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二つの「福原院宣」 : 延慶本『平家物語』本文小考

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(1)∧lV. 二つの「福原院宣」. をめぐる『平家物語』の記事は、諸異種本によ. をめぐる記事に諸本の間で大異があるとい. 「福原院宣」の記事は、頼. 朝による源氏の挙兵という事件との関連で載せられてS,るわけである. というのは'一つには、『平家物語』の. う事実にも、この物語の形成と変容とに関わる問題が潜んでいる。. にも、また、「福原院宣」. ている思想の面においても、か夜-の相違があると言えるのであるO 『平家物語』において'「福原院宣」の件が載るとSJつ事実そのもの. って、構成ヤ詞章夜どの表現の面においても'また'そこに込められ. る。が、「福原院宣L. も'おおむね、さきに示したあらましのとおりであることも確かであ. といったごと-である。尤も'話の骨子は、どの異種本をとってみて. 着の間の経緯が特に他本とは大き-相違し、詳し-記されてもいる、. られるのである。例えば、『源平盛衰記』では、文覚の上京と伊豆下. 種本の本文を比較してみると'その間には'いささか大き夜相違が見. 1延慶本『平家物語』本文小考. 数々の奇行・蛮行のために伊豆国へ遠流に処せられた怪憎文覚は、 平治の事件の後に同じ伊豆の蛭小島に配流の身とをっていた源頼朝の 許へ通い'平氏を討伐するようにと説-o時には義朝の閣僚と称する ものまで持ち出して、挙兵を勧める。しかし'頼朝は、自分は勅勘を 蒙る身であるから'その勅許夜-しては挙兵をどは恐れ多い、と文覚 の言葉にとりあわ覆い。すると、文覚は'人には伊豆山参篤と偽-、 急ぎ新都の福原へ上-、藤原光能を介して'こ.れまた幽閉に近い処遇 を受けている後白河上皇から'∧平氏を討つべし∨という頼朝に宛て ての院宣を受け、また急ぎ伊豆国に帰-着き、頼朝の許にもたらす。 衣服を正してこの院宣を拝した頼朝は、ようや-、平氏討伐のための 源氏挙兵を決意する。福原から伊豆へ文覚によってもたらされたこの. から'治承・寿永の世を改まの素材とするこの物語にあっては、どう. しても欠-ことのでき覆い重要夜話題の中でも特に源氏挙兵という重. 要改ものの一つであるからであ-'いま一つには、「福原院宣」. 事が'怪僧文覚をめぐるl連の逸話の結びの位置に配されているわけ. の記. 後白河上皇の院宣を'頼朝は、石橋山の合戦の時にも、錦の御旗よろ し-'身近に携えていた、ということであった. よ-知られた、『平家物語』に載る'「福原院宣」ぁるいは「伊豆院. 善. であるから、多-の説話の集合体という性格をも併せ持っているこの. ■. 宣L夜どと呼ばれている記事のあらましである.いま'覚1本の本文 によって、その大筋をたどってみたわけであるが'実は、物語の諸異 二つの「福原院宣」. -.

(2) 二つの「福原院宣」. つまり'この「福磨. 物語にあっては、少々脇筋の話としての文覚謬のクライマックスとさ れている頼朝挙兵を導き出す記事だからであるo. そのものの形成1原編著者における物語の構想とい. 院宣Lの記事は、二つの性格を備えているわけである.しかも、それ が'『平家物語』 う意味を含めて-と'長い期間にわたる変容-改作者における構想と いう意味を含めて-という'大きを問題を検討するにあたっては、か 杏-重大改憲昧を持つ'注目されてよい記事であ-、また、その性格 である、と言えそう夜のである。. 諸本を見ると'宿 「院宣Lが、様式と内容. の間の異同の実態と様式・内容・文体との関連と小う問題をのである0. というのは、周知の事柄覆のだが'『平家物語』. 原から伊豆へ文覚がもたらした後白河上皇の. の点で全-本文を異にする二種に分れるという'興味ある事実がある. からである。しかも'ここが稿者の関心の中心であるのだが、延慶本 『平家物語』では、その二極の「院宣」の一方を載せた直後に'「同院. 宣異本云」と明記して'いまl方の院宣をも載せているのである.つ. ま-、延慶本には、『平家物語』 の諸異種本の間で大き-対立してい 「福原院宣L の双方が載っている、というわけである.. 心は、主として『平家物語』における史実と虚構という問題に関わる. 応永度の書写が延慶年間の写本をそっ--そのまま正確に伝えてい. る二つの. 方向のものであったようである.即ち'『吾妻鏡』にも記されている、. 物語の諸本ではいずれか一方を載せるだけの二種の「福原院宣」の双. 方が載せられている、という事実が意味するところは、『平家物語』. の形成と変容を考えるうえで、極めて大きいと言わざるを得覆い.し. かも、それが、これまでも関心を呼んできた、史実と虚構という問題. とも関わってくる、ということにをるのであLt9から、看過しておいて. そのものの物語としての面白さ、という問題. ひいては、『平家物語』. よいものでも覆いと思われる。. 本稿においては、延慶本『平家物語』に載る二つの「福原院宣」に. ついて'院宣としての様式、その内容'その文体'夜どの差異を検討. みる。加えて、この「福原院宣」の記事の意義について吟味してみる.. 以上を通じて'応永書写延慶本『平家物語』の本文の性格の一端をさ. そのものの本文. を扱うこともあって、ことは'史料としての「福原院宣Lという問題. 心を集めてこ夜かったように見うけられる、「院宣」. の本文の物語諸本. ぐるわけだが'仮構を含む物語に載るものであるとはいえ、「院宣」. 内容と文体の問題であ-'それに加えて、「院宣」. の問題である。よ-具体的に言うと'後白河上皇の.「院宣」の様式と. かでつ夜がって-るはずの事柄であるにも拘らず、これまでさほど関. 興味を覚えるのは、い享ホしたよう夜史実と虚構という大問題とどこ し、続いて、他の諸本に載る「福原院宣」の院宣の本文との比較を試. ところで、稿者が『平家物語』の「福原院宣Lの記事について特に. の記事の、また、物語そのものの、史実と虚構への関心であった。. にまで関わる検討i)発言も、無いでは覆い。こちらも、「福原院宣」. 語』中の一連の文覚辞において、文覚をめぐるお話としての面白さ'. どへの関心と検討である。また、文覚を部分主人公とする『平家物. えたということは「ヒガ事ナ-Lと断じている点との関連の問題、夜. 高倉宮以仁王の令旨の件とこの「福原院宣Lとの関連の問題、慈円が 『愚管抄』 の中で、光能が文覚を介して頼朝に後白河上皇の意向を伝. るかという点に、少々の疑問が無いでは覆い。が、書写年代の点で、 『平家物語』 諸本の中ではか夜-古い部類に入る応永書写延慶本に、. 従前、この「福原院宣」に関する検討は少夜-覆い.その検討の中. 二.

(3) と関わって'事実考証の方面'e)いては、さきにふれた史実と虚構と いう面での作品批評の方面にまで、話題が及ぶことに覆りそうである.. 具体的夜検討に入る前に'延慶本『平家物語』第二末八「文学京上 (症-). シテ院宣申賜事」に載る二つの「院宣Lの本文を示すことにする。. ハ. -. ヲ. ヒ. ヲ. シ. ヲ. ソ ヽイ. ニ. ヲ. ウ. ク. 之状、依. 院宣「執奉如件'. 下へキ. ムト. 前右兵衛督藤原光能奉. 前右兵衛佐殿へトソ被書タ-ケル'兵衛佐、此院宣ヲ見給テ'泣. ヲ. ヲ. テー. ヲ. シ云事 ヲ. ヲ. テ. ヲ. 此'仇執蓮如件、. 普代弓箭之兵略..抽累祖奉公之忠勤]'可立身丁興家.者、院宣如レ. ス. ハ. 治承四年七月六日. ノ. 々都ノ方へ向テ、八幡大菩薩ヲ拝奉り'当国ニハ伊豆箱根二所二 (†こ. '. 願ヲ立テ、先北条四郎二重合テ、息立給ヘリ、石橋ノ合戦ノ時モ、 白旗ノ上二此院宣ヲ横二結付ララタ-ケルトソ聞へシ' 同院宣異本云 ク. 頃年以来、平氏、蔑如皇化】究レ博政道t'破滅仏法.欲レ傾朝威... ' テ. 夫吾朝者神国也'宗廟相並神徳是新也、故、朝庭開基之後、数 ムル. ヲ. 千余載之間'傾帝飲]危国家]者、皆以莫不敗北,'然別、且任神. ケ. 道之冥助(且守勅宣之旨趣.'諌平氏之一類.'退朝家之怨敵「継. こ. '. '. 車. 治承四年七月 前兵衛佐腰云々. 日前石兵衛督奉判. 以下'本稿においては、論の煩雑を避けるために、党に載る院宣、. 「甲」 '「異本云Lとして載る つまり 「右'彼一類」 に始まる院宣を 、と仮-に呼ぶことにする。 「頃年以来」に始まる院宣を「乙」. 「雁金. いま7つ'応永. 扱いを受けているわけであり'その意味でも、注目されるのであるo ところで'前述のように'『平家物語』の諸伝本は、「福原院宣」の. 院宣Lが、内容の面にとどまらず'その書写の面でも、互いに異った. かよう夜具合に'応永書写延廃木『平家物語』では、二つの「福原. 点」にをっている。この事実も'注目されてよかろうと思う.. 点が'行の中央に置かれ、少々横に広がっている'いわゆる. の甲院宣も'そのとお-である。ところが'乙院宣では'「先レ博」 「欲レ傾」「如レ此」と、レ点が使われているのである。しかも、そのレ. るはずのところでも「一」点を使うことが多いのだが'この福原院宣. 文における漢文形式の表記の訓点に'「レ」点を用いず、レ点を用い. 書写延慶本では、収める院宣・牒状の類の漢文体表記の訓点ヤ、地の. 延慶本平家物語』第二巻の八九頁を御参照あ-たいo. 一字下げとはされ覆いのである.古典研究会叢書『大東急記念文庫蔵. 目される。ち改みに、応永書写延慶本では、他の院宣・牒状の類は'. 面に比べて'乙院宣は、その全文がl字下げて書写されている点も注. 以下の乙院宣は、ちょうど一面に収めて写されている。しかも、他の. まず、延慶本の大東急記念文庫蔵応永書写本では、「同院宣異本云」. は後に詳し-検討するとして'書誌的夜面での相違を示しておこう。. 一読して、甲院宣と乙院宣とが'その本文の点で、大異のあること. メ. 次日参給テ、夜探テ被出]タ-'御ユルサレヤ有ケム、院宣ヲ書. ル. は判る。同文・同語句が殆ど見られ覆いのである。その内容について. ノミニ. ノ. テ賜ク-ケルヲ'文学賜テ、頚二懸テ、夜童五ケ日、伊豆国へ走. ヲ. 下-テ、兵衛佐二献-タ-ケレハ、手洗、口噸テ、紐サシテ'院 ス. 宣ヲ見給ニ、其状二云' ク. 可早追討清盛人道井一類.事 、. 右、彼一類、非忽緒朝家(失神威.'亡仏法(既為仏神怨敵(且為 シテ '早奉息逆鱗上 王法朝敵(仇'仰前右兵衛佐源頼朝(宜令追討彼輩一 刑彼輩]. ス ニ. 二つの「福原院宣」. 三. ノ サイ.

(4) て、この『平家物語』そのものの形成と変容という大問題について検. 二つの「福原院宣」. 記事において、甲・乙いずれかl方の「院宣Lを載せている。ここでI. ものでは覆い-私見を述べてみることにする。ことは、稿者の最大の. ∧二∨. とを申し添えてお-0. 怒りの吟味を試みてみたいという、いささか横柄改も-ろみもあるこ. 関心事である中世軍記物の本文批判としての本稿ではある。が、本稿. 討するうえでの在るペき考え方について-形成と変容という問題その. 整理しておこう. 管見に入った諸本が甲・乙いずれを載せるかを」 『源平閑静録』は、この 「福原院宣」にあたる章を収めるはずの巻. にあたる記事は、おそら-巻四の末尾にあったと思. を通じて、軍記物に関する本文研究の手続きの在-方に関して、稿者. り'「福原院宣」 われる.いずれにせよ'この本が甲・乙いずれの院宣を載せていたか (注3). は、不明という外患い。その他の諸本はというと、長門本系の諸本'. 延慶本『平家物語』に載る甲・乙の二つの「福原院宣」の院宣につ. 南都本、『源平盛衰記』諸本、の大略三系統が甲院宣を載せているが、 これ以外は'全て、乙院宣を収めているのである。院宣が漢文表記に. いて'まず、院宣としての型式や様式の面から、検討を加えてみる。. というのは、院宣というものは、本来、私的文書としてのものであ. るのだが、公的夜機能を営むことに覆っていたわけであ-'そこに. の殆どの本が、. 応永書写延慶本が「同院宣異本云」として付載した乙院宣の方を本文. ある。. (注1). は、公式文書における型式・様式を源とする型が決っていたからで の形成と変容とい. 含む『平家物語』に載るとはいえ、どの異種本においてもr.院宣」と. いまここで問題にしている甲・乙の二つの「福原院宣」は、仮構を. で、如上の、二つの. の本文の吟味と検討を手がか-とし. 様式も手続きも異覆っていた。例えば、『平家物語』. そのものの成立. 即した新しい様式のいわゆる令外文書、それぞれに種類があり、その. ゆる公式様文書、令外官が置かれて以後の新しい宮司に応じた実際に. 様式の点で、いささか差異が認められるのであるから'問題は大きいo 『大宝令』『養老令』における「公式令」以来の長い伝統のあるいわ. を欠-わけには行-まい。しかも、甲・乙二つの「院宣」には、型式. ある。それが、史実と虚構という、歴史上の事件を素材とする『平家. う大問題と'その形成と変容とに延慶本のはたした役割をさぐるうえ 「福原院宣」という事実は、等閑視でき覆いので. 前置きが長-をったが、とにか-、『平家物語』. として載せているわけである。この事実も、注目されてよかろう。. られるoが、先の三系統以外、つま-、『平家物語』. 怒っている本もあれば'訓み下し文の本もあ-、細部には小異も認め. (注2). を欠いている。一般に、この事は巻五に収められているのであるが' 『源平閑静録』の巻五は 「兵衛佐催坂束勢事」 の記事から始まってお. 四. 説明したうえで掲げられてお-、その院宣の本文の中でも'「依院宣」 「院宣如此L と明記されているのであるから'型式・様式の面の吟味. の件について言及するとこ '『曽我物語』とい. 物語』の本質にまで関わるはずの問題をはらんでいるからである.先 『愚管抄』といった史書に記されたところ にもふれた、『吾妻鏡』. 物語』に載る二つの1福原院宣」. 本稿においては、如上の問題を含んでいる、応永書写延慶本『平家. った、他文献に載る記事とも'問題は関わって-るのである。. ろのある'『平治物語』の或る種.の本'『保暦間記』. との関連のみでは覆い.同じ「福原院宣」. や.

(5) 時期と考えられている年代とさほど隔ってはい覆い承久年間に成ったI. ∧日付署名∨. 治承四年七月六日. いう事書があり、「右」以下の事実書に事柄を述べ、「依. 院宣、執秦. 前石兵衛督藤原光能奉. というのでは覆い。古来の様式や手続きが、噸徳院がこの書を著す必. 如件」と院宣である旨を明記して止め、日付けが示され、日下に奉行. 前右兵衛佐殿へ ・以上の整理のごと-'甲院宣は'「可早退討清盛人道井一類事L. 要を感じた程に、その頃、重大夜間題であったと同時に大小さまざま. 問題は'その、甲院宣が公式文書に似て整っているという点にあるo. ように、甲院宣は、公式文書の書式に似て、型式が整って【Sる.が、. の藤原光能の署名と「奉」字が記され、売名が添えられている。この. 手続きという点ひとつをとってみても、種々変化があったようで、 『北山抄』夜ど平安時代中期の有職書夜どによってそれ 『西宮記』. 教書・女房奉書と同様に'かようを事書は無いのが普通である.つま. まず、事書が問題である。私文書である院宣には'輪声・令旨・御. きの詳細が示されているほどである.当面の問題である、『平家物語』. -'甲院宣は'事吾が有るという点で、「院宣Lという7?のの様式か. 『新任弁官抄』夜どの有職書には'手続. における「福原院宣」も'手続きという点で見ると、本稿の冒頭にこ. らはか覆り外れるものである、ということに覆るのである.. (売名)」と、発行者と受取. という形で載る.特に. この事書というものは'院宣と同じ-令外文書ではあ・つても'公式. の文書である宣旨や官宣旨では、「応-・・・事」. (左) 弁宮下. の一字でそれを示している.院庁下文も「院庁. とし'女院庁下文・摂関家政所下文も同様である。. 官宣旨では、この前に「右. (売名). 語』をと-あげてみても'共通している。つま-、光能を奉行とする 「奉書」 という、院宣一般にあてはまる手続きをふんでいることに覆 「福原院宣」. の折衷と言ってよい型式の「下知状」が行覆われるように覆った、と. 方の文書が盛行していたよう夜のだが'その後い-紘-も夜-I,両者. 宣旨等の下文の系列と事書を持た覆い給旨の系列とが分かれ'.この双. 夜い。というのは'平安時代中期から末期にかけて'.草書等を持つ官. あると見ることができる。稿者がかように見るのも、故覆いこ+)では. 庁宣の場合も、「庁宣 (売名)」 とする。つまFl、官宣旨以下に見 られた、「・・・-下 (売名) 事書」 という'下文の様式の中から' 「--下 (売名)Lの部分を削-事書のみが残ったのが甲院宣の型で. 等」. 者とを明記し'「下」. 院宣'執奉如件、. 下. るわけである。事実'甲・乙の両院宣ともに、光能の署名の下に「奉」 という文字が添えられているのである.『平家物語』. の手続きや様式にまで心を配って善かれている、ということに覆る. 両院宣を様式と型式の面で検討する所以でもある。 まず、甲院宣について、その文書としての型式を検討してみる。 可早追討清盛入道井一類事. ∧事実書∨右、彼一類、非忽緒朝家、失神威'亡仏法、既為仏神怨. 書∨. と. 順徳院の『禁秘抄』には'詔書・同覆奏・勅書・宣命・絵奏・表・勅. 名∨. を変化も生じていた'ということに覆るわけである。. 答の執筆の要領や手続きが示されている。勿論'順徳院の制定に覆る. ∧充. の逸話のあらましを示しておいたとお-'後白河院の意を藤原光能が 「院司」の立場で承って文覚に伝えた'ということは'どの『平家物. がうかがえ'また'『伝宣草』. や. の記事は、後白河院の院宣という一件を記すにあた-院宣というもの. の. 敵'且為王法朝敵'仇、仰前右兵衛佐源頼朝、宜令追討 後輩、早番息逆鱗之状'依 二つの「福原院宣」. 五. ∧事.

(6) 二つの「福原院宣」. (売名)」を除いた形であ-、奉行文書として日下に奉行. いう事実があるからである。この下知状は、書出し部分は下文の.第l 行「--下. の甲の「福原院宣Lは、. が署名するのである。書止が「下知如件」で結ばれる故に「下知状し と呼ぶのである。こう見ると'『平家物語』 とあるとはいえ、まさに下知状の型式そっ-. きるわけ夜のである。. 日付の下方'つまり目下の署名にも、問題があるO「奉」という下. 附が右側に小さ-書かれているのは、光能が奉行であることを示す意. 味で、重要である。この下附は、公文書の或る種のもの'具体的にい. うと奉書型式の文書には付されるわけだが'『平家物語』に収められ. た「福原院宣」が奉書型式で書かれているとiJつことに恵り、輪旨・. 院宣'執奉如件」. -ということに在る。尤も、この下知状というのは'鎌倉期の幕府の. れる伊藤家蔵長門本『平家物語』では、この「奉Lという下附が欠け. れてよい。因みに、「長門祖本の原形を留めていると見ちれる」. ての「福原院宣」を'下知状と比較することには'無理がある。しか. ている.普通は、応永書写延慶本のように、右側に小さ-「奉」とす. う。このように、『平家物語』 し'物語の形成と成立が、下知状の様式の出来上った以後のものであ. るのだが、甲院宣を載せる諸本の中では'南都本が'細字とせず、本. このことは'日付の書きようからも裏付けることができる。という. 院宣、執奉如件」. が、この「執奉Lは、院宣のごと-上の意を下に伝達する場合、「執. 事実書の末尾'「依. の年付は入れ覆いのが普通である。年付を入れるということは、純私. 達Lとあって然るべきところである。延慶本以外で甲院宣を載せる本. のは'給旨・院宣・御教書夜どの私的文書の場合'日付は入れるもの. 状と区別される主要夜相違点夜のである.尤も'時代が降って、中世. が1奉Lに誤られたもの、. を見ると、『源平盛衰記』・長門本・南都本では全て「執達」と覆っ. と考えざるを得覆いのである。. ている。応永書写延慶本に至る間に'「達」. に入ると、公式文書の様式の影響によって、年付を入れる私文書も多. の場合、日付の日の数に少々異同はあるが'甲院宣も'そう. -あらわれ、十四世紀以後は一般化したという。『平家物語』 原院宣」. ここにも問題がある。前節において院宣の前後を引用したところでも. さきの整理において、1前石兵衛佐殿へ」を売名として示したが、. る。尤も、この年号は、迫撃・異筆が本文に人-込んだもの、という. 判然とするとお-、この「前石兵衛佐殿へLは、地の文にをってお-I. して実は乙院宣も、全て「治承四年」という年号が入っているのであ. ことも考えられる.が、それにしても、物語に組み込まれている「福 原院宣」. 名が付けられる。一方、さき程から問題にしている下文・下知状の場. 続-本文に連夜っているのである。院宣には、日付・署名の後に、売. の院宣そのものは、年付の入った'院宣としては異例のもの. であるという事実には変わ-が覆いのである。院宣に年号を付した、. かれることは覆い。こういう文書の定型の様式を知ると1延慶本にお. (売名)」とあるわけで、末尾に売名が置 合、文書の冒頭に「--下 の「福原院宣」である、という見方もで. というよりも'年付の入るのが当然とされる下文・下知状と同じ書式 で善かれたのが『平家物語』. とさ. 行本文と同じ大きさにをっている。様式が-ずれているのである. という書止の定型句である. る'ということにをれば、この比較と検討も、無意味ではをいo. 所収の、つま-'治承四年の記事とし. 御教書や院宣においては欠かせ覆い文字であるわけでrやはり注目さ(注5). の「福. 六. 下達文書であるわけで、しかも、頼朝在世期には所見が少をい'とい. r.依.

(7) いて、「前右兵衛佐殿へ」. という売名にあたる語句が地の文と1連の. ものとして書写されていることも、不思議では覆いことに怒る.下. と説明されて載り'本. 以上要するに、延慶本『平家物語』の「福原院宣」の甲院宣は'そ. うして'他の異種本に載る甲院宣は、「院宣」. 院宣、執奉如件」と明記されているとはいえ、その型式. 文中に「依. の本文が作られ'従って冒頭に売名. 文・下知状の型式に依る「院宣」. や様式の点から見ると'下文の「--下 (売名)Lを欠-もの、ひい という年には無かったはずの下知状の型式に覆っ. ている'ということにをるのである.売名が延慶本では地の文に連続 しているという事実は'この様式の混乱と無関係ではをかったと見て. ては、「治承四年」. の書式の中に組み込むわけにも行かず、地の文へ続ける位置に置かれ. へ組み込まれた際の、工夫の現れ夜のであるo. 点であろう。院宣は、『朝野群載』巻四所収の大江. (闘字は含まず). であり、文書として. 匡房奉行に覆る白河上皇の院宣が、今日のところ最も早いもののよう. 文に及んでいる」. 安当夜様式である。いささか問題があるとすれば、その「いささか長. 書止に「院宣如此、仇執蓮如件」と「院宣」と明記されているわけで、. れに、「頃年以来」に始まる事実書は、いささか長文に及んでいるが、. は無い。私的文書である「院宣Lとしては、妥当をことと言える.そ. 目されてよい.同じ乙院宣を載せる『平家物語』諸本を見ても、草書. まず'甲院宣には有った事書が、乙院宣には無い'という事実は注. 院宣との比較を含めて検討してみることにする。. せられている乙院宣の方は、様式・型式の点で、如何であろうか.甲. い.問題提起にとどめてお-として、それでほ、「異本云」として載. 関連のあ-そう夜事実が窺えたわけだが、まだ十分証明できてはい覆. そうして'院宣の諸型式を外れる点が'甲院宣の創られた年代と. は外れる点がきわめて多い、ということだけはお判りいただけたと思. いずれにしても'延慶本の甲院宣は'いわゆる「院宣Lの様式から. よ-'この点に限っては'売名に一行をあてる諸本等に比べて、延慶. 本は原型を保っている、と言えるのである。. れが『平家物語』. この売名は、奉行である藤原光能が形式上の差出人であるために、 「殿」という語が付いているのである。『源平盛衰記』には「謹上. とある。「謹上L と上所があるわけだが、差出人が 右兵衛権佐殿」 「散位光能」 と怒っているところを見ると、『源平盛衰記』 では、「謹 上」という上所を添えるために差出人の署名を「散位光能」とするこ とで'同じ右兵衛の「督」から「佐」. へという、位階の関係を精算し. ておこうとしたらしい。これをどは、延慶本が『源平盛衰記』に先行 する本文を有する一つの証拠とすることができる。 は、延慶本と. 実は'南都本には'この充名にあたる本文が無い.長門本では、こ の売名を特別に一行設けて写している。『源平盛衰記』. 同様に売名が地の文に連続している。南都本は、売名が末尾に釆覆い 下文・下知状の型式の夜ご-であり'長門本は「院宣.)の型式に整え るために末尾に売名のl行を取る方向に進んだもの、と言えよう.勿. だが'その事実害は三十九文字. 七. 論、以上は、あ-までも型としてのもので'成立順序ではをいが. 二つの「福原院宣」. うO. 都合では夜-して、この院宣が下知状の様式でもって作-出され'そ. た.こういう筋道を考えることができるのである.延慶本におS.て' 「前右兵衛佐殿L が地の文へ続いているという事実は、単覆る書写の. が、草書を有し、年付を持つ様式であるために'この売名を「院宣」. が置かれるはずのところを'下知状のごと-これを欠いたo然るに、 「院宣L として仕立てるために'末尾に売名を添える必要があ・つた.. 節.

(8) 二つの「福原院宣L. は比較的短い。以後、か夜-の数の院宣が発見されているが'その殆 どは'きわめて短い事実書である。本稿に取り上げている 宣」と同じ後白河院の院宣も'幾つか残されているが、例えば、束南. の場合は五十七文字に割注. (「五町六段」のごとき数値). 「福原院. とあらて尊書が有る. 奉行の署名に置き換え、売名を末尾に送ると、乙院宣の型式に覆る、. とは言えそうである.日付における年付は'こう考えると、納得がい. く。つまり'乙院宣も、甲院宣が院宣の様式に外れるのとは別の要素. で、「院宣」の様式と完全には合致し覆いということに覆るのであるo. 乙院宣に関して、いま少し言及Lたい事柄がある.∴らは'月付で. 。L&そいって'所. それ覆らば、適当夜空自でよ-、署名の直前にまで. とS<,つ、乙院宣の. 署名である。よ-具体的に言うと'「奉」は奉行の下附であるから、. いまひとつ問題に覆るのは、「前石兵衛督奉判」. 覆いのである。. く空自のあることは'乙院宣の原初の形態を示す一証拠と言え夜-は. を加えるが、御画日の制の名残ということを考えると、延慶本のごと. た日付の入った本が多いのである。この異同については'後節で検討. 因みに、乙院宣を載せる諸本を見ると、六日・九E=r・十四月といっ. 庁下文には'かよう夜例がい-つも見うけられf9のでぁる。. 古文書』下・九二)にも日付の数が入ってい夜い'とS・った具合で、院. 文書之l・宝簡集二所収の建久七年五月の後鳥羽院儒庁下文-(『日本の. 筆で記入するために、空自がおかれたのであるかち?因みに、高野山. は行か覆いが、公式文書の場合、御画日として天皇が日付の一字を窺. 月日のみを示すのが普通の院宣の場合夜どは'日の数々脱するわけに. 公式文書における御画日の制に覆らったものであろう。年付を入れず、. 「日」という文字を下げる必要が覆いからである。これは∵おそら-、. えそうに覆いo. 拠本の自付に何らかの本文上の問題があって'殊更に脱し港とも言. は、単純に日付の数字を脱したものとは考えに-い,. 「前右兵衛督」に付けられているoこれ. ある。延慶本では、前節に示したように、日付の自の数学が入ってお. (売名)」. 後白河院に の事実苔は、. (売名)」と事書を取-塞-'関係役人の連署を. の文字は署名の. 六文字、といった具合であ-、他も、長-てもせいぜいこの程度の分. 院庁下文の「院庁下. 乙院宣は'「院宣如此Lと明記されており'院庁下文では覆い。が、. 原院宣」の乙院宣とは大異があるのだが。. 奉書では夜-'関係役人による連署がある夜ど、署名の点でこの「福. という年付があることも、併せ考えてよかろう.勿論'院庁下文は、. 年付が入るわけだが'この「福原院宣」の乙院宣にも、「姶承四年」. 言って、院庁下文級であることにをる.しかも、院庁下文には、当然. 七〇〇字余という長さ夜のである。こう見ると、乙院宣は、分量的に. 永暦元年五月五日付の院庁下文(『日本の古文書』下・九1). 関わるものでいうと、大谷大学所蔵の「山城国在庁官人等」にあてた. わけだが、その事実書は'比較的長文に及ぶものが多いo. 書であ-、院宣とは違って、「院庁下. える時、院庁下文は、注目されてよい。院庁下文は、ひとまず公式文. い。中で、この「福原院宣Lのごと-上皇という下命者との関連で考. 勿論、乙院宣の程度の長さを持つ文書は、数多-、また、種数も多. 甲院宣の方が院宣的であると言えよう。. 異例といってよい程の長文である。この、事実書の長さという点では、. あって、『平家物語』の延慶本に載る乙院宣の一二三文字というのはI. らず'「日L. 一四七). 院文書の第六樺第三巻の寿永三年藤原光長奉行の院宣(『平安遺文』補. ー\. ノ. 量である。いずれにしても'院宣の事実書は、比較的短いのが普通で. が十.

(9) の諸異種本を見ると、殆どの本が、この売名の後. に、改行をせず'直ちに「へとぞあそばされたるL夜どと続けて本文. みに、『平家物語』. の実名が明記されているのだが、延慶本でほ. 々の問題が明らかに覆ったわけであるが'その中で最も重要であるの. その「院宣」としての様式・型式の点を検討してみた。.その結果、種. 延慶本『平家物語』に載る'甲・乙二つの「福原院宣」について'. は、重要夜意味を持つと言えるのである。. を記しているのである。かよう夜意味で、売名に添えられた「云々L. 因みに'前にも触. と官職名のみを記し、これに花押を居えているのであ. 「光能」. 「判」の下位にあって然るべきであるという点である。乙院宣の場合、 他の諸本では 「前右兵衛督L る。従って'これは「判奉」で夜ければ覆るまいo れた東南院文書の六の三の寿永三年藤原光長奉行の後白河上皇院宣で '「権右中弁(花押)奉」とをってお-、『根来要蕃』下所収の仁安. 三年かとされる後白河上皇院宣案(『平安遺文』補二三九)でも、「右兵. という文書の様式・型式から外れる. ところがある、という事実である。乙院宣の方が、比較的に「院宣」. であるが'「奉判」. の様式に近いと言ってよ-、一方'乙院宣は、院庁下文の様式に近い. 甲院宣は、下文もし-は「治承四年」にはまだ夜かったはずの下知状. は、甲院宣も乙院宣も、「院宣」. 衛督在判奉」 と覆っているのである。とにか-、延慶本の乙院宣の 「奉判」 は'妥当では覆い。他本のごと-「光能奉Lとあって当然の. の様式に近いとはいえ'それは、甲・乙両方を此較tてのことである.. と誤られることは、「判奉」. めることは'あり得る'という点である。『平家物語』における乙院. 事実として'福原の後白河上皇から院司の奉行による院宣が出され、. 在見られる甲院宣でも乙院宣でも夜い、もっと院宣とtて整っ七もの. それが『平家物語』に採-込まれたとしたら'その院宣の様式は、現. であったはずである。甲院宣であれ、乙院宣であれ'文書の有職に或 -上げたものと考えてよいのである。. る程度は通じてお-しかも正確夜ところは知らない、という人物の創. 文字は、院宣そのものの本文とは関わ-が無いとはいえ'看過できを. という売名に続いて本文が有ったと見. に応じたものと見ることも可能である。が、「云々」という. 甲院宣と乙院宣の先後閑係という問題も'この様式・型式の面から の検討を要しようO. とはいうものの、甲院宣は'鎌倉幕府の下達文香. としての下知状に近-、乙院宣は、院政期以後の院庁下文に近い、と. の異本ということに覆るわけである。囲. 乙院宣に改めたとすれば、様式・型式の面で言うと、事書が有り下文. ・Lうわけだが、これだけでは甲・乙の先後は云々でき覆い.甲院宣を. 書タ-ケ.ル」と売名に続けて地の文を続けているように、応永書写延. ではを-して'『平家物語』. .]1つの「福原院宣」. 九. である。つまり'この「異本」というのは、「院宣Lそのものの異本. 慶本が拠った「異本」にも'充名に地の文が続いていたと見てよいの. るのが妥当であろう。とすれば'甲院宣が'「前右兵衛佐殿へトゾ被. のであるから、「前兵衛佐殿」. 異本云L. い.この「云々」は、延慶本の乙院宣の直前に善かれている「同院宣. れば、原初の本文と隔たるところがす-覆いと言えそう夜のである. ・充名の「前兵衛佐殿」には問題は無いoただ、続-「云々」という. 宣としては'延慶本に載る乙院宣は、後に誤謬が訂正されて行-とす. と言ってよいのであるo この事実は、『平家物語』 そのものにおける 「福原院宣L の記事の史実と虚構という問題と関わって^. )よう。歴史. という誤-を訂正して. への改変覆らばまだしも、まず無さそう 「光能奉Lという本文に改. ところである.従って'注意しておきたいのは'「溌能奉」が「奉判」. ち..

(10) 二つの「福原院宣」. いうことに夜-、逆に'甲院宣に改めたの覆らば、いささか長文に過. いは院庁下文といった文書の様式に覆っている、とi・つ結論を得たこ. ぎるを待覆い、しかも、両院宣が、結果的にではあるが、下知状ある. えられず、院宣の書式にはいささか疎い人物が創り上げた文書と考え. ぎ、しかも院庁下文の冒頭の「院庁下」と事書を削ったかのよう夜乙. とは'望外の収穫であった。 ∧三∨. 型式の面での不備等を正すという意図だけでは夜-、その内容の面で. からである。尤も'田・乙両院宣が改作されたのは、単にその様式・. 両院宣の比較であるo. 検討してみることにする。以下は'具体的には、延慶本に載る甲・乙. 物語』に載る甲・乙二つの「福原院宣」について'その内容の差異を. 次に、前節の検討の際に課題として残した内の一方、延慶本『平家. の改変が考慮されていたはずであるから'両院宣の内容の吟味が必要. の諸本の間で対立を見せている、二つの「福原院宣」の院宣そのもの. -も原初の姿を保っているらしいことが'ある程度判然としてきた。. 別にして'その事実書つま-本文だけについていうと'、甲院宣は五十. ところがあったが、その分量の点である。事書・日付・.署名・充名は. の内容についての比較と検討、ということにをって-るわけであるO. 甲院宣でいうと「奉」という下附と'売名の書きようにそれがうかが. 七文字'乙院宣は一二三文字である。乙院宣は甲院宣の二倍以上の分. 院宣としての様式・型式の吟味を通じて、延慶本に収められている. え、乙院宣でいうと、御画日の記入の為の空自に似た日付の数字の欠. 量に覆っているのである.単に分量だけで云々するわけに行か覆いが、. 甲・乙二つの院宣を一見して気付-差異は、前節においても触れる. 如と、奉行の署名に関わる「奉判」という文字の矛盾にそれがうかが. 乙院宣はそれだけ内容が豊富に覆っている'とは言えそうである。. 件Lと乙の「院宣如此、仇執蓮如件」という、院宣としての定型の書. 院宣、執奉如. ところで、甲・乙両院宣を比較してみるとき'同文関係か殆んど見. 問題を残す結果にをったが'それは'次節以下に検討をすることにし. 止からして、その本文には大興があ畠のである。両院宣の間の同文関. られないという事実は、注目されてよい。甲の. て、とにか-、院宣としての様式・型式の吟味は、やは-必要であっ. 係を強いて求めると、「彼一類」と. '「亡仏法Lと「破. たことが'以上で明らかにできたと思う。特に、『平家物語』諸本に. 滅仏法」が有る程度である。「忽緒朝家」と「蔑如皇化」は同内容と. 「平氏之l類」. 載る二つの「福原院宣」の院宣が、歴史的事実としてこのよう在院宣. はS.え同文とは見られをい。とにか-'両院宣で共通する語は、壷型. 両院宣の内容の吟味と'他諸本に載る院宣本文との比較検討という. だけでは判然とせず'全文にわたる本文の吟味を必要とするのである。. える。ただ'この、他の諸本に載る院宣の本文との前後関係は'これ. 二つの「福原院宣」が'他の諸本に載る甲殻いしは乙の院宣の本文よ. が'当然のこと凌がら、■これは'『平家物語』. に覆ってこよう。. 文書に付けるはずの草書を加えるということの理由が、判然とし覆い. 院宣から甲院宣へというの覆らば、私的文書であるべき院宣に'公式. れが蓋然性が高いかといえば'稿者は'繭者の方であろうと思うd乙. 院宣を、院宣改みの分量に収めた、ということに覆ろう。いずれの流. ・下知状に近い甲院宣を、よ-院宣の様式にか恋うものに改めた、と. 一〇. が出されたことが有ったとしても、それをそのまま取-込んだとは考. 「依.

(11) の書止を除-と、「一類」「仏法」「朝家」「怨敵」の四語のみである。. 「神徳」が近い意味を持っていると言えようかo. あとは'「神威」. 甲院宣は、 o刊用の重複を厭. 作業仮説を立てて、内容を比較・検討して行-ほかをいわけであるO. まず、甲院宣の内容について吟味してみることにする9. 大き-分けて、三つ町内容を含んでいると見てよ3.. ∧一∨右、彼一類'非忽緒朝家、失神威、亡仏法'既為仏神怨敵、. わず、その三つの部分の1々について'本文を示して検討してみる.. 方の本文に補筆・増補した、あるいは、一方が他方の本文詞章を省略. されたという場合であり、一つは、両者は直接には関係が無-各々別. 想定できる.1つは、l方を参照しっつも全-別種の院宣本文が作文. を絶やしてお-、仏神の敵であ-'王法の敵である、という意であるO. の一類は'朝家を軽んずるだけで夜-'神の威光を無みし'仏の教え. 院宣では、以上の前車部分が一つのまとま-であると言える0平清盛. という事書はe)とまず別として、甲. 且為王法朝敵' 「可早退討清盛人道井一類事」. 個に作文された、という場合である.いずれが真実であるのか、今の. ∧二∨仇'仰前石兵衛佐源頼朝、宜令追討彼輩、早番息逆鱗. 後半部は'これを承けた'第二のまとま-である。す覆わち'. つま-'<清盛一類は朝家・仏・神の敵である>という断定であるO における改作も. という本文で、源氏の棟梁頼朝に命じて、清盛一類を追伐させ'天子. の逆鱗をやすめ奉るようにさせる、というのである.つまり、「可早. 退討清盛人道昇一類事」という事書の中味が具体的に述べられている わけであるo. 第三のまとま-というのは'院宣としての定型の書止としての、. 要するに'∧源頼朝に清盛一類を追討させ天子の逆鱗杏. は変容を考えているかのよう夜述べ方をしたわけだが、それは、福原. やすめ奉るようにする∨という命令であ-'甲院宣の眼目夜のである。. は見られず'『平家物語』. ∧三∨之状'依. である。この文書が「院宣」であることを明示したものであるわけで、. 院宣、執奉如件、. ある。物語の編著者(逮)がこの院宣をどこからか引用したにしても、. ∧院宣によってこれを命ずる∨という内容であることは言を要しまい。. で作文したにしても'私共は、『平家物語』内部の. また、自分(逮). る∨、よって∧源頼朝に清盛一類を追討させ天子の逆鱗をヤすめ奉る. 以上を要するに、甲院宣は、∧清盛一類は朝家・仏・神の敵であ. 「福原院宣」が有るという事実を、一方が他方を全面的に書き改めた、. .;.i. 享つにする∨、<院宣によってこれを命ずる∨、という内容をので濁 二つの「福原院宣」. もしくは'全-別文の院宣を作文して差し換えたためである'という. して、とにか-'『平家物語』において'という条件の下で、二つの. 問題として検討せざるを得覆いのである.その間題は、後に触れると. にのみ載っているとi,つ事実があるからで. からの後白河上皇の頼朝あての「院宣」怒るものの本文が、他文献に. いま'ことを『平家物語』に限定して'甲・乙両院宣の先後もし-. ると言える。. し-は増補という問題を考えるにあたって、きわめて大き夜間題にを. た、仮-に後者が真実であるとすれば、『平家物語』. の本文の変容を考える上でか夜-重大夜間題をはらむわけであ-、ま. ところ判然としをい.仮りに前者が真実であるとすると'『平家物語』. それでは、如何ようを本文の関係にあるかというと'二つの場合が. した、といったよう夜単純夜関係ではをいと考えざるを得夜-をるO. このように見ると'この二つの「福原院宣」というのは、一方が他. いずれにせよ、両院宣の間には密接夜同文関係は見出せ夜いのである.. と.

(12) 二つの「福原院宣」. る.きわめて簡略凌がら、この物語における「福原院宣」としては、 要を待たものと言える。 乙院宣は、その分量が甲院宣の二倍以上であるというにとどまらず、 内容の点でも、事柄が豊富に覆っている。甲院宣の検討に覆らって、 こちらを内容の点で細分すると、五つの部分に分けて考えてよい。 ∧一>頃年以来、平氏、蔑如皇化先博政道、破滅仏法欲傾朝威、 がまず一つの.まとまりである。近年来、平氏は、天皇の政治を蔑ろに し、政を私して慣らず、仏法を破滅し、朝廷の威光を-つがえそう. している、という程の意である。つま-、∧平氏は朝威を蔑ろに七仏 法を破滅しようとしている∨というのである.これは'内容としては、 甲院宣の∧l>と重夜-合う。が'甲院宣の∧一∨には有った「神」 に関わる点が、ここでは全-欠けていることに怒る。実は'その「神し に関する事柄は、.これに続いて'特別に取-上げて'特に強調して述 べられているのである。それが、乙院宣の第二番目のまとま-と言っ てよいもので' <二>夫吾朝者神国也'宗廟相並神徳是新也、故、朝庭開基之後、. 思想が表てに出てさえいるのである。我が国. 数千余載之間、傾帝献危国家老、皆以莫不敗北、 という具合に'「神国」. においては'開閉以来、天皇の政道を滅亡させ国家を乱そうとする者. は、神徳によって必ず敗北する'というのである.<神国日本では朝 政を乱す者は必ず敗北する∨という断言であるわけだが'甲院宣の ∧l>では朝家・仏・神と並列して扱われていた「神」が、ここではI 朝廷・国家というものと強-結びつけられて、強調されているのであ る.これはいわゆる神国思想の常ではあるのだが、甲院宣に対立する 乙院宣の一つの特色とは言える。. +). 「朝家之怨敵」を退けよという'「朝家」に力点のお. 乙院宣における最も大き夜内容の相違点でもあ-、敢えて<四∨とし. という件りであるo∧三>の続きであるとはいえ、甲院宣に比べて、. ∧四∨継普代弓箭之兵略'抽累祖奉公之忠勤'可立身興家、. この相違と密接に関わって-るのが、続-一節である。す覆わち'. る.この相違は、か覆り大き夜間題を含んでいると考えられる。・・. いるわけでは夜く'「課平氏之一類、退朝家之怨敵」. の本文中に記されている.しかし、乙院宣では、これと名ぎしをして とするのみであ. 甲院宣の∧二∨では'「仰前右兵衛佐源頼朝Lと、願朝の名が院宣. 間違い覆いのである。. の考え方'いわゆる「神国思想」が強調されているということだけはI. 宣では、神国・神徳・神道之冥助といった具合に'我が国盾釆の「神」. 神道之冥助」が強-響-のである.とにか-、甲院宣収比べて'乙院. かれた命令ではある。であるからこそ、かえって、<二∨に続-「任. を拠-所として. 旨趣」という形で強められてもいるのである.勿論、r.守勅宣之眉趣」. るわけで'しかも、<二∨における「朝威Lが、ここでは「守勅宣之. 目されてよい。さきの∧二>の「神徳」に関連する内容の強調でもあ. 命令の拠-所が'「任神道之冥助」という点を含んでいh@y尊実は、y注. ともいうべき部分であるが、その∧平氏を課し朝敵を退けよ>という. である.これは'甲院宣でいうと<二∨に相当する'この院宣の中心. 朝家之怨敵、. .<三>然別'且任神道之冥助'且守勅宜之旨趣、諌平氏之1類'退. 」の院宣の眼目と言 続いて載る∧平氏を課し朝敵を退けよ∨という、ナ. ってよい第三の部分とも'密接に関わっている.その第三の部分とは'. ・JA)の、乙院宣では「神」に関わる事柄が強調されているという点は、. 一二.

(13) て、特別に吟味してみる。先祖代々の武の家の兵略を受け継いで、祖 先以来朝廷に奉公したその忠勤をいよいよ抽でるようにし、身を立てI 家を興せ、という内容であるoここには「源家」とは1]llT口も述べてい. 覆い.が、乙院宣の冒頭が「頃年以来、平氏」に始ま-充名が「前兵. による院宣の内容がふさわし-覆るわけである.つま-、いま見てい. る甲・乙両院宣の相違は'「福原院宣」の逸話そのものの『平家物語也. の形成と変客の問題とも関連して-. における役割という面と'大き-関連していることに覆るのである。 しかも、これは'『平家物語』. れたという、専ら個人的改ものとする見方と、乙院宣のごと-平氏に. る.というのは、甲院宣のごと-清盛に対するに頼朝の挙兵が行覆わ. 対して源氏が挙兵したという、武家の世そのものの動きとする見方と. 衛佐殿」であるから'「普代弓箭之兵略」「累祖奉公之忠勤」が源家の ことであることは明らかである。配流の身である頼朝に対しての「立. の相違は、おそら-'『平家物語』. (逮). 原編著者も改. 身」であり、平氏専横の世において源氏に対する「興家」である.つ. の歴史の見方の相違のあらわれであるに違い覆いか. (逮) の見方・考え方というにとど. の見方の相違と言ってよ. という見方をする個人および時代があり、. をも含めて、「時代」. らである.さらに言うと、編著者 まらず、享受者(逮) い。つまり、r.頼朝挙兵」. という見方をする個人および時代があって、それ. 国思想の強調、乙の∧四>における「家Lとしての把握'この二点は、. も、・相互に小異が無いでは夜かった。また'乙の∧二∨に見られる神. ∨'これらが、内容としてはほぼ重夜-合うものである。が、それで. ∨、.甲の∧二∨と乙の∧三>、定型的夜書止の甲の∧三∨と乙の∧五. の内容も、か夜-豊富にをっているのである。甲の∧1>と乙の<一. 以上を要するに、乙院宣は、甲院宣に比べて、分量だけでは夜-そ. そこれを命ずる∨というわけで'甲院宣と変わるところが覆い.. というものである。甲院宣の∧三>に相当し、内容も、∧院宣によっ. ∧五∨者'院宣如此'仇執蓮如件、. 乙院宣の第五番目のまとまりは、例の定型的文句による書止であ-、. わけである。. が、二つの「福原院宣」に如実にあらわれている、ということになる. また'「源氏蜂起」. の編著者. まり'乙院宣の∧四∨は、<源氏よ、起て∨という命令覆のである。. 作者も含めて. 因みに、甲院宣は、事書に「可早追討清盛入道井一類事」と清盛を. 頼朝に'「家」としての源氏の蜂起を命じているのが乙院宣といえる.. 及びその. 表てに出し'「彼1賓」つまり「清盛一族は」と始め、「仰前右兵衛佐 源頼朝、宣令追討後事」と命じている。、こちらは、「清盛」 一族に対する「源頼朝」というとらえ方夜のである。つまり、専ら個 人としての清盛と頼朝の対立として事が把握されているわけで、乙院 宣の「家」す覆わち平氏と源氏というとらえ方とは、全-違うので ある。 個のとらえ方と家のとらえ方、との相違は、大き夜間題を含んでい るo文寛が、光能を介して、後白河上皇から賜った'流人頼朝への院 宣、これによって頼朝が挙兵する、といった具合に、文覚欝としての か覆り個人的夜逸話として'この「福原院宣Lをめぐる記事・章段を 把握するとき、甲院宣のごと-'清盛対頼朝という個人対個人の関係 による院宣の内容であってよいことにをる。.一方'「福原院宣」 事・逸話を'『平家物語』全体の流れの中に位置づけて、平氏に対す るに源氏が追伐の兵を挙げる'と払った具合に、源氏の挙兵欝として. -. -. 一三. とらえるときには、乙院宣のごと-、平氏対源氏という家対家の関係 二つの「福原院宣」. の記.

(14) 二つの「福原院宣」. 甲院宣とは大いに趣きを異にするものであった.す覆わち'この二点 によって、甲・乙二つの「福原院宣」の相違が、単に本文・表現の相 違にとどまらず'思想の面での相違をも含んでいることを示している のである。表現と思想の両面にわたる本文上の差異を以って改作ある (注・D). いは著作性本文形成と認定する、という稿者夜-の異文の扱い方の基. においては'いずれが. 準からすると'甲・乙両院宣は'まさし-全文にわたる改作夜のであ 甲・乙二つの「福原院宣Lは、『平家物語』. 白河院の院宣は、・上皇から源氏の棟梁へという、いささか大きを世の. 全体の構想の中での頼朝による源氏挙兵帝の一逸話としてとらえ、後. の文体においても、公式文書における漢文体が、受け継がれている。. ある院宣が公式文書を襲っているのは'様式・型式のみではをい。そ. たとすれば、その改作は、内容の点では、ご-要点のみをおさえるだ けの院宣に改める、という方向のものであることに覆る.しかも、結. いうことに覆る。勿論、この問題は、単純に「院宣」の内容のみで云. 比較でもある。. ことは、『西宮記』. がえ、また、『本朝文枠』. の逸話全体、ひいては、文覚を部. 分主人公とする文覚欝全体、源氏の頼朝挙兵をめぐる記事全体との関. 書さえも、数多-出され、中には次々と増補されて行ったものもある. を見ても、明らかである。その四六餅優文等の文体習得のための指南. 覆るまい。. 連で'検討され夜ければ怒ら覆い問題である、ということは忘れては. 々できるわけが夜-、「福原院宣」. の文体で草せられるものであったことは'周知のところである。その 『北山抄』『江家次第』 等の有職故実書からもうか 『朝野群載』のごとき模範文例集所収の文例. ど-狭い文覚辞としての院宣に改めてし享っ、という方向での改作と 詔・勅書や官符・奏上・牒状、また、表白・願文等が、四六餅儀文. 果としては、物語全体をとらえる内容に覆っている院宣を'あえて、. みる。当然'これは『平家物語』諸本で対立する甲・乙二つの院宣の. 問題としたことに覆る。乙院宣が本来のもので'これを甲院宣に改め. 的様式は公式文書に依っている。そのことは、本稿で取-上げている 『平家物語』 に載る 「福原院宣」の場合も、同様であった。私文書で. 私文書であるとはいえ、院宣は、その様式の点で見ても、その基本. ∧四∨. うではあるが'いま少し、諸方面からの検討を加えることにしたい.. 院宣、というものが、乙院宣に先行すると考える方が、蓋然性が高そ. 貫しているのである.この、文覚辞としての「福原院宣」における甲. 文覚という部分主人公が関わった「院宣」であった、という方向が一. 延慶本においては、文覚欝としての「福原院宣」の記事であ-'その. 載している、という事実は、注目してお-必要がある。少夜-とも、. 語』が'甲院宣を本文として載せ、乙院宣の方は「異本云」として付. その決着は、しばらく保留とせざるを得夜い.が、延慶本『平家物. 1四. そこで'本節においては、延慶本『平家物語』に載る甲・乙二つの 「福原院宣」 について'その漢文体の文体の面での差異を'検討して. したことに覆り'それを、乙院宣へ改めた改作者は、『平家物語』の. の院宣も、文覚・上皇・頼朝という'きわめて個人的夜次元のものと. 著者は'この「福原院宣」の逸話を文覚浮としてとらえ'後白河上皇. だ確とした証拠が見出せ夜い。甲院宣が本来のものとすれば'その編. 本来のものであろうか。この大問題を、内容の面から考えるとき、未. る。.

(15) 程である。その指南書の一つである『作文大体』の中の「雑筆大体」. 長句、従二五字.至二九字或十余字1.有レ対。可レ調二平他声.也.或. 施レ腹、或施レ腰、賦猶施レ腰見ク-0 傍句、相二似発句1. に、餅償文の十三種の句の種類の名称を示したあとに、「雑序、願文、 奏状'解状、勅詔、勅答、表白、己下雑筆、悉納此体」と示されている. 隔句有二六種体]。詞'軽重錬密乎雑也。軽重為レ最.疎密為レ次.. の文体も、その影響を受け覆いはずはをいと言える.事実'い-つか. 重隔句'上六、下四。. 軽隔句、上四'下六。. 平雑又為レ次o六体同調二平他声f也。. 程である。. の院宣・院宣案を検討してみたが、その傾向がうかがえた。尤も'前. 疎隔句、上三、下一。多少不レ定。去二平他声「又、未二心去.之。. 詔・勅書や奏上・牒状が'噺億文の文体で書かれると覆れば、院宣. 節でも示したごと-、院宣というのは、おおむね短い文章であ-、餅. 密隔句、上五己上、下六巳上.多少不レ定。下三有レ対.. 送句、施i尾.一二三.無レ対。. 或施レ尾。或代二送句]。不レ可レ調二平他声... 漫句、不二対合「不レ調二平他声「或四五字'戎十余字也。或施レ頚、. 上九十下七八。或上四下九十十一二六。或上六下五。. 雑隔句、上四、下五戒七八。或下四'上七八。去声或不レ去。又、. 優文体にそっ--あてはまるとは言え凌いのではあるが.そこで'以. そのものの本文研究が必要か. によって'餅億文の句の種類を. 平隔句、上下或四五或六。去声又不レ去.. の「雑筆大体」. 下、甲・乙二つの「福原院宣」を'餅償文の文体を基準に検討したい. まず'『作文大体』 紹介してお-ことにする。『作文大体.』. とは思うが'ここでは'群書類従書収本に依ることとする。猶'『作 文大体』には'各句の例が示されているが、煩雑でもあり、省略する. 発句。壮句。緊句.長句.傍句.隔句、此内有二六隔句T.謂'軽. 雑筆は'餅億文の句の種類に怒らって、かよう夜十三句の組合せに. ょって草されるもので夜ければ覆ら夜かった'というわけである。特. 句、重句、疎句'密句、平句、雑句巳上外二句在レ之。漫句。送 句蔦。巳上十三句、雑筆之大概也。賎是雑云'古詩体也。′其玉章. 宣の文体を分析してみると、事書は除外して、以下のとおりである。. 以上に見た餅億文の句の種類によって、まず、「福原院宣L. に'隔句対の駆使されることが、餅億文体の特徴であると言ってよい.. 斌及序未二必用p之o. 皆納こ此中].更無二別大体].頗以二愚意]'不i可二推量].必可レ間二先・ 達1定有二口伝一欺。 (中略'前引本文が入る) 発句'施i頭.又有レ施y中o頗如二傍句]. 壮句、三字。有レ対。発句之次用レ之。但、. 可レ調二. 彼一類、非忽緒朝家、 失神威、亡仏法' 既為仏神怨敵'且為王法朝敵'. (壮句的). 句) 句). 句) 句). 形可レ調二平他声].二句為こ一句]'上三下三'壮句云。 緊句'四字。有レ対o或施レ胸、戎施レ腰。賦及可レ施レ胸o. 平他声].二句為]]l句]. 二つの「福原院宣L. (漫 (発. (傍 (長. 右' 仇'. 随i. の甲院.

(16) 二つの「福原院宣」. 仰前右兵衛佐源頼朝、. 院宣、執奉、. 宜令追討彼輩、早春息逆鱗' 之状'依. (長句的). 如件' 「右」 を発句と見ると、発句の次に来るのは壮句であるはずだが、 ここでは「彼1類、非忽緒朝家」と対合の無い漫句が入って、続いて 三文字の壮句にあたる対句が置かれている。この後に、六文字の長句 がある.「仇」という傍句によって'内容を転換し(前節参照)、平清 盛1類追討を命ずる内容が漫句で記されている.「宜令追討彼輩、早奉. のではあるが、「宜シク彼ノ輩ヲ追討シテ、早ク逆鱗ヲ息メ奉ル」. 院宣'. 息逆鱗」は'文字数及び用語から見て、前の行から続いている漫句を 訓むと、対合が認められる。「長句的」とした所以である。「依 執奉如件」という定型の書止めも「如件」のみが送句と覆るのである. 餅億文の特色である隔句対が欠けているとはいえ、甲院宣が'三つ. 蔑如皇化'先博政道、 破滅仏法'欲傾朝威、. 吾朝者神国也。 宗廟相並'神徳是新. 朝庭開基之後、数千余載之間、 傾帝飲、危国家 老、皆以莫不敗北、 然別、. 且任神道之冥助、且守勅宣之旨趣、 諌平氏之一類、退朝家之怨敵、. 継普代弓箭之兵略、抽累祖奉公之忠勤' 可立身興家'. 院宣如此'. 執達'. (平隔句). (壮句的). 句)含二字対合. 院宣が、まさに餅億文の文体を襲っていることを如実に示しているの. 壮句的をもの、といった具合に'対句が多用されている点は'この乙. 句対の中の平隔句も用いられているoとにか-'隔句、緊句'長句、. 体として、餅儀文の文体がきわめて整っていることが判然とする。隔. 発句・壮句という書き出しでは夜-、漫句から始まるとはいえ、全. 如件'. (長 (傍 (送 (緊 (漫 (傍. (送 (漫 (傍 (漫 (送 (漫 (長 (長 (長 (傍 (漫. 夫、 故、 也'. 〓ハ. 句) 句) 句) 句) 句) 句). 句) 句) 句) 句) 句). 句) 句) 句) 句) 句). の対句を含み、餅優文の句に分類できる文体で草されている、という 事実は'注目されてよい。ご-短い文章であることも関わって、甲院 宣は'餅傭文と見ることに無理がある程ではある。が'餅億文の句法 で分析できる、ということも'また事実夜のである。前述のごとく、 い-つかの院宣・院宣案を、同様の手続きで検討してみたが'おお むね、この程度の餅億文体であった。さらに言うと'『平家物語』の 「福原院宣」の甲院宣の方が、資料として残されている諸院宣よりは、 比較的、餅優文寄-であるとさえ言える。. 次に、乙院宣について'同じように'餅儀文の句の種類によって、 全文を分析してみると、以下のように覆る。甲院宣とは大差がある。 頃年以来'平氏、. 0. と. 句). 者、. 句) 句) 句). (漫. 仇'. (漫 (送 (漫.

(17) は'下に注記したように'二文字の対句であ. いずれの流れが本来夜のか、早急に結論を出すわけには行か覆い。. としての様式・型式の面での流れと、両院宣の内容つまりそこに込め. が'文体の面で想定できた流れが'どちらを先行すると見ても'院宣. である。「立身、興家L る。餅優文には二文字の対を特別に立てていをいので'ここでは漫句. の部分を、細分したが、これは'様式・型式を検討した際に述べたよ. 現の面である.二つの「福原院宣」の改作は'様式つま-構成と、.内. という事実は、注目してお-必要がある.文体の面とは'要するに表. られた思想の面での流れと、つま-、様式とも思想とも、垂をりあう. とあつかっておいたが、これとても'対句を多用するとL・つ餅偉文の. うに、これ程細分する必要は夜-'熟した表現であると見てもよいo. 容つま-思想と、文体つま-表現の、三つの面が照応している'とい. 基本的態度の反映と認めてよかろうと思う。「院宣如此'仇執達如件」. とにかく、乙院宣は、甲院宣に比べて、餅償文の文体が'より整っ. うことにをるのであるから'二つの「福原院宣」は、やは-'大きを. (注6). ていることは明らかである.勿論、それは'全体の分量とも関わって. 改作、稿者のいう著作性本文形成というものであると言えよう.. これまで'延慶本『平家物語』に載る甲・乙二つの「福原院宣」に. ∧五∨. いるのではあるが。それに、前節において検討した、乙院宣の五部分 の内容、ということも'関わっているO冒頭の「頃年以来」は別とし. るのである。実は、前節の五部分細分は、この傍句の存在によって試. ついて、その様式・内容・文体の面を検討してきたわけだが、その都. という傍句によって'記事内容が転換してい. みたのではあるが。それはそれとして'傍句で意味の転換がはかられ. 度、これが『平家物語』諸本の間で対立する二つの「福原院宣」の検. て'「夫」「故」「然別」. ている部分の内'末尾の定型書止め以外の各部分に、必ず、隔句夜-、. 討にも覆る、と繰-返し述べておいた.おおむね'そのとぉ-である. 特に様式と餅億文の文体分析の結果を尺度にして、それとの関連で検. 異文の吟味は'これまでの検討をふまえ、様式・内容・文体の面、. た他伝本約二十余本に載る院宣の本文を比較検討してみることにする。. 本節においては、甲・乙二つの院宣のそれぞれについて、管見に入っ. のだが、院宣の本文に限ってみても、諸本の間に小異がある。そこでI. 緊句覆り、長句夜-の、対句が用いられている点に注目したいのであ つまり、乙院宣の対句表現が、偏っているのでは夜-、乙院宣全. 文に行きわたって、適当に配されている点に注目するのである.. したにせよ、全-の差し換えであるにせよ、先きに検討を加えた内容. 討することに覆る。. 文体の面で、甲・乙両院宣の先後を考えると'それが、一方を改作. 面での検討と、重夜-あうことが考えられる。つま-'甲院宣が先行. ヽ. まず、甲院宣について、これを載せる長門本・『源平盛衰記』・南都. するとすれば、乙院宣は、.餅億文の文体をさらに徹底する方向で改作 したということに覆り、逆に、乙院宣から甲院宣への流れであるをら. ヽ. 本の三者と延慶本の本文とを比較検討してみたい.. ヽ. 事書の本文が'『源平盛衰記』だけは「早可追討清盛法師並一瓢事」. ヽ. とあって、他本と相違がある。「早可追討」は、延慶本等の†可早退. ヽ. ば'餅優文として抄と患ず整っているものを、敢えて、簡略化し' 文体的にも乙院宣に比べれば餅儀文からはか覆り離れたものに改めた、 ということに覆るのであるo 11つの「福原院宣L. ヽ. ヽ. 一七. ヽ. る0.

(18) 二つの「福原院宣L 「既」. ように'「可早」である。尤も、源頼朝の下知状や下文に'「早可」の. も「且」. も欠けている.これはこれで、ひとまずまと. 的夜姿を示し、南都本が修正の姿を示す、ということであれば、面白. いのだが.いずれにしても、延慶本の本文が原型であると言える.. 彼輩、早退怨敵、奉安窺襟夫」と、全-の漫句に覆っている.1方、. 前節において「長句的Lとした、延慶本の「宜令追討彼輩、早奉息. 「可早」 とする延慶本等の本文が妥当であると言える。 『源平盛衰記』 だけは、事実書の冒頭から大き夜具文がある。即ち、. 長門本は'「宜令追討彼輩、奉息逆鱗'之状」とある。つま-'「追討. 「為レ最」 とされる上六下四の重隔句である. の部分は'正対では覆いが、訓み下すと四文字の栄. を欠き'「宜令追討彼輩、者」. 数からいうと、餅優文で. ことは注目されるoただ、その隔句対が'対合を覆す文字にまで心を. 先行する、あるいは、本来的である、と考えてよいのである。. と、延慶本の本文が'長門本・『源平盛衰記』・南都本の三本の本文に. である。以上要するに'餅腐文の句を基準にして甲院宣の本文を見る. そのことは、. 所収甲院宣の作者は、餅優文体の知識. はあったがそれほど正確では夜い、ということに覆ろうO. 点からいうと、『源平盛衰記い. 配った正対では夜-、全体として対に覆っている程度である、とi^ワ. 句に覆るのである。これはこれで、妥当といえる。南都本は、後単部 とある.これでは対句とは覆らをいの. とあーつて「彼l顛者」に続-。この『源平盛衰記』の独自文が、文字 彼輩'奉息逆鱗」. 逆鱗、之状Lの部分も'異文が目立つ。『源平盛衰記』は、「宜令追討. 右'君子不レ直人者、令二民成T,愁'姦臣在二千朝]者、賢者不レ進、・. 例があ・るのだが、(『平安遺文』五〇六六・七)。とにかく、′様式から見て、. といった. の場合'「既L. これは餅億文として異例といえ. 討」の方が、様式の点で安当である。甲院宣が下文・下知状の様式に. る。ヤはり「既」に対応する「且」は在って然るべきである。南都本. が傍句のように怒ってしまうO. 近いことは既に指摘したが、下文や下知状の事書は必ず「可・・・Lで始. 1<. まる。「早」が強調されるものも多いが、その場合、「可早不可令耕作. ヽ. も夜長句対と言える。長門本が対句の1部「且」を欠き'南都本では 「既」「且」の双方を欠いているわけで'長門本がこの本文変化の過渡. ヽ. 弘近法師田畠桑等事」 (正村升亭氏蔵・康平四年・藤原行□下文案・ 『平安遺文臥補10)「可早任下知存知其旨宇佐宮神官海三大天成忠身事」 ヽ. (蛎瀬文書・元暦二年・関東下知状案・『平安遺文』五〇九三). ヽ. では. 「失神威与仏法」という具合に対. という長句対の部分は'長門本に. 神汲敵、為皇皆朝敵」という五文字の長句に覆るわけだが'それでは、. とあって、「既」に対応する「且」が欠けている。結果的には、「み紘. も南都本にも異文がある。長門本では、「既為仏神怨敵'為皇法朝敵」. かも知れ覆いのだがo 「既為仏神怨敵'且為王法朝敵」. 合が-ずれていることからも、言えそうである。尤も、「与」は誤写. ている本文が、『源平盛衰記』. とする。充名の方には「前右兵衛. 後、寿永二年十月九日に「復本位」とある。『尊卑分泳』では、「右兵. 四日に「任右兵衛権佐」とあ-、「同廿八日解官」. 題は'『源平盛衰記』が、事実書の中でも売名でも、「前右兵衛権佐」 とする点である。『公卿補任』 によれば'頼朝は、平治元年十二月十 、平治の件で配流の. 佐殿」とあるから、事実書の方は「兵」を誤って脱したと見える。問. ところが'長門本は、「前右衛佐」. 慶本は'頼朝を「前石兵衛佐」とする。これは、南都本も同様である0. 続-、「失神威、亡仏法」という延慶本等では壮句的孝二文字対に覆っ 餅優文の文体と関わ-が覆いが'いま一つ'重大を異文がある。延. ヽ.

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