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中原中也『山羊の歌』『在りし日の歌』に関する計量的考察

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Academic year: 2021

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中原中也﹃山羊の歌﹄﹃在りし日の歌﹄に関する計量的考察

      ︵一︶  私は前の論文で、中原中也の詩に身体語が頻出することを指摘し、この ことは、中原が身体感覚の非常にするどい詩人であることの反映ではない かと考えた。私の方法は中原の詩が全体としていかなる性質を持つかを大 づかみにおさえ、それをふまえることによって、いくつかの作品について 新しい角度から照明をあてることを可能にしたことに特徴があるといえよ う。本稿では、同様のことを彼の詩の題名について試み、季節名や時間を あらわす言葉がどのように出現しているか考察してみたいと思う。飛高隆 夫は、﹁中也の詩の題名には四季のいずれかの加わっているものが多い。 それに、朝・昼・夕・夜の時間の限定や天候も加わる﹂とのべている。ま た、吉田知子は、﹁中也の詩には必ず季節がある。詩の中ばかりではなく、 題名に季の入っているのが圧倒的に多い。﹂とのべている。はたして、そ ういうことがいえるのか、数字でキッチリとおさえてみることにする。さ らに、詩の長さについても考察してみたい。私の主観的な印象としては、 詩の長さ︵行数︶や十四行詩︵ソネ″ト︶の出現率が詩集の章ごとに違っ ているように思えるからである。 ︵二︶ 吉  竹    博 ︵人文学部心理学研究言  中原の自選詩集﹃山羊の歌﹄﹃在りし日の歌﹄は、次のような章立てに なっている。 ﹃山羊の歌﹄︵四十四篇︶ ﹁初期詩篇﹂⋮⋮⋮⋮⋮一一士 ﹁少年時﹂⋮⋮⋮⋮⋮九 ﹁みちこ﹂⋮⋮⋮⋮⋮五 ﹁ 秋 ﹂⋮⋮⋮⋮⋮五 ¬ の歌﹂ 一 一

篇篇.篇篇・篇

﹃在りし日の歌﹄︵五十八篇︶ ﹁在りし日の歌﹂⋮⋮⋮四十二篇 ﹁永訣の秋﹂⋮⋮⋮⋮⋮十六篇  まず、それぞれの章ごとに、四季の名前︵春・夏・秋・’冬︶および、季 節をあらわす名前︵﹁六月﹂とか﹁残暑﹂とか﹁雪﹂など︶ のは﹂い]つたも の︵以下﹁季節名﹂という︶の頻度をとってみた。これが表1である。

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五八 高知大学学術研究報告 第四十巻 こ九九一年︶ 人文科学 なお、﹃山羊の歌﹄ の ﹁少年時﹂﹁みちこ﹂﹁秋﹂ は、この詩集の中心部を 成しているとの見解にも とづき、これら三つの章 は一括して示した。﹁初 期詩篇﹂と﹁在りし日の 歌﹂に季節名が多く出現 していることがわかる。 二つの詩集をコミにした 出現頻度は三十五例で、 出現率は三十四%である ︵四季別にみると春一〇 例、夏九例、秋八例、冬 八例であり、季節による 偏りは特にみられない︶。 この値が多いといえるか どうか、これだけでは判 断できないので、中原と 同じく昭和初期の代表的 な抒情詩人で中原と並ん で論じられることの多い 立原道造と、中原に強い 影響を与えた宮沢賢治と の比較をしてみることに する。立原については ﹃萱草に寄す﹄ ﹃暁と夕

『山羊の歌』・(44篇) 『在りし日の歌』(58篇) 計 「初期詩篇」  (22篇) 「少年時・みちこ・秋]     (19篇) 「羊の歌」  (3篇) 「在りし日の歌」   (42篇) 「永訣の秋」   (16胎) (102篇) 「春」 春(3) 春(5) 春(2) 10 「夏」 夏(3) 夏 夏(2)、初夏、六月 残暑 9 「秋」 秋(3) 秋(2) 秋(3) 8 「冬」 冬 雪 冬(3)、雪、除夜 冬 8 計   10 10/22=45%   4 4/19 = 21%   18 18/42=43%   3 3/16 = 19%  35 35/102  =34% 表1 中原中也の詩の題名で、季節名のあるもレのめ出現度数       (数字の示してないのは1例であるト の詩﹄﹃優しき歌Tエ﹄﹃優しき歌n﹄ を対象とした。いずれも、それぞれ の詩集に収録されている詩の数が少 ないので、全体をコミにした四十三 篇についてみることにした。宮沢賢 治については﹃春と修羅﹄の六十九 篇の詩︵﹁序﹂をのぞく︶を対象に した。結果を表2に示す。立原の場 合は、出現率十九%、宮沢の場合は 六%であり、これらの結果から、中 原の詩の題名には、季節名が多く出 現しているといってよい。  次に、詩の題名として時間をあら わす言葉の出現度数をみてみよう。 これは﹁朝の歌﹂とか﹁春の夜﹂の ように、ハ″キリと時間帯を示す言 葉と﹁月﹂のように特定の時間帯と 結びつく言葉である。結果を表3に 示した。朝・昼の時間帯と夕・夜の 時間帯に分けると、後者が多く、両 詩集の合計一〇二篇のうち、二十五 例をしめる︵出現率二十五%︶。こ 注(1) 『萱草に寄す』『暁と夕の詩』『優しき歌月 『優しき歌II』の合計 注(2) 『春と修羅』(「序」をのぞく)

立原追追(1)  (43篇) 宮沢賢治(2)  (69詣) 「春」 「夏」 「秋」 「冬」 春(3) 夏、五月  秋 冬(2) 春(2) 冬、雪 計   8 8/43 = 19%   4 4/69=6% 表2 立原道造と宮沢賢治の詩の題名で季節名のあるものの出現度数 れに対して、前者の時間帯を示す題名は四例︵出現率四%︶にすぎない。 このうち、昼を示すのは﹁正午﹂のI例のみである。中原は夕・夜の時間 帯を好んでいたといえそうであるが、これを確かめるため前項と同じく、 立原道造と宮沢賢治の詩集における出現率を算出した︵表4︶。立原の場 合、朝・昼の時間帯を持つ題名は十四%、夕・夜のそれは十二%で両者は

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ほぼ等しい。宮沢賢治の場合は、 それぞれI%と○%である。この ことから、中原は夕・夜の時間帯 を特別に好んでいたといえよう。 このことは、表3からわかるよう に、﹃山羊の歌﹄の﹁初期詩篇﹂ において著しい︵出現率四十五%︶。  以上の結果をどう解釈するか。 むずかしい問題であるが、私はさ しあたり次のように考えている。 季節名の出現率が高いということ は、季節に対する関心が高いから であり、このことは、前述の論文 でのべたように、中原の身体感覚 の鋭さと関係あるのではないか。 ところで、興味あるのは、季節名 の出現率を章ごとにみると、表1 からわかるように﹁初期詩篇﹂が 四十五%、﹁在りし日の歌﹂が四 十三%と両者がほぽ等しいこと、 また、﹁少年時・みちこ・秋﹂が 二十一%、﹁永訣の秋﹂が十九% と両者がほぼ等しいということで ある。﹃山羊の歌﹄と﹃在りし日 の歌﹄の最初の章に季節名が特に 多く出現し、その後の章で出現率 が半減することに何か意味がある

『山羊の歌』(44篇) 『在りし日の歌』(58篇)  計 (102匍 「初期詩篇」   (22篇) 「少年時・みちこ・秋」    (19篇) 「羊の歌」  (3篇) 「在りし日の歌」  (42篇) 「永訣の秋」  (16篇) 朝・昼 朝(2) 2 /22= 9 %  明け方 1 /42= 2 %  正 午 1 /16= 6 % 4/102 =4% 夕・夜 夕暮、夕照、黄昏(2) 夜(3)、夜空、深夜、月 計10 10/22=45%    宵   夜(2) 計3 3/19 = 16% 宵、夜(5)、夜更 除夜、月計9  9 /42 = 21% 月(2)、月夜  計 3 3/16 = 19% 25/102 =25% 五九 中原中也﹃山羊の歌﹄﹃在りし日の歌﹄に関する計量的考察 ︵吉竹︶ 表3 中原中也の詩の題名で、時間帯を示す言葉のあるものの出現度数

立原道造  (43篇) 宮沢賢治  (69篇) 朝・昼  薄明、朝(2)  昼(2)、午後 計6 6/43 = 14%   朝 1 /69= 1 % 夕・夜 夕べ、夜(3)、闇 計5 5 /43 = 12% 表4‥立原道造と宮沢賢治の詩の題名で、時間帯を示 ‥・ す言葉のあるものの出現度数 のだろうか。現在のところ、これ らの結果をうまく解釈することが できないでいる。 次に、時間帯をあらわす題名につ いて考察する。表3からわかるよ うに、朝・昼の時間帯よりも夕・ 夜の時間帯がずっと多く出現する ことは中原の郷愁の情をあらわし ていると考えてはどうだろうか。 朝・昼の時間帯は子供にとっては 学校に行ったり外で遊ぶために使 われるものである。これに対して、 夕・夜の時間帯になると、家に帰 り家族とともにすごすことになる。 よって、夕・夜の時間帯=故郷の 家ですごしたなつかしい思い出、という連想が働くことは容易に考えられ る。また、太陽がしずみ、夜になるというのは﹁回帰﹂を連想させる。こ のような時間帯を示す言葉が﹁初期詩篇﹂に異常に多くあらわれるのは、 この詩篇をつくった時期に中原の郷愁の情が最も強かったためであろう。 吉田煕生によると、﹁初期詩篇﹂は大正十四年、十五年の詩が中心になっ ている。この時期は、中原が詩人として自己確立する以前の精神的に不安 定な時期であり、その分、郷愁の情が強かったのではないか。﹁初期詩篇﹂ の中に、昭和五年に発表された﹁帰郷﹂がわざわざ入れてあることもこの 推測の傍証になる。さらに、﹁初期詩篇﹂は﹁少年時﹂の前に置いてあり、 位置関係からみて﹁幼年時﹂を連想させる。  ちなみに、﹃山羊の歌﹄の﹁秋﹂には有名な﹁生ひ立ちの歌﹂がある。 ここには、次のように﹁少年時﹂の前に﹁幼年時﹂が置いてある。

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六〇 高知大学学術研究報告 第四十巻 二九九一年︶ 人文科学    生ひ立ちの歌   幼 年 時 私の上に降る雪は 真綿のやうでありました   少 年 時 私の上に降る雪は 貫のやうでありました   十七−十九 私の上に降る雪は 霞のやうに散りました   二十上一十二 私の上に降る雪は 電であるかと思われた   二十三 私の上に降る雪は ひどい吹雪とみえました   二十四 私の上に降る雪は いとしめやかになりました  ﹁幼年時﹂の雪は﹁真綿﹂であるが、少年時の雪は﹁寞﹂であり、あき らかに性質がちがう。﹁幼年時﹂に対する郷愁の強さがうかがわれる。し たがって、﹃山羊の歌﹄で﹁少年時﹂の前にある﹁初期詩篇﹂を﹁幼年時﹂ と重ねあわせることができるとすれば、﹁初期詩篇﹂の基調は郷愁である と考えることは、そんなに的はずれではないだろう。       ︵三︶  ﹁初期詩篇﹂に朝・昼の時間帯を示す題名が少なく、夕・夜の時間帯の ものがきわめて多いということは、読者に次のような印象を与える。夕・ 夜の時間帯を示す題名の詩は、その頻度が多いために﹁初期詩篇﹂の中で それぞれの印象が判然とせず、その意味で﹁背景﹂となるのに対し、朝・ 昼︵この場合は朝︶の時間帯を示す題名の詩は、その頻度がきわめて少な い︵二例のみ︶ため、きわだった印象を与える﹁焦点﹂となる︵心理学の 用語を使うと、﹁焦点﹂と﹁背景﹂は﹁図﹂と﹁地﹂の関係にあたる︶。と ころで、﹁初期詩篇﹂の中で、中原が最も読んでほしいと願った詩は、お そらく﹁朝の歌﹂であったと思われる。  朝の歌 天井に 朱きいろいで   戸の隙を 洩れ入る光、 鄙びたる 軍楽の憶ひ   手にてなす なにごともなし。 小鳥らの うたはきこえず   空は今日 はなだ色らし、

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倦じてし 人のこころを   諌めする なにものもなし。 樹脂の香に 朝は悩まし   うしなひし さまざまなゆめ、 森並は 風に鳴るかな ひろごりて たひらかの空、   土手づたひ きえてゆくかな うっくしき さまざまの夢。 これは、﹁詩的履歴書﹂の中で、 △大正十五年五月、﹁朝の歌﹂を書く。七月頃、小林に見せる。︵−略古  つまり﹁朝の歌﹂にてほぼ方針立つ。▽ と書いていることからもうかがわれる。とすると、﹁初期詩篇﹂の中で、 夕・夜の時間帯を示す言葉のはいった題名の詩を異常に多く集めているの は、あるいは﹁朝の歌﹂を目立たせるための策略だったかもしれない。こ のことは、﹁初期詩篇﹂の中の﹁朝の歌﹂の位置関係をみると一層よくわ かる。﹁朝の歌﹂に至るまでの詩の配列は次のようになっている。 春の日の夕暮 月 サーカス 春の夜 朝の歌 六一 中原中也﹃山羊の歌﹄﹃在りし日の歌﹄に関する計量的考察 ︵吉竹︶  このうち﹁サーカス﹂は、題名そのものは時間帯を示していないが、詩 の中には﹁今夜比處での一と殷盛り﹂とか﹁屋外は真ツ闇 闇の闇/夜は 劫々と更けまする﹂という表現があり、あきらかに夜の時間帯であること をあらわしている。そうすると、﹁朝の歌﹂の前にある四つの詩は、すべ て夕・夜の時間帯を描写したものであり、このことによって﹁朝の歌﹂を ヨリ対比的に印象づけることに成功しているのである。さらに、﹁夕暮﹂ にはじまり、﹁月﹂がでて﹁夜﹂がふけ﹁朝﹂になるという順序に並んで いるから、﹁朝﹂に至るまで時間の推移がごく自然に感じられるのである。 ﹁朝の歌﹂は、一読してわかるように朝起きたときの倦怠感をうたったも のであり、直前の﹁夜﹂をひきずった、﹁後ろ向き﹂の﹁朝﹂の歌である ︵朝起きたときの倦怠感は、前夜の睡眠不足が大きな原因である︶。この詩 の与える感情効果は、このような詩の配列によってヨリ高まることになる のである。 ︵四︶  読者に与える印象という点を別の観点からみるために、次に詩の長さの 分布について調べることにした。長さは行数ではかった︵エピグラムをの ぞく︶。その結果を示したのが表5である。﹃山羊の歌﹄についてみると、 ﹁初期詩篇﹂は短かいものばかりでバラツキが小さいこと、﹁少年時・みち こ・秋﹂は最もバラツキが大きいこと、﹁羊の歌﹂は三篇とも長いものば かりで、バラツキが小さいことがわかる。このことから、﹃山羊の歌﹄は、 詩の長さの平均とバラツキという形式的な点からみても、上記の三つのグ ループに分かれるといえそうである。また、詩集の後部にあるものほど、 長くなっていることがわかる。大岡昇平は、この詩集の構造について次の ようにのべている。

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六二 高知大学学術研究報告 第四十巻 二九九一年︶ 人文科学 △つまり詩人の意識では、最終詩篇  は、詩集の中心部を形づくる作品  群とは違ったものと考えられてい  たと見なしてよい。︵︱略−︶最  終詩篇は最後に志を述べることに  よって、詩集全体に一種のまとめ  を与えるものと考えられていたの  である。▽︵傍点は吉竹︶  ﹁最終詩篇﹂とは﹁羊の歌﹂のこ とであるが、﹁志を述べる﹂ことに なると、どうしても長くなるもので ある。表5はこのことを裏づけてい る。次に﹃在りし日の歌﹄をみると、 ﹁在りし日の歌﹂と﹁永訣の秋﹂の 平均とバラツキがほぽ等しい。この 詩集を読んだ私の感じとしては、二 つの章で統一した印象があり、断絶 を感じなかったが、その原因のひと つはこの辺にありそうである。  前述のごとく、詩の題名の分析の 場合に、立原道造と宮沢賢治を比較 の対象としたので、詩の行数につい ても同様の数字を出してみた。これ が表6である。立原道造はすべて十 四行詩︵ソネ″ト︶ばかりなのでバ ラツキはゼロとなる。これと対照的 『山羊の歌』(441) 『在りし日の歌』(58篇)  計 (102篇) 「初期詩篇」  (22篇) 「少年時・みちこ・秋」    (19緬) 「羊の歌」  (3篇) 「在りし日の歌」  (4誦) 「永訣の秋」   (16篇) 最   小 11 10 44 12 12 10 最   大 22 82 74 56 59 82 範  囲(1) 11 72 30 44 47 72 平   均 15.3 25.5 57.3 18.5 18.4 20.3 標準偏差 2.52 18.33 12.47 8.64 10.96 13.06 注(1)「最大値一最小値」 表5 中原中也の詩の行数の分布 なのが宮沢賢治で、 最も短い詩は二行、 最も長い詩は五九 一行ときわめてバ ラツキが大きく、 平均よりも標準偏 差の方が大である。 おそらく、日本の 近代詩人でこんな 例はほかにないで あろう。﹃春と修 羅﹄を読むものは、 詩の長さに非常な 立 原 道 造   (43篇) 官 沢 賢 治   (69篇) 最   小 14 2 最   大 14 591 範   囲 0 589 平   均 14 42、7 標準偏差 0 82.45 表6 立原道造と宮沢賢治の詩の行数の分布 バラツキがあるために、文字を読む作業と休止のリ ズムが無茶苦茶になり、呼吸が乱れる。﹃春と修羅﹄ の魅力のひとつの原因はここにあると思われる。こ れに対して、立原の詩集は単調で平板な印象を与え るが、その大きな原因は、すべて十四行詩というこ とから来ているのではないか。このような点からみ ると、中原の詩集の中で詩の長さのバラツキが最も 大きいのは﹃山羊の歌﹄の﹁少年時・みちこ・秋﹂ である。とすると、読者の呼吸のリズムは、この章 において最も乱れると考えられる。  次に、詩の行数という点では、十四行詩が一種の 定型詩として特別の意味を持っていると考えられる ので、この詩型が章ごとにどのような比率であらわ れるかをみてみた。これが表7である。﹁初期詩篇﹂ 『山羊の歌』(44諭) 『在りし日の歌』(58篇)  計 (102篇) 「初期詩篇」  (22篇) 「少年時・みちこ・秋」    (19篇) 「羊の歌」  (3篇) 「在りし日の歌」   (42篇) 「永訣の秋」  (16篇) 8/22 = 36% 5 /19=26% 10/42 = 24% 4 /16=25% 27/102 = 26% 表7 中原中也の詩集における十四行詩の比率

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において出現率が最も高い︵三十六%︶。他の章は、﹁志を述べ﹂だ﹁羊の 歌﹂が出現率○%であるのを除くと出現率は二十四%、二十五%、二十六 %でほぼ等しい。このことは、詩人としての経歴の最も早い時期において は、中原は定型に依拠することが多かったが、以後、詩作に習熟したため に自由なスタイルが可能になったことを示すものであろう。しかしながら、 この段階においてもほぽ一定の比率で十四行詩を作っていることは、中原 の定型への志向が依然としてあったことを示している︵なお、立原道造の 詩集においては十四行詩の出現率がI〇〇%であることは前にのべたが、 宮沢賢治の﹃春と修羅﹄においては、十四行詩は一例しか出現しない。い かに宮沢が既成の詩型にとらわれず、自由奔放に作品をつくったかがわか るであろう。︶  以上、中原中也﹃山羊の歌﹄﹃在りし日の歌﹄について、季節と、時間 帯を示す言葉のはいった題名、および詩の長さ︵行数︶という、誰がみて もハッキリとわかる﹁外部的表徴﹂︵波多野完治︶について計量的な分析 を試みた。これらをふまえて、﹃山羊の歌﹄の中の﹁初期詩篇﹂の目玉と もいうべき﹁朝の歌﹂をいかに効果的に印象づけるかについて、中原の巧 妙な仕掛けを発見することができた。このような知見は、いくら詩を精読 しても仲々つかめないことであって、数字で語らせるという心理学的手法 の有効さを示すものであろう。      註 〒︶ 吉竹博﹁中原中也の身体意識﹂、﹃高知大学学術研究報告﹄、第三   十七巻、人文科学、一九八八 ︵2︶ 飛高隆夫﹁中也語彙辞典﹂、﹃国文字﹄、第二十八巻五号、一九八   三 六三 中原中也﹃山羊の歌﹄﹃在りし日の歌﹄に関する計量的考察 ︵吉竹︶ ︵3︶ 吉田知子﹁不在の人﹂、﹃太陽﹄、一九七五年一〇月号︵新文芸読   本﹃中原中也﹄、河出書房新社、一九九一所収︶ ︵4︶ 佐藤伸宏﹁詩集﹃山羊の歌﹄少年時/みちこ/秋﹂、﹃国文字﹄第   二十八巻五号、一九八三 ︵5︶ 日本文学研究資料叢書︵有精堂︶においては﹃中原中也・立原道   造﹄と二人でI巻のあつかいとなっている。 ︵6︶ 中原は大正十四年の冬、宮沢賢治の﹃春と修羅﹄︵大正十三年刊︶   を購入し、以後、愛読した。﹃在りし日の歌﹄の﹁永訣の秋﹂は   ﹃春と修羅﹄の﹁永訣の朝﹂をまねたものである。 ︵7︶ 吉田煕生﹃評伝中原中也﹄、東京書籍、一九七八 ︵8︶ これに対して、﹁前向き﹂の﹁朝の歌﹂として室生犀星の同名の   詩︵﹃愛の詩集﹄、大正七年刊・所収︶がある。 こどものやうな美しい気がして けさは朝はやく起きて出た 日はうらうらと若い木々のあたまに すばらしい光をみなぎらしてゐた こどもらは喜ばしい朝のうたをうたってゐた その澄んだこゑは おれの静かな心にしみ込んで来た おお 何といふ美しい朝であらう 何といふ幸福を予感せられる朝であらう  分銅惇作は﹃中原中也﹄ ︵講談社・一九七四︶ の中で、中原と室生の ﹁朝の歌﹂を対比し、前者を﹁闇からの形而上的な叙情﹂、後者を﹁光への 現実的な叙情﹂と特徴づけているが、作品の与える感動という点では、中 原の方がはるかにすぐれている。室生の﹁朝の歌﹂は、早起きを旨とする

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六四 高知大学学術研究報告 第四十巻 二九九一年︶ 人文科学 修養団体の会長室の額に入れておくとよく似合うような、道徳的な臭みが ある。吉田健一が、大正十五年に書かれた中原中也の﹁朝の歌﹂に、近代 日本文学の誕生を見ると評した︵﹃近代詩について﹄垂水書房・一丸六六︶ のは、この詩が近代の﹁退廃と倦怠﹂の生活感情を表現し得ているという 理由による。それに比べて、室生の詩はあまりに﹁健康﹂的であり、前近 代的である。ちなみに、﹃山羊の歌﹄の中の﹁初期詩篇﹂にある最後の詩 の題名は﹁宿酔﹂︵ふつかよい︶である。近代人にとって、朝が必ずしも 快適なものではないことを暗示している。  ︵9︶ 大岡昇平、中原中也全集第一巻︵角川書店・一九六七︶の解説  ︵10︶ 四・四こ二こ二という厳密な意味でのソネットの行わけになって    いないものも含む。ちなみに、立原道造の詩は、すべてこのような    行わけになっている。  ︵且 波多野完治﹃文章心理学入門﹄新潮文庫∴九五三 ︵平成三年九月三十日受理︶ ︵平成三年十二月二十七日発行︶

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