彙 報 日 本 史 学 二 〇 一 二 年 度 よ り 立 命 館 大 学 文 学 部 の 改 組 に よ り 学 域 ・ 専 攻 制 度 が 導 入 さ れ 、 日 本 史 学 専 攻 は 、 考 古 学 ・ 文 化 遺 産 専 攻 と 日 本 史 学 専 攻 と に 分 か れ る こ と と な っ た 。 そ し て こ の 両 者 で 日 本 史 研 究 学 域 を 構 成 し 、 一 回 生 時 は 広 く 日 本 史 学 全 般 に つ い て 学 び 、 二 回 生 進 級 時 よ り ど ち ら か の 専 攻 に 分 属 し て い く と い う 新 シ ス テ ム が 導 入 さ れ た 。 こ れ に と も な い 、一 回 生 向 け に﹁ 日 本 史 学 を 学 ぶ ﹂﹁ 考 古 学 ・ 文 化 遺 産 を 学 ぶ ﹂ と い う 二 冊 の テ キ ス ト を 編 纂 し た 。 新 し い 日 本 史 学 専 攻 に は 、 本 郷 真 紹 教 授 、 桂 島 宣 弘 教 授 、 小 関 素 明 教 授 、 山 崎 有 恒 教 授 、 三 枝 暁 子 准 教 授 の 五 教 員 に 加 え 、 杉 橋 隆 夫 教 授 の 定 年 退 職 補 充 と し て 新 た に 摂 南 大 よ り 美 川 圭 教 授 ︵ 専 門 日 本 中 世 史 ︶ を 迎 え 、 ま た 教 職 課 程 を 担 当 さ れ て い た 畑 中 敏 之 教 授 ︵ 専 門 日 本 近 世 史 ︶ が 移 籍 し て こ ら れ た ︵ な お 杉 橋 隆 夫 先 生 に は 引 き 続 き 特 任 教 授 と し て 専 攻 運 営 に 加 わ っ て い た だ い て い る ︶。 今 年 度 で 最 終 年 度 を 迎 え る 李 豪 潤 助 教 と 合 わ せ 、 九 人 の 専 任 教 員 が 所 属 す る 専 攻 と な っ た 。 新 し く 誕 生 し た 考 古 学 ・ 文 化 遺 産 専 攻 に は 、 和 田 晴 吾 教 授 、 高 正 龍 教 授 、 木 立 雅 朗 教 授 、 矢 野 健 一 教 授 、 下 垣 仁 志 講 師 の 五 教 員 が 所 属 し て い る 。 な お 和 田 教 授 は 今 年 度 い っ ぱ い で 定 年 を 迎 え ら れ る こ と と な る が 、 引 き 続 き 特 任 教 授 と し て 、 二 〇 一 三 年 度 か ら も 専 攻 運 営 に 加 わ っ て い た だ け る こ と が 決 ま っ て い る 。 本 年 度 の 日 本 史 学 専 攻 主 任 は 山 崎 教 授 が ︵ 日 本 史 学 域 長 を 兼 任 ︶、 考 古 学 ・ 文 化 遺 産 専 攻 主 任 は 矢 野 教 授 が 務 め て い る が 、 他 に 本 郷 教 授 が 副 総 長 、 桂 島 教 授 が 文 学 部 長 、 高 教 授 が 副 学 部 長 、 小 関 教 授 が 人 文 科 学 研 究 所 長 な ど 学 内 の 要 職 に あ る 教 員 が 多 く 、 本 学 域 の 先 生 方 は 大 忙 し で あ る 。 本 年 度 、 日 本 史 学 域 斡 旋 科 目 ︵ 文 学 部 の 授 業 担 当 と は 限 ら な い ︶ の 非 常 勤 講 師 と し て ご 出 講 い た だ い て い る の は 、 以 下 の 諸 先 生 で あ る ︵ あ い う え お 順 、 敬 称 略 ︶。 ま た 地 理 学 の 高 橋 学 先 生 、 京 都 学 の 田 中 聡 先 生 に も 講 義 を 担 当 い た だ い て い る 。
︹ 大 学 院 ︺ 神 田 秀 雄 。 ︹ 学 部 ︺ 青 柳 周 一 、 石 黒 衛 、 伊 藤 啓 介 、 井 上 幸 治 、 井 森 徳 男 、 岩 田 慎 平 、 植 山 茂 、 頴 原 善 徳 、 海 原 亮 、 大 田 壮 一 郎 、 片 山 一 道 、 加 藤 麻 子 、 京 嶋 覚 、 小 林 保 夫 、 佐 伯 智 広 、 桜 澤 誠 、 佐 古 愛 己 、 佐 藤 太 久 磨 、 笹 部 昌 利 、 城 下 賢 一 、 高 橋 明 裕 、 竹 内 亮 、 田 中 希 生 、 塚 本 敏 夫 、 告 井 幸 男 、 辻 浩 和 、 手 島 一 雄 、 富 井 真 、 奈 良 勝 司 、 南 部 裕 樹 、 野 田 泰 三 、 花 田 卓 司 、 樋 爪 修 、 廣 川 守 、 福 井 純 子 、 藤 野 真 挙 、 渕 原 智 幸 、 前 原 圭 介 、 宮 川 禎 一 、 毛 利 憲 一 、 盛 岡 秀 人 、 盛 田 良 治 、 吉 井 秀 夫 、 吉 岡 直 人 、 和 田 充 弘 。 こ の う ち 野 田 泰 三 、 福 井 純 子 、 毛 利 憲 一 の 三 先 生 に は 、 日 本 史 学 演 習 ︵ ゼ ミ ︶ を ご 担 当 い た だ い て い る 。 大 学 院 博 士 前 期 課 程 修 了 者 は 、 石 原 和 、 池 坊 由 紀 、 殷 暁 星 、 内 野 那 奈 、 小 川 香 菜 恵 、 許 智 香 、 小 西 真 奈 、 宋 炯 穆 、 田 中 俊 亮 、 堀 口 智 彦 、 松 平 智 史 、 御 山 亮 済 、 米 田 浩 之 、 若 山 憲 昭 の 諸 子 で あ る 。 大 学 院 へ の 入 学 者 は 、 博 士 後 期 課 程 三 名 ︵ 石 原 和 、 殷 暁 星 、 許 智 香 ︶、 前 期 課 程 十 一 名 ︵ 岩 城 奈 歩 、 熊 谷 舞 子 、 坂 元 宏 之 、 鄭 會 憲 、 松 川 雅 信 、 松 崎 健 太 、 松 本 智 也 、 柳 原 麻 子 、 山 口 一 樹 、 山 本 晃 平 、 渡 井 彩 乃 ︶ で あ り 、 後 期 課 程 に 十 六 名 の 院 生 が 、 前 期 課 程 に 三 十 四 名 の 院 生 が 所 属 す る 大 所 帯 と な っ て い る 。 こ れ に 加 え 大 学 院 進 学 プ ロ グ ラ ム を 履 修 す る 数 名 の 四 回 生 が 大 学 院 の 授 業 を 受 講 し て い る 。 東 洋 史 学 本 年 度 は 、 松 本 保 宣 教 授 ・ 鷹 取 祐 司 教 授 ︵ 専 攻 主 任 ︶・ 井 上 充 幸 准 教 授 に 加 え 、 特 任 教 授 と し て 松 本 英 紀 名 誉 教 授 ・ 本 田 治 名 誉 教 授 と 、 落 合 淳 思 助 教 の 、 総 勢 六 名 に て 専 攻 運 営 を 行 う こ と と な っ た 。 な お 、 東 洋 研 究 学 域 の 発 足 に 伴 い 、 北 村 稔 教 授 は 現 代 東 ア ジ ア 言 語 ・ 文 化 専 攻 に お い て 教 鞭 を 執 る こ と と な っ た 。 ま た 、 松 本 ︵ 保 ︶ は 二 年 間 に わ た る 副 学 部 長 の 激 務 を 終 え 、 台 湾 の 中 央 研 究 院 に お い て 研 究 に 専 念 し た 。 非 常 勤 講 師 と し て 、 井 上 泰 也 ・ 牛 根 靖 裕 ・ 大 平 浩 史 ・ 緒 方 賢 一 ・ 齋 藤 真 司 ・ 杉 本 史 子 ・ 谷 秀 樹 ・ 平 木 實 ・ 廣 居 健 ・ 増 井 寛 也 ・ 山 田 崇 仁 ・ 鷲 尾 祐 子 の 各 先 生 に ご 出 講 い た だ い て い る 。 卒 論 ゼ ミ は 、 鷹 取 ・ 井 上 ︵ 充 ︶・ 井 上 ︵ 泰 ︶・ 増 井 が 担 当 し 、 近 現 代 ゼ ミ を 北 村 が 担 当 し て い る 。 本 年 度 、 大 学 院 博 士 前 期 課 程 に は 次 の 四 名 が 入 学 し た ︵ 括 弧 内 は 研 究 課 題 ︶。 池 田 修 太 郎︵ 清 代 ジ ュ ー ン ガ ル 史 ︶・ 小 野 響 ︵ 五 胡 十 六 国 政 治 史 ︶・ 杉 森 雄 平 ︵ 清 代 雍 正 朝 経 済 史 ︶・ 武 末 洋 明 ︵ 中 国 古 代 神 話 研 究 ︶ で あ る 。 二 年 次 に は 郭 大 雨 ︵ 明 末 清 初 史 ︶・ 三 浦 充 喜 ︵ 毛 沢 東 思 想 研 究 ︶ が 、三 年 次 に は 岡 田 憲 征 ︵ 漢 代 政 治 史 ︶ が 在 籍 し て い る 。 博 士 後 期 課 程 に は 、 原 口 賢 一 郎 ︵ D 3 ・ 中 国 北 方 の 始 祖 伝 説 研 究 ︶、 清 水 嘉 江 子 ︵ D 4 ・ 宋 代 女 性 史 ︶ が 在 籍 し て い る 。 ま た 、 後 期 か ら は 菊 地 俊 介 ︵ D 3 ・ 近 現 代 日 中 関 係 史 ︶ が 留 学 を 終 え て 復 帰 し た 。 な お 本 年 度 は 、 二 〇 一 二 年 三 月 末 で 博 士 課 程 を 退 学 し た 大 澤 直 人 氏 が ﹁﹃ 史 記 ﹄ 戦 国 列 伝 の 考 察 ︱ そ の 編 集 意 図 を 探 る ︱ ﹂ と い う 題 目 で 博 士 号 を 取 得 し た 。 西 洋 史 学 立 命 館 大 学 文 学 部 は 本 年 度 学 部 改 革 を 行 な い 、 学 域 制 度 が 導 入 さ れ た 。 西 洋 史 学 専 攻 は 英 米 文 学 専 攻 ・ 文 化 芸 術 専 攻 と と も に 国 際 文 化 学 域 を 構 成 す る 。 そ れ に 伴 い 専 攻 の 態 勢 に も 変 化 が 起 き て い る 。 旧 西 洋 史 学 専 攻 に 所 属 す る 小 田 内 隆 、高 橋 秀 寿 、米 山 裕 、小 林 功 の 四 教 員 の う ち 、 米 山 教 授 が 新 設 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 学 域 国 際 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 専 攻 に 異 動 と な り 、 代 わ っ て 旧 学 際 ブ ロ グ ラ ム よ り 森 永 貴 子 准 教 授 が 西 洋 史 学 専 攻 に 異 動 と な っ た 。 し た が っ て 今 年 度 の 西 洋 史 学 専 攻 は 小 田 内 、 高 橋 、 森 永 、 小 林 の 四 名 の 専 任 教 員 と 特 任 教 授 の 大 戸 千 之 先 生 、 助 教 の 宮 下 敬 志 先 生 に よ っ て 運 営 さ れ て い る 。 な お 米 山 教 授 も 旧 西 洋 史 学 専 攻 ︵ 学 部 二 回 生 以 上 ︶ の 専 攻 運 営 に は 引 き 続 き 参 加 さ れ て い る ほ か 、 大 学 院 に 関 し て は 引 き 続 き 西 洋 史 学 専 修 に 所 属 し て い る 。 本 年 度 は 前 期 に 高 橋 教 授 が 内 留 に よ り 研 究 に 専 念 し て い る 。 ま た 後 期 に は 宮 下 助 教 が ア メ リ カ に 留 学 す る 。 今 年 度 の 専 攻 主 任 は 小 林 で あ る 。 大 学 院 で は 今 年 度 は 修 士 課 程 ・ 博 士 後 期 課 程 と も 進 学 者 が い な か っ た 。 在 学 者 は 修 士 課 程 は 寺 田 真 希 子 ︵ ド イ ツ 現 代 史 ︶、 吉 田 理 紗 ︵ 中 世 文 化 史 ︶ の 二 名 、 博 士 後 期 課 程 は 立 川 ジ ェ ー ム ス ︵ フ ラ ン ク 王 国 史 ︶ の 一 名 で あ る 。 こ の 三 名 に 加 え 、 大 学 院
︹ 大 学 院 ︺ 神 田 秀 雄 。 ︹ 学 部 ︺ 青 柳 周 一 、 石 黒 衛 、 伊 藤 啓 介 、 井 上 幸 治 、 井 森 徳 男 、 岩 田 慎 平 、 植 山 茂 、 頴 原 善 徳 、 海 原 亮 、 大 田 壮 一 郎 、 片 山 一 道 、 加 藤 麻 子 、 京 嶋 覚 、 小 林 保 夫 、 佐 伯 智 広 、 桜 澤 誠 、 佐 古 愛 己 、 佐 藤 太 久 磨 、 笹 部 昌 利 、 城 下 賢 一 、 高 橋 明 裕 、 竹 内 亮 、 田 中 希 生 、 塚 本 敏 夫 、 告 井 幸 男 、 辻 浩 和 、 手 島 一 雄 、 富 井 真 、 奈 良 勝 司 、 南 部 裕 樹 、 野 田 泰 三 、 花 田 卓 司 、 樋 爪 修 、 廣 川 守 、 福 井 純 子 、 藤 野 真 挙 、 渕 原 智 幸 、 前 原 圭 介 、 宮 川 禎 一 、 毛 利 憲 一 、 盛 岡 秀 人 、 盛 田 良 治 、 吉 井 秀 夫 、 吉 岡 直 人 、 和 田 充 弘 。 こ の う ち 野 田 泰 三 、 福 井 純 子 、 毛 利 憲 一 の 三 先 生 に は 、 日 本 史 学 演 習 ︵ ゼ ミ ︶ を ご 担 当 い た だ い て い る 。 大 学 院 博 士 前 期 課 程 修 了 者 は 、 石 原 和 、 池 坊 由 紀 、 殷 暁 星 、 内 野 那 奈 、 小 川 香 菜 恵 、 許 智 香 、 小 西 真 奈 、 宋 炯 穆 、 田 中 俊 亮 、 堀 口 智 彦 、 松 平 智 史 、 御 山 亮 済 、 米 田 浩 之 、 若 山 憲 昭 の 諸 子 で あ る 。 大 学 院 へ の 入 学 者 は 、 博 士 後 期 課 程 三 名 ︵ 石 原 和 、 殷 暁 星 、 許 智 香 ︶、 前 期 課 程 十 一 名 ︵ 岩 城 奈 歩 、 熊 谷 舞 子 、 坂 元 宏 之 、 鄭 會 憲 、 松 川 雅 信 、 松 崎 健 太 、 松 本 智 也 、 柳 原 麻 子 、 山 口 一 樹 、 山 本 晃 平 、 渡 井 彩 乃 ︶ で あ り 、 後 期 課 程 に 十 六 名 の 院 生 が 、 前 期 課 程 に 三 十 四 名 の 院 生 が 所 属 す る 大 所 帯 と な っ て い る 。 こ れ に 加 え 大 学 院 進 学 プ ロ グ ラ ム を 履 修 す る 数 名 の 四 回 生 が 大 学 院 の 授 業 を 受 講 し て い る 。 東 洋 史 学 本 年 度 は 、 松 本 保 宣 教 授 ・ 鷹 取 祐 司 教 授 ︵ 専 攻 主 任 ︶・ 井 上 充 幸 准 教 授 に 加 え 、 特 任 教 授 と し て 松 本 英 紀 名 誉 教 授 ・ 本 田 治 名 誉 教 授 と 、 落 合 淳 思 助 教 の 、 総 勢 六 名 に て 専 攻 運 営 を 行 う こ と と な っ た 。 な お 、 東 洋 研 究 学 域 の 発 足 に 伴 い 、 北 村 稔 教 授 は 現 代 東 ア ジ ア 言 語 ・ 文 化 専 攻 に お い て 教 鞭 を 執 る こ と と な っ た 。 ま た 、 松 本 ︵ 保 ︶ は 二 年 間 に わ た る 副 学 部 長 の 激 務 を 終 え 、 台 湾 の 中 央 研 究 院 に お い て 研 究 に 専 念 し た 。 非 常 勤 講 師 と し て 、 井 上 泰 也 ・ 牛 根 靖 裕 ・ 大 平 浩 史 ・ 緒 方 賢 一 ・ 齋 藤 真 司 ・ 杉 本 史 子 ・ 谷 秀 樹 ・ 平 木 實 ・ 廣 居 健 ・ 増 井 寛 也 ・ 山 田 崇 仁 ・ 鷲 尾 祐 子 の 各 先 生 に ご 出 講 い た だ い て い る 。 卒 論 ゼ ミ は 、 鷹 取 ・ 井 上 ︵ 充 ︶・ 井 上 ︵ 泰 ︶・ 増 井 が 担 当 し 、 近 現 代 ゼ ミ を 北 村 が 担 当 し て い る 。 本 年 度 、 大 学 院 博 士 前 期 課 程 に は 次 の 四 名 が 入 学 し た ︵ 括 弧 内 は 研 究 課 題 ︶。 池 田 修 太 郎︵ 清 代 ジ ュ ー ン ガ ル 史 ︶・ 小 野 響 ︵ 五 胡 十 六 国 政 治 史 ︶・ 杉 森 雄 平 ︵ 清 代 雍 正 朝 経 済 史 ︶・ 武 末 洋 明 ︵ 中 国 古 代 神 話 研 究 ︶ で あ る 。 二 年 次 に は 郭 大 雨 ︵ 明 末 清 初 史 ︶・ 三 浦 充 喜 ︵ 毛 沢 東 思 想 研 究 ︶ が 、三 年 次 に は 岡 田 憲 征 ︵ 漢 代 政 治 史 ︶ が 在 籍 し て い る 。 博 士 後 期 課 程 に は 、 原 口 賢 一 郎 ︵ D 3 ・ 中 国 北 方 の 始 祖 伝 説 研 究 ︶、 清 水 嘉 江 子 ︵ D 4 ・ 宋 代 女 性 史 ︶ が 在 籍 し て い る 。 ま た 、 後 期 か ら は 菊 地 俊 介 ︵ D 3 ・ 近 現 代 日 中 関 係 史 ︶ が 留 学 を 終 え て 復 帰 し た 。 な お 本 年 度 は 、 二 〇 一 二 年 三 月 末 で 博 士 課 程 を 退 学 し た 大 澤 直 人 氏 が ﹁﹃ 史 記 ﹄ 戦 国 列 伝 の 考 察 ︱ そ の 編 集 意 図 を 探 る ︱ ﹂ と い う 題 目 で 博 士 号 を 取 得 し た 。 西 洋 史 学 立 命 館 大 学 文 学 部 は 本 年 度 学 部 改 革 を 行 な い 、 学 域 制 度 が 導 入 さ れ た 。 西 洋 史 学 専 攻 は 英 米 文 学 専 攻 ・ 文 化 芸 術 専 攻 と と も に 国 際 文 化 学 域 を 構 成 す る 。 そ れ に 伴 い 専 攻 の 態 勢 に も 変 化 が 起 き て い る 。 旧 西 洋 史 学 専 攻 に 所 属 す る 小 田 内 隆 、高 橋 秀 寿 、米 山 裕 、小 林 功 の 四 教 員 の う ち 、 米 山 教 授 が 新 設 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 学 域 国 際 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 専 攻 に 異 動 と な り 、 代 わ っ て 旧 学 際 ブ ロ グ ラ ム よ り 森 永 貴 子 准 教 授 が 西 洋 史 学 専 攻 に 異 動 と な っ た 。 し た が っ て 今 年 度 の 西 洋 史 学 専 攻 は 小 田 内 、 高 橋 、 森 永 、 小 林 の 四 名 の 専 任 教 員 と 特 任 教 授 の 大 戸 千 之 先 生 、 助 教 の 宮 下 敬 志 先 生 に よ っ て 運 営 さ れ て い る 。 な お 米 山 教 授 も 旧 西 洋 史 学 専 攻 ︵ 学 部 二 回 生 以 上 ︶ の 専 攻 運 営 に は 引 き 続 き 参 加 さ れ て い る ほ か 、 大 学 院 に 関 し て は 引 き 続 き 西 洋 史 学 専 修 に 所 属 し て い る 。 本 年 度 は 前 期 に 高 橋 教 授 が 内 留 に よ り 研 究 に 専 念 し て い る 。 ま た 後 期 に は 宮 下 助 教 が ア メ リ カ に 留 学 す る 。 今 年 度 の 専 攻 主 任 は 小 林 で あ る 。 大 学 院 で は 今 年 度 は 修 士 課 程 ・ 博 士 後 期 課 程 と も 進 学 者 が い な か っ た 。 在 学 者 は 修 士 課 程 は 寺 田 真 希 子 ︵ ド イ ツ 現 代 史 ︶、 吉 田 理 紗 ︵ 中 世 文 化 史 ︶ の 二 名 、 博 士 後 期 課 程 は 立 川 ジ ェ ー ム ス ︵ フ ラ ン ク 王 国 史 ︶ の 一 名 で あ る 。 こ の 三 名 に 加 え 、 大 学 院
進 学 プ ロ グ ラ ム を 履 修 す る 四 回 生 が 一 名 、 大 学 院 の 授 業 を 受 講 し て い る 。 西 洋 史 関 連 科 目 で 学 部 な い し 大 学 院 に ご 出 講 願 っ て い る の は 、 佐 藤 專 次 、 比 佐 篤 、 庄 子 大 亮 、 田 中 晶 子 、 松 本 涼 、 大 村 和 正 、 小 川 真 和 子 、 加 藤 昌 弘 、 篠 原 道 法 、 川 喜 田 敦 子 、 加 藤 克 夫 、 山 中 聡 、 水 谷 憲 一 の 諸 先 生 方 で あ る 。 六 月 一 六 日 に は 歴 史 家 協 会 第 一 一 回 大 会 が 本 学 朱 雀 キ ャ ン パ ス で 開 催 さ れ た 。 本 学 関 係 者 と し て は 篠 原 道 法 氏 が 報 告 を 行 っ た 。 ま た 東 京 大 学 名 誉 教 授 の 桜 井 万 里 子 先 生 に よ る ﹁ ア テ ナ イ の 宗 教 と 政 治 ︱ 初 穂 奉 献 碑 文 ︵ IG I 3 7 8 ︶ 年 代 の 検 討 を 通 し て 考 え る エ レ ウ シ ス の 秘 儀 の 前 五 世 紀 に お け る 政 治 的 意 義 ﹂ と い う タ イ ト ル の 公 開 講 演 が 行 わ れ た 。
立 命 館 史 学 会 二 〇 一 一 年 度 の 動 向 一 、 例 会 第 六 十 二 回 例 会 ︵ 十 月 二 十 三 日 ︶ 近 世 東 ア ジ ア ネ ッ ト ワ ー ク に お け る 情 報 紐 帯 者 と し て の 漂 流 民
︱
安 田 義 方 ﹃ 朝 鮮 漂 流 日 記 ﹄ よ り︱
松 本 智 也 再 統 一 の 諸 問 題︱
東 西 ド イ ツ 統 一 の あ り 方 を 考 え る︱
北 村 易 子 雍 正 七 年 か ら 一 二 年 に か け て の 清 = ジ ュ ー ン ガ ル 戦 争︱
漢 文 版 ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ か ら︱
池 田 修 太 郎 ナ チ ス 支 配 下 に お け る 音 楽 の 変 遷 と 社 会 寺 田 真 希 子 徳 川 日 本 に お け る ﹁ 六 諭 ﹂ の 受 容 殷 暁 星 ﹁ 哲 学 ﹂ 翻 訳 問 題 許 智 香 二 、 会 誌 会 誌 ﹃ 立 命 館 史 学 ﹄ 第 三 十 二 号 を 発 行 し た 。 三 、 大 会 立 命 館 史 学 会 三 十 三 回 大 会 は 、 十 二 月 一 一 日 午 前 十 時 よ り 、 敬 学 館 二 三 〇 教 室 に て 開 催 さ れ た 。 ︽研 究 発 表 ︾ 肉 食 と ﹁ 癩 ﹂ に 関 わ る 近 世 キ リ シ タ ン 像 の 形 成 A nd re s P ere s R io b 陽 明 学 派 と 嘉 靖 初 年 の 政 治︱
陽 明 学 の 政 治 倫 理 に つ い て︱
焦 堃 古 代 に お け る 墓 観 念 の 変 遷 と 祟 中 尾 芙 貴 子 清 代 末 期 の 女 性 と 訴 訟
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﹃ 巴 県 档 案 ︵ 同 治 朝 ︶﹄︿ 婦 女 ﹀ の 初 歩 的 考 察︱
水 越 知 演 出 さ れ た ﹁ 文 明 化 ﹂︱
一 九 世 紀 末 ア メ リ カ 先 住 民 教 育 に お け る 変 身 写 真 と 変 身 パ レ ー ド︱
宮 下 敬 志 ︽講 演 ︾ 唐 の 祭 祀 儀 礼 と 太 常 寺 江 川 式 部 ︽総 会 ︾ 前 年 度 大 会 以 降 の 収 支 に つ い て 説 明 が な さ れ 、 承 認 を 得 た 。 ま た 、 実 行 委 員 会 か ら 会 費 納 入 に 関 し て 、 振 込 手 数 料 を 会 が 負 担 す る こ と 、 現 在 ま で の 延 滞 分 に 関 し て は 過 去 三 年 分 ま で 遡 っ て 請 求 す る こ と を 提 案 し 、 承 認 を 得 た 。 ま た 、 学 外 に 対 す る 大 会 開 催 の 告 知 は で き る だ け 早 い 時期 に 行 う こ と と し 、 具 体 的 な 方 法 に 関 し て は 実 行 委 員 会 に 委 任 す る こ と が 決 議 さ れ た 。 な お 、 総 会 終 了 後 に は 懇 親 会 が 行 わ れ た 。
二 〇 一 一 年 度 立 命 館 史 学 会 例 会 ・ 大 会 報 告 要 旨 ※ 報 告 者 の 肩 書 き は 報 告 当 時 の も の で す 。 ま た 、 一 部 の 報 告 要 旨 は 不 掲 載 と な っ て い ま す 。 ︻第六十二回例会︼ 近 世 東 ア ジ ア ネ ッ ト ワ ー ク に お け る 情 報 紐 帯 者 と し て の 漂 流 民
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安 田 義 方 ﹃ 朝 鮮 漂 流 日 記 ﹄ よ り︱
松 本 智 也 航 海 の 途 中 に 天 候 不 順 や 海 流 に 巻 き 込 ま れ て 漂 流 し 、 本 来 の 目 的 地 と は 違 う と こ ろ に 流 れ 着 く 海 難 事 故 が 漂 着 で あ る 。 こ れ は 人 間 が 航 海 を 始 め た 時 か ら 発 生 し た と い え 、 海 上 活 動 に 随 伴 し て 当 然 の 如 く 生 じ る 事 故 で あ る 。 だ が 、 そ れ は 漂 着 主 体 が 生 還 し て 、 語 ら な け れ ば 事 実 と し て 明 ら か に な ら な い 。 自 力 で 回 航 す る こ と も あ る が 、 漂 着 地 か ら 保 護 ・ 送 還 さ れ た 事 例 も 数 多 い 。 送 還 さ れ る た め に は 第 一 に 、 国 家 権 力 が 統 治 権 の お よ ぶ 範 囲 内 で の 対 外 関 係 を 掌 握 ・ 統 制 し う る 体 制 が 確 立 し て い る こ と 。 第 二 に 、 国 家 が 相 互 に 漂 流 民 送 還 を 実 現 す る た め の 国 際 関 係 が 存 在 す る と い う 条 件 が 整 備 さ れ て い な け れ ば な ら な い 。 荒 野 泰 典 が 漂 流 民 そ の も の を 主 題 と し て 扱 い 、 こ う し た 諸 条 件 を 幕 藩 体 制 下 で 分 析 す る こ と で 本 格 的 な 漂 流 民 研 究 が 始 ま る 。 日 朝 関 係 に お い て は 池 内 敏 、 李 薫 の 研 究 に よ り 、 前 近 代 の 交 隣 通 交 の 一 つ の 軸 と し て 、 漂 流 民 の 相 互 送 還 体 制 が 機 能 し て い た こ と が 判 明 し た 。 本 報 告 で は そ う し た 先 行 研 究 を 基 に 漂 着 関 係 の 史 料 上 の 限 界 を 述 べ た 後 、﹃ 朝 鮮 漂 流 日 記 ﹄ に つ い て 考 察 し た 。 こ れ は 一 八 一 九 年 に 朝 鮮 半 島 に 漂 着 し た 薩 摩 藩 士 の 安 田 義 方 が 自 ら の 漂 着 体 験 を 書 い た 日 記 で あ る 。 現 地 役 人 と 接 触 し た 際 、 安 田 は 船 頭 の 松 元 に 漂 流 の 事 例 に 関 し て の 経 験 的 知 識 を 問 う た よ う に 、 船 乗 り の 間 に 共 通 の 認 識 が あ っ た こ と が 読 み 取 れ る 。 ま た 、 安 田 が 病 気 で 日 記 を 書 け な か っ た 期 間 は 、松 元 の﹁ 日 記 ﹂を 基 に 再 構 成 し て い る 。 こ の よ う に 船 乗 り の 間 で 何 ら か の ネ ッ ト ワ ー ク が あ っ た こ と が 推 察 で き る 。 報 告 後 の 質 疑 で は 様 々 な 指 摘 を 受 け た 。 ま ず ﹁ 情 報 紐 帯 者 ﹂﹁ 東 ア ジ ア ネ ッ ト ワ ー ク ﹂ と い っ た 概 念 に つ い て の 定 義 が 曖 昧 で あ る こ と 、﹁ 情 報 ﹂ が 誰 に と っ て ど う い う 意 義 の あ る 情 報 な の か と い う 点 。 こ う し た 概 念 が イ メ ー ジ と し て 独 り 歩 き し て い る の で 、 史 料 に 基 づ い て 具 体 的 に 説 明 す べ き で あ る と い う 指 摘 。 ま た ﹃ 朝 鮮 漂 流 日 記 ﹄ そ の も の を 書 誌 学 的 に 分 析 す る こ と に も 大 き な 意 義 が あ る 、 ど う い う ル ー ト で 伝 わ り ど の よ う に 扱 わ れ て い た の か 、 そ れ 自 体 が ﹁ 情 報 の 紐 帯 ﹂ で あ る と い う 助 言 も 頂 い た 。 更 に 、 報 告 中 に 言 及 し た 船 頭 の 松 元 に つ い て 、 船 乗 り の 証 言 が オ フ ィ シ ャ ル な 規 範 性 を 持 っ て い た 点 に 関 し て も っ と 掘 り 下 げ て み て も よ い と い う 助 言 も あ っ た 。 こ の よ う に 多 く の 課 題 を 残 す と こ ろ と は な っ た が 、 有 意 義 な 議 論 と な っ た の で 今 後 の 研 究 に 活 か し て い き た い 。 ︵ 立 命 館 大 学 学 部 生 ︶ 雍 正 七 年 か ら 一 二 年 に か け て の 清 = ジ ュ ー ン ガ ル 戦 争︱
漢 文 版 ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ か ら︱
池 田 修 太 郎 ジ ュ ー ン ガ ル は 一 七 世 紀 か ら 一 八 世 紀 半 ば に か け て 、 中 央 ア ジ ア の 天 山 北 路 に 位 置 す る ジ ュ ン ガ リ ア を 中 心 に 勢 力 を 張 っ た 遊 牧 政 権 で あ る 。 そ の 勢 力 範 囲 は ロ シ ア 、 清 と 接 し て い た が 、 特 に 清 と ジ ュ ー ン ガ ル は 自 ら を ﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 の 庇 護 者 ﹂ と し て 位 置 付 け 、 チ ベ ッ ト 仏 教 を 信 奉 す る 東 ア ジ ア 世 界 ︵﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 世 界 ﹂︶ の 盟 主 た ら ん と し て 激 し く 相 争 っ た 。 清 朝 が ハ ル ハ 、 チ ベ ッ ト 、 新 疆 を 勢 力 圏 に 収 め た の は 、 こ の ジ ュ ー ン ガ ル と の 抗 争 の 結 果 で あ る 。 本 発 表 で は 、 雍 正 七 年 か ら 一 二 年 に か け て 行 わ れ た 清 と ジ ュ ー ン ガ ル の 軍 事 衝 突 に つ い て 、 そ の 基 礎 的 史 料 で あ る 漢 文 版 ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ か ら 検 討 し た 。 そ も そ も ジ ュ ー ン ガ ル 史 研 究 に つ い て は 、 今 日 で は 既 に 満 洲 語 史 料 を 重 ん じ る 研 究 姿 勢 が 一 般 的 で あ る 。 し か し 、 発 表 者 の 語 学 的 能 力 と 満 洲 語 史 料 の 希 少 さ か ら 、 今 回 は 漢 文 版 ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ の 記 述 に よ っ て こ の 軍 事 衝 突 の 検 討 を 試 み た 。 こ の 雍 正 七 年 か ら 一 二 年 に か け て の 軍 事 衝 突 に つ い て は 、 先 行 研 究 で は ﹁ ジ ュ ー ン ガ ル の 東 方 発 展 政 策 ﹂ の 結 果 で あ る と す る 見 方 と 、﹁ 清 朝 の 対 チ ベ ッ ト 政 策 の 一 環 ﹂ で あ る と す る 見 方 が あ る 。 こ の 二 者 の う ち 、 史 料 と 蓄 積 さ れ た 先 行 研 究 を 総 合 し て 見 る と 、 後 者 の 見 方 が よ り 実 態 に 近 い こ と が わ か る 。 す な わ ち 、清 は 雍 正 七 年 ま で に ジ ュ ー ン ガ ル を 除 く﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 世 界 ﹂ 勢 力 を 掌 握 し て い た の に 対 し 、 ジ ュ ー二 〇 一 一 年 度 立 命 館 史 学 会 例 会 ・ 大 会 報 告 要 旨 ※ 報 告 者 の 肩 書 き は 報 告 当 時 の も の で す 。 ま た 、 一 部 の 報 告 要 旨 は 不 掲 載 と な っ て い ま す 。 ︻第六十二回例会︼ 近 世 東 ア ジ ア ネ ッ ト ワ ー ク に お け る 情 報 紐 帯 者 と し て の 漂 流 民
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安 田 義 方 ﹃ 朝 鮮 漂 流 日 記 ﹄ よ り︱
松 本 智 也 航 海 の 途 中 に 天 候 不 順 や 海 流 に 巻 き 込 ま れ て 漂 流 し 、 本 来 の 目 的 地 と は 違 う と こ ろ に 流 れ 着 く 海 難 事 故 が 漂 着 で あ る 。 こ れ は 人 間 が 航 海 を 始 め た 時 か ら 発 生 し た と い え 、 海 上 活 動 に 随 伴 し て 当 然 の 如 く 生 じ る 事 故 で あ る 。 だ が 、 そ れ は 漂 着 主 体 が 生 還 し て 、 語 ら な け れ ば 事 実 と し て 明 ら か に な ら な い 。 自 力 で 回 航 す る こ と も あ る が 、 漂 着 地 か ら 保 護 ・ 送 還 さ れ た 事 例 も 数 多 い 。 送 還 さ れ る た め に は 第 一 に 、 国 家 権 力 が 統 治 権 の お よ ぶ 範 囲 内 で の 対 外 関 係 を 掌 握 ・ 統 制 し う る 体 制 が 確 立 し て い る こ と 。 第 二 に 、 国 家 が 相 互 に 漂 流 民 送 還 を 実 現 す る た め の 国 際 関 係 が 存 在 す る と い う 条 件 が 整 備 さ れ て い な け れ ば な ら な い 。 荒 野 泰 典 が 漂 流 民 そ の も の を 主 題 と し て 扱 い 、 こ う し た 諸 条 件 を 幕 藩 体 制 下 で 分 析 す る こ と で 本 格 的 な 漂 流 民 研 究 が 始 ま る 。 日 朝 関 係 に お い て は 池 内 敏 、 李 薫 の 研 究 に よ り 、 前 近 代 の 交 隣 通 交 の 一 つ の 軸 と し て 、 漂 流 民 の 相 互 送 還 体 制 が 機 能 し て い た こ と が 判 明 し た 。 本 報 告 で は そ う し た 先 行 研 究 を 基 に 漂 着 関 係 の 史 料 上 の 限 界 を 述 べ た 後 、﹃ 朝 鮮 漂 流 日 記 ﹄ に つ い て 考 察 し た 。 こ れ は 一 八 一 九 年 に 朝 鮮 半 島 に 漂 着 し た 薩 摩 藩 士 の 安 田 義 方 が 自 ら の 漂 着 体 験 を 書 い た 日 記 で あ る 。 現 地 役 人 と 接 触 し た 際 、 安 田 は 船 頭 の 松 元 に 漂 流 の 事 例 に 関 し て の 経 験 的 知 識 を 問 う た よ う に 、 船 乗 り の 間 に 共 通 の 認 識 が あ っ た こ と が 読 み 取 れ る 。 ま た 、 安 田 が 病 気 で 日 記 を 書 け な か っ た 期 間 は 、松 元 の﹁ 日 記 ﹂を 基 に 再 構 成 し て い る 。 こ の よ う に 船 乗 り の 間 で 何 ら か の ネ ッ ト ワ ー ク が あ っ た こ と が 推 察 で き る 。 報 告 後 の 質 疑 で は 様 々 な 指 摘 を 受 け た 。 ま ず ﹁ 情 報 紐 帯 者 ﹂﹁ 東 ア ジ ア ネ ッ ト ワ ー ク ﹂ と い っ た 概 念 に つ い て の 定 義 が 曖 昧 で あ る こ と 、﹁ 情 報 ﹂ が 誰 に と っ て ど う い う 意 義 の あ る 情 報 な の か と い う 点 。 こ う し た 概 念 が イ メ ー ジ と し て 独 り 歩 き し て い る の で 、 史 料 に 基 づ い て 具 体 的 に 説 明 す べ き で あ る と い う 指 摘 。 ま た ﹃ 朝 鮮 漂 流 日 記 ﹄ そ の も の を 書 誌 学 的 に 分 析 す る こ と に も 大 き な 意 義 が あ る 、 ど う い う ル ー ト で 伝 わ り ど の よ う に 扱 わ れ て い た の か 、 そ れ 自 体 が ﹁ 情 報 の 紐 帯 ﹂ で あ る と い う 助 言 も 頂 い た 。 更 に 、 報 告 中 に 言 及 し た 船 頭 の 松 元 に つ い て 、 船 乗 り の 証 言 が オ フ ィ シ ャ ル な 規 範 性 を 持 っ て い た 点 に 関 し て も っ と 掘 り 下 げ て み て も よ い と い う 助 言 も あ っ た 。 こ の よ う に 多 く の 課 題 を 残 す と こ ろ と は な っ た が 、 有 意 義 な 議 論 と な っ た の で 今 後 の 研 究 に 活 か し て い き た い 。 ︵ 立 命 館 大 学 学 部 生 ︶ 雍 正 七 年 か ら 一 二 年 に か け て の 清 = ジ ュ ー ン ガ ル 戦 争︱
漢 文 版 ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ か ら︱
池 田 修 太 郎 ジ ュ ー ン ガ ル は 一 七 世 紀 か ら 一 八 世 紀 半 ば に か け て 、 中 央 ア ジ ア の 天 山 北 路 に 位 置 す る ジ ュ ン ガ リ ア を 中 心 に 勢 力 を 張 っ た 遊 牧 政 権 で あ る 。 そ の 勢 力 範 囲 は ロ シ ア 、 清 と 接 し て い た が 、 特 に 清 と ジ ュ ー ン ガ ル は 自 ら を ﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 の 庇 護 者 ﹂ と し て 位 置 付 け 、 チ ベ ッ ト 仏 教 を 信 奉 す る 東 ア ジ ア 世 界 ︵﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 世 界 ﹂︶ の 盟 主 た ら ん と し て 激 し く 相 争 っ た 。 清 朝 が ハ ル ハ 、 チ ベ ッ ト 、 新 疆 を 勢 力 圏 に 収 め た の は 、 こ の ジ ュ ー ン ガ ル と の 抗 争 の 結 果 で あ る 。 本 発 表 で は 、 雍 正 七 年 か ら 一 二 年 に か け て 行 わ れ た 清 と ジ ュ ー ン ガ ル の 軍 事 衝 突 に つ い て 、 そ の 基 礎 的 史 料 で あ る 漢 文 版 ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ か ら 検 討 し た 。 そ も そ も ジ ュ ー ン ガ ル 史 研 究 に つ い て は 、 今 日 で は 既 に 満 洲 語 史 料 を 重 ん じ る 研 究 姿 勢 が 一 般 的 で あ る 。 し か し 、 発 表 者 の 語 学 的 能 力 と 満 洲 語 史 料 の 希 少 さ か ら 、 今 回 は 漢 文 版 ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ の 記 述 に よ っ て こ の 軍 事 衝 突 の 検 討 を 試 み た 。 こ の 雍 正 七 年 か ら 一 二 年 に か け て の 軍 事 衝 突 に つ い て は 、 先 行 研 究 で は ﹁ ジ ュ ー ン ガ ル の 東 方 発 展 政 策 ﹂ の 結 果 で あ る と す る 見 方 と 、﹁ 清 朝 の 対 チ ベ ッ ト 政 策 の 一 環 ﹂ で あ る と す る 見 方 が あ る 。 こ の 二 者 の う ち 、 史 料 と 蓄 積 さ れ た 先 行 研 究 を 総 合 し て 見 る と 、 後 者 の 見 方 が よ り 実 態 に 近 い こ と が わ か る 。 す な わ ち 、清 は 雍 正 七 年 ま で に ジ ュ ー ン ガ ル を 除 く﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 世 界 ﹂ 勢 力 を 掌 握 し て い た の に 対 し 、 ジ ュ ーン ガ ル は ﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 世 界 ﹂ を め ぐ る 争 い に お い て 清 の 後 塵 を 拝 し 続 け 、﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 世 界 ﹂ に お け る 清 の 有 利 は ほ ぼ 確 立 さ れ つ つ あ っ た 。 更 に 、 ジ ュ ー ン ガ ル は 雍 正 五 年 の 時 点 で そ の 部 長 位 の 交 代 に よ っ て 不 安 定 な 政 情 に あ り 、 ま た 部 長 位 を め ぐ る 政 争 に よ っ て 西 方 の カ ザ フ や ト ル グ ー ト と の 関 係 を 悪 化 さ せ て い た 。 こ の よ う な 状 況 下 に お い て 、 清 は チ ベ ッ ト に お け る 反 清 勢 力 を 排 除 す る 過 程 で 対 ジ ュ ー ン ガ ル 開 戦 を 決 定 し た 。 チ ベ ッ ト の 安 定 の た め に 最 後 の 対 立 勢 力 で あ る ジ ュ ー ン ガ ル を 完 全 に 滅 ぼ そ う と い う 企 図 で あ っ た 。 ジ ュ ー ン ガ ル は こ の 動 き を 察 知 し て 先 年 に 結 ん で い た 清 と の 和 平 関 係 を 維 持 し よ う と 使 節 を 送 っ た が 、 清 の 強 硬 な 態 度 か ら 態 度 を 硬 化 さ せ 、 最 終 的 に 両 者 は 武 力 衝 突 へ と 至 っ た 。 以 上 、 武 力 衝 突 に 至 る ま で の 過 程 を 中 心 に 検 討 し て き た が 、 軍 事 衝 突 そ の も の に つ い て は 今 回 の 発 表 で は ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ の 記 述 を 要 約 す る 程 度 に 留 ま っ た 。 今 後 は よ り 多 く の 史 料 か ら 多 面 的 に こ の 軍 事 衝 突 を 検 討 し て い き た い と 考 え て い る 。 ︵ 立 命 館 大 学 学 部 生 ︶ ナ チ ス 支 配 下 に お け る 音 楽 の 変 遷 と 社 会 寺 田 真 希 子 ナ チ ス 支 配 下 の ド イ ツ の 音 楽 は 孤 立 し た も の で は な く 以 前 か ら の 要 素 を 引 き 継 ぎ 、 そ こ で 生 ま れ た 音 楽 文 化 の 要 素 も ま た 戦 後 に 引 き 継 が れ た 。 そ の 中 で 音 楽 の 意 味 や 象 徴 す る も の も ま た 変 化 し て い く 。 こ れ ら の 変 遷 を 通 し て 、 ナ チ ズ ム の 時 代 と 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 社 会 の 大 き な 変 化 を 考 察 す る の が 本 報 告 の 目 的 で あ る 。 音 楽 の 分 析 対 象 と し て 、 戦 中 ・ 戦 後 に お い て ﹁ 不 良 ﹂ と 呼 ば れ た 一 部 の 青 少 年 達 の グ ル ー プ を 扱 う 。 彼 ら の 愛 好 し た 音 楽 は 彼 ら 自 身 の 象 徴 と し て 働 い た の で 、 そ の 歌 詞 を 分 析 す る 事 で 当 時 の 社 会 を よ り 深 く 考 察 す る 事 が で き る と 考 え ら れ る 。 ナ チ ス 支 配 下 の 時 代 で は ﹁ エ ー デ ル ワ イ ス 海 賊 団 ﹂ と 総 称 し て 呼 ば れ た 個 々 の 若 者 グ ル ー プ が 好 ん だ 音 楽 を 分 析 す る 。 彼 ら は ヒ ト ラ ー ・ ユ ー ゲ ン ト の 歌 や 軍 歌 を 敬 遠 し 流 行 歌 を 好 み 、 既 存 の 歌 詞 の 改 変 ・ 改 作 を 行 っ て ナ チ ス と 一 線 を 隠 す 印 と し て 、ま た 抗 議 の 印 と し て 利 用 し た 。 戦 後 の 時 代 の 分 析 対 象 は 、 ハ ル プ シ ュ タ ル ケ 、 い わ ゆ る﹁ 不 良 ﹂達 の 好 ん だ 音 楽 で あ る 。 彼 ら が 好 ん だ の は ロ ッ ク ン ロ ー ル で 、 そ の 映 画 や コ ン サ ー ト を き っ か け に し て 大 規 模 な 暴 動 を 起 こ し 、 ド イ ツ 国 内 で 激 し い 議 論 を 巻 き 起 こ し た 。 こ れ ら 戦 中 ・ 戦 後 の 二 つ の 音 楽 を 歌 詞 の 分 析 を 踏 ま え 比 較 す る と 、 以 下 の 三 つ の 事 が 考 察 で き る 。 一 つ め は 、 戦 中 の 音 楽 に は あ っ た 政 治 的 な 攻 撃 性 が 戦 後 に は ほ ぼ な く な る と い う 事 。 二 つ 目 は 、 戦 後 五 〇 年 代 に は ﹁ ド イ ツ ら し さ ﹂ が ほ ぼ 消 え る と い う 事 。 三 つ 目 は 、 愛 や 憧 れ を テ ー マ に し た 楽 曲 は 戦 中 ・ 戦 後 に 共 通 し て み ら れ る と い う 事 で あ る 。 エ ー デ ル ワ イ ス 海 賊 団 と ハ ル プ シ ュ タ ル ケ に は 共 通 点 も 多 い が 、 ハ ル プ シ ュ タ ル ケ の 運 動 は エ ー デ ル ワ イ ス 海 賊 団 に は 越 え ら れ な か っ た 階 級 を 越 え 、 若 者 世 代 全 体 の 運 動 と な り え た 。 そ れ は ア メ リ カ 文 化 を 運 動 に 取 り 込 ん だ か ら で あ る 。 確 か に 当 時 の 音 楽 産 業 は ロ ッ ク ン ロ ー ル や そ れ に 代 表 さ れ る 若 者 文 化 に 商 品 的 価 値 を 見 出 し 、 そ の 中 に 含 ま れ て い た 反 体 制 的 な 部 分 を 薄 れ さ せ た が 、 そ う し て 若 者 文 化 を 体 制 内 化 す る 事 で 、 階 級 を 越 え た よ り 多 く の 若 者 が こ の 文 化 を 享 受 し た 。 こ の 基 盤 の も と で 若 者 文 化 は ド イ ツ の 支 配 的 な 文 化 に 影 響 を 与 え て い っ た 。 つ ま り 若 者 文 化 が 社 会 変 動 を 引 き 起 こ し て い く 社 会 構 造 が こ こ に 誕 生 し た の で あ る 。 ナ チ ス 期 か ら 五 〇 年 代 に か け て の 時 代 は こ の 社 会 構 造 が 形 成 さ れ る 時 期 だ っ た の だ と 考 え ら れ る 。 ︵ 立 命 館 大 学 大 学 院 博 士 課 程 前 期 課 程 ︶ 徳 川 日 本 に お け る ﹁ 六 諭 ﹂ の 受 容 殷 暁 星 ﹁ 近 世 教 化 史 上 最 も 注 目 す べ き も の ﹂︵ 石 川 謙 ﹃ 近 世 日 本 社 会 教 育 史 の 研 究 ﹄一 九 七 六 ︶と 評 価 さ れ た﹁ 六 諭 ﹂は 、 明 末 清 初 期 に 中 国 か ら 伝 来 し た も の で あ る が 、 そ れ の 江 戸 日 本 に お け る 受 容 と 変 容 、 そ し て 庶 民 教 化 に 果 た し た 役 割 は ど の よ う な も の だ ろ う か 。﹁ 六 諭 ﹂ 関 係 書 に 関 す る 研 究 は 従 来 、 交 流 史 、 書 誌 学 、 教 育 史 な ど の 視 野 か ら 考 察 さ れ た 研 究 が 多 く 、 思 想 史 の 角 度 か ら は 、 角 田 多 加 雄 氏 の 朱 子 学 と 陽 明 学 の 齟 齬 か ら 分 析 す る 見 解 が 注 目 さ れ て い る ︵ 角 田 多 加 雄 ﹁﹃ 六 諭 衍 義 大 意 ﹄ に つ い て の 教 育 思 想 史 的 考 察 ﹂ 一 九 八 九 ︶。 先 行 研 究 の 動 向 を 受 け て 、
ン ガ ル は ﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 世 界 ﹂ を め ぐ る 争 い に お い て 清 の 後 塵 を 拝 し 続 け 、﹁ チ ベ ッ ト 仏 教 世 界 ﹂ に お け る 清 の 有 利 は ほ ぼ 確 立 さ れ つ つ あ っ た 。 更 に 、 ジ ュ ー ン ガ ル は 雍 正 五 年 の 時 点 で そ の 部 長 位 の 交 代 に よ っ て 不 安 定 な 政 情 に あ り 、 ま た 部 長 位 を め ぐ る 政 争 に よ っ て 西 方 の カ ザ フ や ト ル グ ー ト と の 関 係 を 悪 化 さ せ て い た 。 こ の よ う な 状 況 下 に お い て 、 清 は チ ベ ッ ト に お け る 反 清 勢 力 を 排 除 す る 過 程 で 対 ジ ュ ー ン ガ ル 開 戦 を 決 定 し た 。 チ ベ ッ ト の 安 定 の た め に 最 後 の 対 立 勢 力 で あ る ジ ュ ー ン ガ ル を 完 全 に 滅 ぼ そ う と い う 企 図 で あ っ た 。 ジ ュ ー ン ガ ル は こ の 動 き を 察 知 し て 先 年 に 結 ん で い た 清 と の 和 平 関 係 を 維 持 し よ う と 使 節 を 送 っ た が 、 清 の 強 硬 な 態 度 か ら 態 度 を 硬 化 さ せ 、 最 終 的 に 両 者 は 武 力 衝 突 へ と 至 っ た 。 以 上 、 武 力 衝 突 に 至 る ま で の 過 程 を 中 心 に 検 討 し て き た が 、 軍 事 衝 突 そ の も の に つ い て は 今 回 の 発 表 で は ﹃ 平 定 準 噶 爾 方 略 ﹄ の 記 述 を 要 約 す る 程 度 に 留 ま っ た 。 今 後 は よ り 多 く の 史 料 か ら 多 面 的 に こ の 軍 事 衝 突 を 検 討 し て い き た い と 考 え て い る 。 ︵ 立 命 館 大 学 学 部 生 ︶ ナ チ ス 支 配 下 に お け る 音 楽 の 変 遷 と 社 会 寺 田 真 希 子 ナ チ ス 支 配 下 の ド イ ツ の 音 楽 は 孤 立 し た も の で は な く 以 前 か ら の 要 素 を 引 き 継 ぎ 、 そ こ で 生 ま れ た 音 楽 文 化 の 要 素 も ま た 戦 後 に 引 き 継 が れ た 。 そ の 中 で 音 楽 の 意 味 や 象 徴 す る も の も ま た 変 化 し て い く 。 こ れ ら の 変 遷 を 通 し て 、 ナ チ ズ ム の 時 代 と 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 社 会 の 大 き な 変 化 を 考 察 す る の が 本 報 告 の 目 的 で あ る 。 音 楽 の 分 析 対 象 と し て 、 戦 中 ・ 戦 後 に お い て ﹁ 不 良 ﹂ と 呼 ば れ た 一 部 の 青 少 年 達 の グ ル ー プ を 扱 う 。 彼 ら の 愛 好 し た 音 楽 は 彼 ら 自 身 の 象 徴 と し て 働 い た の で 、 そ の 歌 詞 を 分 析 す る 事 で 当 時 の 社 会 を よ り 深 く 考 察 す る 事 が で き る と 考 え ら れ る 。 ナ チ ス 支 配 下 の 時 代 で は ﹁ エ ー デ ル ワ イ ス 海 賊 団 ﹂ と 総 称 し て 呼 ば れ た 個 々 の 若 者 グ ル ー プ が 好 ん だ 音 楽 を 分 析 す る 。 彼 ら は ヒ ト ラ ー ・ ユ ー ゲ ン ト の 歌 や 軍 歌 を 敬 遠 し 流 行 歌 を 好 み 、 既 存 の 歌 詞 の 改 変 ・ 改 作 を 行 っ て ナ チ ス と 一 線 を 隠 す 印 と し て 、ま た 抗 議 の 印 と し て 利 用 し た 。 戦 後 の 時 代 の 分 析 対 象 は 、 ハ ル プ シ ュ タ ル ケ 、 い わ ゆ る﹁ 不 良 ﹂達 の 好 ん だ 音 楽 で あ る 。 彼 ら が 好 ん だ の は ロ ッ ク ン ロ ー ル で 、 そ の 映 画 や コ ン サ ー ト を き っ か け に し て 大 規 模 な 暴 動 を 起 こ し 、 ド イ ツ 国 内 で 激 し い 議 論 を 巻 き 起 こ し た 。 こ れ ら 戦 中 ・ 戦 後 の 二 つ の 音 楽 を 歌 詞 の 分 析 を 踏 ま え 比 較 す る と 、 以 下 の 三 つ の 事 が 考 察 で き る 。 一 つ め は 、 戦 中 の 音 楽 に は あ っ た 政 治 的 な 攻 撃 性 が 戦 後 に は ほ ぼ な く な る と い う 事 。 二 つ 目 は 、 戦 後 五 〇 年 代 に は ﹁ ド イ ツ ら し さ ﹂ が ほ ぼ 消 え る と い う 事 。 三 つ 目 は 、 愛 や 憧 れ を テ ー マ に し た 楽 曲 は 戦 中 ・ 戦 後 に 共 通 し て み ら れ る と い う 事 で あ る 。 エ ー デ ル ワ イ ス 海 賊 団 と ハ ル プ シ ュ タ ル ケ に は 共 通 点 も 多 い が 、 ハ ル プ シ ュ タ ル ケ の 運 動 は エ ー デ ル ワ イ ス 海 賊 団 に は 越 え ら れ な か っ た 階 級 を 越 え 、 若 者 世 代 全 体 の 運 動 と な り え た 。 そ れ は ア メ リ カ 文 化 を 運 動 に 取 り 込 ん だ か ら で あ る 。 確 か に 当 時 の 音 楽 産 業 は ロ ッ ク ン ロ ー ル や そ れ に 代 表 さ れ る 若 者 文 化 に 商 品 的 価 値 を 見 出 し 、 そ の 中 に 含 ま れ て い た 反 体 制 的 な 部 分 を 薄 れ さ せ た が 、 そ う し て 若 者 文 化 を 体 制 内 化 す る 事 で 、 階 級 を 越 え た よ り 多 く の 若 者 が こ の 文 化 を 享 受 し た 。 こ の 基 盤 の も と で 若 者 文 化 は ド イ ツ の 支 配 的 な 文 化 に 影 響 を 与 え て い っ た 。 つ ま り 若 者 文 化 が 社 会 変 動 を 引 き 起 こ し て い く 社 会 構 造 が こ こ に 誕 生 し た の で あ る 。 ナ チ ス 期 か ら 五 〇 年 代 に か け て の 時 代 は こ の 社 会 構 造 が 形 成 さ れ る 時 期 だ っ た の だ と 考 え ら れ る 。 ︵ 立 命 館 大 学 大 学 院 博 士 課 程 前 期 課 程 ︶ 徳 川 日 本 に お け る ﹁ 六 諭 ﹂ の 受 容 殷 暁 星 ﹁ 近 世 教 化 史 上 最 も 注 目 す べ き も の ﹂︵ 石 川 謙 ﹃ 近 世 日 本 社 会 教 育 史 の 研 究 ﹄一 九 七 六 ︶と 評 価 さ れ た﹁ 六 諭 ﹂は 、 明 末 清 初 期 に 中 国 か ら 伝 来 し た も の で あ る が 、 そ れ の 江 戸 日 本 に お け る 受 容 と 変 容 、 そ し て 庶 民 教 化 に 果 た し た 役 割 は ど の よ う な も の だ ろ う か 。﹁ 六 諭 ﹂ 関 係 書 に 関 す る 研 究 は 従 来 、 交 流 史 、 書 誌 学 、 教 育 史 な ど の 視 野 か ら 考 察 さ れ た 研 究 が 多 く 、 思 想 史 の 角 度 か ら は 、 角 田 多 加 雄 氏 の 朱 子 学 と 陽 明 学 の 齟 齬 か ら 分 析 す る 見 解 が 注 目 さ れ て い る ︵ 角 田 多 加 雄 ﹁﹃ 六 諭 衍 義 大 意 ﹄ に つ い て の 教 育 思 想 史 的 考 察 ﹂ 一 九 八 九 ︶。 先 行 研 究 の 動 向 を 受 け て 、
本 報 告 で は 朱 子 学 、 陽 明 学 な ど 固 定 さ れ た 思 想 の 枠 組 み か ら 脱 し 、 思 想 、 政 治 、 教 育 及 び 日 中 交 渉 史 の 総 合 的 な 視 野 か ら ﹁ 六 諭 ﹂ 関 係 書 の 徳 川 日 本 に お け る 受 容 と 変 容 を 分 析 し よ う と 試 み た 。 報 告 は 、 以 下 の 二 点 に 絞 っ て 行 っ た 。 一 つ は 、 中 国 伝 来 の ﹁ 六 諭 衍 義 ﹂︵ 以 下 、﹁ 衍 義 ﹂ と 略 す ︶ と 徳 川 日 本 の 御 用 儒 者 で あ る 室 鳩 巣 に よ っ て 編 纂 さ れ た ﹁ 六 諭 衍 義 大 意 ﹂︵ 以 下 ﹁ 大 意 ﹂ と 略 す ︶ の 異 同 を 比 較 し な が ら 、 享 保 期 に お け る ﹁ 六 諭 ﹂ 思 想 の 受 容 と 変 容 に つ い て 検 討 し た 点 。 そ し て も う 一 つ は 、 第 一 点 を 踏 ま え 、 五 人 組 法 規 に お け る ﹁ 六 諭 ﹂ 思 想 の 編 入 と 活 用 に つ い て 考 察 し た 点 で あ る 。 ま ず 第 一 点 で は 、﹁ 六 諭 衍 義 ﹂ と ﹁ 六 諭 衍 義 大 意 ﹂ の 差 異 を 、 ① ﹁ 大 意 ﹂ に お け る 風 習 に 関 す る 叙 述 の 削 除 、 ② ﹁ 大 意 ﹂ に お け る ﹁ 良 心 ﹂ 説 の 欠 如 、 ③ ﹁ 理 ﹂ に 関 す る 解 釈 の 差 異 、 ④ ﹁ 大 意 ﹂ に お け る 身 分 ・ 上 下 関 係 に 対 す る 重 視 、 ⑤ ﹁ 大 意 ﹂ に お け る 公 論 ・ 公 評 説 の 欠 如 、 の 五 点 に ま と め 、﹁ 大 意 ﹂ の 編 纂 過 程 に お け る 室 鳩 巣 と 将 軍 吉 宗 の 庶 民 教 化 意 識 を 配 慮 し な が ら 、 そ れ ぞ れ の 差 異 は な ぜ 起 こ っ た の か 、と い う 疑 問 に 対 し て 検 討 を 行 っ た 。 次 に 第 二 点 で は 、 五 人 組 法 規 を 用 い て 、﹁ 六 諭 ﹂ 思 想 の 編 入 に つ い て 考 察 し た 。﹁ 大 意 ﹂ お け る 公 評 ・ 公 論 説 の 欠 如 は 、実 は ﹁ 六 諭 ﹂ 思 想 と 五 人 組 法 規 と の 結 合 に よ っ て 克 服 さ れ た こ と が わ か る 。 教 化 思 想 の 伝 達 よ り も 村 共 同 体 の 役 割 を 重 視 し 、 明 清 王 朝 で は 郷 約 と 保 甲 、 徳 川 日 本 で は 五 人 組 を 利 用 し て 、﹁ 六 諭 ﹂ の 効 用 を 発 揮 さ せ た 。 そ し て 、そ の 中 で ﹁ 六 諭 ﹂ 思 想 の 流 伝 は 保 障 さ れ て い た 。 こ の よ う な 検 討 は 、 前 近 代 東 ア ジ ア 社 会 空 間 の 共 通 性 を 証 明 し た う え 、 東 ア ジ ア に お け る 知 の 流 動 に 対 す る 考 察 に 一 つ 素 材 を 提 供 す る も の で あ ろ う 。 ︵ 立 命 館 大 学 大 学 院 博 士 課 程 前 期 課 程 ︶ ﹁ 哲 学 ﹂ 翻 訳 問 題
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西 周 を 中 心 に︱
許 智 香 本 発 表 で は ﹁ 哲 学 ﹂ と い う 用 語 の 翻 訳 に 関 す る 問 題 を 、 西 周 ︵ 一 八 二 九 ∼ 一 八 九 七 ︶ の 哲 学 関 連 テ キ ス ト を 中 心 に 扱 っ た 。 こ れ ま で の 研 究 で は 、 西 周 が 西 洋 の 学 問 用 語 を 翻 訳 し た こ と は 日 本 の 近 代 化 を 成 し 遂 げ る 大 き な き っ か け に な っ た と さ れ て き た 。 こ の 点 は 確 か で あ る 。 だ が 、 こ れ だ け で は 哲 学 が 翻 訳 さ れ る 過 程 で 実 際 に 何 が 起 こ っ た の か を み る こ と は で き な い 。 し た が っ て 、 本 発 表 で は ま ず 、 西 周 が フ ィ ロ ソ フ ィ ー を 翻 訳 す る 過 程 に お い て 儒 学 的 な 概 念 で あ る ﹁ 理 ﹂ が ど の よ う に 作 用 し て い る の か を 確 認 し た 。 そ し て 、﹁ 百 一 新 論 ﹂︵ 一 八 七 四 ︶ を 通 じ て ﹁ 哲 学 ﹂と 翻 訳 さ れ る 文 脈 を 具 体 的 に 分 析 し た 。そ の 結 果 、 西 周 が 新 し い 概 念 を 用 い る 際 の 表 し 方 は 、 漢 文 と い う 文 体 と つ ね に 衝 突 し て い た 点 、そ し て フ ィ ロ ソ フ ィ ー を﹁ 西 洋 の 理 の 学 問 ﹂ と 理 解 し つ つ も 、既 存 の 概 念 で あ る ﹁ 理 ﹂ が も つ 思 想 史 的 位 置 お よ び イ メ ー ジ の た め に ﹁ 理 学 ﹂ と 翻 訳 す る こ と が で き な か っ た 点 を 明 ら か に し た 。 こ れ ら の 問 題 は 、 近 代 日 本 に お い て 翻 訳 と は 何 で あ っ た の か を 示 す も の で も あ る 。 つ ま り 、 西 周 の 儒 学 的 知 識 や ﹁ 理 ﹂ の 位 相 か ら 、 フ ィ ロ ソ フ ィ ー の 理 解 が ﹁ 哲 学 ﹂ と し て 翻 訳 さ れ る ま で の 過 程 を み れ ば 、既 存 の ﹁ 言 語 の 等 価 交 換 ﹂ と し て の 翻 訳 概 念 は 崩 れ て し ま う 。 い わ ゆ る 啓 蒙 知 識 人 の 西 洋 学 問 用 語 の 翻 訳 行 為 が 日 本 の 近 代 化 を 成 し 遂 げ た と す る 議 論 に つ い て は 、 近 代 日 本 に お け る 翻 訳 と い う 問 題 に 関 し て 、 根 本 的 に 問 い 直 す 必 要 が あ る と 思 わ れ る 。 そ う し な い 限 り 、﹁ 哲 学 ﹂ を は じ め 、 明 治 期 に 作 ら れ た 日 本 式 漢 字 語 が 植 民 地 朝 鮮 お よ び 中 国 、台 湾 ま で 広 が り 、 現 在 に 至 る ま で そ の 国 々 の 知 的 グ ラ ウ ン ド ー を 形 成 し て い る 現 象 を 問 う こ と も で き な い だ ろ う 。 本 発 表 は 、 そ の 一 部 と し て ﹁ 哲 学 ﹂ の 翻 訳 過 程 を テ ー マ と し た も の で あ る 。 ︵ 立 命 館 大 学 大 学 院 博 士 課 程 前 期 課 程 ︶ ︻第三十三回大会︼ 肉 食 と ﹁ 癩 ﹂ に 関 わ る 近 世 キ リ シ タ ン 像 の 形 成 A nd re s P ere s R io bo 今 回 の 報 告 で は 肉 食 や ﹁ 癩 ﹂ に 関 す る キ リ シ タ ン の イ メ ー ジ 形 成 を 系 譜 的 考 察 し て み た い 。 近 世 日 本 の キ リ シ タ ン の イ メ ー ジ に 様 々 な 要 素 が 関 わ っ て い る 。 島 原 の 乱 以 降 、 キ リ シ タ ン は 反 逆 者 で 、 南 蛮 国 と 組 ん で 陰 謀 を 企 て る 悪 党 と み な さ れ た 。 そ の 上 、 思 想 的 に 異 端 で あ っ た キ リ ス ト 教 は ﹁ 邪 ﹂ そ の も の の 象 徴 と な っ た 。 近 世 文 学 や 批 判 書 に キ リ シ タ ン が ﹁ 邪 ﹂ の 思 想 と し て 描 か れ 、 彼 ら は 社 会 の 周 辺 に 追 い や ら れ て い っ た 。こ れ だ け で は 哲 学 が 翻 訳 さ れ る 過 程 で 実 際 に 何 が 起 こ っ た の か を み る こ と は で き な い 。 し た が っ て 、 本 発 表 で は ま ず 、 西 周 が フ ィ ロ ソ フ ィ ー を 翻 訳 す る 過 程 に お い て 儒 学 的 な 概 念 で あ る ﹁ 理 ﹂ が ど の よ う に 作 用 し て い る の か を 確 認 し た 。 そ し て 、﹁ 百 一 新 論 ﹂︵ 一 八 七 四 ︶ を 通 じ て ﹁ 哲 学 ﹂と 翻 訳 さ れ る 文 脈 を 具 体 的 に 分 析 し た 。そ の 結 果 、 西 周 が 新 し い 概 念 を 用 い る 際 の 表 し 方 は 、 漢 文 と い う 文 体 と つ ね に 衝 突 し て い た 点 、そ し て フ ィ ロ ソ フ ィ ー を﹁ 西 洋 の 理 の 学 問 ﹂ と 理 解 し つ つ も 、既 存 の 概 念 で あ る ﹁ 理 ﹂ が も つ 思 想 史 的 位 置 お よ び イ メ ー ジ の た め に ﹁ 理 学 ﹂ と 翻 訳 す る こ と が で き な か っ た 点 を 明 ら か に し た 。 こ れ ら の 問 題 は 、 近 代 日 本 に お い て 翻 訳 と は 何 で あ っ た の か を 示 す も の で も あ る 。 つ ま り 、 西 周 の 儒 学 的 知 識 や ﹁ 理 ﹂ の 位 相 か ら 、 フ ィ ロ ソ フ ィ ー の 理 解 が ﹁ 哲 学 ﹂ と し て 翻 訳 さ れ る ま で の 過 程 を み れ ば 、既 存 の ﹁ 言 語 の 等 価 交 換 ﹂ と し て の 翻 訳 概 念 は 崩 れ て し ま う 。 い わ ゆ る 啓 蒙 知 識 人 の 西 洋 学 問 用 語 の 翻 訳 行 為 が 日 本 の 近 代 化 を 成 し 遂 げ た と す る 議 論 に つ い て は 、 近 代 日 本 に お け る 翻 訳 と い う 問 題 に 関 し て 、 根 本 的 に 問 い 直 す 必 要 が あ る と 思 わ れ る 。 そ う し な い 限 り 、﹁ 哲 学 ﹂ を は じ め 、 明 治 期 に 作 ら れ た 日 本 式 漢 字 語 が 植 民 地 朝 鮮 お よ び 中 国 、台 湾 ま で 広 が り 、 現 在 に 至 る ま で そ の 国 々 の 知 的 グ ラ ウ ン ド ー を 形 成 し て い る 現 象 を 問 う こ と も で き な い だ ろ う 。 本 発 表 は 、 そ の 一 部 と し て ﹁ 哲 学 ﹂ の 翻 訳 過 程 を テ ー マ と し た も の で あ る 。 ︵ 立 命 館 大 学 大 学 院 博 士 課 程 前 期 課 程 ︶ ︻第三十三回大会︼ 肉 食 と ﹁ 癩 ﹂ に 関 わ る 近 世 キ リ シ タ ン 像 の 形 成 A nd re s P ere z R io bo 今 回 の 報 告 で は 肉 食 や ﹁ 癩 ﹂ に 関 す る キ リ シ タ ン の イ メ ー ジ 形 成 を 系 譜 的 考 察 し て み た い 。 近 世 日 本 の キ リ シ タ ン の イ メ ー ジ に 様 々 な 要 素 が 関 わ っ て い る 。 島 原 の 乱 以 降 、 キ リ シ タ ン は 反 逆 者 で 、 南 蛮 国 と 組 ん で 陰 謀 を 企 て る 悪 党 と み な さ れ た 。 そ の 上 、 思 想 的 に 異 端 で あ っ た キ リ ス ト 教 は ﹁ 邪 ﹂ そ の も の の 象 徴 と な っ た 。 近 世 文 学 や 批 判 書 に キ リ シ タ ン が ﹁ 邪 ﹂ の 思 想 と し て 描 か れ 、 彼 ら は 社 会 の 周 辺 に 追 い や ら れ て い っ た 。 ザ ビ エ ル の 来 日 以 降 、 南 蛮 人 の 肉 食 習 慣 の た め キ リ ス ト 教 が 非 難 さ れ る よ う に な っ た 。 早 く か ら 宣 教 師 は 肉 食 人 種 で あ る ば か り か 、 人 食 人 種 で あ る と い う 噂 が 全 国 に 流 さ れ た 。 ま た 、キ リ シ タ ン が 卑 劣 で あ る と い う 説 は 宣 教 師 の﹁ 救 癩 ﹂ 活 動 の 歪 曲 に よ っ て も 作 ら れ た 。 肉 食 の 禁 忌 と ﹁ 癩 病 ﹂ 患 者 へ の 偏 見 は キ リ ス ト 教 へ の 軽 蔑 と 結 び つ き 、 そ れ ら が キ リ シ タ ン 迫 害 を 後 押 し 、 宣 教 師 の 取 締 り の た め 積 極 的 に 利 用 さ れ た 。 肉 食 の 問 題 が 秀 吉 の 宣 教 師 追 放 令 と 家 康 の 禁 教 令 に 絡 み 合 っ て い る こ と に も 注 目 し た い 。 し か し な が ら 、一 六 世 紀 を 通 じ て ﹁ 鎖 国 令 ﹂ ま で の 間 、 日 本 国 内 で 肉 食 と ﹁ 癩 ﹂ へ の 見 方 が 変 化 し て い っ た 。 牛 肉 を 食 べ る 傾 向 は キ リ シ タ ン に 限 定 さ れ ず 、 幅 広 い 流 行 と な っ た 。 宣 教 師 が 人 肉 を 食 う 噂 や 彼 ら の 肉 食 習 慣 の 非 難 に 関 し て 一 五 九 〇 年 代 が 最 後 の 例 だ と 考 え ら れ る か ら で あ る 。 こ れ は 中 世 か ら 近 世 へ の 肉 食 意 識 に 対 す る 変 化 を 反 映 し て い る 。 ま た 、﹁ キ リ シ タ ン 物 語 ﹂で キ リ シ タ ン ・ ﹁ 非 人 ﹂ 乞 食 ・﹁ 癩 病 ﹂ 者 な ど が 排 撃 さ れ て い る と 一 般 的 に キ リ シ タ ン 研 究 者 が 述 べ て い る が 、 通 俗 的 排 耶 書 は 民 衆 に 慈 悲 活 動 を 求 め る 欲 求 が あ っ た こ と を 示 し て い る の で は な か ろ う か 。﹁ 癩 者 ﹂ に 関 す る 取 り 扱 い に つ い て も 変 化 が 見 え る 。 宗 教 的 穢 れ か ら 、﹁ 家 ﹂ と 身 分 に 関 わ る 問 題 と い う ﹁ 癩 ﹂ へ の 新 し い 見 方 が キ リ シ タ ン 批 判 書 に も 反 映 さ れ る 。 近 世 キ リ シ タ ン 像 は 様 々 な 側 面 か ら 研 究 が 可 能 で あ る 。 今 回 は 身 体 と 差 別 に 関 わ る ﹁ 癩 ﹂ と 肉 食 に 議 論 を 限 定 し た 。 ︵ 立 命 館 大 学 大 学 院 博 士 課 程 後 期 課 程 ︶ 清 代 末 期 の 女 性 と 訴 訟
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﹁ 巴 県 档 案 ︵ 同 治 朝 ︶﹂ ︿ 婦 女 ﹀ の 初 歩 的 考 察︱
水 越 知 近 代 以 前 の 中 国 女 性 史 に つ い て は 、 こ れ ま で 女 性 の 法 的 地 位 の 問 題 や 儒 教 思 想 の 下 で の 女 性 の 役 割 が 大 き な 研 究 テ ー マ で あ り 、 概 ね 女 性 の 権 利 が 明 清 時 代 以 降 縮 小 さ れ 、 宗 族 の 再 強 化 に よ り 父 や 夫 に 従 属 を 余 儀 な く さ れ た 女 性 像 が 描 か れ て き た 。 そ の 一 方 で 小 説 史 料 の 利 用 に よ っ て 真 実 の 女 性 像 を 抽 出 し よ う と す る 努 力 が 払 わ れ て き た が 、 近 年 、﹁ 節 婦 ・ 烈 女 ﹂ に 関 す る 記 録 や 法 律 の 条こ れ だ け で は 哲 学 が 翻 訳 さ れ る 過 程 で 実 際 に 何 が 起 こ っ た の か を み る こ と は で き な い 。 し た が っ て 、 本 発 表 で は ま ず 、 西 周 が フ ィ ロ ソ フ ィ ー を 翻 訳 す る 過 程 に お い て 儒 学 的 な 概 念 で あ る ﹁ 理 ﹂ が ど の よ う に 作 用 し て い る の か を 確 認 し た 。 そ し て 、﹁ 百 一 新 論 ﹂︵ 一 八 七 四 ︶ を 通 じ て ﹁ 哲 学 ﹂と 翻 訳 さ れ る 文 脈 を 具 体 的 に 分 析 し た 。そ の 結 果 、 西 周 が 新 し い 概 念 を 用 い る 際 の 表 し 方 は 、 漢 文 と い う 文 体 と つ ね に 衝 突 し て い た 点 、そ し て フ ィ ロ ソ フ ィ ー を﹁ 西 洋 の 理 の 学 問 ﹂ と 理 解 し つ つ も 、既 存 の 概 念 で あ る ﹁ 理 ﹂ が も つ 思 想 史 的 位 置 お よ び イ メ ー ジ の た め に ﹁ 理 学 ﹂ と 翻 訳 す る こ と が で き な か っ た 点 を 明 ら か に し た 。 こ れ ら の 問 題 は 、 近 代 日 本 に お い て 翻 訳 と は 何 で あ っ た の か を 示 す も の で も あ る 。 つ ま り 、 西 周 の 儒 学 的 知 識 や ﹁ 理 ﹂ の 位 相 か ら 、 フ ィ ロ ソ フ ィ ー の 理 解 が ﹁ 哲 学 ﹂ と し て 翻 訳 さ れ る ま で の 過 程 を み れ ば 、既 存 の ﹁ 言 語 の 等 価 交 換 ﹂ と し て の 翻 訳 概 念 は 崩 れ て し ま う 。 い わ ゆ る 啓 蒙 知 識 人 の 西 洋 学 問 用 語 の 翻 訳 行 為 が 日 本 の 近 代 化 を 成 し 遂 げ た と す る 議 論 に つ い て は 、 近 代 日 本 に お け る 翻 訳 と い う 問 題 に 関 し て 、 根 本 的 に 問 い 直 す 必 要 が あ る と 思 わ れ る 。 そ う し な い 限 り 、﹁ 哲 学 ﹂ を は じ め 、 明 治 期 に 作 ら れ た 日 本 式 漢 字 語 が 植 民 地 朝 鮮 お よ び 中 国 、台 湾 ま で 広 が り 、 現 在 に 至 る ま で そ の 国 々 の 知 的 グ ラ ウ ン ド ー を 形 成 し て い る 現 象 を 問 う こ と も で き な い だ ろ う 。 本 発 表 は 、 そ の 一 部 と し て ﹁ 哲 学 ﹂ の 翻 訳 過 程 を テ ー マ と し た も の で あ る 。 ︵ 立 命 館 大 学 大 学 院 博 士 課 程 前 期 課 程 ︶ ︻第三十三回大会︼ 肉 食 と ﹁ 癩 ﹂ に 関 わ る 近 世 キ リ シ タ ン 像 の 形 成 A nd re s P ere z R io bo 今 回 の 報 告 で は 肉 食 や ﹁ 癩 ﹂ に 関 す る キ リ シ タ ン の イ メ ー ジ 形 成 を 系 譜 的 考 察 し て み た い 。 近 世 日 本 の キ リ シ タ ン の イ メ ー ジ に 様 々 な 要 素 が 関 わ っ て い る 。 島 原 の 乱 以 降 、 キ リ シ タ ン は 反 逆 者 で 、 南 蛮 国 と 組 ん で 陰 謀 を 企 て る 悪 党 と み な さ れ た 。 そ の 上 、 思 想 的 に 異 端 で あ っ た キ リ ス ト 教 は ﹁ 邪 ﹂ そ の も の の 象 徴 と な っ た 。 近 世 文 学 や 批 判 書 に キ リ シ タ ン が ﹁ 邪 ﹂ の 思 想 と し て 描 か れ 、 彼 ら は 社 会 の 周 辺 に 追 い や ら れ て い っ た 。 ザ ビ エ ル の 来 日 以 降 、 南 蛮 人 の 肉 食 習 慣 の た め キ リ ス ト 教 が 非 難 さ れ る よ う に な っ た 。 早 く か ら 宣 教 師 は 肉 食 人 種 で あ る ば か り か 、 人 食 人 種 で あ る と い う 噂 が 全 国 に 流 さ れ た 。 ま た 、キ リ シ タ ン が 卑 劣 で あ る と い う 説 は 宣 教 師 の﹁ 救 癩 ﹂ 活 動 の 歪 曲 に よ っ て も 作 ら れ た 。 肉 食 の 禁 忌 と ﹁ 癩 病 ﹂ 患 者 へ の 偏 見 は キ リ ス ト 教 へ の 軽 蔑 と 結 び つ き 、 そ れ ら が キ リ シ タ ン 迫 害 を 後 押 し 、 宣 教 師 の 取 締 り の た め 積 極 的 に 利 用 さ れ た 。 肉 食 の 問 題 が 秀 吉 の 宣 教 師 追 放 令 と 家 康 の 禁 教 令 に 絡 み 合 っ て い る こ と に も 注 目 し た い 。 し か し な が ら 、一 六 世 紀 を 通 じ て ﹁ 鎖 国 令 ﹂ ま で の 間 、 日 本 国 内 で 肉 食 と ﹁ 癩 ﹂ へ の 見 方 が 変 化 し て い っ た 。 牛 肉 を 食 べ る 傾 向 は キ リ シ タ ン に 限 定 さ れ ず 、 幅 広 い 流 行 と な っ た 。 宣 教 師 が 人 肉 を 食 う 噂 や 彼 ら の 肉 食 習 慣 の 非 難 に 関 し て 一 五 九 〇 年 代 が 最 後 の 例 だ と 考 え ら れ る か ら で あ る 。 こ れ は 中 世 か ら 近 世 へ の 肉 食 意 識 に 対 す る 変 化 を 反 映 し て い る 。 ま た 、﹁ キ リ シ タ ン 物 語 ﹂で キ リ シ タ ン ・ ﹁ 非 人 ﹂ 乞 食 ・﹁ 癩 病 ﹂ 者 な ど が 排 撃 さ れ て い る と 一 般 的 に キ リ シ タ ン 研 究 者 が 述 べ て い る が 、 通 俗 的 排 耶 書 は 民 衆 に 慈 悲 活 動 を 求 め る 欲 求 が あ っ た こ と を 示 し て い る の で は な か ろ う か 。﹁ 癩 者 ﹂ に 関 す る 取 り 扱 い に つ い て も 変 化 が 見 え る 。 宗 教 的 穢 れ か ら 、﹁ 家 ﹂ と 身 分 に 関 わ る 問 題 と い う ﹁ 癩 ﹂ へ の 新 し い 見 方 が キ リ シ タ ン 批 判 書 に も 反 映 さ れ る 。 近 世 キ リ シ タ ン 像 は 様 々 な 側 面 か ら 研 究 が 可 能 で あ る 。 今 回 は 身 体 と 差 別 に 関 わ る ﹁ 癩 ﹂ と 肉 食 に 議 論 を 限 定 し た 。 ︵ 立 命 館 大 学 大 学 院 博 士 課 程 後 期 課 程 ︶ 清 代 末 期 の 女 性 と 訴 訟
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﹁ 巴 県 档 案 ︵ 同 治 朝 ︶﹂ ︿ 婦 女 ﹀ の 初 歩 的 考 察︱
水 越 知 近 代 以 前 の 中 国 女 性 史 に つ い て は 、 こ れ ま で 女 性 の 法 的 地 位 の 問 題 や 儒 教 思 想 の 下 で の 女 性 の 役 割 が 大 き な 研 究 テ ー マ で あ り 、 概 ね 女 性 の 権 利 が 明 清 時 代 以 降 縮 小 さ れ 、 宗 族 の 再 強 化 に よ り 父 や 夫 に 従 属 を 余 儀 な く さ れ た 女 性 像 が 描 か れ て き た 。 そ の 一 方 で 小 説 史 料 の 利 用 に よ っ て 真 実 の 女 性 像 を 抽 出 し よ う と す る 努 力 が 払 わ れ て き た が 、 近 年 、﹁ 節 婦 ・ 烈 女 ﹂ に 関 す る 記 録 や 法 律 の 条今 回 の 報 告 で は 、 一 九 世 紀 末 の イ ン デ ィ ア ン 学 校 で 撮 影 さ れ た 生 徒 の ﹁ 変 身 写 真 ﹂ や 、 彼 ら が 参 加 し た ﹁ 変 身 パ レ ー ド ﹂ に つ い て 報 告 し た 。 変 身 写 真 ︵ be fo re -a nd -a fte r p ho to gr ap h ︶ と は 、 一 九 世 紀 末 の 代 表 的 な イ ン デ ィ ア ン 学 校 だ っ た ペ ン シ ル バ ニ ア 州 カ ー ラ イ ル イ ン デ ィ ア ン 学 校 で 使 わ れ て い た 写 真 技 法 で あ る 。 学 校 に 入 学 す る 前 の ﹁ 野 蛮 ﹂ な 先 住 民 生 徒 の 写 真 ︵ be rfo re ︶ と 、 入 学 し て ﹁ 文 明 化 ﹂ し た 後 の 同 じ 先 住 民 生 徒 の 写 真 ︵ A fte r ︶ と を セ ッ ト で 見 せ る こ と で 、 学 校 の 教 育 効 果 を 連 邦 議 員 や 慈 善 家 達 に 示 し 、 彼 ら か ら 支 援 を 取 り 付 け る た め に 使 わ れ て い た 。 先 行 研 究 を み る と 、 変 身 写 真 に つ い て は 、 多 く の 研 究 者 の 著 作 に こ れ ま で 頻 繁 に 現 れ て い る た め 、 研 究 の 余 地 が な い よ う に 思 わ れ る 。 内 外 の 合 衆 国 史 の 概 説 書 で も 、 エ ス ノ セ ン ト リ ズ ム を 批 判 す る 文 脈 で 変 身 写 真 の 図 版 が 効 果 的 に 使 わ れ て い る 。 し か し 、 そ の 一 方 で 、﹁ 写 真 に 映 っ て い る 内 容 ﹂ を 越 え た 、 歴 史 学 的 な 資 料 分 析 は な さ れ て い な い 。 例 え ば 、 実 際 に 写 真 が ﹁ い つ ﹂、﹁ ど こ ﹂ で 、 ﹁ 誰 ﹂ が 、﹁ 何 の ﹂ た め に 撮 影 さ れ た か を 説 明 し て い る 研 究 、 写 真 が ど の よ う な メ デ ィ ア で ﹁ 利 用 ﹂ さ れ 、 社 会 か ら ど の よ う に ﹁ 評 価 ﹂ を 受 け た の か に つ い て 説 明 し て い る 研 究 は み あ た ら な い 。 そ こ で 、 今 回 は 、 こ れ ら を 明 ら か に す る こ と を 目 的 に 設 定 し 、 学 校 新 聞 や 学 校 関 連 文 書 を 使 っ た 報 告 者 の 史 料 調 査 結 果 に つ い て 、 以 下 の よ う に 報 告 し た 。 第 一 節 で は 、 現 存 す る 変 身 写 真 の 大 半 が 一 八 八 〇 年 代 に カ ー ラ イ ル イ ン デ ィ ア ン 校 で 撮 影 さ れ た も の で あ る こ と 、 変 身 写 真 と 同 じ よ う な 表 現 技 法 ︵ be fo re -a nd -a fte r ︶ が 同 校 の 生 徒 が 参 加 し た 一 八 八 七 年 の ﹁ 憲 法 制 定 百 周 年 パ レ ー ド ﹂ な ど で も み ら れ る こ と を 説 明 し た 。 そ の 上 で 、 こ の よ う な ﹁ 変 身 技 法 ﹂ は 、 慈 善 家 や 政 治 家 へ の 広 告 宣 伝 の た め に 使 わ れ て い た こ と 、 写 真 に つ い て は 先 住 民 部 族 の ﹁ 進 歩 派 ﹂ 有 力 者 へ の 部 族 民 の 入 学 説 得 材 料 と し て も 使 わ れ て い た こ と 、 そ し て 、 そ れ を み た 慈 善 家 ら の 評 価 は 総 じ て 高 か っ た こ と を そ れ ぞ れ 報 告 し た 。 第 二 節 で は 、一 八 九 〇 年 以 後 、同 校 で は 突 如 と し て ﹁ 変 身 技 法 ﹂ が 一 切 利 用 さ れ な く な っ て い る と こ と に つ い て 、 祝 祭 パ レ ー ド に お い て も 、 生 徒 が ﹁ 過 去 の 野 蛮 な 姿 ︵ be fo re︶﹂ を 表 現 す る こ と が な く な っ て い る こ と に つ い 文 か ら 女 性 の 実 態 を 探 る 研 究 は 史 料 的 に も 、 視 角 的 に も 行 き 詰 ま り を 指 摘 さ れ 、 新 た な 史 料 の 発 掘 が 模 索 さ れ て い る 現 状 が あ る 。 す な わ ち 従 来 用 い ら れ た 史 料