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ネパール写本対照による『唯識三十頌』の原典考、並びに『唯識二十論』」第一偈第二偈の原本について -- Lévi 本の原本を求めて --

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私は先に宗教学会︵於、立正大学︶において﹁ネパール ① 写本対照による﹃唯識三十頌﹄の考察﹂を発表したが、 字数制限のため充分論ずることができなかった。しかし その後、新しい資料も見つかったので、ここにネパール 写本を用いて﹁唯識三十頌﹄を再検討してみようと思う さて、世親造の﹃唯識三十頌﹄と、その安慧釈門風︲ 日鯉圃ぐ言四宮号ロ閉園日とは唯識思想を解明する上で、 まことに重要な論書である。一般に言百四耳目異国国︲ ② 巴目宮︵岳圏︶が定本として用いられているが、最近、イ ③ ンドで出版されたの冒陣のごの①本︵こぎ︶や巨呂①呂 ④ 目萱息ご本︵届亀︶などもある。

樺趣零鉢﹃唯識三十頌﹄の原典考、並びに﹃唯識

二十論﹄第一偶第二偶の原本について

はじめに

’尿a本の原本を求めてI

しかし切旧の鼠のテキストには誤植などの問題があ り、宇井博士の﹁梵文正誤訂正表﹂︵﹁安慧・護法唯識三十 頌釈論﹂所収、昭和”年︶や、荻原博士の﹁梵文改訂表﹂ ⑤ ︵﹁安慧造三十唯識の釈論和訳﹂所収、昭和2年︶によって一 応読めるようになったとはいえ、まだ完全とはいえない↑ ⑥ 近年、⑦巳島巴①によっても訂正が加えられたが、私は 最近手に入れたネ・︿−ル諸写本を用いて﹁唯識三十頌﹄ 並びにその安慧釈を考察してみようと思う。 なお﹁唯識二十論﹄の第一偶と第二偶とは、従来、い ⑦ Fcaの還元梵語だけであったが、最近、私はこの二偶 を含む﹃唯識二十論﹄の全偶︹と他二論の偶︺の書写さ れている貝葉︹の写真版︺を手に入れたので、この点に ついても考察するつもりである。

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ところで﹃唯識三十頌﹄のネパール諸写本に関しては、 ⑧ z色は○自己P馬。宮ぐのの︾z8巴の目録によれば、次の如き 写本が保管されていることが知られる。 月旦口詠時凶食言Pも画ウ岸団畑冒曾冒︶岸昌⑳庁冒門色目四首 1、z四蔵○国巴PHC目ご①い︺z①もこ︺の鄙○君四首四日︵国昌昌︲ ロロ四口胃歯口凹ぐ厨凹型四︶HやE︾z○・.畠動 略記号 貝葉、.十四葉、七行︵一部八行︶|:⋮.︹甸四巳本︺ この写本は貝葉であり、マイクロフィルムの初めに も弓巴日︲言目︵貝葉︶と明記されてい︲る。国①日局且 ⑨ 。昌后o陸○口のz○.豐重月旦日蝕]国風ぢぃ胃岸旨倒曙四目ゞ ずぐ餡冒目白画威I目品目目︾国L・]lEと一致するも k のと思われる。なぜなら、国の目”且○○斤。画○口の大 部分は、現在z画武○国昌鈩時。巨ぐ①の、z名巴に移管され ⑩ ているし、十四葉で貝葉である点も合致しているから である。 1 2、z凹画○口巴シ月ぼくB、z①己巴 − 略記号 貝葉、十三葉h七行⋮⋮⋮⋮..⋮・⋮︹もロ.四本︺ 現在、私の持っているz色陣○口巴少尉。旨く$︾z名昌 の目録には見あたらないようであるが、私はz騨酋○国毘 鈩胃巨ぐ①m︾z名巴からこの写本を手に入れたので、・そ こに保管されていることは間違いないと思う。.この写 本のマイクロフィルムの初めに、z○.子屋弓とあるの で、.m胃冒胃Pqzo・喝つ目凰日芭&︲邑甘凹耳里旨閉冒四 ○色忌弓一と合致するものと思う。十三葉で○国z①F︲ 庁、①苛茸閏という点も一致しているや一 3、z四は○国巴琵Ho巨ぐ①、︾zのb巴.のロ。弓異国日︺回ら︾ z○.閉切 略記号 十三葉、九行⋮⋮.:⋮..::⋮⋮⋮⋮⋮︹zP本︺ この写本は十三葉で、デーヴァナーガリーで書かれ ているので、国の日閃go巳帝○陸○口閉命︶の月旦日陛︲ 炭甲ず豈尉冨目、ご煕巨3日p註に相当すると思われる。 なお、この写本の初めには日ロ日陛圃圃儲時ご農ゥ目︲ 遇色白とあるようである。 ところがこの写本には脱落がある。すなわち⑤色の 四行目の途中まで書写して三’四行の空白があり、八 行目の途中からまた書写している。これは一体何を意

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これらの写本は、いずれも国の日園且︵︺︵筐①oは○口か、 国胃匡百四q︲にあったもので、現在はz鼻5国巴シHg︲ 4、z鼻5口巴吟月冨ぐ筋﹄z①己巴︶、国○弓鼻且色目目p﹄吟 zpつ饅句画 略記号 自︿葉、五葉、六行⋮⋮・⋮⋮・⋮・⋮.:︹勺餌&本︺ この写本は貝葉であり、五葉である点よりして、 国の目屈且。呂の。芦○口のz○.筐eに相当するもの と思われる。マイクロフィルムの初めにzo・甲旦総 とあるからへz四は○国昌諺目ぽぐ①m、z①己巴zo,置馬と 一致すると思うが、マイクロフィルムには目匡①が 目は﹁日諒陦寧昌国昌国となっている。 PJ・もL *略記号は便宜上、私がつけたものである。 弓凰目陛丙四丙画風丙幽 く身ごいい武丙四丙働凰丙倒 月旦、ぐゅご己山ぐゆ丙倒己丙画 園○烏の国匡量巨鼻3国の胃昇旨P巨吊日君誌の中の﹃唯 味するのであろうか。この点については、後からz①言 ⑪ 識三十頌﹄の写本との関連で論ずることにする。 L 〃 ▼ 出ユ凸 ずぐ昇吋色、ロロ四ロロロロ 弓の、︺z名巴に移管され保存されている。これらの中に、 間宮]本の底本または原本もあると思われるが、この点 ⑫ については後で論ずることにする。 この他に資料的価値は、やや劣るかもしれないが、 日舞旨鼠時円国甘P宮号ロ倒当四目︺ず冒礫目日日四はとして、 5、z①弓園○局丙国巨QQ匡伴の色目両日岸冒秒ロロの日名菌︶ シ自切団IHI﹄m﹃ 略記号 二十葉、七行⋮⋮⋮⋮・・⋮・⋮⋮⋮⋮⋮︹z①本︺ この写本には、ネパール暦一○一九年とあるから、 一八九九年頃の写本であるが、旧の昌本、や巴息.吟 白砂︶から壱誤蔦.g︵ぎゅ︶まで脱落している。な ぜこのような脱落が起ったかについては、ほぼ見当が ⑬ ついたので、後で論ずることにする。︵もっとも、こ の写本が一八九九年に書写された当時のものであるの なら、先のz四本以上の価値があるかもしれない。︶ 6、z鼻旨口旦P冒言ぐ①、ゞZ員︶こ︾の国○君胃H色BHz0. 画③。 略記号 二十四頁、二十一行︵第一頁のみ十九行︶:.︹M本︺ マイクロフィルムの初めに、目胃昌且①Hp同x9O勝① 国○島とあるので、比較的新しい写本のようにも思わ

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れる。z四画○口里委目ぼぐ①の﹄z名巴の目録の、z○国9 門目息房騨閏時脚の号丘閉乱に相当すると思うが︵マイ クロフィルムには邑画月旦尉鼠時四国百P宮ご旨幽遇閏ロと あるから全く別のものかもしれない︶、更に函⑦目園且 ○○]宕○茸○口のzo・閉宙︶の目且日陰]&︲]応習時動のPウマ 膿冨にも相当するかもしれない。もしそうであるな ら、この写本も国①目崩旦○呂①o丘○口よりzP匡○口昌 PHC宮くのの︾z名巴に移管されたことになるが、今のと ころよくわからない。 ただこの写本はノートのようなものに書かれており、 学者かもしれないが一般人の字であって、専門家︵ネ パール文字を書くことを職業とする︶の字ではないよ うに思う。おそらく己四皇本か、それに類する写本 より転写したのであろうが、Fの国本も知っているよ うに思われる。なぜなら、冠。]本、z四本、z①本 に脱落している部分がそのまま欠文となっているし、 その欠文の直前がロ菌昌となっているのは、このM 本とも色色本とZ①本とである︵zP本は目冨目旨 一一とある。︶次にFg]本を知っているのではないか と思う理由は、偶頌を初めから知っている点と、最初 の﹂ウを昌騨としている点である。︵Fの昌本の昌騨 mFoaは冨言gは目鼻H曾国切国Q旨︵ら圏︶を出版す るときに、底本について巨茸○号oは○口で次の如く語っ ている。 ﹁最初の調べでは、頁︹付け︺が欠けていることが よくわからなかった。十四葉は順次に続いていた。と ころが読んでみると、第六葉目と第七葉目との間に、 ⑭ ある断絶が明らかになった﹂ この記述によって、尿昌が底本とした写本の一つは 十四葉であり、第六葉目から第七葉目へ移るところで、 意味内容の上から断絶があることが知られる。 ところでも四.]本を見ると、貝葉で十四葉であり、 第六葉目と第七葉目との間に意味内容の上から、かなり の脱落があることが知られる。のみならず、一、二の例 ⑮ 外を除いて、写本の一葉ごとの始めが尿邑本と宅四﹂ 本と合致していることは、原昌本の底本の一つは弓P.﹂ これらの写本の中にFca本の原本もあると思われる ので、この点から考察してみようと思う。 は旨︶の誤まり︶ 一一

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本であることを裏づけるものであろう。 勺②]本がFg一本の底本の一つであることを決定づ けるものは、原邑本の冒苣○昌一o武○口の最後に挿入さ れている﹃唯識三十頌﹄の写本︵上二葉︶とも画皇本の 最初︵5︶と最後倉怠実は閏この写本とが一致すること である。Fca本に挿入されている写真版は、やや不鮮 明なところもあるが、両者を比較すればもP・昌本であ ることは間違いないものと思う。 ただ最上段の]丘は勺P.﹄本とよく一致しているが、 二番目の底ず︵実は喝gは、原昌本に挿入されている 写真版は右下と左下が少し欠けているが、℃騨皇本では それほど欠けていない。Fの昌本は一九二二年に一応原 稿が出来上り、一九二五年に出版されている。しかし 勺色皇本の写真版は一九七○年写であるから、欠落部分 が修正されたのであろうか。 またこの写本の大きさについてFの畠は、 ﹁二つの写本︵唯識三十頌と唯識二十論︶はg×画切 ⑯ 。Bの貝葉に書かれている。各頁は七行である﹂ と述令へているが、勺四・﹄本は貝葉︵圃冒帝昌︶で馨.m× の○日であるとマイクロフィルムの初めに明記されてい る。貝葉は写真で見ても両端がまるみを帯びているので、 この位の誤差は生ずるものと思う。各葉の行数も七行で 一致している。従って勺P,胃本はFの己本の底本の一 つであることは間違いがない。 では脱落の部分に相当する写本はどこにあるのであろ うか。実はその写本は甸四.画本であると思う。勺四・四 本は前述の如く十三葉であり、脱落の葉数︵第七葉から 第十九葉までの十三葉︶と一致するばかりでなく、同じ く貝葉であり、文字も同じような筆跡であり、貝葉の両 端がまるみを帯びているところまで一致している。この 写本の大きさについては、マイクロフィルムの初めには ぎ×回・日とあるが、rのa本にはぎ×函面・日とあるか ら、ほぼ一致していることが知られる。各葉の行数も七 行で合致している。従ってこの弔い.函本もFのa本の 底本の一つであると思われる。というよりも、おそらく 旧のaは勺口皇本と勺四画本とを底本として用いて﹃唯 識三十頌﹄のテキストを出版したものと思われる。 しかし勺P﹂本は、もとは国①日切且CO屋①。丘○口に あったものであり、一方句四・四本は、もとは囚園田旨︲ H色昌にあったものと思われる。従ってこれらの写本は、 今は同じzpは○国巴胃o亘ぐの⑳﹄z名旦に保管されている が、以前は別々に保管されていたことになる。

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それではZの本とz色本には、どうしてかなりの脱 落部分があるのであろうか。zの本というのは、先にも ⑰ 述べた如くzの急ぐ閏○房の切匡目巨騨曾亘の胃拝冨色冒吊︲ 日急威富国国山山笥であり、目胃胃ロ呉津具①ざ吋少号国︲ po8煕匡日吊旦急○門匡罰里四○口のより、そのマイクロ フィルムが発売されているのであるが、この写本にはネ パール暦一○一九年写とあるから、一八九九年頃に書写 ところが勺色皇本は、原旦本︹の底本の葉数︺でい えば、岸ワー、ウとgいI胃ウに相当し、一方、勺P、四 本は﹃Plこずに相当している。しかるに同P昌本の 写本を見ると、胃ウー屋す︵勿論、数字はネ。ハール文字で 1とか皿のみである︶までの通し番号が入っている。と いうことは、この数字が書かれた時期がはっきりしてい ないので断定はできないが、比較的早い頃からこれら二 つの写本が別なに保管されていたのではなかろうか。そ う考えないと、冠四・﹄本の後半の写本に9秒l目ゥと なる、へきところに、﹃色l屋ゥの数字が入っていて、前 半からの続き番号になっていることが説明できないから である。 三 されたもの︵またはそれからの転写本︶である。全二十 葉で一葉の大きさは函×g・日である。 ところがこの写本とFの風本と対照させて見ると、こ の写本の④Pの三行目と四行目との間に、かなりの脱落 があることが知られる。すなわち伊曾芦本でいえば、ロ 匡怠.函の①ワの最後まで書写し、次はや閉怠.己の 邑四から始まっている。以前、z①本を手に入れたとき には、なぜこのような脱落が生じたのか、よくわからな かった。しかし勺煙.]本や勺沙国本などを手に入れて 比較対照している内に、ひょっとすると勺P息本の脱落 部分︵すなわち旧伊.四本の部分︶とz①本の脱落部分 が一致するのではないかと思い、両者を較べて見ると全 く合致することに気がついた。ということは、z①本 は弓四・昌本をそのまま︵脱落のまま︶書写したのであ り、おそらくこの脱落にも気づかずに︵なぜなら何も指 摘がないから︶そのまま書写したのであろう。 当時すでに写本︵圏.︺本︶には通し番号が入っていた であろうから、③ずの次に﹃P︵実は曽騨︶を書写するの は当然であろう。一八九九年といえばFg︺本出版g誤 年︶以前であるから、この脱落に気づかなかったからと いって非難することはできない。しかし今日、各写本が

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手に入るようになったので、各写本を比較対照すれば、 z①本の原本は勺P・澤本であると指摘できるのである。 そしてこう考えれば、z①本にかなりの脱落部分がある ことにも納得がいくのである。 一方、zp本にもz①本と同様の脱落がある。ただ Z煙本の書写者はこの脱落に気づいたから・色の四行目 の途中から八行目の途中まで空白にしたのである。ただ Z①本は弓口唐本を直接書写したと考えられ、いずれ もご四目○ず且Qpご旦言匡烏巴且ロ胃目色から始まってい るのに、z痩本では降昼騨冨計凰日陛圃菖百四冒号丘開冒昌 ||宮月旦:旨胃目色から始まっている。 またzp本の②ロー&の偶頌のすぐ上にⅣというネ ・ハール文字が入っている。これはおそらく脱落した文章 の直後に出る偶頌であるので、W偶の長行の中の偶頌で あることを明らかにしたのであろう。実物を見ないとわ からないが、写真版によると、この数字は7の葉数を表 わす7の数字と筆跡が類似しているので、おそらくこの 写本の書写者が書いたものである涜訓。 ともかくも、この書写者は司四から邑四に至る大き な脱落に気づき、その後の偶頌を第十七偶中の偶である ということを知っていたことになる。いずれにしても、 これらz①本もzP本も句P]本が原本であるか れからの転写本をさらに転写したものであろう。 ところで勺四&本は五葉のみで、﹃三性論偶﹄﹃唯識 二十論﹄﹃唯識三十頌﹄の偶頌のみを集めたものであり、 書体は一番古いように思われる。古宇が用いられており、 ⑱ 読みにくい。前述の如く、マイクロフィルムにzo&︲ 置急とある・から、zゆご○ご巴少尉o言ぐ①m︾z名里のz○・ 段篭と一致することは間違いない。なぜなら、葉数は 五葉で一致しているし、一葉の行数も六行と合致してい るからである。大きさについては、マイクロフィルムの 初めに罷切×回・目とあり、終りに鵲餉×鰐切・目とあ るが、写本自体、全体にまるみを帯びている貝葉である から、この位の誤差はやむをえないものと思う。この写 ⑲ 本;︵囲い本︶を使って﹃唯識三十頌﹄を考察したこと はあるが、今回初めて﹃唯識二十論﹄を考察してみた。 ところが旧の昌本と対照させて読んでいる内に、旧の菖 本では還元梵語しか与えられていないところに、サンス クリットの原文が初めから古い形のままで書写されてい ⑳ ることを発見した。すなわち、﹃唯識二十論﹄の第一偶 四 そ

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と第二偶とは、原昌本ではこの二つの偶を含むその前 後の世親註が欠けているため、この二つの偶は還元梵語 で補われている。しかるに今やここにサンスクリットの 原本が見つかったわけで、この両者を比較対照すると、 次の如くなっている。 ︹旧留﹄本の還元梵語︺ ぐ]]。いもはHロ幽計吋色口声のぐゆ洋色。pめいQPH汁屋倒ぐゆウロ駒めい口倒芹一 llcIl亡llC一ここl︲|cl亡I| ﹃四汁丘倒倖色冒己胃﹄丙Pのぐ閏いゆ詐丙のの②OppQH働邑目。四Hの②ロゆ員目一一昌一一 く こ11亡一こlllllこlllClCIl ぐゅ。﹄ぐこ働曾d曾呂四国四尉守豈倒]己ぐゅロ︺○口①の四丙倒﹄いく○ヶ一 t に卜 L

ここ11|ここ11|ここlllClcI−

、 めゅHご計凹昌Pゆく四国﹂ぐゅ罠口②い○色く匡丙庁倒局昼庁園⑳汽凰ぐ凶ppoPll

t、

4 忠 1111|ここl亡一こllllClCll 弓四.四本の偶頌︺ ご﹂]ヨいもは員旨画L庁H四口︺⑦ぐ①ロ四国ロPの画︵︺包円計豈働く四房︶岸]山の四、]︺幽計一

llCIlcllC−こClllClこ’|

目四口ぐ凹庁芹四芦昌︼胃四斥色の︶N勤めP︽戸①の○片己匡︺ハ凶ロー︹]pHの四口p一目一一] 111亡一こIlllll亡l|こ’こ’| へぐ凹匡︺割ご含Pご己胃屋内四二 〆4 、〆 、 上、。 ご色旦①いゆ丙倒]Pご﹄目色Hごp伝い沙ロ芹幽口倒冒二罰凹口甘○口四○四|

こ’こ−|CここllIllC−亡lこ’一

口四○四時H詳胃四戸己琶倒昌巨丙弄画く]︺.四も営民く“Q芦己山H庁毒︲ “庁四号一一四一一 Cclllこlllllll匡一亡1こ’| いずれも陛○菌の韻律と合致しているから、この点か らは問題がない。特に第一偶は原急の還元梵語と、今 度見つかった梵本とが比較的よく一致している。ここは チベット訳と漢訳︵三本︶があるから、それに基づいてか なり正確な還元梵語が与えられたともいえるが、それに ⑳ 加えてもう一つ、宇井博士の指摘の如く、この第一偶は 実はジャイナの白衣派の学者、ハリバドラ︵雪胃旨9日四︶ によってFo厨国茸ぐ凹昌目昌四に引用されているから、 それによって還元梵語も作られたものと思う。そのこと は第二偶を見ると個々の単語は比較的よく一致している が、その配列順序はかなり異なっていることによっても 知られるであろう。 ところでハリバドラがFo冨冨算ぐゅ昌日昌四の中で引 ⑳ 用している﹃唯識二十論﹄の第一偶は次の如くである。 ぐ﹄一.PbはH国倒詳門包屋目①ぐ凹洋PQm、四口四吋岸置倒ぐゆず豈倒の四口画計一 目由匡︺勤詳包冒国営曾一内包の﹃①ぼい]声①の騨冒︻匡倒︵豈竺騨局の②旨い民冒一一﹃吟一一

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さて、この第一偶Cの息昏倒であるが、写本︵圏&

本︶では冨牙目のように見える。チベット訳は号日

ロPであるから、そのサンスクリットは﹃四菩画もくゅQぐ目 ⑳ も可能であるが、国辱胃圖か意昏倒が一般的であると 思う。従ってここは韻律上、忍昏倒であろうか。 それから注意す尋へきことは、四○○年’三○○年頃

の写本では一見昏四は号騨に見え、号凹と昏沙とが

類似していることである。従って笛牙胃が菌号P←

﹃四号山と読まれたか、あるいはく四昏倒とあったものが ﹃四身胃となったのかもしれない。

次に第一偶dの雨曾目巨富か庸曾○秒且国かであ

るが、写本で見る限り庸曾目口匿︵毛輪︶としか読めな い。しかしチベット訳がの胃四N旨とあり、漢訳も玄英 訳は﹁髪蠅﹂︵大正三一、七四c︶であるが、流支訳﹁毛月﹂ ︵大正三一、六三c︶と真諦訳﹁毛二月﹂︵大正三一、七○c︶ とから見て・色目国︵月︶の可能性も出てくる。 勿論、府曾且口圃︵︲︲こ︲︶も原30四目国︵︲こ︲︲︶ も、韻律の上からは可能である。ひょっとすると、写本 に二種類あったのかもしれない。ハリバドラの引用では

庸困冨曾と読んでいるが、これは廓8目巨冨の写本

︵思い本︶と類似している。 さてここに﹃唯識二十論﹄の第一偶、第二偶が完全な 形で、﹃唯識二十論﹄と他二論の偶頌だけを集めた写本 の中で見つかったことは重要な意味を持っている。なぜ ⑮ なら、宇井博士もかつて論じておられるように、玄英訳 には第一偶はないが︵代わりに四言四句の散文がある︶、 流支訳・真諦訳には第一偶が存する。 慈恩大師窺基の﹁唯識二十論述記﹄によれば、 ウルニノヲピニ ノノミ ﹁勘二三梵本寺並無二此頌記但訳家増﹂︵大正四三、九 八二b︶ といって、流支訳と真諦訳とを非難している。しかしこ こに古写本の中に﹃唯識二十論﹄の第一偶、第二偶を含 む全偏が見出されたことは、宇井博士のいわれるように、 窺基がいうことの方にむしろ誤まりがあることが実証さ れたことになろう。確かに玄英が用いた梵本には第一偶 は欠けていたのであろう。とすると、現存の﹃唯識二十 論﹄のネ・︿lル写本も第一偶、第二偶は欠けているよう であるから、これらの欠落は玄奨当時︵七世紀︶からの、 かなり早い時代から生じていたのかもしれない。︵﹃唯識 二十論﹄の原本はまだ手に入れていないので、それを見 ないとはっきりしたことはいえないが、玄英当時は一偶 のみ欠けていて、現在は二偶欠けているのであろうか︶

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ところでこ一の勺P&本はわずか五葉ではあるが、貝葉 で比較的古い文字で書写されているので、現存の﹃唯識 三十頌﹄や﹃唯識二十論﹄の偶頌の中では一番古いもの と思う。﹄四の表紙は、かなり傷んでいるため解読の困難 な文字が書かれているが、これを解読すれば何かこの写 本についての手懸りが得られるかもしれない。z鼻旨口皀 ⑳ 睡吋。旨く①の︾z8皀〆の目録には、写本﹄ずの初めの文は記 述されているが、]やの文については何も記されていな い。含ヴの﹃唯識三十頌﹄調偶以後と奥書きについては、 ネパールの目録の中に全文記されている。︶ この、勺P四本については、長尾博士によって﹁カト マンドゥの仏教写本典籍﹂︵岩井博士古稀記念典籍論集、昭 和記年︶の中で、国①白河且○○崖①oは○己zo・農︵己とし て紹介され、︽z凹丘○国巴冑o巨く①、︶z8己の目録にも載 Pているが、︽私は今迄にこの写本を用いた論文を見たこ とがない。、︵勿論、↑私自身は宗教学会︵立正大︶で一部 紹介した。︶.しかし今後、この写本は﹃唯識三十頌﹄や ﹃唯識二十論﹄を研究する上で、非常に貴重な資料を与 えてくれるものと思う。 さてネ。ハール写本を用いて﹃唯識三十頌﹄の原典考を 試みようと思うが、全体について詳細に検討する紙数も その準備もないので、ここでは私の関心のある個所に限 って考察してみようと思う。 初めに第十一偶d、第十二偶aの長行を見ると、原負 ⑳ 本、や麗息.届に昼時凋鼠・ゅとあるが、宇井博士も ⑳ ○○汽ロ巴①も旨一門脚、鼠○口としている。.ここのところ は甸凹.画本︵届ロ零Jでも昌一剖凋院・四となってい てダンダが入っているから、この訂正は正しいと思毒︵ノ。 ︲旧の己本、七.易息、属のの目ご○石口四も宇井博士と ○○唇巴①の訂正の如く、の閏ご鯉口四国四が正しいと思う。 勺凹.画本︵届ロ−.ごはい四日冒茜目のようであるが、チ

ベット訳冒ロ肝匂&層から見ても、内容上からも

8日]PpPppの方がよいと思う。同様の理由によって、 原邑本、や麗息.扇の$日言冠己騨も宇井博士や○○︲ 巨巴①の指摘の如く、、四目煙ロ鯉口色に訂正すべきである 1と田心患うO ノ 門の昌本、や麗怠.固の耳潤Pく鼠目であるが、宇 井博士も○○冨巴のも茸筥剖鼠目と訂正している。勺P. 五

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画本︵屋秒さ.こを見ると、耳筥留閉創のようである。 原昌本の脚註⑥には︲ぐ四m目とあるから、原昌本の底 本と吋四.西本とが同じであることの裏づけになるので はないか。従ってここは宇井博士や⑦烏冒巴①の訂正で よいと田や︵ノ。‘ その直後のPの畠本、p腿墓.扇の︺号巨口胃ぐ昌昼 一旦oは、宇井博士は:巨昌Hく騨蔚E鼻○に訂正して いるのに、⑦烏冒庁はp旨く鼻胃goと訂正している。 面四・画本︵国r陣︾﹄.]︶は昌局目ヰ昼一旦○のようである。 宇井博士の訂正は、チベット訳に日9国冨月高Hg冒印 号巨冒試Hとあって、ロ胃胃詳呂︵侭.缶gに理解する仕 ⑳ 方と一致している。なおこの個所は荻原博士も昌儲員芹檬 をロ貝自洋患に修正されているので、宇井博士もそれを 採用されたのかもしれない。ただCO唇巴①の訂正は荻 原、宇井両博士の訂正を知っていながら八安慧釈の写本 の陣樹日①具によって昌尉ぐ鼻胃呉○と訂正している ことは注目に価する。ところが︲吋四.画本では明らかに §冒昌Hぐ拝は竺鼻○となっている。Fの己本と勺色心本 は全く同じであるし、○○冨巴のの訂正もダンダを除けば 当然四g目黒菖洋轡は号巨口旨ぐ鼻胃となるから、それ ほどの相異はない。荻原・宇井博士のように色匡︺旨臂ぐ︲ #芹呂と訂正す零へきかどうかの問題であるが、煙8があ るから、F雪]本や勺色.四本のように号匡昌吋員詳昏一 のままでよいと思うが如何であろうか。この問題は今後 の課題としておきたい。 このあたりは荻原・宇井博士の訂正の他に①○唇巴のの 訂正があり、時間をかけないとどちらがよいか決定でき ないので、次に第十二侭bCd、第十三偶、第十四偶に 移ることにする。 旧の昌本、や馨息.筐十二偶dの日野色目であるが、 宇井博士は日ご巴乱に訂正されている︵このあたりか らは⑦o巨巴①の訂正はない。︶も四.四本︵匡沙息.己では 明らかに目匂い乱と読めるので、おそらくFの凰本の 誤植であろう。偶頌であるので、念のため勺四・四本︵ぢゞ ﹄出︶を見ると、やはり目母昌倒になっている。 ⑳ 次に第十三偶であるが、原菖本では ・の倒信ロ冒蝕員冒閂ロ色。○︾ぐ︼ロ]呉ロ、凹面国HP斤吋四℃勤め庁望國己色跨ロロQQ︲ 屋Pぐゆ伝一言四四1ケ︶ l︲こ’|こI11llこlllclこ’| となっている。そして散q四日は旨、、に鼠吾冒色昌 となっていることを脚註いに記している。宇井博士の訂 正は、目色房﹄a︲を日四号a︲とあるが、これは目色8

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︾a︲を目昌○国︲に訂正せよの誤植筋←○︶であろう。 勺四・四本︵冨四息.己を見ると、白目○国亘日出とあり、 勺沙.四本全戸一嗣典.sも目昌○国巨白圏とあるから、 この訂正は正しい。 次に︲出面風︲を︲、巴日︲に訂正する件であるが、面四国 本︵匡騨蔦.ごにはaご日出﹀胃胃とあるようであり、勺四. 四本食ご亀.eでは乱臣日出胃胃となっている。Fのa本 念.洛息§篭︶ではぐ冒日3胃胃となっているようであ るが、これは勿論胃胃は農昌Hに訂正すべきである。 従って一般的には宇井博士の訂正の如く、ぐ旨日出耳目 でよいと思澤フ。 次の巨目富qP丘を口目富国昼eに宇井博士は疑問 符をつけながら訂正されているが、これは中々むつかし い。なぜなら、写本は弓四・四本倉ず息.己は不鮮明であ るが目巳︺Pぐゅゴのようであり、弓P,四本︵底四倉.己で は明らかにロロロロゆく農と読めるからである。ただチ、ヘ ット訳が侭&恩であるので、﹃大乗荘厳経論﹄の用例 ︵桝冒.ミの長行︶からいえば、巨目冒冨の方がよいのか もしれない。ちなみにロヶシュチャンドラの﹃蔵梵辞典﹂ を見ると、品呂冨には巨呂富ぐ色と騨匡呂冒ごいを、

また品&には匡呂冒曾のサンスクリヅトが与えられ

ている。 そうすると第十三偶albは 当聖 吟働↑ず昌色試恒︻ご色QOぐ目ロ寓目、幽画昌園由汁Hpも固め芹﹃四国四目巳ごロロー ロゆく凹伝︵ロロ・ぱい庁己︶畢一ついP’ず︶ 11亡l|こlllllclllclCl| となるかと思う。最初の獣嘗冨日は旨め.も勺ゆゐ本 ︵匡騨室.己もの鼻ご曾日であるが、勺画.四本倉ゥ亀.e がい且ご色目と読めることと、F曾竺本︵ロ忠息.笛︶を 参照して倒曾冒昌と理解した。

次に第十三偶Cの箇尻a冨昌であるが、宇井博士

は冨巨閏身ゅ日に訂正されているが、これでよいであろ うか。勺四.画本︵匡智息.Jを見ると、冨尻国司目とな っているし、弓色出本鴦ローごもやや不鮮明であるが 冨尻己制日のようである。その上、安慧釈でも旧の昌 本e・筐皇、留息.篭︶では冨匡閏身色とあるが、その底 本と考えられる勺騨.四本︵屋ロ﹃.]亀.巴では冨尻昌冨 となっている。

確かに厨房己冨より冒巨閏身Pの方が一般的であ

⑪ るので、宇井博士︵実は荻原博士が先に指摘された︶は 訂正されたのであろう。しかし﹃大乗荘厳経論﹄では七 ⑫ 回程出るが、す寺へて冨巨曾身Pである。ということは、

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⑬ 一般には冨口閏身色を用うるからFのaも偶頌だけ抜 き出すときは冨易国司由としている。しかし勺P画本 ︵匡鱒室.己も、面色.単本倉ヴ息ども冨尻国冒とあり、 ﹃大乗荘厳経論﹄では七回とも菌自画身四となってい るから、この場合冨息国冒の形を尊重したいと思う。 なおこの第十三偶から第十四偶にかけては、甸四.四本 倉戸田・mI︸・己では、 39苫日日且○ぐ旨目鼠冒目四口自画乱のq目色︹日 ロ。。ぽゅぐゅ昏一︺つい色’ず︶ となっていて、句ゆふ本では少し混乱がある。しかも他 ではす蕾へて六行で書かれているのに、ここだけ七行にな っている。これは第十三偶bののご習騨まで書写して、 第十五偶へ移ったので、第十三偶bCdと第十四偶が脱 落したのである。従ってこの脱落した部分を第七行目に 書写したため、屯四.四本の仁ウだけ七行になったものと 考えられる。ここで四□す凹乱とあるのは、□は旨の

ようにも見えるが余分の字であり、胃国鼠は鼻国風

の誤まりである。 一︿ 私が﹁唯識三十頌﹄に関する、この論文を書いている とき、﹃唯識三十頌﹄の調伏天︵ぐ目菌§ぐP︶の釈疏のサ ⑭ ンスクリットの断片が発見され、出版されたことを知っ た。 本論文の中で﹁唯識二十論﹄の第一偶、第二偶のサン ⑮ スクリット原本が見つかったことを紹介したが、今ここ に﹃唯識三十頌﹄の調伏天の釈疏のサンスクリット断片 も見つかったことを知り、唯識思想を研究する者として 誠に喜ばしく思う。十三葉は断片であり、それほど多い わけではないが、ともかく、今迄全く知られていなかっ たサンスクリットテキストが十三葉も見つかったことの 意義は大きい。 ただこの写本は序文によると、﹁一九六六年にロンド ン大学で授業をしているとき、ダージリンからの一訪問 者が、匿名で十三葉の貝葉を含む一包みを私に渡してく ⑯ れた﹂︵抄訳︶とあるだけで、どこで見つかった写本なの か、どこに今迄保管されていたのか、という出所を全く 明かしていない。その点では私もこの写本がはたして信 用できるものかどうかという疑問を感じないわけではな いが、しかしこの写本には﹃中辺分別論﹂の安慧釈のサ ンスクリットが混入しているとあり、そういうことは写 ⑰ 本の場合、しばしば見出されることであるから、むしろ

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真実味が感ぜられ、今後詳しく調、へないとへはっきりし たことはいえないが、一応信用してもよいように思う。 ︵しかしなぜ出所を明かさないのであろうか?︶ さてこの調伏天のサンスクリットを用いて、先程の問 題点が解決できるかどうか検討してみよう。 まず初めに第十一偶の長行の:冒口旨員扉仔か号巨︲ 且尉員茸呂ゞか:冒昌Hぐ拝胃かの問題であるが、残念な がらFの昌本、や麗息.匡1−.岳の安慧釈に相当する ⑬ 調伏天のサンスクリットは脚註⑮にあるように脱落して いるや従ってここの§宮口胃自芹仔の問題ばかりでなく、 の四日旨石口色をmpgP目四口Pに訂正する件も調伏天のサ ンスクリットで確かめることができないのは誠に残念で

ある℃︾

次に第十三偶であるが、白目○︾a旨日出を日且○国︲ 宮日出に訂正する件は安慧釈でもぐ嘗目3s.臼息、届︶ とあるから、これでよいと思うが、調伏天の釈疏の部分 のサンスクリットでも確かめようとしたが、ここは生憎 ⑲ くサンスクリットが脱落していて確かめることができな ⑳ い。しかし安慧釈を初めとして、前述の如く勺凹&本 にもぐ旨昌団とあるから、この訂正は正しいと思う。 |しかるに調伏天のサンスクリット写本の偶頌では、 ︾菖冨日出となっている・これはおそらく偶頌のみはFg﹄ 本によって補ったため、訂正されないまま間違ったもの 1と田心フO 同様にその直後の胃胃もP胃胃に訂正しなくてはな らないのに、調伏天のサンスクリット本︵偶頌︶では、冒胃 のままである。安慧釈には目儲涛冒日念.臼息.弓︶とあ り、、各写本の上ではぐ旨目の豐国Hとコン・︿ウンドにな っているのであるから、チゞヘット訳g前目白8から いっても色胃胃でよいと思う。なお調伏天の釈疏では、 この個所も脱落している。 次のロ目冨く農か匡呂厨冨琶かであるが、安慧釈で は騨巨目gqPB︵や臼菖恩︶とあり、調伏天の釈疏でも 色且§四qpgeL誤息.烏︶とあるから、吋口・函本もゞも四. 四本も巨目目く農であるが、宇井博士の訂正のように 且旦屋胃ゆぽの方がよいのかもしれない。︵写本の上では ロ目冒ぐゅロと且目呉農は類似しているので、転写の とき混同されたのかもしれない。︶ 菌匡臼身四か冨口、己冨かの問題も、尿昌本の安慧 釈冨吊己冒︵や臼息.曽急.路︶や調伏天の釈疏のサンス クリット冨巨臼身四令息盟息.g︶からは冨巨め己冨が有 力のようにも見える。︵調伏天の偶頌は冨品己冨とな

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まとめ

r一 以上、﹃唯識三十頌﹄を中心に﹃唯識二十論﹄の第一偶、 第二偶も、ネ・ハール写本を対照して考察してきたが、ほ んの一部分を検討しただけで多くの問題点が見つかった。 今後は﹃唯識三十頌﹂や﹃唯識二十論﹄の全体について も考察を試みるつもりである。 ところで﹁唯識三十頌﹄に関するネ。︿−ル諸写本並び に旧き﹄本との関係は、大体次の如くなるかと思う。 中でも勺色.四本は、わずか五葉ではあるが、非常に 貴重な写本であると思う。﹃唯識二十論﹄の第一偶、第 二偶のサンスクリットも、この写本によって初めて明ら かにされたことの意義は大きいと思う。 ︵昭和六十一年三月八日脱稿︶ っているが、これはFoa本のまま載せただけなので、 資料的にはあまり意味がない。︶しかし甸騨.西本、勺P, 四本には冨尻国冨とあり、安慧釈でも勺煙.四本︵こ の写本が旧の昌本の底本と考えられる︶では箇息国司 とあるから、﹁大乗荘厳経論﹄などで冨尻己冒が何度 も用いられている例から見て、私は偶頌だけでなく安慧 釈も丙凹昴己冒とあったように思う。 註 ①宗教学会︵昭和帥年︶拙稿﹁ネパール写本対照による﹃唯 識三十頌﹂の考察﹂︵﹃宗教研究﹄第弱巻第4輯、獅号︶一 七五頁参照。 ②、伊曾時ぐ昔凹耳目弾国副巴&嵐︶弓胃尉﹄届呂. ③丙.z、9国芹の旦の①”冨百四宮冒弾国威巴目巨︾く目②昌色曽 昌や唖つ。 ④冒昏の豐目冒凹q“ぐ昔色宮目弾国威巴呂ご﹄ぐ閏臼邑儲] ﹄@つ﹃。 ⑤﹁荻原雲来文集﹂六二八頁参照。 ⑥○○E厨房叩甸国四口の目印昌礫ご国昌呉展HH目曾圃ぐ昔騨︲ も陸ご琶画切目P旨庁丘①㈲騨含ロ④CO]ざ○陣○画旦目﹄ず碑包目昌痩国巨の︲ ○国も許肖巨.ゆげ①己四﹄の︺]やつ酌 ⑦﹃唯識二十論﹄の第一偶第二偶のサンスクリット原本に ついては、誰も発表した人はないと思っていたが、校正の 段階でいぼ己自身が仏訳を発表するときに﹁サンスクリ ットテキストの訂正﹂を発表し、その中にこれら二偶の訂 正があることを知った。 用蛍出汁⋮﹃川酵誹翫﹄﹃愚難い十弐﹄﹃緑難川十患﹄ S菰温s勢 勺四.﹄丹:白?く臼︶ 句P﹄丹。 閂 | 呂 揃、|: ぐ : ー 。 :

*吋鱒.奔吋巴日房凰︵江舗︶s暴 帆 ゞ 一

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③z曾茸○口巴肯○旨く①、]z名己.陣冨苗胃君胃3日胃.昌自目 や目o君騨吋四日S四巨口○ヶ四§詠いロ包菖組﹃震︶などがある。 拙著暴瞬回妙需本大乗荘厳経論の研究﹂一八頁参照。 ⑨長尾博士﹁カトマンドゥの仏教写本典籍﹂一九頁参照。 ⑩拙著暴降口妙塞本大乗荘厳経論の研究﹂一七頁参照。 ③本文二十頁以下参照。 ⑫本文十九頁参照。 ⑬本文二十頁参照。 ⑭原急本の冒茸。号。陸○国勺浅目息.鴎参照。 ⑮例えば回げに移る前後の文章は、原風本では儲色目ぐ目 as3とあるが、厄い,昌本では四囲目ぐ昼詳P忌日とな っている。︵おそらく伊曾]本の校正ミスであろう。︶ ⑯原昌本の目貢。旨○陸。pご洲くさ.宙参照。 ⑰本文十七頁参照。 ⑬本文十七頁参照。 ⑲拙稿﹁ネ。︿−ル写本対照による﹃唯識三十頌﹄の考察﹂ ︵﹁宗教研究﹄第開巻第4輯︶一七六頁参照。 ⑳註⑦参照。 ④宇井博士﹁印度哲学研究第こ三頁参照。 ⑳宇井博士﹁印度哲学研究第こ三頁参照。 ⑳50冨呂。g且国︾月忌①3口︲留口め胃拝冒・武○口②昌固 匡忌参照。 @画屋号H︾冒呂切呂①甸巴塵①○唱名宮の目z○.ぐ周︵四○○年 ’二○○年代まで北方インドの写本︶の〆目胃望参照。 ⑮宇井博士﹁四訳対照唯識二十論研究﹂九八頁’九九頁参照。 ⑳z色陸○口巴缶Ho言ご①叩︾z名巳.国吾鼻昌g冒耳ゅ冒昌も.陰 参照。 ⑳宇井博士﹁安菩・護法、唯識三十頌釈論﹂梵文正誤訂正 表参照。 ⑳の○唇巴①函淳侭目の具の旦煕冒曽目鼻勝目目尻涛留昔四︲ も陸ずぽ凶切冨拶﹄ロ庁置の弓鼻口寧。g后○茸○口具目号鼻酋口日四己pmo︲ 凰耳目鼻①国巴のQopHp巳具庁彦①ロ日ぐ日の罫ご具弓○○口四. ト 国巨日四昌陸①、の①○武Opzo・閏︾口昌く①刷詳﹃9吋○○口四︾ご昂︶ ⑳﹁荻原雲来文集﹄六三四頁参照。 ⑳田の畠本、噌忠室.篭参照。 ④荻原博士はこれを﹁写誤﹂と指摘されている。︵荻原雲来 文集六三五頁参照。︶ ⑫。.z四噌○︾冒烏桝〆さ苫①冨昌罫習い︲の日3盲目圃国 ︵弓色再○口①︶固曽参照。 ⑬伊曾︺本、や畠の偶頌参照。 @百目“目冨留口農胃時侭日①己蕨旦ぐ目冨:ぐゅ﹄切目国ロ陸︲ 斥竿画炭山へ国巨屋昇旨旦庁ぽ①開け○巳具○国①具巳①ロロシ時甘曽︺ ■。/ 陣口&①、﹄ご巳ぐ①Hの岸討呉FopQo口︾ぐ巳・〆伊ぐ目胃・勺四博野岳謡︶ ⑮本文二十一︲く二十二頁参照。 ⑳言目︾目冨留口農民坤侭旨①ロ勝旦ぐ目苗号ぐ:津︺︲ 目陛圃︲営圃やミ岸参照。 ⑰例えば﹁大乗荘厳経論﹂の写本に、﹃法法性分別論﹄が混 入していることなどは好例である。︵拙著暴降回妙零本大乗 荘厳経論の研究﹄六一頁参照・︶ ⑬菅目論文、弔埠篭参照。 ⑳忘目論文、や鹿画註砺参照。 ⑳本文二十五’二十六頁参照。

参照

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