国宝『源氏物語絵巻』を読む
久下裕利
はじめに 国宝『源氏物語絵巻』をどのように読み解いていくのかは詞書との関連 ばかりではなく絵と絵との相互関連に視界を拡げて把捉していく必要もあ ろう。 特に画中の素 材 モチーフ に着目してみた場合、 生 図と 東屋 第二図 には褄折傘(大傘)を添描して、直前まで雨が降っていたことあるいは降 っていることを示すが、雨垂れや水滴がどのような効果、役割を演じるか、 詞書に示される物語状況や画中人物の心理とともに画面に何が描かれてい るかによって読み解くことが可能となるのである。しかし、室内の調度品 などを事細かに物語本文が指示している訳ではないし、 それだけに 御法 図 宿木 第三図のように庭前の草花とともに室内とを仕切る御 の秋 風による揺らめきや、またいっけんあるべき几帳が無造作に設置されてい るようでありながら、時に画中のそれぞれの人物の乱れる思念を象るよう に空間を切断している 柏木 第一図のような例もあるから、何が描かれ ているのかという次元にとどまるのではなく、どのように描いてあるのか によっても、素材 モチーフ が場面の主題表象を担い得るのである。 とりわけ扇は平安貴族が男女の区別なく常に携帯するものであり、いち いち物語本文や詞書が手にしている扇に言い及んでいく訳でもない。匂宮 が夕霧六の君との三日目の婚儀も終えた昼間に睦ぶ場面を描く 宿木 第 二図で、居並ぶ女房たちは詞書に「よきわかきひと卅人ばかりわらは六人、 かたほなるなくさうずくれども、れいのうるわしきこともめなれておぼさ れぬべかめれば、ひきたがへこころえぬまでぞこのみぞしたまへめる」と、 匂宮の気を惹くため派手に趣向を凝らした装束に身を包んでいることを物 語は書き記しているが、画中五人の女房たちは当然の挙措としていずれも 顔を隠すために扇を手にしていても、その扇にまで言及する記述はない。 本稿ではむしろ 風や几帳で仕切られた匂宮と六の君の居る画面右側に、 ことさらうち置かれた扇が描かれている、その六の君の手から離れてある 扇の方に注視していくことになるが、物語の主人公たちが手に持つ扇を描 く 御法 図や 東屋 第二図を物語本文 詞書との関連をあらためて確 認しつつ、手から離れてうち置かれた扇の意図するところを考えてみよう と思うのである。 (図版は注後に一括掲載してある。 ) ― 2 ― 学 苑 文 化 創 造学 科紀 要第 八 二 九号 二 ~ 一 九 (二 〇〇九 一一)うち置かれた扇
Ⅰ 東屋 第二図の扇 松に藤がまつわり、その枝葉から降りそそぐ雨の雫を避けるために光源 氏の背後から褄折傘が差しかけられている 生 図を、 などが生い茂 り邸内が荒れ果てても光源氏を待ち続ける末摘花の魂が招き入れた構図と 読んだのは 注(1) 、松と藤の景が平安朝の和歌世界でも定型であり、その上『源 氏物語』が創り上げた藤に託した象徴的喩が 忍ぶ恋 である以上、常識 的な掛詞としても機能する末摘花の 待つ 情念との相乗が 松と藤の景 としての結実であったはずで、たとえ源氏が「たづねてもわれこそとはめ 道もなく深きよもぎのもとのこころを」と独詠鼓舞して一歩牛車から踏み 出したにしても、絵巻画面の構造上から言えば、 き開く逆方向の左側か ら末摘花邸の右へと源氏が進む所以となって現前しているのである。 つまり、国宝絵巻の構図や画像を読み解く場合、原則として平安時代の 習俗 慣例に従い、あるいは和歌や物語世界で培われてきた伝統的イメー ジに寄り添う概念をもって対処していくのが前提であって、いわんや国宝 絵巻が制作された十二世紀の院政という政治状況に絡む深読みや、まして 自己創出の理論 (思いつき、こじつけ) で断じていくのではないのである。 ということで、扇の場合も平安時代の用例を一、二挙げるところから始め たい。 『枕草子』 には定子中宮が乳母の大輔命婦が夫の任地日向に伴って下向 するに際し、餞別に贈った扇の一つに、国司の地の晴れと京の雨の天候を それぞれ片面に描き分け、定子直筆で「あかねさす日に向ひても思ひ出で よ都は晴れぬながめすらむと」と、惜別の一首を添え、趣向を凝らした扇 に仕立てた話はよく知られるところである。次の例も『四条宮下 野集 』 八 十 九段 で餞別に扇を贈っている。 式部 の命婦、 筑紫 へ下るに、扇やるとて、 山 の 端 は 遠 くなるとも大 空 の 雲間 の 月 を 仰 ぎても 見 よ 返 し 思へただ 雲間 の 月 を 眺 めても 心 ぞ 空 になりはてぬ べ き 状況は『枕草子』と 同 じで夫に伴って 筑紫 に下向する 同僚女房 である 式 部 命婦に、下 野 が扇を贈っている。 清 水彰 はその扇に 雲間 の 月 の絵が描か れていたことを 推察 するが 注( 2 ) 、それに「 山 の 端 は」歌が添えられて 書 かれて いたとみたい。また定子の 弟隆家 にも、 『 栄 花物語』 (巻十二、たまのむらぎ く) に例がある。 かくて 帥 中 納 言、 祭 のまたの日下りたま ふ べ ければ、さる べ き所どころより、 御馬 のはなむけの 御装束 どもあるなかに、 中宮もとより 御 心 寄 せ 思ひきこえ さ せ たまへりければ、さ べ き 御装束 せ さ せ たまひて、 御 扇に、 涼 しさは生の松原まさるとも添 ふ る扇の 風 な 忘 れそ 帥 中 納 言 隆家 が 長 和四 年 (一 〇 一 五 ) 四 月 二十四日の 賀 茂 祭 の 翌 日に 太 宰府 に 赴 任するに際し、 この場合中宮は 子 ( 彰 子の 同 母 妹 ) だが、 餞 別 の 装束 とともに「 涼 しさは」歌が添えられた扇が贈られていた。歌中「扇 の 風 」が 風 を お くる機能としての扇に 着目 している ゆ え 掲 出した。 このように餞別のしるしに扇を贈るのは「あ ふ ぎ」に 再会 の 意 を託して の慣例のようだが、 特 に 親 しい 友 であったり、 主 従の 絆 を 確 かめるもので あって、 離 別に際し 誰彼 となく贈るものではないのであろう。それ ゆ え惜 ― 3 ―
別の情を表わす歌一首を添えるのも、その間柄を窺わせる仕儀となろう。 物語でも平安後期の『狭衣物語』には乳母子の式部大夫道成が筑紫下向 に際し、主人である狭衣から餞別の品として日常愛用の扇を貰い受けてい る。道成はその扇を主人の愛人とも知らずに略取した飛鳥井君に誇らしげ に見せるのだが、 扇には狭衣の染みついた移り香が漂い、 「渡る船人楫を 絶え」 (「由良の門を渡る船人楫緒絶え行方も知らぬ恋の道かな」 新古今集 恋一 曽 好忠) と見馴れた筆跡で恋の不安が繰り返し書かれてあった。 自分を 攫った相手が狭衣との主従関係にあることを知り愕然とする中で、入水の 意を決しつつ、その扇に「早き瀬の底の水 になりにきと扇 、 の 、 風 、 よ吹きも 伝へよ」 (小学館新編全集 『 狭衣物語①』 、 巻 一、 一五二頁。 傍 点筆者) と、 飛 鳥井君は涙ながらに辞世を書きつけたのであった。残された扇はその後、 道成から狭衣に渡り、 「扇の風」が魂を運び遠く離れた人とを結びつけて、 船中の飛鳥井君にとっては「只今書きたるやうなるに、面影さへふと思ひ 出でられたまひて」 (①一五二頁) と、扇が狭衣の表象 注(3) となり得たが、今や 逆に狭衣が「さし向ひたる心地する面影恋しきに」 (②二五三頁) と、飛鳥 井君の表象で、本当に形見の品となりいつまでも狭衣の涙を誘う機縁とな っていくのであった。 また『狭衣』巻四では帝位に即いた狭衣が賀茂祭に特製の扇を誂え斎院 となっている最愛の女 ひと である源氏宮へ贈っている。その包み紙には「名を 惜しみ人頼めなる扇かな手かくばかりの契りならぬに」 (②三六三頁) と、 いままでの心に秘めた恋慕の情を書きつけたのであった。それは決して旅 に出る人への餞別の品ではなかった。扇の人を呼んだり、制したりする合 図仕様を逸脱できなかった悔恨を込めて、扇に「あふ」を掛けて、二人の 「 ふ」ことが叶わなかった関係を浮き彫りにしている。 「 ふ」ことを頼 みにさせる扇に恋の成就をいまもって祈りたい狭衣帝の心境が吐露されて いよう。 このように『狭衣物語』は扇をモチーフにそれぞれの女君た ち に関わる 意 匠 を形 作 り物語を 構造化 している ほぼ唯 一の物語なのである 注( 4 ) 。だからと いって、飛鳥井君物語な ど はその 話型 から人物 造型 まで 夕顔 と浮 舟 とを 折 衷 した形成をみせているから、狭衣との間を 往還 する扇な ど の 着想 の一 端 は『源氏物語』に 依拠 しているともいえよう。しかし、飛鳥井君の形見と なった扇が、その 色 に 無頓着 だったのか、あえてその一 致 を 避 けたのか、 「らうたし」 「 お ぼど か」と人物 造型 も相 似 る 夕顔 と浮 舟 が、さらに 場 面形 成 上 、 白 の イメ ー ジ で 統 一され、扇も「 白 き扇」であったのに、 往還 する 飛鳥井君の扇は 単 に「扇」と 記 されるばかりで、 「 白 」を 明示 しない。 『源 氏物語』の「 白 き扇」が 死 を 予兆 する不 吉 な扇として機 能 するのに 対 し、 飛鳥井君の扇は 「 ありし扇ばかりを残させたまひて」 (巻四、 ② 四 〇 三頁) とあるように、 他 の 絵 日 記 等 は 経 紙に 漉 かせて 供養 するが、飛鳥井君を表 象する「扇」は狭衣とともに 生 き残ることになる。 「 白 き扇」 が 死 を表象する不 吉 な扇となってしまうのは、 夕顔 から渡さ れた「 白 き扇」を機縁として 光 源氏との情 交 が 始 まるからで、五 条 の 宿 か ら 廃 院に 連 れ出された 夕顔 が絶 命 する 直前 にある源氏 詠 「 優婆塞 が行ふ道 をしる べ にて 来む 世も 深 き契りたがふな」 ( 夕顔 巻) で、 来 世までの 深 い 契りを 約束 した。それが「 長 生 殿 の古き 例 」を 惹起 して、 唐 の 玄宗 と 楊貴 妃 との 悲 恋を語る 長 恨歌の世 界 と 交 感 してしまい、 連 れ出された「なにが しの院」が 長 生 殿 と 化 して、 夕顔 の 死 を 招 いてしまったのである。 田 中 隆昭 はこの 夕顔 巻で源氏が「なにがしの院」に 連 れ出す 場 面と、 東 屋 巻に 於 いて 薫 が三 条 の小 家 から 宇治 へ 連 れ出す 場 面の 類 似 は 驚 く ほど 似 ― 4 ―
るとして、両巻から本文引用までして対照しているが 注(5) 、ここは単なる序章 でしかなかった。宇治の邸に到着後、亡き八宮や大君のことを思い出しつ つ、琴 きん と箏を取り寄せて、月の出に促されるように、宮の琴の音から音楽 の嗜みへと思いはふくらみ、大君の形代としては音楽の素養に欠ける浮舟 に教えようと試みている。 いと恥づかしくて、 白き扇をまさぐりつつ添ひ臥したるかたはらめ、 い と隈 なう白うて、 なまめいたる額髪の隙など、 いとよく思ひ出でられてあはれな り。 (⑥一〇〇頁) 「白き扇」 が時を反転させるように、 薫はつい 「楚王の台の上の夜の琴 の声」と朗誦してしまう。この詩句は、漢の成帝の愛妃班 はん 妤 しょうよ が、帝寵を 失ったことを夏の白絹の扇が秋になって捨てられるのに喩えて嘆く一節だ ったのである。第一句は 「班女ガ閨中ノ秋ノ扇ノ色」 (和漢朗詠集 雪尊 敬) と始まり、 不運な班女のイメージを浮舟に付着させてしまうのである。 あたかも「白き扇」にまつわって、薫との宿運の拙さが露呈し、匂宮に奪 われ、死への階梯を歩むことを余儀なくされてしまうかのようなのである。 つまり、構造化される夕顔と浮舟との「白き扇」の表象は、離反から死へ の不吉なイメージが堅固に形成されているといえよう。 薫が浮舟の隠れ住む三条の小家から宇治へ連れ出す決意の上で訪れたの が 東屋 第二図の場面であり、その図様で中心となる素材 モチーフ が薫の手にす る扇であった 注(6) 。前掲引用の歌語表現「扇の風」からも想像されるように、 晩秋の寒む寒むしい庭前の簀子縁に腰かけた薫の扇が、彼の芳香を扇の表 徴する風とともに半開きになっている妻戸から室内へ進入させていく。た とえ薫の姿態が「さしとむるむぐらやしげき東屋のあまりほどふる雨そそ きかな」 (⑥九一頁) と独詠する 「「 詠歌 」 の態のイメジャビリ テ ィ 注(7) 」だ と しても、せいぜい雨垂れに濡れて長い間待たされる薫の心中を代 弁 するか のように、 慌 ただしく ぐ扇ほどの 理会 に 留 まるにす ぎ ない。 国宝絵 巻は わ ず か二 十画 面 ( 若紫 図を 含 む) しか 残 っていないものの、 幸 いにも前 述 した 生 図に 同じ く 催馬 楽「東屋」 (東屋の、 真 屋のあまりの、その雨 そそ ぎ 、わ れ 立ち 濡れ ぬ 、 殿 戸開かせ) による 情況 を 設 営 し、 褄折傘 を 配 し、 女の 茅 屋を 突然男 が訪れる場面となっている。 生 い 茂 る「 」や「 葎 」は、 男 がここに 至 るまでのはるかな 隔 りの時 空 の表象ではあるけれども、それ が 画 面の 主題 を 担 う素材 モチーフ ではなか ろ う。 この 東屋 第二図では、雨 滴 はさらに 強 く薫の香りを匂い 立 たせる 役 割 なのであり、まさに「う ち 払 ひたまへる 追 風、いとかたはなるまで東 国 (や 詞書 ) の 里人 も 驚 き ぬ べ し」 (⑥九一頁) なのである。薫の 強 固な意 志 の表徴である芳香は、浮舟との 瀬 を 叶 える「扇」によって、匂い 立 つ 香りをこの扇の風が浮舟の 居 る室内へと 際 やかに 送 り 届 けていくのである。 薫が手にする扇について 物 語本文 詞書 に 明記 されないけれども、扇によ る風にのってい ち はやく薫の芳香が室内へ進入し、 左 画 面のうつ 伏 せて 困 惑 する浮舟と、彼女を取り 囲 み、薫に うように 説 得 する 弁 の 尼 など 四 人 の 侍 女た ち を 描 く 居 所 へと、 観 る 者 の 視 線 をも 誘導 しているといえよう。 雨が 褄折傘 によって、風が扇によって、 画 面に 描 くことのできない 天 象を 描 き、また匂い 立 つ薫の芳香さえ 描 くのである。それは「あめのう ち そそ ぐに風のいとひややかにふきいりていひしら ず かをりくれ ば 、かうなりけ り」とする 詞書 との 鮮 やかな 交 響 、 調 和なのである。 薫の芳香を 誘導 するかのように簀子と 平行 に 描 かれた扇は半開きの妻戸 を 指 し、扇の風によってその芳香は取り 次 ぎ の女 房 が 襖 障 子を開けたまま ― 5 ―
の隙間から確実に進入する経路が画中に示されていく。襖障子等の開閉が 画中空間に奥行きを与えるばかりではないことに気づけば、 東屋 第一 図の襖障子が開いたままであることにも絵師や絵巻制作者の配慮による周 到な工夫があることを知るだろう。池田忍は次のように読み解いている 注(8) 。 この場面で、 ふっくらと晴れやかな顔を見せて絵に見入っている浮舟にた いし、 中 の君は小さな頭部を見せるのみで、 私たちにその表情をうかがうこ とはできない。 し かしこの二人のコントラストによって、 絵を見る者は、 画 中には姿を現さない匂宮の存在が、 中の君を苦しめていることに気づく。 不 在の匂宮は、 この邸宅の主人であり、 彼はこの空間のすみずみまで、 そこに いるすべての女たちを支配する者である。 女同士が絵を見、 物語を読み聞くというもっとも親密な空間の意味を決定 する匂宮の存在は、 画面中央に描かれる、 なかば開かれた襖障子の奥の空間 によって暗示されていると読むこともできよう。 半ば開いた襖障子の奥は二条院西の対の母屋で、 「不在の匂宮」 を 表象 する空間描写であると読み解いたのは卓見だが、それを匂宮の存在支配領 域の確認として定位し、画中に姿を現わさない匂宮であっても、あくまで 女たちを支配する姿なき匂宮の存在を読むのは疑問となろう。匂宮の不在 が、いかにこの場面、この画中の女たちを緊張から解放し、くつろぎ、物 語絵を楽しんでいるのか、浮舟のにこやかな顔貌描出が明かしている。 匂宮が帰邸したのは折悪しく中の君が洗髪中で、その手持ち無沙汰にま かせて、 母屋から西廂にある中仕切り用の襖障子 (西廂を南北に仕切る襖障 子) が細めに開いている隙間から目ざとく浮舟の姿を捉えたのであった。 中のほどなる障子の細目に開きたるより見たまへば、 障子のあなたに、 一尺 ばかりひき離けて 風立てたり、 そのつまに、 几帳、 に添へて立てたり。 帷子一重をうち懸けて、 紫苑色のはなやかなるに、 女郎花の織物と見ゆる重 なりて、 袖口さし出でたり。 風の一枚畳まれたるより、 心にもあらで見ゆ るなめり。 (⑥六〇頁) 匂宮の居る母屋から西廂を見通すには、まず母屋と西廂とを仕切る襖障 子 (画中の正面奥の半ば開いている襖障子) が開いていなければならないが、 この引用箇所でかいま見た後に、 静かに歩み寄る時、 「この廂に通ふ障子 をいとみそかに押し開けたまひて」 、 匂宮は進入を果たすことになる。 と にかく視線を遮るために置かれてあるはずの几帳の帷子一枚が横木に掛け られていたり、 また 風の一折 (一曲) が畳んであったりで、 偶然が重な って匂宮の視線の介入を許し、浮舟の袖口が捉えられている。浮舟に近寄 った匂宮はいつもの好色癖からすぐに実行に移すことになる。 衣の 裾 をとらへたまひて、 こなたの障子は引きたてたまひて、 風のはさま に ゐ たまひ ぬ 。あ や し と 思 ひて、 扇 をさし 隠 して、 見 かへりたるさまいとを かし。 扇 を持たせながらとらへたまひて、 「 誰ぞ 。 名 のりこそゆかしけれ」と のたまふに、むくつけくなり ぬ 。 (⑥六一頁) 正 体 不明の 男 に忍 び 寄られた浮舟にとって、せい ぜ いできることは 扇 で 顔を 隠 すぐらいであって、遮 断 し遮 蔽 する障子や 風がここでは 有効 に匂 宮の姿を 隠 している。不 審 な気配に 感 づいて 乳 母が入って 来 たのは、匂宮 が進入したのとは 反 対 側 、つまり北 側 の 風を押し開けてだった。その 男 が匂宮と知る 乳 母にとってなす 術 はなかったが、 窮地 の浮舟を 救 ったのは、 ― 6 ―
明石中宮の不例の知らせであった。 事の次第を侍女の右近から聞いた中の君は、異腹の妹をなんとか慰めよ うと中の君の居所の方へ招いたと物語本文はする。中の君は二条院西の対 に住まうから、その母屋の方へということなのであろうか。そうではなく、 浮舟の局が設らわれたのは、 「西の廂の、 北に寄りて人げ遠き方に局した り」 (⑥四一頁) と、北廂を含まない西廂の北側二間を局にしていたから 注(9) 、 西廂でもその南側が中の君の居間ということなのであろう。 東屋 第一図の現存詞書は、 「いとおほかるおほむぐしなれば、とみに もほしやりたまはねば」と中の君の洗った髪がなかなか乾かしきれないと いう文脈から始まっていて、巻名が書かれていないところから、もう一紙 この前に詞書の料紙があったにしても、 先程の母屋 西廂の間取りや 風 几帳などの調度類の配置と対応させて、画中を観る必要はないであろう。 ただ中の君は髪を女房に梳かせてうしろ姿に描かれていて、柱間の距離を 置いて浮舟が絵冊子を前にしてにこやかな笑顔をみせて座っている。物語 本文は浮舟を中の君の居間に招いたとするが、画中左側の御 がかかる柱 間の対面は、匂宮に迫られて動揺を隠せない浮舟が、ようやく中の君の前 に姿を現わしたという位置取りで、浮舟が居た北西の奥の間からの移動と いうことを理会すればよいであろう。また浮舟が座る位置は、画中正面半 開きの襖障子の内に繧繝縁の畳が敷れる母屋を視界に入れることなく、緊 張が解れる位置関係に設定されていることが知られるだろう。物語本文は、 匂宮が参内し、今宵は帰るまいとの判断を中の君の口から浮舟に伝えてい た。匂宮の姿なき影は、この場面、この画面に関する限り完全に払拭され、 匂宮の視線を遮るべくあったはずの几帳も、画中では手前正面に象徴的に 描かれ、母屋からの視線を防ぐ役割から解き放たれているし、黒髪を梳か れる中の君は女たちが領じて犯されない空間そのものを如実に表示し、女 房たちも扇を手にすることさえないのである。 几帳の右側の女房はその顔貌 姿態ともに浮舟の雛形として描かれ、あ くまでにこやかな表情が誇張されている。しかし、二条院に匂宮が帰って くれば、再び悲劇が繰り返されることは必定だから、浮舟は三条の小家に 身を隠すことになったのである。そこを今度は、薫に襲われることになっ ていく。 東屋 第一図のにこやかな明るい表情は一転して 東屋 第二 図では、うち伏す浮舟のうしろ姿を描いて、男たちに翻弄される浮舟の宿 運が際やかなのである。 東屋 第二図の扇の役割を考えるにあたって、 縁先の半開きの妻戸か ら室内へ 進 入する薫の 芳 香 を 具 象 化 するため、 東屋 第一図に 於け る二 条院西の対の母屋と西廂を 仕切 る半開きの襖障子に 着目 して、匂宮の視線 の 介 入を 許 した 経緯 を 追 ってみたのである。 Ⅱ 御法 図の扇 宇治十帖 の 主 人 公 薫が手にする扇を描く 東屋 第二図に対し、正 の 主 人 公光源氏 が画面中 央 に座し、手にする扇を描く 御法 図は、その 赤 地 の扇に 日輪 が描かれている 点 からしてさらに注 意 を要することとなる。 死期 せまる 重病 の 紫 の 上 を二条院に 見舞 う場面で、室内には 紫 の 上 と 光 源氏 そして、明石中宮の三人が配され、左側の 庭 先には 強 い 勢 いで 吹 く 秋 風に 加 え 露 で右に 甚 しく 傾 く 秋草 が描かれている。 大 方の 論者 の視 点 は、 詞書に「か ぜ の け しきす ご く ふ きいでたる ゆふ ぐれに、せ ざ いみたま ふ と て」とあって、 紫 の 上 が 庭 前の 萩 の 上 露 に 自 身をよそえて 詠 む「おくと 見 ― 7 ―
るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは露」 とした如く、 「ま ことにきえゆく露のここちして」最期を迎えるところから、乱れる秋草を 歌に詠まれた心象風景と理会し、同時に稲本万里子は「女性の悲しみのメ タファー」と捉えようとしている 注( ) 。 愛しい紫の上終焉の構図であれば、向き合う夫妻に何らかの最後の心の 交感が築かれる画像を具象化するはずなのに、両者は微妙に相容れない姿 態で描かれ、視線も交わそうとしない様相なのである。原岡文子は柱に微 かにもたれるように座す源氏が俯 うつむ き、すべもなく蹲 うずくま る姿に、もはや慰めの ことばをかけたり、その最後の頼みに手を差し伸べようとして前に身を乗 り出す姿態ではなく、 悲哀の極致が刻まれた姿態として描かれている とした 注( ) 。一方、紫の上は脇息に寄りかかりながらも、前に身を乗り出す姿 は、前栽を眺めるための姿勢であるとし、少女の日以来節目とも思われる 折々に前栽に目を向けた姿を確認し、紫の上にとって最もふさわしい終焉 の風景として物語が選び取ったとした。つまり、秋草や前栽に背を向ける ように座す光源氏に対し、激しい風に斜め奥に向かって靡く秋草と紫の上 は対峙し、その視線の先に自分の死で悲しみに暮れる光源氏の愛執の深さ を見据えたのだと、 この図像を読んでいる。 そしてなお原岡氏は、 「とす れば 死の紫の上でなく、光源氏の側の悲しみにこそ、当該場面の中心が 置かれたことを語るのでもあろうか」と、柱を背にする画中人物の中心性 に言及するのであった。 柱間の距離をおいて二人が対面する構図は、 東屋 第一図もそうであ った。柱を背にして居るのは中の君で、絵を楽しむ浮舟を視界に据えて、 亡き大君に酷似する浮舟の容貌に見入り、大君の面影を懐かしんで感懐に ひたっていた。柱を背にする中の君はうしろ姿で描かれているけれども、 当該場面で物語 詞書が語るのは、 その中の君の思いの方であった。 御 法 図では、うしろ姿で描かれる明石中宮は、同じく視点人物であるはず であった 注( ) 。 詞書本文は「みのり」と巻名を記した後、 「中宮はまいりなむとあるを」 と明石中宮の動向から書き出され、中宮の視線で せ細った養母紫の上の 様子が捉えられ、紫の上が風に乱れる萩の上露に自身を擬える詠歌に続け て、光源氏の「ややもせば」歌があり、次に中宮が「秋風に」歌を添える が、物語本文に明記される「宮」が詞書には記されないのである。その直 後、容態が急変した紫の上は、明石中宮に手を取られながら臨終を迎えた のであった。物語 詞書本文とも場面を領導する視線は明石中宮と一体化 していたはずなのである。ところが、画中の明石中宮は涙にくれて泣き崩 れているようにうつ伏したうしろ姿で描かれ、それは 東屋 第二図の浮 舟の如く拒絶する姿態ではあるまいが、向き合う夫妻の空間 へ の 介 入を 避 けるかのように 小 さく描かれる姿 形 は、その 存在 を画中では物語本文や詞 書ほど 強 くは 主張 されていない。紫の上と光源氏は向き合っていても、視 線を交わすこともなくお 互 いが 袖 を 顔 に 押 し当てて涙する態が描かれる。 「か ぜ のけしきす ご くふきいでたるゆふ ぐ れ」 (詞書) から時間は一 瞬 も 進 まず、風になびく秋草がこぞって紫の上の方に 傾 き、その上空には、最 新 の 復 元模 本では 薄 い 青 の線を細く 重ね た風までが描かれていて、 「 銀泥 を 刷 は いて、 月 明かりに 照 らし出された前栽のありさまを描き出している 注( ) 」な どという 解説 を 無効 にしてゆくし、そもそもこの場面に 月 の 存在 はない。 廂 の間で対座する光源氏は、そうした 外 界の 揺 れ動きに目をやらず、ひ たすら時の 移 り 行 くのを拒み、 「ややもせば 消 えをあらそふ露の 世 におく れ先だつほど 経 ずもがな」と詠歌するのであったし、そうかといって 消 え ― 8 ―
ゆく命をひきとめる術 すべ はないのであり、耐え難いけれども、最愛の紫の上 が最期を迎えるに至ったこの現実を受け入れざるを得ない。その姿態がま さに画面中央に描かれる光源氏の像容なのである。 紫の上が気遣うのは自分の死後の光源氏の悲しみであり、原岡文子が読 みすすめたように画中人物の中心として光源氏が設定される構図に意味す るところがあるとすれば、何故その光源氏が手にする扇に一顧だにしない のだろうか。さらにその扇については物語本文にも詞書にも記されないが、 東屋 第二図の薫が手にする茶色地に銀の文様とは違って、 赤地に金の 日輪がはっきりと描かれているのも何やら意味ありげで、光源氏が右膝に 右手を置いて何かを示すかのように持っている扇はいかにも異様で、不自 然な姿態を前面に晒しているのである。 実はその扇の意図が紫の上の死を暗示することを既に述べているが 注( ) 、源 氏の立て膝の指貫に開かれた扇が半分ほど隠れて、描かれてある太陽がま るで沈むかのような所感を記したことは、いくら詞書本文が「さきざきも かくていきいでたまひしをり」と指示する若菜下巻に於いて紫の上の死を 「光うしなふ」 とする表現がなされていたからとはいえ、 いかにも早計で あったかもしれない。というのは、詞書本文の最後は「あけゆくほどにた えはてさ せ たまひぬ」で、その「あけゆくほど」を視覚化する日輪の図様 であったとしたら、それはあたかも太陽が山の端へ沈むのではなく、山の 端から昇ると観ることもでき、そういう時間の経過とともに紫の上の命の 喩であった 露 が、 「まことにきえゆく露のこゝちして」 とある如く紫 の上は息絶えていくことを表象していることになるからであろう。 外界の動揺、ざわめきを拒み孤絶する像容の光源氏にとって押し留めよ うとしても決してできない受け入れざるを得ない紫の上の死という現実の 反映であれば、不自然な源氏の姿態もそれゆえと理会されてこよう。しか し、いずれにしても日輪の扇によって紫の上の死が示されているという私 の読みは動かない。ところが、中島和歌子は、光源氏の手に持つ扇を白露 のごとき紫の上に「風」を送る源氏の存在の象徴とみて、紫の上は白と銀 色の装束を重ねて身にまとっていて、それは銀色に描かれる「月」に喩さ れるべき存在で、金の太陽はむしろ光源氏自身であり、その後に訪れる彼 の死を表わすとした 注( ) 。外界の激しい風を呼び込み、自ら手にするその扇の 風で最愛の紫の上を死地に送るという光源氏にとって惨い仕打ちを象る画 中空間を想定し、なお紫の上との追憶の風景を探し求め四季を巡る幻巻を も無視して、何故この場面で光源氏が自身の死をアピールしなければなら ないのか、理解に苦しむ見解を拙論への批判にことよせて提言したのであ った。 とにかく金の日輪の扇の図柄をどう読むのか、扇の存在自体を超えて 混 迷 するのであろうか。 若紫 図 断簡 (東 京国 立 博 物 館蔵 ) と 御法 図と の呼 応 が紫の上の 登 場と死を描いて、 「 髪 は扇をひろげたるやうにゆらゆ ら」 (若紫巻) とする、 その追憶の風景が光源氏に扇を持たせた画像の 演 出 であることは動かないであろう。 物語本文や詞書に 明 示されない モチ ー フ が画面を 彩 る時、そこに 国宝絵 巻の 創 意を読みとることで、 絵 画が語る 『 源氏物語 』 の 世 界には じ めて感 応 することができよう。それは 近来 の 復 元模 本によってより 鮮 やかで、既 に 柏木 第二図に於いて 横 に 伏 す 柏木 がまとう 夜具 や 帳台 の 壁代 には一 面に 桜 の 花 びらが 散 りばめられ、見 舞 に訪れた 夕霧 が 桜 の 直衣 であること が、 満 開の 桜 下で 蹴鞠 をした、あの過 往 の 六条 院 でかいま見た 女三宮 の姿 が、 狂 おしいまでに 桜 とともに 柏木 の心に 焼 きついていることを 証 し立て ― 9 ―
ていると観ている。死にゆく柏木を取り巻く桜は、夕霧への長い告白を主 体とする一〇七行に及ぶ詞書本文を要請し、 「六条院にいささかなるたが ひめ」 (詞書) があって、 その禁忌の恋と密通の果てに 桜 との深い結 合の相をみせていて、原岡文子の言を借りれば、 「『源氏物語』の禁忌の恋 の滅びの図柄を、陰翳深く彩るものであった 注( ) 」のだろう。 もはやそうした 柏木 第二図の桜の花びらの乱舞は、柏木の末期の視 界に捉えられた女三宮の姿そのものであるというのが共通認識になってい ようが、それが絵師も含めた当時の絵巻制作者の『源氏物語』理会の到達 点と一致していることに驚嘆すると同時に、若菜下巻の桜花のかいま見場 面がこの絵巻の一場面として選択されていたという前提での禁忌の恋の滅 びの図柄となって、 桜 花の文様が壁代や衾 ふすま (夜具) によみがえって現前し てきていると見做されよう。 翻って、 御法 図の源氏が手にする扇の図柄が、 昇 る朝日ではなく 「風すごく吹き出でたる夕暮」 に対応する入 、 る 、 日 、 であることも、 若紫巻で 春の夕暮れに登場した紫の君が山桜に囲まれた光源氏の手にする扇の図柄 に象徴されているはずと見たいのだが、それを確認することが残念ながら 今はできないのである。禁忌の桜にもう一人が捕らわれるところだったが、 野分の日のかいま見であって回避されたのであろうか、そんな夕霧がいた。 義母の紫の上を慕う夕霧にとって、その死は悲しみくれまどい動揺を隠せ なかった。 物語はその後の文脈で、 「十四日に亡せたまひて、 これは十五日の暁な りけり。日はいとはなやかにさし上りて、野辺の露も隠れたる隈なくて」 (④五一一頁) と、 紫の上の死と葬儀の日を明かすのである。 御法 図に 於ける紫の上との最後の対面の夕暮れが、八月十三日で、十四日に亡くな り、その日のうちに亡骸を火葬にして、十五日の暁に骨を拾って帰るので あり、前掲「日はいとはなやかにさし上りて」とは、その十五日の朝の光 景で野分送り時の天象なのであった。十三日の夕暮れから十四日の夜明け まで、月と月の光に関わる叙述はなく、紫の上の死顔を「御色はいと白く 光るやうにて」 (④五〇九頁) とするのも、燈火に照らされていたのであっ て、夕霧の目を通して叙している。夕霧は実母葵の上の死を「月の顔の明 らかにおぼえしを、今宵はただくれまどひたまへり」 (④五一一頁) と、紫 の上の死と対比し、前述した動揺の体であって、徹底してあるべき月と月 の光を排除しているのであった。 な ぜ なら、 柏木 グ ループ にとって、 八月十五夜の月は 鈴虫 第一図と第二図の モチーフ であって、第一図の 詞書は「十五夜の夕暮れ」として 始 まり、 画像 では第二図が 右 上 隅 に月を 描 き、 冷泉 院と光源氏との対 座 に密通による隠された 王権 を照らし出して いるからであった。さらに 横笛 を吹く夕霧が柏木を 蘇 らせ、亡き柏木を 偲 ぶ「あはれ」は、光源氏に末の 世 への 伝 えの 断 念を 自覚 させ、それは同時 に 小嶋 菜 温 子が言うところの 王権 にま つ わる主 題 性 に、 「柏木の 血 の相 伝 の物語も 牽引 されていく 注( ) 」に 違 いなかろう。 そういえば、紫の上の 終焉 が、紫のゆかりの原 像 をも 導 き出すならば、 薄雲 巻には 藤壺 の宮の死を 痛惜 し光源氏がひとり 泣 き暮らす 中 で、夕日が 華 やかにさす 西 の 空 を 眺 めて悲 傷 する「入日さすみ ね にたなびく 薄雲 のも の 思 ふ 袖 にいろやまがへる」 ( ② 四四八頁) を残している。言うまでもなく、 冷泉 院は 藤壺 の宮との密通の子である。柏木 女三宮密通 事件 のその後を 主体に 組 み 立 てられる 柏木 グ ループ の主 題 性 の 中 に 御法 図をどう 定位 するのか、 考 えるべきことは 多 いのである。 ― 10―
Ⅲ 宿木 第二図と第三図の扇 匂宮と夕霧の六の君との婚儀が、宇治の中の君を苦しめることになった。 そんな物語背景の中で 宿木 第二図に於いて六の君の前にうち置かれた 扇と、第三図で中の君が頑なに手に持つ扇は実に対照的なのである。 宿木 第二図が描く場面は、 夕霧邸内の母屋の寝所で、 婚儀三日夜の 盛大な祝宴の翌朝、 露 ところ 顕 あらわし の場面と理解して、 御 帳ではなく 風室礼で描 かれることに疑問を呈する向きもあるが 注( ) 、この場面はその後日の昼間であ って、 詞書も 「みやは女ぎみのおほむありさまひる見きこえさせたまふに」 とある。つまり匂宮は昼間の明るい時に、六の君の容姿を確かめようとし たのであり、 その美しい容顔は期待に叶って、 「けだかきかほのまみ、 い とはづかしげにろうろうじく」 (詞書) と、 非の打ち所がない美貌の姫君 であった。匂宮がその美しさに魅了されて、二条院を留守にする機会が多 くなり、中の君から遠ざかる婚姻であったことが知られ、中の君の苦悩を 深める原因の所在が明確に象られている画面なのであろう。 すなわち、 宿木 第二図が 風と几帳で室内を二分し、 左側に居並ぶ 五名の女房たちはいずれも拡げた扇を手にして恥じらい顔を隠す仕草に徹 して誇張されるのに対し、右側で匂宮が寄り添う六の君は恥じらいを示し てはいるが、扇は畳にうち置かれているという図様構成となるのも当然な のであろう。女房一人ひとりが持つ扇と六の君の前にうち置かれる扇との 対比は、この画面内で六の君の美しい容顔を露わに示していくためという 点に於いて完結していると言えなくもないのである。 一方、 宿木 第三図は、 二条院西の対の南廂であろうか、 庭前からの 視界で匂宮が琵琶を弾き中の君に寄り添うが、その間には小さな几帳があ り、さらに脇息に寄りかかる中の君の右手には扇を拡げて顔を隠し、匂宮 と視線を交えることを避けているかのように正面から斜め左下に顔を背け ていて、その姿勢は懐妊しているとはいえ窮屈そうである。 ところで、残存する詞書は一紙十三行でもう一紙その前に詞書本文が想 定されるから、それを加えて現行物語本文で示すと以下のようになる。 枯れ枯れなる前栽の中に、 尾花の、 物よりことに手をさし出でて招くがをか しく見ゆるに、 ま だ穂に出でさしたるも、 露をつらぬきとむる玉の緒、 はか なげにうちなびきたるなど、 例 のことなれど、 夕風なほあはれなるころなり かし。 穂 (匂宮) にいでぬもの思ふらししのすすき招くたもとの露しげくして なつかしきほどの御衣どもに、 直衣ばかり着たまひて、 琵 琶を弾きゐたまへ り。 黄鐘 調 の き 合 はせを、 いとあはれに弾きなしたまへば、 女君も 心 に (詞書 ↓ ) 入 りたま ( 入 りたる) へることにて、 も の 怨 じ (え 怨 じ 果 てず) もえしはてたまはず、 小さき御几帳のつま よ り 、 脇 息 に 寄 り か か り て ほのかに (悩みたる様して) さし出でたまへる、 い と見まほしくらう たげなり。 「 (中の君) 秋 はつる 野 辺 のけしきもしのすすきほのめく風につけてこそ知れ (見れ) わが 身 ひとつの」 と て 涙ぐ まるるが、 さすがに恥づかしければ、 扇を 紛 らは しておはする 心 の中も、 らうたく 推 しはからる (お ぼ しやらるれど) れど、 かかるにこそ人もえ思 ひ 放 たざらめと疑はしき方ただならで 恨 めしきなめり (方 々 、 覚 えて 恨 み 給 ふなめり) 。 ( ⑤四 六五 六 頁 ) 画面は、くの 字形 の 高欄 によって庭前と仕 切 られ、匂宮の琵琶を弾く姿 態 は、 抜衿 にした直衣姿でいかにもくつろいだ 体 であり、小さな几帳を 境 にして中の君は脇息に寄りかかり、 「 秋 はつる」と 応 じて 涙 するのを、 「さ ― 11―
すがに恥づかしければ、扇を紛らはしおはする」瞬時を切り取った断片と いうに近い様相を呈している。ただ秋の夕風が御 を揺らして、微妙な時 の流れを形作り、匂宮が撥を持って奏る琵琶の音が、わずかに中の君の琴 線にふれて、 堅く閉ざした心の扉を開け得たのか、 「もの怨じもえしはて たまはず」 とある。 この選択され限定化された物語本文 詞書本文 (現存 詞書 「心に」 ↓) は、 夕霧六の君との結婚で間遠になった夫匂宮への中の 君の嫉妬より、匂宮が妻中の君と薫との間を疑う心を示す範囲、枠組みの 文脈となっている。 枯れ枯れな前栽の中に既に花の出た薄を、手招きする薫の下心の表象と 見て、それに対し匂宮の詠歌「穂にいでぬ」は、 「まだ穂に出でさしたる」 しのすすきを中の君に喩え、露を涙として薫を袖で手招きすると非難して いるのであろう。 「 (脇息に寄りかかりて) ほのかにさし出でたまへる」とは、 そのしのすすきに見立てる中の君の姿態であり、詞書本文の「悩みたる様 して」 とは、 匂宮の視点で捉える 「もの思ふらし (しのすすき) 」、 つまり 中の君が薫の誘いに応じるかどうか苦慮しているとみて、中の君の秘めら れた心中を忖度していることばとみられよう。 薫との仲を疑った匂宮の歌に応じた中の君の返歌は、六の君との結婚当 初でありながら、すっかり飽 あ きられてしまったと しのすすき=中の君 に吹く秋 あき 風で知られると、六の君に心の移った匂宮を詰るのであろう。匂 宮を恨む気持ちを抑えられず表情に出したことが、さすがに恥ずかしいの である。 このように秋の前栽の草花で薄 (尾花 しのすすき) は二人の詠歌によっ て確かに知られるが、物語の文脈は続けて同じ場面に新たに菊を投じてい くのである。 菊の、 ま だよくもうつろひはてで、 わざとつくろひたてさせたまへるは、 な かなかおそきに、 い かなる一本にかあらむ、 いと見どころありてうつろひた るを、 と りわきて折らせたまひて、 「花の中に偏に」 と誦じたまひて、 「なに がしの皇子の、 こ の花めでたる夕ぞかし、 いにしへ天人の翔りて、 琵 琶の手 教へけるは。 何ごとも浅くなりにたる世はものうしや」 とて、 御琴をさし置 きたまふを、口惜しと思して…… (⑤四六六頁) 新たな菊の投入から中の君の箏の琴との き合わせが、二人の心をなご ませ和合してこの緊張した場面を打開していくのであった。詞書がこの場 面を「恨めしきなり」でとどめ、 「菊」を排除することは、 「一途に夫婦の 危機的状況として描ききっていくところに眼目 注( ) 」があると、かつて述べた。 画面左側の草花にも菊は描かれないのである。制作当時の色彩をデジタル 修復し、それを 資料 にした復 元模 本でも描かれた秋草は、薄や 萩 、そして 藤袴 であって、菊や 女郎 花ではなかったのである。 宿木 第三図 に描かれた秋の前栽の草花が、 歌に詠まれた薄は当 然 の こととしても、菊や 女郎 花ではなく、 萩 や 藤袴 が何 故 選ばれているのかを、 国宝絵巻 の 解釈 の姿 勢 に 関 わらせて、 河添房江 は 次 のように 指摘 したので あった 注( ) 。 国宝絵巻 の 宿木 ( 三 )の 解釈 は、 女 二の宮や六の君を 連 想 させか ね ない「菊」 「 女郎 花」の秋草を排除しながら、むしろ匂宮 巻 の「 藤袴 」や、 椎 本 巻 の「 小 萩 」 の 喩えなど、 懐 かしい 過去 の 景 物の表象をも取り 込 みながら、 中 の君 匂宮夫妻のすれ 違 う心の象りをいっそう 鮮明 にしているともいえよう。 デジ タル アーカイ ブ による復 元 が 明 らかにするのは、 平安 の 失 われた色彩ばか りでなく、 『源氏 物語 』 を カ ノ ン 化しながらも、物語の本文を 解釈 し 直 し、そ ― 12―
の独自な読みを絵に展開していく国宝絵巻の意図そのものなのである。 国宝絵巻の独自な解釈といっても物語の文脈から逸脱する画像を生成し ている訳ではなく、むしろ当該画面に至るまでの物語で培われてきた映像 イメージ を定着させている画像構成の方法が明かされているといえよう。 そ れは 御法 図の方法とて同じであって、 だからこそこの画面では恥じらいを 紛らわす扇にすぎないけれども、中の君が頑に手にする扇の意図は、ただ 物語本文 詞書に書かれているから絵に添描されているというのでは済ま されないのであり、逆に 宿木 第二図に於いて六の君の前にうち置かれ る扇が物語本文 詞書に書かれていないからといって無視できるものでも ないのである。 宿木 第二図の扇と第三図のそれとを多少とも対比的に取り挙げて読 みを示したのが稲本万里子であった 注( ) 。第二図に関して六の君は袖を口元に あて恥じらうようにうつむているものの、匂宮のまなざしを意識し、すぐ にでも求めに応じる気配で、手前に広げた扇が描かれることによって、す べてを委ね、心の内を伝えようとする六の君の姿勢が披瀝されているとし、 次に第三図に関しては以下のように述べてゆく。 ふたりの間は琵琶と几帳、 脇息と扇によって幾重にも隔てられ、 匂 宮のまな ざしを意識しながらも、 中君はそれを受け入れる気配はない。 扇で遮蔽する ことによって、 秋風にのって匂宮から漂う香りさえも拒絶しているかのよう である。 匂宮から顔をそむける中君は、 まさに匂宮に寄り添う六君の陰画で ある。 男女の情交の場で視線を遮蔽する機能をもつ扇の特性に基づいて、広げ た扇が畳に置かれることでそれを放棄し全てを受け入れる六の君の姿勢と する第二図と、全く受け入れることを拒否する第三図の中の君の姿勢が対 照して取り上げられているのである。 だが、このように 扇の風 ではないにしても視線を遮ることに扇の役 割を限定すれば、 宿木 第二図のうち置かれた扇と第三図の中の君が手 にする扇に、どれ程の意図があるのか、寄り添う匂宮のまなざしと女君た ちの恥じらいの構図に当然のように添描されたにすぎないのかもしれない のである。しかし、扇のある風景と琵琶との組み合わせの構図は、 宿木 第三図に限るわけではなく、 橋姫 図にも現象していることを忘れるこ とはできない。そこに示されたのも、中の君の宿運に関わる意味があった はずなのである。そして 宿木 第三図に於いても薫と女二宮降嫁に関わ る 菊 が除外されたからといって、身重の中の君を支える匂宮が弾く琵 琶の音の響きは、この場面を切り取られた構図として固定し、終息させる ものではなかったはずなのである。 薫との仲の疑念を拭い切れないまま匂宮は箏の琴を取り寄せて、中の君 に合わせることを促したのであった。 うち嘆きてすこし調べたまふ。 ゆるびたりければ、 盤渉調に合はせたまふ き合はせなど、 爪音をかしげに聞こゆ。 伊勢の海うたひたまふ御声のあてに をかしきを、女ばら物の背後に近づき参りて、笑みひろ ご りて ゐ たり。 ( ⑤四 六 七 八頁 ) 匂宮の琵琶は、 「 明 石一族 の 相 伝のしるしとして中の君の箏の琴との合 奏 をうながし、二 人 の 危 機的 状況 から琴 瑟相和 す 状況 を取り 戻 す機能を 担 っていた 注( ) 」 とは、これもかつて述べたことだが、中の君の箏の琴も 「昔 こ ― 13―
そまねぶ人もものしたまひしか、はかばかしく弾きもとめずなりにしもの を」 (⑤四六七頁) と、亡き父八の宮を回顧する文脈まで介在し、二人の合 奏の意義が「何ごとも浅くなりにたる世」に一縷の光明を見出すことがで きそうな余韻を残す。そして、それは匂宮が語る「なにがしの皇子」の挿 話から連想される「老君子」は、堀淳一が指摘するように八の宮のイメー ジが漂い、二人を緊密にむすびつけ、匂宮の黄鐘調の き合わせをうまく 受け継ぎ、 中の君の盤渉調の き合わせへと渡されていくので あ る 注() 。「老 君子」は『教訓抄』に「此曲、大唐ニハ男子誕生ノ時此曲ヲ奏ス」とある から、 「男皇子の誕生までも示唆しているのではなかろうか」 と、 堀氏は 近い将来誕生するであろう中の君の男子であることを予示し寿ぐとみる。 その上、匂宮が謡う催馬楽「伊勢の海」は、明石の君を光源氏に紹介する 琵琶の響きの中にかつてあった。その意図が中の君の宿運にとって、どの ような意味をもつことになるのか、中の君の不安や苦悩とは別に女房たち によって「幸ひ人」 (⑤四六八頁) の呼び名が言挙げされている所以でもあ った。つまり琵琶と扇とが組み合わされる風景、構図の意味を次に問わね ばなるまい。 Ⅳ 橋姫 図の扇 薫が宇治に通って三年目の晩秋、偶然八の宮が山籠りで不在の山荘を訪 れることになった時、黄鐘調に調べて き合わせる琵琶と箏の琴の音に魅 かれて、宇治の姫君たちをはじめてかいま見る機会を得たのであった。そ のかいま見場面が 橋姫 図なのである。いま詞書に対応する物語本文の 方を掲出する。 あなたに通ふべかめる透垣の戸を、 すこし押し開けて見たまへば、 月をかし きほどに霧りわたれるをながめて、 を短く き上げて人々ゐたり。簀子に、 いと寒げに、 身細く萎えばめる童一人、 同 じさまなる大人などゐたり。 内な る人、 一 人は柱にすこしゐ隠れて、 琵琶を前に置きて、 撥を手まさぐりにし つつゐたるに、雲隠れたりつる月のにはかにいと明くさし出でたれば、 「扇な らで、 これしても月はまねきつべかりけり」 とて、 さしのぞきたる顔、 いみ じくらうたげににほひやかなるべし。 添ひ 臥 したる人は、 琴の上にかたぶき かかりて、 「 入 る 日 をかへす撥こそありけれ、さま 異 にも 思 ひ お よびたまふ 御 心 かな」 とて、 う ち 笑 ひたるけはひ、 い ますこし 重 りかによし づ きたり。 (「 お よばずとも、 これも月に 離 るるものかは」 など、 はかなきことをうちと けのたまひかはしたるけはひども、 さらによそに 思 ひやりしには 似 ず、 いと あはれになつかしうをかし。 ) (⑤一三 九 四 〇 頁) 琵琶を前にしているのが中の君で、箏の琴に身を 傾 けてうつ 伏 し 気 味な のが大君であろう。 既 に 拙論 で 従 来から問 題 となっている大君 中の君の 楽 器 の 取 り 換 えや詞書の 変容 については 検討 してあるから 注( ) 、その 結論 とし て雲隠れていた月が明るく 照 り出した時、琵琶の撥をもって「扇ならで、 これしても月はまねきつべかりけり」と言ったのが中の君であり、これに 対し、 「 入 る 日 をかへす撥こそありけれ、 さま 異 にも 思 ひ お よびたまふ 御 心 かな」と 笑 って 窘 める 姉 大君との対 比的叙述 は、 容 貌 や 性格 の 相違 ばか りではなく、その 後 の物語 展 開からすれば、この 姉妹 の宿運の明 暗 を 分 け る会話であった。 中の君が想 定 する 故事 は扇で月を 招 き 寄 せることを前 提 としているし、 大君は撥では 入 る 日 を 返 すの だ というからある 特 定 の 典拠 を 根 拠 にしてい ― 14―
るはずのもの言いであろう 注( ) 。そこで舞楽「陵王」に「日をかへす手といふ 事」があり、 『河海抄』などは「日のくるゝに撥して日を午にかきかへす」 ことと注し、さらに楽書『教訓抄』は、隣国との天子の座をめぐる戦いで 苦戦を強いられた王子が、父王の陵の前で嘆くと、父王が神魂で沈む日を 招いて勝利を導いたので、 「没日還午楽」 との別称が生まれたとする故事 を紹介している。すなわち「陵王」は王権と関わるはずなのである。 『日本紀略』長保三年 (一〇〇一) 十月七日条には、東三条院詮子の四十 の賀宴の試楽に於いて、左大臣道長の長男頼通が童舞で陵王を舞い、天皇 が深く感心し御衣が下賜され、父道長が感に堪えず拝舞したのであった。 服藤早苗は「童舞が絶妙で天皇から御衣下賜があった場合、本人のみなら ず父親にとっても極めて喜ばしいことであり、王権との関係を父子で強化 することになるのであろう。 まさに政治的地位の上昇、 安定化である。 」 と述べている 注( ) 。そもそも一条天皇の御衣下賜を目論んだ左大臣道長の演出 で、むしろこの場に「陵王」を選んだ道長の政治的戦略に感服せざるを得 ない。 前 年長保二年 (一〇〇〇) に定子を皇后とし、 彰子を中宮とする一 帝二后の実現をはかり、またここに早早と嫡嗣頼通を紹介し、王権との距 離をさらに縮めたのであった。 また 『日本紀略』 長保三年 (一〇〇一) 九月十四日条には、 東三条院四 十の算賀を道長が奉ったことを記し、 「始めて法華八講を修む」 とある。 御法巻で死期を予感する紫の上が、二条院に於いて三月の花盛りに法華経 千部供養の法会を行ない、 そこで 「陵王」 が舞われることと関連があ ろうし 注( ) 、さらに二条院を明石中宮所生の匂宮に譲る経緯に「陵王」が関わ るとすれば、夕霧という強力な後見役を得て次期東宮候補の位地を確定し 匂宮の立太子から帝位に即く可能性を描き得る 注( ) 宿木 第二図の構図化の 意匠が 取れる領域にようやく踏み込んでこられたといえよう。それより も何よりも 御法 図の落日の扇が、 「陵王」 の入る日を返す撥に見立て られて、紫の上の死をできれば回避したい光源氏の 胸 中を 形 象 化した日 輪 であったといえることももはや 決 定的なのである。 ということで、あらためて 橋姫 図の 像容 を 観 てみると、 簀 子 縁 に座 る 女 童だろうか、中の 君 の 示 す撥の 方向 と 同 じ姿態 で扇を月に 指 し 向 け て いて、これは 主 人に 同 調 する 女 房 の 姿 で 夕霧 図にも見えていて、本 来 扇で月を招くことであれば、うしろ 姿 である 女 童は 主 人の 代 行で 表裏 一 体 と 判断 できよう。それに 対 し、大 君 は 箏 の 琴 の 絃 に手を 置 いているから 弾 いている 体 なのである。注 視 すべきは 箏 の 琴 の前にうち 置 かれてある 拡げ た扇なのであって、それは 宿木 第二図で夕霧 六 の 君 の前にうち 置 かれ てある 拡げ た扇の構図と 対 照 すべき 相似 形 なのである。 橋姫 図が 同 一 画面 に於いて 持 ち 主 の手から離れてうち 置 かれる扇と、 女 童が 翳 す扇との 対 照 で 完結 するならば、うち 置 かれる扇に 特 別な意図があるはずはない。 琴 を 弾 く手に扇は 不要 なのであり、 昼 の明るさの中で 顔 を見ようとすれば、 隠 すに 不 必 要 な扇となろう。しかし、男 女 間 に うことを領導する扇とみ れば、ことの 推移 は お のずから 異 なろうし、扇を撥に取り 換 えた中の 君 は、 扇を 翳 す 女 童の 代 行によって、王権とそれを手に入れる皇子の 愛 と、その 両 者 を招き手に入れることまでを可能 態 とする位地を 占 めたと 思 われるの である。 薫 は八の宮の 琴 きん の 音 を 慕 うが、八の宮はか つ て 弘 殿 大后の 画 策 に 担 が れ、立太子 争 いに 敗 れ、皇権から 遠 ざかった 身 なのであった。いま八の宮 の絶えた 琴 きん ではなく 琵琶 の 音 があらたに 薫 を導き、中の 君 が扇を撥に 換 え て月を招き 寄 せた。実は 雲 隠 れていた月が 急 に明るくさし出したというの ― 15―
は、 薫の形象化した姿が月であったからといえよう。 鈴虫 第二図の 月 は、 柏木の子である薫の出現とともに 橋姫 図で蘇り再生してき たのであろう。 もし、この 橋姫 図のうち置かれた扇と薫との 瀬さえ実現しなかっ た姉大君との宿運が関連し、 宿木 第二図の夕霧六の君の像容とが重な って、その宿運までを一致させるならば、せいぜい匂宮が六の君に寄り添 う構図の連想が続くにしても匂宮が即位するまでであろう。中の君の男児 が匂宮の第一子として公的に披露され、その産養が盛大に執り行なわれた ことを一つの経過として、その男児の立坊の将来まで見通すことが可能と なるのも 注( ) 、女二宮降嫁によって帝の女婿となっている権大納言兼右大将の 薫が、ポスト夕霧の次代の政権担当者の相貌を確立して、中の君の後見と して支えていく立場にあることも、中の君とその男児の将来の栄華を保証 していくのであろう 注( ) 。 その上、匂宮は中の君にむかって「もし思ふやうなる世もあらば、人に まさりける心ざしのほど、 知らせたてまつるべき一 ひと ふしなんある」 (宿木 巻、 ⑤四〇九頁) と自らが帝位についた暁には立后を約束していたのだか ら、 宿木 第二図に於いても拡げ使い止した扇の持ち主の行末は象徴的 に語られているはずなのである。 注 ( 1 ) 久 下『源氏物語絵巻を読む 物語絵の視界 』 (笠間書院、平成 8 年) 「 生 図を読む 末摘花との再会 」 ( 2 ) 清水彰『四条宮下野集全釈』 (笠間書院、昭和 50年) ( 3 ) 新 編全集頭注に 「この扇は、 まさしく狭衣その人の表象であった」 (①一 四〇頁) と し 、ま た「 「 面影 」 は、 魂が通うもの。 扇が霊的な働きをして、 狭衣の魂を呼び寄せたと見ることもできる」 (②一五二頁) と説明する。 ( 4 ) 久 下 『 狭衣物語の人物と方法』 (新典社、 平成 5 年) 「『狭衣物語』 中の扇に ついて」 。 他 に扇絵の月について菊地仁 「絵を生みだす歌、 歌を生みだす 絵 扇月 の周辺 」 (「国文学」平成 8 年 3 月) 。また高田祐彦「扇」 (『叢書 想像する平安文学第 3 巻』 勉 誠 出 版 、平 成 13年) が『 枕草 子』 『大 鏡 』を 中 心 に「扇のある 風景 」としてまと め ている。 ( 5 )田 中 隆 昭『源氏物語 引用 の 研究 』 (勉 誠 出 版 、平成 11年) 「夕 顔 の物語と 浮舟 の物語」 ( 6 )久 下 前掲 書「 牛車 図の視界」 及 び「 『源氏物語絵巻』 を読む 御法 図について 」 (昭和女子大学「学 苑 」 688、平成 9 年 6 月) ( 7 )大 西広 「物語と絵 画 の 接点 で 「視 点 」 という 悩 ましきもの 」 (「国文学」 臨時 増刊号 平成 12年 7 月) 。「 膝 をくずして上辺を 仰ぎ 見る姿 態 」は 例 えば 承応 三 年 版 絵 入 り 板本 では 幻 巻の 光 源氏、宿木 蜻蛉 巻の薫で、ともに 烏帽 子 直 衣姿で 縁先 に 座 す。さらに 幻 と 蜻蛉 巻は 天空 を 眺 め て 詠 歌する。そうし たポ ーズ の 東屋 第二図は 先 例 となっているといえそうだが、 三例 とも 扇は 手 にしていない。 ( 8 ) 池 田 忍 『 日本 絵 画 の女 性 像 ジェンダ ー 美術史 の視 点 から 』 ( 筑摩 書 房 、平 成 10年) ( 9 ) 倉 田実 「『源氏物語』 の 障 子 寝殿造 の 障具 」 (『源氏物語の 展望 第 三 輯 』 三 弥井 書 店 、平成 20年) ( 10) 稲 本 万 里 子「 「 源氏物語絵巻 」 の 詞 書と絵を め ぐ って 雲居雁 女 三 宮 紫 上の表象 」 (『叢書 想像する平安文学第 4 巻』勉 誠 出 版 、平成 11年) ( 11) 原岡 文子「 紫 の上 終焉 、 悲 しみの構図 「源氏物語絵巻」 「 御 法」 等 を 起 点 に 」 ( 永 井 和子編『源氏物語 へ 源氏物語から』笠間書院、平成 19年) ( 12) 榎 本 正純 「絵 画 と文学 源氏物語絵巻と源氏物語の間 」 (『 講 座 平安文学 論 究 第 八 輯 』 風 間書 房 、平成 4 年) ( 13) 小松茂 美 編『 コ ン パク ト 版 日本 の絵巻 Ⅰ 源氏物語絵巻 寝 覚 物語絵巻』 ― 16―
(中央公論社、平成 5 年) 二一頁。 ( 14)久 下 前 掲 「『源氏物語絵巻』 を読む 御法 図について 」 及 び 『 平安文学 の新研究 物語絵と古筆切を考える 』(新典社、 平 成 18年) 「あとがき 国宝源 氏絵巻と古筆切 」 ( 15) 中 島和歌子 「『源氏物語絵巻』 「 御法 」 の解釈 光源氏の金の太陽の蝙蝠扇を 中心に 」 (「北海道教育大学紀要(人文科学 社会科学編) 」 58、平成 19年 8 月) ( 16) 原岡文子 『源氏物語 両義の糸 人物 表現をめぐって 』(有精堂出版、 平 成 3 年) ( 17) 小 嶋菜温子 『源氏物語批評』 (有精堂出版、 平 成 7 年) 「柏木の恋」 。 他に同 氏 「 月をめぐって 横笛 鈴虫巻 」 (『源氏物語講座 3 光る君の物語』 勉誠 社、 平成 4 年。 のち 『源氏物語の性と生誕 王朝文化史論』 立教大学出版会、 平 成 16年) ( 18)川 本 重 雄 「『源氏物語』 と 『 源氏物語絵巻』 の 空間表現 ~寝所 御座の表現 を中心に~ 」 (「中古文学」 82、平成 20年 12月) ( 19) 久下前掲書「 宿木 第三図を読む 琵琶相伝 」 ( 20) 河添房江 「『源氏物語』 宿木巻の自然と人間 国宝絵巻のデジタル アーカ イブから 」 (「国文学」平成 15年 1 月) ( 21) 稲本万里子 「『源氏物語』 の絵をめぐる解釈と言説 御法、 宿木、 そ して柏 木 」 (「国文学」平成 15年 1 月) ( 22) 久下「国宝源氏物語絵巻 早蕨 グループについて」 (「学苑」平成 14年 1 月) ( 23) 堀 淳一 「向きあう響き 宿木巻の一情景における読みの可能性 」(菊田茂男 編『源氏物語の世界 方法と構造の諸相』風間書房、平成 13年) ( 24) 久下前掲書及び「国宝源氏物語絵巻 橋姫 図再説」 (『源氏物語絵巻とその 周辺』 新典社、 平成 13年) 。 なお後者の論考で 柏木 第三図に関しての言 説は、あくまで女三宮の存在を左上隅に描かれているのが彼女の衣服の裾 と認めた上での立論で、復元模本では几帳の裾と同じ文様であって、そこ に女三宮の存在はいないから、詞書の削除が妥当となり、光源氏の「誰が 世にか」歌も独詠となる。 ( 25) 神野藤昭夫 「扇ならで、 これしても月は招きつべかりけり 異 空間の女た ちとの出会いと 音 楽 」 (『 知 っ 得テクストツ アー源氏物語 ファ イル』学 燈 社、平成 20 年 5 月) 。な お 新 編 全集頭注 は『 楽家録 』を 指摘 しつつ、 琵琶の 「 撥 」に 太 鼓 の「 桴 ( ば ち) 」 をかけて 戯 れたことを説 明 している ( ⑤ 一 四〇 頁) 。 序 に 合奏 の き 合わせ の 調 は、 つき であって、 月 と 掛 けられているの かもしれない。 ( 26) 服藤早 苗 『平安王朝の子 ど もたち 王 権 と 家 童 』 ( 吉 川 弘 文 館 、平 成 16 年) 。た だ 同書一 九 三頁には「 龍 王」とあり、 誤植だろ う。 ( 27) 三月の 桜花 が本 来紫 の上の心 象 風景としてあり、 画 中に 桜 を 形象 化 さ れるのが 適 切なの だ が、 柏木 グループは 桜 を柏木 女三宮関 連 の 表 象 として描いたということ及び 薄雲 巻の藤 壺 の宮の 死 を 悼 む源氏歌「 入 日 さ す 」は、 東 三 条院詮 子 へ の 哀 悼 歌に関 わ ることも 特 に 注 記 しておく。 全集 の方の 頭注 には 「源氏の歌に、 長 保 三 (一 〇〇 一) 年の 東 三 条 女 院 薨 去 の 折 を 思 い出 す 読者も 多 かったであ ろ う」 ( 四 三 九 頁) と す る コメン ト がある。とにかく法 華供養 そして 陵 王が 連 想 さ れ、 各場 面 を関 連 づ けてい る。 ( 28) 星山健 「 宇治十帖 における 政治 性 中君及び 「宿木」 巻の 役割 を中心に 」 ( 東 北大学 「 文 芸 研究」 147、平 成 11年 3 月。 のち 『王朝物語史論』 笠 間書 院 、平 成 20年) ( 29) 吉 井 美弥 子『読む源氏物語読まれる源氏物語』 ( 森話 社、平成 20年) 「中の君 の物語」 ( 30)藤 本 勝 義「 宇治 中君造 型 古 代 文学に 於 ける ヒロ イ ン の 系譜 」 (「国語と国文 学」昭和 55年 1 月) ― 17―
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東屋第二図(木版本)
御法図(木版本)
生図(木版本)
(くげ ひろとし 文化創造学科) ― 19― 宿木第三図(木版本) 鈴虫第二図(木版本) 橋姫図(木版本) 宿木第二図(木版本)