「本物を見た!」
―「真正性」と「観光のまなざし」の間の海外体験学習 ―
鈴木 鉄忠
キーワード 真正性 観光のまなざし 海外フィールドワーク アクティブラーニング アクターネッ トワーク理論(ANT) 要旨 本稿の目的は、海外フィールドの体験学習を通して、学習者自らが自己変容のきっかけを つかんでいくような学外アクティブ・ラーニングのあり方を検討することである。まず本 稿の主題を観光研究における「真正性」をめぐる 4 つの立場に位置づけ、「観光のまなざし」 とアクターネットワーク理論(ANT)の「実在性」をめぐる論点を吟味する。次に 2019 年 度開講の「海外フィールドワーク・イタリア」を事例にとりあげ、前期授業において「先 入見の意識化」と「壊すための仮説づくり」の作業から、学生自身が「観光のまなざし」 とステレオタイプを相対化するような機会を設けたことを論じる。そして夏期のイタリア 調査を概観しながら、「本物を見た」という体験の重要性を指摘する。さらに、フィールド の「真正性」と学生の「観光のまなざし」の相互作用のプロセスを、学生の記したフィー ルドノートから検討する。それによって、現場の人間や事物を含めた異種混淆な要素との 出会いが、学生のモノの見方の組み直しを引き起こしたことを明らかにする。 「旅に出て、少しも心を改めることのない人があった」という話にソクラテスはこう答え た。「ありそうなことだ。その人は、自分を携えたまま旅をしたのだ」 モンテーニュ 『エセー第 1 巻』第 39 章「孤独について」1) はじめに―「自分を携えたままの旅」から「他者と出会う旅」へ 「自分を携えたまま旅する」というソクラテスの指摘が、今ほど当てはまる時代はない かもしれない。パスポートとクレジットカードとスマートフォンさえあれば、世界のほぼ どこへでも行けるようになった。しかしながら、もしメディアや旅行代理店の大量生産す る均質化された観光イメージを消費するだけならば、観光客は自らのステレオタイプを少 しも変えることのない「自分を携えたままの旅」をすることになる。これが娯楽目的の個 人旅行なら問題はないが、海外フィールドでの体験学習となれば話は別である。近年の高等教育では、「主体的な学び」や「探究」の機会として学外アクティブ・ラーニ ングに注目が集まっている2)。ただし、学外のフィールドに出たからといって、それが能動 的学習へと自動的に変わるわけではない。「解るということはそれによって自分が変わると いうこと」(阿部 1988: 17)とかつて上原専禄が語ったように、深い学びを通して生じる何 らかの自己変容が「主体的な学び」には不可欠である。それゆえ、「自分を携えたままの旅」 ではなく、いかにして「自分が変わっていく旅」「他者と出会う旅」になりうるのか、その 条件を検討する必要がある。 本稿の目的は、「本物」に触れることを主眼とした海外体験学習のプロセスを詳しく記述 しながら、学習者自身が自己変容のきっかけをつかんでいくような学外アクティブ・ラー ニングはいかにして可能か、を検討することである。事例に取り上げるのは、2019 年度に 筆者の担当した通年科目「海外フィールドワーク・イタリア」である。本科目は海外の調 査現場に学生を引率する課外実習であり、異国のフィールドの人々や事物を体験しながら、 「旅する力と取材力」を身に付けることを目標とする。筆者は、この科目が各学生にとっ ての「自分が変わっていく旅」になることを、授業の達成目標に位置付けた。後に述べる ように、その最大のきっかけが「本物を見た!」という体験である。 第 1 章では、観光研究の「真正性(authenticity)」の議論を整理し、なかでも「観光のま なざし」(Urry 2005=2014)をめぐる社会構築主義とアクターネットワーク理論(Latour 2005=2018;Actor-network-theory、以下では ANT と表記)の議論を検討する。第 2 章では、 「海外フィールドワーク・イタリア」の科目内容を概観した上で、特に 2019 年度前期授業 では、学生にとってイタリア来訪が「自分が変わっていく旅」になるように、「先入見の意 識化」と「壊すための仮説づくり」を重視したことを論じる。第 3 章では、2019 年 9 月の イタリア調査の概要を示し、「本物を見た!」という体験の重要性を指摘する。第 4 章では、 「観光のまなざし」の議論に関連付けながら、学生自身のモノの見方が何を通して変化し たのかを、学生のフィールドノートから検討する。最後に、現場の特定の人間や事物(と りわけ非視覚的な感覚)を含めた異種混淆な要素との出会いが、学生の認識の組み直しを 引き起こしたことを明らかにする。 1 「真正性」をめぐる 4 つの立場 観光研究では「真正性」をめぐって様々な議論がなされてきた(Urry 2005=2014; 12-21; 須藤・遠藤 2018: 48-55;橋本 2018: 18-38)。議論の系譜をあえて単純化すれば、少なくとも 4 つの立場に整理できよう。すなわち、実証主義的立場、ポストモダニズム的立場、社会構 築主義的立場、ANT の構築主義的立場である。なかでも筆者は社会構築主義と ANT の立場 を重視する。ただし、それ以外も重要な論点を提起しているので、以下で要点を確認して おきたい。 実証主義の主たる問いは、「ツーリストは真正性を体験できるのか」であった。この議論 の要点は、D.ブーアスティンと D.マキャーネルの主張の対立にみることができる。ブーア
スティンの回答は、ツーリストは真正性を体験できないし、そうしようとも望んでいない というものである。なぜなら大衆化した観光客(tourist)は、かつての旅人(traveler)のよ うに旅の苦労や危険を経験してまで未知なるものを探求しようとせず、単にマスメディア やガイドブックの大量生産するイメージを観光地で確認するだけで満足し、本物を模倣し た「擬似イベント」で事足りるからだ(Boorstin 1962=1964: 17)。そこで観光客は、観光対 象を自分の目で見てから理解するのではなく、すでにメディアが定義したものを確認して いるにすぎないことになる(Boorstin 1962=1964: 119)。それに対してマキャーネルは、ツー リストは本物志向をもっており、真正性の体験を求めていると主張した。むしろ観光客の 本物志向を妨げるのは、「舞台化された本物らしさ」をお膳立てするホスト側の演出に由来 すると考えた(須藤・遠藤 2018: 49-50)。 この論争で重要なのは、「真正性」の客観的な存在が前提とされていることである。それ によって本物/偽物、オリジナル/コピー、リアル/擬似といった二元論(あるいはそれ らの交錯状態)が成立する。観光地には、ツーリストの存在とは無関係に「本物」「オリジ ナル」「リアル」が客観的に存在しており、それをめぐって、ホストとゲストの社会関係が 分析されるのである。 他方で、参照すべき真正性など存在しないとするのが、第 2 のポストモダニズムである。 J.ボードリヤールと U.エーコを代表とする議論であり、「シュミラークル」「ハイパーリアリ ティ」「ファンタジー」といったコンセプトを用いながら、典型例であるディズニーワール ドを分析している(須藤・遠藤 2018: 51-52)。 実証主義およびポストモダニズムは、真正性の存在あるいは不在を前提とする。だがそ うした所与の二元論の乗り越えようとするのが、第 3 の社会構築主義的立場である。代表 的論者の一人である E.M.ブルナーは、「ツーリストを含めたアクターは、真正性なるものを いかにつくりあげるのか」という問いを立てた。ここでは観光地のなかに唯一の「本物」「オ リジナル」「リアル」が客観的に存在するのかどうかという考え方自体が、拒否される (Bruner2005=2007: 4)。ブルナーは、米国のリンカーン元大統領にゆかりのある歴史的名所 の調査を通して、ホストやゲストが「真正性」をどのように語り、それにどう意味付けす る の か に 注 目 し た 。 そ こ か ら 「 真 正 性 」 の 意 味 と し て 、 信 頼 に 値 す る 本 物 ら し さ (verisimilitude)、原物に限りなく近い真実さ(genuineness)、複製の参照物となるオリジナ リティ(originality)、公的に認可を得たオーソリティ(authority)の 4 つを析出した(Bruner 2005=2007: 222-226)。 社会構築主義の立場は、観光地というより、ツーリストの能動的な構築能力を強調する。 その点をさらに独創的に推し進めたのが J.アーリである。アーリの提示する「観光のまなざ し」は、後に述べる学生たちの「本物を見た!」の理解に重要な概念のため、やや詳しく 説明しておきたい。 ここでまなざしとは、世界を「純粋無垢な目」で見ることでも「目に世界を映すこと」 でもない。むしろそれは「観念、能力、願望、期待などの特定のフィルターを通して」見
ることである。そのフィルターは社会的起源をもち、「社会階層とか性差とか国民性とか年 齢とか教養などでそれは定まっていく」ものであり、「世界を整序し、形づくり、分類する 行為」である(Urry 2005=2014 : 2-3)。アーリは「観光のまなざし」(観光者が非日常世界の 事物をまなざす行為)が、様々な社会や時代や集団の中でどのように変容していくのかを 究明しようとした。 この議論が興味深いのは、視覚の重要性に気づかせてくれることである。英語で観光を 「sightseeing」というように、観光行為には特定の対象を注視するという営みが際立つ。旅 行者は自身の日常生活からかけはなれた人やモノに特別なまなざしを向け、そこに観光特 有の「愉しみ」を見出す。例えばサンマルコ寺院といった壮大なもの、運河と橋とゴンド ラいった「ヴェネツィアらしさ」を表す独自の記号体系、博物館や美術館の珍しい展示物 などをみてワクワクしたりドキドキしたりしながら、格別な悦びを覚える。まなざしは、 そうした悦びや愉しみを与えてくれた非日常世界の「他者」(人でも事物でもある)を歓迎 し、自己のなかに整理整頓して取り込むのである(Urry 2005=2014: 21)。 なお、観光における視覚の重要性は、写真技術を代表とした視覚メディアに支えられて いる。アーリは観光のまなざしのはじまりを 1840 年頃としており、当時生まれた団体旅行 や旅への願望と並んで、写真現像術の出現にその根拠を求める。カメラ、テレビ、ビデオ、 携帯電話を通して写し取られた視覚的な静止画や動画は、現在でもなお観光の必需品であ る。「視覚的に対象化され把握されていく」ことによって、「まなざしは、時を越え空間を 超えて、はてしなく再生産し再把握をくりかえしていく」(Urry 2005=2014: 7-8)。そして視 覚化された特定の観光イメージを旅先で見たとき、パリでキスをしているカップルは「永 遠のロマンティックなパリ」となり、ローマのスペイン階段に座ってジェラートを食べれ ば「ローマの休日」になる。 こうした「観光のまなざし」の再生産は、かつてより強化されているといえるだろう。 とりわけ「インスタ映え」を好む若者のコミュニケーションは、観光における視覚体験が 支配的地位を占めることの現れである。携帯電話の操作一つで、視覚化された旅の愉しみ を瞬時にデータ送信し、次から次へと別の対象に好奇のまなざしを向けることができる。 そうして観光のまなざしは、デジタル空間で四方八方に拡散し、それが旅行体験を予め規 定し、再生産されていくのである。 ところで、アーリは「真正性」をめぐる論点をそれほど重要視していない。「むしろ、カ ギとなる点は、ふだんの住居・仕事の場と、観光のまなざしの対象との差異」だという(Urry 2005=2014: 20)。ツーリストは非日常の愉しみを求めて観光地に向かう。普段の生活では体 験できない魅惑的な何かとの対比関係のなかで、真正性にむけられる観光のまなざしが対 象化されるというのである。 ブルナーやアーリといった社会構築主義の立場は、真正性の客観的存在(そして不在) をあえて問うことをしない。それに代わって、ツーリストによる真正性の象徴的な構築プ ロセスを強調する。「観光のまなざし」は、ツーリストのものの見方が主導権をもちながら
観光地を視覚中心に構築するプロセスを分析するのに長けた重要概念である。 だがそれによって、次のような点を見過ごすことにならないだろうか。すなわち、「見ら れる側」とされた観光地の人間やモノが「見る側」の構築過程にどのような影響を与えて いるのか、という問いである。もう一つは、観光客のまなざしが構築した「真正性」は何 でできているのか、という疑問である。もしツーリストの言語や表象の世界でのみ「本物」 が存在するならば、それは観光客の数だけ存在し、きわめて主観的で人為的な構築物のよ うに見える。そこでは、「見られる側」の観光対象とどれほど対応関係をもつものなのか(あ るいはまったく関係をもたないのか)、そうした問いに答えることは難しくなるのではない だろうか。 そうした課題に応えるのが、第 4 の ANT 的な構築主義である。ANT は、科学や技術の社 会学的研究を出発点としながら、「複雑なものを複雑なまま理解する 3)」ための有力な研究 方法を彫琢してきた。ANT には様々な立場や論者が存在するが、ここではブリュノ・ラト ゥールの ANT に限定して論じる(Latour 2005=2019)。 社会構築主義と同じく、ラトゥールも「構築」という用語を使用する。ただし、その意 味内容はまったく異なる。 技術、工学、建築、芸術などあらゆるところで、構築されたものは、実在するものの 同義語、、、である。そして、構築をめぐる問題は、すぐさま本当に興味を引く問題――つ まり、上手く、、、構築されたのか、下手に、、、構築されたのかという問題――に変わるのであ る。(Latour 2005=2019: 167、傍点原文) ラトゥールにとって「構築」とは、「実在するものの同義語、、、」である。それゆえ実在し ないものでは当然ないことになる。問題となるのは、その構築物が存在するか否かではな く、どのように実在しているか、である。この問いは、社会構築主義と同じ類のものに見 える。しかしながら、社会構築主義の立場は、「実在」とは無関係に「構築」を使用する。 そのことがラトゥールの「構築」との意味の混同をもたらす。そのためラトゥールは、ANT 的な「構築主義」を「社会構築主義」と明確に区別している。 「構築主義」を「社 会ソーシャル構築主義」と混同してはならない。私たちが「ある事実が構築 される」と言うときには、さまざまな事物を動員することで、堅固で客観的な実在性リ ア リ テ ィが 報告されることを示しているにすぎない。そして、そうした事物の組み合わせはいつ もうまくいくわけではない。他方で、「社会構築主義」は、この実在性を構成している ものを何らかの他の素材、、、、、つまり、社会的なものに置き換える、、、、、ことを意味している。〔中 略〕どんな構築が行われるにしても、非人間の存在が大きな役割を果たす必要があり、 このことこそ、私たちが当初から、社会的構築という他愛のない語で言いたかったこ となのである。(Latour 2005=2019: 171-172、傍点原文)
ツーリストが「本物を見た!」として何かを構築するとき、ラトゥールの立場によれば、 それは「さまざまな事物を動員することで、堅固で客観的な実在性リ ア リ テ ィが報告されることを示 している」ということである。そして「そうした事物の組み合わせはいつもうまくいくわ けではない」ということは、ある観光客のいう「本物」は、「上手く構築されている」か もしれないし、ある人のものは、「擬似イベント」や紋切り型の「観光のまなざし」を追 認するだけで「下手に構築されている」かもしれない。ANT の問いは、「ある観光対象を ツーリストに『本物』だと感じさせる人やモノの連関(アクターネットワーク)とはどの ようなものか」だといえる。この問いでは、ツーリストだけでなく、観光地の人間や事物 も「中間項」ではなく「媒介子」として、「本物」の構築作業に一役を担うことになる 4)。 なかでもアクターは人間だけでなく、「非人間の存在が大きな役割を果たす」という着眼 点が、社会構築主義にはみられない ANT の独創的な主張である。 以上の真正性をめぐる 4 つの立場、問い、前提、キーワードを整理すると表―1になる。 認識論的立場 「真正性」をめぐる問い 真正性に関 する前提 主なキーワード 実証主義 観光客は真正性を体験できるのか 存在 疑似イベント 舞台化された本物らしさ ポ ス ト モ ダ ン 主義 本物/複製の区別を消失させるイ メージや表象とはいかなるものか 不在 シュミラークル ハイパーリアリティ ファンタジー 社会構築主義 いかにして観光客は言語や視覚を 通して真正性をつくりあげるのか 不問 真正性の 4 つの意味 観光のまなざし ANT 的構築主 義 観光対象を観光客に本物だと感じ させる人やモノの連関とはどのよ うなものか 実在 人間と非人間のアクター ネットワーク 表-1 「真正性」をめぐる 4 つのアプローチ これまでの議論を要約しよう。実証主義とポストモダニズムは、真正性の客観的存在を 前提とするか否かで立場が分かれた。社会構築主義は、真正性の存在/不在を棚上げした 上で、人々がどのように真正性を語り、意味付けをしながら象徴的に構築するのかに注意 を向けた。ANT 的構築主義は、さまざまな人々と事物が組み合わさることで真実性が「実 在する」と考え、それがどのような人間と非人間の組み合わせのなかで実在するのかを問 うた。各立場は、真正性の存在(実証主義)、真正性の不在(ポストモダニズム)、真正 性の不問(社会構築主義)、真正性の異種混交的な実在性(ANT 的構築主義)をめぐる議 論を展開してきたといえる。後の事例分析で論じるように、本稿は社会構築主義を批判的 に検討しながら、ANT 的構築主義に近い立場をとる。
以上で論じた「真正性」をめぐる論点を念頭に置きながら、次では海外フィールドワー ク・イタリアの授業を事例として、「本物」をめぐる学生体験と教育環境のあり方を検討 していく。 2 海外フィールドワークの「舞台裏」―2019 年度イタリアの場合 2-1 海外フィールドワークとはどのような科目か 「海外フィールドワーク」は、本学の国際コースで 2005 年から始まった課外実習科目で ある。通年科目として設置され、本コース専任教員が、自身の海外調査地や出身国を実習 のフィールドに選定する。これまでに実施されたフィールドワークは、韓国、インドネシ ア、ベトナム、台湾、フィリピン、ハワイ、イタリア、2020 年度からはマレーシアが加わ る。国際コースおよび他コースの学生からなる 10 名余りの学生が、担当の教員とともに、 夏に海外のフィールドを訪れる。現地での経験と知見を実り豊かにするために、前期は渡 航準備や事前学習を行い、後期は現地調査を踏まえたポスター報告と報告書作成を行う。 海外フィールドワークの運営は、国際コースの専任教員が担う。コースの教員とグロー バル事務局のスタッフと連携しながら、授業の運営や現地との連絡調整を行う。海外への 学生引率は、基本的に担当教員 1 名で行われる。これまでの滞在国・地域と参加人数をま とめたものが表-2 である。 年度 イ ン ド ネシア (新井) 2007 年 開講 ベ ト ナ ム (御手洗) 2005 年 開講 韓国 (呉) 2005 年 開講 台湾 (張) 2015 年 開講 フ ィ リ ピン (西舘) 2016 年 開講 ハワイ (謝) 2017 年 開講 イ タ リ ア (鈴木) 2019 年 開講 合計 2005 6 名 3 名 9 名 2006 ― 7 名 7 名 2007 7 名 6 名 8 名 21 名 2008 5 名 6 名 5 名 15 名 2009 10 名 閉講 6 名 16 名 2010 11 名 5 名 16 名 2011 10 名 6 名 16 名 2012 10 名 ― 10 名 2013 11 名 9 名 20 名
2014 10 名 5 名 15 名 2015 10 名 9 名 10 名 29 名 2016 閉講 5 名 3 名 7 名 15 名 2017 ― 13 名 11 名 11 名 35 名 2018 11 名 6 名 ― 13 名 30 名 2019 ― ― 11 名 12 名 10 名 33 名 合計 84 名 17 名 79 名 32 名 29 名 36 名 10 名 287 名 表-2 海外フィールドワークの行き先と履修者数。2020 年度からマレーシアが開講。 過去 15 年間で延べ 7 か国を訪れ、287 名の学生が海外に渡った。最近 5 年間では毎年お よそ 30 名の学生が海外フィールドワークに参加している。なお本学には他にも海外渡航プ ログラムが存在する。海外で学ぶという大きな目的は共通だが、海外フィールドワークの 授業にはいくつかの特徴がある。例えば、参加人数は、10 名が目安に設定されている。訪 問国の大学や語学教育機関などとの協定はなく、基本的に全日程・全行程を教員 1 名で引 率する。学生のケアと現地関係者との調整を担うのは、引率教員 1 名あたり学生約 10 名が 経験的に限度になる。また履修対象は、国際コースに所属の学生が優先となる。ただし、 定員数の範囲に収まるときや担当教員の裁量で、他コースの学生も毎年参加している。 2-2 2019 年度の前期授業―「先入見の意識化」と「壊すための仮説づくり」 2019 年度の海外フィールドワーク・イタリアは、次のような内容で前期 15 回の授業を行 った(表-3)。まずは受講生の関係づくりとイタリアへの興味関心を掘り起こすことから 始めた(第 1~3 回)。そしてフィールドワークの基本的な方法、観察法とインタビュー法 の基本を学び、フィールドノートの作成を、3 つの海外フィールドワークとの合同授業で行 った(第 4~7 回)。次にイタリアに関する基礎知識を吸収しながら、調査したいテーマを 徐々に絞り込んでいった。課題文献や映像資料を用いた 3~4 人 1 組のグループワークで学 習した(第 8~11 回)。最後にイタリアで各自が行う調査研究計画を策定する作業に移り、 先輩の助言やグループワークの議論、担当教員のコメントをうけて調査の仮説を立てた(第 12〜15 回)。履修生は、2 週に 1 度のペースで 800 字程度の課題小レポートを作成した。
回 授業内容 授業外課題 事務手続き等 1 シラバス授業 志望理由書の提出 教員:定員超過のため選抜 2 ① 自 己 紹 介 、 ② 進 捗 確 認、③三役の選出 次 週 の ス ピ ー チ 課 題の準備 教員・学生:パスポートのコピー提出 or 新規申請 3 ①「イタリアと私と〇〇」5 分スピーチ ②進捗確認 イタリア映画鑑賞の 小レポートを提出 教員:旅行代理店と航空券・ホテル手配 の調整。現地の協力者との連絡調整 4 ①健康ガイダンス ②フィ ールドワークとは? *合同授業 学生:海外研修プログラム申込書提出 学生:旅行代理店に申込金の振り込み 5 フィールドワークと観察法 とは?(合同授業) 学内課題のフィール ドノート提出 学生:健康アンケート提出 教員:現地の協力者との連絡調整 6 フィールドノートとは? *合同授業 教員:現地の協力者との連絡調整 7 インタビューとは?(レク チャーと VTR と議論) 教員:現地の協力者との連絡調整 8 イ タ リ ア 探 究 (1) 日 伊 比 較、旅準備の連絡相談 イタリア課題文献の 小レポート 学生:文化祭展示に際する説明会参加 9 イ タ リ ア 探 究 (2) 日 伊 比 較、旅準備の連絡相談 教員:現地の協力者との連絡調整 10 イ タ リ ア 探 究 (3) ベ ネ チ ア、旅準備の報告連絡相 談 ベ ネ チ ア 課 題 文 献 の小レポート 教員:現地の協力者との連絡調整 11 イ タ リ ア 探 究 (4) ト リ エ ス テ、旅準備の連絡相談 トリエステ課題文献 の小レポート 危機管理セミナー及び海外旅行保険説 明会 12 調査計画(1)調査テーマ 選定、旅準備の連絡相談 先輩の報告書の小 レポート 教員:トリエステ交流会の連絡調整 13 調査計画(2)先輩を迎え て、旅準備の連絡相談 調査計画書の策定 学生:海外研修誓約書提出 学生:海外保険料の振り込み 14 調 査計 画 (3)、旅準備の 連絡相談 調査計画書の策定 教員:ベネチア大学交流会との連絡調整 15 調査計画書の提出 まとめ 調査計画書の提出 学生:旅行代金の全額振込み 学生:文化祭展示参加の書類提出 12:40~14:10 出発直前 の研修会(全員参加) 調査計画書の再提 出 教員:旅行代理店より最終書類の落手と 学生への配布;海外出張書類提出。学 生:しおり作成、お土産準備、PC 借出等 表-3 2019 年度 海外フィールドワーク・イタリアの前期授業
前期授業の「隠れたテーマ」と筆者が意識したのが、学生に対して、「自分を携えたまま の旅」ではない「自分が変わっていく旅」であり、「(自分とは別の、また自分の内なる) 他者と出会う旅」へ転換するきっかけをいかにつくるかであった。そこで 2 つのことを意 識的に実施した。すなわち「先入見の意識化」と「壊すための仮説づくり」である。 「先入見の意識化」は、ある対象(イタリア)に対して非意識的に抱いているイメージ をあえて明示化することによって、それを自覚していくプロセスのことをいう。アーリが 「観光のまなざし」で論じたように、私たちは、社会的世界を純粋無垢に見ているのでは なく、ある特定のフィルターを通して解釈している。それゆえまずはどのような「色メガ ネ」をかけてイタリア(人)を見ているのかを知っておく必要がある。 第 2 回の授業では、学生の自己紹介のなかで「イタリア(人)のイメージ」を答えても らった。イタリアに関しては、「街並みがオシャレ」「建物が美しい」というように、街並 みや景観に関する肯定的なイメージが挙げられた。イタリア人のイメージについて、「ダン ディ」「イケメン、派手なシャツ」「ノリがいい」「ブランド物をもっている」「愛情表現が 豊か」「料理がおいしい」「アクティブに活動する」「熱しやすく冷めやすい」「ロマンチス トでマザコン」「情熱的」などの多くの声があがった。おおむね日本人の若者が抱くイタリ ア(人)の平均的なイメージと合致するだろう。これらのなかには肯定的なものもあれば、 ステレオタイプなものも含まれている。 こうして出てきた先入見を分類すれば、2 つに分けることができるだろう。まずは「憧れ」 である。これは主にイタリアの景観や文化財にむけられた好意的な心象である。もう一つ は「違和感」である。イタリア人の人間関係、濃厚な対人コミュニケーション、物の考え 方に対する「理解のできなさ」に由来したものである。 「憧れ」と「違和感」のさらなる意識化のために、文献を用いた学習を行った。『教養の イタリア近現代史』(土肥・山手 2017)の日伊交流に関する歴史、『違和感のイタリア』(八木 2008)と『イタリア文化事典』(日伊協会 2011)から日伊の日常的な思考様式の相違に関す る箇所を読んで議論をした。日伊交流の歴史を知ることで、「日本とイタリアは遠いと思っ たけど、意外と関係があった」「蚕を介した接点がイタリアと群馬にあった」「明治以降は ギブアンドテイクの関係で、お互いに足りないところを補いあう間柄だった」「少子高齢化 など深刻な社会課題も共通」といったコメントが挙がった。「遠い憧れ」の対象だったイタ リアに対して、共通のつながりや接点を感じていくことになった。他方で「違和感」はさ らに深まった。「仲間とつるむ」「ノリがいい」「チャラい」「脱法がよくある?」「自己表現 が求められる教育面は日本と全然違う」「何でも簡潔にしたがる日本人に対して、なんでも 長くしたがるイタリア人」といった感想が出た。 「先入見の意識化」から「言語化」へ向かうために行ったのが「壊すための仮説づくり」 である。ここでの仮説とは、フィールドワークで検証するための堅固な仮説ではない。む しろカルチャーショックを含むフィールドの体験を通して、「壊して」(あるいは「壊され て」)しまうような「仮置きの説明」であることを強調した。「覆される仮説」をフィール
ドワーク前に設定するからこそ、フィールドワークの後に従来のイメージや理解がどのよ うに壊れたのかがかえって明確になる。 この点で大いに参考にしたのが先輩にあたる学生の経験だ。なかでも 2017 年度にフィリ ピンへの海外フィールドワークに参加した国際コース 4 年の久保田紗英さんにゲストスピ ーカーをお願いした。久保田さんは旅の体験と知見を報告書にまとめており、とりわけ「フ ィールドワークに行く前」と「行った後」のリフレクションに深みと魅力があった(久保 田 2017)。彼女は「フィリピンの貧困の原因」についての調査仮説を設定した。しかし現地 でのフィールドワークとインタビューを通して、いかに「貧困の連鎖」に複雑な要因が絡 まりあっているのかを体感し、用意した仮説があまりにも単純だったことに自ら気が付い た。そこから最終報告書では、事前の仮説を組み直し、「一要素を解決したところで『貧困 の連鎖』は断ち切れるものではな」く、実際には「一人一人の状況や抱えている問題に即 して要素間の連関と解決策を探る」という結論を導いた(久保田 2017)。 第 13 回の授業では、事前に久保田さんの仮説と報告書を読んだ上で、彼女自身の体験と リフレクションを発表してもらった。学生からは次のようなコメントが出た。「久保田さん は『フィリピンの貧困の連鎖』を調査対象にしていたが、そのもの自体を調べに行ってい るのではなく、事前にしっかり調べ自分の知りたいことをしっかり理解していると感じた」 「なんで自分はそれを調査したいのかをしっかり考える必要があると思った。それができ ないとわざわざ現地に行く意味がなくなってしまうのだと感じた」「調査前と調査後の変化 がわかりやすく図でまとめられていた」。教員の説明ではなく、先輩の体験談を通して、学 生はフィールドワークでなければ学べないことは何か、を熟考するよい機会を得た。 こうした作業を経て、前期末には調査テーマとその仮説の提示を課題とした。次のよう な調査テーマがあがった。列挙すると、「イタリアの国民性」「歴史的建築物の保存」「ヴ ェネツィアとトリエステの海の果たす役割」「観光化の成否を分けるもの」「精神病院廃 止と改革後の地域の取り組み」「イタリアの衣食住」「トリエステの魅力」「ヴェネツィ アとトリエステの多言語・多文化」「ヴェネツィアとトリエステの日常交通手段」「イタ リア家族の母・息子関係」である。 2019 年 8 月末、渡航 1 週間前に履修生 10 名全員が参加して直前研修を実施した。航空チ ケットや最終書類を手渡し、渡航前の重要事項について対面的な集まりで連絡と確認をし た。その際に筆者が強調したのが、詳細なフィールドノートをつけることだった。本授業 では学生全員にポケット・サイズのメモ帳が配布されるが、それにイタリアでの旅の様子 と自身の体験を詳細にメモするように伝えた。さらにイタリアの海外フィールドワークで は、フィールドメモ帳を基にした清書版フィールドノートの提出を帰国後に全員に課した。 以上の「舞台裏」の準備の下に、2019 年 9 月 2 日に 10 名の学生と筆者はイタリアへ向かっ た。
表-4 2019 年度 海外フィールドワーク・イタリアの旅程と概要 旅程 訪問地・内容 摘 要 9/2(月) 移動日 成田空港第 1 ターミナル 10: 30 集合 AZ785 便 成田 13:15→ロ ーマ 19:00 AZ1483 便 ローマ 20:50→ ヴェネツィア 21:55 成田空港 ローマ・フィウミチーノ国際空 港 ヴェネツィア・マルコポーロ空 港 Mercanti di Venezia 泊 出発前ミーティング ①全員が安全・無事に帰国すること ②フィールドノートの記録 ③自己主張をすること 9/3(火) ヴェネツィア本島のフィール ドワーク(1) ・9:00 ホテル発、共通プログ ラム 本島散策 ・午後 インタビュー 個人 調査 ホテル→リアルト橋、市場→ サンマルコ広場→鐘楼→ドゥ カーレ宮殿 Mercanti di Venezia 泊 ・ヴェネツィアをあるく・みる・きく ・現地サポーター小山寿美子さん(ヴェネツィ ア在住日本人・旅行代理店勤務)へのインタビ ュー ・各自の個人調査 9/4(水) ヴェネツィア本島・離島のフ ィールドワーク(2) 9AM〜6PM 個人調査 ホテル→本島・離島→カーロ リ教授と夕食 Mercanti di Venezia 泊 ・各自の調査計画書による調査 ・ヴェネツィア大学ローザ・カーロリ教授表敬訪 問 9/5(木) ・ヴェネツィア大学学生との 交流会「イタリアの不思議、 日本の不思議」 ・トリエステへの移動 ヴェネツィア大学交流会 ヴェネツィア→トリエステ鉄 道移動 NHTrieste 泊 ・ヴェネツィア大学交流会とプレゼンテーション 吉田桃子講師・ヴェネツィア大学学生 4 名の参 加協力 ・トリエステへの移動、中心市街地散策 現地 サポーター今井陽子さん(トリエステ在住・イタ リア文化語学学校勤務) 9/6(金) ・トリエステのフィールドワー ク ・プレゼン準備 ホテル→新市街地区→サン ジュスト教会→サンジュスト 城→中心市街地 NHTrieste 泊 ・午前 トリエステ市民へのインタビュー ・午後 各自の調査計画書による調査・フィー ルドワーク ・夕方 原田光嗣さんとの打合せ ・夜 ヴェルディ劇場でコンサート鑑賞 9/7(土) ・クロアチア・ロヴィーニのフ ィールドワーク トリエステ→ロヴィーニへの フェリー日帰り NHTrieste 泊 ・午前 ロヴィーニ着、旧市街地フィールドワー ク 海路での国境越え ・夕方 トリエステ着 9/8(日) ・「トリエステの不思議」発表 ・イタリア・スロベニア国境 地域の一般家庭訪問 トリエステ東洋博物館 イタリア・スロベニア国境地 域の村落セザーナ NHTrieste 泊 ・午前 トリエステ日伊文化芸術振興会主催、 トリエステ市後援イベント参加と発表 ・午後 スロベニア在住一般民家での交流 陸 路での国境越え 9/9(月)移動日 AZ1358 便 トリエステ 11: 10→ローマ 12:15 AZ784 便 ローマ 15:15 ホテル→トリエステ駅→トリ エステ空港→ローマ空港 機内泊 ・ホテル発 9/10(火)移動日 ・入国手続き 成田空港 10:30 到着 現地解散 帰国ミーティング
3 海外フィールドワークの「表舞台」―「本物を見た!」という体験 前期の準備期間が「舞台裏」だとしたら、夏の実査が「表舞台」である。表―4 は、今回 の旅の概要を記したものである。なおフィールドワークの詳しい報告は、本学のホームペ ージに掲載の記事で紹介した5)。 8 泊 9 日のイタリア・海外フィールドワークから帰国後、学生は何を得たのかと筆者は考 えた。それは「本物を見た」という体験であり、これが最大の知見ではないかと考え、次 のようにホームページの報告記事を締めくくった。 旅を終えて、担当教員が深く実感したことは、学生たちは「本物を見た」というこ とです。ディズニーシーのアトラクションではなく、本物のヴェネツィアの大運河と リアルト橋を見て、本物のゴンドラに乗ったということ。Google Map があまり役に立 たない本物のヴェネツィアの迷宮路地を自分たちの足で歩いたということ。日本でほ とんどネット情報がなかった地方都市トリエステが、これほどまで歴史と活気のある 街だったことに驚いたこと。群馬のからっ風と同じく、トリエステで本物の強風ボー ラに吹かれたということ。本物の歌劇場でコンサートを鑑賞したこと。本物の国境を 海や陸で渡ったということ。本物のイカ墨スパゲティ、水牛チーズ入りのピッツア、 ジェラート、カフェ、イタリア家庭料理を自分の舌で味わったこと。 本物のイタリア人大学生と出会い、直接話をしたということ。本物のイタリアのテ レビに取り上げられたこと。日本のことを深く理解しながら、イタリア語や英語を駆 使して海外で活躍する本物の“グローカル人材”である日本人の大人たちにイタリアで 出会い、多くを助けられたこと。 学生のときにどれくらい「本物」に出会うかが、その後の学びと成長の尽きること のない財産になることを、今回の旅で深く実感しました。 (本学ホームページ「国際コース」の「概要と目標」<イタリア・フィールドワーク の様子 2019 年度①>) 「本物」に出会うことが大きな財産になる。これが引率した筆者の大きな知見だった。 なぜなら旅の途上で、各学生の言動や心の動きのなかで「何かが変化している」という手 ごたえを感じたからだった。 そこでさらに問いを深めると次のようになる。学生自身がこの旅で出会った「本物」を どう体験したのか、である。なぜなら同じ場所に居合わせた誰もがあたかも同じものを見 ているようでいて、実際には各人が特定のフィルターを通して現実を解釈しているからで ある。 では、学生は「本物」をどう体験したのだろうか。それがどのような意味で「本物」で あり、そう思わせたものは何なのか。アーリの「観光のまなざし」から推論できることは、 「本物」と感じられたものは、すでに視覚化されたイメージとの一致であり再確認に過ぎ
ない、ということになる。この場合、まなざす前と後で自分自身が変化することはない。 なぜなら「自分を携えたままの旅」では、「他者」を既知のイメージに当てはめているだけ だからだ。しかしながら、もし観光のまなざしを逃れることがある場合、当人のまなざし を揺るがすような「何か」がそこに作用しているはずである。その「何か」との接触が、「自 分を携えたまま旅」ではなく、「観光のまなざし」を越えた未知なる他者との体験となり、 自らを変容させるきっかけになるかもしれない。では、「観光のまなざし」を揺るがす「何 か」とは一体何だろうか。 「観光のまなざし」と「本物」との関連を検討するための手がかりは、学生のフィール ドノートである。イタリアのフィールドワークに参加した学生は、帰国後に清書版フィー ルドノートを作成した。現地で記した手書きのフィールドメモ帳と帰国直後の鮮やかな記 憶を頼りに、旅を終えて 2 週間後にフィールドノートの初稿を電子データで作成し、筆者 のコメントを受けてさらに 2 週間後に清書版フィールドノートを苦労して書き上げた。そ こには調査目的として設定した場面だけでなく、異国で見聞きしたあらゆる体験を記録す るように求めた。また周囲の観察に加えて、自分自身の内面で起こっていることも記録す るように促した。それゆえ厳密な意味でのフィールドノートというより、フィールド日記 とフィールドノートの中間のフィールド日誌を残すことになった。清書版フィールドノー トは、書き手によって 1 万字から 3 万 6 千字まで幅があり、書かれた内容も書かれた方も 様々である。しかしすべてのフィールドノートには、書き手の「観光のまなざし」の再生 産と揺らぎが、率直に描かれていた6)。 次章では学生のフィールドノートを手がかりにモノの見方の揺らぎを検討していく。な お紙幅の制約上、最初のイタリア滞在地となったヴェネツィアにおける学生の体験と影響 に限定して論じる。 4 「観光のまなざし」を変容させるものは何か 4-1 ヴェネツィアとディズニー-「本物」と「複製」の逆転現象 「ディズニーみたい!」。ヴェネツィアで最も多かった第一印象であり、「憧れ」だった イタリアに初めて降り立ったときの学生たちの率直な感想だった。学生たちは初めてヴェ ネツィアの中心市街地に入ったときのことを次のように書き記している。 ホテルまで歩く道は、まるでディズニーシーのメディテレーニアン・ハーバーと同じ 感じで、ディズニーシーの中を歩いているようだった(A さん)。 到着したヴェネツィアは本当にディズニーシーのような街並みで、移動にかかった疲 れがすぐに吹き飛んでしまった(B さん)。 第一印象で興味深いのは、本物と複製の関係が逆転していることである。東京ディズニ
ーシーのメディテレーニアン・ハーバーという一画は、ヴェネツィアの街を模したデザイ ンにゴンドラ周遊のアトラクションを提供している。つまりこの空間は、ヴェネツィアと いうオリジナル(本物)を明確な参照物としたコピー(複製)である。本来は「本物」が ヴェネツィアであり、「複製」がディズニーシーなのだが、学生の第一印象は、「ヴェネツ ィアがディズニーシーにそっくりだ」というものであり、本物と複製の関係が逆になって いるのだ。もはや「本物」と「複製」の本来の関係が成立していないのである。こうした 転倒状態は、世界自然遺産ヴィクトリアの滝を観た観光客が「うわぁ、絵はがきそっくり だ!」(Urry 2005=2014: xiv)というのと同じで、本物(滝)が複製(絵はがき)を規定す るのではなく、複製(絵はがき)が本物(滝)を規定するまなざしの一種である7)。 では何が学生に「ヴェネツィアがディズニーみたい」と思わせたのか。 東京ディズニーシーのようだと思ったのはまず街並みだ。街並みはれんが造りの茶色 い建物が連なっていて、それが電灯に照らされている点が似ていると思った。そのた め、夜のディズニーシーを歩いている時と同じ感じがした。また、電灯の形もディズ ニーのようだった。そしてディズニーは屋台のようなところでカチューシャを売って いる。ヴェネツィアもホテルの近くの屋台で食べ物や飲み物を売っているのを見て、 ディズニーのようだと思った。さらに、東京ディズニーシーのヴェネツィアンゴンド ラのところの運河とヴェネツィアの運河がとても似ていた。また、ホテルの朝食を食 べたところは、東京ディズニーシーのタワーオブテラーから見る形式と同じ感じだっ た。これらのことから、本当のヴェネツィアをここまで再現しているディズニーはと てもすごいと思った(A さん)。 この場合、アーリの指摘するように、「独自の記号を見る」ことが「ヴェネツィアがディ ズニーみたい」というまなざしを成立させていることがわかる(Urry 2005=2014: 24)。れん が色の建物、電灯の形状や明るさ、露店やレストランの雰囲気づくり、運河とゴンドラと いった独自の記号体系の再現と解釈が、見事に一致したのだ。まさに視覚的な再現のなせ る業である。 4-2 まなざしの揺らぎ もし「ヴェネツィアがディズニーみたい」という第一印象が変わらなければ、まなざし は再生産され続けることになる。だが、学生たちのまなざしは次第に揺らいでいった。 そのきっかけの 1 つは、ゴンドラに乗るという体験だった。 リアルト橋の近くにあるゴンドラに小山さんが交渉して下さり、念願のゴンドラに乗 った。ゴンドリエはとてもいい人で、オプションなのにもかかわらず、歌を歌ってく れた。とても歌が上手で、やはりディズニーのヴェネツィアンゴンドラとは違うなと
感じた。(A さん) ゴンドリエの方は見た目ダンディでかっこいいけど中身はお茶目で私たちにちょっか いを出したりして、虜になってしまうのもわかる気がした。このゴンドラはヴェネツ ィアの景色を見るにはうってつけで、改めてヴェネツィアの優雅で豪快な建物や細や かで美しい橋には驚かされた。(C さん) 慣れているので簡単にやっているように見えるが建物の間を通るというのは難しいと 思うので技術の高さに驚く。建物の間を通るので細い船でないと通れない。船の操縦 者が、船をこぎながら、時々乗客を楽しませるようにリズムにのって、歌を歌ってく れる。身振りも交えて、楽しませてくれる。(D さん) 乗っていて気が付いたことは、お兄さんが行きかうゴンドラの人とひっきりなしに話 していることだ。何を話しているのかイタリア語でわからなかったが、すごく楽しそ うに話していた。それが不思議で、〔日本の場合、〕仕事だったら話はしたら怒られる し、話をする暇があるなら、お客さんをもてなしてといわれることもあるからだ。(F さん) 東京ディズニーシーでもゴンドラのアトラクションを提供している。しかし学生たちは 「本場」であるヴェネツィアのそれとは違う印象をもった。自分の裁量でカンツォーネを 歌うことも、通り過がりの同僚とおしゃべりをすることも、ディズニーシーのマニュアル では禁止される行為であろう。歌、身振り、技術、裁量、即興的な所作といったゴンドリ エの身体技法は、ディズニーシーがコピー困難あるいは不可能なものである。ここではゴ ンドリエの非視覚的な要素、とりわけ身体技法が、観光のまなざしに揺らぎをもたらした ことがわかる。 そうした気づきは、現地サポーターへのインタビューでさらに深まっていく。 小山さんによると、ゴンドラが生まれたオリジナルの土地であるヴェネツィアでは現 在観光用として使われているが、元は移動手段として使われていたらしい。長くて細 いという形状も地形に合わせたものになっていて、橋の下でも通れるようになってい る。また、水に触れる面積を少なくすることで水位変動にも対応できるようになって いるのである。このように、ヴェネツィアでは人々の暮らしを優先させるというより 立地をベースに暮らすのが普通である(H さん) 長くて細いというゴンドラの形状は、「見た目のよさ」で考案されたわけではない。運河 の移動という必要性によって、そのようなフォルムが技術的に選ばれた歴史がある。デザ
インという審美的な記号だけではない歴史的な意味が、自分の乗ったゴンドラにあった。 現地サポーターへのインタビューを通して、単に「かわいい」「きれい」では言い切れない 歴史の厚みがあることに気が付いている。 ヴェネツィア散策での観察からも、観光のまなざしを揺るがすモノが報告される。 ヴェネツィアは風景がきれいで、やはり歴史があるのを感じることができた。しかし、 普通に人間が住んでいるということから、ゴミやたばこ、ペットのおしっこなどもあ ったということが少し残念だった。夢の国は常にきれいにしているが、やはりヴェネ ツィアは人間が住んでいるということから生活感が出ていた。この生活感もまたヴェ ネツィアの良さなのではないかと考えた。(A さん) ここで報告されているのは、ヴェネツィアの日常生活である。「ゴミやたばこ、ペットの おしっこ」という非人間のアクターが、生活の場であることを呼び起こし、「観光地ヴェネ ツィア」とは別の印象を与える。これらのモノはいずれも東京ディズニーシーから入念に 排除されるものである。なぜなら「夢の国」という非日常空間は、日常生活という生物の 再生産過程で不可避的に産み出されるあらゆるモノをできる限り排除することでのみ、成 立する世界だからである。だが実際の観光現場は「夢の国」ではない。世界的な観光地ヴ ェネツィアには、たしかに日常と非日常の入念な区別を前提にした空間設計とまなざしが 強固に存在する一方で、そこには人が住んでおり、日常の息づかいも実在している。 偶然の出来事も、観光のまなざしの揺らぎに貢献することがある。ある学生は飛行機で 隣り合わせになった人との会話を記録している。 その女性は日本人の方で、お名前は Z さん。40 代から 50 代くらいの方で、今回で5回 目のイタリア旅行だそうだ。とても素敵で自分の好きなことを好きなように楽しんで いる方だった。ツアーではじめて訪れたイタリアに魅了されて、イタリア語の教室に 3 年通い、今では少しの会話なら話すことができるということだった。それを使うため にも、500 円貯金をして一人旅をしにイタリアへ来るのだとか。とてもイタリア愛の強 い方で、イタリアとヴェネツィアの魅力をたくさん教えていただいた。特に「本物を みたらディズニーなんか行けないよ」という言葉が印象に残り、早く目で見てみたい と感じた。(C さん) 「本物をみたらディズニーなんか行けないよ」という言葉が印象に残ったとある。ただ し第一印象は、次のように多くの学生と同様だった。 ヴェネツィアに到着し、車を降りるとそこはおとぎ話の中のような建物ばかり。私の 第一声は「ディズニーみたい」。みんな大興奮(C さん)。
ところが道に迷いながらヴェネツィアを歩くなかで、「夢の国」から現実の街へ視線が移 っていった。 多くの学びがあった自由行動を終え、集合時間になりホテルへ向かう。行きとは少し 違う道を通ったことで本当に迷路のようなヴェネツィア改めて感じた。途中小さな広 場に出る。事前学習で学んだ、イタリアは広場と教会がたくさんの街を作り出してき た国というのが何となく理解できた。その広場は公園のような場所で、子どもたちが ローラースケートで遊んでいたり、父と息子でバスケをしていたり、少し住民の日常 が見ることができた。日本の公園で遊ぶような風景とそこまで変わらなくて、ヴェネ ツィアの観光と生活の両立がなりたっていることを観察できた。(C さん) 初日の日程を終えた夕方、次のような印象を書き記している。 〔電車の切符を買い終えてヴェネツィア〕駅の外へ出てみるとそこには、到着してす ぐに見た景色とは違い、夕暮れ時のヴェネツィアを見ることができた。こっちのほう がディズニーみたいだったけれど、Z さんの言っていた本場を知った私にとって、深み のあるヴェネツィアは比べ物にならないくらい魅力的に感じた。(C さん) 「ディズニーみたい」という観光のまなざしが明らかに揺らいできたことがわかる。何 がそれをさせたかといえば、モノであり、非視覚的な様々な感覚器官の情報であり、偶然 に居合わせた人の話である。これらが「媒介子」となって、学生たちの観光のまなざしに 変化をもたらしたのである。 この変化は特定の人やモノだけで説明できないことに注意したい。例えば「ゴンドリエ の魅力が学生たちに本場のヴェネツィアを感じさせた」と言う場合、変化の要因をゴンド リエという一要素だけに還元してしまうことになる。ゴンドリエの存在は確かに変化の要 素の 1 つだが、それだけではない。その他にも、様々なモノや人間が作用したことが、学 生たちの報告から読み取ることができる(なお報告には載らなかったが、重要な作用を果 たした人やモノがあったことも十分に考えられる)。またヴェネツィアで出会ったモノや人 だけでなく、事前学習で理解したことも作用にしていた。そうしたモノや人間の作用によ る「組み直し」が「ディズニーみたい」という当初のまなざしに変化をもたらしていった。
図―5 海外フィールドワークの「舞台裏」と「表舞台」 5 結びにかえて―「世界を知り、自分を知る旅」としての海外フィールドワーク 海外フィールドワークの授業は、本稿を執筆している 2019 年 11 月現在も続いている。そ のため暫定的なまとめをして結びにかえたい。 これまでの議論の要点をまとめると、図―5 のように整理することができる。海外フィー ルドワークの授業では、「旅する力・取材力」の習得を目標としている。筆者はその目標を 「自分を携えたままの旅」から「自分が変わっていく旅」「他者と出会う旅」と理解し、そ うした授業づくりを意識的に行った。まず「舞台裏」となる前期の授業では、フィールド に関する「先入見の意識化」を行った。学生からはイタリア(人)に対する「憧れ」と「違 和感」が多く挙がった。次にフィールドワークの前と後での気づきと学びをより明確にす るための「壊すための仮説づくり」を行った。このような準備期間を経て、9 月のイタリア 実査に赴いた。「表舞台」となったフィールドのなかで、学生たちは「本場」「本物」の人・ モノを体験し、影響を受けた。その様子をフィールドメモ帳に記録し、帰国後に清書版フ ィールドノートに仕上げた。フィールドノートは、学生にとっては体験をふりかえる機会 となり、教員にとっては学生の学びを検証するデータとなった。「本物」をめぐる記録を検 討すると、複数の人やモノが作用しながら「観光のまなざし」を変容させていったことが わかる。このまなざしの変容は、各人の認識の組み直しを意味するものであり、「自分を携 えたままの旅」には完結しない、「自分が変わっていく旅」「他者と出会う旅」を示唆する ものであった。 こうした「認識の組み直し」は、「世界(外なる他者)を知る」と、「自ら自身(内なる
他者)を知る」という、「二重の他者性を知る」ことを意味している。そしてこの精神活動 は、内省や内観ではなく、また教員の指導だけで得られたものでもない。「あるく・みる・ きく」というフィールドにおける肉体的活動を学生自らが体験し、「かく・おもいだす・か んがえる」というフィールドからの学習を通して生み出された産物である。フィールドの 体験とリフレクションを何度も往復するなかで得られた発見や知見があり、そのなかには 実に多種多様で異種混淆したアクターが関与し、学生に影響を与えたことがわかる。「世界 を知り、自分を知る旅」としての海外フィールドワークの可能性を、学生自身の学びが示 しているといえよう。 最後に残された課題を述べておきたい。本稿では初日のヴェネツィア体験からの学びし か取り上げられなかった。だが学生の学びは、その後のヴェネツィアやトリエステでの様々 な人々や事物との出会いでも深まった。またハプニングやトラブルといった予定通りに進 まない体験から学んだことも実に多かった。本稿の執筆中もまだ授業は続いており、今後 学生は自らの学びの総決算を最終報告書に取りまとめていく。これらについては稿を改め て論じたい。 謝辞:本研究の成果の一部は、JSPS 科研費 17K04268 の助成を受けたものである。本科研 費の「生成的対話研究会」における竹端寛と高橋真央の議論に多くの示唆を得た。そして 海外フィールドワークの受講生 10 名およびイタリア訪問でお世話になった日本とイタリア の協力者の方々に深く感謝申し上げたい。 注 1) モンテーニュの訳文は、岩波文庫版の原二郎訳(モンテーニュ 1965: 52)ではなく、ピ エール・クラストルの『国家に抗する社会』の渡辺公三訳(クラストル 1989)から採 った。 2) 国内地域での学外アクティブ・ラーニングについては、拙稿で論じた(鈴木 2018) 3) ANT に関する生成的対話研究会での竹端寛の表現である。 4) 「中間項」と「媒介子」は、ラトゥールの ANT のなかで重要な概念である。もしある 人間やモノが所与の連関のなかで伝達される意味や力をそのまま移送する(transport) ならば、それは中間項(intermediary)である。しかし意味や力を翻訳する(translate) 存在ならば、作用連関に新たなつながりを生み出す媒介子(mediator)となる(Latour 2008=2019: 73-74)。 5) 本学のホームページの「国際コース」の「概要と目標」に掲載の<イタリア・フィール ドワークの様子 2019 年度① 2019 年度②>を参照。なお 2012 年度以降の海外フィー ルドワークの報告を本ページから見ることができる。 6) 記録すること、フィールドノーツを残すことの重要性について、ラトゥールは特に強調 している(Latour 2005=2018: 258)。また次の仕事から多くの影響と示唆を得ている
(Emerson et al. 1995=1998;新原編 2014、2016、2019)。 7) ディズニーに親しみの薄い学生のまなざしには、「本物」と「複製」の逆転が起こって いないのは興味深い。「皆がディズニーみたいだと感動していたが、私はあまりディズ ニーにいたことがなかったため、〇〇のようだという風に比較してどのようだと思うこ とができなかった。強いて言うなら、結婚式場がいくつも集まって村を作っているよう だなと思うくらいであった」(G さん) 参考文献 阿部謹也(1988)『自分のなかに歴史をよむ』 筑摩書房
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