一 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄
はじめに
元禄期前後は出版歌学書が輩出した時期であったが 、その夥しい出 版歌学書群の中に 、浮世草子作者として知られる月尋堂の手になるも のが見いだされる 。月尋堂の歌学書としては ﹃和歌俗説辨﹄ ︵正徳二 年正月刊︶ ﹃歌道名目抄﹄ ︵正徳三年正月刊︶ ﹃和歌名所詠格﹄ ︵同年三 月刊︶の三作が推定され 、さらに ﹃官職田舎辨疑﹄ ︵宝永八年三月刊︶ なる有職故実書の著作も確認できるが 、これらはいずれもこれまで知 られていなかった月尋堂の文学活動の一面 、すなわち和学者としての 月尋堂の一面を物語る。 本稿はそうした知られざる和学者としての活動を示す月尋堂の出版 歌学書の内、 その嚆矢と見られる﹃和歌俗説辨﹄の翻刻と解題である。 ︹書誌︺ 和歌俗説辨 刊本 半紙本 三巻三冊 表 紙 縹 色 無 地 、 雲 霞 に 秋 草 渋 引 模 様 原 表 紙 。 縦 二 二 ・ 二 糎 横 一五 ・ 九糎。 本 文 四周単辺 。縦一七 ・ 八糎横一三 ・ 〇糎 。半丁一〇行毎行一八字 前後。 構 成 巻上 二三丁半 ︵序一丁 ﹁一﹂ 、目録一丁 ﹁一﹂ 、本文二一丁 半﹁二∼二十三︿表 ﹀ ﹂ ︶ 。 巻 中 二 二 丁 半 ︵ 目 録 一 丁 ﹁ 一 ﹂、 本 文 二 一 丁 半 ﹁ 二 ∼ 二十三︿表﹀ ︶。 巻下 二〇丁 ︵目録一丁 ﹁一﹂ 、本文一九丁 ﹁二∼二十﹂ 、刊 記欠︶ 。備考参照。 挿 絵 巻上 半丁六面︵五オ・ウ、十一オ・ウ、十七オ・ウ︶ 。 巻中 半丁六面︵五オ・ウ、十一オ・ウ、十七オ・ウ︶ 。 巻下 半丁六面︵五オ・ウ、十オ・ウ、十六オ・ウ︶ 。 題 簽 中央 、薄茶布目地金箔散らし 、後題簽書き外題 ﹁和歌俗説辨 上﹂ ﹁和謌俗説辨 中﹂ ﹁和哥俗説弁 下﹂ 。備考参照。 序 題 ﹁和謌俗説辨序﹂ 。 目録題 ﹁和歌俗説辨巻上︵中︶目録﹂ ﹁和哥俗説辨巻下目録﹂ 。 内 題 ﹁和歌俗説辨巻上︵中︶ ﹂﹁和哥俗説辨巻下﹂ 。 尾 題 ﹁和歌俗説辨巻上︵中︶終﹂ 、巻下なし。月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄
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翻刻と解題
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藤
原
英
城
二 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 蔵本︵以上、 三巻三冊︶ 、 京都大学文学部蔵本︵三巻合一冊︶ 。 ○刊記不明 底本︵三巻三冊︶ 、初瀬川文庫︵二巻二冊、巻下欠︶ 。 底本は巻下裏表紙オモテの奥付が貼付されるべき半丁が剥落 しているが 、表紙が東京国立博物館蔵本と共通し 、匡郭の寸 法や刷りの状態などから判断して、 正徳二年板と推定される。 ︹翻刻︺ 一 、 翻刻にあたっては、 原則として現行通用の字体に改めた。ただし、 当時慣用と思われる漢字表記などについては 、そのまま残したもの もある。 一、丁移りは、丁付と表・裏︵オ・ウ︶を括弧に入れて示した。 一 、衍字 ・脱字や改行等の不体裁については ︵ママ︶と注記し 、注記 内容を記したものもある。 板 心 序 ﹁序丁付﹂ 、目録 ・本文 ﹁㊤ ・︵㊥ ・㊦︶丁付﹂ 。いずれも 板心下部の丁付の直前に ﹁序﹂ ﹁㊤ ︵㊥ ・㊦︶ ﹂と記される 。 ただし、巻上﹁十、 十二∼十四﹂は丸囲みなく﹁上丁付﹂ 。 句 読 なし。 作 者 宵雨軒月尋堂︵推定︶ 。 画 者 未詳。 所蔵者 京都府立大学附属図書館︵ 9 11 ・ 1 0 2 / W / 1 ︶。 刊 記 欠。備考参照。 備 考 底本には原題簽 、奥付 ︵刊記︶が欠落しているため 、東京国 立博物館蔵本によって次に記す。 題簽 中央 、茶無地原題簽 ﹁絵入/和歌俗説辨 上﹂ ﹁和哥 俗説辨 中﹂ ﹁和謌俗説辨 下﹂ 。角書は団扇文様。 刊 記 ﹁正徳二年壬辰正月吉日/京寺町松原上ル町/菱屋 四郎右衛門板行﹂ ︵裏表紙オモテに半丁貼付。板心は ﹁○ ︵丁 付 な し ︶ ﹂ ︶ 。 なお翻刻にあたり 、虫損等により判読が困難な箇所について は、京都大学文学部蔵本によって補った。 諸 本 ○正徳二年正月 京・菱屋四郎右衛門刊行本 刊記 ﹁正徳二年壬辰正月吉日/京寺町松原上ル町/菱屋四郎 右衛門板行﹂ 。 東京国立博物館 、東北大学附属図書館狩野文庫 、佐賀大学附 属図書館鍋島文庫 、早稲田大学図書館千厓文庫 、宮城県立図 書館伊達文庫 、石川県立図書館李花亭文庫 、住吉大社御文庫
三 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ ㊇いでそよ人の事 ㊈雲の籏手の事 ㊉我世のいたくの事 ⃝ 声きく時ぞの事 ︵一ウ︶
和歌俗説辨巻上
㊀船をしぞ思ふの事 柿本人麿 古今 ほの〳〵と明石の浦の朝霧に島かくれ行舟をしそ思ふ 此哥はことに凡 慮の及ひかたき所あるよし古 来 よりいひつたへ侍る さるにても人丸明石の浦の漕 はなるゝ舟の島かくれ行有さまをはる かに御覧して人 間 生 死 の趣 きかくのこときぞと観 念 し給ひ悟 りの 躰を絵にも写して寺 社 の絵馬にも奉り侍る︵二オ︶ いかにも世の変 化をみる事は四時の栄 枯 朝夕の有さまにもある事な れば明石の浦の船にかぎる事にも有べからず其上此歌を思ひあやま つて田 舎 の人をまどはしよこしまの道に引入聖 意 をそこなふやから 世に多し先此哥を古今集巻九羇 旅 の部に題しらすと入たる事をしら ぬがゆへ成べしひたすら舟惜 ぞ思ふととなへあやまるゆへ浅ましき 僻 事を釈して本理を失 ふ惣じて羇旅といふは二日や三日の旅 する事 にあらず ︵二ウ︶随分遠く日をかさね行旅の事也扨哥の心はことも おろかや四条大納言公 任 卿 和哥九品の論 儀 にも此哥を上品 上生に たて給ひ子細言 舌 にのべがたきよし公任卿も三年此歌を工 夫 し案し和謌俗説辨序
宵雨軒の竹扉に入て対話の折ふしことにおなし心の人々のつとい来り てそれ〳 〵にたつね侍る趣きを反古のうらにしるし帰れば ︵序一オ︶ 書肆の何かし是を乞て桜木にはらんといふいくたひか辞しけれともゆ るさす扉主の思はん所もはゝかりありと尓いふ︵序一ウ︶和歌俗説辨巻上目録
㊀船をしぞ思ふ事 ㊁かたをなみの事 ㊂尾上の桜の事 ㊃三室の山紅葉ゝの事 ㊄心にもあらて憂世の事 ︵一オ︶ ㊅春の心はの事 ㊆久かたの雲井の事四 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 挿絵第一図︵五オ︶ ﹁あかしのうら人丸入唐﹂ 挿絵第二図︵五ウ︶ ﹁紀伊のくにへ御幸わかの浦の景﹂ 扨もおそろしき注釈にてそ侍る能〳〵わきまへしり給へかし ㊁かたをなみの事 山辺赤人 和かの浦にしほみちくれはかたをなみ芦辺をさして田鶴鳴わたる 惣して波に男 波 女 波 とてありしかるに和哥の浦にかぎりてをなみは かりうちて女波はうたさるゆへ此所の名 誉 とし侍る又方 をなみとも 此哥を注訳し侍るいつれか哥の理にかあひ侍る事にや いかさまにもあやまりもふるくいひつたへ侍れ ︵六オ︶ば何とやら 似かよふものにて和哥のうらの波は男波といふべきやうなる波はか りうちてつゞゐてうつなみの女波といふへきやうの波うたず是は所 の風によつてかくあるににや扨万葉集第二柿本人丸の長歌にいわ 得たりとの給へるをいさゝか注 釈 を付侍る事は勿 躰 なき事なからい つまても田 舎 の人の思ひ誤 る事わりなく覚へ侍れは卒 尓 にかたはし をいひのぶるもの也ほの〳 〵ととは夜のほのかに明はなるゝ心をす なはち所の名に ︵三オ︶いひかけて朝霧とつゞけ島がくれ行と請た る詞 つかい誠に凡 慮の及ふへき所にあらす扨舟をしぞ思ふといふか 殊に此歌の眼 也此哥は柿本人丸もろこしへわたり給ふ時明石の浦を 過るとてよみ給へりしかるによその船のはるかに島かくれ行を朝霧 のひまより詠めやりてよみ給ふやうに心得るゆへにあやまりて無下 の事をのゝしり浅 ましくも人のはづかしめをうくるぞかし船をしそ 思ふのし文字は助 ︵三ウ︶字 にて船をぞ思ふといふ事人丸入 唐 の事 は拾遺集にも其よししるされたり万葉にも人丸の明石の浦の哥多し ともし火の明石の灘 に入日にや漕 別 れなん家わたりみゆ 天さがるひなのなかちを恋くれは明石のとまり大和島みゆ 此哥と同し時よみ給へる哥の万葉にもれたるを古今集に入られたり かならす〳 〵よその舟を見てよめる歌にあらす人丸のみつからのり 給へる舟の明石の浦を漕 行を思ひ給ふ哥也その島といふは此浦の沖 にくらかけ ︵四オ︶島ふたこ島みなをし島とてみつの島ならびて 風 景たぐゐなき島〳 〵をこぎかくれ行舟を思ふといふ事也くれ〳 〵 舟惜 とは至極の僻 事ちかごろ文 盲の注釈ぞかし其子細は古今集の部 立にて能々心得へし俗説のことくならば眺 望 の哥にて只雑たるべき に何とて貫之は羇 旅 の部には入られしぞいかにおろかなる人の諾 ば とて貫之の撰をいひけしうちやぶりて哥の理をたつるなどは冠 に糞 する蝿 のごとし︵四ウ︶
五 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ たゞ一面に花に成て春の景色もおもしろく侍るされ共尾上のあたり にてはいづれの桜をよみ侍りしにや 高砂といひおのへといひ播州にある所の名にしてしかもあたりちか く侍れはさやうにまきらはしく沙汰し侍るは例 の田舎沙汰にてさら に理をわきまへぬ注 釈 ぞかし高砂と ︵八オ︶いふはいづくにても山 の惣名にて高いといふ事也尾上といふも峰の事にて山の尾のうへと いふ事也かならず播州の高砂尾上にかぎりたる事にあらず又外山と いふはひくき山をいふ也春の蒙 気 にて高い山もひくい山も霞こめた るに如 月の末にははや高い山の桜咲みつれはなをかしひくい山の霞 もたゝずみなさくらの咲たるにこそ有らんといふ詞 つかい神妙の哥 也此哥は 遙 望 二 山 桜 一 といふ題にてよみ給ふ哥也能々是にて ︵八 ウ︶心得べしくれ〳 〵播州の名所にはあらず是らを作例と思ひはり まの高砂尾上にひたすら桜をよみつゞけんと思ふはあやまり成べし ㊃三室の山の紅葉ゝの事 能因法師 後拾遺 嵐吹三室の山の紅葉ゝは立田の川のにしきなりけり 此哥の心はみむろの山に嵐吹は紅葉ゝながれ来りて立田の河のにし きと見ゆる事ちるといはでながれきたりたる風情をもたせたる事 粉 骨とつたへ侍る︵九オ︶ いかにもちるといふ詞をぬくといふにはあらねど自然とちるときこ ゆるうへにちるの字があつてのなくてのといふ事さらに侍らず其上 さやうに上の句より義理をすましぬれば幽 玄にもあらず詞と心と別 みの海津のゝうらはを浦なみと人こそ見らめかたをなみと人こそ見 らめよしえやし浦はなくともよしえやしかたはなくともとよめる是 も俗説のごとくにいはゝ石見国角 のゝ浦にもめなみはなくてをなみ ばかり ︵六ウ︶うつにや僻 事を以て哥の理を失 ひ扨もあたら和かの 浦の風 景をいひあやまるは無下に文 盲の至りぞかし此哥は万葉第六 にみゆ神 亀 元年 甲 子 冬 十月 幸 二 于紀 伊 国 一 時とありすなはち滷 乎 無 美 と書りされは歌の心は和哥の浦の干 䈢 にゐる田鶴のしほみちき たりて其干 䈢 がなくなれはあしべをさして鳴行といふ事也あし辺に は田鶴もゐにくからめと 䈢 がなくなればかなはで鳴わたる眼 前の景 色をあり〳 〵とよめる哥也 ︵七オ︶又かたをなみのかたの字を方 と 心得ていつくともなく鳴わたることはりと訳したる説も万葉の心に 叶 ず其うへ万葉にかたをなみはかりを和哥浦に読合さす 第七 和哥の浦に白波たちて奥津風寒き夕へは大和しそ思え 第十二 和哥の浦に袖さへぬれて忘れ貝拾 ふと妹は忘られなくに これにて能々心得へき事也くれ〳 〵此哥は片 男 波 といふ儀にあらす 又方をなみといふにもあらす 䈢 ないといふ儀也 ㊂尾上の桜の事 権中納言匡房 ︵七ウ︶ 後拾遺 高砂の尾上の桜咲にけり外山の霞たゝすもあらなん 此哥播州高砂の尾上の桜咲みたれ侍れは外 の山の霞もたな引事なく
六 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 ると院中に見給ふとをかくべつにおほしめしわつらはせ給ひて御行 末の事など貪 着 し給ふやうに此御哥を訳し侍るはあまりに無下に浅 ましき事也されは天子の御位をのがれさせ給ふ事は御足にかゝりし わらぐつをすて給ふやうにおぼしめす事にて既 脱 履 の天子と申奉る 事をしらずやもし又其訳したることくに御位に貪 着 の天子ならばな らび ︵十二オ︶なき後世迄御名をながさせ給ふ事すでに天下のみた れ人民のなやみ軍 書 のはし〴 〵にても見覚へ侍るべし中〳 〵此帝に おゐてさやうの御貪 着 はきこへ奉らず後拾遺にも百人一首にも院と しるし奉りし所にて能々心得へし月のひかりのくまなきごとく四海 をおさめ給はんにも御目をわづらはせ給へば天位にかないがたくす てに御位をのがれ給ふ也され共御命もつれなくて心の心にもあらで うき世の中を過給はゝ月こそ恋しから ︵十二ウ︶め御目もくらけれ ば月のみちかける有さまも御心のうちにのみをしはかり給はんとの 御心成べし能々聖意をわきまふべし 〳 〵に成て一首のたけひくふ成侍る也哥のよみかたをわきまへぬか ら古哥の義理もうへしたに取はづしてあらぬ所に穿 鑿 をいるゝ事尤 田舎沙汰也まつ此立田の川の水がにしきに見ゆる事はいかにと下の 句にて思ひとかめて扨は ︵九ウ︶みむろの山のもみち葉を嵐の吹ち らして此川へながするゆへにてこそあれと訳し侍らは本意にかなひ 侍るべし後拾遺集秋ノ下に此哥あり九月のすゑつかたの風のあした 立田川を見る心ち能々わきまへしるへし ㊄心にもあらで憂世の事 三条院 心にもあらで憂世にながらへは恋しかるへき夜半の月かも 此帝は人王六十七代にあたらせ給ひて侍る冷泉院第二皇子にて十一 才にて東 宮に立給ひ三十六才にて御位 につき給ひけるか御目 ︵十オ︶ を煩 らはせ給ひて御位をさらんとおほしめしける比此哥をよませ給 ふ誠にわづか五年の御在 位 にて禁中の月を見すて給ふいかはかり恋 しくおほしめし行すゑのほどもわりなく御名残もおしくおほしめす べきにこそ其心を能おもひ入て此御哥を見るへしとつたへ侍る 卒 忽 に後拾遺の詞書など見侍らばさやうにも心得て道を失 ひ理をく ろふする族多かるへしまづ天子の御位ををりさせ︵十ウ︶ 挿絵第三図︵十一オ︶ ﹁高砂の尾のへのさくら﹂ 挿絵第四図︵十一ウ︶ ﹁みむろ山たつた川のけしき﹂ 給ふ事ををしくおほしめしておなし雲井の月影をだに禁闕に御覧あ
七 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ かしく侍る いかさま緑 林 白 波 といふは盗人の事をいふなれ共爰にてそれに取付 ては無益の鑿 をうがつたぐひぞかし又舟の字をいはで舟に聞ゆると いふもいな所に心をつけて哥の理を失ふ是は海 上 眺 望 といふ題に て崇徳院のよませ給ひける時忠通公にもよみ給ひける哥也うみのほ とりをはるかに見るといふ題 ︵十四ウ︶なれははしめより船の字に かゝはり給ふべきやうなし俗説のことくにいはゞ船か躰 に成て海が 用 に成べし扨は己か心ほどならでは見へぬもの故此歌に舟の字のな き事を訳し侍るは近比 愚 也忠通公程の哥人が題にある海を用にし てあらぬ船を躰 にし給ふべきかかたはらいたき事とも也誠に此忠通 公と申は古今にすぐれ給ひし忠臣也四代のみかどの関白にて摂政も 二たひにて太政大臣に成給ふそも〳 〵此太政大臣の御事は四海を 掌 にをさ ︵十五オ︶め給ふ御事にて其御器 量 の人なき時は 即 闕 也と申て即 闕 の官 と申すかゝる御身のうへをなぞらへ給ふに雲井に まがふ沖 中の波にたゞ一艘 こぎ出したる船のことくいかなる風の吹 きらんもおほつかなし天下の人此人をかゝみとして善悪をさだむる 事世にも大切の御事也かく御 慎 ふかくおはしまして御身のおごり をしりぞけ民をあはれみ君をたすけ給ひしめてたき忠臣のかゝみひ とへに此御歌にてしるべし︵十五ウ︶ ㊈ いでそよ人の事 大弐三位 後拾遺 有馬山いなのさゝ原風吹ばいでそよ人をわすれやはする ㊆ 春の心はの事 在原業平 世中に絶て桜のなかりせは春の心はのとけからまし 詞書になきさの院にて桜を見てよめるとあり春は花を愛 し秋は月を もてあそぶならひなるに此哥桜を見て世 界 に桜といふものがたへて なくなりなば春の心がしづかにあらふとは情なきやうにきこへ侍る ︵十三オ︶ さいへば世 界 に桜がなくなれかしとねかひたるやうなれ共 全 花を 愛 しすごしたる哥也ずいふん情もあまりあつてことばもめてたき哥 也成ほど春になるより遠山の雲をまがい野なる草芽につけてもやか て花のさけよかしと明くれ心をくるしめ咲出るより扨も桜こそ咲た り其こずゑ此しづえのつぼみも翌 はひらかんけふは匂ふよなんどゝ 思ふにやゝ花の最 中 と成けるに又此花をいかなる風の吹ちらさんも しは雨のそゝ ︵十三ウ︶ぎ色やうつろはんと扨も花ゆへに春の心は しばらくもやすからすものいそかはしう暮す一 向桜といふものなく ば咲ておもしろき事もしるまじ勿 論ちるををしむ事も有まし桜とい ふものをしりたるうへの心づかいにてこそ侍れと理を打かへして詞 をならへ内に情の花かほりて外に嵐をふせぐたぐひかならす世界に 桜か絶 よがしとねがふ心にはあらず ㊇ 久かたの雲ゐの事 太政大臣忠通公 ︵十四オ︶ 詞花集 和田の原漕出てみれは久堅の雲ゐにまかふ沖つ白浪 此哥船をいはすして舟の心あり又白波は盗 人の事也 甚 歌の心むつ
八 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 ﹁大弐の三位かれ〳〵なる男の哥を見給ふ﹂ も君にむくはん事のかなしきなとゝかこち侍るこそ女の道成へきに そなたの心の風の吹次第にてこなたの心も違ふなどゝは浅ましき女 の心そかし ㊉ 雲の籏手の事 読人不知 古今 夕暮は雲のはたてに物そ思ふ天津空なる人をこふとて 籏雲といふは世の変 の時出る雲なるにそれに思ひくらべて夕くれこ とに人を恋すると訳し侍る猶又読人不知の事いつれの撰 集にも多く 有事いかに其作者のしれさる︵十八オ︶事にや 雲の籏手のやうに物そ思ふといふは御即 位 の時諸 陣にたつる籏のこ とくの雲夕日ののちには空にみゆるもの也とかくは雲は様〳 〵のす かたありてつきぬものなれは人を恋したふ心のごとくにてこそあれ といふ心也下の句にあまつ空なる人をこふとて又人こふる身とも異 本にあり我よりは高き人よしは及ひかたき恋にてこそあれをよばゝ 恋はかなふて是ほとに物は思ふまじきに扨も我こふる人は ︵十八ウ︶ 此界 の人ではない天津空なる人にてこそあれさあれは一しほ夕暮ご との空をながめてさま〳 〵の籏の手のごとくに心をみだす也はたて と吟ずる所に少巨 細 有へし雲の籏手を不吉なとゝいふは田舎沙汰に て侍る又読人不知といふには五品有事也貴人いやしき人仏神勅勘の 人真実に名のたしかに知ぬ人也 此いでそよ人とは是当人と書り哥の心はかれ〳 〵なる男の女の心を うたがいてとかく物せしをかくよんでこたへけるいかにもそなたの 心の風の吹次第にてこなたの心もかはる也人を思ひ人をわするゝも みな人のしむけやうによると訳し侍るい ︵注、 改行なし︶ かさま手にはをまはしたる 哥なれは人をわすれやはするといふを人を忘るゝと俗 説に訳し侍る も例 の族 の ︵十六オ︶所 為也忘れやはするはわすれはせぬといふ事 也いではをのれををこすの詞 とていでそよとつゞきたる詞にあらす いで人をわすれふかなんのわすれふぞといふ事也そよはさゝはら風 吹はにかけたる下の句のかけ合也かならす是 当 人 信用しかたし田舎 沙汰にて侍る惣して人 倫のまじはりといふ物は他 がわすれふは我も わすれん他 が思はゞ我も思はんといふは実 の道にあらず殊更恋の本 理といふはすてらるゝ男を猶しのひて思ひうらみのすゑ︵十六ウ︶ 挿絵第五図︵十七オ︶ ﹁三条院﹂ 挿絵第六図︵十七ウ︶
九 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ ウ︶しゆへ源のよりまさをめして御むほんのおこされたりこれらに て親王東宮の御事よく〳 〵わきまへしるへし此哥も冷泉院のいまた 東宮にておはしましける時仲文伊賀守にて参りける折からよみける 哥なり扨有明の月の事は十五日より後の月をいへりとはいへ共大江 匡 房 卿 の説には十五日より廿日迄の月にはをの〳 〵其名あり廿日過 て後あかつきかけていづる月を有明とはいふよしかつ又旧老法印の 作桂明抄にも廿日よりのちの月を有明 ︵二十一オ︶といふよししか れば此説〳 〵にしたがひて此哥をも見るべし扨光を待ほどにのほど の字はやうにと見るへし光を待やうに也我世の世は夜といふ心とか ね合せて見るべしいたくは俗 言 のいかうといふ心にて歎 息とてさつ てもいかう我身のよはいもかたふきけるといふ心なりかやうに訳し 侍らば心へまどふまじき事をあらぬ引哥をもとめてむつかしくさた し侍るは大き成あやまりなり ⃝ 声きく時ぞの事 猿丸太夫 ︵二十一ウ︶ 古今 奥山に紅葉ふみ分なく鹿の声聞時ぞ秋はかなしき 此歌秋はなべて物かなしき時節にいひならはせり誠に春の空の花や かなるとはかはりて物わひしく悲 しき也さればおく山に紅葉のちり 敷たる比鹿の打侘 て啼 たるを聞たる当意たちまち秋の感情おこりて 読る哥也かやうに心へて哥を見れば時ぞの字秋はの字気味ふかく面 白しと訳し侍るはいかゝ いかにも大かたにいひまはすといへ共みな田舎のさたにてこそ侍れ ㊉我世のいたくの事 藤原仲文 拾遺集 有明の月の光を待ほとに我世のいたく更にけるかな︵十九オ︶ 詞書に冷泉院の東宮におはしましける時に月を待心の哥をのこ共の よみ侍りけるにとあり哥の心は在原業平のよめる大かたは月をもめ てし是ぞ此つもれは人の老 となるものといふ歌の心と同し事にて有 明の月になるころと人の老はてたるとはかはらすくらへ合せたるも のよと申つたへ侍りぬ有明の月といふは一夜 ありあくる月ゆへにか くは名によふといへり又詞書の東宮のさたまち〳 〵に田舎にてとき まどはせ侍る也此義共いかゞ︵十九ウ︶ いかにも此哥の註訳に業平の大かたは月をもめでしの哥を引合せ侍 る事かくべつにあやまりは有ましさりなから心ははるかにかはるへ しさやうに引哥をたつねて哥を註訳せば入ほがになり中〳 〵心あき らかにすむまし事により引歌を以て訳する事も侍れ共此哥ならば此 哥一首の心を発 明有べし詞書の冷泉院と申奉るは人王六十三代の御 門にて村上天王の御子也則天子の院号 のはじめ也扨東宮と申事は天 子の御子あまたをはします ︵二十オ︶中に御器 量 を御見たてあつて 親王の宣 下 あるなりその親王宣下のある中にて又御器量をすぐり奉 りていかにも御 仁 徳 のおはしまして万民を撫 育 し給はん御かたを東 宮の宣下あつてやがて天子になり給ふ也かる〳 〵しく天子の御子な ればとて親王ともまして東宮など申奉るにあらすおほく親王の宣下 だになく何のみやかのみやと申て過き給ひたる御門の御子ありすで に高倉のみや茂 仁 王 は三十才のうへまでも親王宣下なかり ︵二十
一〇 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 ㊄みしかき葦の事 ︵一オ︶ ㊅瀧川の事 ㊆泉川の事 ㊇ふれる白雪の事 ㊈さねかつらの事 ㊉風のかけたる柵の事 ⃝ しづ心なくの事 ︵一ウ︶
和歌俗説辨巻中
㊀このたひはの事 菅家 古今 此たひはぬさも取あへす手向山紅葉の錦神のまに〳〵 此哥北野聖 廟 の御哥なり御名をしるし申さゞる事子細いかゝ又此た びはのたびを度 又旅 とさたし侍る此ふたつの内いづれか哥の本理に 叶ひ侍るにやぬさは幣 帛の事とやしろきものをもみぢのにしき神の 随 意 〳〵 とはいぶかしくこそ侍れ殊に古今集羇 旅 の部 に此哥ありて 詞 書に朱雀院なら ︵二オ︶におはしましける時手向山にてよみ侍りけ る菅 原 朝 臣 とあり朱雀院と申はいつれの御事にや代々の天子のす べらせ給ひたるを朱雀院と申とこそうけ給りつたへしが是又いぶか しく候へ又四位の人をこそ朝臣と申よし三位よりは公 卿 にて何の卿 と申とかやすてに天満天神は道 真 公と申て宇多のみかどの侍 読 にて 昌 恭 二年二月十四日に任 二 右大臣 一 給ふ事諸書に出たりさるを菅原 惣して此哥にはいろ〳 〵の ︵二十二オ︶事を訳して人をむつかしく まどはせ本理にうとく横 筋へやりほがす也端 山 のもみぢはとくちり て奥山のもみちのちる時分其かけを鹿のたのみて啼といふは大きな るあやまり也其子細は紅葉は奥山よりちり端 山がをそくちるものな り又庭などにあるは山よりは猶後に色付てちるものなり花は又もみ ちにかはりて端山より咲次第に山ふかく咲侍る也源氏物語にもかや うのたくゐおほくあるなりかならす奥山のもみちがおそくちると心 へ侍れば大き ︵二十二ウ︶なるまどひを得て哥の理にかなはす時ぞ のぞ秋はのはをおもしろきと訳するはをのれが小き心に対 して哥一 首の玄妙を知す秋はかなしきといふは勿論かなしき心もあるべし又 おもしろきといふ心もあるへし此秋は世 界 の秋也鹿のこゑきく人に かきるべからすさればかぎりなき余情和歌俗説辨巻上終
︵二十三オ︶和歌俗説辨巻中目録
㊀此たびはの事 ㊁神代もきかすの事 ㊂あしのまろ屋の事 ㊃いなはの山の事一一 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ り或抄に供奉をつゝしむは義也神に手向るは礼也礼義の二つそなは りて菅家の御詠にしては尤感 あるもの成へしよく〳 〵味ふへしと書 たり是ことはりに似てさにてなし平人の読たる哥に是ほとの心あら ばさやうに註訳を付べし︵四ウ︶ 挿絵第七図︵五オ︶ ﹁寛平の御時に手向山御幸﹂ 挿絵第八図︵五ウ︶ ﹁なりひら東の宮にて屏風のゑ見給ふ﹂ 申もおろかや本朝の文祖日本第一の忠臣すでに神とあがめ奉る菅家 の御詠にことやかましき註訳也惣して古き哥古き文 章 を見るとても 其人の一生の行 跡を見てさたすへき事也大学の八条目にそれ〳 〵に 人をあてゝ 構 訳 せられし大 儒 ありこれ尤成事なり聖人のうへから は一方はよきが一方はあしきといふ事なし礼にかなひ給へば義にも たがはす是聖人のうへ也礼はあれ共義にかなはすといふは凡夫の事 ぞかし殊に哥の註訳を ︵六オ︶いりほがにいへばもとをわすれて浅 朝臣としるし又は管家とばかり申事いかゝ︵二ウ︶ 不 審 の趣きいづれも尤にこそ侍れ成ほと此哥は天満天神の御哥也扨 菅原といふは天 穂 日 命 十四世の孫野見宿祢に土 師 姓 を賜りて十一 世の間は土 師といひしが十一世の古 人天平元年六月廿五日に改て菅 原姓を給はり其後は菅原と申也扨古人の御子を清 公 と申清公の孫を 参議従三位是 善 卿 と申此是善卿の御子が道 真 公にて天満天神也いづ れも是迄は御官位ともにひきくおはしまして道真公右大臣にはしめ てのぼらせ給ひ御家 ︵三オ︶を引おこさせ給ひけるゆへ御名を申に 及す菅家と称 じ奉る也又菅原朝臣とはかり申事は姓 の朝臣名の朝臣 と申て少差 別 あり名の朝臣と申は四位の人を申也古今集にしるした るは姓の朝臣といふたくひ也猶子細有事也又古今集の詞書の朱雀院 の事空 にてとなへる時はしゆしやくゐん又哥書にてはすさくゐんと よむがならいなり成ほと累 代 後 院 を朱雀院と上古は申奉りしかど も六十一代承 平 帝に追 号し奉りてよりの ︵三ウ︶ちにはさは申さ す古今集にいふ朱雀院は五十九代の宇多帝の御事なり宇多帝の供御 に参り給ひし時の御哥なり扨ぬさは帛 にても錦にてもきりて神に奉 るゆへもみちのにしきをおほしめしよらせ給ふ也たびの字の事旅 の 字に見るはよろしからす度 の字に見るへし御幸の供奉の時節なるゆ へ私の幣 帛はさゝげぬなり折ふし山のもみぢのにしきを其まゝ手向 るといふ心也神も仏も人のすゝめぬものは領 せられぬほどに ︵四オ︶ かく手向て神の御心にもみちをまかせ給へといふ事なりかりそめの 心に見るへからず奉公の道からは私をかへり見ぬといふ所殊 勝 也 此神は手向山の道祖神に御幸の道をまもらせ給へといのり給ふ事な
一二 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 迷 振 荒 振 国 ツ 神とかけり是みな邪 神の事をいへり此儀によりてさた し侍らばあしき神をさしてちはやふる神とこそいふへけれ共哥のな らひはたゞ何となく神とつゝけんまくら詞に用て惣してよき神あし き神おしなへてちはやふるとはつゝけよめる也そのうへ天子をもち はやふる我大君ともつゝけ侍る也是天子は神代の正 統 たるがゆへ也 又ちはやふる伊勢の又ちはやふる加茂のとつゞくるも神 ︵八オ︶の ゐます所ゆへ也され共伊勢加茂の外にちはやふるとつゞけたる所の 哥作 例をきかす畢 竟 ふるき詞にて神とつゞくるまくらことばと心得 べし ㊂あしのまろ屋の事 大納言経信 金葉集 夕されは門田の稲葉音つれてあしのまろやに秋風そ吹 此哥田家秋風といふをよめるよし或抄のおもむきにてはまづ夕ざれ に吹秋風門田の稲葉に吹て其後にあしのまろ屋に吹やうなりさにて 侍るにや又夕ざれの事あしの︵八ウ︶まろ屋の事いかゝ いかにもさようにはこびよせたる哥の風情もある事にて三室の山の もみちばゝたつたの川にてにしきに見るなどゝいふ事あり此哥をさ ように註訳するは浅ましき事也たゞ門田の稲葉に音つるゝ秋かせか やがてあしのまろやに吹也間もなき躰也人気もなくさひしき躰をい ひたてたる哥也扨あしのまろ屋といふ事はあしばかりにてこしらへ たる家也惣して一色にてこしらへたる家をたとへば柴 ︵九オ︶の屋 竹の屋といふなり外のものをつかはすたゞ一いろにてやう〳 〵とし ましく書なすもの也己〳 〵が心ほどに見へて菅家の御哥の事をわす れけるぞおろかなれ扨此手向山は大和也東大寺のほとり也 ㊁神代もきかすの事 業平 古今 千早振神よもきかす立田河からくれなゐに水くゝるとは 此哥九月のすゑ十月のはしめつかた立田川のながれも見へぬ迄にち りしきたるもみち水はくれなゐをくゞるやうなる此おもしろきあり さまは神代にもきかす神代にはさま〳 〵 ︵六ウ︶の神 変 ふしぎなる 事もありしかどもかゝる形 躰 は神代の書 にものせすといふ事にて外 に心あるへからすこれをなが〳 〵と辟案をつけていひまきらかすは 浅ましきよし扨ちはやふるは神とつゞけたるまくらことばとさたし てさま〳 〵の事をいへりまづまくらことばといふ事はいかゝい ︵注、 改行なし︶ かに も哥の心は右の通にて外にまどひをもとむる事有べからず扨哥にま くらことはあることは人の氏姓あるに同じ氏をきゝてよぶ名のなが きがことく古き哥の ︵七オ︶たけ高くきこゆるはおほくはまくらこ とばををき又は序 よりつゞけたるがゆへなり扨ちはやふるとは千剱 破 又千 磐 破 などかけるによつて天照大神の千のつるぎをやぶり給 ふ事とも又千の磐をやふり給ふ事ゆへといへる説もあり或は神は茅 の葉ふきたる所に住給ふゆへともいひ又或はかんなぎの服 にちはや といふものを着て神のまへに其袖をふるゆへなどゝさま〳 〵にいひ のゝしる皆異 説 にしてたしかならす日本紀には残賤強暴横悪之神と ︵七ウ︶かきてちはやふるあしきかみとよめり旧事紀古事紀には道
一三 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ ﹁崇徳院きよせいの意﹂ 挿絵第十図︵十一ウ︶ ﹁よし野ゝ里のはつ雪﹂ 有つけたる松の所をいひ出すが作 例なり人のまつまたぬといふこと ばのかよひに松を引出し美濃国のいなはの山は松ある所なるにより てよそへてかくよめるなり古今集離 別 の巻頭にありて部立のまゝに て心あきらかなる哥をいりほがにむさ〳 〵と註訳をする事浅ましき 事也俊成卿曰此哥くさり過てよろしからすされ共結句の今帰りこん といひながしたる所尤幽 玄なりこれにてしれたるうへをいかなれば 外理をむさぼるぞや田舎︵十二オ︶沙汰といふ物也 ㊄みしかきあしの事 伊勢 新古今 難波 䈢 みしかき芦のふしのまもあはて此世をすくしてよとや 此哥序哥のよしみしかきあしのふしのまとはいさゝかばかりといふ つらふたる屋と心得へしこれもあしばかりにてこしらへたるゆへあ しのまろ屋といふまろといふはこけやすくいづかたへもまろぶとい ふ心なり又夕されは夕暮と同し事ながら夕栄 と書にて心得へし夕く れのすこし栄 あるさまにてあはれにおもしろき心有べし哥に註訳す ればまどひやすきといふは爰の事也門田の稲葉に夕暮の秋風そよ 〳 〵と音つるゝと聞もあへすやがてあしの ︵九ウ︶丸屋に吹たると いへば風に二つのひやうしありていな所へ吟味がかゝる也門田の稲 葉をも吹秋風があしの丸屋をも一度 に吹也註訳をはなれ見るべし ㊃いなはの山の事 中納言行平 古今 立別れいなはの山の峰に生る松としきかは今かへりこん 此哥五句ながらつゞき過ぬれど秀 逸 のうへは其難なきよしふるくさ たこれあり侍りぬ扨いなはの山の事美 因幡両国にありいづれか此哥 のいなはの山にて侍る︵十オ︶ いかにもいなはの山二所にあり例 の癖事をこのむ抄物に因幡のくに しかるべしとしるして行平を因幡のかみにして哥の理をも取あはせ て初心の人をまとはし侍る同し名はむかしよりある事にて物のはし くれをのぞきては本理にうとく義も又まぎらしきもの也因幡のかみ に成たる行平は此在原行平にてはなし別の人也かならす因幡のかみ の行平とおもふゆへいろ〳 〵の註訳を付て浅ましき所へをとす也惣 して松をよむにはむかしより︵十ウ︶ 挿絵第九図︵十一オ︶
一四 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 も行末にはあはんとの心なりとなり是にては何とやら恋哥の本理に そむきてをしつけてあはんといふやうなりあひ見ぬ事がらにて人を もしのひ世にたつ名をはゞかるをこそ恋なれぜひにあふにてあるぞ といふ註訳信 用しがたし ︵十四オ︶誠の理はいかゝうけ給りたく侍 る又瀧川の事いかゝ 尋 の趣き尤也まづ此哥の瀧川のか文字にごりたるがよし瀧川とにご る時は只水のはやき事にて川のながれするどなるをいふ則此哥の瀧 川さのごとし又瀧川のか文字をすむ時は瀧と川とふたつをいふ事に なりて此哥の理にかなはす扨われてもとは成ほどわりなくもといふ 心也せつなる心也されともわかるゝとわりなきとふたつをかねたる 心也はやき川の ︵十四ウ︶水はわれわかれてもすゑにはあふてひと つにながるゝ我はつらき人に別れて後はあいかたき心を思ひかへし ていへる也あはんとぞ思ふといふうちに此心有べし能々工 夫 有べし 宗の註をひたとうつし〳 〵て後には本にちがいたるうつしあやま りおほく世の人をまどはす 抄物あり己が心ほどに義理は見へぬものにて扨々抄物ほとはづかし きものはなし人に別れてあひかたきをわりなく末に逢んと思ふはは かなき事ぞと打なけき思ひかへしていふ心也 ︵十五オ︶瀬 をはやみ 岩にせかるゝ滝川のことく人にさまたげられてぜひなくわかれたる 心もあり又我はかならすあはんほとに人にもさやうに思へときこゆ るやうなりわれてもはわりなき心也只今こそ岩にせかるゝ水のごと くに別 るゝともわりなく行末にあはんと我は思ふほとに人もさやう に思へといふ心なり 心すくしてよとやとはあはずしてすくせよとのそなたの心中かと也 と抄物にありこれかたはしをいひすべらかしてとくと本理にうとく こそ侍れ 成ほと此哥は一首のすかた殊勝なるよし御さた侍りていさゝかの辟 案 に及ぶましき ︵十二ウ︶註訳也まづなにはかたといへる五文字大 やうにいひ出たり惣して五文字に君 臣のすかたあるとなり是は君の かたち也ひしといひつめて詮 になるもあり能々分別すべし哥の本理 をいはゝ思ひそめしより此かたえんをもとめ詞をもつくし心をもく だきあるはたのめてすくしあるは又かけもはなれすして年月をかさ ねぬれは扨もいかゝはせんなと思ひあまりたるうへに打なけきてい ひ出したる哥なりみじかきあしのふしのまといふはすべ ︵十三オ︶ てあしのふしあいはみじかきものゆへいささかといふ心のたとへに あしのふしのまほどもわすれはせぬと也たとへばつかのまもわすれ ぬといふごとく草をかりよせてつかぬるあいたをたとゆるこれみな 恋に心のやるせなき事をいへり家集にはみじかきあしのふしごとに とありされともふしのまといふかよろしきよし御さたなり ㊅瀧川の事 崇徳院 詞花集 瀬をはやみ岩にせかるゝ瀧川のわれても末にあはんとそ思ふ ︵十三ウ︶ 此哥抄物にわれてもとはわりなくしてもといふ詞也岩にせかるゝ水 はわれても末にあふものなれば我心も猶しのぶほとこそ人めも世の きこへも思はめしのひかたくなりまさりなはよし〳 〵わりなくして
一五 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ ㊇ふれる白雪の事 坂上是則 古今 朝ほらけ有明の月とみるまてに吉野ゝ里にふれる白雪 此哥古今冬大和の国にまかれる時に雪のふりけるを見てよめると 云 々 朝ほらけとは朝朗朝旦明旦なと書り哥の心はよし野の里の白雪を月 に見まかふのよし註訳したる抄物ありいかゝ いかにもさのみことはりもあるへきなからさようにいへば雪のふか くふりつもりたるようなりふか ︵十八オ︶く雪のふり出る事をいひ たて侍らば里といはずによしのゝ山といふべし里は山よりも雪のあ さくふりつもる所なりかならすわけもなき抄物を見れば卒 度 の所に 本理を失 ふ事田 舎 のならひなりまづ朝ほらけといふ事は夜の明行時 分なり朝ほらけゆへに有明の月と出したり見るまでにとの文字能々 味ふべし秋より有明の月をみなれたるゆへ今初雪のよしのゝ里にふ りわたりて草も木もそのまゝすかたのかはらぬゆへ雪で有まい有 ︵十八ウ︶明の月かけてこそあれと朝ほらけのけしきをおもしろく なかめたるなり秋よりながめし有明の月と今の初雪とをふたつなか ㊆泉川の事 中納言兼輔 新古今 みかの原わきてなかるゝ泉川いつみきとてか恋しかるらん 此哥いつ見んいつきかんといふことはのえんに ︵十五ウ︶泉川とを けり扨一首のおもむきはいかにと抄物を見るに恋の哥にておもしろ きといふてしのぶもぢずり住の江の岸によるなみなどの哥にまけま しきとはかりしるして扨もわきへ取てかゝりてさら〳 〵此哥につけ ての註訳いさゝかも侍らす泉川の事はいかゝうけ給りたく侍る 泉川といふ事は山城の国 瓶 原 といふ所に川あり外の川とちがひ水 上 なくして井のもとのごとくわきてながるゝゆへいづみ川といへり さ ︵十六オ︶れども此川今はなし哥の心は我思ふ人あふこともなく してわするゝ事なし此わすれぬ心からはいつぞはあふべきはづなる に扨もあい見る事なしこれほとにあふ事にえんがなくば一向見そめ ぬはつなるがいかで見そめて思ひこかれる事そ泉川のごとく我なみ たはどこともなくわきこぼれて袖をぬらす事よされともいつみ川は 見るといふことばかあるが我思ふ人はいつみる事のあるへきとて恋 わたるそ恋しかるらんは我と心をとがめてそこになみたのわくとい ふをもた︵十六ウ︶ 挿絵第十一図︵十七オ︶ ﹁山川に風のかけたるしからみ﹂ 挿絵第十二図︵十七ウ︶ ﹁紀友則の哥の意﹂ せたり
一六 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 物をねがふ心の詞なり扨人にしらてのてもじ清 濁 両説ありといへ 共にごるが能也 ㊉風のかけたるしからみの事 春道列樹 古今 山河に風のかけたるしからみはなかれもあへぬ紅葉也けり 此哥のしからみを風のかけたるといふ事下の句のもみちなりけりと いふとひとつ事を二度にいふやうにて抄物のおもむきいかにしても 不審なり︵二十ウ︶ 成ほとさやうに釈したる抄物ありずいぶんあしき説也惣して和哥は 下の句より読出すもの也さやうになければ上づりて下すぼりにて哥 のこしをれるものなり和哥をよくよまねば古哥の註もならぬもの也 又古哥の心をよくわきまへねばみづからの哥もゑよまぬものなりま つしからみといふは川岸に竹にてこしらへて岸ねのくづれぬやうに 水のつきあてをふせくものなり古今集の部立のことく秋の末に落葉 ひまなくちりみだれて山河の岸ねにとゞま ︵二十一オ︶るを見れば いづれも〳 〵色付てくれなゐなる落葉かうへがうへゝちりとゝまり てなかるゝ水をふせくはげにも秋の末ふゆをとなりのながめにてこ そあれ此やうすをいはゝしからみに似たりされども人の才覚にてこ しらへたるにてはなし誠に風のかけたるしからみにてこそあれと下 の句のなかれもあへぬ落葉を上の句にてしかとことはりいかにも山 河の気色をうごきなくいひをふせたり風のかけたるしからみといふ が一首の曲といふものなり能々下の句より見るべし︵二十一ウ︶ らにほめてよめるなりかならすよしのは寒気のつよき所なれば雪の ふりつもりて一面に白たへなるを月かげに見たてしといへば大き成 あやまりに成なり雪のふりつもれば草も木もすがたのかはるもの也 さあれば月とは見へす雪なりといふ事はやくしるゝ也くれ〳 〵ふか き雪と見るはわるしたゞさつとふつたる ︵十九オ︶雪が見なれたる 有明の月かとおもはるゝ秋の月のころもはやいつの間にかくれは てゝ雪の比に成たるよと底 には光陰のうつりやすきを歎 息したる和 哥也畢竟一 とゝせの事も月雪にかはり行さまふかくおもふへし見る までのまではほどゝいふことば也 ㊈さねかつらの事 右大臣定方 後撰 名にしおはゝ逢坂山のさねかつら人にしられてくるよしもかな 此哥のさねかつらをさま〳 〵まきらしき註訳ありさねを実 といふ字 ともいひ又小 寝とも ︵十九ウ︶いひ又人にしらてのて文字を濁 もあ り又清 もあり是等いかゞ いかにも万葉に人のあひあふはしめをさねそめてといへるを聞はつ りてさねかつらに取合せて註すると見へたりまづさねかつらといふ は五 味子といふ草なり此草茎 よりは根のふときものにて葉のしける ものなり扨くきのさきをとらへて引ば根ぎわまてたぐりよせらるゝ もの也扨あふ坂山にあるものなれば名にしおはゞとはいへる也あふ 坂をあふといふえんに取出して ︵二十オ︶さねかつらのことくたく りよせなばくるよしもかなよしはきたる由来もがな也がなはすべて
一七 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄
和哥俗説辨巻下目録
㊀人を初瀬の事 ㊁古郷寒くの事 ㊂花さそふの事 ㊃あまのはらの事 ㊄世をうち山の事 ︵一オ︶ ㊅うつりにけりなの事 ㊆かたみに袖をの事 ㊇のちの心の事 ㊈目にはさやかにの事 ㊉てる月なみをの事 ⃝ 宵なから明ぬるの事 ︵一ウ︶和哥俗説辨巻下
㊀人を初瀬の事 俊頼朝臣 千載 うかりける人を初せの山おろしはけしかれとは祈 ぬ物を 此哥の抄物を見るに何とも自 得 せぬ人の註したると見へて何とやら まきらはしく書なし侍りぬ定家卿近来秀哥にいふ此哥は心ふかく詞 心にまかせて学ふともいひつゞけかたくまことに及ふましき姿なり と書り是は此哥の註釈といふ物にあらす近来秀哥にある事なれば註 ⃝ しつ心なくの事 紀友則 古今 久堅の光のとけき春の日にしつ心なく花のちるらん 此哥花のちる事は雨風のわざもしは落花狼 藉の人のわさなるへきに 光ものとかなる天気に花のちる事いかゝ又らんとはぬるてにはには うたかひの文字なくてははねられぬよしきゝ伝 へ侍るさるに此哥に うたかひの文字見へすいかゝ いかにも尤なる不審なり春の日かけものとかにて雨風もなきに花の ちるはいかにと心をおさ ︵二十一オ︶へたるゆへ哥のおもてにうた がひの文字なきながらはねたるなり是心にておさへたるてにはにて 初心の人能々見おほへ侍るへしかならすうたがひの文字おもてにあ りといふとも心にしかとう かひのおさへ字なくてははねらるましき 事ぞかし此よき天気に何とて花はちるぞしつ心なくの心を見る人の 心か花の心かといふ説〳 〵ありされ共花の心とみるがよししづはし づかなる心もなくてちるはなさけなしと花をうらみたる哥なりゆう 〳 〵としたる春の末の空の風情けにも見 ︵二十二ウ︶るごとくなり 久かたの事は外の所にて註すべし和歌俗説辨巻中終
︵二十三オ︶一八 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 るなりといふ哥を書付 ︵三ウ︶ て外に何のさたもきこへ侍らすいかゝ いかにもみよしのゝ山の白雪の哥詞つかい似たるゆへにさやうに書 付て註釈をまきらかして田舎の人をまどはすと見へたり惣してふる さとゝいふ事己が生国をいふにあらす哥によむはみなふるき都の事 なりかならすかやうの所にて心も詞もまきれるもの也よしのは天武 天皇しはらくながら皇居成し所ゆへふるさとゝいふなり其外歌によ むふるさとはきはまつたる所の数ありてむさとふるさとゝ ︵四オ︶ は読す哥の心はみよしのゝ山の初秋の風もひたと夜をかさね吹てす でにいま晩 秋の比なればころもうつをとも寒くきこゆるなり小夜ふ けてと爰にいふはこよひ一夜のふけたるにあらすいく夜も〳 〵ふけ て又秋もふけてといふ事なりふるさとのむかしは皇居にてありけれ はさもにぎはしき所も今は皇居ならねば物さびしくころもうつをと のものにまきれす秋のすかたをいとゞおもはするよといふ事なり晩 秋とふるさとゝの余 情 さしも︵四ウ︶ 挿絵第十三図︵五オ︶ ﹁まさつねの哥の心よし野ゝ里﹂ 挿絵第十四図︵五ウ︶ ﹁仲麿もろこしにて月見給ふ﹂ あはれふかくきこゆるなり ㊂花さそふの事 入道前 大 政大臣 新勅撰 花さそふ嵐の庭の雪ならてふり行物は我身なりけり 者のことばにてなしとくと哥の心を得心 ︵二オ︶しかたき故古人の ことばを取出して抄物にしるしぬされば何といふ哥の心やらむつか しき所をとびこへて外へとつてかゝる事まづ哥道の趣きにあらすさ るによつて其抄物は見るにたらす子細はいかゝ侍るやらん いかさま近年むさ〳 〵と哥書に註釈をして世に流 布させ人をそこな ゐ己を忘るゝ族あり善をすゝめ悪をこらすより外に道はなきものを 秘 事伝 授をこしらへ人をかすむる事以外成所為ぞかしされば此哥は 詠歌大 概に ︵二ウ︶てもさたある事なりいのれどもあはざる恋とい ふ題をよく読給ひたる哥なりまづ初瀬に恋をいのりたる事は住吉物 語にあり此物かたりはすいふん古き物かたりなるゆへ後世 証 拠 に とりて哥にも作 例に用ゆる也扨はつせは山中にて嵐はげしき所也さ るによつてはけしきといふ枕こと葉にはつせの山おろしとをきたり 恋こかるゝ心のせつなさをはつせにいのれとも〳 〵人の心のやわら ぐ事もなくはげしくつれなきは何事ぞや ︵三オ︶扨もうゐつらゐ人 をはつせの山おろしのごとくはけしかれとはいのらぬが是はいかな る事ぞやものをといふより上の五もじへかへして見るべし称名院の 仰せにはいのれどもあはぬ恋の題をやはらげていひたると心得よと 也誠に詞すくなにてよくきこゆる註なり ㊁古郷寒くの事 参議雅経 新古今 みよしのゝ山の秋風小夜更てふる里寒く衣うつなり 此哥の註釈にみよしのゝ山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさ
一九 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ る也これほとの極官をきはめ給ふ御身のうへに何をのそみ給はんや たる事をしるは賢 人也嵐の庭の花も雪も我身も世にふり行事でこそ あれといふ事也哥の註はずいふんみしかくてきこゆるもの也あら ︵七オ︶ぬさたをもとめるは辟 事ぞかし ㊃天の原の事 安部仲麿 古今 天の原ふりさけみれは春日なる三笠の山に出し月かも 此哥古今羇 旅 巻頭にありて仲麿もろこしにわたりて帰朝の折からよ みける事諸書に出たりされともあまの原の事ふりさけ見ればの事何 ともさたなしいかゝ いかにも近年の抄物は古き抄物をとりて板行するによりいつれも同 し事にて大きにあやまりたる抄物あれどもそれを吟味に及ばす ︵七 ウ︶すぐにそのちがいを手本にするによりひたとあやまりおほくし て人をまとはす事おそろしき事也天の原といふは畢竟天の事也しか るに原の字をつけていふはいかにされば原はひろいといふ事なり天 は地よりも大きにひろきものゆへ其心にて天の原といふ也ふりさけ みれば手 裡に三笠山か見ゆるといふ事也ひたすらならの京の時分な れば都を思ひやりて幽 なるといふことばをもたせて春 日なる三笠の 山に出たる月であろあまの原 ︵八オ︶のはるかなる中にふるさとの みかさ山を出し月こそかくれなしといふ事なり眺 望の部に入べき所 に羇 旅 の部に入たるにて一首の意味心得有べし 此哥は落花をよみ侍りけると詞書にありしかるに田舎のさたとして 我身の老行事をあなかちによみて花のちる事をつぎにせり庭上の花 の雪とふり行を見て此嵐の庭の雪ならで外に又ふり行ものは我身ぞ と観 したると註せりいかゝ 成ほとさやうにもいはゝいはるへき事なからいな所 ︵六オ︶に註釈 をくはへ侍るゆへ嵐にちる花と庭の雪とふり行我身と三つになりて やかましく侍るなり惣して作者の老 若 又 官 位 を見る事一大事なり それゆへのちには大納言に成給ひし御かたも中納言の時よみ給ひた る哥には其まゝ中納言としるし四位の人三位になり給ひても四位の 時の哥に何の朝臣としるし侍るなりそれゆへ詠し給ひたる時の事を 思ひやりて大かたにも註釈を付るものなるにそこへはかまはすにむ さ〳 〵と抄物を作る事 ︵六ウ︶浅ましき事也まづふり行ものは我身 なりけりといふことは若年の人のよむべき哥にあらずされば入道前 太政大臣とあり是は今の西園寺殿の御先祖公経公の御事也入道の事 太政大臣の事くはしく官職田舎辨疑にしるしをき侍れば今爰に略 す
二〇 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 挿絵第十五図︵十オ︶ ﹁うち山きせん法師の庵﹂ 挿絵第十六図︵十ウ︶ ﹁小野小町﹂ 小町の哥のにの字はいかにくるしからさるぞや定家卿の時分より同 し文字のあまたある哥をきらい給ふにや上代は其さたなきゆへ小町 の哥はくるしからぬにやいかゝ 尤成尋也惣して和歌に病 ある事初心の人もそれ〳 〵に聞おほへて侍 る事なりたとへは四病八病をのがれてよみ出したる哥の人のをしゑ にもならす己か身のおさめにもならさるはたゞごとといふものにて ことばをならへたるぶんにて何のやくにたゝす又病あるといふ哥に てもしかと ︵十一オ︶観 善 懲 悪 のをしゑとなる哥は病にをかされず といふてくるしからす心もよきうへにすがたのやさしき人はいふに 及ずいかにすかたかたちかよきとて心ざしのあしき人は世のはづか しめをうくるもの也いかにもかたちのふつゝかなりといへとも心の ㊄世を宇治山の事 喜撰法師 古今 我庵は都のたつみしかそすむ世を宇治山と人はいふ也 此哥宇治山は都の辰巳にあたれば都のたつみとはいへりしかぞすむ とは辰巳よりのいひくだしに鹿ぞすむ鹿は妻恋ふこゑの物かなしく あはれなるものなるに我庵 ︵八ウ︶は此あはれをもとめすして得た りといふ哥のよし田舎にてさたありいかゝ又いふなりのてにはい かゝ さて〳 〵以の外なる註釈かないかにも都のたつみといふは宇治山の 方角をさしての事也しかぞすむといふは鹿ぞすむにあらす然 ぞすむ 也然 とはかくのことくといふ心にて世の人はうゐ〳 〵とはいへども 我は都をはなれてうち山にかくのことくすむなりといふ哥也人はい へともといふへき所を人はいふなりと大やうに下の句を ︵九オ︶と めたりこれらよく〳〵心得有へき事也 ㊅うつりにけりなの事 小野小町 古今 花の色はうつりにけりな徒に我身世にふるなかめせしまに 此哥に表裏の心ありといへ共其説〳 〵わかれすしてすいふんまきら はしき註釈あり表裏の心といふはいかに又此哥ににの字四つあれど もくるしからぬよし又宗尊親王の御哥に白雲のあとなき峰に出にけ り月のみふねも風をたよりにとよませ給ひけるを定家卿のにの字あ またさし合候との難これあり︵九ウ︶
二一 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ ししかるに男の心に女のかはりたるをうらみてなげくなみたに袖も かはかずふししづみてやう〳 〵我なみだを女のかたみとおもふやう にきこゆるなり又松山のすゑを波のこすともと有べき所を末の松山 とよみし︵十三オ︶はいかゝ 成ほとあしく心得侍れば哥の本理をうしない註釈にて一首がふしく れだつものなりたつねの趣き哥の理にかなはすまづかたみといふは 世にいふわすれかたみなとゝて取かはしたる心にあらす此歌のかた みといふは互 といふ字にてたがいにといふ事也扨末の松山といふは 奥州にもとの松山中の松山末の松山といふ所あり末の松山は海より 遠ければなみのこす事はなきなりまづ五もじより註すればちきりき なと ︵十三ウ︶いふは男と女とはしめにけいやくの仕様はといふ事 なりかたみに袖をしほりつゝといふはたがいにかはるまいかはらじ と誓 ひをたて合なみたをこほしていふやうはといふ事なり扨その誓 のうへにてたとへを出していふやうはもとよりなみのこさぬ末の松 山なれども万一此末の松山に浪のこすやうにならば心のかはる事も 有べし中〳 〵たがいの心は何とてかはらふぞよもや末の松山は浪も こすまじそのことくにたかいの心はかはるまいとたとへまて出して いひかはした中なる ︵十四オ︶にいつのまにか女の心のかはりたる は何事ぞやとてもこさぬ末の松山に波こさしなどゝはちぎるまいに 扨もくやしやと女をうらみ其うへにていひかはせし時のたとへまで を男のかこつ心なりその男と女のかくのことく末の松山の事をいふ たにもせよいはぬにもせよかはらぬ心とたのみたる女のかはりたる うへなれば元輔思ひやつてよめる哥なりかはるまいといふたとへに かしこき人は世のおぼへもあるそかし小町の哥にの字あまたあれど もすいふんの哥にてすかたにかゝはる事にあらす又白雲のあとなき 峰の哥はそれほどになきゆへにの字のおほき事を定家卿の難じ給ひ ︵十一ウ︶ぬ扨表裏の心といふは成ほと古来よりさたある事なり三 条西右府公条公の仰せに古今集一部の内小町か此哥を第一とおほし めすのよし此哥の表の義といふは春にいたりて花のさかりには花に 身をなさんとかねて思ひしも世のまじはりにうちまきれてすごした る心也見ぬ花なればうつりにけりなとさつしていへり又裏の説とい ふは我身のおとろへを花になそらへて歎息したる心也なかめくらし つはとやかくと物を思ひて打なか ︵十二オ︶めたる也惣して見ると いふとなかめるといふは大きに違ふ事なり俗説にながめるといふは ながう見るといふ事也といふもあやまりなり和哥によむなかめると いふは皆ほどへたる事也いつれの哥にてもほどへたる事になかめと いふ字を見るべしかならず見るといふ事と心得侍れば大きに本理を うしなふ事也扨為氏の仰せには此哥のながめに雨をそへてふかく見 よと教訓せられたるなり花 時 風 雨 多 といへばなり ㊆かたみに袖をの事 清原元輔︵十二ウ︶ 後拾遺 契りきな形見に袖をしほりつゝすゑの松山波こさしとは 此歌の詞書に心かはりて侍りける女にいひやりける人にかはりてと ありいひかはしたる女の心たがいぬるをうらむる男に元輔のかはり てよみたる哥成へし人にかはりて哥をよむ事はある事なれば不審な
二二 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 さきよりも十ばいしてやむ事にあらす今の此心にくらへてはあい見 ぬ以前は物も思はぬでこそあれとうへのうへをいひのへたる哥也く れ〳 〵昔は物をにあらす物も思はさりけりなりをの字ともの字とに て大きにちかいあり ㊇ いつれのをよりの事 斎宮女御 拾遺 琴の音に峰の松風かよふらしいつれのをよりしらへそめけん 此哥の題は白氏文集より出て松 風入 二 夜琴 一 といふ事をよみ給ひける にいつれのをの字を琴の緒 の字に書たるあり是いかゝ︵十七オ︶ 毎度申侍ることく哥をかくにかならすさやうのひがこと多し又はゆ へもなきちらし書なとをし侍る事扨もはつかしき事なれともそれに てもしらぬうへからはむさと歌をかきちらして無下のふるまいをあ らはすなり此哥の心はいつれの山の尾上より吹わたる松風ぞ折ふし 琴のねに似かよひて扨もおもしろき夜すからやといふ事なり尤山の 末の松山波こさしといふ事はふるくいひつたへたり作 例をいはゞ万 葉に君ををきてあたし心をわが ︵十四ウ︶もたば末の松山波もこへ なんといふ哥ありいよ〳 〵後世男女のかはる心を末の松山波こゆる といふなり ㊇のちの心の事 権中納言敦忠 拾遺 あひ見ての後の心にくらふれば昔は物を思はさりけり 此哥むかしは思はねともかくあいみての後にものを思ふといふ事に やいかゝ いかさま尤成たつねなから俗説にはさやうさたし侍るやらんまづ昔 は物をにあらす昔は物も思はさりけりなり哥書の板行のちかいとい ふは ︵十五オ︶爰也かなにて書たる物ゆへ心やすきものかと思ひ次 第にあやまりを註釈して人をかすむる 族 多し此哥の心は俗説にい ふとちかいことの外うへのうへをよみたる哥なり恋したふ身はたと へば一たびあいみなばそれを思ひいでにしてふつ〳 〵思ひきるへし と思ひしに扨もこよひふしきに枕をかはしけるうれしさよ此うへは かねて思ひきはめたることくにふつ〳 〵と此恋を思ひきらんとすれ ば中〳〵おもひきる事は扨をき恋しさゆかしさかあいみぬ ︵十五ウ︶ 挿絵第十七図︵十六オ︶ ﹁敏行の哥の意﹂ 挿絵第十八図︵十六ウ︶ ﹁源順の哥の心八月十五夜﹂
二三 月尋堂の歌学書﹃和歌俗説辨﹄ ひの外なり ㊉てる月なみをの事 源順 拾遺 水の面にてる月なみをかそふればこよひぞ秋の最中也ける︵十九オ︶ 此哥屏風に八月十五夜池有家に人々あそひしたる所とありしかるに 月浪をと書たる人ありいかゝ 以外なるあやまり也いかに水の面にと五文字あれはとててる月浪と いふ事なし此哥の心はかねて八月十五夜は名にしあふ月なればくま なきかけを見んとおもひ月並 をかぞへ侍れば池水にてる月のひかり すくれたりこれは扨もとおもへばかねて月並をかそへまちたるこよ ひが秋の最中にてこそあれといふ哥也 ︵十九ウ︶心には浪のふくみ もあるへしされとも月並也月浪にあらす ⃝ 宵なから明ぬるの事 清原深養父 古今 夏の夜はまた宵なから明ぬるを雲のいつこに月やとるらん 此哥夏の夜のみしかき事をいはんために宵なから明ぬるといひしも のかよひにはあらねともなるべし外に心も侍るやらん いかにも大かたの抄物にそれほとの事はしるして侍れども一首の心 をまどひて下の句にある月の事を打すてゝをくは何事ぞやすなはち 詞書にも月の面白かりける夜あかつきがたに読るとあり爰を能々 ︵二十オ︶心得有へき事也月の面白きといふはみる人の心に面白 キ 事 尾上に琴の緒をもたせ合したるとはいへ共それは心にてこそあれ山 の尾に緒の字はきやうがる事なり︵十七ウ︶ ㊈目にはさやかにの事 敏行朝臣 古今 秋来ぬとめにはさやかにみへね共風の音にそをとろかれぬる 此哥秋の巻頭にて哥の はよろつのものゝきたる事みなめに見へてそ れとしらるゝに時節の来るは目にはさらに見へす只其折の天地の気 のうつりかはるによつてしらるゝといふ事のよしされども風の音に そをどろかれぬるとはいかゝ承りたく侍る いかにも哥の心は其心得のことくにて外にかくれたる所なしされど も風のをとにそをとろかれ ︵十八オ︶ぬるといふ所にて立秋の心た しかなり成ほと四季ともに時節のうつりかはるは目にみゆるものに あらす何とやらしたる所が春よどやうしたるが秋よとしらるゝ也し かれは此哥の秋来ぬとを春来ぬとめにはさやかに見へね共とあらば 立春の歌にも成へしされ共風のをとにぞをとろかれぬるといふ所に て上の句に取合てしかと立秋の哥也其子細は四季のうちにて春夏の きたるはさしてをとろくほとの事にてなし文月朔日になればはや ︵十八ウ︶今年もなかばくれ過しとをとろく心たしかなり又風の音 にをとろくとは吹風はもちろん風気をおもふべし秋の気は西にはし まりて五行にとりては金也かねは人をそこないやふる性 ありされは 秋風は吹そむるより人の身にしみ心をいたましむる声あれは風の音 にそをとろかれぬるとはいへる也目にはさやかに見へねとも風声思
二四 京都府立大学学術報告﹁人文﹂第六十四号 これによると 、著者は宵雨軒に出入りする同好の士の一人というこ とになろうが 、宵雨軒とは月尋堂の軒号であり 、月尋堂自身が同好の 士に仮託 ・韜晦した自序であったことが推測される 。本書は序に記さ れる ﹁それ〳 〵にたつね侍る趣きを反古のうらにしるし﹂たような雑 然とした私的備忘録的なものではなく 、かなり周到に構成されたもの であったことが窺えるのである 。巻下の ﹁㊂ 花さそふの事﹂の一部 を次に挙げる。 ㊂ 花さそふの事 入道前 大 政大臣 新勅撰 花さそふ嵐の庭の雪ならでふり行物は我身なりけり 此哥は落花をよみ侍りけると詞書にあり 。しかるに田舎のさた として我身の老行事をあながちによみて花のちる事をつぎにせ り 。庭上の花の雪とふり行を見て 、此嵐の庭の雪ならで外に又 ふり行ものは我身ぞと観 じたると註せり。いかゞ。 成ほとさやうにもいはゞいはるべき事ながら 、いな所に註釈を くはへ侍るゆへ 、嵐にちる花と庭の雪とふり行我身と三つにな りてやかましく侍るなり 。⋮ ⋮まづふり行ものは我身なりけり といふことは 、若年の人のよむべき哥にあらず 。されば入道前 太政大臣とあり 。是は今の西園寺殿の御先祖公経公の御事也 。 入道の事太政大臣の事くはしく官職田舎辨疑にしるしをき侍れ ば今爰に略 する也。⋮⋮ まずは傍線部に注目したい。ここで言及される ﹃官職田舎辨疑﹄ ︵宝 永八年三月刊︶は序に ﹁北京散人宵雨軒﹂と署名され 、﹃和歌俗説辨﹄ あつてか又は見る所の面白きかにていよ〳 〵月の光りもおもしろき もの也秋の月の面白きといふも野山の気色木草の風情のおもしろき うへにもとより秋は顕 なりといふて月の影も殊にあきらかなればい よ〳 〵月を賞翫する也勿論みる人の心も秋は陰になりてうちつきて みるゆへ也今深養父此夏の夜に月の面白きといふは心に月を面白が る事あつてつれ〳 〵と月をみしに夏の夜なればはや暁になりたり扨 も残念や此面白き月はいつこの雲にやどりて夜は明る事そといふ事 也しばらく夏の夜はと云 五文字をのけみれは能しるゝ也︵二十ウ︶