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平成9年12月19日 第3櫨郵使物認可 2001年7月1目第290量【奇数月の1U,lelT些.
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グラビア●わが家の歴史写真一伊藤琴子さん
特集●女の泥酔・男の泥酔
特別寄稿●かいま見たタイの暮らし
座談会●老後は子どもの世話になりたくない一では老人ホームに入りますか?
特別寄稿●国会議員になってしまった
特別寄稿●就職騒動一迷うのはわがままなのか一
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灘下灘難撚 電撃 難鞭雲際
写真提供・文/伊藤杖,子 −o@何でそうなるの? 匿名
12@ああ、酔っぱらい 浅川涼子 16@世界一いやな酔っぱらい 三田サキ 20@父の死から十五年を経て 佐久みち子 24 デザイン/宮塚真由美 表紙イラスト/小林正子 イラスト/荒田ゆり子 イシノフミ 小沢恵子 力ステラネンコ 栗田笑 弘法堂建二 佐藤瑞江子 西菖さき 海砂 渡辺美帆かいま見たタイの暮らし
高野貴子 8887 82
10498 94
114 121 116国会議員になってしまった 黒岩ちづこ
ブック情報 ズバリ一一一一一口 田中慶子・斉藤きよみ・大沢陽子コミック これが子供の生きる道22 栗田笑
就職騒動一迷うのはわがままなのかーゴル今これに夢中
竹内南美・江戸千恵・新井純子 青島典子・笠原静枝・十河温子私の意見・あなたの意見
藤池弘子・天野 寂生きてる証し 大野幸子
私もひとこと
吉田淑子・安村豊子・新井純子・水野徳子 トト安田・鈴木貴子・鴨川典子・吉田洋子 石井しのぶ・太田啓子・サト・ウタ・島村君子 大久保れい子・木下温子・林直美・鈴木紀美枝家族のスケッチ
井上暁子・林 直美エッセイスト・クラブ
布施幸子・榎雅子 一筆両断22 西田淑子セールス電話がおそろしい
山田恵子フリートーク
石田ちえ・加藤智恵子・松本とみよ・中松ミナ子 高松恭子・永田道子・久保埜慶子・尾崎ミオ 辻浦知津代あなたヘスマッシュ
布施幸子 最終回リラの花 桜の花
浅野素女 座談会 私も言いたい老後は子どもの世話になりたくない
一では老人ホームに入りますか?
新井純子・中村哲子・山本道子 124 126 132 134 141 142 144子育てフォーラム
小山佳世子夫は厩務員
●NMSのページ●
山田とまと笑える!
匿名雪の山小屋
隅田美幸 おすすめの一冊 和田好子 コミック毎日が平日海砂
体験記公募のお知らせ
スタッフから 募集します 編集だより 傾 ..−.−−. 襯 −−−−1.i悦 自費出版は﹁わいふ﹂へどうぞ ・86 バックナンバー 田 わいふインフォメーション 圏 投稿のきまり一 −一酌 お友達にわいふを ■Eメール nmOl−wif@t3.rim.or.jp 131 150 148 ■わいふホームページ http二/ノwww.t3.rim.or.jp/nmO]一wif/しあわせな私の人生
アメリカ リトルロック市
伊藤琴子さん
2001年、「The Dr, Kinko lto Show」 のスタジオにて、プロデューサーのジムとx
/ 」炉幽幽
若き日の父と母 e7
巳 ノ母は私が幼いころ保育園の 園長をしていた { 歎嘆 Yt,su一 噛
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お正月を写そう!(5歳) 大阪万博にて(小6) どこかで読んだ話だが、子どもとい うのは神からの授かりものであり、自 分の意志で親を選んでうまれてくるそ うだ。人生という名の﹁学校﹂で学ぶ ために、いつ、どこで、どの親の元に うまれるか、決めるんですって。 宝くじや競馬じゃないんだけど、人 生って案外当タリハズレがあるのかも しれない。 日本女性の平均寿命の折り返し点に 近づきつつある今、私は自分の父と母 のところにうまれてきて﹁正解﹂だっ た。今の自分があるのは彼らのお陰で ある。有り乞うと思えるようになって きた。そう母に言ったら、﹁お金いく らいるの?﹂と、聞かれた。父は、 きんこ ﹁お母さんがね、この間、﹃琴子は気で も狂ったか﹄と、言っていたよ﹂と、 言っていた。娘からお礼なんて言われ るとテレくさいのかしらね。親の恩が だんだんわかってきたのよ。 私の母は完全主義者で、スパルタ式 に私を育てあげた。人生は勝負、人に 勝たないでどうする、と、たたきこま れたもんね︵そんな美空ひばりの﹁柔﹂ の世界じゃないって︶。常に人より努 ∵環幽閉■ 事高校卒業 イリノイ”豚字:鱒癸芒自芋 生の時、20歳の誕生日力をすること。一事が万事であること。 油断をしないこと。私にとって家庭と は人生道場というかトレーニングセン ターだったような気がする。お陰様で、 アメリカで一人制住むこと二十年、独 立して頑張っている自分がいる。ちょ っとやそっとのことじゃへこたれませ んのじゃ。︵たまに疲れる︶ 父は娘の私にメロメロのメロちゃ ん。目にいれても痛くないほどかわい いらしく、いつもそれを現金で表現し てくれるのを、私はとても嬉しく思う。 人の気持ちって思ってるだけじゃ伝わ りませんもんね。いろいろな面で私は 父に似ていて、弟は母とよく似ている。 そして母は弟にメロメロのメロちゃん なのである。︵ドラマになりそう﹀ 私は小さいころから写真を撮りづめ に撮られていて、何十冊というアルバ ムがある。カメラ慣れというか、﹁は きん い、琴ちゃん笑って﹂というのを赤ち 饗灘
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一一一一ts 嶺鱒一一脚騨r ’“ 一””d 1996年、ガラパゴス諸島でアシカとお昼寝 1997年、トルコにて リンダ・ケイとミシェルと私 エノスアイレス、 『一 ビータの墓の前でリンダ・ケイとやんのころからやっているので写真写 りはいいほう。︵﹁えっ、琴子さん?﹂ と、写真を送つといてから初対面した 男に言われたことあったりしたけど ね︶ アルバムを一枚一枚めくるたびに、 私は父と母に本当に愛されて、また非 常に甘やかされて育ったということが よくわかる。私の一生の記録というか、 生きた証拠というか、写真を撮って貼 ったうえに、父と母がコメントをいろ いろ書いてくれたのが、とても嬉しい。 やんちゃ娘でずい分わがままである自 分がアルバムの中で笑っているの。 だんだん成長して︵と、いうか、最 近は中年になって太ってきて、と言っ たほうが正しい︶、自分の外見は変わ ってきていても、中の私本来の姿とい うのは幼いころから全く変わっていな いような気がする。そして、自分をと りまく環境がどんどん変わっていく中 で、もっともっと幸せに感じる自分が いるな、と最近は思えるようになって きた。
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ゲシュタルト・セラピー ゲシュタルト・セラピーは言語だけに依存せず非 言語的な手がかりを重視します。水泳を理論だけ で教えるのは無理なように若干の基本的な原則に ついて語った後エクササイズを体験したり、過去や 幼児体験を分析せずに「今ここ」でエンプティ・チ ェアの方法を活用し再現して体験するというやり 方をします。色々な実験を自発的に実行することで 行動変化を体験することが出来ます。 当研究所の専門家養成コースは、ゲシュタルト理 論と指導技術を拾得し、加えてセクシャリティーを 学び、人間の深層に複雑に絡み合った問題解決に 対するきめ細かい手助けが出来る高度なセラピス トを目指します。 ◆就学期間 基礎課程2年+専門課程2年 ◆開講時期 春期4月・秋期9月 ◆資 格 20歳以上 ◆合 宿 年2回 春・秋 ◎アルカンシェール研修館〔2001年9月開校)にて合宿養成講座A■−o㎜a嘗■田r鑓騨y
アロマテラピー 解剖生理学、メディカルハーブ、フィトセラピー、 コンサルテーション、心理療法、リンパドレナージュ、 フェイシャルマッサージなど美容と心理、健康をト ータル的に学ぶ講座です。 ◆就学期間 6カ月 ◆開講時期 春期5月・秋期11月 ●修了証書発行/インターン・派遣制度有り。 心と身体を癒すコミュニケーション型マッサージを 提案。足・脚だけでなくトータルケアを目指し、心 身のバランスや普段の食生活から個人にあったア ドバイスのできる専門科を養成します。プロとして 活躍できるよう心身のケアから接客マナーまで現 場感覚で学びます。 ◆就学期間 6ヵ月 ◆開講時期 春期4月・秋期10月 ●修了証薔発行/インターン・派遣制度有リ。■囲回四置≡図國擁壁雇酒9媚■■■■■匪囲凹■■■9
人は90%以上、無意識の中に生活しています。無 意識の行動パターンがその人の性格なのです。私た ちは自分自身を100%理解し見ることは出来ないた めに自分はどんな性格かわからないでいます。「自分 を知りたい。自由に表現したい。人間関係を豊かに したい。愛されたい。尊敬されたい。」と秘かに願っ ているのならゲシュタルトセラピー「どのような自分 なのかに気付く」初歩的なワークショップを体験して 下さい。そこには数々の楽しいエクササイズが用意 されていますので、自然に自分のありのままの感情 や、反応、常にしている表現の仕方や癖に気付き、生 活上でのコミュニケーションの取り方、話し方そして 深い呼吸は、心理的攻撃を受けた後の体にブロ ックされている心理問題の解決を促し、体の代謝 を高め、健康を取り戻します。 マ ツリ 鵠器,ヲ 薗講師・セラピスト ひとみ心騨博士荒川旬美
●毎月1回コ
スでそうなるの?
﹁−− 東京都大田区匿 名︵53歳︶
﹁またか一、また飲んだくれてどっ かに行っちゃった。もう頭にきた﹂ 毎度の私の台詞だ。 この台詞が出るのが、だいたい夜の 十一時過ぎ。十一時三十分過ぎるころ には第一回目の電話を⋮⋮。どこへ、 って? 夫の携帯へ。目覚ましコール のために。 まず一回目は出ない。私も伝言には 入れない。その後、十五分刻みに電話 する。三回目くらいで一応通じる。 ﹁今どこ?﹂ ﹁⋮⋮う一ん、電車の中﹂ ﹁どこの駅なの?﹂ ここで答えが来ればまあ大丈夫、ち ゃんと帰宅する。でも、 ﹁どこかわからない⋮⋮﹂ となるとそれからが大変。半分寝ぼけ たままどっかに行ってしまう。 こんなことがもう何十回も。最近は 携帯などという便利なものがあるから 少なくなったほうだ。 ﹁奥さんのお陰。電車のあるうちに 帰って来れた﹂と、言い訳しながら帰 宅する。結婚三十年、ここまで来るに はいろいろあった。 それは忘れもしない、記念すべき第 一回目。かなりの夜更けにタクシーで 帰宅。玄関を入るなり﹁メガネがない、 メガネがない。タクシーの中にはなか った﹂と大騒ぎ。夫はかなりのド近眼。 メガネがなければ、目の前に何がある のかほとんど見えないのに、﹁ない﹂ と言う。 まだ私も若かったため、ポケットや カバンの中を捜し始める、真夜中だ。 ひょっと見ると本人は高いびき。冗談 じゃない。 次の朝、日曜日だったと記憶してい るが、一生懸命前日の行動を思い出し ながら、JRの遺失物係に電話してい た。 ところが運がいいのか悪いのか﹁最 終電車の中にありましたよ﹂との返事。 しかも自分の通勤行程では利用しない 駅に預けられているとか。 コ緒に行って﹂ と言われ、しかたなくついて行く。ホ ームで待っているから、さっさと行.っ てらっしゃいと言うと、はずかしいか ら行ってきて、だって。私も若かった ね。駅員ざんに﹁掛けているメガネを 忘れる人も珍しいね﹂と言われ、受け 取ってくる。あ一ばかばかしい。 今思うと、この一回目に自分で行か せなかったのが、後々まで問題を引きずつているのかとも思う。 なくした物が出てきたのはこのとき のメガネくらいかな⋮⋮。あれから、 財布、小銭入れ、免許証、鞄、等々。 いつも手にしている鞄については一 回限りではない。そのうちの一個は、 多少上等の物を買えば、絶対に肌身は なさず大切に持っているだろうと、本 人の目の前で清水の舞台から飛び降り た気持ちで買ったもの。でも、一年置 もたなかった。中には、ゴルフ場で、 ボールをぶつけられて壊れたメガネの 代償として作った、枠だけでも十何方 するメガネが入っていた。本人は会社 の書類が⋮⋮、と言っていたが、書類 がなんだ! 冗談じゃない。 傘は数え切れない。 何年か前、通勤バスの中で忘れてき た傘を﹁あった、あった﹂と言って持 って帰ってきた。いつも始発のバスに 乗るので、だいたい自分の定席があっ て、運転手さんの椅子の背中にそのま ま引っかかっていた、とのこと。その ときの嬉しそうな顔といったら⋮⋮。 そんな古傘どうでもいい! 家中が大騒ぎしたのは、七、八年前。 ●−⋮I−1特集 女の泥酔・男の泥酔 私は疲れていたので先に寝ていた。い つ帰宅したのかも知らなかった。 まだ起きていた長男が私を起こしに きた。 ﹁何?﹂と聞いたところ、 ﹁親父が血だらけで、寝てるんだか、 倒れているんだか﹂と。いっぺんに目 が覚めてリビングへ。 よく見ると、顔には大きなガーゼが 絆創膏で止めてあり、本人は眠ってい るみたい、息はしていた。でも、背広 とネクタイは血だちけになっていた。 ﹁喧嘩かな? なぐられたのかな?﹂ と長男と話したが、訳がわからないし、 本人も起きそうにないので、毛布だけ 掛けて放っておいて寝てしまった。 次の朝、実は、と話し出したところ では、駅で発車するのを待っているあ いだに、手がずべって持っていた手摺 りに顔をぶつけて、メガネが割れて顔 を切ったとのこと。乗客が介抱してく れて駅務室まで連れて行ってもらい、 手当てしていただいたという。その間 の記憶がはっきりしない、断片的に覚 11
えているだけである。もう、何をか言 わんやである。 家族全員にひんしゅくを買い、きち んとお礼を言っておいでよねと言わ れ、今度こそは自分で駅の事務室まで 行ったらしい。﹁何持って行ったの?﹂ と聞いたら、お茶菓子と言っていた。 ﹁駅員さんが全員でおれのこと見て 笑っているようでイヤだった﹂だって。 ことほど左様に、終電まで寝てしま うのはしょっちゅう。早い時間に乗っ ても、どこかで乗り換えてまた全然違 う方向へ行ってしまうらしい。 京浜東北線では、もう上りの電車は 終わったよ一と言われ、終点の大船駅 で、何人かのお仲間とダンボールを敷 いて始発電車が動くまで夜明かしした り、どこの駅でだかタクシーを探して いる間に、若いお兄ちゃんが、 ﹁おれ仕事明けで、これから東京ま でドライブするから乗せてあげるよ﹂ と友達になったり。 目が覚めたときは﹁しまった!﹂と 思うんだけど、気持ちいいんだよな一、
日またどっかに行っちゃって、携帯は 書くまいか迷っていたのだけれど、昨 本当は夫の名誉のために書こうか、 で言ってりゃ世話ないよ。 は二物を与えずだな一﹂だって。自分 これがなければいい男なんだがね、天 ﹁気がついたらこうなってるわけよ。 と聞くが、 ﹁どうしてそこまで飲みたいの?﹂ これが一、と、全然反省の色はない。
ああ、酔つばらい
﹁ただ今電話にでることができません﹂ コールで通じないため、頭に来て、思 い切って一気に書き上げた。 体を気遣って、毎晩は飲まないのだ けれど、この﹁眠ってしまう﹂癖はど うにかならないかと、また怒り心頭で ある。 本当はまだまだいろいろ取り揃えて いるが、今回はここまでとしておこう。 東京都八王子市 一回目は八年くらい前だろうか、私 の住む街の会場で催されたある作家の 講演会を聞きにいった帰り道、顔見知 りのK氏に肩をたたかれた。 ﹁どうですか。ちょっと寄っていき 親の沽券に関わるゆゆしきこととい うか、親としてあるまじき行為という か、私は意識不明の酔っぱらいとなっ て、娘に介抱されたことが二回もある。 一度目は長女で次は末娘にである。ませんか。こちら市会議員のYさん、 初対面かな﹂ 私より年輩の落ち着いた感じの女性 を紹介された。名前は聞いたことがあ、 うたけれど、初めてお目にかかる方だ った。 どうしょうかな噛と躊躇する私をK 氏は強引に誘う。K氏は小さな地方新 聞社の社主で、数年前ある会合で同席 する機会を得てからの知り合いだ。 ﹁じゃあ、ちょっとだけ﹂とのこの こついていったのが間違いのもとだっ た。 K氏の行きつけの居酒屋の二階で、 私は市会議員のYさんとK氏の話を聞 かされる羽目になった。二人の話はだ んだんに熱を帯びてきて、とどまるこ とがなかった。私はあいつちを打つだ けで、話題になかなか入れないコ場違 いのところにいるようで落ち着かない 私は、頃合いを見計らって腰を浮かす のだけれど、そのたびにK氏に、 ﹁まあまあ、もう少し、今、寿司を 頼んだから﹂とか、 ﹁旨いワイン飲んでってよ﹂とか、 、なみなみと、私のグラスを満たしてい く。それについつい手を出しているう ちに声が裏返ってきた。 あぶないなあ、と酔ってもうろうと なワた頭で考えた。そして、やっと、 ﹁もう、失礼します﹂ と、無理やり席を立った。すると市会 議員のYさんも、 ﹁私も帰るわ﹂ と言いだした。 K氏は、まだ飲みたりないという顔 をして隔しぶしぶと帰り支度をはじめ た。 立ち上がると、ゆちりと体が揺れる。 困ったな、と思いながらも必死でまっ すぐ歩き、階段を下りた。 ﹁どうも、じゃあ、﹁また﹂ ﹁気をつけて﹂ 居酒屋の前で、三人はそれぞれの方 向に歩きだした。 そのとたん、緊張が﹁気にほどけて いった。自分でも歩き方がおかしいの に気がついた。それでも、自転車の置 ■ 1精聖女の泥酔・勇の泥酔 いてある場所はしっかり覚えていて、 そこまでいって自転車に乗った。 ところが、自転車が勝手にゆらゆら と揺れだした。ペダルをぐいっと踏ん で、まっすぐに進もうとしているのに、 右に左に自転車はふらりふらりと傾い ていく。 ﹁なに、これ﹂ 酔っぱらいの私は、言うことを聞か ない自転車に当たり散らしたい気持ち だった。どうやっても乗れないのに気 がついた私は、仕方なく自転車を転が して歩きだした。 時間は十時を過ぎている。ここから だと家まで二十分くらいかかる。線路 に沿った側道をしばらく進んでいっ た。ときおり自動車が通りすぎるだけ で、暗い道だ。その道を横切って夜で も車の往来が激しい道路があるが、そ この信号は無事に渡りおえた記憶が残 っている。そこから側道を三百メート ルほど歩き、もう一つ信号を越えて、 ぐるりとブロック塀で囲まれた墓地の そばを通り、しばらくいくと信号機は 13
ないけれど、車が通る道路を横断して 我が家に辿りつく。 墓地の辺りから意識がとぎれていっ た。どうやって車に礫かれることもな く家に帰れたのだろう。 長女の話では、物音がするのでいっ てみると、勝手口に私が倒れていたの だそうだ。まあ、なんとみっともない 姿と呆れはてたものの、捨てておくわ けにもいかず、懸命に介抱してくれた そうだ。それも、夫には気づかれない ようにそっと。私はなにひとつ覚えて いなかった。 気がついたら私は布団に寝ていて、 気分も悪くない。いつもどおりに起き だして、朝食の用意をして夫を送りだ した。あとから起きてきた長女にたっ ぷりと叱られた。 ﹁もう、お父さんに知られないよう に大変だったんだから。ゲロゲロとチ ョー迷惑﹂ ﹁すみません。以後気をつけます﹂ 私は平謝りに謝るしがなかった。そ して、よく無事に帰ってきたものだ、 轟
!・一駕\し
鏡麹鼠舞.藤
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と恐ろしくてしばらくは宴席には参加 できなかった。 とはいうものの、飲める女、の風評 がいつのまにか囁かれてしまっている 私のこと、飲み会に誘われることも多 い。飲みすぎないように、と自重しな がらたまには付き合う機会もあった。 しかし⋮⋮。 昨年の十二月の初め、またやってし まった。 ある会合に参加していたとき、そこ でいやな男に会った。その一か月前ほ どにトラブルがあった人だ。私を含め た友人たちが、そのいやな男に振り回 された事件︵?︶があった。事件につ いては、ここではふれないでおくが、 要するにその人が嘘つきだったこと だ。よくもまあ、嘘に嘘を重ねられる ものだとほとほと感心してしまうほど の男だった。それによって、私たちは 友人の一人と気まずくなってしまった のだ。 陰気な顔をした男を睨みながら私 は、K氏とわざと親しげに談笑していた。気をよくしたK氏は、二次会に誘 ってくる。私は友人たちも連れて、ま たまたK氏のいきつけの居酒屋にいっ てしまった。 そこで、気分を変えたくて、ワイン を注がれるままに飲んだのがいけなか った。酔っている自覚はなかった。ト イレにたっとき、少し足元がふらつく なあと感じる程度だった。 そこからの記憶がまるでなくなって しまった。洗面所で気持ちが悪い、と うずくまってしまったままで、記憶が 復活したのは、 ﹁お父さんに怒られるよ﹂との末娘 の一言だった。そして、また意識が混 濁していって次に気がついたのは、朝 で最悪の状態だった。吐き気、頭痛、 手の痺れ、二日酔いどころではない、 アルコール中毒という表現のほうがぴ ったりの症状だった。 さすがに起きられなかった。うつら うつらしているうちに、夫はさっさつ と会社へいってしまった。 ほどなく起きてきた大学生の末娘 に、こってりと油をしぼられた。 ﹁まったく、いい歳していいかげん にしなさいよ。Nさんに電話してあや まっておいたほうがいいよ﹂ 末娘の言葉によって、おぞましい昨 夜が再現された。 十一時ごろ、Nさんから電話がかか り、母親の泥酔を知らされ、ほどなく タクシーで送ってきてくれたNさんと 二人がかりで家まで運んだこと、それ からがまたまた大変だったこと、お父 さんに見つからないように苦労したこ と、などなど。 よっぽど夫が怖いのか、﹁お父さん に怒られるよ﹂との末娘の言葉だけは 鮮明に頭に入っている。 おそるおそるNさんに電話をする。 友だちはありがたいもので、私を介抱 して大変な目にあったのに、爽やかな 声で応対してくれる。 ﹁ごめんね、すみませんでした﹂と 連発する私に、恥をかかせまいと気づ かってくれる。 洗面所で倒れた私を風にあてたり、 ●.−−旨 特集 女の泥酔・男の泥酔 ずっと見守ってくれていたらしい。持 つべきものは友だちである。 吐き気は二、三日とれなかったし、 手の痺れもいつまでも残った。今度こ そは私も懲りてしまった。それで、宣 言したのだ。 ﹁もう、一生お酒は飲みません﹂ クリスマス、お正月、と無事にやり すごし、飲み会に誘われても、ウーロ ン茶でも楽しく過ごせることがわか り、 ﹁よしょし、これでいける﹂と本人 は気をよくしていたけれど、友人たち がわいのわいのと姦しい。おだてまく る。 ﹁あなたが飲まないなんて、つまら ない。そんな決心捨てちゃいなさいよ﹂ ﹁あなたが飲むと、一段と色っぽく なるんだよね。飲まないなんて、もっ たいないよ﹂ 外野の声に負けたわけではないけれ ど、私の宣言は、あえなく半年で反古 になった。 今はほどほどに、付き合い程度にア 15
ルコールを飲んでいる。 ただし、まことに勝手な当方の事情 なのだが、K氏に誘われても逃げるこ とにしている。別にK氏が私を悪酔い させているわけではないのに、たまた ま二回ともK氏の誘いにのったとき
世界
だ。二度あることは三度ある⋮⋮、の は非常に困るので、三度目は無事に帰 宅できる保証はないので、これ以上み っともない私を暴露したくないので、 と切実な逃げる理由がたくさんあるの だ。いやな酔っぱらい
主人に対する弱い立場
主人には、あまりありがたくない友 だちがいる。職場の同僚で愛欲な人柄、 酒は飲みたいが自分の金では飲みたく ない。専ら我が主人の金で飲むことし か考えてない。 昭和五十二年ごろ、私は主人との感 情のもつれでどうにもならず、家を出 横浜市緑区三田サキ︵65歳︶
て弟の家で三か月間過ごした。その間 の冷却期間をおいてまた﹁私が悪かっ た。反省しました。どうか三田家にも どらして下さい﹂と言って頭を下げて もどってきた。こんな経験があるので 私は主人に対してとても弱い立場であ った。そんな弱い立場を主人から聞い ているTさんなので、私の弱みにつけ こんでいる。突如現れた主人の友人
夫のもとに帰って二か月くらい経っ たころのある土曜日の午後、突然に電 話のベルが鳴ったので﹁はい三田でご ざいます﹂と応答すると﹁お宅のご主 人の友だちでTと言います。今日これ から遊びに行ってもいいですか?﹂と 言うので﹁はいどうぞお待ちしていま す﹂と返事をした。 主人の友だちとなればこそ大いに歓 迎して料理を作ったり、サシミを買い 揃えたりで厚いもてなしを心がけてい そいそと迎えた。 そして主人も友人もいい気分で酒を くみ交わし大いに盛り上がって六時間 は過ぎてしまった。 ぐでんぐでんに酔っぱらっているの で、バスでは危なくてとても返せない のでタクシーを呼んであげ、何とか無 事に帰宅させた。これがそもそもの始 まりであった。 次の土曜日また電話があり、遊びに来ると言う。私はまた﹁はいどうぞい らっしゃい﹂と言って前と同じように 厚くもてなしをして六時間をついやし てしまった。
十回が限度
これが十回くらい繰り返され、黙っ てもてなしはしたが私ももういや気が さしてきた。だが当の相手はいっこう 厚ρ膨雛
一..’j lt ,曹‘ O にかまわず土曜日毎に必ず現れる。当 時我が家は市営住宅に住んでいたの で、とても狭いのである。台所兼食堂 が彼へのもてなしの場所である。この 場所を夕方まで六時間も占領されると 非常に困る。息子や娘が外から帰って 夕飯食べようにも食べられないのであ る。食事もしないでそ一つと二階に上 がって、寝室でじっと客の帰るのを待 っている。 ●−1
\L◎・・り磯鞘
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・特集女の泥酔・男の泥酔 敵は初めからそうだがお酒の一升瓶 を空にするまでは絶対に帰らないので ある。それだけ酒が好きなら自分の家 で飲むとか、居酒屋で飲むとかすれば いいのにと言いたくなる。いやな性格
自分のお金は一銭も出さずにすます のが彼の生き方である。いやらしい性 格だなあとつくづく思う。ふらふらに 酔っぱらって目を赤く充血させて、と ろんとした目付きで私の前に来て﹁奥 さん奥さん﹂と言って、何かをもよお したしぐさで迫ってくる。私はもう我 .慢出来なくて、 ﹁こんなことまでされなければなら ないの? お父さん﹂と叫んで逃げま わる有様である。 そんなある日、主人がまだ仕事から 帰ってない時に彼がまた来た。私は家 に入れるのがいやだから玄関のブザー が鳴っても応答せず放っておいた。す るとピンポンピンポンとドアが開くま 17で鳴らし続けるのである。あんまりし つこいので、突っけんどんでドアを開 けると何も言わずにさっさと靴をぬい で部屋に入ってくる。﹁主人はいない﹂ と言うと﹁帰るまで待つ﹂と言ってけ ろりとしている。私は顔を見るのもい やだから裏庭に出てじっと主人の帰り を待ってすごした。 私は主人に対して誠に弱い立場なの で、こんないやな男でも主人の友人だ から、どうしてもこの来訪を断ること ができず毎回泣き寝入りである。
ボーナス祝い会も目茶目茶
また我が家はボーナスをもらうと家 族揃って街で食事会をするのが習わし である。その日もボーナスが出たので、 ある居酒屋でみんな楽しく飲んだり食 べたりしていた。すると運の悪いこと に問題のあの男がいた。私たちの姿を 見るとすぐ彼は一緒に飲んでいた相手 を帰らせ、コ蒔田さん、俺自分の分は 自分で払うからいいだろう﹂と言いな がら、つかつかと私たちの席に割り込 んできた。 私はああまたやられたと思い、がっ くりきてしまった。せっかく家族だけ で楽しもうと来たものを、と気分が悪 くなるほど頭にきた。するとかっかし ている私の前で﹁奥さんきれいね、奥 さん美人ね﹂と露骨なお世辞を言う。 この人は主人にもお世辞を言うのがう まいのである。もちろんその場の勘定 も主人もちであった。私の怒り
ある日また彼が主人と酒を飲み、話 に夢中になっていた時、私は腹の虫が おさまらなくなった。大人の常識では 考えられない恥ずかしいことだが、憎 さまぎれに彼が玄関にぬいでいる靴を 土足で思い切りふんづけてやった。す ると彼が帰りがけにその靴を見て﹁三 田さん俺の靴が汚れているぞ﹂と大騒 ぎした。主人は酔っぱらっているので その言葉は気にとめもしなかった。日頃のうさ晴らし
ある日、主人の別の友人の家に招待 されて、私とTさんと主人の三人でご 馳走になったその帰り道、Tさんが ﹁三田さんどこかもう一軒行こうよ﹂ と誘うので、酔っぱらっていた主人は ﹁駄目だ、今日は金を持ってない﹂と 言った。すると﹁今日は俺がおごる、 ねえいいだろうここに入ろうよ﹂と言 ったのが街の小さなキャバレーだっ た。その店に入ることになり﹁じゃ奥 さん先に帰って下さい﹂と言うので、 ﹁主人が深く酔っているので目をはな せないので私も行きます﹂ときっぱり 言った。Tさんは何度も私に帰るよう に言うので﹁私が飲んだ分は私が払い ます。私は行きます﹂と言って同伴し た。 店内に入ると三∼四人のホステスが さっと現れ、ほとんど真っ暗な室内の ソファーに案内してくれた。二人は早 速飲み物の注文をしていたので私も自分の分だけのコーラを一本注文した。 そして前に座っているTさんに千円ほ ど渡した。するとTさんはその札を受 けとり一生懸命光にかざして確認して いたが、一万円でなく千円札だったの で﹁奥さんこんなものいらないよ﹂と 言って返してきた。私は﹁あっそう、 それではご馳走になります﹂と言って けろっとしてそのコーラを飲んだ。 そこのホステスさんは、﹁いつもは 三田ちゃんがしつかりして、Tちゃん が酔っぱらっているのに。今日は反対 ね﹂と言っていた。、Tさんにしてみれ ば今日は自分でお金を払わねばならな いので、いくらかかるか心配で心配で 気楽に飲んではいられないらしい。私 は日頃のお返しだ、いい気味だと思い、 つもるうさを晴らすことができた。
T家を訪れて
それからまた今度は別の日に、主人 が私を連れて一度だけT家を訪れたこ とがあった。Tさんはしぶしぶ﹁まあ 上がれよ﹂と言って仕方なく私たちを 部屋に通した。そして軽い酒盛りがは じまった。 正月明けの寒い日だった。飲んでい る間中寒くて寒くて私はふるえていた が、エアコンがあるのにもかまわず部 屋を暖めてはくれない。寒い寒いとし つつこく言っても電気の節約か部屋を 暖めてはくれなかった。そこでまた私 はめらめらと意地悪な気持ちがわきお こった。客として迎えているにもかか わらず、幽飲み干して主人のグラスは空 になっているのに酒をそそいではくれ ないのである。そこで主人がトイレに ’ 継艶 潴1・t’ ●;;1特集女の泥酔・男の泥酔 行ったすきに、私は主人のグラスにな みなみと一升瓶のまま酒をついであげ た。それを見ていたTさんは、いかに も惜しそうにああ一つと小さな声をだ して私の手元をじ一つと見すえてい た。私は日頃のうっぷんを晴らせたと 思い気持ちがよかった。そうしてまた 欠かすことなく土曜日にやってくるT さんだつた。住居移転のおかげで
そんな生活が八年差続いたあと我が 家は新居に引っ越すことになった。主 人は色々な人たちに移転の挨拶状を出 したがTさんには出さなかった。あと で知ったのだが、私たちが住んでいた 家にTさん夫婦が行ったらしい。訪れ てみるともう知らない人が住んでいた と言う。さすがに強心臓の持ち主のT さんもこの対応はこたえたらしく、そ れっきり我が家には来なくなった。以 後私は爽快な気分で暮らせるようにな った。万歳。 19「 ﹁..
父の死から十五年を経て
東京都武蔵野市佐久みち子︵43歳︶
一一一一一 . ーストレスに弱い父
父が亡くなってから、この四月でま る十五年忌経つ。その間、私自身は病 気や留学、結婚、出産と人生の転機を いくつも迎え、忙しさにかまけて父の ことはめつたに思い出さなかった。ま た思い出さなかったのは、それがあま りにショックな出来事だったからだ。 無意識に心の奥底に封印してきたのだ と田じ・つ 当時、父は神戸のある私立大学の教 授で、母は専業主婦、二人の娘の姉は 結婚し、もう一人残った娘である私は 自宅から会社に通勤していた。有名な 日本画家であった父方の祖父はその二 年前に亡くなり、かなりの資産を父に 残していた。何事もなければ、退官ま で勤め上げ、その後は非常勤で教えな がら趣味三昧の生活を⋮⋮と優雅な老 後が待っていたはずであった。しかし、 父にそのような安穏な暮らしが訪れる ことはなかった。 父は若いころから酒との深い付き合 いが絶てず、父の飲酒の問題は、私が 子どものころからずっと私たち一家の 心配事だった。父は都会的で泥臭いこ とが嫌い、ええかっこしいのスタイリ ストで繊細な神経の持ち主。極端にス トレスに弱く、学内の人間関係や政治 的な対立などで飲まずにはいられない ようなことが多かったのだと思う。 また飲んでばかりいたので、当然の ように学者としての研究が遅れ、学会 の時流に取り残された。そんな事情も あってか、年をとるごとに酒の飲み方 が破滅的、自虐的になっていった。 飲み始めると、三日も四日も飲む。 飲んでは寝て、起きてはまた飲むの繰 り返し。何も食べず、ただ飲むだけ。 心配した家族が家中の酒を隠しても、 こっそり買ったウィスキーを書斎の本 棚の後ろに隠して飲んでいた。しまい に体内でアルコールを分解できなくな り、かかりつけの医者に往診してもら って、点滴で息を吹き返す、というの がお定まりのコースだった。 間違いなくアルコール依存症ではあ ったが、酔っぱらっても暴力を振るっ たりはせず、ただ飲むだけだった。素 面の時はもちろん、多少飲んでいても 父は紳士的で、いわゆる﹁酒乱﹂とは ほど遠かった。そのため精神病院に強 制的に入院させるわけにはいかなかっ た。また人並みはずれて内臓が丈夫なために病気にもならなかった。さらに 大学教授という職業柄、いくら休講し てもくびになることもなかった。父の 恩師に頼んで、飲まないように説諭し てもらったがもちろん効果はなかっ た。 酒はドラッグでも覚醒剤でもない。 金さえ出せばどこでも手にはいるので
ノ3
ある。立派な大人が酒を飲むのを誰が 止められようか。 結局のところ、誰も父の飲酒を阻止 することはできず、いっか本人が改心 してくれることを期待するしか方法が なかったのである。 本人も酒を慎みたいという願望はあ ったはずだが、断酒するだけの意志もO
・・特集女の泥酔・男の泥酔 根性もない弱い人間だった。そのくせ プライドは非常に高いので、精神科に かかったり、断酒会にはいったりとい うことにはためらいがあった。父の急死
それはソメイヨシノの桜が散り始め た春のことだった。二∼三日行方知れ ずになっていた父が泥酔して帰宅し た。外で飲み始めると居場所がわから なくなることはそれまでにも再三あっ たが、母は三十年以上の結婚生活で夫 のそのような行為には慣れっこになっ ていた。それでもやはり心配しないわ けにはいかず、帰ってきた時はほっと していた。 帰宅した時の父の体調は異常に悪か った。繰り返し吐き、何べんも下痢を して、体力の衰弱が激しい。本人も本 当に辛そうにしていたので、さっそく かかりつけの医者を呼び、点滴をした。 いつもならすぐに楽になるはずなの に、苦しそうな様子はおさまらなかっ 21た。 夜、会社から帰宅した私も﹁お父さ ん、こたえてるな﹂と思いながら、 ﹁さんざん好き勝手ばかりしたからよ。 少しは薬になるでしょ﹂とあまり同情 しなかった。しかし夜半から下痢便に 血が混じり、トイレにも立てない状態 になったので、かなり悪いな、入院さ せたほうがいいのかしら、とは思った。 朝になって、やはり父の状態はよく ならなかった。いつもの二日酔いとは 様子が違ったので、私も会社を休むこ とにした。父が﹁しんどい、しんどい﹂ というのでいつもの医者に往診をお願 いし、﹁先生を呼んだから、もうすぐ 来るよ﹂と言って、父の寝床の横に座 っていた。 ちょうどその朝、届いたばかりの孫 の写真を見せてあげたのに、父はちら りと見ただけで﹁もういい﹂と言って、 目を閉じて眠ってしまった。すやすや 眠る父の寝顔を見ていたが、何か胸騒 ぎがして落ち着かなかった。父の顔を じっとみつめていると、息をしていな いように見える。 ﹁お母さん、お父さん息してないよ﹂ と声をかけた。﹁そんなことないわよ﹂ と台所で皿を洗っている母が答えた。 でもやっぱり息してない!﹁お父さん、 お父さん﹂と大声で呼びかけた。心な しか顔色が青ざめ、爪の色が失われて きたようだ。口から息を吹き込み、心 臓マッサージをしてみるが、やっぱり 呼吸は戻らない! ﹁救急車呼ばなきゃ!﹂焦って一一 九番をまわす。緊張してなかなか話が できない。住所を教えるのに手間取り、 なんとか必要なことを伝え電話を切っ た後は、むなしく父の体をさすって、 何とか生き返らせようとした。しかし、 おぼろげながら、もう助からないだろ うということはわかった。母はパニッ ク状態で、父の体にすがっているだけ だった。救急車が来るまでの時間が、 どんなに長く感じられたことだろう。 近くの救急病院で蘇生を試みてもら ったが、時すでに遅し。急性心不全と いう死因であった。内臓はたしかに丈 夫だったが、唯一心臓は弱かったのか もしれない。突然の父の死に納得でき ない母と私は司法解剖を希望し、その まま父の遺体は大学病院に運ばれてい くことになった。享年五十八歳だった。 その後の葬儀や忌明け、納骨までの ドタバタはショックのうちにすぎてし まい、呆然とした母と私は一年くらい 精神的に不安定な状態だった。 父を助けてあげられなかった、とい う罪悪感はかなり長い間、私の心を占 領した。何度も夢の中に父が出てきた。 もう一度、お父さんに会いたい、とど んなに切実に思ったことか。あまりに も破滅的な生き方だったが、私に多く のものを与えてくれたかけがえのない 人だった。人混みの中で父に似た人を 無意識に探すこともあった。母は突発 性難聴で入院し、私は電車の中でパニ ック障害を起こした。 しかし、その後は母方の祖母が入院 して亡くなったり、私が病気で手術し たり、姉が第二子を出産したりといく つもの出来事があり、いつのまにか父
のことは忘却のかなたに追いやられて しまった。そして父の﹁不在﹂に慣れ てしまうと、いままで家族に迷惑をか けつづけた父から、自由になったとい う解放感を心の底から感じることがで きた。母も私も安心して、日々の生活 を送ることができるようになった。
父が残したもの
父のことは﹁過ぎさったこと﹂とし て私の中でカタがついているはずであ った。しかし、思わぬところで父の死 の後遺症を指摘されることになった。 先日、子どもの育児相談で精神科の 医師と面談する機会があり、かねてか ら気になっていた自分自身のことを聞 いてみた。 というのは、この何年間か、私は体 のちょっとした不調から起こる病気ノ イローゼに悩まされていた。 例えば、少しでも胃が痛いと、その 痛みが気になって仕方がない。どんど ん痛みが増してくるような気がして、 ガンではないかと不安になる。もしガ ンになったら、夫は、子どもは⋮⋮と 際限なく不安が嵩じてくる。心配で心 配でたまらなくなって、医者に行き検 査をする。結果はどこも悪くない。大 丈夫といわれて安心して、そのうち痛 まなくなる、というサイクルを繰り返 す。 頭痛がしたり、足が痛かったり、微 熱が続いたり⋮⋮とつぎつぎに不定愁 訴がおこるのだが、調べてもどこも悪 くない。でも調べなくては安心できず、 病気を探すための医者がよいを続けて いた。 ﹁病気じゃないかと医者にばかり行 ってるんですが、心療内科に行ったほ うがいいですか?﹂という私の質問に、 五十年配の女医はいろいろと質問をし てきた。家族のことも聞かれ、父の亡 くなった時のことも話した。 ﹁それは今流行りの言葉でいうと、PTSD︹心的外傷後ストレス障害︺
です。まったく予想もせずに、父親に 目の前で突然死されたという経験がト ● −特集女の泥酔・男の泥酔 ラウマになり、自分の健康状態に過敏 になっているのです。そのために確認 脅迫に陥っています﹂と女医は言った。 確認脅迫の連環を断ち切るために は、心配でも医者に行かないようにし、 医者にかからずに不安を解消していか なければならないという。また父の亡 くなった時のことをもっと思い出すよ うに、とアドバイスされた。父の死を 思い出し、心ゆくまで泣くことで、P TSDから立ち直ることができるとい う。 十五年もたっているのに、私の心は いまだに父の死のダメージをひきずっ ていたのだ。 あまりに辛い出来事だったので思い 出したくもない。しかしいっかは自分 の中でちゃんと向きあって、決着をつ けなければいけないことだったのだろ う。父の死の情景を細部にわたるまで 思い出して泣きながら、こうして文章 を書いていると、いっか心の傷をいや すことができるだろうか。 ︵え・栗田笑︶ 23し
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日本の学生がいろいろ説明しています ﹁トイレが臭くない!﹂これがタイの田舎体験の第一 印象だった。 緑の木々に囲まれた学校に着き、トイレを借りた。 恐る恐る入ったそれは清潔でプンとも匂わない。正直 驚いた。日本や中国のトイレのお粗末さとは比べもの にならなかった。 バンコクから一時間の空の旅。空港のある中都市ナ コーン・ラーチャシーマーからバスでたっぷり三時間 はあろうというタイ東北部の村、バーン・ニコムサイ トーで、私は学校訪問、農村民泊、農作業を体験した。 NPO日本民際交流センターが実施しているダルニー 奨学金研修旅行である。 ダルニ;奨学金はタイの進学できない子どもたちへ 年間一万円送金をして、一年間の教育費︵制服・靴・ 文房具など︶を保証する制度だ。貧富の差の激しいタ イで進学できず、出稼ぎという名で若い女性が風俗産 業へとなだれ込む現状。それを少しでも改善したく、 一人でも多くの子どもに学ぶ場を提供し、よい職業に 就かせようという制度である。フォスタープラン制度 にかなり近いが、個人と個人の結びつきがより以上に 強いのが特徴だ。その子どもの就学と成長を日本から 確かめに行くのが、今回の旅行の目的だった︵私の奨 学生はまだ決定していないが︶。 学校では子どもたちが瞬きもせずに、好奇心と恥じかいま見た
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らいの混じったまなざしを私たちに送ってきた。子ど もたちは手を胸前で合わせたタイ式の礼で迎える。彼 らは私たちと目を合わせ、離そうとしなかった。浅黒 い肌に大きな澄んだ目。輝きがある。何であんなに目 がきれいなんだろう。こちらが笑うと子どもも恥ずか しそうに微笑んだ。 先生や大人に対する物腰が実に子どもらしい。聞く ところによると目上の人に先に礼をされると寿命が七 年縮む⋮⋮小さな子どもたちは大人より先に手を合わ せなければならないそうだ。が、あのまなざしはそれ だけではない。大人に対する畏敬が感じられる。 教室に入った。壁もないわらぶき︵バナナぶきか?︶ 屋根、粗末な机に椅子だったが、昔の日本の小学校を ほうふつさせる学び舎の雰囲気だ。 幼稚園の生徒たちは本当にこれが五歳?というくら い小さく愛くるしい。お遊戯を見せるはずが、恥ずか しくて固まってしまった女の子。﹁いつも一番上手なん ですが﹂と若い女の先生が笑い、子どものしぐさに見 学者全員が和む。 中学生はさすがに大人だった。チラリチラリとこち らをうかがいながら、思春期らしい反抗の様子も見え る。しかしここにもあの澄んだ瞳が並んでいた。 数時間のうちに靴が白くなった。乾季で、すべてが 乾き細かい土が靴の縫い目に入り込んできたのだ。 25この家には男性3人が泊まりました 村で最も貧しい家? 水ガメは少なかった 見学に行ったのは村のもっとも貧しい奨学生の家だ った。高床式の木造家屋、内部は薄暗くガランとして いた。女子中学生とおばあさんの二人で暮らしている。 出稼ぎに行った両親と一緒に、バンコクに暮らす子ど も二人がいるという。教育委員会の人は﹁ここにいれ ば学校に行けるが、バンコクではおそらく行けないだ ろう﹂と。 もう↓軒は前の家よりやや大きく、母と娘の二人暮 らしに、近所から叔母さんが来ていた。こちらはテレ ビもあった。しかし、父親は出稼ぎに出たきりで消息 は不明だ。破が刻まれた母親の顔よりも、手伝いに来 ていた叔母のほうが数段若く見えるのは年齢ばかりで はなさそうだ。 いよいよ、私たちが滞在する家に到着。門口に国旗 が飾られ、生け垣があり、花が植えられ、テラスには 石造りのテーブルとイスが置かれていた。前の二軒と は違い建物はブロック作り。壁には白いペンキが塗っ てある。高床式でもない。 室内は居住部分と台所、バス、トイレに分かれ、ガ ラス張りで中の服が見えるような構造の三台のクロー ゼットが間仕切りの代わりに置かれていた。金持ちな のだろう。相当数の服も入っている。それでも家族は 祖父母と中学生の孫娘だけだ。両親は出稼ぎに出てい るそうだ。 印象的だったのはクローゼットの上に飾られた写真 だった。白い正装姿の若い女性と王族と見られる男性 が向かい合っている。後で分かったが、それは祖父母 の六番目の子どもが大学を出たときの写真だそうだ。 田舎の村から大学出の女性を出す⋮⋮しっかりした家 庭と思われた。 よい匂いに誘われて外に出ると、外の七輪とガス台 で煮炊きが始まっていた。三十代と思われる女性三人 が地面にござを敷き、まな板を置き調理している。だ れがこの家の主婦なのか不明だ。肉を切り、野菜を妙
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める。豊富な材料にちょ つと驚いたが、今回は協 会が材料を給食のように 家支給し、調理することに 直なっていたそうだ・その 粧ために・の若手三人組が 助太刀にきて、おばあさ んの代わりに調理を引き 受けたのだった。あとで 近所の主婦と判明した。よく見ると七輪には
炭、ガスはプロパン。ガ スは他の家では見かけな かったが、金持ちらしいこの家には存在したの
だ。 前回の研修旅行では食 べるものが少なく、民泊 した人が飢えを感じたそ 槻うだ。家族と日本人の滞 梱在者で七.八人なのに、 二皿くらいに料理がちん まり乗っていて、お客人 が食べたあとで、残りを 家の人たちが食べる︵家族はお客が終わってから残り を食べるのがタイの習慣︶。 そうなるとお客とは言え日本人は全部食べることは できない。﹁おなかすいちゃって大変だったのよ﹂と経 験者は言っていた。そのためか、日本の料理材料宅配 業者のように、トラックで一家族ずつ分けた材料が配 られていたのだ。 この家の少女が挨拶に現れて唖然とした。彼女は歓 迎会でタイ舞踊を披露するためヘアスタイルを変えメ ーキャップをしていた。それは学校で見かけた制服姿 の子どもとはまったく別人のタイ美人。タイでも日本 でも中学三年の少女は大人だ。本番で踊った少女たち の美しさ色っぽさは、若いだけに格別だった。これで は風俗産業も放ってはおくまい。 洗濯物を持って水浴び場に行くと、近所の少女が当 たり前のような顔をして身振りで自分がやるといい、 金だらいに水を張り、手で私の下着まで洗濯した。こ の家の娘はリハーサルで学校に行っているから、よそ の家の子がその家の洗濯物をまとめてやっている。言 葉がまったく通じないので、何も聞けなかったが、も の慣れた手つき、これが当たり前という顔は特別なこ とではないという証明のようだった。 子どもが家事労働をするのが当たり前のタイ。豊か になるということは労働の分業を進め、子どもは勉強 ●ーー−−かいま見たタイの暮らし 27に押し込めてしまっている。昔の日本 でも子どもが家事をやるのが当たり前 の時代があったはず。現代、学校と勉 強しか知らないのが普通だが、それは 彼らから働くことを忘れさせ、手足を もぎ取ってしまったのかもしれない。 タイとはいえ、十一月の田舎は肌寒 く感じられた。朝五時ごろ目覚めてし まった私は星でも見ようと外に出る と、その家のおばあさんに出会った。 彼女は古びたバスタオルをマフラーの ように肩に巻いてひとり調理場にい た。炊き上げたもち米を籠に移し蒸ら す作業をしていたのだ。ちょっと食べ させてもらったが本当においしい。タ イ米はまずいと日本では嫌われていた, が、甘くてうまい。 身振り手振りと笑顔での会話。 に細く、歯が抜け、 市場 痩せて枯れ枝のよう いったいいくつなのか。七十歳前 後⋮⋮日本の同年齢の人よりもおそらく十は年上に見 えるのではないか。調理は近所の主婦に任せていても、 基本的には彼女が主婦。お米は彼女が炊いていたのだ。 何時に起きたのか。枯れ枝を燃やし、炭を作り、七輪 のようなもので米を炊く。彼女の姿に持ってきたバス
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タオルを置いていこうと思った。 同じ家に私と一緒に民泊したのは、山梨の高校二年 生と神奈川県の高校一年生、北海道から参加の主婦 ︵31歳︶と私の四人だ。 調理中のゴザを高校生が土足でまたいだとき、主婦 の顔色が変わった。 日本人は土間にゴザを敷き、そこで調理するなんて 文明的でないと思っているだろうが、タイの人たちは・, 相M㌦.、 昏 L遼 ,“ t 郵 曖ドーい・ E 噌 ・t■ 唱辱
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北 ひ ’ltt 辱ぎ畢 画』、蟻 ヒ険 中学生 送別会で「オッ八一」を中学生と踵つた 土足で材料や調理器具をまた いで通るような真似はしない。 ソッと脇を避けて通っている。 汲み置きの水を十分に使い、 洗い、拭き、清潔な調理であ った.無神経でしつけが行き 届いていない日本の高校生。 恥ずかしかった,オシャレな 台所ではないが何が大切か考 えなくては⋮⋮人間としての 基本的な部分を欠いてはいけ ない。 清潔といえばタイの人は汗 をかくたびに日に何度も水浴 びをするそうだ。以前の研修 旅行では、張られた水が気持 ち悪いからと、水浴びをしな い日本人がいて、﹁日本人不潔 説﹂がその村に流れ、困った そうだ。笑い話のようだが、 笑ってはいられない。 水浴び場は小型バス程度の コンクリート作りの水槽に、 たっぷりの水が張られ、脇に ● は日本式のトイレとほぼ同じ形のトイレがあった。今 回は﹁勧められたら必ず水浴び場に行き、浴びなくと もやったふりだけでも﹂と協会から言われていた。私 も水に寄生虫でもいたらと危惧していたが、勧められ たら迷う暇もなく、エエイままよとザンブと水を浴び ることになった。が、汗と埃にまみれた体にタイの水 はやさしく、気持ちよかった。 匂わないトイレの謎もその場で解けた。水で流して しまうからだ。学校のトイレも柄杓があって、手動水 洗。外にこぼれたりしてもジャーと流せばすぐにきれ いになる。その家では水浴び場が家の中にあったが、 他の家では外の別棟だ。昔の農家の厨とまるで同じ。 足の裏の砂だけが日本人の私には最後まで気持ち悪く 感じられた。 車は村に何台あるのか。舗装されていない道は乾季 は埃を舞い上げ、雨季にはおそらく足を取られるよう なぬかるみになるに違いない。しかし、車のない道は 広々し、痩せこけた牛の群れが悠然と歩く。人々の生 活と土とが密接につながる場所なのだ。私の足に気持 ち悪く感じられた砂や泥も、昔の日本なら当たり前だ ったのに⋮⋮。忘れてしまった何かを取り戻した旅で あった。 ︵写真提供・筆者︶ かいま見たタイの暮らし 29のチ
ツ
がんばれ!
ソフトボール少女
東京都練馬区 井上暁子︵瑚歳︶ 長女の入学した小学校に女子ソフト ボ∼ル部があると知ったとき、夫は目 を輝かせた。中学、高校時代は丸刈り の野球少年で、甲子園の予選である県 大会の新聞記事に、ちらりと一行なが ら注目選手として紹介されたりした過 去を持つ夫は、我が子が息子であれば 星一徹になってしごき、時にはちゃぶ 台の一つもひつくり返したかったに違 いない。︵それはないか︶ しかし、私たちが授かったのは娘二 人だった。夫は時々、おもちゃの野球 セットで娘たちと遊ぶことで、自分を 満足させていた。 しかし、ソフト部のことをきくと、 本物のバットとグローブ、そしてソフ トボールを買ってきて、娘たちとキャ ッチボールやバッティングを始めた。 マインドコントロールである。 だが私は以前から、スポーツ系の習 い事をさせることに、どうも肺に落ち ないものがあった。﹁となりのトトロ﹂ のような環境で子どもを育てることが できれば、子どもは森や原っぱで身体 をつくり、集団での遊びを学ぶだろう し、小川や野池で泳ぎも覚えるだろう。 そういう環境を取り上げて、お金を払 って遊ばせるなんて、納得できない。 それに、小学校の運動系のクラブに は付きものの、あの﹃お当番﹄がどう も嫌だった。お茶のポットと救急箱を 傍らにして、二、三人の母親たちが練 習時間中ずっとお喋りしているのを見 るたびに、あんなの耐えられない!と 震えた。休日、マインドコントロール にいそしむ夫に眉をひそめ、どうかソ フト部に入りたいなんぞと言わないで おくれ、と娘に念を送った。 しかし、もと野球少年の思いは強か った。三年生になる時、長女は﹁今年 からソフト部に入る﹂と言った。が一 ん。日曜日にお母さんをおいて行ってしまうのね。さみしいよ。妹の相手は 誰がするの︵こっちが本音︶。そして、 ﹁お当番﹂もしなくちゃだめなのね⋮ .:o 娘は楽しそうに練習に通いだした。 暑くても寒くても、休みたいとは言わ なかった。一つも取れなかったフライ もキャッチできるようになり、それを びゅんとホームに投げたりして格好よ くなってきた。二年生までは、文化系 で土いじりが趣味の母親と一緒に、お 芝居を観たり、図書館で本を探したり、 秩父の田んぼに田植えか稲刈りをしに 行ったりして過ごした日曜日を、︵も ちろん、彼女にとってそれも楽しかっ ただろうとは思うが︶自分で選んだこ とで過ごすようになったのだ。 そして三学期の終わりの新メンバー 発表で、娘は六年生と五年生を一人ず つ抜き、背番号9番のレギュラーにな
歌へ
竃
●−11−家族のスケッチ つた。 そうなると私も、練習や遠征に付き 合うのが楽しくなってきた。あれほど 嫌だったお当番も、少しも嫌じゃない。 現金だわ。 だが、レギュラーは控え投手を入れ た十人で、控え投手はショートを兼ね たスタメンだから、娘は九番とはいえ、 試合には出られない。ところが、区大 会の準決勝という大事な試合に、六年 生が一人休むことになり、娘が初めて スタメンで出場することになった。 今まで練習試合には時々出してもら っていたが、一本もヒットを打ったこ とがない。 ﹁練習だとたまに打てるんだけど⋮ ⋮。バッティングがどきどきだなあ﹂ と娘。練習でもたまになの? そりゃ お母さんもどきどきだよ。 そして迎えた初打席。カウントは2 13。娘は緊張した時に見せる、何と も情けない表情をしている。だが、か 一ん。きれいなヒットを打った。そし て、鮮やかに二盗、三盗。一塁側の応 31援席にいる母の目には、三塁は遠くう るんで映る。 しかし、次のバッターの時、娘は走 塁ミスをしてしまった。タッチアウト、 スリーアウトチェンジ。ベンチに帰る と何やらコーチにきつく注意され、娘 は口をへの字にしている。レフトの守 備についても、グローブで鼻までかく していたが、チェンジになり再びベン チに戻ると、本格的に泣き出してしま った。六年生がかわるがわる、背中を さすって励ましてくれている。 今日のこの時、娘は多くのことを学 び、大きく成長したのだ。それがはっ きり見てとれた。ソフト部に入ってい なければ経験できなかったことだ。 ありがとう、もと野球少年。私は初 めて夫に感謝した。 そして、がんばれ、野球少年ならぬ、 ソフトボール少女よ。あなたを通じて、 私は無縁だったスポーツの世界を感 じ、味わうことができるようになった。 これからも応援に行くよ。お茶のポ ットと救急箱を持って。