Simma, ICJ Reports 2010, 108. なお,WTO の紛争解決制度 においては科学的事実認定の問題が外部の専門家への委託および相互の意見交換 として制度化されている。See, Caroline E. Foster,‘The Consultation of Inde-pendent Experts by International Courts and Tribunals in Health and Envi-ronment Cases (2009)20 Finnish Yearbook of International Law 391, at 39394. なお,PCIJ 時代に裁判所によって専門家が任命された唯一の例としてホル ジョウ工場事件がある。Case Concerning the Factory at Chorzow(Claim for Indeminty)(Merits)Series A No.17.
Land, Island and Maritime Frontier Dispute(El Salvador / Honduras), ICJ Reports 1992, p.351, at paras.22, 65.
ついての判断を避けている。 科学的な事実認定についてのこうした消極姿勢 はパルプ工場事件でも 顕著であった。同事件でアルゼンチンはウルグアイが様々な実体的義務の 違反,例えば,河川の最適かつ合理的な利用の義務,生態系のバランスに 変化をもたらさない義務,水質を維持する義務,河川の汚染防止義務など の義務に違反したと主張した。つまり同事件において ICJ は,両国間の 1975年条約が定める手続的義務にウルグアイが違反したかどうかという問 題に加え,同国が1975年条約の実体的な義務にも違反したかどうかについ て判断することを求められていた。特に後者の点について判断するために は両当事国それぞれによって提出された専門的かつ技術的な証拠資料につ いて検討することが不可避だったはずだが,裁判所は結局それらの証拠に ついての検討はおこなわずに,また外部鑑定人への嘱託もおこなうことな く, 裁判所自ら認定した事実に基づいてウルグアイが実体法上の義務違 反はおこなわなかったとの判断を下したのである。独立の鑑定人が招請さ れず,またガブチコヴォ事件のときのような現地視察も実施されることは なかったため,結局 ICJ は提出された証拠だけをもとにして自らの判断に よって事実認定をおこなったことになる。本件におけるこうした ICJ の態 ─ ─172
Gab kovo-Nagymaros Project(Hungary v. Slovakia), Judgment, ICJ Reports 1997, p.7, at para.54. もっとも,判決の後半部分で裁判所は両当事国 が提出した報告書や資料が,それぞれの結論はしばしば異なるとはいえ,計画 されたダムの環境に対する影響の大きさに関する証拠となっていることを認め ている。Ibid. at para. 140. デヴァネイは ICJ の消極性の原因として,文書による証拠の優遇,広範な証 拠の許容性,紛争当事国の主権の存在,伝統的な司法機能の維持・尊重を挙げ ている。James Gerard Devaney, supra note 4, at 3043.
ガブチコヴォ事件のときと同じように,パルプ工場事件でも専門家たちはい ずれかの紛争当事国側の「弁護人(advocates)」として参加していた。Caroline E. Foster, supra note 5, at 89.
度については例えばアルカサネとジンマの共同反対意見 に見られるよう に複数の判事が批判している。 ICJ の姿勢の変化? ICJ の消極姿勢に対し,その他の国際裁判所の中には暫定措置や判決に おいて独立の専門家委員会の設立を命じる,または勧告するものがあり, それが紛争の終局的な解決へと結びついた例がある。例えばジョホール海 峡事件において国際海洋法裁判所(ITLOS)はシンガポールの行為の影響 を調査するための独立専門委員会の設立を暫定的措置として命じ,結局, それが最終的な解決へとつながった。また,鉄のライン事件では「求めら れる環境保護の水準の遵守を達成するのに十分な措置が何であるかについ ての科学的に相当に複雑な問題」について調査し,紛争当事国間における 負担の公平なバランスを実現する目的で,仲裁裁判所によって独立の専門 家委員会の設立が勧告された。 このように国際裁判所が専門的技術的な 問題を外部の第三者である専門家に委託する例も散見される。 もっとも,近年は当事国に科学的な知見の立証を任せることによって, ICJ もできるだけ科学的知見に依拠した決定を試みるような例がみられる ようになっている。例えば南極海捕鯨事件 では,紛争当事国であるオー ストラリアと日本がそれぞれ鑑定人を招致したが,それら専門家による証 言は,日本の調査捕鯨が国際捕鯨取締条約(ICRW)8条のいう「科学的 ─ ─173
Joint Dissenting Opinion by Judges Al-Khasawneh and Simma, supra note 34. Land Reclamation by Singapore in and around the Straits of Johor(Ma-laysia v. Singapore), Provisional Measures, ITLOS No.12(8 October 2003), para.106 .
Iron Rhine Arbitration(Belgium/Netherlands), Award(24 May 2005), RIAA XXVII, pp.35125, at para.235.
Whaling in the Antarctic(Australia v. Japan: New Zealand intervening), Judgment, ICJ Reports 2014, p.226.
研究のため」であるか否かを ICJ が判断するにあたり事実認定や心証形成 面において相当程度の影響を与えたように思われる。ただし,同事件で ICJ が示した科学的事実認定についての積極的な態度に対しては,法と事 実の峻別の必要性という観点から批判も提起されている。 ICJ は近年になって多くの科学的ないし技術的な事項を多く含む複雑な 訴訟を扱うようになっている。それらは量的にも質的にも ICJ に大きな負 担を与えつつある。 だが国連の「主要な司法機関」(国連憲章92条)であ る ICJ はそれらの紛争の付託から逃れることはできないし,今後は益々そ うした訴訟に直面することになると思われる。もちろん,ICJ は紛争解決 機関であり,事実認定はその終局目的のための一つの手段に過ぎない。ICJ は普遍的な真実を認定するための機関ではない(これについては国内裁判 所も同様であろう)。しかし,そうであるとしても ICJ は紛争当事国が提 出する,「関係事実」が陳述された申述書(Memorial)に基づいて手続を 進めるのであり,当然ながら事実認定を避けて通ることはできないのであ る。かくして ICJ の健全な司法機能のためには健全な(科学的)事実認 ─ ─174 坂元茂樹「捕鯨取締条約における『科学的研究』の意義―南極捕鯨事件判 決とその後の展開」『日本海洋政策学会誌』第5号(2015年)710頁。特に鑑定 人の見解は科学的評価という事実的側面を通して条約解釈に影響を与えたとい える。「上掲論文」10頁。さらに,日本側が招致した鑑定人がサンプル数の設定 に関する明確な説明をおこなわなかったことや日本の捕獲計画の一部について 支持する姿勢を必ずしも示さなかったことは,裁判所の最終的な判断について 日本側に不利に働いたとみることができるかもしれない。 稲本守「南極海調査 捕鯨に関する国際司法裁判所判決―その分析と今後の課題」『人間科学研究』 第12号(2015年)2627頁。なお,ICJ は日本の調査捕鯨が科学的研究を目的と するものであるかどうかを判断するために,(ICJ によれば)客観的な「審査基 準(standard of review)」を適用した。ICJ がこの概念に明示的に依拠したの は本件が初めてであるという。中島『前掲書』(注)283頁。
「上掲論文」(坂元)79頁;「上掲論文」(稲本)2930頁。
ICJ 規程36条2項が「事実の存在(the existence of any fact)」についての ICJ の裁判管轄権を認めていることにも留意されたい。
定が求められることになる。 しかし,こと科学的な事実認定においてはその前提となる科学的知見そ のものの普遍的な客観性を相対化させる視点も必要である。次章ではこの 点について検討してみたい。
3 科学の客観性に対する「幻想」
科学的知見の可変性 科学的知見があるリスクに関する社会的な判断にとって重要な材料とな るのは事実であるが,それは科学者に意思決定や価値判断を移譲してよい ということを当然意味しない。科学的な妥当性と社会的な妥当性はその目 的や判断基準が異なっているからである。 同様のことが裁判における科 学的事実認定についても言えるだろう。いうまでもなく,事実認定は裁判 において法的な判断をおこなうために必要不可欠な作業である。それゆえ, 自然科学の知見に支えられた科学的証拠に対して事実認定における客観性 と確実性を向上させる役割を期待することは理由の無いことではない。し かしそこには自然科学に裏付けられた科学的証拠が事実認定に客観性と確 実性を付与することで司法過程そのものにも中立性をもたらすだろうとい う,法律家や紛争当事者にみられる,ある種の盲目的な信頼が存在してい るといえる。 そもそも,科学的な事実認定が争点となるような訴訟は,多くの場合, 問題となる科学的知識が明確に確立する前の段階,すなわち不確実性が多 ─ ─175 尾内隆之・本堂毅「御用学者がつくられる理由」尾内隆之・調麻佐志編『科 学者に委ねてはいけないこと―科学から「生」をとりもどす』(岩波書店,2013 年)26頁。 「自然科学による証明は法のそれより厳密であるという幻想が,法律家の間で 生き続けている。」中村「前掲論文」(注)45頁。く残っている状態であることが多い。科学的な知見に唯一の解が存在す るというのは「幻想」であることを,非専門家である行政関係者や法律家 および市民は認識しなければならない。例えば,専門家(“御用学者”)の 主張に対抗するため,しばしば対抗専門家が代替的な主張をおこなうこと があるが,その主張でさえも常に正しいとは限らないのである。つまり, 「『客観的』な,あるいはゆるぎない単一の知識があると言えないのが,今 日の科学や科学技術の特性であり,かつ,科学研究や技術の社会的側面を 踏まえるなら,利害関係をもたない中立な専門家がいるという発想も,幻 想だと考えたほうがよい」ということになる。 加えて,このことは DNA 鑑定のような一見確立した知見と思われる科 学的証拠の無謬性を意味するわけでもない。確かに,確実性と客観性に富 む科学的証拠は,国内刑事裁判においてもその果たす役割が拡大しつつあ ることが指摘されている。ただし,DNA や指紋といった科学的証拠は一 定の役割を帯びて法廷に提出されることに留意が必要である。つまり,そ れは生の事実や世界の真実として示されるのではなく,あくまで「証拠」 として示されるのである。それが人間によって形成され,評価される以上, そこには常に一定の危険性ないし限界が存在していることを認識しなけれ ばならない。科学的な事実はそのままでは裁判上の事実, つまり客観的 ─ ─176 本堂毅「科学者からみた法と法廷」『現代法の動態 法と科学の交錯』(岩波 書店,2014年)70頁。 尾内・本堂「前掲論文」(注)2728頁。 「上掲論文」29頁。 司法研修所編『科学的証拠とこれを用いた裁判の在り方』(法曹界,2013年) 1頁。 同書では,DNA 鑑定を中心に科学的証拠を刑事裁判に取り入れていく ための方策や留意点が検討されているが,そこでは科学的証拠が裁判において 問題になる場面として,資料からの情報の取得,および取得された情報を解析・ 検討する際の2つがあることが指摘されている。『同上書』4頁。
Sheila Jasanoff,‘Just Evidence: The Limits of Science in the Legal Process (2006)34 Journal of Law, Medicine & Ethics, 328341.
な証拠になるわけではなく,それは常に専門家による認定を経る必要があ る。言い換えれば,事実は専門家の主観的なフィルターを通して法廷に提 示されているのである。 「集団的な判断形成過程」としての科学裁判 科学的な証拠や事実認定が主要な争点であるような裁判(「科学裁判」) の目的は,所与の科学的事実から精確な科学的予測を導き出すことではな い。そうした場合, 裁判所は科学的な因果関係の詳細に立ち入ることな く,法的論理,法的思考,そして究極的には正義や衡平に従って法的因果 関係を認定するのが一般的であろう。むしろ科学裁判における法律家の役 割は,起こりうる被害が仮に発生した場合,紛争当事者にどのような結果 が発生し,その結果を受忍するべきか否かを既存の経済社会制度などに鑑 みて総合的に判断することであるともいえる。 つまり, そこでは自然的 な因果律の認識についての終局的な決着をもたらす代わりに,一定の法的 な価値判断や法的推論に依拠する形で公平な紛争解決が目指されるのであ ─ ─177 本田克也「刑事裁判の事実認定と法医学」『判例時報』2373号(2018年)133 頁。「専門家という名を借りると,どのような偽証をしてもそれを否定できる人 がいないため,法廷ではそれが正しいとされる,という怖い面があることは指 摘しておかなければならない。」「足利事件の悲劇は DNA 鑑定にあるのではな く,それを実施した鑑定人が嘘の証言をたくさんしてきたところにも問題があ ることを見逃すわけにはいかない。」「上掲論文」129頁。科学的証拠の判断者は 非専門家であるゆえ,その内容の認識や信用性の評価の段階において問題が生 じうる。そのため,特に刑事裁判の場合には科学的知見による断片的な事実の 証明がそのまま要証事実の全体が証明されたような錯覚に陥る危険性があるこ とを常に認識しておく必要がある。司法研修所編『前掲書』(注)1920頁。 むろん,このこととは別に,「科学的証拠の信頼性を支えるのは,その基礎とな る科学的理論の正確性であり,具体的検査方法の確実さである」ことは言うま でもない。『同上書』54頁。 中村「前掲論文」(注)56頁。 「上掲論文」
る。国内の科学裁判であれば,例えば公害裁判の原告が仮に勝訴した場合 であっても,原因(化学物質)と結果(疾病の発生)についての科学的論 争に終止符が打たれるとは限らないということである。 現代に多くみられるようになった科学裁判は,いわば「同種類型を取り 扱う一群の裁判による集団的な判断形成過程」 であるともいえ,そうした 集団的な判断形成のプロセスにおける「個々の裁判における司法判断もま た,その時点での暫定的な結論に過ぎず,流動的で可変なもの」として捉 えるべきであろう。裁判における科学的証拠の有用性は否定できないも のの,それに対する盲目的な信頼やリスクの判断における専門知識への過 度な依拠から司法過程を相対化させる視点も必要であるように思われる。 さらに,予防原則の登場とその裁判過程への適用の主張は,科学的事実 認定が持つ確実性や客観性(の幻想)とは異なる次元の問題を招来する。 それは科学的な不明確性が支配している状況下でどのように事実認定を行 うべきかという問題である。
4 科学的事実認定と予防原則
科学的不確実性と予防原則 人間活動の拡大は身近な自然環境だけでなく,地球環境そのものに対し ても大きな負荷を与え続けてきたが,そうした状況の継続により我々の生 命や健康に対する様々なリスクがもたらされてきた。今や国内および国際 社会におけるリスク管理は現代の重要課題であるといってよい。一般にリ スクは発生可能性のある有害事象とそれが実際に起こる確率の積として定 ─ ─178 「上掲論文」50頁。 「上掲論文」55頁。式化されるが,特に科学的に不確実な潜在的リスクへの対処は, 結果発 生の蓋然性についての科学的証拠や,発生する結果そのものについての科 学的知見に不確実性が存在する場合には一層困難な問題となる。 こうした生命や環境,人体に対するリスクに対応するためにしばしば予 防原則に依拠する形で法制度が構築される場合があり,とりわけ国際環境 法分野では多くの条約や国際制度が形成されてきた。その代表的な定式化 である1992年のリオ宣言の原則15は,深刻または不可逆的な被害のおそれ がある場合にはたとえ完全な科学的確実性が欠如していても環境を保護す る対策を講じる必要があること,さらに,そうした科学的確実性の欠如を 理由にして,環境悪化を防止するための費用対効果の高い対策を延期して はならない, と定める。 他の国際文書や条約規定の内容を合わせれば, 「損害発生のおそれがあるがその科学的確実性が十分に認められない場合 であっても,環境悪化を未然に防止するための措置をとらなければならな い」というのが予防原則の基本的な考え方だといえるだろう。予防原則が 科学的証拠の優位性を否定する考え方である と称される所以である。 ─ ─179 本堂「前掲論文」(注)74頁。 原則15の実際の規定は以下の通りである。「環境を保護するため,国により, 予防的な取組方法がその能力に応じて広く適用されなければならない。深刻な 又は回復不可能な損害のおそれがある場合には,完全な科学的確実性の欠如を, 環境悪化を防止するための費用対効果の大きい対策を延期する理由として援用 してはならない。」Rio Declaration on Environment and Development, 13 June 1992, UN Doc.A/CONF.151/26.Rev.1.
Caroline E. Foster, supra note 5, at 18. さらに予防原則の適用が科学的事実 認定における立証責任の転換を導くと主張されることがあり, 実際に国際裁判 でも当事国の一方によってそうした主張がなされている。だが,こうした立証 責任の転換が国際裁判において認められているとは言い難い。 例えばパルプ工 場事件で ICJ は事実についての立証責任が原告であるアルゼンチン側にあるこ とを確認するとともに,予防原則が立証責任を転換させることはないと明確に 結論付けている。Pulp Mills on the River Uruguay(Argentina v. Uruguay), Judgment, ICJ Reports 2010, p.14, at paras.162164.
裁判における予防原則の援用 一般に,損害賠償請求訴訟の場合の科学的争点は「原因」をめぐるもの となり,差止訴訟においては「リスク」をめぐるものとなる。 裁判や行 政上の決定にあたっては,その時点での決着が必要とされるのであり,そ うすると,明確な科学的解決がいまだ存在しない,あるいは理論的な対立 状況にあるような科学的争点を含む紛争において裁判所は,不確実性が支 配する状況の中で最善の判断を下すという困難な役割を迫られることにな る。例えば差止請求では原因が引き起こすと思われる結果についての可能 性や確率をめぐる争いとなるが,その場合には環境損害の原因そのものに ついて科学的証拠を用いて判断するのではなく,将来的なリスクに鑑みた 科学と政策が混在した複雑な認定をおこなうことになる。 リスク評価に関する専門知の状態を細かく「リスク」,「不確実性」,「多 義性」,「無知」の4種類に類型化した場合, とりわけ「無知」の状態, ─ ─180 小島「前掲論文」(注)8頁。 この点に関し中村は,prevention 型と precaution 型の訴訟を区別する。そ れによれば prevention 型の訴訟は,原因と結果の有機的な連関の存在は認定さ れているが,その発生の確率が不明であるため争いになる場合,言い換えれば リスクをめぐって争われる訴訟であり,precaution 型は,原因と結果の因果関 係の存在そのものが争われる訴訟である。さらにこの場合には,差止めの対象 行為と被害との間に有機的な連関が存在しうるかどうかという問題と, 仮に被 害が発生しうるとしてもその確率はどの程度かという問題, という2つの問題 が現れることになるという。中村「前掲論文」(注)4647頁。中村によると, こうした precaution 型としての予防的科学裁判では科学的な知見が未だ不確実 である場合が多いため,裁判所がそれにどのように対処するべきかという困難 な問題を生起させることになる。「上掲論文」 まず,「リスク」が存在するという場合は,有害事象の発生可能性とその確率 の両方について知見が確立している状態である。次に,知見が「不確実」であ るという場合には,有害事象が発生する可能性とその結果を想定できるものの, 十分な科学的根拠とともに発生確率を割り出すことができない状態であるとい える。「多義性」の場合,発生しうる結果(被害)そのものの知識が定まってい ない状態である。この場合には発生可能な結果が複数存在するため,何をもっ て有害事象とするべきかがまずもって問われなければならない。 従ってそれは
つまり原因と結果についての知見が存在していない,または不明瞭である ような場合について予防原則が果たす役割がとりわけ大きくなるといえる。 ただし,予防原則はその規定内容が条約や国際文書によって異なるだけで なく,この概念そのものの規範性についても議論が存在する点で,多分に 一般的・抽象的な性質を含んだ概念ないし原則である。 それは予防原則 に柔軟性を付与する反面,判断の指標が存在しない場合の政策決定者や法 律家による判断が不可避的に主観的ないし非法的な側面を含むことを意味 する。発動要件をめぐる科学的事実認定の困難さや専門性も,裁判におけ る予防原則を援用する場合の問題点として挙げられるだろう。少なくとも 国際裁判において当事国の一方による予防原則に基づく主張が滅多に認め られない理由には,予防原則が内包するこれらの主観的,政策的,専門的 な要素が大きく影響しているように思われる。 もっとも, この点とは別 ─ ─181 科学ではなく,規範や政策レベルで回答を模索することになる。最後に「無知」 の状態では, 有害事象(原因)と被害(結果)の両方の知識がそもそも存在し ていない,もしくは不明瞭である。起こりうる事象は基本的にすべて「想定外」 となるため,予防原則が特に大きな役割を果たしうる。 本堂「前掲論文」(注 )7478頁。 予防原則の慣習法規性や「原則」としての意義については,例えば高村ゆかり 「国際環境法における予防原則の動態と機能」『国際法外交雑誌』第104巻3号 (2005年)917頁,松井芳郎『国際環境法の基本原則』(東信堂,2010年)5762
頁,135140頁を参照。See also, Jorge E. Vi uales ed.,supra note 3, at 414419. 予防原則は国際的な環境紛争の当事国によってしばしばその主張の根拠とし て依拠されてきたが,裁判所が予防原則の適用を正面から認めた判例は,多数 意見に対する反対ないし個別意見を除き,まだ存在しないといってよい。『同上 書』120130頁。国内裁判の状況については,いわゆる予防型ないし将来志向型 の訴訟について裁判所は一般的に司法消極主義的な立場を示してきたといわれ るが,こうした消極性の源泉は,問題の高度な専門性というよりも,むしろ司 法の行政に対する謙抑的な態度にあるとする向きもある。渡辺千原「リスクを めぐる裁判の可能性」『法社会学』第78号(2013年)222223頁。なお渡辺はこ うした消極的な態度を必ずしも評価せず,むしろ損害発生の予防や規範形成も 裁判の重要な役割であるとしたうえで,リスクをめぐる裁判の審理方式として 「公共的救済モデル」の導入を主張する。「上掲論文」228230頁。
に,裁判において示される専門家の知見や陳述が様々な形で法の解釈の世 界に関与することも事実である。仮にその専門家が予防原則に基づく対応 を重視する立場であれば,その知見や陳述を通して法廷に多様な影響力を 行使することも皆無ではなかろう。 例えば, みなみまぐろ事件において オーストラリアとニュージーランド側の専門家が主張したみなみまぐろに 対する予防的な管理の重要性が暫定措置命令に関する ITLOS の判断を大 きく左右したとの指摘があり, それが事実であるならば, これは専門家 が裁判官の判断に与えた影響という観点から興味深い事象といえる。 予防原則の本質が科学的な不確実性を理由に今日取りうる措置を先延ば しにするべきではないということだとすれば,こうした基本的な理念は, 先に述べた科学的事実認定そのものの客観性と確実性をめぐる問題とは別 に,事実認定における一定の明確性および蓋然性を前提として専門的な知 見を取り扱ってきた裁判所の従来の制度や手続の運用について一定の修正 を求めることになる。見方を変えれば,それは裁判過程に科学的不確実性 や不明確性を忍び込ませることを意味する。 またこれとは別の側面とし て,予防原則には,科学的知見に唯一の解が存在しないことを前提とした うえで専門家同士の議論を可視化し,さらにそこに市民社会との接点を構 築するという制度面の変革を導く機能と,この原則が持つ独自の価値ゆえ に環境や科学に関する認識のレベルにおいて社会一般に影響を及ぼす機能 ─ ─182
Caroline E. Foster, supra note 5, at 158. ただし,ITLOS は暫定措置命令の 中で予防原則あるいは予防的アプローチの適用の有無については言及していな い。Southern Bluefin Tuna Cases(N.Z. v. Japan, Austl. v. Japan), Provisional Measures, Order of 27 August 1999.
断定はできないが,南極海捕鯨事件において鑑定人が及ぼした影響について も同様の指摘ができるかも知れない。
換言すれば,一定の不明確性の下での損害発生リスクを何らかの形で法廷に おける手続に取り入れることができれば,それは予防原則の目的をよりよく実 現することにつながるといえる。この点については別途考察の余地がある。
が潜在的に認められるように思われる。最後にこの点について検討するこ とで,科学的事実認定に対する視座を提供したい。
5 科学的事実認定に対する視座
「透明性」と「正当性」の確保 国際裁判所は基本的には国際紛争を法的な合理性とともに解決する機関 であり,そのためには潜在的な利用者に対して自らの権威を常に認識され ている必要がある。言い換えるならば,その権威が認められなくなった場 合には諸国はその法廷を紛争解決の場としては利用しなくなるだろう,と いうことである。ICJ が科学的あるいは技術的な証拠についての探求を避 けるようになると,紛争当事国は環境保護をめぐる紛争を他の紛争解決機 関に提起するようになる。それは国際環境法の断片化をもたらすと同時に, ICJ の相対的な地位の低下をもたらしうる。そうした観点からすれば, 結局,科学的事実認定の問題は,いかなる合理性の追求が ICJ を含む国際 的な紛争解決機関による決定により一層の説得力をもたらし,その機関の 正当性と権威を最もよく維持しうるのかということについて,事例ごとに 具体的に判断されるべき選択の問題に帰することになる。 ただし,それが国際裁判所による恣意的な運用をもたらすようなことが あってはならない。裁判所は常に公平性をあらゆる側面において実現しな ければならないからである。そのためには裁判所における議論の形式性を ─ ─183Juan Guillermo Sandoval Coustasse, Emily Sweeney-Samuelson,‘The ICJ’s Treatment of Technical Evidence in the Pulp Mills Case (2011)3 Goettingen
Journal of International Law, 450. 彼らは ICJ 規程50条の積極的な活用を通して
ICJ が環境紛争における科学的証拠の問題へコミットすることにより,国際環 境法の体系化を維持・促進することを提言している。Ibid.
確保し,それによって結論の名宛人がその議論の合理性を認識・評価でき るようにしておく必要がある。 それだけではなく, 司法手続への専門家 の関与の方式についてもあらかじめ定めておくことによって透明性や公平 性を確保しておく必要があり,それが各裁判所の議論の潜在的な妥当性と 普遍性を担保するといえる。なぜなら透明性の促進は国際裁判所の正当性 を高めるための一つの手段だからである。 まさにアルカサネとジンマが 指摘するように,ICJ 規程50条の適用は,専門的かつ複雑な要素を含む紛 争についての司法過程に透明性,公開性,そして公平性を付与する手段の 一つといえる。 国内の民事裁判における事実認定が訴訟の全過程において紛争当事者と 裁判所との不断の相互作用の中で深められていくべきものであるという主 張 も裁判過程の正当性に関するこうした前提にたっていると思われる。 また,近年の国内裁判ではカンファレンス鑑定と呼ばれる口頭対話を中心 ─ ─184
Ibid. at 270. 捕鯨事件において ICJ が国際捕鯨員会(IWC)の科学委員会が 判断すべき点に踏み込んだことが批判されているが(例えば,坂元「前掲論文」 (注)9頁),それは従来の ICJ が依拠していた形式主義(formalism)から
の逸脱に対する懸念の表明とみることもできるだろう。
A. von Bogdandy & I. Venzke,‘In Whose Name ? An Investigation of Inter-national Courts’ Public Authority and its Democratic Justification’(21 April 2010)available at http://ssrn.com/abstract=1593543. 国際社会における透明
性の意義に関するより一般的な議論としてピーターズは, 透明性は見かけ上の 正当性を生じさせるに過ぎないが,国際法とガバナンスにおける説明責任と正 当性を向上させる可能性を秘めていると述べる。Anne Peters,‘The Transparency Turn of International Law’(2015)1 The Chinese Journal of Global Governance, 315. 彼女によれば,透明性は配分的正義を強化することにより,そして地球規
模の政治的権威と個別的な自律性を調整することにより, さらに国際法の形成 における市民社会の関与により,国際法の public な要素を強化する機能を果た しうるという。Ibid. at 15.
Joint Dissenting Opinion by Judges Al-Khasawneh and Simma, supra note 34, at para.14; Juan Guillermo Sandoval Coustasse, Emily Sweeney-Samuelson,
supra note 70, at 447471.
とした新たな鑑定方法が実施されているが, これについても上記したよ うな要請を背景としていると言えるかもしれない。国際社会には人権,海 洋,経済などの分野について専門的な裁判所(紛争解決機関)が複数存在 しているが, 日本においても専門家による協力体制の強化という側面と は別に,専門訴訟と呼ばれる専門的知見を要する事件類型について,裁判 所の専門化を進めていく方向が見られるようになっている。 だが,透明性と公平性の要請は以上のような手続的・制度的な変革を越え て一般市民による様々な意思決定過程への参加も要請するように思われる。 専門知に対する多角的検証の必要性 科学的な論争は場合によっては科学的知識をめぐる争いではなく,価値 判断の問題となる。そのような場合,科学がおこないうるのは価値判断の ための材料の提供だけであり,価値判断そのものではない。科学によって いずれかの価値を機械的に選択することはできないからである。 確かに 専門家は当然,科学的な知識を市民に比べて多く持っている。だが,その ことによって集団としての専門家による意思決定が常に正しいという結論 が導き出されるわけではないだろう。本来考慮されるべき多様な視点が欠 ─ ─185 東京地裁では2003年よりこの鑑定方法が実施されている。渡辺千原「裁判と 科学―フォーラムとしての裁判とその手続のあり方についての一考察」『法と社 会研究』第1号(2015年)125126頁。これはオーストラリアで導入されている 「コンカレント・エヴィデンス」という方式を参考に導入されたもので,この方 式によると,ある種のピア・レビュー効果によって法廷に出される科学的知見 の質が向上するという。「上掲論文」128頁。 なお注でも指摘したように ICJ は環境紛争の解決に資するため1993年に環境 問題を専門に扱う特別法廷を設けたが,これまでに一度も利用されたことはない。 渡辺「前掲論文」(注)117頁。 「未解明の潜在的リスクが社会的に問題となる場合に,そのリスクの厳密な証 明があるまでリスクを不存在と見なしてよいかどうかは科学自体では決まらな い。」尾内・本堂「前掲論文」(注)25頁。
落する可能性があるからである。 一定の科学的知見に基づく結論は, 一 方の集団に対して利益をもたらすが,他方の集団には損失をもたらす場合 がある。そうすると,閉じられた中で意思決定過程に深く関われば関わる ほど,その科学的知見の土台そのものが不確実性の主張や価値観の対立を 通して問い直され,動揺してしまうことがある。そのため,政策決定に必 要な専門的知識が生み出される過程を広く社会に開き,多角的な検証がお こなわれる土壌を整備する必要性が主張されている。リスクの有無や規 制の必要性といった問題は,「根本的には社会の価値観や利害関係に依存 する判断であり,原則的には一部の科学者や政策決定者だけでは決めては ならない公共的な問い」であり,そのためには専門家集団と社会の側の双 方的な対話,および一般市民の意思決定過程への参加ないし関与が確保さ れなければならないのである。 科学技術に対する公共的な意思決定をどのように確保するのかという問 題の発生と並行する形で,上述したように裁判所がそうした意思決定の場 としてふさわしいのかどうかが問われるようになっている。それは,専門 家や科学的証拠をどのように国内的および国際的な司法過程に取り込み, 評価するのかという問題を不可避的に提起することになる。 裁判所と専門家の協働 科学的知見の客観性は決して絶対的なものではなく,むしろその表面的 な客観性や普遍性の体裁は単にその知見に対する反論可能性が現状では 存 在しないという意味での客観的な事実に依拠した相対的なものとみるべき ─ ─186 吉川肇子「リスク・コミュニケーションのあり方」尾内・調編『前掲書』(注 )109頁。 平川秀幸「信頼に値する専門知システムはいかにして可能か」『同上書』116 117頁。 「上掲論文」117頁。
であろう。そうだとすれば,とりわけ法廷に持ち込まれるような紛争にお ける科学的知見の認定における外部専門家への委託が必ずしも常に明快な 回答をもたらすわけではないことになる。対立する複数の知見が示される ことも考えられるし,あるいはその知見が依然として脆弱な根拠しか持た ず,それゆえ一般的かつ抽象的な見解が示されるにとどまることがあるか もしれない。専門家はリスク対処について一定の思考様式を有している場 合があり,それが予防原則の提起という形で法廷に登場することも考えら れる。予防原則が科学的事実認定における立証の敷居を下げる機能を果 たすとすれば,それは裁判所における科学的事実認定について新たな問題 を提起することになるだろう。結局以上のような場合には,これらの知見 が示されるのが単一の文書内であるか複数の文書内であるかを問わず,そ れは科学的事実の問題についての最終的な判断が再び裁判官のもとへ投げ 返されることを意味するのである。 裁判所が,環境紛争の当事国が所与の状況において必要な行動をおこ なったかとか合理的に行動したかといった点を判断するためには,科学的 な問題に関する知見に当たらざるをえない。その意味では専門家の知見は 健全な法的決定を導くためには必要不可欠だといえる。だが,紛争当事国 の行動に対する評価は専門家による事実認定委員会のような外部の組織が 決定するわけではなく,最終的には裁判所が有権的に判断するべき事項で ある。 したがって,重要なのはいかにして裁判所と専門家の協働を確保 ─ ─187 Caroline E. Foster, supra note 5, at 153.
パルプ工場事件で共同反対意見を書いたアルカサネとジンマも,ICJ の任務 が科学的な評価を与えることではなく,紛争当事国の見解が法的義務の違反の 証拠となるくらい十分に根拠づけられているかどうかを評価することであるこ とは議論の余地がないと述べる。Joint Dissenting Opinion by Judges Al -Khasawneh and Simma, supra note 34, at para.4. ただし,彼らはそのうえで, 紛争解決に不可欠な点に関して鑑定人に依拠しなかった本件での ICJ の態度に ついて反対意見の全体を通じて批判している。
するかということになる。専門家に事実認定に関する判断を丸投げするの は必ずしも好ましくない。事実の認定と法の適用を明確に区別するような 方法論は特に科学的な不明確性が争われるような訴訟においては採用する ことが困難と思われる。むしろ,裁判所と専門家との間での対話が, と りわけ事実と法の問題が混在したような事例においては重要だといえる。
お わ り に
以上,本稿では国際裁判における科学的事実認定の問題について,国内 裁判に関する議論も踏まえながら予防原則の適用による問題の二層化を念 頭に考察をおこなってきた。 裁判官と専門家の役割分業の背後には,法と事実の区別の伝統が存在す る。単純化して言えば,裁判とは法の事実への適用であった。具体的事実 の蓋然性を基礎づける事実認定は,裁判において法的な判断をおこなうた めに必要不可欠な作業である。だが,科学技術の発展とそれに伴う矛盾の 増大に起因する多様な「科学裁判」の登場はそうした単純な図式を許さな ─ ─188 Caroline E. Foster, supra note 5, at 164.Ibid. at 170. 文脈は異なるが,国際法委員会の近年の傾向について瞥見してお くことは有益であろう。国際法委員会による課題選定は,国際法の「特別レジー ム」に傾斜していることが指摘されているが,従来の「法典化」から「漸進的 発達」に関する課題が多くみられるようになっている現在,専門家による科学 的知識による補充,科学者との協働が強く求められている。特に国際環境法分 野においてはこのことが一層明白となる。村瀬信也「国際法委員会の70年と新 たな傾向」『法律時報』第89巻10号(2017年)913頁。このように国際法委員会 はその任務の遂行において科学者との対話を促進しており,今後もその傾向は 続くことが指摘されている。Shinya Murase,“Scientific Knowledge and the Progressive Development of International Law: With Reference to ILC Topic on the Protection of the Atmosphere”, in J. Crawford and others, eds., The
International Legal Order: Current Needs and Possible Responses: Essays in Honour of Diamchid Momtaz(Brill, 2017), 4152.