「
文
学
テ
ク
ス
ト
」
再
考
異文 化テ ク ス トの 理解
の ため に一丸 井
一郎
1
. 背景と課 題 1975 年に 出版 さ れ た論 文集 『言 語における思 想性と技 術 性』に収録 され た テ クス ト 及び詩学に関 する論 考は ,60
年代 以 来議論 が行わ れて い た 「言 語学 的詩学 」の 受け継 ぐべ き課題 と限界を明確に指 摘 して い る点で ,今日 か ら見て も優れた貢献である。 ll多 彩な論 述を縮約する と, 文学性 が テ クス トの 言語 (学) 的性格づ けに よっ て規定で きな い こ と,言語の 認知 (認 識) 的,社 会的性 格と機 能を評価しそれ らを統 合 することで展 望 が開 ける,とい うの が 重 要な論 点に なる。 それ らの 中で不 十 分 と さ れ た と はい え, 「詩学の 卞要 課 題 は,言語芸術 を他の芸術か ら, ま た他の言語 行動か ら区別する よ うな 種差である」と集約 され るJakobson
の 問題設定は,2〕 その 後の議 論に 一定の基準 を与 え た。 言語 学 的方 法の文学 的事例へ の単 なる応 用 的適用で はな く, 文学事象を 理論の 固有 の対 象とする観 点が 示 さ れ た。 上記 論文 集で正当に も指 摘さ れてい た問 題点や要請は, 形式と して完備した理 論の姿で , 80 年代 以降S
.J
.Schmidt
の主 唱に よっ て展 開さ れ た「経 験 的文学理論」(
Empirische
Theorie
der
Literatur,以 下 ETL とする)に よっ て,一応
包摂さ れ答え られ た と言 える ♂ ETL の展 開 と成 果 や形成 途 上で 討議さ れ た問題 点, 及 び 日本語社 会へ の応用につ い て は, 大 瀧 (1988)な どの先駆 的 な仕事や, 特に名執基 樹 の経験 的調査研 究を含む諸論考が 詳 しい 。” 筆者は以 ドで これ ら とは や や異なる視角か ら論 じる。 ド イ ツ語圏の議 論の コ ン テ クス ト で ETL が 果た した積 極 的 な 役割を認める一方で , 筆者の 関心は, そこ で は比較 的周辺的な取 り扱い をさ れて い る事柄の 意味を問 うこ とに よっ て, 我々 の研 究 活動の 示 すべ き姿 を再検討 す るこ とにあ る 。 こ の研 究活 動は さ し あ た り 「異 文化テ クス ト研 究」 とで も名付け ら れる。 我々 の研 究対 象は, 母 語で ない言語 と そ こで社 会化過程 を経 験 し な かっ た社 会に よっ て/に おい て形 成 さ れてい る。 おそら く 20 年 あるい は それ以 上に及ぶ 当該 社 会での発 達 ・教育過 程 と その他諸々 の体 験を背 景にする共 同 性 や自明 性 は与え られ てい ない 。 こ の 類の研 究活動は そ れ 自体が異文 化 問 1) 菊池 ・脇 阪 (1975 ), 菊池 (
1975
), 脇 阪 (1975> 2) Jakobson l 973 ,184頁。3
) Schmidt l 98011989 . 4) 名 執 (1993
,1997
,2000,2002),Natori(1994
)。「文 学テクス ト」 再 考 17 コ ミュ ニ ケーシ ョ ン事象で もあるだろ う。 以 下の論 述では, まず基 本 的な
ETL
理論の 構 成を再確認 し, 短い補足の後 ,異言語テクス トに対 して理論の含 意 する とこ ろ を考察 する。 最後に前理論的な再考察を試み る。2
. 経験的 文学理論 (ETL
>の概略 2 .1 .ErL
の展開経験的文学理論 (ETL )は,
1973
年に 出 版 され た Texttheorie(Schmidt
1973) を萌芽とし, 1980 年の
Gnmdriss
der
EmpirischenLiteratUrwissenschaft
(以下 Gl とする)におい て 当面の 全 体像を示 すに至っ た。
30
年に 及ぶ 理論 形 成の 歩み を 一言で 特 徴づ ける な ら, 文学 事 象を め ぐ る 規定関連の よ り高 次の総 合レベ ルへ の 継 続 的拡 張と言 うこ と が でき る。70
年代には言 語学, 特に言 語実用論の展 開に呼応 して, 文学 性 の議 論 をテク ス ト の形式的性質では な く, 文学コ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン行 為の性質へ と転 移させ た 。 本論 考の 関 心 に 照 ら して 特 に コ ム ニ カ ー ト (Kommunikat ) とコ ム ニ カ ー ト基 盤 (Kommunikatbasis
)の区分が 重 要である (後 述)。 80 年代か ら90年代には, 独 自の コ ミ ュ ニ ケーシ ョ ン行為論及 び認知論 的精密 化を経て社 会学 的拡 張へ と至る。 ここ で も参照され た の は Niklas Luhmann の 社 会シ ステム論である が, その理論的 評価に関 し て
ETL
研 究者 間で 批判的 な検討 が行われ た。 s1,重 要点は,
Luhmann
理 論の 純 然た る 適 用で は ETL の課 題が十分に規定で きない とい う点に対 する対応であ る。 「自己創 出 的」, 「自己 参 照的」 コ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン シス テ ム へ の 個 人 主 体 の 関 与を原 則的 に 排 除 す る Luhmann 理論に対 して ,行為及 び認 知 主体の役 割 と その 杜会 的文 化 的前 提に適 切な位 置 を留 保 する 理論構成が対置され た。 b:文 学的コ ミュ ニ ケーシ ョ ンに おける個 別主体の5
) 名執 (1993)は その状 況内部の 記録とし て も興味深い 。6) Schmidt (
1993
), S .246ff.,S
.256
;Viehoff
(1993
),S
.207f
本 論考の 主 題 か ら逸 れ る が, 特に前 者 (
Schmidt
)における批 判点が Luhmann 理 論 の コ ミュ ニ ケーシ ョ ン概 念に 集中する の で, 要点を選ん で 述べ る (以下 「コ ミュ ニ ケーシ ョ ン」をKM
とする)。 批 判は以 下の考察か ら 出 発する (抜粋 )。i
)KM
シ ス テ ム と環境 (認知シス テ ム, 意 識 , 個人)の不 可避な相互作 用が無 視さ れ る。 ii)KM
の像が構 造的に貧弱す ぎて制度 ・機 構や権力関係 などにおけるKM
過程の観 察可 能な秩 序を理論に取 り込め ない 。iii
)KM
の類型が区別 されてい ない 。 自己生 成的KM
シス テム の像はマ ス コ ミュ ニ ケーショ ンに の み適合す る。 対 面的 なKM
の観 察は行為者の そ れ な しには あ りえず, かつ こ れ ら両領 域で個 別な行為者はそれぞれ影 響力を発揮で きる。 iv)意識 ・認知とKM
の 過 度の分離 のせ い で, そ れ らの進化的か つ 実 態的な相互関連 が無視され る。 これ らの論 点を受け,KM
シス テ ム の埋論上 の 閉鎖性は,KM
が どの よ うな環境資 源 をシ ス テ ム特 有 的に利用 するか具体 的に示すとい う課 題 を排 除するわ けで はない と指摘する。 つ ま り認 知シス テ ムはKM
に影響 する。KM
が自己生成するの で は な く (これは時 間的継 起にの み 適 合 す る),KM
を 遂行す るの は行為 者の み であ る。 個 人, 行 為 , テ クス トを社 会シス テ ム外 の環 境へ と移 すの は 理論上 可能だが , シス テム と 環 境 がただ相 関 的にのみ 規定され うる とい う前提からす れば, 環境も シス テム と同 じ く徹底的に解明 され ね ば な ら ない。 作業 はい ずれ に せ よ同 じに な る。18 丸 井 良匹 行為と認 知の構成 に一つ の重点が あっ た 80 年代 初頭 (
Gl
)に対 して , そ れ 以降は ETL を全体社 会 を枠 組み とする社 会学 的 理論 と して構 築 する こ とに重点が 置か れ た。 現 在で は,文 学事 象は シンボル (テ クス ト)の シス テム とコ ミュ ニ ケーショ ン (社 会 ) の シ ステ ム の 両 面 か ら追究さ れる ♂ し か し 理論 構 成の重 点は変わ らず ,全体 社 会の な か で他の 社 会シ ス テ ム と境界づ け ら れ た 「文学シス テ ム」の解 明にある 。 これ らETL
内部での 議論の変 遷に拘わ らず, また 近年になる ほ どKommunlkat (−basis
)で は な く, 注 釈付きである が Text の用語が その ま ま使 用 さ れ る ようにな っ てい る とは い え,G
1に 示 されたテ クス ト概 念に大 きな変更は ない。現段 階で, 社 会理論と して の
ETL
に関する 最 も大 きな変 更点は, もは やそ れ が独 立 の 理論 領域で は あ り得ず, よ り 般 的 な 「メデ ィ ア文 化学 (Medienkulturwissenschaft
)」 の 一領 域で ある とさ れ る点にある。 8)最近の論文は ”Literaturwissenschaft−zum
letzten
Mal “と 題 さ れて い る。 理論の主 唱者は, 文 学 事象を も 包摂 する新たな研 究 領域 を 自ら 創 造 して, 「破 産 した」 従 来の文芸 学か ら離別 する との こ とである。 9 :
以 ヒの よ うなETL の 展 開 過 程 か ら見る と, テ ク ス トを中 心的対 象とし て論 じ るこ と 自体が的はずれで あ る との批 判が, 理論 内的に は, 可能で ある。 1°〕し か しこ の 論考の 認 識 関 心 は そ れ と は異 なる。 研 究 活動は も と より,異言 語 ・異 文化に関わる教授 法の構想 か ら して も, テ クス ト概 念の検 討は避け て 通 れ ない。 ドイツ語の初 習 者へ の教授 法で あ れ,よ り進ん だ段 階で あれ,様々 な類 型の テ ク ス ト (コ ム ニ カー ト基盤)の取り扱い な しには実行可能な プロ グラムの構想は不 可能で あ る。
2
.2
. 理論の骨格以 下での 論述の準 備として ,
Gl
を出発点として ETL の 基本 的 な構成 を再 確 認する。 主要概念の定義 と仮 説の詳論を原著に従っ て逐一再現す るこ と は煩 雑 なの で,必要な注 記を付 して 理論の 骨 格を最 低限 再構成 す るこ とに と どめ る。 この節と次 節の記 述で は, コ ミュ ニ ケーシ ョ ン をKM
, コ ム ニ カ ー ト をKK
, コ ムニ カ ー ト基 盤をKB
と す る 。 丸 括弧の 中の数字はG1
の該 当頁 を表 す。A
)ETL の独 自性は対象領 域の 定 義にある。 それ に よ る と,社 会は様々 な独立の
KM
行 為シス テ ム (系 )か ら構 成 さ れる。 その 一つ に経 済や科 学な ど と並んで 文化KM
行 為の 領域がある。 その 下 位 に教 育や宗 教な ど と並んで芸術KM
行為の構成 領 域がある 。 その 下位に絵画や舞踏 な ど と並 ん で文 学KM
行 為の 要素系が ある。 そし てその下 位 に劇文 学 や叙情 文学,叙事 文学な どの要 素 が 位 置づ けら れ, さ らにその 下位に 脚韻律 格な どの提 示 形 が 位 置 す る (40 )。 Luhmann の理論の 影響 ドで 後年になる ほ ど明確 化す る ように, これ らの シ ステム系は互い に独立で あ り, 自己組織 され る と考 えら れ た。 従っ て最 も 重7
)Rusch (1993),
S
.172
, Schmidt (2001 ),S
.50 . 8) Schmidt (2001), S.57. 9) a.a.0
,,S
.45
£ 10) 名執 (1993), 199−200 頁。「文 学テ クス ト」再考 19 要な課題は , ある (例 え ば美 的文学 的)シス テ ム をその他か ら区分 する独 自の機 能を明 示するこ とにある。
Gl
で その差 異機能は美 的慣 習 (A
−Konvention
)及び多価値 慣習 (P
− Konvention)に求め ら れ た (後述)。B
)KM
行為は,KM
行 為系の 中に位置づ けら れて概略次の よ うに記述 さ れる。KM
は, その参 加者 (50)が,KM
行為状 況 (54
)におい て, 社 会化 過程で習得発 展さ せ た様々 な 条件の 集合である前 提 条件系(50
)の もとに, 目的に応 じた ス ト ラ テ ジー (53)を用い て, かつKB
を手段に してKK
を実現するこ とによっ て遂行 さ れ る。 または, 他の 参加 者がKK
実現つ ま りKM
行 為が 遂行で きる ように,KB
を作成 する こ とに よっ て行わ れる と され る。 つ ま りこ の考え方で は,KK
は認知 過程 と社会行 為 の相関現 象で あっ て物では ない 。KK
の類 (テ クス ト類)もこの観 点か らKK
実現 (;KM
行為)の 様々 な与件と 要 因 (慣 習 ・伝統 参加者の意図 ・期待, 状 況等 )と その対 応物と して のKB
, つ ま り テ クス ト表層の物 理 的, 実質的, 形 式 的諸特性 とを評価 し て解 明す るこ とに なる (76 )。G1
で は言語 的KB
の同義語とし て 「テ クス ト」の用語を許容 してい る (72)。C
)KM
行 為の 下位 区分 とし て ,KK
とKB
に対 する異なっ た4
つ の行 為役 割に応 じて 「生産」, 「媒介」, 「受容 」, 「加 工」の行 為が定義さ れ る。 まずKK
「生 産行為」 は,K
M
行 為過程を 通 じて (行 為遂 行の認知 的等価物である :筆者補 足)KK
に相 当す るKB
を作ること と さ れる (62
)。 次に 「媒介行 為」は,生産行 為の 産物で あ るKB
を同媒体 内 で調整 (「編集」)する ことや別媒 体へ 移すこと を通 じて (生産者 と自己以外の)他の参 加者へ 伝え渡 すこ とであ り (63
), 「受容行 為」は, (媒介され)提 示さ れ たKB
をKK
と して実 現するこ と で あ る と され る (63
)。 最後に 「加工行為」は, 他 者に も認知で きるほ ど明確に主題的KK
へ と関連 したKB
を意図的に生産 する こ とで ある と定 義 さ れ る (64
)。KK
(KB
)が言語 的で ある場合 に は そ れに応じて特性化さ れる (65
,74
) 。 文 学 的KK
(KB
) も同じ く美的 な類の下位に定位さ れ (191
), 文学 的KM
の 4 種の行 為役 割が詳 論さ れ る (199ff
.)。D
)一般 的な他の
KM
行 為系に対 して美 的 文 学 的KM
行為 系の特 質は,「美的慣習」 と 「多価値慣習」で区別さ れる (シ ス テム の内外 区分 )。 その論述の 組み立て をや や詳 細に 再構成 する。 D1 )KM
行 為に お け る慣習一般につ い ては 以 下の よ うに定 義され る。 「あ る 社 会の 成 員相 互に措定され てい る知 識 には次の ような ものがある。 つ ま り, その社 会の あ る行 為状 況 で は,あ る 行為を行 うこ と が 優先 され ,あ るい は定め ら れ,あるい は合意 さ れてお り, それ を 基に ほ ぼ全て の 成員は, 相 互にその 行為を行 う こ と を 期待 し, そ の期待上に ほ ぼ 全て の成員が その 行 為を行う, とい うこ とで ある。」(87 )上 記 「美 的慣 習」 「多価値慣 習」の規定に先 だ っ て ,まず 「真理実用 慣 習 (T −K .onvention )」 と 「単価 値慣習 (M 一20
丸 井 郎 Konvention )」に関 する仮説が規 定さ れ る。前 者は, 「我々 の 社 会の 全ての成 員相互 に措 定さ れてい る知識に次の ようなもの が ある。 つ ま り,KM
行 為に お い て ,KK
実現に よ っ て提 起さ れ た主張 が,その社 会で通 用してい る と さ れる現実モ デ ル に関して真であ る か, あるい は その 主張が社 会で どの よ う な行 為F
.の実用性を有する か確定さ れうる た め に, 指示能力の あるKB
や その 構成部分は, 当該現 実モ デル に指示 上関連づ けら れ る 可 能性 を持た ねばな ら ない , とい うこ とである」と さ れ る (89
)。 後 者の 「単価値 慣習 」に つ い ては, 「我々 の 社会の全成員に とっ て 互い に措 定さ れ た知 識に次の ような もの が あ る。 つ ま り,KK
生産者につ い て は, 彼 らが 生産 するKB
に対 して,事 後の様々な 時点 で ,で きるだけ一義的で 間主体 的に確定可 能 な受容結 果が付 与され うる とい うこ とが求 められ, またKK
受 容 者に対 しては,その ようなKB
に 対 して で きるだけ一義的な受 容 結 果を付 与 する よう実 際に試み る こ と が求め ら れる, とい うこ とで ある」 と され る (to6)。 「慣習」一般の定義に は な かっ た 「我々 の 社会」とい う規定が これ 以 下の諸慣 習 の 規定 文に含まれ るの は, 前者 「慣 習」につ い て は, 理論 構成 上の 「定義 」に あた り, 後者 「美 的慣習」な ど は, 経験 的検証を前提とする仮説の諸項 目にあたるこ とに由来す る。 D2 )こ れに対 して 厂美的慣習 」の仮説は次の ように提 示され る。 「我々の社 会の枠 内で互 い に措定さ れ た知識に は次の よ う な ものがある 。 つ ま り,我々 の社 会で
KB
を美 的KK
と して実現 しよう とする 全て の 参加 者は, 真理実 用慣 習に従っ て行為する の で はなく, 行為状 況 内 で参加 者が措 定 する規範に よっ て く美的〉 と見 な される価値, 規範,意味 規 則 に適 合 する よ う行為す る用意と能 力 を持た ね ば な ら ない , とい うこ とである」 (92
)。 「美 的」とは,行為状況 内の行 為 者が,あるKM
行為やKK
につ い て , 当該状況 内で 評 価の 基準と して参照 した規範に照 ら して 「美 的」と判断 する こ と にあ たる (84)。 こ こで も,KM
行 為や その相関現象として の KK に関する 「美的」(特性 化し て 「文学的」) と い う述 語付 与 (評 価)の 主体を行為状況 内の 行 為者に限定 する ことが 徹底 して追 求され る。 つ まりテ クス ト白体に状況を超 越 し た意味が内在す るの で は ない とい う含意が 重要 である。 D3 )さ らに 「単価値 慣習」に対 して 「多 価値慣習」 につ い て は , 「我々 の社 会に お ける美 的 KM シ ス テム の 全て の参加者につ い て 互い に措 定され た知 識」 と して 以下の ような 項 目 が挙げ られ る (106f )。
1)生 産者は美的
KK
の産 出に際 して 「単価値慣習」 に拘 束され ない 。 2)受 容者は 美的KK
の実現に際 して,様々 に異な る時点と状況におい て,同一のK
B か ら互 い に 異 なる受容 結果 を 産 出 する 自由を 有 し ,こ れ を 他の 参加 者に も 期待 する。 3)美 的
KK
の 実現は参加 者達 に よっ て最 適である と 評 価さ れ る が , その 際その 評 価の根 拠が 参加 者や状況ご と に異 なる可能 性が ある とい う相互の 期待が ある。
「文 学テ クス ト」 再 考
21
4
)能 力あ る媒 介者と加工 者は, 受 容 行為を超 え出 る自身の 行 為にお い て, (1
)一(3
) に記述さ れ た多価値慣習の 内容に抵触 する こ と を し ない。 最後の点は , 例 えば編 集者な ど が読 者のKK
形 成 を予め操 作し単価 値 的に限定す る よう な行為を し ない とい っ た事に相 当する。 これ ら は さ らに言 語的美 的KK
に関わる領域 と しての 文 学KM
へ の 特性化を受 ける (134ff.!159ff
.)。E
>社会の
KM
シ ス テム の つ とし て他 と区 別さ れ るべ き美的文 学的な それ独 自の機 能 は, 認知 的自省的機 能, 道徳 的社会 的 (規範 的)機能 ,娯楽的 個 人的 (情 動 的)機 能と い う三つ の基本機能とその 組み合わせ で理 解さ れる (121
)。 認知 的機能は, 行 為 内で形 成 される現 実モ デ ル と社会的行為範型の 像が, 行 為者の社 会で通用す るそ れの 代替や変 形 とさ れ る こ とで認 知領域 が変更 され るこ とに関 わる (121)。 規範 的社 会 的機 能は, 前 提 条件系内の 規 範や価 値判 断が強化 ・容認 あ るい は変 更 ・否定される こ と,ま た行為者 の 特定社会集団へ の帰 属 意識の形成に関わ る (122
)。情動 的機能は ,KK
形成 行為 自体 が完遂さ れる ことで得られ る様々 な満足に関わる (123)。F
) 文 学KM
は個々 の 行為者間の個別事象だけで なく, 通例は む し ろマ ス コ ミュ ニ ケーシ ョ ン と して捉え られ る (195
)。 こ の分野がGl
以 後の 理 論展 開の主 た る舞台と な る。 2 .3
. 補足ETL の 理解で は, 通例 「文 学テ クス ト」と呼ばれ る
KB
を手段に して何が 出 来 る か, つ まりどの よ うなKM
行為が行わ れ,どの ようなKK
が実現さ れるか は, 当該 社会の慣 習 的な文 学KM
行為の像に よっ て規 定さ れる。 こ の 考 え方は , テ クス ト(作 品)にあた か も解 読すべ き意味が 内在する かの よ うな表象と は 全 く異な る。 逆 に 一定の 期 間に亘 っ て ある慣習 的行 為像が存続 す る 限 りKK
は一定の性 質をもつ よ う実現され続ける。 それに 応 じて適 合 的なKB
も 淀 の特性を示すはずである。 表 層の形 式と ジャ ン ル との 関連は 理解 しやすい 例で ある。 以 下ではKK
実現とKB
(テ クス ト)の示 す特性との 関連を模 擬実験 的に観 察する。 その際慣 習 ,あ るい は 領域に応 じ て区分され た規範の 規制力を考 察する。例え ば,「鶏 頭の 十 四 五 本 もありぬ べ し」とい う
KB
が知ら れてい る。 伝統依 拠 的 な 慣習に従 えば, 日本社 会で通 用してい る現 実モ デ ルに適合 的な 主体 ・世界 像 構築が 要請 さ れる。 一例 を挙げれば 「病 臥する作者正岡子 規は,前 年の 同 じ時節に高 浜虚 子達と過 ご した 折 りに咲い てい た 花々 を 想起してい る」 とい っ た内容であ る。 一方 ある種の 「現 代詩」的な慣 習に従え ば,現実モ デ ル独 立的 ・対抗 的な 主体 ・世界像構築 が 要請され, 伝統的表象へ の 対抗が意図的に提 示さ れ るだ ろ う 。 例え ば 「血に まみれ た鶏の頭 が多数 転が っ てい る」とい っ た もの である。 テ クス ト加工 のKM
行 為 ,よ り正確には,メタ文 学KM
行為を通 じて , 後者の よ うな規 範の通用性を 主張 し説 得 し, その通用 範 囲を 拡 張 す るこ とも可能で ある。 11 )重 要な事は, 上の 二種類の読みの 基になるKK
はKB
の 提 供lD
上掲 書 207 頁以 下。22 丸 井 郎 する資 源に よ りつ つ , し か し何ら か の規範 ・慣習に従 っ た行為 像を描 く行 為者が独 自に 産 出する とい うこ とである。こ の例で は伝統的には前 者が 「穏 当」で, 後 者は 「こ じつ け」の 誹 り を 免 れ ない だろ うが (規範の現 実 的通 用性 ), 多価 値性 と は その よ う な変異 の可能性の こ とである。 むろ ん慣習 ・規範が 強力なので,多価値性が許容 する範 囲は狭 い とい う理解 もあ り得る。 次の例はテ クス トの より表層的な形式性に関 連 する。 「旅に病 (やん)で夢は枯れ 野 をかけ廻(め ぐ)る」とい う表現 は , 俳句と して は
6
+7
+5
モ ー ラの 序 列と さ れる。 5 + 7 + 5 モ ーラ とい う韻文形式の 規範が 通用す るこ とに よる。 しか し こ の テ クス トの モ ーラ序 列は3
+3
+3
+ 4 + 2 + 3 とい うプ 1コ ソ デ ィ・一一en
型での実現 を許容す る。 読 者は ど ち らの実 現 (KK
の構 成要 因)を好ま れ るであろ うか。 その好み (評価 )は どの よ う な慣習 ・規 範の通 用 性を予測 さ せるだろ うか。 さ ら に, この テ クス ト表現 が 「pl
:xl が旅をする, p2 :x2 が病む,p3
:x3 が夢を見る, p4 :K
がある, p 5 :K
で z が 枯 れ る,p6
:p7
がK
で生起する, p 7 :x4 が か けめ ぐる」とい うそ れ 以 上分解で き ない 事態を提 示する もの と仮定して見 ると, x1 〜x4 の主体概 念問の 同一性を どう実現するかに よっ てKK
が変異 する こ とが分か る 。 そ れ らの 一 貫性, 非均 質性の 様 態に よ っ て 「死の 床の松尾 芭蕉」か ら 「イマ ジ ネール な行 為 者」,あるい は 「無人称の 主体」 まで様々 な像 (= 産物とし て のKK
)が 可能である 。 そ れ ぞ れの 実現 に どの ような規 範 ・慣 習が働 き, また変更さ れ るの だろ うか。視 点 を反転さ せて,我々 は 異言語 ・異 文化テ ク ス トの生産 ・受容 者と して , こ の 二 例 で示さ れ た実効 的慣 習に適 合 的 な実現 と, そ うで ない 実現様態と を自覚 的に区別し制御 で きる だ ろうか,と 問 う必要が ある。 むろ ん こ こ で単に思考実験と して提 示 さ れ た様々 な プロセス は,理論の実際 的適用と して は, 現実の 文学コ ミュ ニ ケーシ ョ ン事 象から得 ら れ た資料に よっ て再 構成さ れ るべ きであ る 。
3
. 日本で の ド イツ語テクス ト取 り扱い へ の含意上 の よ うな
ETL
の枠 組み を一応受 け容れ る と して , こ の 観 点は日本にお ける異 言 語 ・異 文化テ クス ト研 究として の ド イツ語 文 学テ ク ス トの取 り扱い (研 究 ・教育 )に ど の よ うな反省 点を提 供 する だ ろ うか。「文学 性」が テ クス ト (コ ムニ カー ト基 盤)では なく, コ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン行 為と そ
れに相関する認知過 程 (コ ム ニ カー ト)の特 性であ り, 行為者 が 社 会 化 を 重要契機 とす
る前 提条件 系に 規定 されて認定 ・実現 する の で あれ ば, 我々が 「文学 的」だ と見な した が っ て い る ド イツ語テ クス トは,我々 の もと で , いつ , どの よ うに して,また どの よ う な意味で 「文 学 コ ム ニ カー ト
1
へ と実現 され るの か 。 文学性に対 応する性 質 がテ クス トに内 在し, 解 読を 通 じて そ れ を発見 あるい は確認 す る とい う表象は 理論 的に退 けられ た こ とを上 で確認 した。 我々 は読 者と して また 研 究 者 と して,異言 語 (ド イツ語)の テ ク ’ス トを 用い て どの よ う な類の コ ミュ ニ ケーシ ョ ン行為を 遂行 して い るの で あろ うか。
異言語 ・異文 化に関わ っ て原理的に世 界が 二重 化 する こ と を研 究 ・教授 方策と して体
「文 学テ ク ス ト
1
再考 23 系的 に考慮 する必 要がある。 彼 らが彼 らの社 会におい て , 自身の母語で コ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン行為として のコ ムニ カー ト実現を遂行し,彼ら が 「文 学 的」だ と見なす帰結を得る こ と,生 産 ・媒 介な どの 過程 全体が なす文学シ ステム につ い て, それ と は別様の原則に 従っ た言説 形成 と して の研 究活動が行われ てい る こ と, その全体あるい は個々 の局 面に 対して我 々 には無前提 の参与は保証 され てい ない 。 む しろその 全体が未 知の異 質性と し て研究 (媒介)の対象になる。 ある異文化テ クス トが原産 地で 文学作品だ と されてい る とい う知識がテ クス ト理解に おい て ある種の指針 と され る と, 時に奇妙な状 況が出現する。 例え ば訳読形式の授業で , テ クス トの初 発 状況に適合 す る様態での 参加が 原 理的に困難で ある に も拘わらず ,ある 種の参加が要請さ れる とい うこ と は な か っ た だろ うか。 困難の 要 因 が 理論的 に解明 さ れ ず ,暗黙裏に前提 さ れ た普遍 的 な (とさ れ る) 「文学」概 念が補 填の機 能を果たすこ と はない だろ うか。 。Sei
・ehrlich ・im
・Notfall
‘‘ とい う忠告に従え ば,こ の テ クス トが なぜ ,ど うい う意味で文学的なのか分か ら ない , とい う地点か ら 一貫 し て テ クス トへ の取 り組み を構築 する こ と が求め ら れる。 異 言語テ クス トの表現を (辞書 を用い て)逐語訳式に 母 語へ と移 し,日本社会の前提条件系を適用して実現され る文学性は 日本社会で通 用する 概念で あ る。 そ れ で異文化の文学性に十全に 関与 して い る の だ とい う思い こみ は, 既に 相 対化され た と考えてい い の だろ うか。 二 つ の 理論的でかつ 実際 的教授 法 的 な問題が提 起され る。 まず, ある種の文 学性が, 異言語テ クス トの (当面 は)受容 行為におい て,行為 者に とっ て満足の い く帰結 と して 端 的に成立 する には, どの程度の異 言語にお ける行 為 (認知 )能 力が必 要なの だろ うか。 そのな かには ドイツ語の 自然な談話プロ ソデ ィの実現などに 関わる身体性 レベル で の明 確な イメージ も含 まれ てい るはずである。 次に,経 験 して こな かっ た社 会化過程 を含む 前提 条件系に規定さ れ る 要 因は どの程度操作で きるの だろ うか。 よ り具 体的には, ドイ ツ語社会に通用し て い る現実モ デ ル とコ ミュ ニ ケーシ ョ ン行 為像は どの ように媒 介さ れ うる のか。 その中には, あ えて反論するこ とは社交的 なこ とで ある , 論 弁の 能力が期 待 さ れてい る とい う事項も含 まれ て い る評 ある い は例え ば現代 ドイツ語 圏の様々に異質 な生活 世界の棲み分け は どの ように産 出 さ れ維 持 さ れ るの だろ うか。 1コ)彼の地の 文 学 的 素養 とは, つ ま りは差 別化の方策 なの ではない か。 文学テ クス ト (特に演劇や小 説 )で 素材 とされる相互行 為像の構 成 要因と して, 対面談 話の継 起的実現は どの ようなパ ター ン を示すのか,i4, な ど な ど課題は多い 。 ち なみ に, ヒで 述べ た ド イツ語社 会にお け る 生 活 世界の非均 質性は, 当事 者達に もメ タコ ミュ ニ ケーシ ョ ン的 な対応方策を 創 出 する程 度に 自覚さ れて い る。 例 えば 「モ ーッ ァ ル ト ? そ れ は食べ たこ と ない ね」 とい う発 言で 話題を拒 否するこ と,つ ま り 自 分 には 異質な 生活世界へ の 参与を拒 絶 する こ と がで き 12) Marui (1995), S.355 , 13) こ の関 連での 膨大な研 究成果がKallmeyer
(Hrsg
、 1994,1995)で ある。 14) Hess−LUttich
(2001
),S
.1648
f
24 丸 井 湟匠 る
651
以L
の よ う な 問 題 の原理 的な問い 直 し の ため に, ETL は反省の 一つ の 手 が か り と な る。 た だ しこ の理論 自体の直 接 的な実現 と な る と事は 複雑で ある。 上 (22 .)で理論の 重要 な構成要因の 規定に おい て 「我々 (ド イツ語 圏)の 社会で は」とい う限定が付さ れ るこ と を強調 した。G
薑で もそれ以外の 著作で も, ド イッ語社 会における文学コ ミュ ニ ケーシ ョ ン の素朴な参加様態か ら始めて,次 第に高 次の メ タレベ ルへ 移る 文学コ ミュ ニ ケーシ ョ ン行 為系 全 体につ い てtlel/そ れ と は別の 原則に従い つ つ , 形 式上完備し たひ と ま と ま りの理論を形成 する言 説活動 とし て の研究 活動が 前提 と されてい る。 つ ま り理論 形 成の 言説は さておき, 対 象で ある文学コ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン系の諸局 面 ・レベ ル におけ る参加 能力は こ こで も暗黙の 前提で ある。 こ れ を厳 密に受 け取れ ば, 我々が無前提 に, 母 語 話 者の研 究者が行 うよ うに, ドイツ語文 学につ い て, ETL の研 究 活 動を実 践 する ことに は大き な困 難が予 測さ れる。 実 際大 瀧(1988)や 名執(1997
,2000
)な どの よ うに , これ まで 日本で実 践さ れた理論の適 用は 日本社 会の 文学シス テム を主対象と して い る。 我々が母語 話 者と同じくその文 学事 象に参加 するこ とがで きる か らで は な く,その事 象 全 体が異 質だ か らこそ 我々の認識活動には意 味が ある の で は ない か。 想定 され た異質な 文学性へ の直接の参 入で はな く,異文 化の諸 領域 ・諸関連に 対する参加の機 会 を作る と い う意 味で, 例えば 翻 訳は異 文 化研究の構成要素と して重要な活動である。4
. 再考 察 と展望 こ こで これ まで に提 示して き たの と は異なる テ ク ス トへ の 向 き合い方 を対 置 す るこ と は 問題の領 域 全体 を俯 瞰する 上で有益 で あ ろ う。 「テ クス ト と は何か』との タイ トル を 持つ 『岩波講座文学 1』の 「ま え が き」に概 略次の ような記述 がある 。 「書誌 学で扱われ るのは ,数十年あるい は数百 年単位で過 去に さかの ぼ る テ クス トで ある。 用い ら れ た紙や イン ク,装 ゴなども, 歴史的 ・社会的 な所産で ある。 物 と して の 書 き物か らすべ ての メ ッ セ ージ を読み とろ うとする書 誌学は,テ ク ス トの社 会学ない し は歴史学にな ら ざる を え ない 。 その ような書 誌学で扱わ れ るテクス トこ そ が,こ と ばの 本来的な 意味での テ クス トで ある。 書 か れ た もの か らその素材 的な諸条 件を捨 象 し, 書 記言 語の分 節 的側 面だけを特 化 ・抽象 し たテ クス ト (本文)とい う観念は, テ クス ト と い う語の も との 意味か ら す れば比喩的 ・派生的な用法である。」 17]こ の実体 的テ クス ト概 念の妥 当性や 「こ と ばの もとの意 味」が 理論用語の 定義に有 す る意 味と機能は問わ ない 。 こ こ には ETL の操 作 的なテ クス ト概 念 に は完全 に包 摂 さ れ な い 事象 が暗示 さ れてい る。 一般に,歴 史的, 杜 会的,文 化 的距離が大 きく, 伝承, 伝 来, 到 来 及びその様 態が あら か じ め意図 され たので はない テ クス トは, コ ム ニ カー ト実 15) メし井 (1999),S .145。 16) Barsch (1993),
S
.151,S.153f. 17) 兵 藤 (2003 ), 1−2 頁。・部の 語句を省 略 した。
「文 学テ クス ト」 再 考 25 現過程を触発し ない , それで何を始め た らい い のか分か ら ない , とい う事 態がある。 そ の テ クス トで何 をすべ きか分か ら ない 行為者 集 団はETL と して対処に窮する。 従っ て 上記引用にある ような, どの ような手掛かり (「遺留品」) も見逃 さない とい っ た態度 も 理解で きる。 この関連で, 理論的に予定さ れた体系変動の 可 能 性 一 般 ではな く, あ る集 団の体 験総体と して の歴史性 も考 慮の 対象と なる。 行 為を導 く慣習 ・規 範に関する差 異 は,社 会シス テ ム,前提 条件系, コ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン行為類 型の生 態 的布置等の 差異に よっ て一応理解さ れ る が , 問 題 はその 差異 を差異 として 同定す る 理 論 的技術 的方策であ る。 理論 的には, 自己認識を必須の随伴 現 象とする具 体的に異 質な他者の認識の動 的過 程 を把 握する 必 要 がある。 技術 的 には,社会的 歴史 的差 異 や 異言語 ・異 文化を背景とす る類の テ クス ト研究 ・媒 介は, 電子化され た形式を含む文献 学 的技 法, 及 び発 見法 と し て の エ ス ノグ ラ フ ィ的技法を必要とする 諍 そ れを通 じて 当該コ ミュ ニ ケーシ ョ ン系に お ける テ クス ト, 行 為及 び それ と 関連 し, また前提 とさ れ る 関 連項の位 置価 が 理解さ れ る。 異 言語 ・異文化テ クス トの媒 介様態 と して 見た場合, 上で も触れ た が,例えば外国語 教授 ・学習で の 文学テ クス トの取 り扱い では,異 言語との全面 的な接 触が確保さ れ,そ の接触を異文化との対峙へ の導入 とする ことが 要請され る。 異文化テ クス ト研 究につ い て見る と, テ クス トの原産 地であ る社 会で生産さ れ た研 究上の ,あるい は 生活世界起 源 の様々 な問題の カ タロ グを承 知する こ とはむろ ん重要である が, その 問 題 認 知の 背景に ある異質の 意義関 連 ,さ らに は認 識関心 (利 害 )を我々 は どの程度理解 し, ま た共有で きるか を追 究する必 要が ある。 「文学研 究は経 験科学的理論 と して構想され実現 さ れる べ きだ」とい う立場につ い て も例外で はない 。 上で も述べ たが ETL は発案 者に とっ て 「我々 の」 と され る社会に 関する 理 論で あ る。 見 方 を変え るこ と は で き る。 例え ば 世界 の諸 地域で 。
literatur
(−e1−a) ‘ や 「文 学 (munhak !bungaku
)」とも呼ばれ てい る様々な現象 につ い て, それ ぞれ の地域の 人々が 彑い に説明 す る と し た ら どの よ う な事態になる だろ うか。 早す ぎる普遍性の仮定で は な く, 忍耐 強 く差異に注 目し, 相互 ∫解を 目指 す異 文 化テ クス ト研 究, あるい は広 く異 文化間言語学は そこにも 一定の 位置を持つ だ ろう。19 }18) 単 ・文化関連は
Kallmeyer
(1994
),S
,21f
£ , 異文 化関連はGUnthner
(1993
),S
.25ff
. を参照。 19) 異 文化 間言語 学につ い て はHermanns (2003 )を参 照。 な お本論 考の 対象で ある 「異 文 化 (現 代の ド イツ 語 文 化)」に関 して ,本 文の 枠 外 で一点 指 摘 し たV い わ ゆる 「シス テム論」の 自己生成 的, 自己 言及 的で 自己完結 的シス テ ム (特に個 体と その 認知 機構)の像に対 す る 流 行 とも言 える 志向 (Viehoff
1993
,S
,194
)は, 当の理論が 近 現代 社 会につ い て描 く機 能化さ れ部分化 さ れ た 主体 像で は な く,む しろhomo
clausus , 「考え る 石 像」(Norbert Elias,”Die Gesellschaft der lndividuen“, S .130ff., Suhrkamp , 1991)の個人
像 との 暗 合 故に現 代 ドイッ等で顕 著 なの で は ない か。 ヒ トの認知機構における他 者との
26
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:.rfi
:-Etl}ij
8X{IiE
],
rff-
:.'ge:
JISVt4
,If.HuEk
tNkKij[aj
(x*
JVbSl
77
I[]
ti-k)
MUI,
306
--332
fi.
Oberpr"fung
des
BegriffS
.]iterarischerText"
-
Zum
Verstandnis
fremdkultureller
Texte
mIchiro
MARUI
Ausgehend
von einemfbrschungsgeschichtlichen
RUckblick,
der
den
Ubergang
vonder
linguistischen
Poetik
v, a.in
der
Prtigung
vonR.
Jakobson
zur .EmpirischenTheorie
der
Literatur
(ETL)"
im
Sinne
vonS.
J.
Schmidt
feststellt,
stellt sichdiese
Arbeit
die
Aufgabe,
einklareres
Bild
vonder
Grundhaltung
gegenttber
fremdkulturellen
Texten
zu entwerfen.Es
geht
umden
Umgang
mit solchenTexten,
die
in
einerFremdsprache
verfasst undin
einerGesellschaft
produziert
wurden,in
der
andere
Bedingungen
wie v. a.Sozialisationsprozesse
herrschen
als(die
unseren)in
Japan.
Die
Gegebenheiten
wiegemeinsam
geteilte
Wissensbestande,
Selbstverstandlichkeiten
o.U.,
die
langiahrige
Prozesse
der
Entwicklung,
Erziehung
oder andersartiger
Erfahrungen
der
Mitglieder
der'betreffenden
Gesellschaft
erm6glichen,
fehlen
bei
uns.Deshalb
muss unsereBeschaftigung
mitden
fremdkulturellen
Texten
an sich als einGeschehensbereich
interkultureller
Kommunikation
konzipiert
werden.Als
Ausgangspunkt
zurBewusstmachung
dessen,
was man tut,wenn manglaubt,
dass
man sich mit einemliterarischen
Text
beschaftigt,
der
in
einerFremdsprache
2g
A
#
-ftIS
und .Kommunikatbasis")
der
ETL
herangezogen.
AnschlieBend
an eine rekonstruicrendeDarstellung
der
allgcmeincnEntwicklungslinie
der
ETL
werdenihre
theoretischen
Kernpunkte,
freilich
in
ihrer
frtihen
Auffassung,
zusammengefasst, umzu zeigen, wie
die
Zuschreibung
des
Pradikats
,,asthetisch" oder ,,literarisch" mithilfeeines
Texts,
d.
h.
einerKommunikatbasis,
durch
Kommunikationshandlungen
zustandekommt.(Die
sozialsystemischeSeite
der
ETL
ist
hier
nicht ausflirlich zuberUcksichtigen,)
Das
Ergebnis
ist,
dass
das
Prtidikat
(oder
auchdie
Bewertung)
,,literarisch"
keine
textimmanenteEigenschaft
ist,
die
es zu entdeckengilt,
sondern einProdukt
der
situierten,kommunikativen
Handlung
einesAktanten
mitdcn
verschiedenen
Voraussetzungen
wieKonventionen
undNormen,
die
durch
Sozialisationserfahrungen
gepragt
werden.Dieser
Umstand
wird anhand von zweiexemplarischen
Analysen
der
m6glichen und weniger wahrscheinlichenKommunikate
(und
Handlungen)
mit ,,haiku"-Texten er6rtert.Die
Gtiltigkeit
der
Konventionen
undNormen,
die
die
Realisierung
des
gemeinten
,,literarischen"Kommunikats
steuern, wirddargelegt.
Es
ist
aber umgekehrt zufragen,
ob und wie manimstande
ist
(sein
kann),
anfremdkulturellen
Texten
diese
feinen
Unterschiede
zuidentifizieren,
Die
obendargestellte
Grundvorstellung
vonkommunikativen
Handlungen
anlmitTexten
(Komrnunikatbasen),
die
die
Literarizitttt
alsEigenschaft
der
prozessual
produzierten
Kommunikate,
nichtdie
der
Texte,
konzipiert,
hat
gewisse
Implikationen
zumVerstandnis
dessen,
was z.B.
einejapanische
Person
tut,die
in
einemdeutsch-japanischen
W6rterbuch
nachschlagend einendeutschen
Text
liest
undglaubt,
dass
sicsich mit einem
literarischen
Text
befasst.
Sie
stelltnamlich anhandder
in
die
eigeneMuttersprache
transliteriertenTextausdrUcke
unter unausweichlichemEinfluss
des
Voraussetzungssystems
dcr
japanischen
Gesellschaft
mitsamtden
Bestanden
eigenerSozialisationserfahrungen
gemtiB
der
Vorstellung
vonkommunikativen
Handlungen,
die
in
Japan
als solchegilt,
einKommunikat
her,
das
fur
diese
Person
als ,,literarisch"gilt.
Wo
bleibcn
dann
die
frerndkulturelle
Literarizitat
unddamit
alleBezifge
aufverschiedene
Besttinde
in
Voraussetzungssystemen
in
fremden
Gesellschaften?
Wir
mUssen
grundsatzlich
davon
ausgehen,dass
bei
fremdkulturellen
Texten
die
Verdoppelung
(Relativierung)
der
an sichkornplexen
Bezugswelten
unumg5nglichist.
Nach
dem
Motto
,,Sei ehrlichim
Notfall"
soll versucht wcrden, eineSystematik
zurTextbehandlung
aufaubauen: weil man nicht verstehenkann,
warum undin
welchemSinne
der
betreffende
Text
in
fremden
SituationenlGesellschften
alsliterarisch
gelten
sollte,
lohnt
sich eine methedischkontrollierte
Auseinandersetzung
mitdem
Text,
die
an sich einen andercn wissenschftlichen
Wert
besitzen
kann,
alsdie
muttersprachlichenBeschtiftigungen,
Wenn
wir uns eine etwas andereArt
des
Umgangs
mitTexten
alsden
doch
sehrtheoretisch-operationalisierten
bei
ETL
vorstellen, etwaim
Falle
vonrJSt*JL
eiXN
pt#
29
so
k6nnen
wirdie
Reichweite
der
Erfbrschung
fi;emdkultureller
Texte
verstehen.Die
fremdkulturellen
Texte,
bei
denen
wederVermittlung
nochUberlieferung
nochEinfUhrung
in
.unsere"Welt
beabsichtigt
war, sind uns nicht ohne weitereszug5nglich.
Wir
brauchen
zuihrer
Erfbrschung
unddidaktischen
Verrnittlung
sowohlphilologische
Methoden,
auch solcheinformationstechnologischer
Pragungen,
alsauch ethnographische
Ansatze,
die
es uns erm6glichen,die
Stellenwerte
der
Texte,
der
Handlungen
undder
damit
zusammenhtingenden,bzw,
dabei
verausgesetztenBezugssysteme
der
Kommunikation
zu verstehen.Erst
dadurch
wird es m6glich,zunachst
Unterschiede
unddann
durch
Differenzierungen
festgestellte
Gemeinsamkeiten
zuidentifizieren,
ohnedass
man sichdabei
im
Voraus
an nichtgeprUfte,
allgemeine(Kultur-
bzw.
Literatur-)
Begriffe
anzulehnenbraucht.
Es
geht
also nicht um verfrUhte
Postulierung
der
Universalittit,
die
oft nurdie
eigeneGesellschaft
betrifft,
sondern schrittweiseprozessierte
Verstandigung
der
fremden
Menschen(gruppen)
mittelsder
fremdsprachlichen
undfremdku1turellen
Texte.
Somit
stellt sich z.
B.
eine andie
deutsche
L'eserschaft
gerichtete
Frage,
obdie
Systemtheorie
a
la
Luhmann
mitihrer
selbst organisierendenGeschlossenheit
nichtdeswegen
groB
in
Mode
war(ist),
weil siedoch
zumMenschenbild
vom .homoclausus"