インクルーシブアート教育の理念と当事者性
―視覚障害を中心に―
茂 木 一 司
群馬大学教育実践研究 別刷
第38号 105~111頁 2021
群馬大学共同教育学部 附属教育実践センター
インクルーシブアート教育の理念と当事者性
―視覚障害を中心に―
茂 木 一 司
群馬大学共同教育学部美術教育講座 インクルーシブアート教育の理念と当事者性 茂木一司Inclusive Arts Education Philosophy and Parties
―Focusing on the visually impaired―
Kazuji MOGI
Cooperative Faculty of Education, Gunma University
キーワード:インクルーシブ教育、アート教育、当事者性 Keywords : Inclusive Education, Arts Education, Parties
(2020年10月30日受理) 1.はじめに:芸術とは見えないことを見える ようにすること 視覚に障害を持つ人、特に生まれた時から見えない 人にとって、視覚芸術である美術を学ぶこととは何を することなのだろうか?むろんあらためて視覚障害特 別支援(盲)学校の図工美術教育の要不要を議論した いわけではない。しかし、教科だからやるのがあたり まえとも考えてはいない。論点は、この問いの先に見 える/見えないを超えた美術教育自体の本質がみえる に違いないと思うことである。 現在科学研究費補助金基盤研究B「インクルーシブ アート教育論及び視覚障害等のためのメディア教材・ カリキュラム開発」(代表:茂木一司)1)において、 今回の見えない身体メディアを対象にした視覚障害の ためのインクルーシブ教材開発研究から明らかになっ たことは重要なことばかりである。スピードや効率優 先の現代教育による視覚障害の排除はむしろ豊かさを 切り捨てていろいろなものを見えなくさせ、逆に包摂 は豊かな学びという営為の全体性を恢復させる。もと もと芸術/教育とは「見えないものを見えるようにす る」ことや「見えているその背後にある広大な無意識 の(内面)世界を耕す」ためにあった。たとえば、色 彩を色相・明度・彩度で体系化した表色システム(色 立体)は視覚によって一瞬で色彩世界の構造を把握さ せることができるが、色彩が人間の心に生じる曖昧で 微妙に変化する感情的なものの響き合いを感受・表現 するのを読み取るまでは難しい。美術作品とはそも そも作家による個人と世界(社会)のせめぎ合い(葛 藤)がみせる光と闇の戦いであり、形と色による創造 は限られた場と時間における表象に過ぎない。つま り、創造(制作)と鑑賞は等価であって、美術鑑賞と は作家の表現をきっかけとした再創造であり、そこに はモダニズムが優先する生産性や効率は別の価値観が あるとうことだ。 「かつて芸術は独立した領域とは考えられていな かった……芸術は全く宗教であり同時に科学であっ た。」2)19世紀末から20世紀初頭に活躍したR.シュ タイナー(Rudlf Steiner,1861-1925)は科学によっ て断片化される世界に警鐘を鳴らし、疎外され冷え 切った近代的な人間・社会を暖め、再びつなぎ直すこ とができるのは感情(愛)による方法論をもつ芸術し 群馬大学教育実践研究 第38号 105~111頁 2021
106 茂木一司 かないことを主張した。科学や宗教がそれぞれ別々の 真理を求める一方、芸術はひたすらフォルムの世界を 探求し、独立した世界を形成していった。自然の模 倣から芸術を開放した20世紀の抽象美術の誕生はか たちと色そのものの生命力によって、再び芸術の意 味が「精神的もの」に在ることを確認させてくれる 出来事だった。カンディンスキー(Kandinsky, W, 1866-1944)は音楽を「コンポジション」シリーズに 表そうとした。彼における形態と色彩の分析は科学的 で客観的観察に基づいたものではなく、画家自身の内 面の表現であり主観的で経験的な表現だった3)。シュ タイナーは現代という時代の特徴を人類のひとり一人 が外部からの指示ではなく、内面にある「自由」の衝 動にしたがって「自分自身で判断する時代だ」4)、す なわち「アート/教育の時代」だと言う。つまり外的 な環境に自分を適応させることに生きがいを感じるの ではなく、内側から必然的にうまれてくるものにした がって生きようとする魂の時代だというのである。ゆ えに、均質な平等を基盤とする学校教育制度の中でリ アルな現代アートのもつ生き生きとした力を活かすこ とは難しい。現代美術教育においては、芸術の根源に ある「精神的なもの」が失われ、美術教育は残った美 術の知識理解か造形感覚練習が精々である。わたした ちが今心がけなければならないのは、アート(芸術) を人間の生(活)の全体の営みから切り離さないこと である。このような芸術活動の意味を考えれば、見え ない人のアート/教育が(方法論の多少の違いはあれ ど)特別ということはない。むしろ障害のある/なし を分けることのデメリットの方が大きく、見えない アートをどのように見えるようにするかを多様に提案 することに過ぎないと理解すべきであろう。 2.視覚障害者の当事者性: 見えない世界から見える世界へ 障害をめぐる問題には、わたしたちが「見える」マ ジョリティ側にいるという超えられない問題がある。 今まで群馬大学教育学部のフレンドシップ事業などを 通して、多くの障害児たちと協働したアートワーク ショップを実施してきた5)が、それらは本当に「わ たしたちごと」になっていただろうかという問題で ある。彼らは多くの場合、支援される対象として存在 し、表現力やコミュニケーション能力を持った人とし ては認知・評価されていない。しかし、見えない、聞 こえないや言葉が十分でないだけで彼ら(の能力)が 劣っているとは判断でない。それは単なる違いでしか ないのではないか。このことを明確に気づかせてくれ たのが、伊藤亜沙著『目の見えない人は世界をどう見 ているのか』(2015)だった。彼女は美学者の観点か ら視覚障害者の身体知覚を、「障害者とは、健常者が 使っているものを使わず、健常者が使っていないもの を使っている人」、つまり「(健常者である)自分と は異なる身体を持った存在」であって、障害者が見る (いる)世界は私たちのそれとは違うというあたりま えのことを明らかにした。たとえば、「見えないこと と目をつぶることは違う」。つまり、「見えている状態 を基準として、そこから視覚情報を引いた状態」では なく、視覚情報を持たない身体がつくる世界を基準に 世界を構築する。つまり、視覚のある/なしによって 人は同じ世界を前者はニュートラルな情報、後者は情 報が文脈に置かれた意味(付け)という違う見方をす るのである。伊藤は「見える人が見えない人にとる態 度が情報ベースになりがちである」とし、健常者が障 害者に配慮する(情報への)アクセスのしやすさであ る「アクセシビリティ」を例にして、情報ベースの関 わりが両者を「福祉的な関係」に固定することのデメ リットを指摘する6)。やや蛇足なるが、本書は累計10 万部のヒット作であり、障害が透明化されている現代 社会の中で視覚障害を世間に認知させることに大いに 貢献している。本書の受容(amazonレビューなど) の多くは「見えている人の方が多くを見落としてい る」、と視覚障害者から見える世界(観)に目から鱗 であったという好意的な感想が多い反面、「障害は障 害でありきちんと直視せよ」という「障害」を個人の 属性と捉える「医学モデル」の根強い存在も明らかに なる。しかし、本書にみる世界観とは対話型美術鑑賞 のソーシャルビューが示すように、相手との関係性の 中で意味が生まれる社会構成主義的な学習観が今必要 であり、障害の「社会モデル」を実践レベルで展開す べき時が来ているのではと考える7)。 この本に対して、視覚障害当事者の広瀬浩二郎は 「視覚障害者の『見方』を知る入門書」で「(2016年障 害者差別禁止法以降の)合理的配慮を創造・開拓する ための対話の書」と評価しながらも違和感を表明す
107 インクルーシブアート教育の理念と当事者性 る。「『私たち』(健常者)と『彼ら』(障害者)を無意識 に分ける発想が内包されている」8)という彼の言葉にあ る当事者の複雑な思いをわたしたちもまた複雑に受け とめる。広瀬は国立民族学博物館で日本宗教史、触文 化論の研究者であり、視覚障害を見えない人独自の文 化として捉え、その確立と普及のために自らを「触常 者」(触覚に依存して生活する人)とする理念を提案 し、その理念の実現のために「ユニバーサル・ミュー ジアム(誰もが楽しめる博物館)」を探求する。その 目的は障害理解ではなく、視覚優先主義社会を批判 し、インクルーシブ社会を見据えて、健常/障害、強 者/弱者などの二元論を越境する触常者と見常者の異 文化間コミュニケーションの可能性の提案である。 見えない世界から見える世界を想像することのおも しろさ。しかし、当事者にとっては自分たちがマイノ リティであることの再確認の強要に過ぎないのか。だ からといって立ち止まるとうことではなく、どうした らいいのかを考え続けるのであるが。 障害児や福祉教育・ボランティア学習の場では、 「当事者性」は当該問題を「自分ごと」として受容し 参加・同伴し、「新たな当事者」9)となって新しい連 携を広げられるかがその教育目的になると言われてい る。つまり、「ともに(生きる)」がキーワードになる のであるが、そのイメージ(形、範囲・深度)は多様 ということである。わたしたちは物事を頭だけで解決 しようとしまいがちである。実践の場では二項対立が 越境されることは頻繁に起こる。障害理解を異文化理 解と考えるとき、コミュニケーションの根本問題とし て「わかりあえないこと」(平田オリザ)10)をありの ままに受容し、葛藤が創造を生むための多文化共生の 形を探求するのである。人間としての共通性の基盤の 上で、困難を楽しみ、相手への想像力と共感によって 「ともに生きる」ことが、本当に見えるという世界を つくるはずだ。根本的な問題は「障害/健常」の二元 論の固定化で、そう思い込んでいる(自分たちが作っ てしまった)健常者中心の社会システムである。障害 史の中で「障害とは何か」の問題は「医学(個人)モ デル」と「社会モデル」11)として一見整理されたよう に見えるが、現実は理論上だけの了解である。つま り、問題を対抗的対峙的に捉えるのではなく、共感・ 共有しようとしてはじめて本当の問いが立ち現れるの である。 3.障害当事者/当事者性とアート アート(広義)が障害を巡る当事者と当事者性の問 題を越境・脱構築する可能性があることはよく知られ ている。「あたりまえからあるがまま」を理念に地域 でアート活動を仕掛ける重度知的障害者福祉施設の レッツ12)は最近浜松市中心市街地に「たけし文化セ ンター連尺町」(2018)を開設し、重度の知的障害者 のシェアハウスと一般ゲストハウスの融合施設という 斬新な取り組みを始めた。実際には重度知的障害をも つ息子の壮(たけし)さんの自立生活を専門介護員と それ以外の外部者とがゆるく協同し見える化する社会 実験といったものである。 「文化センターが壊す当事者“性”」と題する外部者 の報告には、本人の意志を読み取りにくい障害当事者 と介護者もしくは親の関係性を二元論に閉じ込めない で、外部(者)や社会に「拓く」ことでそこが演劇の ようになることが吐露される。「介助の仕事って閉じ られた環境だから……暴力を振るったりしても誰にも わからないですよね。……でも、外の人たちがいるか ら、私にも『見られてるって感覚』が生まれて自分を 抑えることができるんです。外に開かれて、色々な人 がいた方がいいんです。」その話から外部者は「介護 にも『観客』が要るのだ」と思ってハッとしたとい う13)。この仕掛けをつくったのは親である久保田翠で あり、彼女はいわゆるグループホームの理念「親亡き 後」に対して、過激に「親亡き後をぶっ壊せ」とい う。「支援者/当事者」ましてや「親/当事者」の場 合には重い葛藤や決意がある中で当事者と出来事を切 り離し、個人の問題である「当事者“性”」を社会に拓 くことで観客(批評者)を生みだし、表現の場を客観 化する仕組をつくるのは勇気が必要である。それはま さに表現を行為と捉える「出来事づくりとしてのアー ト」ではないか。「障害のある人は、他者や自己に対 してある種のままならなさを抱えた存在である」がゆ えに、周囲を「無際限でかつ豊かな社会関係の渦に巻 き込んでいく」14)のである。アートの持つ役割は、そ こに弱者の自分がいることが許される創造的なカオス の場をつくること、つまり固定されがちな意味を絶え ず更新していく力にあるではないのだろうか。意図的 な曖昧性は能動でもなく、受動でもない、いわば中動 態に意味があることを提示する。すなわち「見る/見
108 茂木一司 られる」のではなく、みんなが当事者性を引き受ける ときに自然と「見えている/くる」15)ものがあるとい うことだ。 同様な事例が「べてるの家」(1984~)16)にも強く 息づいている。周知のように、「べてるの家」は向谷 地生良が中心になって、北海道浦河町につくられた精 神障害者等の生活や活動の共同体であり、「当事者研 究」で知られている。当事者研究は幻聴や妄想などに 苦しむ精神障害者が抱える問題と当事者を切り離し、 「苦労(症状など)」を「自己病名」として名づけ、分 解・客観化=研究化し、当事者たちがみんなで表現し 相互コミュニケーションする場づくりによって対処法 を探求する創造的な活動である。当事者研究には重要 なキーワードがあって、「苦労を自分から引き離す」 「弱さの情報公開」「三度の飯よりミーティング」など とともに、最も重要な「自分自身で、共に」という キーワードがある。向谷地は精神障害を、病を治す医 学モデルではなく、患者の自己決定権の復権、グルー プ活動による患者同士の支え合いの有効性などを基盤 とした生活モデルとして捉え直すことで、医療やソー シャルワークという専門性から障害者自身に当事者性 を取りもどそうとした。自己表現とコミュニケーショ ンを基礎とする「べてる式」の活動全体もレッツと同 様、もはやアートとしかいいようがない。毎年開催さ れる「べてるまつり」は全国から大勢のファンが詰め かけ、さながらロックコンサートにようである。フィ ナーレは毎年選び抜かれた発表者が自分の「幻聴さ ん」を自慢?しあうバトルである「幻覚&妄想大会」 で、そこでは日常/非日常を超えてすべてが笑い飛ば されて幕が閉じる。この催しは1990年のグループミー ティングでメンバーの幻覚を聞いて、「これは自分た ちだけで聞いていたのではもったいない」ということ ではじまったそうである。向谷地は「孤独で、将来に 希望のないなかで聞く幻聴は、おしなべて「死ね」と か「馬鹿」とか、とにかく嫌なことを言ってくる。と ころが、不思議なことに仲間が増え、人とのコミュニ ケーションが豊かになると、幻聴にも愛嬌が出てきた りする」17)という。アートの持つ遊び性やユーモアは 重い問題でもうまくかわす術を持ち、物事を柔らかく する力を持っている。確かに「アートは社会に対して 新しい価値観を提示したり、既存の価値観をずらし つなぎかえたりする」(長津,2018)18)。それは、アー トがポジティブなだけでなく、「べてる」がこだわる 「弱さには弱さとしての価値がある」ことにも創造性 があることを示す。「強いこと、正しいことに支配さ れた価値のなかで『弱さ』の持つ可能性を用いた生き 方」つまり「弱さの文化」が多様性を拡張することが 実感できるのである。向谷地の「べてる式」は対抗的 で毒の効いたユーモアによって、アートと障害の関係 性を考える多くの観点を提供してくれる。 4.「ともに生きるレッスン」:多様性の時代に必要な インクルーシブアート/教育の役割について 美術教育をうまい絵を描かせることだという人はも ういないと思うが、アート/教育の本当の役割を理解 している人はまだまだ少ない。今まで述べてきたよう に、美術教育の本当の存在意義(レゾンデートル)と は「ともに生きるレッスン(練習)」にある。しかし 学校美術教育が縮小していくと同時に教育から自由が 失われ、相手との競争の教育は苦行となっていく。学 びの楽しさの復権のために、どうしても学びをアート にする必要があると考えた。「ワークショップ(参加 協同体験学習)」との出会いはそのような自分にとっ て必然的なものだった。ワークショップとは協働が 生みだすプロセスや関係性の中に意味を見いだす学 びで、その研究をする中でこれもまた必然的に出会っ た障害をもった子どもたちによって、多様性の真の意 味や固定化されがちな既成概念がアンラーニングされ た19)。これ以降障害を持った子どもたちとつくる学び の場はワークショップ研究の主要テーマとなり、そこ ではみんなが主役になれるフラットな場づくりを通し て、アート/教育の可能性が拓かれていった。障害の あるなしに関わらず、だれでもが権利として楽しく豊 かに学び、「自由な人間」として自立し、差別のない 小さくても豊かな共生コミュニティがその場その瞬間 につくられるのである。それこそがアート/教育の役 割と考える。 「インクルーシブアート教育」(造語)」とは、そん な差異や多様性を活かした想像的創造的かつ主体的な 学びができるアートを基礎にした学びのことをいう。 すなわち障害のある者とない者が共に学ぶ仕組みをつ くるインクルーシブアート教育システムとは、障害を 持つ子どものアートによる表現やコミュニケーション
109 インクルーシブアート教育の理念と当事者性 はむしろ普通教育の中でダイナミズムをつくり出す原 動力となり、硬直化した学校をはじめとする既存の教 育をアンラーン(学びほぐし)するのである。アート が知情意の調和(情=アートによって知と意が結ばれ る)をはかり、断片化した知を再統合することは、 人々が感情によって右往左往する現代のメディア社会 には必須の学習ではないか。こんな問題意識の中で、 インクルーシブアート教育とは、アートが人間の尊厳 を保つために必要な「自由」を保証し現代社会/教育 を見直す理念と実践となることの提案である。共生社 会を構築していく上で必要な、多様なものを「つな ぐ」機能をアートに託したのである。したがって、イ ンクルーシブ教育は障害者に限定されず、例えば経済 協力開発機構(OECD)が指摘する社会経済・文化的 な課題のある子どもたちなど、すべてのマイノリティ を包摂する教育のことをいう。 5.おわりに:視覚障害のためのインクルーシブ アート教育の課題 やや大きな「インクルーシブアート教育」の理念を 提示したが、ここでは抽象的な議論はやめて、より実 践的な問題解決を考えたいと思う。問題点を大きく切 り分けると、教科の専門性に関する、①情報収集と伝 達、②人材育成の2つに絞られる。 前者ではまず、日本の障害児(美術)教育を覆う 「技能主義・訓練主義」を乗り越える必要性である。 最近の特別支援教育(高等部)で実施されている就労 のための準備教育をもっと自由な表現学習に変え、い わば「生きる力」ともいうべき社会で生き抜いていく ための基礎的能力・態度を十分に味わい、学校でしか でき学びの喜びを十分に保証することである。 もうひとつは先生が決めたとおりに授業が進む、い わゆる「導かれた成功」の再考である。教育の基本は 先生が教えるのではなく、子どもが学ぶのである。 障害のあるなしにかかわらず、学びを学習者自らが つくる個と(主体的な学習)は学習の基本であり、 これがインクルーシブアート教育論の結論である。 ただし、スキルの習得に時間がかかる視覚障害児に は「待つということ」(鷲田清一)が大切である。そ の時教師の役割は未知との遭遇で起こる危険を避ける ためにただ先に歩くという役割である。インクルー シブ教育は「終わりのない探求」(ユネスコ)と定義 されるが、アート/教育もまた同様である。チゼッ ク(Franz Cizek,1865-1946)20)流の実験精神と創造 性教育が次代をつくっていくに違いない。わたしたち は教育によい方法があると考えがちであるが、方法論 は常に更新され続けなければ死んだものにすぎない。 つまり、教師がその都度眼前にいる子どもから感じ 学び取ってつくるものなのである。アートが大事なの は、すぐに答えがでないものやわからない見えないも のにも興味を持つ人間を育てることである。そういう 意味では視覚障害美術教育が与えるインパクトは大き なものがある。見えない人と見える人がいっしょにす る表現やコミュニケーションは未知の可能性しかない からだ。たとえば現代美術の教材開発では、アートが モノからコト(思考やコンセプト)へ変容することを 触る/触らないという二元論を越え、イメージと対話 の題材としてつくる挑戦を「マルセル・デュシャンの 『泉』(1917)を鑑賞する」題材から検討した(別稿で 示す)。美術教育をモノだけでなく、モノづくりとコ トづくりが往還できる題材として構築し、その更新を し続けなければ、今まで蓄積してきた視覚障害独自の 触る・聞くなどの教育を文化として残すことはできな いだろう。今必要なのは蓄積された情報の収集・アー カイブ化と検索システムの構築による独自文化として の価値づけである。 第2の人材育成はより大きなビジョンと決断が必要 である。今まで視覚障害文化の中に視覚美術は存在し ていなかった。まず盲学校美術教育においてアート/ 教育に興味をもつ人の育成基盤をつくる必要がある。 美術館等にひとりで来て、アートに親しむ視覚障害者 を育成するためにはアートが生活を豊かにする身近で 不可欠なものと実感する動機づけの学習が必要であ る。一美術教師には荷が重い課題であるが、逆に自由 な美術の教師だからできるのではないかとも思う。 最後に、Inclusion(包摂)はマイノリティであ る障害者を健常者の世界で保護することではない。 Exclusion(排除)への対抗と人間という共通基盤の 上にたつ安心安全な世界に中でそれぞれが自分の能力 を最大限に発揮できる多様性を保証しようとする考え 方である。自由を基礎とするアートをその学びのツー ルとして活かすことは、今後の共生社会構築の基盤づ くりにとても有効である。「(視覚障害のための)イン
110 茂木一司 クルーシブアート教育」をわたしたち美術教育関係者 が応援団として実践できることはもっとたくさんある はずだ。 謝辞 本研究は、科学研究費補助金基盤研究B「インクルーシブ アート教育論及び視覚障害等のためのメディア教材・カリキュ ラムの開発」(2020年度)の助成を受けています。 註 1)https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-18H01007/を参照。 2)高橋巌「シュタイナーの人間観と芸術観」『アントロポス』 Vo.2、1981、p.12. 3)Artpediaアートペディア/近現代美術の百科事典 ワシ リー・カンディンスキー 純粋抽象絵画の創立者(https:// www.artpedia.asia/wassily-kandinsky、2020.6.10) 4)今井重孝、訳者まえがき、R.シュタイナー『社会問題と しての教育』イザラ書房、2017、p.10. 5)茂木は2003年の「あさひdeアート」(フレンドシップ・体 験的科目「コミュニティ学習ワークショップ」、於群馬県 立あさひ特別支援学校)でのメディアアートワークショッ プの実践以来、同授業において、盲学校、聾学校や学外の 児童発達支援事業所等と連携して、造形以外にもダンスや 演劇、音楽などの幅広い芸術表現活動を障害児とともにつ くってきた。 6)伊藤亜沙、光文社、2015、pp.20~37. 7)https://www.amazon.co.jp/目の見えない人は世界をどう 見ているのか-光文社新書-伊藤-亜紗/dp/4334038549を参照 (2020.10.25) 8)広瀬浩二郎『触常者として生きる 琵琶を持たない琵琶節 の旅』伏流社、2020、p.47. 9)津田英二、障害の問題についても当事者性は多様な社会問 題への認識とどう関わるか、日本福祉教育・ボランティア 学習学会研究紀要15(0)、2010、p.15. 10)平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーショ ン能力とは何か』講談社、2012. 11)「医学(個人)モデル」は障害を個人に属するインペアメ ント(損傷)と捉えるが、「社会モデル」はインペアメン トを持つ人を排除する社会組織によって生み出されるディ スアビリティと捉える違いがある。前者は医療やリハビリ テーション専門職によって障害を克服したり援助すること であるが、後者は同じ現象を、社会によって作られた問題 とみなし、主として障害を持つ人の社会への完全な統合の 問題として見る。障害は、個人ではなく多くが社会環境に よって作り出されるものであり、人権問題=政治問題とし て扱う。障害の否定的な側面とそれによる社会的障壁の 解消、さらに障害独自の文化の確立をめざし、社会モデル への転換を試みたのが「障害学」である。障害学は、ゾ ラ(米)、オリバー(英)らによって発展してきたが、特 に英国の障害学は当事者が運動と研究を合体し、障害者自 立運動同様、対抗的な色彩を強く持っていた。現在これら を統合する「相互作用モデル(国際生活機能分類:IFC)」 (WHO、1980、2001改訂)が提案され、3つのレベルの障 害分類(機能障害impairment、能力障害disability、社会 的不利handicap:ICIDH)を身体と生活の2つの次元でマ イナスな障害Disabilityだけでなく、生活機能Functioning というプラス部分に注目した分類へと改訂が進んでいる。 12)NPO法人クリエイティブサポートレッツ(浜松市、久保田 翠代表)は、知的障害をもつ壮(たけし)君の誕生を機に 「障害者のあるがまま社会を変える力にする」ことを理念 に設立された(2000)。共生する社会の形成を目指す「た けし文化センター」と障害者の社会的な地位向上を目指す 「アルス・ノヴァ」(生活介護、就労継続支援B型等)の2 つの事業を中心にして、「やりたいことをひたすらやり続 ける」障害者の生きる力が既成概念を壊し、新しい気づき や文化をつくることをアートと捉え、地域でさまざまな アート実験を展開する。詳細はhttp://cslets.net/を参照。 13)小松理虔、小松理虔さん表現未満、の旅、http://cslets.net/ miman/archives/1320、Webマガジン、2020.2.3(2020. 10.25) 14)中谷和人「アールブリュット/アウトサイダーアート」を 越えて、『文化人類学』74/2、2009、p.232. 15)佐伯胖「遊ぶ、感じる、学ぶ」『美育文化ポケット』25、 2020、p.5. 16)べてるの家及び当事者研究については、多くの文献や Web情報がある。代表的な出版物として、『べてるの家 の「当事者研究」』(2005)、『技法以前―べてるの家のつく りかた』(2009)、『クレイジー・イン・ジャパン:べてる の家のエスノグラフィ』(2014)、『みんなの当事者研究』 (2017)など。べてるねっとhttps://bethel-net.jp/を参照。 17)浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』医学書院、 2002、p.101. 18)長津結一郎『舞台の上の障害者 境界から生まれる表現』 九州大学出版会、2018、p.iii. 19)「アンラーニングunlearn」とは、鶴見俊輔がハーヴァー ド大の学生だった時代にヘレン・ケラーに出会ったとき、 彼女から型どおりにセーターをあみ、ほどいて元の毛糸 にもどして自分の体に合わせて編みなおすということか ら「学びほぐす」を教示されたというエピソードから生ま れた言葉といわれている(佐伯胖他編『ワークショップと 学び1』東京大学出版会、2012、p.64).インクルーシブ アート教育とワークショップの関係については、茂木一司 (2016)インクルーシブアート教育システム構築のための 覚え書き、群馬大学教育実践研究、33号、pp.33~46、茂 木一司(2017)インクルーシブアート教育システム構築の
111 インクルーシブアート教育の理念と当事者性 ための覚え書き 第2報、群馬大学教育実践研究、34号、 pp.53~61、茂木一司(2018)共生社会をめざす教育の中で 美術教育はどうしたらいいのか?―インクルーシブアート教 育という提案―、教育美術、No.911、pp.14~19などを参照。 20)フランツ・チゼック(Franz Cizek,1865-1946)は創造主 義美術教育のパイオニアとして知られる。オーストリア・ ウィーンで世界に先駆けて、子ども独自の創造的表現を発 見し、ウィーンアカデミーの中に児童美術教室を開設し、 そこでつくられた児童美術作品はロンドンなどで高い評価 を得て、世界的な名声を獲得した。チゼックの教育理念は バウハウスの基礎造形教育を担当したイッテン(Johannes Itten,1888-1967)らその後の多くの美術教育者に影響を 与えた。(ヨハネス・イッテン、手塚又四郎訳『造形教育 の基礎』美術出版社、1970.) (もぎ かずじ)